<<目次へ 団通信1523号(5月1日)
田中 隆 | *改憲・戦争法制阻止特集* 戦争法制をめぐる攻防と意見書論稿の再度の公募 |
石田 明義 | 北海道の基地と戦争法制 |
加藤 啓二 | 地域からの告発―北富士演習場― |
吉田 健一 | 横田基地における日米両軍の一体化 〜戦争する国づくりとその危険性 |
近藤 ちとせ | 戦争法制が神奈川に与える影響 |
尾普@彰俊 | 京丹後・米軍基地問題について |
稲村 蓉子 | 佐賀空港オスプレイ配備に反対する |
仲山 忠克 | 沖縄から戦争立法を批判する |
上山 勤 | 沖縄の闘いは、みんなの闘い |
佐藤 誠一 | 東京大田区「秘密・監視・密告の社会はごめん!」学習会の報告 |
志村 新 | アンシス・ジャパン社事件 未払残業代「請求認諾」に続いて慰謝料請求につき勝訴判決確定 |
横山 雅 | 盗聴法・司法取引阻止の行動にご参加下さい |
本田 伊孝 | 「許すな!戦争法案 戦争させない・ 九条壊すな! 五・一二集会」に参加を! |
東京支部 田 中 隆
【最後の政府・与党協議】
四月一四日、「共同文書「安全保障法制整備の具体的な方向性について」の確認(三月二〇日)で中断していた政府・与党協議が再開されました。安保法制懇の報告書を受けてはじめられた第一回協議(二〇一四年五月二〇日)から通算して第一九回の協議で、戦争法制(安全保障一括法案)提出に向けた最後の協議となります。
週二回のペースで行われていた協議は、海外派兵恒久法(国際平和支援法)の国会承認などの調整を終え、四月二一日(第二一回)で事実上の収拾を見ました。四月二四日(第二二回)には、提出が予定されている新法案一本=海外派兵恒久法・国際平和支援法、改正法案一〇本=事態対処法、自衛隊法、米軍支援法、特定公共施設利用法、海上輸送規制法、捕虜法、重要影響事態法=周辺事態法、船舶検査法、国際平和協力法=PKO法、国家安全保障会議設置法、計一一本の安全保障一括法案(戦争法制)の主要な法文が提示されました。
このとおり強行されれば、海賊対処法や国民保護法などほんの一部を除いて、この国の「軍事法」はすべて改変されることになります。
提出されようとしている戦争法制の全体像が明らかにされたのも、最後の政府・与党協議の特徴でした。
a 平時(に近い事態)―米軍などが武力行使する事態―自衛隊が武力行使する事態に切れ目なく対応
b 「我が国の平和と安全」と「国際社会の平和と安全」に切れ目なく対応
c 「米軍と自衛隊が切れ目なく(シームレスに)協力」(四月八日のカーター国防長官の記者会見)
という「三次元的なシームレス構造」が、戦争法制と「改定ガイドライン」の基本枠組みと言っていいでしょう。
【「六〜七月決戦」に向けて】
四月二七日 「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)の改定
日米首脳会談(安倍首相は訪米中)
五月一一日ころ 政府・与党による安全保障一括法案確認
五月一五日ころ 一括法案閣議決定・国会提出
六月二四日 会期末。政府・与党は大幅延長で強行をはかる。
これが、政府・与党側の「タイム・テーブル」です。
国会提出が指呼の間に迫る緊迫した情勢のもとで、反対の運動も急速に広がりつつあります。
四月一七日に行われた緊急学習会(憲法共同センター・自由法曹団の共催 筆者が講師)には、地方選挙後半戦のさなかにもかかわらず各団体の幹部一〇〇名近くが集りました。「やっと目の色が変わってきた」というのが講師をつとめた筆者の実感です。「保守系首長との懇談を連続」(自治労連)「九の日宣伝を一五〇か所で」(東京)「連鎖集会を行い五月末にはもっとも広範な母体で一万人規模」(埼玉)などの発言も、熱意と実感をともなったものでした。
憲法共同センター・解釈で憲法を変えるな実行委・戦争をさせない一〇〇〇人委員会などが構成する「総がかり」実行委員会によって五・三憲法集会(横浜・臨海パーク)が行われ、それ以後の戦争法制阻止の大衆行動は広範な勢力を結集したこの母体で展開されようとしています。
「どの候補も戦争と平和を訴えた。団員が応援弁士に立つときはもちろん戦争立法。手ごたえは十分だった」という京都支部の体験も貴重でした。戦争立法を押し出したこの選挙戦で、京都府議選での共産党の得票率は二五パーセントに達しています。
社会文化法律家センター(社文)から自由法曹団までの法律家六団体は、立憲フォーラム(民主党等)や日本共産党などの議員団との懇談を積み上げ、東京新聞・朝日新聞・共同通信などのメディアとの懇談も予定しています。「Stop!秘密保護法」共同行動実行委員会が動き出し、さまざまな問題に対応してきたマスコミ・自由法曹団四団体の共闘も再開されようとしています。
秘密保護法阻止闘争で大きな役割を果たした日弁連・弁護士会は戦争法制阻止の態勢を崩さず、全国各地で集会・パレードや街頭宣伝を展開しています。
これらいま組み上げられるすべての運動を集中して法案提出を許さず、仮に提出されても「決戦」となる六〜七月をたたかい切って、短期突破の策動を阻止する・・これが「戦後七〇年目の夏」を控えた私たちの焦眉の課題です。
【第二意見書「戦争法制を批判する」】
戦争法制と理論的に対抗し、問題点やもたらすものを徹底的に暴露することは、二五年にわたって自衛隊海外派兵や有事法制と対決してきた自由法曹団の、ゆるがせにできない役割です。
そのために、さまざまな角度から戦争法制について検討・告発した意見書論稿の起稿をお願いし、四月一日付「自由法曹団通信」では「意見書論稿の公募」を行いました。自由法曹団と団員の総力を結集し、一歩も引かない理論戦を展開するためです。
ご多忙のなかの無理なお願いにもかかわらず、依頼と公募をあわせて二七本の論稿を寄せていただくことができました。理論戦責任者として心から御礼を申し上げます。
寄せていただいた論稿は、四月二一日号の「自由法曹団通信」から順次掲載をはじめています。ご一読をお願いします。
また、この論稿を組み上げた第二意見書「戦争法制を批判する」を、以下の構成により四月三〇日付で発表します。
第一部 戦争法制が生み出す国(改訂版)
政府・与党協議を踏まえて第一意見書を改訂
第二部 戦争法制を告発する
一 戦争法制全般 論稿 一三本
二 集団的自衛権(総論) 論稿 六本
三 各地からの告発 論稿 八本
第二意見書はHPに掲載するとともに、国会要請行動で議員提出を行い、メディア、学者・研究者・運動団体などに配布します。
以下のとおり、国会要請行動を行いますので、ご参加をお願いします(「自由法曹団通信」四月二一日号で既報)。
日 時 五月一一日午前一一時〜
集合場所 衆議院第一議員会館第六会議室
【第三意見書「逐条検討・戦争法制(仮称)」と更なる論稿の公募】
四月二四日の政府・与党協議に提示された一一本の戦争法制は、細部の調整や技術的なチェックなどを経た上で、五月一一日ころには、与党による法案の最終確認が行われるものと思われます。
こうした法案化―法案提出に対応して、
(1)有事法制(事態対処法、自衛隊法、その他の個別法)
(2)重要事態対処法(周辺事態法の抜本改正)
(3)海外派兵恒久法(国際平和支援法)
(4)国際平和協力法(PKO法の大幅改正)
(5)グレーゾーン(自衛隊法)
(6)改定ガイドライン
のそれぞれについて、逐条的な検討・批判を加え、五月下旬に第三意見書「逐条検討・戦争法制(仮称)」を発表します。六月三日には第二次国会要請行動を行って、提出を行う予定です(午前一〇時三〇分集合。集合場所未定)。
政府・与党協議によって各論的な骨格が明らかになったこともあり、この意見書にもそれぞれの法制が及ぼす問題点などの論稿を集成した「戦争法制を告発する(PartII)」を加えたいと思います。
対策本部からも個別的な依頼は行いますが、あらためて以下の要領で戦争法制を告発・批判する論稿を公募いたします。
*趣旨・内容 戦争法制を告発・批判するもの
各論を中心とするが総論的なものも可
*字数 三〇〇〇字以内
*締め切り 五月一九日
*送信先 watajima@jlaf.jp
*活用 趣旨に合致した原稿は、執筆者名を掲記して意見書に掲載し、自由法曹団内に紹介するために団通信に掲載する予定。
戦争法制を阻止するためご協力をお願いいたします。
(二〇一五年 四月二四日脱稿)
北海道支部 石 田 明 義
一 テロ、ゲリラという仮想敵
冷戦時、「北方の脅威」・対ソ戦略として、陸自が北海道に重点的に配備されていた。冷戦後の一九九一年、湾岸戦争を機に「国際貢献」「国際協力」が高まり、一九九二年にPKO法が成立。カンボジアをはじめ、ルワンダ、ゴラン高原、東ティモール、特措法でイラク・サマワ、災害派遣のハイチ、最近ではジプチ基地防衛、南スーダンヘの派遣が続いている。陸自が多い道内部隊は海外派遣の機会も多く、様々な経験を重ねてきた。
二〇〇〇年一二月―米国国防大学でのアミテージ報告は―仮想敵として「テロ・ゲリラなど特殊部隊」を登場させた。二〇〇一年の九・一一米国同時多発テロが発生し、同年一一月には北海道大演習場で沖縄米第三海兵隊と第一一師団一〇普通科連隊(真駒内)の総合訓練として「映画のセットのような仮設ビル内部での戦闘訓練で偽装した日米の隊員が人形のゲリラ部隊を小銃や手榴弾で交互にせん滅してみせた」と訓練試行を新聞が報じた。その後、道内各地の陸自では海外派兵やPKOを想定して都市型ゲリラ訓練が日常化して行われている。市街地戦闘訓練、米軍のノウハウの分析研究、イラク市街戦の研修(米ストライカー旅団などから)、雪上戦技やスキーや格闘訓練、ヘリボーン作戦、「不審船」で上陸侵入したゲリラとの対戦などの訓練である。
二〇〇六年三月にはテロやゲリラ掃討、治安維持訓練のため、東千歳演習場にマンション、スーパー、銀行などタウンを凝らした都市型戦闘訓練場をつくり、道内の陸自が活用している。二〇〇五年には道警と陸自は全国初めて治安出動実動訓練を行い、侵入武装ゲリラを想定した訓練を実施した。二〇〇七年には洞爺湖サミットでは大がかりなテロへの非常事態体制をとった。道内各地では警察、自衛隊が行政、住民を巻き込んで、原発テロなどはじめ多様なテロ対策の実動訓練を実施している。
二 海外派兵が頻繁な道内の陸上自衛隊
二〇〇七年三月二八日、海外派兵の即応専門部隊の中央即応集団につづく本隊に派兵の経験を豊かな北部方面隊の部隊を待機部隊として位置づけした。北海道方面隊には四つの師団・旅団があり一二六〇人の待機体制をとっている。第二師団はイラク派兵まで三ヶ月かかったが、第五旅団のハイチ災害派兵まで二週間、第五旅団は南スーダン派兵まで一ヶ月で各々派兵された。道内の四つの師団・旅団がローテーションでどこかの部隊が派遣されている状態になっている。
二〇一三年新防衛大綱で全国で七つの即応・機動師団・旅団が指定され、半分は道内にある陸自四つの旅団・師団である。すべて機動運用部隊(七師団は全国唯一機甲化部隊)と重点化され、海外派兵に対応できる実戦部隊になろうとしている。
機動戦闘車や高速装甲車を重視した陸自「機動師団・旅団」は米軍ストライカー旅団戦闘団がモデル。九八時間以内に世界のどこでも出撃ができる自衛隊ストライカー旅団編成をねらう。米軍と一緒に海外の戦場へ派遣できるようする。米ストライカー部隊は二〇一二年から日米共同演習に参加し、道内では二〇一四年一月名寄駐屯地にアラスカ州米軍ストライカー部隊二〇名が研修の名目で参加。二〇一四年一〇月には日米共同訓練オリエンドシールド(東千歳)に米国ストライカー(一〇両)が、二〇一五年二月にも矢臼別演習場での日米共同演習ノースウインド2にも参加した。自衛隊の実戦レベルを強化するものである。
三 「訓練適地」の道内の演習場で様々な訓練の実施
「北海道の良好な訓練環境を活用し、全国の自衛隊と北海道の部隊の全国展開をする」(一三年新防衛大綱)。「道内の矢臼別演習場、北海道大演習場、上富良野演習場などの広大な演習場が存在し、その総面積は陸上自衛隊全体のおおむね半分を占めており、訓練目的や部隊の規模に応じた各種訓練を行うことが可能な恵まれた訓練環境を有している」、「日米の共同訓練を一層強化」する(一四防衛白書コラム)という。
島嶼部に対する攻撃をはじめとする各種事態に的確かつ迅速に対応するために、上陸作戦、掃討作戦など各種訓練を充実・強化するためには、道内の広大な恵まれた演習場の訓練環境を一層活用していくような多様な演習をしようとしている。
戦車や火砲などのあらゆる火器を組み合わせて使用できる演習場や新編される「水陸機動団」(仮称)のための着上陸訓練場整備、部隊練度評価を専門的に行う部隊に編成などを行い、道内にもより質の高い訓練環境を整えることにより部隊のさらなる練度向上が期待できると位置づけている。これらには浜大樹揚陸演習場、天塩渡河訓練場なども含まれている。
安保法制では「戦闘現場」以外での後方支援として武器・弾薬の提供などもできるようにする。PKOでは「駆けつけ警護」なども認める方針。武器使用も拡大するので、反撃を口実に武力紛争や戦争へ発展するリアルな訓練が拡大していくことは必須であろう。
北海道にはキャンプ千歳という米軍専用(2-4-a)地域以外に、日米共同使用(地位協定2-4-b)とされている自衛隊基地は一七ケ所ある。数では全国二位、面積では一位。矢臼別演習場では米海兵隊実弾射撃訓練の移転訓練が積み重ねらてきた。今後は後方支援として武器や弾薬の提供など支援も始まるだろう。
北海道大演習場は米軍オスプレイの移転訓練の候補地であり、自衛隊も採用する方向であり、札幌丘珠基地(丘珠空港)は給油・修理・整備基地になる可能性もある。日米共同演習によって米軍と一体化が北海道で強化される。
四 南方への協同転地演習と島嶼防衛へ参加
「北方の脅威」対応するための本州部隊の「北方機動演習」が、「島嶼侵攻」など南西方面に重点が移ることに伴い、逆に道内陸自が九州・沖縄方面へ南方協同転地演習としておこなわれるようになった。南方協同転地演習で日出生台に移動し、西部方面隊自衛隊統合演習に参加し、更に道内ミサイル部隊が宮古島への移動上陸訓練を実施した。二〇一二年度は横浜ノースドックから第五旅団が沖縄へ移動。移動には陸路、フェリー、JR貨物、民間航空機なども利用して行われている。転地訓練は、遠隔地への移動訓練から多様な戦術展開訓練もおこない、海外での陸上輸送作戦や邦人救出作戦などを想定しているのであろう。
五 海外への長距離渡航能力や敵基地攻撃能力の向上
千歳の航空自衛隊は沖縄、三沢、岩国などの米軍機との共同訓練を実施している。空中給油機を使用した訓練も実施してきた。コープサンダーなどではカナダへの遠距離渡航を行い、米軍の空中給油機から給油を受けて参加している。二〇〇八年には自衛隊の空中給油機から米軍への空中給油協定を締結。米軍の爆撃機を自衛隊機が防御する共同訓練も米国で実施されている。
二〇〇七年から米軍再編により千歳で沖縄、岩国、三沢などの米軍機の移転訓練が実施されている。二〇一一年から移転訓練を自衛隊機も参加してグアムで実施。二〇一四年から新たに沖縄米空軍の地上射撃訓練のため移転訓練を開始し、千歳基地からは米軍機が発進し、三沢で対地射撃訓練を実施した。
空中給油機使用によって高度な実戦的訓練と長距離距輸送や移動訓練が可能となる。オスプレイへの空中給油が可能である。千歳基地(那覇基地も)に空中給油機駐機場を三年かけ整備し完成した。空中給油機が千歳に配備される可能性や千歳での給油機を利用した訓練が増加する可能性がある。
新防衛大綱で航空戦術教導団が一四年に新編され、千歳の高射教導隊も編入される。防空能力の相対的低下を回避し、航空優勢を確実に維持できるよう、高度な戦術技量を一層効果的に向上させるためであるが、敵基地を先制攻撃能力の向上させる狙いがある。このように海外渡航や海外基地を攻撃する一体化が進行している。
六 ミサイル防衛体制に組み込まれる北海道
道内の民間港は米軍防衛のためのミサイル防衛体制に組みこまれている。小樽・石狩新港・函館・室蘭・苫小牧の各港に、米イージス艦などが毎年、相次いで入港してきた。奥尻島の西方面に北朝鮮から発射され米国へむけて発射したミサイルから米国を防衛するために、米イージス艦で監視するなど訓練海域があり、海自艦も艦船間の交互同乗、情報の共有化など行動していると言われている。米艦船の道内民間港への寄港は自治体の戦争協力、補給・休養体制の強化、点検する目的がある。米軍や海自のイージス艦は海自のイージス艦、道内では当別の空自ミサイル防衛レーダー、空自奥尻・襟裳・根室の各レーダー基地など補完している。長沼、八雲、東千歳に配備のパトリオット2は今後パトリオット3に一部変更される予定である。
七 海外派兵での「戦死」を現実化させるのか
海外派兵が一層増えるであろう道内陸自で北部方面隊総監が、全隊員に「遺書作成」を強く指導したという。隊員が日常的に「戦死」を意識し不安と緊張のもとに訓練していることが想像される。海外派兵中の隊員家族を自治体が支援するために自治体と各地部隊との「留守家族の支援協定」締結が広がっている。銃後対策であるが、当然、戦死者が出た場合の対策も想定しているのだろう。基地がある自治体の人口減少を防止するため、駐屯地存続・隊員削減阻止運動を知事を先頭に二〇〇七年から始めている。自治体は自衛隊が海外で戦争するシステムに巻き込むのではなく「戦争しない国」のため、住民の暮らしや隊員の生命を守るために、地域から自治体の平和の抵抗力を発揮してほしいものである。
山梨支部 加 藤 啓 二
一 北富士演習場は富士山の真ん中、標高一〇〇〇mから一九〇〇mの山林原野に広がっている。中央道の大月インターから東富士五湖道路を御殿場方面に走行する途中、富士吉田市を過ぎて山中湖に至るまでの間、富士山の裾野付近に見ることができる。
世界文化遺産となった富士山に演習場は全く不釣り合いであるが、その歴史は一九三六(昭和一一)年にまで遡る。同年一月から一九三八(昭和一三)年一月にかけて陸軍はこの地域一帯、約二〇〇〇町歩を買い受けて北富士演習場を開設した。
二 一九四五(昭和二〇)年八月、終戦、それに伴う米軍の進駐とともに同年一〇月北富士演習場、二〇〇〇町歩は米軍に接収された。米軍部隊も入ってきたが、当初は米軍による演習は殆ど実施されず一九四七(昭和二二)年頃から第一騎兵師団による実弾射撃演習が始められた程度であった。その後一九五〇(昭和二五)年になって朝鮮情勢の険悪化に伴い、富士山麓一帯二万町歩を演習場として米軍に引き渡すことが求められるなどの米軍の使用の必要性に基づく基地の拡張が進んだ。一九五一(昭和二六)年に入ると、米軍は兵員宿泊施設、山中湖からの給水施設の新設など四〇〇〇人の部隊を収容する施設を整備し、それ以降主として米軍砲兵部隊が常時交替で駐屯することとなった。一九五二(昭和二七)年の講和条約発効の後も米軍の演習は続き、一九五五(昭和三〇)年には富士五湖のひとつ、精進湖に砲座を設置し、一〇キロ先、二〇キロ先を着弾地にするなどという演習が多くの県民の反対を押し切って強行された。
三 一九五四(昭和二九)年八月以来、北富士には、在日米軍地上部隊の主力である米第三海兵師団所属の第一二海兵連隊が駐留していたが、一九五六(昭和三一)年三月一五日にその大部分が沖縄などに引き揚げられた。以後、北富士には米軍の駐留部隊はなく、沖縄から随時入麓する演習部隊が使用するだけとなった。
一九五七(昭和三二)年五月、米地上戦闘部隊の撤退が発表されて以来、米軍の北富士演習場使用は減少し、一九五八(昭和三三)には、施設の一部が返還された。
この結果、演習場は、吉田口以東の約六、四九七ヘクタール、国有地二、一二七ヘクタール、県有地三、七八五ヘクタール、民有地五八五ヘクタールが残されることとなった。
演習場の一部返還とともに一九五八(昭和三三)年七月一五日、キャンプ・フジ司令部は閉鎖され、米軍が演習場を使用しない時は、自衛隊が常時演習を行うこととなった。
四 この時期における駐留米兵による県民の人身被害は六一件、そのうち死亡事故は二七件となっている(占領軍関係人身被害実態調査結果報告書、一九六〇年一二月)。報告されている被害事例には、米軍が運転する車輌が道路外で待機中の母娘にたわむれながら近づき母親は即死、一八歳の娘が重症を負ったという例もある。これらの被害は報告されたものだけであり、実際の暗数はもっと多いものと思われる。
また、直接的な人身被害ではないが、常駐した米兵がもたらす風紀の乱れが子ども達に与えた影響について、当時、富士吉田市で小学校の教師をしていた女性からの証言もある。「日曜日には街にも両側に女性をぶらさげて、たくさんの米兵が出歩きました。忍野や山中では農家の納屋にムシロを吊した米軍の貸し部屋ができました。(中略)そういう環境の中で子ども達はどうであったかといいますと、そのムシロの隙間から中の様子を見ていました。(中略)子ども達の心は荒み、教室の授業の中で非常に性的な意識が過剰になりまして、算数で万という数を数えようとしてもその言葉を聞いただけで大騒ぎとなり授業にならないといった状況がありました」(米軍演習の北富士移転に反対する山梨の会編「富士を平和の山に」より)。
五 一九六一(昭和三六)年八月、政府は基地問題等閣僚懇談会の了解のもと、それまで米軍が管理していた北富士演習場を自衛隊が管理する施設として存続し米軍に対して使用転換として使用させるという方針を決めた。しかし、これらの方針は演習場の固定化に繋がるものであるとして反対する声は強く、方針の実現には困難を極めた。その結果、一九七三(昭和四八)年にようやく使用転換に関する合意が成立し、これ以降北富士演習場の使用協定は五年毎に見直しがされ、直近では二〇一三(平成二五)年四月から第九次使用協定が締結され、二〇一八(平成三〇)年三月までが期限となっている。
六 最近の演習の特徴
(1)本土の各地の演習場で使用協定が結ばれているが、北富士使用協定の「自衛隊が使用する場合の使用条件」では、「防衛省は、自衛隊の演習計画を七日前に関係地方公共団体に通報する。この場合、関係地方公共団体は、遅滞なく行政区域内住民に周知徹底を図るものとする。」ことになっている。これに従って、陸上自衛隊第一師団長から毎週山梨県に「演習通報」が提出されている。
(2)〈北富士での訓練種目と使用武器・使用地域〉
①射撃訓練は米軍・自衛隊とも、使用協定により原則として、国有地一九〇三ヘクタールの原野で行われている。
②一般訓練は、車輌・戦車・ヘリコプター・空砲等を含む訓練である。その中で最大の特徴は忍野村の自衛隊北富士駐屯地に新設された、弾丸に代わるレーザー光線を使って実践の疑似体験をする訓練を電子情報で受信し、リアルタイムで指導に活かすFTC(富士トレーニングセンター)を使った一般訓練が、北富士演習場で行われたことである。第六次使用協定期間中の一九九八年から二〇〇二年の五年間に、一週間に一回の訓練が七七回行われ、五万三千人の隊員が訓練を受けている。この数は全国の歩兵部隊である四六の普通科連隊の隊員数に匹敵するものである。
(3)〈米軍の訓練の特徴〉
①第一は地位協定2―4―bに基づく米軍単独の射撃訓練である。九〇年代の訓練日数は、第五次(一九九三年から一九九七年)が二一三日、次の第六次(一九九八年から二〇〇二年)が一四四日だった。
②二つ目は、一九九五年の少女暴行事件をきっかけに、「沖縄の痛みを分かち合う」としてキャンプ・ハンセンで一九七三年から実施してきた米海兵隊の沖縄県道一〇四号越え訓練の本土分散移転である。「沖縄と同質・同量」という政府の公約のもとに一九九七年北富士(山梨)を皮切りに、本土の五大演習場である矢臼別(北海道)、王城寺原(宮城)、東富士(静岡)、日出生台(大分)で毎年行われてきた。
(4)また、二〇一四(平成二六)年八月にはアメリカ海兵隊のオスプレイの離着陸訓練が昼夜を問わず五一回に渡り行われた。この訓練は、山梨県と政府間の北富士演習場使用協定である「七月から九月までは観光行事のため小火器を除く実弾射撃訓練等は行わない」という定めを踏みにじって行われたものである。
東京支部 吉 田 健 一
はじめに
安倍政権は、いま戦争法制づくりと日米ガイドラインの見直しにより、日本がアメリカとの戦争に本格的に参加し、共同作戦を展開する方向を具体化しようとしている。そのもとで、首都東京に居座り続けている米軍横田基地では、自衛隊の航空総隊司令部もおかれ米軍との一体化が進められている。
他方、横田基地に離発着する米軍機等により多大な騒音被害を受け続けている基地周辺住民は、被害救済を求める訴訟を提起し、四〇年に近く及ぶ裁判闘争を続けている。裁判所は、騒音被害を及ぼす米軍機の飛行・離発着が違法であるとの判決を再三にわたり下しているにもかかかわらず、国側はこれを無視続けているばかりか、何ら恥じることなく、裁判では横田基地の重要性と高度の公共性を主張し、住民に対して我慢するよう求めているのである。安倍政権の進める戦争する国づくりのもとで、軍事・国防を優先して国民の生活を犠牲にすることが当然のことであるかのような傲慢な態度を露わにしている。
本稿は、これら横田基地に関する具体的な動きにもづいて、安倍政権の進める戦争する国づくりの危険性を明らかにしたい。
一 首都に居座り続ける横田基地
横田基地は、東京都福生市、昭島市、立川市、武蔵村山市、羽村市及び瑞穂町にまたがる本州最大の米空軍基地である。基地の東西は約二・九km、南北は約四・五km、総面積約七一三万六四〇〇平方メートルで、オーバーランを含め全長三、九五五mに達する滑走路を有する。
現在、横田基地は在日米軍司令部及び第五空軍司令部が置かれた指令機能を有する東アジアの主要基地であると同時に、輸送中継基地(兵站基地)としての機能を有している。加えて、二〇一二年三月には府中市にあった航空自衛隊の航空総隊司令部等が横田基地内に移駐し、運用を開始している。
横田基地は都心から電車で一時間ほどの位置にあり、周辺は都心のベッドタウンとなっている。横田基地に離発着する米軍機などの騒音により、住民は多大な被害を受け続けている。また、横田基地は、戦争への不安や墜落や落下物等に対する恐怖を周辺住民に与えつつけている。そのような被害を与え続けている米軍機の飛行について、最高裁判所の判決(一九九三年二月二五日)は、これを違法と断じ、住民に損害賠償を支払うよう国に命じている。その後も、改善されない騒音被害に対ついて、住民は訴訟での救済を求め続けているが、これに対して、裁判所は、「最高裁判所において、受忍限度を超えて違法である旨の判断が示されて久しいにもかかわらず、・・・救済を求めて再度の提訴を余儀なくされた原告がいる事実は、法治国家のありようから見て、異常の事態で、立法府は、適切な国防の維持の観点からも、怠慢の誹りを免れない。」と国の姿勢を厳しく断罪している(東京高判二〇〇五年一一月三〇日判決)。
そもそも、東京都をはじめ多くの自治体は、横田基地の撤去を求める態度を表明している。すでに一九九九年七月一四日、東京都議会は、横田基地の返還が「地元住民を始めとする都民の長年の願いである」ことを指摘したうえ、「基地及びその周辺において、騒音等の問題や地域の街づくりの障害となっていることから、東京都は、米軍基地対策の推進を国への要望の最重点事項として位置づけ、これら基地の返還を求めてきた」とし、あらためて横田基地の返還を求める意見書を全会一致で採択した。さらに、この一〇年の間に、三多摩地域の各自治体や五つの区議会でも、横田基地撤去を求める意見書を採択している。このような自治体や住民の声に反して、横田基地は、周辺住民に多大な被害と恐怖を与え続けながら、居座り続けているのである。
二 アメリカの行う違法な戦争を担ってきた横田基地
横田基地は、日本本土における唯一の空輸基地であるのみならず、在日米軍司令部や第五空軍司令部が置かれていて、世界各国に配備されている米軍と有機的に結合している。
在日米軍基地は、アメリカの進めてきた違法な戦争に利用され続けてきた。古くはベトナム戦争のための拠点基地として、二〇〇〇年代に入ってからは、アフガニスタンやイラクでの戦争など、国際法的にも違法とされる報復のための戦争や侵略戦争にも在日米軍基地から米軍が派遣されてきた。
横田基地からも、例えば、アフガニスタン攻撃に関しては、後方支援要員二〇〇〜三〇〇人がアフガニスタン及びその周辺国に派遣され、イラクでの戦争についても航空遠征軍が組織され、イラクなどに派遣されたといわれている。
このように、国際平和を破壊するアメリカの違法な戦争のために使用されている在日米軍基地、その司令部が横田基地に置かれているのである。
しかも、中東まで及ぶ活動を展開する在日米軍は、「日本や極東における国際の平和及び安全の維持」という基地提供の目的を定めた安保条約(六条)にも違反するものとなっている。
三 日米一体化と共同作戦の展開
二〇一二年三月からは、前述したように航空自衛隊航空総隊の司令部がおかれ、米軍との間に共同統合運用調整所が設置されて運用されており、日米の司令部間の連携をはかっている。横田基地は、従来の米軍司令部機能と輸送基地としての存在に加え、日本の防空及びミサイル防衛の共同指揮機能を持った、日米が共同で利用する最重要施設へと変化し、基地機能のより一層の強化が進められているのである。
しかも、安倍政権の進める戦争法制づくりや日米ガイドラインの見直しにより、自衛隊は、周辺事態をこえて、世界中どこでもアメリカの戦争に参加することになる。そして、自衛隊は、米軍に弾薬を提供し、作戦行動中の艦船・航空機に給油し、戦闘機への爆弾・ミサイルなど弾薬を装填し、捜索救難等の活動を行う。日米一体として共同作戦を展開することになるのであり、そのための拠点として、横田基地が機能していくことは必至である。
平和を破壊するためのいっそう危険な基地となることは明白である。
四 周辺住民の被害と戦争への不安
横田基地に離発着する米軍機の騒音により、住民は多大な被害を受け続けている。のみならず、横田基地では、タッチアンドゴーといわれる着陸体制から接地して直ちに離陸するという戦争に向けた実践訓練が日々行われている。最近では、オスプレイの飛来やパラシュートによる降下訓練も繰り返されている。基地周辺住民は、様々な事故や墜落などの危険をはじめ、まさに戦争への不安を日々抱かざるを得ない状況におかれているのである。
ところが、政府は、横田基地公害訴訟において、国の存立は国民の生活と福祉にとって不可欠の基盤であり、国の平和と安全を確保し続けていくことは、国民の幸福を守り、増進させるための必須の要件であるとし、そのために在日米軍と米軍基地が必要不可欠であると主張している。そして、横田基地の有する「公共性は、他の行政上の公共性に比して格段に高い優先順位を占めるものである」と主張して、住民に我慢を求めているのである。安倍政権が集団的自衛権行使や海外での武力行使を容認しようとする理屈を住民にも押しつけているのである。
しかし、戦争を放棄し、戦力を保持しないとした日本国憲法のもとでは、軍事を優先させて、これに高い公共性を認めることは許されない。裁判所も、憲法全体の精神から、他の行政との関係で国防部門が優越的な公共性を有するものでないことを明らかにしている(一九八七年七月一五日東京高裁判決等)。
安倍政権の進める戦争法制や日米ガイドライン見直しは、このような日本国憲法にもとづく基本的考え方を否定するものに外ならなのであって、このような視点からも、到底認められるものではない。
神奈川支部 近 藤 ち と せ
一 はじめに
神奈川は、横須賀を始め、厚木、座間、相模原、横浜など各地に巨大な米軍基地が点在する、基地数でいえば沖縄に次ぐ第二の基地県だ。ここでは、横須賀基地、厚木基地、キャンプ座間の状況を概観した上で、戦争法制が立法化された場合に、神奈川にいかなる影響があるかを考える。
二 神奈川の基地の現状
(1)横須賀
ア 米空母母港として四〇年
米空母が世界でただ一つ、米本土以外に母港としているのが横須賀だ。
横須賀には、一九七三年以来、ミッドウェー(一九七三年〜一九九一年)、インディペンデンス(一九九一年〜一九九八年)、キティーホーク(一九九八年〜二〇〇八年)が配備されてきたほか、二〇〇八年九月からは、原子力空母ジョージ・ワシントンが配備された。
イ 米海軍「殴り込み」部隊の出撃拠点
空母キティーホークは、横須賀に配備後、二〇〇一年からのアフガン戦争では、戦闘攻撃機と共に、米陸軍の特殊作戦部隊やヘリコプターを搭載して出撃し、艦載機の駆逐艦が巡航ミサイル・トマホークによる攻撃に加わった。
二〇〇三年からのイラク戦争では、キティーホーク艦載機の出撃回数は五千回以上に上り、クラスター爆弾を用いた攻撃や、トマホークを用いた攻撃にも多数加わってきた。
米軍ホームページにおいても、「横須賀基地は、朝鮮戦争やベトナム戦争を支援するという重要な役割を果たしました。また、横須賀に前方展開している部隊が、湾岸戦争及び二〇〇一年のアフガニスタンにおける不朽の自由作戦において、第一波の攻撃を実施しています。現在、横須賀基地は、米軍にとって西太平洋における最も重要な海軍設備として活動を続けています」と解説されており、横須賀が米海軍「殴り込み」部隊の出撃拠点であることを示している。
また、二〇〇六年一月の強盗殺人事件、二〇〇八年三月の強盗殺人事件など、米海軍艦船乗組員による犯罪が後を絶たない。前者については、遺族が国家賠償請求(山崎訴訟)を提起した。
ウ 原子力空母の配備
二〇〇八年九月から横須賀に配備された原子力空母ジョージ・ワシントンは、二基の原子炉を積み、核分裂反応による熱で作った水蒸気でタービンを回して航行する。ジョージ・ワシントンに積載された原子炉は、福島第一原発一号炉と同規模の原子炉である。津波などによって原子炉の緊急停止や冷却困難となれば、福島で起きたのと同様の原子炉事故を起こす可能性があるにもかかわらず、ジョージ・ワシントンの原子炉については、日米地位協定などの取り決めにより、日本政府は安全審査すらすることができない。この様な危険な原子力空母の配備に、市民の間では住民投票を求める運動や、工事差し止めを求める訴訟等が提起され、反対運動は大きく盛り上がった。
さらに、ジョージ・ワシントンが二五年に一度の核燃料交換のためアメリカへ帰港することとなり、二〇一五年八月には、原子力空母ロナルド・レーガンが配備されると発表されている。
(2)厚木基地
ア 海軍航空基地厚木
厚木基地は、面積(五・一K平方メートル)の上で、神奈川県最大の米軍基地である。一九七一年、「米海軍厚木航空施設」との「海上自衛隊厚木航空基地」として日米共同使用となった。
一九七三年、米海軍第七艦隊の空母ミッドウェーが横須賀を母港にして以来、インディペンデンス、キティーホークなど空母航空部隊の支援基地としての役割を担ってきた。二〇〇八年に原子力空母ジョージ・ワシントンが配備された後は、ジョージ・ワシントンの空母航空部隊支援基地となった。
また、厚木基地には、西太平洋艦隊航空司令部があり、米海軍航空部隊の拠点ともなっている。
厚木基地には、二、四三八mの滑走路が一本ある。横須賀が空母の母港化した一九七三年以後、空母艦載機が厚木飛行場で爆音をまき散らすようになった。特に一九八二年からは、飛行場の滑走路を空母の飛行甲板に見立てての「タッチ・アンド・ゴー」訓練が繰り返される中、爆音被害はすさまじいものとなっている。周辺住民の生活障害は大きく、厚木爆音訴訟は、すでに四次訴訟が係属中である。
イ オスプレイの飛来
二〇一四年七月から一二月まで、厚木基地にはのべ一〇機のオスプレイが飛来している。その目的は、キャンプ富士訪問、北富士・東富士演習場での低空離着陸訓練、宮城県での大地震防災訓練参加等とされている。
オスプレイの任務は、侵略戦争での上陸作戦で最前線に兵士や物資を輸送することである。厚木基地は、本土でオスプレイの訓練を行う際、各飛行ルートの起点までの中継基地となり、機体の整備・テクニカルサポートなどの中枢的な役割を担う機能を果たしているため、今後飛来が常態化される可能性が高いと指摘されている。
オスプレイとの関係でも、自衛隊は米軍と共同演習を行っている。例えば、多国籍軍事演習「ドーン・ブリッツ(夜明けの電撃作戦)二〇一三」演習では日本の陸・海・空の三自衛隊が参加し、米海兵隊オスプレイが海上自衛隊のヘリ空母「ひゅうが」や輸送艦「しもきた」に離着艦を行った。
(3)キャンプ座間
ア 米陸軍第一軍団司令部の創設
二〇〇七年一二月、キャンプ座間には、第一軍団(前方)・在日米陸軍司令部、在日米陸軍基地管理本部などが創設された。第一軍団司令部は、米太平洋軍の緊急事態初期対応の作戦指揮・戦闘司令部であり、極東の範囲を超え、アジア・西太平洋地域の戦争に、最も早く柔軟に対応する戦闘司令部として特化した機能と役割を与えられている。
イ 陸上自衛隊中央即応集団司令部の移転
二〇一三年、キャンプ座間には、陸上自衛隊中央即応集団司令部が朝霞駐屯地から移駐した。中央即応集団は、二〇〇七年に創設され、国内任務としては、ゲリラや特殊部隊による攻撃等への迅速対応、機動運用部隊(第一空挺団、第一ヘリコプター団など)と各種専門機能部隊(特殊作戦群など)の管理を行う。国外任務としては、国際平和協力活動等にかかる教育訓練、先遣隊の派遣と派遣部隊の指揮、国際平和協力業務、国際緊急援助活動、その他人道復興支援活動、在外邦人等輸送を担任するとされている(防衛省ホームページより)。
中央即応集団司令部は、自衛隊の海外派兵を一元的に指揮・統制する防衛大臣直轄の新しい戦争司令部として二〇〇七年に創設され、キャンプ座間への移駐は、米軍再編ロードマップ中間報告二〇〇五年において合意されていた。
これにより、キャンプ座間は、日米の新しい戦争戦闘司令部が同居することとなった。自衛隊の海外派兵での出撃司令の拠点となることで、アジア・太平洋でのアメリカ主導の軍事行動に際して、日本が共同作戦に参加する体制は一層強化されている。
三 戦争法制の影響
(1)自衛隊との共同利用
横須賀米海軍施設、厚木海軍飛行場、キャンプ座間はいずれも、日米地位協定第二条第四項(a)、(b)により、米軍と自衛隊が共同利用する施設が多数ある。基地の共同利用により、既に日米の軍事的一体化が図られている。
(2)自衛隊との共同利用
海上自衛隊は、横須賀に配備された空母打撃群と継続的に海上自衛隊は年次演習を行っている。キャンプ座間に移駐された中央即応集団は、二〇〇七年三月の創設以降、在外邦人等輸送訓練、弾道ミサイル防衛情報伝達訓練等の分野で米軍との共同訓練を繰り返している。
(3)集団的自衛権を具体化する戦争法制の影響
前述のように、横須賀は、米海軍「殴り込み」部隊の出撃拠点であり、厚木基地はその横須賀の空母航空部隊の支援基地である。また、キャンプ座間は、米陸軍第一軍団司令部と 陸上自衛隊中央即応集団司令部という日米の新しい戦争戦闘司令部が同居している。
戦争法制により、自国に対する攻撃のない場合にも自衛隊を広く派遣できることとなれば、アメリカが世界中で展開する軍事行動に伴って、干渉を受けた国が反撃したなどの理由から、横須賀を母港とする原子力空母とそれを援護する海上自衛隊艦船が出動して共に殴り込みをかけることとなることは容易に想像が出来る。実際、横須賀の海上自衛隊艦船は、これまでもイラク戦争に際して、キティーホーク機動部隊に燃料の提供を行ってきたことが報じられていた。今後は、燃料の提供などに留まらず、武力行使に及ぶことになろう。このことは、米海軍第七艦隊のトーマス司令官が二〇一五年三月三一日、横浜市内で記者会見し、政府が進める集団的自衛権行使容認など安全保障法制の整備に対し「自衛隊の活動が世界規模になり、米海軍にとっても非常に有益だ」と期待感を表明(四月一日、神奈川新聞)していることからも明らかである。
また、キャンプ座間の中央即応集団司令部は、国際平和協力活動等にかかる先遣隊の派遣やその指揮、国際緊急援助活動、在外邦人等輸送を担任するとされており、自衛隊の海外派兵について恒久化する法律が制定されれば、キャンプ座間の中央即応集団司令部が米陸軍第一軍団司令部とともに、紛争地域での武力行使に及ぶことも容易に想像が出来る。
このように、神奈川県の各基地から、米兵とともに自衛隊員が派兵されれば、戦場で非人道的な殺し合いを経験した米兵や自衛隊員が、神奈川の町にあふれることになる。神奈川では、既に述べたように、二〇〇六年一月の強盗殺人事件、二〇〇八年三月の強盗殺人事件など、米海軍艦船乗組員による犯罪が後を絶たない。このような凶暴な犯罪が繰り返される背景には、帰還兵が、精神を破壊され、社会性も崩壊されているという事実がある。自衛隊員を戦場へ送り出すことで、精神崩壊等の危険にさらすことは許されないことであるし、神奈川県民にとっても、米兵による暴力的犯罪の被害に加えて、自衛隊員による犯罪にまでおびえて暮らすことは、到底受け入れられないことである。
また、厚木基地周辺では、爆音による被害は縮小するどころか拡大することとなろうし、横須賀の原子力空母の存在は永続化して、県民に対する脅威は続くこととなる。
このように戦争法制の立法化は、神奈川県民の生活に極めて重大な影響を及ぼすと考えられる。
京都支部 尾 普@彰 俊
一 米軍基地計画の発表から現在までの反対運動の経過
二〇一三年二月、京都丹後市に米軍専用のレーダー基地が設置されるとの発表があった。計画の発表後、二〇一三年五月二二日「米軍基地いらない京都府民の会」を結成し、数百人規模の現地集会を複数回行い、京都府・京丹後市へ要請に行くなど大きな反対運動を行ってきた。京都支部では、府民の会の事務局会議への参加や、現地集会の際に地位協定など法的問題について発言する等積極的に基地反対運動に参加してきた。
一方、住民の大きな反対運動にもかかわらず、住民の安全・安心についての十分な説明がなされないまま、発表から一年後の二〇一四年五月二七日、米軍基地の工事が開始し、同年九月二〇日から米兵と軍属が配備された。地元住民が強行する米軍基地設置とXバンド・レーダー搬入設置に反対し同年一〇月四日、地元で集会を行い一四〇〇人が参加した。
しかし、同年一〇月二七日にはXバンド・レーダーが設置された。Xバンド・レーダー設置後、稼働に反対するため同年一二月二三日、八五〇人の現地集会を行ったが、同年一二月二六日、Xバンド・レーダーの本格稼働となった。
二 住民の安心・安全は確保されていない!
(1)米軍基地の騒音問題
京都府知事及び京丹後市長は、Xバンド・レーダー基地の受け入れ表明をした際に、住民の暮らしについて「住民の安心安全が確保される見通しがついた」と表明した。しかし、レーダー搬入後、基地の発電機による騒音問題等住民の暮らしに重大な事態が発生している。
二〇一五年一月八日、袖志の住民が「とにかくうるさくて夜寝られない」と訴えた。さらに同年一月二一日、二五日に行われた地元の袖志、尾和の説明会では、多数の住民から騒音問題について何とかしてほしいとの意見が出され、防衛局の責任者は「想定外であった。申し訳ない。対策をする」と説明した。
防衛局が説明した対策は二つある。一つは、騒音のもとである発電機に消音のマフラーをつけるというものだ。二つ目の対策は、関西電力から電気を引いて発電機は予備電源とするというものである。しかし、防衛局の説明では、関西電力から電気を引くためには、高圧電線の配線などの大掛かりな工事を行わなければならず、一年以上かかる。結局、防衛局が説明した対策は対策とはいえるものではない。住民の安心した暮らしのためには、まず、発電機を停め、米軍基地事態撤去しなければならないのであり、発電機を動かし米軍基地を存続させることは許されない。
(2)現地調査と講演会
この事態を踏まえて、二〇一五年二月二七日から二八日にかけて、自由法曹団京都支部では現地調査、基地対策室との懇談、沖縄の新垣勉団員を招いて日米地位協定をテーマに講演会を行った。
私たちが、実際に基地を訪れたところ、ウォーンという音が常になり続けていた。数分ならまだしもこれを一日中夜中まで聞き続けるのは堪えられないと感じた。私たちが、現地を訪れたのは、防衛局が騒音対策として説明していたマフラー設置後であったが、騒音は続いており、騒音防止の効果は感じられなかった。
米軍基地訪問後、京丹後市の基地対策室と懇談を行った。基地対策室との懇談テーマは、米軍人・軍属の居住地の状況、米軍人・軍属の犯罪・事故の発生状況、騒音・照明問題の現状と対策について、基地の警備状況等多岐にわたる。
住民がとても不安を感じている騒音問題については、基地対策室からは、二月中旬からマフラーの設置を行った結果、「比較的音は静かになった」「過ごしやすくなったとの声」があり事態が改善されている旨説明がされた。一方、騒音防止効果を判断する上で大前提となる、マフラーをつける前後での音の変化について対策室として客観的な調査は行っていないことが明らかになった。
客観的な調査を行っていないにも関わらず、事態が改善されたとの判断等することはできないと厳しく抗議し、対策室として客観的なデータを集めるよう申し出を行った。
米軍・軍属の居住地については、基地対策室として情報を得たいと思っているが具体的な方法は考えていないと回答があった。仮に何か問題が起きたとき、迅速に対応できるよう行政としての責任で条例を設置するなどして、住所と名前を把握するよう伝えた。
他にも、公共下水道の整備に関する問題、ゴミ処理、米軍と住民との交流イベントについて等合計一時間程度懇談を行った。
現地調査、基地対策室との懇談後の翌日である二月二八日、沖縄の新垣勉団員を講師に招いて自由法曹団京都支部の主催で、「日米地位協定と憲法」をテーマに講演会を開催し一一〇人が参加した。今回の講演会は、米軍基地に賛成の方も反対の方も日米地位協定と憲法について学ぼうということをテーマにし、幅広い層へ呼びかけを行った。講演会の広報活動としては、地元住民の方に協力して頂き地域でのチラシ配布や小学校・中学校の校長宛に案内文をFAX送信する等幅広い方への参加を訴えた。講演会では、資料として、地位協定の問題点をわかりやすく解説している「日米地位協定の改定を求めて」(日弁連が昨年一〇月に作成したパンフレット)を配布した。
新垣団員は、日米地位協定によって日本の主権が及ばず米軍が違法な行為を行っても、日本の裁判所で裁くことができないという問題点を指摘した。また、米軍による交通事故などの場合に損害賠償請求を行う制度について説明された。
住民からは、予定時間を超過するほどの多数の質問があり、講演会は大盛況であったが、住民が米軍基地問題に大きな不安を感じていることの表れでもあると感じた。
(3)連絡センター設置
京都府民の会では、米軍基地による被害や事故だけでなく、住民のちょっとした不安に答えるために、FAX、電話、メールによる連絡センターを設置した。今後、連絡センターの連絡先を記載したマグネットを配り各家庭で困ったことがあれば、すぐに相談できる体制を作る予定である。京都支部としても交通事故など法律問題については全面的に協力する。
三 米軍基地と安保法制
京丹後での米軍基地建設は、安倍政権が進める安保法制と深い関わりがある。
そもそも、「Xバンド・レーダー」は、敵国から発射された弾道ミサイルを探知するためのレーダーであり、アメリカのミサイル防衛システム一部をなすことが予定されている。「Xバンド・レーダー」は既に青森県の車力基地にも設置されているが、アメリカのミサイル防衛システムの一部に日本を取り入れることは、まさに集団的自衛権行使の実践であると言える。
二〇一五年三月二〇日、与党が安保法制の骨格に合意し、五月には安保法制の法案を国会に提出することを予定している。安倍政権が進める安保法制に反対するととともに、住民の安心安全のためにも、米軍基地撤去のために今後も大きな反対運動を続けていきたい。
佐賀支部 稲 村 蓉 子
一 はじめに
昨年七月、国は、佐賀県に対し、突如として、オスプレイ一七機を佐賀空港に配備すること等を要請し、説明も曖昧なままに手続を進めようとしている。
しかし、佐賀空港へのオスプレイ配備は、民主主義を蔑ろにしてなし崩し的に戦争する国づくりを進めるものであり、とても許されるものではない。
私は、本稿で、国によるオスプレイ配備要請の問題点を述べ、オスプレイ配備に反対する意見を述べる。
二 民意無視の佐賀空港への配備要請は許されない
(1)佐賀空港へのオスプレイ配備要請は、佐賀県民の民意を無視したものであり、国の傲慢さを露わにしたものだった。
(2)配備要請の経緯
ア 防衛省が突如、自衛隊に導入するオスプレイ一七機を佐賀空港に配備する方針を表明したのは昨年七月二〇日のことである。佐賀県民にとっては、まさに寝耳の水のニュースだった。
早くも七月二二日には武田副防衛大臣が佐賀に訪れ、佐賀県知事(当時は古川康氏)、佐賀市長、佐賀県有明海漁協などに対し、自衛隊のオスプレイ一七機の配備を要請した。それとともに、(1)沖縄普天間飛行場の辺野古への移設実現まで米軍海兵隊オスプレイに佐賀空港を暫定的に利用させる、(2)佐賀の陸上自衛隊目達原駐屯地に配備されているヘリコプター五〇機を佐賀空港に移設する方針であることも表明した。仮にこの要請が実現した場合、佐賀県には一大軍事基地が現れることとなる。地元としては突如降ってわいた国の要請に戸惑うばかりだった。
とことが、国は、地元了解を取り付けるどころか説明もしない内に、八月末に行われる概算予算要求に、オスプレイ配備のための用地調査・取得費一〇九億円を組み入れてしまった。国は、オスプレイの飛行範囲やルート、安全性、配備の目的、米軍の移駐の規模や時期など、地元佐賀県に対して何も説明しないままに、予算計上という既成事実を作り上げてしまったわけである。
イ そもそも、佐賀空港は、民間空港として運用を開始した空港であり、軍事基地としての利用は全く想定されていない。
佐賀空港は、一九九八年に開港するまで約三〇年間もの長きにわたって、自衛隊使用や漁場汚染を心配する地元漁業者や住民との調整が行われた。最終的に、県と地元漁業者との間で「県は佐賀空港を自衛隊と共用する考えを持っていない。また、このことは…、当然に『事前協議』の対象となるものであると考える」との覚書が交わされ、ようやく、民間空港として建設に至ったのである。つまり、佐賀空港は、長年にわたる調整の結果、民間空港としての運用が確立した空港である。しかも、平成二二年三月には、佐賀県議会が全会一致で「米軍普天間飛行場の佐賀空港への移設に反対する決議」まであげている。
そうであるのに、国は、そのような経緯を一切無視して配備要請をし、予算まで計上したわけである。民主的手続きを蔑ろにしているとしか言いようがない。
ウ 以上のような国の姿勢に対して、佐賀県では、保守・革新を超えて、説明を求める声が上がった。しかし、国は、早くとも一〇月まで、このような地元の声に応えていない。それどころか、江渡聡徳防衛相が、米軍普天間飛行場の新型輸送機オスプレイの佐賀空港利用について「辺野古移転のタイミングにかかわらず、継続的に行われるのが望ましい」と述べて訓練移転の常態化を目指すなど(平成二六年九月九日付佐賀新聞)、佐賀県の意向などお構いなしだった。
丁寧な説明を求める地元の声に、国がわずかばかりとも答えたのは、当初の配備要請から約二か月半後、一〇月に入ってのことである。
国の説明によれば、オスプレイ・ヘリコプターの年間発着回数は年間一万七〇〇〇回(一日あたり約六〇回)、離発着は基本的に佐賀空港南側の上空を利用し、飛行高度は三〇〇〜五〇〇m以上とのこと。しかし、説明には曖昧な部分や例外が多く、例えば、悪天候時は高度一五〇mの飛行もあり得るとか、「とりあえず」米軍の訓練移転をしたいが、その後のことは米軍と具体的に話していないなど、住民が十分に納得できるものではなかった。また、同年一〇月一日にはペルシャ湾で米軍オスプレイ機が一時出力を失う事故を起こして乗務員が一人亡くなっているが、国からは安全性に関する十分な説明はないままである。
エ 平成二七年一月になって、佐賀県知事が交代し、山口祥義氏が現知事となった。山口知事は、今年二月一四日、佐賀空港のオスプレイ配備計画を巡り、左藤章防衛副大臣と初めて面談している。面談で、山口知事は、左藤副大臣に対し、「米海兵隊の利用計画の全体像、将来像を明らかにして欲しい」との要請を行った(平成二七年二月一四日付佐賀新聞)。この要請は至極当然のものであり、本来であれば、佐賀県から指摘されるまでもなく国は説明できるようにしておかねばならなかったはずである。しかし、副大臣は「米海兵隊と詰めた話をしているわけではないので何とも言えないが…」などと答えている。
米軍の利用計画を把握しないままに、米軍の使用まで前提としたオスプレイ配備を要請するなど、国の姿勢は無責任極まりない。
(3)これまで述べたとおり、佐賀空港への配備要請の経緯からは、民意を無視する国の独裁的な姿勢、傲慢さが露わとなっている。国は、説明を曖昧にし、国民に情報を伏せたままに、国民生活に重大な影響を及ぼす一大軍事基地をつくろうとしている。このような手法を許せば、国は、全国各地で同様の手法をとり、日本全国を軍事基地化していくであろう。民主主義を蔑ろにし、なし崩し的に軍事化していくものであり、決して許されるものではない。
三 なし崩し的に戦争する国へと進むオスプレイ配備に反対する
オスプレイ配備は、平成二五年六月に自民党が掲げた提言「新『防衛計画の大綱』策定に係る提言」の内容の一つであって、平成二六年七月一日の閣議決定によって示された新安全保障体制の先取りである。佐賀空港へのオスプレイ配備は、現政府が実現したい新安全保障体制の象徴ともいえる。
しかし、そもそも、平成二六年七月一日の閣議決定は、日本が戦後六九年にわたって守ってきた平和主義の原則を大きく転換するものであるところ、国民的議論を経ずに憲法を事実上改憲しており、姑息としか言いようがない。政府は、なし崩し的に安全保障政策を変え、戦争する国づくりへ一直線に進んでいる。
佐賀空港へのオスプレイ配備は、戦争する国づくりへの布石であり、決して容認することはできない。よって、私は、佐賀空港へのオスプレイ配備には絶対に反対である。
沖縄支部 仲 山 忠 克
一 安倍自公政権による昨年七月一日の集団的自衛権行使容認の閣議決定は、安全保障関係法の制定、改正によって具体化する。その成立は、軍事国家としての立国宣言であり、新たな戦前の始まりである。安全保障法制が戦争立法だと称される所以である。憲法の平和主義によって保障されてきた戦後七〇年に及ぶ我が国の不戦の歴史を根底から覆すもので、立法壊憲だと断ぜざるをえない。そしてそれは、七〇年前の沖縄戦での日本軍の軍事力によって、その後の七〇年間は米軍の軍事力によって、犠牲と苦難の歴史を強いられてきた沖縄県民の「戦世(イクサユ)は二度とナランドー」という恒永平和への願いと希望を強権的に踏みにじる法制であり、沖縄の悲劇の全国化へのスタートでもある。
二 戦争立法は、集団的自衛権の行使として、海外での同盟国(主に米国)の戦争に我が国軍隊(自衛隊)の参戦を導くものである。それは「国民の生命・自由・幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」を参戦への名目的要件とする。しかし、同盟国の海外での戦争に、我が国国民の生命・自由等が危機にさらされる事態は現実には想定されえず、集団的自衛権行使のための口実としての国民向けの欺瞞的要件にすぎない。
しかし参戦は海外での戦争に終止するものではない。当然「敵国」からの報復が予測され、我が国が戦場と化すことは不可避となる。「ありったけの地獄を一か所にあつめた」と表現された沖縄戦の惨劇が、我が国土に再現される。とりわけ軍事施設の存する場所が集中的に敵攻撃の対象となることは必至である。その場合、我が国軍隊は国(具体的には国家の権力機構)を守ることはあっても、国民を守ることはしない。それは沖縄戦で実証済みであり、それこそが軍隊の本来的任務である。軍隊や軍事施設の存在こそが犠牲と悲劇の要因であったこと、これが沖縄戦の最大の教訓なのである。
一九四五年三月二六日の米軍上陸から開始し、六月二三日に組織的戦闘が終結した沖縄地上戦は実質的に三か月間であった。しかしその戦争の後遺症は戦後七〇年経過した現在においても消失することはない。全県民が癒やされぬ遺族であり、その子孫である。体験者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が今なお報告されている。戦没者の遺骨は県内でいまでも年間一〇〇柱が発見され、不発弾は土木建築工事の現場を中心に日常的に発見されて、その爆発による惨状も発生している。戸籍や地籍関係書類の焼失による未解決の問題(無戸籍、二重戸籍、所有者不明地、境界不明地等)も存する。三か月間の戦闘は、未来永劫ともいえる期間、その爪痕を残す。それこそが戦争である。広島・長崎の原爆被害と同様、沖縄戦もまたそれを物語っている。戦争は徹頭徹尾悲劇であり、平和や安全のための戦争はない。
沖縄戦の悲劇の象徴としてひめゆり学徒隊がある。その生存者たちは、戦争を繰り返させないとの固い決意のもとに自らの戦争体験を積極的に証言してきた。二六年間に及ぶ証言活動は、本年三月をもって、高齢化のため原則的に終了した。戦後七〇年、生存者たちは体験に蓋をしたのではない。次世代へその活動を託したのだ。歴史的経験は承継されることによって過去の過ちを教訓化し新たな未来を切り拓く。戦争立法は、ひめゆり学徒隊のみならず、沖縄戦を生き抜いたすべての県民やその承継者の願いや祈りを、無惨にも切断するものである。まさに歴史に目を閉ざすことによって、現在及び未来への盲目者たちによる暴挙である。
三 戦争立法は、切れ目のない米軍支援を目的に、自衛隊の派兵体制を構築するものである。その背景には、米軍との一体化により侵略戦争のできる軍隊へ変質した自衛隊の存在がある。二〇〇五年一〇月の日米合意「日米同盟−未来のための変革と再編」により、司令部、演習、基地の共同使用という米軍と一体化した自衛隊は、専守防衛能力を超越して侵略能力を具備するまでに質的転換を遂げている。自衛隊の米軍化である。それはいかなる事態を招来するか。
戦後七〇年にわたり沖縄県民は米軍の軍事力によって苦難の歴史を余儀なくされ、米軍の正体を実感してきた。米軍は諸悪の根源であり、人権侵害の温床であることを証明してきたのが沖縄の戦後七〇年史である。殺戮と破壊を本質的任務とする軍隊は、兵士に効果的に人を殺すことを訓練して「殺人マシン」化させる。元海兵隊員アレン・ネルソンはいう。「私たちは毎日『殺し』という暴力を、身体と意識に叩き込まれていた」。
このような米兵の殺人性や暴力性は、戦時では「敵国」や「敵国民」に向けられるが、平時には地域住民に向けられる。夥しい米兵犯罪が沖縄県民に襲いかかってきたのはその結果である。復帰後、沖縄県内では五八三三件の米軍犯罪が発生している(二〇一三年一二月現在。交通事犯を除く)。発生率は二・六日に一件の割合であり、そのうち一割は凶悪犯(殺人、強盗、強姦、放火)である。
戦争立法により、「合法的」に米軍と一体となって軍事行動を体験することになる自衛隊がより米軍化し、隊員がより米兵化することは必然であろう。米軍の傭兵化(山崎拓)との指摘もある。そのような隊員が地域住民に牙をむくような事態が早晩生起する可能性は否定できない。自衛隊内部におけるいじめや強姦、訓練と称しての死亡事件等の続発は、その前兆だとも解しうる。沖縄の戦後の犠牲は、そのような事態の発生を防止するためには軍事力は否定されなければならないとの教訓として、すべての国民に向けられたメッセージである。戦争立法はそれを一蹴するものである。
四 安倍首相は、集団的自衛権容認の閣議決定に際し、「日米安保体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させる」と説明した。集団的自衛権の行使とその具体化としての戦争立法は、日米軍事同盟体制の基盤の上に構築されるということであり、そこでいう「抑止力」の正体は国連憲章や憲法九条が禁止する「武力による威嚇」のことである。軍事組織の自己増殖性は不可避である。専守防衛を軍事力保有の正当根拠として存在してきた自衛隊が、集団的自衛権行使の口実で侵略軍隊へ転化することは、その自己増殖性の内在的帰結でもある。日米同盟及び戦争立法は、武力による平和、武力による安全保障を基本的理念とし、他国(敵国)や他国民(敵国民)の犠牲のうえに、自国や自国民の平和と安全を保障しようとするものである。その対極にあるのが武力によらない平和である。
憲法九条の恒永平和主義は、まさに「武力によらない平和」を基本理念とする。戦争の手段を放棄した非武装こそが、「くずれぬへいわ」(峠三吉)への確かな保証であることの歴史的確信に裏付けられたものである。それは共生共存の思想に立脚する。沖縄には「命ど宝」とか「イチャリバチョーデー」(出会えば兄弟)という共生共存の思想を具現化した言葉が古くから言い伝えられているが、それらは沖縄の「非武の文化」(大田昌秀)が育んできた言葉だと理解する。沖縄の非武の文化は、復帰闘争の中で世界一の軍事力を誇る米軍に対峙して、非暴力による抵抗闘争として現実化した。復帰闘争は県民の生命・自由・財産を守る闘いとして展開されたが、非武装・非暴力の闘いによって一人として生命を失った者はいない。まさに非武装こそが命ど宝を保障したもので、憲法九条の実践というべきものであった。そこに沖縄の闘いの強靱さがあり、それは今なお辺野古新基地建設闘争の現場で、三線(サンシン)も登場する等して貫徹されている。
戦争立法制定の動きという我が国のあり方を根本から転換する歴史の岐路に立たされている私たちは、今こそ憲法九条の真価を確認擁護して、それを我が国の確固とした現実の礎にし、抑止力神話を克服して、この国の将来を誤らせてはならない。これこそが沖縄戦を含めて、去るアジア太平洋戦争で戦死した三一〇万人の戦没者と未来に生きる者に対して、現代を生きる私たちの歴史的使命であり責任である。
大阪支部 上 山 勤
海上保安庁の職員が、ゴムボートに乗ったおじいやおばあの頭を踏みつけている。とんでもない映像がながれた。さらに、サンゴに乗っかる四・五トンのコンクリート塊。明らかに埋め立て許可の条件に違反している。道路での座り込み強制排除も含めて多くの市民が権力のやり方に腹を立てた。沖縄の県民の気持ちを無視して、基地を押し付けるな・海をこわすなという気持ちから、大阪支部では翁長さんと県民に応援のメッセージを送ることにした。四〜五〇名かなとの予想を裏切り、七〇名以上の弁護士がジュゴンにメッセージを描き、約二〇名の事務局員も賛同してくれた。是非とも、全国の皆さんに紹介をしたく、メッセージを張り付けた旗の写真と檄文を貼り付けます。旗は、西団員によって、四月二三日に知事に届けられた。
翁長知事と沖縄県民の皆様へ
私たちは、弁護士の団体である自由法曹団の大阪支部メンバーである弁護士と、その職場で働いている事務職員です。
このたび、辺野古の海に新しく米軍の基地を作る作業が一方的に進められている事態を憂慮し、憤り、このメッセージをお届けするものです。
基地の問題は国政の問題でありますが、沖縄の土地と海の使用は沖縄県とその住民が決めるべき事柄であり、それこそが憲法の定める地方自治の本旨です。今般の問題において、国と沖縄県との間に上下・主従の関係は在りません。ちゃんと話し合いをすべきです。この間、国が自分は工事請負業者に変わらないと主張して、本来民間人が行政を相手に利用するところの「行政不服審査と執行停止の申立」を行いました。ところが民間人であれば従うはずの行政の「作業停止指示」は無視し続けるという厚顔なるダブルスタンダード。このような茶番は決して許されません。まして、これまで一貫して面談を拒否してきた官邸側は、首相の訪米の手土産に面談の事実を形式的に作り出す、という姑息な対応に終始しており、満腔の怒りを覚えるものです。
今、私たちにできることは沖縄の海と、沖縄・日本の平和を守りたい気持ちを形にすることだと思います。そしてその一つとして、辺野古の埋め立てに反対を明確にして知事になられた翁長さんを応援する気持ちを形にしました。
沖縄県民の思いを背負って、奮闘される翁長知事に心からの応援を送る次第です。知事や県民の皆さんがいまたたかっておられることは、単に沖縄だけの問題ではない。日本の平和と民主主義、地方自治を守るたたかいです。私たち自身も翁長さんと沖縄県民のたたかいに勇気をもらっています。ともにがんばりましょう。
二〇一五年四月二三日
自由法曹団大阪支部
支 部 長 弁護士 上 山 勤
東京支部 佐 藤 誠 一
私の事務所では、これまでほとんど盗聴法・司法取引について取組がありませんでした。正直なところ憲法・労働法制課題に集中し、最近では育鵬社教科書を採用した大田区ということもあって、教科書課題が加わりそれだけで「てんてこ」状態です。
その一方で私自身は長年国民救援会東京都本部副会長・大田支部支部長の職にあることから、盗聴法・司法取引については救援会大田支部に投げかけてみようと思い立ち、支部の議論を経て、四月一日、同支部主催の学習会を開催しました。
統一地方選挙とあって、参加状況が危ぶまれましたが、一九名の参加はまずまずかと思います。冒頭、司法取引を題材に、支部委員で寸劇をやりました。次いで盗聴法が成立した一九九九年の情勢について参加者に振り返ってもらおうと私が報告しました。メインは当事務所の大住広太弁護士(六七期)のレポートです。大住君はこれが学習会講師デビューになりました。
以下、学習会を開催してみての感想です。
一六年前と違い、ネット社会となって通信手段としての電話通話の重要性が低下している現在、データの「盗聴」は、言葉の上でフィットしないことに加えて、学習会参加者にもイメージしにくくなっています。ためにその危険性を十分に訴えきれない懸念があるように思えました。どなたか、知恵を貸してください。
日弁連内の論議を聞いていたときには、反主流派の皆さんの問題意識は盗聴法改悪阻止にあったと思いました(一八単位会会長声明も同じです)。しかし勉強してみると、私は司法取引導入がもたらす危険性をより強く意識せざるを得なくなりました。
司法取引はわが国にはなじみがない、とは言われますが、実際には「制度」として存在しないだけで、捜査機関はしばしば実践してきたのではないでしょうか。私自身も弁護人として「取引」を持ちかけられたことがあります。団の意見書でも紹介されている、古くは八海事件・松川事件、最近では村木事件・志布志事件・引野口事件・福井女子中学生殺害事件などなど、えん罪の温床となってきたことが明らかにされています。この意見書は力作で、とっても重宝します。
加えて、大阪生健会会員の生活保護違反の関連で、新宿にある全生連事務所にがさ入れされた事件、そしてこれも会員の脱税の関連で倉敷民商事務局が逮捕・勾留・起訴された事件、これらも「取引」の例でしょう。これらについて言えば、司法取引が民主団体・労組の組織攻撃・弾圧のツールとして機能することがわかります。村木事件に端を発した「新時代の刑事司法制度特別部会」の答申が、司法取引を誕生させるとすれば、「皮肉」どころの話ではありません。一八単位会会長の皆さんも、司法取引について声を上げていただきたいと思います。
今回の学習会で、司法取引の例を寸劇で演じてみて、その危険性が寸劇になじむ、徴収に理解されやすい、ということがよくわかりました。ちなみにこのシナリオは大住君が作りました。議員要請も、寸劇をDVD化したものを持参して司法取引が導入されたらこうなる!ってやってみるといいのではないでしょうか。シナリオ作りは、団意見書の「類型」が参考になるでしょう。
東京支部 志 村 新
一 三月二一日(土)付の「あかはた新聞」に「元技術者に米系IT企業 不払い残業代四二四万円支払」の見出しで報じられたからだろう。直後に団本部から投稿依頼がきたが、実は、この時点では応じるかどうか迷っていた。
というのは、この事件は、元勤務先の被告会社に対し未払時間外割増賃金の請求とともに慰謝料請求も行っていたところ、前者については二月一二日の結審直前に被告が請求認諾を行ったうえ三月一九日に支払を行っていたが(「あかはた新聞」記事はこれを報じたもの)、後者については三月二七日に判決を控えており未だ結論が見えていなかったからだ。その判決(東京地裁民事三六部・松田敦子裁判官)で勝訴し被告会社が控訴せず判決が確定したこと、そして、今国会に「残業代ゼロ」「定額働かせ放題」法案(労基法「改正」案)が提出されてこの原稿が掲載されるころには審議の山場を迎えていることが予想されることなどから、久々に投稿することとした。
二 事件は、米国IT企業の一〇〇%子会社「アンシス・ジャパン株式会社」に二〇一〇年一〇月から二〇一三年二月まで在籍していた女性エンジニアが、同社に対し、在職中の未払時間外割増賃金二年分三五一万円余(及び同額の付加金)と上司らから受け続けた不当な扱い(その詳細は長くなるので省く)についての慰謝料の支払を求めて二〇一三年六月に提訴したもの。
被告会社(ちなみに代理人は某大手渉外事務所の中堅弁護士ら)は、提訴直後から和解を申し出たが、内容を非公開とすることに固執し続けたために決裂し、その後は、掌を返したように原告の主張を全面的・徹底的に争い続けた。二〇一四年一二月に原告本人と被告申請証人一名(原告の元上司)の尋問を含む証拠調べを終えた後、被告会社は再び和解による金銭解決を申し出たものの、謝罪要求を拒んだため二〇一五年二月一二日に決裂。すると、被告会社は、即座に未払残業代請求の部分に限り「請求認諾」を行った。ところが、三月半ば近くになっても認諾した金額の支払いがないので強制執行もあり得ることを伝えたところ、同月一九日、ようやく未払残業代(源泉徴収後)と遅延損害金の合計として算出したとする約四二四万円を振り込んできた(しかも、その計算は、認諾した金額にまで誤りがあるという杜撰なものだった!)。
三 そして、三月二七日、残る請求部分について慰謝料五〇万円と遅延損害金の支払を命じる原告勝訴判決が言い渡された。
判決は、元上司の不当な対応等によって原告が精神的苦痛を受け続けてきたことを示す数々の事実を詳細に認定する一方、原告が在職中に収集してきた豊富な証拠資料(メールのやり取り、自身のノートの記載=実労働時間の裏付けでもある)の信用性を否定する被告の主張を退けたほか、裁判での元上司の証言も信用できないと断定した。そのうえで、労働契約上の債務不履行責任(民法四一五条)と、原告に対する不法行為を続けた元上司の使用者としての責任(同七一五条)に基づき、被告会社は原告が被った損害を賠償すべきものとした。
四月三日、被告会社は判決が支払を命じた慰謝料と遅延損害金を振込んで支払い、その後、判決は控訴期間経過により確定した。
実は、被告側は原告提出のメールをはじめとする数々の書証さらにはこれらについての証拠説明書等を対象とする訴訟記録閲覧等制限申立を数回に亘って行い、裁判官は、それらの全てを認める決定を出すとともに、前述した被告からの二回に亘る和解申出についても成立に向けて熱心な様子を示していた(ように感じた。)。このため、判決の行方は予断を許さないとも思っていたので、投稿依頼に応じるかどうか迷っていたのだ。
勝訴判決を受けて、原告の女性は、「在職時から訴え続けた異常な職場環境の実態が、裁判所が判決で明確に認定した事実として公に認められたことで、会社が行ってきた違法行為の一端を明らかにすることができました。皆様にも、会社の不当な扱いに泣き寝入りするか辞めるかだけではなく、裁判所に提訴して最後まで闘ってほしいと願います。」と語っている。
四 ところで、原告が在職中に担当していた業務は、「顧客のシステムを幅広く理解して問題解決・サポートを早急に提供する業務」で「システムエンジニア及びカスタマー担当の経験が要求され」、「会社を代表する総合技術窓口」を兼ねる業務(判決書からの引用)であった。
政府が今国会に提出している労働基準法「改正」案で導入を謀ろうとしている「高度プロフェッショナル制度」の対象業務は、「高度の専門的知識等を必要とし、その性質上従事した時間と従事して得た成果との関連性が通常高くないと認められるものとして厚生労働省令で定められる業務」とされており、原告が担当してきた業務もこれに含められかねない。仮に、取り敢えず定められる年収要件は満たさないとしても、今後の要件引き下げが狙われていることはすでに明らかだ。そうなった場合、今回のような請求認諾が期待できないばかりか、そもそも提訴を考える労働者が激減するだろう。
派遣法改悪法案とともに、阻止しなければならない。
事務局次長 横 山 雅
一 盗聴法の対象犯罪の拡大、盗聴の際の立会人制度の骨抜き、第三者を引っ張り込み冤罪の温床となる司法取引の導入を含む刑事訴訟法等の改正案がいよいよ本年五月一五日頃に審議入りすると言われています。
刑事訴訟法の改正法案として国会の場に提出されている以上、我々弁護士が責任をもって法案成立阻止の声を挙げる必要があります。
そこで、自由法曹団は、以下の行動を行うことに決まりましたので、奮ってご参加下さい。
二 国会議員(法務委員会担当議員)への要請
団は、本年四月一五日、「このまま『一括』で審議を行うことは許されない盗聴法拡大、司法取引導入に反対する意見書」を発表しました。同意見書は、改正法案の問題点をコンパクトにまとめたものです(団のホームページにアップされています)。同意見書をもって衆参の法務委員会担当議員へ要請を行います。日時と集合場所は左記のとおりです。
記
五月一三日一三時三〇分 衆議院第二議員会館第八会議室集合
三 法律家デモ
さらに、法律家デモを行うことも決定しました。日弁連が改正に賛成の意思を示している中で、弁護士の多数が改正に反対の意思を持っていることをはっきりと表明する重要な機会となります。昼休みの時間に行いますので、お時間のとれる方は是非ご参加下さい。日時と集合場所は左記のとおりです。
記
五月二七日一二時〇〇分 霞ヶ関の弁護士会館集合
事務局次長 本 田 伊 孝
安倍政権は、五月一五日に閣議決定―戦争法案の国会提出―今国会での成立を狙っています。
団も関わる「戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会」で戦争法制定を阻止するためのたたかいのスタートとなる集会を開催します。
団員の皆さんがこの集会に参加し、そしてこれからの戦争法案阻止のたたかいに、ともに立ち上がっていただくことを、心から呼びかけます。
許すな! 戦争法案 戦争させない・九条壊すな! 五・一二集会
日 時:五月一二日(火)一八時三〇分〜
※集会後、デモ(予定)
場 所:日比谷野外音楽堂
主 催:戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会