<<目次へ 団通信1436号(12月1日)
石川 賢治 | 「本当にいいんですか?秘密保全法」開催報告 |
横山 聡 | 準強制わいせつ事件無罪判決のご報告 |
渡辺 達生 山内 崇史 |
比例定数削減問題に関する議員回り行動について |
川岸 卓哉 | 川崎での脱原発アクションのご報告 |
永尾 廣久 | 『憲法九条裁判闘争史』に学ぶ |
藤本 齊 藤原 真由美 |
上田誠吉著「ある北大生の受難 国家秘密法の爪跡」を、もういちど ―「秘密保全法」策動に抗して、緊急復刻のカンパに力をかしてください!― |
鶴見 祐策 | 増税反対に『福祉とぜいきん』が役立つ |
種田 和敏 | 給費制廃止違憲訴訟に対するご支援のお願い |
中野 直樹 | 裏銀座縦走・回想の山旅(二〇一一) |
芝田 佳宜 | 事務局次長退任のごあいさつ |
並木 陽介 | 事務局次長就任のご挨拶 |
滋賀支部 石 川 賢 治
一 平成二四年一一月三日(土)、滋賀弁護士会主催で、シンポジウム「本当にいいんですか?秘密保全法〜プライバシーと知る権利に忍びよる危険」を開催しました(共催:日本弁護士連合会、後援:朝日新聞社・中日新聞社・BBCびわこ放送・毎日新聞大津支局・読売新聞大津支局)。自由法曹団滋賀支部からは、玉木団員が実行委員長、石川が事務局長、石田団員がコーディネーター、高橋団員及び岡村団員が実行委員として参加しました。来場者は一三〇名でした(主催者発表)。
二 シンポジウムでは、まず、立命館大学法科大学院の市川正人教授より、「『秘密保全法』の概要と問題点」と題してご講演いただきました。市川教授は、ご専門の憲法学(特に表現の自由)の観点から、今回の秘密保全法に内包される憲法的問題点について、独特の落ち着いた口調で語ってくださり、後のパネルディスカッションに必要な知識や理解を来場者にもたらしてくださいました。
三 次に、西山太吉さんから、「秘密保全法と取材の自由〜沖縄密約の取材経験から〜」と題してご講演いただきました。
西山さんは、今回の秘密保全法で政府が隠そうとするものについて、それは「極めて違法で不当なもの」であると表現されました。沖縄密約が国会の条約承認手続きにおいて国会を欺く「極めて違法で不当なもの」であると明らかにされ、思いやり予算も、実は世間で認識されているように一九七八年からスタートしたものではなく、一九七二年の沖縄返還時より防衛庁予算に様々に潜り込ませて実施されてきたものであると明らかにされました。これも本来国会に上程するべきものを上程せずに行ってきたものという点を強調され、やはり「極めて違法で不当」な行為が、国民の目に触れない形で行われてきたことを明らかにされました。その上で、民主党が政権発足当初は情報公開に積極的であったにも関わらず、今日、態度を一八〇度翻し秘密保全法の制定に動いている背景に、今回の有識者会議報告の草案を作成した、河相周夫外務事務次官の動きがあることを明らかにされ、今回の秘密保全法の狙いが、過去外務省が行ってきたような「極めて違法で不当な」情報の隠蔽にあるという結論を導かれました。そして、今回の秘密保全法の真の姿を知るためには、法案の内容だけを分析していては不十分であり、どういう流れの中で出てきたのかという全体状況を踏まえて考察しなければならないと聴衆に訴えかけられました。
四 最後のパネルディスカッションには、市川教授、西山さんに加えて、朝日新聞社大阪本社社会部次長の豊秀一氏に参加していただきました。豊氏は自らの記者時代の取材経験から、あるいは社会部デスクとしての日々の紙面作りの経験から、国民が知りたい情報であればあるほどその取材には困難が伴い、今回の秘密保全法は、そうした難易度の高い取材にとって大きな制約となりうることに対する危惧感を、取材現場のリアルな肌感覚として語ってくださいました。
五 今回のシンポジウムは、地元新聞紙複数に告知記事を掲載してもらったり、企画自体にもマスコミの名義後援を得るなど、事前広報には十分な力を注いだつもりでしたが、冒頭報告したとおり、来場者は一三〇名にとどまり、事務局長を務めた私自身としては反省するべき点が多々あるものと考えています。
六 最後に、パネルディスカッションの質疑をひとつ紹介させていただきます。それは、朝日新聞社の豊氏に対する質問であり、「このような法案の準備が進められていることを知らなかった。どうしてマスコミはきちんと国民に知らさないのか。」というものでした。質問内容としては、マスコミの報道姿勢を質すものですが、私は、この質問には、今回の秘密保全法をめぐる状況が集約されているように感じました。つまり、この質問者のように、多くの国民は今回の秘密保全法のことを恐らく知らないのでしょう。しかし、その中身を知らされれば大変危険な策動が進められていることに愕然とするのです。この質問を聞いて私は、広く国民に今回の秘密保全法の危険性を伝えるという企画趣旨の達成を感じましたし、今後も各地でこうした形での情報提供を進めるべき必要性も感じました。
東京支部 横 山 聡
一 本年一〇月三一日に無罪判決を獲得し、確定しましたので、ご報告します。
事案は、準強制わいせつ被告事件で、精神科医が薬の副作用の確認のために乳房を触診し、診療の関係で腹部を触診し、さらに患者に頼まれて、女性器の内診を行ったことが準強制わいせつ行為とされた事件で、自称「被害者」が三名います。上記行為が「診療行為」(=わいせつ行為性がない)と評価されて無罪となりました。過去の判例を調べましたが、医師の触診行為等が正当行為として判断を示した事案が見当たりませんでした。
受任のきっかけは、二〇一一年四月二六日に当番弁護での派遣連絡からで、珍しいことに逮捕直後だったので、裁判所に勾留質問前に意見書を出しに行き、勾留質問に立ち会わせるよう求めましたが、拒否されました。根拠条文がない、というのが裁判所の理由でしたが、こちらも「拒否する条文もないはずで、被疑者の弁護権を十全なものにするのに必要だ」と食い下がりましたが、最後は「自分がそう判断するのだからダメ」と押し切られました。論理性が欠ける判断と言わざるを得ません。逮捕直後に受任することがめったにないのであまり検討されていないのかもしれませんが、論理的には納得できない話です。
二 一件目の起訴後に新たに二名の弁護士(非団員)が就任しました。同じ精神科医の大学の先輩のN氏が精神科協会の関係で委任した弁護士で、証人になるK精神科医をお願いできたのもそのおかげです。やはり、K医師が、被告人側の証人に立って証言したことは大変大きな要素だったと思います。K医師は、大変誠実な方で、引き受ける前に、まず、被告人ご本人と直接話しをされて、彼がわいせつ行為を行うような人物ではないと確信を持たれて、証人として臨みました。
三 また、裁判官にも恵まれたと思います。この判決を出した東京地裁刑事一三部の大西直樹裁判長は、裁判員裁判を経験されており、そのために、「被告人の行為が診療行為として説明できるかどうか」という形での判断手法に立ち、いずれも「診療行為として説明できないわけではない」という、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事訴訟法の原則に立った判決をされ、裁判員裁判の良い影響があったのではないかと思います。
四 いずれにせよ、一八年弁護士をやってきて初めての無罪判決で、一審の段階で確定させられたのは良かったと思います。約一年半にわたり、被疑者段階からここまで長くかかりましたが、被告人ご本人が無罪判決に涙を流して喜んでおられたのを見て、ほっとしました。色々裏話もありますが、それはまた、別の機会にて。
北海道支部 渡 辺 達 生
北海道支部 山 内 崇 史
本年八月、自由法曹団北海道支部は、衆議院の比例定数削減の問題点について訴えるため、北海道選出の衆参国会議員の事務所回り行動を行ないました。
比例定数削減問題に関しては、従前より、学習会や講師派遣を行ない、その問題点について認識を深め、また、多くの方々にその問題点を伝え訴えていく取り組みを行なってきました。
ところが、本年六月に、民主党が単独で衆議院比例定数四五削減案を国会に提出するという暴挙に出たことから、その法案成立の阻止が緊近の課題となっていました。
そのためには、直接、国会議員に問題点及び危険性を伝え訴えることにより、国会内で声を挙げていく契機になればとの思いから、この行動に取り組みました。
具体的には、札幌近郊に事務所を構えている国会議員一四名の事務所を九名の弁護士で手分けをして訪問し、「民主党法案に反対し、民意を反映する選挙制度を求める要請書」、自由法曹団作成の「緊急意見書 民主党法案に反対する」及び「民主党の単独による比例定数四五削減等関連法案提出に抗議する声明」を渡して説明を行ない、その後に意見交換を行ないました。
訪問した国会議員の事務所は、以下の通りです。
荒井聰衆議院議員、鉢呂吉雄衆議院議員、三井辨雄衆議院議員、山崎摩耶衆議院議員、横路孝弘衆議院議員、小川勝也参議院議員(以上、民主党)
武部勤衆議院議員、町村信孝衆議院議員、伊達忠一参議院議員、橋本聖子参議院議員(以上、自由民主党)
横山信一参議院議員(公明党)
紙智子参議院議員、大門実紀史参議院議員(以上、日本共産党)
浅野貴博衆議院議員(新党大地・真民主)
行動がお盆期間中であったこともあり、残念ながら議員本人に訴えることはできませんでしたが、秘書の方を通じてではありましたが、問題意識を伝えることはできたのではと思います。
訴えに対する反応は様々でした。
中には、小選挙区制のみで十分ではないかとの意見を出された事務所もありましたが、同じ党の別の事務所ではそうではない意見を述べられたりと、同じ党内でも意見の一致が図られていない現状が浮き彫りになりました。
また、緊急意見書添付の獲得議席シュミレーションなど、議員自身や党の利益に関係する部分のみ反応するなどの残念な対応の事務所もありました。
しかし、総じて、小選挙区制中心の現行制度について、積極的に賛成であるとの意見はみられず、逆に、小選挙区制度での弊害を訴える声がみられました。具体的には、「小選挙区制では、選挙のことを考え信念に従って言いたいことが言えなくなり、選挙のために地元に張り付くことが議員活動の中心になってしまう」や、「小選挙区制になって選挙区は狭くなったが、その代わりにどぶ板回りなど回る密度を濃くしなければならず、選挙費用の負担は変わらない」などというものです。また、最近では、多くの議員が小選挙区制導入後に当選した議員であり、中選挙区制との比較の視点を、身をもって感じられる議員が少なくなっているとの指摘もありました。このように小選挙区制に対する賛成意見が見られないことからも、改めて、小選挙区制は執行部中心で決められた制度ではないかとの思いを新たにしました。
また、連用制の導入については、今でも国民にとって複雑で理解しにくいとの声のある比例制度をさらに複雑にするものであり、国民を混乱させるのではないかとの指摘がありました。
さらに、現行制度に代わる、望ましい選挙制度は何かとの話になった事務所もありました。その中で、中選挙区制度を経験したある議員の事務所では、完全比例制は議員の抵抗があるのではないか、党から選ばれるのではなく自らが国民から直接選ばれて信任されているというものが政治家のモチベーションになっているからだ、との意見があり、印象的でした。
前述の通り、現行制度の問題点に関する問題意識、その問題をさらに助長させる民主党案の危険性は伝えられたのではないかと思います。依然、予断を許さない状況にある以上、今後も、引き続き、議員回りや講師派遣などの活動を継続して取り組んでいきます。
神奈川支部 川 岸 卓 哉
「原発ゼロへのカウントダウンinかわさき」実行委員会が、毎週金曜日の官邸前での脱原発行動に連帯して、一〇月一五日から、毎週金曜日夜に、川崎駅頭で脱原発アクションを行い、その集大成として一一月一六日に行われた「キャンドルナイト&パレード」集会までの一連のアクションを、地域での脱原発への取り組みとしてご報告します。
「原発ゼロへのカウントダウンinかわさき」実行委員会は、本年三月一一日に、川崎市で脱原発集会を行うために結成された実行委員会です(実行委員長は三嶋健団員)。福島原発事故直後の昨年四月に子どもが産まれ、放射能から子どもを守りたいという強い想いを抱いている川崎中部建設労働組合の丸山健二さんが事務局長として中心になり、事務局次長に地域で活動するNPO代表や弁護士一年目の私と、三〇代前後の若手中心の事務局体制で、新しい運動スタイルを心がけて活動しています。本年三月一一日の集会では、一六〇〇人の参加者を集め成功し、その後も活動を継続していました。実行委員会では、毎週金曜日官邸前で行われている脱原発官邸前行動と連帯し、より地域へ脱原発アクションのすそ野を広げ、脱原発の潜在的声を掘り起して運動を分厚くし、地域から脱原発の声を上げていくことを狙いとして、川崎駅前で、毎週金曜日に脱原発アクションを行うことになりました。
川崎駅前は、原発メーカーである東芝本社のお膝元です。また、複合ショッピングモールとしては日本で二番目の年間来客数を誇るLAZONAへ川崎駅は直結しており、行き交う人波で溢れかえっています。このアウェーの中での行動は、当初、官邸前での行動と異なり、脱原発の声は少数派で、圧倒的多数の無関心な群衆への訴えかけであると感じざるを得ないものでした。第一回目は、街頭演説、ビラの配布を行いましたが、旧態依然とした運動スタイルだったこともあり、参加者は延べ一五名程、最も少ない時で五名程で、群衆を前に風前の灯でした。
そこで、実行委員会では毎回試行錯誤を重ね、「NO NUKE」「原発ゼロ」等を書いたショッキングイエローのプラカードを多数配置、脱原発のメッセージを込めたアーティストのキャッチ―な曲を大音量で流す、横断幕を用意し目立つようにランタンを多数設置する、ツウィッター・フェイスブック・関係団体へのML等を活用した宣伝を強化するなどしました。さらに、恥ずかしさを振り払って、全参加者が並び、「原発いらない」「子供を守れ」など、コールを繰り返したことは、人目を惹き、参加者もおおいに盛り上りました。なかでも成功したのは「福島へ想いを届けよう、手書きツウィッター」企画として、特設ブースを設置して、福島への想い、脱原発への想いを、道行く人に手書きで書いてもらい、ボードに張り付ける参加型企画でした。一〇歳の塾帰りの男の子から、子連れの夫婦、仕事帰りの会社員まで総勢約八〇名に立ち止まって書いてもらうことができました。無関心に見える人波の中にも、確かに脱原発の想いはあると実感し、街頭に立っている私たちは勇気づけられました。「脱原発かわさき市民」や「みんなで決めよう!『原発』国民投票」など、川崎市内で活動する別団体との共同行動も実現、毎回飛び込み参加者も現れ、参加者は最大五〇名を超えるようになりました。
これら、川崎駅前金曜日行動の集大成として、一一月一六日の「即時原発ゼロ キャンドルナイト&パレード」を行いました。集会に先立ち、東京電力川崎支社に対し交渉を行いました。実行委員会が交渉を申し入れた際、支社レベルでは電気料金に限ってのみしか応じられないという制限を受けましたが、実行委員会では、電気料金の値上げは権利だと言い放った東電社長の発言に見られる東電の姿勢を批判、次に、稼働していない賠償金が電気料金に転嫁される可能性の指摘、廃炉を免れない福島原発の維持費、先の見えない使用済み核燃料の管理費を電気料金で負担することの不当性等を指摘して、担当者に対して回答を求め、最後に本社への要請書を提出しました。東京電力担当者の回答からは、東京電力社内での、原発事故を想定外とする固執する考え方、原発再稼働に対する東電の強い意欲が浮き彫りされました。
同日午後六時から行われた集会は、暗闇の中、参加者が手にしたキャンドルが美しく煌めくロマンチックな集会となりました。集会では、福島県南相馬市から川崎市への避難者の発言、川崎市立小学校で提供される放射性物質が検出された給食問題について「放射能から子供を守る@かわさき」のお母さんの発言、川崎市の高濃度放射線汚染廃棄物焼却灰・下水汚泥焼却灰の保管・海面埋め立て問題について取り組む「ごみねっと川崎」代表者の発言など、地域で起きている多様な問題報告がありました。集会では最後に、参加者で連帯して、これらの問題に取り組むとともに、原発即時ゼロへの声を地域から上げていくことを宣言しました。集会後に、川崎駅前の商店街を、脱原発の声を上げながらパレードを行いました。総勢約二五〇名が参加し、大成功でした。
脱原発のアクションを地域で草の根的に広げるために、思想信条・党派を問わず「脱原発」の一致点のみで結集した、川崎での行動は、横浜、小田原など神奈川県内の外の地域に飛び火をし、拡大しています。毎週の金曜日の官邸前行動も、参加者数の減少、マンネリ化などの問題が顕在化しつつあります。この状況を打開し、脱原発の運動をさらに広げるため、各地域での、地域に根ざした脱原発アクションを各団員に呼びかけます。
以上の様子はフェイスブックページへ
→http://www.facebook.com/genpatsuzero
福岡支部 永 尾 廣 久
知的好奇心を大いに刺激し、満足させる本(内藤功、かもがわ出版)です。若手の中谷雄二団員と川口創団員の二人が大先輩の内藤功団員から聞き出すという仕掛けが見事に成功しています。憲法裁判の意義という難しい話を面白く、分かりやすく語るという狙いが見事にあたりました。そのおかげで、伊達判決の意義もよく理解できます。既に団通信で川口団員が紹介していますが、私からも内容を紹介して、推薦したいと思います。
伊達判決
砂川事件が起きたのは一九五七年九月のこと、立川にあった米軍基地の滑走路延長のための工事に反対運動が起きて二三人の労働者と学生が逮捕され、そのうち七人が安保条約にもとづく行政協定に伴う刑事特例法二条違反で起訴された。
この一審判決を書いた伊達秋雄判事は、満州国で裁判官をやっていた。そして、最高裁判所で調査官もしていた。その伊達裁判長が原告の申請でもなく、職権で外務省条約局長を証人喚問した。裁判長は原告弁護団より一般見識が上だった。伊達裁判長は『世界』をよく読んでいたようだ。
日本政府がお金を出し、予算を出し、施設を提供し、物資を提供し、労務を提供しているからこそ、米軍が駐留していられるのだから、駐留米軍は憲法九条において日本が保持している軍隊にあたる。
ところが、この伊達判決を田中耕太郎・最高裁長官たちがひっくり返した。田中耕太郎は、一九五〇年と一九五一年、裁判所時報の年頭あいさつのなかで、中国やソ連は恐るべき国際ギャング勢力だと言っていた。
田中耕太郎が駐日アメリカ大使に裁判の秘密を漏らしていたこと、その指示を受けていたことは、前に紹介しています。本当に許せない、でたらめな裁判官です。
自衛隊とアメリカ軍の関係
日本本土にある自衛隊の基地がアメリカ軍と共用関係にある。つまり、日本の自衛隊基地は全部がアメリカ軍の基地と化しつつある。その意味で、日本にあるアメリカ軍基地は実質的にこの一〇年来増えている。アメリカ軍だけの専用基地はふえていないけれど・・・。
これがいまの安保の変質、量的、質的変化の実態である。日本人は、自衛隊を日本独自の軍事組織と思い込んでいるけれど、それは間違いである。
アメリカにとって対等な日米同盟というのは、日本の軍隊が外国へ行って、アメリカの青年が死ぬかわりに、日本の青年に血を流してくれるように頼みたいということ。
日本全国にアメリカ軍がいて、しかも、自衛隊がアメリカ軍と一体化しているということは、日本は世界一位の軍隊をかかえているということではないのか・・・。
軍隊の強さをはかるには、兵器だけを見てはいけない。兵器だけで、軍隊が動くわけではない。それを動かす人間はどうなっているのか、隊員が本当に戦闘のモチベーションをもっているか。戦争目的、軍隊としての堅確な意志をもっているかどうかが戦力の要素を左右する。
日本の自衛隊は従属的な軍隊なので、堅確な意思はもっていなかった。自衛隊とアメリカ軍の装備だけを比べてみても本質は分からない。
航空自衛隊の戦闘機の純国産はアメリカが許さない。故障したとき、部品がなくなったときに、日本はアメリカに頼らざるをえない。戦闘機を握るか握らないかというのは、日本の自衛隊の急所を支配する。また、日本のイージス艦の主要部分、コンピューターの主要部分はアメリカ製のもの。自衛隊の本質は、アメリカ軍との従属性、一体性にある。
自衛隊は、単独で海外攻撃する正面装備はそろっているが、それを単独でやり抜く仕組みにはない。その装備が生かされるのは、アメリカ軍との共同、アメリカ軍と一緒という仕組みのなかである。
陸上自衛隊は、イラク派兵以降、米国陸軍との一体化がすすんでいる。と同時に、アメリカ海兵隊との連携、一体化を目ざしていて、少し複雑な両面をもっている。いまでは、日本の自衛隊だけが先進国のなかで唯一、アメリカに深く従属する軍隊である。
日本の自衛隊は、アメリカ軍の作戦指導に従うしかない。世界戦略と世界軍事情報の力で劣るので日本の自衛隊は従うほかない。アメリカ軍の情報・アドバイスによって自衛隊はコントロールされ、作業指導されている。
航空自衛隊の任務は、アメリカ軍基地からアメリカ空軍が発進していくのを守ること。日本の都市を守ることではない。
遠藤三郎・元陸軍中将は戦争は、なぜ、誰が起こすものなのか。結局、軍需産業が原因だということを強調した。兵器をたくさん作るためには兵器を消耗した方がいいので、兵器をつかう戦争が必要になる。だから、軍需産業、民間会社の利潤を目的とする企業が兵器を作っていたのでは、戦争はなくならない。
アイゼンハワーも大統領を辞めるときに、国を誤るのは軍需産業と軍人の複合体であると述べた。
憲法九条裁判の意義
憲法は何の役にも立たないとか、憲法九条は無力だとか言われることがあるが、絶対にそうは思わない。憲法の存在と、その憲法を守ってたたかってきた運動、憲法意識の普及と定着というものが自衛隊の太平洋統合軍構想や日米同盟の強化を阻止し、遅滞させてきた力なのだ。
砂川・恵庭・長沼・百里闘争は憲法を武器にした生命と暮らしを守るたたかいなのだ。逆にいうと、自衛隊反対というのを最初から真っ正面に揚げて突進したたたかいではなかった。
裁判は一つの学校である。弁護士としての道場。ここが腕をみがく稽古場になる。
憲法がある限り、この論争は絶対に勝つ。だから相手は憲法論争を極力避けるわけだ。避けないで、憲法の土俵の上に引き上げて論争する。
裁判官は、我々が思うほど、記録を読まない。前の記録を整理して読もうという気持ちはない。今回の法廷をいかに早くすますか、と考えている人が案外多い。そこで、毎回、一から整理して話してやる。書面で、杓子定規ではなく、ナマの言葉で強調すると印象に残る。くどいくらい話す。そうやってポイントに誘導していく。裁判官に一番大切なところに着目してもらう。裁判官は、ともすると逃げ腰になる。そこで、原告を勝たせる肚を決めさせることが必要である。
傍聴している原告団や支援者に到達点と展望をいつも示す必要がある。そうやって裁判の意義を徹底する。法廷の中で聞くとまた一般と印象深い。
防衛省は、本当に「人殺し」できる軍隊、兵隊をつくりたいと考えている。このとき、自衛隊は災害救助、人を救う、人を活かす仕事をやるべきだ、人を殺す仕事なんてやってはいけないという方向に国民世論が動いたら困ることになる。
自衛隊と隊員を本当に活かしてやりたい。若い隊員を外国の人との「殺しあい」の戦場になんか絶対に送りたくない。
私、自衛隊員を愛す。故に、憲法九条を守る。
いい言葉ですよね。広めたいものです。いろいろ、大変示唆に富んだ話が盛りだくさんでした。とりわけ若手団員にぜひ読んでほしいと思いました。
東京支部 藤 本 齊
東京支部 藤 原 真由美
みなさん、故上田誠吉弁護士が、渾身の力をこめて書かれたこの本(一九八七年出版)を、覚えていらっしゃるでしょうか。
「ある北大生の受難」。―太平洋戦争が勃発した一九四一年一二月八日、当時の北大生、宮沢弘幸が、その旺盛な外国への知識欲から、海外を飛び回り、外国人教師と様々な交流をかさねていたことがスパイ(軍機保護法違反等)とされ、逮捕されました。スパイ行為など全く身に覚えのない宮沢さんは、容疑を否認。しかし、逆さ吊りなどの激しい拷問を受けたうえ、非公開の法廷で言い渡された判決は、懲役一五年の実刑。戦況が厳しくなるなか、網走刑務所での獄中生活を強いられた宮沢さんは、敗戦後のマッカーサー指令によって釈放されたものの、一九四七年、二七才という若さで病没したのです。
そしておそらく、大審院判決以外すべての事件記録が、敗戦直後、官庁自身の手によって焼却処分され、歴史から故意に抹殺されてしまいました。この痛ましい、そして故意に迷宮入りにされてしまったスパイ事件の真相を、事件から四五年以上を経て解き明かし、本にまとめたられたのが、今は亡き上田誠吉弁護士でした。
「おまえ、わかるか〜?スパイってのはなあ、そこにいるってもんじゃない。時の権力が、創りあげるもんなんだよ。」と、口癖のように言っていた上田さん。宮沢さんの妹、美江子さんからこの事件の相談を受け、朝日新聞社の藪下記者と一緒に事件の真相を追う過程で、裁判でも、判決の中ですら、「国家秘密」の内容は一切公開されず、したがって、宮沢さんが何を話したことがスパイ行為(秘密の漏洩)と認定されたのかが全く不明のまま処罰されていることを知った上田さんは、その頃から、「何が秘密か、それこそが秘密なんだよ〜。わかるか?それが国家秘密を刑罰で守る恐ろしさなんだよ〜。」が口癖となりました。これ以上、本の内容に触れるのは、やめておきましょう。それは、読んでみてのお楽しみ。今、テレビ界では、東野圭吾さんなどの推理小説をドラマ化するのが大変人気。しかし、「ある北大生の受難」は、それ以上に、国家というものが戦争を遂行すべく軍事秘密を守るために企てることの恐ろしさ、おぞましさで、読む人を慄然とさせます。
この本が出版された一九八七年当時、国家秘密法(スパイ防止法)が、国会に上程されていました。「ある北大生の受難 国家秘密法の爪跡」は、国家というものが、国民に知られたくない情報を自分勝手に「国家秘密」に指定するということ、秘密を守るために、秘密にアクセスしようとする人は、記者であろうが学生であろうが、弁護士であろうが、処罰されるおそれがあるのだということを、実際におきた事件を通じて、国民や弁護士に知らせる有効なツールとなり、法案を廃案に持ち込む上で、大きな力になりました。
それから二五年。今、国家秘密の範囲や、処罰される行為の範囲をさらに広げようという「秘密保全法」が着々と準備され、国会上程の時期をねらっています。こんな時、国家秘密の恐ろしさを問いかけるこの本を復刻して、もう一度世に送り出したい。そう考え、上田さんの単著一五冊のうち九冊を(うち五冊は花伝社社長の平田さんが直接、うち四冊は現在花伝社の柴田さんが大月書店時代に)手がけていただいた、上田さんお気に入りの花伝社に声をかけましたところ、大変意気に感じて、「是非やらせて欲しい」とのことで、既に上田さんの奥様や、出版元であった朝日新聞社の了解も得てあります。しかし、なにぶん、出版費用まで花伝社に全額負担していただくわけにも行かず、こちらが一二〇万円を用意することを約束した次第です。
国会の情勢を見ると、そうのんびりしてもいられません。年内にお約束の金額を、耳をそろえてお支払いし、来年草々には復刻版の出版にこぎ着けようと、大変厚かましいお願いとは知りながら、みなさまのお志をお願い申し上げる次第です。できましたら、一二月中旬までに、一口一万円で、是非何口かを左記口座までお振り込みいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
記
りそな銀行赤坂支店 普通預金口座 一七七六四八一
口座名 藤原真由美 預り金
東京支部 鶴 見 祐 策
「不公正税制をただす会」が表記の冊子を刊行している。
毎年一回の定期的な出版であるが、自公民のヤミ取引で消費税のカサあげが決められた今日だからこそ、この冊子の購読を勧めたいと思う。
この会は、もう何十年も前から専門家グルーブが公表の資料を分析して大企業向けの不当な税の免除や軽減の実態を明らかにし、その財源試算を冊子で発表してきた。二〇一二年の試算では国税で九兆九三九八億円、地方税で八兆一五一五億円、合計一八兆〇八二三億円の財源を確保できるとしている。
今回の不当な増税実施にはまだ時間がある。それを阻止する運動に役立つに違いないと思う。
日本の消費税は、生活必需品の税率軽減や税率ゼロの手当もなく、低所得者や零細自営業者(弁護士の多くも今や例外ではない)を直撃する悪税である。応能負担の原則に反して所得分配の機能とは無縁である。収益の多くを外国に依存する大企業は、巨額の輸出戻し税を我が物にしている。
この悪性が知られて大多数国民の怒りを日ごと募らせている。しかし、大企業や大資産家たちは、自らの資産(主に金融資産)の保全にのみ心をくだき、勤労市民層の窮状を無視し、強力に官僚や議員たちに働きかけ、大手マスコミを使って「財政破たんを直視せよ」「次の世代に負担させるな」「ギリシャの再現を許すな」が宣伝文句だ。
自らの虚業によって溜め込んだ資産の崩落の回避だけが彼らが増税に執念を燃やす動機にほかならない。そのリスクを資産とは無縁の庶民に肩代わりさせようとしている。そういう利権の構図の上に成り立っている。
マスコミの宣伝が効いている。消費税で被害を受ける国民の多くは、怒りを持ちながらも、「日本の財政はそれほど破綻しているのか」「増税もやむを得ないか」「反対できないのか」と思い込まされ、増税路線に抗する意欲をそがれている。それが現状ではあるまいか。
それは間違っていると思う。
これまで政治献金をエサに税制上の優遇措置で負担を免れ、内部留保を溜め込んできた大企業にメスを入れること、日本固有の税制の不公正を根本から正すことで状況は十分に改善できる。このことの周知徹底がいま私たちに求められているように思う。それがないと消費税反対の運動は、立ちはだかる壁を突破できない。それができれば、大きく発展させる見通しが拓けるに違いない。
団員は、様々な分野で活動しているが、そのなかで勤労市民の悩みに直面する場面が少なくない。重い税金や健保など負担も深刻である。そのとき本当の解決策がこの不公正税制の抜本的改革にあることを説得的に伝えるためにも、この冊子は欠かせないものと思う。団員の購読を勧めたい。
(注文先)〒一六〇―〇〇〇八東京都新宿区三栄町九税研ビル二階
不公正な税制をただす会(代表幹事 富山泰一)
TEL〇三-三三五一-七四〇一
FAX〇三-三三五八-六九二六
(価格) 一冊一五〇〇円・送料実費別途
東京支部 種 田 和 敏
一 六五期の修習が終わります
昨年一一月、司法修習生に対する給費制が廃止され、一年間の修習期間中に約三〇〇万円の借金を事実上強制する貸与制が施行されました。同月から修習を開始した新六五期は、貸与制の下、修習を経験した最初の修習生となりました。
その六五期も、一一月一九日から二六日までの間、二回試験を受け、一二月一九日に修習を修了します。修習期間中、政治活動が制限されていたため、声を潜めていた新六五期が一二月二〇日から晴れて法曹となり、貸与制の不合理を自らの口で広く世の中に発信することができるようになります。
二 貸与制と憲法
貸与制であっても、修習専念義務は課されています。むしろ、貸与制の施行と同時に、裁判所法に修習専念義務が明記されました(裁判所法六七条二項)。修習中は、意に反して最高裁判所が定める地での居住を強いられることや、アルバイトなどの兼業が禁止され、公務員と同様政治活動が制限されています。
すなわち、憲法二二条一項で保障されている居住移転の自由や職業選択(営業)の自由、二一条一項に定められている政治的表現の自由に制限がかけられています。また、その結果、二五条の生存権や二九条の財産権も脅かされ、ひいては一三条にいう個人の尊厳も影響を受けています。六四期以前の修習生との関係や医者など他の職業との比較からすると、一四条の平等権侵害も問題になります。
たしかに公共の福祉などによる一定の範囲での権利制限を考慮したとしても、上記制限の対価が無利子又は低利子で金銭を借り入れられることにより、その制限を合憲とすることは難があると考えています。
三 給費制廃止違憲訴訟
この不合理な制度に当事者である新六五期は怒っています。その怒りを踏まえて、新六五期を中心に検討が行われているのが「司法修習生の給費制廃止違憲訴訟」です。新六五期は、自分たちのため、後輩のため、司法のためになんとか給費制を復活したいという思いで、現在準備を進めています。
もちろん勝訴を目指すとともに、訴訟を通して給費制の意義や貸与制の弊害を国民やマスコミ、裁判所に訴えていくことで、運動を盛り上げていきたいという思いです。提訴時期については政治状況や法曹養成検討会議での議論状況を踏まえて判断しますが、早くて新六五期が弁護士登録をする一二月二〇日に全国の裁判所で一斉提訴をする予定です。弁護士となったばかりの新六五期が原告となり、訴訟代理人となります。上記のとおり憲法違反を根拠に国家賠償請求や損失補償請求等をする予定ですが、その詳細については鋭意検討中です。
四 お願い
団員の皆さま、ぜひこの取り組みをご支援いただけないでしょうか。
先生方にお願いしたいことは、代理人就任とカンパご支援の二点です。法曹の矜持をかけた取組みだと思っていますので、数千人の弁護団を結成して挑みたいと考えています。実働は新六五期や若手がしますので名ばかりでも結構です。不安を感じて原告や代理人になることを躊躇している修習生も、多くの先輩法曹が代理人として名を連ねてくださっていることがわかれば安心して参加できます。ご協力くださる先生は後記の内容をご記入の上、FAX、郵送、メール等でお知らせください。
あわせて、誠に恐縮ですが、訴訟費用等を賄うための経済的なご支援も頂戴できれば幸甚です。
私たちは給費制の復活を諦めてはいません。修習生の熱き思いにどうか温かいご支援をお願いいたします!
記
(1)お名前、修習期、所属会、メールアドレス
(2)司法修習生の給費制廃止違憲訴訟の代理人就任の可否
(3)代理人就任を承諾していただける場合、氏名公表の可否
(4)代理人就任を承諾していただける場合、実働としての関与の可否
〈お問い合わせ先〉
司法修習生の給費制廃止違憲訴訟を応援する会
事務局長 弁護士 種田和敏
城北法律事務所
東京都豊島区西池袋一丁目一七番 一〇号
エキニア池袋六階
TEL 〇三―三九八八―四八六六
FAX 〇三―三九八六―九〇一八
Mail kyuhisosyo65jimu@gmail.com
〈カンパの振込先〉
ゆうちょ銀行 〇〇一五〇―七―四四一五七二
「給費訴訟を応援する会」
ゆうちょ銀行以外からのお振込は、
店名:〇一九 口座番号:〇四四一五七二 当座
神奈川支部 中 野 直 樹
それでも槍に向かった
翌朝は厚い雲がたれ込め、雨に見舞われること必至であった。長崎の大洪水のニュースも気分を沈ませ、北鎌尾根の冒険はあきらめ、喜作新道から東鎌尾根をたどって槍ヶ岳を目指すことに進路変更した。アルバムに貼られた写真をみると、出発時には視界があり、北鎌尾根と東鎌尾根を両手のようにひろげた槍ヶ岳、その胸のあたりを天上沢に落ち込む雪渓、背後の穂高連峰が勇壮に写っている。当時は、今のようなゴアテックス等の性能よい雨具は手に入らず、畑さん以外の三人は、おそろいの赤色の雨合羽を着込んでいた。
地図のコースタイムでは、表銀座道を二時間で大天井岳、三時間半で鞍部の水俣乗越まで約四〇〇メートル下り、そこから四時間、槍の肩まで東鎌尾根を登り返す。喜作新道を下り始めて間なしに小雨が降り始め、視界は霧に包まれた。東鎌尾根に向かう登山道はさほどの危険な箇所はないが、雷が鳴り出すと逃げ場がない。雷雲がわかないように祈るしかない。
雨中のいやと言うほど長い尾根歩きをして水俣乗越に着いた。右に下れば天上沢を経て北鎌尾根へ、左に降りれば槍沢に着く。私たちは直進し、それまでと打って変わって、急勾配の登りにあえぐことになった。這松となり、岩稜の道となった。霧の向こうに槍の頂きが近づいているのをイメージしながら、足を励まし、ようやく槍の肩にある槍ヶ岳山荘に荷を下ろすことができた。夕闇が迫る時刻であり、視界はまったくないが、ここは初めての須納瀬さんをピークに立たせようと、槍の円錐部の岩の割れ目と鎖をたどって穂先に立った。わが国三位の三一八〇メートルの高峰である。狭い頂の上から北鎌尾根は断崖のように落ちている。畑隊長にこんなところを登らされようとしていたのかと思うと、足が震えた。
咆哮する嵐とタオル絞り
雨に打たれながら、槍ヶ岳山荘のテン場に、設営の準備を始めた。畑さんは明治大学の山岳サークルに属していた。ずっと後年、というより近年になって知ったことだが、畑さんが入っていたゼミ(社会保障論)の先生は、私の釣りの師匠だった故大森鋼三郎弁護士の実兄河合研一明治大学教授であった。この河合先生は、課外では、畑さんの渓流釣りの師匠でもあった。畑さんがサークルから借りだしてきた「なかよしクラブ」と大書した黄色のテントを張った。四つ足の古い型のテントである。中は広々として、衣服が雨と汗に濡れ、疲労困憊した身体を休めるために快適な夜を保証してくれるものと誰もが思って、夕食をとった後、シュラフに潜った。
夜半過ぎ、風音が大きくなり、大粒の雨がテントを叩き出し、眼がさめた。山が咆哮し始め、テントが風の強さに耐えきれずに傾き始め、あわてて皆で支柱を支えあった。吹っ飛ばされたら一大事と、畑さんが、テントを外からザイルで縛り付けつけるために、合羽を着て果敢に外に飛び出した。遮るものが何もない三千メートルの稜線は嵐が大暴れしていた。畑さんがずぶぬれになって戻ってきた。テントを巻いたザイルを岩に縛り付けたから飛ばされることはないだろうとの言に、一応の安心を得た。しかし、敵は、風だけでなかった。テント内に水が浸みだし、流れとなり、溜まり出した。頼みの「なかよしクラブ」テントの側地も床地も防水機能が失われ、槍ヶ岳の雨に抵抗する意気地がないのだ。これには参った。各のシュラフの下に敷いているマットの両側に水の道ができ、テントの端で遮られた水がテント内に溜まり出したのである。これは堪らない。このままでは水没しそうである。それ排水だということで、汗拭きタオルを溜まった水に浸しては、外に絞り出す作業を延々と繰り返すことになった。
地獄の槍沢下り
ともかく朝を迎えた。風雨はおさまったが、霧雨に包まれていた。古いことで記憶が茫洋としているが、当初計画では、穂高に縦走し、涸沢に下るのではなかったかと思う。しかし、すでに気持ちが萎えていた。あらゆる物が濡れ、水を含んだテント・ザイルを詰め込んで嫌というほど重くなったザックを背負って、槍沢ルートを下って上高地に向かうことにした。ぞうきん絞りの夜なべ仕事で、よく眠れていないが、皆若かった。出発時の写真には「ファイト!一発!」のようなポーズをとっている勇姿が写っている。
槍沢ルートは安全ルートだが、二〇キロほどの長行程で、コースタイムは八時間。広い槍沢の斜面を下っているうちに、次の災難が進行した。
昨日の雨中歩きのときから、皆の合羽ズボンの裾を伝って雨水が山靴の中に入りこみ、靴下も絞るほどびしょ濡れとなった。当時の写真をみると、今は当然の必需携行道具であるスパッツを付けている様子がない。当時の昭文社の地図の「登山装備表」を見返すと、スパッツは無積雪期「−」となっている。現在の地図の「登山装備表」では、無雪期もスパッツ「◎」となっている。当時は、雨対策の便利なスパッツ製品がなかったものと思われる。山行では、荷を軽くするために着替えは最小限のものしか持たず、濡れたときには、身につけたまま体温で乾かす(着乾しと言った)のが流儀だった。今でこそ速乾性に優れた素材が当たり前だが、三〇年も前の当時、しかも学生が着れるものは綿であったので、なかなか乾かなかった。靴下は毛糸であり、絞っても乾きが悪い。行動中に濡れたことに加え、テント内「洪水」の復旧作業でまた濡れた。
槍沢下りで、水を含んだザックの重量が足に負担をかける。いつもは膝が痛くなるのだが、このときは、私以外の三名は、一様に靴中の足の裏に痛みが走りだした。靴擦れは通常かかとのあたりなど靴と擦れ合うところに発症するが、足の裏に靴擦れができ、次第に皮剥け箇所が広がり、耐え難い痛みをもたらすようになったようだ。私の足の裏はなんともない。この違いがどこから生じたか。濡れた靴下を履いて歩いているうちに、足裏の皮膚がふやけて柔らかくなってしまい、足に荷重のかかる急下りとなり、濡れた靴底と濡れた靴下が相当な摩擦係数をもって擦れ合い、ふやふやの皮膚が破裂してしまったと考えられる。私の方は、たぶん乾いた替え靴下をもっていたので、他のメンバーほどひどいふやけにならなかったのだろう。足裏の皮が大きく剥けた友たちは苦痛に顔をゆがめ、ヨレヨレの歩みとなった。
実に遠かった上高地の河童橋に着いたときの写真には、初めての三千メートル登山で悪運の洗礼を受けた須納瀬さんが、金魚が水面で口をぱくぱくしているような様子で、憔悴しきった表情で写っている。仕掛け人の畑さんは、靴底がはがれてボロボロになったなじみの山靴を脱いで上高地に葬っていた。苦しかったが誰も文句を言わず、団結した遊びだった。
山での鍛錬も積んだ私たち二年組は、残念ながらその年の論文発表でも名前を見つけることができず、本チューターに昇格できなかった。一・七%の壁を登り切ることができたのはその翌年であった。
東京支部 芝 田 佳 宜
二〇一〇年一〇月からの二年間、本部事務局次長を務めました。それまで次長職に費やされてきた時間がぽっかり空いて、これからどのように弁護士人生を送ろうかなとども考える今日この頃です。
次長就任の話があった際、私には次長職というものが何をするのかさっぱりわかりませんでした。これから次長になるかも知れない方のために簡単に説明をするならば、(1)二〇余りある委員会・対策本部(詳細は総会議事録の末尾近くご参照)のうち三〜五つ程度を担当し、それら会議に出席のうえ議事録、FAXニュース等の作成。対策本部等主催の集会・会議、議員要請等に参加。関係団体(改憲本部であれば憲法会議等)の会議に参加、(2)月二回程度開催される本部事務局会議(各四時間程度。常幹、総会、五月集会等の準備などを行います。)、年二回は事務局合宿に参加、(3)年九回ほど開催される常任幹事会に出席し、担当委員会・対策本部について必要事項の報告、(4)総会、五月集会の運営(分散会の司会、マイク運び、写真撮影、懇親会の司会等々)等々、といったところでしょうか。その他、東日本大震災発生の一年間は次長全員が同対策本部担当となり、被災地に行くなどもしました。
次長になって間もない頃は、某対策本部で、私に割り振られていた宿題が極めて不十分だったため、M島団員より、「この時期に団の意見書ができていないとはどういうことか。明日の常幹まで十数時間あるではないか。今から徹夜で作れば意見書はできる。」という趣旨のことを言われ、愛須、小林、久保木の各元次長の方々に多大なるご迷惑をかけ夜を徹して意見書を書くという得難い体験もありましたが(この原稿が後に団意見書『「新防衛大綱」を批判する』になりました。)、翌年度は、某対策本部担当から外れたこともあり、無事それ以降の任期を終えることができました。
担当していた衆院比例削減阻止対策本部では、民主党案が公表された直後に田中隆団員が、同法案についてシミュレーションを踏まえた意見書を書き上げられたことについてはただただ感心するばかりでした。その他、全国会議員に意見書を送付したところ議員からお礼状が届いたり、国会の特別委員会で公明党の議員により団意見書を名指しで利用して民主党による民意の歪曲批判が行われるなど(平成二四年一一月一五日衆議院倫理選挙特別委員会)、団の意見書がきちんと国会議員に読まれているなど、団活動の影響力を感じることができたのもよい経験でした。
この二年の経験を経て、団本部に行ったこともなかった不良団員から多少はましな団員へ成長できたかと思います。そのような私が二年間の任期を無事に終えることができたのは、ご一緒していただいた三役、各次長、本部専従の皆さまのお陰でした。末筆ながら御礼申し上げて退任あいさつの結びとさせていただきます。
東京支部 並 木 陽 介
はじめまして、東京支部、六〇期の並木陽介(旬報法律事務所)と申します。このたび、事務局次長に就任し、衆院比例定数削減反対対策本部、教育問題委員会、労働問題委員会・大量解雇阻止対策本部を担当させていただくことになりました。
私は、弁護士になるにあたって、少なくとも労働問題と憲法問題に取り組んでいきたいと考えておりました。労働問題は、圧倒的多数を占める労働者の労働環境がもっと良くなれば、社会全体がもっともっと住みやすい社会になるのではないかと単純に考えたからです。憲法問題については、特に根拠もなく、憲法は大事にされなければならない、弁護士たるもの憲法問題に取り組まなければならない、という単純な思いに駆られたからです。思考も性格も単純です。
弁護士になってからは、日々労働問題に取り組み、少なくない数の労働事件を扱わせて頂きました。日常業務の忙しさに追われながらも、個々の事件を解決して労働者が喜んでくれたときは、「やって良かった。」と充実感を感じますし、個々の労働事件を丁寧に解決していくことの大切さを感じます。しかし、労働者の置かれている労働環境自体を向上させるためには、個々の事件を解決するだけでは必ずしも十分ではないとも感じています。現行法の枠内でも労働者の地位を脅かす様々な仕掛けが行われていますし、労働者の地位を脅かす法改正も次々と行われようとしてきました。労働問題委員会・大量解雇阻止対策本部を担当させていただく以上、こういった動きに立ち向かい、労働者の地位向上のために力を尽くしたいと思います。
また、私は、先ほどの単純な思いのまま、弁護士一年目から、東京の市民運動である憲法フェスティバル実行委員会に加わり、今年の八月まで事務局長を三年間勤めてまいりました。憲法フェスティバル実行委員会(東京)は、「憲法への招待」を合言葉に、憲法の裾野を広げようと市民と弁護士が一緒になって作り上げてきた活動です。私は、この活動の中で、現在の憲法を大事にしたいという市民の皆さんの熱い想いに触れることができました。このたび担当させていただくことになった衆院比例定数削減反対対策本部は、この市民の皆さんの想いを国会に届ける仕組みを維持するために重要な役割を担っています。一一月の衆院解散と同時ににわかに定数削減の議論も沸き起こりつつあります。選挙結果次第では、あっという間に定数削減に向けて動き出すおそれもあります。定数削減を阻止し、より国民の声が政治に届くよう奮闘して参ります。
教育問題については、東京の日の丸・君が代訴訟弁護団に加えていただいておりました(必ずしも十分な活動はできませんでしたが…。)。また、来年二月には第一子の出産が控えていることもあり、最近は、子どもにまともな教育を受けさせたい、生き生きとした学校に通わせ、伸び伸びと育ってもらいという「お父さん」の気持ちから、教育現場への政治の介入問題に強い危機意識を持っています。
まだまだ力不足ではありますが、自由法曹団の歴史と諸先輩方の教えを学び、諸団員のお力を借りながら自由法曹団をますます発展させていくために頑張りたいと思います。宜しくお願い致します。