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<<目次へ 団通信1485号(4月11日)


上野 正紀 *和歌山支部特集*
玉野裁判の事
森崎 有治 アラブ世界のお話し
飯田 美弥子 「歴女」の自民党改憲案批判
坂井 興一 どう迫る、戦争被害と加害。「法廷で裁かれる日本の戦争責任」刊行に触発されて
杉本  朗 ほんの紹介・人権は国境を越えて(伊藤和子著)
大久保 賢一 二〇二〇年東京オリンピックは、人類が「核」と決別する時である。
―スティーブン・リーパー「日本が世界を救う」を読む―
近藤 ちとせ 食の安全からTPPを考える
〜「モンサントの不自然なたべもの」上映会の報告〜
緒方  蘭 給費制廃止違憲訴訟のご報告
村田 智子 安倍「教育再生」に反対する諸集会に参加して
本田 伊孝 「許すな!労働者派遣法と労働契約法の改悪」三・三一安倍「雇用改革」に反対する院内集会を開催しました。
並木 陽介 さよならブラック企業「STOP!アベノ雇用破壊」リーフ 〜完成のお知らせと、普及・活用のお願い



*和歌山支部特集*

玉野裁判の事

和歌山支部  上 野 正 紀(元玉野弁護団事務局長)

 玉野ふいさんがなくなって二十一年近くの日々が過ぎようとしている。一九九三年八月一六日、上告審のさなか、玉野さんはなくなった。障がいを持つ人々の選挙運動の権利を正面から問う裁判だった。
 公職選挙法は、「できない」法であり、精通した人でも、何ができるか、皆目わからないという代物である。その中で自由にできるのが、「個々面接」、電話での投票依頼だ。御坊市(白浜町と和歌山市の間くらい)に住む玉野さんは、政治には無関心だったが、偶々演説会に誘われ、候補者が「あたかも自分に話しかけてくれている」ように感じ、この人をぜひとも国会へ、と感じた。玉野さんは重度の言語障がいを有していた。道で会う人に、訴えようとしたが伝わらない。公選法で「自由」にできる行動が玉野さんには不可能だった。玉野さんは、ビラを配った。一九八〇年、それが公職選挙法違反として起訴された。
 玉野さんの裁判は、表現の自由と同時に、「平等」憲法一四条がクローズアップされた。同じ人間、主権者でありながら、言語障がいがあることにより、「健常者」のできる事ができない、この憲法的意味を問う事になったのだ。そして、表現の自由の観点からも、玉野さんに文書が認められなければ、玉野さんは一切の選挙運動ができなくなる。これは明らかに行過ぎた規制ではないか、という視点から闘われた。
 しかし、弁護団は当初そのような視点をもてなかった。表現の自由のみを争点とし、玉野さんの障がいに目をすえた論点の提示もできなかった。控訴審の段階となり、「守る会」の役員の一言「玉野さんは話す事ができない、それを前面に出すべきではないのか」で、気づかされる事となる。そこから社会保障法の先生方の教えを請い、それまでにない論点の解明に当たる事となった。
 玉野さんの裁判が始まったのが「国連障害者の一〇年」の始まった年でもあり、「玉野さんは何もできなくなるがそれでいいのか」という論点が極めてわかりやすいこともあり、弁護団の構成が増えるとともに、玉野さんの裁判を支援する運動も全国規模となっていった。個人加盟の守る会が全国に五、団体加盟の支援連絡会が三、という状況にまで発展した。地元和歌山では、専従職員を置くまでになった。
 しかし、高裁は、判決当日支援者が七〇〇名ほど裁判所を囲む中、障がい者に一定の配慮は示したものの、「健常者」と一緒にすれば選挙運動も可能である、という考え方(なんとも時代錯誤な!)で玉野さんの、そして多くの人々の願いをしりぞけた。当然上告した。一層弁護団の構成は増え、支援の動きも大きくなっていったが、玉野さんの死去により玉野裁判は終結した。
 玉野さんの投じた一石は、わが国の憲法裁判の歴史に燦然と輝いています。「古い」裁判ではありますが、このように権利のための戦いを実行した市井の婦人がいた事を長く記憶にとどめていかねばと思います。
 (なお、私たち玉野さんの裁判にかかわった人々は玉野「裁判」と言います。それは、刑事事件ではあるが、その機会を捉えて、権利を実現していこうとの思いからです。)


アラブ世界のお話し

和歌山支部  森 崎 有 治

 私は昔、アラブ世界に住んでいた。かつてとは異なり最近では、カタールの衛星テレビ局であるアル・ジャジーラのニュースが一部報道されるなど、アラブ世界をかいま見る機会が増えた。「アラブの春」というキャッチフレーズを耳にした人は多いと思う。四年ほど前ころに、チュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した民主化のためのデモや抗議活動を主とした騒乱の呼称として知られる。エジプト、リビア、そしてシリア。エジプト、リビアは政権が崩壊し、シリアでは内戦状態に陥り、武力衝突が頻発し多数の難民が生まれている。こうしたアラブの現況は、誰にとっての「春」だったのかわからない状況にまで混乱している。そして、長年の未解決問題であるパレスチナ問題。パレスチナ自治政府が管轄するガザ地区は失業率が六〇%を超えるなど経済状況はきわめて酷い。戦後のイラクはきわめて酷い状況にあるのは周知の事実である。アラブの世界はまさに混沌としている。
 イスラム教が興つたのはAD六世紀後半頃〜七世紀前半のアラビア半島だ。サウジアラビアのメッカが最初の舞台だつた。アラビア半島の交易の中心であつたメッ力を支配していたのはクライシュ族で、イスラム以前のメッカは、多神教・偶像崇拝、一夫多妻、同害報復、富裕層と貧困層、自由人と奴隸の間の格差の激しい社会・経済体制だつた。イスラム教の預言者ムハンマドもクライシュ族の一氏族の出であつた。当初、イスラムの教えは、メッカの一握りの間の人々に支持されていたに過ぎない。しかし、その一握りの勢カがメッカを大いに混乱させ動揺させていた。単に、イスラムの教えが偶像を破棄し、多神教から一神教に人々を誘い改宗させようとしたというだけでメッカが混乱していたわけではない。その教えがメッカの社会・経済体制を根底から揺さぶつたがためにメッカは大いに混乱し動揺せざるを得なかつたのだ。イスラムでは、奴隸と自由人、富者と貧者、弱者と強者等の間に壁はない。皆アッラーの前に平等だ。
 イスラムの聖典コーランやムハンマドの言行録などを基に今日に至るまでイスラム教徒の全生活を包含する規範であるシャリーア(イスラム法)が発展してきている。シャリーア(イスラム法)で禁止されるものでよく知られているものは、酒と豚肉である。現在、このシャリーア(イスラム法)が最も厳格に適用されているのはサウジアラビアである。イスラム教国では、女性の立場はかなり脆弱であるが、中でもサウジアラビアは世界で唯一、女性が自動車を運転することが禁止されている。イスラム教国の中でも例外である。反対運動の一環で車を運転した女性が裁判所で「無免許運転」の罪でむち打ち一〇回の刑に処せられたと伝えられている。サウジアラビアはオイルマネーで潤い経済的にはきわめて豊かな国であり、シリアのように内戦で難民が多数生まれ出ているわけではなく、また、イラクやリビアのようにテロや爆破事件が頻発しているわけでもなく、エジプトのように様々な勢力によるデモが組織され市中が混乱し、ついには観光客までテロのターゲットとなっているわけでもなく、また、パレスチナのように国として承認されていないわけでもなく、また、パレスチナのガザ地区のように経済的貧困の問題はないのであるが、女性の人権がほとんどないくらいに制限されている。このように少し思い巡らしただけでも、平和的生存権、難民の人権、労働、貧困、教育、女性の人権などと自由法曹団員としては無視できない問題が山積している。


「歴女」の自民党改憲案批判

東京支部  飯 田 美 弥 子

一 慰安婦をめぐる「歴史認識」?
 八王子選出の衆議院議員(自民党総裁特別補佐)、萩生田光一氏が、三月二三日フジテレビ系番組の中で、日本軍による「慰安婦」問題の「河野談話」について、検証作業を進める中で「新しい事実が出てくれば新しい談話を発表すればいい。」と発言したという。
 なんと恥ずかしいこと。八王子市民として、この場をお借りして遺憾の意を表明させてもらいます。
 ここで私が首を捻ってしまうのは、一年前には、「日本維新の会」の橋下代表が、「慰安婦が必要だったのは、誰だってわかる」と発言して、世界中の顰蹙を買ったこととの関係だ。
 あのときは、「戦闘状態に曝されている男性にとって、性的に慰安する婦女が必要であることは、衆人が一致するところである。」という論調だったはず。「だから、慰安所を作って何が悪い」という居直りだった。
 今は、「慰安婦、慰安所は悪いことに決まっている。そんなことを日本軍がしたはずがない。」という、評価の「前提となる事実」から争う構えになったわけだ。
 刑事事件に例えるなら、「確かにパンを盗ったけど、あんなにお腹が空いているときに、盗らずにはいられなかった。(そういう行為に出ないという、期待可能性がない。)」と言っていた被告人が、「いや、パンなど盗ってなかった。」と言い出したも同然だ。
 前者は責任の有無を争っているのに対して、後者は犯罪事実そのものを争っているのだから、反省の無さの度合いが大きいこと、この上ない。裁判員なら、どう評価するだろうか。
 萩生田さん、あなたは先の大戦を反省していないということですね?
二 歴史は繰り返す
 かつて、太平洋戦争中、国民学校の歴史の教科書から、「壬申の乱」の記載が抹消されたそうである。
 壬申の乱は、天智天皇(中大兄皇子)の跡目を巡って、大海人皇子(天武天皇。天智天皇の異母弟)と大友皇子(天智天皇の子)が争って、叔父が甥を葬った内乱である。
 大日本帝国憲法下、天皇は「万世一系」の「現人神」であったから、そんな跡目争いなどをするはずがない、そんな記述は「不敬」だと判断されたらしい。
 あほかいな、と思う。
 額田王は、初め、大海人皇子の妻で子ももうけたが、後に、中大兄皇子の後宮に入った。兄弟間の妻争いである。後年、額田王と大海人皇子とは、「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我れ恋ひめやも」という歌を詠み交わしている。
 額田王さん、美人なだけじゃなく、才能豊かやったんやろうねえ。万葉集のええ場面やないか。なんであかんねん。
 政府による歴史の偽造は、今に始まったことではないのだ。
三 日本の伝統文化を歪めた「前歴」
 太平洋戦争中の、あほくさい「不敬」の例は、ほかにもある。
 小倉百人一首の中に、天皇の御詠が三首ある。だいたい一番が先の天智天皇の和歌(「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」)なのだが、天皇の姿を描いた絵札を、掌で弾いたり指で押し付けたりするのは畏れ多い、というので、統制されたというのである。
 代わって推奨されたのが、「愛国百人一首」(日本文学報国会編)。「天皇に 仕えまつれと 我が生みし 我がたらちねぞ 尊かりけり」「天皇の 御楯となりし 死なん身の 心は常に 楽しくありけり」…といった調子である。
 母が子を、天皇に仕えさせるために生み育てたとは、バカも休み休み言え、と思う。与謝野晶子でなくても、「大みこころの深ければ もとよりいかで思されむ」と言いたくなる。
 壬申の乱はなかったことにされ、小倉百人一首も統制されたとは、天智天皇の身になったら、とんだ日蔭者扱いではないだろうか。
四 天皇の政治利用は許されない
 天皇制が、賛否両論あるデリケートな問題であることは、もとより承知している。
 「日本国憲法を変えた方がいいか否か」と質問すれば、「天皇制を廃止すべきだから、変えた方がよい」と答える「改憲論者」も存在する。
 しかしながら、今般の自民党改憲案は、天皇制を大日本帝国憲法的に戻すことのみを目指している。「廃止」の改憲案ではない。「廃止」を望む人も、今の局面では、「護憲」に回っていただかなければならない。
 さて、大日本帝国憲法的天皇制に戻すことは、今上様にとって、喜ばしいことなのだろうか。
 「古事記」「日本書紀」は、神話にすぎない。私と同年代の皇太子ご夫妻が、天皇家が、天照大神の孫のニニギノ命(天孫)の子孫だと信じていることはないだろうと推察する。
 元寇の際に吹いた「神風」は、太平洋戦争時には、結局、吹かなかった。日本が神の国でないことは、この一事をもっても明らかなように思う。
 日本の長い歴史の中で、「大日本帝国憲法下の天皇」の方が、異様な存在なのである。欧米列強と競うため、国民を統合するために、無理矢理に権威付けされたからだ。
 大日本帝国憲法への郷愁は、靖国史観と表裏の関係にある。遊就館に行ってみればよくわかる。明治時代以後が、突如として、異様に長い年表が掲げられている。
 山本太郎参議院議員が、園遊会で今上様に手紙を直接手渡したときは、政治利用だ、非常識だ、不敬だとマスコミが大騒ぎした。しかし、政府による天皇制の政治利用こそ、はるかに罪が重い。
 自民党改憲案は、その最たるもののように思われる。
五 私の愛国心
 私は私なりに、日本を、日本文化を愛している。茶道の茶名を持ち、書道も四段で、しばしば歌舞伎や能も観に行く。
 和服を着て座布団に座り扇子を持って…という、落語スタイルで、自民党改憲案を批判する講義もしている(「高座」と呼んでいる)。
 日の丸に正対して君が代を大きな声で歌うか否かで、私の愛国心を測って欲しくない。
 私は、日の丸君が代強制反対の裁判も担当したが、都教委の「日の丸」正当化の根拠も誤りだった。都教委は、日の丸を、「平家物語」以来、国民に定着した旗印だと主張していた。とんでもないことだ。屋島の闘いで、那須与一が射抜いたのは、「みなぐれないに日のいだしたる」、すなわち、紅地に金の丸の扇だったのだ。白地に赤い日の丸ではない。
 白地に赤い日の丸は、せいぜい明治時代から定形化されたにすぎない。
 欺瞞や強制で、愛は生まれない。というより、愛される自信があれば、欺瞞や強制は必要ない。
 政府自民党には、かつての過ちも含めたこの国の歴史を、丸ごと愛する姿勢を求めたい。歴史を都合よくつぎはぎすることは、本当にみっともない。
 「間違ったことなどしたことない。」と誤魔化している人ほど、自分の国に自信を持っていないように感じられるのは、私だけだろうか。


どう迫る、戦争被害と加害。「法廷で裁かれる日本の戦争責任」刊行に触発されて

東京支部  坂 井 興 一

(端慶山茂団員)責任編集になるこの本が、宇都宮軍縮研究室の協力で高文研社から発行された。何故か陸軍大将を父に持ちながら研究室創設者の宇都宮徳馬氏は、私の活動する東京城南を選挙区とした著名な平和政治家で、本には「軍縮問題資料」誌掲載のものに書き下ろしを含んで、戦後補償分野の殆どの事件が、六百頁の本文に紹介されている。端慶山氏(沖縄・南洋戦関係事件弁護団長)は、自身、南洋戦被害関係者で、担当者には大戦被害を身近にしている方々もあってか、相当の迫力になっている。団員も多数協力されているが、滅多に勝てなかったことや、「過ぎて遠い話」と思われた下での諸氏の苦闘に心から敬意を表する意味で末尾に一覧略記したのでご記憶願いたい。小生の場合、この分野は偶々三・一〇東京大空襲事件に係わって身近となったが、安倍政権の無反省・中韓の強硬態度等の東アジア緊張の時代到来で逃れようのない今日的課題になっている。このあたり、過般の震災・津波で一挙に死活的になった原発訴訟にも似ている。年度替わりのこの日々だけでも、安重根記念碑・従軍慰安婦・習近平氏の南京虐殺三〇万人スピーチ、追い掛けて中韓法律家の協力で強制連行集団提訴との報道もあった。全く別の角度で一九四四年八月の対馬丸の秘匿された学童被害の生存絵入り証言が、ホノルルにある攻撃艦顕彰への複雑過ぎる思いの見聞記とともに紹介されていた。また、四・二毎日紙には、英米蘭の補償訴訟を担当された日中法律家協会理事長の高木喜孝(弁)が日中韓の和解を願う立場から、「人道法で平和再構築」を訴えておられた。(戦争犯罪)は文句なく悪であり、被害者は救済されなければならない。原則は加害側が、講和による決着扱い後は元々自国民保護義務を負っていて、さらに条約免除効による代行引き受け責任が加わった被害国側が救済責任を負う。条約の補充協議条項による調整があるにしても、そうでなければ個人に救済は届かない。そして然し、それは実に至難である。三・一〇東京大空襲の場合、「戦争被害受忍論」は今尚拡大する五四兆対〇の軍民格差を無視した論外の暴論であり、明白な憲法一三・一四条違反である・・・のだが、前記事例を見てみると途方に暮れるところがある。米ソの戦争犯罪、と云うより、そもそも戦勝国に対する責任追及が可能だったことがあるのか。一五年戦争中の膨大な犯罪被害の補償が、手続き的金銭的に個人に届きようなんてあるのか。中国の場合は、寛大だったのか或いは国共内戦や文革で余裕がなかったかで経済協力以外は放棄・放置されたまま過ぎてきたが、これからのことは分からない。偶々読んだ文春新書の「もし、日本が中国に勝っていたら(趙無眠著・富坂聡訳)」は、かの国の隠れたベストセラーの〇七年初版のもので、そこでは、数々の王朝交代時は勿論、かの大戦時にさえ国共両軍が懲りずにおこなったアレコレの大愚行、満州侵攻ソ連軍や朝鮮戦争での自身の蛮行等が余りにも多過ぎて考える暇もなかった事情が明かされている。本のオチ自体は負けて飲み込む漢族の生命力を評価するものだが、目覚めた二一世紀の今は、かって植民地扱いした日欧に仕返しもありの気分が色濃くなり、このあたり、明治日露戦の報復をしたソ連にも似ている。著者ら識者は、それでも尚、東アジアの共同化が欧米に敬意を表させる理想型なのだとして頑張っておられるようである。ところで(民衆の弁護士)である我々は、法廷の苦労の延長として如何なる視座で問題を見るのか。裁判を勝てないものにしているのは、戦前絶対君主の無答責に替わって、今は、国家と官僚の無責任の論理である。救済実定法がない・不作為違法宣言や立法勧告は出過ぎである・結果としての蹂躙と差別の是正は政治の責任、云々。而してその肝心の政治はいずこも「何を!」とばかりの反撃・抑止論と意地の押しくらまんじゅうに夢中で、自分が戦場当事者になるなんて想像もしない。加害も被害も他人事で、挙げ句には一億総懺悔で済ませられると思っているようだ。「国家あってこその人権!」と言いながら、その実、日本は勿論、米中韓ロとも国家の論理は押し付けがましくおぞましく、諸悪の根源は国家にありと言いたい位である。加えて言論の自由の足らない国からは一様に悪口しか聞こえて来ないので、つい、苛立ってしまう。が、ここは凝っとこらえて初心に立ち返り、私たちの務めは被害民衆の側にあって個人の救済をはかり、そこから正義の回復・平和の維持に貢献することだと肝に銘じたい。そこには自衛権も安保会議も国家機密もない。あるのは、兵隊にとられ・戦場に駆り出され・殺すか殺されるかの二者択一を迫られ、運が良くても丸太にならないでクニに帰る位。その故郷も戦場以上の惨憺たる被害で、どちらにしても帰還兵や被災者は胡散臭い目で見られ、全く踏んだり蹴ったりだったのである。それがどうしたことか、映像やゲーム的イメージは、弱兵文士安岡章太郎の世界とは反対の、治者・指揮官・勇士とか、維新的いい気な類に傾斜するものだから、跳ね上がりの議論が横行してしまう。そうした浮薄軽佻を鎮められるのは、「戦争責任法廷」で被害者と苦しみを共にしてきた担当の諸氏こそ!と思うのである。
 (担当事件と解説者一覧(敬称略))
I「韓国人犠牲者」・林和男、高木健一
II「従軍慰安婦」・藍谷邦雄、山本晴太、佐藤芳嗣、中川瑞代、大森典子、川上詩朗、坂口禎彦、小林保夫
III「強制連行」・森田太三、高橋融、田中貴文、外塚功、瑞慶山茂、金井厚二、冨森啓兒、須見健矢、小林保夫、足立修一、稲村晴夫、成見幸子、梓澤和幸、岩月浩二、島田広、在間秀和
IV「日本軍による住民虐殺・空爆・細菌・遺棄兵器」・尾山宏、泉澤章、藤澤整、土屋公献、渡辺春己、穂積匡史、今村嗣夫、川上英一、中田政義
V「日本人の戦争被害」・池田眞規、米倉洋子、中川重徳、原田敬三、高木吉朗、村井豊明、瑞慶山茂


ほんの紹介・人権は国境を越えて(伊藤和子著)

神奈川支部  杉 本   朗

 昨年秋、伊藤和子さんが、岩波ジュニア新書を出しました。岩波ジュニア新書というのは創刊の辞によれば「現実に立ち向かうために必要とする知性、豊かな感性と想像力を、きみたちが自らのなかに育てるのに役立ててもらえるよう、すぐれた執筆者による適切な話題を、豊富な写真や挿絵とともに書き下ろしで提供」するシリーズです。大体のターゲットは、中高生のようです。
 伊藤さんは、ご存知のとおり、国際人権NGOであるヒューマンライツ・ナウの事務局長として大活躍しているわけですが、本書は、その伊藤さんが、中高生に向けて、国際人権活動に携わるようになったきっかけ、ヒューマンライツ・ナウの立ち上げ、世界各地(ビルマ、フィリピン、カンボジア、イラク)での活動、三・一一以後の国内での活動などを、語ったものです。
 それまでもいろいろな人権活動に携わっていた伊藤さんですが、一九九五年に開催された北京女性会議の「女性に対する暴力」というワークショップに参加し、世界の女性たちが置かれている現実を初めて間近に知ったことが、伊藤さんの何かに火をつけました。さまざまな暴力に晒されている女性たちの言葉に、伊藤さんは揺り動かされたのです。
 とはいえ、ただちに伊藤さんが行動に出られたわけではありません。このままではいけない、そういう思いを抱きながら日々を過していました(もっともあの伊藤さんですから、日常業務に埋没していたわけではありません)。転機は、霞ヶ関の弁護士会館で、日弁連の留学制度のポスターを見たときに訪れました。ポスターを見て留学を思い立ち、あとは留学目指して一直線に走ったのです。
 期間を延長した留学から戻って来た伊藤さんは、ヒューマンライツ・ナウを立ち上げました。この本の後半では、ヒューマンライツ・ナウを立ち上げて以降の活動が語られています。私は伊藤さんとFB友達で、彼女のタイムラインから、タイとビルマの国境に行って、なにやらやらかしてるなぁ、ということは知っていたのですが、具体的に何をやっているのかは、この本を読んではじめて知りました。ピース・ロー・アカデミーという教育活動の支援を行っていたのです。
 海外に限られず、三・一一以後は、被災地にも積極的に入って支援活動を行っただけでなく、国連に働きかけて特別報告者(アナンド・グローバー氏)を現地に呼ぶことに成功もしました。グローバー氏は国連人権理事会に対し、事実調査報告書を提出し、それは広く報道されました。
 おそらく誰もが伊藤さんのように行動するというのは難しいかもしれません。みんなそれぞれ自分の人生を持ち、家族を持ち、仕事を持っているからです。この本を読んで、それは伊藤さんだから出来るけどさ、という感想を持つ方も多いのではないかと思います。
 しかし、今すぐは実現不可能なことでも、そういうことをやってみたい、という意識を持ち続けることは出来るのではないでしょうか。それを「夢を持つ」と言っていいのかどうかは分かりませんが、今は出来ないけどいつかやってみたいことがある、ということは意味のあることだと思います。
 やりたいことを放棄せずいつかやってみたいことを思い続けることが何かを生み出す、それが伊藤さんの言いたいことの一つではないかと勝手に思っています。

*  *  *

 最初、この紹介は、「『私の職業は弁護士。』・・・この本はいきなり出オチで始まる。」という書き出しでした。でも、伊藤さんを知らない人にはウケないというか誤解されるかもしれないなと思って直しました。正直なところは今でも「この本、出オチだよな」と思ってますが(爆)。

(伊藤和子・人権は国境を越えて[岩波ジュニア新書、二〇一三年])


二〇二〇年東京オリンピックは、人類が「核」と決別する時である。
―スティーブン・リーパー「日本が世界を救う」を読む―

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 「二〇二〇年東京オリンピックは、人類が「核」と決別する時である。」は、広島平和文化センター前理事長スティーブン・リーパーの近著「日本が世界を救う・核をなくすベストシナリオ」(燦葉出版社発行)の「決め台詞」である。あと六年後に迫った東京オリンピックまでに「核」と決別しようというのである。しかも、この「核」は、核兵器だけではなく、原発も含んでいるのだ。何とも大胆な提案である。著者は一九四七年生まれだから、オバマ大統領よりも年上なのに、二〇二〇年と期限を区切っているのだ。
 著者は、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを経験した日本は、核の脅威と決別するために、特別の役割があるという。核兵器の被害者であり、原発事故を体験している日本が、人類を「核のない世界」へと導くリーダーとなることを決意すれば、二〇二〇年の東京オリンピックは世界の人々の祝福の中で成功するだろうが、現在のように核兵器と核技術で利益を得ようとしているアメリカの「隠れた家臣」をやっているようであれば、一九四〇年と同じように失敗するであろうと預言している。オリンピックの年をタイムリミットに設定したのは興味深いところである。オリンピックは「平和の祭典」なのだ。
 著者は、核と決別することは、人類の最優先課題だとしている。核は明日にでも地球を滅ぼしかねない判り易い問題だから合意を得やすいし、この問題を解決できれば、より複雑な環境問題などを解決する糸口も見つかるだろうという理由である。核兵器が使用されれば、人類社会に致命的な影響を及ぼす気候大変動が引き起こされることになる。また、武力紛争は原発をターゲットにするだろう。広汎な放射能汚染は人類の営みのすべてを消し去るであろう、というのが著者の危機意識である。核兵器は「悪魔の兵器」であるという被爆者の想いと通底するといえよう。この核兵器使用の非人道性こそが、核廃絶の根源的理由なのである。
 そして、著者は、ヒロシマの意味は「戦争をやめよ」、ナガサキの意味は「宗教の闘争をやめよ」(キリスト教国であるアメリカが、日本におけるキリストの地である長崎の町を破壊したという意味)、フクシマの意味は「健康と安全より利益を優先することをやめよ」ということだとしている。日本が原子力産業を擁護し、放射能流出の事実を隠そうとすれば、世界中から嫌悪と不信を浴び、オリンピックの成功は危うくなるだろうというのである。評者からすれば、ナガサキの意味についてはよくわからないし、福島原発に由来する放射能の危険性はオリンピックの成否とは関係ないだろうと思うけれど、原発推進勢力が健康や安全よりも利益優先の連中であることについてはそのとおりだと思う。そして、著者の核兵器は強国のシンボルとされ、原発は核兵器開発の潜在的な能力であるという指摘にも同意する。「核」は物理的暴力による支配と飽くなき利潤追求の中核部分を構成しているのである。
 著者は、核保有国は核保有の特権を放棄しようとする姿勢はみじんも見えないという。評者もそのとおりだと思う。支配と利潤追求の道具をその保有者が進んで放棄することはありえないし、彼らの自発的意思を待っていてもそれはむなしいだけであろう。私たちは、彼らを「核」を放棄せざるを得ない状況に追い込まなければならないのである。問題はその追い込み方である。
 著者は、ここでも大胆な提案をしている。核兵器国を抜きにしてでも「核兵器禁止条約」を成立させようというのである。カナダのダクラス・ローチの「核兵器禁止条約をつくり、その条約によって核兵器を違法とすることを、核兵器国の参加があろうがなかろうが進めよう。」という提言を受け止めてのことである。核兵器国の加盟しない「核兵器禁止条約」など無意味ではないかという疑問は当然であるがゆえに、国家間だけではなく活動家の間にも亀裂を生むことになるであろう。
 そこで、著者は「対人地雷禁止条約」や「クラスター爆弾禁止条約」の成立過程を先例として引用している。国連の枠の中で行動しようとすれば、常任理事国の拒否権に直面することになる。けれども、国連の枠外で条約が制定できないわけではない。「地雷は最も醜い敵」、「クラスター爆弾は悪」としてそれぞれ禁止条約ができている。アメリカは地雷禁止条約に署名をしていないが、地雷の使用も製造もしていないという。地雷禁止条約は大きな成果を上げているのである。このようなプロセスをたどれば、核兵器国の賛同がなくとも核兵器禁止条約の成立は可能だし、核兵器国の手を現実に縛ることも可能だというのである。
 確かに、この間の核兵器の非人道性に着目した潮流は、核兵器の恐ろしさを確認し、核兵器廃絶へと向かっている。今年二月のメキシコ・ナヤリット会議では、諸兵器がまず非合法化され、その後廃絶されていった経験にも触れられているし、それが核兵器のない世界への道だとされている。この会議には、国連加盟一九四か国のうち一四六か国が参加しているのである。なお、日本も参加しているが、核兵器禁止条約には消極的である。核兵器国の参加がない禁止条約は無意味だという立場である。
 著者は、核兵器廃絶に着手するベストシナリオを描いている。今年一〇月の国連総会、今年中か来年早々のウィーンでの「核兵器の人道的影響」に関する会議、来年五月のNPT再検討会議。これらに合わせて、市民社会が反核キャンペーンを大々的に展開する。若者を中心に「核爆弾禁止ツァー」を組織する。このツァーには、オノ・ヨーコ、レディ・ガガ、マドンナ、AKB48なども参加する。世界各地で一〇〇万人規模の反核デモを展開し、核兵器を人類にとっての最大の宿敵としていく。そうすれば、世界の政治家も変わる、というシナリオである。確かに、核兵器も原発も人間が作ったものであるし、政治的な産物である。政治的決断があれば、物理的解体は不可能ではない。政治的意思は、民主主義社会においては、民衆の意思によって形成されるのである。著者のシナリオは決して荒唐無稽ではないといえよう。問題は、誰が主体的プレイヤーとなるかである。私なのか、あなたなのか。いや、私もあなたも。そして、私とあなたにつながるすべての人たちの立ち上がりが求められているのであろう。核廃絶についての知恵と勇気を提供してくれる読みやすい本である。

(二〇一四年四月四日)


食の安全からTPPを考える
〜「モンサントの不自然なたべもの」上映会の報告〜

神奈川支部  近 藤 ち と せ

 二〇一四年三月一一日、神奈川支部では、「モンサントの不自然なたべもの」という映画の自主上映会をしました。神奈川で生活する私たちは、農業や漁業などの現場との交流が少なく、TPPが具体的にどのような影響を及ぼすかを肌で感じる機会が乏しいというのが現状です。食の安全という観点からTPPの問題を考えることで、具体的な危機意識を共有したいというのが企画の目的でした。
 映画の内容等をご報告します。
モンサント社とは
 モンサント社は、アメリカに本社を構える農業系バイオ企業であり、世界の遺伝子組み換え作物市場の九〇%を誇るグローバル企業です。
 モンサント社の商品としては、ラウンドアップという除草剤、その除草剤に耐性のある大豆、アブラムシ殺虫性のあるタンパク質を組み入れたジャガイモ、殺虫性毒素を組み入れた綿花、搾乳量を増やす乳牛用ホルモン剤などがあります。まさに「不自然なたべもの」ばかりですが、そもそも、除草剤でも枯れないような植物等を口に入れて大丈夫なのか?というのが始めに受けた印象でした。
モンサントの問題点(1) 食品の安全性に大きな疑問
 モンサント社やアメリカFDA(食品医薬局)は、モンサントの製造する遺伝子組み換え食品等は安全だと宣伝していますが、映画は、その安全性検証方法自体に大きな疑いを投げかけます。FDAは、一九九二年五月二九日に公表した遺伝子組み換え作物の安全審査に関する報告書で、「遺伝子組み換えの結果生じる食品成分は、通常の食品に含まれる成分と同じか、実質的に同等である(実質的同等性の原則)」ため安全であるとしています。つまり、「組み込まれている遺伝子は、これまでも食品として食べてきたから大丈夫」というのです。しかし、遺伝子自体が安全かと、組み替えたものが安全かは別問題ではないかというのは、素人でも感じるところでしょう。
 実質的同等性の原則については、十分な研究論文の蓄積がなく科学的根拠がない、他の食品添加物とは異なり厳密な安全審査がなされるべき等の批判がなされています。また、後に述べるように、モンサントの商品の危険性を指摘する研究者は、職場を解雇されたり、調査機関メンバーから外されたりしてきたという事実があります。モンサント商品には、政治的圧力によって隠さなければならない問題があるとしか考えられません。
モンサントの問題点(2) 政権への強大な影響力
 映画では、モンサントがアメリカ政府と強いコネを持つことを「回転ドア」という隠語で紹介しています。全国防長官ドナルド・ラムズフェルドは元モンサントの子会社のCEO、元通商代表ミッキー・カンターは退任後モンサント役員に転任、最高裁トーマス判事は元モンサントの弁護士というように、ホワイトハウス、FDA、環境保護庁(EPA)とモンサントの間では、くるくると人事交流がされているというのです。
 このような人事交流をつうじて、モンサントは、政府判断に影響を及ぼすだけではなく、国内外の研究者、他国政府の判断にまで影響を及ぼしていると考えられます。
 映画では、乳牛用ホルモン剤により乳牛に乳腺炎症や生殖機能障害などが生じうると指摘した医師がFDAのメンバーから外されたことが紹介されています。また、イギリス政府の要請で、遺伝子組み替えを施したジャガイモの安全性を調査した、イギリスロウウェット研究の高名な研究者、アーパド・パスタイ氏が、遺伝子組み換えジャガイモを食べたラットに免疫異常が見られたことを指摘し、「イギリス国民をモルモット代わりにするべきではない」との見解を公表した直後に、研究チームは解散、解雇されたこと等が紹介されています。
モンサントの問題点(3) 特許権で農家を支配
 モンサントの問題点は、政治的な影響力に留まりません。自社製品に特許権を取得することで、実際に農家と農業を支配していくという問題もあります。
 モンサントの種子を購入する農家は、特許権を尊重するテクノロジー同意書に署名しなければならず、どんな場合でも、収穫した種子を翌年に撒くことは許されないのです。モンサントは、自社商品の販売先農家を抜き打ち検査するための組織(遺伝子警察)を創設し、違反摘発をすると共に、違反者を見つけると損害賠償請求をしてきました。映画では、これまでに少なくとも一〇〇件の農家が特許権侵害で提訴され、その多くが破産したと紹介されていました。
 また、インドでは、モンサントが綿花種子市場を支配して、零細農家が破産したり自殺したりという事態が生じているそうです。モンサントは、一九九九年からインドの大手種子企業マヒコ社を買収し、細菌由来の殺虫性毒素を導入した綿花の販売許可を得ましたが、モンサントが綿花種子市場を独占に成功したことで、農民達は在来種の種子より四倍も高価な遺伝子組み換え綿花の種子を買う以外の選択肢がなくなりました。零細農家は借金して種子を購入するので、凶作の場合は破産に追い込まれ、綿作地域での自殺者が増加しているというのです。
モンサントの問題点(4) 不自然なたべもので世界を支配する
 映画によれば、除草剤耐性大豆はアメリカで栽培される大豆の九〇%に達し、アメリカでは市販される食品の七〇%が遺伝子組み換え作物由来の成分を含んでいます。
 また、一九九五年以降モンサントは、世界の五〇以上の種子企業を買収し、その市場を広げています。モンサントが世界でシェアを増やし、インドでなされたように、種子市場を独占してすべてを遺伝子組み換え品種にすれば、世界の農業はモンサントによって支配される危険があります。
モンサントの問題点(5) 在来種への影響
 モンサントの遺伝子組み換え作物は、在来種を汚染するという問題もあります。
 メキシコではこれまで、トウモロコシの在来種が世界で最もよく守られ、農民は種子を買わずに収穫したものの中から翌年用の種子をとりおいて撒くことで農業を営んできました。ところが、北米自由貿易協定(NAFTA)によって、遺伝子組み換えトウモロコシが流入し、アメリカ政府の多額の補助金に後押しされ、トウモロコシ市場の四〇%を占める状況となっています。
 ところが遺伝子組み換えトウモロコシの影響は、市場シェアを塗り替えただけではなく、在来種を汚染し、在来種の性質を変えてしまうということが分かってきました。映画では、メキシコ国立生態学研究所が調査したところ、メキシコの五つの地域のトウモロコシから、ラウンドアップ耐性遺伝子やBT毒素遺伝子による汚染が確認されたことが紹介されました。汚染された種子は、空気中に花粉を振りまき、さらに周囲の在来種を汚染すると考えられ、放置すれば在来種が全滅する危険もあります。
TPPとモンサント
 TPPは、非関税障壁の撤廃を基本としており、その非関税障壁には、食の安全性を維持するための法規制も含まれます。例えば、現在、遺伝子組み換え食物について日本では、加工食品や、醤油、油などの一部の商品を除いては、遺伝子組み換え食品であることの表示が義務付けられていますが、TPPが締結されれば、アメリカの基準がTPP基準となり、日本の法規制は改正を余儀なくされる可能性は高い状況です。また、一旦遺伝子組み換え食物が自由に日本に流入するようになれば、日本の在来種に対する汚染も広がる危険性は高いでしょう。
 作中に登場する各国の深刻な状況は、TPPによってグローバル化が進んだ、明日の日本の姿かもしれません。


給費制廃止違憲訴訟のご報告

東京支部  緒 方   蘭

一 給費制廃止違憲訴訟の概要
 私たち新六五期は昨年八月二日、給費制廃止違憲訴訟を全国四地裁(東京、名古屋、広島、福岡)で一斉に提訴しました。
 原告数は二一一名(東京一一八名、名古屋四五名、広島一六名、福岡三二名)、代理人数は四六三名です。原告は各地裁ごと、代理人は全国四地裁共通となっています。
 以前にも提訴のご報告をしましたが、この間、東京と広島で二期日、名古屋と福岡で一期日が開かれましたので、現状をご報告します。
二 訴状、国からの反論の内容
 訴状では、(1)歴史的経緯から、給費制が国民の権利擁護のための統一修習及び修習専念義務と不可分一体な国の憲法上の義務であること、(2)給費制が修習専念義務の下での経済的生活保障を目的とすること、(3)法曹になることを選択した司法修習生が生活を維持しながら司法修習に取り組む権利があることから、司法修習生の給費を受ける権利が導かれるとしています。
 現在、訴状及び訴状の概要をホームページ(http://kyuhi-sosyou.com/)上で公開しておりますので、詳しくはそちらをご覧下さい。
 二月に国から実質的な反論が提出されました。その内容は次のようなものでした。
・従来の給費制は、法曹の資格要件としての司法修習生の地位の重要性に鑑み一定額の給与を支給することが望ましかったためであり、修習に専念させるための配慮に過ぎない。
・修習専念義務は自らの意思で司法修習生となる選択をしたことに伴う内在的制約であって、給費制はその代価・補償ではない。
・司法修習は臨床教育課程に過ぎない。
・給費制廃止には合理性があり、憲法に違反しない。
 今後、私たちは戦後すぐの司法制度改革の資料などを収集・検討し、修習の意義や司法修習生の地位等について検討を重ねていく予定です。幸い、いくつかの提訴地では裁判長が充実した審理を行うために積極的な姿勢を見せてくれています。中には左陪席が原告と同じ新六五期という裁判体もあり、裁判体の中でどのような議論が交わされているのか気になるところです。
三 サポーターズクラブの設置
 私たちは、給費制廃止が法曹の公益性や質の低下を招くと考えておりますが、多くの方々からは「修習生がお金をよこせと言って訴訟を起こした」と捉えられることが多くあります。
 世間の理解を得るための取り組みの一つとして、訴訟のサポーターズクラブ「法律家のひよこ応援くらぶ」を作りました。現在は、全国各地に一二〇名程度の会員がおり、月に一回程度のメルマガを配信しています。ホームページにも入会案内を掲載しておりますので、ぜひ周りの方々にお声かけ下さい。
四 六六期提訴の準備
 現在、貸与制二期目にあたる六六期も提訴の準備を行っています。
 ぜひお近くの六六期にお声かけ下さい。
五 団員の皆様へのお願い
 現在も代理人及び原告を募集しております。また、大変恐縮ですが、カンパによる御支援もよろしくお願い致します。いただいたカンパは各地での会議の交通費や宣伝費に使わせていただいております。
 私たちは未熟な点が多く、皆様にご迷惑をおかけする場面もあるかと思いますが、今後も給費制訴訟についてご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
〈振込先〉
 ゆうちょ銀行 〇〇一五〇―七―四四一五七二 
 ゆうちょ銀行以外からの振込店名:〇一九
                 口座番号:〇四四一五七二
〈名義〉「給費訴訟を応援する会」
〈連絡先〉給費制訴訟事務局メール kyuhisosyo65jimu@gmail.com
     城北法律事務所  弁護士 種田和敏
     電 話:〇三―三九八八―四八六六
     FAX:〇三―三九八六―九〇一八
〈ホームページ〉http://kyuhi-sosyou.com/
〈twitter、facebook〉「給費制廃止違憲訴訟」で検索ください。


安倍「教育再生」に反対する諸集会に参加して

東京支部  村 田 智 子

 昨年末頃から今年にかけて、新聞紙上で、安倍政権の「教育再生」=教育改革が次々に取り上げられている。教科書検定基準の改悪や、教育基本法制度の改悪等である。
 他方で、これに対抗する市民の動きも活発になりつつある。
 私は、二月から三月末にかけて、立て続けに四つの集会に参加した。
 まず、二月一日に、「生かそう一九四七教育基本法!子どもと教育を守る東京連絡会」主催の「戦争いや、ブラック教育はNO!みんな集まろう 二・一東京教育集会二〇一四」(於:文京シビックホール)に参加した。参加者は二四〇名であった。
 この集会では、渡辺治氏(一橋大学名誉教授)による講演とリレートークがメインであったが、渡辺治氏による講演は殊更に素晴らしかった。
 渡辺氏は、
●安倍政権が、アメリカが求める「戦争ができる軍隊づくり」を超え、アメリカさえも躊躇してしまう「戦争する国づくり」(=アジアでの覇権を握ること)を目指していること
●明文改憲は「戦争する国づくり」の完成には欠かせないこと
●教育改革は本質的には新自由主義・構造主義の性格が強いけれどもそこに、安倍政権の「戦争する国づくり」の要請がかぶさってきていること
を明らかにされた。
 一時間三〇分の予定時間を一五分超えた御講演であったが、一時も聴く側の集中力が途切れない御講演であった。
 次に参加したのは、三月六日の全日本教職員組合等主催の「教育委員会制度の改悪は許さない」というシンポジウムであった。
 特に印象に残ったのが、二〇一一年まで国立市で教育委員を務めておられた中村雅子氏(桜美林大学教授)のお話であった。
 中村氏は「保護者」という枠から選ばれたということであったが、真摯に教育委員の職務を遂行され、請願をされる市民の声にも耳を傾けられたということであった。また、「今、本当に必要なのは、本来の趣旨に則った教育委員会の改革であり、具体的には事務局の支援(基本的資料がいつでも読める等)及び現場の教師、保護者、市民との繋がりである」と明言された。
 会場からは、練馬区の教育委員会に「はだしのゲン」の撤去の請願が出された際の区の教育委員会の討議内容が非常によかったこと、大阪市では市長が教職員に対してまで思想調査アンケートを広げようとした時に教育委員会がストップをかけたこと等の報告がなされた。
 教育委員会というと、私達に敵対する存在というイメージが強いが、各地で頑張っているのだということがよく分かった集会であった。
 参加者は、百数十名はいたであろうと思う。
 その次に参加したのが、「安倍教育政策NO・平和と人権の教育を!ネットワーク」が主催した「教育再生って何?子どもたちはどうなるの 三・二一全国集会」であった。中野ゼロホールで行われた。
 この集会は、教育改革の名のもとで行われている各政策を一つ一つ取り上げた、非常に分かりやすい集会であった。
 メイン講師の山本由美氏(和光大学教授)の御講演は、先の二・一集会での渡辺氏の御講演をさらに具体的にしたものであった。
 安倍政権が、
●アジアで覇権を取るために必要な、グローバル化をマネージメントするための人材育成に力を注いでいること
●そのために六・三・三制の見直しにまで踏み込んでいること
●学力テストの実施と結果の公表は学校選別のために不可欠なものであり、実際に大阪では統廃合の理由として利用されていること
等が明らかになった。
 集会の参加者は二四〇名とのことであった。
 そして、三月二九日には、日比谷野外音楽堂で、全日本教職員組合外主催の「安倍『教育再生』ストップ!憲法を守り、いかそう!」の集会が行われた。
 この集会については、翌日の赤旗の一面トップで取り上げられたので、記憶している方も多いと思う。参加者は二七〇〇名以上で、全国各地から集まった。
 この集会のメイン講師は小森陽一氏(東京大学大学院教授)であった。私が紹介する必要もないと思うが、九条の会の事務局長である。小森氏は、第一次安倍政権のときに、全国各地で九条の会が出き、運動が盛り上がったことが、安倍総理の早期退陣に繋がったこと、今後の憲法運動や「教育再生」反対運動でもその経験を活かしていくべきであるということを、熱く語られた。
 また、集会では、団本部の山口事務局長が挨拶をされた。教育の集会で団の執行部が挨拶をするというのは、かなりめずらしい。山口事務局長の御挨拶により、団本部がどれだけ真剣に教育の分野に取り組んでいるかが、多くの人に伝わったと思う。
 集会終了後はパレードで、小林善亮団員、事務局の阿部さんとともに、団の旗を持って参加した。
 教育関係でのこういうパレードは、久しぶりで、私自身は、二〇〇六年に改悪された教育基本法の改悪阻止運動の時以来であった。
 今後、四月四日にも、日弁連のワーキンググループ主催の集会がクレオで行われる。
 立て続けに教育の集会に参加しての感想であるが、どの集会も、安倍「教育再生」という難しいテーマに、真正面からしっかり取り組み、その狙いを暴くことに成功していると思う。
 どの集会も、分かりやすく、結構面白い。散在する各問題点がわかりやすく解説されているし、「見せ方」や「打ちだし方」も上手である。ビジュアルに工夫があったりもする。主催者側に「学校の先生」が多いからであろうか。
 憲法問題に興味のある人はもちろん、「子どもを学校に通わせている一人の保護者」としての立場で参加しても、十分に面白いのではないだろうか。
 「忙しくて、教育問題にまでとても手が回らない」と考えておられる支部員にも、ぜひ、気楽に参加していただきたい。


「許すな!労働者派遣法と労働契約法の改悪」三・三一安倍「雇用改革」に反対する院内集会を開催しました。

事務局次長  本 田 伊 孝

 本年三月三一日、衆議院第二議員会館において、自由法曹団(労働法制改悪阻止対策本部)主催で「許すな!労働者派遣法と労働契約法の改悪」=三・三一安倍「雇用改革」に反対する院内集会=を開催しました。この院内集会は、通常国会に提出された労働者派遣法改正案、安倍政権の下で進められようとしている労働法制改悪の全貌を明らかにし、労働組合と一丸となって改悪阻止に向けて行動提起を行おうという観点から開催されました。当日は、神奈川支部の団員の弁護士が多数参加し、JMIU、JAL原告団、首都圏青年ユニオン、MIC、大学の非常勤講師組合、東京地評などの労働組合、国会議員秘書等々、合計九八名が参加しました。
 院内集会では、鷲見労働法制改悪阻止対策本部長から、「安倍の『雇用改革』の全貌と危険な正体」というテーマで、労働法制の改悪の動きについて報告がありました。
 鷲見本部長からは、安倍「雇用改革」の二つのキー・ワードである「世界で一番企業が活動しやすい国」「雇用維持型から労働移動支援型へ」を基に、如何に日本経済、労働者の生活が痛めつけられてきたか、その全貌の報告がありました。また、限定正社員、労働時間法制の撤廃、派遣法の見直し、有期雇用無期転換権ルールの見直し、国家戦略特区問題などについても、鷲見本部長から報告がありました。
 安倍「雇用改革」は、内容が複雑で多岐にわたっているため、その全貌(問題点)を正確に掴みにくいのが現状です。そこで、自由法曹団(労働法制改悪阻止対策本部)では独自に、リーフ「STOP!アベノ雇用破壊」を作成しました。この院内集会でリーフをお披露目するだけでなく、団本部から労働組合に「リーフを使って街頭宣伝を行おう!」と行動提起をしました。
 院内集会では「討論と経験交流」を一時間程度設け、争議団から闊達な発言がありました。地位確認等の請求をすべて棄却した三月二五日の横浜地裁判決が言い渡されて間もない中、派遣切り、雇い止めにあった日産自動車事件の原告から「派遣社員、期間社員は『景気の調整弁』として扱われている」「労働者派遣法改正案は一層、非正規社員に不安定雇用を強いることになる」との発言がありました。また、院内集会の開催日と同日の三月三一日に雇い止めにあった首都圏青年ユニオンの組合員は、悔しさを滲ませながら、「院内集会に来る前に、社前宣伝を行いましたが、雇い止めは撤回されることはありませでした」と発言しました。
 労働者派遣法改正案が本通常国会に提出されています。安倍政権は労働法制改悪を進めることによって、成長戦略を成し遂げようと躍起になっています。
 労働法制改悪阻止対策本部では来月も院内集会を開催します。全国各地の団員にも、リーフの普及、学習会、街頭宣伝の開催を強く呼びかけます。


さよならブラック企業「STOP!アベノ雇用破壊」リーフ 〜完成のお知らせと、普及・活用のお願い

事務局次長  並 木 陽 介

 安倍首相は、昨年以降、「世界で一番企業が活動しやすい国」を目指して、(1)派遣を企業が利用しやすい仕組みに変えるための派遣法改悪や、(2)有期雇用労働者が無期雇用に転換できる無期転換ルール(労契法一八条一項)の骨抜き、(3)限定正社員制度の導入、(4)残業代の不払いを合法化する労働時間法制の改悪、(5)労働者の意思にかかわらず雇用契約を消滅させ労働者を排除することのできる解雇の金銭解決制度の導入や解雇の自由化などについて、議論を進めてきました。
 この「アベノ雇用破壊」は、非正規労働者を激増させて賃金も低下させるだけでなく、正規労働者の雇用もますます不安定化させる上、長時間過密労働を横行させて過労死をより一層増加させるものであり、ブラック企業の合法化に外なりません。
 「アベノ雇用破壊」は現実化しつつあり、既に国会には、企業が永遠に派遣労働者を使用することを可能とする派遣法の「改正」案や、無期転換ルールを骨抜きにする特措法案が提出されています。国家戦略特区法に基づき、福岡市が雇用改革拠点として指定され、「解雇指南」であることが指摘されている「雇用指針」も準備されています。
 いまこそ、「世界で一番労働者が働きやすい国」の実現を目指して、全国各地でアベノ雇用破壊反対の世論と運動を強化するときです。そのツールとして、労働法制改悪阻止対策本部では、「STOP!アベノ雇用破壊」リーフを作りました。
 リーフは、A4サイズ四つ折りのもので、表紙はシンプルで明るい雰囲気に仕上げ、街頭でも受け取ってもらいやすいものとなっています。また、中身は分かりやすい文章で、かつアベノ雇用改革の中身と狙いがしっかりつかめる内容としましたので、ミニ学習会等にも活用が可能です。
 まずは全団員がこのリーフを手に取り、全国各地でこれを活用して雇用破壊を許さない大きな運動を起こしていきましょう。各地でのリーフの購入と普及・活用を呼びかけます。
 リーフは、一部一〇円、五〇〇〇部以上一部八円、一万部以上一部六円です。ご注文は五〇部単位で、注文書にて団本部までお願いします。
 また、このリーフを活用して、四月一四日(月)午後五時〜七時に、新宿西口にて、街頭宣伝を予定しています。多くのご参加をお待ちしています。