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市川 守弘 大都市支部がやるべきこと
大久保 賢一 原爆被爆者のたたかいに学ぶ
黒澤 有紀子 「福島原発事故被害弁護団の合宿に参加して」
井上 正信 米軍再編の見直し協議
安部 千春 ひょうきん弁護士 その二
金  竜介 『時空を超えた書簡集』はほんとに面白い。そして、派手に行くぜ!海賊戦隊ゴーカイジャーの話
島貫 美穂子 自由法曹団女性部 新年学習交流会及び新人歓迎会に参加して
◆自由法曹団結成九〇周年記念出版



大都市支部がやるべきこと

北海道支部  市 川 守 弘

 昨日、福井で開催された原発問題活動者会議に参加した。各地で試行錯誤しながら多くの団員にとって始めての原発訴訟を手がけている様子が見て取れた。しかも、訴訟だけではなくいかに運動を作っていくかという団ならではの有意義な会議だった。

 ただ一つ、帰りの飛行機で胸につかえるものがあった。それは東京、大阪の大都市部での団の活動が不鮮明だった点である。会議では団員から原発立地県の「隣接県でなにができるか」という問いかけもあったが、ひょっとして東京、大阪も同じ考えなのかと感じてしまった。

 そもそも、日本は小さな島国である。羽田を飛び立つ飛行機からはすぐに日本海が見えてくるし、札幌から福岡まで二時間もかからずに到着する。福島原発からの放射性物質は、北海道、沖縄、さらに韓国にも飛散した。いうまでもないが、放射性物質には県境も国境もない。北海道の泊原発の廃炉を求める訴訟では約二〇〇キロ離れた帯広市在住者もいれば、三〇〇キロ以上は離れている釧路在住者もいる。

 地図で見ると大飯原発から首都圏まで約三〇〇キロ、浜岡原発に至っては一五〇キロそこそこでしかない。大阪などは近畿圏を取り巻くように原発が立地するのだ。私の胸のつかえは、なぜ大都市圏の団支部が、もっと大きな運動とせめて一〇万人規模の訴訟を提訴できないのか、という疑問だった。

 大都市の支部では課題も多い、という声もあろう。しかし、地方でも課題は多いし、多くの課題を少ない団員で奮闘しているのだ。もし大都市では市民の意識が盛り上がらないということであれば、それを打ち破る闘いをどう構築するかの問題でしかないし、福井ではそのような問題提起はなかった。

 原発問題は、日本全体の、日本国民の生命、身体、財産を守る二一世紀最大の闘いである。日本の人口の半分以上を占める大都市部で、脱原発の運動と訴訟が提起できないようでは日本の将来を変えることなどできるはずもない。福井の会議では、この大都市部の支部が何を考え、どのように動こうとしているかが全く分からなかった。

 北の大地から、大都市部の支部に訴えたい。世論をリードできる運動とせめて一〇万人規模の訴訟の提起を、と。それが出来ないのであれば、その理由を討議すべきなのだ。それによって真の政治情勢論議ができるのだ。


原爆被爆者のたたかいに学ぶ

埼玉支部  大 久 保 賢 一

福島原発災害は放射能汚染とのたたかいである

 福島原発災害は人々に恐怖と不安を与え続けている。放射能がわが身と自然環境や社会的諸条件に、悪影響を与えることを知っているからである。

 放射能汚染は、大気、海洋・湖沼、土壌に広がっている。

 避難地域の共同体は機能不全に陥っている。自主避難を選択する人としない人との間での軋轢が増幅している。「日本はひとつ」がむなしく響いている。

 これらの事態が改善される見通しは立っていない。放射能の全面的除染など不可能だからである。

 今、私たちは、異質な危険性をもつ事態に直面しているのである。

原爆被爆者のたたかいに学ぶ

 私たちはすべてを失っているわけではない。原発事故に負けるわけにはいかない。

 ここでは、原爆被爆者のたたかいを紹介する。原爆被爆者と原発事故被曝者は違うという人もいる。原爆は、度外れた熱線や衝撃波・爆風、中性子線を伴う兵器であり、周辺は屍と瓦礫の街と化した。他方、原発事故は、外観的には建屋の崩壊程度であるし、そもそも原発は兵器ではない。けれども、放射性物質が放出されたという点では、何の違いもない。セシウム一三七の単純比較では、福島原発事故での放出量は広島型原爆の一六八・五個分に相当するという。放射能とのたたかいでは原発事故の方が深刻といえよう。

 ところで、多くの人の戦争被害は、一九四五年八月一五日に一応終息した。けれども、一九四五年一二月末までに、広島と長崎では、合計二一万人の人々が原爆の影響で死亡している。原爆被爆者の苦しみは敗戦によっても終息しなかったのである。そして更に、被爆者は、原爆放射線に起因する疾病で苦しめられ続けるのである。

もちろん、原爆被爆者の苦しみは、病気だけに止まるものではなかった。貧困や差別、心の傷など、生存と生活の全分野に及んでいた。他方、政府は、被爆者の苦難を放置し続けたのである。

 けれども被爆者はめげなかった。自分たちを苦しめている核兵器の廃絶と原爆被害者(死者も含む)に対する国家補償を求めて、粘り強く活動を続けてきた。その成果のひとつが「原子爆弾の被害者に対する援護に関する法律」(被爆者援護法)の制定である。

 被爆者援護法は、被爆者が罹患している疾病が、原爆放射線に起因し、医療の必要性があれば、厚生労働大臣が「原爆症」と認定して、「医療特別手当」の支給などの援護策を採るとしている。しかし、厚労大臣は、容易に「原爆症」の認定をしなかった。米国の核実験のデータに基づく原爆放射線の影響や不十分な疫学調査を根拠とする「審査の方針」(基準)を制定し、その基準に当てはまらないと放射線の影響は受けないとして、認定申請を却下したのである。

 そこで、原爆被爆者は、国の基準は被爆者が体験している事実を無視している、国の基準を機械的に当てはめて被爆者を切り捨てるのは許されないとして、「原爆症認定集団訴訟」を提訴したのである。

 裁判所は、国の基準は原爆投下後の初期放射線の直接被爆に着目するだけで、残留放射線による内部被曝などを軽視するものであって不十分である。認定に当たっては、被爆者の被爆前後の健康状態などを総合的に判断するべきであるとして、原告の請求を認めたのである。

 連続する原告勝訴判決や、国会議員の活動、支援団体の運動、マスコミ報道などと相まって、麻生首相(当時)は被爆者の代表との間で、訴訟終結の「確認書」を作成し、被爆者と厚労大臣の定期協議、「審査の方針」の見直しなどを約束したのである。

 ここでも被爆者は、大きな成果を獲得したのである。(「原爆症集団認定訴訟 たたかいの記録」が、日本評論社から刊行されている。大江健三郎さんは、「隅々まで偉大の本」と絶賛している。)

 被爆者は高齢であり、病気を抱えている人も多い。まさに、命がけだったのである。私たちは、そのたたかいに括目しなくてはならない。

原爆被爆者のたたかいの持つ意義

 原爆は兵器であり、原発は民生用の施設であって、同列に論ずるのはおかしいという意見がある。けれども、原爆も原発も、核エネルギーを利用するということでは共通している。核エネルギーの利用は大量の「死の灰」を発生させる。人類は、その「死の灰」、即ち放射性物質と対抗する手段を持っていない。放射性物質は、軍事利用であれ平和利用であれ、人間に襲いかかるのである。この襲撃とどうたたかうのか。その先駆的実例が原爆被爆者のたたかいである。

 原爆被爆者は、「死の灰」が人間に何をもたらすかを、身をもって示している。その「生き証人」は、自らに困難と苦しみをもたらした原因を見抜き、「ふたたび被爆者をつくらせない」を合言葉に、たたかい続けてきた。その営みなくして、国は何らの「援護策」を講じなかったであろう。

 福島原発事故と対抗するために、原爆被爆者のたたかいを検証する必要がある。

 また、「原爆症認定集団訴訟」における最大の争点は、初期放射線を直接被曝しなければ放射線の影響は受けないのか、即ち、残留放射線の被曝は無視できるのか、ということにあった。裁判所の結論は、残留放射線の影響を無視できないとしたのである。司法は、その任務を果たしたといえよう。

 いま問われているのは、低線量放射線の長期にわたる被曝(福島原発事故の特徴)にどう対処するかである。もちろん、この集団訴訟がその全ての回答を用意しているわけではない。けれども、何かしらの示唆を提供することは間違いない。

「原発と人権」全国研究・交流集会in福島」

 四月七日・八日に、福島大学で開催される「原発発と人権」全国研究・交流集会では、被爆者のたたかい、とりわけ「原爆症認定集団訴訟」の成果と到達点を福島原発事故と対抗するために、どのように活用できるかの分科会を開催したいと考えている。また、全体会でも、被爆者のたたかいの特別報告も予定されている。大勢の皆さんの参加を呼び掛ける。

二〇一二年二月一四日記


「福島原発事故被害弁護団の合宿に参加して」

東京支部  黒 澤 有 紀 子

 二月一二日、一三日に、福島市飯坂町にて、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発事故被害弁護団の合宿に参加いたしました。弁護団の体制は、弁護団結成時は二五名でしたが、現時点では四〇名を超えております。生業弁護団は、六〇期代の若手弁護士が多く、合宿も安田団長を囲みながら、ざっくばらんな和気あいあいとした雰囲気で行われました。

 合宿では、生業弁護団の根本的な目的として、弁護団名となっている「生業」すなわち「生活や環境」を返せということにある、という点を再確認し、生業復活のための必要な一つのこととして除染をいかにして求めていくかという点についても検討されました。現在も福島に居住されている方や現在避難しているけれども戻りたいと考えている方が沢山いる中で、原発政策を推進し、福島やその他多くの人々の生業を奪った東電と国に対して、特に強く生業を返せ!と除染などの環境回復を求めていくことも重要であると再認識しました。除染の実現は住民の権利なのだという思いを新たにしました。

 また、水俣病訴訟などを闘ってこられた板井優団員から、それらの訴訟から得られた教訓についてのお話もありました。その中で、板井団員の「人の存在にとって危険なものは選択しない」という言葉が印象的でした。原発は、その危険性を人間が抑えることはできないことが当初からわかっていたのに、国は推進をし、結果、このような事態になってしまいました。原発は、その危険が発生すればどうしようもできないことが今回の震災ではっきりしました。今後、二度と原発によって生活を奪われる人が生じないようにしていかなければならないと思いました。合わせて、原発が危険でいらないものということ、原発政策が間違っていたことを訴訟の中で訴える必要性も感じました。

 そして、一番印象深かったのが、加藤芳文団員が原発事故の論点整理と訴状を作成されてこられたことです。原発のことをとても深めておられ、私もしっかりと勉強をして早く追いつかなければと思いました(なかなか理解が追いつかないのですが・・・)。

 合宿の日の夜は、弁護団同士の交流会が行われ、主に弁護団だよりの名前をどうするかということが話し合われました。主に六四期から案を出したのですが、ちょっと自慢をさせていただくと、私が出させていただいた「みんなして」(福島の方言でして、「みんなで」という意味です。)が弁護団だよりの名前に決定いたしました。僭越ながらですが、とても嬉しかったです。「みんなして」生業を返せという声を上げ、がんばって行きたいという気持ちを新たにした合宿でした。


米軍再編の見直し協議

広島支部  井 上 正 信

 二〇一二年二月八日、日米安保高級事務レベル協議の結果、共同発表文が公表されました。普天間基地移設問題で、これまでのパッケージ論(沖縄駐留海兵隊の一部グァム移転、普天間基地の名護への移設、嘉手納以南の五基地の返還のパッケージ)から、海兵隊のグァム移転を切り離して先行させることを中心とした、これまでの米軍再編合意と日米協定の見直しです。

 この新しい合意は、今後の普天間基地問題や、それを含む日米同盟の在り方に深く関わる問題であり、憲法九条の改悪を許さない運動にとっても、これをどのように評価し、今後の運動につなげるかは重要だと考えています。

 共同発表文を検討する前に、そもそも、普天間基地移設問題が歴史的にどのように扱われてきたかを振り返ってみたいと思います。

 普天間基地移設は、九六年四月日米安保共同宣言で合意されたものでした。同年一二月にSACO(沖縄に関する特別行動委員会の略称)最終報告書が発表されます。この最終報告書には、普天間基地の外、嘉手納基地以南の五施設返還は、すべて含まれています。

 では、SACO合意とは何であったのか。九〇年代に米国はグローバルな軍事態勢の見直しに迫られました。その一環として、日米安保再定義と呼ばれるプロセスが始まりました。九六年日米安保共同宣言はその仕上げと言うべきものです。

 しかし、これに沖縄の強い反対運動が立ちはだかりました。九五年九月の沖縄での海兵隊員による少女暴行事件が、沖縄にたまったマグマに点火したのです。これを乗り越えるためのものが普天間基地移設を含むSACO合意だったのです。つまり、普天間基地移設は当時の日米安保再定義により日米同盟を強化するため、という位置づけであったのです。むろんこの時点では、沖縄駐留海兵隊の再配置は問題になっていません。

 ところが、沖縄の人々の強い反対から、工事のための杭一本も打てなかったように、普天間基地移設は全く進まなかったのです。その後時代は流れ、国際情勢も変化します。ブッシュ(Jr)政権になり、新たな米軍のグローバルな態勢の再編が進められます。その一環として日米防衛政策見直し協議(いわゆる米軍再編協議)が進められました。すると、普天間基地移設を含むSACO合意は、米軍再編の内容に取り込まれます。

 それは、グァムを戦略拠点として強化し、そのために沖縄駐留海兵隊の一部を再配置するというのです。そのことと、嘉手納基地以南の五施設返還をパッケージとしました。SACO合意ではパッケージにはなっていなかったものです。ですから、パッケージ論は必然的なものではなかったのです。

 パッケージ論は、主として日本政府の尻を叩くことと、沖縄の人々の懐柔と世論の分断でした。でも、沖縄の人々はそれを見抜いて、普天間基地県内移設を阻止してきました。その結果、米国は米軍再編を進めることができなくなりました。

 更にオバマ政権となり、中国脅威論が年を追う毎に高まり、対中国軍事戦略を見直す必要に迫られたのです。中国の接近拒否(Anti Access)領域拒否(Area Denial)(A2・ADと略称)戦略をうち破るための新しい軍事戦略が必要になりました。それが統合空海戦闘構想(Joint Air―Sea Battle Concept(JASBCと略称)です。二〇一〇年二月米国の「四年ごとの国防見直し(QDR)」で、JASBCを開発すると述べています。これは、まだこれから米海軍と空軍とが協議を進めて完成させる作戦構想なので、現在は作戦概念(Concept)の段階です。ただ基本的な要素としては、中国の長距離攻撃兵力(中距離弾道ミサイル、巡航ミサイル、対艦弾道ミサイル、爆撃機など)により、在日米軍基地は初戦で攻撃され機能を失う、東シナ海の米軍艦船は作戦の自由を失う、そのため、主要な米国の攻撃戦力を、より後方であるグァム、ハワイなどへ移し、中国の攻撃による脆弱性を取り除くという内容を含みます。

 二〇一一年一一月にオバマがオーストラリア議会での演説で明らかにした、新しいアジア・太平洋戦略は、海兵隊の一部をオーストラリア(ダーゥイン)へ配備するというものです。この意味は、実はグァムも中国の攻撃から聖域ではないため、より安全な地域へ移転させるというものです。この外、ハワイ、フィリピンなどへもローテーション配備すると言われています。

 このように、普天間基地移設はその時々の米国の都合により、位置づけを変えられてきました。米国とすれば極めて危険な普天間基地は、将来とも存続させることは、日米同盟にとって危ないとの認識があり(万一航空機事故があれば、嘉手納基地の存続問題にもなりかねないとの危惧)、これに代わる新しい使い勝手の良い基地が新設されるのであれば、理屈はどのようなものでもよいとの身勝手さと、日本政府が新しい基地を名護へ作りますと約束したので、日米同盟の抑止力を梃子にして、それならば新基地を作らなければ普天間は返さないよと、圧力をかけている構図に見えます。

 米軍再編によりグァムを戦略拠点にするというのであれば、普天間基地の撤去を要求すべきでした。米国のご都合主義、身勝手さと、それに対して何等文句も言わず、無理難題を沖縄に押しつけようとする日本政府の卑屈な姿勢に、とても腹立たしい思いがします。

 では、二月八日の共同発表文で米国がパッケージ論を止めたのはなぜなのでしょうか。米国とすれば、いくら日本政府に圧力をかけ、沖縄の人々を懐柔しようとしても、一七年間全く進展しなかったため、これ以上パッケージ論に固執していては、逆に米国の新しいアジア太平洋戦略を進める障害になると考えたからと思います。現に、米国議会が二〇一二年度のグァムへの海兵隊移設予算を全額否決したのは、名護への新基地建設が進まないことと、海兵隊のアジア太平洋での再配置の全体計画が示されないことを挙げています。

 パッケージ論を止めたことは、沖縄の人々の強い反対運動が、米国を追いつめた結果と言えます。

 二月八日の共同発表文の重要な部分は、第二と第三パラグラフです。第二パラグラフでは「両国は・・・強調する。」と日米共同の意志を示しています。その内容は、沖縄から海兵隊をグァムへ移駐させ、グァムを戦略拠点として発展させることを、日米同盟の不可欠の要素であり続けるというものです。

 第三パラグラフでは、この米国のアジア太平洋戦略の見直しを述べています。それは、「地理的により分散、運用面でより抗堪性、政治的に持続可能な米軍の態勢を達成すること」が目標であるとしています。この二つのパラグラフは、日米同盟の進化の内容として、米国の新しいアジア太平洋戦略を取り込もうというものです。それはどのようなものになるのか。

 「運用面での抗堪性」という意味は、「地理的により分散」と重なるもので、中国からの攻撃に対して、脆弱性を持たないという意味です。これはオバマの豪州議会での演説の内容と同じ文脈です。

 共同発表文で述べられている米国の「アジアにおける防衛の態勢に関する戦略的な見直し」とは、現在米軍が進めているJASBCと深い関係があると私は見ています。

 JASBCを具体的に構想した米国「戦略予算評価センター」の「エアシーバトル 作戦構想の出発点」によると、米国と中国との武力紛争では、作戦初動で中国軍は、米国の前進基地への大規模な先制攻撃や、宇宙空間、サイバー空間での攻撃を行い、グァム、嘉手納、三沢、佐世保、横須賀、関連自衛隊基地などが攻撃対象になると想定しています。ですから、豪州、ハワイ、フィリピンへの移駐やローテーション配備は、中国軍のこの攻撃をかわすという意味があります。

 このような作戦概念に深く関わる米国の新しいアジア太平洋戦略に、日米同盟の深化と称して、日本を丸ごと投げ込むことは、空恐ろしいことです。新防衛計画大綱で動的防衛力構想、島嶼部防衛作戦を打ち出したのは、やはり、JASBCと深い関連があります。むろん米国は中国との戦争を予想しているのでも、それを目指しているのでもありません。ただ不測の事態に備えているのです。そのことが、中国への抑止力になるという理屈です。しかし、国際関係はどのようなことから緊張をはらむか予測はできません。私たちがこれからの日本と中国との関係を、憲法九条に基づく外交戦略のもとで、平和的に発展させ、共存共栄を図ろうとすればするほど、日米同盟はその障害になりかねません。

 日米同盟の深化路線は、中国を軍事的に抑止するという、私たちにとって危険で、私たちの現在と将来の平和と繁栄の障害物になりつつあります。今回の共同発表文は、私たちに日米同盟のあり方を問い直すことを求めていると思います。

一〇 最後に、普天間基地問題について述べます。私は、県外移設論では結局、沖縄は、普天間を固定化するか、名護への移設かという選択を迫られるしかなくなると思います。これでは沖縄の民意は分断されるでしょう。県外移設論ではなく、真正面から普天間基地撤去を強く主張しなければならない段階に来ていると思います。危険な普天間基地は撤去すべき、というのが出発点であったはずです。

 九月八日共同発表文は、普天間基地撤去をさせるチャンスが到来していることを示していると思います。

 この原稿はNPJ通信に掲載されたものを一部省略して転載したものです。以下のURLも是非ご覧下さい。

http://www.news-pj.net/


ひょうきん弁護士 その二

福岡支部  安 部 千 春

 最盛期、新規とリピーターで月一六〇件あった事務所の相談が去年は一〇〇件を切るようになった。やむなく黒崎合同法律事務所のホームページを作ることにした。

 仕事がないので私は去年三月頃からまた小倉タイムスというローカル紙にひょうきん弁護士その二の連載を始めた。ホームページは更新しないと誰も見なくなるらしい。そこでホームページにひょうきん弁護士を転載することにした。小倉タイムスは一〇日に一回発行されるのでホームページのひょうきん弁護士も一〇日に一回更新される。

 ひょうきん弁護士その二は福岡弁護士会小倉部会の部会長選挙から始めたが、これは私の政治的立場がはっきりしており、一般の人に見てもらうホームページにはまずいので次の部会長披露パーティから始めた。

 関心のある人はホームページを開いて下さい。(黒崎合同法律事務所ホームページ)

 なおホームページに出さなかった部会長選挙は以下のとおりです。

部会長選挙一

 平成六年一二月、私は福岡弁護士会小倉部会長に立候補しようと思い立った。弁護士会の状勢にうとい私は来年は誰も立候補の予定がなく、部会長の席が空いていると思ったからだ。だれもなる人がいないのなら、私もその席に座ってみようと思った。普通、順番で部会長になる。そろそろ私の順番だった。    

 部会長に立候補すると言い出すと私の所属する黒崎合同法律事務所の弁護士達は

 「こんな事は早い方が勝ちだ」

 と早速、小倉部会の弁護士に「安部千春が部会長に立候補するからよろしく」といって回った。

 ところが私が立候補を表明すると対立候補者がでることになった。私は直ちに

 「選挙になるならやめようか」

 と言い出した。私は決意をするのは早いが、気が小さい男なのだ。

すると事務所の弁護士達が怒りだした。

 「一旦男が立候補するといいだしながら、いまさら止めるなどなさけない。」

 「皆も知っている通り、私は男にならなくてもいいし、そもそも卑怯者なのよ」

 とぐちぐちと言い訳をいってはみたが、もう修まらない。やむなく立候補することにした。

 決意をするとまた私の動きは早い。直ちに小倉部会の弁護士の訪問活動を始めた。

 「あのう、私はいよいよ立候補することにしました。」

 「そりゃご苦労な事だね。しかしね、気の毒だけど、安部さん、あんたは通らんと思うよ。」

 「どうしてでしょうか」

 「そりゃ、末吉さんは人気がある。あんたが今から、選挙活動を始めてもちょっと無理ですよ」

 「あのう、私、市長選挙にでるんじゃないんですけど、弁護士会の小倉部会長に立候補するんですが」

 「えっ、部会長?ああ、そうだったの。これは失礼した。部会長、そうね。あんたなら、適役だ。私は入れるよ。あ、そう、部会長に立候補するの。」

部会長選挙二

 福岡県弁護士会小倉部会の弁護士はわずか九二名しかいない。小倉部会長の選挙のための個別訪問をするといっても三日で終わる。

 私は人に迷惑をかけたくないのでほとんど一人で回った。けれども、弁護士会の長老を回るには私一人では失礼である。三浦久弁護士に同行を頼んだ。

 はじめて行った長老の家では話がはずんだ。話の内容は私のことではなく、もっぱら、三浦久と政治の話である。

 「三浦君、元気かね。政治家を引退したそうだが、君がいないと、選挙に行く気もならんよ。」

 「そう言わないで、日本共産党に入れて下さい」

 帰りには手土産を持たされて二人で帰った。

 三日で弁護士を戸別訪問した結果、私は当選することは間違いないと確信した。弁護士は私が直接会って話をすれば、誰に投票するかどうかはわかるものである。すると思わず、涙が出てきてしまった。それを見て私の妻のこんちゃんがいった。

 「どうして泣くの?」

 「だってこれで、松本洋一のうらみをはらしたと思ってさ。」

(どんな業界でも反共主義が残っている。北九州市長選挙で活躍した松本洋一はその順番になったので、福岡県弁護士会小倉部会長に立候補したが落選した。次もその次も三回立候補したが、三回とも「松本は第一法律事務所と仲がいい。松本はアカではないが、ピンクだ。松本が部会長になったら弁護士会に赤旗が立つ」と反共攻撃にあって当選できなかった)

こんちゃんはいう。

「そりゃあなたの勘違いよ。松本先生が所属していた西日本法律事務所からもその後何人も部会長になっているでしょ。」

「そりゃそうだが、その人たちは反共攻撃は受けてない。北九州第一法律事務所出身は今まで誰も部会長になっていない。なるのは私が第一号だ。」

 選挙は四九対二一の私の圧勝だった。それ以来選挙はなく、順調に北九州第一法律事務所出身の人も部会長になっていった。


『時空を超えた書簡集』はほんとに面白い。そして、派手に行くぜ!海賊戦隊ゴーカイジャーの話

東京支部  金   竜 介

一 『時空を超えた書簡集』を読もう

 二〇一一年一二月一日号で埼玉支部の大久保賢一さんが書いているとおりです。日本民主法律家協会創立五〇周年「法と民主主義」四六一号(二〇一一年八・九月号)の『時空を超えた書簡集』はほんとに面白いんだよ。この類の記念集は、並列的に弁護士の論稿が掲載されているというものが多く、大事なことが書いてあっても、正直、全部を読まないで終わってしまうものですが、この特集は、ベテラン・中堅から若手への「次世代へのメッセージ」「次世代からのメッセージ」という企画が成功しています。読みやすい構成となっており、内容もとても充実しています。まだお持ちでない方はぜひ購入してください(拙稿「励ましでも謝罪でもなく〜差別根絶のためにやるべきことは」も掲載されてます)。

二 派手に行くぜ!

 そして、次世代へのメッセージで連想するのは、『海賊戦隊ゴーカイジャー』ですよね。

 「地球の平和と、人々の笑顔を守り続けてきた三四のスーパー戦隊。宇宙帝国ザンギャックとの戦いで失われた、その力を受け継いだのは、とんでもない奴らだった!」のオープニングで始まる毎週日曜の朝七時半にテレビの前に座っていたあなたには、いわずもがなでしょうが、スーパー戦隊シリーズ第三五作目となった本作が異色なのは、過去の戦隊が登場すること。レジェンド大戦でザンギャックを地球から撃退したときにその変身能力を失ったかつてのヒーロー・ヒロインたち。生身の人間となっても人々のために活躍する彼・彼女らが登場し、現役のゴーカイジャーたちに「大いなる力」を授けます。

 巽マツリは救急救命士として人の命を救い(『救急戦隊ゴーゴーファイブ』ゴーピンク)、伊達健太は母校の教師となり(『電磁戦隊メガレンジャー』メガレッド)、戦う交通安全!『激走戦隊カーレンジャー』の陣内恭介は芝居を通じて子どもたちに交通安全を教える(レッドレーサー)。結城凱は仲間の平穏な生活を守るため「ジェットマンを探すな」(『鳥人戦隊ジェットマン』ブラックコンドル)、「友の魂だけでも救いたいと思ってな」と大原丈(『超獣戦隊ライブマン』イエローライオン)・・・。

 いろいろ書きたいことはあるけれど、自由法曹団の皆さんに伝えたいのは、これ。第三三話『ヒーローだァァッ!』

変身できなくなり、今やラーメン屋のおやじとなった『五星戦隊ダイレンジャー』の天下星・亮(リュウレンジャー)。

 「オレは腕をみがいて、この餃子を世界一の餃子にしたいんだ。世界一の餃子なら、食べた人はみんな、おいしいって笑顔になる。世界一の餃子は、世界一多くの笑顔を作れるって、思うからね」

でも、伊狩鎧(ゴーカイシルバ)はそんなことばに耳を貸そうとしない。変身できずに世界を救うことができないヒーローなんて意味がないとの思いから「のん気に餃子なんか作ってるあんたなんか!」と声を荒げてしまう。

 後半、町内会のバザーで餃子の屋台を出す亮。その会場を襲うザキュラ(宇宙帝国ザンギャックの行動隊長)。しかし、変身能力を奪われた鎧は何もできない。

 亮は鎧に「忘れてるんじゃないのか?一番大切なことを」と穏やかに言い、突然ザキュラの前に生身のまま立ち向かう。

「それからもうひとつ、転身(変身)できなくなったオレは、世界を救うことはできないかもしれない。だが、目の前の敵を見逃すほど、オレは歳をとっちゃいないぜ!」

「リュウレンジャー、天火星・亮! 天に輝く、五つ星!五星戦隊ダイレンジャー!」

 そんでもってゴーミンを倒す。目覚めた鎧といっしょにスゴーミンも倒す。ザキュラにも立ち向かうがこれは生身の人間ではさすがにかなわない・・・ってところでゴーカイジャー登場、後輩に戦いを譲るのですが、まあとにかくかっこよかったよ、天下星・亮。

 私も四〇代半ばとなりましたが、この一年、ゴーカイジャーから学ぶことは多々ありました。『海賊戦隊ゴーカイジャー』が最終回となり、祭りのあとの寂しさを感じている人も多いと思います。

 自由法曹団の若手の弁護士たちには、ベテラン・中堅の先輩たちから「大いなる力」を受け取ってくれ!と伝えたい。そして、ベテラン・中堅の団員の皆さんには、「目の前の敵を見逃すほど、オレは歳をとっちゃいないぜ!」の心意気をいつまでも持ち続けましょう!ということで冒頭につながりました。


自由法曹団女性部 新年学習交流会及び新人歓迎会に参加して

千葉支部  島 貫 美 穂 子

 二月二日に、自由法曹団女性部の新年学習交流会及び新人歓迎会が行われ、新人として参加させていただきました。

 今年の新年学習交流会のテーマは、『色を見方に、よりスマートに仕事をしよう!〜弁護士へのカラーアドバイス〜』というものでした。遠くは、大阪や和歌山、滋賀などから、多くの新人も参加し、カラーコーディネーターの先生をお招きして、カラーコーディネートとカラーセラピーについてお話を伺いました。

 前半は、カラーコーディネートについて。カラーコーディネートとは、色をSpring、Summer、Autumn、Winterの四種類に大別し、各人に似合う色の種類をコーディネートするというものです。それぞれの色の種類の特徴について、大まかな説明を受けた後、一人一人がどの種類の色が似合うのか判別していただきました。

 鏡の前にある椅子に座り、Spring、Summer、Autumn、Winterの色の布を順々に顔の近くにあてがわれます。最初の内は、正直なところ、どの種類の色が似合うか全くわからず、周囲からも、「う〜ん」「そうなのかなあ」といった声が漏れ、やはり判別できない様子でした。

 ところが、何人も見ている内に次第に目が養われてきたのか、一枚一枚布を当てる毎に、「う〜ん、違うなあ」「あ〜!あ〜!(納得するような相槌)」などと歓声が沸き起こるようになりました。

 そして、いざ自分の番になってみると、皆がものすごく真剣な形相で、似合う色を判別しようとしていることに気づきました。このとき、自由法曹団の女性は、何事にも真剣そのものという姿勢を垣間見ることができ、それと同時に、皆が真剣に自分に似合う色を選ぼうとしてくれていることに感動し、とても嬉しくなりました。

 後半は、カラーセラピーの講演でした。カラーセラピーとは、色が与える心理的効果や選ぶ色から心理状態等を判別するというものです。この頃には、皆、すっかり色の世界に魅せられ、夜の新人歓迎会が始まるギリギリまで、次々と質問が飛び交いました。

 こうして、約二時間半ノンストップで行われた学習交流会は、大盛況に終わりました。

 その後の新人歓迎会も、三時間以上もの間、日々の悩みや女性ならではの悩み、女性の社会進出について等々、大いに盛り上がりました。

 私が、この学習交流会・新人歓迎会で感じたことは、二つあります。

 一つは、『方法』の重要性です。

 学習交流会で興味深かったお話に、「成功するには、『能力』・『気力』・『方法』が必要」というものがありました。『能力』と『気力』があっても、それを伝える『方法』がアピール力に欠けるものであれば、せっかくの『能力』と『気力』も無意味になりかねない。これは、団の活動にもいえることではないかと思いました。いくら正論を力強く主張していても、関心をもってもらえなければ、主張は届きません。関心を持ってもらうのは非常に難しいことですが、難しいからこそ、常に、どうしたら関心を持ってもらえるか、どうすればアピールできるかという『方法』を模索することが、あらゆる活動を行う上で大切だと感じました。

 もう一つは、女性部が、女性団員の憩いの場であるということです。

 女性部の役割には、大きく分けて、女性の権利保護や地位向上という面と、女性団員の憩いの場という面があるように思います。

 前者については、まだ活動に参加していないので、ここでは省略させていただきますが、少なくとも後者の面についていえば、大いにその存在意義があると感じました。そのことは、交流会や歓迎会の様子からも感じとっていただけるのではないかと思います。

 私たち新人は、これから、幾多の困難な壁に衝突し、悩み苦しむことになるでしょう。そうしたときに、私たちを支えてくれるのが、女性部の存在ではないでしょうか。

 まだ、弁護士としての第一歩を踏み出したばかりですが、女性部での先輩や同期との交流によって活力をもらいながら、一つ一つ壁を乗り越え、一歩一歩着実に前へ進んでいきたいと決意を新たにした一日でした。

 後日談:その翌日、似合うカラーが『Spring』と診断された私は、ふらっと寄ったデパートで、セールになっている『Spring』色のセーターを思いがけず購入し、幸せな気持ちで帰路についたのでした。


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