<<目次へ 団通信1504号(10月21日)
松井 繁明 | 「朝日」バッシングと従軍慰安婦問題 |
白 充 | 辺野古取消訴訟について ―訴訟経過報告と沖縄県知事選― |
井上 正信 | ガイドライン見直し中間報告を読み解く ―シームレスでグローバルな日米同盟の構築へ向けて― |
柳 重雄 | 埼玉県草加市で「公契約条例」実現 |
樋口 真也 | 日本国民救援会第五七回全国大会に参加して |
浪江 伊都子 | 滋賀支部「八月集会」に参加して |
中野 直樹 | 猛暑の朝日連峰縦走(二) |
東京支部 松 井 繁 明
「朝日」バッシングがすさまじい。
「讀賣」・「産経」両紙だけでなく、週刊誌や月刊誌までが加わっている。「反日」、「売国奴」など、極端な言辞が用いられている。
攻撃の主な対象は、従軍慰安婦問題にかかわる吉田清治氏(故人)の証言と福島原発吉田所長(故人)の報告書である。ここでは前者に限って考えたい。
自社の記事を検証し、誤りを認めて取り消すことは、潔い態度である。しかし、吉田証言の虚偽性は九〇年代前半には明らかになっていたので「遅きに失する」という批判は免れないであろう。また、このことにたいする批判が高まると、池上彰氏の論稿を一旦は没にするなど「朝日」の対応も稚拙にすぎた。
これらをめぐってメディア間で相互批判がおこなわれることは、それ自体歓迎されるべきである。しかし「歓迎」の前提は、その相互批判が真実の追求につながり、新しい価値観の発見に資することである。
「朝日」バッシングの現状で第一に問題なのは、それが真実の追求に向かうのではなく、真実をおおいかくし、ときには拡販競争にまでつながっていることである。
「朝日」批判勢力の論調の特徴は、吉田証言の取消によってあたかも従軍慰安婦問題そのものが存在しなかったかのように主張するところにある。
これは真実に反する。
彼らが問題視する「強制連行」にかかわっても、元従軍慰安婦らの証言や内外の客観的資料によって裏づけられている。吉田証言の取消によって事実が揺らぐことはない。まして、国際社会では「強制連行」の有無などではなく、自由を奪われ、性行為を強制された女性らの基本的人権の侵害が問題とされているのである。その領域では吉田証言の取消はなんの意味ももたない。
従軍慰安婦問題は確固として存在し、日本はそれにたいする真剣な対応を求められているのである。
いまや「朝日」バッシングは、たんにメディア間の問題をこえ、政治や社会に直接の影響を及ぼしはじめている。河野談話の継承をいう安倍政権の内部からまで、実質上の河野談話見直しの主張がされても、安倍首相はそれを批判せず、むしろ助長しているようにさえみえる。国際社会からの批判がきびしい在特会やヘイトスピーチなども、「朝日」バッシングなどによって活気づけられている。ーこうした現状を許すことはできない。
第二の問題は、メディア間の叩きあいがメディア全体の地位を低下させ、権力による圧迫や介入の余地を拡大させていることである。
権力を監視することを本来の任務とするメディアは、つねに権力による圧迫と介入の危険を負っている。主張が異なっても、特定のメディアにたいする権力的圧迫や介入には、全メディアが協同して立ち向かわなければならない。いまの各メディアにその用意があるのだろうか。心配でならない。
「産経」ソウル支局長にたいする長期の出国禁止と名誉毀損による起訴は、報道の自由を侵害するものである。メディアの共闘が望まれる。それと同じように、安倍政権による報道の自由侵害が、特定秘密保護法など着々と手が打たれている現状に対し、日本のメディアの共闘が必要なのである。
聞くところによると、従軍慰安婦問題について団の意見を表明することを求める声があるという(もっとも、メールを利用しない私には、その詳細を知ることができない)。
しかし、河野談話見直しについては、二〇一三年一二月二七日付団長声明で「歴史に反する発言」と批判している。同じ趣旨の意見表明を繰り返す必要はないだろう。
今日、「朝日」バッシングについて団が意見表明をするとすれば、本稿の前半に述べたような事項となるだろう。しかしその必要があるかどうかは、慎重に考えるべきだろう。団はあらゆる社会事象に意見表明をする必要はないのだし、とくに声明を発表するだけで団の行動によって運動化することが期待できないような事項については、やめたほうがよいと私は思う。自由法曹団が「声明発表団体」のように見られるのは避けたいからだ。
但し、メールで「論争」が続いているということであれば、常幹で時間をとり、意見交換してみるのもひとつの手だと思う。
(一四・一〇・一〇記)
沖縄支部 白 充
一 はじめに―新基地建設は「承認」できません
二〇一三年一二月二七日、沖縄県仲井真弘多知事は、国がした辺野古沿岸部の公有水面埋立て申請を承認した。この承認は、沖縄県知事が歴史上初めて、沖縄での新基地建設を「承認」したものであった。
しかし、県知事が埋立てを承認したとしても、沖縄県民が新基地を承認した訳ではない。
辺野古周辺住民を含む一九四名の住民は、県を被告(相手方)として、仲井真知事がなした公有水面埋立承認処分(以下、「本件処分」という。)の取消しと、本件処分の効力の停止を求め、取消訴訟及び執行停止(以下、まとめて「本件訴訟」という場合がある。)を提起した。現在、原告は計六八七名である。
二〇一四年九月一〇日は、本件訴訟の第三回口頭弁論期日が開かれた。
今回は、これまでの訴訟の経過を、簡単に報告したいと思う。
二 訴訟の経過
これまでの経緯及び双方の主張の概要は、次頁表のとおりである。
(1)本案訴訟―当面の争点は、処分性と原告適格
県は、本件承認の処分性と、原告らの原告適格を否定した。
県が原告適格を争点としてくることは想定内であったが、県が処分性についてまで争点としたのは意外であった。県としては、(1)原告適格を否定する以上、原告への影響そのものが無いことを前提とすべきではないか、という論理性の問題もさることながら、(2)さすがに辺野古漁民の原告適格を否定することはできず、また、本案判断に持ち込まれると不利な面もあるので、処分性を争点としておきたい、という、いわば危機感の問題という二つの面から、処分性を争うことにしたものではないかと、個人的には考えている。
今回の第三回口頭弁論期日では、原告適格について、公有水面埋立法や環境影響評価法の解釈から、「埋立又はその後の施設利用により、生命、身体、生活環境(生活環境に密接に関連する財産、生態系含む)に係る著しい被害を直接的に受けない利益」を有する者については、原告適格が認められることを主張した。今後、住民らに生じる個別具体的な損害(騒音被害等)について、順次主張する予定である。
(2)執行停止―県の従来の立場と矛盾する主張
執行停止申立てに対する県の主張は、概要、次のとおりである。
〈普天間飛行場周辺住民は、基地の存在によって日々あらゆる危険にさらされている。しかし、執行停止決定が出ると、辺野古への移設が進まず、普天間飛行場の危険性は固定化されるため、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ」がある。他方、辺野古沿岸部に基地ができることにより、辺野古住民が被る騒音等の不利益は、金銭賠償等で解決できるため、「重大な損害」とはいえず、前記「公共の福祉」に比べても弱いものである。したがって、執行停止は、その要件を満さない。〉
これに対し、住民側は、〈普天間基地周辺に生じている危険は移設によってどうにかしなければいけないけれど、辺野古周辺に生じている危険は金銭賠償等によって解決できるというのは、矛盾している。あるいは、辺野古を軽視している。〉と主張した。
また、住民側は、この主張が従来の県の主張とも矛盾していることを指摘した。すなわち、仲井真県知事は、二〇一三年一一月一日の定例記者会見において、普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古沿岸部の埋め立てを知事が承認しなければ、普天間が固定化するとの考えが政府内にあることについて、「固定化という発想、言葉が出てくるのは一種の堕落だ」、「(役人が)固定化と軽々言うのは自分が無能だと表現することだ。重要なポストに置くべきではない」と述べているのである。
「辺野古に移設がされなければ、普天間基地は固定化する」
この主張は、ほんの数ヶ月前に、県知事自身が批判したものであったが、今となっては、県がこの主張をするようになってしまったのである。
今後は、原告適格論と並行して、住民らに生じる個別具体的な損害(騒音被害等)を指摘し、住民らに重大な損害が生じることを主張する予定である。
三 次回期日について―県知事選との関係
次回期日は、二〇一四年一一月二六日である。
その約一週間前、同月一六日には、沖縄県知事選が行われる。
県知事選には、(1)辺野古移設推進を掲げる現職の仲井真知事、(2)辺野古移設反対を掲げる翁長元那覇市長、(3)辺野古移設の是非を問う住民投票を行うことを掲げる下地元郵政相、(4)辺野古移設「撤回」を掲げる喜納民主党県連代表が立候補を表明している。
ほんの数ヶ月で、自己矛盾する主張をし、辺野古新基地建設を承認するような現職が選ばれるのか、それとも、これに反対する者が選ばれるのか。
「今回の訴訟は、沖縄の民意を反映した訴訟である。」
次回期日において、そう胸を張って言えるかどうかは、きたる県知事選の結果に委ねられているといっても過言ではないだろう。
本件訴訟と共に、一一月の沖縄県知事選にも、ご注目いただきたい。
住民 | 県 | |
取消訴訟 | 本件処分は、公有水面埋立法四二条三項、同四条に反する | 本件埋立承認行為には、処分性がない。 原告らには、原告適格がない |
執行停止 | 本件処分により、申立人らに重大な損害が生じる | 申立人らに重大な損害は生じない。 執行停止により公共の福祉に影響が生じる。 (普天間飛行場周辺の危険性が残存する) 本案に理由がないと認められる |
住民 | 県 | |
取消訴訟 | 処分性が認められる | − |
住民 | 県 | |
取消訴訟 | 原告適格総論(考慮されるべき法の範囲・被侵害利益等) | 処分性に関する再反論 |
執行停止 | 執行停止総論(「重大な損害」、「公共の福祉」の解釈等) | − |
広島支部 井 上 正 信
第一 読み解く視点
ガイドライン見直し中間報告(以下中間報告)を読み解くには、九七年ガイドラインとの比較(どこをどのように見直そうとしているのか)、二〇一三年一〇月三日2+2共同発表文で示されたガイドライン見直しの七項目がどのような形で具体化されようとしているのか、憲法(七・一閣議決定)との関係という三つの視点が必要と考えます。
この視点で読み解くと、見直されるガイドラインが示そうとしている日本の防衛政策、日米同盟の姿が浮かび上がってくるからです。ガイドラインの見直しは七・一閣議決定を反映したものになるので、見直しが示す日本の防衛政策、日米同盟の姿から、逆に七・一閣議決定の意味がよく解ることになります。
第二 中間報告から見える日米同盟
見直されるガイドラインは、さしずめ副題として「シームレスな日米同盟」とでも呼ぶべき内容になるでしょう。中間報告では「切れ目のない(シームレスな)」という単語が七か所使われています。中間報告の中核となる項目(I序文〜VII新たな戦略的領域における日米共同の対応)に登場します。この意味は、「シームレスな日米同盟」が見直されるガイドラインを貫く縦糸となっていることを示していると思います。
「切れ目のない」は日米のそれぞれの協力分野で意味が与えられています。I序文では、ガイドライン見直しの基礎として描かれています。II指針及び日米防衛協力の目的では、将来の(「見直された」の意味)日米防衛協力で強調される事項のトップに挙げられています。IVでは、すべての日米防衛協力の分野での政府全体の調整のキーワードとされています。V日本の平和及び安全の切れ目のない確保では、平時からグレーゾーン事態、武力攻撃事態、集団自衛事態を貫く日米防衛協力のキーワードになっています。VII新たな戦略的領域における日米共同の対応では、宇宙・サイバー空間の利用、アクセスへの脅威に対する日米共同対処のキーワードとされています。
中間報告にはほとんど中身はなく、見直されるガイドラインの項目と見直しの方向性を述べているだけの、いわば目次のようなものですが、97年ガイドラインと比較すれば、見直されたガイドラインの下での日米同盟の姿はおよそ次のようなものになると思われます。
地理的限定がない日本の平和及び安全に影響を及ぼす事態での、平時から緊急事態までの日米の共同軍事行動を行い、集団自衛事態では日米の共同作戦を行う、地域(アジア太平洋地域の意味)及びグローバルな安定を脅かす事態では、日米が限りなく戦場に近いところまで共同軍事行動をとるというものです。この日米の共同軍事行動は、軍レベルから政府機関レベルでの密接な(切れ目のない)共同行動です。
私たちが97年ガイドラインの下での日米同盟として理解していたのは、日本有事の際には日本は個別的自衛権を行使し、米国は安保条約第五条で支援する、周辺事態では日本は米軍に対して軍事的支援を行うが、それは直接米軍の戦闘行為にかかわるものではない、それ以外には国際平和協力として、武力行使が禁止された自衛隊が非戦闘地域に派遣されるというものでした。派遣される部隊も戦闘を目的としない施設部隊が中心でした。しかし見直される日米同盟は、日本やアジア太平洋地域に限定されず、グローバルな軍事同盟として武力紛争やそれ以外の事態に日米が共同して軍事行動を行うものになり、これまでの日米同盟に対する認識を一変させるでしょう。
第三 97年ガイドラインとどこが違うのか
一九九七年ガイドラインの構成は、日米の軍事的協力の分野として、平素から行う協力、日本に対する武力攻撃での協力、周辺事態での協力の三分野でした。
中間報告の構成は、(1)周辺事態という地理的制約を伴う概念を取り払い、個別的、集団的自衛権行使にかかわる、平時から緊急時、さらに武力攻撃の事態をひとまとめにしています。これに、それ以外の(2)地域及びグローバルな平和と安全のための協力、(3)宇宙サイバー空間という新たな戦略的領域での協力という三分野の構成です。
(2)の分野はこれまではガイドラインには規定されず、日本の安全保障防衛政策上は、日米同盟とは切り離された国際社会との平和協力(25大綱、22大綱参照)としての位置づけでした。
さらに97年ガイドラインで後方地域支援が中間報告では後方支援となっています。
二なぜこれだけの違いが出てきたのでしょうか。七・一閣議決定が、自衛の措置三要件で集団的自衛権行使を容認していること、「二国際社会の平和と安定への一層の貢献」で、武力行使一体化論を事実上廃止して、現に戦闘行為が行われている場所以外のすべての場所で自衛隊が後方支援ができる、国際平和協力活動での武器使用権限を拡大し、前線での危険な任務を行わせることになったことが原因でしょう。
第四 ガイドライン見直しの必要性
中間報告は見直しの必要性をどのように述べているのでしょうか。日本防衛のついては「同盟のゆるぎない役割を再確認し」と述べ、周辺事態に相当する「アジア太平洋地域における平和と安全の維持に対して日米両国が果たす不可欠な役割を再確認し」と述べているだけですから、これらは今回の見直しの中心的な目的ではないはずです。中間報告はこれに続いて次のように述べています。「同盟がアジア太平洋地域及びこれを越えた地域に対して前向きに貢献し続ける国際的な協力の基盤であることを認めた。より広範なパートナーシップのためのこの戦略的な構想は、能力の強化とより大きな責任の共有を必要としており、…指針の見直しを求めた。」
97年ガイドラインを見直す中心の目的は、日米同盟のグローバル化だという意味なのです。二〇〇五年一〇月二九日「日米同盟:未来のための変革と再編」で、日米同盟がグローバル化したと評価されたはずです。しかしながら、この「変革と再編」を読んでみても、周辺事態での日米の軍事的協力関係は極めて具体的に述べていることに反し、世界における共通の戦略目標についての自衛隊・米軍の役割・任務・能力に関する記述は項目程度のもので、軍事同盟としては具体的な内容にはなっていないのです。七・一閣議決定は、日米同盟をグローバルな軍事同盟にするガイドライン見直しに「適切に反映」させることができる内容だということなのでしょう。
二〇一三年一〇月三日2+2共同発表文が七項目の見直しの目的を挙げていますが、二番目に挙げられているのが日米同盟のグローバル化です。中間報告「II指針及び日米防衛協力の目的」でもこのことが強調されています。ガイドライン見直しの最大の目的がここにあると思われるのです。
第五 「基本的な前提及び考え方」の同じところと違うところ
中間報告「III基本的な前提及び考え方」は、97年ガイドラインと表題が同じなら、中身も97年ガイドラインのほとんどコピペです。異なる個所は、「日米両国のすべての行為は、各々の憲法およびその時々において適用のある国内法令並びに国家安全保障政策の基本的な方針に従って行われる。」の一文が中間報告に追加された点です。この追加の意味は現時点では私にも不明ですが、尖閣を巡る日中の武力紛争に「抱き込み心中」させられないための米国の伏線なのかもしれません。
第六 七・一閣議決定の意味、防衛法制の改正
以上見たように、七・一閣議決定はガイドライン見直しの基盤となっていることが理解されるでしょう。集団的自衛権行使にとどまらず、自衛隊の海外活動での武力行使一体化論の事実上の廃止、武器使用権限の強化と活動の拡大は、いずれも、日米同盟のグローバルな軍事同盟化のためのものです。七・一閣議決定の「自衛の措置の三要件」が限定的な集団的自衛権行使だと説明しても、これを反映させるガイドライン見直しでは地理的限定はないのですから、七・一閣議決定は限定などではないはずです。国際平和協力というきれいごとではないのです。安倍首相が言い出しっぺの「国際協調主義に基づく積極的平和主義」もこのようなものとして理解すべきです。
来年春以降の通常国会へ防衛法制法案が提出されるでしょう。おそらく包括的な対米支援法、国際平和協力法案などが考えられるでしょう。日米同盟をグローバルな軍事同盟に格上げするための法案であり、七・一閣議決定、ガイドライン見直し、防衛法制改正を三位一体として取り組む必要があります。
二〇一四年一〇月一〇日脱稿
この原稿はNPJ通信へアップされたものです。以下のURLをご覧下さい。
http://www.news-pj.net/news/8931
埼玉支部 柳 重 雄
いわゆる公契約条例は、自治体公共工事や委託業務に携わる労働者が、人間らしく働き、生活できる労働条件や賃金の確保、向上のみならず、地域全体の労働水準を底上げのためにも、貧困問題の克服の観点からも、更には地域経済の活性化のためにも重要である。
公契約条例については、二〇〇九年に野田市での制定以来、全国各地で制定運動が取り組まれてきたが、二〇一四年四月現在、一県、三区、一〇市で制定されたにすぎず、なかなか全国に広がっていない。そんな中で、二〇一四年九月、埼玉県草加市で「公契約基本条例」が制定された。埼玉県内でも初めての実現である。私は、この制定過程に少しだけ関わったので、報告をしておきたい。
条例では、「公契約にかかる基本理念を定め、市及び事業者等(事業者及び下請者を言う。以下同じ。)の責務並びに双方対等な立場において締結する公契約の基本的なあり方を明らかにすることにより、市民サービスの質を向上させるとともに、地域経済の健全な発展及び市民の福祉の増進を図り、もって地域の豊かさを創出すること」を目的とし、市が発注する公共工事や委託業務、指定管理者の業務に携わる労働者の適正な賃金や労働環境を確保することをめざしているといえる。賃金基準額などは規則で具体化するとしているが、事業者に賃金や労働環境などの必要な報告を求め、その実効性を持たせようとしている。事業者が、継続性のある業務に関する公契約を締結する場合の労働者の雇用の安定、地域雇用の維持等の雇用環境の確保、公正な下請契約の締結に勤める等のことが定められ、市内業者の受注機械等の確保等も定められている。そして、事業者、労働者、学識経験者でつくる公契約審議会も立ち上げることになっている。条例は、基本条例であるため、これからの課題も多いが、地域における労働者の地位向上、労働環境の改善に向かって大きく踏み出した条例と言えよう。
特筆するべきは、この公契約条例の実現は、地域の民主的諸団体、市民、住民運動の取り組みの成果であることである。土建組合、市職員組合等が中心になって「草加公契約適正化運動実行委員会」を結成、地域の実情の調査、市内建設事業者との懇談、市への申入れ、意見書の提出、懇談等を重ねて、二〇一〇年当選した田中市長の公約である公契約条例の実現を後押ししてきた。二〇一四年二月には、東京都足立区の応援を得て、市議会全会派共催での公契約の勉強会が開催され多くの市民も参加した。同年六月〜七月に実施された意見公募(パブリックコメント)では一七七一件の意見が寄せられ、一部条例案に反映もされた。実行委員会等が中心となって、市内建設業者らと話し合い、公契約を通じて労働者の労働条件や賃金を確保することは労働者にとっての利益のみならず、事業者にとっても、ひいては地域経済の活性化にとっても重要であることを説き、理解が広がったことや、東京都足立区の教訓を活かして、市議会全会派の支持を得たことなど、実現に向けての大きな鍵となった。まさに、民主的諸団体と市民、住民運動の力の共同が、現実に公契約条例の実現の基礎となったといえる。私は、草加市で民主的法律事務所を営む団員弁護士の観点から、この市民、住民運動に加わり、ほんの少しだけその役割を果たし得たと思っている。
公契約条例が広がることは、公共事業等に従事する労働者の賃金水準が少なくとも向上することになるだけではなく、地域全体の労働条件、賃金を押し上げててゆくことにつながる。そうした公契約条例が全国の自治体に広がり、地域のよりよい賃金水準、労働条件を、地域から底上げしてゆく仕組みを作り上げてゆきたいと思う。地域で活動する団員弁護士として、公契約条例の理念の実現のために、今後とも、地域の労働者、民主団体と協力、協働してゆきたいと考えている。
滋賀支部 樋 口 真 也
一 二〇一四年七月二六日から三日間、福島県郡山市において救援会全国大会が開催されました。私は、かねてより救援会大津支部で活動してきましたが、今回が初めての参加となりました。主催者の発表によれば、本大会の参加者数は全都道府県から四一八名であったとのことでした。滋賀からは、中野救援会滋賀県本部会長、玉木団員(同副会長)、岡本さん(吉原稔法律事務所事務局員)、私の四名が参加しました。年齢層の高い参加者が多い中、滋賀からは二〇代、三〇代の若手の参加者があったことが特徴です。
二 紙面の都合もありますので、以下、特に印象に残ったことをご紹介したいと思います。
まず、冤罪袴田事件の弁護団長の西嶋弁護士からの報告がありました。二〇一四年三月二七日の静岡地裁の再審開始決定について、従来の有罪判決を支えていた証拠の脆弱性と捜査機関の取調べの酷さに対する裁判所の怒りが表れていると評されておりました。また、救援会などの裁判支援、特に袴田さんの姉である秀子さんの献身的な支援とも相まって、弁護団が、素直な目で事件や証拠をみたらおかしいということを裁判官に分からせることができたことが同決定へ結びついたと話されておりました。さらに、今回の決定が捜査機関による証拠のねつ造に触れたことに関し、冤罪原因の究明をする第三者機関を国会に設立することや、死刑事件の冤罪である点で死刑廃止への契機となったこと等にも言及されました。
三 次に、国公法弾圧事件の堀越さんと宇治橋さんの特別報告がありました。先の最高裁判決について、猿払事件最高裁判決の実質的変更であり、一定の政治活動の自由を勝ち取ったという意義があること、行き過ぎた監視や尾行などについて公安警察に反省を促したものであることを述べられました。宇治橋さんは、二六都道府県の救援会などで支援の依頼をしました。一八万二千余りの個人署名と三千余りの団体署名が最高裁判所に寄せられたそうです。
宇治橋さんは、最高裁判決について、「法令解釈という枠組みを超えた解釈、いわば禁じ手を使って処理をした。国公法は普通に読めば一律の政治行為を禁止するもので違憲である。その意味で、国家公務員にも許される政治的行為があることを認めた点において評価できるが、国公法違憲の判断に蓋をした点は問題である。」などと述べられました。
四 さらに、原発問題住民運動全国連絡センターの伊藤達也筆頭代表委員から、「原発震災から三年四か月、福島はいま」と題して、特別報告がありました。「今回の原発事故は、被害深刻の大きさ、被害範囲が極めて広い、被害額の多額さ、復旧復興に極めて長い時間がかかることから、『日本史上、最大にして最悪の公害』と言える。公害というのは、政府と東電という加害者による人災という趣旨である。原発震災の深刻さは、漁業農業などの産業への影響にとどまらず教育にも及んでいる。第一原発から六〇kmも離れた福島市で一校、いわき市で四校の五つの小中学校が原発事故の影響で生徒が急減し廃校になっている。いわれなき偏見による差別を広げないための学校教育の促進等の多くの課題を抱えたままである。」と述べられ、非常に印象に残る報告でした。
五 全体討論では、各地から事件支援の要請や報告などが熱心に行われました。発言者総数は五六名にのぼりました。滋賀からも玉木団員が日野町冤罪事件について証拠開示の重要性を中心に報告をし、中野本部会長がいしずえの碑の活動について報告をしました。
その他にも、仙台支部の自衛隊国民監視差し止め訴訟、救援会中央本部の国際委員会の浜嶋さんの国連人権規約委員会の代表派遣の報告など非常に印象的な報告が数多くありました。
六 私は今回の全国大会に参加して、全国には救援すべき冤罪事件、労働事件などが数多くあり、それらの事件の当事者に救援会が寄り添った取り組みをしていることを改めて認識しました。そして、このような救援会の活動を維持していくためにも、若い世代が活動に参加できるような工夫が必要ではないかと感じました。その意味で、若い世代に救援会の活動を知ってもらうための集会イベントを企画したという東京の報告は参考になりました。しかし、そのようなイベントを企画したとしても、若い人のイベントへの参加をどう確保するのかという難題は必ず残ります。ただ、いずれにせよ、今回の大会に参加して、救援会の活動の必要性の再認識と今後の課題について考えることができ、非常に有意義な機会であったと思っています。
なお、全国大会参加後、青山霊園にある社会運動や革命運動に身を投じた人々が合葬される解放運動無名戦士の墓と同趣旨で、二〇一三年に建立された、滋賀いしずえの碑の合同追悼会にも参加しましたので、ここであわせてご報告します。
女性の法律事務所パール 浪 江 伊 都 子
滋賀支部では毎年、県内の会場を借りて、各々の弁護士の事件報告、外部から講師をお招きしての講演会、そして懇親会で更に交流を深めるという「八月集会」を開催しています。
参加者は団の滋賀支部の弁護士、事務局の他に、普段からつながりのある外部の団体の方や、団員ではない弁護士の方もご招待しています。
事務局は手分けして、事前、当日の準備(会場を押さえたり、垂れ幕を準備したり・・・)を通常の仕事の合間に行うので、少し忙しい思いもしますが、やはり、事務局にとっても勉強になる話が聞け、また、普段なかなか交流できない他の事務所の事務局の方ともお話しができ、(裁判所への対応の仕方など情報交換もできたり・・・)有意義な時間が過ごせます。
今年も例年通りに行われ、まず、前半は、各々弁護士の事件報告が行われました。不勉強な事務局(私)にとって、中には理解できない内容も飛び交うのですが、普段の仕事では見られない事件の話が聞けるのは、勉強になります。
後半は講師を招いての講演会ですが、今年は大阪の木村達也弁護士に「クレサラ運動三五年」といったテーマでお話し頂き、木村先生の話術のうまさも加わって、とても刺激的なお話しでした。
お話しは、まず、三五年前のクレサラ運動に関わるきっかけとなった事件、そして、当時の多重債務者の状況から始まりました。
私にとっても多重債務事件は毎日の仕事の中でも身近な事件です。まだ、法律事務所で五年ほどしか勤めていない私には、今と全く違う当時の多重債務を抱えた人たちの状況〜家族まで巻き込まれる厳しい取り立て、個人での破産が一般的でなく、最終の救済の道も無かったこと、それ以前に、ほとんどの弁護士が個人の多重債務事件をやりたがらなかったこと〜に驚きました。
その後は若手弁護士を中心に「サラ金一一〇番」を立ち上げたところ、列をなす相談者に休み無く対応されたこと、そして、運動団体を立ち上げ、マスコミや世論を巻き込みながら、長い長い運動を闘ってこられ、法改正まで勝ち取られ、現在の状況まで持っていかれたその力に感服しました。
会が終わると場所を変えて懇親会を行いました。同じ事務所同士が同じテーブルの席にならないようにくじを作るので、普段できない交流がはかれます。事務局にとっても、普段は挨拶ぐらいしかできない他の事務所の弁護士の先生方とも、お酒と食事が入ることで、気楽な世間話や、個性的な先生方からいろいろな話が聞けて、楽しい時間が過ごせます。また、全員の前で、一人一人自己紹介をする時間もあり、たくさんの人の前で話す機会の無い私にとっては、ほんの数分でもド緊張の時間ですが、これもきっといい経験なのだと思います。
会を終えて、毎年思うことは、五月集会や他の講演会で様々な話を聞く機会はあっても、八月集会のような小さな規模〜一種、身内的な感覚〜で聞くと、自分に返ってくる感動や充実感がより高いように思います。また、こういう集会を行えるのは団ならではと思います。今年も、自分はこんな大きな仕事はできなくても、日々の仕事に対して取り組む前向きな気持ちがもらえました。
これからも団以外の方ももっと参加頂いて、毎年開かれればと思います。
神奈川支部 中 野 直 樹
苦行の稜線歩きの後に
以東岳から南東を望むと、雪渓を斑模様に残した尾根のはるか彼方に、大朝日岳の尖鋒が見える。さすが名山とされる風格を感ずる。気合いを入れて、しかし動作はよれよれとザックを背負って出発した。めざす狐穴小屋までの道は平坦な尾根道だ。しかし、今日の敵はアップダウンではない。容赦なく、日干そうとするお日様だ。
下り始めて五分もたたないうちに私は左足の腿の裏に違和感を感じた。あれっと思う間もなく、筋肉がピリピリと騒ぐ感覚に襲われた。足がつるとはこのことかと思い、立ち止まってすぐ荷を下ろした。屈伸をしようとするが、足が曲がらない。私は熱中症対策にと岩塩を持参してきたので、すぐに囓った。藤田さんはつい先ほど話題にした「芍薬甘草湯」を取り出して、飲むとよいというので、有り難くいただいた。次第に腿の筋肉の違和感が去っていき、屈伸をすることができるようになった。ひとまず難を退けることができたが、まだ小屋まで二時間の行程があり、再発しないかと不安をかかえながらの再出発となった。二人は何やら喉に流し込んでいる。聞くと、アミノバイタルというスポーツサプリメントだそうだ。
稜線は、ハクサンイチゲ、マツムシソウの花畑に被われているが、飯豊山塊に比べ、花の種類が少なく、申し訳ないが見飽きてしまう。花よりも風だと念じるが、無慈悲な無風が続く。途中の下りで、高齢の男性二人と女性五人のグループを追い抜いた。この瞬間だけしゃきっとしたものの、すぐにだらだらとした気分の歩みとなった。
一四時五〇分、狐穴小屋に着いた。小屋の管理協力金一五〇〇円を支払った後、三人は小屋の前の水場に冷やされ「ゆずります」と書かれた缶ビールに飛びついた。一本八〇〇円。人の背で運ばれているとはいえ、えらい高級酒だ。すぐもう一本を手にする私たちに、管理人のおじさんは、すぐ先に自然の風呂があるので、汗を流してきたらよいと言う。着替えをもって五〇メートルほど進むと、確かにあった。「名湯 狐穴風呂(コン ヨク)注意(心臓の弱い方は禁)」とのユーモラスな立札が立っていた。側にコンコンと水が湧く溜まりがあった。とても人がつかれるほどではないが、タオルを濡らして、全身の汗をぬぐうには十分な水量であった。びしょびしょの服を脱ぎ、パンツまで着替えて、ようやく熱中から解放された。
山小屋の夕暮れ
狐穴とは妙な名だ。管理人のおじさんの話では、このあたりは昔、クマ撃ちにきたマタギが小屋がけをしたところで、狐の棲処の穴がたくさんあったことから命名されたとのこと。私は昔読んだこの地のマタギの本を思い出した。帰宅した後探してみると、朝日鉱泉ナチュラリストの家の西澤信雄氏が志田忠儀氏からの聴き取りを著した「朝日連峰の狩人」(山と渓谷社・一九九一年初版)であった。登場する志田さんは西川町大井沢で生まれ育ち、昭和二五年から磐梯朝日国立公園の管理人として、あるいは遭難救助隊の隊長として山を駆けめぐった方であった。クマや狐狩りの様子が克明に描かれている。
立川女子高校の生徒と顧問の先生がいた。ずいぶん前になるが、この高校の山岳部の海外登山のことをテレビの特集番組で見たことがある。トレーニングのためにザックに古新聞だったかを詰めてグランドを走ったり、階段登りをしたりするなどのトレーニングの様子も映しだされていた。生徒に声をかけると、今は山岳部の部員は数名程度で存亡の危機にあるとのことであった。この山ガールブームなのになぜと尋ねると、ほとんどの生徒はアルバイトをしており、部活動に参加するゆとりがない実情にあると言われた。社会の貧困化がこのような形で現れているのかと感じた。
夕立がきて雷鳴が轟いた。皆小屋に入り、夕食だ。私たちが途中で追い抜いたグループの皆さんがフライパンで料理をしながら食事を楽しんでいた。私たち三人は三本目のビールを飲み干した後、漂ってくる匂いをおかずに、お湯を注ぐだけのα米の飯を食べ、シュラーフに潜り込んだ。
道中の観察、小話
どこの山小屋でも、まだ暗い四時頃から起き出し出発の準備をする登山者のたてる音で目が覚める。文句を言うわけにもいかないので、寝返りを打ってもう一度寝入ろうとする。大概の登山者は五時半頃までに出払った。私たちは、この日の行程は大朝日小屋まで六時間二〇分予定なので、ゆっくりと七時に出発した。今朝も快晴で、太陽が張り切っている。
寒江山の登りで日差しが強くなったが、昨日と違って谷から吹き上げてくる風があり、汗のかき具合が違う。昨日よりも心のゆとりをもって花を愛で、写真を撮った。お花畑で、二匹の蝶が人目も気にしないで恋の営みに忙しい。浅野さんは時折、花の名当て質問を出す。私が答えられる花の名はわずかである。浅野さんは、カタカナではなく、漢字で覚えようとすれば記憶が持続すると言っていた。白い毛虫のような花穂が直立した植物の大群落があった。帰って図鑑をみると、タカネトウウチソウという。さて漢字では、高嶺唐打草だそうだ。いつまで覚えていられるだろうか。
登山道の上に黒い糞があった。クマのものに思われた。八時三〇分竜門小屋に着いた。管理人の話では、朝日連峰では、避難小屋が一〇棟あり、すべて山形県の所有だが、その管理は西川町、大江町、朝日町などに委託されているとのことである。狐穴小屋や竜門小屋は水が豊富で、トイレは完全水洗でバイオ浄化が成功しているという。確かに山小屋の便所らしくなく臭わないのだ。管理人の話は尽きない。途中みた糞はやはりクマのもので、一日一回登山道を渡るそうだ。雪渓の融けた直後に生えてくる新芽を食べに山渡りをしているらしい。必ず登山道の上に糞をするのは人間への縄張りのアピールだろうか。竜太郎と名付けたという。小屋の前から佐渡島が遠望できた。夜になると漁り火が見えるという。
管理人から、大朝日小屋にはビールが置いてないよと言われた。天水しかないことがその理由のようだ。とするとここで仕込んでいくしかないが、炎天下にあぶられた燗ビールを想像して逡巡していると、途中に雪渓があるのでそのかけらを持っていけばよいとの管理人の一言で問題解決。水場で冷えているものを取り出すと八本だった。三本ずつとすると一本足りない。藤田さんは、最初は、俺は二本でいいよと言っていたが、やはり後で後悔したくないと考え直し、小屋の中からもう一本仕込んできた。さて足取り軽く出発だ。
(続)