<<目次へ 団通信1412号(4月1日)
小部 正治 | 宮崎・シーガイア 五月集会で会いましょう |
西田 隆二 | 新緑の宮崎での五月集会へのお誘い |
西田 隆二 | 五月集会観光の御案内 |
後藤 好成 | *宮崎県特集* 防潮保安林大量伐採の跡地に築かれた「砂上の楼閣」シーガイアをめぐる宮崎県民あしかけ一四年のたたかい |
西田 美樹 | 五月集会で金環日食を見よう! |
杉山 茂雅 | 裁判員に量刑判断はできないのか |
杉島 幸生 | TPPの司法上の効力について考えてみました。 |
板井 優 | 原発によらない地域振興を。 |
大久保 賢一 | パレスチナ断想 |
寺内 大介 | 「すべての被害者救済」に背く 水俣病救済措置の締め切り(その一) |
塩沢 忠和 | 書籍「自衛隊員の人権は、いま」の紹介と購読のお勧め |
泉澤 章 | 秘密保全法阻止全国活動者会議を開催します! |
幹事長 小 部 正 治
素敵な宮崎へ 今年度の五月集会は五月二〇日(日)〜二一日(月)に宮崎・シーガイアにて開催されます。宮崎の五月は全て素敵で、気持ちの良い気分にさせてくれるはずです。私は、一九八八年の五月集会後、霧島で「ミヤマキリシマ」を愛で、翌日は長崎鼻で流しそうめんを食した思い出があります。
五月集会の魅力 なんといってもリフレッシュです。様々な事件や諸活動に追われゆっくりする時間がとれないなかで、五月集会は必ず何らかの刺激を受け、頑張っている団員の発言等に触れて初心に帰ることができる数少ない機会です。年に一、二度しか会えない同期のメンバーが集い、近況を報告し、今と昔を語り合うことができるのも楽しみです。
今年の目玉は 人類と共存できない原発をなくすために、団は何をすべきか。全体会で、長谷川公一氏(東北大学大学院教授)の講演が行われます。また、東電への「全面的損害賠償」や「被災者本位の復旧・復興」はどう実現するのか。そして、大阪・橋本市長の「ハシズム」・政治手法に対して、どう対抗すべきか。同時に、公務の民営化や「地域主権改革」が、もたらす住民サービス低下や公務労働者の権利侵害とどう取り組むのか。
ところで、民・自の二大政党以外の党が、八〇の比例定数削減に反対し、小選挙区制の弊害を強調するなかで、団は何をめざすのか。今国会に提出されない見通しとなった「秘密保全法」は、日弁連活動と相まって、どう反対世論を拡大するか。労働法制の「改正」や、派遣労働者をめぐる裁判にどう向き合っていくのか。「裁判員裁判」の見直しに関する団の意見書を統一できるか。
団の人づくり・基盤づくり 五月一九日(土)午後は拡大支部代表者会議が開催されます。全ての支部・県から一名は必ず、複数以上の団員のいる事務所からも多数の参加を求めます。法曹人口の急増は、団員のいる法律事務所の財政的基盤を掘り崩しています。この新しい情勢の中で団や事務所をどう確立していくのか急務です。人づくりとして、「団の事務所にきてくれた」若手団員が団の活動に主体的に参加できるようにするにはどうすべきか。同時に、競争の激化のなかで、各事務所の設立の初心・存在意義を改めて確認し遂行するために、財政的基盤をどう強化していくのかが問われています。関連するアンケートのご回答を宜しくお願いします。
五月集会は盛りだくさんです。是非、宮崎でお会いしましょう。
南九州支部(宮崎県) 西 田 隆 二
今年度の五月集会がここ宮崎で開催されることになりましたことを、宮崎の団員挙げて心より歓迎致します。宮崎と言えば、「南国」、「青い海」=夏というイメージがあるかと思いますが、「新緑」の季節が実は一番綺麗な季節です。堪能頂ければ幸いです。
さて、当県の団員は、登録者数こそ一〇名と少ないのですが、青法協会員、労働弁護団団員等と重複しつつ、様々な人権や平和の課題に取り組んでいます。
ざっと挙げてみただけでも、川内原発訴訟(準備中)、中国人強制連行強制労働訴訟、自衛官いじめ自殺訴訟、トンネルじん肺訴訟、アスベスト訴訟、地方公務員過労自殺訴訟、パワハラ訴訟、薬害肝炎訴訟等々の諸課題に、ほとんど「金太郎飴」状態で関わっています。また、刑事事件、医療事件、行政事件等、引き受け手の少ない事件の多くを団員がカバーしてきています。また、弁護士会の会務にも各団員が積極的に関わっており、現会長は松田幸子団員(三八期)で、集会当日も御挨拶させて頂きます。
ところで、宮崎の団員が一丸となって闘った事件として、印象的なのは、「一ツ葉シーガイアリゾート訴訟」です。一九九一年五月、当時国を挙げて取り組まれた「リゾート法」の第一号指定というムードに乗せられて、総事業費四六一七億円(うち公金約二〇〇〇億円)の巨費を投じて、巨大ホテルとゴルフ場、全天候型プールを中核とするリゾート施設が建設されました。その建設予定地は、潮害防備保安林として、遠く江戸時代より営々と植林されてきた松林であり、この工事のために実に一〇万本もの松が伐採されました。後藤好成団員(三三期)が中心となって、幅広く弁護団を募り、松林の伐採許可取消、ホテル等の建設差止等を求めて、大型訴訟を提起し闘いました。
案の定というべきか、その後このリゾート施設は経営破綻し会社更生法の適用となったのですが、その際、宮崎県が六〇億円もの「公的支援」をしようとしたことから、ここでも公金の支出差止を求めて再び団員が中心になって住民訴訟を提起し、支出されていなかった二九億円の支出を止めさせました。
これらの舞台になったリゾート施設で、自由法曹団の五月集会を開催するというのも何か因縁めいたものを感じますが、歴史に思いをはせながら、残った松林といつまでも変わらない太平洋の雄大な眺めを楽しんで頂ければと思います。
宮崎は、素のママが一番です。ビロウ樹の生い繁る青島、「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状岩、東洋一とも言われる照葉樹林帯がある綾町等々、半日ほどで回れます。加えて、宮崎牛、宮崎地鶏、近海物の初鰹等々五月は美味しいものづくしです。勿論、地元の芋焼酎、麦焼酎、米焼酎、そば焼酎がさらに味を引き立てます。
宮崎の団員は、今年の五月集会が成功するよう準備を始めております。是非、多くの団員が五月集会へ参加されることを心より呼びかけます。
南九州支部(宮崎県)西 田 隆 二
ようこそ新緑の宮崎へ!! 宮崎観光の魅力をご紹介します。
〈日南海岸都井岬一泊旅行〉
文字通り、南国宮崎の象徴である「青い海」、そして、「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状岩が広がる日南海岸を南下します。途中の山々には新緑も広がります。
宮崎の最南端串間市には、多くの野生馬が生息する都井岬があり、丸い水平線を眺めると、地球が丸いことを実感させられます。
宿泊は、串間市の温泉施設で、「美人の湯」と呼ばれる泉質の良い温泉、そして山海の珍味、当然ながら地元蔵元の焼酎が味わえます。
翌日は、戦跡をめぐり、平和を考えることも忘れません。中でも、第二次世界大戦中に建立された「平和の塔」は一見の価値があります。実は、この「平和の塔」、曰く付きのものなのです。戦前、「皇紀二六〇〇年」を祝って世界中から石を集めてつくったとされるのですが、よく見ると、日本軍が戦時中植民地諸国から取り寄せたいわば「戦利品」の岩なのです。岩の一つ一つの出処を調べてきた平和活動家らの努力で、今日その史実が明らかになり、「平和」の大切さを逆説的に教えるものとして語り継がれています。当日は、史実を語り継ぐ活動をされているメンバーに同行して頂き、詳しい説明をしてもらえます。
〈綾町半日旅行〉
綾町はアジア最大と言われる照葉樹林の森が広がり、訪れた人を包み込みます。「森林浴」「森林セラピー」という言葉がぴったりの場所ですが、実はこの森は町民の闘いの中で守り抜かれた森なのです。
昭和三〇年代〜四〇年代、綾町は「夜逃げの町」と言われるほど町民の生活が疲弊していました。主要な産業が林業だったのですが、そのような中、国が国有林である照葉樹林帯を民間に払い下げ、大規模に伐採しようという動きがありました。林業を基幹産業とする地元にとっては千載一遇の「ビジネスチャンス」が訪れたのです。実際、当初、綾町はこの動きを歓迎し、広範囲の照葉樹林が伐採されました。
しかし、森と共に生きてきた自分達が森林の生態系を壊して良いのか、との声が上がります。保守系の町長とそれまで一貫して照葉樹林の伐採に反対していた日本共産党の議員が連携し、住民の九〇%近い署名が集められ、以降の伐採が止められたのです。
運動の高揚は、「本物」の町づくりに進みました。(1)化学肥料ではなく有機肥料による再生型農業、(2)照葉樹林の良さを知ってもらうために歩いて渡る大吊り橋の建設、(3)ガラスや染色、陶芸など次代を担う若手工芸家を町に招き、その活動を支援、(4)水質の良さを活かして焼酎工場を誘致、地ビール、ワインなどの工場も併設した複合型の観光施設の開業、等々、仕掛けを続け、今や宮崎を代表する観光地にもなっています。
新緑の照葉樹、大吊り橋、ガラス工房、地ビール、ワイン、そして鮎が待っています。なお、当日は、郷田實前綾町長の娘さんがガイドで参加してもらえます。
*宮崎県特集*
南九州支部(宮崎県) 後 藤 好 成
一 団五月集会の会場シーガイア―フェニックス・シェラトンホテルの建設にまつわる話をしましょう
東北沖大地震で発生した大津波が東北地方の多くの町村を根こそぎ破壊したのを眼のあたりにした時、私は二〇年以上前、宮崎一ツ葉浜の広大な防潮林の松約一〇万本がリゾート開発のためにおしげもなく伐採されたことを思いださずにはいられなかった。
しかも、この松林伐採跡にリゾート施設の目玉のひとつとして建築された超高層ホテルこそ、今回団の五月集会の会場とされているフェニックス・シェラトンホテルなのである。そこで多少古い話ではあるが、この機会に一ツ葉浜松林内リゾート開発に反対した宮崎の住民と団員の戦いをふりかえってみたいと思う。
二 リゾート開発目的の松林大量伐採に多くの宮崎市民がたちあがった
この松林は、一ツ葉浜に広がる幅約一キロメートルにも及ぶ広大なもので、宮崎市への日向灘からの潮害や津波の害を防ぐために約二〇〇年以上にわたって育林され守られてきた貴重な防潮保安林であった。ところが、八七年のリゾート法の施行によりリゾート開発熱が全国的に高まりつつあった八八年にこの松林の中心部分約六一へクタールに及ぶ約一〇万本の松を根こそぎ除去して、その跡地にゴルフ場、ホテル、巨大プール等の遊興リゾート施設(通称 シーガイア)を建設しようという開発計画がもちあがったのである。しかし、そうなると広大な防潮林の機能の多くが失われ、津波等の大災害時には、後背地の宮崎市が甚大な被害を受けることになるのは明らかであった。現に、過去にも日向灘で発生した大津波が近くの村を集落ごと破壊したという江戸時代の記録も残っていた。
これに対しては多くの宮崎市民が反対の声をあげ、伐採計画の中止を求めたが、計画は強行されようとしたことから、九一年四月、住民は伐採計画の中止を求める行政訴訟を提訴した。
三 防潮保安林としての「用途・目的」にまっ向から反する開発と して争われた行政許可取消訴訟
一ツ葉浜松林は潮害防備保安林とされていたことから、松林内の伐採作業をするためには森林法に基づき県知事の許可が必要となるが、保安林の目的に支障を及ぼすような許可は許されないこととなる。他方、国有地でもあった一ツ葉松林内にリゾート施設を設置するためには、国の使用許可が必要となるが、その許可は国の公共用財産としての用途・目的を妨げる場合は許されないこととなる。
即ち、保安林内の伐採作業許可をなした県知事を森林法違反で、他方、防潮の目的で管理する国有林をリゾート施設として使用することを許可した国(営林署長)を国有財産法違反で、いずれもその取消を求める訴えをおこし松林伐採・使用の全面的禁止を求めたのである。
訴訟では、松が大量に伐採された場合の保安林としての松林の防潮機能が大きな争点になった。我々は、津波の専門家(元東大地震研講師 羽鳥氏)やアセスメント評価の大家(名古屋大の島津教授)の証言や、松林防災の大家(東北大首藤教授)の意見書を提出する等して、松の大量伐採が松林の防災機能を大きく低下させることを明らかにしたが、裁判は結局敗訴するに至ったのである(国有財産使用許可取消訴訟については住民の原告適格そのものが否定され、保安林内開墾作業等許可取消訴訟については一審において松林近くの一部住民に原告適格は認められたものの作業時には保安林の指定そのものが取消されていたという理由で棄却された)。
このように裁判は敗訴で終ったが、裁判を中心とする住民の戦いは県内の広範な世論の共感をよび、県、国、第三セクター一体となってすすめられた潮害保安林を破壊してゴルフ場等と化す前代未聞の無謀な開発の強行は県民の強い批判を受けるに至ったのである。
四 当初から「砂上の楼閣」でしかなかったシーガイア
ところで、この訴訟で我々が当初から指摘していたのは、貴重な松林を破壊してまでゴルフ場等のリゾート施設を建設したところで採算はみこめず、施設運営は早晩行き詰まるであろうということであった。このリゾート開発計画は、二〇〇〇億円という宮崎では類例をみない巨額の建設資金を全て銀行借り入れでまかない、これで巨大施設を建設し運営するというものであったが、その借金も返済して経営を成り立たせるには、年間五〇〇億円近くの売上げが必要とされ、そのためには、最低一日一万〜一万五千人以上の利用客が見込まれる必要があった。
しかし、いくら松林内のゴルフ場や巨大ドーム型プールがあるからといって、都市圏からは遠く離れ交通アクセスも不便な宮崎に毎日一万人もの利用客が来るはずがない(ちなみに宮崎県の人口は一一七万人である)。結局、松林内のリゾート開発は計画どおり実施され、九四年には巨大人工プールもある白砂青松松林内のリゾート施設として大々的に営業が開始されたものの、開設者が見込んでいたような年間五〇〇万人もの利用客がおとずれるようなことなどあるはずがなく、経営は借金を返済できるどころか、逆に毎年二〇〇億円近くの赤字を増大させていく始末となった。こうして、二〇〇〇年には累積負債総額は三〇〇〇億円をこえ、誰の目からしても回復不能の経営破綻状態となり、シーガイアは〇一年二月の開業後わずか七年にして会社更生法の申請をなして倒産するに至った。
全ての施設はアメリカの投資会社に格安で投げ売りされ、施設最大の目玉とされた巨大プール「オーシャンドーム」は、今日では引とり手もないまま廃墟化しつつある。松伐採跡の砂地に鳴りもの入りで築かれたシーガイアは文字どおり「砂上の楼閣」だったのである。
五 経営破綻状態のシーガイアに県は六〇億円もの公金を投入
―怒った県民三三〇〇人がなした住民監査請求
このシーガイアが早晩倒産するであろうことは九八年ころにはすでに明白となっていたが、県は〇〇年七月に宮崎を会場に行われることが予定された先進七ヵ国サミット外相会議をこのシーガイアで行うことに執着していた。このため県は、銀行からも融資停止状態にあって資金ぐりに苦しむシーガイアの経営をせめて外相会議まで延命させようとして九九年一二月にシーガイアに不足資金六〇億円を投入(無償供与)しようとした。しかし、たとえ第三セクターとはいえ経営破綻状態にある一私企業に六〇億円もの公金を支出することは到底許されることではない。これに対して〇〇年二月、三三〇〇名をこえる宮崎県民が知事に対して六〇億円の返還を求める住民監査請求をなした。これは住民訴訟となったが、〇四年一二月に結局原告住民は高裁で知事と和解をなし、支出したがまだ未使用であった約二九億円を県に返還すること、住民訴訟のために住民が支出した印紙代全額を知事が負担すること等の和解が成立した。
六 おわりに
以上、シーガイアをめぐる住民の戦いは九〇年から〇四年までのあしかけ一四年間に及んだが、この戦いで自然環境の破壊を許さない、不当な公金の支出を許さないという普段は大人しいといわれる宮崎県民の強い意思と姿勢を示すことになったし、その後の自然環境を守る戦いを行う上で大きな確信になったものと考えている。
東京支部 西 田 美 樹
五月集会二日目の五月二一日は、金環日食のある日です。日食とは、月が太陽を隠す現象。金環日食は、月の見かけの大きさが太陽より小さいため、太陽がリング状に見える現象です。
この金環日食帯が、なんと、五月集会の行われる宮崎市を通ります。
食の始め 二〇一二・五・二一 五時五六分〇六
中心食の始め 二〇一二・五・二一 七時〇九分〇〇
子午線中心食 二〇一二・五・二一 八時五九分〇八
中心食の終り 二〇一二・五・二一 一〇時三六分二六
食の終り 二〇一二・五・二一 一一時四九分二一
観測には観測メガネなどが必要です。品切れになる前に手に入れて、観測しましょう!
宮城県支部 杉 山 茂 雅
一 三月一一日付けの団通信に神原元団員の「裁判員の量刑判断関与は正しいか」との論考が掲載された。最高裁判所の裁判員裁判導入から約二年間のデータを使って検討がなされ、裁判員裁判における量刑は、「全体としてやや重い」と結論付けた。そして、裁判員の量刑判断関与について、量刑データベースの影響、ジェンダーバイアスが解消されたか等の考察を加え、「裁判員を量刑判断に関与させることについては、どちらかといえば消極的にならざるをえない」とした。これに対する意見・疑問・反論を求めている。
この求めに応じて、現時点での私見を述べてみたい。
二 神原団員は、裁判員裁判になって、全体としてやや重罰化傾向があるとする。そして、明確に述べられてはいないが、言外に「重罰化」は問題であるとの問題意識があるように思われる。本当に問題であろうか。
「犯罪を犯せば、刑罰が加えられる」ということは、「常識」とされている。しかし、刑罰が正当化される根拠は、そもそもどこにあるのか。ある意味で、犯罪に対して刑罰が加えられることは、現代社会の「常識」であり、刑罰の正当化根拠を意識することはほとんどないと言ってよかろう。私自身も答えを持ち合わせてはいない。ただ、刑罰は、社会の秩序(その意味するところ自体問題となりうるが)を乱した者に対して、その社会が制裁を加えることであり、このことに(暗黙の)社会的了解がなされている点に、その正当化の根拠が求められるのではなかろうか。
そうであれば、「社会」の規範意識と合致していることが、刑罰を科すことの正当化根拠であることになるはずである。そして、どの程度の刑罰を科すべきかも「社会」の規範意識と合致することが求められるのではないか。
神原団員が指摘するように、傷害致死等が従来の量刑よりも重くなっている傾向はある。特に、性犯罪においては顕著なものがあるように思われる。しかし、これまで行われていた裁判官による量刑が、「社会」の規範意識から乖離していたということはできないのであろうか。ある意味で、法曹三者が暗黙の了解事項としてきた従来の量刑相場が、「社会」の規範意識とずれていたのではなかろうか。その意味で、裁判員裁判における量刑が、「社会」の規範意識により近づいたと評価できるのではないか。
このことは、殺人罪であっても個別事情によっては、執行猶予が付けられたり、逆に検察官の求刑よりも重い刑が宣告されたりしていることに見られるように思う。弁護士を含む法曹関係者のこれまでの意識自体を問い直してみる必要があるように思う。その意味で「重罰化」が悪であると単純に言うことはできないし、そもそも裁判員裁判で「重罰化した」ということも妥当ではないのではなかろうか。
ただ、裁判員の量刑は、犯罪現象を科学的に分析し、犯罪を抑制するための科学的根拠に基づかず、よくわからないその場の気分・感情によるものであるかもしれない。この点は、神原団員の指摘されるようなさまざまな視点から十分に分析がなされる必要があろう。
三 神原団員は、市民感覚の反映に関して、被害者参加などと相まって極悪な犯罪を憎む「市民感情」ばかりが引き出されているのではないかとする。
私も殺人事件の裁判員裁判で、被害者の意見陳述に直面した経験を持つ。詳細は省くが、部分判決において殺人の幇助犯と認定されたにもかかわらず、正犯を前提とする意見陳述がなされた。しかし、被害者の意見陳述は圧倒的で、弁護人としてそれに反論できるような雰囲気はなかった。このような被害者の意見陳述などが、量刑に大きな影響を与えるだろうことは、実体験として理解できる。そのことが、いわゆる「重罰化」につながっていく危険性があるように思う。
しかし、裁判官も人の子である。被害者の振り絞るような感情に直面した時、冷静でいられるだろうか。もし、被害者の痛切な訴えにも心を動かされず、冷静に判断できると裁判官が言うのであれば、私はそのような人間の感情を持たない、機械のような裁判官の裁判など信用することはできない。そのような裁判官など裁判官であってほしいと思わない。
被害者参加制度の存在を裁判員の量刑判断関与を否定する理由とすべきではなかろう。裁判員の量刑関与の問題と被害者参加制度とは、本来、分けて考えなければならないと思う。
被害者参加制度については、刑事裁判にふさわしい制度なのかという根本に立ち返って考えるべきことではなかろうか。被害者参加で叫ばれた被害者の権利については、刑事裁判への参加などというある意味で安上がりな方法ではなく、もっと別の形を取るべきだと考えている。
四 神原団員の指摘に、弁護人の技量不足という見解に対する反論の文脈ではあるが、「行刑の実態を知らない裁判員が量刑を判断する」ことが、裁判員制度の欠陥という趣旨の点がある。
裁判員制度導入に当たって仙台弁護士会での意見書作成の際に、私は裁判員の量刑関与を認めるべきかという項目を担当した。その際に一番悩んだテーマの一つであった。私自身の結論は、いまだに出てはいない。その時から考えていることを述べておきたい。
我が国の刑法で定められている法定刑は極めて幅が広い。その中で、当該事件で有罪と認定した被告人に対して、どのような量刑が妥当なのかという判断は、極めて価値判断的側面が強い。偶然的要素によって、しかも一回的関与しかしない裁判員に、そのような価値判断をすることができるのか、あるいはさせてよいのかは重大な問題である。
さらに、そもそも刑罰が被告人を更生させ、再犯の抑止につながっているのか疑問がある。「男が暴力を振るうのはなぜか」という本が大月書店から出されている。ここでは、暴力の原因を経済的・社会的不平等、すなわち格差に求めている。格差が屈辱的経験―恥の感情―を与え、暴力的衝動が生じるとする。そして、刑務所内での権利の剥奪、及び恥辱感と屈辱感を与える処遇が、暴力を再生産しているとする。この分析が正しいかという問題はあるが、刑務所への収容によって、再犯の防止が十分にできていないことは経験的な事実である。
しかし、刑務所でどのような処遇がなされているか、刑務所での処遇が更生に役立っているのか、このことについて裁判員は基本的に知らない。そのような裁判員に量刑まで関与せてよいのか。
他方で、基本的に同質の、狭い社会的経験しかない裁判官に正しい価値判断ができるのか。裁判官は、犯罪の原因、刑務所の実態を知っているのか。この点では、裁判員と裁判官との差は、たいしてないのではなかろうか。結局、裁判官は、それまでの裁判実務で形成された「量刑基準」で判断をしているだけであろう。ならば、多様な価値観を持つ裁判員に判断をさせてもよいのではないか。
いずれにしても弁護人が、被告人の人生を含めた犯罪の背景、刑務所内での処遇の実態等を法廷で明らかにしていく努力は、不可欠であろう。その意味で、弁護人の技量が試されているのだと思う。
五 この間の裁判員裁判で、量刑において社会的に不当な判断が本当になされたのであろうか。保護観察付きの執行猶予が増加しているが、これは裁判員が、被告人の更生を真剣に考えた結果ではなかろうか。裁判員に対して、保護観察の運用の実態を知らないと批判することは簡単である。しかし、裁判員は、保護観察の理念を話され、その理念を信じて判断しているのではないか。そうであれば、保護観察の運用実態をその理念に合わせていくことこそが求められているのである。裁判員の真剣さは尊重されてしかるべきであろう。
裁判員裁判が始まって三年経過しようとしている。まだ三年である。裁判員制度の問題点を改善する努力は必要である。だが、裁判員の量刑関与の可否についての判断は、もうしばらく推移を見つめる必要があるのではないか。結論を出すには、早すぎるように思う。
大阪支部 杉 島 幸 生
一 はじめに
TPPの危険性についてはこれまでも多くのところで論じられています。しかし、TPP条約が日本の裁判所でどのように扱われるのかという点については、あまり論じられてはいません。そこで本稿では、自分の非力を承知のうえで、この点について考えてみたいと思います。
二 条約の裁判規範性について
通常、国会により批准され、天皇により公布された条約は、特別の立法がなくとも、それだけで国内法的効力を有するとされています(受容説・一元論)。そして、その条約の内容が明確性を有するものであれば、そのままで裁判規範性(国内適用可能性)があるとされます(自動執行力)。このとき当該条約は、法律より効力が強いものとして扱われます。これまで私たちは、こうした立場から自由権規約などの裁判規範性を主張してきました。
三 TPP条約の場合はどうか?
TPPも条約ですから国会の批准と天皇の公布によって国内法的効力が発生します。TPP条約は、国際仲裁裁判所(第一五章・紛争解決の章)における裁判規範として作られていますからその内容はかなり明確です(もちろん理念的、政策提言的条項もあります)。従って、TPP条約の裁判規範性そのものを否定することは困難ではないかと思われます。そして、このことは日本の裁判所が、TPPルール違反を理由に、国内措置(法律)を無効と判断する可能性があるということを意味しています。
ちなみにEU司法裁判所は、TPPと同様の国際経済条約であるWTO法について裁判規範性を否定しています。(1)WTO法に裁判規範性を認めることは、紛争→協議→勧告という順序で紛争解決を図ろうとするWTO制度の趣旨に反する、(2)EU域外国が同じ取り扱いをするとは限らない(相互主義の確保)ことがその理由だそうです。しかし、(1)の点に対しては、実効性を強化するために紛争解決の手段を設けている条約が、そうでない条約よりも国内法的に弱い効力しか有しないとすることは不合理である、(2)の点に対しては、それは多分に政治的な問題であり法規範性を否定する理由とはなりえないとの批判があり、日本の裁判所が同様の判断をする保証はまったくありません。この点については、むしろアメリカ政府が、TPP条約は国内法を否定しないとの立法を検討していることの方が気にかかります。それは、そのままではTPPと国内法との抵触問題(国内法の否定)が生じるということを前提とするものだからです。
四 どのような場合に問題となりうるのか?
では、どのような場合に日本の裁判所においてTPPルール違反が主張されることとなるのでしょうか?TPP条約には締結国の裁量性が広く認められているような規定も多く存在しています。この場合、直ちに日本の裁判所がTPPルール違反を認定することはないようにも思います(立法裁量論)。例えばTPP第一二章四条は「各締約国は、他の締約国のサービス及びサービス提供者に対し、同様の状況において自国のサービス及びサービス提供者に与える待遇よりも不利でない待遇を与える」と規定しています。なるほど、「不利でない待遇」がどういうものであるかは様々に考えられますから、日本の裁判所が同条に基づき「これこれこうした取扱をしてくれ」というような請求を認めることはないようにも思われます。しかし、日本国内のある措置(法律)が自分を日本国民より特別に不利益に取り扱うものであり、それは同条により無効である、あるいは、それにより受けた損害を賠償せよという形式の訴えならばどうでしょうか。
またTPP条約には、締結国に対して一義的に特定の行為を禁止しているものもあります。「締約国は、サービスの提供を条件として、自国の区域内に代表事務所若しくは何らかの形態の企業を設立し、若しくは維持し、又は居住することを求めてはならない」とする第一二章七条もそうしたもののひとつです。例えば一八〇日在留要件を欠いたとして登録を抹消された外国法事務弁護士が、この条項を根拠に日弁連を被告として登録抹消処分取消訴訟や損害賠償請求訴訟を提起した場合はどうでしょうか。果たして日本の裁判所は、TPP条約より日弁連規程を尊重してくれるのでしょうか。私には、はなはだ心許ないように思われます。他にも問題となりそうな条項はまだまだたくさんあるはずです。
五 仲裁裁判所最終報告の司法上の効力は?
TPP条約は、国際仲裁裁判所での紛争解決を予定しています。従って、その最終報告で日本国内の措置(法律)がTPPルールに違反するとされた場合の司法上の効力についても考える必要があります。第一五章(紛争解決)七条は「仲裁裁判所の機能は、紛争を客観的に評価することであり、仲裁裁判による事実認定及び判断は当事国を拘束する」としています。これにより「拘束」されるのは日本政府であると考えるなら、日本の裁判所が最終報告の内容に拘束されることにはなりません。規約人権委員会のゼネラルコメントでさえ、ひとつの解釈と言ってのける日本の裁判所ですから、国際仲裁裁判所の報告もそうしたものとして扱う可能性は十分にあります。しかし、条約上の制度によりTPPルール違反が確認された以上、それはあらたな法規範となると判断する可能性も否定できないようにも思われます。そこまではいかないとしても日本法の解釈に最終報告の内容が反映される(間接適用)ことは避けがたいのではないでしょうか。
六 このままでいいのでしょうか?
実際には、締結国を名宛人とするTPP条約が、私企業や個人に権利を付与するのか?TPP違反の状態と権利侵害との因果関係は?損害をどこでとらえるのか?などなどの問題もあり、先に述べたような単純なことではないように思います。どういうことになるのかは、やってみなければわからない、というのが本当のところでしょう。しかし、こうした問題点について未解明なまま、TPP締結に向かうことがとても危険なことであるのは明らかです。野田内閣は果たしてどこまでそのことを認識しているのでしょうか。後の祭りとならないよう、私は、「ちょっと、待った!!」と言い続けたいと思っています。
熊本支部 板 井 優
一 ダムによらない地域振興への道
川辺川ダムは「東の八ッ場・西の川辺」と言われ、わが国のダム問題の双璧とされてきた。今、ダム水没地とされる五木村を先頭に地元自治体でダム促進協議会が作られ土建業者と結んで推進策が展開されてきた。特に、水源地域対策特別措置法は予算を約七〇〇億円として地元を取り込んできた。しかし、その川辺川ダム問題で大きな地殻変動が起こっている。
すなわち、今年三月三〇日「ダム事業廃止特定地域振興特別措置法案」が閣議決定された。これは五木村をモデルとするもので、今後、五木村はダムによらない地域振興の道を歩んでいくこととなる。さらに、これまでダム推進に邁進してきた地元市町村、熊本県、国土交通省との間で、ダムによらない治水を検討する場が持たれてきた。これについては、昨年末、国土交通省は、ダムによらない治水に予算をつけることを言明している。具体的には、平成二五年予算からということである。
さらに、これまでダムによる国営利水事業を推進してきた川辺川土地改良事業組合(地元六市町村で構成)は、今年初め事実上ダムを前提とする農水省新案(既設導水路活用案)は実施不可能という見解を示した。そして、これに沿って既に二市町が住民に説明会を行っている。今、この分野では、それぞれの地元、「身の丈にあった利水事業」が追求されていくこととなる。
私たちは、ダム問題の解決に当たっては、ダム反対とは言っていない。それよりもダムによらない治水を推進すべきであると言い続けてきた。なぜなら、ダムは治水の一方法に過ぎず、その治水方法を選択すべきは流域住民が決めるべきと一貫して主張し、地元世論をまとめてきた。この私たちの訴えの前に地元の土建業者が関心を示し、「ダムありき」路線から離脱を始めた。
その上で、毎年夏に全国から市民を集めて行っている「川辺川現地調査」をこの数年は五木村を主会場に行ってきた。その中で、和田拓也五木村村長は、私たちが出版した「脱ダムへの道のりーこうして住民は川辺川ダムを止めたー」(熊本出版文化会館)に「国策に翻弄されて」という推薦文を書いた。さらに、昨年夏に、五木村の村の施設で「ダムに頼らない五木村の再生を目指して」シンポジウムを行い、五木村からは和田拓也村長自身がシンポジストとして発言している。
私たちは、今年一月七日に、このときのシンポジウムの内容を「五木村―川辺川現地調査報告―」(花伝社)からブックレットとして出版した。もはや、川辺川ダム問題に後戻りはない。まさに、住民こそが決定してきたのである。
二 原発によらない地域振興を
先日、福井で団の原発に関する会議があった。その中で、地元で奮闘されている県会議員の方から、原発推進自治体などに膨大なお金が注がれ、原発に対する当たり前の意見が封じられているという意見を聞いた。確かに、現象的にはその通りである。しかし、私は、ダムに関する私たち自身の実践から見て違和感を覚えた。
例えば、今年一月八日、福島県を訪ねた野田佳彦首相に対し、佐藤雄平知事は、明日の福島再生の中核を担う一八歳以下の人たちの医療費の無料化と福島県内にある原子力発電所の廃炉につき理解を求める発言をしている。佐藤知事の昨年三月一一日以前の発言からするとまるで別人である。これは、何よりも被害者こそが一番被害を知っていることを明らかにしたものである。問題は、思想ではなく被害の事実から出発しどうしたらこの被害を繰り返すことのない社会を作っていくのかという事である。
その意味で、東電の電気料金値上要求に多くの企業や東京都が異論を述べ、さらにこの三月には官房長官発言に滋賀県知事が被害予想図を作成し反論を展開し、大阪市も、関西電力の筆頭株主として原発に対する厳しい姿勢を明らかにしている。
福島で起こっていることは、原発事故が発生すると資本家による事業の展開すら不可能になるという大変な事態なのである。
私たちは、こうした中で、九州において、国と九電を相手に原発差し止め訴訟をこの一月三一日に提起し、わが国の原発による発電政策の転換を求めた。発電の方法は原発だけではないのであり、福島原発事故で起こった半永久的・壊滅的打撃をもたらす原発を発電方法として日本国民が選択するか、しないかが問われているのである。
今、原発を廃炉にすると政策転換をしたとしても、相当な年月がかかることが指摘されている。ダムと同じように、これまでは原発を前提にしたインフラの整備とこれをスムーズに行う世論操作が行われてきた。しかし、こうした状態から、原発によらないインフラの整備と原発施設を安全に解体していく一連の作業は巨大な産業であり、多くの国民の圧倒的支持の得られるものであると考える。
その意味で、私たちの闘いは多くの国民が自らの未来をわかりやすく選択していくための環境整備であり、裁判もその一方法に過ぎないことを自覚すべきである。
かつて、原田正純氏は、脳関門やへその緒はこれまでに知られた人体に対する毒物の通過を許さなかったが、新たな毒物としてのメチル水銀の通過を許し、胎児性水俣病が発生したことを指摘した。およそ命あるものは自らの生存を全うすることを強く求めており、その意味で原発による発電方法は、人類が選択してはならない危険なものである。
そのことが国民的合意になるかどうかがまさに今回大きく問われていることである。
埼玉支部 大 久 保 賢 一
三月一日から九日まで、イスラエルに行ってきた。関空からイスタンブール経由でテル・アビブ空港までは一〇数時間だ。到着して早々に雪と雹と雨にたたられた。イスラエルの雪、いわんや雹などは全く想定していなかった。エルサレムは四年ぶりの雪だという。初日に訪問予定の国連人道問題調整事務所(OCHA)も閉鎖されていた。「嘆きの壁」も雨に打たれていた。安物の折り畳み傘など役に立たなかった。同行した自称「雨男」を恨めしくも思ったが、慢性的水不足にあるパレスチナの人には恵みの雨なのかもしれないと我が身を慰めたものだ。
それでも、荒れた天候は二・三日だった。死海に浮かぶこともできたし、ゴラン高原を映すガリラヤ湖にも行けたし、ヨルダン川や地中海の青さを目にすることもできた。うまいワインも石榴の生ジュースも飲めた。パレスチナの人々の置かれた状況の深刻さと、一人で帰国する時の不安(イスラエルの入出国手続きは厳格なのだ)を除けば、充実した日々だった。
イスラエルに行くと言い出した時、事務所のメンバーから「何をしに行くのか?」と、そもそもの疑問が投げかけられた。イスラエルは危険なところだという先入観があるようで(現に、私が帰ってくる日、イスラエル空軍はガザ地区を空爆している)、明確な目的がないままに行くのは止めるべきだという言外の非難が込められていたのだろう。
明確な目的とか重大な任務があったわけではない私は、「行ったことがない所だから」とか、「(昔、教科書で見た)死海に浮かんでみたい」とか、「(キリストゆかりの)ナザレやベツレヘムに行ってみたいから」などととってつけたような理由を並べ立てていた。旅程表はあったけれど、忙しさにかまけていて、どこに行くかも、誰と会ってどんな話を聞くかも、事前の準備は何もしてなかったのだ。平和学を専攻している研究者からの、知り合い同士の「気楽な旅」だからという誘いに乗ってしまったのだ。そして、当初の旅程には死海ルートがなかったので、無理を言って組み入れてもらったのだ。
泊まったところを整理すると、エルサレム、ナブルス、ナザレ、ベツレヘムということになる。ジェリコ、ラマラ、ハイファ、へブロンという街にも行った。(途中で、何度もイスラエルの検問に会うことになる。パレスチナ地域では、外国人は基本的にフリーパスだが、イスラエルに入るときには、手荷物まで開けさせられた。)
もちろん、名前も知らない街がほとんどだ。この特徴は、ヨルダン川西岸即ちパレスチナということになる(この地域も、パレスチナ自治政府が行政権と警察権を持つ地域、行政権を自治政府、警察権をイスラエルが持つ地域、イスラエルが両権限を持つ地域に三区分されている)。これらの街のあちこちでいろんなものを見、いろんな人と会った。イスラエルの植民政策と対抗しているパレスチナの人たちがほとんどだった。まるで、「パレスチナ問題」のスタディツァーだ。
イスラエルの植民政策は、国際法など無視した、強権的で、狡猾なものだというのが彼らの主張だった。パレスチナの人々は、毎日の移動の自由やその他の基本的人権がないどころか、その生活の基礎である土地や水を、何時、根こそぎ奪われるか分からない状況に置かれているようだ。現に、炊き出しに群がる屈託のない子どもたちにも遭ったし、青年たちの閉塞感も聞かされたし、非暴力でイスラエル兵と対峙している人にも会ったし、「行政拘禁」にハンガーストライキでたたかっている人の話も聞いた。米軍が、国際法を無視し、銃剣とブルドーザーで、沖縄に基地をつくった時の状況や、治安維持法下の「予防拘禁」制度を彷彿としながら、彼らの話に聞き入ったものだ。地域を隔てる壁やかみそりの刃を組み込んだフェンスをつぶさに見たり、イスラエル兵の対応を体験すれば、彼らの主張に偽りはないと確信できるであろう。
ユダヤの人々がナチスドイツを典型例とする迫害に遭ってきたことを考慮に入れても、イスラエルの行動は看過することのできない所業といえよう。「パレスチナ問題」ということは聞いたことはあるとしても、その実態についてはほとんど知らなかった自らを恥じなければならない。
けれども、パレスチナの人々は、決して手を拱いているわけではない。毒入りの放水や催涙弾の水平撃ちにめげずに定期的にデモを繰り返す村人、「行政拘禁」の被拘束者の支援のためにたたかう女性弁護士、法律家になることを目指す若い女子大生、水も電気も止められた中で、二〇年間も土地所有権(主張の根拠は、オスマントルコ、大英帝国、ヨルダンなどの承認書だ)を主張して法廷闘争をしている農民、パレスチナの子どもたちにアラビア語(話し言葉はともかく、書き言葉は難しいという)や英語を教えている青年、逮捕されたこともある米国の学位を持つ大学教授、パレスチナの人々と連帯しようとするイスラエル人、人道支援の限界を覚えつつも努力する国連職員、「自由劇場」で青年を励ます人々、話好きでたばこを吸う鉄道労働組合(昔は、イスタンブールからカイロまで鉄道が続いていたという)の元幹部などなど、人々は、決してやられ放題ではなかった。インティファーダのエネルギーはマグマのように蓄積されているのだろう。
滞在中に、一〇年前の原子炉の事故が、最近、明らかにされたという話を先の大学教授から聞いた。イスラエルは、核不拡散条約に加盟していない、非公然の核兵器保有国である。「敵国」に包囲され、パレスチナを抱えるイスラエルは、決して核兵器を放棄しないだろうと、あるイスラエル人(彼はパレスチナ人を敵視していないのだが)は断言した。神に選ばれた自分たちの国が崩壊する時は、これ即ち、「世界の終末」が訪れる時だと、シオニストたちは考えているのだろうか。なんという発想だろうか。イスラエルには、そんな暗澹たる気持ちを乗り越えなければならない課題が伏在しているようである。
二〇一二年三月二一日記
熊本支部 寺 内 大 介
環境大臣が申請期限を七月に設定
一昨年五月から始まった水俣病特別措置法(特措法)に基づく救済措置について、細野豪志環境大臣は、今年二月三日、申請期限を今年七月末までとする方針を発表した。これに対し、同日、水俣病不知火患者会、水俣病被害者互助会、水俣病患者連盟、水俣病被害者の会全国連絡会、新潟水俣病阿賀野患者会などの被害者団体は、「幕引きを許さない」として一斉に反発した。
二月までに、熊本・鹿児島・新潟あわせて五万一五一一件、二月だけで一二四二件もの申請がなされており、まだまだ潜在患者がいることは明らかだ。
新潟県の泉田裕彦知事は、今年一月一一日、「特措法が目指す『あたう限りすべて救済』がなされたとはいえない状況」との認識のもと、細野環境大臣に対し、被害者がもれなく救済されるよう「期限を設けないこと」を要望している。
また、天草市議会は、三月二六日、「『対象地域外』の被害者が手を挙げ始めたのはごく最近のこと」「切り捨てられる水俣病被害者を生み出すことにもなりかねない」として、申請期限の延長を求める意見書を採択した。
特措法は「すべての被害者救済」を求めている
特措法は、「救済を受けるべき人々があたう限りすべて救済されること・・・を旨として行われなければならない」(第三条)と救済の原則を定める。
環境省は、「法の定めは守らなければならない」として「三年以内を目途に」救済措置の対象者を確定するという特措法第七条二項を根拠に七月末という期限を設定したようだが、特措法が、「あたう限りすべて」の被害者救済を政府に義務付けている以上、毎月数百名の申請が続いている現状で、期限を定めることはできないはずだ。
特措法が、わざわざ時限立法としては異例の「目途」という表現にしているのは、法制定時には、三年で救済が終わるかどうかわからなかったためだ。「三年以内を目途に」とうたう第七条二項は、「努めなければならない」と定めるにとどまり、「三年以内」の対象者確定を政府、関係県の努力義務としている。
行政やチッソが水俣病被害の実像を隠し続けてきたこともあり、水俣病と名乗り出ないまま長年苦しんできた被害者が多数放置されている。特措法は、そうした実情をふまえ、水俣病被害者を「早期に救済」するようを行政に義務付けたのであって、決して、早期の幕引きを許す法律ではない。
救済措置開始後三年から逆算して申請期限を定める政府の態度は、特措法第三条の「救済の原則」に違反するものと言わざるをえない。
見込み違いの財務省
環境省が締め切りを急ぐのは、当初の見積もりを大きく超えた申請状況を見て、財務省やチッソが早期の幕引きを求めているからだろう。
政府と関係県は、チッソが被害者に対する一時金の支給を円滑に行うため、金融「支援」をすることとされている(特措法第三三条)。
財務省は、平成七年の政治解決における対象者が約一万人だったことをふまえ、今回はその二倍の二万人程度と見込んでいたようだ。
しかし、国が見積もりを間違ったのは、特措法でも定めている不知火海沿岸住民や阿賀野川流域住民の健康調査(後述)を怠ってきたからにほかならず、そのツケを被害者に負わせるのは本末転倒だ。
分社化による免責を急ぐチッソ
特措法は、「補償の確保等のための事業者の経営形態の見直しに係る措置等を定める」(第一条)として、水俣病の原因企業であるチッソの分社化による免責を認めた。
すなわち、被害者に対する補償を行う親会社とは別に事業会社を設立し、補償会社は事業会社の株式を保有する(第九条)。そして、環境大臣は、「救済措置の終了」をまって株式の譲渡を承認する(第一〇条〜第一三条)。事業会社の株式譲渡により補償会社は実質的に消滅し、補償責任を負わない事業会社のみが存続し続けるというわけである。そのため、チッソは、「水俣病の桎梏」から解放され、あらたな事業展開を行うべく、一刻も早く救済措置が終了することを求めているのである。
チッソの森田美智男社長は、今年一月六日、「五万人の被害者がおられることは大変驚きだし、責任の重さを痛感している」と言いつつ、「救済終了と市況好転が事業会社株売却に向けた次のステップ」と述べ、早期の「救済の終了」を望む姿勢を鮮明にした。
しかし、原因企業であるチッソが補償責任を免れ、国・熊本県のみが責任を負うということになれば、救済措置終了後に名乗り出た被害者に対しチッソは責任を負わないことになるが、これは、汚染者負担の原則(PPP)に反し認められず、「救済措置の終了」を許さない国民的運動が必要である。
環境省は、特措法制定に際し、水俣地域を公害健康被害補償法の公害指定地域から解除することを考えていた。これは、水俣病認定制度の終了を意味するため、被害者団体の猛反発を受け、撤回を余儀なくされたが、特措法の救済措置が終了すれば、次は、認定制度の打ち切りによって水俣病問題の完全幕引きを画策してくるに違いない。その意味で、特措法の申請締め切りを許すかどうかは、水俣病被害者救済制度全体の幕引きを許すかどうかにつながる重要な試金石というべきである。
静岡県支部 塩 沢 忠 和
神奈川県支部の岡田尚さん(同期)が団通信一三九九号(昨年一一月二一日号)の「自衛官の命と人権を守る裁判の現状と意義」で触れているとおり、自衛官の自殺は一般国家公務員の約一・五倍で、自殺やいじめ、セクハラ、「訓練中の事故死」等をめぐり、自衛隊(国)の責任を問う国賠訴訟は、この一〇年、北海道から九州まで全国にわたり闘われてきた。
私は岡田さんを介して、航空自衛隊浜松基地での、上官の長期且つ陰湿なパワハラにより自殺に追い込まれた若い隊員(三曹・二九歳)の遺族から依頼を受け、後に支援団体が「浜松基地自衛官人権裁判」と名付けた国賠請求訴訟を担当し、提訴から三年三ヶ月、昨年七月一一日静岡地裁浜松支部で全面勝訴判決(過失相殺なし)を得て、確定させることができた(団通信一三九二号で報告済み)。この裁判では、提訴時には全く想定していなかった支援組織「浜松基地自衛官人権裁判を支える会」が草の根的に生まれ、口頭弁論を重ねるごとに大きく発展し、法廷の傍聴席を満席にし、全国的な支援の輪を広げて行った。
そしてこのたび、この「支える会」の編集によるA5版二四〇頁の書籍「自衛隊員の人権は、いま」(社会評論社、定価一八〇〇円)が発行された。浜松で獲得した勝訴判決の内容と意義をはじめ、自らも元自衛官であり、親族にも自衛官がいる中で自衛隊の責任を問う訴訟に立ち上がった父、それを支えた母、「基地の街」浜松に住み続けながら闘い抜いた妻など当事者の苦悩と思い、弁護団の苦労、支える会の献身的な取り組み状況など盛りだくさんであるが、この本の「売り」は、浜松での判決を前に昨年六月四日に開催された「自衛官人権裁判に勝利を!全国交流集会」の成果をもとに編集されている点である。この集会では、浜松基地、たちかぜ(横浜)、さわぎり(佐世保)、真駒内基地(札幌)、朝霞駐屯地(前橋地裁)の各裁判報告や、二〇一〇年七月札幌地裁で勝利(確定)した女性自衛官セクハラ裁判の原告本人からのアピールのほか、佐藤博文(札幌)、岡田尚(横浜)、西田隆二(宮崎)の三弁護士と東京・中日新聞の三浦耕喜記者によるパネルディスカッション「自衛官の人権を守ることの意義・その方策は?」を開いた。ここでは、全国各地の裁判に関わってきた人々から多くの貴重な発言もあった。
この本の第一部は、この集会での裁判報告とパネリストの発言をもとに加筆・補充し、第三部は、集会参加者を中心とした貴重な問題提起となっている。つまり、浜松から世に出す本ではあるが、内容は全国版である。長くなるので第二部の詳細は省略し、概要を紹介する。
第一部 自衛官人権裁判に勝利を!全国集会
1 海自「さわぎり」裁判 西田隆二
2 海自「たちかぜ」裁判 岡田尚
3 「たちかぜ」裁判控訴審での意見陳述 「たちかぜ」裁判原告母
4 陸自真駒内・「命の雫」裁判 平澤卓人
5 陸自朝霞駐屯地事件・前橋裁判 三角俊文
6 自衛官の人権を守る意義、その方策 佐藤博文
7 ドイツ軍隊の取材から 団結権と軍事オンブズマン 三浦耕喜
8 全国集会へのメッセージ 「女性自衛官の人権裁判」元原告
第二部 空自浜松基地自衛官人権裁判
1 浜松基地自衛官人権裁判の内容と判決の意義 塩沢忠和
2 浜松基地自衛官人権裁判・判決の評価と感想 弁護団・原告
3 浜松基地自衛官人権裁判の経過と支援運動 支える会
4 浜松基地自衛官人権裁判を支援して 支える会
第三部 自衛官の人権確立に向けて
1 「戦争のできる国」づくりと自衛官の人権 吉田敏浩
2 自衛官の「人権」の隔離を 今川正美
3 「さわぎり」人権侵害裁判の支援活動 森良彦
4 「自殺多発…自衛隊の闇」の取材を通して 大島千佳
5 札幌・自衛官人権裁判の支援活動 七尾寿子
6 自衛官―市民ホットラインの経験から 木元茂夫
昨年一〇月に開かれた団の「創立九〇周年記念のつどい」でのリレートークで、愛知の川口創団員が、自らも小牧基地の航空管制官のいじめ問題で国を相手に闘っていることにふれた上で、二五万人の雇用の受け皿にもなっている自衛隊の内部に人権の光を当てていくことの重要性、そのことが自衛隊を闘わない軍隊にしていくことに繋がっていくはずとの問題提起をされた(団報一八八号二一頁)。これは、岡田さんの前記団通信での次の問題提起と完全に一致する。
「軍隊もカルト集団も、どこか人間を『物化』して、正常な判断力を喪失さえるところに特徴がある。『物化』しなければ、恨みもないところに人は殺せない。人間の『物化』を防ぐ最善の措置は、人間を人たらしめること。人たらしめるために必要なことは、その人の基本的人権が守られること。自分の基本的人権が守られ、人権の尊さが肌身にしみた人は、他人の基本的人権にも想像力が働き、その人の基本的人権も守られねばならないと考えるはず。恨みもなく殺そうとする相手方にも人権があると頭にひらめいたら、人は殺せない、と思う。」
団員各位のご購読を期待する。一八〇〇円で書店でも入手可能だが、当事務所に連絡くだされば格安での提供も可。
事務局長 泉 澤 章
政府民主党が秘密保全法の今国会上程を断念したというニュースが流れていますが、官房長官は記者会見で、法案化作業はしている、見送りとは一言も言っていないと発言しています。今後も油断することは決してできません。
秘密保全法の国会上程完全阻止へ向けて、マスコミへの働きかけや日弁連との共闘など、これからの活動について討議したいと思います。
各事務所、各支部から多数の参加をお願いします。
日時 四月一九日(木)午後六時〜
場所 自由法曹団本部