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板井 優 原発から自由になるために
後藤 富士子 司法制度における鑑定と裁判
―日本の司法は「ガラパゴス島」か?
永尾 廣久 「今日もかがり火は燃えるIV」
山口 毅大 *福井・あわら総会特集・その四*
プレ学習会第一部にて
弾圧事件の弁護活動を考え、どう行動するか
成見 幸子 永平寺、東尋坊、明通寺・・・階段だらけ
増田 悠作 事務局次長就任のご挨拶
藤岡 拓郎 就任のあいさつ



原発から自由になるために

熊本支部  板 井   優

一 福島における原発を廃炉にする闘い
 二〇一一年三月一一日、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起こった。
 これにより、四年目になろうとする今も、約一三万人における人たちが故郷を離れて生活せざるをえなくなっている。この未曾有の半永久的・壊滅的被害は、戦争に優とも劣らないといえる。いや、故郷に帰れないという被害は戦争被害を超えており、わが国が初めて味わった深刻な被害である。
 この事故の内容は、マスコミで全国に伝えられたばかりか、東日本から避難した方々が全国に原発放射線被害の恐ろしさを伝えたことも含め、わが国ではこの原発被害を繰り返してはならないという数多くの「フクシマ世代」が生まれた。
 ところで、この被害に正面から対応できない行政、立法の前にわが国では司法の果たす役割についての期待が広まっている。しかし、果たして司法が有効に機能するのか、私たちは原発から自由になれるのかどうか、その意味で私たちは、歴史的岐路に立っているといってもいいであろう。
二 九州における原発差し止めの闘い
 福島を中心に全国各地で、国と東電に対する損害賠償責任を追及する闘いが起こる一方で、福島県内では、東京電力福島第一原発だけでなく、福島第二原発も廃炉にしようとの世論が県知事・県議会・地方自治体をも巻き込んで大きく広がっている。
 また、全国各地で原発の差し止めを求める新たな裁判が、二〇一一年三月一一日の原発事故後大きく広がっている。
 九州では、福島第一原発事故を二度と繰り返さない立場から、国の原発推進政策を問い、九州電力の玄海・川内原発の差し止めを求める闘いがそれぞれ一万人規模の原告大量提訴を目標に闘いが行われている。この闘いは、玄海・川内原発の差し止めを求めて、これを契機に全国の全ての原発の廃炉を求めるものである。
 現在、玄海では八五一六人が、川内では二四八九人が裁判に立ち上がっている。玄海では、季節毎の風向きを考慮して年に四回、玄海原発近くから風船を飛ばし、放射能の汚染を実証するプロジェクトが行われ、偏西風に乗った風船が遠くは五五四キロ離れた奈良県に落ち、冬期季節風に乗った風船は佐賀・福岡・大分だけでなく、熊本の阿蘇地方にも到達している。
 この実践の中から、原発が立地する自治体の周りには、広大な被害自治体・住民がいるが、原発再稼働の動きは、原発事故の際に被害が予想される被害自治体・住民の同意権を無視したまま進められている。すなわち、再稼働には一切正当性はないのである。
三 川内原発の再稼働問題と仮処分の闘い
 昨年七月の新規制基準の策定を契機に、電力業界は原発の再稼働に向けて動き出した。
 また、安倍内閣は、内需が頭打ちならトルコなどに原発を輸出するという外需拡大の方向を打ち出している。しかし、北米では、シェールガス革命の名の下に、原発の経済性が問われ、わが国の大企業もこれに参入している。また、国内でも、小泉・細川元首相等が原発推進政策に異を唱えるなど、わが国の財界・政界は必ずしも一枚岩ではない。
 原発の再稼働騒ぎの中で、九州の川内原発が新規制基準クリアの第一号とされているが、具体的再稼働は必ずしも順調に進んでいる訳ではない。すなわち、原子力規制委員会委員長自身が「新規制基準をクリアしても安全とはいえない」と発言するなど新たな「安全神話」を振りまいて再稼働を強行する状況にはない。それなのに、国(政府)も原発立地自治体首長も、新規性基準をクリアすることと、安全性の問題とすり替えて、原発の安全性は担保されたとの詐欺まがい言辞で再稼働を目論んでいる。
 二〇一四年五月二一日の福井地裁の大飯原発差し止め判決は、福島での原発事故を繰り返さない立場から、基準値地震動等に対する関西電力の評価が甘い点などを厳しく批判し、差し止めを容認した。川内原発では、二〇一四年七月三一日、この基準値地震動問題の外に火山の危険や、避難計画の問題などを仮処分の理由として提起され、月に一回の割で審尋が行われている。
 近時、ロシアでは、東京都の山手線内側に匹敵する地域の全ての樹木がなぎ倒されたツングースカ隕石事故があった。こうした事故が原発事故を一層深刻なものにする極めて現実的な危険として、原発問題は論議されるべきである。
 ところで、二〇一四年一一月二七日、大津地裁は大飯原発と高浜原発の三・四号機の再稼働差し止めの仮処分決定を下した。決定は、原子力規制委員会が新規制基準に適合すると判断しておらず、再稼働を容認していない段階では、保全の必要性が疎明されたとはいえないとして、差し止めを却下する内容であった。
 しかしながら、川内原発では、原子力規制委員会は新規制基準に合格したとの判断をすでに下している。その意味で、川内原発の再稼働は焦眉の問題となっている。
四 解決の時来たる
〜原発被害から自由になるために〜
 ところで、この国では、司法が原発問題を解決していく歴史的時代に入りつつある。
 私は、二〇一四年一一月五日の名古屋高裁金沢支部での大飯原発差し止め判決の控訴審第一回弁論で、意見陳述をした。私は、その中で、わが国の裁判所は、例えば四大公害裁判の深刻な被害を受けてこれを繰り返さない立場から法理論を明らかにしており、未曾有の損害をもたらした原発事故に対しても、当然新たな法理論を生み出して対処する歴史的使命があることを述べた。
 この裁判の原審たる福井地裁の大飯原発差し止め判決は、原発の経済性よりも住民の人格権、安全性を優先する判断を下した。経済性を口実に原発を維持する時代は最早過去のものになりつつあるというべきである。
 かつて、三・一一以前には、原発をめぐる裁判は三一敗二勝でかつ確定勝訴判決がないという有様であった。原発問題を司法で解決するには、勝訴判決(ホップ)を取って、これを確定させること(ステップ)、さらに確定判決を普遍化して全ての原発を廃炉にする法制度化(ジャンプ)が必要である。要するに、単純な正義が勝利するのではなく、解決する強い意志と能力を持った「力のある正義」が勝利するのである。
 判決(決定)を争わせないための闘いをしていく上で、国民世論を背景に、国(経済産業省)・電力企業を交渉相手として全面的に闘うことが重要である。
 司法の理性に満ちた判決(決定)をテコに全ての原発を廃炉にする法制度を実現していくために超党派の国会議員団を作り上げ、闘っていくことが求められている。
 これに備えて、脱原発原告団全国連がこの秋に設立されており、解決に向けての準備は着々と進んでいる。
 今や、原発問題は、解決に向けての歴史的な段階に入っており、原発から自由になるためのこの国の国民の歴史的な闘いが求められている。


司法制度における鑑定と裁判
―日本の司法は「ガラパゴス島」か?

東京支部  後 藤 富 士 子

一 DNA鑑定―価格破壊と信頼性
 親子関係の存否が争われるとき、DNA鑑定が実施される。その検査の方法も、かつては血液を検査試料(検体)としており、一件につき三〇万円が相場であった。ところが、近時は、口の粘膜や毛根がついた髪の毛、血液など、複数の箇所を調べることによって精度が向上しているうえ、進歩した検査方法の簡便さから、DNA鑑定に多くの業者が参入し、料金も数万〜一〇万円台である。これにより、裁判所における鑑定でも、価格破壊が起きている。しかるに、弁護士の間では、今でもDNA鑑定費用について一件三〇万円が相場との前提で、法テラスの援助を受けるか否かさえ苦慮する有様である。
 しかし、問題がないわけではない。私も今年経験して初めて知ったのであるが、家裁の手続で実施されたDNA鑑定では、日本にある「出先会社」で検体を採取し、採取した検体をアメリカの検査会社に送り、検査結果を日本語に翻訳するのである。料金は、一件七万円+消費税と格安に感じられた。新聞報道によると、多数の業者が参入したことで、料金が一件二万円台という業者もいるという。一方、海外の検査会社のデータを誤訳し、判定を誤るなどの例もあり、質は様々なようである。
 ところで、私が最も疑問に思うのは、なぜ日本で価格破壊を起こす業者が台頭しなかったのか、という点である。また、日本の司法制度が、誤訳を含めて信用性を保障できない鑑定に依存している、その独立性の欠如である。これでは、日本の司法制度は、上辺だけ独立国家の体裁を取り繕っているものの、司法制度を運用する法曹が「操り人形」のように無能な存在というほかないではないか。既に「黒船」が内陸まで来ているのに「攘夷」を叫んでいる「司法の住人」こそ、日本で価格破壊を起こす業者の台頭を妨げたのである。
二 未公開会社の株価鑑定―独占価格と裁判放棄
 遺産分割事件で、遺産である不動産について鑑定が行われることはよくあるが、鑑定報酬については、物件の価格を基準にしているので、鑑定人が誰であれ比較的安定している。私が今年経験したケースでは、家裁で選任された不動産鑑定士が熟練した優秀かつ公正な方であったせいか、実際の役務に照らすと、その報酬は見積金額を誤って半額くらいだったのではないかと気の毒になったほどである。
 これに対し、遺産に同族会社の株式があり、しかも生前贈与が問題になっていたので、その株価について相続時と鑑定時の二時点での評価が求められ、公認会計士が鑑定人に選任されることになった。ところが、その報酬見積金額は、前記不動産鑑定よりも高額の一一〇万円+消費税であった。ちなみに、その株式はかつて一度も配当がされたことはなく、生前贈与時の贈与税申告にあたり税理士が計算した際、評価は〇円であった。
 そこで、私は、見積報酬金額の算定根拠を明らかにするように、裁判所の手続の中でも、また、その公認会計士にも直接、書面で申出をしたが、全く対応されなかった。一方、弁護士と同様に公認会計士も「仕事がない」状態らしく、「未公開会社株価算定」をウリにした公認会計士事務所のHPに出会い、そこでは「株価算定報酬料金:二〇万円〜(業界最安クラス)。株価算定書納期:最短一週間(業界最短クラス/要相談で納期三日対応実績)。」と掲載されている。私は、この資料も添付して、前記の書面を提出、送付したのである。
 結局、何の対応もされず、私や依頼者にしてみれば、評価額は限りなく〇円に近いと考えていたから、相続割合である鑑定報酬見積額の半分を予納しなかった。そうしたところ、審判期日において、裁判官は、「予納されなければ正式に鑑定決定できない。」と言うので、私は、「正式に決定してもらっては困るから予納しないのでしょ。こんな高額じゃないように、裁判所で何とかできないのか」と反論して、押し問答になった。そして、既に半額を予納した申立人側に、当方分も予納しないと鑑定を実施できないから検討するように言い、期日間に申立人側で当方の分も予納され、鑑定が実施された。
 このような悶着があっただけに、果たせるかな、鑑定結果は酷いものであった。それについても、私は、資料に基づき具体的に信用性を弾劾したが、当該裁判官は、全く聞く耳をもたず、鑑定結果の数値を使って算数的計算をし、それを「裁判」にしようとしたのである。裁判官は、そもそも鑑定書を読まないのか、あるいは読んでも理解できないのか、鑑定結果だけを盲信しているのみならず、当事者が異論をはさむことを許容しない。すなわち、鑑定丸投げ・盲従であり、裁判の放棄にほかならないのである。
 当然のことながら、忌避を申し立てているが、過去の経験に照らすと、忌避の条文は死文化している。しかし、過去の経験では、最高裁の特別抗告棄却決定の出る二週間程前に当該裁判官が転出して、結果的に当該裁判官による判決を阻止できたから、依頼者の利益を守る目的は達成できたといえる。法制度は、使われなければ「存在しないもの」になることを、実務家は知るべきである。

二〇一四・一一・二四


「今日もかがり火は燃えるIV」

福岡支部  永 尾 廣 久

 長野法律事務所が創立して五〇年を迎えました。その記念誌が送られてきましたので、早速、目を通しました。
 一九六五年一月の創設です。このとき、私はまだ高校生でした。今もお元気に活躍されている富森啓児弁護士が一人で開設されたのでした。
 「法律事務所は、だれのものでもない。人民の共有財産でありたいと考え方から、個人名をつけるつもりは最初からなかった。
 本拠は、たとえ長野市にあっても、北信はもちろん、長野県全県さらには日本列島の中央という高い気概をこめて、『長野中央法律事務所』と命名することになった。
 新しい法律事務所は、法律を武器に労働者・農民・市民・商工業者・中小企業家の護民官となることを唯一の目的とした弁護士と事務局員によるチームであり、さまざまな変遷はあったが、風雪をのりこえていった」
 素晴らしい、胸をうつ文章です。私も郷里にUターンして三年後に弁護士複数化になったとき、「不知火合同」と大きな名前をつけたことを思い出しました。そして、私自身も、先月、弁護士生活四〇年の表彰を受けましたので、そろそろ記念誌をつくりたいと考えています。
 この長野中央の五〇執念記念誌のすばらしいところは、経年的に取り組んだ事件や所員弁護士の動向が記録され、写真で紹介されているころです。これによって、日本社会の生きた現代史をビジュアルに勉強することが出来ます。
 年表と写真の組み合わせは、いつも頭を悩ますものですが、その見事にまとまっていることに、編集も業としていると自称する私も驚嘆し舌を巻くばかりです。
 長野中央には、二八歳の若さで亡くなった三浦敬明弁護士(二三期)、そして、私も面識のあった木下哲雄弁護士(二七期)が亡くなられていて、その思い出が紹介されているのも胸をうちます。
 さらに、私の同期(二六期)の大門嗣二弁護士が、真っ白の頭髪で登場しています。川父Zツルメントの先輩弁護士であり、同期同クラスで、大変お世話になりました。
 全国クレサラ被害者交流会が長野で開催(二〇〇〇年一〇月)されたときには、村上晃弁護士が大活躍したことをよく覚えています。そして、ついにサラ金の金利の引き下げを実現することが出来たのでした。
 長野中央は、長野における九条の会などの憲法運動の中心に位置して、毎年のように二〇〇〇人から三〇〇〇人規模の集会を実現してきました。そのつど会場を超満員にしたとのこと、大変な力量をもっている法律事務所です。
 長野中央に在籍していた加藤洪太郎弁護士や武田芳彦弁護士の思い出の記も、なかなか読ませます。
 「私は性格的に、まじめでおとなしい。ケンカや議論は大嫌いで、平和と協調を愛する人物でした。藤沢周辺の小説に登場する下級武士のように、気が小さくてびくびくしている人間でした。
 それが、長野中央に入ったとたん、攻めてたたかう弁護士になることを求められたのです。それまでの二七年間にそなわった性格や姿勢が一挙に変わってしまいました」(武田弁護士)
 一読に価する五〇周年記念誌として団員の皆さんに紹介します。


*福井・あわら総会特集・その四*

プレ学習会第一部にて
弾圧事件の弁護活動を考え、どう行動するか

神奈川支部  山 口 毅 大

 六六期の山口毅大と申します。私は、未だ弾圧事件の弁護活動をしたことはありませんが、表題のとおり、プレ学習会第一部「大衆運動における弁護士の役割〜弾圧事件の弁護活動を考える〜」にて、実際に、弾圧事件の弁護活動をされている団員のお話を聞き、どのように弾圧事件の弁護活動をするのかについて、私なりに考えたことを書き連ねようと思います。
 石崎和彦団員によれば、弾圧事件とは、「暴力装置としての国家機関が、政治目的を持って、特定の集団に対する打撃目的や政治課題を有利に図るために、特定の集団・個人に対する強制力による行うこと」と定義付けられるということです。ここでいう「国家機関」に裁判所も含まれる点に留意する必要があります。すなわち、弾圧事件における裁判所の機能は、政治目的を持って、特定の集団に対する打撃目的や政治課題を有利に図るために、特定の集団に属する個人を逮捕したり、訴追したり、刑事罰を科すなどといった直接的な強制力である「暴力」に合法性を付与する点にあります。この任務を果たすために、裁判所は、手続き・判断の正当性を国民に疑わせないようにしなければならないのです。
 このような裁判所の特性からすれば、弾圧事件での裁判所での闘いの基本が多くの国民に事件を知ってもらい、関心を持ってもらい、事件の問題点を理解してもらい、支援の輪を広げられるような状況を作り出すことにあるということになります。すなわち、裁判所は、国民に裁判所の手続きや判断は適正であると誤解させ続けなければ、裁判所としての「暴力装置」の機能を果たせなくなってしまう以上、国民的運動が盛り上がり、裁判所の手続き・判断を監視する状況が作り上げられれば、裁判所は、国民の目を気にし、常識に反する手続き・判断をしにくくなるということです。
 とはいえ、弾圧事件における裁判所は、弁護側の主張立証を抑制し、短期間で裁判を終わらせることを目的としているので、通常事件よりも、何十倍も充実した主張・立証していかなければ、裁判所による合法化を止めることができなくなります。
 無罪を勝ち取ることができるのであれば、それを目指すことは当然ですが、無罪を勝ち取ることが著しく困難であっても、諦観するのではなく、弾圧に使われる法律を適用した起訴をできなくするところまで、追い込むことが重要なこともあります。
 このように、弾圧事件における裁判所の機能、弾圧事件を闘うことの意味、そして、個別具体的な事件において、事件の内容とその時代の情勢を分析し、何を獲得目標とすべきかを、実際を見て考え抜く必要があると思いました。
 次に、プレ学習会第一部での討論で、「公判段階に入り、検察官に対し開示させたい証拠がある場合、どのような方法・手続きで開示させるべきか」という設題がありました。
 参考までに、現在の司法研修所の「刑事裁判」のカリキュラムでは、「公判整理手続の活用神話」が唱道され、二回試験を突破するために、盲目的に勉強している方がいました。ですが、公判整理手続を具体的な事件を見ずに、金かどうかも怪しい延べ棒を丸呑みして、吐きだして、こと足れり、とするのは、思考の停止です。詳述致しませんが、公判整理手続の条文を見れば、明らかなように、公判整理手続における証拠開示の制度は、証拠開示を制限することを正当化する機能もあります。また、国民の目で裁判所を包囲することが制限されてしまう側面もあります。
 もちろん、ケースによっては、有用であることもあるでしょう。ですから、具体的な事件と情勢を正しく分析し、何を獲得すべきかを検討しなければなりません。そして、公判前整理手続きを利用するとしても、先に述べたとおり、弾圧事件における裁判所の機能からすれば、国民の目で裁判所を包囲することが重要であることを忘れずに、例えば、公判前整理手続を選んだものの、不公正な手続きをしようとする裁判所に対して回避勧告の署名を送りつけるなど、常に、国民が監視しているということを裁判所に自覚させ、真剣に審理させなければなりません。
 実際の弾圧事件に直面した時、私は、弾圧事件における裁判所の機能を意識した上で、何を目標として、どう闘っていくかを常に考えていく所存です。
 大変考えさせられた学習会であり、非常に有意義な時間を過ごすことができました。


永平寺、東尋坊、明通寺・・・階段だらけ

宮崎県支部  成 見 幸 子

 古稀の表彰を受けた後の一年間、目の手術(白内障、緑内障)、頚椎の手術、腰椎の手術と中古車の修理よろしく、手術とリハビリに時間を過ごし、自分の足で歩きたいの第一歩を自由法曹団の芦原温泉総会に行くことにしました。
 あのすばらしい大飯原発運転差止判決を出させた原告はいったいどんな人たちなのだろうか。プレ企画「もんじゅ判決から大飯原発判決へ」から参加しました。原発の稼働は電気を生み出す一手段としての経済活動であってその営業の自由の権利は、人格権の根幹部分をなす命や生活の権利より劣位にある。原発事故が発生すれば人格権の中核部分が極めて広汎に奪われる事態を招くのであり、具体的危険性が万一にでもあればその差し止めが認められるというシンプル且つ格調高いもので、一二六〇ガルを越える地震動が起きる可能性があり、それ以下の地震が襲った場合でも事故は避け得ないこと、使用済み核燃料プールは安全ではないこと、原発の安全基準と設備は確たる根拠のないもので、新規制基準も十分ではなくその審査を通過しても原発の安全技術及び設備の脆弱性は継続するとし、差し止めの必要性があるとした大飯原発判決でした。もんじゅ裁判の時から原発設置反対小浜(一五基もの原発に囲まれている)市民の会(現在、はとぽっぽ通信二〇一号)で活動してきた明通寺の和尚さんは、名古屋高裁でもんじゅ原発無効確認勝訴判決が出た二〇〇三年(はとぽっぽ一三四号)には「安全神話」はくずれた(そもそも大都会に置かず、過疎地に設置していることは安全でない証拠)とし、「原発必要神話」という造語を造って、真に問われているのは「安全神話」ではなく「必要神話」だと提起されている。この度の大飯原発の差し止めの枠組みに寄与している見解ではないかと思えました。
 永平寺の階段はため息の出る高さと長さで、一年分以上のリハビリをしたようでした。東尋坊の崖上から海面まで雨が降って滑りそうな階段を途中しりもちをつき、命がけで下りました。遊覧船で日本海から押し寄せる荒波にもまれた岩穴に立ち寄りましたが、大きな窓のような岩の隙間から湾の向かい側にある大飯原発が見えました。事故が起こればこの美しい海やこれに繋がる関西の都市(判決の二五〇Km圏)も汚染されることがまざまざと見て取れました。
 東尋坊で自殺防止活動をしている元警察官の方から、冷たい社会のなかで繋がりを断たれ、孤独に死を選ぼうとしている人に「ちょっと」と語りかけ、心を開くのを待ち、「解決に向けて寄り添うこと」の大切さを聞きました。宮崎県の自殺防止対策協議会委員である私は、原点を確認する思いでした。東尋坊の海面から崖上まで、しんがりを一段一段、へとへとになり、二年分のリハビリをした気分でした。
 なお、総会会場のホテルの近くに、留学して仙台医学専門学校で学んだ魯迅が師と仰ぐ藤野厳九郎の生家があり、外には二人が並んで立つ銅像、家の中には書籍その他が展示(百年前の出逢いが生きている)されていました。数年前、上海の魯迅会館で、中国で大切にされている魯迅を見ましたが、日中友好の絆が誠実な糸で繋がっていることを感じました。
一泊した宿・古民家五戸を繋いでできているという湖に面した虹岳島(こがしま)温泉は秘湯中の秘湯ということで趣がありました。


事務局次長就任のご挨拶

埼玉支部  増 田 悠 作

 この度、本部の事務局次長に就任しました。
 期は六三期であり、もうすぐ四年目が終わるところです。周りの次長は六〇期くらいの方が多いため、自分だけ少し期が若く、経験豊富な先輩方に囲まれて恐縮しています。
 埼玉県の大宮にある埼玉中央法律事務所に所属していますが、出身は兵庫県神戸市で、学生時代もずっと関西で過ごし、修習地も大阪でしたので、お笑い好き、阪神ファン、家にたこ焼き器がある、という結構こてこての関西人です。自分では仕事中は標準語を話しているつもりで、周りにも標準語をマスターしたと言っているのですが、周りからは「全然違う」と言われるので、ネタで言ってると思われているかもしれません。
 これまで、弁護団や弁護士会の委員会などに複数所属して活動してきましたが、恥ずかしながら、団の活動については学習会や支部総会に出るくらいで、熱心に活動してきたとは言えないと思います。実は総会についても、あわら総会が初参加であり、久しぶりに会った同期の弁護士からは、「今日はどうしたの」と驚かれたくらいです。
 そんな私が事務局次長の話を頂いたときは、とにかく大変だということは聞いていたのですが、どれほど大変かという情報はあまりないまま勢いで引き受けたようなところがあり、普段から先輩から言われたことは基本的に断らないようにしているのですが、今回ばかりは少し考えた方がよかったかもしれない…と引き受けた後で思いました。引き受けてよかったのかはこれから分かることになると思いますが、やる以上は一生懸命やりたいと思います。
 担当は、選挙制度、教育問題、給費制問題となり、いずれもこれまであまり関わっていない分野なのですが、いずれも根本的で重要な問題であり、やりがいを感じています。
 今は議論について行くのに必死な状況ですが、全国の団員の皆さまが活動しやすいように努める所存ですので、これから二年間、どうぞよろしくお願いいたします。


就任のあいさつ

千葉支部  藤 岡 拓 郎

 二〇一四年一〇月より事務局次長に就任しました。改憲阻止対策本部、貧困・社会保障問題委員会、広報委員会を担当いたします。どうぞ宜しくお願いいたします。
 私は千葉支部の六〇期ですが、千葉支部からは次長がここ何年も出ていないということで、これまであまり団活動に関わったことのない私のような若輩者に声がかかりました。そのため、次長に就任してから初めてお会いする団員の皆様ばかりで、毎回緊張をしています。団通信に私の原稿が載るのも初めてのことと思います。まだしばらく顔を名前が一致しない状況が続くと思いますが、お見知りおきいただければ幸いです。
 私は埼玉県北部の出身ですが、修習ではじめて千葉にきて、生まれ育った土地柄か千葉の温暖な気候や海の近さに惹かれてしまい、そのまま千葉に居着くことになりました。趣味は、流行のマラソンで、フルマラソン三時間三〇分台の記録をひそかに自慢に思っておりますが、現在、走る余裕がほとんどなく、完走もあやうい状態です。
 私の現在の活動の中心は、福島第一原発事故の千葉県内の避難者による国と東電を被告とした集団訴訟の弁護団(原発事故被害救済千葉県弁護団)です。この千葉訴訟は、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟と同じくらいの進度なのですが、同弁護団のような大きな成果は千葉にはまだなく、むしろ裁判所の訴訟指揮に翻弄される面もあり、尋問を前にしてこれからが正念場となっています。皆様の叱咤激励をぜひお願いしたいと思います。なお、このような大規模な公害訴訟が初めての弁護士が多く、訴訟方針もぶれそうになるときが間々あるのですが、そこでは団の大先輩である守川幸男団員、中丸素明団員が弁護団の中心となって、その貴重な経験から軌道修正をしていただいています。
 この活動を通じて、生業弁護団や全国原発訴訟連絡会などに参加させていただき、多くの熱意ある団員とも交流を深めることが出来ました。事務局次長に就任してからは、原発訴訟に限らず、憲法問題をはじめとして、全国の皆様と新たな交流ができることを楽しみにしております。
 一〇月から次長の仕事を始まり一ヶ月も経っていない中で、沖縄知事選挙での勝利に喜んだのも束の間、安倍首相による突然の解散総選挙と目まぐるしい動きがありました。この情勢の中で団活動に貢献できることには重圧もありますが、大変やりがいも感じています。
 また、貧困・社会保障問題委員会では、九月に起きた千葉県銚子市での母子無理心中事件について取り組んでいます。この事件は県営住宅で家賃滞納のために強制退去となった母親が明け渡し当日に無理心中を決意して中二の娘を殺害したという痛ましい事件です。そこには、最低生活費を下回る収入状況のもと母親は市に相談して生活保護制度を教示されたものの結局申請には至らず、家賃の減免制度も使えるはずが県側から情報提供もなされず、強制執行に至る前に県側は一度も本人と接触して事情を聞いていないといった実態がありました。法律の枠内にとどまらず福祉に結びつけられない硬直的な行政対応など、いくつもの貧困課題が横たわっています。今後、一月を目標に銚子市や千葉県に対し他団体と共同で申し入れ行動を予定し、その準備を進めています。皆様にも感心をもっていただければ幸いです。
 二年間どうぞ宜しくお願いいたします。