<<目次へ 団通信1402号(12月21日)
大阪支部 杉 島 幸 生
一 はじめに
TPPが農業の問題にとどまらない国民生活全般に関わるものであることは、鈴木宣弘教授の五月集会記念講演で団内に周知されるところとなった。しかし、それが弁護士業務、とりわけ弁護士自治にどのような影響を与えるものであるかということは必ずしも明らかではない。現在行われているTPP協議は、先行するチリ、シンガポール、ニュージーランド、ブルネイ(P4)が既に締結しているオリジナルTPPへの参加という形式でなされている。そこで本稿では既にあるオリジナルTPPの関連章を読みながら、この問題について考えてみたい。もちろんTPPの専門家などではなく、国際貿易の実務についてもまったくの素人である私の「読み方」が正しいものであるのかということについては必ずしも自信があるわけではない。しかし、誰かがやらねばということで、力不足を承知のうえで挑戦しようと思う。
二 オリジナルTPP一二章(サービス貿易)はなにを定めているのか。
オリジナルTPP第一二章は、サービス貿易(加盟国人、加盟国企業からのサービスの提供)について定め、適用対象外(金融サービス、政府サービス、航空関連サービス)とはなっていないあらゆるサービス提供について適用されることとなっている(三条一項、二項)。
同章が適用されれば、まず当該サービスについて全ての加盟国人・企業を国内人・企業と同様に取り扱うべきことが義務づけられる(四条)。そして、それは「合理的で客観的且つ公平な方法で施行される」(一〇条)ものでなくてはならない。
また、締結国は、加盟国の人・企業が提供しようとするサービスについて量的な規制をすることができず(六条)、国内に事務所を設置することや居住を義務づけることもできない(七条)。
もちろん専門的な技術・知識を有するサービスについて「質の確保」の観点から一定の基準を設けることは可能である(一一条)。それは締結国内において加盟国のサービス提供者に一定の資格の取得を求める方法(同一項)や、加盟国における資格を締結国における資格として認める方法(同二項)で行われる。しかし、それは「サービス貿易に対する偽装した制限となるような態様」であってはならない(同四項)。
このとき締結国は、右の基準を定めるにあたり「関連団体」と協議して「基準を策定する」か、「勧告を行う」ことを求められ、TPP理事会の審査を受けなければならない(同章付属文書B)。
三 TPP一二章が適用されれば、弁護士資格はどうなるのか。
法律実務(リーガルサービス)は、同章三条二項に定める例外化の対象とはなってはいない。従って、法律事務の提供は同章の適用対象となり、加盟国の弁護士が日本国内において法律業務を取り扱ったり、法律事務所を設置することが同章により規律されることとなる。
(1)外国法事務弁護士について
現在、外国法事務弁護士となるためには、外国弁護士資格・三年以上の実務経験が必要とされ、単位弁護士会を通じ日弁連に登録しなければならない。
また、外国法事務弁護士は、日本国内に法律事務所を設置し、年間一八〇日以上滞在していなければならない。外国法事務弁護士は、日本弁護士を雇用することはできるが、雇用する日本弁護士が行う日本法事務に介入することは禁じられ、外国法事務弁護士法人を設立しない限り、複数事務所を設置することはできない。では、これがTPP締結でどう変わって行くのであろうか。
まず日本国内での事務所の設置や滞在を義務づけることは、TPP違反(七条違反)となり許されず、資産制限も同様である(六条)。最近、外国法事務弁護士事務所の撤退が進んでいるようであるが、その理由の大半は事務所経費が割高で日本事務所を設置する経済的メリットがないということのようだ。しかし、日本国内に事務所を設置する必要もなく、必要なときにだけ日本に来て外国法事務を取り扱えばいい、資産要件も不要となれば、とりあえず外国法事務弁護士としての登録をしておこうかという者が増えていくことが予想される。
また日本国内に事務所を設置することも、日本国内に滞在する必要もないとなれば、単位会への登録ということも考えられず、日弁連だけに登録ということなる。そうなれば日弁連は単なる登録機関になりさがり、外国法事務弁護士に対する統制はできない虞がある。また、事務所に関する届けという概念もないのであるから、逆に複数事務所を設置することも事実上可能となりそうだ。さらに外国法事務弁護士が雇用する日本弁護士が取り扱う日本法事務への介入を禁止することも、日本弁護士について質の確保がなされていることが前提である以上、質の確保とは無関係な「偽装した制限」(一〇条四項)に該当すると言われかねない。そうなれば外国法事務弁護士が雇用した日本弁護士を通じて事実上日本法事務を取り扱うことを防止することはできそうもない。こうなれば日弁連は、外国法事務弁護士をどうやって統制するのだろうか。
(2)日本国法事務取扱について
外国弁護士に日本法事務を取り扱う資格を与える方法としては、(1)日本人と同様の手続(法科大学院→司法試験→司法修習)を求める方法(一一条四項)と、(2)一定の要件(共通資格)を有する外国弁護士に、日本語や日本法についての知識を有していることを確認するための司法試験とは別枠の試験を課する方法が考えられる(一一条一項、付属文書B)。
(1)の方法をとること自体は、内国民待遇(四条)として許容される。しかし、そうなれば司法試験自体がTPPルールに照らして「合理的、客観的かつ公平な基準」(一〇条一項)であり、かつ量的規制を行うことが禁止されることとなる(六条)。現在法曹養成では合格者数について激しい議論が交わされている。しかし、これはまさにサービス提供者の量的な規制であり、TPPルール上は許されない。従って司法試験は限りなく資格試験化(例えば、事前に一定の合格点を設定し、それを超えた者は全員合格とするなど)していくこととならざるをえない。
(2)の方法をとれば、まず相互承認すべき資格の共通基準をどう定めるのかが問題となる。このとき日弁連は、「関連団体」として政府と協議し、「基準を策定する」か「勧告を行う」ことが求められる。しかし、これはTPP理事会の審査を受けるのであるから、あくまでTPPルールに従ったものでなくてはならない。そうなればロースクール制度がある国で数年の弁護士実務の経験があれば、弁護士としての能力そのものについては日本弁護士同等と認めざるをえないのではないだろうか。それに加え日本語や日本法に関する知識を確認するための試験を設けることは許されるであろうが、その判断基準を高度なものにすることは、「偽装した制限」に該当すると言われかねない。こうなると、実務経験があるアメリカ弁護士が、日本法と日本語の知識があるとなれば、日本法事務を取り扱うことを否定することは難しいのではないだろうか。そして、日本弁護士資格を認められた弁護士が日本国内で活動するに際して、事務所の設置を義務づけることや、滞在要件を課することはできない(七条)。
(3)弁護士自治が危ない。
こうした事態となれば、弁護士資格を有する者が国内外に大量に発生することが予想され、それに対する日弁連の統制は有名無実化することは避けられないのではないだろうか。それどころか日弁連への強制加入自体が「過度の制限」(一〇条)として排斥されることにもなりかねない。また日弁連への強制加入が許されるとしても、外国弁護士と日本弁護士を同等に扱うという要請からすれば、彼らの日弁連総会への出席権、投票権を否定することはできないはずである。大量に存在する外国弁護士が、外国から日弁連の総会や選挙に参加することができることになれば、日弁連の変質は避けられないのではないだろうか。
私たちは、弁護法一条の精神や弁護士自治の存在に強い誇りを感じている。
しかし、それは歴史のいたずらもあって生まれた特殊日本的な制度である。日本における弁護士の質の確保のために弁護士自治が不可欠な制度であるとの証明に成功しなければ、サービス貿易という経済活動を目的として登場するTPP弁護士の目には、弁護士自治は参入障壁としか写らないのではないだろうか(ちなみに修習生に対する給費貸与制の導入は、弁護士という存在の日本社会における特殊性を否定する絶好の材料である)。私は、TPPへの参加は、弁護士自治を危うくするものであると思わずにはおられない。
四 TPPルールから逃れることはできない。
TPP加盟国は、加盟国間のサービス貿易の自由化について三年毎の協議を義務づけられる(九条)。例外化リストに載っていない事項はいつ協議の対象とされるかわからず、そのときに協議を拒否することはできない。また、加盟国は他の加盟国の措置について不服があれば、いつでも個別に協議を行うことを申し入れることができ(紛争解決―第一五章四条一項)、加盟国間において協議が整わなければ、加盟国は問題の解決を国際仲裁裁判所に持ち込むことができ(第一五章八条一項)、加盟国は国際仲裁裁判所の最終決定に法的に拘束される(第一五章八条二項)。そして、これに不服を申し立てることは許されていない(第一五章一三条一項)。
五 日弁連執行部は事態の深刻さに気がついていない。
TPPに参加することは、私たちの弁護士業務や弁護士自治にも重大な影響を与える。日本政府がなにを言おうと、日弁連がどう騒ごうが、国際仲裁裁判所の裁定がなされれば、私たちはそれに従わざるをえず、それに逆らうには国際的な報復を覚悟しなければならない。私たちは決してTPPルールから免れることはできない。ところが、私の知る限り日弁連がこの問題についてなにか発言をしたということはないようである。日本医師会や農協があれほど騒いでいるのは、TPPの危険性があまりに大きすぎるからだ。どうやら日弁連執行部は事態の深刻さに気がついていないのかもしれない。野田首相は、TPP参加に向けての協議を開始することを宣言している。日弁連が沈黙したまま事態を推移させてしまっていいのだろうか。私たちがTPPにいかなる姿勢で臨むべきであるのか。それを議論する時間は、もうそれほど残されてはない。
福島支部 広 田 次 男
一 はじめに
この原稿が掲載される頃には、三・一一から九ヶ月を経ていると思われる。
九ヶ月の間、被害の実体に目を注ぎ、被害弁護団を結成し被害者の組織化に集中してきた。
しかし、我弁護団のこれまでの活動は、膨大な被害者の広大な被害のわずかな一端を捉えているのみで、怒りの本流は未だ噴出する事なく、被害者の胸のなかにわだかまっているのが現状である。
この現状の表れとして、繰り返し行われた様々な弁護士団体による相談会の不振が指摘できる。
事故直後の混乱期については不明であるが、大半の相談会は、相談者が少なく弁護士の数の方が多い例も少なからずあったと聞いている。
福島県弁護士会いわき支部は、一一月例会に於いて、「関弁連からのA町仮設住宅に於る相談弁護士派遣支援」を辞退する事とした。
理由は過去三ヶ月に於ける、相談者数が少なすぎる事にある。
私も(日時、場所にもよるが)被害者が相談所に足を向けてくれない状況を何度か経験し、現在も同様な状況が続いている。
被害者との対話を重ねるなかで、その原因を考えてみた。
二 東電への幻想
「これだけの大事故を起こしたのだから、東電は必ず充分な補償をしてくれる」との期待を大半の避難民は思い込んでいる。ないし思い込もうとしている。
「だから、わざわざ弁護士に相談する事もない」との結論に結びつく。
その前提には、福島県浜通り地域に於る弁護士過疎、弁護士との接触の機会が少なく、弁護士に依頼すると幾ら取られるか分からないとのイメージが存在する。
しかし、東電への期待を語る避難民の大半は、その期待が儚いものだと知りながら、正にワラにもすがる思いで居る。
しかし、この期待が時間と共に崩壊する事は目に見えている。
報道によれば、第一原発から二〇km圏内警戒区域の住民のうちの三割は旧住所に、「戻りたくない」と考えているとされる。
残り七割の住民も積極的に、「戻りたい」と考えている人は少なく、大半は、「仕事がないから戻りたい」「戻ればなんとか食えるだろう」という思いである。
だから、補償が支払われて生活が成り立てば、「戻りたくない」との結論に至る事は明らかである。
これに対し東電は、あくまでも一時的な避難による営業損害+慰謝料のみの支払いとの基本姿勢を崩していない。(財物損害と将来に亘る損害の支払い拒否)
即ち、国と一体となっての、「年末までの冷温停止、第二ステップの達成」「来春までの除染の徹底」とのプログラムのなかで、「だから来春には帰宅できるのだから」損害は一時的避難による営業損害と慰謝料のみの支払いという、論理である。
この論理は、「戻りたくない人」と「戻りたくないとの結論に至る人」の求める完全賠償と矛盾対立する事は明らかである。
期待の崩壊が目に見える由縁である。
しかし、期待の崩壊は無力感と絶望感に繋がるだろうから、崩壊を何もしないで待っている訳にはいかない。
三 弁護団の損害論が確立されていない。
福島原発被害弁護団は一〇月一六日に結成されたが、その損害論の確立が未だに出来ていない。
即ち、東電のやり方には不満だが、弁護団に依頼したならば、「幾ら請求を立てられるのか」が不明なのである。
従って、弁護団の、「事前に一万、取得した金の一割」との費用基準も高いのか、低いのかの判断も出来ないのである。
だから、弁護士に相談しても「金だけ取られてラチはあかない」との結論に結びつく。
損害論の確立は難しい、東電の賠償基準は納税申告を前提とした黒字分の支払である。
何度も強調するように、福島原発被害は全地域の崩壊であり、全人格の否定に外ならない。
その損害賠償に際しては、「故郷の喪失」ないし「人生のやり直し」が充分に考慮されなければならない。
東電の言うようなソロバン勘定だけでは決してないし、従来の損害論では捉えきれない要素が存在する。
四 展望
当面の課題は、「東電への幻想を打破して、弁護団の具体的な賠償基準を確立する事」である事と思う。
弁護団としては、早急な損害論の確立に全力を尽くすと共に、広大な避難民に寄り添いながら、その組織化を続ける決意である。
楢葉、双葉、浪江などの各町の住民による、完全賠償を求める運動が次々と発足している。
働き手は、幾らあっても足りない。
多数の団員の参加を心から訴える次第である。
二〇一一年一一月三〇日
大阪支部 西 晃
はじめに―(大阪地裁不当判決下す)
去る一二月七日、大阪地方裁判所第一七民事部(黒野功久裁判長、浦上篤史裁判官、山下真吾裁判官)は、一九四五年三月の大阪大空襲など五つの本土空襲(大阪・兵庫・鹿児島・宮崎・静岡)で被災した二三名の原告が、国に対し国家賠償と謝罪を求めていた大阪空襲訴訟につき、原告らの請求を全て棄却するという不当判決を下しました。以下この判決の概要・問題点と今後の課題について述べます。
一 大阪地裁判決のポイントと評価
地裁判決は、立法不作為の違憲性に関する原告の主張を全て否定しました。その判決論旨は概要次の通りです。
(1)著しく不合理な格差の場合、憲法一四条違反の可能性に言及する。
右の各空襲で身体障害や、一家離散、財産全部喪失など様々な被害を被った原告らは、戦後六六年以上経った今もなお、一切の国の救済を受けることができていません。
それら原告らに対する国の無為・無策が憲法上立法不作為の違法となり、国家賠償法上違法の評価を受ける場合の要件について、裁判所は最高裁平成一七年九月の在外邦人選挙権訴訟大法廷判決を引用した上で、
「国会議員の立法不作為が、国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や、国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには、例外的に、国会議員の立法不作為は、国家賠償法一条一項の適用上、違法の評価を受ける」としています。
その上で、憲法前文を含み九条・一三条・一四条・二九条等の複合的憲法条規を根拠とした原告らの主張を排斥しつつ。ただ憲法一四条のみに関しては、「戦争被害者の内に、戦後補償という形で明確に補償を受けることができた者と、補償を受けることができない者(原告ら)が存在する状態が相当期間継続するに至っている場合には、憲法上の平等原則違反が生じうる」可能性を認め、立法機関が本来持つ政治的裁量性を考慮してもなお、その裁量に逸脱があると言わざるを得ないような「明らかに不合理な差異がある場合」が平等原則違反に相当する、としています。
この点に関しては、従来この種判決で多用されて来たいわゆる戦争損害受忍論(戦争損害の救済は現憲法の予期しないもの)には依拠しないことを明言したものと言え、先行する東京大空襲訴訟東京地裁判決が同様にこれを排斥した点とも相まって、司法の場で「戦争損害受忍論」を採用させないたたかいを一層前進させたものと言うことができると思います。
(2)「軍人・軍属」等への補償には一定の合理性がある。従って空襲被害者に生じている差異が明らかな不合理とまでは言えない。
裁判所は右(1)での判断枠組みを打ち立てた上で、原告らと、既に補償立法等で救済を受けている者との間の「明らかに不合理な差異」の有無を検討します。
そして、「軍人・軍属」「軍人等の遺族・家族」「被徴用者・学徒動員・国民義勇性・戦闘参加者」「沖縄戦被害者」「原爆被害者」「引き揚げ者」等、既に立法との他により何からの補償措置を受けている類型の者とそれぞれ対比しつつ、これらの者への救済措置(立法その他)が必要であったとされる理由を展開し、「それぞれの措置にはそれなりの合理性があるので、従って未だ救済を受けていない原告ら空襲被災者との格差は『明らかに不合理な差異』とは言えない」と繰り返しました。
すなわちここでの判断手法は、「救済を受けている類型者への救済には一定の合理性がある」という点から、論理必然的に空襲被災者が放置されていることが「明らかに不合理な差異とは言えない」と結論づけるというものであり、一方で立法措置等により救済を受けている者が存在し、それらの類型の者が得ている救済内容と、他方空襲被災者が長く放置され続けている状態の間に加速度的に生じている格差・差異の点に関する真摯な検討は一切行われていません。
実際に地裁判決では、今でも軍人・軍属、その遺族・家族への恩給等が年間一兆円近い予算規模であるのに対し、他方で空襲被災者へは全く補償がゼロであるという厳然たる事実に対する言及もなければ、戦争により同じ障害(片足を失う等)を受けても、軍人等であった場合と、空襲被害者であった場合との生涯年金額の比較等に関する原告らの具体的な主張にも一切言及せず、完全無視を決め込んだのです。
これは明かに意図的な議論のすり替えであり、私個人の意見としてはこの部分が今回の判決の一番酷い点です。
(3)防空法制により民間人戦争動員を行った事実を認めつつ立法義務は否定
またこの地裁判決では、戦時中国が防空法やその施行規則・通達・勅命等に基づき民間人をも戦争に巻き込み、都市部からの退去を禁止ないし著しく困難な状況に追いやったことや、防火・消火等の措置への動員を強制し、隣組等を通じての戦争協力体制へ組み込み、さらには不正確な情報操作を通じ、国民の避難を困難にして行った歴史的事実を比較的詳細に事実認定しています。この点は一定評価されるべき点ですが、判決ではこの防空法制が国民に与えた影響は多様であり、原告らが右事実から、直ちに被害を被ったということはできず、直ちに原告らへの救済立法を義務付ける条理が導き出されるものではないとして、国の先行行為に基づく条理上の立法義務の存在も否定したのです。
二 大阪高裁へ続くたたかい―獲得した成果と乗り越えるべき課題
右一、で述べたように地裁判決は不当判決と言わざるを得ません。原告ら空襲被災者は政治の場とされる立法過程にその意見を通すだけの力をこれまで持ち得ませんでした。故にその力を持ち得た他の類型の戦争被災者との間に格差・差異が生じ、これが拡大して来ました。その差異を人権侵害という視点で司法に問うたのがこの大阪空襲訴訟でした。その原告らの切なる訴えに対し、司法は、「それは立法府の課題」とボールを投げ返したのです。そして返す刀で「人権侵害にはならない」とバッサリ切って捨てたのです。
このような不当判決ではありますが、しかしながら他方で一審判決では、
(1)戦争損害受忍論を排斥させた。
(2)原告らのおかれた地位が、憲法上の平等原則違反になる場合のあることを認めさせた。
(3)各原告の空襲被害の態様や実相を個別に事実認定させた。
(4)空襲被害者以外の戦争被害者類型が軍人・軍属から始まって、その後拡大して続けてきた事実関係に関し丁寧に事実認定させた。
(5)戦時中の民間人が防空法制により、戦争に動員され、捲き込まれて来た事実を比較的詳細に事実認定させた。
等の点で、幾つか獲得できた点もあります。
本件地裁判決に対し原告らは即日控訴の意向を示し、引き続き高裁でたたかう決意を示しました。この原稿執筆段階では控訴の手続準備中です。舞台は大阪高裁に移ります。言うまでもなく、国が自ら始め、根こそぎ動員した上、戦後長期間にわたり放置してきた原告ら空襲被災者への人権侵害を認めさせることが課題です。多くの団員・事務局の皆様の更なるご支援をどうかよろしくお願い申し上げます(一二月一三日記)。
〜地域住民八三三一名が建築確認の取消を求めて建築審査請求
京都支部 飯 田 昭
一 八三三一名の審査請求
二〇一一年一二月一二日、仰木の里及び近辺の地域住民八三三一名が、幸福の科学学園に対し、民間確認機関がおろした建築確認の取消しを求めて、大津市建築審査会に対し審査請求書を提出しました。「建築審査請求」が八〇〇〇人を超える規模で行われるのは、全国的にも例がないのではないかと思います。
これに対しては、団内外の弁護士一九名で、「仰木の里弁護団」を結成して支援しています。
二 地域の状況
「仰木の里」はUR(旧住宅都市整備公団)が開発した滋賀県最大規模の閑静な住宅地です(施工面積一八八・八ha、計画人口一万六〇〇〇人)。
その北側部分の公園に隣接する「谷埋め盛土」の一帯(学園建設予定地)は、地盤が軟弱であるため、住宅開発には不適当であり、未利用地として売れ残ってきました。
三 「幸福の科学学園」進出計画
ところが、URは七万九〇〇〇平方メートル、五区画の学園建設予定地を大川隆法氏が率いる「幸福の科学グループ」の「幸福の科学学園」に売却(但し、学園の開校が実現しない場合の買戻特約付)し、同学園は、全国から信者の子弟を集めた大規模(学生五一〇名、教職員一〇〇名)な全寮制(一部通学)の中高一貫の「エリート校」を建設し、京・阪・神大や「関関同立」に送りこもうと計画しています。
四 開発許可の脱法と問題点
学園建設予定地は、校舎用地、寄宿舎用地、グラウンド、クラブハウス、駐車場等により構成されるが、都市計画法上必要な「開発許可」を免れるため、グラウンドについては時期をずらしたうえ、校舎と寄宿舎について別々に建築確認を申請し、しかも、これに伴う土地の改変行為は「開発行為」(区画形質の変更)にあたらないとして、大津市長より「開発行為非該当証明」を受けて、民間建築確認機関より建築基準法に基づく「建築確認」を取得しました(二〇一一年一〇月一四日、一七日)。
「開発許可」を受けるためには、道路、公園、給排水施設の確保、地盤沈下、崖崩れ、出水その他による災害の防止、樹木の保存、事業者の資力・信用の確保など、「建築確認」との比較において、はるかに詳細なチェックがなされ、開発地や周辺地域に上記の不備による被害が起こることのないようにチェックされますが、これらのチェックを全て「脱法」して、建築確認だけで建設しようとしているのです。
しかも、これらの過程においては、地盤の危険性や教育基本法・学校教育法上の学園の問題点((1)教育施設の敷地の安全性確保の要請、(2)政党=幸福実現党や教団の個人崇拝の宗教活動との一体性)並びにこれまでの批判者への高額損害賠償裁判攻撃などに対し強い懸念を示す地域住民に対し、「最大最強の敵」などと誹謗中傷するなど、おおよそ「地域連携」が求められる学校設置計画とは相容れない異様な対応がなされてきました。
五 全国的にも最大規模の住民が建築確認の取消を求める審査請求に立ち上がる
これに対し、地域では、多くの自治会で反対決議がなされ、「仰木の里まちづくり連合協議会」を結成し、一二月一二日、地域住民八三三一名が、建築確認の取消しを求めて、審査請求を行いました。
これだけの請求人団による審査請求は、全国的にも例がないと思われます。
六 取消すべき最大の争点
ここでの最大の争点は、明らかに「開発行為」=「区画形質の変更」に該当するにもかかわらず、開発許可を受けていないことが違法であることです。
すなわち、「土地の形状の変更」、「土地の性質の変更」及び「土地の区画の変更」のいずれにも該当するため、建築確認は取消を免れません。
具体的には、次の三点において、「形状の変更」に該当します。
第一に、本件開発においては、建築物の建築される部分以外の多くの箇所で(大津市の開発行為該当性の基準である)五〇cmを超える切土または盛土が行われることが明らかです。
第二に、場所によっては二mを超える切土、一mを超える盛土、二mを超える切盛土が行われることが明らかです。
第三に、建築行為に伴わない宅地の改変範囲の面積は、校舎用地において九三〇平方メートル以上、寄宿舎用地において六一二平方メートル以上と、それぞれ五〇〇平方メートルを超えており、この点からも、宅造規制区域における「土地の形状の変更」に該当し、かつ、双方の申請用地が一〇〇〇平方メートルを超えていることから開発行為要件を満たし、開発許可が必要です。
また、意図的に校舎用地と寄宿舎用地を分けて申請していますが、グラウンド用地やクラブハウス等も含めて複数の区画を統合して学校用地としての一体的利用を図ることから、「区画の統合」にもあたり、「区画の変更」としても、開発許可が必要です。
さらに、「谷埋め盛り土」で地盤が軟弱であるため、住宅開発には不適当として放置されてきた土地を、大規模建築物の敷地として利用するのですから、明らかに「性質の変更」にも該当します。
七 学校教育法による設置認可は許されない
なお、開発・建築の認許可の問題とは別に、今後、学校設置のためには、学校教育法による設置認可を滋賀県知事より受ける必要があます。
しかしながら、学校用地の安全性、域地連携の欠如、政党や教団と教育の一体性など、これらの要件も満たしておらず、これについても重要な争点となります。
八 高い地域住民の力量と「総力戦」
地域は、京阪神への通勤者も多く、各界各層の多彩な人材が結集しています。
他方、教団は、学園を、政界(幸福実現党)とともに、教育界進出の拠点にする計画であり、住民を「無神論者」、「左翼運動家」とも中傷し、行政(滋賀県、大津市)の中枢部にも浸透を図るなど、「総力戦」の様相がありますが、最終的には、上記買戻特約をURに果たさせ、公園として整備すべき地域であると考えていす。
京都支部 塩 見 卓 也
一 はじめに
いわゆる過労死ラインを超える長時間労働をさせられうつ状態となり、会社に退職を申し出たところ、会社から「退職したら損害賠償請求する」と言われ、退職したら本当に二〇〇〇万円を超える損害賠償を請求する訴訟を起こされたという事案で、二〇一一年一〇月三一日、京都地裁にて会社の請求を全部棄却、逆にこちらの残業代請求と付加金請求につき併せて約一一三六万円を認めるという判決をもらいました。
その会社は、形式上はSE業務について一日八時間のみなしとする「専門型裁量労働制」を採用し、長時間労働に対しても全く残業代を支払っていませんでした。本件は、形式上は裁量労働制を採用していても、その適用を認めなかった初判断になる判決と思われ、先例価値があると思いますので、報告します。
二 会社の請求と反訴
この事件との出会いは、ちょうど三年ほど前のことです。労働相談で本人から最初に聞いた話は、「会社を辞めたいけど、会社は、辞めたら私に損害賠償請求すると言っている」「IT系の会社で、毎日朝七時から日付が変わる時間くらいまで働かされていて、身体が限界を超えている」というものでした。私は、「労働者には退職の自由がある。会社で横領とかの犯罪行為をやったとか、よほどのとんでもないミスをしたとかいうような事情があれば別問題だが、退職したこと自体を理由に労働者が損害賠償責任を負うことなどはまず考えられない。『辞める』と言ったときに、辞めて欲しくないから『辞めたら損害賠償請求する』と脅してくる会社は結構あるけど、本当に裁判まで起こしたりする会社は滅多にない。そんなことより、あなたはこのまま働いていたら本当に過労死しかねないのじゃないか。まずは自分の健康のために、きっぱりと退職した方がいい」とアドバイスし、「それでもごくまれに、本当に損害賠償請求の裁判を起こしてくる会社がある。そうなった場合は受けて立たないと仕方がないので、また相談に来て下さい」と言いました。会社に対しては、未払残業代を請求できる可能性もあったのですが、そのときの本人は、「今はとにかく退職さえできたらいい」ということで、こちらから訴訟を起こすという話にはなりませんでした。
それから半年ほどが経って、本人から私に、「会社が本当に訴えてきました」との電話がありました。本人に来てもらい訴状を見て、唖然としました。その会社は、月間百何一〇時間も残業させて健康を損なうまで酷使してきたにもかかわらず、逆に(1)本人が課長をしていた部署の二〇〇八年九月以降の売上低下分(二〇〇八年九月はいわゆる「リーマン・ショック」のあった時期です)、(2)その部署へのてこ入れのために投入した上司の賃金、(3)プログラミング業務のノルマ未達分、という内訳で、二〇〇〇万円以上の損害賠償請求をしてきたのでした。常識的に考えて、これらのどれをとっても、本来経営者が自身のリスクとして負担すべきものばかりで、単なる従業員にすぎない者が負担するいわれはありません。会社が本気でこんな請求が通ると考えていたのかは定かではないですが、普通に考えれば、「辞めて欲しくなかったのに辞めてしまったことに対する報復」として無茶な請求をしてきたとしか考えられません。
私は、この手続内で、未払残業代及び付加金請求、不法行為を理由とする一年分の残業代相当の損害賠償請求、安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求(本件手続中に本人のうつ病の労災が認められました)、退職の自由の侵害及び会社側の訴え自体が濫訴であることを理由とする損害賠償請求の反訴を会社に対し提起し、さらに損害賠償請求部分につき、会社代表者個人の責任も追及する別訴を提起しました。
三 判決
判決では、会社側の二千万円以上の損害賠償請求は全部棄却、こちら側の会社に対する残業代請求は、未払残業代と付加金を併せて、約一一三六万円が認められました。他方、それ以外の反訴請求等は棄却されました。
まず、会社側の請求につきましては、会社が「損害」と主張する内容は報償責任・危険責任の観点から本来的に使用者が負担すべきリスクと考えられること等を理由に棄却されました。当然の判断といえます。
こちらの請求では、こちらは裁量労働制の適用について(1)労基署への届の期限が切れており、専門型裁量労働制の適用に関し適法な手続要件が満たされておらず、(2)専門型裁量労働制の対象業務ではない、行政通達上SE業務に含まれないとされるプログラミング業務や、営業業務に就労させ、(3)SE業務自体についても下請としてシステム構築の一部を受けていたに過ぎず、裁量労働制の適用を認めるべき業務遂行の裁量性が認められず、(4)プログラミングにつきノルマを課すなどの拘束性の強い具体的な業務指示がなされ、(5)健康確保を図る措置が何ら採られず、むしろみなし時間をはるかに超える労働時間を強いており、(6)就業規則の改ざん等、会社に労働時間規制を免れるための脱法的意図が認められ、(7)専門型裁量労働制の適用される労働者であっても支給されるべき休日手当や深夜手当が全く支払われていないことなどを理由に、裁量労働制は適用されないと主張しておりました。この点判決は、上記(2)、(3)、(4)の点を重視し、業務に裁量性は認められないとして、裁量労働制の適用を否定しました。
さらに、実労働時間については、会社は本人に日報を付けさせていたにもかかわらず、「見つからない」などと述べながら手続内でそれらを一切提出しようとしなかったのですが、判決はこちらの手元に残っていた四か月分の日報に基づく推定計算を全面的に認めました。この点もよい判断だったと思います。
他方、この判決では、これだけの長時間労働と本人のうつ病発症、労災認定の事実がありながら、うつ病発症の原因として取引先とのトラブルを挙げ、そこには本人にも落ち度があると認定し、安全配慮義務違反を認めませんでした。この点は多くの労災事件の先例に反する不当判断といえます。
また、会社の不法行為責任の関係では、本件では、会社が労基署に提出していた就業規則には時間外手当についての規定があるにもかかわらず、従業員に配っていた就業規則ではその条文が削除され、条文番号もそこから全部ずれていたという事実があるのですが、この点を「改ざん」とは認めなかったなど、極めて不自然な事実認定も行われております。
さらに、退職の自由の侵害や濫訴の主張についても、深い検討をすることもなく排斥しています。私としては、「これを濫訴と言わずして何を濫訴というのか」と思うのですが。
四 おわりに
この判決は、最近「辞めたくても辞めさせてくれない」「辞めようとしたら損害賠償請求すると言われた」というような事例が増えている中、そんなことを言い出すブラック企業に対し、「そんな脅しは無駄だ。そんなことをしたら逆に会社が痛い目を見るぞ」ということを明らかにした点、「形式上『裁量労働制』を採用していたら、どれだけ長時間働かせても残業代を支払わなくてもよい」と誤解している企業が多い中、実際の従業員の就労内容に裁量性が認められなければ、「裁量労働制」の適用も認められないということをはっきりさせた点で、大きな意味があったと思います。
不満な点もかなりあるのですが、会社からここまで酷いことをされた事案で本人の救済を図るという意味でも、理論的に先例価値の高い判決を得たという意味でも、ひとまず満足のできる仕事ができたと思う事件でした。この先例を活用いただけたらと思います。
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