<<目次へ 団通信1518号(3月11日)
内藤 功 | *改憲・戦争法制阻止特集* 「閣議決定」「安全保障法案」論議の視点 |
枝川 充志 | 憲法・開発協力大綱・安全保障戦略 |
船越 賢明 | 日弁連「集団的自衛権」署名をご存知でしょうか? |
水口 瑛葉 | 奈良・憲法討論集会に参加して |
則武 透 | *盗聴法拡大・司法取引制度導入阻止特集* 倉敷民商弾圧事件と司法取引の問題点 |
鈴木 亜英 | 「弁護士思想調査事件」と盗聴法 |
中谷 雄二 | 警察による弾圧が示す権力の危険性と盗聴法の問題点 |
藤原 精吾 | 「原爆症大阪地裁判決」 |
西川 研一 | 時代遅れのダンス営業規制に引導を |
緒方 蘭 | 給費制廃止違憲訴訟の現状のお知らせ |
難波 幸一 | *追 悼* 弔 辞 |
東京支部 内 藤 功
一 「集団的自衛権行使許さず」の解釈の位置づけ
集団的自衛権行使許さず、との憲法解釈は、二面性はあるが、憲法九条を武器とする戦後平和運動と裁判闘争の苦闘の成果である。それを奪い取る「閣議決定」は許せない。
二 閣議決定違憲・撤回を基本に据える
「安全保障法案」【戦争法案】の論議に際しては、「閣議決定」は重大明白な憲法違反だから、撤回以外にない。それを具体化する法案作業は中止せよ」の基本姿勢を貫くことである。
三 指針と法案は一体
「戦争法案」と「日米軍事指針」とは一体の関係にある。閣議決定を米国に誓約するのが「指針」だ。そして「指針」および「閣議決定」を、法律の型式に具体化するのが「法案」だ。「指針」をよく読めば、「法案の」正体がよくわかる。その狙いは、【一】自衛隊が世界規模で、米軍と一体で行動できるようにする。【二】閣議決定で拡大された武力行使を具体化する。【三】「切れ目のない、」「実効的な、」「政府機関全体にわたる、」日米同盟内の調整をすることである。
四 切れ目のない法制の意味
切れ目のない法制とは何か。【一】平時から、世界規模での武力行使へ。【二】それが推移、波及して、日本に対する武力攻撃事態へ。【一】から【二】へと、連続して移行できる「仕組み」を作ることだ。【一】と【二】の順は逆になる場合もある。情報の秘匿、統制、操作のもと、国民の知らないうちに、戦時へと誘導していく仕組みだ。端的に言えば、日本の軍事行動と、米国の軍事行動との間の切れ目【隙間】をなくすことだ。
隙間、切れ目をなくす「接合剤」【接着剤】が、閣議決定の「武力行使新三要件」である。運用は、国家安全保障会議、国家安全保障局、統合幕僚監部が中心となるだろう。
五 対IS作戦と集団的自衛権がもたらす災厄
問題の核心は、海外の戦場で、日本の若者の血を、米軍に提供するな、という問題である。IS【イスラム国】のような武装勢力に、米国、はじめ有志連合国が、武力行使、日本に参戦を求めてきた場合、米側に立って、人道支援、ODA、武器輸出、現地軍への武器操作指導。それにとどまらない。自衛隊の部隊による輸送、補給、医療等の後方支援、戦闘地域での武器使用、交戦状態、武力行使へと発展する危険性は増大する。深入りすれば、自衛官の戦死傷にとどまらない。他国の子供たち、女性、高齢者など、非戦闘員の生命を奪い、健康、財産を破壊する。日本へのテロ攻撃の危険は増大する。国内では、米軍と自衛隊の武力行使を支援するための動員体制作りが、行われることは必至である。とりわけ、地方自治体の戦争国家体制への組み込みの危険は、重要である。
六 政府、自民、公明の協議【調整】
政府主導の、自民、公明協議【調整】の過程で、【一】周辺事態法を残す場合でも、周辺という地理的制約をとり除く。法律の名称を変える。豪州軍も支援する。武器弾薬の補給を認める。【二】海外派兵特別措置法をやめて、海外派兵一般法を制定する。【三】海上自衛隊による船舶検査を世界規模で可能にする。などの協議【調整】が進む。
三月末には、基本方針の合意が予想される。結局、閣議決定で、外堀を埋められたなかでの調整である。政府、自民の強気姿勢は、平行して、秘かに行われている指針改定の、日米交渉の現状を背景にしていると思われる。
一斉地方選挙を目前にして、国民の批判、懸念に対して、自民、公明それぞれに、どう言えば国民をごまかせるか、説明に苦慮している。同時に、もはや閣議決定の外堀の枠は超えられないのだと、既成事実をおしつけようとする。
政府、自民、公明の協議【調整】の欺瞞を見抜き、閣議決定と法案、指針の正体を論議することは、今の段階での急務となっている。
七 現情勢のわれわれに有利な条件
【一】沖縄県知事選挙の勝利。【二】衆院総選挙での共産党の躍進。国会論戦の様変わり。【三】一斉地方選挙での憲法問題の論戦化。【四】戦後七〇年、侵略と植民地支配への反省に国内外の注目。
とりわけ、一斉地方選挙は、地方自治体の戦争国家作りへの組み込みの危険の認識を共有する好機である。
八月一五日の談話に向けて、内外の警戒が強まっている。「戦争は絶対いやだ」
この一点での大きな共感と団結が期待できる。二〇〇〇万のアジア諸国人民と三一〇万人の日本国民の尊い生命を奪い取った侵略戦争。それに至る歴史の過程で、重大な転機があった。たとえば、三国軍事同盟の時。しかし、阻止できなかった。しかし、今の戦争国家作りは、世論と運動の力で、憲法を武器に、必ず阻止できる。「戦争法案」もろとも「戦争内閣」の退陣を目指して闘うときである。
東京支部 枝 川 充 志
一 本年二月一〇日の閣議決定においてODA(政府開発援助)大綱が改定され、あらたに「開発協力大綱」が策定された。その特徴は新聞報道にあるとおり軍事部門への支援を明確に謳った点にある。
開発協力大綱は「I 理念」「II 重点政策」「III 実施」からなる。この中で軍事部門への支援について記載されているのは「I 理念」でも「II 重点政策」でもなく「III 実施」の部分である。
ODAを「実施」する際の「原則」として、これまでは単に「軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する」とされていた。そこに「民生目的、災害救助等非軍事目的の開発協力に相手国の軍又は軍籍を有する者が関係する場合には、その実質的意義に着目し、個別具体的に検討する」が付け加わった。ここが軍事部門への支援解禁の根拠とされている。支援対象を軍事部門に広げるのであるから、明らかに「政策」の大転換というべきだろう。
しかし今回の開発協力大綱の特徴はこれだけではない。「政府開発援助大綱」をわざわざ「開発協力大綱」へと名称変更し、ODAを安全保障戦略の枠組みに位置づけ、憲法との決別を果たそうとしている点もまた指摘されなければならない。
二 一九九二年(平成四年)の最初のODA大綱にはなかったが、二〇〇三年(平成一五年)の改定時(以下、「改定ODA大綱」)の閣議決定文の冒頭には次のような改定理由が掲げられていた。
「平成四年に閣議にて決定された政府開発援助(ODA)大綱は、これまで一〇年以上にわたって我が国の援助政策の根幹をなしてきた。(略)
我が国としては、日本国憲法の精神にのっとり、国力にふさわしい責任を果たし、国際社会の信頼を得るためにも、新たな課題に積極的に取り組まなければならない。」(傍点引用者)
改定ODA大綱は「日本国憲法の精神にのっとり」として憲法を意識しODAを位置づけた。ここでその詳細は省くが、改定ODA大綱はその目的や方針、重点課題、実施原則、いずれをみてもODAから軍事部門への支援を排除し、国際社会の平和と発展へ貢献するための手段とすることで一貫させていた。
その意味でODAは――援助方法や内容に改善すべき点があるとはいえ――非軍事による徹底した恒久平和主義を掲げる憲法前文と第九条の具体的実践というべきものであった。そのことは「日本国憲法の精神」という言葉に表れていた。
三 これに対し、開発協力大綱では「日本国憲法」という言葉は削除された。むしろ「国際協調主義に基づく積極的平和主義」という空疎な文言に置き換わった。
閣議決定文書の冒頭を見ると「ODA六〇周年を迎えた今、日本及び国際社会は大きな転換期にある。この新たな時代に、我が国は、平和国家としての歩みを引き続き堅持しつつ、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保に一層積極的に貢献する国家として国際社会を力強く主導していかなくてはならない。」とし、「平成二五年一二月一七日に閣議決定された国家安全保障戦略も踏まえつつ、次のとおり、ODA大綱を改定し、開発協力大綱を定めることとする。」として、ODAを安全保障戦略の枠組みの中に位置づけることを明確にした。憲法との決別を図ったのである。
四 その上で、「ODA大綱」から「開発協力大綱」への名称変更は、安全保障戦略の観点からは軍事部門への支援よりもより実際的な含意がある。
外務省の説明によれば、「ODAの国際的定義にとらわれず、日本として必要だと考える協力は行うし、必要と思わない協力は行わないという観点から、日本自身が自らの考えで、『開発協力』の範囲を設定するということで、今回、名前を変えた」(外務省国際協力局政策課長、二〇一四年一一月二三日(日)、仙台公聴会)とされている。
ODA対象国には国際的な定義がある。OECDの開発援助委員会(DAC)において一人あたりの国民所得が一万二二七五ドルを三年連続で上回るとODA卒業国と整理される(同課長)。そのため卒業国への支援はODAとカウントされない。であるから、ODAという枠組みの下では政策的に卒業国への支援はできないことになる。そこでODA予算を、DACが定義するODA対象国に加え、卒業国にも予算を使えるよう「開発協力」という名称に変えることで政策的方向づけをしたのであった。
政府は「国家安全保障戦略」においてODA等を活用し、「安全保障関連分野でのシームレスな支援を実施するため、これまでのスキームでは十分対応できない機関への支援も実施できる体制を整備する」(国家安全保障戦略、二六頁)としている。名称変更という点からも、ODAを安全保障のツールと位置づけたことが看取できるのである。
五 思えば、援助機関での私的な実務経験を踏まえても、もともと実施レベルでは公権力の行使に資する援助、なかでも民衆弾圧に利用される恐れのある援助については、事実上、慎重に取り扱われてきた。
たとえばいわゆる途上国で軍事クーデターが起こる際、軍は多くの場合、メディアを統制をする(一九九四年のルワンダの大虐殺は特定民族が他方の民族を大量に虐殺した事件だが、このときラジオ放送局を通じた民衆への扇動が重要な役割を果たしたとされる。)。そのため、実務レベルではラジオ放送局(途上国ではニーズが高い)への支援については慎重に検討されることがあった。怖いのは軍が民生目的援助を利用することにあった。民生目的とはいえこのような形で“軍事転用”されることがあったからである。
これに対し今後は、ケースバイケースで軍部を直接支援することを明確にした。そもそも軍部を支援するということはどういうことなのか。
軍部は、ODAが想定する途上国では、国防だけでなく、時の政権に反対する勢力や民衆と対決し弾圧する実力部隊となる。あるいは自らが支配勢力となる場合もある。端的に言えば本来的にこのような力を持つ軍部への支援は、民衆を弾圧する実力部隊を強化することに他ならない。したがって事は「転用」という問題にとどまらないはずである。
憲法は民生目的や災害救援目的であれ、その手段として軍事力による助力を要請していない。そもそも軍部を強化することを憲法は要請していない。今回の改定はそこに手を突っ込んだのである。
六 政府は今後、軍事転用されないようモニタリングをするという。転用されたらどうするのか。現実にいったん相手国政府に供与した援助物資が軍部に転用された場合、当該国政府に対し、外国政府が歯止めをかけることができるのだろうか。
外交の場では相手がそのメッセージをどう受け止めるかが大事なのであろう。先の人質事件も、そう位置づけられよう。いくら非軍事目的に徹するといっても、問題は、何のために誰を支援するかということのはずである。
ODAによる軍事部門への支援を解禁し、安全保障の枠組みの中にODAを位置づけることが、どのようなメッセージを発することになるのか、このことを持つ意味があまりにも軽く評価されているような気がしてならない。今後のODAの実際の運用が原則どおりなのか、注意深く見ていく必要がある。
旬報法律事務所 船 越 賢 明
日弁連が「集団的自衛権行使の行使等を容認する閣議決定を撤回し関連法律の改正等を行わないことを強く求めます」という署名を集めています。
急な衆院選の影響なのかあまり周知されていなかったようで、昨年末時点の集約は全国でなんと約一〇〇〇筆(ちなみに目標は一五万筆)しか集まっていませんでした。
「マジで?!」と思わずにはいられない悲惨な状況に、所員一堂奮起し、本年一月より署名に取り組むことになりました。
第一次集約はすでに終了していたので、二月二七日の第二次集約を目指して、早速、依頼者にお願い文・署名用紙・返信封筒を同封して発送したり、労組などの関係団体に協力をお願いしました。
これに応えて連日のように署名が届くようになりました。協力をお願いした方のなかには、丁寧にお手紙で激励をいただいたり、お電話で「自分の思いも同じだ。署名を集めたいので用紙をもっと送ってほしい」と連絡をくださる方もありました。
所員の奮闘と関係者の協力により、二月二五日には所内で集めた約一五〇〇筆を日弁連に提出することができました。いまも署名が届いているのと、今後も依頼者に発送する予定なので、まだまだ増える見込みです。
おそらく私たちと同じように「マジで?!」と思われた方がいたのだと思いますが、第二次集約では全国でようやく二万三〇〇〇筆を超えたところです。
署名用紙は日弁連のHPからダウンロードできます。
(http://www.nichibenren.or.jp/news/year/2014/141215.html 第三次集約は五月二九日です)。集団的自衛権の行使を阻止するため、ぜひ署名に取り組み、国民の平和の声を届けましょう!
東京支部 水 口 瑛 葉
皆様、はじめまして。東京合同法律事務所に入所致しました、六七期の水口瑛葉(みなぐちあきよ)と申します。どうぞよろしくお願い致します。
私は、昨年、和歌山県で行われた五月集会に修習生として参加しましたが、今回は団員として、二月二十二日に奈良で行われた「憲法討論集会」に参加して参りました。
安倍政権下で、安保法制等に関する情勢がめまぐるしく動いていくなかでの集会ということで、多くの諸先輩方が現在の状況について危機感を抱き、真剣に議論されている場に同席することができ、多くを学ぶことができました。
その中で、特に印象的であったのは、昨年の五月集会での議論より、どうやって安倍政権の暴走を止めるための運動を広げていくかという視点からの発言や、もっと外に出て行動し、多くの人に訴えなければならない旨の発言が複数なされていたことです。
安倍政権は、成立させようとしている法案の中身や、それを成立させた後、何をしようとしているのかについて正確に伝えることなく、聞き心地がよく、なんとなく国民にとってメリットがありそうな都合のよい言葉で国民に訴えるという手法を得意としているように思います。
残念なことに、一般の人々にその言葉を本当にそのままの意味で捉えていいのかといった疑問を自主的に持つことを期待するのは困難ではないかと思います。皆、日々生活をしていかなければならず、その傍ら、一見自分には遠い問題だと思われる(この認識自体が誤っているのですが)ことについて、色々なことを調べたり、情報を集めたりすることはしないのではないでしょうか。そのことは責められないことだと思います。
だからこそ、私たちが、安倍政権がどこに向かおうとしているのか、問題となっている法案の成立により、また、憲法の改正により、どのような影響がでるのかを、解りやすく、興味を持ちやすいように届けることが重要なのだと考えます。自分自身に関係のある問題なのだと実感することが、国民の実際の行動に結びつくのではないでしょうか。
難しいことはぬき!にして、核となる部分だけでも、広く伝えていくことが必要なのかもしれません。多くの人に、私たちのメッセージを届けるにはどうしたらよいのか、どうしたら耳を傾けてもらえるかという運動論に力を入れていく時期に来ており、この成果を挙げなければならないという意識を強く持たなければならないと感じました。
私も、どのような方法が効果的なのか、どのように訴えたら運動が広がるのか、微力ながら皆さんと一緒に考え、団の一員として頑張っていきたいと思います。
岡山支部 則 武 透
一 倉敷民主商工会(以下「倉敷民商」という)の職員三名が法人税法違反の幇助、税理士法違反の嫌疑で、逮捕・勾留、起訴された事件(以下「倉敷民商弾圧事件」という)を担当している。奈良で開催された団二月常幹では逮捕から一年以上経過した今でも不当な長期勾留の続く禰屋さんの早期釈放を求める常幹声明を上げて頂いた。この場を借りて感謝申し上げたい。
二 既にご存知の方も多いとは思うが、倉敷民商弾圧事件は、一三年五月、当時倉敷民商の会員であったI建設の法人税法違反容疑で、広島国税局による第一次捜索差押えが行われたことに端を発し、翌一四年一月二一日、第二次捜索差押え・I建設の担当であった倉敷民商職員の禰屋さん逮捕という事態に発展する。同年二月一〇日、最終的には、禰屋さんは法人税法違反の幇助で起訴された。同月一三日、今度は禰宜さんを税理士法違反で再逮捕し、同時に、同じく倉敷民商職員の小原さん・須増さんも税理士法違反で逮捕された。税理士資格のない禰屋さんらが民商会員の税務書類の作成をサポートしたことが税理士法違反に問われたのである。三月五日には、禰屋さんら三名は税理士法違反で起訴される。半年後の八月一五日に小原・須増さん二名についは保釈が認められたが、禰屋さんについては現在も勾留が続いている。
三 禰屋さんが起訴されている法人税法違反事件については、I建設自身については脱税による経済的利益があろうが禰屋さんには何らメリットはない。禰屋さんは、I建設の経理担当者の指示どおりに、その指示内容が事実に基づくものと信じて、パソコンの会計ソフトの入力作業や振替伝票の作成を行ったに過ぎない。従って、禰屋さんに対する法人税法違反の幇助事件は、えん罪事件である。また、職員三名ともが起訴されている税理士法違反事件についても、職員らが倉敷民商会員の税務申告のサポートをしていたとしても、起訴すべき類いの事案ではない。知識の乏しい納税者を援助して適正な納税をさせることは国家にとっても納税者にとっても利益なことである。にもかかわらず、税理士法の税理士による税務独占の規定を形式的に適用することは、多額の税理士手数料を支払えない納税者の権利を侵害し、最終的には国家の利益をも害する結果となる。つまり、国家権力は、倉敷民商会員だったI建設の法人税法違反事件を突破口にして、倉敷民商職員が会員の税務申告の援助を行っていたことを税理士法違反にして、全国の民商組織に打撃を与えることを目的にしているとしか考えられない。今から五〇年前にも、全国の民商は、法人税法違反や税理士法違反を口実にした権力からの弾圧を受けた歴史がある。このときには、当時の民商が国税通則法反対運動を展開していたことに対する反動であった。
四 法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」の答申案では、取調べの全過程の可視化、全面的証拠開示制度の導入、身柄拘束制度の抜本的改善などの本来なされるべき改革が棚上げにされた一方で、盗聴制度の大幅拡大、司法取引制度の導入という捜査機関の「焼け太り」ともいうべき内容となっている。倉敷民商弾圧事件は、この答申案の抱える問題性を如実に示した事件である。特に、今回の答申案で導入が予定されている捜査機関に重要な情報を提供した被疑者には刑が減免される司法取引制度の導入は、明らかにえん罪を生むことになる。倉敷民商弾圧事件では、正に、法人税法違反の主犯であるI建設夫妻は自らが助かりたい一心で倉敷民商を捜査機関に売り渡した結果、I建設夫妻は一度も身柄拘束されず、執行猶予判決を早々ともらった結果となった。いわば、国家権力が倉敷民商を弾圧する手段としてI建設が利用された形となったのであるが、その一方で、全く事情を知らない禰屋さんが未だに身柄拘束されているのである。このような司法取引が制度化されれば、引っ張り込みによるえん罪の温床となろう。
五 現在、安倍政権は、多くの国民の反対を押し切って特定秘密保護法の強行採決、集団的自衛権の解釈改憲の強行など、戦争への道に大きく舵を切ろうとしている。こうした歴史の転換点で時の権力に対峙する民主勢力に対して弾圧がなされることは歴史の必然ともいえる。消費税増税は戦争の出来るに足る軍事費を調達するには不可避であり、その消費税増税に反対する民商は権力にとっては「目の上のたんこぶ」なのである。そのような大きな権力の動きの中で、今回の倉敷民商弾圧事件が発生したと見て間違いない。今後、安倍政権の政治的暴走は続くであろうし、その中で倉敷民商弾圧事件のようなタイプの弾圧事件は益々増えていくものと思われる。権力による弾圧を許さないためにも、法制審議会の答申案は今一度見直されるべきである。
東京支部 鈴 木 亜 英
対象を市民生活に関わる多数の犯罪に拡大し、立会人なしの警察施設内盗聴を可とする盗聴強化法が企まれている。
一九八五年、傷害事件に巻き込まれた少年らに黙秘権のあることを告げ、この少年らが取り調べに黙秘したことで、私は睨まれ、「警察庁法務課等で調査の結果、青法協所属で且つ(共産党)党員として把握されている」と捜査書類に書き込まれた。その後、私は民事訴訟事件で、罰金で終わったこの少年事件の記録を取り寄せたとき、この記載を発見した。周囲と相談して、国と都を相手に国賠訴訟を提起した。裁判は「弁護士思想調査事件」として二審まで闘われ、私の勝訴で確定した。
古くは三菱樹脂高野事件、最近では大阪思想調査事件と訴訟にまで至った思想調査事件はいくつかある。前者は企業による、後者は自治体によるそれであるが、私のそれは警察権力によるものであるところに特徴があり、その点では緒方盗聴事件や現在闘われている仙台情報保全隊事件と同類のものと云える。
私は国賠訴訟において、警視庁にある私の情報の収集、保管、使用いずれもが違法であり、これにより私のプライバシー権は著しく侵害されたと主張した。裁判所も、政党員かどうか、それは保護に値する秘匿事項に当たると認めたが、収集・保管については不問とし、プライバシーの暴露のみを咎めるにとどめた。
しかし、問題は警視庁内に、私のような市民の情報が夥しく収積され、警察関係者であれば見ようと思えば、随時、だれのものでも見ることのできる、いわば情報の貯蔵庫なるものが存在することである。公安警察の研究で有名な故大野達三氏は、情報は日常的に、電話傍受、尾行、張り込みからゴミ漁りまであらゆる手段で獲得され、四〇項目を超えるセンシティブ情報が逐次ファイル化され、刑事警察の得た情報さえも有用ならば公安警察に流される、と著書「警備公安警察の素顔」に書いている。
現行の盗聴(通信傍受)法の反対運動のなかで、当時裁判で闘われていた緒方盗聴事件を引き合いに出して、私たちはこんな警察に盗聴権限を与えたら大変なことになると大キャンペーンを張った。このこともあって世論に押された政府の企ては大幅に縮小され、枠がはめられた。
しかし、今回の盗聴強化の改悪法によって、盗聴はこれまで以上に広範囲に、しかも密かにおこなわれ、その情報は刑事捜査に限らず公安情報としても、警察の次なる備えとして蓄積されると思われる。両者の線引きなどあってなき状況となりかねない。最近の大阪生健会や倉敷民商への執拗な攻撃は捜査に名を借りた組織つぶしと云える。これに関する様々なデータは、それが証拠なのか、それとも情報なのか、混じりあって区別はつかぬだろう。盗聴がこれまで以上に、「捜査」方法の中核に座るとすれば、Eメールも携帯電話も、摘発を警戒する犯罪組織に対しては傍受の効果は乏しいのに較べ、無警戒の私たち市民の大切な情報やプライバシーはそっくり、持って行かれるのだ。それにもかかわらず、このことは大方の国民にとっては未だ他人事に違いない。
さらに、盗聴強化法と司法取引・共謀罪そして秘密保護法のコラボレーションとなれば、戦時に備えた監視社会の構築へと向かうのである。可視化要求によって、些かのお裾分けに預かりえたとしても、私たちはいま何倍返しかも分からぬ見返りを強要されていることを忘れてはならない。この思いを一日も早く、そして一人でも多くの国民に伝えてゆきたい。
愛知支部 中 谷 雄 二
一 三・一一以後、脱原発を求める集会やデモが多くの市民によって全国各地で開催されている。秘密保護法の反対運動、集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を求める運動など、日弁連、各単位弁護士会、市民団体によるこれまでにない取り組みが続いている。
二 この動きに警察は、これまで以上に市民運動や労働組合や政党等の動きに危機感を募らせ、監視・弾圧を強めている。愛知においても団通信一四四三号でも報告したように脱原発運動に関連して、脱原発運動の参加者が五か月も前のビル内に立ち入ったことを理由に建造物侵入容疑で呼出を受け送検された。同時期には、二年前の駐車場の柵の針金が切られたという器物損壊容疑で、近くに事務所のある労働組合の事務所が家宅捜索を受けている。常識では考えられないような微罪を理由にした強行な警察の姿勢はその後も続いている。倉敷民商に対する弾圧事件や巨額の不正融資を行った武生信金の内部告発を行った労働組合の家宅捜索が象徴するように警察の民主団体や労働組合、市民運動敵視の姿勢はこれまでとは違う新たな次元に入ったと感じさせる露骨で強引なものである。
三 警察の市民運動、民主団体、労働組合に対する敵視の姿勢は、一層露骨になってきた。昨年七月二五日の朝日新聞中部版の一面トップで、大垣警察署が中部電力の子会社に対して、同社が計画している風力発電事業に反対する住民の過去の活動や市民運動家、法律事務所の実名を挙げ、連携を警戒するよう助言したうえ、学歴または病歴、年齢などを告げ、警戒をするよう求めていたことが報じられた(団通信一四九八号山田団員の報告)。これに対し、監視されていた市民が公開質問状を送ったのに対し、警察は「通常の警察活動」であると居直りの回答を行った。二〇一四年一二月には、名古屋市在住の市民が警察に無断でGPS端末を車に取り付けられていたとして損害賠償を求め名古屋地裁に提訴した。裁判で警察は「尾行の補助手段で適正な任意捜査」だと主張した。
四 このような警察による市民監視、民主団体・労働組合に対する対応は、安倍内閣が進めようとしている戦争への国づくりのための国内治安確立の一環である。ムスリム違法捜査事件東京地裁判決に見られるように、警察法二条一項という組織法上の目的条項に基づき作用法上の根拠なく権力機関たる警察の活動を合法と判断したように直ちに司法的な抑制に期待することは難しい。その結果、権限を濫用する警察は、対象犯罪を一挙に拡大する盗聴法の改正によって犯罪者だけでなく、ジャーナリスト、市民運動家、労組関係者や一般市民までも治安を乱す恐れがあるとして盗聴・監視の対象にするであろう。国民も「安全・安心」のためにそれを進んで求める恐れすらある。現に進んでいる警察による市民監視・警察国家化の動きと人権侵害の恐れ、主観的な安心を国家に求める危険性を多くの国民に伝え、盗聴法反対運動を早く急速に進める必要がある。秘密保護法廃止の運動、集団的自衛権行使を前提にした安保法制の反対運動の中でもその危険性を併せて訴えることが重要である。
兵庫県支部 藤 原 精 吾
ノーモアヒバクシャ訴訟弁護団長
「一月三〇日、大阪地裁第二民事部(西田裁判長)は原爆症認定却下処分の取消を求めた原告七名のうち四名の請求を認める判決を下した」
これだけ読んで、「ああそうか」で終らないで下さい。
七〇年前の八月、広島、長崎に原爆が投下され、一挙に二〇万人を超す市民が焼き殺され、その後も多数の市民が放射線被ばくや熱線で生じた傷害のため、次々と亡くなった。しかし米占領軍沈黙を強要し、政府何の救済もしなかった。一九五四年三月一日ビキニ水爆実験で島民や第五福竜丸はじめ一〇〇〇隻を超す漁船が被ばくしたのを機に、翌五五年から原水爆禁止世界大会が発足し、一九五六年には日本被団協が結成された。空白の一二年間を経て、ようやく「原爆医療法」が制定され、原爆手帳(被爆者健康管理手帳)ができて、ピーク時で四〇万人が手帳所持者であった(昨年は二〇万人を切った)。被爆者の平均年齢は今や八〇歳を超す。戦後の七〇年を自分の意思でなく「被爆者」としての人生を歩んで来た人には年と共に被ばくによる白血病、悪性腫瘍、心筋梗塞、甲状腺機能低下、白内障その他が起こってくる。被爆者はこれを厚生労働大臣に「原爆症」と認定されなければ、医療特別手当が受けられない。原爆症認定をめぐる訴訟が現在もたたかわれている。
二〇〇二年以来全国一七地裁で、被爆者三〇六人が提起した原爆症認定集団訴訟は一九回の勝訴判決を得て、政府は二〇〇九年八月六日、日本被団協と「合意書」を締結し、「被爆者が訴訟を提起しなくてもすむような制度に向けて厚生労働大臣と協議を行う」こととなった。これを節目に被爆者に手厚い援護行政が始まると期待された。ところが六年経過した今なお原爆症認定制度の改善は遅々として進んでいない。ひと言で言えば、厚生労働省は度重なる司法の判断に従わず、認定数は増えたものの、多数の却下を繰り返し、これを「司法と行政の乖離」とシラを切り続けている。
制度改善をテーマとした大臣協議は内容の進展がなく、新たに発病した被爆者は泣き寝入りか、訴訟提起か、の決断を迫られ、病躯をおして訴訟に踏み切った被爆者が全国七地裁、約一〇〇名となっている。これをノーモアヒバクシャ訴訟と名付けている。「合意書により集団訴訟は終結した」と云うからである。
厚生労働省は二〇一三年一二月認定基準を改定し、「新しい審査の方針」として病名と被ばく距離、入市時期による線引きを続けている。そして裁判所では、「ICRPなどの国際基準に反する」「判決は医学的根拠を欠く」などとこれまでの判決を批判し、「原告らはいったい何mSvの放射線に被ばくしたのか、釈明せよ」などと開き直っている。しかし、全国多数の裁判所は一致して、被ばくと現在の病気との因果関係を認定するにあたり、行政の認定基準が被ばく距離(直爆線量)や病名で線引きし、切り捨てるのを批判し、線量自体の過小評価、残留放射線、内部被ばくの無視、疫学調査の限界を指摘し、そもそも科学的知見がすべてを解明しているわけではなく、被爆者援護法の国家補償的性格を考え合わせて総合的認定により原爆症を認めている。すでにこのような判決が全国で三七回言い渡されている。大阪地裁・高裁では一〇回目の判決になる。
ところが今回の大阪地裁判決は、様相を異にした。認定基準にはとらわれなかったものの、放射線被ばくと個人的素因を比較して、後者による発病である、ケロイドには要治療性がない、などと厚生労働省の主張に引きずられた内容となっている。勝訴した四名の原告中、三名につき、厚生労働省は控訴を提起した。判決確定を待てず亡くなっていく被爆者も多い。厚生労働省は被爆者の死ぬのを待つ。なぜそこまでするのか。
その理由を考えると、背後には、社会保障予算削減の波があり、原発再稼働をにらんで、放射線被ばく線量と疾病の因果関係を否定ないし過小に評価したいというバイアスがある。
更に、広島・長崎原爆投下後、直ちにその非人道性を隠蔽し、殺傷能力を過小の見せかけようとするアメリカの存在が背後にある。日本政府が核兵器廃絶の国際世論に背いて核兵器禁止条約の制定に消極的態度をとり続けることと、ヒバクシャに対する背信的態度とは軌を一にしている。
ヒバクシャが立ち上がって被ばくの実相を語り、身をさらして核兵器廃絶を訴える場としても、ノーモアヒバクシャ訴訟は完全勝利しなければならない。
(二〇一五年二月二四日)
大阪支部 西 川 研 一
二〇一五年一月二一日、大阪高等裁判所は、「ダンスをさせ」た罪に問われたクラブNOON元経営者の被告人に対し、大阪地裁判決に続き、二度目の無罪判決を言い渡した(現在、検察側から上告中)。ご支援ご協力いただいた全ての方に御礼を申し上げる。
“ダンスをさせ”たら犯罪者?!
公訴事実は、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下、風営法)において、風俗営業として規定されている「設備を設けて客にダンスをさせ、かつ、客に飲食をさせる営業」(二条一項三号)については許可が必要なところ(以下、ダンス営業規制)、無許可で営業したというもの。「ダンスをさせ」たことで罪に問われたわけである。
ところで、クラブとは、音楽を中心とする最先端の文化的発信を行う場所であり、若者文化の重要な一翼を担ってきた。このクラブに対し、警察は無許可で「ダンスをさせ」たことなどを理由に、二〇一〇年秋ころから取り締まりを活発化させ、多くのクラブが廃業に追い込まれてきた。そのような流れのなかで、二〇一二年四月四日、クラブNOONにおいても、八名が逮捕され、そのうち元経営者が公判請求された。
ダンス営業規制の不合理さ
そもそも、ダンス営業規制が法律で規定されたのは一九四八年(昭和二三年)。当時は、社交ダンスを楽しむダンスホールが売買春の温床となっていたことから、規制されたようである。しかし、その後時代は変遷し、そういった一般的状況はなくなり、売春防止法も制定され、ダンス営業規制は存在意義を失った。
にもかかわらず、いまだにダンス営業をいかがわしいものとして規制することは、表現の自由、営業の自由を侵害し、適正手続にも違反する。NOON元経営者と二〇名余の弁護団は、そのような憲法違反(法令違憲)の主張を掲げ、無罪を争った。
第一審では、専門家証人三名のほか、当日の来店客や担当警察官など総勢一八名の証人尋問が行われ、弁護団は、ダンス営業規制が憲法に反し、時代遅れであること、「ダンス」の基準が曖昧で杜撰な取り締まりが行われたことなどを明らかにした。大阪地裁は、憲法違反の判断こそ行わなかったものの、ダンス営業規制の趣旨を性風俗秩序維持等限定的に解し、NOONではダンス営業規制の対象たる「ダンス」は行われていなかったと判断した。
控訴審では、検察官がダンス営業は一律形式的に許可が必要との主張を行ったものの、大阪高裁はこれを退け、ダンス営業規制の対象たる「ダンス」は「男女が組となり、身体を接触させるのが通常の形態であるダンス」であるとし、NOONにおけるダンスはこれに当たらないとして、再び無罪を言い渡した(なお、大阪高裁の論理からは、ダンス営業規制の対象は立法当時の社交ダンスのみであり、現代のペアダンスは含まれないと考えているように思う)。
両判決は、時代遅れのダンス営業規制を用いて、いわば別件捜査的にクラブを取り締まってきた捜査機関の手法が断罪されたとも評価できる。
上告審における検察官の主張は未だ明らかとなっていないが、弁護団は、引き続き、ダンス営業規制が憲法違反であると主張して闘っていく所存である。
法改正運動との相互影響
二度の無罪判決の勝因は、法廷内での刑事裁判としての徹底した闘いに加え、Let's DANCE署名運動など法改正運動による世論の高まりにもあったと考えている。
その法改正運動においては、大阪地裁判決後、それまでダンス営業規制削除に反対していた警察庁側からダンス営業規制削除の法案が提出された。ダンス営業規制による取り締まりが事実上不可能となる基準を定立した判決の影響によるところが大きいと考えられる。もっとも、この法案は、昨年末に閣議決定がなされたものの、衆議院解散により審議未了・廃案となっている。今通常国会においても同様の法案が提案される予定とのことである。
ただ、上記法案は、ダンス営業規制を削除して深夜のダンス営業も認めるものの、「遊興」営業許可制度を新設し、その内容が現行ダンス営業規制とほぼ同じとされているため、場合によっては規制強化となる側面を有している。さらには、「ダンス」概念が曖昧であることによる現行法下での混乱が、「遊興」概念に持ち込まれるおそれもある。
法改正運動にもかかわっている立場からは、事業者、ユーザー、地域住民ら全ての関係者にとって納得できる法改正となるよう、こちらも尽力していく所存である。
東京支部 緒 方 蘭
私たち給費制廃止違憲訴訟団は、二〇一三年八月二日には新六五期訴訟を東京、名古屋、広島、福岡で提起し、二〇一四年九月、一〇月には六六期訴訟を東京、札幌、熊本で提起しました。
新六五期の提訴から一年半が経過し、現在は訴訟の進行スケジュールも固まりつつあります。また、学者証人を多方面に依頼し、修習実態や立法過程に関する文献を収集する等、証拠の収集も進めているところです。
先日の投稿でもありましたように、年末からは公正な判決を求める署名を実施し、既に約六〇〇通の署名が集まっています。国民のより大きな声を届けるためにも、団員の皆様にも引き続き署名にご協力いただきたいと思います。署名用紙は訴訟団ホームページのトップ(http://kyuhi-sosyou.com/)からダウンロードできますので、ぜひご協力お願いします。
目下の悩みは、期日の傍聴者が少ないことです。原告である若手弁護士の多くは勤務弁護士であり、期日の時間は業務時間中であることから、傍聴に行くことが困難な状況にあります。つきましては、団員の皆様や周囲の修習生に給費制訴訟の期日の傍聴参加を呼び掛けていただけると大変助かります。
期日の日程は次のとおりです。
(新六五期訴訟)
東京第八回期日 三月一八日(水)午後二時から東京地裁一〇三号法廷
名古屋第四回期日 三月一一日(水)午後三時半から名古屋地裁一階大法廷
広島第七回期日 進行協議の予定のみ。口頭弁論期日は未定。
福岡第五回期日 三月二三日(月)午前一一時から福岡地裁
(六六期訴訟)
東京第二回期日 三月一七日(火)午後四時から東京地裁一〇三号法廷
札幌第二回期日 四月二三日(木)午前一一時半から札幌地裁
熊本第二回期日 三月二五日(水)午後一時半から熊本地裁
先日の日弁連主催の院内集会では一〇〇名を超える国会議員がメッセージを寄せ、司法制度改革を推進してきた自民党の保岡興治衆院議員が給費制の実現に意欲的な発言をするなど、良い変化が生まれていることがわかりました。訴訟団も政治的な運動とともに、今後も取り組みを続けて参りますので、今後もご協力よろしくお願い致します。
埼玉支部 難 波 幸 一
山本政道さん。あなたは二月二四日私たちの前から突然去ってしまわれました。その前日まで元気に活動していた姿を見ていた私たちは皆大変驚くとともに悲しい気持ちでいっぱいです。
私と山本さんが埼玉中央法法律事務所でご一緒した期間は、本年四月を迎えていれば丸三三年になったはずです。山本さんが事務所に入られた当時、私はまだ二〇代の若輩でした。山本さんは私よりほとんど一回り年上であり、しかも先輩弁護士の話によれば、学生運動の闘士として知らない者はないといわれている人であるとのことでした。私はどんな怖い人かと思っていましたが、実際にお会いした山本さんは大変気さくな方で、日常的にも、あるいは事務所旅行など行事にご一緒した時も、いろいろきめ細やかな心遣いをしていただきました。
山本さんが事務所に入られてからは、仕事が終わった後には、当時の事務所にほど近い居酒屋の天井の低い屋根裏のような中二階によく行き、いろいろ議論もしました。私と山本さんとで意見を異にすることもあり、私も若気の至りで挑発的な物言いをしたこともありましたが、議論が白熱しても感情的になることもなく、楽しい時間を過ごすことができました。
山本さんの闘士としての姿が現れるのは、事件、ことに労働運動や住民運動に関する事件の時でした。新幹線開通と大宮駅西口区画整理に伴う住民追い出しに対する抵抗の事件、国鉄分割民営化や国労組合員解雇に反対する闘争、首都高速道路延伸に伴う近隣住民の生活被害に対する住民運動の事件などでは、山本さんは単に一弁護団員として弁護活動をするのにとどまらず、当事者とスクラムを組んでその運動の先頭に立ちました。街頭で演説をしている山本さんを見て、その迫力に感心するとともに、山本さんの天職は、弁護活動もさることながらむしろこのような運動でこそあるのではないかと改めて思ったしだいでした。
その山本さんも、二〇〇八年に心筋梗塞の発作を起こしてからは、夜間の仕事やつきあいをセーブするようになり、事務所の人たちとお酒を飲むこともほとんどなくなりました。ただ、日中は元気に仕事をしており、私たちも安心していました。特に、昨年からは、集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回させる運動に力をいれ、二〇一四年七月のオールさいたま市民野外集会、本年二月の埼玉県民屋内集会を事務局の主要メンバーとして成功に導き、さらに本年五月三一日の一万人県民集会に向けて精力的に活動を続けていました。そしてこのような活動をしている山本さんは本当に生き生きしていました。
それが突然断ち切られてしまったことは、私たちにとって大変残念でなりません。ただ、山本さんは、いつも信念を持って前向きに全力で課題に立ち向かい、闘い続けてきたのであり、その渦中で倒れたとしてもそれはきわめて充実した人生であったとも考えられます。山本さんが残した思いは私たちが引き継いで参ります。どうぞ安らかにお眠りください。
二〇一五年三月一日
難 波 幸 一