<<目次へ 団通信1468号(10月21日)
種田 和敏 | 自衛隊をレッツ・ウォッチ! |
柿沼 真利 | 「原発をなくす全国連絡会・対政府交渉」への参加 |
松村 文夫 | 安曇野でトラック・タクシー運転手 原職復帰・勝訴判決 |
本田 伊孝 | 一一月三日 新宿東ロアルタ前広場 「しゃべる おどる うたう! ハッピーバースデー憲法」賛同、カンパのお願い |
野口 景子 | 給費制復活を求める団体署名にご協力ください! |
中川 勝之 | 道州制リーフレット「県がなくなる日」堂々販売開始♪ |
中野 直樹 | 初秋の岩手路―岩魚づくしの宿 |
東京支部 種 田 和 敏
一 国防軍に向けた地ならし
二〇一二年暮れの衆議院議員選挙、二〇一三年夏の参議院議員選挙で、自民党が大勝し、改憲を目指す安倍政権の存在感が増してきています。改憲の危機感がここまで現実的となったのはこれまでになかったと思います。自民党の改憲草案では、憲法九条は改正され、自衛隊は国防軍となることが明記されています。
自衛隊は、東日本大震災での活躍を追い風にして、国防軍へと変貌を遂げるべく、これまでにない新たな動きをみせています。本稿では、国防軍への不穏な動きを加速させる自衛隊と、それに対抗する市民的な動きの一例をご紹介させていただきたいと思います。
二 二〇一二年のレンジャー市街地武装行軍訓練
二〇一二年六月一二日、陸上自衛隊の練馬駐屯地に所在するレンジャー教育隊は、レンジャー教育訓練を受けている隊員約二〇名をして、練馬・板橋の市街地約七キロを白昼堂々、顔に迷彩ペイントを施し、迷彩服を着用し、小銃・銃剣を携行して、まさに行軍する訓練を実施しました。練馬・板橋に居住する住民有志は、この訓練を知るやいなや、直ちに反対行動を行い、行軍ルート付近の駅頭宣伝や、区役所や自衛隊に対して要請行動を行いました。
そもそも、レンジャーという称号をもった隊員は、有事の際には、命令をもって集められ、敵地に少数で急襲し、敵に大きなダメージを与えるために組織されることになります。つまり、専守防衛を旨とする自衛隊において、先制攻撃や積極的攻撃行為を行う、まさに憲法九条違反のおそれが部隊です。このようなレンジャーの称号を得るためには、練馬駐屯地に所属する隊員は、富士演習場を中心とした三か月間に及ぶ過酷な養成訓練を受けることが必要となります。今回の市街地訓練は、この養成訓練の最終課程で行われるものです。
東京二三区内で武器を携行した市街地訓練は、実に四二年ぶりのことです。自衛隊は、なぜ市街地訓練を四二年ぶりに行うかについて、「隊員にアスファルトに慣れさせるため」と説明しました。しかし、隊員は普段アスファルトの上で生活をしていますし、駐屯地内はほとんどがアスファルトで覆われています。加えて、レンジャー養成訓練のほとんどが行われている富士演習場には、二〇〇六年に二五億円をかけて、市街地訓練場があることも言及に値します。もちろん、隊員にアスファルトに慣れさせるという訓練目的は不合理であることは明らかです。真の目的は、国防軍への布石として、自衛隊を市民の目に慣れさせ、国民に溶け込むことだったと私は考えています。
特筆すべき取り組みとしては、この訓練に対して、東京地方裁判所に訓練禁止の仮処分が申立てられたことです。私は、この仮処分の申立てに関して、弁護士として関わりました。仮処分の結果は却下(負け)でしたが、仮処分を申し立てたこともあり、各種マスコミに取り上げられ、行軍ルートの変更、ヘリ着陸の阻止、安全誘導員の増員などの成果を得ることができました。訓練の反対運動において、裁判手続きが利用されたことは始めただと思います。今回は短い時間でしたが、一定の成果が得られたので、私も法律家として、これからも積極的に関わっていきたいと思っています。
三 二〇一二年の二三区展開訓練
二〇一二年七月一六日夜、練馬駐屯地を起点に三〇〇人の隊員が二三区の全区役所や大規模公園などに徒歩により展開し、区役所に宿泊する訓練を実施しました。これは、史上初の訓練でした。名目は首都直下型地震を想定した訓練ということでしたが、区役所や消防、警察との連携が一切なく、自衛隊単独で行ったことは特異でした。
自衛隊法には、自衛隊が災害出動する場合が明記されています。災害対処は、あくまでも自治体が主体となって、責任を持つものです。自衛隊は、あくまでも自治体が退所できない場合に、首長の要請に基づいて補充的に出動をするのみです。この点からすると、自衛隊が単独で災害対処することがない以上、自衛隊が単独訓練をする理由はありません。名目は災害対処でも、本来は軍事的な目的があったと考えざるを得ません。
この訓練に対しても、各区で反対運動が行われ、複数の区で宿泊を拒否するなどの成果がありました。東日本大震災での自衛隊の活躍がマスコミにクローズアップされたこともあり、防災と自衛隊という奥の深い問題にも対処する必要があると感じました。
四 自衛隊をウォッチする市民の会の設立
以上の動きを受けて、二〇一二年一〇月一〇日、レンジャー市街地武装行軍訓練と二三区展開訓練の反対運動に関わった有志を中心に、自衛隊をウォッチする市民の会(略称、ウォッチの会)が設立されました。
ウォッチの会は、二〜三か月を目途に講演会を開催したり、練馬駐屯地や朝霞駐屯地での自衛隊の活動をウォッチ(監視)したり、自衛隊や防衛省に対し交渉行動を行っています。
五 元防衛大臣らを銃刀法違反で刑事告発
ウォッチの会は、二〇一三年四月一〇日、練馬駐屯地の創立記念行事(練馬駐屯地祭)などにおいて、市民(子どもを含む。)に小銃などの武器の操作方法を説明し、手に取らせたり、構えさせたりしていたことについて、銃刀法に違反するとして、元防衛大臣ら自衛隊幹部を刑事告発しました。
上記刑事告発は、各種マスコミに大々的に報道され、大きな反響がありました。自衛隊も、刑事告発の翌日である四月一一日に、陸上幕僚長が定例記者会見の中で、これから捜査が始まるので、捜査結果が出るまでは市民に銃を触らせることはしないと発表しました。四月一四日に予定されていた練馬駐屯地祭での武器操作体験も中止され、武器を展示するにとどまりました。
この刑事告発は、武器操作体験を中止に追い込むという大きな成果をおさめ、全国の自衛隊基地に波及し、現在に至るまで自衛隊が一般市民に銃を触らせることはなくななりました。私は、この成果を全国に広めていきたいと思います。
なお、武器操作体験とともに、練馬駐屯地祭では、子どもを対象にレンジャー訓練体験を行っており、これに対しても、ウォッチの会は、ジュネーブ諸条約や子どもの権利条約に違反するとして、中止を求めましたが、今回は強行されています。ウォッチの会では、この問題を今後も追及していきたいと考えています。
六 運動の拡がり
レンジャー市街地武装行軍訓練が二〇一二年六月に実施された直後、陸上幕僚長は、今後も継続する旨を発表しました。しかし、四二年ぶりに行われた愚行に対し、しっかりと反対の声を挙げた結果、今年(二〇一三年)の市街地訓練は行われませんでした。自衛隊は、レンジャー訓練を市街地で行わなかった理由について、「他に優先することがあった。」と説明しました。しかし、今年の実施を回避せざるを得なかったのは、私たちの運動の力だと思います。
また、二三区展開訓練も今年は行われない見込みです。
さらに、銃刀法違反の刑事告発に勇気を得た神奈川県の平和団体が、今年八月に行われた米軍横須賀基地でのイベントにおいて、米軍が日本人の子どもや一般市民に銃を触らせた件を抗議しました。抗議は、各種マスコミに大々的に報道され、米軍幹部が横須賀市役所に事実上謝罪する事態に発展しました。自衛隊での成果が米軍に波及して、質的な拡がりが得られたことは、大いに喜ばしいことでした。
七 憲法を武器にした闘いを!
以上で紹介したとおり、国防軍を目指し勇み足をする自衛隊と憲法九条を武器に対抗する市民の闘いが本格化しています。今後、あらゆる場面で自衛隊が不穏な動きを活発化すると予想されます。
私たちは、市民・住民の立場から、子どもや平和を守るために、憲法を武器にレジスタンス運動をいかなければなりません。
ぜひ、皆さん、一緒に自衛隊をウォッチ活動をしましょう。詳しくは、自衛隊をウォッチする市民の会のホームページ(http://competo.vis.ne.jp/rsj/)まで。
東京支部 柿 沼 真 利
二〇一三(平成二五)年一〇月四日(金)
二〇一三(平成二五)年一〇月四日(金)、一三時三〇分より、衆議院第二議員会館第五会議室にて、「原発をなくす全国連絡会」による対政府交渉が行われ、私も参加してきましたので、報告いたします。
同交渉は、「なくす会」の参加団体である、全労連、民医連、新婦人、農民連、日本科学者会議、そして、自由法曹団から、参加者を募り、現在問題となっている多様な原発問題について、政府各省庁に直接要求、質問などをぶつけ、交渉を行うというものです。今回、省庁側は、原子力規制庁、環境省、経済産業省、資源エネルギー庁、文部科学省の職員の方々が見えられました。特に、「独立性の維持」の観点から、このような要請行動に対し基本的に消極的な原子力規制庁が参加してきたのには、驚きました。
時間的には、二時間半という長丁場でしたが、「なくす会」と各省庁側との間で、活発な議論が行われました。
印象に残った話をかいつまむと・・・
(1)原発再稼働問題と規制庁について
【原子力規制庁】
現在問題になっている各地の原発の再稼働について、規制委員会の役割は、電力会社からの再稼働申請に対し、本年六月に策定された、新規制基準に適合するかを、科学的な見地から、粛々と審査するということ。実際に再稼働をするか否かを、政策的事情を含め判断することは規制委の役割ではない。
←【なくす会】
「新規制基準への適合性審査」を言うが、その基準自体は、現在、問題となっている深刻な放射能汚染水漏れ対策を想定したものになっているのか?
仮になっていないとすれば、現在発生している事態を前提に、基準を見直し、これを前提として審査しなければ、今回の事故を前提とした十分な安全対策にはならないのではないか?
(2)原発輸出について
【経済産業省・資源エネルギー庁】
原発輸出については、今回の東京電力福島第一原発の事故による教訓・体験を共有するという観点がある。
←【なくす会】
そもそも、福島第一原発事故の原因にも未解明な部分があり、十分な事故防止策、事故対策が作られていない状況なのではないか?このような状況での原発輸出は行うべきではないのではないか?
(3)原発「新規」増設と損害賠償法制(特に原子炉メーカー責任について)
【経済産業省・資源エネルギー庁】
原発の「新規」増設については、今後のエネルギー需要、これに対する安定的な供給などのエネルギー政策の観点から、安全性への配慮を行いつつ、総合的に議論・検討していくことになる。
←【なくす会】
原発の「新規」増設なども視野に入れるのなら、いわゆる「原発の安全神話」が崩壊した今、今後の原発事故発生の危険性を想定し、損害賠償法制の整備が必要になろう。現行の原子力損害賠償法上、原子炉メーカーの法的責任は免除されてしまっている(原子力損害賠償法第四条)。しかし、これらメーカーは、原子炉設置後もメンテナンスなどを通じて、原発の運用に携わっているとされ、その管理の一翼を担っているとも言える。そして、一方で、メーカーは、これによって「対価」を受けているとされる。このようなメーカーの責任が、そのメーカーに落ち度があったような場合であっても、法律上一律免除されてしまっているのには、原発事故の被害者救済の観点から問題があるといわざるをえない。メーカーの法的責任について今後論じる必要があり、これを行わずに、原発推進政策を進めるなどあり得ないと思う。
と、こんな感じでした。
他にも、汚染水問題対策、過酷事故発生時の防災対策、事故損害賠償に関し時効期間延長など、多様な問題点について、交渉が行われました。
全体として、各省庁の答弁は、「いかにも」な「お役人答弁」で、用意してきたものを淡々と述べるだけで、余計な言質を取られないように、という感じのものでした。まあ、予想はしていましたが・・・
今後も、「なくす会」は、定期的にこのような要請行動を行っていくようなので、今後も参加していきたいです。
長野県支部 松 村 文 夫
一 安曇野でトラック運転手とタクシー運転手が解雇された事件で、このほど長野地裁松本支部において、それぞれ解雇無効の判決と原職復帰の和解をかち取ることができました。
両事件は、大変共通性があり、低賃金・長時間労働を是正させるべく、労基署等に問い合わせし、仲間を集めて労働組合を結成し書記長となって、団交で改善させてきたのに、それぞれ「酒気帯び運転」と「果物ナイフ所持」を口実に解雇されたものです。
二 勝訴判決(九月二五日)・勝利和解(八月二一日)をかち取るのには、両訴訟において工夫しました。
両事件ともに、些細なことを口実にした、解雇権濫用で勝てそうでしたが、やはり、各職場における劣悪な労働条件とこれに対する団交等の取り組みを膨大な書証で徹底的に論証しました。これが勝利につながったと考えます。
三 トラック運転手の場合は、雇主ブルーラインが信州名鉄流通の下請会社であるところ、平成二二年六月「酒気帯び運転」を口実に信名流通から出入を禁止されたので、従事してもらう運転業務がないことを解雇理由とされました。しかし「酒気帯び運転」と言っても、〇・一一四ミリグラムで、運転前検知で発覚したというものに過ぎません。
判決では「酒気帯び」について業務運営を妨げたことにはならないとし、さらに信名流通からの出入禁止については、解雇の相当性を判断する際の一事情として考慮されるにすぎない(あくまでも当該非違行為の内容から相当性を判断すべきである)と判示し、重視しませんでした。
なお、本件は証人尋問後になって一〇か月も遡った定年による終了が主張されましたが、判決では、高年法に基いて、会社の就業規則の不備を会社の責任とし、定年後の雇用継続の慣行も認定して、定年後についても従業員の地位を認めました。
四 タクシー運転手の場合は、平成二三年一月運転台前の小物入れにリンゴの皮をむくために置いたナイフを置き忘れたことを口実に解雇されたものですが、権利濫用とともに不当労働行為を主張し、これを裏付けるために膨大な書証とともに、これを解説するぶ厚い陳述書・準備書面を提出しました。
これによって、証人尋問を前にして裁判官が和解に乗り出し、原職復帰の和解をかち取れました。
五 弁護団は、木嶋日出夫団員が、若手の佐藤義彦団員を主任にし、地元の中島嘉尚・上條剛弁護士を引っ張り込み、そして私を「団長でよい」として引きずり込んだものです。よく討議をし、分担をきちっと遂行した成果が実ったものです。
東京支部 本 田 伊 孝
新宿区内の法律事務所に所属する弁護士らが呼びかけ人となって、一一月三日、文化の日に「新宿東口アルタ前」広場で、日本国憲法公布六七年を祝う企画を実施します。
「新宿東口アルタ前」と言えば、都内で屈指の待ち合わせ場所です。
実行委員会の“狙い”は、道行く人たちに「何かステージで楽しそうなイベントをやっているな」と関心をもってもらい、日本国憲法の誕生を一緒に祝ってもらうことにあります(一九四六年一一月三日、日本国憲法公布)。
多くの人に関心をもってもらう“場”作りのために、あえて講演会スタイルではなく、駅前広場で実施することにしました。
当日、難しい憲法の話をするのではなく、ステージの上で、出演者(プロアマ問わず)には自由な表現をしてもらいます。歌、ダンス、コントなど…いわばお祭りです。道行く人たちが広場のステージに足を止め、ステージ企画や周りで配るチラシ・グッズを通して憲法を知ってもらう、そんな機会になればと思っています。
憲法改悪が進められようとしている今だからこそ、憲法の価値を改めて少しでも多くの人と共有する空間をつくろうと思います。
是非、運営費として経済的ご支援(カンパ)のご協力をお願い申し上げます。
【カンパ振込先口座】
ゆうちょ銀行からの振込み:
ゆうちょ銀行 〇〇一四〇-四-八七四五五 東京法律事務所
銀行からの振込み:
ゆうちょ銀行 〇一九支店当座預金 〇〇八七四五五 東京 法律事務所
【連絡先】
弁護士今泉義竜(東京法律事務所)
電話〇三-三三五五-一六一一 FAX〇三-三三五七-五七四二
東京支部 野 口 景 子
二〇一三年春、法曹養成制度に関するパブリックコメント(意見公募)が行われました。そこでは修習生に対する経済的支援について二四一二通にも及ぶ意見が寄せられ、実にその九割以上が「給費制復活」を支持するものでした。
このパブリックコメントの際には全国の団員の皆さまにもご協力いただき、ありがとうございました。
しかし、六月、法曹養成制度検討会議は、給費制問題については「貸与制を前提に」いくつかの経済的措置をとるという方針を示すに留まり、上部機関である法曹養成制度閣僚会議もこれを踏襲しました。こうした態度は、パブリックコメントで弁護士や法曹志願者のみならず、市民からも多数寄せられた「給費制を復活すべし」との声を無視するものと言わざるをえません。
その後、政府は「法曹養成制度の改革を総合的かつ強力に実行する」として、新たに法曹養成制度改革推進会議を立ち上げました。しかし、新たな体制の下で給費制問題について実質的な議論・対応がなされるのかは不透明な状況です。
こうした中で国民の声を今一度、政治の場に届けようと、日弁連、市民連絡会、ビギナーズ・ネットが呼びかけ団体となり、給費制復活を求める団体署名を行うこととなりました。十月上旬の段階では実施方法の詳細は未確定ですが、今後、日弁連から単位会へ協力要請が行われる予定です。
もちろん、各地に支部をおく全国規模の団体には協力をお願いする予定です。しかし、同時に、地域に根ざして活動をしている全国各地の諸団体にも是非ご協力いただきたいと考えています。日頃より多くの市民団体と共に活動している全国の団員の皆さまのネットワークが頼りです。是非、給費制復活を求める団体署名の呼び掛けにご協力ください!
詳細が判明しましたら、再度、団通信やFAX、メーリングリストなどでお知らせいたしますので、何卒よろしくお願いいたします。
東京支部 中 川 勝 之
消費税増税、社会保障切り捨て・軍事費拡大、雇用破壊等、国民生活を徹底に痛めつつ金を吸い上げ、多国籍大企業にこれでもかと奉仕する安倍政権。究極の構造改革である道州制については、経団連が着々と準備を進めており、やりたい放題の安倍政権が「道州制基本法」を提出して道州制に具体的に着手する日も遠くはないというべきです。
既に地域主権「改革」により、地方では様々な分野で国の最低基準を下回る基準が導入されており、公共サービスの後退が始まっています。
道州制は、地方の公共サービスを切り捨てて東京等一部大都市の再開発を推進し、住民の生活を破壊するものです。人的・財政的裏付けのない自治体による公共サービスはありえません。「国から地方へ」「官から民へ」の内実は国の生存権保障の放棄です。住民の声も広くなった道州の中では抹殺されかねませんし、そもそも外交・軍事、資源エネルギー問題は国の専管事項とされます。
道州制の中で生じうる国民生活への悪影響、例えば、病院廃止、道路崩落、公務員分限免職、保育園民営化、市町村合併等は現在でも既に生じているものです。そうした悪影響を全国の地方へ広げ、多国籍大企業への奉仕を拡大していくというのが道州制です。
構造改革PTは道州制の本質を指摘しつつ、その国民生活への悪影響を具体的にかつ分かりやすく明らかにしたリーフレット「県がなくなる日」を製作・発行しました。医療、介護、保育、雇用、環境等、個別の問題について取り組みをしている諸団体の中でも、「道州制」という視点から構造改革に真正面から闘っている団体は少ないと思われます。リーフレットは、道州制推進のイデオロギー攻撃を打ち砕く手軽な(最強の、とまでは言いませんが)武器です。
デザインは団らしからぬという印象を受けるのではないでしょうか(同じ東京支部の舩尾遼団員の功績が大です)。是非とも大量に購入して大いに活用していただければ幸いです。
(小見出し紹介)
・病院がなくなって、助かる命も助からない!?
・橋、道路、トンネルが危ない!
・不安定雇用の公務員の増大!
・自主基準ですしづめの老人ホーム!?
・子供の成長を妨げる!?
・市町村合併がさらに!
・オスプレイ反対の声が封じられる!?
■定価 一部七円(税込み)、申込は一〇〇部単位でお願いします。
ただし、一〇〇〇部以上のまとめ買いの場合は一部五円(税込み、団員以外でも割引適用)。
■送料別
■申し込みは団本部まで FAXで(〇三―三八一四―二六二三)
神奈川支部 中 野 直 樹
遠くから客人来る
九月は岩魚釣りの納めの月である。釣師は一年の終わりに心をせかされて渓に出かける。今年の九月中旬の土曜の夕刻、花巻インターをおり、大迫のリンゴ畑を見ながら、茅葺き屋根の古民家に着いた。熊谷ナンバーの車が止まっていた。「岩魚庵」と刻印された表札の下の玄関扉を開けると、囲炉裏端に串さされた岩魚が香ばしい匂いをただよわせ、夕餉が始まっていた。主の岡村親宜弁護士から紹介された先客は、根がかりクラブと称する釣り師グループの三代目会長とその妻、知人ら五名である。気仙沼から津波被災地を周り、手を合わせてきたとのこと、翌朝は白神山地に足をのばすとのことであった。磨き上げられ黒光る床板に腰を下ろし、岡村さんの男手料理に箸をのばした。今夜の献立の主は、トビウオの刺身だった。両羽と胴体が十文字となっている姿造りに皆感嘆の声をあげた。女性の一人が熊谷の会計事務所で働き、南雲芳夫弁護士と懇意だという。私は、南雲さんとは大学・司法試験受験時代、大阪での実務修習を共にし、時折山行を共にし、現在は首都圏建設アスベスト訴訟、生業返せ・地域を返せ福島原発訴訟で週に一度は顔を合わせている、そんな自己紹介をした。
電話があり、予約なしの客が来るという。間なしに現れたのは四五年にわたりえん罪救援救に取組み、救援美術展の責任者を担ってきた五味洋三さんだった。五味さんは絵筆と竿をもって時折、東北をふらり旅しているそうだ。
口達者な新弟子誕生
八時を過ぎてから、スーツ姿の尾林芳匡弁護士が到着した。山形市で国公労連の学習会の講演をしてきたという。釣りバカ日誌の浜ちゃん風に、突然スーツから釣師姿に変身の劇場的登場だった。岡村さんの話では、昨年、遊びとは無縁だった尾林さんが岩魚を釣りたいとやってきて、二回ほど沢に連れていったとのこと。岡村さんの語りでは、餌の川虫は岡村さんが採取し、仕掛けを竿に取り付けることも岡村さんが行い、川虫を鉤に差すことも岡村さんが行い、ここでようやく尾林さんが餌がついた竿を手にして岡村さんが指定したポイントに餌を投じ、反応した岩魚が懸命に餌を食ったところいつまでも合わせがないので喉奥まで鉤が刺さり、岡村さんが人差し指を岩魚の胃袋までつっこんで鋭利な歯に擦り傷をつくりながら鉤をはずしたとのこと。この岩魚は誰に釣られたというのかいささか疑問があるが、岩魚との出会いに感動した尾林さんは、俄然、自前の竿、渓流用バカ長、魚籠、手網の四つ道具を揃えて、岡村さんの弟子入り志願をした。岡村さんは無二の釣友だった大森鋼三郎さんを喪って以来、その代替を宣言したはずの中野が公約違反をして岩魚庵通いをしないことに失望していたところに、尾林さんが世話の焼ける後継者を名乗り出た。
岡村さんが炊きこんだ岩魚飯を食べながら、深酒の夜が更けていった。
温泉街道の渓
翌朝五時半頃から、岡村さんは台所に立ち、九人分の朝食と四人分の弁当を用意する。心からごちそう様である。今日は、尾林さんと岡村さんが二人で一つの沢に、中野が単独で岡村さん推奨の渓に入ることになった。
花巻南温泉に向かう道は、東北山地の山並みを背景に、黄金色となった稲田、淡い緑にひかえめな白花が染めるソバ畑のコントラストが見事で、車を降りてカメラのシャッターを押した。
八時半車止めに着いた。先行車はなく、今日一日この初めての沢を堪能できることに胸をときめかせながら、釣り支度をした。沢の両岸辺の草木は、おそらく一週間前に到来した台風時の増水によりなぎ倒されている。今は平瀬を足首ほどの深さで清らかな水が流れているが、一メートルほどのかさ高になったようだ。三つ目の堰堤から上で竿を取り出せという岡村情報に忠実に、誘惑的なポイントを素通りして約四〇分遡行した。二日酔いが残るけだるい足を励ましながらようやく三つ目の堰堤に着いた。
湯を沸かしてコーヒーをいれた。深い谷底だが、明るい広葉樹林の斜面がのび青空に吸い込まれている。岸辺には群生したミズ(ウワバミソウ)の茶色い実が大きく成長している。湯通しをしたり、炒めたりして食すると、ヌルッとした食感が珍味である。時折、この実を摘みながらの釣りとなった。
この時期の岩魚は、落ち込みから流れ出る瀬尻を泳ぎながら餌を待つ。極力流れに入らないように、気取られないように慎重にアプローチをして、この瀬尻に餌を投ずると、スッと岩魚の影が走り、コツコツと竿に捕食の当たりが伝わってくる。エイっと合わせると水面がはじけて岩魚が躍り出てきた。黄色い腹は卵がつまって膨らんでいた。左岸に苔むした岩がせり出し、その下が緑色深い溜まりとなり、右岸から白濁した流れが注いでいた。投ずると岩魚の強い引きがあった。呼吸を合わせて真上に引き抜こうしたところ、空しく竿先が跳ねた。早合わせ、下手くそと我が腕を叱ったところ、岩魚の鋭い歯でハリスが切られていたのだった。岩魚が水面に出ていないのでもう一度くると考え、仕掛けをつけかえて再投したところ、すぐ反応。駆け引きを楽しみ、今度は少し斜め方向に引き抜き、右岸の草むらに落とした。二七センチ、この日の頭で、一当投めの切れた鉤が喉奥に刺さっていた。
谷は長いざら瀬となった。黄色く彩り始めた木々に陽光が注ぎ、秋の気配にひたっていると、突然背後の水面がぴしゃっと鳴った。ぎくりとしておずおずと振り返ったところ、周囲にはたくさんの栃の実が落ちていた。平瀬の数少ないポイントごとに岩魚が魚籠に収まり、推奨者の岡村さんに感謝した。
孫太郎虫に手こずって
二時にほぼ源流の最奥まで詰めて納竿。ナイフを取り出し、魚籠いっぱいになった岩魚の腹裂きと内蔵の取り出しをした。二五尾いた。卵と白子が半々くらいだった。二時半、登山用のストック二本を取りだして、下り始めた。杣道をたどったり、川中に入ったり、草や倒木に覆われた斜面を歩いたりなど、蹴躓いたり、滑ったり、足を取られたりなど転倒の危険に満ちた下りであるが、ストックを使うようになってから転ぶことがなくなった。四〇分で第三堰堤まで戻り、さらに車まで三〇分要した。
渡温泉で汗を流したあと、岩魚庵に戻るとすでに岡村・尾林さんが戻っていた。互いの釣果を確認し合った。尾林・岡村さんが入った渓は、増水で流されたのか岩魚の好餌鬼チョロ(蜻蛉の幼虫)が捕獲できなかったとのこと。岡村さんは「餌は現地調達」の哲学を貫き、尾林さんが持参していた市販のブドウ虫は封印された。虫取りで手網に入るのはもっぱら孫太郎虫。名前は愛嬌があるが、鋭いハサミ牙をもち、体躯が硬いゴム状の皮膚で覆われた五センチくらいのヘビトンボの幼虫だ。生薬でもあるが、岩魚もこのグロテスクな生物には食欲がわかないようだ。それでも尾林さんは、指先を噛まれながら鉤に付け、四尾を釣り上げ、自分で鉤はずしもできた成長ぶりを誇らしげに語っていた。岡村さんは、いつもしかめ面の尾林さんが、岩魚を釣り上げた瞬間、満面の笑顔に変わる様を、これまた満面の笑みを浮かべながら描写していた。