<<目次へ 団通信1391号(9月1日)
菊池 紘 | *団創立九〇周年・二〇一一年総会 特集* 「流れをかえる―九・一一と三・一一 そして」 創立九〇周年記念企画と二〇一一年総会へ参加を |
杉本 朗 | 一〇月二一日と二二日は、東京お台場に集まって下さい |
横山 聡 | 九〇周年総会後地方企画実施へ! |
下迫田 浩司 | 飛翔館高校(近畿大学泉州高校)解雇事件で、逆転勝訴の高裁判決! |
菊地 令比等 | 鳥居公務災害事件完全勝訴判決 |
鷲見 賢一郎 | 日亜化学の偽装請負とのたたかい |
大久保 賢一 | *東日本大震災特集* 福島原発事故に立ち向かうために三 ―法律家として期待されること― |
小笠原 忠彦 | 「今こそ、団が中心となって壮大な脱原発運動を構築するべきである。」 |
神原 元 | 水産業復興特区構想と漁業権 |
神田 高 | “どろ出し”〜石巻・女川へ (下) |
土井 香苗 | 北朝鮮の政治犯収容所を生きのびた脱北者が韓国から来日。 |
後藤 富士子 | 「君が代」と国民主権 ―「国民の教育権」と「親権」 |
マスコミ情報文化情報労組会議(MIC) 日本ジャーナリスト会議(JCJ) マスコミ九条の会 自由法曹団(JLAF) |
土曜昼休みに有楽町マリオン前で「原発撤退」へむけたひと言を ―マスコミ、法律家四団体の宣伝行動 |
団 長 菊 池 紘
一九二一年八月二〇日、弁護士たち約七〇名が日比谷の松本楼に集まり自由法曹団を発足させてから、九〇年になります。自由法曹団は一〇月二一日(金)に東京江東区・お台場で「流れを変える 九・一一と三・一一 そして」と呼びかける創立九〇周年記念企画をもちます。
この一〇年、私たちは人びととともに、海外派兵とアメリカの戦争への参戦に反対し、憲法九条改悪を阻止してきました。また、派遣など労働者の権利を守り、構造改革に反対し、力を尽くしてきました。
そして三月一一日の東日本大震災と福島第一原発の爆発をうけて、いま、被災者・地元中心の救援・復興とこれを妨げる上からの「復興」との、そして原発撤退と原発推進との、厳しいせめぎ合いの真っただ中にあります。
時代は「流れをかえる」たたかいをもとめています。企画ではこの一〇年の努力の教訓とこれからの課題を明らかにしたいと思います。その夜には記念レセプションをもちます。
翌一〇月二二日(土)は全国総会を持ちます。総会では、上述の課題のほか、衆議院比例定数削減、裁判員裁判と司法改革、言論弾圧、えん罪等々の当面の諸問題について集中的に討議を深めます。
二日にわたる一連の企画に、全国の団員と事務員のみなさんの参加を呼びかけます。
事務局長 杉 本 朗
今年は、自由法曹団結成九〇周年です。
七〇周年、八〇周年のときと同じように、九〇周年記念行事を行い、総会は一日で集中して行うことにしました。
日程については、別稿に詳しく記載してあるとおりですが、一〇月二一日(金)の午後三時から午後八時まで、お台場のホテル・グランパシフィックLE DAIBAで、つどいとレセプション(立食パーティー)を行い、一〇月二二日(土)の午前一〇時から午後四時まで、東京国際交流館プラザ平成で、二〇一一年総会を行います。
全国から多くの団員がお台場に結集するよう、お願いいたします。また、ぜひ若手弁護士あるいは事務局員をたくさん引き連れて来て下さい。若手弁護士や事務局員にとっても、今回の記念行事、総会は、今後の活動の役に立つものになると確信しています。
《つどい「流れをかえる-九・一一と三・一一 そして」》
八〇周年の年、九・一一事件が発生し、好むと好まざるとにかかわらず、大きく世界の構図が変化しました。
そして、本年三月一一日の東日本大震災と福島原発事故をきっかけとして、この一〇年、グローバリゼーションや構造改革の名の下に、いかに一部の独占資本によって「収奪」が行われ、人びとが疲弊していたかが、明らかとなりました。
私たちは、この一〇年を振り返るとともに、次なる一〇年をどのようにたたかっていくのかを、考えたいと思います。
つどいでは、まず「映像で振り返る一〇年」として、大山勇一団員がチーフとして作成した映像で、この一〇年間の出来事を振り返るとともに、団の内外の人からのビデオレターを流して、自由法曹団に対する期待・要望などを語って貰います。
続いて、加藤健次団員をコーディネーターにして、次の六名の方々にリレートークをしていただきます(敬称略。五〇音順)
・生熊茂実(全国労働組合総連合副議長)
・伊波洋一(前宜野湾市長)
・川口 創
・田中 隆
・村田浩治
・渡部容子
生熊さんには構造改革と労働運動、伊波さんには沖縄の基地問題、川口団員にはイラク派兵違憲訴訟、田中団員には東日本大震災への団の取り組み、村田団員には非正規労働者のたたかい、渡部団員には司法修習生の給費制問題をそれぞれ切り口にして、この一〇年や団への期待などを語っていただきます。
《レセプション》
つどい終了後、ホテルの同じフロアの隣の部屋に移り、立食形式で懇親会を行います。音楽の流れる中、大いに語り合い、絆を深めていただきたいと思います。
《総会》
自由法曹団一〇〇周年に向けて、私たちはこの一〇年をいかにたたかうか、ということで積極的な議論をお願いいたします。分散会形式を取らず、すべて全体会形式で行います。発言通告の取り方など工夫して、みなさんが発言しやすいような運営を行いたいと思います。
なお、一日で総会を行う関係から、恒例の古稀表彰者のご挨拶は代表一名にさせていただくことについて、ご容赦願います。
すべての団員のみなさん、ぜひ一〇月二一日、二二日は東京お台場に集まって下さい。
東京支部 横 山 聡 (東京支部事務局長)
一 先々回の通信で、総会後の東京支部企画についてご報告しましたが、ご意見を受けて、やはり今回初めての試みとして実施することにいたしました。
まだ企画の細部を練っているところですが、総会終了当日の夕方から、何か短時間の企画を行ってから懇親会を実施し、浅草あたりで宿泊、翌日東京大空襲の痕跡を回るという企画で大筋実施する予定です。
二 実際のところ、東京大空襲訴訟の原告のガイド付きで戦跡を回るというのは、大空襲訴訟自体に関心はあるがなかなか実情を見ていない東京の団員も結構参加が望まれるところかと思います。そこで、宿泊なしでの当日企画のみの参加も出来るように取り計らいたいと思います。
既に戦後六五年を経過し、戦争の痕跡がうずもれてゆく中で、その被害を正面に据えて戦争を二度と起こさないという立場で戦われている皆さんの声を聞き、全国的にも実施された非戦闘員へのジェノサイドである空襲被害について考えていただきたく、ご参加を募りたいと思います。詳細は二三日についてはほぼ定まりました。二三日は午前一〇時頃宿舎を出発し、上野東照宮、浅草寺、戦災資料センターなどを回り、午後四時には東京駅に、午後五時半ころには羽田に到着して帰路についていただく予定です。大空襲訴訟の原告のみなさんなどのご協力で、詳しい解説のついた旅程になります。
通常会議にしか来ないで即帰りしてしまうため、見過ごしがちな空襲被災都市「東京」の真の姿に迫る絶好の機会です。多くの団員のご参加をお待ちしています。
大阪支部 下 迫 田 浩 司
一 明快な逆転勝訴判決!
二〇〇九年一二月一八日の大阪地裁堺支部の不当判決以来、原告団及び弁護団は、前の見えない霧の中をもがき苦しみながら歩いていました。二〇一一年七月一五日、霧を吹き飛ばすような素晴らしい逆転勝訴判決を勝ち取りました。
学校法人泉州学園が経営する飛翔館高校(現・近畿大学泉州高校)で、二〇〇八年三月末に七名の教員が整理解雇され、そのうち五名の教員が解雇無効を理由とする地位確認等を請求する訴訟を起こしました。まさかの第一審敗訴を受け、控訴審で闘ってきたところ、大阪高裁は、一審判決を取り消し、原告五名全員の雇用契約上の地位を確認し、バックペイを全額認める、完全な逆転勝利の判決をしました。
二 大阪高裁判決の内容
(一)一般論
整理解雇の有効性に関する一般論について、判決は、「整理解雇は、使用者の業務上の都合を理由とするもので、解雇される労働者は、落ち度がないのに一方的に収入を得る手段を奪われる重大な不利益を受けるものであるから、それが有効かどうかは、(1)解雇の必要性があったか、(2)解雇回避の努力を尽くしたか、(3)解雇対象者の選定が合理的であったか、(4)解雇手続が相当であったかを総合考慮して、これを決するのが相当である。」としました。これは従来の裁判例の一般論をほぼ踏襲したものです(あえて言えば、(1)を「人員削減」の必要性ではなく「解雇」の必要性としているところに特色があります。)。
(二)(1)解雇の必要性について
まず、大きな争点の一つとなっていた、「消費収支差額」を私立学校の人員削減の指標に用いることの当否について、判決は、企業会計における「収益」及び「費用」に相当するものは、学校法人会計においては「帰属収入」及び「消費支出」であるとし、学校法人においては、「帰属収入」から「消費支出」を差し引いた「帰属収支差額」が採算性(収支の均衡)を示しているので、「消費収支差額」ではなく「帰属収支差額」によって収支の均衡を検討するのが妥当であるとしました。
これは、第一審以来、私たちが一貫して主張してきたことが、やっと認められたものです。一審判決は、単に、学校法人会計基準二九条が「基本金を組み入れることを要求している」ということだけを根拠として、消費収支差額を削減人数決定の基準とすることを肯定していました。要するに、なぜ要求しているのか、法の趣旨がわからないまま、法律に書いてあるから「何らかの意味があるでしょう」ということでした。このようないいかげんな一審判決が明確に否定され、大変すっきりとした思いです。
次に、一年前の「予算」によって計算した人員削減の方針のまま最後まで突っ走った学園のやり方についても、判決は、「予算によって計算した削減人数一八名と決算によって計算した削減人数一三名との間に五名の開きが生ずるのに、そのままで構わないというのは、もともと一八名の削減の方針自体が事実に基礎を置かない根拠薄弱のものであることを示している」と切って捨てました。これも私たちの第一審以来の主張がやっと認められたものです。一審判決は、解雇が決算前だからというだけの理由で、一年前の「予算」を基準として解雇人数を決定したことを安易に是認していました。
さらに、解雇に際して多数の非常勤講師を新規採用したという「人の入れ替え」のための解雇について、判決は、「そもそも、人件費削減の方法として、人件費の高い労働者を整理解雇するとともに、他方では人件費の安いほぼ同数の労働者を新規に雇用し、これによって人件費を削減することは、原則として許されないというべきである。」と判断しました。その理由として「このような人を入れ替える整理解雇を認めるときは、賃金引き下げに容易に応じない労働者の解雇を容認し、その結果として労働者に対し賃金引き下げを強制するなどその正当な権利を不当に侵害することになるおそれがあるからである。」としています。これは画期的な判断だと思います。
(三)(2)解雇回避努力について
判決は、二〇〇七年度当初において一八名削減の必要性があるとした判断自体合理的なものとはいえないし、整理解雇前に学園の財務内容を的確に分析して合理的な人員削減計画を策定し、その一環として整理解雇もやむを得ないとの判断をするに至ったような事実を認めることはできないので、解雇回避努力の前提事項が満たされていないとしました。また、二〇〇七年度中に希望退職に応じる者や雇い止めが予定されることになった者が一一名生じた状況下においてもなお解雇の必要があるのかどうかを改めて検討し直した形跡はうかがわれないし、当初の予算と年度末との決算とでどの程度の差が生じるのかを検討した形跡もないとして、解雇回避努力を尽くしたものとは直ちにはいい難いとしました。
(四)(4)手続の相当性について
判決は、「整理解雇の方針という重要なことを解雇実施予定の一か月前まで明確にせず、その後も解雇の必要性や、解雇予定人数、基準等について具体的な説明をしなかったことは、手続として著しく適正さを欠く不誠実な対応であったというほかはない。」としました。
そして、「教員らの激しい抵抗は、一審被告が、人数や基準等の具体的な内容を一切明らかにしないまま平成二〇年二月終わりになって初めて整理解雇の方針のみを掲示によって明らかにしたことに対する憤りや不安の気持ちに起因するものと解され、一審被告側のとった手続が不適正であったことの裏返しと評することができる」とした上で、「本件では、一審原告らないし本件組合と一審被告は、相手方の行動、対応を逐一批判ないし非難する傾向にあり、相互不信は根深いものと認められるから、一審被告が、その財務状況を踏まえて人件費削減の必要性を訴えても、一審原告らあるいは本件組合との間で結局話合いは平行線をたどった可能性も否定できないものと推測される。しかし、そうではあっても、整理解雇を行う使用者は、組合ないし労働者との間で説明や交渉の機会を持つべきである。整理解雇のような労働者側に重大な不利益を生ずる法的問題においては、関係当事者が十分意思疎通を図り誠実に話し合うというのが我が国社会の基本的なルールであり、公の秩序というべきである。」としました。協議の進展の見込みが非常に疑問であったと裁判所が後から判断をすれば、説明・協議義務が不十分でもよいとしていた一審判決と大違いです。
(五)結論
判決は、以上のとおり、(1)整理解雇の必要性、(2)整理解雇回避の努力、(4)手続の相当性のいずれについても否定的に判断するのが相当だとして、(3)人選の合理性を判断するまでもなく、本件整理解雇は、全体として客観的に合理的な理由を欠いた社会通念上不相当なもので、本件整理解雇は、解雇権を濫用したものとして無効であると結論付けました。
三 今後の闘い
この高裁判決によって闘争の流れが大きく変わったことを感じます。解雇後すでに三年以上もの年月が経っていますが、特に負けるはずがないと信じていた第一審の大阪地裁堺支部で二〇〇九年一二月一八日に敗訴して以来、ずっと苦しい闘いが続いていました。
学園側は上告及び上告受理申立てをしてきましたので、闘いはまだまだこれからも続きます。ただ、今回の高裁判決によって、今後の闘いにとって大きな礎ができたと思います。
(弁護団 戸谷茂樹、山附走栫A岸本由起子、十川由紀子、下迫田浩司)
愛知支部 菊 地 令 比 等
一 「被告の愛知県支部長が原告に対して平成一七年八月一〇日付けでした地方公務員災害補償法に基づく公務外認定処分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」
二〇一一年六月二九日午後一時一〇分、名古屋地方裁判所民事第一部において、判決主文が読み上げられた瞬間、傍聴席からは、「よし。」という声が上がり、原告の目からは涙がこぼれた。
二 本判決の概要
(1)事案の概要
本件は、生徒たちのより良い明日のため、日夜を問わず働き続けてきた原告が、ついにその過酷な労働の末、脳出血によって倒れたという事件である。
被告の地方公務員災害補償基金は、原告が発症前一週間に四六時間程度、発症前一か月に一〇〇時間程度の時間外労働に従事していたことを認めながら、原告の本件脳出血は、原告がもやもや病に罹患していたことから、そのもやもや病が自然経過の中で増悪し発症したものであると判断し、公務外認定処分を下した。
被告は、さらに本件訴訟になって、処分の段階では認めていた原告の上記時間外労働時間について、「勤務時間内のものは公務と認めるが、勤務時間外に行われたものは、個別的な職務命令がない限り公務とは認められない」と主張した。
(2)本判決の判断基準
ア 公務該当性について
本判決は、公務該当性の判断基準について、
①校長の指揮命令は黙示的なもので足り、指揮命令権者の事実上の拘束力下に置かれたものと評価できるものであれば公務に当たるという一般論を示した上で、
②教職員の職務が、非常に広範囲で千差万別であるなどの職務の特殊性から「自主性、自発性、創造性に基づく職務遂行とそれによる成果の発揮が期待されている。」がゆえに「教育職員の職務遂行が、個別的な指揮命令を受けてなされるというより、校務分掌等による包括的な職務命令に従い、各教育職員が自主性、自発性、創造性を発揮しながら自ら進んで職務を遂行するという側面が強いことを意味しているのである」ことを明らかにした。
③そして、以上を踏まえ、「教育職員が所定勤務時間内に職務遂行の時間が得られなかったため、その勤務時間内に勤務を終えられず、やむを得ずその職務を勤務時間外に遂行しなければならなかったときは、勤務時間外に勤務を命ずる旨の個別的な指揮命令がなかったとしても、それが社会通念上必要と認められるものである限り、包括的な職務命令に基づいた勤務時間外の職務遂行と認められ、指揮命令権者の事実上の拘束力下に置かれた公務にあたるというべきである。」と判断した。
イ 公務起因性について
本判決は、「公務と当該疾病の発症との間に相当因果関係のあることが必要であり、かつそれで足りると言うべきであり、当該公務員が当該疾病の発症の一因となりうる基礎疾患を有していた場合、必ずしも当該疾病について公務が相対的に有力な原因となっていたことまでの必要はなく、基礎疾患を有する職員が、公務の遂行にともなく高度の肉体的・精神的負荷により、病変である基礎疾患を医学的経験則上の自然的経過を超えて増悪させ、当該疾病を発症させるに至った場合には、相当因果関係の存在を肯定することができる。」と判断した。
(3)原告の勤務実態について
ア まず、原告に割り当てられた、数学の教科指導、進路指導主事、安全教育主任等々一〇以上の職務を遂行すべき職務命令があったことを認定し、さらに部活動指導、教材研究、学校事務等の付随事務に関してもその職務を遂行すべき職務命令があることを認定した。
イ 次に、原告には、平日は一日一コマないし二コマしか空きがなく、朝と午後六時三〇分頃までは部活動指導を行っていたことから、勤務時間内に原告が遂行すべき職務をこなすことは到底不可能である旨が認定された。
ウ 以上を踏まえ、平成一三年一二月一二日付基発第一〇六三号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準」に照らしても、業務と発症との関連性が強いと判断されるだけの、時間外労働時間が認定された。
(4)原告が罹患していたもやもや病と公務起因性について
ア もやもや病について
もやもや病とは、脳内にある内頚動脈の末梢が狭窄ないし閉塞することによって生じた脳内の血流不足を補うために穿通枝動脈がやむを得ず網状に発達・拡張する疾患のことである。
イ 本判決は、原告がもやもや病に罹患し、高血圧の症状を有していたこと、もやもや病患者の脳出血の発症率が健常人と比べて有意に高いこと、高血圧が脳出血のリスクファクターとなることを前提としつつも、
①もやもや病に罹患していたとしても脳出血を発症しないで経過する者の方が圧倒的多数であること
②基礎疾患の自然的経過によって脳出血を発症する寸前にまで、もやもや病及び高血圧による血管病変が増悪化していたとは言えないこと
③原告の公務は、基礎疾患を有しない健常人においても、脳・心臓疾患を発症する蓋然性が極めて高いと言える程度の肉体的・精神的負荷を過重な公務によって受けていたこと
④にもかかわらず、被告において、原告の脳出血が公務以外の原因により発症したと認められるべき事情を明確にしていないことなどから、本件脳出血の公務起因性を認めた。
三 本判決の意義
(1)原告は、所定労働時間内に到底終えることができない職務を命ぜられていたのだから、所定労働時間外にその職務を遂行した場合、それが時間外労働時間として計算されることは当然である。
原告の労働実態に照らせば、基礎疾患を有しない健常人においても、脳・心臓疾患を発症する蓋然性が極めて高いと言える程度の肉体的・精神的負荷を過重な公務によって受けていたのだから、被告において、本件脳出血が公務以外の原因により発症したことが明確にしない限り、公務起因性が認められることも当然である。
(2)上記のように、本判決は、原告の勤務の実態を直視し、事実を事実として認定し、そこからストレートに結論を導いた判決であって、妥当かつ常識的な判決である。
しかし、元教員、現役教員の方々からは、しきりと「画期的な判決である。」とのお言葉を頂いた。
このような常識的かつ妥当な判決が、「画期的」と評されるのは、それだけ労働者の労働実態を直視しない使用者と、それに追随する裁判所という構図が強固なのだと思う。
四 被告による控訴
被告は、本判決に対して控訴を提起した。
事実を直視し、事実の重みを捉えた本判決に対する控訴は、今なお被告は、教員の過酷な勤務実態に目をそむけようとしているからに他ならない。
弁護団は、高裁でもこれまでと変わることなく、原告の勤務の実態に光を当て、被告の主張の不当性を、第一審以上に明らかにしていくつもりである。
五 弁護団は、小林修、平松清志、菊地令比等の三名であり、控訴審もこの三人の弁護団で闘って行く。
東京支部 鷲 見 賢 一 郎
一 日亜化学と和解解決
日亜化学で偽装請負で働いていた原告の労働者六人と全日本金属情報機器労働組合(JMIU)、同徳島地方本部、同徳島地域支部は、二〇一一年七月八日、徳島地裁で、被告の日亜化学工業株式会社と和解しました。和解内容は、解決金の支払いです。原告の労働者が二〇〇六年一〇月一〇日に徳島労働局に日亜化学の偽装請負と直接雇用を申告してから、四年九か月ぶりの解決です。
和解後の記者会見で、原告の労働者の一人(二七歳)は、「長いたたかいで、現在は皆別の仕事をしています。そういう中で、一番良い解決の仕方だったと思います。」と話しています。
雇用が確保できなかったことは残念ですが、日亜化学の偽装請負とのたたかいは確かな前進を勝ち取ったと思います。
二 たたかいの経過
たたかいの経過は、概略、次のとおりです。
1 日亜化学で偽装請負で働いていた労働者は、二〇〇六年一〇月一〇日、厚生労働大臣と徳島労働局長に、日亜化学の偽装請負を指摘し、「日亜化学に対し、申告人らを直接正規社員として雇用するよう指導、助言、勧告すること」を申告しました。
2 日亜化学とJMIUは、二〇〇六年一一月一〇日、徳島県の仲介により、「日亜化学は、日亜化学で三年以上働いてきた『請負会社』の労働者について、採用選考を行った上、『契約社員』として直接雇用する。採用選考は、筆記試験が〇点であっても、三年以上働いてきた経験を最も重視し、よほどのことがない限り不合格にしない。」等の口頭による労使合意を成立させました。
労働者は、同日、前記申告を取り下げました。
3 日亜化学は、二〇〇七年一〜二月の第一回目の採用選考で組合員一名を不合格にし、二〇〇七年五〜六月の第二回目の採用選考で組合員九名全員を不合格にしました。
4 JMIU、同徳島地本、同徳島地域支部は、二〇〇七年一二月二七日、日亜化学を被申立人として、徳島県労働委員会へ、「組合員七名を日亜化学の契約社員に採用したものとして取り扱うこと」等を命ずることを求める不当労働行為救済申立をしました。
徳島県労働委員会は、二〇〇九年八月二七日、右記不当労働行為救済申立を棄却しました。
5 JMIUらは、二〇〇九年一二月一六日、徳島県(徳島県労働委員会)を被告として、徳島地裁へ不当労働行為救済命令取消請求事件を提訴しました。
組合員六名とJMIU、同徳島地本、同徳島地域支部は、同日、日亜化学を被告として、徳島地裁へ地位確認及び賃金支払並びに損害賠償請求事件を提訴しました。
6 組合員六名とJMIUらは、二〇一一年七月八日、前記民事訴訟で和解し、JMIUらは、同日、前記行政訴訟を取り下げました。
三 徳島県労働委員会の棄却命令の内容
二〇〇九年八月二七日の徳島県労委命令は、「会社には、三年勤続超の条件を満たす請負労働者を、試験の成績に関係なく全員採用するという意向があったとまでは認められない。しかし、組合と県は、直接雇用について三者協議で合意した光洋の件があったため、会社の意向を誤信した。」として、前記労使合意の成立を否定し、JMIUらの救済申立を棄却しました。徳島県労委命令は、最後に、「付言」として、「会社は、組合が一一月一〇日の合意が成立していると誤信していることを知ってから、九か月以上経過してはじめて会社の見解を示したのである。このような会社の対応は組合や組合員への配慮を欠くものと言わざるを得ない。会社においては、今後、さらに、社会的責任を自覚するとともに、良識ある対応を望むものである。」と言っています。
私は、「組合と県は、会社の意向を誤信した」との認定は無理があると思います。徳島県労委が「会社においては、今後、さらに、社会的責任を自覚するとともに、良識ある対応を望むものである。」とまで付言するのなら、何故、日亜化学の不当労働行為が認定できなかったのかと思っています。
四 おわりに
和解内容は、日亜のたたかいの底力と偽装請負を批判する世論の力を反映したものだと思います。しかし、雇用を確保できなかったことは残念に思っています。
日本国憲法に基づく戦後の労働民主化の中で、職業安定法第四四条により労働者供給事業=間接雇用が禁止されました。この経過からして、偽装請負等の労働者派遣法違反があれば、派遣先との黙示の労働契約が認められることは当然です。違法派遣を行った派遣先企業が雇用責任をまぬがれるなど、あってはならないことです。派遣先の雇用責任を明確にするため、裁判闘争をさらに強化することが重要だと思います。
弁護団は、林伸豪(四国総支部)、川真田正憲(同)、小倉正人(同)、堀金博(同)各団員と私の五名です。
埼玉支部 大 久 保 賢 一
原発災害の発生
本年三月一一日、巨大地震と大津波が東日本を襲い、多くの犠牲者と被災者を出しただけではなく、原発事故を誘発した。地震と津波によって全ての電源が停止したために冷却装置が機能せず、原子炉の制御が不能となり、水素爆発が起き、大量の放射性物質が環境に放出されたのである。大気、海洋、大地が汚染され、その環境への負荷はいまだ正確に把握できない状況にある。「広範で深刻な放射能汚染」の発生である。環境が汚染された時、それは、空気、水、食物への悪影響を伴うがゆえに、人々の生存と生活はその根本から危険に曝されることになる。
既に、「警戒区域」、「計画的避難区域」などの指定により、居住地からの退去を迫られ、生活と生産の基盤を失った「原発難民」が発生している。
また、原発事故現場での作業員、自衛隊員・消防隊員・警察官などの関係公務員、地域住民などへの放射線被害も懸念されている。放射線被害がいつ顕在化するかという不安を抱える「新たなヒバクシャ」の発生である。
このように、原発事故は未曾有の被害をもたらしている。原発災害は、その空間的、時間的、社会的な深刻さからして、他の自然災害や事故とは「異質」であるとの指摘は正鵠を射ているといえよう。
原発災害は人災の側面を持つ
この原発被害は、大地震や津波がその一因となっていることは否定できない。他方、政府や東京電力は、地震や津波の影響による全電源喪失の危険性や、そのことによる原子炉が本来的に持つ危険性の顕在化が指摘されていたにもかかわらず、その対処策をとってこなかった。深刻な事故は発生しないとしてきたのである(「安全神話」)。ここに着目すれば、予見されていた危険を回避すべき義務を尽くさなかったという意味で人災である。
もし、ある災害が人知の及ばない力に起因するものであるならば、それは「不幸な出来事」として、復旧や復興に努めるしかないであろう。けれども、ある事故が人災であるとすれば、その原因究明もさることながら、責任追及や再発防止も必要になるであろう。法律家は、自然現象を直接取り扱う立場にはない。他方、責任追及ということであれば、法規範の分野ということになり、法律家の出番ということになる。
問題は、今回の原発事故のように、大地震と津波という「天変地異」と「人災」が競合した場合、法律家はどのように関与するのかということである。
最初に、実務的な損害賠償レベルの問題で考えてみよう。
原子力損害賠償法三条但書
原子力損害賠償法三条但書は、「異常な天災地変」による損害については、原子力事業者は免責されるとしている。
原発災害の被害者が、原子力事業者である東京電力に対して、損害賠償請求をした場合に、東京電力の代理人は、その被害が「原子力損害賠償紛争審査会」の「指針」の範囲内にあれば、その但書を援用して争うことはしないであろう。無駄な抵抗になる可能性が高いだけではなく、外聞が悪いからである。けれども「指針」の範囲外の損害賠償を訴求されて場合には、この条項を援用するであろう。援用可能な条項があるにもかかわらず、それをしないことは、弁護過誤との誹りを受ける可能性があるからである。
ここでは、「人災」の側面を極小化し、地震と津波にその原因を求める論理とそうはさせないという論理が衝突することになる。被害者の立場に立つ法律家は、東電の責任を所与のこととする論陣を展開し、東電の立場に立つ法律家は、東電の責任を免責すべきであると主張することになるであろう。このような事象は、われわれが、日常の事件処理の中で、いやというほど経験していることである。このことを忘却して事に当れば、足元を掬われる可能性があるであろう。
「審査会」の指針をめぐって
また、その前段として、「原子力損害賠償紛争審査会」がどのような「指針」を提示するかという局面でも、法律家の役割が重要となる。なぜなら、その「指針」は、被害者の損害賠償の範囲を画する上で、建前はともかくとして、現実的には重要な役割を果たすことになるからである。これまでの不法行為論によれば、加害と被害との間に「相当因果関係」があれば加害者に賠償責任があるとされている。もちろん、被害者に損害が発生していなければならない。そして、損害の発生と「相当因果関係」は被害者が主張・立証することされている。この伝統的な理論に立脚する限り、被害者側の負担は決して小さくないのである。
「審査会」がどのような「指針」を提示するかということは、無限に拡大する被害を資本の活動の妨害にならない範囲に限定するという不法行為論の存在理由が、本件原発事故の場合にどのように機能するかという問題なのである。
被害者の側に立つのか、加害企業の側に立つのかという対立である。公害・環境裁判などにみられた構図といえよう。被害を出発点にするのか、原子力事業の健全な発展をも法的保護とするか(原賠法はこれを前提としている)というテーマである。ここでの論点は、現行の原子力損害賠償法の構造を前提とするのか、それともそれを転換をも求めるのかということになる。ちなみに、「審査会」は従前の不法行為論で事足りるという立場である。
「審査会」がこの構造を前提としている限り、「指針」の解釈と運用をめぐって、厳しい対立も生ずるであろう。被害者側の立場に立つ法律家の力の発揮しどころになる。他方、紛争解決を優先する立場からは、「足して二で割る式」の「和解案」が提示されることも少なくないであろう。
原子力の「平和利用」をめぐって
しかしながら、このような損害賠償に関わる法的論点だけではなく、そもそも、原子力の「平和利用」を容認する法秩序を、このまま継続するのか、それとも転換を求めるのかということが問われなければならない。
現在、核不拡散条約(NPT)は、原子力エネルギーの「平和利用」は、締約国の「奪い得ない権利」としている。核兵器が、法の世界では容認されえないとする動きが強まっていることと対比すれば、原子力の「平和利用権」の法的地位は格別に高いものとされているのである。
そうすると、原発を廃止する方向で法的論理を構築するには、この法体系を転換するための価値と論理が求められるということになる。
この場合、核兵器廃絶を求める価値と論理が、原発廃止を求める価値と論理と重なり合うのか、それとも違いがあるのかというテーマとなる。
核兵器廃絶を求める理由は、被爆者が断言するように「核兵器と人類は共存できない」ということにある。これと同様に「原発と人類は共存できない」という命題が成立するかということである。現行法体系(国際法も国内法も含めて)、後者の命題は排除されている。原発の廃止を求めるということは、現行法の体系の転換を求めることを含意している。
法律家として原発の廃止を求めるということは、思想や運動の分野を超えて、法規範や法体系、従って国際関係と国家の構造を視野に置かざるを得ないことになる。それは端的にいえば、法の基礎にある人道や正義が、原発を許容するのか、それとも排除するのかというテーマである。
私たち法律家は、原発事故が人々にもたらしている災厄を真剣に受け止め、人類という種がこの地球で生存し続けるために、法と法律家がどのような役割を果たすことになるのかを、主体的に考え、行動することが求められているのである。
二〇一一年八月二〇日
山梨県支部 小 笠 原 忠 彦
三・一一に発生した福島第一原子力発電所の事故は、日本国民に大きな価値観の転換をもたらしました。
これまで、私たちが漠然と安全であると考えていた原子力発電が、とてつもなく危険で恐ろしいものであることが国民の前に明らかにされたのです。幸い、日本の滅亡あるいは日本の半分が国土を失うこと自体は、紙一重のところで回避されました。しかし、その危険は現実にあったし、実際のところ、今でもその危険は残っている可能性もあります。溶融した炉心の状況は全く分かっていないのですから。このような国民を絶滅の危険にさらす原子力発電所は廃絶するべきであるという大きな要求は被害を直接受けた日本国民の切実な声です。
この価値観の転換は、太平洋戦争に敗北した状況と似ています。かつて国民の圧倒的多数が、資源のない日本にとって「満蒙」が日本国の生命線と考え、日本が生き残るためには戦争しかないと考えていました。そして、日本は強大な軍事力を持ち、かつ神国であって負けることなどありえないと考えていました。しかし、一九五四年八月一五日、三〇〇万人を超える犠牲者と国土の殆どが廃墟と化す被害を目の当たりにし、これまで日本の生命線と思っていたすべての植民地を失い、価値観の変換を迫られました。
さて、三・一一以前は、国民は資源のない我が国が生き延びるには原子力発電しかない、科学技術の進んだ日本では原発事故は起こりえないと考えさせられていました。それが、今回の原発事故で根底から価値観が変わったのです。
今後、何十年にもわたって脱原発は我が国にとってとてつもなく大きな政治的な争点になります。廃炉に向けた中長期の工程表案によれば使用済み燃料棒の取り出しが始まるのが三年後であり五年後以降に順次取り出しを完了するとしています。炉心で溶け落ちた核燃料棒を取り出す作業が始まるのが一〇年後であり、それまでは、穴が開いて水のなかなかたまらない炉心を水で満たして冷却し続けなければなりません。福島第一原発自体を廃炉にする時期さえ明確にされず、上記工程表案では数十年かかるとされていますので、最低でも二〇年以上かかると思われます。住民が故郷に戻れるのも何十年かかるかわかりません。その間に、隠されていた被害が次々に明るみにされ、東電の嘘と隠ぺいが明らかにされていきます。これまで専門家の間でもマスコミでもタブーとなっていたことが明らかにされていきます。この間、エネルギー政策の転換は大きな課題として、国民の議論にならざるを得ません。
私は、脱原発の実現は、個々の訴訟やこれまでのような個別的な大衆運動のみで実現できる問題ではないと思っています。最終的には政治が決着をつける問題です。それは、エネルギー政策は、資本主義国家の基本政策であり、階級的対立が端的に表れる局面だからです。戦前の侵略戦争がエネルギー資源を求めていたことは明らかです。戦後の三井三池の深刻な労使対立も、電産スト弾圧やレットパージで電力労働者とその闘う労働組合が真っ先に徹底的に弾圧されたこともその根底にはエネルギー政策がありました。湾岸戦争やイラク戦争での日本の自衛隊の協力も安定的な石油供給を大義名分としていました。このような国家の基本戦略にかかわるエネルギー政策の転換を図るのは、国民がまともに国家権力に対抗することであり、簡単なことではありません。
したがって、われわれは最終的には政治的な決着を勝ち取らねばならない。しかし、残念ながら自民党も民主党も脱原発を政党としてきちんと行うことはできません。政党としてきちんと脱原発にとりくめるのは日本共産党しかないのが現実です。このため、我々が脱原発という国家の基本的エネルギー政策を転換させるには、政治を転換させる大きな運動が不可欠です。大きな国民世論が政党や政治家を変え、最終的には政治的な決断へと追い込んでいくのです。その運動の発展のためには、自由法曹団の役割は極めて大きなものがあります。戦前、国民の解放のために国家の侵略政策、植民地政策に敢然と立ち向かい、関東大震災の救援や復興に尽力した自由法曹団は、今回の原発事故の被害救済と原発事故を根絶するための脱原発闘争の主軸を担うべきであると思います。
この点、先の八・二二原発問題全国交流会の議論には、現状認識においても運動の戦略的位置づけにしても不十分なものを感じました。私は、交流会でも発言しましたが、改めて、団が三・一一以後の情勢の変化を的確に把握し、戦略的な位置づけをもって、脱原発問題を団の活動の最重要な柱と位置付けることを求めます。また、全国的な被害者救済のための被害対策弁護団の結成が必要です。原発被害の実態、深刻さを国民の前に、次々と明らかにしていくことが、脱原発闘争に不可欠だからです。そして、何より、早期に脱原発の訴訟や運動の全国的な方針を作成し、全国的な脱原発訴訟とその大衆的支援運動の構築を図るべきであると考えます。
神奈川支部 神 原 元
一 はじめに
周知のとおり、村井宮城県知事は、震災復興計画の目玉として「水産業復興特区構想」を提起し、これが国の復興計画にも盛り込まれた。これが漁協の反発を呼び大論争に発展している。
これもよく知られるとおり、「水産業復興特区構想」は、日本経済調査協議会二〇一一年「緊急提言・東日本大震災を新たな水産業の創造と新生に」や、その原型である同協議会二〇〇七年「魚食をまもる水産業の戦略的な抜本改革を急げ」を受けたものと考えられる。これら「提言」は、(1)養殖業、定置漁業への参入障壁の撤廃(企業に対する漁業権の付与を漁協と同順位とする)、(2)水産業共同組合資格の資格要件の見直し、(3)譲渡可能個別漁獲割当(ITQ)制度等の改革を主張している。
私は、団本部からの嘱託で宮城県復興計画の水産業について検討する中で、この「水産業復興特区構想」の法的問題点を明らかにしようと務めた。本稿もその延長にある。
二 水産業復興特区構想と漁業法二三条との関係
一般に、水産業復興特区構想は、「漁業者の利益より大企業の利益を優先するものだ」として批判されることが多い。ただし、宮城県は、「民間参入はあくまで選択肢の一つ」「漁業者を排除するようなことにはならない」等と繰り返し説明しているから、どこまで議論がかみ合っているのか、今ひとつ分からない。
国などの計画をみると、特区制度は「地元漁業者が主体の法人が漁協に劣後しないで漁業権を取得できる特区制度」と定義される。村井宮城県知事は、「劣後しない」を文字通りに理解し、企業と漁協が同一の漁場で同時に漁業を行う如き制度を想定しているのかもしれない。
しかし、私が指摘したいのは、企業が漁協に「劣後しない」と言っても、漁業権は物権であり(漁業法二三条一項)、「一物一権主義の原則」が適用される結果、「同順位」ということはありえず、どちらかが優先することにならざるを得ないと思われる点だ(この点を明示する文献はない)。そもそも、漁業権とは特定の漁場で漁業を排他的に営む権利であり(水産庁「逐条解説 漁業法」)、同一漁場で複数の漁業権が成立する状況は本来想定されていないのではないだろうか(そうでなければ、漁業権に「順位」を法定する意味がない)。仮に同一の漁場に複数の漁業権が成立した場合、漁業権間の漁獲量その他の調整はどのように行うのか、漁場争いの危険はないのか、漁業権の「共有」のような状態が立法技術的に可能か等々、解決すべき問題が多いはずなのである。
この点、馬場治氏(東京海洋大教授)が「特区構想は、新しく参入する民間会社にも漁協と同等の順位で漁業権を与えるかのような内容になっていますが、仮に漁協を含めた複数者が漁業権の免許を申請した場合、一者だけの申請を認めるのか、複数者で平等に海の区画を配分するのかは不明です。(中略)手続き的な面で行き詰まる可能性が高いです」と指摘しているが(毎日七月一八日付け)、まさにそのとおりだと思う。
三 漁業権を漁民から奪い取ってはならないこと
仮に私の理解が正しいとすると、漁協を含めた複数者が漁業権の免許を申請した場合、一者だけの申請を認めるしかないことになる。実際、二〇〇八年一一月三〇日に東京大学で行われた日本水産学会の勉強会では、その前提で議論が進められている。
問題は、その先にある。優先順位をなくした場合、何を基準に漁業権を与える者を決めるのか。特区批判派の加瀬和俊教授は、「結局は定置漁業権の入札制に行きつくことになりそうである」と述べている。市場主義的な決定という意味ではこれが最も論理的である。
「漁業者の利益より大企業の利益を優先するものだ」という批判は、ここで初めて有効に機能することになる。そもそも、漁業権は、江戸時代に確立した「磯は地つき、沖は入会」の原則に基づき、「磯」については沿岸漁村部落がその地先水面を独占利用する権利が認められたことに原型を有する、慣習法上の「財産権」である。だから、知事は既に免許を得ている者に優先的に免許しなければならず(「特定大臣許可漁業等の取締りに関する省令四条六項)、更新拒絶は補償の対象になる(熊本一規「海は誰のものか」八五頁)。「入札制」を導入すれば、漁業者の「財産」であり、かけがえのない生活の糧である漁業権を、資本をもった大企業が奪い取ることを可能にする。
こんな喩えはどうだろう。「日本の農家は小規模であるが故に効率性が悪い。だから、今ある農地から全部の農家を追い出し、そこで大企業が大規模農業を行えば農業が復興する。そのための特区を作る…。」そんな制度があるとすれば、一々条文を指摘するまでもなく、違憲・違法である。「水産業復興特区」は、そこでいう「農業」を「漁業」に、「農家」を「漁民」に、「農地」を「漁場」に入れ替えたに過ぎないのである。
四 団は、「水産業復興特区」の批判を
自由法曹団は、震災問題で常に民衆の側に立って物を言ってきた。「水産業復興特区構想」についても、民衆の側に立って厳しく物を言っていくべきである。本稿はそのための試論に過ぎない。
漁業法はにわか勉強なので、正直よく分からない点が多い。私の誤解も多いと思うので、是非、ご指導頂きたい。なお、私の意見の詳細は、九月初旬に公表予定の団意見書「東日本大震災 復興計画を考える」を参照して頂きたい。また、私は四月一七日以来くり返し石巻市を訪問しているが、その様子については、私の所属事務所(武蔵小杉合同法律事務所)のHPに事務局がブログを書いてくれているので、そちらを参照して頂きたい。
東京支部 神 田 高
四 仮設住宅へ
翌二二日は、“トゥモロータウン二六号”と呼ばれる仮設住宅で“無料バザー”をおこなう。もちろん、武三地区名物の“モズク天ぷら”も現地であげて食べていただいた。ところが、住宅とはいえ、まわりはただっぴろい野原で、風のとおりはよいが、天ぷらをあげるコンロの火が消えかかる。そこで、交渉力(?)を買われて、私が隣の仮設地区に出かけて、風よけのベニヤ板を借りてくることになった。
丁度昼時ではあったが、事情を話してお願いすると、快く、しっかりした(ちょっと重い)仮設住宅用のベニヤ板を貸してくれた(しかも、あとから職人さんがつっかえ棒も数本わざわざもってきてくれた)。お陰で“モズク天ぷら”二〇〇個をバザーに来てくれた被災者の家族分も含めてお持ちいただいた。また、前回のバザーの際に年配の女性から要望のあった“日焼け止めクリーム”を持参したが、お母さんや娘さんたちに好評だった。
バザーと平行して、琉球舞踊や紙芝居なども披露したが、子どもたちの数が少ないことが気になった。被災者の話を聞くと、この仮設に来る前は全くの見知らぬひとばかりで交流がない、また、高齢化して子どもが少ないとのことだった。
今回は息子がボランティアに参加して、習い始めた沖縄の三線(サンシン)をシートの端で師匠のおじさんと弾いていると二人の小学生くらいの子がよってきて、興味をもって聞いている。聞くとやはり仮設に遊び友達がいないという。三線の音色に加えて、同じ年頃の男の子が来たのがうれしかったのかもしれない(名前は聞き忘れた)。
今回、三鷹のジブリ美術館で宮崎駿の絵本と紙工作のジグソーパズルを三〇セット準備したが、子どもたちや若いお母さんたちに喜ばれた。
“気心の知れた近所つきあいがしたい。”これが今の日常生活を復興していく上での大きなテーマかもしれない。確かに、仮設移転にあたり従来の住所を考慮していく必要もあると思うが、他方、近所つきあいの場を行政やボランティア側が意識的につくっていくことは仮設の居住状況を格段に改善し、また、復興運動の飛躍への大きなステップになるように思う。
“モズク天ぷら”とバザーがきっかけで話ができた若いお母さんとお子さんの笑顔は何よりの収穫のように思われた。(写真参照) 午後は再び場所を変えて、主に米、タマネギ等の野菜、衣類を駐車場敷地内でオープンしたが、仕事帰りの人も含めて、おすすめ上手のTさんが「このピンクのシャツもいいわよ。」と勧めて、遠慮がちな東北の人も乗せられて、ほぼ完売となった(収益はもちろんなし。このバザーの写真は七月三一日赤旗日曜版一面右上に出ています)。
五 まとめ
石巻の救援センターから送られてくるメールには(七・三〇)、現在の被災者救援の具体的課題が明らかにされている。センターのニュース(六〇号)には、“足元の生活から”として、被災者の要望をまとめている。ローンや地盤沈下などの課題もあるが、圧倒的なのは日常生活へのきめ細かな支援体制の要求である。
のべ一一五〇人からの聞き取りによれば、食料品、仕事が六%あるが、娯楽、コミュニケーション、交通手段、義援金などの支給、害虫、元の家のことなどが一〇%弱、なんと“雑貨”への要求が一八%と圧倒的である。被災の現地に生活する人々の必要不可欠な要求を地道にとらえ、国や行政を動かしながら、支援活動を継続していくことの重要性を改めて思った。
東京支部 土 井 香 苗
二〇万人とも言われる子どもや女性、罪のない人びとが政治犯収容所で奴隷化され拷問などの虐待にさらされているお隣の北朝鮮。また、九〇年代には人口の一〇%に該当する人びとが餓死したとも言われています。北朝鮮政府による人権侵害は日本で有名な拉致に限らないのです。
さて、この悪名高い政治犯収容所を生きぬき脱北した三名の脱北者、そして未だに家族が政治犯収容所に捕らえられている男性の合計四名が、東京で開催される国際会議に出席するため、九月七―九日に来日します。
そのひとり、オーキルナン氏は、韓国生まれ。ドイツに留学し、経済博士号を持つエリートです。しかし、彼は若いころ軍事独裁政権下の韓国で民主化活動に関与し、そのため韓国政府にうとまれ活躍できなかった一方、北朝鮮政府から活躍の場を与えると約束され北朝鮮にわたったのです。しかし、約束は守られず北朝鮮の実態に絶望したオーキルナン氏は一九九二年、脱北を決意。しかし、妻と娘たちを北朝鮮から連れ出すことができませんでした。以来、オーキルナン氏の妻と娘は、北朝鮮の一五号ヨドク政治犯収容所に拘束されたままとなっています。
このオーキルナン氏をはじめ、北朝鮮の厳しい人権侵害から逃れた人びとは、日本の人権弁護士をはじめとする進歩的人びとにもぜひ証言を聞いてもらい、連帯の声をあげてほしいとおっしゃっておられます。
また、この脱北者のみなさんが証言をされる北朝鮮人権国際会議は、韓国をはじめとするアジア、欧米、ラテンアメリカ等世界各地の人権NGOが集い、
日 時 九月七日(水)午前九時一五分から午後四時四五分まで
場 所 明治大学駿河台キャンパス アカデミーコモンビル二階 ビクトリーフロア
で開催されますので、こちらも合わせてご出席をご検討お願いいたします。
二〇万ともいわれる罪なき人びとが奴隷化されている北朝鮮の政治犯収容所の実態を、ナチスのホロコーストやソ連のグラーグにたとえる人もいます。政治犯収容所の中に生まれ、外の世界を全く知らないままに子どもの奴隷として成長し、一生を終わる人もいます。世界史に残る残虐な北朝鮮の収容所が、今現在、遠くない隣の国にございます。ぜひ皆様に、脱北者の声に耳を傾けていただきたくお願い申し上げます。
※ ご興味お持ちいただけましたら、政治犯収容所に生まれて二三年を奴隷として過ごしたシン・ドンヒョク氏の壮絶で貴重な体験を記した本「収容所に生まれた僕は愛を知らない」(ベストセラーズ、二〇〇八年)は、一度読み始めたら止められない迫力の名著ですのでぜひご一読ください。
東京支部 後 藤 富 士 子
一 『君が代』から『民が代』へ―古川景一団員の提案
自由法曹団通信一三八三号で、日本労働弁護団に本籍をおくという古川景一団員が、最高裁判決や大阪府条例の動きの中で、『君が代』の冒頭の一音「き」を「た」にかえて『民が代』を歌って広める運動を提案している。また、『民が代』にすれば、「日の丸」に向かって起立斉唱する意味も、軍国主義のシンボルに対するプロテストとなりうる、という。
ところで、 国旗および国歌に関する法律(平成一一年八月一三日法律第一二七号)第二条一項は「国歌は、君が代とする。」と定め、同条二項で楽譜が掲載されている。
それ故、古川団員は、同法第二条一項を「国歌は、民が代とする。」として歌詞の冒頭の一音「き」を「た」にかえる法改正を見据え、法改正がなされるまで、『君が代』の起立斉唱場面では『民が代』を歌うことを実践しようと提言する。そして、そのような実践をした場合、懲戒処分事件の様相も、思想信条の自由という抽象度の高い論点ではなく、憲法と労働法をつなぐより具体的な論点が浮かび上がるという。
まことに法律家らしい提言で、私は、大賛成である。
二 国民の教育権と親権
教育現場で起きている「君が代・日の丸」問題の議論には、「国民の教育権」というキーワードが欠けている。そこで、教育基本法(平成一八年制定)をみると、その前文は次のとおりである。
「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を承継し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。」
この前文から明らかなように、教育を推進するのは国民である。また、義務教育については、「国民は、その保護する子に、普通教育を受けさせる義務を負う。」(同法五条一項)とあり、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって」(同法一〇条一項)と、子どもではなく、保護者の義務と責任を定めている。さらに、家庭と公権力の関係について、「国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を構ずるよう努めなければならない。」(同条二項)と定めている。すなわち、子どもを教育する権利は、第一義的に親にあり、国家の教育権は否定されている。
一方、子どもをめぐる親と国家の関係について、ドイツでは、ワイマール憲法に由来する基本法第六条二項に「子の養育および教育は両親の自然的権利であり、かつ、第一次的にかれらに課せられる義務である。国家は、両親の活動を監督する」と規定されている。この規定に基づき、連邦憲法裁判所は、一九八二年一一月三日、離婚後の単独親権強制を違憲・無効とする判決を下した。そして、「子どもの権利条約」の批准に伴う親子法の改正(一九九七年)により、父母の婚姻関係の有無にかかわらず、共同配慮(ドイツでは、「親権」という語彙は「親の配慮」に代えられた)となったが、より根源的なのは、親の配慮が、「子に対しては義務であるが、第三者に対しては絶対的効力を有する」とされ、また、「最高の人格的権利で放棄できない」とされていることである。
これに対し、日本では、民法第八二〇条は、「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」と規定しているが、離婚や未婚は単独親権制をとっている。そして、「どちらが単独親権者として適格か」について、最終的には官僚裁判官の民事行政処分(家事審判)によって決定される。すなわち、子の監護・教育について、両親の自然的権利でも、第一次的なものでもなく、国家が支配するのである。これでは、「国民の教育権」など成立し得ない。
三 オーストリアで国歌改正へ
報道によれば、オーストリアの主要政党は、七月一三日、「男女平等」の見地から、「偉大な息子たちの故郷」との一節がある国歌の歌詞に「娘たち」を加える改正に合意したという。議会で秋に正式決定し、来年にも新たな歌詞が歌われる見通しである。
現在の国歌は、女性作家が作詞し、第二次大戦後に制定されたものであるが、「息子たち」だけでなく「娘たち」も讃えられるべきとして、女性担当相らが改正を求めていた。昨年、女性歌手が政府の教育改革キャンペーンの一環で、「偉大な娘たち、息子たちの故郷」と替え歌を歌い、議論になった。
この報道に接して、古川団員の提言のリアリティが明らかになった。翻って、日本も国民主権の憲法をもっているのだから、当然のことじゃないかと思う。「国旗および国歌に関する法律」も国民代表の多数決で制定されている。これを改正するのもまた、国民の多数意見なのである。それは、最高裁判決の反対意見・少数意見を司法の場で多数意見にすることよりも、はるかに健全な民主主義だと思う。
〔追記〕
団外の大先輩から、正面切って国歌の改正運動をするなら、「民が代」ではなく、「民の代」とすべきとのご意見を頂きましたので、紹介します。
(二〇一一・七・二七)
マスコミ情報文化情報労組会議(MIC)
日本ジャーナリスト会議(JCJ)
マスコミ九条の会
自由法曹団(JLAF)
原発を巡り撤退と推進のせめぎ合いが厳しく続いていますが、有楽町マリオン前の訴えをもちます。
かねてから、マスコミ関連と法律関連の四団体は、有楽町マリオン前で時々の民主主義の課題について訴えてきました。ちなみに昨年末には日本航空の首切りについて真っ先に訴え、たたかいへ向け流れを作りました。
今回は原発問題を、マスコミの立場からと法律家の立場から訴えます。みなさんの原発撤退へ向けたひと言を呼びかけます。誰でも参加できますので、よろしくお願いします。
原発撤退の訴え
九月一〇日(土)一一時〜一二時三〇分
有楽町マリオン前(東京メトロ有楽町、銀座、日比谷駅)