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岩下 智和 配転差し止めの画期的な仮処分決定
―シナノ出版印刷労組事件で長野地裁佐久支部決定―
後藤 富士子 官僚裁判官よ! 驕るなかれ
―「国賠」のすすめ
柿沼 真利 原発をなくす全国連絡会
「福島第一原発事故に関する省庁交渉」への参加
鈴木 亜英 国際問題委員会創立二〇年に寄せて(上)
渡辺 正雄 〔散文詩〕
来し方行く末 道物語
長澤 彰 *福井・あわら総会特集・その五*
幹事長の退任にあたって
労働法制改悪阻止対策本部
労働問題委員会
労働法制改悪阻止・労働裁判闘争勝利をめざす 
全国会議二・六 参加の呼びかけ



配転差し止めの画期的な仮処分決定

―シナノ出版印刷労組事件で長野地裁佐久支部決定―

長野県支部  岩 下 智 和

 長野地方裁判所佐久支部は、本年一二月一〇日に、シナノ出版印刷労働組合の組合員(債権者)一〇名に対して、シナノ出版印刷株式会社(債務者)が行った東京事業所への配転命令の差し止めを命ずる仮処分決定を行った。
 決定は、主文で、「債権者らが、債務者に対し、東京都豊島区池袋五―七―三所在の東京事業所に勤務する労働契約上の義務がないことを仮に定める」と、明確な配転の差し止めを命じている。
 債務者は、長野県佐久市に本社があり、創業一三〇年をこえるという老舗印刷会社である。二〇一三年一〇月に初めて労働組合が結成され、従業員七一人の過半数が組合に加入した。組合の要求は、過去の未払い残業代の支払い、基本給のベースダウンの回復、増えた隔週土曜日出勤の撤回、パートの賃金切り下げの撤回と有給休暇の付与、全従業員に対する就業規則の配布、など極めて当然の要求であった。その後は、毎月一回のペースで団体交渉が行われ、残業代の支払いなど、一定の労働条件の改善もなされるかに見えた。
 ところが、組合結成から約七ヶ月後の二〇一四年五月二日、債務者は全従業員に対し、何の前触れもなく突然、同年七月二〇日をもって佐久事業所を閉鎖し、東京に新たに事業所を設立すること、そのため希望退職を募集し、東京事業所への転勤希望者は約二〇人を受け入れることなどを発表した。希望退職か東京への転勤かの二者択一を迫られた従業員は、五人が東京への転勤を希望し、五六人が希望退職に応じ、残った一〇人の債権者らが転勤も希望退職も拒否して、佐久事業所での就労の継続を求め続けた。債権者は債権者らに対し、同年七月一八日、四日後の七月二二日から東京事業所に出社するよう配転命令を出し、違反すれば無断欠勤として懲戒解雇する旨恫喝した。
 債権者らは、配転命令がなされた七月一八日当日に、長野地裁佐久支部に配転命令の差し止めを求める仮処分申請を行った。
 債権者らは、本件配転命令は、配転命令に名を借りた整理解雇であるから、整理解雇が認められる要件に照らして厳格に判断されるべきであると主張した。
 本件仮処分決定が画期的であるのは、裁判官が、整理解雇に関する債権者らの主張を念頭に、(1)配転命令の必要性、(2)配転対象者の人選の合理性、(3)組合及び当事者との事前の協議と十分な説明、の各要件について判断し、本件配転命令を無効とした点である。
 仮処分決定は、会社の経営状況は、営業利益もあがっていて順調であり、「差し迫って佐久事業所を閉鎖しなければ危機的な経営状況に陥る状態にあったとは、およそいい難いと言わざるをえない」として、まず、佐久事業所の閉鎖の必要性を否定している。
 次に、東京事業所について、「債務者は、希望退職に応ずるか東京事業所に勤務するかを従業員の判断に任せており、……従業員の人選や人員確保を行ったことは窺がえない」として、東京事業所の必要性についても疑問を投げかけている。
 そして、債権者らに対する配転命令について、債務者は「希望退職に応じなかったから本件配転命令……をしたにすぎない」のであって、「東京事業所に配置転換する積極的な必要性があったとは認められない」として、債権者らを配転させる必要性を否定し、併せて配転対象者の人選の合理性を否定している。
 さらに、債権者ら従業員に対する事前の協議や説明に関しても、「事前には何らの協議、説明も行っていない」本年五月八日に突然発表して、「三か月にも満たない同年七月二〇日に唯一の佐久事業所を閉鎖するというのは、余りにも性急かつ乱暴であるといわざるを得ない」として、誠実な協議が尽くされていないことを認定している。
 このように、佐久事業所の閉鎖の必要性も、東京事業所への配転の必要性もなく、事前の協議や説明も十分になされていない配転命令は「権利の濫用に当たり無効である」と明確に認定した。
 仮処分の必要性については、「債権者らには、本件配転命令の拒否や欠勤を理由とする給与の不支給や解雇に至る差し迫った危険があり、保全の必要性があると認められる」と明確な判断を示している。
 この仮処分決定により、債権者らは東京事業所に出勤しなくても、「無断欠勤」になることはなくなった。債権者らは、配転命令から今日まで一〇〇日以上、毎日佐久事業所に出勤して就労を求め続けている。債務者は、敷地にも立ち入らせず、一切の対応を拒否している。佐久市は、氷点下の寒さが続く季節であるが、債権者らは寒風にも負けず、今後も毎日佐久事業所への出勤を続け、必ず佐久事業所の再開を実現する強い決意でいる。


官僚裁判官よ! 驕るなかれ
―「国賠」のすすめ

東京支部  後 藤 富 士 子

一 「ウソみたいなホントの話」のその後
 昨年一二月に書いた<官僚裁判官に見る「イエルサレムのアイヒマン」〉で紹介した関西家裁支部の事件は、その後、妻から離婚訴訟が提起されただけで、確定した裁判はそのままである。パパの許に居る長男は、本案審判と保全処分で「ママに引渡せ」とされたが、保全執行でママの方へ行くのを拒否したため、「執行不能」になった。するとママは人身保護請求を申立て、パパは一〇日間拘置所に勾留されたうえ、認容判決言渡しとともに釈放された。パパが勾留中に、引渡の確定審判につき「一日三万円」の間接強制決定により賃金差押えが行われた。差押えにより月額六〜八万円が債権者であるママに会社から支払われているが、「一日三万円」で計算すると既に二〇〇〇万円にもなる。
 先日、この話を知った読者から「その後、どうなりましたか?」という問い合わせを受けた。しかし、ご覧のように、「どうにもならないまま」である。
二 そうだ!「国賠」をやろう
 民法八一八条三項は、「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。」と定め、親権の効力として、監護および教育の権利義務(八二〇条)、居所の指定(八二一条)を定めている。そうすると、パパからママへ引渡しを命じた裁判官は、明らかに法律違反をしている。そのうえ更に法外な間接強制で違法な引渡命令に従わせようなんて、絶対君主の暴虐に等しい。また、パパが長男を監護していることを「違法な拘束」だなんて冗談みたいなことを言って人身保護命令を発し、審問期日に長男を連れてこなかったからと勾留した裁判官らは、二重に狂っている。
 このように思いあがった裁判官の法律違反でも、その手続内で「確定」し、その裁判を覆すことはできなくなっている。しかし、日本国憲法では「司法権の優越」が定められ、裁判官の任期が一〇年とされていることに照らせば、絶対君主みたいなことを裁判官ができるはずがない。当事者は、こういう暴虐に抵抗し、そこから解放される道があるはずである。私自身、四〜五年前、人身保護請求事件の確定裁判について国賠訴訟をやったことがあったが、全く相手にされなかった。それほどキャリア裁判官は「マニュアル」思考で、自分で考える能力を失っているのである。
三 人身保護命令と官僚裁判官
 昭和二三年に制定・施行された「人身保護法」は、憲法三四条後段「何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。」という、英米の人身保護法を想起させる規定に基づくもので、人身保護令状についての詳細な手続法である。
 英米の人身保護法は、人身保護令状(writ of habeas corpus )を中心として発達したものである。 habeasは haveを意味し、corpusはbodyを意味するもので、habeas corpusはyou have the body、すなわち「被拘束者の身柄を差出せ」との意味を有する。そして、人身保護令状は、他人を拘束した者に対し、令状を発する裁判所又は裁判官が被拘束者の利益のために考慮するいかなる事項をも実行し、服従し、受忍させるために、被拘束者の身柄を一定の日時、場所に、逮捕拘禁の月日及び事由を添えて、出頭させることを命ずる令状である。それは、法律中において最も有名な令状であり、幾世紀の間、個人の自由に対する違法な侵害を排除するために採用されて来たので、しばしば「自由の大令状」と称される。そして、人身保護命令に従わない場合の制裁は、裁判所侮辱罪で対処される。
 これに対し、日本の人身保護法では、拘束者が人身保護命令に従わないときは、「勾引し又は命令に従うまで勾留すること並びに遅延一日について五〇〇円以下の割合をもって過料に処することができる」(同一八条)とされている。これは、官僚裁判官制度の日本では、裁判所侮辱罪の制度ができるまで、やむなく刑事訴訟法の被告人の勾引・勾留を準用したのであるが、未だに裁判所侮辱罪の制度は影も形もない。
 しかし、裁判所侮辱罪という制裁権を付与されない裁判官が人身保護命令を発するなんて、英米法の国では理解できないのではなかろうか。日本では、人身保護命令が本来の意味するところに従って使われるのは皆無である一方、専ら父母間における子の身柄争奪紛争に濫用されているのである。
四 裁判と国家賠償法の適用
 裁判については、そもそも国家賠償法が適用されないのではないかという議論がある。英米法の国では、裁判官の民事責任については司法免責特権という考え方があり、また、ドイツでも裁判官の義務違反が犯罪になる場合に限って損害賠償が認められているといわれている。これに対し、日本の国家賠償法一条一項は「公務員」から裁判官を除いていないし、裁判行為が「公権力の行使」に当たることは異論がないことから、裁判官の行為であっても、適用を除外していないと解されている。
 ところが、判例では、裁判の誤りが国家賠償法で違法とされるのはどのような場合かについて、裁判官が優遇されている。民事訴訟で裁判官が法律の適用を誤った(民事留置権と商事留置権の取り違え)という事案で、昭和五七年の最高裁判決は、違法とされる基準を次のように示した。「裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。」として、当該事案は「特別の事情」に当たるものではないと判断している。つまり、無能なために違法であることを認識しなかった場合は、賠償責任がないというのである。
 しかるに、裁判所構内での接見の際に、弁護人が被疑者に交付する文書の授受を裁判官により拒否された事案で、平成一五年の名古屋地裁判決は、当該裁判官の行為を国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為にあたると判示した。刑事訴訟法八一条による接見等の禁止の効力は弁護人には及ばないのに、担当裁判官が、その効力が及ぶと誤解しており、弁護士が法律解釈の誤りを指摘して何度も裁判官に再検討を求めたのに、条文の確認もしなかったというのである。判決は、当該裁判官の誤解を「裁判官としてあってはならないともいうべき基本的な法律の適用の誤り」とし、前記最高裁判決の基準を適用したうえで、違法であったと判断している。
五 「官僚裁判官」は、日本国憲法の「裁判官」と違うのでは?
 こうして見ると、日本の官僚裁判官は、人身保護命令を発するには相応しくない一方、国家賠償法で自らの無能の尻拭いをしてもらう情けない裁判官だというのが分かる。
 日本のキャリア裁判官は、裁判所という組織やキャリアシステムを維持することに汲々としており、そのために個々の裁判や当事者の人生を犠牲にして憚らない。私自身、判決文や法廷でのやり取りの中で、そのような裁判官の自意識を日々痛感している。
二〇一四・一二・一三


原発をなくす全国連絡会
「福島第一原発事故に関する省庁交渉」への参加

東京支部  柿 沼 真 利(原発問題委員会事務局次長)

 少々時間が経過してしまいましたが、二〇一四(平成二六)年一一月一八日(火)、一三時三〇分より、衆議院第二議員会館第八会議室にて、「原発をなくす全国連絡会」による対原発関係省庁交渉が行われ、私も参加してきましたので、報告いたします。
 同交渉は、「なくす会」の参加団体である、全日本民医連、全労連、新婦人、農民連、科学者会議、原発問題住民運動連絡センター、ふくしま復興共同センター、そして、自由法曹団から参加者を募り、現在問題となっている多様な原発問題について、政府各省庁に直接要求、質問などをぶつけ、交渉を行うというものです。今回、政府側からは、経済産業省、文部科学省、厚生労働省、環境省、内閣府、原子力規制庁の担当者が参加しました。特に、「独立性の維持」の観点から、このような要請行動に対し基本的に消極的な原子力規制庁が参加してきたのには、驚きました。
 時間的には、二時間を越える長丁場でしたが、「なくす会」と各省庁側との間で、活発な議論が行われました。
 印象に残った話をかいつまむと・・・
(1)東電・福島第一原発の放射能汚染水対策、及び、九電・川内原発再稼動との関係について
【原子力規制庁】
 福島第一原発の汚染水漏れ対策については、東電に実施計画を提出させ、監視し実施させている。ただし、トレンチの止水工事はうまくいっていおらず、有効で抜本的な対策が取れている状況とはいえない。
 九電・川内原発で過酷事故が起こった場合の汚染水漏れ対策については、汚染水漏れの発生させないための設備について審査し確認している。ただし、それが汚染水漏れを完全に予防できるのかについては未知数な部分があり、実際に汚染水漏れが発生してしまった場合、福島第一原発の状況と同じになる可能性もある。
↑【なくす会】
 汚染水対策は、場当たり的であると国民は思っている。うまくいかない原因は何か、東電任せでは限界がある。
 福島第一原発事故による汚染水問題について抜本的な対応策・解決策ができていない状況で、なお他の原発再稼動を行うのは、福島第一原発事故の反省・教訓を前提にした対応にはなっていない。直ちに再稼動の推進をやめるべきである。
(2)原発輸出について
【経済産業省・資源エネルギー庁】

 原発の海外輸出について、福島第一原発事故の教訓を国際社会で共有する、世界の原子力安全の向上や原子力の平和利用に貢献していくことが我が国の責務であると考える。
 ただし、国際条約では、原発の安全確保については原発立地国の主権のもとで行うことが国際ルールであり、原発を購入した国が責任を持つことになる。日本としては、輸出先の国から要請があれば、安全対策の協力は行う。
↑【なくす会】
 原発の輸出において、輸出先の国における安全対策は、充分になされる保証はあるのか。国際条約によって、そのように原発立地国の責任で行うという体制では、「原発の海外輸出について、福島第一原発事故の教訓を国際社会で共有する、世界の原子力安全の向上や原子力の平和利用に貢献していくことが我が国の責務」という説明も実体のないものになるのではないのか。
(3)原発事故被害救済について
【文部科学省】
 賠償問題について、原子力損害賠償法(以下、原賠法)にもとづき東電が賠償を実施することになっている。紛争審査会で賠償の指針を作成している。東電の回答が納得できない場合は原子力損害賠償紛争解決センター(ADRセンター)があり、そこで和解・仲介の手続きを行っている。ADRセンターでは当年七月末の時点で九五〇〇件の申請があり、その内八二%にあたる七八〇〇件が成立している。
↑【なくす会】
 近時、住民による集団ADRの提訴が急増している。原発被害に対して東電が責任を持って対処していない、救済していないから、集団ADRが起きている。現行の原賠法の枠内だけでは対応できないのではないか。総合的な被害救済をも目指す新法が必要ではないか。
 と、こんな感じでした。
 他にも、福島第一原発事故対策に当たる労働者の待遇問題、川内原発をはじめとするすべての原発再稼働反対、原子力規制委員会の新「規制基準」の抜本的な改善、自然エネルギーへの転換と電力の発送電分離など、多様な問題点について、交渉が行われました。
 今後も、「なくす会」は、定期的にこのような要請行動を行っていくようなので、今後も参加していきたいです。


国際問題委員会創立二〇年に寄せて(上)

東京支部  鈴 木 亜 英

一 国際問題委員会の発足
 団の国際問題委員会(以下委員会)は今年の七月に創立二〇年を迎えた。委員会は一九九四年七月に、進歩的法律家団体や活動家との国際連帯及び国際人権規約の国内定着などを目的として誕生した。
当時本部幹事長だった永盛敦郎団員から私が突然の呼び出しを受けたのはその前年の秋だったと思う。伺うと、「実は団に国際問題委員会を作りたい。最初の委員長になって貰えないか」と切り出された。そんな話になろうとは思ってもみなかったので些か面喰らった。団の役職など何ひとつ経験したことがなかったこともあり、自信などなかった。「何をしてよいか掴めませんが、私にはナショナルロイヤーズギルドとの交流や国連がらみの国際人権くらいしかできませんが」と答えたところ、「それで良いからやって欲しい」と逃げ場を断たれてしまった。そんなわけで、国際問題委員会の設立は準備され、翌年のスタートとなった。特に固定メンバーがいたわけではなく、アメリカに行くときも、ジュネーブに行くときも志のある人が委員であった。
二 委員会創立前史
 しかし、団の国際活動はこのときが始まりではなかった。私たちはその三年前にビッグバンともいうべき高熱高密度の国際活動を経験した。むしろ、国際問題委員会はこの高揚のなかから生まれたと云ってよい。
 ひとつは菅野昭夫団員とアーサーキノイさんとの出会いである。キノイさんの執筆した「ライツオントライアル」を菅野団員が五年の歳月をかけて、邦名「試練に立つ権利」を翻訳した。なんと初めて著者であるキノイさんに会うために訪米するという。菅野団員は同期・同窓の団員に同行を呼びかけた。こうして、一九九一年四月アメリカは初めてという菊池紘、岡村親宣、大森鋼三郎、稲村五男、川中宏、田川章次と私が集まり、太平洋を渡った。
 私たちは菅野訳本で初めて知ったアメリカの戦後史と格闘した進歩的法律家団体ナショナルロイヤーズギルド(以下NLG)の活躍ぶりをこの目で見たいとの思いから、菅野団員に随行した。
 この旅は、米国における多くの民衆の弁護士や闘う市民との対面でもあった。流暢な英語を喋る菅野団員はともかく、私なども慣れないスピーチを大勢の前でさせられた。私たちが驚いたのはキノイさんの驚くほどの元気さと弁護士と市民が連携した人権活動の多彩さであった。私たち八人は誰もがそれに触発され元気になり、ナイアガラの滝を見た後に立ち寄ったレストランで、その店のビールを全部飲み干してしまった。
 こんな武勇伝はともかく、このアメリカ民衆の闘いの姿を日本に持ち帰りたい、そんな感想が話し合われるなかで、キノイさんの日本招待の話しが持ち上がった。当時創立七〇周年記念を迎えようとしていた団総会で話して貰おうということだった。アメリカ人がアメリカのはなしを団総会ですることに違和感を持つ雰囲気があったものの、説得して団総会の講演となった。「試練に立つ権利」は多くの団員に読まれ、キノイさんの話も大きな反響を呼んだ。日本の戦後史と大いなる共通点があることを知り、基盤を同じくする日米の民衆の弁護士が闘いを交流する大切さが団員のなかに浸み渡った。
 もうひとつは、団としては初の代表団が訪米したことである。
一九九二年七月、小島成一団長を代表団長とする三二名の団員と九名の家族らからなる訪問団は、NLGを正式に訪ね、国際交流の一歩を踏み出した。
 キノイさんは、歓迎会のあいさつのなかで、「わたしと妻が(前年)日本で受けた歓待というのは、この数年最も胸を打つものだった。わたしがアメリカに帰って日本で招かれたことが歴史的にいかに重要な機会であったかを知った」とし、日本の法律家たちが基本的な権利を守る勇敢な闘いをしてきたのに、アメリカ人がいままでいかにそのことを知らなかったかが分かった」と自由法曹団の闘いを賞賛したうえ、「われわれは日本の皆さんと一緒に闘わなければならない。なぜならわれわれの敵は共通だからだ」と拳をふり上げて多国籍企業と共に闘うことを同席したNLGの会員に向かって呼びかけた。
 小島団長はこれに応えて「アメリカの民衆と民衆の弁護士の闘いは自由法曹団が長年闘いのなかで考え実践してきた内容と驚くほど一致していることに深い共感を覚えた」とし、「この共感は自由法曹団とNLGの間に協力できる基盤があることを示している」と連帯を呼びかけた。
 この訪問は団とナショナルロイヤーズギルドとの国際連帯の皮切りであった。いま私の手元に「アメリカ民衆の弁護士との交流―自由法曹団訪米の記録」がある。まず驚かされるのは参加者四〇名という数である。そして、東京大阪を中心に参加した団員の多士済々ぶりにも感嘆する。その後団の内外で活躍された方々が、アメリカの現実とNLGや労働組合・市民団体の活躍ぶりを生き生きと語っており、今なおこの冊子はその光を失っておらず、その発行も含めて団史の一端を飾っているといってよい。
 さらにもうひとつ付け加えるならば、その翌年一九九三年一〇月の緒方盗聴事件弁護団らの訪米である。NLGと団の間で交わされた国際連帯の契りの第一号ともなったこの訪問は、盗聴王国アメリカの実情や法規制を調査するものであった。キノイさんが用意してくれた会合や催しは東海岸と西海岸を合せて四〇に及んだ。ウォターゲート事件の?末や、キッシンジャーのモートンハルペリン盗聴事件の対応などを聞くに及んで参考になることが多かった。上田誠吉団長以下、大森鋼三郎、藤原真由美そして私を含め一行八名は時差と闘いながら、過酷なスケジュールにヘトヘトになってキノイさんの善意に応えたのである。この訪問はさらに日米法律家の交流と連帯の必要性を確かめる旅となった。


〔散文詩〕
来し方行く末 道物語

東京支部 渡 辺 正 雄

初冬 私の歩む道は 紅葉した木立の岡を貫いて静かだが
振りかえれば 分厚い枯葉を 人びと踏みわたった昭和道
あの道には お国のために 戦場へ召集される隊列つづき
僕らは 竹やぶの横道で兵隊ごっこ 教育勅語を暗唱する
少年達は 日本は神の国だと教えられ 日の丸の旗かざす
級長の友人は 一三歳で少年飛行隊(予科練・乙)を志願
世は「東洋平和のため」の戦争に 騒然として燃え上がる

昭和の道も 紅葉流れる山なみに 初冬の空 明るかった
遙かに 富士の稜線は 夕空に くっきりと描かれていた
美しい風景だったが 世の中に「美しい日本」は無かった
予科練に入つた友人は 大和魂の仕込みだと 連日殴られ
育つた家は お国のための戦争災害 爆撃を受け消失した
誰が何のために「東洋平和よ」と叫んで戦争を企んだのか
中国や南方の国々に攻撃を命じたのか すべては【秘密】

敗戦の後 友人の少年飛行兵は 冷たい眼差しで私を眺め
「お前達に話すことはない」と呟いたきり 境涯を断った
安倍さんが唱える 取り戻す「美しい日本」とは何なんだ
むかし 少年の僕達を調教した 美しい「神の国日本」か
それとも 紙幣を増刷し 金融商品を氾濫させ 原発稼働
武器輸出 壱千兆円超える負債等 輝く「金襴のお国」か
企みは 「カジノ帝国日本」を護る集団的自衛権の行使か

私は 岡の紅葉 陽にかがやく 樹林の坂道を登りながら
私たちの行く手を拓く 平和の道を仲間達とたずねている
昭和の道の 戦場に倒れた 靖国英霊の命(みこと)たち
私は 身内も祭られているお社 (やしろ) の本殿に参詣し
支那 太平洋 戦場で命を焼尽した英霊のお声を聴納する
比島 沖縄 惨憺たる戦場の有様を 君達想像出来るかな
絶対に 戦争など繰り返すな 集団的自衛権行使は地獄道
君たちの行く先は 平和の道 憲法九条の表道だと
命たちは宣まう


*福井・あわら総会特集・その五*

幹事長の退任にあたって

東京支部  長 澤   彰

 二〇一二年一〇月の焼津総会で幹事長に就任してから、二年間、団員のみなさまに、ご協力、ご支援を戴き、無事その任を務めることができました。お礼申し上げます。
 私の幹事長の在任期間は、ほぼ、第二次安倍政権と同じになりました。二〇一二年一二月、安倍政権の発足は、それまでの民主党政権への国民の失望感をうまく利用し、支持率七〇%を超える勢いで出発しました。当初から、そのタカ派的性格から「過激な国粋主義者の集団」(エコノミスト)と評価され、就任早々から、村山談話と河野談話の見直しを示唆する発言を始めました。
 第二次安倍政権は、まさに「改憲政権」であり、「戦争する国づくり」に邁進した政権だったと言えるでしょう。
 改憲の動きは、改憲手続きから始まりました。日本維新の会の橋下共同代表が「憲法九六条改憲先行」論を主張したのを、これ幸いと安倍政権がこの動きに呼応し、二〇一三年夏の参議院選挙の争点として提起する動きがありました。しかし、「立憲主義を踏みにじるな」「ずるい・きたない・卑怯だ」という広範な国民の反対の世論に押され、事実上、頓挫しました。
 団は、安倍政権の改憲路線に対する国民的な運動を作り上げるため、二〇一三年一月、名古屋で「憲法討論集会」を開催しました。自民党の憲法改正草案に対する学習会や街頭宣伝が全国から沸き起こっている状況には、まだ、ありませんでした。しかし、この場で、改憲阻止の運動の全国的な意思統一を果たしたため、今後の、改憲阻止運動に弾みをつけることができました。「憲法九六条改憲先行」論が自民党や日本維新の会から主張され始めると、全国的な反対運動が急速にわきあがり、短期間に、その野望を打ちのめすことに成功しました。
 「戦争する国づくり」のはじまりは、秘密保護法の制定でした。二〇一三年の参議院選挙において、自民党は、秘密保護法の制定について、国民に対して、何ら、政権公約をしていませんでした。法案が提出された後は、日本全国から反対の声が沸き起こりました。国民の知る権利が奪われることは、戦争に直結するという世論が広範に湧き上がりました。法案採決の直前に、二回にわたる日比谷野音の大集会と国会デモは、六〇年安保闘争以来の戦いであると評価する声があるように、国民の大きな反対の声は国会を包囲しました。安倍政権は、最終的に一二月六日、強行採決によって法案成立を図りましたが、それは、審議を長引かせると反対の国民の声が急速に増大し、法案成立が危ぶまれるからでした。国民の反対の声はとどまることなく、法案廃止の運動へ引き継がれています。
 次は、国家安全保障会議(日本版NSC)の創設、国家安全保障戦略(NSS)、新防衛大綱・新中期防の決定があります。「我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増して」いることを理由に、積極的平和主義による軍事大国化の道を歩んでいます。武器輸出三原則を骨抜きにし、武器輸出国家に大転換しました。
 さらに、集団的自衛権についての閣議決定です。安倍政権は、憲法九条の明文改憲が国民の支持を得られないことを理由に、集団的自衛権行使の解釈改憲を進めました。このことも、二〇一三年の参議院選挙の公約には示されていません。この閣議決定は、集団的自衛権行使を容認しただけでなく、自衛隊が戦闘地域に出かけて活動することを容認したもので、武力紛争の現実的危険性に踏み込んだものでした。そのための立法化は、二〇一五年通常国会に持ち越されました。
 安倍政権の改憲策動は、これだけに止まらず、日米ガイドラインの見直しで「周辺事態」を削除し、米軍支援を打ち出そうとしています。沖縄県知事選挙の結果を無視して、辺野古新基地建設を強引に押し進めるつもりです。
 安倍政権との対決が、今後も、続きそうです。
 最後に、団本部事務所移転については、全団のみなさんのご協力の下、無事、実現することができました。短期間にもかかわらず、目標を大きく上回るご支援を戴いたことについては、大変感謝しております。団本部の新執行部のみなさんを中心に、さらなる団の発展を期待し、退任のあいさつとします。


労働法制改悪阻止・労働裁判闘争勝利をめざす 
全国会議二・六 参加の呼びかけ

労働法制改悪阻止対策本部 労働問題委員会

 一二月一四日投開票の総選挙では自民・公明両党が三二五議席を獲得し、安倍政権が続くことになりました。安倍政権は、来年の通常国会に労働者派遣法改悪案と労働時間法制改悪案を提出しようとしています。この間、安倍政権は、「限定正社員」制度や「解雇の金銭解決」制度導入の動きを強めています。また、国家戦略特区を利用しての規制緩和の動きも強めています。
 自由法曹団は、安倍政権の労働法制改悪を阻止するため、また、全国でたたかわれている労働裁判闘争の勝利をめざし、下記の全国会議を計画しました。
 全労連等の労働組合や諸団体にも広く参加を呼びかける予定です。団員、事務局の皆さんが全国から多数参加されることを呼びかけます。

労働法制改悪阻止・労働裁判闘争勝利をめざす全国会議二・六

○日時:二〇一五年二月六日(金)午後一時〜五時(開場〇時四五分)
○会場:文京シビックセンター会議室一・二(三階)
※文京シビックセンター一階ホール入口の向かいのエレベーターで三階です。
※東京メトロ丸ノ内線後楽園駅から徒歩二分
○内容:(1)労働法制改悪の現状と阻止の展望
(2)全国の裁判闘争の現状と経験交流
○主催:自由法曹団
(※全国会議終了後、懇親会を予定しています。)