<<目次へ 団通信1461号(8月11日)
東京支部 森 孝 博
一 はじめに
本年六月一一日、自民党が政府に対して申し入れた同月四日付け「新『防衛計画の大綱』策定に係る提言(『防衛を取り戻す』)」(以下、「自民党提言」)には、「安全保障政策の基盤となる重要課題」として、(1)「国防軍」の設置を始めとした「憲法改正」、(2)「国家安全保障基本法」の制定、(3)「国家安全保障会議(日本版NSC)」の設置、(4)「日米同盟の抜本的強化の観点からの集団的自衛権などの法的基盤の整備」、(5)「日米ガイドライン」の見直しの五点が掲げられています。
これらは憲法九条を破棄ないし形骸化させる点で共通し、自民党提言の本音が端的に表れています。つまり、同提言の目的は「防衛力の構築」などでなく、「専守防衛」政策を完全に放棄し、明文、解釈、立法改憲を推し進め、日本の軍事大国化を公然と要求することにあります。
そもそも防衛大綱は、詭弁を重ねて憲法九条のなし崩し的解釈を推し進める役割を果たしてきたものですが、以下で述べるとおり、自民党提言は、こうした悪しき役割をいっそう強化させ、悪化する財政事情を顧みず、日米同盟強化と自衛隊増強を柱とした軍拡のために湯水のごとく税金を投入させようとするもので、無責任かつ有害極まりないものです。
二 安全保障環境に対する認識について
(1) 自民党提言は、まず国際情勢について述べていますが、そこには強大な軍事力を背景にしたアメリカの世界戦略が行き詰まっているという視点が全く欠落しています。「グレーゾーンの紛争」など世界中のあらゆる紛争・対立へ軍事的に対応する必要性を強調し、アメリカや欧州諸国が軍事費を大幅削減している中、日本だけが大幅な軍拡をすべきという逆立ちした考えに立脚しています。パンデミック(感染症)、気候変動、大規模自然災害といった事態にまで軍事力の増強によって解決できるかのように考えており、安易かつ非常識な発想と言わざるをえません。
(2) 日本周辺の情勢についても「以前に比べ、むしろ悪化しつつある」として、北朝鮮・中国・ロシアの「脅威」を殊更に強調して、軍事力一辺倒の提言に終始しています。 アジア地域においても「東アジア友好協力条約」(TAC)、「東南アジア諸国連合地域フォーラム」(ARF)、「東南アジア諸国連合」(ASEAN)といった紛争解決のための枠組みづくりが進められている中、憲法九条を持つ日本が軍事力に依存する姿勢を強めることは、むしろ周辺諸国のいっそうの不審を招き、アジアの平和と安定を害することになりかねません。
三 「基本的安全保障政策」について
自民党提言は「基本的安全保障政策」の策定を提言していますが、真っ先に「憲法改正と『国防軍』の設置」が挙げられ、憲法九条二項を破棄し、軍隊を保持し、戦争することを求めています。憲法改正は自民党の憲法改正草案が前提とされており、国家のための大幅な基本的人権の制約、天皇制を中心とした国家への忠誠を誓わせる体制づくりも行われることになります。
これに続いて、現在の解釈・立法改憲策動の中核にある「国家安全保障基本法」制定や、軍事国家の司令塔となる「国家安全保障会議(日本版NSC)」創設が挙げられ、明文改憲と並行して解釈変更や立法によって「戦争する国づくり」を推し進めることも露骨に要求されています。これらに密接に関連する「秘密保護法」の制定や「国防の基本方針」の見直しも提言されています。さらに、「防衛省改革」と称して、「U(制服)」と「C(文官)」のいっそうの一体化を提言しており、自衛隊に対するシビリアンコントロールをより低下させることにもなりかねません。
四 「防衛大綱の基本的考え方」について
自民党提言は、現防衛大綱の「抜本的見直し」と称して「強靱な機動的防衛力」という新概念を打ち出しています。日米同盟強化と日本の軍事国家化という基本的な方向性においては現防衛大綱と違いはありませんが、現防衛大綱以上に憲法九条を無視して、自衛隊をより攻撃的・侵略的な性質を持つ組織(軍隊)へと変質させようとするなど極めて危険です。
しかも、自民党提言ですら「主要国間の本格的武力紛争が生起する可能性は低下している」としているのにもかかわらず、結論的には「高烈度下(注:国家間の全面戦争など)においても、着実にわが国防衛の任務を全うできる能力を確保する」として、中国などとの全面戦争まで視野に入れて軍事力を増強すべきという極めて危険な発想が示されています。
そして、「態勢の強化」として、現防衛大綱にはない(1)統合運用の強化として「陸上創隊」の創設、(2)無人機等の配備、(3)オスプレイ配備などを始めとした自衛隊への「海兵隊的機能」の付与、(4)戦車・火砲を含む高練度部隊の大規模かつ迅速な展開を可能とするための部隊編成・運用の見直し、(5)BMD(弾道ミサイル防衛)機能搭載イージス艦や地上配備のミサイル部隊・装備の拡充、(6)自衛隊による「策源地攻撃能力」(打撃力)の保持など、自衛隊の攻撃性・侵略性を高める数々の提言がされています。それとともに、震災や原子力災害までも口実にして、自衛隊の駐屯地・基地の強化や装備の開発・増強が提言されている。
続く、「日米安全保障体制」においても、「『日米安全保障体制』をアジア太平洋地域及びグローバルな平和と安全を確保するための『公共財』と位置づけ」るとして、いっそうの日米軍事同盟強化の方針が示され、(1)日本の役割・任務を拡大するための日米ガイドラインの見直し、(2)集団的自衛権の行使、(3)平素から緊急時に至るまでの日米の連携強化と情報保全体制の確立、(4)普天間飛行場の移設といった提言がされています。
さらに、迅速な自衛隊の海外派兵を可能とするための「国際平和協力法」の制定、武器使用権限の拡大なども要求されています。
五 アメリカ、軍需産業のための湯水のごとく税金を投入する
そして、自民党提言は「防衛力の量的、質的増強を図るため、自衛隊の人員(充足率の向上を含む)・装備・予算を継続的に大幅に拡充する」、「国内の防衛産業基盤はわが国の防衛力の一環を成すものである」として国が援助する、さらには「米軍再編経費など本来、政府全体でまかなうべき経費については、防衛関係費の枠外とする」としてアメリカの負うべき費用まで負担することを求めています。
しかし、上述したような国家間の全面戦争まで想定した軍備増強となれば、際限のない財政支出が必要となります。現在の厳しい国内の財政状況の下、自衛隊や軍需産業、アメリカのために大盤振る舞いを実施しようとすれば、増税と福祉・社会保障費用などの大幅削減でしかなしえません。
自民党提言は、国民の生命・財産を守らず、むしろそれらを害するものです。「防衛」の名目に、平和憲法を無視し、多くの国民の生活を犠牲にして、軍需利権を拡大させていくことに強く反対していきましょう。
東京支部 飯 田 美 弥 子
一 ベートーベンの「交響曲第九番合唱付」が年末に演奏される理由
ベートーベンの「交響曲第九番合唱付」を年末に演奏する習慣は、日本から始まったって知っています?
どうして始まったか、その理由を知っている方は?
あれはね、黒柳徹子さんのお父さんというのが、今のNHK交響楽団の前身の楽団で、コンサートマスター、第一ヴァイオリンを担当していたんですね。
ところが、戦争が始まると、洋楽は原則禁止。ドイツとイタリアの音楽だけは、日独伊三国同盟の同盟国だから、演奏することができた。
それで、ベートーベンはドイツの人だというので、演奏が可能だったわけなんですが、そうは言っても、時局柄、音楽なんか聞いてる場合じゃない。そもそも演奏会の機会がないし、たとえ演奏会をやっても人が集まりにくい。
楽団員は、収入が途絶えるわけですよ。
そこで、合唱付なら、歌が歌いたくてうずうずしている音大生などが、ただで、喜んで、うまくすれば手土産なんか持って、参加してくる。
音大生が参加すれば、その背後には、音楽に飢えている親やら友人やら、一人当たり最低でも三、四人はチケットを買ってくれる人がいるはず。
つまり、確実に、チケット収入が見込める。
楽団員は、そのお金で、どうにか年を越すことができるようになる…と、そういう、計算があったのです。だから、合唱付きというところが絶対に必要な要素だった訳。
歓喜の歌というのは、何の歓喜かと言えば、年が越せる、という喜びだったんですねえ。(以下、第九のテーマで歌う)
♪年が越せるぞ 餅が買えるわ
磯辺・安倍川 雑煮が一番♪
…念のため、断っておきますけど、これは替え歌です。「ドイツでもお正月にお餅を食べるの?」なんて誤解しないでくださいね。
年末、第九を聞いたら、ああ、戦時中、音楽まで抑圧された、その名残なんだなあ、と思い出して欲しいんです。
戦争は、音楽まで、自由に演奏できなくさせる。そのことを胸に刻んでくださいね。
二 「海に出て 木枯らし 帰るところなし」
俳句をなさる方はいらっしゃいます?
山口誓子さんという、東大出身のお医者様で、ハイジン…ダメな人じゃありませんよ。俳句を作る人がいたんですが、この方、神風特攻隊が、行きの分の燃料しか積まずに飛び立つような戦局のころ、「海に出て 木枯らし 帰るところなし」という句を発表した。
これが物議をかもしまして、これは、特攻隊の作戦を批判した反戦の句ではないか、という声があがったそうです。
戦後、安全に物が言えるようになってから、誓子本人が、その意味だったと明かしたそうですが、当時は、はっきり言わない。言えば、非国民というレッテルを貼られて、拷問されるのは、知れてますからね。
この歌には、本歌がありまして、江戸時代、松尾芭蕉と同時代の人で、池西言水(ごんすい)という京都の俳人がいた。この人が詠んだのが、「木枯らしの 果てはありけり 海の音」という句でして、「木枯らし」って、「木が枯れる」と書くように、それまでは陸のものと決まっていた。それを、海に持っていった、ということで、言水は「木枯らしの言水」とあだ名がつくまでだったんだそうです。
もし、万一、誓子さんのところに、さっきの「帰るところなし」の句のことで、特高警察が、「なんだ、この句は。特攻隊はお国のために散ってくださっているのだろうが。」などと怒鳴りこんできたら、誓子さん、「いえ、これは、江戸時代の本歌を取って詠んだだけです。」と言い逃れられるように、さすが東大生、ちゃあんと切り返す術を仕込んでいた、という訳です。
私が申し上げたいのは、東大生は優秀だけど腹黒いということではなく、わずか一七文字のことを言うのにさえ、これだけの覚悟と準備をしなければならない時代だった、ということです。
表現の自由の制約は、一人、政治的言論だけのことではないのです。
音楽も、文学も、表現全般にかかわってくる。そのことを、共通の認識にして欲しいと思います。
東京支部 神 田 高
一 空疎な「アベノミクス」をかざして参院選で大勝した自民勢力は、投票日の翌日七月二二日になって、福島第一原発から放射性物質(ストロンチウム九〇など)で汚染された地下水(放射性セシウム二三億ベクレル超)の海洋への流出を初めて公表した。
懸念していた汚染水の流出の四月以降の経緯の東電の漏洩隠蔽の経緯は、『世界七月号』(「東電による原発事故収束作業の危うさ」木野龍逸)にも掲載されている。
東北大震災で喪失された船舶の一部などが太平洋をわたって、アメリカ大陸まで到達していることを考えると、震災による福島原発・発の放射能汚染による海洋への今後の汚染拡大の大きさと被害の進行が懸念される。国内外の支援もえて、早急に放射能汚染除去作業を遂行すべきであることはいうまでもない。同時に原発ゼロに向けた廃炉、再稼働阻止は喫緊の課題である。
二 一昨年の一〇月、三鷹九条の会主催の原発問題住民運動全国連絡センター代表委員の安部愃三さんから“福島原発事故の真実とチェルノブイリ”のお話を伺ったあとの意見交流のとき(安部さんはチェルノブイリに放射能の影響調査に行かれている。)、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の話しがでた。このとき、“『沈黙の春』の「化学薬品」の文字を「放射能」と書き換えても論旨がとおりますね。”と安部先生と合点した。
六二年に発表されたR・カーソンのこの著作は、自然破壊、飽くなき利潤追求の結果生み出された「化学薬品」、殺虫剤大量散布の資本主義的生産の矛盾も告発している。“農作物の生産高を維持するためには、大量の殺虫剤をひろく使用しなければならない、と言われている。だが、本当は、農作物の生産過剰に困っている。”
動物学を専攻し、海洋生物研究所等に従事したR・カーソンは、自然破壊の元凶としての「化学薬品」を主に取りあげているが、『沈黙の春』には随所で「放射能」による「汚染」にも言及している。
(第二章 負担はたえねばならぬ)では、自然の汚染の原因として、「放射能」と「化学薬品」をならんで挙げ、「核実験で空中に舞い上がったストロンチウム九〇は、やがて雨やホコリに混じって降下し、土壌に入り込み、草や穀物に付着し、そのうち人体の骨に入りこんで、その人間が死ぬまでついてまわる。そのプロセスが論じられている。
三 “ヴァールブルクの理論”〜放射線と化学薬品
劇的な悪性腫瘍への道程(第一四章・四人にひとり)
細胞内の複雑な酸化作用の研究に一生を捧げたドイツの細胞生理学研究所の生化学者ヴァールブルク教授は、正常な細胞が“悪性腫瘍”にかわる過程を鮮やかに説明した。
その内容は、(1)放射能や化学的発癌を少量ずつくりかえし摂取すると、正常な細胞の呼吸作用が破壊され、エネルギーが奪われる、という。(2)一度こうした状態になると、もうもとには戻らない。何とか生き残った細胞は、エネルギーの損失を取り返えそうとするが、循環作用は行えず、発酵という不十分な作用による細胞分裂が行われ、一度変則的な呼吸をし始めた細胞が正常な呼吸を回復することはない。(3)そして、最後には、発酵だけの力で呼吸と同じエネルギーを生み出すようになる。正常な細胞が“癌細胞”に変化した。
悪性腫瘍はゆっくりと進行する。発癌物質を少量ずつ繰り返し摂取する方が、大量に摂取するよりも、場合によっては危険である。けだし、大量なら、細胞はすぐに死んでしまう。少量の時には、細胞は変に痛めつけられたまま生き続け、“癌細胞”となるからだ。
したがって、また、発癌物質(おそらく放射能も)「これくらいなら《安全》という線はひけない。
結局、「放射線」も「化学薬品」も、細胞の呼吸作用をきずつける。
癌細胞はもともと完全に呼吸できないから、さらに傷つけば死んでしまう。ところが、正常な細胞に傷害をあたえれば、死なないで「悪性腫瘍」への道を歩むことになる。
四 最後に
まさか、R・カーソン女史の『沈黙の春』を熟読することなどないと思っていたが、原発廃止どころか、国民の願いに背くような挑戦的な対応をする輩が依然として跋扈している状況を見て、“そもそも論”を考える絶好の文献として、同書を読んでみて、利潤追求主義者らの主張の「正当性」を根底から反駁する必要性も感じていた。
脱原発、沖縄基地・オスプレイ配備、そして憲法九・九六条問題との格闘はしばらくつづくだろうが、日本の国の再生の在り方を問う絶好の機会でもある。そんな議論の場ももちたいものである。
東京支部 竹 村 和 也
一 被害の現場へ
「被害に始まり被害に終わる」。公害裁判闘争の原点であるその言葉を実践するために、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団と弁護団は、七月一五日及び一六日に現地調査を行いました。
同訴訟の原告団、弁護団だけでなく、玄界原発、川内原発差止訴訟弁護団やジャーナリストの方など、あわせて六〇名以上の参加を得ることができました。
二 一日目
(一)南相馬市
現地調査一日目は、川俣町と飯舘村の様子を見た後、南相馬市小高区に入り同区における畜産業の現状を調査しました。我々は、牛舎に着くと、異様な光景を目の当たりにしました。大量に積まれた牛の骨や、大量の死んだ牛を埋めた塚があったのです。生き残っている牛たちも、いまや放射線の影響を調べるために育てられているにすぎず無残なほど痩せ細っていました。
我々は、同市の居住制限区域内にあるお宅も訪問しました。当然、所有者の方は避難されており、誰も住んでいません。とても広く、立派なお宅でした。事故後そのままの状態ですので、本、洋服、壁にかけられた絵などからそこで暮らしていた人たちの事故前の生活をうかがい知ることができました。その日常生活が、原発事故によって一瞬にして奪われてしまったことを実感しました。
(二)浪江町
つぎに我々は、浪江町の帰還困難区域に入りました。福島第一原発の建屋が見える場所まで入ったのですが、原発が民家や学校から驚くほど近い距離にあることに気付きました。
浪江町の市街地は、まさにゴーストタウンでした。街並みは一見して普通です。しかし、全く人影がないのです。新聞店を覗くと、三月一二日付の朝刊が山積みにされていました。そこでは、三月一二日で時間が止まっているのです。
(三)相馬市
その後、相馬市に行き、浜通り農民連が中心となって立ち上げたNPO法人「野馬土(のまど)」の農産物直売所を訪問しました。直売所は放射能検査室を備え、持ち込まれる野菜を検査しています。自分たちの農業をめちゃくちゃにされながらも、安心・安全な農業のために前に進む農民の方たちの逞しさを感じました。
移動時間を利用して、高校の先生のお話も伺うことができました。事故後しばらくたってからサテライトにより授業が再開したが、避難により子どもたちはバラバラになってしまったこと、その子どもたちは原発事故で地域や生業が壊され未来に展望をもてなくなっていることなどが語られました。
三 二日目
(一)相馬市
現地調査二日目は、相馬市の原釜漁港で試験操業の様子を見学しました。海が放射性物質によって汚染されているため、試験操業しかできません。しかも漁獲できるのは水ダコとツブ貝だけです。その他の魚からは、高い値の放射性物質が検出されるからです。買取価格も低く、漁師たちは借金を重ねながら操業しているそうです。なぜ、借金を重ねてまで漁をするのか。それは、漁が生業だからです。漁師は漁でしか生きていけないからです。
そのような漁師の苦境の横で、いわゆる箱物である護岸工事が大量のお金を使ってドンドンすすめられていました。あるべき復興とは何なのか、考えさせられる光景でした。
(二)伊達市
伊達市霊山町の椎茸栽培農家では、深刻な事故被害をお聞きしました。これまで栽培に使っていた福島県産の原木が使えなくなったこと、厚労省の栽培マニュアルどおりに栽培することは大変苦労することなど、椎茸農家は苦しい状況にたたされています。これまでは、桑畑で力強く美味しい椎茸を栽培できたのに、今ではビニールハウスでしか栽培できない悔しさも語っておられました。
しかし、農民の方たちは、ここでも前に進んでおられました。農民連による太陽光発電の設置です。自分たちの生業を壊した原発に替わるエネルギーを自分たちで作りだそうとしているのです。
四 被害者の語り
現地調査では、原告の方をはじめ多くの被害者の方のお話も聞くことができました。被害を語ること、それはとても辛いことだと思います。生業や地域を奪われた怒り、家族と離ればなれになってしまった悲しさ、今も放射線に怯えながら生活する不安などを言葉にして他人に話すことは並大抵のことではありません。しかし、今回お話をお聞きして、被害は被害者しか語り得ないものだと実感しました。
現地調査は、以上のとおり大成功でした。我々弁護団は、今後も現地調査を実施していきたいと思っています。最後になりましたが、現地調査のコーディネートをしてくださった相双民商をはじめ原告団相双支部のみなさまに感謝したいと思います。
【「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団・弁護団URL:http://www.nariwaisoshou.jp/】
東京支部 津 村 八 江
一 第一回期日にあわせて第一回模擬法廷を!
二〇一三年七月一六日、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発事故被害弁護団(以下、「生業弁護団」といいます。)は、本年三月一一日に提訴した「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(原状回復訴訟)の第一口頭弁論期日にあわせて、模擬法廷を行いました。
会場は、福島地方裁判所にほど近い、福島県文化センターです。原告数は、第一次提訴だけで八〇〇名ですが、福島地方裁判所では一番大きな法廷でも傍聴可能な人数が少なく、原告の大多数の方が傍聴できないことが予想されました。なるべく多くの原告の方に法廷の様子を知って頂きたい!裁判がどのようなものか実感して頂きたい!という願いから、弁護団では期日と同時進行で模擬法廷を行うことになりました。実際、期日には二〇〇名あまりの方にお集まりいただき、傍聴の抽選に外れた原告を中心に文化センターに移動しました。
二 模擬法廷の様子
文化センター小ホールの壇上に、裁判官席、原告席、被告席を設置し、模擬法廷を行ないました。
せっかくの模擬法廷ですから、スクリーンを利用して「認否」「陳述」といった裁判特有の用語解説を折々に交え、意見陳述の場面も陳述者の写真を写すなど、ビジュアル的にもわかりやすいよう試みました。また、訴状の陳述も、単に「陳述します」で終わらせるのではなく、訴状の「はじめに」の部分を実際にスクリーンに文字を映した上で、読み上げました。
意見陳述の場面では、原告の意見陳述は原告の方が、弁護士の意見陳述は弁護団員が、それぞれ代役となり読み上げました。原発事故のため自死によりお父様を亡くされた農家の原告、線量の高い地域からの避難のため家族がバラバラとなった原告、未来のためにも放射能の危険に怯えることのない暮らしを訴える中島孝原告団長、現在も福島に暮らしている立場から被害の実態や救済の必要性を語る渡邊純団員、九州で玄海原発差止訴訟に取り組み、今回の被害救済訴訟は、差止訴訟と並んで原発をなくすための両輪であると訴える板井優団員、過去の公害訴訟の経験からどのように被害者を救済するかについて意見を述べる馬奈木昭雄団員、本件訴訟によって全ての被害者が救済されるべきであることの正義を訴える安田純治団員(弁護団共同代表)と意見陳述が続きました。実際の法廷での陳述と雰囲気は異なるかもしれませんが、どの意見陳述も非常に力が入り、会場から同意の声も聞こえてきました。陳述された方は、意見陳述の原稿にご自身の思いも重ねて、語って頂いたのだと思います。原告の方々も、自らの被害を改めて思い起こし、これからも訴訟を闘っていく決意を新たにされたようでした。
弁護団にとっても、模擬法廷は初めての試みです。裁判所や被告国・被告東電とのやりとりから、おおよその訴訟での指揮、発言等は予想できたのですが、やはり実際の法廷がどのように進んでいるかはわかりません。それぞれの役を演じる弁護団員は、裁判官であれば、被告らであればどのような行動を行なうか、多くの部分をアドリブで行ないました。本当に被告らがこういう行動をとるのか?と思われた部分もありましたが、実際の法廷では模擬法廷以上の発言があったとのことですので、再現度は高かったのではないかと思います。
三 今後のお知らせ
今回は原告のみならず、多くの方に模擬法廷にお集まり頂き、好評を頂きました。弁護団では次回期日以降も模擬法廷を行なうことを予定し、今回の反省点を踏まえ、よりよい内容にブラッシュアップしていきます。
また、原告団・弁護団は、HP(http://www.nariwaisoshou.jp/)を開設いたしました。意見陳述の内容・今回の模擬法廷の様子も後ほど原告団・弁護団にアップロードする予定です。弁護団は、多くの方に今回の訴訟について知って頂きたいと考えております。
今後とも、引き続きご支援を心からお願い申し上げます。
神奈川支部 近 藤 ち と せ
国連の経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約の実施状況に関する第三回日本政府報告書について、国連社会権規約委員会は二〇一三年四月三〇日に審査を行い、同年五月一七日付で総括所見を公表しました。
一 日本政府報告書に対する審査
団の国際問題委員会からは、鈴木亜英団員や井上洋子団員、瀬川宏貴団員が同年四月三〇日、ジュネーブ国連人権高等弁務官事務所で開かれた第三回及び第四回会合に出席し、日本政府報告に対する審査のようすなど団通信で報告されています。私は、残念ながらこの政府報告審査の傍聴はできませんでしたが、総括所見の前提資料として供されるカウンターレポート作成作業の末席に加わる機会があり、それ以来、日本政府報告書の審査や、これに対する総括所見がどのような内容となるかを注目してきました。
日本政府報告書審査やカウンターレポートの位置付け、報告審査の状況などについては傍聴された鈴木団員、井上団員、瀬川団員がそれぞれ団通信に投稿されていますので、本項ではこの報告審査を経て出された社会権規約委員会の総括所見の内容について報告します。
二 総括所見の概要
総括所見は三七項目からなり、「序」「積極的な側面」「主要な懸念事項及び勧告」という三部から構成されています。このうち、七から三七までの項目が「主要な懸念事項及び勧告」となっており、社会権規約委員会が日本における社会権規約の実施状況について多くの懸念を有していることが分かります。総括所見の内容は、国内人権機関の設置問題から、生活保護等の社会保障の切り下げの問題、企業による有期契約の濫用の問題、東日本大震災の復興に関する問題等多岐に亘っています。
全てを報告することは紙幅の関係で無理ですので、今回は自分にとってもっとも関心のある労働問題を中心にその内容を報告します。
三 労働問題との関係での総括所見の内容
(1)労働問題との関係(社会権規約六条・七条)
社会権規約六条は労働権の保障と職業選択の自由等を定め、七条は「公正かつ良好な労働条件を享受する権利」とその内容として「公正な賃金及びいかなる差別もない同一価値の労働についての同一報酬」等を保障すべきとしています。
これらの条項の実施状況に関して、委員会は、以下のような懸念を示しています。
・「使用者によって有期契約が濫用されており、かつ、有期契約労働者が不利な労働条件を課されやすい状態に置かれていることを懸念する」
・「使用者が、有期契約を更新しないことにより、改正労働契約法で導入された有期契約から無期契約への転換を回避していることを懸念する」。
・「有期契約に適用される明確な基準を定める等の手段により、有期契約の濫用を防止するための措置をとるよう勧告する」
・「有期契約労働者の不平等な待遇を防止するという目的が奨励金制度によって達成されているか否かを監視するよう勧告する」
・「有期契約労働者の契約が不公正に更新されないことを防止するため、労働契約法の執行を強化しかつ監視するよう、締約国に対して求める。」
(2)最低賃金額の水準に関する懸念
社会権規約七条は、前記のとおり公正な労働条件を享受する権利を、九条は、「社会保険その他の社会保障についてのすべての者の権利」を、一一条は「自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利」等を保障します。
これらの条項の実施状況について、委員会は、以下のような懸念を示しました。
・「最低賃金の平均水準が、最低生活水準、生活保護給付額および上昇する生活費に満たないことを懸念する」
・「労働者およびその家族が人間にふさわしい生活を送れることを確保する目的で、最低賃金水準を決定する際に考慮される要素を見直すよう、締約国に対して促す。委員会はまた、締約国が、最低賃金以下の報酬しか支払われていない労働者の割合に関する情報を次回の定期報告書で提供するよう要請する」
(3)男女間の賃金差別等に関する懸念
また、社会権規約七条との関係で、以下のような懸念を表明しています。
・「男女間の賃金格差が依然として相当に大きいことに、懸念をもって留意する」
・「同一価値労働について男女で異なる評価額を適用することの違法性およびこの点に関する使用者の義務についての意識啓発を進め、かつ、報酬差別が行なわれた場合にアクセスしやすくかつ効果的な救済措置を提供するよう、締約国に対して求める」
・「同一価値労働同一報酬の原則の適用について労働基準監督官に対する研修を行なうとともに、適用される法律の効果的執行を確保するためのその他の措置をとるよう勧告する。」
・「法律上、セクシュアルハラスメントが禁じられていないことに、懸念をもって留意する」
(4)移民労働者の待遇に関する懸念
社会権規約七条の実施との関係で、委員会は以下のような懸念を表明しています。
・「移住労働者も国民と同じ労働法によって保護されているにも関わらず、移住労働者(非正規な移民資格しか有していない者、庇護希望者および難民を含む)の不公正な待遇が報告されていることを懸念する」
・「移住労働者の不平等な待遇を解消するために法令を強化するよう勧告する。委員会はまた、移民資格に関わらずすべての労働者に対して労働法が適用されることに関する意識啓発を進めるよう、締約国に対して求める」
四 社会権規約委員会の総括意見の活用を
国内では財界や企業による労働規制緩和の要求が当たり前のようになされ、政府もその要求に応じて規制緩和を進める動きが激化しています。
しかし、日本政府は、自らが批准した社会権規約を実施すべき義務を負っています。このような観点からは、野放図な規制緩和は断じて許されません。
規制緩和の流れに歯止めを掛け、労働法制の抜本規制を実現するために、これらの社会権規約委員会の勧告も重要な材料として活用していくことができると思います。