<<目次へ 団通信1435号(11月21日)
泉澤 章 | *静岡・焼津総会特集* 二〇一二年静岡・焼津総会が開催されました |
小部 正治 | 今、団の活躍が期待されている |
斉藤 耕平 | 事務局次長退任にあたって |
上田 月子 | 次長に就任して |
杉山 茂雅 | 裁判員裁判制度と国民主権 |
大久保賢一 | 「原発に依存しない社会」の実現に向けて何をなすべきか |
井上 正信 | ガイドライン見直しと集団的自衛権 |
尾林 芳匡 | NLG総会に参加して |
森 孝博 | 『勝てないアメリカ―「対テロ戦争」の日常』(大治朋子/岩波新書)を読んで |
今泉 義竜 | 六六期向け四団体合同事務所説明会へご参加を |
井上 耕史 | 債権法改正と依頼者の権利について考えてみました |
事務局長 泉 澤 章
一 二〇一二年一〇月二〇日、二一日の両日、富士山を眺める静岡県焼津市のホテルアンビア松風閣において、自由法曹団二〇一二年総会が開かれました。本総会では、延べ三八五名の団員が全国から集まり、活発な議論が交わされました。
二 全体会の冒頭、長澤彰(東京支部)、萩原繁之(静岡県支部)両団員が議長団に選出され、議事が進められました。
篠原義仁団長の開会挨拶、地元静岡県支部の塩沢忠和支部長からの歓迎挨拶に続き、静岡県弁護士会・渥美利之会長、全国労働組合総連合・小田川義和事務局長、日本国民救援会中央本部・坂屋光裕事務局次長、日本共産党・仁比聡平元参議院議員の各氏から、ご来賓のご挨拶をいただきました。また、本総会には全国から合計五七本のメッセージが寄せられました。
三 ご来賓のご挨拶に続き、恒例の古稀団員表彰が行われました。今年の古稀団員は四五名で、うち一四名の古希団員が総会に参加されました。参加された古稀団員には、篠原義仁団長から表彰状と副賞が手渡されました。
四 続いて小部正治幹事長から、本総会にあたっての議案の提案と問題提起がなされました。
議案書の第一章に基づき、その後の情勢の変化も加味しながら、現在全国民的な主要課題となっている原発問題、衆院比例定数削減問題、そして新しい段階に入った明文改憲問題や秘密保全法阻止の運動構築について問題提起し、あわせて各分散会で討議されるべき主要なテーマについて解説しました。さらに、予算・決算報告において、近年団通信をはじめとした発行物の量が増えたことで印刷費が増大している状況について報告がなされました。
五 一日目の全体会終了後、四つの分散会に分かれて議案に対する討論が行われました。
今年は、各分散会の共通テーマとして、(1)憲法・平和・民主主義の分野、(2)原発・震災・除染の分野、(3)不当判決・司法改革・法曹養成の分野に沿って討議が進められ、この間の実践の報告を含めて、各分散会で活発な議論がなされました。
各分散会の議論を受けて、二日目の全体会では以下の発言がなされました。
○井上耕史次長(本部)・・・憲法問題(明文改憲・解釈改憲)について
○濱嶌将周団員(愛知支部)・・・秘密保全法に反対する運動の取り組みについて
○西 晃団員(大阪支部)・・・大阪における橋下維新とのたたかい
○芝田佳宜次長(本部)・・・衆院比例定数削減阻止と民意を反映する選挙制度の確立について
○阿部浩基団員(静岡県支部)・・・浜岡原発差止訴訟の現状について
○宮本亜紀団員(大阪支部)・・・給費制を回復するために団としてやりたいこと
○仲山忠克団員(沖縄支部)・・・オスプレイ反対闘争を全国的に展開し、安保破棄のたたかいに連動させよう
これらの発言以外に、広田次男団員(福島支部)から「今、いわき市の原発問題で不足しているのは『たたかう弁護士』である」、渡邊純団員(福島支部)から「福島第一原発被害の実態をふまえ、責任追及の裁判闘争へ」、近藤忠孝団員(京都支部)から「原発事故被害の回復に関する修正案の提案」、杉本朗団員(神奈川支部)から「最新くらしの法律相談ハンドブックのさらなる普及について」の各発言通告がありました。
六 討論の最後に小部幹事長がまとめの発言を行い、久保田明人団員(東京支部)から会計監査について報告を受けた後、議案、予算・決算が採決、すべて承認されました。
続いて、以下の決議が一部訂正、修正のうえ採択されました。
○政府に速やかな脱原発へ向けた政策転換を求める決議
○明文改憲・解釈改憲の策動を阻止するため全力をあげる決議
○オスプレイの普天間基地配備に抗議し、日本国内での飛行訓練計画の撤回を求める決議
○秘密保全法の国会提出断念と共通背番号制法案の廃案を求める決議
○引き続き、衆院定数削減に反対し、民意を反映する選挙制度の実現をめざす決議
○労働者の権利を否定する不当な司法判断に抗議し、非正規労働者の拡大を阻止するため真の労働者派遣法改正・労働契約法改正の 実現を求める決議
○司法修習生に対する給費制の復活を要求する決議
○生活保護の給付基準の切り下げを許さない決議
○「浜岡原発永久停止訴訟」を支援し、全国の原発を廃炉にし、エネルギー政策の抜本的転換を求める決議
○袴田事件の早期再審開始を求める決議
七 選挙管理委員会の平野晶規団員(静岡県支部)から、幹事は信任投票で選出された旨の報告がなされ、団長は前日に無投票で選出された旨の報告がなされました。引き続き、総会を一時中断して拡大幹事会を開催し、規約に基づき、新入団二名の入団の承認、常任幹事、幹事長、事務局長、事務局次長の選任を行いました。
退任した役員は次のとおりであり、退任の挨拶がありました。
幹事長 小部 正治(東京支部)
事務局次長 久保木亮介(東京支部)
同 斉藤 耕平(埼玉支部)
同 芝田 佳宜(東京支部)
同 與那嶺慧理(東京支部)
新役員は次のとおりであり、代表して新たに選出された長澤彰幹事長から挨拶がなされました。
団長 篠原 義仁(神奈川支部 再任)
幹事長 長澤 彰(東京支部 新任)
事務局長 泉澤 章(東京支部 再任)
事務所次長 井上 耕史(大阪支部 再任)
同 川口 彩子(神奈川支部 再任)
同 瀬川 宏貴(東京支部 再任)
同 森 孝博(東京支部 再任)
同 上田 月子(埼玉支部 新任)
同 並木 陽介(東京支部 新任)
同 林 治(東京支部 新任)
同 山添 健之(東京支部 新任)
八 閉会にあたって、二〇一三年五月集会(五月一九〜二〇日、一八日にプレ企画を予定)開催地新潟の齋藤裕団員から歓迎のメッセージが紹介され、最後に、静岡県支部の田代博之名誉支部長による閉会挨拶をもって総会を閉じました。
九 総会前日の一〇月一九日にプレ企画が行われました。今回のプレ企画は、前半に原子力工学がご専門で現在NPO法人APAST事務局長の渡辺敦雄氏による「原発の危険性・脱原発の未来」と題した講演会を、後半は原発差し止め及び被害回復集団訴訟弁護団による意見交流会を開催し、全体で一〇〇名を超える多数の団員が参加しました。また懇親会では、佐治妙心尼僧による長崎原爆を題材とした手作り平和紙芝居・朗読が披露されました。
また、一日目夜の大懇親会の後、給費制問題と領土問題を対象とする会議がそれぞれ催されました。
一〇 今回も、多くの団員・事務局の皆さんのご参加とご協力によって無事総会を終えることができました。総会で出された旺盛な議論を力に、新たな情勢の下、大いに実践に取り組みましょう。
最後になりますが、総会成功のためにご尽力いただいた静岡県支部の団員、事務局の皆様、関係者の方々に、この場を借りて改めてお礼申しあげます。ありがとうございました。
東京支部 小 部 正 治
三・一一の瞬間、団本部執行部は午後二時から事務局会議を開催していました。慌てて机の下に隠れて難を逃れ、直後のTVには津波が堤防を越え街を破壊する様が映っています。会議にならず呆然としたまま時間が経過しました。公共交通機関の再開の見通したたず、ほぼ全員が団本部に泊まる覚悟でいつもの居酒屋にて飲食しました。戻った後に、地下鉄大江戸線が動き始めて家路に向かうも、倍以上の時間がかかりました。おそらく、忘れられない出来事でしょう。この直後から、大震災で被害に遭った人たちの基本的人権を擁護するために、多くの団員が被災地を訪れ様々な運動に参加しました。多額のカンパも集まりました。さらに原発のない社会の実現を目指し民主団体の方々と力を合わせ、「再稼働反対」や「原発をなくす会」の運動もすすめました。同時に、原発被害者の損害賠償問題や除染問題から裁判闘争などに首都圏の多くの団員が地元の団員と協力して活発な活動を展開しています。自由法曹団はすごいと、その活動力や先進性には頭が下がります。
民主党が政権交代して二年目〜三年目で、団は多くの政治的課題に取り組んできました。特に「比例定数八〇」の削減を公約とし、消費税等の国民への負担を強いるために「身を切る」として強行する企てを二年間阻止しました。団対策本部で真剣に議論して一一団体で開催した一一〇〇人の東京集会及び二二〇人での院内集会・議員要請、さらに団員が関与した二種類のリーフの大量普及など、運動を発展させるための大胆な提起が多くの団体や個人を動かし、闘いを前進させたと思います。削減「反対」運動から、民意を反映する選挙制度の実現を求める「要求」運動に転化したことが、運動に勢いをつけたようです。また、秘密保全法に関しては、ミックと全労連も参加する「共同運動」を組織して幅広い運動を発展させつつあります。いずれも素敵な団長二人とそれぞれ優秀な事務局長二人と積極的で元気な一二人の次長らに囲まれて、楽しく幸せな二年間を過ごすことができました。また、送り出して支えてくれた東京法律事務所に感謝してもしきれません。なお、飲む機会に恵まれすぎて大変太ってしまいました。比例定数削減問題は、今後も取り組む必要がありますので、「残業として」、一年間は参加する予定です。
今後ともよろしくお願いいたします。
埼玉支部 斉 藤 耕 平
久しぶりの雨を窓越しに見ながら、雨宿り中のカフェでこの文章を書いています。
一一月になり、ようやく退任したことの実感が湧いてきました。思うと、次長に就任してまもなくの昨年三月一一日、事務局会議中にあの地震が起こってから、何となくですが、自分たちの役割というか、求められているものを自覚したような気がします。
そこから先は、流されるままに一所懸命に取り組んで(ときには息を抜き)、いつの間にか、二年間が終わっていました。
埼玉支部の支部幹事会で退任の報告をすることになり、手帳を振り返ってみると、どうやら、団本部には二年間で二〇〇回近く、足を運んでいたようです。家族には自分が事務所での仕事以外に次長の仕事をしていることはいっさい話していませんでしたので、私がこの二年間後楽園行脚を繰り返していることについて、妻は私が何か良からぬことを企んでいるのではないかと考えていたようです。それはそれでおもしろいので、ミステリアスな雰囲気を醸し出しながら放っておいています。
一年目の手帳には、二年目も担当した労働、司法、貧困のほか、比例定数削減阻止対策本部とか、市民問題委員会のスケジュールも書かれていました。そこからさらに東日本大震災対策本部や原発問題委員会、チーム福島といったスケジュールが増えていきましたので、おそらく、このころは意識を失いながら仕事をしていたのだろうと思います。私がこの二年間で培った種々の課題への思い入れや感想は、最後に書かせていただいた総会議案書にすべてぶちまけましたので、改めてここで書かせていただくことは何もありません。自分の力不足は常に感じていましたので、最後まで次長の任を務められたのも、団員の方々の的確なご指導と、拙い起案を大目に見ていただけた優しさのおかげだと思っています。関わっていただいたすべての団員の皆さまに、心より感謝を申し上げます。専従事務局の薄井さん、渡島さん、阿部さん、こんなに不真面目な次長を最後まで支えていただき、本当にありがとうございました。
いつの間にか、雨が上がっていました。それでは、また。
埼玉支部 上 田 月 子
埼玉支部の、弁護士法人川越法律事務所の新六二期、上田月子です。本部次長となり、労働委員会、貧困委員会、給費制維持対策本部を担当することになりました。
労働委員会は団本部の労働イベントには何度か参加していることから、会議に通常参加されるメンバー(鷲見、今村、伊須、斉藤団員など)を知っています。貧困委員会は、立ち上げ時からしばらく参加していたことから、会議に通常参加されるメンバー(笹田、赤石、伊須、加藤、滝沢、林団員など)を知っています。給費制維持対策本部はビギナーズ・ネットや日弁連で一緒に活動しているメンバーで構成されていることから、会議に通常参加されるメンバー(平井、山添、青龍団員など)を知っています。
つまり、次長になり、担当委員会を持ったものの、今まで関わりを持っていなかったものはなく、関わりを持っていたものに、「時間が空いていれば」ではなく、「絶対」出席するようになっただけです。
労働委員会に関しては、修習生の時から求めていた労働者派遣法の抜本改正がなされないまま、骨抜き改正がなされてしまいました。労働契約法の改正もなされたものの、有期契約労働者の雇用の安定には程遠い内容です。非正規労働者を雇用の調整弁にしようという財界の熱意は凄まじいものがあります。他方で、非正規労働者は立場が弱く、組織化も難しいので、自分たちの声を国会やマスコミに届けることが難しいです。しかし、労働は単に労働力を提供して賃金をもらう以上の意味があり、安定した労働が出来ないと、人生設計ができません。結婚もできず、ローンで家や車を買うこともできません。また、いつ仕事を失うかと不安な日々を送らなければならず、精神に異常を来します。そのような現状を放置しておくことは、人権を擁護し、社会正義の実現を使命とする弁護士としてできません。
貧困委員会に関しては、生活保護の切り下げの危機に直面しています。修習生の時、年越し派遣村がありました。真冬に路上で生活しなければならないことは、とても辛いことだろうと思いました。暖かい寝床と、暖かい食事は人として与えられる権利があると思い、ボランティアに参加しました。多くの路上生活者が生活保護を受けることができ、人が幸せになる手伝いができたとの充実感がありました。しかし、生活保護費は僅かなお金です。人は食べて寝るだけで生きていける存在ではありません。趣味を持ち、人と交わり、月に一〜二度の外食や遊びの外出などは、健康で文化的な生活を送るために必要なことです。また、自立に向けて少しずつ貯金をすることも必要です。それが、今の保護費でも十分とはいえないのに、切り下げられては、困ります。それに、生活保護費は他の制度の基準ともなっており、保護費が切り下げられると、保護世帯以外の生活レベルの切り下げにもつながります。
給費制維持対策本部に関しては、弁護士一年目から足掛け三年取り組んでいるテーマであり、今が正念場です。有識者による法曹養成検討会議で、来年一月二三日に給費制について検討される予定です。昨年一一月、新六五期から貸与制に移行しました。その結果、約三割の修習生が、修習を諦めようと思ったとアンケートで答えています。今の修習生は、お金がないため、食事を抜いたり、書籍を買い控えたりと、充実した修習生活とは程遠い生活を送っています。このような修習生活を終えて法曹になった修習生が、反動から利益を追求する弁護士になったとしても、責めることはできません。私は、給費制の恩恵を受けたため、国民から大切に育ててもらったという意識があります。一生かけて恩返ししなければならないと思っています。自分の体験から、費用対効果の観点からも、法曹全てに恩を売ることのできる給費制の方が、貸与制よりも、人権を擁護し、社会正義を実現する社会を作るために優れていると思います。
宮城県支部 杉 山 茂 雅
一 一〇月一一日付け団通信に神原元団員の「裁判員裁判と民主主義」が掲載された。幹事会で京都支部の団員から出された意見への神原団員の意見である。幹事会でどのような意見が闘わされたのか明らかではなく、京都支部の団員から意見が出されてから考察したいと思っていた。しかし、いまだに何の反応もない。幹事会での論争が紹介されたので、意見を述べてみたい。ただし、論争点は神原団員の論考から推論しており、誤解をしている可能性があることをはじめに断わっておく。
二 京都支部の意見は、裁判員裁判制度は、国民主権の理念に沿うものであって、選択制を入れることは国民主権原理に基づく制度の定着の妨げになるという。
神原団員は、国民主権で裁判員裁判制度を正当化すると、冤罪防止と被告人の人権擁護という刑事裁判制度本来の目的が損なわれる危険性がある。しかも、国民主権原理の理念に基づくものとすると、裁判員の判断を絶対化することにつながる危険がある。刑事裁判は被疑者・被告人の人権擁護にあり、被告人の裁判を受ける権利の観点から、選択制の導入は当然であると主張する。
三 刑事裁判に罪を犯した者を処罰することで犯罪を抑止し、社会の治安を守るという側面があることは争いなかろう。しかし、現代社会において、犯罪抑止、治安の維持を刑事裁判の中心目的とすることは許されない。刑事裁判で最も大切にしなければならないのは、無実の者を罰しないことである。そのために無罪推定の原則が確立し、それを実現するための規定が置かれている。これらの原則、規定が厳格に運用されれば冤罪は大幅に防げるであろう。しかし、現実の官僚刑事裁判では、冤罪の防止がなおざりにされ有罪推定であった。裁判員裁判制度には、この官僚司法の打破が期待された。有罪裁判に慣れた裁判官と違い、緊張感を持って裁判に臨む市民が参加することで、無罪推定原則を厳格に守った審理がなされると期待された。裁判員裁判制度には、様々な問題点があるが、ある程度この期待は実現されている。
神原団員は、「一定の期待は持てる」と評価する。しかし、この評価の根底には、市民に刑事裁判、事実認定はできないという考えが潜んでいるように思う。「法律の専門家でなければ事実認定はできない」という意見を聞くが、法律の専門家が事実認定の専門家であろうか。事実認定は、過去に客観的に存在した事実を、証拠と経験則で認識しようとする作業である。法律家でなければできないことではない。過去の事実すべてを認識することは不可能である。しかし、事実は客観的に存在している。多角的視点で事実に迫る努力をすることによって、限りなく客観的事実に迫ることはできる。自己の狭い経験から判断しようとするとき、事実認識を誤ることになる。これまでの裁判官裁判は、その典型である。均質な経験しか持たない裁判官だけで事実認定するのではなく、様々な経験を有する人々が広く自由に議論することで、より客観的事実に迫ることができる。裁判員裁判制度は、この可能性を持った制度である。その意味で、「市民参加」は、積極的に歓迎すべきである。
裁判員の量刑関与については、団通信一四一二号で述べた。確かに、大阪地裁で出された障害者に対する量刑判断の理由は問題である。しかし、この裁判における量刑判断の問題点は、裁判員裁判制度だけの責任に帰するべきものであろうか。神原団員の述べるように「冤罪防止という意味からは、裁判員の量刑関与は必然ではなかった」。だからといって、裁判員の量刑関与を認めるべきではないという結論にはならない。
四 では裁判員裁判制度は国民主権の理念に沿うものであるから、定着の妨げになるような選択制を認めるべきではないという京都支部の団員が述べたとする議論はどうか。
民主主義と自由主義とは、緊張関係にある。民主主義は、最終的には多数決となる。多数者の意思で少数者の意思が否定される。しかし、現在の少数者も未来の多数者になる可能性を排除されてはならない。特に少数者の精神的自由を中心とする自由権は最大限保障されなくてはならない。民主主義過程での権利侵害から少数者の権利を守ることが、司法に課された基本的任務である。司法においては自由主義的側面が前面に出るべきである。
このことから司法に市民が参加する裁判員裁判は、司法の本質に反するとする意見もある。
確かに、司法は、民主主義原理で侵害される可能性のある少数者の基本的人権を守るために機能すべきである。司法では、民主主義の修正・制限の原理が働く。したがって、裁判員裁判制度を民主主義原理から直接導き出すことはできない。民主主義の理念に沿う裁判員裁判制度の定着の妨げになる危険性のある選択制は入れるべきではないという意見は、この点で正しくないと思う。
しかし、司法も国権の一権能である。その権能行使の正当化は、国民主権に基礎づけられる。主権者たる国民に由来しない権力行使などは認められない。司法も国家権力の行使である限り、その一内容である裁判員裁判制度の基礎に国民主権原理が内在していることは否定できない。
神原団員が、司法の自由主義的側面から司法の存立基盤である国民主権・民主主義的側面の存在を否定しようとするのであれば、その限度において誤った議論である。
民主主義と自由主義の緊張関係を念頭に置き、その中で司法権のあり方を考えるとき、裁判員裁判制度もその基礎に国民主権原理が内在することを認めなければならない。しかし、刑事裁判である以上、刑事司法に求められる被疑者・被告人の人権の擁護と冤罪の防止という原理を中心に考える必要がある。裁判員裁判においても事実を見誤ることはありうる。量刑判断において、誤った判断がなされることもありうる。その時に、国民主権・民主主義を基礎に持つ制度だから批判できないわけではない。国民主権・民主主義的側面の存在を認めたとしても、司法に求められる自由権的側面から裁判員裁判を批判することは可能である。神原団員の議論は、この点において誤りがあるように思う。
しかし、裁判員裁判制度が、国民主権・民主主義を基礎に持つから、定着に妨げになる危険がある選択権の導入は認めるべきではないとする議論も誤りであると思う。被告人の裁判を受ける権利のからすれば、選択権が認められても何ら問題はないはずである。裁判員裁判制度が定着するかどうかは、この制度が被告人の人権擁護と冤罪防止のために十分に機能するかどうかにかかっている。十分に機能すると国民が判断すれば定着した制度として機能していくであろう。その時、裁判員裁判制度は、国民主権・民主主義に基礎を持つ制度になる。
五 私は、裁判員裁判制度の積極面を評価して、対象事件を拡大するとともに選択性とすべきと考えている。
いま取り組まなければならないことは、裁判員裁判制度が、被告人の人権擁護と冤罪防止のための制度となるように、現行の制度に含まれている問題点を洗い出し、その不十分点の改善を提言していくことである。同時に、被疑者からも国民からも選択されるような制度となるような実践をしていくことである。
団通信の場での議論が大いに闘わされることを期待したい。
埼玉支部 大 久 保 賢 一
問題意識
団は脱原発のために何をしてきたのか、何をしようとしているのかが見えない、との意見があるという。これは、無理もないことであろう。時間的にも空間的にも社会的にも「異質の被害」が継続している中で、具体的な成果が上がらなければ、先駆的な法律家団体の一員として焦燥感あるいは無力感を覚えることはありそうなことだからである。
正直いって、私も「非力ではあるが無力ではない」などと手を挙げてしまったけれど、「お前、何をしているんだ。」という、もう一人の自分の詰り声が聞こえることがあるのだ。隔靴掻痒などというレベルではなく、事の本質を捉えていないのではないかという不安に襲われることもあるのだ。だから、先の意見も無理もないと思うのである。
けれども、団は、個々の団員が主体的に構成する組織であり、団の活動の不十分さを指摘するだけではいけないとも思うのである。その指摘だけでは、自らの主体的努力の欠落を自白しているだけだと思うからである。
そこで、自戒を込めて、昨年三月一一日以降、団は何をしてきたのかを振り返り、これから何をすればいいのかを考えてみることとする。
団の基本方針の確立とこの間の活動
福島原発事故は、私たちに、深刻な被害の回復についても、核エネルギーとどう向き合うかという根本的問題についても、従前の経験や思考を超える課題を突き付けている。団は、常幹や活動者会議(郡山、東京)での議論を経て、「原発に依存しない社会」をめざすことを確認し、被害回復と完全賠償を求めるたたかいと、原発を廃止していくたたかいを二つの柱に据えることとした。そのために団内の組織づくりもしてきたし、大飯原発の再稼働に備えて福井での活動者会議も開催してきた。五月集会や総会でも、様々な角度から検討されてきた。「群盲象を撫でる」という感が無きにしも非ずだが、それはそれで貴重な営みであった。
もちろん、これらのテーマは団だけで担える課題ではないので、他の法律家団体や科学者やジャーナリストなどの専門家集団、労働組合、民主団体との共闘にも取り組んできた。「原発と人権」全国交流集会にも積極的にかかわってきたし(近刊の報告書を読んで欲しい。恒常的なネットワークにもしたい。)、「原発をなくす全国連絡会」にも参加し、大規模な集会成功に貢献もしてきた。(逆流も出てきたが、運動は一〇〇万人デモを呼びかけられるところまで来ている。)
また、団としての取組だけではなく、日弁連や単位弁護士会の活動や、脱原発弁護団にも多くの団員が積極的に参加している。困難な条件の中で、被害者に寄り添い、創意工夫を試みている団員は決して少なくない。私はこれらの団員に敬意を持っている。
現在の状況
現在、被害回復の課題も、脱原発の課題も、原発依存勢力とのせめぎ合いの中で、成果を上げているといえる状況にはない。被害回復は、直接請求であれ、ADR経由の請求であれ、東電の傲慢さと無責任さを突破できていない。裁判闘争も展望されているが、責任論にしても、損害論にしても、克服しなければならない課題は山積している。また、国家としての脱原発政策は確立されていない。しかも、原発の輸出が目論まれているのである。私たちが目標とする「原発に依存しない社会」の実現にはまたまだ困難が待ち受けているのである。
けれども、困難さが待ち受けているのは事柄の性質上当然である。そもそも、わが国の核政策は、米国の核兵器に依存することと、原子力の「平和的利用」を推進することを柱としているが、この政策は、米国の世界戦略と財界の思惑を背景としながら、国政においても地方政治においても、国民や住民の支持を受け、正統性を獲得してきたものである。武力で物事を解決することをタブーとせず、利潤追求のためであれば恥ずかしげもなく何でもする支配層が振り撒く「神話」に絡め獲られた者が「多数派」を形成し、支配層の政策に正統性を付与してきたのである。その様な「正統性を持つ国策」に対抗することがいかに困難であるかは、私たちはこれまで様々な局面で体験してきている。
他方、民衆は決してやられっぱなしではなかったことも、団員が一番知っているのではないだろうか。
今求められていること
私たちが展望しているのは、「原発に依存しない社会」である。これは、原子力に依存しないことを意味している。原子力は無限の可能性を持っている。であるが故に、兵器として使用されれば、人類社会の滅亡をも可能にすることになる。他方、それをコントロールできれば、現実生活に利便性と快適さを提供する「夢のエネルギー」と喧伝されてきた。(鉄腕アトムは「心やさしい科学の子」とされていたのだ。)けれども、私たちは、コントロール技術の脆弱さとリスクが顕在化した時の被害の甚大さを目の当たりにしている。その夢は「悪夢」だということを知ってしまったのである。
私たちは、原子力エネルギーに依存しないとの選択をしたのである。私たちは、原発の新増設を阻止し、停止中の原発の再稼働を阻止し、稼働中の原発を停止し、全ての原発を廃炉にしなければならないのである。
その原点は、人類は、放射能とたたかう術を持っていないことにある。そして、放射能被害の最も典型的な事例は原爆投下である(原爆被害はそれに止まらないが)。核実験や核関連産業のヒバクシャも視野に置かなければならない。
私は、核と人類は共存できないと考えている。ハルマゲドン(最終戦争)を避けたいし、カタストロフ(悲劇的結末)を見たくないからである。そして、核兵器をなくすことのできない人類は、原発をなくすこともできないであろうとも思っている。だから、私にとっては、核兵器廃絶と脱原発は、二つながらに追求すべき課題なのである。
そして、核分裂に頼ってお湯を沸かさなければエネルギーを確保できないなどという戯言と決別するための知恵を現実化しなければならない。電気エネルギーの確保の手段はさまざまあるだろうし、人類はそのくらいの知恵と勇気は持ち合わせているだろうからである。
もうひとつの視点は、被害実態から出発することである。基地被害も、原爆被害も、空襲被害も、侵略・植民地政策による内外の被害も、公害や薬害や、差別政策による被害も、その実態の悲惨さ(非人道性)が人々に認知された時、国策の変更をもたらしてきた。これらの経験は団内にも蓄積されている。
福島原発事故の深刻で複合的な被害の実相を基礎におかれなければならない。不法行為法の原点は被害救済にあるとされる。不法行為法の深化と進化を追求しなければならないであろう。法律家の出番である。
私は、自分の無力さは自分で一番知っているつもりである。だからこそ、多くの人たちと協働したいのである。そして、人の営為による被害は廃絶できると考えている。たとえ「蟷螂の斧」といわれようと、何かをしておきたいと思うのである。
(二〇一二年一一月八日記)
広島支部 井 上 正 信
一 一一月七日朝日新聞(大阪本社版)に、「日米指針見直し、来月協議へ」という小さい記事が出ています。九七年九月に策定された日米防衛協力の指針(いわゆる新ガイドライン)を見直そうというものです。私はすぐに「動的防衛協力」と集団的自衛権の行使容認との関連を思い浮かべました。
二 日米防衛協力の指針とは、安保体制下での日米両部隊の軍事的役割分担を決めるものです。言い換えれば、日米共同作戦計画の青写真とも言えます。七八年一一月に最初の指針が合意されましたので、九七年九月の指針を新ガイドラインと呼びます。旧ガイドラインが合意された同時期に、福田内閣は有事法制の研究を閣議決定しました、旧ガイドラインに基づき、日米両部隊の共同訓練が始まり(米海軍と海上自衛隊だけはそれ以前から行っていた)、共同訓練を積み重ねながら、日米共同作戦計画が作られてゆきます。しかし、旧ガイドラインは日本有事における日米両部隊の軍事的役割分担の合意に止まっていました。
三 新ガイドラインは、冷戦体制崩壊後の新たな情勢の下で、アジア・太平洋地域での日米の防衛協力を合意するものでした。日本側はそれを実行するために、周辺事態法、周辺事態船舶検査法を制定しました。しかし、これはあくまでも個別的自衛権行使の防衛法制です。そのため、自衛隊ができる協力は後方地域での限られた兵站支援に止まり、危なくなれば活動を中断または撤退するという仕組みでした。周辺事態とは、第二次朝鮮戦争と台湾海峡をはさんだ中台武力紛争を想定していました。自衛隊によるこのような後方支援活動は、安保条約第五条(日本の施政権下の領域にある日米いずれか一方に対する武力攻撃事態)ではなく、第六条(極東の平和と安全に寄与するための在日米軍基地の使用)でもありませんので、事実上の安保条約の改定ともいわれました。
新ガイドラインの下で、第二次朝鮮戦争を想定した米韓連合作戦計画(OPLAN5027)を支援するための、日米共同作戦計画(CONPLAN5055)が二〇〇一年九月に策定されました。
四 その後取り組まれた日米防衛政策見直し協議(米軍再編協議)や米軍再編見直し協議により、日米同盟が強化されて、新たな日米両部隊の役割、任務、能力を目指そうとしています。それが、二〇一二年四月二七日2+2と五月一日日米首脳会談で登場した、「動的防衛協力」なのです。「動的防衛協力」が、平素から情勢緊迫時、有事の各段階で日米が共同で行う「情報収集、警戒監視、偵察」という集団的自衛権行使の態勢であるということは、団通信一四二五号「集団的自衛権と秘密保全法」をお読み下さい。
五 ではなぜ新ガイドライン見直しなのか。日米防衛政策見直し協議で合意された日米両部隊の役割、任務、能力の内容は、二〇〇五年一〇月二九日2+2共同発表文「日米同盟:未来のための変革と再編」に規定されています。これにより、日米安保体制はグローバルな日米同盟へと変質させられたのです。日米が合意した地域における共通の戦略目標と世界における共通の戦略目標を実行するための日米の役割、任務、能力が合意されたのですが、よく読むと、地域における共通の戦略目標(日本の防衛と周辺事態のこと)では、日米両部隊の役割分担については具体性があるのですが、世界における共通の戦略目標=グローバルな日米同盟に関しては、日米両部隊の役割分担は具体性が無く、いわば政治的宣言に終わっているのです。
なぜそうなったのか、私は次のように考えます。新ガイドラインは、周辺事態での日米の共同作戦(新ガイドラインは共同作戦という言葉ではなく「相互協力計画」と呼ぶ)、周辺事態と同時またはこれから発展する日本有事での共同作戦計画を策定するものです。周辺事態での米軍支援のための国内法制として、周辺事態法、周辺事態船舶検査法のほか、有事法制とりわけ米軍の作戦支援で重要なものとして、米軍支援法と特定公共施設利用法が制定され、それなりに日米両部隊による共同作戦の基盤が確立しています。むろんそれは個別的自衛権の枠組みであることから、米国からすれば、不十分なものです。しかし、グローバルな日米同盟ともなれば、せいぜいPKO協力法、テロ特措法(廃止)、イラク特措法(廃止)、海賊対処法位であり、これらはいずれも日米両部隊の共同行動を直接の目的にしているものではありません。
つまり、グローバルな日米同盟を実効性のあるものにするための、日米両部隊の共同行動を可能にする仕組みがないということです。
六 では、ガイドライン見直しは何を目指そうとしているか。一つには、「動的防衛協力」を実効性のあるものにするためでしょう。東シナ海、南シナ海、西太平洋地域での平素から情勢緊迫時、有事の各段階での日米両部隊による共同の「情報収集、警戒監視、偵察」を行うための具体的な計画を作るためです。この軍事態勢が集団的自衛権行使に他ならないことは、先に照会した「米軍再編見直しと憲法九条」で述べたことです。
もう一つの可能性は、第三次アーミテージレポートが求めているものです。レポートは、日本防衛と地域紛争を米国とともに防衛することを含むよう拡大すべきであるとし、具体的には、最も差し迫ったものに南シナ海と東シナ海での中国の脅威に対する対抗を挙げ、さらに、同盟の防衛協力の拡大の可能性がある二つの分野として、ペルシャ湾の機雷掃海と南シナ海の共同の警戒監視を挙げています。ペルシャ湾の機雷掃海は、イランによるホルムズ海峡封鎖への対抗、南シナ海での共同の警戒監視は地域の安定と航行の自由を挙げていますが、主要には中国シフトです。
七 ガイドラインの見直しにより、日本は米国との集団的自衛権を実効的に行使しようとしていることは明らかでしょう。ただそれがどの地域を想定しているかは分かりません。今後の見直し協議のプロセスを注目する必要があります。
集団的自衛権の行使を禁止する憲法解釈を改めるべきとの主張が急浮上し、そのための国家安全保障基本法案などの具体化の動きも始まっているという背景には、日本の防衛ではないにもかかわらず、日米両部隊による共同行動をとろうとする日米同盟の強化があるのです。
ガイドラインの見直しや集団的自衛権を行使しようとする具体的な動きに対して、私たちは機敏に反撃する態勢を作らなければならないでしょう。
この小論はNPJ通信に掲載されたものを転載したものである。
東京支部 尾 林 芳 匡
一 七五周年記念の「民衆のための法律」
一〇月一〇日〜一四日、ロサンゼルス・パサデナで開かれたナショナル・ローヤーズ・ギルド(NLG)の七五回記念総会「民衆のための法律」に、鈴木亜英・鈴木麗加両団員とともに参加した。五日にわたり、二回の全体会と三〇以上の分科会が設けられ、数百名の法律家が参加した。
二 実践的で悩み多くされど真摯な討議
国賠の責任論の分科会では、学校バスの安全性、車両の積荷の安全性、フットボールなどの事案に基づく講義と、警察の誤認の事例についての少人数討議がなされた。
賃金収奪と非正規労働の分科会では、賃金不払い問題、非正規労働の権利闘争、「下請け」契約方式の悪用との対応などについて、報告と経験交流がされた。正確に聞き取れたわけではないが、労働者を組織化すること、よいキャンペーン(運動)を展開すること、ときにはボイコット運動や記者会見をして圧力をかけるという経験も語られた。わが国でも非正規労働者の権利闘争は裁判例上は厳しい現状にあるが、工夫した取り組みをしている。自分たちの、「下請」方式の学校開放員について労働委員会で労働者性を認めさせた経験や、アニメ政策会社の雇止めで裁判書類や宣伝チラシなどを活用して解決した経験などを思い出した。
身柄拘束についての分科会では、OCCUPY運動の参加者の身柄拘束とのたたかいや、警察当局の差別的な取り扱い等について議論された。NLGの将来についての分科会では、アーサー・キノイ「試練にたつ権利」の一部分が資料とされ、それぞれの時代のNLGのたたかいがパネラーから語られた。多様な活動が報告される中で、NLGとしての重点をいくつかしぼってキャンペーンするようなこともすべきではないか、等の討論があった。構成員の活動の多様性と団体としての重点課題との調和は、どこでも似た悩みがつきまとうと感じた。
三 労働問題の実情
労働問題委員会の国際交流レセプションがあった。近くの労働弁護士の法律事務所の会議室が会場だった。ワインが用意され、各国の代表が短いスピーチをした。その後の懇談では、雇用情勢やOCCUPY運動、非正規労働者の権利、過労死、公務員の労働基本権、労働弁護士のあり方などを、つたない英語で語り、アメリカの実情を聞いた。
格差と貧困の状態は深刻で、OCCUPY運動に関連する刑事手続きにも多くの弁護士が関与している。大企業の人減らしも行われているが、人事労務作としてはレイオフが一般で、日本のように大量の退職はあまりないようである。非正規労働者の権利は日本と同様深刻で、「下請」契約が活用されていることも同様である。公務員の労働基本権の制限は州により異なるが、争議権を中心とする労働基本権の重要性を労働者に教育していくことの重要性で一致した。過労死問題はあまり知られておらず、規制の試みはないのかと問われたが、規制を強くすると経済が下降すると考える労働組合が多いと答えておいた。
労働弁護士のあり方としては、法律事務所を持つ人のみならず、大学で教えている弁護士、労働組合の事務所に所属している弁護士、NGOの名刺を差し出す弁護士など、さまざまであった。
四 日本で直面する課題と国際交流
私は弁護士登録後しばらくは、国際活動に取り組むことはなかった。突如として海外調査をしはじめたのは、二〇〇五年である。「官民競争」手続を通じて公務の民営化を進める「市場化テスト」について、英米豪などで経費削減の「効果」があると報道され、英国にTUPE(民営化など営業譲渡に際しての雇用と労働条件保障制度)の調査に行き、日本の「市場化テスト」の批判と運動の参考にし、「イギリスの市場化テストと日本の行政」「Q&A市場化テスト法」などの本にまとめた。
その後、自治体非正規労働に関するILOへの情報提供に同行し、米カナダメキシコの労働運動家との国際会議で海外の公務員の労働基本権の実情を学び、EUの競争入札で全欧州規模の労働条件ダンピングが展開されていることに歯止めをかけようとする欧州自治体協会「地方自治憲章」調査をして国内の公契約条例制定運動のために紹介し、欧州法律家シンポで日本の過労死問題を訴えるなどしてきた。過労死についての訴えは「産経」二〇一一年八月一二日付で紹介されている。
このように、わが国で自分が弁護士として対処しなければならない課題で必要に迫られ、海外の動向をつかもうと、海外調査や国際交流の機会に積極的に参加してきた。日本から問題意識を持ち込むと得るものが大きいし、今回も非常に活力を得て帰ってきた。
五 団とNLGとの交流の今後のために
団はいま創立九一年だが、七〇周年記念行事でNLGから「試練に立つ権利」の著者アーサー・キノイを招いた。本はむさぼるように読んだし、講演の迫力には圧倒された。今日、それぞれの役員が世代交代しており、NLGについてよく知らない団員も多いだろう。今後、その時々の交流の機会について、テーマや意味が団員に周知徹底され、かつ団員の経験や問題意識が集められ、たとえば公務の解体、非正規労働者の権利などに取り組んでいる多くの団員が、参加してくれることを願っている。
東京支部 森 孝 博
「アフガニスタンでの従軍取材中に路肩爆弾攻撃を受けた日本人記者が現場取材をまとめた本を出版した」。このような話を秘密保全法阻止でお付き合いしているマスコミ団体の方から聞き、興味が湧き本書を購入して読んでみました。
本書の筆者である大治朋子さん(毎日新聞記者)は、二〇〇七年秋、偶然取材で原因不明の傷病に苦しむイラク戦争帰還兵に出会い、その原因が「対テロ戦争」で武装勢力が頻繁に使用する手製爆弾(IED)である可能性を知ったことをきっかけに、様々な取材を重ねてきたと述べており、そうした地道な取材を通じてイラクやアフガニスタンにおける「対テロ戦争」が何をもたらしたのかを鮮明に描いています。
まず、本書のきっかけともいえる第一章『見えない傷』では、IED攻撃に遭った多くの米兵が外傷性脳損傷(TBI)という「対テロ戦争」特有ともいえる傷病に苦しんでいる現状や、その人数は二〇万人以上ともいわれる米国内の深刻な状況が描かれています。ハイテク装備により米兵が爆弾攻撃により死亡する危険性は減ったものの、逆にTBIといったこれまでにない新たな戦傷病が蔓延することになったという点は印象的です。
続く第二章『従軍取材で見た基地の日常』では、従軍取材に基づいてアフガニスタンに設営された米軍基地内の日常が描かれています。イラク、アフガン両戦争が長期化しているのにもかかわらず悲惨な戦死の状況をとらえた報道がほんの一握りしか表に出ない理由、米軍内で民間軍事会社の役割が拡大し戦争の民営化が進行している状況などがわかります。第三章『泥沼化する非対称戦争』では、ハイテク装備で武装し圧倒的優位にあるはずの米軍がわずか一〇ドル程度のIEDに翻弄され続ける現実が、筆者自らが体験した爆弾攻撃などを踏まえて報告されています。
そして、個人的に本書で注目したのは第四章『「終わらない戦争」のはじまり』です。泥沼化する「対テロ戦争」を打開するために、米軍は衛星通信を利用した高性能の無人爆撃機を開発し、米国本土からコントローラーで無人機を遠隔操作をして一方的に「敵」を殺害するという戦争のゲーム化が進行していること、無人機によって戦争がもたらす悲惨さが覆い隠され戦争自体が潜在化される危険性があること、こうした非人道的な無人機の開発を軍産複合体が競い合っている事実が告発されています。一方、こうしたハイテク兵器により、かえって無辜の市民の犠牲は増え続け、反米感情はさらに高まり、米国がいっそう負のスパイラルに陥っていることも明らかにされています。
こうした事実を踏まえ、筆者は、終章『勝てないアメリカ』において、「「オバマの戦争」と呼ばれたアフガン戦争が物語るのは、多数の人命と莫大な戦費、膨大な時間を使い果たしてもなお勝てないアメリカの現実だ。そこに目を向けなければ、二一世紀の戦争の真実は見えてこない。」と述べています。
いま米国は、膨大な戦費負担といった諸事情から、日本にいっそうの軍事的貢献を要求し、これに呼応して国内で集団的自衛権行使、秘密保全法制定、憲法「改正」といった動きが進められていますが、米国の戦争に巻き込まれることがいかに危険なことかを端的に示しているのが本書が述べる「勝てないアメリカの現実」ではないかと思います。そうしたことから拙稿を掲載していただきましたが、これをきっかけに本書をご一読いただければ幸いです。
東京支部 今 泉 義 竜
一 きたる一二月一五日(土)、午後一時から、東京は四ツ谷駅から徒歩一分、主婦会館プラザエフにて、六六期司法修習生を対象とした、自由法曹団、青法協、日民協、労働弁護団の四団体合同事務所説明会が開催されます。
全国の事務所におかれましては、六六期採用について全く検討する余地がないということでない限り、ご参加いただくようお願い申し上げます。
なお、都合により参加できない遠方の事務所で、人権活動に熱心な新人を是非とりたいという事務所につきましては、メールまたはFAXにて、詳しい募集要項(事務所名、採用担当者、連絡先、採用予定人数、勤務条件、事務所の特色等)を送付下さい。当日参加した修習生に紹介致します。
二 参加要領
一二時半開場
一三時開始 学習会
六六期司法修習生を対象にした学習会で、生活保護問題について行う予定です(講師:戸館団員)。この時点では、事務所側は参加していただかなくても結構です。
一四時 事務所説明会開始←遅くともこの時間までにお越しください。
一八時 懇親会
場所:主婦会館(プラザエフ)
費用:参加費用として一事務所あたり一万円を頂戴いたします。懇親会には別途弁護士一人あたり五〇〇〇円をいただきます。
持参資料:修習生が七〇名程度参加しますので、同程度の事務所紹介資料をご持参ください。
三 参加される事務所は、事務所名、参加人数をご記入の上、東京法律事務所今泉宛にFAX(〇三―三三五七―五七四二)またはメール(imaizumi@tokyolaw.gr.jp)にて一二月一〇日までに御連絡下さい。
事務局次長 井 上 耕 史
債権法改正の議論は膨大で全部をフォローするのは難しいですが、自分の依頼者の権利にどんな影響が出るかなら、それほど難しくないので、少し考えてみました。
最近の法制審議会民法(債権法)部会では、民事法定利率は変動制(年三分前後)にするが、中間利息控除に用いる利率は年五分に固定してはどうか、といったことが検討されています。このとおり改正されたら、交通事故、公害、過労死などの被害者が得られる賠償額は大きく減少することになります。
また、部会では、相殺の遡及効(民法五〇六条二項)を無くし、時効にかかった債権による相殺(民法五〇八条)を制限する方向で議論をしているようです。サラ金の債務整理では、過払金と貸付金の相殺という局面が生じますが、過払金利息が年五分なのに、貸付金利息は年一割五分以上ですので、遡及効が無くなると借主は損害を被ります。また、長期にわたる取引で過払金が時効にかかっていることも珍しくありませんが、民法五〇八条によって少なくとも借入金債務の返済から免れていたのに、これができなくなってしまいます。結局、損をするのは、法律に疎い消費者や零細事業者です。
もちろん、審議の過程では反対意見も主張されています。また、私が挙げたのはほんの一部であり、全体を見通したものではありません。しかし、議論の方向性を見ていると、結局、一握りの企業のために国民の利益を蔑ろにする傾向があるように思えます。団員の皆様も、自分の日常業務や弁護団活動を通して、債権法改正の議論を注視し、団本部に意見をお寄せください。