<<目次へ 団通信1397号(11月1日)
大久保 賢一 | 自由法曹団原発問題委員会の任務と課題 |
吉田 悌一郎 | 福島原発の被害の線引きを許してはならない 〜九月三〇日付日弁連会長声明について〜 |
松本 育子 | 川崎市職員に対する政党機関紙購読調査違憲訴訟事件、実質勝訴! 〜東京高等裁判所が「思想の自由の保障との関係で限界に近い」と明言 |
佐藤 誠一 | 証拠調べを終えて最終弁論をむかえる日本航空整理解雇訴訟 |
穂積 匡史 | JR採用差別横浜人活訴訟・控訴審判決の報告 |
井上 洋子 | NLGフィラデルフィア総会参加報告とNLG交流二〇年 |
近藤 ちとせ | NLGフィラデルフィア総会参加とアメリカの「OCCPY」活動を見ての感想 |
井上 正信 | 馬鹿げたウォーゲーム |
衆院比例定数削減阻止対策本部 | 衆院比例定数削減阻止・全国活動者会議にご参加ください! |
労働問題委員会 大量解雇阻止対策本部 |
労働者派遣法の早期抜本改正と派遣切り・期間切り裁判の勝利をめざす一一・一六院内集会を成功させましょう! |
前川 雄司 | 「最新 くらしの法律相談ハンドブック」によせて |
埼玉支部 大 久 保 賢 一
先日の九〇年記念総会で、団本部に「原発問題委員会」が設置されることが確認された。私は、非力を承知で委員長を引き受けることを宣言した。福島原発事故が未曽有の事態であり、多くの被害が発生していることと、これまで、自分なりに核兵器の廃絶や被爆者支援には取り組んできたけれど、原発の危険性には注意を払ってこなかった自責の念がこのような態度を取らせたものである。多くの団員のご協力を得て、有意義な委員会にしたいと決意しているところである。皆さん。よろしくお願いたします。
ここでは、とりあえずの問題意識を述べておくこととする。
一 現在の状況
「広範で深刻な放射能汚染」と「異質な被害」が進行している現在、私たちに求められていることは、(1)放射能汚染拡大の阻止(放射性物質の原子炉からの放出の収束と除染)、(2)被害の全面的回復、(3)原発依存からの脱却である。にもかかわらず、原子炉からの放射性物質の放出はいまだ収束していないし、除染の範囲、方法、予算措置についても不分明である。被害者救済については、「原子力損害賠償紛争審査会」の「中間指針」が公表され、東電の作業も始まっているが、賠償範囲が限定されているだけではなく、請求手続きも煩瑣この上ないものとなっている。政府は、原発の安全性は確保できるとして、原発の再稼働と輸出路線を転換していない。
政府や東電は、今回の原発事故が環境と市民生活に及ぼしている深刻な影響を自覚していないといえよう。むしろ、放射能被害の拡大の危険性を軽視し、事態に対する対処が不十分である。東電やそれに依存する勢力(原発利益共同体)の利害には配慮するが、被害者と損害の範囲は限定しようとしている姿勢が顕著である。原発の再稼働や輸出の画策に至っては、何をかいわんやである。
私たちは、このような政府や東電の姿勢を把握しておかなければならないし、現在求められている課題を直視しなければならない。
二 取組状況の到達点
団は、「東日本大震災対策本部」を立ち上げ、大震災被災者の救援に取り組むだけではなく、「チーム福島」を結成し、原発事故被害者のためにも尽力している。
もちろん、このような取り組みは、団内に止まるものではなく、日弁連や関係単位会での取り組みも継続している。各地の団員が、様々な立場で、日弁連や各地の単位会での活動に尽力することは意義のあることである。ただし、被害者救援を「審査会」の「中間指針」や東電の設定する枠組みの中に止めようとする動きには留意しなければならない。絶対的な人手不足が想定される課題であるので、団の総力を挙げる必要があるといえよう。
他方、脱原発弁護団も立ち上げられ、原発の再稼働阻止や廃炉のためのたたかいを進めている。原発の停止や廃炉の要求は、被害者支援とは別の課題であり、この弁護団の今後の活動に対する理解と協力が求められている。
被害回復や脱原発については、既に、具体的な活動が開始されている現在、原発問題委員会に求められているのは、今回の原発事故について、総合的な視座からその原因を究明し(物理的な原因ではなく、その政治的、経済的、社会的背景を含意する)、原発に依存しない社会の構築に向けての提言をしていくことである。
三 原発委員会の課題(一般論)
今回の原発事故は、私たちがかつて直接的に経験したことのない事態である。事態の深刻さを過小評価することなく、最悪の事態を想定し、最善の努力を尽くさなくてはならない。直面する課題についての取り組みも、いまだ緒に就いたばかりである。放射能被害の影響は時空を超えて拡散する恐れがあるし、人々の日常生活の回復にも、膨大な時間と費用と努力が不可欠となるであろう。
六六年余前、広島と長崎に投下された原爆放射能は、現在も被爆者の健康と生活に悪影響を与えている。当時、二八歳の軍医だった肥田舜太郎医師は、九四歳の現在も、被爆者のための活動を続けている。私たちにも、同様の営為が求められているといえよう。
そのためにまず必要なことは、原発依存体制はどのように形成されてきたのか。その発端と、その増殖過程と、現在の腐敗状況の確認であろう。それはまた、原発依存体制の政治的意思の形成、法的枠組みの構築、社会体制の確立の解析を不可欠とするであろう。その解明なくして、原発依存体制からの脱却は無理であろう。悪しき現象の原因解明は、そこからの脱却のための最初の営みだからである。
そして、もうひとつ不可欠な作業は、私たち人間の未来社会において、何を価値とし、どのような行動規範を確立するかの確認である。
元々、原子力エネルギーは核兵器として利用された。コントロール不可能な人工エネルギーが、人間とその社会の破壊のために使用されたのである。科学技術の粋が、大量、無差別かつ残虐な殺傷と破壊のために、すなわち、最も非人道的な目的のために使用されたのである。
その後、原子力エネルギーは、「平和のための原子力」という欺瞞的スローガンのもとに、「力による支配」と「利潤追求」という、現代の支配層の価値と論理を実現する道具として存在し続けているのである。
この価値と論理は、自国の意思を他国に押し付けるためには、核兵器の使用を容認するものであり、自国民を「原発難民」や「新たなヒバクシャ」とすることをためらわないという特徴をもっている。
加えて、科学技術の粋は、この価値と論理の枠組みの中で活用されてきたのである。人間の生命を尊重し、環境破壊を恐れるのではなく、戦争での勝利と当面の利潤が優先されたのである。
また、「それでよいのだ」という言説もまことしやかに流布されてきた。市場経済(バーチャルな市場も含めて)と自由が過度に強調され(もちろん、反対意見に対する偏狭さと併存しながらではあるが)、各個人は「個人責任」の強調の中で、てんでんばらばらに分断され、その生存の基礎を危うくされている。
ここでは、強欲と傲慢がはびこり、格差と貧困が累積されていく。恐怖と欠乏が日常的になるとき、多くの人々はその排他性と暴力依存性を強めていく。「安全と安心」を求めて「国家からの自由」を安易に引き渡し、低劣な扇動で「排外主義」を強めていくことになる。そして、それに耐えられない人びとは、流浪するか、自らの命を絶ち、社会との隔絶を求めて「ひきこもる」ことになる。
このような社会では、自らの生物としての生存基盤である環境と共同体の破綻をもたらすことになる原子力エネルギーの危険性などは、興味対象の埒外に置かれるのである。
私は、「安全神話」の影響から自由ではなかった者の一人として、現代日本のあり様を根底から問い直したいのである。
あわせて、原発依存からの脱却の現実的可能性を提示するためのエネルギー政策の提案も求められるであろう。電気エネルギーは社会に不可欠なものだからである。
いずれにしても、当面する課題に取り組むことと合わせて、中長期的にしかも基底的な問題意識をもって、取り組まなければならない課題である。
四 原発委員会の課題(具体的な提案)わが国の核政策の検討と批判
原発の再稼働阻止や廃炉を求める動きも、被害者支援の動きも既に存在している。それぞれ、原発の存在そのものが問われる契機はある。
他方、原発の危険性が顕在化しているにもかかわらず、未だ原発に固執する勢力が一定の力をもち、原発への依存を転換しようとしていないし、被害回復にも消極的である。
個別の原発の停止や廃炉を求めることや、被害者の具体的要求に応える闘いを進めることは当面の課題として優先されるべきである。
他方、環境を汚染し、共同体を破壊し、多くの人々の生活と人生に巨大な打撃を与えているにもかかわらず、反省も恥じらいもないこの勢力との根本的かつ全面的対決が必要であろう。しかも、短期的に止まらず、中長期的対決が求められている。この勢力との対抗するための論理と体制求められている。また、核エネルギーと人類の関係をトータルに検証する必要がある。それは、「力の支配」と利潤追求を最優先する現代社会の有様を検証し、「未来社会」を展望する契機となるであろう。
団だけでできる課題ではない、国内外の英知の結集が不可欠である。
そのために、以下の課題に取り組みたいと考えている。
(1)原発依存体制確立の発端とその増殖過程、及び現状の解析
(2)核兵器と原子力の「平和利用」を二分する考え方(NPT体制)の功罪の検討
(3)わが国の核政策の内容と問題点の検討
(4)核兵器廃絶と原発依存体制からの脱却との関連性の検討
(5)平和的生存権、個人の尊重、生存権、環境権などとの関連性の検討
(6)原子力と人類の共存の可能性の検討
(7)将来世代の人権との関連性の検討
(8)原発の代替エネルギー確保の可能性の検討
(9)検討と批判から行動提起へ
五 体制
本部に委員会を設置するだけではなく、各支部に原発担当者を設ける。
六 日程
第一回委員会 一一月一五日午後三時三〇分から五時三〇分 団本部
第二回委員会 一二月一四日午後六時から八時 団本部
東京支部 吉 田 悌 一 郎
一 「水俣の教訓を福島へ」
先日、私が福島原発事故の被害賠償問題に取り組んでいることを知った私の同期の熊本の板井俊介団員が、「水俣の教訓を福島へ 水俣病と原爆症の経験を踏まえて」(花伝社)を送ってくれた。早速通勤時間に熟読させていただいた。
これは、本年七月二日に熊本市内で開催されたシンポジウム(主催:原爆症認定訴訟熊本弁護団/共催:水俣病不知火患者会、ノーモア・ミナマタ訴訟弁護団)を記録したブックレットである。非常に勉強になった一冊で、まだ読まれていない方は是非ともお読みすることをお勧めする。
その内容として、私が特に気になったのは以下の点である。
・水俣病の被害は、国や加害企業がその範囲を狭く小さくとらえさせようとしたことが問題を深刻化させた。被害をありのままに認めることをせず、地域や出生年で救済対象を「線引き」してきた。それが被害の実相と隔たっていたため、後々まで紛争が起こり、公式確認から五五年たった今も紛争が終結していない。
・原爆症認定問題においても、当初国は直爆放射線の影響のみを考慮し、残留放射線や内部被曝の影響を考慮せず、原爆症の認定基準を絞り込んだ。このため多くの被爆者が救済されない事態となった。全国各地で起こった原爆症認定訴訟の成果によって、厚労省が「新しい審査の方針」を策定し、従来よりも幅広く救済されるようにはなったが、最近はまた厚労省が再び被爆者切り捨ての方向に転換している。
・福島原発問題においても、二〇キロとか三〇キロといった避難指示区域で線引きを行おうとしており、国や東電はその被害実態にまともに向き合っていない。
二 許されない被害の線引き
この三つの事件において、国や加害企業の対応は実に共通しており、極力被害の線引きを行い、被害を矮小化することを画策する。しかし、そのことが結果的に紛争の長期化、深刻化を招くということである。
福島原発事故のいわゆる三〇K圏外問題については、拙著「三〇K圏外(区域外)避難者の切り捨てを許すな!〜原子力損害賠償紛争審査会中間指針を受けて〜」(自由法曹団通信一三九〇号)で詳述したが、中間指針においては、政府による避難等の指示等のあった区域以外の区域の被害については切り捨ての姿勢を見せていると評価せざるを得ない。また、加害企業である東電も、現在のところこの中間指針の範囲内の被害しか賠償に応じる姿勢を見せていない。いわば、政府の避難等の指示等のある区域といった被害の線引きが行われようとしている。
しかしながら、今回の未曾有の原発事故による被害は、到底三〇Kなどという狭い範囲に止まるものではない。原発事故による各種事業者や農業従事者、漁業従事者等の風評被害等は福島県内だけでなく、隣県の茨城県や栃木県等にも及んでいる。また、三〇K圏外の地域に居住していた人も、放射線による健康被害などの不安から、数万人単位の人が福島県外で現在も避難生活を送っている。その上、地域やコミュニティーの破壊や、将来発生する可能性のある健康被害のことなども考えれば、区域外であってもその被害の深刻さは計り知れないのである。
こうした多くの被害者を、政府による避難等の指示等の有無によって線引きし、切り捨てることは絶対に許されてはならない。この問題については、裁判闘争も辞さず、長期的視野に立って闘って行かなければならないであろう。
三 九月三〇日付日弁連会長声明の誤り
ところで、本年九月三〇日付で、日弁連の「東京電力福島第一、第二原子力発電所事故における避難区域外の避難者に対する損害賠償に関する会長声明」が出された。
これは、本年九月二一日に行われた原子力損害賠償紛争審査会の第一四回審査会において、区域外避難者について、四月一一日又は同月二二日までの避難と、事故後一定の期間が経過してからの避難の二つの場合を検討したことに対する日弁連の会長声明である。
この会長声明には、区域外避難者について、以下のような見解が述べられている。
・少なくとも三月あたり一・三mSv(年間五・二mSv、毎時約〇・六μSv)を超える放射線が放出された地域から避難した住民に対しては、避難費用・精神的損害について、原子力損害の範囲に含めるべきである。
・年間一mSvを超える放射線量が検出される地域から避難した者についても、少なくとも子どもとその親及び妊婦については、避難費用・精神的損害について、原子力損害の範囲に含めるべきである。
しかしながら、この会長声明は、「少なくとも」という表現を用いていることを考慮しても、日弁連自らが事実上新たな線引きを行うに等しく、重大な問題を持つものと言わざるを得ない。
果たして、「年間五mSv」を超えない地域で被害がないと言い切れるのか。放射線や低線量被曝の科学的未解明性を考えれば、到底そのようなことは断言できないはずである。また、そもそも放射線量の数値によって線引きを行うことはまったく合理性がない。というのは、同じ地域であっても、計測する場所や地表からの高さなどによって放射線量の数値はまったく異なるからである。
そして、何より問題なのは、日弁連自らが、事実上の被害の線引きをおこなってしまったことである。日弁連の線引き以下の被害を、国や東電が救済するはずはない。五mSVを超えない地域の被害について将来裁判闘争などが行われた場合、国や東電は徹底的に争い、この会長声明が乙号証として提出されることになるかも知れない。上記のように、これまでの歴史上、国や加害企業は不当な被害の線引きを行い、被害者を切り捨て、被害を矮小化することに腐心してきた。今回の声明により、日弁連がそのような被害の矮小化に加担することになりはしないか。将来様々な健康被害などが明らかになったとき、この会長声明が、被害回復の足かせになりはしないか。
以上の理由から、今回の日弁連会長声明については、速やかな再検討が必要と考える。この声明が、将来において否定的な役割を果たす可能性を、絶っておかねばならない。
〜東京高等裁判所が「思想の自由の保障との関係で限界に近い」と明言
神奈川支部 松 本 育 子
二〇一一年九月二九日午前一〇時三〇分、東京高等裁判所一〇一号法廷において、川崎市職員に対する政党機関紙購読調査違憲訴訟事件の控訴審判決が言い渡された。結論は、控訴棄却。主文言渡しの直後、弁護団席にも、朝早くから満員に埋め尽くされた傍聴席にも落胆の色が広がった。
しかし、次の瞬間、裁判長が顔を上げ、語り始めたのである。これから何が述べられるのか、法廷全体の視線が裁判長に集まっている。裁判長の口から語られたのは、本件調査の不当性を明言し、控訴人らの実質勝訴を意味する非常に重要な「付言」だった。この判決付言の内容は判決正本にも記載されているので、後に引用したいと思う。
この事件は、被控訴人川崎市の職員であった控訴人ら市職員六名(主幹、副主幹各一名、主査四名)が、川崎市が職制機構を通じて主査以上の市職員全員に対して行った政党機関紙の購読に関する調査によって思想良心の自由、プライバシー権等を侵害されたとして被控訴人に対して国家賠償法一条一項に基づく損害賠償、及び、民法七二三条に基づく謝罪広告の掲載を求めた訴訟である。上記調査は、公明党が川崎協同病院など民医連を激しく攻撃しているさなか、市議会定例会(本会議)で共産党市議会議員の行っている市職員に対する「しんぶん赤旗」購読勧誘活動に対し、公明党市議会議員がそれを取りあげ、圧力をかける勧誘であるとしてそのことを市長が承知しているかどうか問うたことに端を発するものであった。
私が、初めてこの事件の弁護団会議に参加したのは、事件が第一審の横浜地方裁判所川崎支部に係属していたときである。当時、私は、まだ司法修習生であった。川崎市という公権力が、市職員を対象として、市議会議員から特定の政党機関紙の購読勧誘を受けた際に「圧力を感じたか」といった個人の内心の動きを問い、さらに「圧力を受けて政党機関紙を購読したか」と、特定の政党機関紙の購読の有無を問うなど、個人の支持政党や政治的傾向に直結する事項について内心の表白を迫る調査が現実に行われていること自体に、まず非常に驚愕したのを昨日のことのように覚えている。のみならず、思想良心の自由の侵害を目の前にして、これを決して見過ごしてはならないという弁護団の先生方の熱い思いと議論の迫力に圧倒された。弁護士になった日には、私もこの事件の弁護団で力を尽くしたいと思った。
そして、第一審川崎支部での判決の言渡期日、弁護士になって間もない私は弁護団の一員として出廷し、言いようのない悔しさを味わった。判決理由のどこを読んでも何一つ納得がいかない。このままでは、川崎市はこの判決により司法のお墨付きをもらったと受けとめるだろう。思想良心の自由という重要な権利が守られない現状が、司法によって追認されていいのか。このままには絶対にできない。私達はこの訴訟に負けるわけにはいかない。そう思った。
弁護団は、決意をあらたに控訴審の準備に取りかかった。控訴人の皆さんもたくさんの苦労を乗り越えながら、長い間、力を合わせて本当によく頑張ってきた。控訴審に入ってからも、何度も何度も弁護団会議を重ね、議論をし、昼夜問わず机に向かって一〇〇頁を超える膨大な量の準備書面を書き、弁論期日を重ね、意見陳述をし、新たな証拠を収集、提出し、本件調査の実施に重要な役割を果たした川崎市総務局長の証人尋問も行った。考え得るあらゆる方策を尽くして闘ったと思う。
そして、迎えた東京高等裁判所での控訴審判決言渡期日、裁判長は、主文の後、「付言」として、本件調査の不当性を明言し、控訴人らの実質勝訴と言ってよい裁判所としての判断を、あえて全文朗読する方法で明確に述べたのである。川崎市が行った本件調査が違憲違法であることをはっきりとさせ、川崎市には反省を求め、二度と同様の人権侵害を繰り返させてはならない。川崎市が行った調査に司法の追認を与えてはならない。私達が長い間闘ってきた目的は、まさにこうした信念を実現することにあったと思う。私は、裁判長が述べる「付言」を聞きながら、主文の結論を受け入れがたい気持ちとともに万感の思いがこみ上げるのを感じていた。
裁判長が法廷で朗読した「付言」の内容は、次のとおりである。「本件アンケート調査の質問項目の中には思想及び良心の自由の保障との関係で限界に近い領域にあるといわざるを得ないものがあり、回収方法についても本件においては結果的に問題がなかったものの、不十分であると言わざるを得ない点が認められるほか、本件アンケート調査が実施された理由・目的と、実施に伴う問題点や実施に伴う様々な負担、得られた成果などとを比較すると、本件アンケート調査の実施がその実施方法も含めて最善の措置であったとはいい難く、実施すること自体の当否や実施するとしてもより穏当な方法について、検討が尽くされたとはいえず、適切な判断がされたとは認め難いところもあることを付言する。」
このほか、東京高等裁判所は、判決理由中の「争点に対する判断」において以下のような重要な判断を示している。
まず、本件調査の目的に関し、市議会議員選挙の約四か月前に行われた公明党議員による市議会での代表質問において、政治的な動機から出た政党機関紙の購読勧誘についての質問と阿部市長の答弁のやりとりについて、「本件調査実施に道筋を付けたもの」と推認されるとしたうえ、「阿部市長の市議会での答弁が政治的な動機を背景に持ちつつ行われたとうかがわれることは否定できない」とした。また、「調査実施前には、日本共産党川崎市議会議員団から、思想・信条の自由に抵触されることが懸念されるとして、本件調査を実施しないように求められるなど、政治的対立の様相も呈していたのであるから、市職員を巻き込むことなく市議会における論争等を通じて解決する方が適切であった」と断じた。
そして、本件調査の特定可能性については、「個人の政治的傾向等を推し量ることが可能な調査であり、回収・集計の過程でその回答内容がのぞき見られるのではないかと懸念し、不安あるいは不快の念を抱くことも、無理からぬところがある。」とした。
また、本件調査の必要性については、「本件アンケート調査の成果を見ると、結局は、本件職員向け通知文書及び本件市議会議員向けお願い文書が発出されたにすぎず、この程度の内容の文書を発出するために、本件アンケート調査の実施が不可欠であったのかとの疑問もある。」と指摘した。
さらには、裁判所は、本件調査の回収方法についても「問題がないわけではない」としたうえ、上記事情のなかで、「あえて本件アンケート調査を実施すべきか、実施するとしてもより穏当な方法が考えられないかについて、慎重な検討がされることが望ましかった」として、それにもかかわらず本件調査が実施されたことは、「阿部市長の本件答弁に示された方向性に引きずられ、批判的検討が加えられることもないままに実施に移されたものと見られ、適切な判断がされたかについては大いに疑問が残るところである。」として市職員とりわけ幹部職員は市長の「政治性」に引きずられることなく、「批判的検討」を加えて市政の実行にあたらなければならないとまで指摘した。
裁判所はここまで問題点を指摘しながら、なぜ違憲違法の判断を出せないのか、非常に悔しい気持ちでいっぱいである。しかしながら、この東京高等裁判所の言い渡した判決により、川崎市が行った本件政党機関紙購読調査は、「思想及び良心の自由の保障との関係で限界に近い領域」にあり、不当、不要な調査であることが明らかにされた。翌日には新聞各紙に一斉に報道がなされており、川崎市は、市民から本件調査の実施に対する反省を求められることになる。そして、川崎市は二度と同様の調査を行うことができないことはもとより、この訴訟を契機として、全国の地方自治体は人権侵害を引き起こさないよう、より厳格で慎重な配慮をすることが必要不可欠になろう。
私達弁護団は、二度と同様の調査によって市民の思想良心の自由やプライバシー権が侵害される事態が起こらないようにするため、できる限り多くの皆さんにこの事件の内容と東京高等裁判所判決を共有してもらいたいと考えている。今後は、原告団、弁護団、支援者らを中心として、全国で報告集会や学習会などをもち、広く一般市民の方々にもこの訴訟の経験を広めていきたい。
常任弁護団員は、岩村智文、三嶋健、根本孔衛、畑谷嘉宏、船尾徹、堀浩介、中村宏、杉本朗の各団員と私の九名。
東京支部 佐 藤 誠 一
パイロット七六名の原告団、スチュワーデス七二名の原告団が、今年一月、解雇の無効・地位の確認を求めて東京地裁に提訴した(それぞれ民事第三六部、第一一部に係属)。準備書面が出そろって九月に、各事件二期日ずつの集中証拠調べを行った。一二月に最終弁論を予定している。おそくとも来年三月には判決となるだろう。
本件最大の争点は、整理解雇四要件の中でも「解雇の必要性」にある。整理解雇を必要とするほどの経営危機にあったか、それは整理解雇によらなければ回避できなかったか、である。日本航空の「錦の御旗」は、「更生会社である」、「一度倒産した会社である」、この一点であった。しかし昨年一月の更生手続開始から昨年一二月の整理解雇に至るまで、実施された諸施策によって、日本航空の経営は立派に回復し、整理解雇を必要とする経営危機にはなかった。整理解雇しなければ会社更生が失敗(二次破綻)するような事態にはなく、解雇の必要性は微塵もなかった。証拠調べはそれを明らかにした。原告団の追求に日本航空はこの論点から逃げを打った。経営実績はどれほど回復したのか、それを攻勢的に主張・立証したのは原告団であった。
日本航空は会社更生手続下に、不採算路線からの撤退・減便、機材の小型化等のリストラ策を進め、賃金を初めとする労働条件の大幅な切り下げを実施した。その結果、JALグループは、二〇一〇年度連結営業利益で過去最高益の一八八四億円を計上した。これは、昨年一一月に認可された更生計画の、同年度目標額六四一億円の二・九倍の実績である。当期純利益も六四三一億円の計画に対し、実績は八一六一億円にも達した。更生計画の同年度の想定人件費二七五五億円についても、実績は二五四九億円となって二〇六億円も抑制を実現した。
純資産について、更生計画では二〇一〇年度末二四八億円、二〇一一年度末八二二億円、二〇一二年度末一八〇七億円を計画していたが、二〇一〇年度末には早くも約二二〇〇億円の純資産を達成した。連結自己資本比率も、すでに二〇一二年度の目標を上回っている。
更生計画では更生債権・更生担保権について七年の分割弁済を予定していたが、上記の経営状況を受けて、二〇一一年三月には、金融機関の融資と手持ち資金一四〇〇億円を使って、未弁済額三九五一億円を繰り上げ一括弁済し、更生手続は終結した。二〇一〇年度末には「生活調整手当」との名目で、全従業員対象に総額一〇〇億円となるボーナスも支給した。
他方で解雇された労働者の一年間の人件費が一四・七億円と試算されている(管財人は二〇億円程度と尋問で答えた)。
以上の財務状況を見れば、今回の整理解雇において、財務上解雇する必要性のないことは明らかであった。だからこそ財務上の解雇の必要性があったのかの論点から、日本航空は逃げざるを得ないのである。そして逃げ込んだ先は、余剰人員論であった。
前述のとおり会社再建策として、日本航空は赤字路線から撤退・減便し、また機材の小型化等してきた。その結果、乗務員の余剰が生じたのでこれを削減するため、希望退職を募りそして最後の仕上げとして本件解雇を行ったと(かつ解雇は債権者である金融機関との約束であったと)、日本航空は主張し立証を試みたのである。コスト削減のためではなく余剰人員の整理である、日本航空はこれに頑迷なほど固執した。
しかし「余剰人員」とは何か。本件は特定の工場や営業所の廃止とは違って、全社的な業務量の減少に伴うものである。余剰人員も特定の「誰か」ではなく、業務量の一割あるいは二割相当、といった割合的なものでしかない。そこでパイロットの組合、スチュワーデスの組合、ともに解雇を避ける趣旨で、ワークシェアリング…一ヶ月単位で無給の休暇をローテンションでとる…を提案した。特にスチュワーデスについては過去に「リフレッシュ休職」と称する無給休暇の運用実績がある。会社更生前の一年間で、のべ一八六〇名、一ヶ月一五〇名が応募している。その有効性は明かでないか。しかし日本航空はさして検討した痕跡もないまま、この提案を拒否した。
訴訟となって日本航空は解雇の必要性を、割合的な余剰人員の削減の問題に収斂させてきたことから、このワークシェアリングが解雇の必要性及び解雇回避努力の二つの要件の充足に絡んでクローズアップされてきている。しかし後述の稲森氏の尋問で、彼は、組合がワークシェアリングを提案していることを知らされていないと述べた。更生手続での最高の意思決定機関は、管財人団と取締役とで構成する協議体であり、稲森氏はそのメンバーであった。彼の法廷陳述は、ワークシェアリングの採否をこの協議体で検討していなかったことを示している。これは重要な事実である。
日本航空はワークシェアリングの提案を拒否する有力な論拠がない。そこで証拠調べでは、労働者自身が真にこれを受け入れるか疑問である、との論調で反論してきた。即ち組合副委員長の証人尋問で、ワークシェアリングは「賃金ダウン」を伴うが、四月から新たな賃金体系がスタートしそれによる賃金ダウンとも併せると、いっそう労働者がワークシェアリングに同意するとは理解できない、と反対尋問してきた。しかし副委員長は、「新人事賃金制度の減額幅は、我々も認識していたし、組合員も認識していた。その中で議論を重ねて休職によるワークシェアを提案している。苦しいけども仲間を守るという強い思いで提案した」「賃金はわれわれが納得して減額を受け入れればその生活は維持できる。納得のできない切り下げというのは、生活に影響する部分が大きい。われわれは仲間を守るためならばその減額を受け入れる、その苦しい部分を受け入れるという強い意志を示した。」と感動的な回答で、会社代理人の反対尋問を一蹴したのであった。
ところで人証の採否をめぐっては稲森会長の採否が一番の関心事となった。会社代理人は採用の阻止に必死であった。しかし裁判長の「労働者に責任のない整理解雇を行った会社経営者としては、やむにやまれぬ理由があったと説明する必要があるのでは」と道理ある論拠で採用となった。果たして稲森氏はこの裁判長の期待に応えたか。
稲森氏は、整理解雇は管財人が行った、管財人は整理解雇なくして更生計画の実現はない、更生計画策定に自分は関与していない、と全く「自分は解雇に関わっていない」と強調し、裁判所が期待していた「経営者の責任」を果たさなかった。
他方彼はこれまでに労働者を解雇したことがなく、「労働者の物心両面の幸福」が企業経営の最高の理念という経営者として喧伝されてきた。彼は本件解雇に難色を示していたのではないか、との推測があった。整理解雇断行の最終決定は一一月一二日であったが、稲森会長のお膝元、京都の京セラ本社に管財人団が集まって決定した。これは解雇に難色を示した稲森氏の説得のためではなかったか。そこで、「あなたは解雇に反対したのではないか」、と尋問をぶつけてみた。彼は認めなかった。しかし裁判長からの「できれば整理解雇を避けられないかとの発言はしなかったのか」の質問には、「避けられないものかとは胸の中にいっぱいつまっておりました。何とかならないかとは言いましたが、やめることはできないかとまでは言っておりません」とつい答えてしまった。続く裁判長の「何とかならないかとはどういうことを言ったのか」との質問に稲森氏は、「いや、今言ったことは訂正します」としたが、この「訂正」は既に遅かったであろう。
また彼はこの間、日本航空の「広告塔」としてマスコミの前にたびたび登場し、興味深い発言を繰り返していた。その一つに、「解雇した一六〇名を残すことが経営上不可能ではないかと言えばそうではない、というのは(新聞記者の)皆さんもおわかりだと思いますし、私もそう思います」との発言があった。尋問でこの発言の真意を問うたところ、前述の業績回復の指標となる諸々の経営実績を踏まえれば、「一六五名の人件費は年間で二〇億円くらい、その当時の収益状況からすれば、誰が考えても雇用を続けることは不可能ではないことがわかる」との趣旨であったと、解雇の必要性のないことを率直に認める証言をしたのであった。
こうして集中証拠調べは終了した。会社代表者が解雇の必要性はないと認めている整理解雇訴訟で、私たちは負けるわけにはいかない。過日の総会で、本部幹事長から「勝って当然の訴訟」、とのエールまで頂戴した。五月集会では勝利判決の報告ができるよう、いっそうの奮闘を誓って報告とします。
神奈川支部 穂 積 匡 史
一 二〇一一年八月三〇日、東京高等裁判所(前田順司裁判長)は、国鉄労働組合の組合員二名が鉄道建設・運輸施設整備支援機構に職員としての地位確認や損害賠償等を求めた「JR採用差別横浜人活訴訟」について、請求を全部棄却した一審・横浜地裁判決を変更し、一人当たり七七〇万円の損害賠償及び一九八七年二月一〇日以降の遅延損害金の支払(合計すると一人当たり約一七〇〇万円となる。)を命ずる組合員側逆転勝利の判決を言い渡しました。
二 国鉄分割民営化直前の一九八六年一一月、横浜貨車区人材活用センターに配属を命じられた国労組合員らが、同センターで管理者に暴力を振るったなどとされ、免職五名、停職七名等の懲戒処分を受けました(横浜人活事件)。本件組合員二名は、このときの停職処分を理由に、一定の停職処分歴があるものはJR採用候補者名簿に登載しないとの基準にもとづき、国鉄が作成した同名簿に登載されず、JR不採用とされました。そして国鉄清算事業団で雇用対策職員に指定された末、一九九〇年四月、同事業団を解雇され、失職しました。
しかしその後、横浜人活事件は国鉄当局の謀略的なデッチあげ事件であったことが明らかにされました。上記免職者五名のうち三名が起訴された刑事事件では、「暴力」を否定し、逆に国鉄当局側の「挑発の策謀」を認定した完全無罪判決が確定しました。さらに民事でも勝利し、免職者は清算事業団を承継した機構への職場復帰を果たしたのです。こうして、免職者が職場復帰する一方で、停職者は失職したまま放置されるという不条理が出現しました。
三 東京高裁判決は、横浜人活事件の停職処分が「国鉄が事実を捏造して作り上げた非違行為」に基づく違法無効なものであり、これを理由として採用候補者名簿不登載、JR不採用とした国鉄の行為が不法行為であると認定しました。そして、一審判決が認めた消滅時効を否定して、機構に損害賠償を命じました。この点で高裁判決は組合員らを救済するものであり、一定の評価をすることができます。
しかし高裁判決は、清算事業団による解雇が、国鉄の不法行為やその後の雇用対策職員の指定とは別個の行為であり有効として、地位確認を否定しました。また、損害賠償の範囲について、JRに採用されたならば得られたはずの逸失利益を否定し、採用可能性の侵害に対する慰謝料に限定して認めるにとどまりました。その理由は、本件組合員らは国労の役員として国労の運動を「率先して担ってきた」のであるから、横浜人活事件による停職処分がなかったとしても勤務成績を低く評価された可能性があり、採用候補者名簿に登載されたかどうかには疑問が残るというのです。
しかし、本件組合員らが採用を希望した本州のJR各社では、一定の停職処分がない限り希望者全員が採用候補者名簿に登載され、その全員がJRに採用されています。このことは国鉄側も認めており、争いのない事実でした。したがって、横浜人活事件の停職処分がなければ、本件組合員らが採用候補者名簿に登載され、JRに採用されたであろうことに疑問の余地はありません。高裁判決は事実を捻じ曲げたうえ、名簿不登載の根拠として抽象的次元で国労役員としての活動を指摘したものであり、反国労感情を剥き出しにした不当労働行為判決というほかありません。
四 「国労を潰せば総評が潰れる。総評が潰れれば社会党が潰れる。そういう狙いをもって国鉄の分割・民営化を実現した。」
当時首相であった中曽根康弘が後に述懐したこの言葉から明らかなとおり、国鉄分割民営化(一九八七年四月)は、始めから国労潰しの政治的意図に出た不当労働行為政策でした。
そのうえ、採用差別についてJRの法的責任を否定した最高裁判決(二〇〇三年一二月二二日)は、第一小法廷で三対二の僅差によるものでしたが、「多数派の中には、国労の活動自体を問題視する感覚の裁判官もいた」とされ、「組合活動の問題と、差別してはいけないということとは別だ」という立場の少数派が敗れたと言われます(朝日新書「最高裁の暗闘」二七頁)。
政治の暴走に司法がお墨付きを与え、文字どおり国家ぐるみで断行された国家的不当労働行為、それに対する異議申立てが、この採用差別訴訟だったと言えます。言い換えれば、今回の判決は、裁判所が過去の国家的不当労働行為に対する加担を反省し、人権の砦としての存在意義を取り戻す機会でした。それにもかかわらず裁判所は、再び自らの不当労働行為でもって救済を拒否しました。これは、国鉄(JR)、日本航空、東京電力・・・と不当労働行為で知られる巨大企業で人命に関わる重大事故が続く事実を併せ見たとき、組合員のみならず、日本社会にとっても、負の遺産を積み増すばかりの背信行為というほかありません。
原告団・弁護団(岩村智文団員、岡部玲子弁護士、小宮玲子弁護士、神原元団員、私ほか)は、最高裁が正義公平に適う判断を示し、機構に組合員らの雇用責任を果たさせ、企業に二度と同じ誤りを繰り返させないとの確信をもって上告審に臨みます。
引き続きのご支援をお願いいたします。
大阪支部 井 上 洋 子
一 NLGとの新しい展開
二〇一一年一〇月中旬、アメリカはフィラデルフィアでナショナルロイヤーズギルド(NLG)の総会が開かれ、菅野昭夫、鈴木亜英、近藤ちとせ、井上洋子の四名が参加した。
今回のNLG総会に関して特筆すべきは、NLGから日本に対して、NLGが企画する分科会(環境問題分科会)で報告(福島の原発問題)をしてほしいという依頼があったことである。これまでは、憲法九条の平和主義をアメリカに浸透させたいとの思いゆえに、団からNLG関係者に企画を持ち込むあるいは相談をもちかけ発言の機会を得るのが通常であったから、NLGからの働きかけというのは初めての経験である。
しかもこの度は、これまで全く面識のなかったアンドリュー・リード弁護士からの要請であった。この要請が団に届くまでに、国際法律家協会や新倉修教授のところを経てきたという迂回はあったが、NLG総会に毎年のように団員、日本人が参加していることがNLGの会員に広く認知されてきたと言ってもよいであろう。
二 団からの積極的広報活動
また、このたびは、(1)団の紹介の英文リーフレットの他に、(2)アメリカと深く関連する日本の国内問題と団の活動とを紹介した英文ニュースレター、(3)団議案書のうち地震と原発問題の部分の半分程度を英訳した冊子、を作成して配ってきた。(2)で取り上げたテーマは、TPP、米軍基地、国旗国歌の強制と処分、非正規雇用問題、取り調べの可視化、法曹養成制度(給費制)である。
NLGの国際問題委員会のレセプションでは、参加した私たちを前にならべてNLGの司会者が団の紹介をしてくれたが、その内容は正確なもので、しかも「日米の最大の問題は日本に米軍基地があることである」との司会の言及に、列席のNLGメンバーはやいやの喝采で答えてくれた。日本に対する理解が少しずつ拡がるのは本当に嬉しい。
惜しむらくは、準備したニュースレターや冊子を資料を置く机にただ置いておくのではなく、一人一人のメンバーに、これを読んでくれと言って手渡すべきであった。次回以後はもっと積極的に活用したい。
三 東日本大震災による原発問題の報告
さて、NLGの要請に応え、フクシマ原発問題を報告したのは近藤ちとせ団員である。団次長として団総会の準備などもある多忙の中、直前まで準備の時間をかけ、菅野団員の監修のもと、パワーポイントを活用し、二〇分の立派な報告を行った。参加者にとってフクシマの実態は興味津々であり、原発からの放射能漏れの現状、住民非難の状況、放射能検出の程度や広さなど、分科会の内外において質問がなされた。
この分科会では、天然ガス発掘による水質や空気の汚染問題、二酸化炭素排出量制限をかいくぐるために大企業は排出量を減らすことなく、緑地の買い占めを進めることで対応している問題などが報告されていた。
四 真の「トモダチ」作戦
アンドリュー・リード弁護士の連れあいは岐阜出身の日本人で八歳の娘さんとともにお会いする機会を得た。娘さんの通うコロラド州の田舎の小学校やコミュニティでも、みんなが日本を心配してくれて、東日本大震災の義捐金集めがなされたそうである。それぞれ四〇〇万円、五〇〇万円という大金が集まり、赤十字に寄付をしたそうだ。
私たちはそのときの資金集めのチャリティ品として「友達」と背中に筆書された紺色のTシャツ、「Hope to Japan」と印刷されたゴムのリストバンド、「がんばれ日本」と書かれた金太郎タイプのよだれかけを掛けたゴジラが、「世界が日本を応援している」と書かれた地球の上に立ち、「Let's Help Japan」と叫んでいる図柄(とってもかわいい!)の真っ赤な不織布のカバンとをいただいた。
こうした暖かい気持ちと行動を聞いて、胸が熱くなり、目がうるうるしてくるだけでなく、その金額の多さに驚愕する。
私は、この感動と感謝の気持ちを忘れたくないので、ゴジラ赤カバンをずっと机の脇にかけておくことにした。
五 アメリカ社会の変化・・・希望の小さな灯火
フィラデルフィアでも市庁舎前で占拠運動がなされていた。小テントが並び、ひげの伸びた男性があちこちにいて、汗のにおいが鼻につく。本日四時にデモ開始するから集まれと段ボールにマジック書きがしてある。視覚的嗅覚的には私の事務所の膝もとの大阪市西成区に似ているのであった。
アンドリュー・リード弁護士によれば、占拠運動にはリーダーがいないが、非暴力を貫いていて、大統領選挙でオバマを応援した若者がオバマへの失望とともに直接行動に出ているということだ。
またフィラデルフィア大学で客員研究中の小竹聡先生(憲法)とお会いする機会を得たが、キャンパスではかつての主流であった保守系学生組織(一九八二年設立FS)はなりを潜め、二〇〇一年に設立されたリベラル系学生組織(ACS)が主流となっているとのことであった。今の動きがさらに一〇年後にはリベラルな思想の拡がりとして良い影響を及ぼすだろうと説明して下さった。
ピーター・アーリンダーの連れあいの薄井雅子さんからは、オバマが政権をとって共和党支配に反発するエネルギーの行き場がなくなり、一方イラク戦争で死んだ青年たちがヒーローとして扱われその数が増えるに従い、イラク派兵反対運動がしにくくなっていると聞いた。
いずれにしてもオバマの「チェンジ」が中途半端であることへの失望や影響は如実に出ているが、かといってティーパーティーの共和党が優勢という感じでもないようである。大な期待はできなくても、変化の兆しは確実にあるようである。
六 NLGとの二〇年とこれから
菅野昭夫団員が、一九九一年にアーサー・キノイに会い、「試練に立つ権利」(日本評論社)を翻訳出版してから、今年で二〇年が経過した。この間、菅野団員と鈴木亜英団員が中心となって、毎年のようにNLG総会に参加し、あいさつをし、日本の現状を訴えることによって、交流の基礎が築かれ、「継続は力」となって関係が発展してきた。脱帽以外の何ものでもない。
この尽力を無駄にしないためにも、団九〇周年そしてNLG交流二〇周年にあたり、私はこれまでの二〇年間の活動のあゆみを振り返り、まとめて、今後の活動の指針としたいと思っている。
神奈川支部 近 藤 ち と せ
一 NLG総会参加のきっかけ
今年の夏頃、国際問題員会の委員会の席で、鈴木亜英団員、井上洋子団員から、「今年はNLG総会へ行く?」と軽くお誘いを受けました。私は、NLGと団の交流について多くは知りませんでした。しかし、NLGの活動に興味があったことと、昨年春にルワンダで逮捕されて、団でも釈放運動に力を入れてきたNLG元議長ピーター・アーリンダーさんにも再会できるかもしれないという軽い気持ちから、「行きたいです」と即答していました。
総会へ行くことを決めた当時、私の計画は、「一週間ほどアメリカで交流してこよう」という安易なものでした。しかし、その後、NLGのアンドリュー・レイド氏から連絡があり、「誰かワークショップでプレゼンテーションをしてほしい」「ワークショップは環境やエネルギー問題をとりあげるので、震災後の福島の現状と団の活動などについて報告してほしい」と言われました。それでも、私は、これまでNLGとの交流を深めてこられた菅野昭夫団員、鈴木団員、井上団員も参加されるのだし、自分は末席にいればよいだろうと思っておりました。ところがふたを開けてみると、そのプレゼンテーションは、私が担当することとなりました。このときからNLG総会への参加は、にわかに大きな課題へと変化しました。
二 NLG総会ワークショップでの報告
プレゼンテーションで、もっとも伝えたいと思ったことは、福島第一原発の事故がどれだけの精神的苦痛と、損害を福島県民や近県の住民に与え続けているかということでした。私自身は、福島県民ではありませんし、皆さんが受けている精神的苦痛や恐怖を完全に理解できる訳ではありません。しかし、震災と原発事故の後、福島へは数回足を運び、また、福島の住民や団員からのお話も聞いていましたので、私が知り得た状況をなるべく生々しく伝えたいと思いました。そうすることで、原発は選択肢たりえないことを心に刻んでほしいと思ったのです。
プレゼンテーションでは、菅野先生からいただいたデータや新聞記事、団の議案書の二章、三章の記述内容などをもとにパワーポイントを作り、発表しました。パワーポイントを作ったのは、プレゼンテーションを格好良くするためではなく、足りない英語力を画像で補うためでしたが、やはり画像を持って行ったことで補われた部分は大きかったように思いました。
ワークショップに参加した人々からは「そんなに酷いとは思わなかった」「日本ではまだ放射能漏れが続いているということなの?」「アメリカでは震災当初こそは報道があったけど、その後は報道が少ないよ」等という感想を聞きました。
三 フィラデルフィアやニューヨークで見たアメリカの変化
NLGでのワークショップや、インターナショナルレセプションへの参加の前後に、フィラデルフィアの町を歩きました。何といっても目をひいたのは、「OCCUPY PHILY(フィラデルフィアを占拠する)」でした。フィラデルフィア市庁舎の前の広場に、「一パーセントだけの富裕層が利益を独占している」「自分たちこそが九九パーセントだ」等の張り紙やプラカードが貼られ、一〇〇以上の簡易なテントが埋め尽くしていました。
また、私はフィラデルフィアでのNLG総会の後、一人でニューヨークへも寄ったのですが、マンハッタンでも、「OCCUPY MANHATTAN」に触れました。
広場を歩き回り、参加者の様子を見たり、話を聞いたりすると、参加者は若者が多く、フェイスブックなどでの情報を見て集まっていること、運動は、広場を占拠するだけではなく、朝には参加者の会議があり、その日や今後のスケジュールなどを決めて行動していることなどが分かりました。朝の会議では、「非暴力に徹すること」、「広場は(占拠しても)汚さない」、「周りの人々に迷惑をかけないようにしよう」などの話し合いがなされ、注意書等も配布されていました。また、毎日のスケジュールは、デモだけではなく、あるべき経済の仕組みやアメリカのこれまでの労働運動の歴史などを学ぶなど、セミナーのようなものまでも含まれていました。アメリカの普通の若者たちが、社会の矛盾を感じ、熱い闘志をもって社会を変えたいと思っていること、その方法として冷静に、世論を動かすような運動を立ち上げようとしていることが感じられ、興奮しました。
四 ちょっと寄り道
と、ここまでは、まじめなご報告ですが、実は、今回のアメリカ渡航、NLGの総会の出席には、ちょっとした(?)寄り道がありました。
鈴木団員、井上団員(曝露してしまってごめんなさい)と私は、せっかくアメリカまで行くのだから、総会の前か後に、少しだけ寄り道をしようということになり、アリゾナ州のツーソンに立ち寄ったのです。ツーソンは、以前にNLG総会が開催されたこともあり、自然が美しい土地ということで、昆虫類が無類にお好きな鈴木団員のお墨付きもありました。ツーソンでの珍道中は、書き始めると長い話になりますが、一つだけ紹介すると、ツーソンの砂漠で、私は初めて自然の過酷さを体験しました。三〇度を超す猛暑の砂漠を四時間ほどさまよった後、木陰に座り込もうとして、おしりにサボテンの棘が大量に突き刺さったのです。このサボテンの痛みは、NLG総会での思い出、フィラデルフィアやニューヨークで見た状況と共に、私の心に強く残りました。寄り道はほどほどにと教訓と共に。
広島支部 井 上 正 信
一 ヤマサクラ演習というものがある。陸上自衛隊と米陸軍第一軍団との指揮所演習(CPX)のことだ。日本と米国で一年交代で実施しているが、日本では通常一月から二月頃行われている。日本での演習は、陸自の各方面総監が順番に実施しているとのこと。
日米共同演習は、どのようなシナリオでどのような演習を行っているのか、詳細はほとんど窺い知れない。まして、演習の具体的な作戦見積もり報告書、作戦計画図、部隊の運用計画などは絶対に外部には出せない秘密事項である。
二 ところが、今年八月三〇日の赤旗新聞の中で、演習の作戦図付きで「日米共同演習シナリオ判明 日本侵略と島しょ対応を想定」との記事に目がとまった。なんと、来年実施予定のヤマサクラ演習(YS61)についての膨大な作戦関係文書を赤旗記者が入手したというのだ。記事を書いた佐藤つよし氏が偶然入手したとのことであるが、記事によると、米国防総省と外部の機関、個人の間で情報交換・共有を目的にした情報ネットワーク「APAN」で公表されたというのである。私も事務所に出て、すぐにAPANホームページで探してみたが、見つけることができなかった。そこで、東京新聞の半田滋記者に、この情報をご存じか聞いてみたが、半田記者もご存じなかった。彼も興味を持ち、防衛省へ取材してみるとのことだった。佐藤つよし記者へも電話して尋ねてみた。そうするといろんなことが分かってきた。彼は、偶然APANのホームページで、誰でも見られるコーナー(ID、パスワード不要)で発見したそうだ。半田記者の話では、APANは陸幕幹部も利用しているとのことだが、極めて閉鎖的なネットワークで、佐藤記者もかつて会員になろうと登録しようとしたが、拒否されたそうである。この文書は一般には出ないものだが、過って出てしまったようで、現在(赤旗新聞記事が掲載された八月三〇日のこと)削除されているとのことだった。道理で、私がアクセスしたときには既に削除されていたので見つけられなかったのだ。推測だが、赤旗新聞に掲載されたのを見た陸幕が、APANに直ちに削除を要求したからであろう。
三 半田記者の話では、赤旗新聞に掲載された作戦図面は、大陸からの三個機械化師団が日本本土に侵攻するもので、陸幕の説明では、敵勢力は旧ソ連軍の戦力を想定しているとのこと。最大の戦力を想定しないと演習にならないからだそうだ。ヤマサクラ演習は年度により担当する陸自方面総監が異なるので、演習の想定も異なり、今回は中部方面総監が担当なので、中国・近畿・北陸方面での戦闘を想定しているとのこと。
四 憲法九条改正問題を安保防衛政策面から追究している立場から、ぜひ活用したいと思い、佐藤つよし記者にデーターをもらえないか頼んでみた。佐藤記者は快諾してくれた。八〇〇MGのデーターが入ったCDが届いたのはそれから間なしのことであった。そこで佐藤記者の了解を得て、半田記者と水島朝穂教授へもコピーして送った。
五 文書はほとんどが英文であるが、日本語の作戦見積書があったのでこれを読んでみたが、これだけでも本文四二枚、参考資料八枚というものだ。
敵侵攻軍は、主力二個師団が米子や出雲方面へ着上陸し、隠岐島を占領し、下関を確保し、富山平野には弾道ミサイル攻撃や特殊部隊が侵入し、金沢方面にも一個師団の敵部隊が着上陸するという想定のようである。敵侵攻部隊の目標が大阪占領である。二方向から大阪を挟撃しようという作戦であろう。敵主力部隊二個師団は米子など山陰から中国道沿いに津山盆地やその付近へ侵攻し、一個機械化師団は岡山平野へ進出し、これらが播州平野へ出て大阪へ侵攻しようとする。金沢方面へ着上陸した敵一個師団は、湖東平野へ進出し、大阪へ侵攻しようとする。
迎え撃つ自衛隊、米軍は津山盆地で阻止ラインを引くが、津山盆地は狭いので、播州平野が師団規模による主戦場になるようだ。自衛隊米軍の背後に、敵空挺部隊が降下して、背部からの攻撃や、舞鶴方面へ上陸した敵部隊による、日米両軍の側面攻撃などを想定している。戦況推移予想図によると、敵侵攻部隊の着上陸から一一日目で戦闘に勝利している。敵侵攻部隊主力は機械化師団であるから、日本の本土での戦車部隊や砲兵部隊などによる大規模な地上戦闘を想定した演習といえる。
作戦見積(各行動方針の比較)という文書には、国民への影響という欄があり、島根・鳥取・岡山・兵庫の一部(行動方針―これは部隊の作戦行動方針のこと―によっては、島根・鳥取・岡山)が戦場と書かれている。播州平野が広いといっても、無人の荒野が広がっているのではない、都市があり、住宅・商業地域や工業地帯があり、農地がある。ここが大規模な戦場となるのである。知らない間に、このような想定をされた島根、鳥取、岡山、兵庫の県民は、これを知ればどう思うのであろうか。本州の南半分が戦闘地域に含まれるのであるから、国民保護法による住民避難は不可能であろう。YS61では、私が読んだ範囲では、住民の避難計画は考慮されていない。住民を巻きこんだ沖縄地上戦の再来であろうか。
六 私はこれらの文書に目を通して、本当に馬鹿げたウォーゲームだと思った。日本本土へ数個師団の陸上部隊を上陸させるなど、冷戦時代にも想定していなかったものである。現在このような戦力を持っている国は周辺諸国にはない。これだけの地上兵力を着上陸させようとすれば、大変な規模の海上、航空兵力の援護が不可欠である。
そもそも、昨年策定された防衛計画大綱の防衛政策では、日本に対する本格的武力侵攻は想定されていないはずである。何を目的にしてこのような想定での指揮所演習を行ったのか理解しがたい。陸上自衛隊の部隊運用能力を高めるといっても、そもそも我が国の防衛政策はこのような戦闘を想定していないのであるから、全くの無駄という外はない。
この文書をご覧になった水島朝穂教授のコメントは、アリバイ的というものだった。陸上自衛隊の存在意義を示すためのアリバイということであろうが、私も同感である。しかし、このような絵空事の作戦想定でアリバイ工作をしなければならない陸上自衛隊の存在意義とは何か、はたと考えざるを得ない。
七 実は水島朝穂教授が「アリバイ的」とコメントされたことには、その伏線があった。陸上自衛隊第七師団(北海道東千歳駐屯地)による「共同転地演習」が矢臼別演習場で、今年八月三一日から九月九日まで行われた。陸自第七師団は自衛隊で唯一戦車主体の師団(いわゆる機甲師団)であり、九〇式戦車が配備されている。この転地訓練では、戦車一〇〇両を四二〇キロ離れた戦場へ移送する訓練を行った。動的防衛力構想の下で、大規模な戦車部隊を長距離機動させる訓練なのである。
この演習を報じた九月七日北海道新聞の記事で、水島朝穂教授のコメントが出ており、その内容が「転地演習は、歴史的役割を終えた第七師団を維持するためのデモンストレーションではないか」というものである。新防衛計画大綱が打ち出した動的防衛力構想では、基盤的防衛力が排斥された。重厚長大な部隊を日本全土にまんべんなく配備し、それが維持する戦力が存在するだけの抑止力だと批判された基盤的防衛力構想の最も象徴的な戦力が、第七師団の九〇式戦車部隊なのである。動的抑止力構想では、もはや九〇式戦車部隊は無用の長物のはず。そこで今や「流行語」となった(?)「動的防衛力」にかこつけて、第七師団の存在意義をアリバイ的に示そうとしたということであろう。
YS61をアリバイ的と言われたのは、歴史的役割を終えた陸自を維持するためのデモンストレーションということであろう。もはや日本に対する本格的武力侵攻を想定しない防衛政策であるから、私たちは大幅な軍縮を求める声を強めなければならないであろう。その上で、東日本大震災の時のように、自衛隊の災害救助の能力をもっと強め、その装備を充実することのほうが、もっと国民の役に立つ自衛隊になるであろう。軍隊である自衛隊から、災害救助部隊へとその位置づけ、性格を転換させるのだ。
この転地訓練について第七師団長は、「動的防衛力を体現するのが第七師団。」と述べたと記事に書いてあった。これなどジョークの類だ。
八 このような馬鹿げたウォーゲームで存在意義を確認しなければならないのであれば、自衛隊合憲論、違憲論にかかわらず、この軍縮論は賛成していただけるのではないだろうか。前述した第七師団長は、この転地訓練について「厳しい訓練を積むことで災害時の対応でも機敏に動くことが可能になり、他国に対しては抑止力になる。」と話したと、北海道新聞記事が伝えている。災害時に九〇式戦車が必要になることはないし、九〇式戦車の長距離機動が必要になる事態と、大規模自然災害とはまるで異なるものであるから、この訓練が災害時の訓練になるはずもない。この転地訓練が災害時に役立つとの発言は、見方を変えれば、「お為ごかし」で、三・一一の被災者を愚弄するようなものだ。もはや我が国の防衛政策が、日本に対する本格的武力侵攻を想定していないのであるから、他国のこのような侵攻を想定した抑止力などは不要である。
この原稿は、NPJ通信の私の連載コーナー「憲法九条と日本の安全を考える」に、一〇月二四日掲載されたものの転載です。NPJ通信を是非ご覧下さい。役立つ情報や論評が満載です(http://www.news-pj.net/)。
衆院比例定数削減阻止対策本部
一〇月一九日から衆議院の選挙制度に関する各党協議会が始まりました。各党協議会の開始によって衆院比例定数削減をめぐる情勢はたいへん切迫した局面に入ったといわざるを得ません。民主党や自民党は、協議会で一票の格差を是正しようと呼びかけていますが、実際には各党を選挙制度を議論する協議に引き込み、定数削減に向けた地ならしをしようと目論んでいるのです。民主党及び自民党の各党協議会設置の真のねらいは、比例定数の大幅な削減を行い、民意を切り捨てることにあります。
国民は、民主党や自民党が、震災でも原発問題でも雇用や暮らしの問題でも国民の立場に寄り添った政策を何ら実行することができないことに大きな怒りをもっており、政治不信はこれまでになく高まっています。「身を削る」という言葉が多くの国民に受け入れられる根底には悪政と政治の劣化に対する国民の怒りと不信があります。しかし、こうした悪政と政治の劣化を生み出した最大の原因は小選挙区制にあります。小選挙区制では、議席に結びつかない死票が過半数を超え、第一党が四割台の得票で六割、七割の議席を占有できることから、民意が歪められ、民意とかけ離れた悪政が押し進められ、政治の劣化が生み出されてきました。九四年に小選挙区制の導入を主導した細川元首相や河野前衆院議長が「失敗だった」と認めているように、今や小選挙区制の弊害は明らかです。比例定数が削減された場合、小選挙区制の比重が相対的に高まり、ますます小選挙区制の弊害が大きくなります。主権者である国民の多様な声を国会に反映し、民意が反映した政治を実現するためには、比例定数の削減を許してはならず、民意を正確に反映できる選挙制度に抜本的に改めることが必要です。
今、国会の情勢は緊迫しています。民意を反映する国会を実現するか、あるいは、比例を削減し、民意切り捨ての構造改革推進・改憲路線の推進を許すのか、大切な分岐点にあります。比例削減を阻止し、民意を反映する国会を実現するために全団でとりくみを急速に強める必要があります。
一〇月二二日の団総会での提起を受け、衆院比例定数削減阻止のための全国活動者会議を開催することとしました。全国各地から多くの団員の皆様の参加を呼びかけます。ぜひ、衆院比例定数削減阻止・全国活動者会議にお集まりください。
日 時 二〇一一年一一月二七日(日)午後一時〜五時
場 所 自由法曹団本部
労 働 問 題 委 員 会
大量解雇阻止対策本部
第一七九臨時国会が一〇月二〇日に開会しました。会期は一二月九日までの五一日間です。政府が二〇一〇年四月六日に労働者派遣法改正案を国会に提出して以来、既に一年六か月が経過しています。国会では、当初、改正審議が二〜三度なされましたが、最近は何ら審議をすることもなく政府案の継続審議が繰り返されています。
今、臨時国会で早急に審議入りさせ、「登録型派遣・製造業派遣の全面禁止、違法派遣等の場合は派遣先企業と直接・無期労働契約の成立、派遣労働者の派遣先労働者との均等待遇」などの労働者派遣法の抜本改正を早期に実現することが重要です。
派遣切りとたたかう裁判闘争では、パナソニックPDP事件最高裁判決に続いて、パナソニック若狭事件福井地裁判決、日本トムソン事件大阪高裁判決など、派遣先との黙示の労働契約の成立も損害賠償責任も否定する判決が相次いでいます。このような状況を打開し、派遣切り・期間切り裁判の勝利の道筋を確立したいと思います。
労働者派遣法の早期抜本改正と派遣切り・期間切り裁判の勝利のため、一一・一六院内集会を是非とも成功させたいと思います。全国から多数参加下さい。
労働者派遣法の早期抜本改正と派遣切り・期間切り裁判の勝利をめざす一一・一六院内集会
○日 時:二〇一一年一一月一六日(水)午後一時〜五時(午後三時頃から国会議員要請を行います)
○場 所:衆議院第一議員会館第一会議室(地下一階)
○内 容:(1)労働者派遣法改正問題をめぐる国会情勢報告
(2)派遣切り・期間切り裁判闘争の現状と勝利の展望
(3)派遣切り・期間切り裁判の原告の訴え
(4)各地・各団体の取組の報告
(5)その他
○主 催:自由法曹団・全労連・労働法制中央連絡会
東京支部 前 川 雄 司
「最新 くらしの法律相談ハンドブック」が刊行されました。
私としては、日頃、法律相談でお世話になっている議員や候補者、団体などの役員や地域の世話役の人たちに届けたいと思っています。その方々の活動に役立てば何よりですし、法律相談活動を一層広げることにもつなげたいからです。
法律相談で一番残念に思うことは手遅れのケースです。もっと早く相談してくれれば何とかなったかもしれないのにというのは誠に残念です。人々がもっと早く適切な法律相談を受けられるようにするための一助として、このハンドブックを少しでも多くの人に活用していただきたいと思っています。
このハンドブックは「災害をめぐる問題」から始まっています。ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう団員の執筆になるこの本が広がることを期待します。