<<目次へ 団通信1395号(10月11日)
東京支部 菅 本 麻 衣 子
一 拙速な法曹養成フォーラムの「第一次とりまとめ」
(1)昨年、弁護士と市民の運動により、司法修習生に対する給費制が一年間継続されることとなり、国会で「個々の司法修習終了者の経済的な状況等を勘案した措置の在り方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずること。法曹の養成に関する制度の在り方全体について速やかに検討を加え、その結果に基づいて順次必要な措置を講ずること。」という付帯決議がされ、付帯決議に基づき、本年政府の諮問機関として「法曹養成フォーラム」が設置された。
しかし、二〇一一年八月三一日の第五回法曹養成フォーラムでは、司法修習生に対する給費制を打ち切り、修習専念義務と修習の内容はそのままで、生活費を貸与制とすることを前提として今後の法曹養成を議論するとの第一次とりまとめがなされた。しかも大手マスコミも、弁護士は富裕層であり、給費制維持を主張する弁護士は給費制維持により既得権益を守ろうとしているという誤った言説を流し続けている。
(2)そもそも法曹養成フォーラムでは、司法制度改革審議会のメンバーがそのまま委員に選ばれ、司法改革が実行された結果生じている現在の実情を全く無視し司法制度改革審議会の意見を全く変えないことを前提に議論が進んでいる。しかも、経験一〇年以内の弁護士に対しアンケートを行い平均所得が一〇〇〇万程度であることを元に弁護士になれば貸与制にしても返せるとして、給費制か貸与制かを決めるに当たっては法曹養成について本質的な議論が必要だとの意見などを一切無視して、拙速に上記とりまとめが強行されたのである。もちろん、経験五年の弁護士の中でも所得が四〇〇万円以下の者が一二・六%(日弁連のアンケート結果より。法曹養成フォーラムのアンケートでも、一〇・六%)もいることや、出産・育児などで一時休業せざるを得ず、統計的にも所得の低い女性弁護士が返済に窮しかねないことなども、一切考慮されていない。
(3)そして、法曹養成フォーラムでは、経済的に困窮した者に対する措置を行うとしているが、最長五年の猶予という、結局破綻を先送りするだけの弥縫策しかとられていない。
(4)法曹養成フォーラムは、現在法科大学院生や修了生といった当事者のみならず、一般市民の傍聴を全く許していない。もちろん法科大学院生、司法試験受験生及び若手法曹といった当事者の意見を聞くことは一切ない。このような密室での非民主的な議論での強硬なとりまとめ自体が、きわめて問題である。これでは法曹養成フォーラムは司法制度改革審議会の意見を上塗りするためだけの機関であると言わざるを得ず、このような法曹養成フォーラムのとりまとめにより国家の方針を誤らせてはならない。
(5)また、上記とりまとめは、司法修習が法曹になるために必須の研修であり、研修の成果を上げるために司法修習生に修習専念義務が課せられていることなどを全く看過している。
(6)しかも、第五回フォーラムでは、貸与制となっても、原則として保証会社であるオリエントコーポレーションが保証を断ることはないと言われている。しかし、オリエントコーポレーションが審査を行うことは保証契約書に明記され、法曹養成フォーラムでも確認されている。とすれば、特に自己破産・免責から七年を経過していない者、とりわけオリエントコーポレーションが破産債権者であった者については、保証が拒否される可能性がとても高い。自己破産を経験した者は、もはや保証人を立てることは不可能であることが通常であり、貸与制の元では、自己破産経験者はほぼ確実に法曹への道を閉ざされてしまうのである。
なお、修習貸与金について保証人を立てない場合に保証する会社は上記の通りオリエントコーポレーションであるが、オリエントコーポレーションが最高裁と交わした保証契約書を弁護士が情報開示手続により得て、日弁連が法曹養成フォーラムに資料として提出した。しかし保証契約書の提出について、フォーラムの座長、最高裁の司法法制部長および審議官が不快感を示しているのである。情報開示手続という、国民が行政権にコントロールを及ぼすに当たって基本となる権利の行使を妨害すること、これを重大な民主主義、国民主権に対する挑戦といわずしてなんと言おう。
このような、当事者を無視し、民主主義・国民主権を踏みにじる法曹養成フォーラムに対しては徹底的に批判しなければならない。
二 我々が給費制をあきらめてどうする!!!
パレードへの参加を!!!
法曹養成フォーラムが第一次とりまとめを出したことで、給費制維持は不可能となったとあきらめている向きもあるかもしれない。
しかし、日弁連・市民連絡会・ビギナーズネットのねばり強い働きかけにより国会では給費制維持の芽もまだ残っている。八月二九日の院内集会に倍する規模でおこなわれた九月二八日の院内集会にはみんなの党を除く各党から議員が参加し、励ましをいただいた。九月二八日の院内集会ではロースクールで六〇〇万円の借金を抱え、実家が大震災で被災したため生活難から司法試験をあきらめた方の発言があったが、フォーラムがどう言おうとも、「金持ちしか法律家になれない」というのは真実であり、バイトを禁止して研修を義務づけておいて給料を払わないというのが理不尽であることも世間的には明らかである。こうした率直な意見に依拠し、引き続き給費制への理解を広げるために奮闘すれば展望は必ず開けるものである。こんなときに自由法曹団があきらめてどうするのか。団員におかれては、団通信一三五六号の黒澤いつき団員の投稿を再読し奮起されたい。
自由法曹団の目的は「基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現に寄与すること」「あらゆる悪法とたたかい、人民の権利が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず、ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう」である。
貸与制は、直接的には人権擁護を担いたいといって法曹を目指そうとする若者に多額の負債を背負わせ、法曹への道をあきらめさせる人権無視の悪法である。のみならず、権利擁護のためにたたかう弁護士の勢力を、修習軽視、弁護士の分断や多額の負債によりそぐ策動であり、ひいては民主主義を弱める策動でもある。
若者の人権を守れなくて、民主主義を弱める動きを傍観して、悪法をただせなくて自由法曹団の意義はどこにあるのか。
今こそ、立ち上がりたたかうべきときである。
団員は、二〇〇〇人パレードなどの諸行動に参集いただきたい。
各地においても、集会開催、諸団体との連携など、今こそ給費制存続を求める運動を繰り広げていただきたい。
一〇・二七「給費制存続を求める一〇〇〇人パレード」等の諸行動
○日 時:二〇一一年一〇月二七日(木)
○決起集会:【開場】午前一〇時四五分
【開会】午前一一時 日比谷野外音楽堂
○パレード:正午・日比谷公園霞門集合
午後〇時一五分出発〜午後一時頃解散
○院内集会:午後二時三〇分〜三時三〇分
参議院議員会館講堂(一階)
共 催:日本弁護士連合会、司法修習生に対する給与の支給継続を求める市民連絡会/ビギナーズ・ネット等
滋賀支部 石 川 賢 治
一 滋賀支部には、「五月集会」ならぬ「八月集会」というものを毎年八月に開催している。県内の全団事務所に所属する、団員弁護士及び事務局員のほとんどが参加する滋賀支部の年中行事であり一大イベントである。団員弁護士であっても、他の事務所の団員弁護士が取り組んでいる事件の全てを知っているわけではない。概要は知っていても詳細や現在の進行状況(あるいは悩み)までは知らないこともある。事務局員となればなおさらである。また、弁護士にとっても事務局員にとっても、他の事務所の弁護士や事務局員と交流する機会は滅多にない。そこで、事務局までも含めた連帯の機会として始まったのが「八月集会」である。
二 今年は、八月二九日に、滋賀県草津市の「まちづくりセンター」で開催され、弁護士一八名、事務局一七名が参加した。記念講演の講師には、布川事件の柴田五郎弁護士をお招きし、集会にも始めから終わりまで参加を得た。
全体の構成は、事件報告(四件)、メイン報告、記念講演である。
それぞれのテーマは、事前にいくつかのテーマについてアンケート調査を実施し、投票結果を基本にして、支部常任幹事会で最終決定した。テーマを紹介すると、次のとおりである。
(1) 事件報告
(1)原発再稼働禁止仮処分申立事件(吉原団員)
(2)甲賀市立幼保廃止差止訴訟(黒田弁護士・非団員)
(3)生活保護却下処分取消訴訟(高橋団員)
(4)教科書問題(玉木団員)
(2) メイン報告
「男女共同参画社会を考える〜世界と日本と弁護士と」(小川団員)
日弁連男女共同参画推進本部の事務局長である小川団員による報告であった。クォータ制を導入しているノルウェー、フランス、韓国といった先進国の取組が紹介され、普段あまり意識していない視点からの考察がとても興味深い報告であった。日本でなかなか取組が進まない理由について、ある先輩団員が「まだまだ遅れた意識をもつ男性にあるかもしれない」と事後の感想文に書いていた。自戒を込めたものかどうかわからないが、滋賀支部内での定説によれば、その先輩団員は最も意識が低い一人とされている。最大の障壁はもしかしたら男性の自覚かもしれない(自戒を込めてます)。
(3) 記念講演
「布川事件の闘いと私の弁護士人生」(柴田五郎弁護士)
弁護士人生のほぼ全期間を布川事件と向き合って生きてこられた。困難な戦いの中で弁護団を率いてこられた。並大抵の体力と気力でなしうることではない。何がその力の根源であったのかが是非とも知りたい。そういう気負いがこちらにはあった。しかし、柴田先生は、何の気負いもなく、笑みを絶やさず、訥々とした口調で、淡々とお話を進められる。しかしその内容は、苦学して勉強されたこと、若い頃の様々な経験がその後活きたこと、布川は人生をかけた闘いだから投げ出すわけにはいかなかったことなど、私のような若手がその生きざまを感じるのに十分なものであった(先輩団員から受けるこうした刺激は八月集会の醍醐味である。)。淡々とした話しぶりも、信念に裏打ちされた自信の現れのように感じられた。
ところで配付レジュメの中に「お客様は神様」という言葉があった。商業的な文脈で使われるこの言葉が柴田先生の講演レジュメにあることは意外に感じられたが、依頼者はそれぞれの道のベテランゆえ謙虚に学ぶ姿勢で接することが肝要との趣旨であると聞かされ納得した。参加者全員が思い思いに感銘を受けたこの言葉。この場を借りて読者の皆さんにもご紹介させていただきたい。
三 懇親会&二次会&三次会
懇親会は近くのホテルの宴会場で、二次会は近くの居酒屋で、三次会は近くのカラオケでそれぞれ実施した。
懇親会の冒頭では、古希を迎えた木村団員に対する花束贈呈のセレモニーを行った。木村団員からは、修習生時代の共済年金の受給手続について説明があり、「ほんの短い期間でもきちんと貰える。やはり公務員は厚遇されている」との言葉に会場は笑いに包まれた。
事務局員にとっては、他の団事務所の弁護士は、普段は書面で相手方弁護士としてくらいしか知る機会がない。懇親会では、普段顔を合わせることのない弁護士と事務局が親睦を深めることができ、お互いに顔の見える支部づくりの上で有意義である。
四 感想
集会参加者からは次のような感想が聞かれた。
「お互いをさん付けで呼び合うという布川事件弁護団のルールが、自由な意見交換を可能にし、弁護団の力を最大限引き出す素地になったと思う」(弁護士)
「メイン報告では、『共同参画』という機運の中で、女性が直面する諸問題について、改めて考える良い契機となった」(事務局)
「毎年、他の事務所の先生方の活動を知ることができ勉強になるし、先生方の人柄等も垣間見ることができ興味深い」(事務局)
五 来年に向けて
実施については、テーマの選定、講師との折衝、会場の手配、予算組みなど、準備を担当する支部常任幹事や事務局の負担は決して小さくない。それでも、紹介した感想にあるように有意義な企画であるのでなんとか継続していきたいし、他支部との共催なども可能であればチャレンジしていきたいと考えている。
千葉支部 秋 元 理 匡
二〇一一年九月一九日、福島県いわき市内で、「福島原発被害請求弁護団」(仮)の準備会が開かれた。東京電力福島第一原発事故の被害者を救済しようと、いわきの広田次男団員らの呼びかけによるものである。参加した弁護士は、地元福島県と首都圏、更に山口から合計三〇名に及んだ。
被害者の基本要求―謝罪、完全賠償、原状回復
午前は、まず、いずれできる弁護団の獲得目標が討議された。
折しも、東京電力が仮払請求の受付を終え、本払いの受付を始めたところであり、仮払請求をしていた被害者に本払用の請求書の書式を送付したところであった。その書式たるや、請求書本文六〇頁、説明書一六〇頁に及ぶもので、弁護士がみても頭がくらくらする。内容的にも、細かな分類をしたうえでいくつも場合分けがしてあり非常に難解な上、各損害項目に法律上理由があるとは思えない制限(例えば、交通費は一回五〇〇〇円)を設け、さらには期間を限定しているものの精算条項を付した上での合意書のひな型を同封するなど、極めて問題が多いものだった。
地元福島からは、福島県弁護士会は被災者救済支援センターを立ち上げ、会をあげて被害者の損害賠償請求を支援していく体制がとられているものの、人手が追いついていない実情が訴えられた。
その上で、本払請求、原発ADR、訴訟と、各方法について意見交換が行われた。
そして、この法律家集団としての基本方針として、東電に対して謝罪、完全賠償、原状回復を求めていくことが確認された。これらは、地域コミュニティを奪われた被害者の当然の要求であり、弁護士としては被害者に寄り添い、集団的に対応することが責務であると合意された。この基本方針を打ち出したことが、ここに集まった弁護士の最大の特徴である。決してあってはならない被害、二度と繰り返してはならない被害に向き合い、彼我者と共に戦いぬく誓いの方針でもあった。
そして、稼働していない原子炉の廃炉を求めることについても検討課題とされた。
相談会
この日、双葉町・楢葉町からの避難者、県内水面漁協連参加の組合、釣り船や渡船の遊漁組合、海の家、養鯉事業組合等の被害者が相談のために会場に来ていたので、弁護士をそれぞれに割り振り、聴き取りを行った。これらの聴き取りでは、事故後半年を経て、避難者は故郷に帰る見通しが立たず、どの被害者は窮状も極めている一方で、東電の横柄な対応が語られた。
また、東京電力と地元との関係の複雑さも語られ、ことの難しさも知らされた。
今後の闘いに向けて
相談会の後、今後の方針討議に移った。伊東達也氏(原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表)と早川篤雄氏(福島県九条の会)から、被害者支援と廃炉に向けた活動の訴えがあった。
そして、その日集まった弁護士の中では、聴き取りの結果を踏まえ、以後も活動を継続し、訴訟も辞さない覚悟(最後まで責任をもつという意味で)で臨むことが確認された。飽くまでも、謝罪、完全賠償、原状回復である。
本件原発事故の被害は多様であり、今までの幾多の公害・薬害その他の取り組みの成果を踏まえ、それを発展させることが求められる。被害者の基本要求を実現するため、こうした具体的な検討作業に入った。今後更に調査を進め、活動を展開する予定である。
その後の経過など
東京電力の書式については、日弁連も直ちに対応し、被害者に対して法律家に相談するなど慎重な対応を呼び掛けた。平野復興大臣も枝野経済産業大臣も改善を求め、合意書の精算条項は削除する方向で検討されているとの報道があった。これについては、では、弁護士はどのような対案を示すのか、被害者と共に歩んで行くにはどうしたらいいのか、検討すべき課題は多い。
一方で、野田内閣は、九月末には緊急時避難準備区域の指定を解除する方針を示し、各地の原発の再稼働に意欲的である。私見だが、この時期に東京電力がこれだけ問題のある本払い請求の受付を開始したのは、幕引きと被害者の押さえ込みに向けた策動の一つと考えるべきだろう。見舞金契約を乗り越えた水俣病問題の教訓から多くを学ぶべきである。また、被害者が東電のペースに載せられないで真の権利要求を進めるためには、当座、東京電力の仮払等に依存しないで生活再建を図る基盤を整備する必要があろう。
また、あってはならない被害に向き合う法律家の姿勢としては、賠償では足りず、根絶を追求すべきである(謝れ、つぐなえ、なくせ、という小野寺利孝弁護士のキャッチは端的で心を揺さぶるものがある。)。
今、各地で弁護士会による救済センターや弁護団が立ち上がっている。避難者は各地にいて、遠い地域でも農林水産品等の出荷制限や各種の風評被害等が広がり、放射線が検出された地域が連日のように報道されている。
これらの状況にあっての弁護士の使命は、被害者とそれを支える広範な市民の結集・組織化のかすがいになることと思われる。そして、被害者の実情と要求を権利論として具体化し活動を展開するときがきた。みなが安心して平和に暮らす社会を取り戻すため、さらに多くの弁護士の協力を呼び掛ける次第である。
(二〇一一・九・二八記)
(青年法律家との重複投稿となることをお許しください。)
東京支部 坂 本 修
「自問・自答」の“つぶやき”
三・一一東日本大震災、福島原発事故の後、政治の「劣化」をさらけだした二大政党らの混迷が続くなかで、九月二日、民主、国民新党両党による野田連立内閣(以下、単に野田政権という)が発足しました。支配勢力とその意を受けた野田政権にとって、彼らの策動のなかで、選挙制度改悪は、どういう位置を占め、どう動こうとしているか、それに対して、私たちはどう立ち向かうかーこの小文は、そのことについて、学習会活動の現場を話し歩きながら、なかなかつっこんだ討議の機会がないことを嘆きつつ、「自問自答」している私の“つぶやき”です。そのようなものとしてお読みください。
一 野田政権と「大連立」の危険な本質を直視する。
野田政権は、菅政権のたんなる「引きつぎ政権」なのであろうか? 私はそうではないと「自答」している。野田政権は、菅内閣が進めてきていた公約違反、国民無視の反動政治のアクセルを踏み、いっそう反動的に推進する政権であり、しかも、翼賛的な「大連立」をつよく志向する危険な政権だと思うからである。
くわしい論証は省略するが、野田政権の基本的性格は、日米同盟「深化」、構造改革推進・財界直結の反動的な政権である。小論のテーマである選挙制度の改悪の動向は、こうした政権の性格に照らして、きびしくとらえる必要があるとつよく思う。
野田首相と民主党は、菅内閣のとき以上に、「大連立」と呼びかけているが、その政治的な本質はどこにあるのだろうか。私は二大政党政治の破綻に直面し、危機感をつよめた支配勢力の反動的政治支配の確立にあると「自答」している。
もちろん、「大連立」と一言で言っても、「事実上の大連立」や「部分連立」などで様々な形とレベルがあり得る。しかし、いずれにしても、「大連立」は、国民を裏切り、ひたすら財界とアメリカの当面の要求の実現に「翼賛」(力をそえて助けること「広辞苑」)する政治体制であることは確かである。その狙いは当面の危機の反動的解決だけではない。さらに進んで民意を切り捨てる強権政治体制の確立、そして究極的には明文改憲して、強権国家に「国家改造」するための政治体制ーこれが「大連立」の政治的本質であると私は考えている。
二 選挙制度大改悪は、より切迫した“現実の危険”になった
野田政権のもとで、鳩山内閣、菅内閣とつづいてきた比例定数削減の企みは、どうなっているのだろうか。錯綜している政治情勢のもとで、「言い出しっぺ」の民主党は弱体化し、策動はかつてのインパクトを失った、あるいは少なくともやや後退したのだろうか。私は、そうではない、危険はよりつよまり、「明白かつ現在」のものになっていると「自答」している。それはなぜか?
野田首相は代表選の政権政策で「衆院定数八〇削減、参議院定数四〇削減を目指す」と明記し、代表選最終演説で削減に「全力をあげてたたかっていこう」と訴えている。こうした主張は彼個人だけではなく、一昨年の総選挙前からの民主党の「公約」であり、同党によって再三にわたって、確認されて、現時点でも同党の「定数格差」是正の案のなかにそのまま取り入れられている。
但し、共産党、社民党の断固反対はもちろんのこと、公明党は連用制を提起し、自民党も民主党案には賛成していない。これらをみれば、民主党案そのままでの実現は困難であろう。にもかかわらず、私は民意の切り捨て、少数政党排除という点では、ほぼ同一の本質と効果を持つ大幅定員削減(当然に比例定数も削減)で「大連立」(事実上の連立、部分連立を含む)諸党が合意して、のちにのべるように、来年の国会で、公選法一部「改正」案として上程してくる危険がつよまっているとみる。その理由は二つある。
理由のひとつー最も重要な理由ーは、民意を排除して、支配勢力の要求に忠実な政党で議席を実質的に独占することは、支配勢力の長い間の念願であり、しかも、大災害と原発事故による“支配の危機”は、彼らの要求をいっそう切迫したものにしているからである。
もう一つ、策動を時間的にも切迫したものにしているのは、「定数格差」の是正が「違憲状態」にあることを明らかにし、その是正を求めた最高裁判決により、公選法の改正が来年の国会中に必要となってきていることである。これを「大義名分」として利用ー逆用ーして、「一票の結果価値の平等」を侵害し、民意歪曲、切り捨ての定数大幅削減(そのなかでの比例定数削減)を行うという策動が具体的に浮上してきている。自民党が「小選挙区定数五減、比例定数三〇削減案」を持ち出してきているのは、そうした動きを示すものである。
状況をトータルでみれば、絶対ではないが、来年の国会で「大連立」参加各党(場合によっては民主、自民だけ)の合意で、公選法「改正」法案上程、可決の危険は“さし迫った現実の危険”とみなければならない。いままで、訴えてこなかったわけではない。しかし、正面から力を込めて語ってはいなかった。情勢を直視すれば、もっと踏み込んで訴えなければならないと思っている。
三 反撃と勝利の新たな条件が生まれている
選挙制度大改悪の危険が、そこまでつよまっているならば、私たちに阻止する条件はあるのだろうか? 私はくり返し、そう「自問」してきた。そして、今は、その条件はあるーつよまっているーと「自答」している。
重大な局面の反面、支配勢力の多重、複合“壊憲”策動に反撃して、この国の政治を前向きに変える新たな条件が生まれていると考えているからである。
利潤至上の構造改革の痛みを知って、「政権交代」を実現した国民は、民主党の裏切りを経験して、「二大政党制」政治のおぞましい正体を知った。それだけではない。三・一一大災害、とりわけ原発事故に直面して、巨大な“政治的人災”を骨身にしみて痛感している。そうした痛苦の経験にもとづいて、一昨年の総選挙と比べて、はるかに多くの国民が二大政党政治体制の害悪をつかみ、「ではどういう政治が必要なのか」を、本格的に探求し始めている。
こうした新たな条件をつかんで、断固、選挙制度の改悪に反対する。そして、反対にとどめずに、民意を正しく反映する選挙制度にして、私たちの“宝”(基本的人権)である一票を生かし、議会を「再生」させ、政治を変えて要求を実現することをねばりづよく訴え、語りあえば、国民の多数を結集できると私は考えるのである。単に様々な反動的政策に反対し、阻止するだけではなく、脱原発・自然エネルギーへの転換、農業・漁業の再生、社会保障のレベルアップ、労働のルールの確立などを実現していく動きを急速につよめる条件は生まれ、つよまっている。憲法が護られ、憲法が生き、みんなが平和で安全に、人間らしく生きられる日本への変革を求める要求は、草の根からわき起こり、広がりつつある。こうした国民の要求と結びつけて、国民のための国政にするために、民意を排除する定数削減を阻止し、小選挙区制を廃止して、私たちの一票を、“宝の一票”にする「比例を軸とする選挙制度」にしよう、という要求には、国民多数派を結集する豊かな条件があると私は確信している。
四 「たたかってこその勝利」ーそのための「自問」「自答」
有利な条件と不利な条件は錯綜し、変動する“せめぎ合い”の帰趨をあれこれ「自問」しても、答は出てこない。ただ確かなことは、「たたかってこその勝利」であると私は「自答」している。
この国、この社会をどうするのかについて、支配勢力の策動の告発、批判は決定的に大事だが、それだけでは足りない。この国、この社会をどうするのかについて、時機を失せずに、多数を結集し得る「対抗軸」を持ち、現実的な「対案」を提起して行動することが大事である。全局面的な“せめぎ合い”について全面的な「対案」が必要だが、個別の闘争についても多くの場合そうなのだと思う。
来年の国会に提出される可能性がつよい選挙制度をどうするかについてはとりわけそうである。比例定数削減反対(あるいは定数削減反対)だけでは足りない。「小選挙区制を廃止し、民意を反映する制度を」という積極的な要求を提示しなければならないとつよく思うのである。もちろん、私は今までもそうは話してはきたが、すでに民主・自民・公明らの具体的提案が行われている現時点では、いままでの私の話は抽象的であり、あいまいであったと反省している。団の意見書に学び、具体案(私見ではブロック単位比例代表制)を提起し、広く、国民、さらには各党、各議員、マスコミに、ねばりづよく対話を求めていくことが大事だと思う。おそらく、団はそうした活動に力づよくとりくむに違いない。私もまた一団員として、団のそうした活動に参加したいと思うわけである。
最後に
一七年前、私たち団員は、どんでん返しで導入された小選挙区制を必ず廃止することを誓い合いました。いま、さらなる大改悪を許さず、民意を正しく反映する制度を目指す“せめぎ合い”の正念場に立って、勝利のために、みなさんとともにたたかうことを誓って、“つぶやき”の結びとします。
〈緊急の追記〉本日(一〇月四日)の「赤旗」は、自民党谷垣総裁が「月内招集の臨時国会で公選法改定案の提出を」と語り、一方、民主党樽床幹事長代行は、記者会見で「定数削減を後回しにすることはできない。年内の与野党合意を目指す」と語っていることを報じている。情況は複雑ですが、事態がいっそう緊迫してきていることを重視し、即応する団の討議をつくし、決意を固めて打って出る必要があるとつよく思う。
東京支部 後 藤 富 士 子
一 離婚と親権・監護権をめぐる法と現実
民法第八一八条三項は、「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。」と定め、同第八二〇条は、「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」と規定している。すなわち、婚姻中は、「共同親権」「共同監護」である。また、離婚については協議離婚を原則としており、離婚後は単独親権(民法八一九条)になるからこそ、「離婚後の監護に関する処分」について条文が規定されている(民法七六六条)。すなわち、離婚後は「単独親権」「共同監護」というのが民法の前提である。
ところが、実際には、離婚後の監護問題を含めて夫婦が協議する過程を経ないで、離婚を仕掛ける配偶者が一方的に子の「身柄」を拉致し、他方配偶者と子の交流を遮断することから離婚紛争が勃発する。すなわち、共同親権者の一方が子どもを連れ去ると、他方は、子どもに会うことさえままならなくなり、「家庭破壊」にさらされた配偶者こそ悲惨である。
しかしながら、離婚成立前はたとえ別居になっても、法的には「共同親権」「共同監護」である。そうすると、未だ親権者である他方配偶者の親権の行使を不可能にさせることを適法と解する余地はないはずである。それにもかかわらず、弁護士も裁判官も、このような一方配偶者による他方配偶者の親権侵害行為を違法と認識しないらしい。私は、日本の法曹に、親権侵害が違法にならないとする実定法上の根拠を問いただしたい。
現行法では、離婚により親権も監護権も失った親は、自分の子が、元配偶者の親や再婚相手と養子縁組されてしまうことを法的に阻止できない(民法七九七条)。そして、離婚前でさえ親子の面会交流を謝絶している配偶者に親権も監護権も集中させることになれば、他方配偶者はまさに「北朝鮮による拉致被害者家族」そのものである。しかも、DV防止法が濫用されて子どもの住居所も非開示にされるから、子どもと引離された親の絶望感は深刻である。このように、離婚により片親の存在自体を抹殺しようとすることは、個人の尊厳を基調とする憲法の価値観と根本的に対立する。
そうすると、現行法の解釈適用の問題として法曹に問われているのは、片方が親権も監護権も喪失する一方、他方が親権も監護権も独占することが、「両性の平等」や「子の福祉」の観点から許されるのか、という点である。
そもそも司法は、具体的事件について実定法を解釈適用することによって正義を実現する役割を有している。したがって、離婚後の「単独親権」「共同監護」の法原則を踏まえ、「親権と監護権の分属」により結果の妥当性を図るべきである。そうしないと、「配偶者による子の拉致」はますます横行し、司法も液状化することになりかねない。尤も、既にその兆候は色濃いのである。
二 「単独親権」制の流用による親権制限―「DV」「子ども虐待」
親権を制限する現行法制では、「親権喪失」と「管理権喪失」の二種類あり、「監護権」の喪失については「親権喪失」で対応するほかない(民法八三四条、八三五条)。また、親権者側から親権や管理権を辞任することもできるが、家裁の許可を要する(八三七条一項)。いずれの場合でも、親権や管理権を回復することができる(八三六条、八三七条二項)。
ところで、「親権喪失事由」に、「離婚」「別居」それ自体は該当しない。そして、「親権喪失宣告」等は家事審判法上「甲類」審判であるのに対し、離婚に伴う「単独親権者指定」や「親権者変更」さらに「監護に関する処分」は「乙類」審判である。すなわち、「子の福祉」を指導原理とするにしても、「親権喪失」と「単独親権者(監護者)指定」「面会交流」とでは、実体的にも手続的にも、雲泥の差がある。
それにもかかわらず、「単独親権者指定」「単独監護者指定」「面会交流の可否」等について、離婚原因として「DV」や「子ども虐待」が主張されると、濡れ衣であっても着せられた配偶者の親権・監護権が容易に制限されてしまう。すなわち、「親権喪失事由」がないのに、「単独親権」制の流用により、親権を制限・剥奪されてしまうのである。このような流用が可能になるのは、家事審判が、非公開の職権手続による独裁的行政処分だからに他ならないが、これでは「法による行政」さえ逸脱している。しかも、それが裁判官によって行われるのだから、恐るべきことである。
三 福祉給付の「要件」に流し込み
「DV」をでっち上げて子どもと失踪する妻は、「失踪」しているのではなく、行政に保護されている。とりわけ、平成一六年に改正されたDV防止法は、「被害者の自立支援」が強化されている。同法第八条の二「被害を自ら防止するための警察本部長等の援助」や同条の三「福祉事務所による自立支援」がそれで、「DV被害者」の自己申告だけで配偶者は「DV加害者」となり、配偶者の捜索願は受理されず、配偶者が知らないうちに健康保険の被扶養者から外れていたり、生活保護や児童扶養手当を受給したりしている。
ここでは、児童扶養手当の例を取り上げる。父母が離婚した母子家庭または父子家庭の親に支給される児童扶養手当であるが、離婚していなくても「父または母に一年以上遺棄されている」状態の監護者にも支給される。そして、「遺棄」の認定基準について定めた昭和五五年厚生省児童家庭局企画課長通知では、「父が児童を遺棄している場合とは、父が児童と同居しないで監護義務をまったく放棄している場合をいうものである。」という。ここで「監護とは、金銭面、精神面等から児童の生活について種々配慮していることをいい、別居している場合でも、仕送り、定期的な訪問、手紙、電話等による連絡等があれば監護しているものと考えられる。」とされている。実際のケースで、DVをでっち上げて子どもとともに行方をくらました妻が、別居している夫と子どもとの面会交流を二年以上拒絶していた理由は、児童扶養手当を受給しており、離婚しないで面会交流などさせて民生委員に発覚した場合、児童扶養手当の支給が打ち切られるからであることが判明した。
このように、DV防止法が果たしている役割は、容易にDVでっち上げを可能にするだけでなく、「自立支援」の名目で、秘密裏にあらゆる行政の支援を動員することによって、夫婦および親子の関係修復ができないように「隔離」し、「家庭破壊」に至らせるのである。
日本の実務法曹は、法が現実社会でどのように機能しているかについて関心をもたないから、法解釈の技術が磨かれることはない。また、「DV防止法」や「児童虐待防止法」が絡むと、それ以外の法規範は存在しないとでもいうように、陳腐な「離婚事件」が作出され、法曹倫理も地に堕ちる。ハンナ・アレントが「エルサレムのアイヒマン」で言及したように、「悪の根源」は「陳腐さ」なのだと私も思う。
「単独親権制の流用」という法運用は、法曹と司法にとって根源的問題を呈示しているように思われる。
(二〇一一・一〇・一)
東京支部 西 嶋 勝 彦
一 長野県、草も雪も深い飯山の出身。地元の農学校から早稲田大学へ進み、司法研修所一期生となった大塚さん。この間軍隊に召集されて中国大陸へ出征の経験もある。私が一七年後に入所した東京合同法律事務所では、正しく戦後派のリーダーであった。青柳盛雄、岡林辰雄、小澤茂の諸氏は期前である。
二 大塚さんの業績は勿論、謀略・弾圧事件である松川事件を、弁護団の中心として完全無罪に導いたことが第一に上げられよう。
松川事件の闘いにおいて、先輩岡林さんが「主戦場は法廷の外」の合言葉で大衆的裁判闘争を主唱されたことに対し、大塚さんはそのことを首肯しつつ、法律専門家としての弁護士の役割と責任の重要性を意識的に追求されたことを忘れてはならないだろう。そこから仙台弁護士会あげての支援を獲得していく努力があり、後年日弁連の人権擁護活動の牽引車となる素地が培われたと思う。広津和郎氏などの支援者との交誼を後々まで大切にされていたのも、大塚さんの人となりを示すものであろう。
三 大塚さんが委員長として活躍をした昭和五一(一九七六)年度の日弁連人権擁護委員会の活動を概観してみよう。
私たちが推した大塚委員長は、委員会の運営について、人権擁護の使命に応えるために調査案件の迅速処理を督励し、事件委員会とは別に部会によって運営されている組織を活性化するために、委員や部会長ポストの随時交代を促した。
前者では、一番弟子を自覚して、私はその年六月にスタートした石川県教組羽咋支部申立事件(日教組のスト参加教員の氏名を明記した地元育友会によるビラ配布事件)の委員会の責任者を任じられたケースで、同年八月に現地調査を終え年度内に報告書を上げ、翌年一月の理事会で関係団体への警告・勧告書案が承認された。
後者は、当時人権擁護委員会に「棲息」していると豪語する人物が居たり、活動するでもなく十数年同一人が単位会から推薦されてきたりしていたことへの警鐘であった。申立案件が数年間眠らされていることも稀ではなかったのである。任期を終えた人も含めて、有為な人材を特別委嘱として取り立てるシステムも、この頃から動き始めたと思う。
大塚さんは、個々の再審の門戸を広げることに全力を傾けるとともに、再審法(刑訴法の再審規定)の改正案づくりと国会への働きかけにも精力を注いだ。加藤老再審事件(在任中に再審開始)と島田再審事件(即時抗告審から)では、委員長として先頭に立たれた。
人権擁護委員会のこの年の目を引く活動に鑑定問題事例調査研究委員会を立ち上げ、早速に刑訴法学者、法医学者との共同研究がはじまったこと、学校災害補償法の制定運動、個室付浴場対策委員会を設置していわゆるトルコ風呂問題に対処したことなども挙げられる。大塚委員長が激励して推進したことである。
なお、重大な人権侵害事件である八鹿高校の事件は、日弁連意見公表までの道すじをつけた。しかし、靖国神社国営化法案への反対意見書は、委員会の意見をまとめたものの、執筆担当者の原稿が揃わず次年度送りとなった。口には出さずも、大塚さんには心のこりだったと察する。
四 上記の大塚さんの委員長としての活躍は、同時期日弁連人権擁護委員でもあった私の仕事と重なる。丸正、江津(委員長)、島田、徳島(委員長)の再審諸事件の委員会へ私を投じたのは、誰あろう大塚さんである。
特に第五次再審を目ざす徳島事件は、団長和島岩吉氏、副団長原田香留夫氏が組織した私設弁護団が始動しており、私の役割が、両巨頭をかかえ込んで日弁連委員会の方針を確立し、弁護団の組織的活動を進めることにあることは、自ずから理解された。その役割は、冨士茂子さんの死後となったが再審無罪を勝ち取り、何とか果たすことができた。
島田事件は、第四次再審請求を静岡地裁で棄却されていたので、てこ入れの意味合いで大塚さん自身即時抗告審から事件委員長となられたので、私も共に関わった。この事件も、事務所の先輩で静岡に移られていた大蔵敏彦さんと大塚さんを中心に、二〇期以降の若き弁護士が結集して赤堀政夫氏を死刑台から生還させることができた。
大塚さんが逝かれた九月三日当日、私はそのことを知らず、奇しくも山梨県弁護士会で、一ヵ月後の人権擁護大会(於高松市)第一分科会のプレシンポの講師に招かれ、島田事件と袴田事件の弁護を通して死刑反対を語っていた。
五 大塚さんと日弁連での活動を共にした思い出は尽きないが、以下箇条書き的に記す。
真っ先に浮かぶのは、合宿風景である。箱根芦の湯のなじみの旅館山形屋(造作は良くないが、風呂と料理は良かった)は、多くの再審事件の弁護団合宿に利用した。熱海の先の来宮の双柿舎(早大のOB団体が管理)。山中湖の何とか寮等々。江津事件では、島根、広島、関西などに遠征した。宿では、討議と作業のあとは大塚さん持参の自家製焼酎で談論風発するのが常であった。再審事件だけでなく、鑑定問題事例調査研究委員会の合宿なども、ほぼ同じような雰囲気であった。人これを「大塚学校」と称した。
次に浮かぶのは、おだやかな大塚さんも、時に厳しく検察官を指弾する場面である。島田事件の再審公判の法廷でしばしばそれを目にした。しかし、もっと印象的なことは、再審事件の進め方について、先輩某弁護士(自由法曹団員でもある)に面と向かい、その姿勢と行動を厳しく批判した光景である。常に宥和を尊ぶ大塚さんの、仕事と団結に対する熱意、そして民主的弁護士と言われる立場を自覚し、弁護士会での信頼確保に並々ならぬ努力をされている証しとみた。先輩、同僚と言えども、活動の妨害となる行為や間違った言動を許してはならない、という教訓である。
六 大塚さんの旺盛な著作と講演活動を落としてはなるまい。松川弁護が中心であるが、テーマは広く冤罪、再審に及んでいる。何しろ大変な読書家であり、毎年古書展には欠かさず出かけ、中国漢時代の法医学書などを繙いて語られる話は興味がつきない。弁護士会主催の市民集会(ある時は悪法反対や代用監獄廃止であり、ある時は再審の闘いをアピールする一環である)での、あの張りのある凛とした声が甦る。
著書のなかでは「最高裁調査官報告書」(筑摩版、日評版あり)が白眉であろう。神田の古本街で見つけた、というタネ本の来歴の真偽はともかく、門外不出の調査官報告の内容が白日のもとに晒され、青柳調査官の有罪意見に抗して、最高裁大法廷の多数派を形成した裁判官諸公の良識が勝った内幕が分かる。
七 日弁連を離れて、誘ってもらって取り組んだ事件も多い。
刑事では、バス運転手による交際中の車掌殺害事件(新潟地裁→東京高裁)。一審の無期懲役はくつがえせなかったが、仮釈放(実現)、再審の相談も受けることになる。
埼玉地裁→東京高裁の競売妨害事件は、元地検検事正も交えて共同弁護に当たったが、これもうまくいかなかった。
再審を何度も思い立ち、その都度腰くだけに終わった山梨の老経営者が酔余友人を転倒させて殺したという事件。外因死ではなく脳溢血との脳外科医の鑑定を得たが、生かせなかった。法医上野正吉氏の誤鑑定の疑いある事案であった。
民事では、某宗教団体の晩聲社に対する出版妨害事件で、カリスマ会長を法廷に引き出すことが出来ず、残念な和解に終わった事件も忘れられない。相手が悪かったのだろうが、和解の名手と言われた大塚さんの手腕が発揮される場面は少なかったように思う。
無罪となった芦別事件の国賠請求事件の上告審では、多くの事務所の弁護士も居たが、大塚さんと取り組めたのも、思い出の一つになってしまった。
紙数が尽きた。急なことなので、記録を参照できず正確は期しがたく、且つ散漫になってしまった。また、心のこりもある。昭和六一(一九八六)年の東弁人権賞の創設に関わりながら、大塚さんを生前その対象にできなかったことである。大塚さんご免なさい。
私たちの導きの星であった大塚さんを失い、今私たちは悲しみに耐えている。
安らかに眠って下さい。
※なお、本原稿は、高松の日弁連人権大会(一〇・六〜七)参加者に配布された「再審通信一〇二号」からの転載です。
東京支部 池 田 眞 規
*大久保が法然なら、吾輩は親鸞なるぞ。
なれど、心深き親鸞は「たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらう」と申されている故に、親鸞が法然よりは優れているとは言うつもりはないが、親鸞とその末裔たちの人間的な煩悩の深さは半端ではないことに魅かれるものがある故、親鸞を好むものなり。
*親鸞は乱世に苦しむ民衆の深刻な煩悩を共有していた。
本年二月一一日の団通信一三七一号で、大久保団員が「法然上人の教えから非核法の制定へ」と、例によって長々と論陣を張っていることを、私は不覚にも見逃し最近見つけた。親鸞を戴く吾輩としては、放置するわけにいかずこの筆をとる。
平安末期の天皇・貴族の国家仏教の腐敗と堕落と社会生活崩壊の絶望時代のなかから、仏の救済から見放されて苦悩する民衆を、最初に念仏浄土信仰で救済したのが法然であり、さらに徹底して肉食犀妻帯まで敢行したのが親鸞である。
*親鸞の教義は反天皇であり反権力であり、政治的には共和制である。
教義からいえば、阿弥陀如来を信じて念仏を唱えれば悪人こそ浄土に往生できる、というのである。阿弥陀を信ずる念仏者にとっては、国家、天皇、貴族などの権力側のお偉い人などは、そもそも尊敬や救済の対象ではないのである。他力(阿弥陀仏の力)本願の仏教という宗教改革の先鋒である法然・親鸞の新たな浄土信仰は、奈良・平安の旧貴族ら権力者の仏教からみれば許し難い抹殺の対象であった。彼らの直訴を受けた天皇(後鳥羽上皇)は、法然・親鸞らに対し「布教の禁止、僧籍剥奪、流罪の刑」を科し弾圧をした。これに対し、親鸞は、後に上皇は(仏の)法を犯したと断じ、他の神々や世俗の権力者を礼拝することを禁じたのである。したがって親鸞の教義は、民衆を支配する「権力との対決」が宿命付けられていた。
こうして、平安貴族の仏教の救済の対象から見放されていた農民、商人、漁師、猟師、浪人、女郎衆らにいたるまで、苦悩する民衆は新しい念仏による浄土信仰(一向宗)によって救済され、権力との闘いに入ることになる。
*権力からの弾圧に抗する一向宗の歴史的な闘い。
親鸞の一三世紀半ば没後、南北朝の内乱、大飢饉、戦国大名の応仁の乱など約一〇〇年の乱世のなかで辛酸に苦しむ民衆のなかにひそかに定着していた一向宗は、一五世紀、本願寺八世蓮如の登場によって、その指揮のもとに、権力の弾圧と闘いを続けながら大きく教団は大きく発展する。続いて一六世紀、本願寺一一世顕如においては、織田信長の徹底した一向宗撲滅作戦を迎え討ち、戦国大名に劣らぬ一向一揆で正面からこれ受けて闘った。加賀では一世紀にわたる、門徒の一揆が支配する「百姓の持ちたる国」、謂わば「小さな共和国」までも実現した。日本の歴史で民衆が権力を奪取して政治を行った唯一の事件である。信長が、梅田から難波までの一〇万人の門徒に守られて顕如の死守する摂津石山本願寺の攻略作戦に一〇年をかけても落城せず、ついに勅命により和睦をして決着となるが、天罰の如く、その信長は、腹心明智光秀の本能寺の変の反逆で信長は命を落とす。「明智光秀は隠れ一向宗であった」となれば講談師にとってはたまらないネタになるが、いまは闇のなか。
*豊臣秀吉と徳川家康の狡猾な策略に牙を抜かれた一向宗
信長に代わって天下を取った秀吉は、猿知恵を働かして、一向宗を敵とせずに、顕如上人に西本願寺を寄進して、味方にまるめ込む。次に天下を取った徳川家康は、顕如の息子の教如に東本願寺を寄進して、猿の上をゆく知恵を働かせて、一向宗を二つに分断して支配することに成功する。家康は、かくして権力者にとって最も危険な存在であった反権力宗教一向宗を自家薬籠中のものにして二六〇年の徳川家安泰の基礎を造ったのである。そして明治時代を迎えて、権力は、徳川幕府から天皇親政の明治政府に移行したが、一向宗の分断政策はそのまま温存され、現在に至る。
*宗祖親鸞の教えに叛き戦争に荷担した浄土真宗教団の深い罪障とその懺悔
明治以後敗戦にいたるまで一向宗(明治以後浄土真宗と称す)は、相変わらず権力の下僕のままに天皇制軍国主義に染まり、大日本帝国の侵略戦争に無批判に荷担し続ける。そうして、内外の多くの罪なき人々を傷つけ死に至らしめたことは、まぎれもない事実である。
*浄土真宗(一向宗)の懺悔と平和への誓いとしての憲法擁護の宣言
戦後、浄土真宗(一向宗)の西本願寺(本願寺派)と東本願寺(大谷派)は、いずれも、過ぐる大戦において宗祖親鸞の教えに叛き、戦争に荷担した罪を深く懺悔し、自らの戦争責任の告白する。そして、平和への強い願いを全国、全世界に徹底することを表明し、さらに、政府与党が、憲法九条を改悪し、自衛の名において再び戦争を繰り返す意図を示したことに対し、西本願寺並びに東本願寺の各門主は「憲法九条の改悪には反対」の意思を明確に表明したのである。
*上記の浄土真宗の歴史的経過からの教訓を集約する。
さて、大久保団員の刺激的な見出しの論文に挑発されて、一向宗のそもそも論から書き始めて、ここまできたので、大反撃の快感を期待して、大久保論文を読み直してみたら、別に張り合うような論点のないのに気がついて拍子抜けした。大久保の挑発にうっかり乗ってしまった吾輩の迂闊さが悔やまれる。
だが、ここまで親鸞とその末裔の、蓮如から明治以後の末裔の親鸞の教えに叛く大罪までの歴史を改めて概観したことによって、幾多の教訓が見えてきた。それなりに、無駄ではなく、日本の歴史の一面を見ることができたので、今後の闘いの教訓となる部分を挙げてみよう。
その第一の特徴は、法然・親鸞の浄土信仰(当時の仏教改革)に成功したのは、乱世のなかで宗教的心の救済に見捨てられていた民衆の心をつかんだからである。
その第二の特徴は、阿弥陀如来の前では人間すべて平等であるという教義は、民衆にとっては初めて聞く大きな光明であった反面、権力者から見て極めて危険な思想・信仰であった。教義そのものが、支配体制の維持を崩壊させる危険があることを権力者は本能的に読み取り、弾圧の対象となった。今も昔も同じである。
その第三の特徴は、権力者の弾圧に対して門徒集団が教団を、「講」という小さな「門徒の寄合い」を広く組織して、権力者と闘ったという事実。
この三つの特徴は、社会改革乃至社会革命の手順に類似している。
その第四の特徴は、権力者が教団の分断支配の戦術に成功すると、教団は権力支配の道具に転化するという事実。
その第五の教訓は、第四の特徴の教訓に従い、失敗から立ち直るには、教団の基本の教義に立ち戻り、教義を再確認することである。
*現在進行意中のこの国の政治の在り方を具体的に考える。
現在の社会的な混迷に上記の教訓を適用すると次のようになる。
(1)災害の被害救済の対策は、災害の被害を受けた被害者(個人・法人)を基準に決める。福島原発の放射線災害の救済対策の方針はこれである。
災害の発生に責任のある者の都合や立場で考えない。
(2)日本の国防上の安全についての対策は、民衆(人民)の命の安全を基準に考える。国家間の紛争を武力(人民の殺し合い)で解決することはしない。
(3)国の安全を武力に依存しない憲法九条の規範を国際的な規範にする。
世界中の国は軍事費を零にする。
(4)米国に対し、沖縄・日本・世界から米軍を撤収することを求める。
(5)核兵器は最も効率的な殺人装置である。核兵器のない世界を造るために、できることは全て優先的に実行する。
非核法の実現。非核条約地帯を世界中に。核兵器廃絶条約の締結。日本政府を非核の政府に変える。
*では現在の日本の危機を克服する民衆の行動提起は如何にすればよいのか。
一向宗の経験からすると、蓮如・顕如の成功した作戦は、無数の講(寄合い)を全国に組織する戦法である。これの伝統は現在も浄土真宗の「講」に生きている。
つまり「小さな寄合い」を無数に作り行動する。フランスの反ナチの抵抗運動も同じである。これは、現在の行動方式で活かしているのが「九条の会」かもしれない。日本の未来の展望は、この教訓から生まれるかもしれない。
東京支部 加 藤 健 次
この間、団創立九〇周年事業の一環として取り組んできた「最新版くらしの法律相談ハンドブック」が完成し、間もなく旬報社から刊行されます。
一九九六年に最初の「くらしの法律相談ハンドブック」が、二〇〇一年の団創立八〇周年にあわせて「新くらしの法律相談ハンドブック」が出され、今回、「最新」版を出すことになりました。
ハンドブックでは、総勢約三五〇名の執筆者が、様々な分野の法律問題について、分かりやすく実践的な解説を行っています。この一〇年間の法律や制度の変更もフォローし、「団ならでは」という充実した内容になったと自負しております。編集に携わってみて、あらためて団の底力を実感した次第です。
このハンドブックは、それぞれの法律事務所はもちろん、多くの市民の方々の手元に置かれ、活用されてこそ、刊行した意味があります。各団員に購入いただくと同時に、付き合いのある労働組合、民主団体、議員などに積極的に普及していただきたいと思います。
尚、ハンドブックの定価は五二五〇円(消費税込み)ですが、団員からの注文の場合は四二〇〇円(消費税込み)となります。ぜひ、積極的な活用・普及をお願いします。
この間、完成のためにかなり無理な注文・依頼も行いました。この場をかりてお詫び申し上げます。そして、最後に、多忙な中、執筆・編集にご協力いただいた多くの皆さんに心からお礼申し上げます。
苦労の結晶のハンドブックを多くの人の手元に届けましょう!