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小部 正治 二〇一二年 静岡・焼津総会 特集
静岡・焼津総会へふるってご参加を
塩沢 忠和 歓迎!静岡・焼津総会へのご参加を
家本  誠 半日旅行へのお誘い
萩原 繁之 一泊旅行へのお誘い
大江 洋一 ファシズムの危険―大阪で起こっていること
大久保賢一 「原発と人権」全国研究・交流集会第五分科会
「原水爆被爆者の運動に学ぶ―広島・長崎から福島へ―」の報告
―福島原発事故と対抗するために八―
飯田美弥子 「日本近現代史のなかの救援運動」(山田善二郎著)のすすめ
中西  基 「反貧困全国キャラバン二〇一二」が始まりました。
斉藤 耕平 九月常幹に向けて司法問題委員会
裁判員裁判見直し意見書案にご意見ください
伊須慎一郎 第二弾・ハローワーク埼玉特区問題の学習会を開きます。



二〇一二年 静岡・焼津総会 特集

静岡・焼津総会へふるってご参加を

幹事長  小 部 正 治

なぜ静岡なのか

 昨年三月一一日の福島第一原発の大事故の後、菅総理大臣はいち早く静岡・浜岡原発の運転停止を指示した。静岡県では、それと前後して原発反対の大きな運動が構築され、団員が中心となった訴訟が浜松支部等に多数の原告が参加して提訴されている。昨年・山梨県身延温泉にて開催された静岡支部総会でも田代団員・塩沢団員などベテラン団員も若手団員も熱く語っていた。「本物」の原発を見ていない方には半日旅行・一泊旅行で見ることができ、原発を設計した講師の話もプレ企画で聞ける。「百聞は一見に如かず」。

総会をめぐる情勢

 政権交代から三年が経過した。国民の生活を守るかのようなマニュフェストから始まった民主党政権も公約を投げ捨て、アメリカの言いなりに基地移転・オスプレイ配備や海外派兵をすすめ、日本の財界のお先棒を担いで貧困者を増やし労働者いじめの法律を製造する。挙げ句の果てに、マニュフェストでは否定していた消費税増税を、自公と談合して強行成立させた。

 既成政党に匙を投げた国民の前に、新しい政治を求める思いを受け止めるかのような橋下市長・大阪維新の会の悪政が「条例改正」という民主主義の形式にて強行されている。今第三極として国政にも躍り出ようとしている。ファシズムと理念を共通にする勢力を壊滅させ、この国の国民の生活と権利を擁護し、平和と民主主義をさらに発展させるために、何をなすべきか、何ができるかを考える必要がある。

何を語るのか

 分散会方式で意見交換を行うこととし、そのテーマは以下の三つを中心としたい。

 第一は、憲法・平和と民主主義の分野である。この分野では、「比例定数削減」に対抗し「小選挙区制」を廃止し民意を反映する選挙制度をめざした取り組みの中間総括をしたい。法律家団体として運動の発展や世論の拡大にどの様な役割を果たしたのか、他の課題の教訓としたい。また、多くの政党が明文改憲案を提起し、両院の憲法調査会で改憲案が議論される状況にいたり待ったなしの課題となった。全国各地で団員は何をなすべきか、具体的な活動を協議したい。

 第二のテーマは、原発をなくす運動である。市民が自らの要求としてデモや集会に参加して反対の意思表示をする新しい情勢を切り開いてきた。しかし、政府・電力会社等は、巻き返しを意図的にはかろうとしている。福島の被害から出発した運動・裁判はどう進めるべきか。また、既存の原発の周辺で被害者となりうる者たちの裁判や運動はどう進めるべきか。そして、首相官邸前や全国の電力会社前や各地域において、私たちはどの様な活動を進めるべきか。継続的・恒常的な運動体を構築するとともに、様々な潮流が一体となって運動を進めることができるためにどうしたらよいのか。原発を本当になくすために、各地での取り組みを交流したい。

 第三は、司法・裁判の分野である。最近の裁判所の動向をどう見るべきか。日の丸・君が代に対して良心を貫こうとする行為に対する処分を肯定する最高裁。泉南アスべスト大阪高裁判決やイレッサ東京地裁判決など国家賠償請求を否定する判決。松下PDP最高裁判決を超えて「非正規切り」企業を擁護する下級審。JAL整理解雇を容認した東京地裁二敗訴判決。団員はいかに闘うべきか。また、法曹人口の増大のなかで法曹養成制度の現状・問題点さらに給費制維持の闘いの意義・展望は。同時に、若手団員が増大する中で各法律事務所の財政的な基盤づくりや人づくりに成功しているのか。率直な意見交換をしたい。


歓迎!静岡・焼津総会へのご参加を

静岡県支部  塩 沢 忠 和

はじめに

 昨年六月、山梨県下部温泉にて静岡県支部総会を開催し、本部から小部幹事長を招いて情勢報告をしていただいた。その折のたしか二日目の朝、温泉につかって寛いでいたところ、幹事長から「来年の総会を静岡で引き受けてくれないか」と切り出された。私は、自治労連関係の事件で東京高裁での勝利的和解を勝ち取るにあたり、幹事長に大変お世話になったという個人的“借り”があるため、直ちに「前向きに検討します」と答えざるを得なかった。後日、「先生、安請け合いしてはダメですよ」と若手団員から苦情が出たが、「本部からのこの種の要請は断るわけにいかないのだ」と言い訳し、なんとか支部としての了解も得た。

 実は私は、団の全国的集まりに地元受け入れ側で関与したことが過去に二回あり、何の因果か、今回で三回目である。最初は一九八五年(昭和六〇年)一〇月、秋田県田沢湖町のわらび座での総会、二回目が二〇〇〇年(平成一二年)五月、舘山寺温泉での五月集会で、当時いずれも事務局長として、そして今回は支部長としてである。

 過去二回は私自身にまだパワーがあって結構楽しくやり切れたが、今回、六六歳を過ぎた私には正直しんどい。しかし幸いにも、我が静岡県支部は中堅がしっかりしていて、且つ最近若手が急増し、大変心強い限り。これまで何回か打合せを重ね、全国の皆様に満足していただけるであろう準備が整いつつある。

焼津はどんなところか

 焼津と言えば、まずは遠洋漁業(マグロ、カツオ)の漁港として有名で、会場(焼津温泉・ホテルアンビア松風閣)も、駿河湾を眼下に臨み、富士山や伊豆半島も見渡せる絶好のロケーションである。

 また、「焼津」という地名の由来は日本神話にある。日本武尊が東征の途中この地で地元の賊に襲われ、草薙の剣で葦をなぎ倒して火を放ち、賊を迎え撃って難を逃れた、その様相が烈火の如く「焼ける津」に見えたからだそうな。ついでに、焼津の東隣は「草薙」という地名である。

三・一ビキニデーについて

 焼津を語る上でより重要なことは、毎年三月一日に開催される三・一ビキニデー集会である。

 一九五四年(昭和二九年)三月一日未明、アメリカによる太平洋ビキニ環礁での水爆実験(広島型原爆の約一〇〇〇倍の威力)により、マーシャル諸島の人々や多くの日本漁船などが被災した。焼津のマグロはえ縄漁船「第五福竜丸」は、アメリカ政府の指定した危険区域外で操業中であったにもかかわらず、“死の灰”を浴び、二三人の乗組員全員が急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さん(当時四〇歳)は、「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い残し、その年の九月に亡くなられた。

 この三・一ビキニ事件は日本国民に大きな衝撃を与え、「広島・長崎を繰り返させるな」と、全国に原水爆禁止の声が巻き起こり、三千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌一九五五年八月に第一回原水爆禁止世界大会が開催された。原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の結成はこの年の九月である。

 三・一ビキニデー集会は、この久保山さんの遺志を継ぎ、毎年開催されてきた伝統ある行事であり、核兵器廃絶を世界の大きな流れに発展させる上で多大な寄与をしてきた。今我が国で、「核兵器廃絶」と「反原発」とが一つになってこれまでにない大きなうねりになりつつあるこの時に、三・一ビキニゆかりの地で団の総会が開催されることは大変意義深いと思う。懇親会での出し物も、三・一ビキニデーにちなんだ「清く正しい芸術作品」を披露したいと考えている。

浜岡原発をめぐり…

 今、静岡でも、「世界で一番危険な原発」として有名な浜岡原発の運転差し止め(永久停止)を求める訴訟が、静岡地裁本庁と同浜松支部の二つの地裁で取り組まれている。そしてこの訴訟には、この上なく貴重な“助っ人”が存在する。東大工学部卒(かの牛久保弁護士と同期で昵懇の仲とのこと)、東芝原子力事業部で福島・女川・浜岡の原発の基本設計を担当し、その後故あって私たちと同じ立場に立つこととなった、原発のことを知り尽くしている工学博士渡辺敦雄氏(現在NPO法人APASTの事務局長として活躍中)である。

 そこで、原発問題に関わりを持っている多くの団員が参集するであろうこの機会に、渡辺博士による、浜岡原発に関する貴重な解説や様々な原発関連の話を、是非全国の団員に聞いてもらうべく準備を進めている。詳しくは別途団通信で案内するが、プレ企画(二〇日)には渡辺氏の講演、総会後の旅行(半日及び一日旅行の初日)は、同氏の解説付きでの浜岡原子力館見学(同館の最上階から浜岡原発の全貌を見渡せる)を企画している。

諸課題が山積する中、多いに語り鋭気を養おう

 原発問題だけでなく、団員が取り組まなくてはならない諸課題が山積している。お互いの経験を交流し、知恵を出し合い、そしてまた困難を乗り越えていく力を持続させるための鋭気を養う、そのような総会になるよう願いつつ、皆様方のご参加をお待ちしている。


半日旅行へのお誘い

静岡県支部  家 本   誠

 焼津での総会が終了する一〇月二二日の午後一二時三〇分頃から半日旅行を企画しています。今回は、宿泊場所の松風閣からは目と鼻の先にある焼津さかなセンターと浜岡原子力発電所の半日ツアーを企画することにしました。

 焼津さかなセンターは、官民一体の第三セクター機関が運営する、産地卸売市場です。

 焼津はご存じのとおり日本屈指の遠洋漁業基地であり、地元で水揚げされた鮮度抜群の魚介類や水産加工品がところ狭しと、このセンターには陳列されています。

 当然お買い物も楽しめますが、店頭に掲げられた値段に関しては、交渉次第で値引してくれたり、また多く買えば買うほど割安になったりとプラスアルファのサービスが期待できたりします。店員さんとのやりとりを楽しまれながら良い商品をご購入下さい。

 また今ではB級グルメとしても有名になった静岡おでんですが、そのネタの一つであるはんぺんもこのセンターで有名な商品です。黒はんぺんと呼ばれたりもしますが、静岡では、はんぺんと言えば、この黒はんぺんを指します。黒はんぺんは、かまぼこの一種で、駿河湾で水揚げされるいわしやサバのすり身が原材料となっており、栄養満点で、煮ても焼いても、もちろん生でも食べられます。お土産に一つどうでしょうか?

 このセンター内には各種の食堂があり、ここで昼食を楽しんで頂き、メインの目的会場である浜岡原子力発電所に移動します。

 焼津のさかなセンターからこの浜岡原発までは約一時間程度の道のりになります。浜岡原発への道中と反発の原子力館では、元沼津高専特任教授の渡辺敦雄先生に浜岡原発の危険性について語って頂くことになっています。渡辺先生は、東大工学部を卒業された後、東芝に入社され、配属された原子力事業部で、東京電力福島第1原発三、五号機、東北電力女川原発一号機、浜岡原発一〜三号機の基本設計を担当されるなど、原発の危険性についても大変に熟知された専門家です。

東海大地震の危険性がここ数十年にわたって指摘され、まさにその地域にある浜岡原発の危険性については、言うまでもないことですが、浜岡原発には、その真下に巨大な活断層がある可能性が指摘されています。この点渡辺先生は、「原発は、地震による岩盤の揺れには、いくら揺れても対応できる。しかし(断層によるずれで)地面がなくなったら建物は存在できない。これが大きな問題だ」と説明されています。

 浜岡原発を目の前にして、渡辺先生のお話を聞き、原子力発電とは何かということを一層深く学ぶには絶好の機会であると考えています。

 多くの皆様方のご参加をお待ちしています。


一泊旅行へのお誘い

静岡県支部  萩 原 繁 之

 焼津総会後の一泊旅行については、一年前の九〇周年団東京総会後の、参加者三名の一泊旅行にも参加させていただき、時機に後れた感想文も団通信に寄稿しました、私萩原からご案内致します。

 と申しましても、今回の一泊旅行の初日は半日旅行と同じ日程であり、概略は、塩沢忠和支部長の全体のご案内、家本誠団員の半日旅行のお誘いにおいてご案内したとおりです。

 ただ一言、付言しますと、浜岡原発の原子力館をご案内くださる渡辺敦雄先生は、ご親友とご親族に団員をお持ちであり(ご親友については塩沢支部長の別稿のとおりです)、そうしたこともあって、プレ企画と旅行の双方にお付き合いいただくという、相当ご無理なお願いをお聞きいただいております。この機会を是非有意義に活かしていただければと存じます。

 初日、半日旅行参加の皆さんと別れた後は、東に向かい、富士山を間近に望める宿で懇親、宿泊します。

 翌日は、御殿場市平和委員会の高木理文さん(日本共産党御殿場市議会議員)にご案内いただき、東富士演習場を見学します。

 東富士演習場については、ひとつには、近隣自治体の住民としては、演習があるたびに、雷鳴のような振動と音を聞かされています。

 この演習場についてもうひとつは、かつて静岡県支部でも見学ツアーを実施したことがありますが、富士山の裾野の広大な原野を砲撃訓練などで穴だらけにしていることを目の当たりにすることができ、また、映画「戦争と人間」のノモンハン事件の映像からの走行速度の遅い戦車のイメージしかなかった私が、猛スピードで疾走する戦車を見て仰天するという得難い経験をした記憶もあります。今回どのような経験を皆さんにしていただけるかは予断を許しませんが、ご参加いただく価値はあるだろう、と思います。

 さらには、富士の裾野ならではの風穴である駒門風穴や、大河ドラマ「平清盛」にも関わり源頼朝旗揚げの縁ある三嶋大社にも立ち寄っていただきます。ちなみに三嶋大社は中世以来「三島暦」という暦を発行しており、茶道具の一種、高麗茶碗のうちの「三島茶碗」は、茶碗にこの暦の模様に似た文様があることから名付けられています。

 そんなこんなの由緒のある三嶋大社もまた、一度訪れていただく価値はあるのではないかと思います。解散地点もJR三島駅の予定です。

 静岡県支部からは、若手、中堅の団員も同行する見込です。皆さんのご参加を期待致します。


ファシズムの危険―大阪で起こっていること

事大阪支部  大 江 洋 一

 大阪で起こっている事態については先日の全国常幹の場でかなり全国に知られるようになりつつあると思われる。しかし、橋下市長の極めて異常な行動についての論評は不十分だと私は考えている。

 私自身も自治労連弁護団の立場で組合事務所使用不許可処分等の事件を担当しているが、それまでは、ノックの延長線でマスコミにもてはやされて有頂天になって新自由主義のお先棒を担いでいるという程度の認識に留まっていた。しかし、アンケート問題が発生して、その質問事項と橋下市長の回答指示文書を一読して衝撃を受けた。人の心の中まで土足で入り込んで心の底まで支配しようとしている。それを職務命令をもって懲戒処分の脅しのもとに強制しようとしている。市の職員たちは、回答を拒否したら家族を路頭に迷わせかねないと深刻に思い悩んでいた。「あの時代」がフラッシュバックした。

 どうみてもこれはナチズムではないのか。しかし、書かれたものは「ポピュリズム」を云々するだけで、正面からファシズムを論じるものは寡聞にして見当たらない。身近な何人かの人に訴えかけたても「ファシズムの定義は難しく学者の間でも一定していない」「変にレッテル貼りになってはかえって反発を買うだけだ」というような答えが返ってくるばかりでどうにも反応が鈍いのである。「それは違う!」と歯ぎしりしながら、ファシズム論の古典的名著と言われる山口定(やすし)氏の「ファシズム」(岩波現代文庫)を読んでみることにした。

 出版当時の時代背景があったからだと思われるが、確かに同氏は随所で「レッテル貼り」になることには慎重姿勢を示しているが、さまざまなファシズム論説を吟味しながらファシズム論を展開しており、私の『維新ファシズム論』は直感から確信になった。

 紙数の関係で詳細な内容紹介はできないので、関心のある方は直接お読みいただきたいが、山口氏は、ファシズムの基盤となった社会状況を「支配イデオロギーの危機・支配層内部における統一的意思形成の破綻、既成支配層の腐敗や失政の連続、社会主義運動が期待された変革の実現に失敗して大衆の幻滅を一挙に拡大、労働運動が社会的に孤立したまま不毛な突撃を繰り返す」と指摘するが(最近注目されているカール・ポランニ―の時代分析も一致している)、これは現在の社会状況と瓜二つではないか。

 山口氏が定義づけるファシズムの特性は「『指導者原理』を組織原理とし、制服を着用した武装組織を党組織の不可欠の要素として、街頭の暴力支配と示威行進・大衆集会とを結合した運動を展開する政治的大衆運動」というものだが、橋下市政の手口をみると、これを充分に備えている。直接的な「暴力」ではないものの、マスコミやインターネットを通じてさまざまな「恫喝」を加えるなど「街頭の政治的大衆運動」は新たな現代的装いをもって進められている(氏は、今後ファッショ化の動きが進むとしたら「管理ファシズム」的性格を一段と強くしたものとなるだろうと補説の中で指摘している)。主たる基盤を中間的諸階層に見出し、さまざまなタイプの社会からの「脱落者」集団を集めているという点まで同じである。

 橋下市長は「選挙で多数を得て選ばれた自分が全てを判断する。公務員は一切個人の判断を加えてはならず無条件に服従して実行するだけだ」と広言し、職員基本条例、政治活動規制条例、労使関係条例に現実化した。ナチスの『指導者原理』そのものである。とりあえずは大阪市の行政内部の問題に限定されているように見えるが、「彼らの運動が勝利したあとには、その政治社会全体に押し広げられた組織原理」となるであろう。ナチスが初議席をえてから五年を経ずして政権を奪取し、その後一気に世界を悲惨な戦争と殺戮に引きずり込んだ歴史的経験を想起されたい。それは「構成員に対して『個人』の立場を徹底的に放棄することを要求する」に至る。そして、至ってからでは遅い!のだ。

 美辞麗句を連ねた『維新八策』への内容的批判は各方面からなされているが、「ファシズムの思想には体系性などはなく、自己の勢力を強化したり、権力の確立・維持という目的のために大衆の支持を調達する必要から、訴えかける対象により、またその時々の状況に応じてもっとも好都合な思想が動員されるに過ぎない」というムッソリーニの率直な吐露を念頭に置いて考える必要があろう。原発再稼働をめぐる橋下市長の変節が示すように、いつ豹変するか分からない政策的美辞麗句であることを念頭においておく必要がある。

 最も注意すべきは、橋下市長の姿勢が、「ただ無制限な、あつかましい、一方的頑固さによってのみ宣伝は成功する」「もっとも簡単な概念を何千回も繰り返すことだけが、結局は覚えさせることができるのである」(『わが闘争』)などとオーバーラップして見えることである。無理を承知で言いたい放題まくしたて、攻撃する相手の失態には一切容赦ない一方で、自分の失態には極めて寛大であることも見逃せない。道義的な退廃というほかない。

 現状はあくまで大阪という地方に限られた現象ではあるが、全国的に『橋下首相』待望論がもてはやされる現状からみて、「厳密な意味での「ファシズム」には入らないが、すでにファシズムの諸特徴のいくつかを萌芽的に示しているか、それともそれ自体として顕著なファッショ化の道を歩み始めており、そこからやがて本物のファッシズムの運動が分離・独立することになるような、しかも場合によっては極めて強大な力をもった運動体があちこちに見出された。それはさまざまの由来、背景をもっており、これを「前ファシズム」と呼ぶことにしたい。」との氏の指摘がそのまま今にあてはまるのではないか。

 私はひたすら恐怖心を煽ったりレッテルを貼るつもりで書いているのではない。私は、かなりの人々が漠然とした期待を持ち、ファシズムの危険を見ようとしていないからこそ、心ある人々には橋下市政と維新が現下の政治情勢の中で(前)ファシズムの特質を備えていること正確に認識してほしいだけである。思い過しであったと後で笑えれば幸せである。

 ではどうすればいいのか。同じ社会状況であった同時代のイギリスその他民主主義システムが進んだ国々はファッショ化していない。司法や官僚やマスコミの中からでも最近は一定の批判論調が生まれ始めている。書店の店頭でも「橋下」批判の書物も目につくようになってきている。あまりのひどさに「大阪のおばちゃん」たちにも戸惑いが出始めた。反原発デモも民主主義の根付きを思わせる新しい動向である。そして何よりも頼もしかったのは、涙ながらに家庭や職場で苦しみ悩み励ましあうなかで、ついに思想調査アンケート損害賠償請求訴訟に踏み切った五五人もの人々が、実に輝かしい笑顔で決意を語ってくれたことである。試練は人を磨き上げる。ファシズムが反ファシズムを育んだのだ。ここに進むべき道が示されているのではなかろうか。

 もう一度言うが、今の事態はたんなる人心収攬のための「ポピュリズム」ではない。


「原発と人権」全国研究・交流集会第五分科会

「原水爆被爆者の運動に学ぶ―広島・長崎から福島へ―」の報告

―福島原発事故と対抗するために七―

埼玉支部  大 久 保 賢 一

一 分科会の問題意識

 本分科会は、福島原発事故による放射能被害に抗するために、原水爆被爆者のたたかいから学び、原爆と原発の「遠くて近い関係」についての認識を共有しながら、「核のない世界」への展望をつかもうという問題意識の下に行なわれた。あわせて、被爆医師である肥田舜太郎氏から、放射線に立ち向かう生き方を学ぶことも目的のひとつであった。

 政府は、原爆投下による内部被曝の影響を無視してきた。福島原発事故においても、政府は、放射能被害をできる限り過小に見せようとしている。原発事故被害者に対して、原爆被害者への態度と同様の姿勢を取らせることはならないであろう。ここに、原爆症認定集団訴訟やビキニの被爆者のたたかいから教訓を引き出す理由がある。

 また、原子力にかかわる「国策」は、どのような経緯で形成されてきたのかを検証することで、この国の核依存体質を打ち破る手がかりを得たかった。

 冒頭、「原爆症認定集団訴訟たたかいの記録』付録のDVD『にんげんをかえせ』を上映した。続いて、五人から次の報告を受けた。司会進行は、田部知江子弁護士が務めた。

二 各報告骨子

(1)「原爆症認定集団訴訟の意義と到達点」(宮原哲朗・原爆症認定集団訴訟全国弁護団事務局長)

 原爆症認定集団訴訟は、被爆の実相を明らかにし、裁判所に残留放射線の影響を認めさせ、政府に原爆症認定政策を変更させた。訴訟の原点は、被爆者の怒りであり、その人間の尊厳をかけたたたかいに多くの支援者が共鳴した。被爆者の息の長い運動がその背後にあったことも、見落としてはならない。

 集団訴訟の教訓は、一つには、責任の所在を明確にすることが、より広範囲で質の高い救済を実現するということであり、二つは、より恒久的な対策のためには被爆者援護法のような法体系を確立する必要があるということである。

(2)「被爆者運動における原爆症認定訴訟の位置づけ」(田中熙巳・日本原水爆被害者団体協議会事務局長)

 戦後の米軍占領下、被爆者は七年間沈黙を強いられ、占領後も日本政府は永年にわたって被爆者を放置してきた。ビキニ水爆実験後の原水爆禁止運動の高まりの中で、ようやく被爆者は声を上げ、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)結成に至った。政府は戦争受忍論の立場から国家補償を認めようとしなかったが、被団協は、核兵器の廃絶と国家補償による被曝者援護とを掲げ、政府の被爆者対策を少しずつ改善させてきた。集団訴訟では、放射線被害に限らず原爆被害の全体像を訴えることと、核兵器廃絶運動とも結びつけていくことを重視した。それが裁判官の心を動かし、成果につながったと思う。

(3)「ビキニ水爆実験の被害者はどのように処遇されてきたか」(大石又七・ビキニ水爆実験被爆者・元第五福竜丸乗組員)

 ビキニの水爆と福島の原発はつながっている。ビキニ事件の二日後に原子力予算が国会で可決され、ここから日本の原子力開発は始まった。その背景には、原子力平和利用の一大キャンペーンを繰り広げ、ビキニ事件をきっかけに国中に燃え上がった反核運動を抑え込もうとした日米両政府の思惑がある。

 第五福竜丸元乗組員の内、既に半数が被曝に起因すると思われるがん等で死んでいるが、日米両政府は被害者の頭越しに政治決着をし、現在まで補償も援助も一切行っていない。 

 半世紀後、大震災をきっかけに放射能が牙をむいた。今回の事態は、東電と日米両政府のみならず、ビキニ事件を置き去りにしてしまった我々一人ひとりの責任でもある。

(4)「日本政府の核政策の内容とその形成過程」(山田寿則・明治大学教員)

 戦後アメリカの核独占体制が崩れ、アイゼンハワー米大統領は「原子力の平和利用」演説を行うが、核拡散への懸念から一九七〇年に核不拡散条約(NPT)が成立。NPTは核不拡散、原子力の平和利用、そして核軍縮の三本柱で構成されるが、原子力の平和利用と核軍縮については、非核保有国への譲歩という側面を否めない。

 日本では、原発導入時には予備的核戦力という意識が一部政治家の中に存在し、また、核アレルギーに対する処方箋とされていた。原発推進政策は軍事的意味合いを帯びていたことを示唆している。脱原発を考えるとき、エネルギー需給の観点のみならず、背後の軍事的思惑にも着目する必要がある。

(5)「今、広島の被爆医師が福島に伝えたいこと」(肥田舜太郎・被爆医師)

 軍医として広島赴任中に原爆を体験して以後、内部被曝の危険性を訴え続けてきた。直爆に遭っていない者まで、放射線に侵されて同様の症状で死んでいく例を数多く診てきたが、占領軍と日本政府の圧力で内部被曝問題は隠ぺいされ、放射能の本当の恐ろしさについて顧みられないまま、五四基もの原発がつくられてしまった。

 放射線の影響は、一人ひとり異なるから、免疫力を高める努力で発症させないことが大切だ。いたずらにたじろぐことなく、生き残った日本人の責務として、核兵器廃絶運動とともに、子孫のために原発を再稼働させない、二度と放射線被害を生み出さない、この課題に全力をあげていただきたい。

三 まとめにかえて――到達点と課題

 本分科会を通して、以下の点が明らかになった。

(1)原発事故においても、責任の所在を明確化し、賠償の体系を持つことが、被害救済の量と質を高めるポイントとなる。

(2)原発推進の経緯は、日米支配層による核の軍事利用の目論見と切り離せないものであった。したがって、原発に依存しない社会の実現のためには、核政策そのものの変更を迫る必要がある。

(3)放射線の人体への影響は、科学的に未解明の部分が多く残されているが、その危険性を十分認識するとともに、たじろがずにその脅威と向き合う姿勢が求められている。

 今後の課題も浮き彫りになった。まず、内部被曝の危険性をどう評価するかという問題である。放射線レベルの高い福島の地で生活する多くの人々に、危険性とそれに対処する方法が、説得的に提示されていないことである。これは、深刻な課題である。将来予想される健康被害の問題など、長期的とりくみを視野に入れた施策が求められている。

 また、原発「安全神話」が振りまかれてきた。私たちもそれを信じてきた。しかし、安全が嘘偽りであり、危険が顕在化した今、冷静に事態を見極める姿勢が求められている。人間の「営造物」が完全ということはありえないし、「想定外」の自然災害もありうるであろう。また、事故が起きるかどうかにかかわらず、採掘から最終処分まで、核エネルギーの持つ危険性にも着目すべきであろう。原発容認・推進勢力との対抗が求められている。

 原爆被害と原発被害とを一律に論ずることは適切ではないが、両者は同じく放射能被害であるだけでなく、「国策」による被害である。支配層は、いまだに、原爆にも原発にも執着している。けれども、私たちは、原爆症認定集団訴訟の中で、非人道的な被害の当事者が勇気をもってたちあがったとき、それを支える専門家や市民社会が協働し「山が動く」典型例を体験している。 

 「国策」を打ち破り、再び、放射能被害に慄く人々をつくり出さないための戦う術はあることを確認させてくれた分科会であった。


「日本近現代史のなかの救援運動」(山田善二郎著)のすすめ

東京支部  飯 田 美 弥 子

 先日、八王子革新懇の事務局長になった、とご報告したところ、思いがけず、幾人もの方から「面白かった。」と声を掛けていただき、面映ゆい思いをしました。ありがとうございます。

 さて、私は、実は、昨年から「日本国民救援会三多摩総支部副会長」も務めているのです。

 といっても、布川事件と沖田国賠事件の弁護団に加わっていたために、成り行きでそうなった、という感じで、日本国民救援会(以下、単に「救援会」と表記)について、しかと学習していたわけではありませんでした。毎年五月二〇日に、再審冤罪諸事件支援の全国統一行動が行われるのは、一九七五年五月二〇日に白鳥決定が出されたことを記念してだ、ということも、副会長になって初めて知ったほどでした。

 今回、山田前救援会会長の著書を読み、遅ればせながら、日本における弾圧事件の凄まじさと、救援会と自由法曹団の先輩方の戦いぶりの凄さを知り、唖然としてしまいました。同時に、自分の国の、今に近い歴史を知らずにいたことに、ぞっとしました。

 皆さまに、一読をお勧めしたく、以下に紹介いたします。

 本書を読んで、まず驚かされるのは、弾圧の規模が大きいことです。

 一九二八年三月一五日には、全国で一六〇〇人に及ぶ共産党員とその支持者が逮捕され(三・一五弾圧)、翌一九二九年四月一六日前後に、共産党支持者ら一〇〇〇人が検挙、三〇〇人が逮捕された(四・一六弾圧)、などという事実が、さらりと記載されています。

 一九三三年九月には、これら弾圧事件の弁護団員が逮捕・起訴され、後に有罪とされて、弁護士資格を剥奪されてしまいます。

 これら政治犯が釈放されたのは、ポツダム宣言受諾後の一九四五年一〇月一〇日だというのだから、人権保障・自由を求める弁護士としての闘いの厳しさには、襟を正さずにはいられません。

 また、たとえば、一九四九年には、六月三〇日に平事件、翌七月五日に下山事件、同月一五日に三鷹事件、翌八月一七日に松川事件が、立て続けに起こっています。奇妙にも、各事件の前には必ず、公務員・国鉄・東芝などで大規模なリストラ計画が発表になったという事実があります。これら事件の背後には、アメリカの諜報機関の姿が見え隠れしています。

 一九五二年には、わずか七カ月の間に、全国で、白鳥事件、田口村事件、青梅事件、蒲田事件、辰野事件、メーデー事件、菅生事件、宮原操車場事件、吹田事件、大須事件、芦別事件という弾圧事件が起きています。尋常でないことは一見して明らかです。

 一九二八年四月七日、救援会の前身である「解放運動犠牲者救援会」が結成されます。結成当時は、現に犠牲になっている人、その家族を救援する運動が主眼でした。一九四五年秋、前述のとおり、政治犯が釈放された頃には、一時、「弾圧はもうないという空気」があったものの、これも前述のとおり、その後も謀略・弾圧が続いたことから、一九五一年一一月に、救援会は現在の名称に変更、起こるべき弾圧事件に備える組織として、存在し続ける方針を固めたのでした。

 将来起こり得る弾圧事件に備えておく、という発想の先見性には、舌を巻くばかりです。

 本書の中に登場する、竹澤哲夫(故人)、谷村正太郎の各団員と、私は布川事件弁護団で一緒に活動させていただきました。

 中田直人団員(故人)とも布川事件弁護団でご一緒しましたが、これら三人の先輩団員は、いずれもお優しい風貌ながら、弁護団の議論が激したときにも、常に原則に則った意見を述べられ、私たちをはっとさせてくださったものです。逆に、弁護団の中に楽観的な雰囲気があると、「権力というものは何をするかわからない」と戒める厳しさも持っておられました。

 それぞれが戦ってこられた事件の名前は知っていましたが、今、その背景の一端を知ってみると、私などとは鍛えられ方が違う、とても敵わないと思ってしまいます。

 が、権力側が頭で作った謀略のシナリオは、素朴な実体験の前に敗北するということも、この本は教えてくれます。辰野事件で、警察官が「導火線がシューと音を立てて燃えており」と証言したことに対して、炭鉱でダイナマイトを扱った経験を持つ支援者が、「現実に導火線が燃えるとき、シューなどという音はしない。」と指摘して、偽証を明らかにしたことなどは痛快です。

 さて、この夏、私は、アウンサンスーチーさんを題材にした映画「The Lady」を見ました。その中に、軍政府側の治安維持部隊が、市民に銃口を向けながら、「赤いネッカチーフを巻いた者は、人を殺していい権利を持っているんだ。」と言い放つ場面があります。ああ、これはそのまま、かつての日本の特高警察にあてはまる、と思って聞きました。

 軍関係者の監視の目を掻い潜って、民主化を求めるビラを手渡していくビルマの学生・市民の様子に、かつての日本の民主運動の姿が重なって、涙が溢れて仕方ありませんでした。

 日本がビルマより進んでいる、ということではありません。

 金曜日ごとの、原発再稼働に対する抗議行動にも、背を向け続けている、今の日本政府を思い起こせば、国民の声を無視する態度が巧妙化しているだけのことで、頑なさにおいてはビルマ政府と大差はないようにさえ思えます。

 しかし、流血の惨事にしない点、意見表明の機会がとりあえず確保できている点は、これまでに、当事者・弁護団・支援者の運動・戦いが日本で勝ちとってきた成果である、と思うのです。

だから、私も、不肖の後輩ながら、救援会・救援運動の一翼を担い続けたいと思ったことでした。


「反貧困全国キャラバン二〇一二」が始まりました。

大阪支部  中 西   基

 今年七月一二日から、二台のキャラバンカーが全国四七都道府県を巡回しながら、貧困問題の解決を訴えています。各地で、街頭宣伝、集会、イベントなど様々な取組が行われています。ホームページやフェイスブック、ツイッターもありますので、「反貧困全国キャラバン二〇一二」で検索して下さい。

 反貧困全国キャラバンの取り組みは、二〇〇八年夏〜秋にもおこなわれました。このときの全国キャラバンをきっかけにして、貧困問題が可視化され、また、貧困問題をキーワードに様々な団体どうしのつながりが結ばれ、各地で「反貧困ネットワーク」が組織されました。その年の秋冬に起きたリーマンショックと派遣切り、そして、年越し派遣村の活動へと広がり、そのうねりは翌二〇〇九年の政権交代へつながっていき、民主党政府は二〇〇九年一〇月には初めて政府として公式に貧困率の統計を公表するに至りました。

 しかし、それから四年が経過した現在、貧困問題は解消に向かうどころか、むしろますます拡大・蔓延してしまっています。市民のあいだには生活の不満や将来への不安が鬱積しています。不安にかられて、あるいは、不満のはけ口として、一部の弱者や既得権者をバッシングするような現象も起きています。こういった市民の不安・不満を意図的に扇動する政治家や、それをもて囃す一部マスコミによって、お互いに連帯するべき市民同士が分断されてしまっています。格差と貧困を克服するためには、今一度、市民が連帯し、社会の統合と社会への包摂を取り戻さなければなりません。

 「反貧困全国キャラバン二〇一二」では、「世の中なんかおかしくない?」と問いかけています。「さびしい」、「しんどい」、「どこか不安・・・」、「これって私のせいなの?」そんな気持ちを感じている人たちとともに、一緒に声をあげようと呼びかけています。生きづらさを感じている市民の声に耳を傾け、それはあなただけの問題ではないし自己責任でもないと気づいてもらうこと、そして、社会全体の問題として一緒に解決に向けて声をあげていくことを目指しています。全国で餓死や孤立死の報道も後を絶ちませんし、児童虐待のニュースも繰り返されています。その背景には、人と人との絆・つながりが希薄になっていることも指摘されます。「反貧困全国キャラバン二〇一二」では、各都道府県ごとに実行委員会を組織し、それぞれの地域で、あらためて人と人とのつながり・ネットワークを結びあい、お互いが抱えている問題・課題を共有し、そして、解決に向けて協力・連携を深めることも目指しています。

 官僚や政治家にまかせていても貧困問題は解決しません。そもそも貧困問題は、誰かが解決してくれる問題ではないからです。貧困(相対的貧困)とは、社会のなかで生活様式・生活習慣として広く共有されている事柄が、所得が少ないためにできない状態を意味します。例えば、子どもの誕生日を家族で祝うとか、病気になったら病院で診てもらうとか、月に一度くらいは家族で外食するとか。社会の中で多くの人がそれくらいは当たり前だと共通して認識されているような生活様式・生活習慣が、所得が少ないためにできない、あきらめなければならない状態が、貧困(相対的貧困)といわれるものです。つまり、貧困をなくすということは、わたしたちひとりひとりがどういう生活やどういう社会が当たり前だと考えるのかということと表裏の関係にあるのです。誰かが解決してくれるわけではありません。わたしたちひとりひとりが「おかしいよね!」と声を上げていく以外には貧困問題を解決する途はないのです。

 キャラバンは、一〇月二〇日(土)東京・芝公園で開かれる「反貧困世直し大集会」でゴールします。ぜひ、「反貧困全国キャラバン二〇一二」の行動にご支援・ご協力ください。


九月常幹に向けて司法問題委員会
裁判員裁判見直し意見書案にご意見ください

事務局次長  斉 藤 耕 平

 今年五月、裁判員制度施行三年を迎えました。法務省は、有識者で構成される「裁判員制度に関する検討会」を立ち上げ、〇九年九月より、数か月に一度の頻度で会議を行なっていますが、現在は論点整理の段階であり、制度見直しに向けた具体的な手続の目途は立っていません。今こそ、現在の裁判員裁判の現状を踏まえ、われわれがあるべき見直しの方向を示すことが求められています。

 司法問題委員会は、去る一一年三月、「裁判員制度(裁判員法+公判前整理を中心とした刑事訴訟法)の見直しについての試案」(試案)を発表しました。

 試案では、裁判員裁判を「国民の司法参加により一般市民の常識を反映させ、刑事裁判の適正化を目的とする」ものと位置づけ、その目的に沿う制度になるよう、(1)対象事件について、「すべての否認事件を対象とする。ただし被告人に選択権を与える」、(2)裁判員の権限についても「仮に対象事件を否認事件に限定した場合、量刑判断を含める必要は必ずしもない」、(3)改正すべき捜査法について、操作全過程の記録化、取調べの全過程の可視化、(4)その他あるべき公判前整理手続や控訴審のあり方、などを提案しました。

 この試案に対しては、各月の常任幹事会のほか、一一年四月の拡大司法問題委員会、同年島根五月集会の司法問題分科会、一二年宮崎五月集会等において、約一年にわたり、団員間の意見交換を実施したところです。その中で、被告人の選択権や裁判員の量刑関与排除を認める方向での見直しはするべきでないとの意見が少なからず寄せられました。

 司法問題委員会は、そのような一年以上にわたる団員間の意見を踏まえ、それまでの試案に修正を加えた団見直し意見書案修正稿(修正試案)を作成し、七月常幹に提出いたしました。修正試案では、団員間で意見の統一が困難であると考えられた裁判員の量刑関与に触れる部分を削除したうえで、それに伴う全体の体裁の修正を行いました。裁判員の量刑関与に関する部分について団内で意見の一致をみなければ意見書が完成しないという性質のものではないと考えられたことから、上記のような修正に至った次第です。

 司法問題委員会では、九月常幹でこの修正試案に対する先生方のご意見をいただいたうえで、適切な時期に意見書の発表を行ないたいと考えております。団員のみなさまの積極的なご意見をお待ちしております。


第二弾・ハローワーク埼玉特区問題の学習会を開きます。

埼玉支部  伊 須 慎 一 郎

 本年三月二七日、埼玉において、ハローワークの地方移管・民間委託問題について、自由法曹団などの共催で、第一弾の学習会を開きました。

 埼玉県は、政府の地域主権戦略会議の下に設置された推進委員会によって、国の出先機関原則廃止に向けた改革に連動して、佐賀県と共に「ハローワーク特区」に指定され、ハローワークの地域移管の可能性を探る試行的な取り組みとして本年一〇月を目処に県内で特区業務を開始しようとしています。その後、三年を目安に地域移管の効果を検証し、地域移管の是非を決定することになります。

 しかし、ハローワークは全国的に統一された行政機関であり、厚生労働省も地域移管に難色を示しています。

 実際、ハローワークの地域移管により、公共職業安定所の機能に地域格差が生じるだけでなく、その先にある民間委託により、公共職業紹介を含めた労働行政が破壊され、公務員の分限免職が強行されることも危惧されています。

 そこで、特区指定された埼玉県の動きを学習することで、ハローワークの地域移管・民間委託の問題をさらに具体的に学習するために、第二段の学習会を開きます。

 多数の団員の皆様にご参加頂きますようお願いします。

日 時:二〇一二年九月二〇日(木)午後六時三〇分開会

場 所:自治労連埼玉県本部三階