<<目次へ 団通信1428号(9月11日)
愛知支部 嶌 将 周
一 はじめに
秘密保全法に反対する取組みについて、常幹の席などで、「愛知は頑張っているね」といった声をよく掛けられる。褒められることは嬉しい。でも、じゃあ愛知以外はどうなんだろう。常幹では、愛知以外からの報告をほとんど聞かない。ためしに「秘密保全法 学習会」とネットで検索してみても、愛知の情報がずらり。それではマズイのでは?というのが本投稿である。
二 愛知支部での取組み
愛知支部での取組み状況をざっと報告しておく。
本年一月二〇日、私が報告者となって、団支部で学習会を開催。秘密保全法がトンデモナイものであることを、支部団員の共通認識とした。
直後の団支部幹事会で、中谷雄二団員(かつての国家機密法案反対運動の経験者)、水谷 実団員(国家機密法案が国会に上程された一九八五年生まれ)、そして私でプロジェクトチームを立ち上げた。
二月一〇日、私が講師となって、市民向けの緊急学習会を開催。急な呼び掛けにもかかわらず、四〇人近い参加を得た。
その場で、集まった市民が「秘密保全法に反対する愛知の会」(仮称)の準備会を結成した。
二月一四日、その「愛知の会」準備会が第一回目の街頭アピールを実施。あいにくの雨模様だったが、二〇人ほどの市民・支部団員が集まった。
四月二日、「愛知の会」の正式な結成総会を開催。約一三〇人もの市民・支部団員が参加した。本 秀紀・名古屋大学大学院教授が秘密保全法の危険性を分かりやすく講義されたほか、団支部を含めた各団体からのリレートークをして、秘密保全法に反対する市民間のエール交換をした。なお、「愛知の会」の共同代表は本教授と中谷団員が、事務局長は私が、それぞれ務めている。
その後、今日まで、「愛知の会」は、ほぼ隔週月曜日の正午から一時間、名古屋市の繁華街で街頭アピール活動を続けている。また、独自の学習会の開催や、市民の学習会への講師派遣を積極的に行っている。さらに、ブログ(http://nohimityu.exblog.jp/)でもこまめに情報発信を続けている。中谷団員は、ブックレットも執筆した(『これでわかる!「秘密保全法」ほんとうのヒミツ』、風媒社)。そして、これまでに街頭アピールなどを通じて配布した「愛知の会」のビラは、ゆうに一万枚を超える。また、これまでに支部団員が講師を務めた学習会は、大小あわせて三〇回を超える。
愛知では、弁護士会でも学習会の開催や街頭アピールの実施、ニュースレターの発行などをしているから(ここでももちろん、支部団員が中心的役割を担っている。)、私たちの訴えは、少しずつ市民に届いていると思う。
三 各支部で取組みを
名古屋のNPO法人が行った情報公開請求によって開示された内閣法制局作成の文書によれば、二〇一一年九月一五日付スケジュールでは、秘密保全法は本年二月中旬には閣議決定・国会提出の予定だった。すでに法案はできあがっていると見るべきだろう。
それが今日まで国会提出がないのは、残念ながら市民の声の結果ではない。政局のためである。今後の政治情勢も不透明ではあるが、臨時国会に秘密保全法が提出される可能性は十分にあるし、一旦提出されれば対決法案にならずにすんなり成立してしまうだろう。
それでいいのか?今すぐ、「声」を上げていかなければならない。団員が常幹の席で意見交換をしていても「声」にはならない。団員が市民一人一人に呼び掛け、その市民が別の市民にも伝えてくれることで「声」になる。そして、その「声」が愛知だけから湧き上がっても、おそらく政府は聞いてくれない。日本全国から「声」を届けなければ、聞いてもらえない。
私たちに残された時間は限られている。反対運動が全国的な広がりを見せる前に秘密保全法が成立しようものなら、それは団員の怠慢だと言わざるをえないし、団の歴史に大きな汚点を残すことになる。
すぐに、各支部でも取組みを始めよう。「みんなで」秘密保全法を止めよう!
福島支部 渡 邊 純
自分の中にもあった「安全神話」
私は福島生まれ、福島育ちで、現在も福島(郡山)で仕事をしています。
東日本大震災から数日間、私は、水道の止まった自宅で原発事故の状況を伝えるニュースをにらみながら、かなり以前に妻とした会話を、頭の中で何度も思い出していました。「福島の原発で、チェルノブイリみたいな事故が起こったらどうしよう?」「でも、そんなことになったら、日本中どこに行っても逃げ場はないじゃん」…話はそこで途切れた、という記憶です。私も妻も、学生時代に平和運動に多少関係していました。ちょうど私たちが学生の時にチェルノブイリ原発事故が起きたこともあり、原発についても、それなりの問題意識を持っていたつもりではあります。しかし、そうした私たちも、「安全神話」とは無縁ではありませんでした。
放射性物質が降ってきた
原発事故から数日して、福島市や郡山市でも空間線量が上昇していることが報道されるようになりました。原発事故によって放出された放射性物質が、容赦なく頭の上から降ってきたのです。こうした状況の下で、誰しも思うのが子ども・孫の健康です。私たち夫婦の娘は、現在中学校一年生で、反抗期真っ盛り(生意気なことこの上ない。親の顔が見たい)ですが、当時は小学校五年生でした。事故直後の時期は、列車も動かずガソリンも無い状態でしたが、三月下旬になって、娘を避難させるべきかを考えるようになりました。友だちと別れたくないと渋る娘を説得し、避難させる準備をしていましたが、避難先の都合で中止になりました。その時、私は「ああ、これで家族が離ればなれにならずにすむ」と安堵した反面で、「これで、娘が十年後、二十年後に癌になったら『あの時避難させていれば』と一生後悔するだろう」と思いました。その時の複雑な気持ちを今でもはっきりと覚えています。おそらく、この当時、福島県内のどこの家庭でも、同じようなぎりぎりの葛藤があったに違いないと思います。
「生業弁護団」の結成
原発事故後、昨年の夏から秋にかけ、県内各地で民商や復興共同センター主催の学習会、賠償問題相談会が開かれるようになり、県内外の自由法曹団員が参加しました。参加した団員の中から、地域汚染の問題を公害問題としてとらえ、被害者救済に取り組まなければならないという声が上がるようになり、昨年一〇月末に、「生業を返せ、地域を返せ!福島原発被害弁護団」(通称・生業弁護団、団長・安田純治団員)が結成されました。私も、地元団員としてこの弁護団に参加しています。
弁護団の受けてきた相談や受任事件は、非常に多岐に及んでいます。これらの内容については、今後、弁護団に所属する団員から続々と報告されることと思いますが、これらを見るにつけ、「原発事故による放射性物質汚染は、公害に他ならない」ということを、痛感させられます。現在、避難者に対する財物損害の賠償基準が公表されていますが、金で簡単に片付けられてしまって良い問題ではないし、それでは地域の復興はおろか、被害者の生活再建すらおぼつかないことになるでしょう。
原状回復の集団訴訟に向けて
―被害者の共通の願いをたたかいに―
生業弁護団では、現在、原状回復要求を軸とする集団訴訟(被告は国と東電)を構想し、福島県内各地で結成された被害者の会(完全賠償を求める会)等に提起をしています。被害者の皆さんの反応は、それぞれです。「お金で済む問題ではないと思って、これまで賠償請求書を出すことを控えていた。こんな訴訟ができるなら、ぜひ私も参加したい」という人もあれば、「原状回復って、除染のことでしょ?除染なんて無理でしょう」と言われる方もいらっしゃいます。
現在、県内各地で進められている除染については、様々な問題が指摘されていることは、すでに、いわきの広田団員が団通信で報告されています。確かに、政府や自治体が推進している除染は、(1)放射性物質の移動=移染にとどまる(2)高圧で洗い流すだけでは低減効果が低い(3)除染で出てくる放射性廃棄物の処理をどうするか(4)最終的には費用を誰がどのように負担するのか不透明(5)特に国の直轄事業の部分は、ゼネコンが請け負っており、作業員の安全や労働条件などに問題がある…などなど、様々な問題があります。
私たちが考えている原状回復は、除染にとどまるものではなく、加えて、各種の生活支援や健康影響予防策、除染が当面不可能な地域の避難者への生活再建支援策などを総合的に含むものですが、除染が含まれるのは言うまでもありません。除染には様々な問題があるとしても、技術的な問題やコスト面での問題、廃棄物の処理などの問題については、まさに、科学技術の結集を進めて解決を図るべき問題でしょう。そのためには、現状の除染の問題をきちんと指摘し、だからこそ、安全で十分な除染方法の開発と実行を迫る必要があると思います。そうでなければ、避難した人が住み慣れたふるさとに安心して帰ることもできず、避難しなかった人は、いつまでも我慢と心配から解放されないでしょう。しかも、除染特措法では、放射性物質をまき散らした国と東京電力の責任が曖昧にされており、これでは、汚染地域の住民はどこまでも我慢を強いられることになるでしょう。原発事故の責任を明らかにし、放射性物質についてもきちんと排出者責任の原則を適用させることが必要です。
何よりも、原状回復(安全で安心なふるさとを取り戻す)ことは、避難した人にも、避難せずに汚染地域に住み続けている人にも共通の願いです。「もう帰りたくない」と思っている人だって、ふるさとに愛着を持っていないはずはないのですから。
もとより、原状回復要求を軸にした運動は、非常に困難があります。除染の困難は言うまでもありませんが、被害者の中にも意見の対立がありますし、訴訟技術上も幾多の困難があるでしょう。
しかし、イタイイタイ病や水俣病で、粘り強く原状回復を求めて被害者が団結して闘った結果、汚染物質の除去策が長期間にわたって実施されてきたという公害闘争の経験は、私たちに勇気と希望を与えてくれます。そのためにも、汚染物質をまき散らした東京電力と国の責任を、きちんと訴訟で明らかにする必要があるでしょう。
全国の団員の皆さんが、この集団訴訟の意義を理解され、ご協力下さることを呼びかけます。
埼玉支部 大 久 保 賢 一
日本反核法律家協会は、ドイツ反核法律家協会から二人のメンバーを招聘した。ピーター・ベッカー会長とライナー・ブラウン常任理事である。ピーターは国際反核法律家協会の共同議長、ライナーは同協会の常任理事や国際平和ビューロー(IPB・ノーベル平和賞受賞団体)の運営委員なども務めている。ちなみに、ピーターは四〇〇人規模(内約二〇〇名が弁護士)のロ―・ファームの共同経営者でもある。ライナーはプロの平和活動家といってもいいと思う。
二人は、大阪、広島、東京での弁護士たちとの交流だけに止まらす、原水禁世界大会、大阪非核の政府を求める会、核廃絶をめざす広島の会などでも、精力的に講演活動をこなしてくれた。お二人と現地での受け入れ態勢をつくってくれた皆さんに心から感謝したい。
日本反核法律家協会が二人を招聘した理由は、なぜ、ドイツではかくも素早く「脱原発」路線を確立したのか、その背景事情を知りたいということにあった。
元々、ドイツには、一七基の原発が稼働していたが、昨年六月、八基については即時に、残り九基についても二〇二二年までに廃止すると決定している(第一三次原子力法改正)。「地獄の業火による火遊び」に終止符がうたれたのである。
わが国政府が、福島原発事故原因未解明のままに、多くの反対意見を無視して、停止中の原発の再稼働に踏み切り、原発に依存し続けている姿勢とは大きな違いである。
第二次世界大戦時の枢軸国、高度に発達した資本主義国、米国との同盟関係などの共通性がありながら、エネルギー政策という点では、なぜかくも正反対の結論が出ているのか。素朴な疑問があったからである。
彼らの話の概要は次のとおりである。
一九七〇年代、ドイツでは、反核兵器運動だけではなく、反原発運動も行われていた。けれども、反原発運動の活動家は、警察の放水でずぶぬれにされたり、警棒で殴られるという立場に置かれていた。政府は、保守的といわれていた地方に原発をつくる計画を立てたが、その保守的地方でも反原発運動が起きてきた。反原発の裁判も提起されていた。
一九八〇年、緑の党が創立された。緑の党は、核兵器にも原発にも反対する立場である。一九八五年、ヘッセン州で緑の党と社民党の連立政権が誕生した。しかし、原発は連邦政府の管轄のため、州政府限りでの脱原発はできなかった。
一九九八年 国政レベルで、緑の党と社民党の連立政権が成立した。その政権下で、二〇〇〇年には、電力会社との協定に拠る脱原発路線が採用された。法による規制は 原発閉鎖に伴う被害の算定の困難さと憲法問題(財産権の保障)を伴うと予想されるので、「協定」による規制を選択したのである。州政府の監督基準の強化によって原発のコスト高に苦しんでいた電力会社も協定路線を選択したという。
二〇〇一年九月一一日の同時多発テロ事件は、「原子炉へ旅客機が飛び込んだらどうなる?」との議論を巻き起こした。その中で、原発の安全性に疑問がもたれるようになり、二〇〇二年脱原発法の制定が制定された。この法律は、原子炉の寿命を三二年間と設定し、いくつかの炉は直ちに廃止されることとなった。
ところが、二〇〇九年、保守とリベラルの政権に代わった。その政権は、二〇一〇年、原発の操業延長を認める協定に変更しようとした。老朽原発は八年、その他は一四年延長しようというのである。この変更について、五州が、協定の変更には州の同意が必要であるとして、憲法裁判所に提訴したのである。
こういう状況の中で、二〇一一年三月一一日、福島原発事故が発生した。この事故の三日後、ドイツ政府は、老朽化した八基の原発について三カ月の運転停止命令を出した。しかし、その法的根拠は薄弱であった。
そこで、政府は、「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を設置した。委員会は、電力産業界、消費者業界、学者、教会の代表者、労働組合の代表者、環境運動関係者などで組織された。社会の多様な人たちで構成されたのは、原発事故の社会的影響が考慮されたからである。そして、委員会は、一ヶ月の議論で、「一〇年以内に、原子力エネルギーからの脱却を果たすことができる」との提言をしたのである。
その提言を受け、二〇一一年六月三〇日 連邦議会は二〇〇二年の法律に立ち戻ることに合意し、二〇二二年までの原発からの全面撤退を選択したのである。脱・脱・脱原発の政策の確定である。
このような決定が行われた背景には、ドイツの再生可能エネルギー法制の存在があるという。ドイツでは、この二〇年間、「エネルギー転換」について議論が展開されていたのである。
一九九一年の送電法は、再生可能エネルギーから生産された電力の買取義務を電力会社に課した。一九九八年エネルギー経済法が全面改正され、消費者は購入先の電力生産者の選択が可能になった。
二〇〇〇年には、送電法に変えて再生可能エネルギー法が制定された。再生可能エネルギーに市場競争力をつけるために、再生可能エネルギーから生産された電力の優先買取義務と支払義務が送電会社に課せられ、一般電気価格と切り離して補償価格が決められることになり、再生可能エネルギーへの投資が誘導されるようになった。
二〇一一年夏には、改正再生エネルギー法が成立し、二〇二〇年までに総電力消費に占める再生エネルギーの割合を三五パーセント以上に高めることとされた。二〇五〇年には八〇パーセント以上が再生可能エネルギーから供給されることになるという。
こうした中で、人口八〇〇〇万人のドイツで八〇万人からの人びとが、再生可能エネルギーに投資をするようになっているとのことである。
感想 ドイツが脱原発に踏み切った背景には、ドイツ市民の要求と運動が基礎にあり、それを法律家やそれぞれの専門分野の学者たちが支援し、新たな政党を生み出し、あるいは既成の政党の政策に反映させ(社民党は原子力の民生利用に反対していなかった)、多数派を形成し、必要な立法をしてきたことにある。
脱原発は、持続可能な未来社会と現在の社会的正義と経済的合理性が基本に据えられているようである。必要なエネルギーを環境に負荷をかけないで確保する。エネルギー確保に社会的差別を持ち込まない。政策の転換に際して市場経済の法則を無視しない、という三原則である。この三原則が、社会的合意となっていることに括目したい。
福島の事故を対岸の火事とせず、我が事としてとらえられる経験知が、ドイツにはあったのである。
私たちには、もっと、諸外国の先進例を学ぶ必要があるように思えてならない。
二〇一二年八月一七日
滋賀支部 玉 木 昌 美
甲良町長、町議会議員有志、町民有志らが、山赴`勝前甲良町長、野瀬喜久男前総務主監、山田壽一元議長、濱野圭市元副議長(妻が浜野工務店社長)を競争入札妨害、入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札防止等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律違反で告発した事件、甲良町議会が上記四名を地方自治法違反(偽証等)で告発した事件について、大津地方検察庁は平成二四年四月一二日、いずれも「嫌疑不十分」を理由に不起訴処分とした。
これに対し、現在の議長を含む町議会議員有志、町民有志らが官製談合事件について同年五月二八日、大津検察審査会に審査申立てをしたところ、同審査会は、同年七月一八日、不起訴不当の議決をした。同審査会は、偽証罪についても職権で立件して併合し、両事件について上記の結論を出した。
この官製談合事件の存在は、浜野工務店に落札させるために、わざわざ業者のランクアップをはかっていたこと、浜野工務店が最低制限価格(公表された予定価格に四〇万円を加算した数字)の八五パーセントというどんぴしゃの数字で落札したことからも明らかであった。数字を合わせることは、前町長や前総務主監らが濱野圭市元副議長に教えないかぎり不可能なことであった。また、建設業法違反になることがわかりながら、浜野工務店に落札させたことも争いはない。さらに、告発に当たり、その談合がなんと議会事務局の部屋を舞台に行われ、議会事務局の職員が談合内容をある程度聞いていたことも解明されていた。当時の議会事務局長が平成二二年六月二日に自殺したが、同事務局長は官製談合に何らかの関与をしていると解され、鍵を握る人物であった。百条委員会の証言の期日前には、上記関係者から飲食店に呼び出されていたともいう。鍵を握る人物の自殺はこの種事件ではしばしば見られるが、痛ましい限りである。
別件の刑事裁判において、大津地裁の澤田正彦裁判官が、「上記事実関係からすると、本件工事は、公表されていた価格が一億七八〇〇万円であったから、予定価格が端数が切捨てられる前の一億七八四〇万円であり、その八五パーセントに当たる額が最低制限価格であるとの予測を持つことは非常に困難というべきであるし、本来、本件工事を自力で行う能力のない浜野工務店を入札に参加させるべく配慮したことも認められるから、浜野工務店に落札させるようにし向けた、すなわち、最低制限価格を浜野工務店の関係者(具体的には、代表者の夫である濱野副議長)に漏らした官製談合の疑惑が非常に濃厚である。」と判断した(平成二三年四月一四日宣告)が、そのとおりであったものである。
今回の検察審査会は、「浜野工務店の入札額が、本件工事入札の最低価格に一致したことの説明について、検察官は関係者の供述等から偶然の一致であったとすることを覆せないとしたが、本件では短期間のうちに、大規模工事の入札が可能になったこと、同工事の入札に参加したこと、安易に想像できない最低価格と同額の入札を行ったことに不信感を持った。」と判断した。そして、検察官は、死亡した議会事務局長(「最重要証人」とする)の部下職員の供述内容を「曖昧で信じがたい」としたが、検察審査会は、そのことについて「供述者は『職場の上司を気遣って真実を供述することができなかった、同人が自殺した後、そのような気遣いがなくなった。』と述べていることは不自然ではないと考える。」とした。
この検察審査会の判断は明解で正当であり、誰もが納得できる内容であった。これから大津地方検察庁は再捜査していくこととなった。事件は、これまでは三席検事が担当していたが、これからは次席検事が担当することになった。濱野圭市議員、山田壽一議員は現在も町会議員であり、町長の検察審査会申立てを阻止したうえ、事件の幕引きを狙っている。官製談合事件の主人公たちが否認しているからといって、あいまいに終わらせることは許されない。鍵を握る人物の自殺という痛ましいことも起きている。官製談合で行政をゆがめた人たちに対し、当然の刑事処分がなされるようにしなければならない。甲良町議会は、町民の要望に応え、百条委員会を設置し、調査を行い、その結果、官製談合があったという結論を出したが、その活動は町政始まって以来の画期的なものであった。これからも町行政の健全化に向け、甲良町民の闘いは続く。
福岡支部 永 尾 廣 久
日本の裁判官は合議の秘密を洩らさない、判決文以外にベラベラしゃべったりもしない、信頼できる存在。こんなイメージがあります。
ところが、その裁判官の頂点に立ち、厳しく統制をしている元締めの最高裁長官が、事件の係争中に一方当事者と会って、合議の秘密を洩らしたばかりか、これから出そうとする判決の行方まで相談していたことが最近明るみに出ました。
アメリカ公文書館で公開されているアメリカのマル秘文書が発掘されたのです。『対米従属の正体』(末浪靖司、高文研)に書かれています。
田中耕太郎・最高裁長官がマッカーサー駐日大使と会ったのは、砂川事件について大法廷が審理している最中のことです。そこでは、アメリカ軍の日本駐留は憲法違反だという一審の伊達判決を受けて、違憲か合憲かを審理中でした。
マッカーサー大使は、伊達判決の翌日に藤山愛一郎外相と密談して、最高裁に跳躍上告することを勧めた。そのうえで一九五九年四月二二日に田中耕太郎最高裁判官と会った。そのとき、田中長官、時期はまだ決まっていないが、来年の初めまでには判決を出せるようにしたいと述べたうえで次のように語った。
できれば、裁判官全員が一致して適切で現実的な基盤に立って事件に取り組むことが重要だ。最高裁の裁判官の幾人かは手続き上の観点から事件にアプローチしているが、他の裁判官は法律上の観点からみており、また他の裁判官は憲法上の観点から問題を考えていることを示唆した。
重要なのは、一五人の最高裁判事のうち、できるだけ多くの裁判官が憲法問題にかかわって裁定することだと考えているという印象を与えた。
これはマッカーサー大使が、アメリカの国務長官あての電報に記載されていることなのです。評議の秘密を一方当事者に洩らすなんて、およそ裁判官にあるまじき行為です。古い話だとすませていいことだとはとても思えません。ひどすぎます。
ところで、アメリカ政府が長官と直接接触する機会をどうやってつくったのかまで明らかにされています。ロックフェラー財団が日本の最高裁に法律書を寄贈することにして、最高裁は駐日大使を贈呈式に招待したのです。こうやって表向きの口実をつかって、裏では裁判の内情を知らせ「意見交換」したというわけなのです。
この田中耕太郎の行為はもちろん罷免事由に該当します。今からでも遅くないと思います。叙勲を取り消し、最高裁は弾劾相当であったことを明確にして、一切の顕賞措置を撤回したうえ、もし顔写真等を飾っていたら、直ちに最高裁の建物から撤去すべきです。
次に最高裁長官になった横田喜三郎も同じようなものでした。
東大教授だったころは、外国の軍隊を日本に駐留させることは憲法九条に反するとしていたのに、突如としてアメリカ軍の基地は日本にとって戦力となるものではないから合憲だと言いはじめ、そのことがアメリカから高く評価されて最高裁長官になることができた。
アメリカ兵が日本国内で刑事犯罪をおかしても、その大半は処罰されません。日本は主権国としての刑罰権を行使しない(できない)のです。ところが、それは一九六〇年代までは必ずそうとばかりは言えませんでした。原則として、当然、日本の主権、統治権下にあり、日本の法令が適用されるということだったのです。それが、次第にアメリカの言いなりなっていくのでした。まさに逆コースですよね。
今回のオスプレイにしてもそうですね。アメリカの言いなりで、日本政府は何も言わない(言えない)なんて、情けない限りです。これで愛国心教育を国民に押し付けようというのですから、どこか間違っています。
広く読まれてほしい、画期的な本です。
京都支部 谷 文 彰
一 下された地労委命令
使用者が長年にわたり組合に対して組合事務所を貸与してきたにもかかわらず、合理的理由を示さず一方的に組合事務所の貸与を拒絶したことは組合を弱体化させることを意図した労組法七条三号の支配介入に該当し、これに対する救済方法としては組合事務所を貸与するよう命じることが適当であって、貸与の具体的条件については両当事者協議の上、社会通念上合理的な取決めをしなければならない―本年八月二八日、地労委はこんな命令を下しました。組合側の完全勝利です。
直截に組合事務所の貸与を命じ、労働組合の権利を明確に認めた今回の命令には、大きな意義があるといえるでしょう。
二 使用者側は「スペースがない」と言うばかり
といってもこれ、いま話題の(?)大阪の話ではありません。京都の話です。事案の概要は次のとおり。なお、組合掲示板についても併せて救済申立を行っていますが、今回は割愛します。
使用者である京都府医師会は府内の医師四〇〇〇名以上で組織され、職員数は九二名、そのうち京都府医師会労働組合に所属している職員は九名である。同組合は医師会との間で協定を結び、平成五年から京都府医師会館(旧会館)において組合事務所の貸与を受け、組合活動のために利用してきた。しかし、平成一八年に会館の移転の方針を打ち出した医師会は、組合との前記協定をほとんど説明もなく一方的に破棄し、新会館でも組合事務所を貸与するよう繰り返し求めていた組合に対して、当初は「検討する」と述べておきながら合理的な理由なく貸与を拒絶するに至った。その後は「スペースがない」と繰り返すばかりで、さらには「組合への貸与は『目的外使用』にあたる」、「貸さないことに理由はいらない」、「スペースはあるといえばある、ないといえばない」などと発言され、平成二二年に移転した新会館での組合事務所の貸与を拒絶された組合は、医師会による貸与拒絶は組合の弱体化を企図した不当労働行為に該当するとして、平成二三年一〇月、京都府労働委員会に対して救済申立を行った。
三 審問で「九名しかいない」と繰り返す
審問の中で医師会側は、新会館には組合に貸与できるだけのスペースが全くない、組合に対して十分な説明を行ってきた、九名しか在籍していない組合に事務所を貸与することは過剰な便宜供与にあたる、一定の代償措置を講じているなどと主張しました。
それに対し組合は、新会館の設計以前から組合事務所を確保するよう申し入れていたのであるからそもそも確保できないはずはなく、何度も「検討する」と回答しておきながら結局は「スペースがない」と述べるばかりで、スペースが確保できない具体的根拠や検討の経過等については一切明らかにされなかった、会議室の稼働率も低く新会館への移転時にはいくつか空室があったのに組合には貸与せず他団体に貸与したのであるから、「スペースがない」という言い分は通り得ない、組合員が九名に減少しても組合事務所を必要性がなくなることにはならない、などと反論し、詳細な資料とデータを提出しました。審問では医師会の過去の不当労働行為の歴史も明らかにし、主張・立証において医師会を圧倒していきました。それにしても、労働委員会の書面の中でまで「組合員は九名しかいない」、「(わずか九名の労働組合に組合事務所を貸与することは)あまりにも現実離れしている」などと繰り返す医師会の態度は、それ自体として組合軽視の端的な表れだと思うのは私だけでしょうか。
そうして下された地労委の命令は、組合の主張をほぼ認め、医師会が合理的理由を一切示していないにもかかわらず「スペースが全くない」との態度をとり続けていること、組合事務所を確保するための努力を行った形跡も見られないこと、これまでも長期間に複数の救済申立が行われていることなどの事実から、医師会が組合事務所を貸与しないことは組合を弱体化することを意図した支配介入に該当するとしました。そして、これに対する救済方法としては、新会館内に組合事務所を貸与するよう命じることが適当であるとして、貸与条件について協議の上取り決めるよう命じました。
四 組合差別と闘う皆さまへ
組合事務所の貸与には使用者の施設管理権の問題があり、医師会側もその権利を根拠に広範な裁量を主張しました。しかし本命令はそのような主張を容れず、協定等に基づいて組合事務所の貸与等の便宜供与が長期間にわたって行われている場合、使用者が当該便宜供与を廃止するためには、その合理的理由を示して交渉を行うべきであり、そのような手続きを踏むことなく便宜供与の廃止を行うことは不当労働行為に該当しうると判断しました。
同種事案の判例としては総合花巻病院事件(最判昭和六〇年五月二三日)があり、継続的労使関係の中で今後も便宜供与を得られるであろうという組合の期待はやはり法律上保護に値すると判断していましたが、いずれも継続的関係において組合の期待を保護し、使用者側の誠意ある対応を強く求めるもので、同じ立場に立つものといえるでしょう。また、貸与に向けた団体交渉を命ずるのではなく直截に組合事務所を貸与するよう命ずる命令は異例であると思いますが、それだけ組合の期待を強く保護したのであり、それだけ医師会の行為の不当労働行為性が顕著であったためであると受け止めています。
これからは、医師会に本命令を受け入れ、組合事務所を貸与するよう求める闘いが始まります。これまでの医師会の対応を見れば、素直に命令に従うとは思えません。闘いは舞台を移して続く可能性も十分にありますが、早期解決に向けてみなさまのご支援をよろしくお願い致します。
皆さまからのより一層のご支援を賜りたく、また、本命令が同様に組合差別と闘っておられる全国の皆さまの一助になればと思い、ご報告させて頂いた次第です。
なお、本件の担当は、浅野則明団員と私です。
京都支部 三 上 侑 貴
一 二〇一二年五月二九日、音楽家の坂本龍一氏をはじめ、各界の著名人が呼びかけ人・賛同人に名を連ね、全国においてダンス規制法(風営法におけるダンス営業規制)改正のための署名運動〜Let'sDANCE署名運動が一〇万筆を目標に開始されました。当該運動は、マスコミなどでもたびたび取り上げられております。
そして、この度、ダンス規制法改正運動をサポートする法律家の会=『Let'sDANCE法律家の会』を立ち上げることとなりました。
二 近年、(DJやVJが音楽をかけたり映像を流したりして、来場者らがダンスなどを行う場である)クラブに対する摘発が相次いでいます。
風営法(「風俗営業等の規制及び業務の適正化に関する法律」。「風適法」とも)には、「ダンスをさせる」営業は許可が必要とされています。
しかし、様々な事情・問題により風営法上の許可を得ずに営業しているクラブも多く、摘発により営業ができない状況に追い込まれています。
本年四月からヒップホップダンスが中学校の必修科目となっていることからすれば、現代においてはダンスをさせることそれ自体が善良な風俗を害することに直ちにつながることはないことは明らかです。
ダンス規制は、音楽、アート、ファッション等の様々な文化を生み出し発信する場であるクラブ等の営業の自由(憲法二二条)、さらには広くダンスをする自由、すなわち表現の自由(憲法二一条)、人格権(同一三条)などへの重大な制約なのです!
また、現代においてはそれぞれ目的に応じた個別具体的な規制法で対応すべきであるにも関わらず、風営法は、営業店舗を都道府県公安委員会も含めた警察による広範な規制下に置き、監視を行う構造になっていることも問題です。
三 法律家の会としては、署名運動を中心とした法改正運動に対して、法律家としてのサポートを行うというのが基本的コンセプトです。
活動としては、署名活動に対する支援・相談活動や勉強会でのスピーカーとしての役割などを担い、改正案の方向性や具体的条項の検討などの法改正作業を担い、国会議員の先生方との勉強会や働きかけなどの具体的なロビイング活動をすることなどを、運営委員会を中心に決定し、行動していくことを想定しています。
四 法律家の会への参加資格は、関係する法曹に限定するとの趣旨から、弁護士と行政書士、研究者の方に限らせていただきます。ご了承をお願いします。
『Let'sDANCE法律家の会』ホームページ内記載の設立趣意書に賛同いただく形で設立準備会にご参加いただければ、法律家の会設立の際、自動的に法律家の会の入会者となります。参加に際し、一口千円より入会費を徴収させていただいております。
ご参加いただける方は、お手数ですが、『Let'sDANCE法律家の会』ホームページ内の申込みフォームにご記入のうえ送信いただくか、参加申込メールアドレス(letsdancelawyers@gmail.com)に、「『Let'sDANCE法律家の会』設立準備会」参加希望との件名をつけていただき、(1)ご氏名、(2)所属事務所、(3)電話番号・FAX番号、(4)メーリングリスト登録希望Eメールアドレス、(5)賛同人氏名公表の可否を明記の上、メールを送っていただくようお願いいたします。
五 私は、学生時代、バンド・ストリートダンスをしていた経験があり、「no music no life!」をモットーに生きてきました。 音楽は、苦しい時も楽しい時も私と共にあり、文化や言語を超えて、人間を一つにしてくれます。
ダンス規制は、単なるクラブへの営業権侵害という域に止まらず、ダンスカルチャーという文化・芸術そのものへの過度の制約の問題です。この制約を放置しておけば、将来における発展の可能性を摘み取ることにもなります。だからこそ、法律家である私たちが先見をもって声を上げていく必要があるのです。
すべての音楽・文化・芸術・表現の自由・人格権を愛する法律家の方へ、『Let'sDANCE法律家の会』へのご参加を呼びかけます!先生のお力が必要です!
※『Let'sDANCE法律家の会』ホームページ http://dance-lawyers.com/
『Let'sDANCE署名推進委員会』ホームページ http://www.letsdance.jp/
東京支部 柴 田 五 郎
向さんと知り合ったのは、何年前だろうか。
確か研修所入所の口述試験の会場だから、ざっと五〇年以上前の筈だ。
姓の五〇音別も離れているのに、知り合ったきっかけは、定かでない。何か試験の順番が、近かったのかも知れない。私より少し年配の、落ち着いた感じの人で、若い私が試験におびえているのを見て「心配ないよ」と励ましてくれた。
ところが、試験は何があるか分からない。開けてみたら、彼が落ちて私が通っていた。だから彼は、研修所入所の口述試験を翌年と二度受けて一七期になった(五〇年前に、試験に落ちた話しをしても、彼は勘弁してくれるだろう)。
私が松本善明事務所に、彼が東京南部事務所に所属したこともあって、その後も付き合いは続いた。
最後の連絡は一年ほど前か。何かの用事で電話して「そのうち新橋辺りで呑もうや」とアテのない約束をして、一年余り経って今回の訃報に接した。
教訓!「呑む約束は、すべからく実行すべし」
合 掌
東京支部 宮 川 泰 彦
○ 八月一一日付団通信にて向武男団員が亡くなったことを書かせてもらいました。
向武男さんが出版を予定をしていた「想い出」と題する本の前書部分はふるえるような手書原稿であることを紹介しました。その中で「ここ三、四年の間に中田直人、上田誠吉、大塚一雄、そして竹沢哲夫さんが亡くなった」と向さんの原稿の一部を紹介しましたが、私が大塚一男を大塚一雄と間違えて団通信に書いてしまいました。大塚一男と訂正いたします。
大塚一男さん、向さん、そして団員の皆さんにお詫び申し上げます。
○ 「向武男さんを偲ぶ会」を九月二九日(土)午後六時三〇分から行います。場所は大田文化の森多目的ホール(東京都大田区中央二丁目一〇番一号)です。
事務局次長 斉 藤 耕 平
〇九年五月に裁判員法が施行されてから三年が経過しました。この間、裁判員裁判が相当数実施され、裁判例も蓄積されつつあります。自由法曹団でも、あるべき裁判員制度の見直しに向け、意見が交わされているところです。
このたび、自由法曹団、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本民主法律家協会共催で、表記の集会を開催することといたしました。事実認定、量刑、控訴・上告審の審理のあり方等、裁判員制度に関する種々の課題について、自由闊達な討論・意見交換を行なう予定です。今後、取り組むべき課題や運動の方向性を一考する上で有益な集会となると考えております。直前のご連絡となり恐縮ですが、団員の方々の積極的なご参加をお待ちしています。
日 時:二〇一二年九月二二日(土)
午後一時三〇分〜午後五時〇〇分
場 所:主婦会館プラザエフ四階シャトレ
(JR四ッ谷駅麹町口徒歩一分)
資料代:五〇〇円
内 容:(1)報告「裁判員制度の評価と今後の刑事司法改革の課題」(仮題)
講師:渕野貴生氏(立命館大学教授)
(2)パネルディスカッション
「裁判員法施行三年経過を踏まえた裁判員制度、刑事司法の課題について」(発言者:交渉中)
(3)討論・意見交換