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泉澤   章 *二〇一二年宮崎五月集会特集*
宮崎五月集会の概略
濱野 尚子 事務局交流会全体会感想
頼高 夢美 プレ企画・法律事務所事務局交流会
「(1)運動の経験交流」分科会に参加して
青龍 美和子 「水俣ツアーに参加して」
南雲 芳夫 福島原発事故―曖昧にされる責任」と「被害者の分断」から「集団訴訟の構想」へ
毛利 正道 南相馬など「原発関連死五九七名」の衝撃
増田   尚 民主法律協会・大阪市職員アンケート問題PTの活動について
原野 早知子 大阪市職員アンケート問題実態調査に参加して
種田 和敏 陸自レンジャー 市街地「行軍」訓練禁止仮処分の申立て



*二〇一二年宮崎五月集会特集*

宮崎五月集会の概略

事務局長  泉 澤   章

一 はじめに

 本年五月二〇日から二一日にかけ、南国宮崎において、二〇一二年五月研究討論集会が開催されました。新緑の季節、美しい松林に囲まれたシーガイアリゾート・コンベンションセンターで開催された今年の五月集会には、全国から五一六名もの参加者が集まり、経験交流と熱心な討論が繰り広げられました。

 詳細は追って団報にて報告いたしますが、取り急ぎ概略についてご紹介いたします。

二 全体会(一日目)

 全体会の冒頭で、南九州支部(宮崎県)の中島多津雄団員と大阪支部の愛須勝也団員が議長団に選出されました。そして、篠原義仁団長の開会挨拶に続き、南九州支部(宮崎県)の後藤好成団員から歓迎の挨拶がありました。後藤団員は、かつて会場となったシーガイアリゾートの建設によって伐採されようとした松林を守るため奮闘してきた過去を語りつつ、しかしそうまでして完成した会場だからこそ、団としてぜひ有効利用していただきたいと話しました。

 来賓として、地元の宮崎県弁護士会から、団員でもある松田幸子会長からご挨拶をいただきました。また、日本共産党から、団員でもある仁比聡平元参議院議員からご挨拶をいただきました。

 続いて、小部幹事長から、脱原発へ向けての動き、改憲策動とのたたかい、比例定数削減阻止の活動など、現在団が取り組んでいる重要課題についての基調報告と、分科会の討論へ向けた問題提起がなされました。

三 記念講演

 今回の全体会での記念講演は、環境社会学が専攻の長谷川公一東北大学大学院教授による「原発ゼロの社会をつくるために」と題した講演でした。五月五日には日本中の原発が停止し、現実に原発の稼働していない状態となった今日、政府や電力会社が声高に言うように本当に原発がなければ夏を越せないのか、今後も原発のない社会を作ることは実現可能なのか、客観的なデータやドイツなど他国の経験を基にした分析は非常に説得力のあるお話でした。また、日本が原発政策に固執するのは、核の潜在的抑止力を維持したいからだというお話も大変興味深いものでした。

 長谷川教授には、その後の原発問題分科会にも助言者として参加していただきました。

四 分科会

 今回の分科会も従前どおり、経験交流と討論とを交えて行われました。分科会の概要と参加者(カッコ内)は次のとおりです。

1 原発問題分科会(一日目一四四名、二日目一三一名)

 原発問題分科会の一日目は、前半で、喫緊の課題である大飯原発再稼働阻止について福井ほか近隣府県での取組みが報告されました。また、全体会講演をいただいた長谷川教授にも助言をいただき、立地自治体や周辺自治体の県・支部を中心として全国から再稼働反対の声を挙げていくことが確認されました。後半は熊本支部の板井優団員より九州玄海原発廃炉訴訟をテーマに基調講演をいただいた上、北海道泊原発廃炉訴訟、九州川内原発廃炉訴訟など、現在係争中ないし提訴予定の各地訴訟・運動に関する経験交流と意見交換がなされました。

 二日目は東京電力福島原発事故被害の被害回復をテーマに、福島支部の荒木貢団員、倉持惠団員、宮城支部の菊池修団員から、福島、宮城で生じている被害の状況について報告をいただきました。続いてこれらの報告を踏まえ、大阪市立大学の除本理史准教授から特別報告をいただきました。その後、各地で被害回復に取り組む団員から、各弁護団での取り組みや課題の報告がなされるとともに、東電や国に対抗するため被害者の団結をいかに形成・維持するのかという問題提起もなされました。

2 改憲分科会(一日目八三名、二日目八六名)

 改憲分科会一日目は、まず秘密保全法阻止をテーマに、その危険性と狙いについて基調報告を受け、国家機密法案阻止のたたかいの経験、現在の日弁連の取組み、今後の学習会など、多面的な視点からの意見交換がなされました。また、引き続き在日米軍再編と今後の日米関係についても議論が交わされました。

 改憲分科会二日目は、前半で明文改憲問題について、自民党の改憲草案や各党の改憲に向けた動き、憲法審査会の動きなど明文改憲に向けた動きについて討論をしました。後半は現在大阪で起きている橋下市長、維新の会の躍進現象を前に、大阪のこの現象は全国に波及する可能性があるという問題意識から、現状分析や対抗策について議論をしました。

3 労働問題分科会(一日目七五名、二日目八四名)

 労働問題分科会一日目は、鷲見賢一郎団員からの基調報告の後、「いかにして非正規裁判闘争に勝利するか」というテーマで、主に派遣・有期問題について事例報告と討議がなされました。派遣切りについては、松下PDP最高裁判決以降どうたたかうか、その理論的、実践的な工夫について議論となりました。

 労働問題分科会二日目は、一日目に引き続き、非正規裁判闘争をめぐる情勢として、ホンダ事件、横河電機事件、非正規ネット関連の事件、JAL不当二判決の報告と控訴審でたたかい、全国でたたかわれている社保庁分限免職事件等につき、各地の団員から報告と意見交換がなされました。そのほか、学校施設開放員事件等他の正規労働事件についても報告がありました。

4 司法問題分科会(一日目五七名、二日目五六名)

 司法分科会一日目は、裁判員裁判事件を闘った団員三名から、事件の報告をしていただき、各事件について参加者と意見交換を行いました。大阪支部の小林徹也団員からは現在最高裁に上告している覚せい剤取締法違反事件、南九州支部(宮崎県)西田隆二団員からは鹿児島老夫婦殺人事件、埼玉支部の鍛治伸明団員からはマスコミで「一〇〇日裁判」と報じられてい殺人・詐欺等事件について、事案の概要、審理経過、弁護活動の内容について報告していただきました。各団員の報告に対し、会場から様々な質問や意見が出され、裁判員裁判における事実認定の傾向について検討しました。

 司法分科会二日目は、今年三月に団司法問題委員会が発表した「裁判員制度の見直しに関する意見書(案)」について、意見交換を行いました。裁判員による量刑判断への関与の是非など現行の制度について様々な意見が出され、裁判員制度の見直しについて有益な討議がなされました。また、実際に裁判員裁判を経験した団員から、弁護活動で工夫した点、試行錯誤した点などの発言も多く出されました。

5 構造改革+震災分科会(一日目五四名、二日目五二名)

 震災・構造改革分科会一日目では、前半に震災から一年余りを経た被災地と被災者の状況について、被災地の団員や被災者支援に取り組む団員から詳しい報告と多くの問題点が指摘されました。後半では政府の復興特区法や宮城県知事の水産業特区化の策動に見られる「復興」の問題点と闘いの到達点、被災者・住民本位、生活と生業の再建を中心とした真の復興を対置してゆくことの重要性について、阪神淡路大震災の際の経験にも触れながら、活発な意見交換がなされました。

 二日目は、政府が目論む地方整備局の廃止問題に焦点を当てたパネルディスカッションを中心に進行しました。パネリストには地元宮崎の綾町町長と国公労連九州建設支部の副委員長、尾林団員の三人が登場しました。分科会には地元市民の参加もあり、国会議員から連帯のメッセージも寄せられました。

6 貧困問題分科会(一日目六六名)

 貧困問題分科会では、生活保護問題に関わる団員の諸活動にスポットを当てた討論と意見交換が行われました。また、ホームレスの方々をどのように支援に結びつけるかと行ったノウハウや各地の貧困ビジネスに対向する取り組み、求職者支援制度の現状と問題点、新宿七夕訴訟や福岡生存権裁判の状況等各項目について、全国の団員から報告がされました。被災地福島の団員からは被災地における生活保護制度運用の現状について報告がされました。

7 比例定数削減問題分科会(二日目四一名)

 比例定数削減阻止分科会では、最初に山口真美対策本部事務局長からの基調報告と田中隆本部長代行による最新の樽床私案を踏まえた制度論解説が行われました。その後、各地からの運動が報告され、さらに最新の国会情勢について仁比聡平団員からの報告もありました。

五 全体会(二日目)

 分科会終了後、全体会が再会され、次の九名の全体会発言がありました。なお時間の関係上、福井女子中学生殺人事件の再審開始決定と異議審への支援のお願い(福井県支部・吉川健司団員)、(1)宮城県支部への全国からの義捐金カンパのお礼(2)宮城における復旧復興の取り組み(3)TPP問題(宮城県支部・菊地修団員)、及び埼玉総合法律事務所・中村宏さんについては発言要旨の紹介のみとさせて頂きました。

(1)九州の原発訴訟の取り組みについて

   南九州支部(宮崎県)・山田秀一団員

(2)大飯原発再稼働阻止のたたかい

   東京支部・森孝博次長

(3)福島原発被害について

   埼玉支部・南雲芳夫団員

(4)衆院比例定数削減問題について

   東京支部・山口真美団員

(5)秘密保全法の危険な本質・重大な人権侵害法に対する団の課題

   東京支部・吉田健一団員

(6)大阪の橋下・維新の会について

   大阪支部・高橋徹団員

(7)JAL整理解雇訴訟の不当判決と控訴審のたたかいについて

   東京支部・山口泉団員

(8)国公法弾圧事件・大法廷回付をめぐる最高裁の情勢と最高裁包囲に向けた学習会運動の重要性と課題について

東京支部・松島曉団員

(9)司法修習生に対する給費制復活を求める運動・貸与制の現実

   東京支部・種田和敏団員

 全体会発言に引き続いて、次の八本の決議が執行部から提案され、会場の拍手で採択されました。

○関西電力大飯原子力発電所三、四号機の再稼働を許さず、すべての原発を廃炉にすることを求める決議

○原発なくそう!九州玄海・川内訴訟」を支援し、全国の原発の再稼働を許さず、原発に頼らないエネルギー政策への根本的転換を求める決議

○新たな改憲策動を阻止し、日本国憲法を守り活かすことをめざす決議

○秘密保全法に反対し、廃案を求める決議

○衆議院比例定数削減を阻止し、小選挙区制を廃止して、民意を反映する選挙制度を実現するための取り組みを行う決議

○労働者派遣法の抜本的再改正と有期労働契約に対する抜本的規制強化を求める決議

○国の出先機関の存続を求める決議

○司法修習生に対する給費制の復活を要求する決議

 以上の決議が採択された後、拡大幹事会が開催され、新人団員の入団が拍手で承認されました。

 続いて、今年一〇月の総会開催地である静岡支部の事務局長望月正人団員から、開催場所となる焼津の紹介と歓迎の挨拶がありました。

 最後に、南九州支部(宮崎県)の成見正毅団員から閉会の挨拶が行われ、全てのプログラムが終了しました。

六 プレ企画について

 例年どおり、五月集会の前日(一九日)に、プレ企画がもたれました(人数はカッコ内。なお、今回は会場を三カ所に分けました。)

1 支部代表者会議(シーガイアコンベンションセンター・六八名)

 支部代表者会議では、「人づくり・基盤づくり」をテーマに、四時間にわたって、全国の支部代表者による熱心な議論がなされました。事前にアンケートを実施し、その分析結果について基調報告を受け、各支部・事務所での意見交換・経験交流を行いました。

2 新人弁護士学習会(宮崎市民プラザ・六九名)

 新人弁護士学習会は三部構成で行われ、第一部では後藤好成団員(宮崎県)から、団員と宮崎県民による、シーガイア建設に際しての防潮保安林をまもるたたかい、シーガイアへの宮崎県による六〇億円の公金支出をめぐるたたかいについて講演をいただきました。第二部では、稲村蓉子団員(佐賀支部)、馬奈木厳太郎団員(東京支部)、成見暁子団員(南九州支部・宮崎県)の三団員より、若手弁護士としての活動や悩みなどについて率直に語っていただきました。第三部では、司法修習生の給費制維持について、宮本亜紀団員(大阪支部)から現在の国会情勢等の基調報告が行われ、その後、現に貸与を受けている六五期修習生の悲痛な現状報告、団員による各地での給費制維持に向けた活動報告がおこなわれました。

3 事務局交流会(宮崎レマンホテル・八三名)

 事務局交流会では、まず全体会で、福岡支部の永尾廣久団員から、ご自身二四年ぶりとなる宮崎五月集会での講演をいただきました。

 また、事務局の講演は、地元九州の熊本中央法律事務所の事務局の広瀬由美さんと、村上博士さんから、集団訴訟に関わった経験、事務所の運営や方針、事務局としての想いなどをお話いただきました。

 その後引き続き行われた分科会では、従来のとおり、「(1)運動の経験交流」「(2)私たちの仕事を考える」「(3)新人交流会」の三つの分科会が設けられ、経験交流と討論が行われました。

七 最後に

 今回の五月集会の会場は、団らしからぬ(?)豪華なリゾートホテルでの開催ということもあって、例年よりも若干費用がかさむことになってしまい、もしかしたら参加者が激減するのではないかと危ぶんでいました。しかし、それは杞憂でした。現在私たちの目の前に横たわる様々な課題をどう克服するのか、そのための討論と交流を求める団員、事務局員は、多少の障害があっても、団に結集することを厭わないことがよくわかりました。そして何よりも、地元九州、宮崎の団員、事務局員の皆さん、自治体や労働組合の皆さんの多大なるご尽力によって、この五月集会が成功したことは間違いありません。

 たった一つ残念なことがあったとしたら、集会全日を通しての雨空で、「金環日食」が見られなかったことでしょうか。しかし、この集会に集った皆さんの心は、きっと晴れ晴れとして、次の課題へ全力で取り組む活力が生まれたのではないかと思います。今後とも、より一層奮闘しましょう。


事務局交流会全体会感想

関西合同法律事務所  濱 野 尚 子

 永尾先生のお話は、本当に参考にすべき点が多く、今後の事務局としての働き、私自身の考え方にも大きく影響を受けると思いました。取り入れるべき点はどんどん取り入れ、事務所に反映し、自分の事務所をより良くしていくために、頑張ろうと思えました。ありがとうございました。

 広瀬さんのお話も大変共感でき、また私も可能な限り地域に関連した事件活動など、積極的に参加したいと思いました。私自身、イラク訴訟に関わり、原告の方々の思いに涙し、私も原告として、すすめる会世話人として関わってきた経験があり、事務局として、人として、かなり考え方が変わったなと思っています。ただ、その後、結婚、出産、育児と時間的制限などがあり、精神的にも、消極的になっていましたが、テレビ、新聞などから情報を得る時間もない中で、可能な限り、団などの集会に参加したいという気持ちが強く、今回子どもを連れて参加しました。参加できて本当に良かったと思います。貴重なお話が聞け、事務局同士の様々な話も聞け、又、分科会では、私自身も発言を多くさせていただき、有意義な交流会でした。

 ご準備いただいた皆様に、感謝の思いでいっぱいです。

 ありがとうございました。


プレ企画・法律事務所事務局交流会
「(1)運動の経験交流」分科会に参加して

埼玉中央法律事務所  頼 高 夢 美

 全体会、分科会を通じて強く感じたのは、団事務所が地域の運動の核となって、運動を起こし、リードしている様子でした。全体会でも分科会でも、「○○中央法律事務所」という、まるで私の事務所ときょうだいのような名前の事務所が各県にあり、地域の運動に深く関わり、最前線で闘っていることがよく分かりました。

 私の事務所は歴史的に債務整理を多く手がけてきており、依頼者の経済的再生のために頑張ってきたと思っていますし、高金利引き下げ運動が盛り上がったときには、事務局も一丸となって貢献したと自負していますが、その方々を束ね、また一回り大きな運動にしていくという活動は出来ていなかったなと感じました。

 また、分科会で昨年八月始めの「震災ボランティア派遣」についての発表がありましたが、私も昨年八月の中旬に娘とボランティアに行ったとき、その方達が手がけた同じ墓地のお掃除(がれき撤去)を引きついでやりましたので、意外なところから団事務所の活動のつながりを見つけて嬉しくなりました。私が行ったときもお墓はまだがれきだらけで、私の判断で「ゴミ」として処分してしまって本当にいいのかなと、悩みました。作業の休憩時にはやさしい住職さんのご厚意で、お寺の本堂で昼寝もさせて頂きました。本堂には納骨できない遺骨と遺影がたくさん並んでいました。

 また、埼玉県には福島第一原発の立地地域の方々が集団で避難されていますので、その補償問題に取り組んでいる弁護士が埼玉には大変多く、大弁護団が結成されています。補償問題に取り組むと同時に、原発に頼らない社会に向けて、団事務所として何かをしなければいけないのではないかと強く感じました。

 この問題ではちょっと気になることがあります。昨年の七月、知人と暑気払いをしていたとき、「埼玉に避難して来ている人たちは、原発の恩恵を受けてもともと良い生活をしていたんだ。年収も高かったし、避難所でもわがままな要求をしている」という人がいたのです。今年四月には、次男の高校入学式で、後ろに座っていた保護者が全く同じ趣旨の事を話していたので、びっくりしました。原発避難者とそれを受け入れている埼玉の住民との対立というものをかいま見たような気がしました。

 本当は対立なんてすべきではないし、している場合ではない。一緒に手を携えて、原発のない社会を作っていくべきでしょう。原発問題は単純ではありませんが、こんな危険なもの、他の分野では決して実用化なんてしていないと思います。被害が甚大すぎて、誰の手にも負えないような気がします。

 この夏もまた「電力不足」で大騒ぎになると思われますが、原発稼働無しでやっていける国民的実績をつくり、原発廃止に向けて頑張りたいと思います。


「水俣ツアーに参加して」

東京支部  青 龍 美 和 子

 五月一九日から二一日まで宮崎で行われた五月集会の後、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発事故被害弁護団の有志による水俣病事件に学ぶツアーに参加してきました。

 二一日のお昼、五月集会の熱気冷めやらぬうちに、予めチャーターしていたバスに乗り込み鹿児島の九州電力川内原発を経由して熊本へ。翌二二日に、水俣病事件を象徴する場所を巡りました。前日までの雨空とはうってかわって穏やかな快晴。海は底まで見えるほど透きとおっていました。

 一日中ガイドをしてくれたのは、不知火患者会の事務局をしていた中山さん。

 まず、水俣協立病院の屋上から水俣市内を眺望。水俣駅の目の前、改札から一直線の道路でチッソ株式会社(現JNC)の正門が結ばれており、駅と巨大な工場が正面から向かい合っていることが一目瞭然でした。駅のほうが工場に合わせて後につくられたと聞き、この地においていかにチッソの力が大きかったかがわかりました。

 次に、チッソがメチル水銀を水俣湾に流していた排水口を見に行き、海を綺麗にするためにヘドロをコンクリートで固めた埋立地で水俣病の慰霊碑を見て、その近くにある市立の資料館を見学しました。一九五六年に発生が“公式”に確認されてから数年を経ても原因が特定されなかったものの、一九五九年にはチッソの排出していた物質である疑いは濃厚となったのに、国はきちんとした調査や排水を止めるなどの指導を行わず、被害が拡大していった事実がわかりやすく展示されていました。儲けのためなら人の命や健康を奪っても何とも思わない会社や国の姿勢は、今回の原発事故における電力会社や国と全く変わりません。水俣病の過ちから何も反省していないということが本当にわかりやすかったです。

 午後は、障がい者の共同作業所「ほっとはうす」を訪問しました。ここには、胎児性・小児性水俣病の患者さんたちが通っており、見学者を受け入れて水俣病の経験を「宝物」として語るプログラムが用意されています。私たちも、七名の患者さんからお話を聴きました。

 胎児性の患者さんでも皆さん五十歳を超えています。少し前まで歩けていた人も、急に車椅子を使うようになったそうです。松永さんも、私たちが訪問した時は車椅子でしたが、以前は自転車で施設に通っていたそうです。できていた動作がどんどんできなくなるのが一番辛いとおっしゃっていました。病気の原因がわかっていた一九五九年に生まれ、もし判明していた原因が公表されていたら、メチル水銀の排出が止められ自分は被害に合わなくて済んだかもしれないと悔しそうに語っていました。親御さんはご本人に病気のことは何も言わなかったそうですが、水俣病認定申請をしておりご本人が知らぬ間に認定されていたということでした。認定を受けたことを言わなかったのは、子どもが受けるおそれのある差別のためだったのでしょう。それでも水俣病認定の申請をしていたのは、子どもの身体や将来を心配していた親心だったのではないかと複雑な心境が語られました。

 永本さんは、お父さんがチッソの従業員で労働組合の組合員としてチッソと徹底的に争ったそうです。皮肉なことに、チッソの工場の煙突から煙が出ているのを見ては、自分も頑張るぞと励みにしていたということです。お父さんがつけてくれた鉢巻姿で元気いっぱいの様子を写した写真もありました。

 どの患者さんも動きも言葉も不自由で、お話も正直聞き取りづらかった部分もあるのですが、幼い頃の写真を大きなパネルにしたものを背景に、生き生きと体験を語ってくれました。この施設には、子どもや学生がたくさん見学に訪れ、患者さんたちも話すことに慣れているはずです。しかし、ただただ悲しく可哀想なエピソードではありませんでした。例えば、金子さんは、東京の芸能事務所に乗り込んでいって吉永さゆりを招いてコンサートを開いたり、パチンコに熱中した時期もあったり、自分らしく楽しく生きている様子を、聴く人の心をぐっと掴むように話してくれました。どの患者さんも個性的で魅力いっぱいの人柄でした。自分の体験を宝物として、聴く人に分け与えてくれる皆さんでした。

 所長の加藤タケ子さんも、情熱的でパワフルな方で、自らも涙ぐみながら患者さんたちの語りを補足して解説してくれました。加藤さんは、どの患者さんたちも困難を抱えながら明るく前向きに努力してきたことを、本当に宝物であるといって私たちに紹介してくれました。患者さんたちの生き様にも感激しましたが、加藤さんの熱意にも心打たれました。その加藤さんの熱意や、患者さんたちの希望によって造られた施設は、環境省と厚労省など国の機関の管轄を超えた補助により、他の支援者からのたくさんの協力を受けて造られた建物だそうです。広々とした空間で、建物の真ん中には日本庭園風の坪庭、ひのき風呂のある浴室など快適に過ごせる設備があり、洗面台も車椅子のまま使え、蛇口をひねるレバーも車椅子から楽々手が届くような長さに特注され、鏡も全身をじっくり見渡せるような大きなもの・・・と、なるべく一人で身の回りのことをできるように、自立した生活が送れるように配慮されていました。障がい者の施設としては理想の形ではないかと思います。全国各地にほっとはうすのような施設をつくってほしいです。

 今回のツアーでは、たくさんの方々の協力を得て、実際に行かなければわからない貴重な経験をさせていただきました。この場を借りて御礼申し上げるとともに、この経験を原発事故被害者の抱える苦しみや困難を乗り越える力となるために役立てたいと思います。ありがとうございました。


福島原発事故―曖昧にされる責任」と「被害者の分断」から「集団訴訟の構想」へ

埼玉支部  南 雲 芳 夫

一 被害の実相を把握できているだろうか?

福島第一原発事故によって放出された放射性物質による土壌、水及び大気の汚染は、未曾有の広がりをもつ公害被害だとされる。そして、私自身も、この間、何度か、被害者の声を聞く機会があった。しかし、実際に被害の実相を把握できているとは思えず、どこかで被害についてリアリティを感じられない感覚が残る。

 例えば、埼玉県北部の旧騎西高校(廃校)の校舎に、未だ多くの双葉町からの被害者が避難している。校長室が町長室となり、職員室が町の事務室になっており、教室に町民が住んでいる。周囲にはのどかな田園風景が広がるなか、つい「ノアの箱船」を連想してしまうが、コンクリート造りの校舎は冬は底冷えがしたし、一年以上経過した今でも弁当生活である。

 また、福島の浜通りに行き第一原発に向かって行くと、国道に警察官が警備する検問所が設けられており、立入禁止とされる。日本人であっても進むことができず、そこから先は、日本であって日本でないように感じる。島国・日本にできた「国境検問所」のようである。

 相談活動などで何度か、福島市などの中通りに通っているが、駅前は、若い女性も子どもも歩いているし、普通の地方都市のように賑やかである。しかし、測定されている線量をみると、濃淡はあるが、福島市内でも一μSV/hを超える地点が散見される。一年=八七六〇時間で単純に換算すると八・七六mSV/yという数値になる。これは放射線管理区域の基準(三ヶ月で一・三mSVを超えるおそれのある区域)を超える。こうした数字を反芻しながら普通に生活することは難しいのだろうが、これから妊娠を控える女性や、子どもを持つ親御さんの心の中は本当はどうなのだろうか。うまく想像ができない。

 しかし、他県の者のこうした鈍感さに対して、時として福島の人が、はっきりとした怒りの声を上げることがある。

 ある畜産農家の方は、弁護士との賠償問題の相談の中でも「金で済む話しじゃないだろう!」といった。

 「九・一九さよなら原発集会」で武藤類子さん(福島県三春町在住)はいった。

「私たちをばかにするな!」と。

二 分断と対立の危険

 四月に福島市で「原発と人権」研究交流集会が開催された。被害賠償の分科会において、福島の現地では、現実に生じた被害そのものとともに、被害者が「分断と対立」をさせられ、そのことが、新たな被害となりかけているという指摘があった。

 当初設定された「避難地域vs非避難地域」の差。二〇一二年四月以降の「帰還困難区域vs居住制限区域vs避難指示解除準備区域」の差。そして、こうした地域割りが、原賠審の指針によって「六〇〇万円vs一二〇万円vs八月まで一〇万円」という区分に連なる。

 さらに、「いわゆる自主的避難した人vsとどまった人」との間にも、心理的なわだかまりが残るという。

 多くの被害者団体や弁護団が、当然の要求としての「完全賠償」のスローガンを掲げている。しかし、原発事故による被害は、従来の健康被害等を中心とした公害被害と異なり、極めて多種多様な形態となって現れている。このこともあり、金額の問題を中心に議論をすることによって、かえって、被害者住民が分断、対立させられる危険がある。

三 曖昧にされる東電と国の責任

 これに対して、今回の事故について責任を厳しく問われるべき東電と国の法律的な責任は曖昧にされたままである。

 すなわち、東電は、原賠法三条一項が無過失責任を規定していることから、原賠審の指針に従って一定の賠償を行っているが、その姿勢は、「違法行為を行ったから賠償する」のではなく「法に規定があるから賠償している」という姿勢にとどまっている。原賠法の無過失責任の規定によって、東電は、かえって倫理的な非難からは解放されてしまっているかのようである。つまり、原賠法の「無過失責任は無責任」なのである。

 国についていえば、国は、原賠機構法二条の規定により、「原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任を負っていることに鑑み」賠償に協力するとされている。この規定は、逆に、今回の原発事故について「国には法的な責任がない」といわんばかりである。こうした責任問題への無自覚な国の姿勢が、原発再稼働に向けた動きと同一線上にあることは明らかである。

四 投入される賠償原資

こうした中、原発事故による被害については、賠償実務が現実に進展している(被害者は、日々の生活・仕事のために不十分でも早期の賠償を受け入れざるを得ず「兵糧攻め」されている実態にある。)。被害者個人にとっては不十分な賠償であっても、被害の広がりの広範性から、その賠償原資は過去の大規模公害事件と対比しても大きな金額に上っている。

 二〇一二年四月二〇日時点で、既に賠償支払がなされた額は、総額で七七六五億円に達する。また、同月時点で見積もり可能な必要賠償額としても、二兆五四六二億円が見込まれている。

 東電も原賠機構法四一条に基づいて政府に対して資金援助を申請している。昨年一〇月二八日に既に九〇〇〇億円の援助が実施されたのに加え、二〇一二年中には、さらに一兆五八〇〇億円が予定され、総額で二兆五〇〇〇億円に達しようとしている。

こうした政府の援助は元を正せば国民の税金である。また、原発事故に関連して電気料金の値上げの動きがある。こうした状況の中、「福島県民(被害者)vs国民(電力利用者)」という新たな対立・分断の構図が作られる危険さえある。

 他方で、事故を起こした当事者である東電は負担を回避し、モラル・ハザードともいうべき状態である。

 賠償の根拠とされている原賠法は、同法の目的を「(原発事故による)損害賠償に関する基本的制度を定め、もつて被害者の保護を図り、及び原子力事業の健全な発達に資することを目的とする」(一条)と定めている。現在の状況は「原発事故が現に発生したとしても、それに対しては一定の金銭賠償措置を講じることによって、原発推進政策を進める」という原賠法一条の精神そのままの状況といえる。

五 対決の核心に照準を合わせて広く連帯する運動と訴訟を

 こうした事態に対して、私たち自由法曹団には、原発事故を巡る対決の核心に照準を合わせて、広く被害者が連帯して東電と国の責任を明らかにする運動・訴訟を構想することが求められているのではないだろうか。

 そこにおける「対決の核心」は、

「生業・故郷の再生か?」vs「原発事故による地域破壊を金で受忍するのか?」

「国民の生存権か?」vs「財界・政府主導の原子力(核)政策か?」

「原発からの撤退か?」vs「原発の存続か?」

という対決点ではないか。

 要求の核となるのは、「元の福島を返せ」という声だと思う。「環境の再生」の要求は、避難した人も、残った人も含め、全ての被害者共通の要求となりうるはずであり、「分断と対立」を乗り越え、多くの被害者の結集の核に位置付けるべきものではないか。

六 東京電力と国の責任を明らかにする訴訟の構想

 私も参加している「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発事故被害弁護団においては、「環境の再生」と「統一的な慰謝料の支払い」を求める集団訴訟を提起できないかと討議を重ねている。

 未だ充分な検討を経たものではないが、討議の素材として紹介する。

 原告は、全ての福島県民である。強制避難させられた人も、「自主避難」させられた人も、県内にとどまった人も、いずれも原告となる。

 被告は、東電(原賠法三条の無過失責任でなく民法七〇九条責任)と国(原子炉等規制法等の規制権限不行使。原発推進責任も。)である。

 請求の趣旨は、

1 原告らの居住地において、一mSV/y以下に除染せよ。

2 前項の状態に至るまで、月額○円の慰謝料を支払え。

 という内容を検討中である。

 また、放射能に汚染された農地の除染請求の訴訟も並行して検討している。

 この訴訟の究極の目的は、原発が国民の平穏に生存する権利と両立しないことを明らかにすることである。この点において、玄海原発訴訟等と連動することとなる。

七 課題に見合った体制構築の必要性

被告とする東電・国の力は大きい。訴訟のテーマは、国のエネルギー(原子力)政策の転換を迫るものとなる。取り組み方次第で、被害者が多数に上ることとなり、かつ、避難者は全国に広がっている。訴訟提起となれば、その遂行には、被害者、弁護団そして支援を含めて総力を挙げて取り組む必要があろう。また学者・研究者との緊密な連携も不可欠となろう。

 先に紹介した武藤さんは、昨年の「九・一九集会」で、次のように訴えた。

 「原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がり、つながりつづけていくことが、私たちの力です。」

 避難者等の被害の回復に力を尽くしつつ、それとともに、横につながる力となる運動、訴訟を構想していくことは法律実務家である団員の責任ではないかと考える。


南相馬など「原発関連死五九七名」の衝撃

長野県支部  毛 利 正 道

震災関連死とは

 今年二月中旬の被災地「寅さん」上映会以来気に留めていた福島県南相馬市関連記事で、「三月二八日現在、死者行方不明者は震災関連死を含め九〇〇人」と報じた今年四月一六日の欄を見て不思議に思った。わずか一ヶ月前の上映会のときに把握していた死者行方不明者数が確か六三〇名程度だったのに、一月で二七〇名も亡くなるはずはない、震災関連死がそれだけあるということか、震災関連死とはいったいなんだ?」との疑問であった。本稿は、この疑問への私なりの現時点での回答である。

 復興庁は、震災関連死を「震災による負傷の悪化などで亡くなり、市町村が『災害弔慰金の支給等に関する法律』を具体化する条例による災害弔慰金の支給対象に認定した人」と定義しているが、市町村が認定するについては、二〇〇四年中越地震で長岡市が作成した基準などを参考に「災害直後のショック死や、避難生活など環境の変化によるストレスや体調悪化が原因の死亡であり、災害に起因する自殺を含む」とされている。東日本大震災における、その本年三月末日現在の震災関連死者数の明細が、本年五月一一日に復興庁から公表された(なお、昨年三月一二日に立ち入りが禁止された二〇キロ圏の警戒区域内に放置され、一ヶ月後以降に再開された捜索で遺体で発見された住民は、放置された時点での生死に拘らず、ほぼ「溺死」として直接的「震災死者」に数えられているようなので、震災関連死には入っていないと思われる)。

福島県が突出

 この公表によると、岩手・宮城両県では、合計で死者・行方不明者一万七一三二名、震災関連死者八二九名であり、前者に対する後者の比率は、四・八%であった。これを両県内の死者行方不明者数が一〇〇名以上の市町村別でも確認したところ、最も高い自治体は仙台市が震災関連死者名・同比率一七・二%、二番目が多賀城市で震災関連死者名・同比率一三・二%であり、ほとんどが五%未満であった。

 他方、福島県では、死者行方不明者一八一九名に対し、震災関連死者七六一名であり、前者に対する後者の比率は、四一・八%であった。岩手・宮城両県合計の四・八%に比して一〇倍という著しい高率であった。そして、市町村別でも確認したところ、以下のようになった(全国市町村別震災関連死者数の比較では、第二位石巻市一七八名、第三位仙台市一四三名、第四位浪江町九一名に対し、第一位南相馬市二八二名はダントツであった。他方、死者行方不明者数が一〇〇〇名を超えた市町村の震災関連死者数は、大槌町三四名・釜石市四二名・陸前高田市一六名・気仙沼市九〇名・石巻市一七八名・東松山市五六名である)。

*=原子力災害対策特別措置法により、政府から避難区域などの設定を受けた一〇の自治体(南相馬市・飯舘村・葛尾町・浪江町・双葉町・大熊町・富岡町・川内村・楢葉町・広野町)の合計(被災時人口一四万九五六三名)

原発関連死ではないのか

 これはいったいどういうことか。死者行方不明者数が多い自治体ならば、住民や医療福祉施設などへの打撃が大きいであろうから、特別な事情がない限り、震災関連死者数が多くなっても不思議ではない。

 よって、死者行方不明者数と震災関連死者数とは一応相関関係にたつと言えるから、上記のように両者の数値の比率を俎上に上げることには意味があるであろう。

 その場合、原発事故がなかったとすれば、岩手・宮城県内の県・市町村と福島県内の県・市町村とは、似た傾向になると一応言えるであろう。となると、岩手宮城両県における死者行方不明者数に対する震災関連死者数の割合四・八%は、原発事故がなかった場合の福島県内の自治体で同じ比較をした場合の数値になるのではないだろうか。そうなると、南相馬市では、原発事故がなければ、震災関連死者数は、死者行方不明者数六三八名×〇・〇四八=三一名にとどまった、その公表されている二八二名との差=二五一名は原発事故によっていのちを奪われたと一応言えると思われる。

 そして、同様に計算すると、避難区域が設定された一〇自治体の場合は、六五〇名ー一〇九七名×〇・〇四八=五九七名が原発事故によっていのちを奪われたことになる(福島県全体では六七四名という値になるが、特別事情が入って来やくなるので、当面は、そこまでは広げずにおく)。これまで原発事故によっていのちを奪われた人類は、原発内従事者以外にはないことが前提にされてきたように思われるが、この推論が有効性を持つとすれば、損害賠償請求権者の範囲や金額などについても抜本的な検討が必要となるのではないか。この一〇自治体の住民で震災関連死した六五〇名の人々は、賠償義務者からの有効な反証がない限り、原発事故による死者と判断されるべきだと。

一層明確になる原発関連死

 なお、上記「震災関連死」は、市町村の審査機関において、遺族の申請などに基づき調査のうえ当該死者に災害弔慰金を支給することがふさわしいと判断した場合にカウントされるものであるから、そこには「意思」が入ってくる。そのため、遺族の申請が少なかったり、審査機関が厳しく判断する市町村の場合は認定数が変動する可能性がある。そこで、すでに公表されている二〇一一年の各県別自然動態死亡者数の対前年増加人数から大震災の死者=いわゆる直接死を差し引いてみると、上図のようになる。

 すなわち、このように見ても、いわば「客観的震災関連死」ではないかと思える「A―B=C」の「直接死=B」に対する割合=C/Bの値が、福島県はずば抜けて多い。岩手・宮城両県の平均値が二九・八%であるから、福島県の一一三・七%は、その三・八倍にもなる。つまり、福島県の「A―B=C」×(一一三・七―二九・八)/一一三・七=一三四七名となる。これが、岩手・宮城両県における震災関連死を超える「福島県における客観的原発関連死者数」と一応推計されるのである。しかも、この値は、認定されている福島県の震災関連死七六一名の一・八倍にもなる。

 このような検証からみても、前述した「避難規制を受けた一〇自治体での原発関連死五九七名」との推計は、少なくともそれだけの人数はいるとの根拠を持つといえると思われる。


民主法律協会・大阪市職員アンケート問題PTの活動について

大阪支部  増 田   尚

 橋下徹大阪市長は、二月一〇日から一六日にかけて、任期付職員、再任用職員、非常勤嘱託職員、臨時的任用職員、消防局職員を除く全職員に対し、「労使関係に関する職員のアンケート調査」(以下、「本件調査」といいます。)を実施した。本件調査の質問項目には、街頭演説等の政治活動への参加や投票依頼の有無など、個人の政治活動の内容や、労働組合活動への参加や加入の有無などを確認し、組合に加入するメリットや、加入しない(脱退する)ことの不利益などを感じているかなどまでも尋ねるものであり、職員の思想・良心の自由を蹂躙し、自主的な労働組合の活動に介入する不当労働行為というべきものであった。

民主法律協会(民法協)では、本件調査の実施を知り、二月一一日・一二日の土日に緊急の会合を開き、この問題でのプロジェクトチームを立ち上げ、アンケートへの回答を強制されている職員に対し、本件調査の違法性を明らかにして、回答する義務のないことを伝え、アンケートに応じないよう呼びかけること、提出しなかった職員に対する懲戒処分を許さないよう、職員と市民への理解を広げ、橋下市長らの暴挙に対する抗議の声を集中させるようとりくむことを確認した。

民法協は、一三日には、さっそく、会長声明を発表し、同日朝の通勤時間帯に、市労組とともに市役所前で宣伝を行い、ビラや会長声明を配布した。市労組は、大阪労連などとともに各区役所前でもビラを配布した。また、民法協のウェブサイトに、「『労使関係に関する職員のアンケート調査』の問題点」のページを設けて、アンケートの設問項目ごとに問題点を開設した。当該ページは、ツイッターやフェイスブックなどで拡散され、問題意識の乏しいマスメディアに代わって、広く市民に本件調査の問題点を伝えることに役立ったのではないかと自負している。

 こうしたとりくみが、多数の労組、弁護士会、市民団体の抗議の声ととともに、アンケートの集計作業を凍結させ、大阪市労連の申立てに対する大阪府労委の実効確保措置勧告と相俟って、集計作業の凍結やデータの破棄へと追い込む力となった。

他方で、橋下市長も野村顧問も、違憲・違法の本件調査を反省することなく、職員や労働組合に謝罪をしていない。こうした無反省な態度が、五月には、全職員に対する入れ墨の有無を調査し、回答をしなかった職員に対し、昇進させないなどの不利益処遇や、懲戒処分をちらつかせるなど、人権無視の職員管理を繰り返すことにつながっているといえる。

また、プロジェクトチームは、橋下市長が実施した本件調査による異常な人権侵害の実態を記録化するために、七回にわたり一三名の職員からヒアリングを行った。このたび、その結果を報告書にとりまとめた。ヒアリングからは、本件調査が職員の内心を踏みにじり、自由な政治活動や労働組合活動を萎縮させ、職員間や労働組合に対する相互不信を植え付けて、「物言わぬ」職場づくりをねらうものであったことが浮き彫りになると同時に、こうした暴挙に抵抗する職員、市労組の活動が多くの職員を励まし、人間性を回復する力になっていることを認識することができた(報告書の概要については、原野早知子団員の報告をご参照いただきたい。)。

 民法協は、五月二三日、大阪市に対し、この報告書とともに、(1)全職員及び各職員組合に対する謝罪、(2)回答・非回答のデータの削除、(3)非回答を理由とする不利益取扱いの禁止、(4)労働組合との信頼回復を求める要望書を提出した。大阪市では、所管の人事室において、要望への対応を検討すると回答した。

 橋下市長は、七月市議会にも、職員の政治活動を刑事罰で禁止する条例案や、職員団体の自主的な運営に介入する条例案など、憲法、地方公務員法などを無視して、異論を許さない市役所へと変質させようと躍起になっている。同様の違法行為を繰り返させないためにも、市長に謝罪をさせ、被害回復をさせることが不可欠であり、そのためにも様々な手段によって、引き続き市長の責任を追及していきたい。

 なお、プロジェクトチームがとりまとめた実態調査報告書は、「労働法律旬報」六月上旬号に掲載されている。同号は、「橋下政治に対する批判的検討―公務員労働組合問題を中心に」との特集が組まれており、自治労、自治労連の双方から当該組合や弁護団による報告や、労働法・憲法の学者、文化人などが多数寄稿している。大阪市における職員や労働組合の権利闘争の実情を知り、橋下流の地方自治破壊と対決する理論的・実践的な確信をつかむことができる。ぜひお買い求めいただきたい(定価二一〇〇円)。


大阪市職員アンケート問題実態調査に参加して

大阪支部  原 野 早 知 子

 増田尚団員が報告しているように、大阪の民主法律協会では、大阪市職員アンケート問題について、実態調査を行い、五月二三日に、報告書を発表するとともに、大阪市にアンケートの違法性を認め謝罪すること等を申し入れた。

 私は、アンケート問題PTの一員として、大阪市職員からの聴き取りに参加するとともに、実態調査報告書のとりまとめを担当した。増田団員の報告に補足して、実態調査に当たった者としての感想を報告したい。

 私個人は、これまで公務員の問題に関わったことはほとんどなかった。しかし、二月一〇日に発表されたアンケートの現物を見た瞬間、「何だこれは」と強い違和感を感じ、その後、二月一七日にアンケートが凍結されるまで、民法協の宣伝活動に参加するなどしてきた。その流れで、アンケートについての実態調査に参加することにした。

 アンケート問題PTの聴取は、一三名の大阪市職員に対し、のべ七回にわたり行われた(三月上旬〜四月下旬)。私は二回、聴き取りに参加した。

 私が最初に聴き取りをしたEさんの職場では、回答締め切り日前日に、課長代理が提出を確認した。Eさんが、「私は回答しません」と言いに行くと、課長代理が理由を聞きに来た。Eさんが「弁護士会声明も出ており、憲法違反」と答えると、しばらくして、今度は部長から呼び出され、「拒否すれば処分もあり得る」と説得された。Eさんの体験は、「第三者チームによる調査」の建前とはうらはらに、大阪市において、上司(当局)がアンケートの「回収」に関わっている実態を示すものだった。

 二回目に聴き取りしたJさんは保育士だった。アンケートを見て、異常だと思ったものの、子どももまだ小さく、生活があり、処分を受けた場合のことを考えると、回答しない決意をすることはなかなかできなかったという。この点は、最初に聴き取りしたEさんも同様で、アンケートに回答しないことが原因で、配転されてしまうと、持病のため休職せざるを得ない事情があったことから、上司に「回答しない」と表明する寸前まで逡巡したという話だった。

 その後、私が実態調査報告書のとりまとめを担当することになったので、他の担当者による聴取結果にも目を通した。

 その中で感じたのは、今回の「アンケート」がいかに職員に精神的苦痛を強いたかということである。聴取対象者一三名は、いずれも最終的には回答をしていないが(一人はアンケート用紙を一旦提出した後、上司にかけあって取り戻した)、そこに至るには、Eさん・Jさんを含め、様々な葛藤があった。橋下市長が「正確に回答しない場合処分の対象となりうる」としてアンケートへの回答を「業務命令」としたので、回答を拒否するには、「処分」を覚悟せざるをえなかった。「処分」がなくとも、回答拒否により、昇任(昇級)試験に落第するのではないか、配転の対象にされるのではないかという不安にさらされた職員もあった。

 実態調査に際しては、橋下市政になってからの職場の変化についても聴き取りをした。聴取対象者一三名の職場は多岐にわたるが、共通しているのは、「職場で自由にものが言えなくなっている」という点である。ある職場では、管理職が「どこでもドアを開けたら橋下がいると思った方がよい」と冗談めかして言ったが、冗談に聞こえなかったという。橋下市長の政策・命令に対する絶対服従を職員に求め、これに対して意見をいうことすら認めないという実態が急速に広がっている。トップの決定に対し、一切の異論を許さない職場というのは組織としてどうなのだろうか。まして、公務員には「全体の奉仕者」という憲法上の位置付けがあり、専門的見地から住民の福祉について議論をする役割が求められているはずではないのだろうか。率直に疑問を感じるところだった。

 「アンケート」の違憲性・違法性については、既に様々なところで論じられている。実態調査報告書では、これに加えて、アンケートによって一人一人の職員が直面した苦悩や、大阪市の職場で起きている異常な事態を、リアルに伝えるようにした。一般メディアからなかなか発信されない、「現場の声」の記録となったと思う。

 橋下市長と野村特別顧問は、各界からの批判が高まる中、アンケートを「凍結」し、野村顧問が「廃棄」のパフォーマンスをするに至ったが、アンケートの違法性を認めたわけではなく、謝罪もないままである。

 更に、橋下市長は、入れ墨についての全職員アンケートを行い、回答拒否者に対する処分を検討している。アンケート問題と同じ強権的な手法が、エスカレートして繰り返されており、反省は全く見られない。

 実態調査に参加し、職員の生の声を聴いた者として、事実を広く知っていただき、批判の声を全国から強めていただくことを切に願っている。


陸自レンジャー 市街地「行軍」訓練禁止仮処分の申立て

東京支部  種 田 和 敏

一 はじめに

 板橋区及び練馬区の住民六名は、六月四日、陸上自衛隊のレンジャー三〇名が、人口密集地帯において、白昼堂々、小銃・銃剣を携行し顔に迷彩塗装を施して「行軍」訓練(以下「本件行軍訓練」といいます。)することの禁止を求める仮処分を東京地裁に申し立てました。

 本件行軍訓練は六月一二日に実施予定なので、本稿が皆さまのお手元に届くころには、裁判所の判断が出ているかもしれませんが、結果は次の機会にするとして、取り急ぎ、本件行軍訓練の概要、仮処分に至る経緯及び仮処分の内容についてご報告させていただきます。

二 本件行軍訓練の概要

 本件行軍訓練は、三か月にわたるレンジャー教育の最終段階で実施されます。実施日である六月一二日の早朝、本件訓練に参加するレンジャー訓練生三〇名は、東富士演習場からヘリに乗り、午前八時から同時三〇分の間に、板橋区の荒川河川敷(戸田緑地)に到着します。河川敷に降りた訓練生は、二列隊列を組み、一般道に入り、約七キロメートルにわたって徒歩で移動し、遅くとも正午までに練馬駐屯地に着きます。本件行軍訓練に参加する隊員は、顔面に迷彩塗装を施し、小銃及び銃剣を携行し、鉄帽をかぶり迷彩服に身を包んでおり、まさに「軍人」のいでたちです。

 経路には、都営三田線の西台駅前や東武東上線の東武練馬駅前を含み、にぎわう商店街の中や保育園、小学校付近も通過します。そのため、実施時間帯には、通勤、通学や買い物のために多くの人が通行し、「行軍」を目の当たりにすることが予想されます。また、狭い路地や放置自転車で半分が占拠された歩道もあります。これらの道では、体格の大きなレンジャー訓練生が二列になって行軍すれば、すれ違うことが不可能な個所もありますし、すれ違うことができたとしても、レンジャー訓練生と接触するおそれもあります。

三 仮処分に至る経緯

 私は、五月二九日夜、ふとしたきかっけで、練馬駐屯地で行われた自衛隊と付近住民との協議に立ち会うことになりました。協議の席で、住民のお一人が「訓練は、いかなる想定をして行われるのか?」と質問したところ、練馬駐屯地の広報班長は、「想定はない。」とはっきりと答えました。私は、耳を疑いました。そして、思わず「住民に多大な迷惑をかけてまでやる訓練なのに、想定がないというのでは納得できない。想定がない訓練など必要ないのだから、どうしてもやりたいのなら住民に迷惑のかからない基地内でやってくれ。」と言っていました。想定がない訓練など無駄ですし、あえて市街地で強行するのですから、想定があるに違いありません。私は、想定はないのではなくて、「言えない想定」なのだと思いました。

 そもそも、陸上自衛隊のレンジャーとは、「自衛隊が行動する場合、基本的には大小さまざまな規模の部隊が連携して任務達成を目指して行動をするわけですが、その中でレンジャーは、主力と呼ばれる大規模な部隊とは独立して、極めて少人数で隠密に行動し、示された時間に敵の重要拠点に襲撃(敵の予想しない手薄な場所へ攻撃を仕掛けること。)・伏撃(敵を待ち伏せして攻撃をしかけること。)を行ったり、橋などの破壊活動などを行い、主力の攻撃を容易にしたり、敵の行動を妨害することを任務とする遊撃(敵の陣地内で襲撃や妨害等を行う攻撃)部隊の隊員のことです。」と陸上自衛隊第一師団のホームページにはあります(安田二等陸尉インタビュー)。すなわち、レンジャーとは、専守防衛を任務とする自衛隊にあるにもかかわらず、「攻撃を仕掛けたり」、敵を「待ち伏せ」したり、「敵の陣地内で」襲撃や攻撃を行ったりする「侵略戦争」のための部隊といえます。

 本件行軍訓練が「侵略戦争」の実行部隊であるレンジャーにより行われることを考え合わせれば、その想定は、侵略戦争へ向けた準備として、国民に「軍隊」の存在を慣れさせることであり、米軍との共同作戦の一環で外国を侵略し、市街地を制圧するための訓練の一部だと考えられます。

 上記のとおり思い至った段階で、本件行軍訓練を絶対に中止させないといけない、これを許したら、全国各地の市街地で行軍訓練が行われ、ひいては、戦前に戻ってしまうと危惧しました。そこで、本件行軍訓練を中止させるために、法律家の端くれとして、できることは何かと考えたときに、頭に浮かんだのが「仮処分」でした。もちろん、訓練を禁止する仮処分を勝ち取ることを目指していますが、本件行軍訓練について「赤旗」以外のメディアが報道していないために、多くの人が知らない現状を打破し、運動を盛り上がる起爆剤になればとの思いで、仮処分を申し立てることを決意しました。

四 仮処分の内容

 ここでは、被侵害利益について言及します。本件仮処分の被侵害利益は、平和的生存権及び人格権です。都合上、人格権侵害から説明します。

 本件行軍訓練は、上述のとおり人通りの多い市街地で、しかも狭い路地も経路に含まれているので、隊員と住民との接触事故等のおそれがあり、住民の生命及び身体の安全を侵害します。また、自分たちの慣れ親しんだ街で、唐突に「軍人」と遭遇すれば、平穏な日常は破られ、住民に与えるショックは計り知れません。債権者(申立人)の一人は、「訓練を強行する場合には、(事故現場で遺体を覆うように)隊員が見えないようにブルーシートで隠してほしい。」と言ったほどです。したがって、人格権侵害が肯定されると考えます。

 また、平和的生存権は、イラク派兵違憲訴訟の名古屋高裁判決に準じて、侵略戦争の要員であるレンジャーを訓練することは「戦争準備行為」にあたり、前述の人格権侵害がある以上、かかる戦争準備行為によって、個人の生命、自由が侵害の危機にさらされている場合に当たるので、具体的権利性が肯定でき、平和的生存権の侵害が肯定できると考えます。

五 むすび

 新人弁護士ながら、住民の方と対話し、問題を知ってから一週間という短い時間で、本件行軍訓練を中止に追い込む運動の中において、自分にできることができたのではないかと思っています。もちろん、多くの先輩方のご指導を受けながら、進めさせていただいたことを付言しておきます。

 憲法の理念のとおり平和な日本を守るため、今後とも精進したいと思っています。