<<目次へ 団通信1492号(6月21日)
中島 晃 | 高円宮典子さんの婚約発表にあたって |
金子 直樹 | 五・二九 院内集会の報告と埼玉の活動状況 |
中瀬 奈都子 | 第三九回全国公害被害者総行動デー 対東京電力・政府交渉に参加して |
板井 優 | 書評 「あなたの福島原発訴訟 みんなして『生業を返せ、地域を返せ!』」 |
後藤 富士子 | 「離婚と子ども」―棚瀬一代先生を悼む |
山本 善久 | *五月集会特集・その二* 五月集会に参加して |
京都支部 中 島 晃
慶事であるから、喜ぶべきこととは思うが、心のどこかにひっかかるものを感じるのは、私だけであろうか。
何のことかというと、高円宮家の典子さんが、出雲大社宮司を代々務める千家家の長男で、禰宜の国麿氏と婚約したとの発表についてである。正直いって、記紀の神話が現代にもなお生きていたのかというのがいつわらざる感想である。
天皇家と皇室が、特定の宗教団体の主宰者もしくはそれに準ずる者と姻戚関係をもつのは、はたして好ましいことであろうか。あるいは、神社や神道であれば、それはかまわないとでも考えたのであろうか。
しかし、国家と結びついた神社神道が戦前、戦中に果たした役割を考えると、それは歴史を知らない者の言うことではないだろうか。戦前、戦中に、日本は神国であり、神風が吹くから、日本は負けることはないといって、国民を戦争にかりたてた歴史をふり返るとき、神社神道などのはたした役割は、きびしく見すえる必要がある。
このことに目をふさいで、天皇家や皇室が旧官幣大社の祭祀をになう千家家と姻戚関係を結ぶことは、こうした神社神道の役割を見過ごし、その正当化を図ることにつながる危険性をはらんでいる。しかも、出雲大社は、戦前の神社神道の歴史を受けつぐ神社本庁の包括に属する別表神社である。
神社本庁は、首相の靖国神社公式参拝の推進、選択的夫婦別姓反対などをかかげる右翼的な宗教団体であることが知られている。こうしたこともあって、神社本庁の包括から離脱している単立神社も少なくない。今回の婚約で、皇室が間接的にせよ、こうした性格をもつ宗教団体とつながりをもつことは、決して見過ごすことができないものではないだろうか。
現在の天皇は、体制維持のために政治的にさまざまな形で利用されてはいるが、その一方で、今なお靖国には参拝せず、かつて園遊会で将棋連盟会長であった米長氏の君が代強制をたしなめるなど、現行憲法を擁護する姿勢をとり続けてきた。このことは、憲法九九条の規定からいうと当然のことではあるが、安倍首相が解釈改憲による集団的自衛権行使容認の姿勢を打ち出し、立憲主義が危機にさられているなかで、それなりに貴重な意味をもっている。
象徴天皇制は、天皇と皇族が、現行憲法の尊重擁護義務を誠実に遵守することを前提にして成り立っている。もし、そのことに対する国民の信頼が失われるとすれば、それは象徴天皇制の基盤をほりくずすことになるといっても過言ではない。
出雲大社の祭神・大国主命(オオクニヌシノミコト)は、皇室の祖神である天照大神(アマテラスオオミカミ)の子供たちに国土を譲った「国譲り神話」で知られている。これは、皇孫が日本の国土を支配するという天皇制イデオロギーを支える神話でもある。
いま、三・一一大震災と福島原発事故により、日本の国土は深刻な危機に陥っている。そうしたなかで、今回の婚約発表は、古代王権を正当化するための記紀の神話を想起させるものであり、古代神話に由来する国土の支配者としての天皇のかくれた性格を、あらわにすることになりはしないだろうか。
そうだとすれば、それは国民主権の原理と全く相容れないものであるといわなければならない。その意味で、今回の件は、天皇と皇室に対する憲法の誠実な遵守に関する国民の信頼を根本から揺るがしかねない問題をはらんでいる。
今回の婚約がどのような経緯で決められたのか知る由もないが、これを手放しで喜べないのは、その背後に、さきに述べたような深刻な問題が横たわっているからであり、それは皇室に対する国民の信頼を損ないかねない問題であることを見すえる必要があるように思われる。
埼玉支部 金 子 直 樹
平成二六年五月二九日、参議院会館にて、自由法曹団主催による『STOP!アベノ雇用破壊』労働法制改悪反対の院内集会が開催された。会の冒頭では、日本共産党参議院議員の小池晃氏から国会情勢や日本共産党の方針が語られた。小池氏の話では、派遣法に関しては、法案の誤記載や、別法の資料中の記載ミスなどもあり、今国会での審議入り自体が困難な状況にあって、臨時国会での継続審議になる見込みであること、労働契約法一九条の特例法に関しては、衆議院での審議入りもさせない方向で国会運営をし、これら両方の廃案を強く求めていくとのことであった。
その後、労働法制改悪阻止対策本部の団員から、派遣法改正案、労働契約法一九条の特例法、労働時間規制改革、規制改革特区の議論状況について報告された。特に、労働時間に関しては、年収制限すら設けず、総労働時間を設定するのみの労使合意による労働時間の規制を受けない制度の導入が議論されていることが触れられ、「残業ゼロ法案」「過労死促進法案」と非難された第一次安倍政権が提案したホワイトカラーエグゼンプション法案以上に労働者の生命・身体を脅かすものであると訴えられていた。
そして、争議の当事者や各労働組合、労働者団体、支援者らから、争議の現状や雇用規制改革に反対の意見が力強く語られた。院内集会終了後は、衆議院厚生労働委員に対する議員要請を行った。
現状政府で議論されている雇用規制改革は、歴史上労働者が「契約自由の原則」に基づく資本主義の弊害を打破し、権利として勝ち取ってきた、最低基準であるはずの労働法規を「岩盤規制」として緩和しようとするものであり、正に「雇用破壊」というべきものである。しかも、一つの問題に限らず、非正規・正規、労働時間等あらゆる場面での緩和を目論んでいる。このような中で、我々自由法曹団所属の弁護士としては、複雑かつ多岐に渡る議論状況について、常に注視して情報をアップデートしつつ、「残業代ゼロ」など『分かり易い』形での世論喚起の運動を行わなければならないと考えている。
ちなみに、埼玉では、弁護士会として、安倍雇用規制緩和に反対する声明、派遣法改悪に反対する声明を執行し、埼玉地区選出の衆参厚生労働委員に対する直接の議員要請を行っている。また、団員を中心として、労働規制緩和に関する無料学習会を実施し、街頭宣伝における団リーフレットの配布など、積極的に活動をしている。特に、学習会活動では、集団的自衛権や憲法に関する学習会においても、団のリーフレットを配布して雇用規制改革問題についても触れ、次回の学習会のテーマにしていただくよう呼びかけを行うなど工夫をしている。
今月中に纏められる政府の「骨太の方針」では、労働時間規制緩和などが盛り込まれるとのことである。また、派遣法改悪・労働契約法一九条の特例法も、臨時国会での継続審議となる見込みで、長期的な闘いが必要となる。雇用規制改革の問題も、集団的自衛権の問題同様に、絶対反対の国民的運動を起こしていくことが不可欠である。
埼玉支部 金 子 直 樹
去る六月四日、第三十九回全国公害被害者総行動デー一日目の各省交渉の一つとして、対東京電力・政府交渉が行われた。会場である参議院議員会館講堂は、福島から駆けつけた人々であふれかえった。私が弁護団員として参加している「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(以下、「生業訴訟」という)の原告も、浜通り、中通り、会津の各地域からバス数台を貸し切り、一三〇名以上が参加した。
同交渉では、大きく分けて四つの事項について、すなわち、福島第一原発事故についての法的責任、福島原発全基の廃炉および事故収束作業、一方的な線引きをしない全被害者に対する損害賠償の実施および生活再建の推進について要求した。
福島第一原発事故の法的責任に関して、東京電力は、私たちの訴訟において、被ばく線量が年間二〇ミリシーベルト以下であれば権利侵害はない、原告らが求める原状回復を実現するためには莫大な費用がかかるため、社会通念上金銭的に実現不可能であって不適法であるなどと開き直りと言わざるを得ない主張をしている。被害者側は、この主張の撤回を求めたところ、東京電力担当者は、詰めかけた被害者を目の前にしながら、個別の訴訟に関するため回答できないと繰り返し、そればかりか、訴訟上の主張が東京電力の公式見解か否かも答えられないなどと述べた。さらに、文書送付嘱託に対し、提出を拒否している事故前の津波試算データを開示せよという要求に対しても、同様に、回答を拒否した。福島原発全基の廃炉については、県内の五九市町村すべてでこれを求める意見書や決議が可決されており、全県民の当然の要求であるにもかかわらず、「政府の議論をふまえて今後判断したい」などとおざなりの回答を行い、東京電力が、甚大な被害をもたらしながら、いかに無反省であるかが浮き彫りとなった。
政府側は、経済産業省資源エネルギー庁、厚生労働省、文部科学省、環境省、内閣府および復興庁の官僚が交渉の席についた。被害者側は、まず、原発を「重要なベースロード電源」と位置づけるエネルギー計画の撤回や新規制基準について同計画の中で「世界一厳しい水準」と謳う根拠を問いただした。しかしながら、資源エネルギー庁担当者は、被害者側は事前に要求事項を明らかにしていたにもかかわらず、新規制基準については原子力規制委員会の所管であるため答えられないと繰り返し、エネルギー基本計画については、完璧なエネルギーはない、コストや環境影響などの諸要素を総合考慮して定めていると開き直った。さらに、生活再建に関し、応急仮設住宅および借り上げ住宅の提供期間について、現在の一年ごとの延長をやめ、長期的な提供を求めた。事故から三年を経過してもなお、ふるさとに戻ることができるか不透明な生活を強いられている避難者にとって、一年後の住居について心配せず暮らすことは切実な願いである。しかし、厚生労働省担当者は、災害救助法は、災害後の応急的な生活救済を定める法であり、長期間にわたる救済を想定していないと回答した。これに対する、「安倍政権は、憲法の解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めようとしているのに、なぜ、原発事故の被害救済のために災害救助法の解釈を変えることができないのか」という服部浩幸さん(生業訴訟原告団事務局長)の追及は、まさに本質をついたものであったと思う。
このような、目の前にいる人々を被害者と思わない東京電力および政府の対応は、自身に加害責任があることを認識しないがゆえのものである。多くの被害者が、福島で、そして避難先で、原発事故前の暮らしを取りもどすために裁判を闘っているが、東京電力と国の法的責任を明らかにすることの意義を改めて実感した交渉であった。引き続き、法廷の中でも外でも、国と東京電力の加害責任を追及し、被害者の要求実現が進展するよう邁進したい。
熊本支部 板 井 優
はじめに
この本は、二〇一三年三月一一日、福島地方裁判所に提起された福島原発訴訟の原告団・弁護団によって書かれたものです。この本には執筆者として弁護士二一名、原告一六名が名前を連ねています。
総勢三七名の大執筆者団です。そればかりか、さらに一三名の原告の方々の意見陳述が関連資料で掲載されています。二〇一四年二月の第三次提訴で原告数は二五七九名を数えており、東電福島第一原発事故被害の実態を反映する訴訟として着実に前進しています。
しかも、原告団の支部には沖縄もあり、まさに全国展開しています。この裁判の原告になれるものとして、三・一一に福島県、宮城県、山形県、栃木県、茨城県にお住まいだった方々や、事故後県外に避難された方々も含まれるとしています。この本では、栃木県や茨城県などを加えているのは「放射性物質が県境を越えるということを象徴的に表すため」としており、東京電力福島第一原子力発電所事故を真正面から受け止めている原告団・弁護団の姿勢が明らかになっています。
一言で言えば、この本は原発のない福島讃歌であり、原発から自由になるために多くの仲間(原告)を求めるメッセージです。
発行日は、今年六月一五日ですから出来たてほやほやの一七五頁のソフトカバー本です。しかし、内容は濃いものです。
闘いの原点
この本は、三章からなっています。第一章は福島原発訴訟とは何かを述べ、第二章では裁判の現状と原告の主張を明らかにし、第三章は原告団からのメッセージを伝えています。
この裁判の源流は、三・一一が起きた二〇一一年五月、首都圏の弁護士たちが福島での相談会に参加したことにあるといいます。事故後二ヶ月という中で現地の方々は「このさき生業(なりわい)がどうなるか分からない」「ふるさとでの生活はどうなってしまうのか」と不安を口にしました。これに対し、東電や国は誠実な対応をしません。この厳しい現実から弁護士たちが立ち上がったといいます。まさに、被害の実態が弁護士たちを鍛えるのです。
故原田正純医師は、「水俣病を見た者の責任」と自らの人生を語っていましたが、まさに社会の矛盾を真正面から捉えることが闘いの原点であり、この裁判の出発点です。
水俣の教訓もそうでしたが、国や加害企業は出来る限り被害を小さくし、あわよくば従来のままの操業を続けようとします。
私たちは、福島での原発事故が起こったとき『水俣の教訓をフクシマへ』というブックレットをパート2まで出しましたが、それは被害をどう見るかということ自体が闘いであるということを伝えたかったという事に尽きます。
原発裁判を解決するための視点
裁判でものを解決するには、まず勝訴判決を得ること、そして、これを確定させること、さらに、圧倒的国民世論の支持を背景に全ての原発を廃炉にする特措法(仮称)を国会で成立させることです。
原発から自由になるには、こうした一連の闘いに勝利することが必要です。
極めて残念な事ではありますが、私たちは東電福島第一原発事故という半永久的・壊滅的被害を体験しました。その意味では、私たちは、この被害を体験した「フクシマ世代」ということになります。私たちの闘いはここから出発する必要があります。
去る五月二一日の福井地裁での大飯原発の判決では、東電福島第一原発事故を繰り返さないという立場から、原発の差止めを認めています。こうした立場が一つの大きな流れになることが必要ではないでしょうか。
私が共同代表を務める「原発なくそう!九州玄海訴訟」は、まず、加害の構造と被害の全貌を明らかにすることが被害を繰り返さないことであるとして、福島第一発電所事故の態様から全ての原発を廃炉にすることを目的としています。そのために、原発による発電政策を推進してきた国と個別電力企業を裁判で被告にすることにしました。国を相手に据えることで全ての原発をなくす闘いを現実的に共同することが出来ると考えたからです。
そして、私たちの裁判では、裁判所も含む国民的廃炉の世論を造ろうということで、一万人訴訟を実現することを目的にしています。
現在八〇七〇人ですが、近日中に一万人の原告を実現することにしています。
生業訴訟の考え
今回の本では、生業裁判は、全国各地に避難した方々の各地での避難者訴訟の闘いと、各地での差止め訴訟と共に闘うということを明らかにしています。これは、極めて重要な視点だと思います。基本的には、九州での私たちの差止め訴訟と同じ考えです
この裁判では、「原状回復を求める」としていますが、その原状とは、三・一一以前の原発のある福島ではなく、原発のない福島であるとしています。
この本で、原告団長の中島孝さんが書いています。「東京電力は、原状回復は金がかかりすぎて不可能だとも言っています。・・事故が大きければ大きいほど責任はなくなるという倒錯した暴論であると同時に、原発はいったん事故を起こせばどうにも手が付けられない代物だと自白しているようなものです」。裁判を行っている核心はここにあると中島さんは言っています。
中島さんは、遠く九州・佐賀地方裁判所での玄海原発差止め訴訟で意見陳述をしました。「そもそも、いったん事故を起こしたら最後、事故の収束も損害の回復も出来ない原発。それを動かすことなど決して許されないことではないでしょうか」。是非とも、この本を読んで、中島さんの思いを体感してください。
生業訴訟に期待するもの
原発をなくすには、等身大の被害を余すところなく明らかにし、加害者を明確にして、半永久的・壊滅的打撃を発生させる原発を全て廃炉にすることだと思います。
そのためには、首都圏やその周辺の原告や弁護団が中心となって原発を廃炉にする一大国民世論を作り出す闘いが必要だと思います。
福島と全国の闘う仲間が共に響きあって、福島の現実を学び福島を繰り返さない闘いをしていくことが必要です。
そのためにも、是非ともこの本と読まれて、響き合い輪の中に加わることを切望いたします。
「あなたの福島原発訴訟」福島原発訴訟原告団・弁護団編は、「かもがわ出版」(〇七五―四三二―二八六八)から一六〇〇円+税で売り出されています。また、福島の安田法律事務所か東京の代々木総合法律事務所にも注文してください。
東京支部 後 藤 富 士 子
一 「離婚と子ども」の問題に心理臨床家として取り組んで来られた棚瀬一代先生が五月二二日、逝去された。私にとっては突然の訃報で、取り残された喪失感から立ち直ることができないでいる。棚瀬先生の業績を偲び、昨年、東京に開設された心理相談室のブログから活動の一端を紹介したい。
二 棚瀬先生は、アメリカ在住の八年余の間、離婚後も共同養育している人たちに面接調査を行ったり、メディエーター(調停者)の訓練を受けたりし、帰国後は一二年間家裁の調停委員をされ、また、心理臨床家としてケースに携わってこられた。その経験から、「同居親の思いと子どもの想いは多くの場合一致していないことを知りました。つまり親は離婚して良かったと思っているときでも、殆どの子どもは離婚してほしくなかったと思っていること、また同居親が他方の親の顔も見たくないと思っているときでも、殆どの子どもは密かに別れ住む親への思慕の念を抱き続けていることを知りました」と述べている。私が最も共感するのも、この点である。
しかるに、不可解なことに、日本の弁護士も裁判官も家裁調査官も、このような認識をもっていない。棚瀬先生が「知らされた」という認識も、心理臨床家という専門性に基づくものとは思われない。その専門家でない私が共感するのだから。換言すると、法律や心理の専門性という以前に、普通の人間として子どもとコミュニケーションができるかどうか、つまり実情認識ないし事実認定の問題である。この事実認識が間違っていれば、法律にしても臨床心理にしても、問題解決ができないだけでなく、むしろ悲惨な結果をもたらす虞がある。「専門家責任」「専門家倫理」が問われる事態に繋がりかねないのである。
三 棚瀬先生は、前記の認識に基づき、「親が離婚を考え始めた段階で、第三者を交えて修復の可能性を探り、修復への努力を子どものためにしてほしいと強く願うようになりました」という。結婚したカップルには、それぞれ特有のコミュニケーション・パターンがあり、破綻へと突き進んでいるパターンに気づき、変えていくことは可能だと。
こうした修復の努力にもかかわらず離婚を選び取った場合でも、離婚そのものが子どもに傷を与えるわけではなく、親自身が自分にとっての離婚体験をしっかり見つめ、子どものために賢明な選択をしていくことによって子どもに与える傷を小さくすることができる。親の別居・離婚後に子どもが登校渋りや様々な身体的な症状をあらわすことはよくあるが、子どもの不適応というSOSに応えずに放置すると、一時的な不適応が長期化し、子どもの健全な成長を損なう恐れがあるという。
ここで述べられていることは、まさに心理臨床家としての専門的知見である。
四 葛藤の高い両親間で面会交流を実現することは、司法制度を運営する法律家と心理の専門家の協働が不可欠である。
ドイツでは、民法改正により離婚・非婚も父母の共同養育責任を定めているが、これを実効あらしめるために、裁判所や心理専門家の役割も変革されている。すなわち、裁判所は判決を出す前にできるだけ積極的に両親間の葛藤を解決し、合意に達するように努めなければならないと法律に明記された。また、心理の専門家の役割も、単に家族ダイナミクスの査定のみにとどまらず、両親間の葛藤を下げ、より協力的な態度に至るようにサポートする「ピースメーカー」としての役割・機能が期待されるようになったという。
米国でも、面会交流が困難な事例では、裁判所は、第三者機関を使っての面会交流を命じ、その様子は定期的に裁判所に報告される。同時に、面会交流への抵抗の基盤に両親間の煌挙。や監護親の心理的な問題が横たわっていると判断した場合、断絶してしまっている親子を再統合する目的で、裁判所が家族全員を対象にカウンセリング受講命令を出すシステムがあるという。
これに比べると、日本では、むしろ弁護士や家裁が「連れ去り」「引き離し」を擁護していて、家庭破壊と片親疎外をゴリゴリ推進している現状にある。
五 米国の調査結果によると、離婚した元夫婦の関係性は別居後三年半時点で協力的であったのは三〇%弱であり、五年半経過時点でも殆ど変化はなかった。これに対し、無関与的な関係性(パラレル・ペアレンティング)と対立的な関係性には変化があり、三年半時点で無関与的な関係性(パラレル・ペアレンティング)は五〇%弱であったのが五年半後には六五%に増え、一方、対立的な関係性は二五%から一〇%余に減り、代わって無関与的な関係性(パラレル・ペアレンティング)に移行したという。
そして、最近の調査によれば、離婚後の「無関与的な養育(パラレル・ペアレンティング)」は、子どもにとって「協力的な養育」に決して劣ることはないとの結果が報告されている。このことは、極めて重要である。すなわち、父母が協力できなくても、パラレル・ペアレンティングの方法により父母が養育に関与することの意義が大きいのである。
日本では、そもそもこのような実証的調査研究がされず、干からびた理屈だけで実務が運用されているが、アメリカと日本で、「離婚と子ども」の問題が本質的に異なるとは思えない。したがって、「パラレル・ペアレンティング」は、日本でも実務の方向性を変え得るのではないだろうか。勿論、実務を運用する人に、その意思があれば。
六 去る六月八日の朝日新聞の記事によれば、親の虐待などで児童相談所の一時保護所に入所した子どもの半数近くが過去に保護された経験があることが、日本子ども家庭総合研究所の調査でわかった。保護した後の児相の取り組みが親子関係の改善につながらず、虐待が繰り返される実情が浮かんだのである。ちなみに、全国の一時保護所に入所する子どもの実態を調査したのは日本初ということである。
調査した主任研究員は「一義的には子どもを保護した後の、児童相談所の対応の失敗」という一方で、「法制度を変えない限り再被害は防げない」と指摘している。「長く暮らせる児童養護施設などに子どもが入所するには親の同意が原則必要で、家に帰さざるを得ないことが多い。虐待しないよう親を指導するのも難しいのが現状だ」。
元児相所長の津崎哲郎・花園大特任教授(児童福祉論)は「子どもを保護した児相が子どもを取り上げられた親を対立構造の中で指導しても改善は望みにくい。米国では司法、英国では親の代理人を含む専門家会議が親の指導内容を決める。日本も調整機能を担う人が二者間に入る仕組みが必要だ」と話している。
こういう実情をみるにつけ、日本の法曹の犯罪的無能を糾弾せずにはいられない。そして、その変革を展望したとき、棚瀬先生の不在に途方に暮れるのである。
(二〇一四・六・九)
東京法律事務所 山 本 善 久
かなり久しぶりに五月集会に参加した。前回の参加は三重県・鳥羽だと思うが定かではない。やはり、今回の目玉企画、憲法討論集会が魅力的だった。そのため、プレ企画は事務局交流会への参加は失礼させていただいた。五月集会全体を通じて多くのことを学んだ。とりわけ国際情勢のとらえ方については、普段の勉強不足を補ってなお余りあるものであった。緒方靖夫氏による「私(緒方氏)の友人」から聞いた話を織り交ぜた記念講演はとても密度の濃い内容で、そして分かりやすいものであった。平和に向けた世界の流れや、軍事に頼らない安全保障という道を、もっとこの国に広げていかなければと思う。
ところで、私は三重県で生まれ育ったのだが、隣県・和歌山県を訪れたことはなかった(通過したことはある)。県境付近を除けば、遠い隣県である。この両県に共通するのは原発がないこと。原発分科会で報告された和歌山県での闘いを聞く機会を逃したのは残念であった。三重県側でも長い闘いがあり、最後は推進派が推し進めた住民投票を圧倒的な反対多数で退けて決着をつけている。
プレ企画の終了後、円月島の海岸まで歩いて行った。磯におりると、岩にあいた無数の穴の一つひとつにウニが入り込んでいる。こいつを取り出してやろうと悪戦苦闘したのだが無駄な努力であった。半日旅行にも参加し、豊かな自然を満喫することができた。
聞けば、近年、各事務所から事務局の参加が減っているとのこと。せっかく事務局の参加も保障されているのに、これはもったいない。より多くの事務局の皆さんにぜひ参加してもらいたい。