<<目次へ 団通信1440号(1月11日)
笹山 尚人 | 「すき家」争議全面勝利和解解決 |
吉田 悌一郎 | 「飯舘村は負けない―土と人と未来のために」 (千葉悦子、松野光伸著・岩波新書)を読んで |
穂積 匡史 | 神奈川の教科書集会のご報告 |
東京支部 笹 山 尚 人
一 二〇一二年一二月二一日、東京地裁(民事三六部)において、東京公務公共一般労働組合及び同青年一般支部(首都圏青年ユニオン)(以下、両者をあわせて単に「組合」という。)は、二〇〇六年から長期にわたってたたかってきた牛丼チェーン「すき家」を経営する株式会社ゼンショーとの間で、和解した。
ゼンショーは、組合が組合員の労働条件をめぐって申し入れていた団体交渉を、二〇〇七年二月から、長期にわたって拒否してきた。この件については、東京都労働委員会、中央労働委員会が、ゼンショーの団体交渉拒否は不当労働行為であるとして組合との間で団交をするよう命じていた。ゼンショーは、これらの命令を不服として国を提訴していたが、東京地裁(判決日二〇一二年二月一六日)、東京高裁(判決日同年七月三一日)において、ゼンショーが敗訴しており、最高裁の判断を待つのみという状況であった。
他方、組合は、ゼンショーの団交拒否によって組合が損害を被ったことを理由に損害賠償請求裁判、仙台泉店で勤務する福岡淳子組合員が不当な降格処分を受けたとして差額賃金を請求する裁判を東京地裁に提起していた。今回の和解はこの裁判上成立したもので、上記最高裁事件の取り下げを含む、争議の全面的な解決を内容とする。
二 和解内容の主な内容は、次のとおりである。
(一)ゼンショーがこれまで行って来た団交拒否についてゼンショーは、組合に謝罪する。
(二)ゼンショーは今後組合からの団交申し入れに対して誠実にこれに応じる。
(三)ゼンショーは、組合と原告福岡に対して解決金を支払う。
(四)ゼンショーは、原告福岡の昇給に関する面談などにおいて原告福岡を組合員であることを理由とした不利益な取り扱いを行わない。
三 ゼンショーは、日本最大の牛丼チェーン「すき家」を経営するなど、日本を代表する外食産業大手企業である。この企業が労働組合との団体交渉を正当な理由もなく拒否してきたことは単なる一企業と一労組との労使関係を超えて、社会的な問題であった。第一に、それは、「個人加盟労組なんて労働組合とは認めない。」という論理で拒絶されており、他の企業でも広範に活用される理由であった(現に広範に活用されている。)からである。第二に、「すき家」で働くアルバイト労働者のような非正規雇用の労働者は、雇用の不安定や低賃金など、弱い立場に置かれている場合が多い。しかし、労働組合に団結し、その活動を通じて労働条件を改善させることができるなら、それが希望となるし、そもそも、法は、そのような状態を正常な労使関係として想定している(労働組合法第二条、第三条、第七条)。ところが、ゼンショーの団交拒否は、このような正常な労使関係の形成を拒絶するもので、これがまかり通るなら非正規雇用の労働者の労働条件向上の道筋が大きく閉ざされてしまうからである。
四 上記第一の問題点については、上記東京高裁判決が、「控訴人(ゼンショーのこと)の本件初審事件、本件再審査事件、原審及び当審を通じての主張には、集団的労使関係における独自の見解が多数みられ(不当労働行為救済申立適格を使用者側が争う適否、憲法二八条の「勤労者」、労組法二条・三条の「労働者」の各概念、合同労組の労働組合性の否定、非常勤職員を中心とした労働組合の非民主性など)、こうした主張で、控訴人の団体交渉拒否を正当化することは到底できないというべきである。」とばっさりと断罪してくれていた。この断罪の基礎があって、「遺憾の意」ではなく、「謝罪」を和解として勝ち取ることができたと考えられる。
そして、ついにゼンショーと団交を行う道筋を切り開いたことは、非正規雇用の労働者の労働条件向上に向けて大きな前進である。
また、福岡組合員に対する不利益取り扱いの禁止も、非正規雇用の労働者が労働組合に団結し、また実際の労働条件を向上させていく梃子として重要な獲得であったと思う。
以上により、今回の和解は、組合側の全面勝利といえる和解であった。
五 私は、非正規雇用の労働者の権利と生活のために労働組合と共に歩む仕事をしたいと考えて弁護士になり、活動を続けてきた。その意味で、本懐を遂げた思いのする和解であった。
何より、福岡組合員に喜んでもらえたことが嬉しい。
この事件の主任として長年奮闘してきた河添誠氏をはじめとした首都圏青年ユニオンのみなさんと、共闘してくれた弁護団に心から感謝したい。
弁護団は、大山勇一団員(城北法律事務所)と佐々木亮団員(旬報法律事務所)と、私である。
東京支部 吉 田 悌 一 郎
一 飯舘村の全村避難
福島県飯舘村は、人口約六〇〇〇人弱で福島県のいわゆる「浜通り」地域に属するが、阿武隈山系の北部に位置し、総面積の約七五パーセントを林野が占める地域である。
二〇一一年三月一一日に東日本大震災が発生したが、山間地域に位置する飯舘村は地震・津波による人的被害はほとんどなかった。しかし、福島原発事故により事態は一変し、村は広範囲で放射能汚染に晒された。二〇一一年四月一一日、飯舘村は計画的避難区域に指定され、全村避難を迫られることとなった。村は、コミュニティ単位で避難先を確保することに心を砕いたが、後発の避難であったため、思うように避難先を確保することができず、結果的には村民の避難が完了したのは同年八月上旬頃であった。
村はこの間、村内事業所の存続などについて国に対して繰り返し要望した。そして、八つの事業所と一つの特別養護老人ホーム(いいたてホーム)について現在の場所で事業を継続することを特例的に認めさせた。また、国に対して、村民が避難先の市町村に住民票を移さなくても、避難先で従来と同様の行政サービスを受けられるようにする措置を要求し、これも国に認めさせている。他の避難地域とは異なり、政府による避難指示を単に受け入れるだけではなく、村が国に対してこうした数々の要求を出して認めさせた背景には何があるのか。これまでの飯舘村の成り立ちを見るとそのあたりが見えてくる。
二 までいな村づくり
飯舘村は、いわゆる過疎化の進む寒村であったが、貧しい村ながら、生活の質のゆたかさを求め、村民と行政の協働による地域づくりに長年取り組んできた。霜害の少ない畜産の振興を進め、「飯舘牛」のブランド化に成功した。村が費用を補助して、農村の主婦を海外研修に行かせる「若妻の翼」事業も画期的だ。その他にも、堆肥を利用した有機栽培などで農林水産大臣賞を受賞したり、地域通貨や子育てクーポン制度などの独自の取り組みを行い、一時期合計特殊出生率が福島県内でトップに立つなどの成果もあった。そして、二〇〇〇年頃から始まった原町市、鹿島町、小高町(後に合併して南相馬市となる)などとの合併問題では、村民が主体的に合併のメリットとデメリットを考えて真剣に議論した結果、飯舘村は合併を選択せず、自主独立の道を歩むことになった。
飯舘村の第五次総合振興計画では、「大いなる田舎 までいライフ・いいたて」と名付けられた。「までい」とは、「手間ひまを惜しまず」「丁寧に」「時間をかけて」「心を込めて」といった意味の方言で、飯舘の村民は昔から、「食い物はまでいに食えよ」「子どもはまでいに育てろよ」「仕事はまでいにしろよ」などと教えられてきた。こうした村の姿勢は、大量生産・大量消費社会を前提にした都会の暮らしとは一線を画したものであり、持続可能な循環型社会の豊かな村づくりを行ってきた。
このように、飯舘村では、村民が主体的に参加し、自立した村づくりを実践してきた。このあたりが、原発に依存し、電源三法交付金によって自治体の財政が支えら、原発事故による過酷な避難生活を強いられてもまだ、国や東電が何とかしてくれるという思いの強い原発立地地域の住民の意識とは決定的な違いがある(もちろん、原発に依存せざるを得ない構造そのものが被害であるが)。
三 原発事故後の飯舘村
原発事故後の対応においても、村民たちは主体的に動く。村民たちは子どもや家族の健康を守ろうと様々な運動を展開し、村に独自の「健康手帳」の発行させたり、避難している村民をつなぐ「かわら版」も発行している。また、避難先の仮設住宅では各所で入居者が農園を開設し、土と結びついた暮らしを取り戻すべく新鮮な野菜を育てている。
しかし、悲しいことに、原発事故後の飯舘村民は一枚岩ではない。飯舘村の菅野典雄村長は、「二年以内の帰村」とそのための土壌の除染を積極的に進めることを明らかにしているが、これに対しては、早期の帰村に反対する意見や、除染の効果を疑問視する意見、除染にかける多額の費用を、村民が他所でやり直すための資金にすべきだといった意見など様々な意見が村民から寄せられている。
現在もこの議論は決着がついていない。ただ、帰村に賛成の村民も、反対の村民も、それぞれ村を愛するが故の真剣な思いは変わらない。
四 村民たちの思い
最後に、本書において登場する、原発事故に翻弄される様々な村民の声を紹介したい。
「もしかしたら飯舘には帰れない、ということもあるかも知れません。そのときに、飯舘にいた子どもたちが、行った先で、出た先で、『飯舘村出身だよ』と。『いいところに住んでいたんだ』と。 それで頑張ってくれれば、それが復興ではないかと。」「とどまらざるを得ない人もいることを知ってほしい。障害をもっている人、困窮な人、ここで仕事を続けなければならない人は、逃げたくても逃げられないのです。・・・その人たちに向かって、『放射能は少量でも非常に危険』『逃げろ』『子どもを救え』というのは正論かもしれないが、そのことが福島で生きる親や子どもを窮地に立たせてしまうこともあると、思いを至らせてほしい。」「個人的には、補償金をたよりには生きたくはない。自分でやって汗を流した分の代償はこれだよ、っていうのがないと生きていけない、大げさにいえば、百姓のプライドが許さねえ、っていうか。」「『除染など無理』っていう人もいます。・・・でもそこには、人々のいろんな思いがあるんですよ。自分の持っている土地っていうのは、自分の所有物じゃなくて、受け継いできたものなのです。金銭だけで扱えるものではないんです。」「天明の飢饉でも地区の人たちは頑張って村を残したのに、放射能ぐらいで村を諦めるなんてことは。」「一部のマスコミが言うように、お年寄りは全員村に戻って土いじりをしたがっているが、若者は健康や仕事を考えてみんな村から離れたがっている、といった単純な構図で今の村を語ることはできない。本当の意味でいちばん悔しさを感じていて、いちばん村への思いが強いのは、都市部での便利な生活よりも村で生活することを自ら選び、村で子どもを育てようと思って生きてきた若者たちだと思う。」
貧しい村を盛り立て、創意工夫して、都会にはない「までいなライフ」に誇りを持ち、実践してきた飯舘村の人々。原発事故によってその村が破壊されてもまだ、けなげに一生懸命に前に進もうとする村民たちを思うと胸が痛くなる。
飯舘村は負けない。飯舘村は諦めない。是非ご一読をお勧めする一冊である。
神奈川支部 穂 積 匡 史
二〇一二年一二月一日、神奈川支部は、青年法律家協会弁護士学者合同部会神奈川支部、社会文化法律センター神奈川支部、神奈川労働弁護団との共催により、教科書問題に関する市民集会を行いました。取組みの一事例として、概要をご報告いたします。
最初に、森卓爾弁護士(自由法曹団神奈川支部長)が、上記四団体の説明や、教科書問題、改憲問題等を巡る情勢を踏まえた開会の挨拶を述べました。
続けて、小池拓也弁護士主演の育鵬社教科書解説映像(一五分)が上映されました。小池弁護士の笑顔がスクリーンに大きく映し出されると、本人は照れていましたが、分かりやすくユーモア溢れる語り口が好評で、集会後の懇親会では、「地方では心細く活動している人たちが沢山いるので、こういった映像をDVDにして配ってあげれば、大変に心強いと思う。第二弾もぜひ!」とのリクエストがありました。
次にメイン企画である高嶋伸欣琉球大学名誉教授の講演が始まりました。
講演の前半は領土問題について。石垣と台湾の間で親密な人間関係が築かれていたことや、尖閣問題が沖縄の地域経済に深刻な影響を与えていることなどの紹介に続いて、ドイツとポーランドの領土問題がどのように解決されていったのかという具体例が詳細に説明されました。領土問題について、政府見解や対立ばかりを採り上げるのでなく、過去に解決していった実例を教育に取り込んでいく取組みが報告されました。とても説得力があり、私は目から鱗が落ちました。中国とロシアの間での領土問題解決の実践についても興味深い実例があるそうですので、勉強したいと思います。
講演の後半は、安倍自民党の公約(近隣諸国条項見直しや検定基準の厳格化など)の問題点、家父長制家族像の復活の意味、教科書問題と改憲策動の関係、間違いだらけの「つくる会」教科書は人権侵害問題でもあるとの指摘、教科書販売をめぐる不正競争防止法違反疑惑など、盛りだくさんの論点が解説され、最後に、法的知識を駆使して闘ってほしいとの弁護士への期待が述べられました。正味一〇〇分。司会の高橋由美弁護士が「もう一コマ、九〇分聴きたい。」と発言したとおり、時間を忘れさせる充実した講演でした。
その後に会場発言がありました。横浜市域で活動している横浜教科書採択連絡会の事務局からは、横浜市教委と市議会の教育介入が続いていることや、採択地区一本化などの問題が紹介されました。二〇一一年に藤沢市教育委員会が育鵬社教科書を採択した当時の教育委員(その後退任)からは、藤沢の教育の実情などが紹介されました。とりわけ印象に残ったのは、生徒が宿題で書いてくるレポートの内容が、育鵬社教科書のとおりになってきているとの報告でした。教科書の影響力の強さを改めて認識させられました。子どもと教科書全国ネット二一の俵義文さんからは、自民党教育再生実行本部の動きが紹介されました。教科書検定の人事と基準を国会のコントロール下に置き、教育長を執行機関とする一方で、教育委員会をお飾りの諮問機関に格下げするという法改正が目論まれていることなど、教育法令の抜本的改悪が準備されています。教科書問題に留まらず、教育問題に対して相当に力を入れていく必要を再認識しました。
最後に井上泰弁護士(青法協神奈川支部議長)から閉会のご挨拶をいただきました。突然の総選挙となったこともあり、参加者数こそ約六〇名と少なめでしたが、大変に充実した内容だったと思います。今年は安倍内閣のもとで教育に対する介入、法改正の動きが強まることが懸念されます。今回のような取組みを続けて、教育の自由に対する市民、弁護士その他関係者の関心と議論を深めていきたいと思います。