<<目次へ 団通信1464号(9月11日)
後藤 富和 | 「普通の」若者と憲法〜terra cafe kenpou〜 |
守川 幸男 | 「防衛的ナショナリズム」の台頭にどう対抗し、どう説得するのか |
飯田 美弥子 | みややっこのネタ帳その五(自民党改憲草案の「品格」) |
玉木 昌美 | 東近江市嘱託職員の雇い止め問題で不当判決 |
永尾 廣久 | 法服の王国(黒木亮、産経新聞出版)を読んで(一) |
岩村 智文 | 待望の書、出版される ――責任能力を争う刑事弁護―― |
中野 直樹 | 飯豊山頂で 万歳 村松いづみ弁護士 百名山達成山行記 |
労働問題委員会 | 「安倍『雇用改革』を切る!」ブックレット販売開始のご案内と普及のご協力のお願い |
福岡支部 後 藤 富 和
一 風船プロジェクト
原発なくそう!九州玄海訴訟原告団では、玄海原発(佐賀県玄海町)で事故が起こった場合の放射性物質の拡散状況を実験するために風船を飛ばす「風船プロジェクト」を行っています。
風船は佐賀県、福岡県、大分県といった九州だけでなく中国地方や四国全県、そして五五〇km離れた奈良県まで飛んで行きました。ちなみに野生動物への影響を考慮し風船は紫外線で分解される素材のものを使っています。
風船プロジェクトの様子はfacebookやyoutubeで話題になり、今年の一月頃からインターネットでこの取り組みを知った二〇代三〇代の若者が風船プロジェクト実行委員会に集まってくるようになりました。
ネットで実行委員会に集まってきた若者達はこれまで訴訟や市民運動を経験したことがない「普通の」若者です。
二 憲法改正に対する漠然とした不安
風船プロジェクトの準備を繰り返す中で、この若者達から「安倍総理が憲法を改正するって言いようけど、なんかヤバくね?」といった憲法改正に対する漠然とした不安が語られるようになりました。
憲法を勉強したことや、九条を守る活動などを経験したことがない彼らの疑問はとてもストレートです。
実行委員会の後に飲みながら憲法の話しをすると、乾いたスポンジのように彼らはドンドン吸収して行きます。
三 お寺で憲法
「憲法を勉強したい」という彼らの要求は高まり、「毎週ここに行けば憲法の勉強ができるという場所が欲しい」という声が出てきました。
この声に応えてくれたのが福岡市の繁華街天神にあるお寺の住職さんでした。
今年六月から毎週火曜日の夜にお寺で憲法の学習会を行うようになりました。
彼らは手探りで憲法の勉強を始めました。そこに自由法曹団の若手の弁護士も集まってきました。
二〇代三〇代の若者とともに同世代の弁護士が憲法を語るという取り組みです。
お寺を使ってカフェのようなゆったりとした雰囲気の中で憲法を語るということで「terra cafe kenpou」と名付けました。「地球」を表すterraにお寺のテラを引っ掛けたものです。
四 バーで憲法
そして、彼らは弁護士から聞いた憲法の話を職場の仲間や友人に話すようになりました。
ただ、彼らが友人に「憲法が変えられたら戦争ができるようになるらしいよ」と話しても、友人達からは「何言ってるの?」と冷ややかな反応が返ってきます。
若者達から、友達を誘えるような雰囲気の中で憲法の勉強ができないかと提案がありました。
また、facebookの私の投稿を読んで憲法に興味を持った私の行きつけのバーのマスターから、一度、バーで憲法の話しをしてもらえないかとの提案を受けました。
そこで、バーでパーティーをしながら憲法の学習をすることにしました。
当日はキャパ一八人のバーに二二名が参加。冒頭に約一〇分、憲法紙芝居を上映。参加者は真剣に見入っています。紙芝居が終わった後はパーティー。ただ、パーティーの中でも自然と平和や憲法に話題が向かいます。ギターや三線のミニライブやビンゴ大会で盛り上がり、二次会にまで発展し深夜まで憲法の話しが尽きませんでした。
五 中央区九条の会
福岡市中央区にはこれまで区としての九条の会はありませんでした。
しかし、若者達の憲法勉強会に触発される形で、今年八月、中央区九条の会が結成されました。結成総会には一〇〇名以上の市民が集まりました。terra cafe kenpouに集う若者達によるトークライブでは、若者達が、考えていることや疑問に思っていることを語り、これに対して憲法九条を守る戦いをしてきた高齢者達が意見を述べ、自らの体験を語るなど、とても充実したものとなりました。
また、若者達のギターに合わせて子どもから高齢者まで歌をうたい平和を求める心が世代を超えてひとつになりました。
六 注目される活動
terra cafe kenpou、中央区九条の会の活動はマスコミも注目し多くの新聞に掲載されました。また、取材を超えて、terra cafeに参加する若い記者も現れています。
さらに新聞報道やfacebookを見た若者達が新たにterra cafeに集まっています。
七 今後の活動
今後、terra cafeでは、憲法の座学に加えて、毎月テーマを決めて当事者からお話を伺ったり、映像を観たり、現地を訪問したりして憲法を体感できる学習を計画しています。たとえば、九月は貸切バスで長崎に行き被爆者からお話を伺います。一〇月は中国残留孤児について、その後は、諫早湾干拓、ハンセン病、中国人強制労働、一票の格差、子どもの人権、障がい者の人権などの学習を予定しています。
terra cafeの輪が広げていきましょう。ぜひ火曜日夜のterra cafeに遊びに来てください。
千葉支部 守 川 幸 男
八月一五日すぎ、一気に書いたら長文になって掲載されなかったので、第一部分はほぼそのままで、第二部分をレジメ的に直して掲載してもらうことにした。第二の部分を含めたものは、追って総会のときにでも配布したい。
第一 防衛的ナショナリズムの台頭と私の問題意識
八月一五日にマイクを向けられた多くの人は「平和が大事」とか「戦争は絶対いや」と発言する。この人たちは、では、安倍内閣の政策に反対しているのだろうか。たぶん抽象的な平和と戦争観の人が多いのだと思う。祈ればよいわけではない。
NHKが時々専門家や著名人とともに視聴者をたくさん集めた討論番組を放映する。八月一五日には「NHKスペシャル ニッポンの平和」が放映された。私はこの番組を少し見て、議論の進め方がおかしいと思ったが、少なくない国民はこんな議論をしているのだと思い、我々はまだ多数派とは言えないとも感じた。かつてのような対外進出のナショナリズムでなく、北朝鮮が攻めて来たらどうするのか、中国が脅威だ、だからアメリカとの関係を強化すべきだとか、外交が大事なのはいいけど軍事力も必要でしょ、などと言う。アメリカに頼らず、自力で日本を守れ、という意見もある。日本を守ってくれているアメリカに向かって北朝鮮がミサイルを発射したら日本が撃ち落とさなくてよいのか、友だちが殴られているのをそばで見ていて助けなくてよいのか、などと言って集団的自衛権拡大の口実にする。いわば防衛的ナショナリズムの台頭である。
我々仲間うちではバカバカしい議論だが、この「論理」を信じている国民も多い。私たちはこのことを前提に説得力を磨く必要がある。
また、別の観点だが、こんなにひどい世の中になっていて、各分野で一点共闘も進んでいるが、現在の生活に満足しているとアンケートに答えた人の割合が七割を超したとも言う(もっとも、アンケートの中味はあいまいだったと思われるが)。一体どうなっているのだろうか。
第二 どう説得するのか
―いくつかのアプローチ
論点整理的、感想的だが、問題提起して議論の呼び水にするのも意義があると思う。私は憲法学習会(それほどやっていないが)で、条文や情勢の詳細なレジメを作り、本稿のような問題提起もするが、今回は、後者を大きくふくらませてみた。そのような学習会のやり方のほうがわかりやすく、参加者の議論も活発になるのではないかと思うようになってきた。
一 北朝鮮や中国が日本を攻める必要性と可能性
―抑止力論にも触れて
○戦争は何のためにするのか 資源の乏しい日本を攻撃する経済的メリットは
○北朝鮮の好戦的な発言や日本への非難は、北朝鮮指導者の恐怖の裏返しと、アメリカに対する経済援助がほしいとのメッセージでは
○アメリカは軍事一辺倒ではない
○北朝鮮に戦争できる国力はあるのか
○日本にミサイルを撃ち込めば死傷者は当然出る(軍事力で攻撃は防げない)
○そのあと北朝鮮や指導部はどうなるのか
○アメリカの抑止力でなく、平和政策への切り換えこそ「抑止力」では
○戦争の順序は日本ではなくまず韓国
○中国の領海侵犯の対応にあたるべきは海上保安庁
○中国が戦争を始めてアメリカや日本との貿易の割合を減らす経済的メリットは(もっとも、中国軍も軍隊だから、軍の暴走で偶発的な軍事紛争が発生するおそれも)
二 じゃあ、日本をどう守るのか
○アメリカの行う戦争に参戦することと、日本を守ることとの因果関係は
○世界的に軍事同盟は解体、機能停止の方向
○軍事力強化の対案は、積極的な平和外交、好戦勢力に対する国際的な世論の包囲、国際的な平和の共同体作り、文化、スポーツ交流、国際的なボランティア活動など
三 そもそも集団的自衛権とは何か
―ミサイルを撃ち落とせ、はすり替え
○集団的自衛権行使の四類型のうち、(1)アメリカに向かっているミサイルを日本が撃ち落とせないのはおかしい、(2)米艦船と日本の自衛艦が並走しているときに、自衛艦は守られているのに米艦が攻撃されても自衛艦が反撃できないのはおかしい、について
○(1)はためにする議論、あり得ない議論
○ミサイルをミサイルで撃ち落とす技術はあるか
○全国各地にミサイル網を張りめぐらせて撃ち落とす体制を「完璧」にするのか
○発射しそうになったら先制攻撃か
○(2)は、アメリカの軍事介入や脅迫に日本が従属的な同盟国としてつき従っている帰結では
○そもそも集団的自衛権とは
○アメリカが、(テロは別として)武力攻撃を受けることなど考えられるのか
○実際にはアメリカの戦争への日本の参戦
四 いったいだれがもうけてだれが損するのか
○武器商人や関連産業がもうけ、庶民のくらしが脅かされる
○原発やアメリカの銃社会でいったいだれがもうけ、だれが犠牲者となっているのか
五 日本が平和を享受してきたのは九条のおかげかアメリカのおかげか
○自衛隊員が海外で戦後一人も殺さず一人も殺されなかったことは九条のおかげ
○これとは別に、日本が外国から攻められなかったのは、アメリカや安保条約のおかげか
○ソ連や中国との対立は、日本がアメリカと同盟関係を結び強化してきたから
○しかも現在は情勢が変化
○戦後の日本が九条をもとにした平和外交を展開してきたならどうだったか
六 ほかに(日本の領土でなく)国民を守るためにやることはないのか
―予算の使い方にも触れて
○原発、災害列島と治山治水の遅れ、長時間過密労働と精神疾患者の増大、年間三万人前後の自殺者、ブラック企業、貧困と格差の増大などをどうするつもりか
○日本中にミサイル防衛網を張りめぐらせて財政を破綻させて国民生活を破壊するのか
○九条を攻撃する政府は二五条や国民生活をないがしろにする
七 そもそも、日本をどう守るかだけの発想自体が身勝手ではないのか
○日本の長い歴史の中で侵略されかかったのは蒙古襲来のときだけ
○黒船や大戦末期の都市の空襲、沖縄の地上戦、原爆投下の見方は
○豊臣秀吉の朝鮮出兵、日清、日露、一五年戦争など、侵略の歴史
○しかも侵略戦争であったことを否定する勢力が力を持ち、アジア諸国から恐れられている
○被害者、というより加害者の自覚を
第三 ぜひご意見を
情勢や解釈・立憲改憲の詳細な論述や、これを中心とした学習会も重要だが、多くの国民には、むずかしすぎると言われたり、そもそも聞いてくれないことも多い。そこで、防衛的ナショナリズムに傾いている国民をどう説得するかに特化した議論も必要だと思う。論点ごとに詳しい論者の論考が期待される。そして何よりも、防衛的ナショナリズムの立場からは、本稿の各論点についてどう考えるのか、意見を聞きたい。
東京支部 飯 田 美 弥 子
一 「前文」、無残
自民党は、現行憲法の前文について、(1)「全体が翻訳調で、日本語として違和感があり」(2)「憲法の三大原則のうち、『主権在民』と『平和主義』はあるが、『基本的人権の尊重』が抜けており」、(3)平和主義の記述は、「ユートピア的発想による自衛権の放棄にほかならない」から、問題だ、と言っています(Q&A)。
いやはや、この批判の文章からして、意味がわからない。
三大原則の一つが抜けている、というけれど、今の前文は、憲法制定権力を有する国民が、自分達に向かって、宣誓したものなのだから、「私は、私の人権を尊重するぞ」と書く方がおかしいんですよ。自分で自分の、たとえば、所有物を壊してしまっても、所有権の侵害だ、と怒る人はいないわけで(いたら、二重人格ですわね。)、それが抜けているからおかしい、ということ自体がおかしい。
また、「翻訳調で日本語として違和感」というのも、あんたには言われたくない。作家の池澤夏樹さんは、「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」という改正草案の前文について、「重要な地位を占めており」までは現状分析なのに、その後の「…貢献する」は意思の表明。この内容の異なる二つを一つの文章に押し込めるというのは、高校生程度の日本語作文能力がある者ならしない過ちだ、と、作家だけに厳しく批判しています。
同じく、「先の大戦による荒廃」と「幾多の大災害」をさらりと同列に置いていることについても、責任回避と糾弾しています。
だいたい、橋下という弁護士が「慰安婦が必要だったのは誰だってわかる」と発言して、世界中の顰蹙を買った後、六月に、国連の拷問禁止委員会では、アフリカ・モーリシャス共和国の代表に、日本の司法制度は自白に頼り過ぎ、中世のようだ、と言われたことに腹を立て、日本の人権人道大使が、「日本は世界一の人権先進国だ」と発言し、失笑を買うや、「なぜ笑うんだ。ドント・ラフ!シャラップ!」と叫んで、議場を凍りつかせたという有様で、どうして「国際社会において重要な地位を占めており」と自画自賛できるのかなあ?と呆れるばかり。
麻生副総理さんも、確か、「ナチスの手口、学んではどうか」とおっしゃって、世界中から非難されていますけど、政府も、あれは反語的な言いまわしだったのだ、と庇っているでしょう?「重要な地位を占めている」と思っているのは、大いなる勘違いですよね。
という次第で、三つの批判点のうち、意味があるのは、唯一、平和主義はユートピアだから害悪、ということだけです。
戦争を反省していない人、戦争という選択肢を捨てていない人には、そう見えるでしょう。でも、六六年前、国民は、戦争なんかしたら、国民は不幸になるだけだ、と身に染みて思ったのです。それを、ユートピアと一蹴するという姿勢には、謙虚さの欠片もない。平和主義が害悪というのは、自民党独自の見解ですわ。
二 東日本大震災を利用にするなんて!
先の前文のところでもそうですが、災害を、国防軍創設の呼び水に利用しようとしているところが、私は、心底、腹立たしい。
緊急事態の第九八条一項には、「地震等による大規模な災害」という文言を入れて、まるで、憲法に緊急事態の定めがなかったから、大震災後の対応が後手に回ったのだ、とでもいうように、政府の無能ぶりを憲法に責任転嫁している。
国防軍の第九条の二だってそうです。「我が国の平和と独立ならびに国の安全」で、次に、やっと「国民」の安全確保が、国防目的になるという序列。
国防軍で国民が守ってもらえると思ったら、大間違い。決して、国民防衛軍ではないのです。
三 「新しい人権」という擬餌
改憲草案には、法の下の平等に「障害の有無」を列挙するとか、「個人情報の不当取得の禁止」「環境保全の責務」「犯罪被害者等への配慮」など、新しい規定も盛り込まれているんですね。
これをざっと見渡せばわかるとおり、これらはいずれも、市民団体など権利意識の高い人達の運動が展開されている分野ですよ。こういう人達を、この餌で釣ろうという魂胆なんですね。
でも、考えてみてください。
憲法に人権として定められるには、歴史的に試されて、内容が明確であって、普遍性を持つものでなければならないのです。あれもこれも「人権」にしてしまうと、人権のインフレが起こって、一つ一つの人権の価値が下がる。人権の安売り状態になるわけです。だから、こういう目新しい、生成途中の権利を「人権」というのは、有害なだけ。
だいたい、憲法に規定がなくたって、政府にやる気さえあれば、どの権利も、今の法律レベルで十分に保障できるんですよ。それをやらないでいて、恰も「憲法に規定されてないからねえ、保障して差し上げられないんですよ」的な態度は、横着ですよ。
それに、仮に自民党憲法に規定してもらえたとしても、実は、全部に「公益及び公の秩序」という裃を着せられているわけだから、私、「高尾山にトンネルを掘らせない天狗裁判」の代理人でしたけど、安倍さんが国土は道路で覆われることが「公益および公の秩序」だと思ったら最後、簡単に、憲法の規定によって、いいですか、憲法によって、梅林は没収されてしまったわけです。裁判にもできない。
このとおり、新しい人権規定は、須らく騙しのテクニック。
全く国民をバカにしている。
私、バカに、バカにされるのは、何としても我慢がなりませんね!
滋賀支部 玉 木 昌 美
東近江市の常勤の嘱託職員であった永田稔美(六二歳)ら六名が平成二二年三月三一日に雇い止めされ、期待権の侵害を理由に、国家賠償法の不法行為に基づく損害賠償請求をした事件で、大津地方裁判所(長谷部幸弥裁判長)は、平成二五年四月一六日、原告の請求を棄却する判決を言い渡した。
永田さんらは、平成三年から平成一九年に旧八日市市や被告に非常勤嘱託職員として採用され、うち二名はのちに常勤嘱託職員となったが、平成二二年三月三一日に雇い止めとなるまで雇用の「更新」が繰り返された。永田さんらは、教育集会所(いわゆる隣保館)の指導員等の業務に従事していた。
毎年のように雇用の「更新」がなされ、たとえば、永田さんの場合、平成三年一〇月から平成二一年四月まで合計二〇回にも及んだ。ほかの五名も三回ないし一九回更新された。更新時期においては、働く意思の確認がされるだけであり、その意思を表明すると当然のごとく更新がなされた。その更新に際して、雇用期間が一年に限定されるという説明は一切なかった。平成一七年二月、旧八日市市が合併により、東近江市になったときに、「東近江市嘱託職員の任用に関する要綱」が配布された。その要綱には、任用期間六ヶ月、更新は一回、専門職は五年を限度として更新することができると記載されていたが、永田さんらが、これまでの実態に合わないことを指摘すると、東近江市の助役は、「隣保館があるかぎり、雇用は継続される。」と明言していた。
ところが、東近江市は、平成二二年一月一五日付文書により、「勤続年数五年を満了する者」「職制の改廃等により、平成二二年度嘱託職員の配置をしないとされた職場に勤務する者」には「雇用期間満了通知書」を交付するとし、それを実行した。
判決は、まず、原告らの任用根拠は地方公務員法一七条で(市はなぜか雇用時には地方公務員法二二条五号を主張)、公法上の任用関係であり、任用行為以外の事情や当事者の期待、認識によって、その内容が変わる余地はなく、多数回にわたり任用行為が繰り返されていても、任用関係が期間の定めのない雇用関係やこれに準じた法律関係に転嫁する余地はなく、任用期間が経過した時には、任用関係は当然に終了し、解雇権濫用の法理を適用ないし類推適用する余地はない、とした。そして、任用期間満了後も任用が継続されると期待することが無理からぬものとみられる行為をしたというような特別の事情がある場合には、損害賠償することができる余地があるという最高裁の判例を前提にしながら、その事情はないとした。任用が繰り返されたこと、簡易な意思確認であったこと等を認めながら、毎年の雇用通知書に一年である旨が明記され、原告らが承諾書を提出していたとして、遅くとも平成一九年四月意向の任用の在り方は任用の継続を期待することが無理からぬ事情があったとはいえないし、再雇用の意思確認の書類には、「希望により雇用を継続します。」のあとに「(職制の改廃等の場合を除く。)」とあり、任用がされない場合があることを認識し得た、助役の「隣保館があるかぎり」という説明を受けたという原告らの供述はたやすく信用することはできない、とした。そして、任用の継続を期待したとしても、法的保護に値するものとは認めるに足りないとした。
判決の基本的な立場は、原告らは地方公務員法一七条の任用関係にあり、期間の満了により終了する、そのことは雇入通知書に一年の契約期間が明示されていたので、更新を期待するほうがおかしい、とするものである。
更新を繰り返してきた実態をまるで無視し、形式論に終始した不当判決である。また、事実認定としても、書面の形式が整っていることを理由に期間の満了で終了するのは当然としているが、そもそも、任用行為を持ち出せば私法上の雇用契約とは異なって解雇権濫用の法理を簡単に否定できるというのも不合理極まりない。本件は地位確認までは求めず、一歩引いて期待権侵害による損害賠償を請求することにした事件である。判決は、一般論では、損害賠償が認められる「特別な事情」がある場合を論じながらも、形式論であっさりと切り捨てている。判決は、「平成一七年二月一日以降平成二二年三月までの間被告の職員として繰り返し認容されてきたこと(平成一七年合併で旧八日市市が消滅するまで、原告永田及び原告井上に関しては一〇年以上、・・・、その職員として繰り返し任用されてきた)」を認めながら、その事実の重みを無視した(尚、たとえば、原告永田は平成三年四月から実に一九年間の、原告井上は平成四年四月から実に一八年間の勤続であった。また、一年契約で切れることなど何ら説明しておらず、「隣保館があるかぎり」と任用を続けることを「確約し又は保障していた」事案であり、「特別な事情」を認めてしかるべき事案であった。
また、判決は、東近江市が永田さんらを排除するために、新たに採用する臨時職員には、運転免許とパソコンができることを条件にしたことについても合理性があるとした。また、永田さんらが通告を受けて、組合を結成して団交を繰り返したことから、その組合結成に参加した者は試験で落とし、参加を見合わせた者は合格させたという不当労働行為の主張についても、組合員の一名が任用されたことを理由に、被告が本件労働組合を嫌忌し、原告らを排除する意図をもって被告の職員として任用しなかったものと認めることはできない、とした。一名以外原告ら全員が切られていても、不当労働行為にはならないという判断は理解しがたい。被告側証人は反対尋問において追及され、原告永田が自動車運転免許を持っていないことを認識しながら、それを条件に加えたことを認めざるをえなかった。これらのことからすれば、裁判所の不当労働行為の捉え方が歪であることがわかる。
原告らは自治労連の援助を受けて一審を闘ったが、一審判決の判断の内容を見て愕然とし、弁護団が説得したものの、控訴して闘うことを断念した。
最長一九年間と二〇回も「更新」を繰り返して任用されていても、任用関係であるがゆえに、継続を期待することすら認めないとする許しがたい判決であった。
つまらぬ不当判決ゆえに報告する気力もなく、報告が遅れてしまった。かつては労働事件=勝つ事件であったが、最近は様変わりしており残念である。
福岡支部 永 尾 廣 久
久し振りに司法改革の前夜の暗黒面を生々しく思い起こし、読みすすめていくうちに、思わず背筋を伸ばしてしまいました。裁判所の内外の緊張感にあふれる動きがつぶさに再現されています。この本の最大の魅力は、弓削晃太郎として登場する矢口洪一・元最高裁長官にあります。
青法協(青年法律家協会)を目の敵にして血も涙もない司法反動の権化と思われていた(私も、もちろん、そう思っていました)矢口洪一元長官が、実は最晩年に、青法協裁判官部会の後身にあたる裁判官懇話会に出席して講話したのでした。この内容はあとで詳しく紹介するように、判例時報で掲載されました。
思想チェック
この本でははっきり書かれていませんが、私が司法修習生になったころ(四〇年前のことです)は、合格者の身辺を公安調査庁の調査官が聞き込みに動きました。前職のある人は、その勤め先、私のような学生上がりだと下宿先の大家さんをふくめて周辺を訊いて回るのです。狙いは、要するに思想チェックです。合格者は五〇〇人ほどでしたので、やろうと思えばやれたわけです。そして、その調査結果は司法研修所の裁判教官にそれとなく伝えられていたようです。司法修習生に任官をすすめるかどうかというとき、教官の心覚えに欠かせない資料となっていました。
この点は、私自身も体験したことです。任官志望など、考えてもいませんでしたから、差別されたなんて思いませんでしたが、ああ、ここまでやっているのかと思ったことがありました。私は、学生運動していたわけではありません(少なくとも、本人の認識では・・・)。ただ、セツルメントという学生サークルに所属していたというだけです。それでも、当時、有名だった三菱樹脂事件の高野さんが大学生協の活動家だったことで採用拒否されたのと重ねあわせて考えていました。
青法協の活動
この本では、そんな私より四期も先輩になる修習二二期生で裁判官になった人たちの人生が語られてスタートします。
青法協の活動が盛んでしたから、元気なモノ言う修習生があふれるようにいた時代です。二二期生だとクラスの過半数が青法協の会員だったと聞いています。私のとき(二六期)でも、クラスの三分の一は会員でした。ですから、活動はいつだって、おおっぴらにやっていました。クラス毎の新聞も日刊のように発行していました。まだガリ版印刷で、私もガリ切りしていました。セツルメント活動で日常的にやっていましたので、日刊のクラス通信なんて、軽いものです。司法修習の二年間、それなりの給料をもらって勉強だけしていればいいのですから、こんなに幸せな環境はありません。私が国選刑事弁護を今もいとわずにやっているのは、若いころに税金で勉強させてもらった恩返しと思っているからです。今のように貸与制だと、そうはいかないでしょうね。この点は、立法府(国会)に、ケチくさい、自分のことしか考えない議員が増えたことによる重大な誤りだと思います。
主人公の一人、裁判官なる村木は、憲法の精神を護るという使命感に燃えて修習生になってから、すぐに青法協に加入し、勉強会などに積極的に参加した。
私も青法協の活動には積極的に参加しました。富士山の裾野に自衛隊の演習場があります。忍野(おしの)村です。逆さ富士でも有名な絶景の地です。そこで、自衛隊が実弾演習するというのです。先日、富士山は世界遺産に登録されましたが、その裾野では、日米両軍が実弾射撃を今もしています。そんなキナ臭い場所に使うなんて、即刻、辞めてほしいと思いますが、マスコミはまるで問題としません。
青法協主催の勉強会といえば、四日市大気汚染公害判決が出たばかりでしたので、当時はまだ現職裁判官だった江田五月・元参議院議長を講師として招いて勉強したこともあります。
モノ言う裁判官
元気のいいモノ言う裁判官も多かったので、大阪地裁では裁判官会議が実質的な議論をしていて、いろんなことが裁決で決められていました。上意下達の場ではなかったのです。しかし、そこに弾圧の手が及んできます。それに反抗する裁判官は、人事異動で地方(支部)へはじき飛ばされてしまうのです。逆にいうと、支部に気骨のある裁判官がいるようになりました。
昭和四〇年(一九七一年)三月、宮本康昭裁判官(一三期)が再任を拒否され、二三期の阪口徳雄修習生が修習終了式を騒がしたとして罷免されました。いずれも石田和外長官のときのこと。自民党タカ派の言いなりに最高裁は動いていたのです。
明るく、自由闊達な裁判所の雰囲気が暗転しました。配達証明つきで退会届を青法協に送ってくる裁判官が続出したのでした。町田顕・最高裁元長官もその一人でした。
この本は、「小説・裁判官」となっていますので、主人公などは仮名ですが、もはや歴史上の人物は実名で登場しますので、その生々しさは言うことありません。
神奈川支部 岩 村 智 文
刑事弁護を担う弁護士にとって責任能力に係る事件は、その力量が試されるものだ。接見した被疑者・被告人の責任能力いかん、をまず検討し、判断しなければならない。検討・判断の素材となる文献はないか、相談できる精神科医はどこにいるか、といったことに悩み、苦しむ。それより何より、自らの精神障害に対する知識の少なさに愕然とする。これが現実。そうした悩み・苦しみの処方箋ともいうべき本が出た。西嶋勝彦団員を世話人とする東弁期成会明るい刑事弁護研究会編『責任能力を争う刑事弁護』(現代人文社)がそれだ。
本書の特色は、目次を見れば分かる。「第一部 責任能力を争う弁護活動」「第二部 医療観察法における付添人活動」「第三部 責任能力をめぐる議論」「第四部 判例紹介」の四部構成で、第四部で紹介されている判例の数は、じつに一二九件に及んでいる。至れり尽くせりで、三年余をかけた成果は十分に反映されている。本書は、初心弁護士からベテラン弁護士まで役に立つこと間違いない。
手慣れていると自負する弁護士は、第一部に収録されている中嶋直医師の講演「責任能力を争う弁護人へ」を読み、第三部に挑戦するとよい。中嶋医師には日弁連刑事法制委員会医療観察法部会もお世話になっているのだが、講演では、裁判員裁判で顕著に表れている「短く、分かりやすい」鑑定書の問題、それに応じているかのような精神鑑定の変化(不可知論から可知論へ、病因論から症状基準に)が的確に示されている。「分かりやすさというのは、不正確につながる」との指摘は大事で、これまで裁判員裁判で出てくる鑑定書の簡素さに当惑した弁護人の思いにつながっている。「精神症候というのは、複雑で矛盾に満ちたものだ」とは、まさにそのとおりで、分かりやすい鑑定書は、被鑑定者の人間像を歪めるものとなろう。『難解な法律概念と裁判員裁判』(司研報告書第六一輯第一号)の推奨するA4判五枚程度の鑑定書では、骨だけが示されていて、反対尋問は不可能となる。こうした鑑定書の流れを導いているのが「刑事責任能力に関する精神鑑定書作成の手引き」だ。そこでいう「鑑定の考察にあたっての七つの着眼点」について、「七項目を判断していくことによって思考回路が規定されて」しまいかねない、との中嶋医師の言は、各種マニュアルを好む弁護士にとっても、耳が痛い批判となっている。七項目批判を深く考察しているのが本書第三部だ。「個別症状に着目し、当該行為に直接関係する個別の精神症状の検討に重点が置かれる捜査的診断方法では検討が不十分となる危険性があり、行為者の行為に示された一定の症状だけでなく、行為者の全体的な把握(病態)を志向する伝統的診断方法を取り入れる必要がある」との指摘は、弁護人が鑑定書を批判的に読み、鑑定人尋問をするさいの指針となろう。
裁判員裁判対象事件では、起訴前に検察官申し立てによる本鑑定が行われ、新たな鑑定は行わない、といった取扱いがなされている。検察官の立場から依頼され、提供された資料に基づいてなされた鑑定書だけが公判廷に顕出され、手続が進められることは是認できない。弁護人は、複数鑑定を求めて努力すべきだが、その場合、鑑定の必要性を事細かに主張するよう求められる。起訴前本鑑定の問題点をえぐるには、協力医師を見出さなければならないし、見出したとしても時間制限のもと、アクリル板越しの面接を打破しなければならない。それだけではない。公訴事実、検察官証明予定事実との絡みで主張しなければ、説得力が出ない。そうなると予断排除の原則との関係で困難が生じかねない。複数鑑定実現は茨の道だ。
ともあれ、本書は「責任能力を争うべき全ての事件の弁護活動にこれから携わる弁護人の座右の書」(本書あとがき)となるもので、すべての団員事務所の書庫に少なくとも一冊は置いておくことを熱望する。
神奈川支部 中 野 直 樹
京都の山好き弁護士たちと
七月二八日、新潟駅の新幹線から羽越線への乗換え改札で、京都の村松いづみ、村井豊明、藤田正樹、浅野則明さんたちと落ち合い、山形県小国駅に向かった。山形は六月半ばに集中豪雨に襲われた。飯豊山荘行きのマイクロバスの窓外に、泥水で真っ茶色に濁ったダム湖、なぎ倒された岸辺の草木を眺めると豪雨と濁流のすごさが想像された。
京都のメンバーは、団五月集会や総会の全体会場で、山に登ってきたばかりという雰囲気を漂わせている面々である。このうちの村松さんが百番めの百名山として、飯豊連峰記念縦走を行うことが今回の目的だ。リーダーの村井さんは二巡目の百名山で七〇余りを登っているというし、浅野さんはあと二二峰、藤田さんはフルマラソンと山の二刀流という健脚そろいである。
気にかかる気象予報は雨。暮れゆく空はガスがとれて、青空に夕焼け雲が美しく映える。予報外れの期待を込めて飲む生ビールは旨く、一七杯でオーダーストップとなった。
急登にあえぎ、雨降る稜線へ
朝五時、出発。青空のもと、村松さんを頭に梶川尾根にとりつく。二〇二五mの北股岳を越えて梅花皮小屋までの標高差一六〇〇m、歩行予定九時間。いきなり胸つく急登で、両手で枝や根をつかみながら身体と八食の食料や水のつまった荷を持ち上げる。一〇分もたつと額に汗が吹き出してきた。
標高千mを過ぎるとブナの森となった。大きな雪渓を抱いた飯豊連峰の山肌と稜線が間近く迫ってきた。登山の感動を与えてくれる上場の天気もここで終焉。雲が空を覆い始め、雷鳴が一つ轟いた。七時四〇分、梅花皮滝と石転び沢の大雪渓を遠望した後に、雨がぽつりと顔に当たった。心を萎ませる一粒であった。
八時半、五郎清水の冷たい水に生き返り、元気をもらった。ザックに雨カバーをかけ、傘を差しての登りとなった。標高一七〇〇mの梶川峰から森林限界となり、残雪と這松の道となった。一〇時四五分、扇の地紙という分岐に着いた。ここから右(北)には、地神山、大石山、?差岳と峰が連なり、左(南)には、北股岳、烏帽子岳、飯豊山、大日岳と二千m級の山並みとなる。山名には難解なものが少なくない。飯豊自体、地元人か山好きでないと「イイデ」とよみがなをふれない。浅野さんが、「?差」は「エブリサシ」と読むのだと講釈していた。後に調べると「?」は、長い柄の先に横板を付けた鍬のような農具。
一一時二〇分、門内小屋に着いた。常に先頭で露払いをしてきた村松さんは、靴内に水がしみこんだとため息つきながら靴下をしぼっていた。ここで昼食をとり、雨具上下に身を包んでの稜線歩きが始まった。藤田さんの「展望がない」とはこのことだなとの言葉に実感をもった。
霧中の山歩きの慰めは色とりどりに咲き誇る高山植物との交流だ。白いハクサンシャクナゲやチングルマ、ピンクのイワカガミ、青のタカネマツムシソウ、黄のウサギキクなど可憐な花一つ一つ、山の斜面を黄色く染めるニッコウキスゲの群落に目を留める。満開のコバイケイソウの群れに、これほどの大群落は見たことないなーと言い合っているうちに梅花皮小屋に着いた。一時五〇分であるので七時間二五分の歩程であった。
梅花皮はかいらぎと読む。広辞苑を開くと、「梅花形の硬い粒状の凸起のある、アカエイに似た魚の背面中央部の皮のことで、刀の柄や鞘を包むのに用いられている」とある。こんな難解な古語が飯豊の山の一つに命名された由緒は依然不明である。梅花皮小屋は豊富な水場を近くにかかえ、建物も新しく快適である。他の客は男性一人のみで、私たちは二階を独占して、第一夜の宴を楽しんだ。
今日も飯豊は雨だった
五時起床。霧雨に落胆しながら六時四〇分出発。七時半過ぎの烏帽子岳頂上では激しい雨脚に叩かれた。深田久弥氏の「百名山」には「大きな残雪と豊かなお花畑、尾根は広々として高原を逍遥するように楽しく、小さな池が幾つも散在していて気持ちのいい幕営地に事欠かない。殊に感服したのは、その主脈の峰々がいずれも独立していて、まるで一城のあるじのように大きく見えたことである」とある。七月末だというのにまだ残雪が登山道の一部を覆っている。雨に打たれても凛としている百花の彩りを心に収め、シラネアオイ、ハクサンコザクラなどに声をあげ接写することくらいがエピソードで、黙々とうつぶいて歩む尾根道。私の両靴の中にも水が浸入してきた。これまで長雨にたたれた経験がなく、年季物の靴の防水機能を確かめようもなかったが、今回を限りに引退となった。
一二時三二分、飯豊山頂に立った。深い霧に包まれていたが雨が止んだスキに記念式典だ。村井さんが製作した「祝 村松いずみさん 日本百名山完登」横断幕を持って写真をとり、浅野さんの音頭で万歳三唱を響かせた。
頂上の下にある飯豊山神社に並んだ本山小屋に入泊した。管理人のTおじさんから五つの心得を諭されて、荷を解いた。着替えをして落ち着き、Tさんから百名山達成のお祝いとして先ほどまで千円だったところ八〇〇円にまけると言われて買った缶ビールで乾杯をした。
Tさんは会津の人だという。飯豊山をめぐって、江戸時代から越後、米沢、会津藩の領地争いが続いてきたそうで、廃藩置県後は新潟、山形の領地になりかけたが、登山道は会津が整備した財産であるという主張が通って、登山道とその周辺に限って福島県になっているということであった。地図をみると、確かに、福島県が飯豊山頂を含んだ稜線に細長く入り込んでいる異例の県境である。下山後に乗ったタクシーの運転手は、会津では男性は二〇歳になるまでに飯豊山に登るというしきたりがあると言っていた。飯豊山が会津の領地であるという意識を植え付ける教育であろうか。
長い下りの苦行
夜半風が騒いだ。四時起床、五時半出発。霧がはれ、朝陽に照らされた飯豊最高峰の大日岳も望めた。弥平四郎までの歩程予定八時間は雨ナシかと期待したが、一五分もたたないうちに霧に包まれた。
切合小屋という物騒な名の小屋がある。飯豊山塊で唯一食事のでる山小屋だそうだ。外のテーブルで長袖を脱いだ。すぐ出発し、いったん下ってまた登りにかかったときに、「オーイ」という声が届いた。振り返ると切合小屋の方に、人がたって私たちに呼びかけをしている。何か忘れものをしたかとそれぞれ点検したが、思い当たるものはない。それでも呼びかけがあるので、浅野さんが荷を置いて戻った。浅野さんが呼びかけ人に近づいたときに、村井さんがアッという声を上げた。貴重品が詰まっているウエストポーチを置き忘れたのだ。切合小屋の管理人に手を振って感謝した。
信仰登山の名残である草履塚、岩場御秘所などのポイントをたどりながら、八時半、三国小屋で小休止した。私の右足首は、水を含んで膨らんだ山靴に圧迫され、激痛が走るようになった。疣岩山(いぼいわやま)で雨が降り始め、傘を広げての歩行となった。標高一四〇〇mからブナの巨木の尾根となった。尾根の分岐上ノ越からの下りは、じめじめした道で、毒々しい色のキノコが次々登場した。みんな登山道に張った木の根に足を滑らせて転倒することが多くなった。汗だくで車道に出て、ビールだといって駆けだした藤田・浅野さんに追随する元気もなく、かんかん照りのなか濡れた傘を日傘にしながら、さらに一時間歩き、一三時一〇分、弥平四郎バス停に安着した。
労 働 問 題 委 員 会
一 労働法制中央連絡会、自由法曹団、全労連編、ブックレット「安倍『雇用改革』を切る!」サブタイトル「憲法をいかし、働くルールの確立を」が、二〇一三年八月三〇日、学習の友社から出版されました。全六四頁で、定価は消費税五%込みで六〇〇円です。安倍首相の提唱する「雇用改革」の全体像が分かる好著です。
二 もくじは、「はじめに 大企業が活動しやすい国か、それとも人間(ひと)が幸せな国か」で始まります。安倍政権は「世界で一番企業が活動しやすい国」をめざしています。
三 章は四つあります。「第一章 安倍「雇用改革」の正体―そのねらいと全体像」では、グラフや図表を用いながら、他国と日本の雇用政策を比較しています。それだけではなく、一九九五年から始まる労働法制の規制緩和をめぐる動きも年表の形で掲載しています。引用も豊富で、名の知れた人物の語録が面白いです。
四 「第二章 閣議決定された安倍「雇用改革」の全貌」では、二〇一三年六月一四日に安倍内閣が閣議決定した、四つの規制改革((1)「限定正社員」の雇用ルールの整備、(2)企画業務型裁量労働制やフレックスタイム制等労働時間法制の見直し、(3)有料職業紹介事業の規制改革、(4)労働者派遣制度の見直し)が、どのように働くルールを破壊するかを明らかにしています。
五 「第三章 引き続きねらわれている安倍「雇用改革」の内容」では、上記四つの規制改革に続く、三つの雇用改革((1)解雇の金銭解決制度、(2)ホワイトカラー・エグゼンプション、(3)労働条件切下げを容易にする就業規則の変更ルールの導入)が、どのように働くルールを破壊するかを明らかにしています。
六 「第四章 安倍「雇用改革」を許さずいまこそディーセントワークの実現を!」では、労働法制の規制緩和の弊害について述べています。加えて、国際的な視野で、ディーセントワークについて述べています。
七 最後から二頁目には、二〇一三年六月一四日に安倍内閣が閣議決定した、四つの規制改革の実施計画の一覧が掲載されています。これを見るといずれの規制改革も平成二五年度に検討が開始されることから、安倍「雇用改革」の魔の手がすぐそこまで伸びて来ていることが分かります。
八 このように、このブックレットは最新の情報や切迫したタイムスケジュールを伝えるだけでなく、約二〇年に及ぶ労働法制の規制緩和をめぐる動きや、国際的に見た日本の雇用状況にも言及していますので、六四頁の厚さに比して、驚くべき時間的・場所的広がりを持っています。しかも、分かりやすいです。ロングセラーも期待出来ますが、まずはベストセラーを目指したいです。
九 今、本団通信掲載の自由法曹団専用取扱注文票(次頁参照)を団にFAXし注文すると、割引価格が適用されます。一〇冊以上で送料が無料となります。二〇冊から四九冊までが定価の一割引、五〇冊以上で定価の二割引となります。ブックレットと請求書は学習の友社より届きます。
一〇 各支部(県)、法律事務所でまとめて購入することもご検討ください。まわりの労働組合等にもまとめて購入することを訴えてください。そして、ブックレットの購入と合わせて学習会を呼びかけ、安倍「雇用改革」の正体を伝えましょう。全国各地からの注文をお待ちしています。