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<<目次へ 団通信1524号(5月11日)


田中  隆 *改憲・戦争法制阻止特集*
戦争法制と格闘した一か月
―二つの構造的論点にも触れて
松島  暁 安倍政権による安全保障戦略の再編成と戦争法制
佐藤 博文 集団的自衛権行使・国防軍化と自衛隊員の人権
小野寺 義象 情報保全隊と戦争法制
井上 正信 安保法制改正と日米同盟
内藤  功 安全保障法制論議の視点
長澤  彰 戦争立法と国会の空洞化
小林 善亮 戦争法制と教育・教科書
今村 幸次郎 戦争法制と雇用政策・労働法制
尾普@彰俊 戦争立法でどうなる?
長澤  彰 「リニア中央新幹線」の利便性は本当か
九兆円の巨大プロジェクトの狙いを問う
吉広 慶子 埼玉原発事故責任追及訴訟について
佐野 雅則 責任無能力者が引き起こした事故の被害者はいかにして救済されるべきか
(とある知的障害者施設の事例)
後藤 富士子 「法解釈」の思考停止
―人身保護法の「引渡し」の場合
田井  勝 二つの「改正」案の廃案をめざす院内集会の報告(労働)
上田 月子 新たな意見書の発表と記者会見
依田 有樹恵 *広島県特集*
広島と憲法、そして平和
竹森 雅泰 広島支部冊子『たたかう弁護士たち
その後・・・ パートV』の紹介
改憲阻止対策本部 戦争法制阻止に向けてたたかいを強めよう!
リーフレット「平和な戦後が終わる」のご活用を



*改憲・戦争法制阻止特集*

戦争法制と格闘した一か月
―二つの構造的論点にも触れて

東京支部  田 中   隆

一 またたくうちの一か月
 四月がもう終わろうとしている。
 アメリカ東海岸から帰国したのが一日の夜だった。
 「九・一一跡地」には、ようやく再建されたワールドトレードセンター1が聳えていた。一四年かかったのは「同じ事態」をおそれて入ろうとする企業がいなかったため、それでも摩天楼にしたのは「テロに屈しないため」とのことだった。果てることのない「反テロ戦争」に踏み込んだ国の、「銃後の風景」である。
 全労連・共同センター(三日)、法律家六団体(六日、二四日)、改憲対策本部(八日)、戦争法制有志懇談(一三日)、常幹(一八日)、理論対(二四日)、ストップ秘密保護法共同行動(二九日)、マスコミ・団四団体(同日)と、手を出せる限りの会合に出席して議論を交わしてきた。
 久しぶりにマリオン前でマイクを握り(二九日)、立憲フォーラムや東京新聞との意見交換会(三〇日)で報告した。いずれも議論はきわめて活発で、相手方の意欲や積極性に煽られることもあった。
 講演は可能な限り行ったが、なぜか自由法曹団関係からの依頼が多かった。いつもなら皮肉のひとつも言うのだが、なにも言わなかった。複雑怪奇な戦争法制を読み解くのが容易ではないことは、身にしみてわかっているからである。
 一四日を皮切りに連日のように政府・与党協議が行われ、戦争法制の全容が明らかになった。緊急意見書での予測より、さらに狂暴で危険なものになっていた。
 二七日には「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)が発表され、二八日には日米首脳会談の三つの「成果文書」(「日米ビジョン声明」など三点)が発表された。米日両国で世界に覇を唱えようとするまでの「気負い」に満ちたものであった。
 「かつての敵対国が不動の同盟国となり、アジアと世界において共通の利益及び普遍的な価値を促進するために協働」(日米ビジョン声明)することが、「戦後七〇年の総括」なのだろう。「こんどは手を組んで戦争しよう」と言っているに等しい。
 三〇日には安倍首相が米議会で演説した。
 米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません・・・媚びへつらいに満ちたこの「メッセージ」からは、「米国に与えられたのは格差だった」「持ってきたのは爆弾と荒廃だった」と感じている世界の民衆への思いなど、微塵も感じとれない。
 その三〇日、なんとか第二意見書「戦争法制を批判する―いつでもどこでも切れ目なく戦争へ」の発表にこぎつけた。最後まで模索を続けた二つの構造的論点を、試論を含めて紹介する。
二 有事法制の二元化・・・存立危機事態と武力攻撃事態
 七・一閣議決定のころには、「集団的自衛事態は攻撃・防御の双方を包括したものになる」と考えていた。戦争を攻撃と防御に二分するとは思えなかったからである。
 ところが、「存立事態では国民保護法は発動されない」と報じられるようになり、政府・与党協議でも、「『存立危機事態』であって警報の発令、住民の避難や救援が必要な状況(は)・・併せて武力攻撃事態等と認定して国民保護法に基づく措置を実施」とされた(一七日)。存立危機事態と武力攻撃事態を併存させ、攻撃と防御を分担させようとする構図となる。
 主要法文(二四日)では、「二元化」がいっそう鮮明に現れた。
(1)事態対処法の地方自治体・民間企業(指定公共機関)の組み込みか国民の責務は、存立危機事態には適用しない。
(2)自衛隊法の編成・動員にかかわる規定は存立危機事態でも発動するが、治安維持関係や国土防衛関係、国民の徴用・徴発関係(一〇三条)は発動しない。
(3)自衛隊の任務規定から「直接侵略及び間接侵略に対し」を削除し(自衛隊法三条)、上官命令不服従等の「軍律違反」(同一二二条)に国外犯処罰規定を加える。
 国民保護法の適用排除とあわせれば、「存立危機事態は海外で行う武力行使だから国民生活に影響がない」との歪曲した宣伝のためとも考えられるが、問題はそれにとどまらない。
 存立危機事態で武力行使をすれば、テロを含めた反撃を受けるのは当然で、「テロも反撃もまったく考えられない程度の問題」では、「我が国の存立が脅かされる事態」に持ち込みようがない。だから、政府・与党協議でも「『存立危機事態』に該当するような状況は、同時に武力攻撃事態にも該当することが多い」(二七日)となっている。
 構造的な問題は、この「仕分け」により有事法制体系そのものが、
(1)存立危機事態(部分)=海外の戦争・外征法
 「侵略対処」から解き放たれた外征軍の自衛隊、その自衛隊を戦争に投入するための事態対処法・自衛隊法・個別法
(2)武力攻撃事態(部分)=後方構築・国民動員法
 地方自治体・民間企業の組み込み、国民の徴用・徴発、国民保護法・国民保護計画と訓練・演習
 に二元化され、いっそう狂暴なかたちで特化していくことである。
 そもそも、有事法制は「どこかの国が攻めてくる」ことなどまったく想定しておらず、「想定モデル」は最初から「波及有事への対応」だった。その有事法制が、「切れ目なく戦争に出て征く戦争法制体系」のなかで、本来の「牙」をむいたかたちで再起動しようとしていると考えねばならない。
 二つの事態の併存がこの国の社会や地方自治体・民間企業・国民生活に及ぼす影響の検討・批判と暴露を、おざなりにしてはならないのである。
三 三つの海外派兵法制・・・とりわけ国際連携平和安全活動
 自衛隊海外派兵は一般法(海外派兵恒久化法)一本でくるはずだ・・・どうやら政府も最初は同じ見解だったようである。
 ところが、廃止のはずの周辺事態対処法が重要事態対処法として再生し、「停戦合意」以後が国際平和協力法(PKO法)に「移管」された結果、三つの法制が並立することになった。ますます複雑怪奇になるが、政府の側からすれば「使いまわし」ができて極めて好都合になる。
 制度設計の最後にPKO法を舞台に登場した国際連携平和安全活動のアウトライン。
 第一、国際連携平和安全活動は、国連の統括下にある活動ではないからPKOとはまったく本質が異なっている。PKO法に組み込むことによって「類似のもの」と見せかけ、実のところは「PKO法ののっとり」をはかるカラクリである。
 第二、「PKO類似」だから停戦合意や当事者の受け入れ合意などの要件がもうけられる。アフガン戦争やイラク戦争の「戦争終結後の多国籍軍」には反政府勢力との停戦合意などないから、このタイプには派兵できないはずだが、政府・与党は「アフガン・イラク型も可能」と言い放つ。おそらく「多国籍軍と新政府の停戦合意がある」と強弁するのだろう。そうなれば、いっそうPKOとは似ても似つかないものになる。
 第三、「PKO類似」ということで、国会の承認が必要なのは停戦監視活動と新たに加える安全確保活動だけで、イラクで自衛隊が行った人道的復興活動や追加される駆けつけ警護などには国会承認が不要となる。国会の関与なしに、駆けつけ警護で発砲―武装勢力との交戦―なしくずし的集団的集団的自衛権行使も可能になる。
 第四、「停戦合意」があることを理由に、安全確保活動や駆けつけ警護では、妨害勢力を排除するための武器使用が認められる。武装勢力等に対抗するための先制的発砲である。正当防衛等の危害射撃の制限が残されるが、事実を検証する方法がないからほとんど意味がない。他国軍にこんな制限はないから、発砲を逡巡すれば「足出まとい」「利敵行為」とされるだろう。
 ここまでくると、「よくもこれだけうまく組み上げた」と感心したくもなる。
 かくも狡猾で悪辣なスタッフ(官僚)がイニシアチブを握っているから、解析と批判をかたときもゆるがせにできないのである。

(二〇一五年 四月三〇日脱稿)


安倍政権による安全保障戦略の再編成と戦争法制

東京支部  松 島   暁

一 中国の覇権回復と安全保障環境の変化
 一八四〇年のアヘン戦争、一八九四年の日清戦争の敗北、中国が東アジアにおける覇権を失って久しい。イギリスによってネパール、ミャンマーを、フランスによってインドシナを、モンゴルをロシアに、そして日本によって台湾、朝鮮の領土ないし勢力圏を奪われた。欧米列強の進出とそれに追随していち早く近代化に成功した日本によって旧中華システム(華夷秩序)は崩壊、一九四五年以前は日本、その後はアメリカによって西太平洋の覇権を奪われた中国は今、かつての「栄光」を取り戻しうるまでの実力を備えるに至った。
 世界第二位の経済力を背景に、現在の中国は、その軍事力を毎年増強してきている。また、近年の尖閣列島周辺における中国漁船の挑発的動向や南シナ海における対フィリピン、対ベトナムに対する軍事力ないし警察力を背景とした強力的な対応は、日本の抑止力強化、軍事力の増強に口実を与えている。
二 北東アジアにおけるパワーゲーム
 現在の覇権国であるアメリカはとそれに付き従がう日本は、この中国の動向を、現存秩序の変更であり、それ自体が地域の安定を脅かす攪乱要因であって紛争の火種と把握し、それを脅威だとして、それに対する対処・対抗が必要だと主張するのである。(閣議決定にいう「安全保障環境の変化」はこのことを意味する。)現在東アジアは覇権争い(パワーゲーム)の渦中にある。
 安倍政権ないし政権の新主流派は、この覇権争いにあたって従来の「小国主義」を捨て、「アメリカに次ぐ」あるいは「イギリス・フランス並み」の「大国」ないし「リーダー国」となることにより、活路を見いだそうとしている。パワーゲームに積極的に参画しようとしている。
 わが国の軍事力を増強させる、日米同盟をより強靭なものとする、この強化された軍事力=抑止力によって中国と対峙する。中東やアフリカの紛争には、世界のリーダー国・大国にふさわしい役割、政治的・経済的、軍事的貢献を担う。この基本方針は、「国家安全保障戦略」や「七・一閣議決定」を読めば明らかである。
 政治力、経済力その他一体としての国力の充実、とりわけ憲法九条のもとで制約の多かった軍事力を充実・増強する。漂流化しつつある日米同盟を、対等な軍事同盟として再編強化する、その為により積極的役割を進んで果していこうとする。そして、リーダー国・指導的大国にふさわしい国際的な役割を果す。積極的平和主義に基づく平和維持・創造活動の展開である。安倍政権は、これらの課題の実現が求められていると考えている。
三 安全保障法制(戦争法)の特徴
 この基本戦略に基づき、一昨年一二月に司令塔としての国家安全保障会議(NSC)を設置し、秘密保護法により情報の管理・統制をはかり、国家安全保障戦略・新防衛大綱・中期防の策定、武器輸出三原則の防衛装備移転三原則への転換、七・一閣議決定と安倍政権はその課題を一つ一つ実現してきた。
 次の課題が、日米ガイドラインの再改訂とそれと一体となった国内法制の整備、安全保障法制=戦争法制である。詳細な検討は第一部にゆずるが、ここではいくつかのの特徴点を指摘したい。
 第一の特徴は、次の一覧表を示すとおり、わが国の安全と平和に影響するか否かを問わず、あらゆる事態を想定しそれに対する軍事力による対応措置を用意するという「切れ目のない」法制となっていることである。

発生事態 対応措置 規定法
武力攻撃事態(1)
存立危機事態(2)
日米による共同軍事行動 事態対処法(武力攻撃事態法の改正)
重要影響事態(3) 米軍に対する後方支援活動等 重要影響安全確保法(周辺事態法の改正)
国際平和共同対処事態(4) 諸外国の軍隊等に対する協力支援活動 国際平和支援法(新法)
国連平和維持活動に国際連携平和安全活動を追加 国際平和協力法

 ※(1)「武力攻撃事態」:武力攻撃が発生した事態または武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態。「武力攻撃予測事態」と合わせて「武力攻撃事態等」という。
 (2)「存立危機事態」:我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態。
 (3)「重要影響事態」:そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態
 (4)国際平和共同対処事態:国際社会の平和及び安全を脅かす事態であって、その脅威を除去するために国際社会が国際連合憲章の目的に従い共同して対処する活動を行い、かつ、我が国が国際社会の一員としてこれに主体的かつ積極的に寄与する必要があるもの。
 第二の特徴は、政府による裁量的(恣意的)判断が可能な領域が拡大していることである。これまでの「領土」「領海」あるいは「周辺」という地理的概念が取り払われ、客観的判断になじむ「自然的・事実的概念」に替わり、国の存立が「脅かされる」、国民の生命・自由・権利が「根底から覆される」危険であるとか、平和や安全に「重要な影響」を与える事態など、「規範的・価値的概念」が多用されるに至った。その結果、政府が「重要だ」あるいは「危険がある」と判断すれば、武器使用を含む軍事行動が発動される。(判断の基礎となる情報は秘密保護法により明らかにはされず、専門家の判断に従うしかない状況の生れるおそれがある。)
 第三の特徴は、自衛隊法三条の自衛隊の任務の規定から「直接侵略及び間接侵略に対し」我が国を防衛するという文言の削除が予定されているように、自衛隊の任務が大きく変質することになる。「専守防衛」の自衛隊から「外征型・遠征型」の自衛隊への変容であり、戦後七〇年間、培ってきた基本方針の転換を意味する。
四 七〇年目の大転換
 戦後七〇年、この国は「平和国家」、「戦争をしない国」造りを進めてきた。
 憲法九条のもと、(1)専守防衛に徹し、(2)自国を防衛するための必要最小限の自衛権に限定、(3)厳格な要件のもとでのみ武力の行使を許し、(4)集団的自衛権行使は、必要最小限度の範囲を超え憲法上許されない、(5)武力行使を目的とする自衛隊の海外「派兵」は許されず、武力行使を目的としない海外「派遣」でなければ自衛隊は海外に出てはならない、(6)自らは直接武力行使をしていなくとも他国の武力行使と一体と見られてはならない(一体化論)とされてきた。さらに、(7)武器輸出三原則、非核三原則、防衛費のGDP一%枠など、さまざまな仕組みや政策が一体となって、平和国家(専守防衛国家)を構成し、日本独自の「平和憲法文化」を形成してきた。
 安倍政権は、この国是ともいうべき平和国家の原則を転換し、アメリカ・イギリス・フランス並に「戦争する国」「戦争できる国」に作り変えようとするものである。
五 西洋覇道の鷹犬か東洋王道の干城か
 「あなたがた、日本民族は、既に一面、欧米の覇道の文化を取入れるとともに、他面、アジアの王道文化の本質をも持っているのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬(ようけん)となるか、あるいは東洋王道の干城(かんじょう)となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります」と。これは大国化し対外膨張の途にある日本に対する孫文の発言である(一九二四年一二月二八日、神戸高等女学校での講演)
 戦後七〇年の節目、安倍政権による安全保障政策の大転換にあたり、戦前、覇道の文化=軍事力による平和の道を選び取り、日本民族は、大きな誤りを経験した。しかし、戦後は王道の文化=平和国家、軍事力によらない平和の実現を目指してきた。今後日本が世界文化・平和文化の前途に対し、軍事力による平和(覇道)の番犬となるか、あるいは軍事力によらない平和実現(王道)の守り手となるのか、私たちの詳密な考慮と慎重な判断にかかっているのである。
六 革新派官僚らの暴走
 危惧されるのは、この大転換が、安倍晋三というリーダーとそれを支える一部の専門家と呼ばれる官僚・政治家によって強引に(信念をもって)進められていることにある。
 安倍首相をトップに、兼原信克(外務省)、煬ゥ澤將林(防衛省)ら官僚、中谷元(防衛大臣)や磯崎陽輔(首相補佐官)ら内閣構成員、高村正彦(自民党)や北側一雄(公明党)の政党人、彼ら安保・防衛の「専門家」と呼ばれる人々の意向によって強力に大転換が進められている。
 この様相は、かつて革新官僚や一部軍人の突出した言動によって、国全体が、大陸侵攻、満洲国の建国と破滅へと引きずり込まれていった戦前日本の歴史を想起させる。


集団的自衛権行使・国防軍化と自衛隊員の人権

北海道支部  佐 藤 博 文

一 七月一日閣議決定と自衛隊員
 昨年七月一日の閣議決定に対して、自衛隊員や家族の多くが不安と困惑、憤りを隠さない。自衛隊員は、米軍と一体となった戦争遂行準備、戦場への派遣という、深刻な問題に直面している。戦争も軍隊も知らない政治家たちが、リアリティのない議論をし、簡単に「専守防衛」を投げ捨てること、「兵士の人権」を顧慮しないことに、深刻な危機感を抱いている。
 これは、自衛隊に入ろうとする若者や家族にも影響を与えている。閣議決定がなされた昨年の北海道の自衛官志願者は、前年より激減した。一般曹候補生は三〇四四人→二五八六名(一五%減。全国では一〇%減)、航空学生は三七二人→二七三人(二七%減)という具合である(二〇一四・一〇・一北海道新聞)。
 そのため、防衛省は、自衛官募集を強化し、適齢者情報の提供など自治体の協力、中学や高校への自衛隊宣伝やリクルートなどを強めている。
二 イラク派兵差止訴訟・名古屋高裁違憲判決と自衛隊員の人権
 二〇〇四年一月、自民党の元閣僚、故箕輪登氏が「専守防衛」の立場から全国で最初に訴訟を提起したのを皮切りに、全国一一地裁でイラク派兵差止訴訟が取り組まれた。そして、二〇〇八年四月一七日、名古屋高裁は、平和的生存権の具体的権利性を認め、イラク派兵は憲法九条一項違反とする画期的な違憲判決を勝ち取り、同年一二月、自衛隊をイラクから完全撤退させた。
 この判決は、見方を変えると、自衛隊の「専守防衛」を確認し、イラク派兵中又は今後派兵される自衛隊員や家族の「平和のうちに生きる権利」をまもったものと言え、実は多くの自衛隊員・家族が(表には出さないが)歓迎していた。
三 自衛隊の海外派兵と自衛隊員の人権は表裏一体
 実は、イラク訴訟と並行して、自衛官・家族による個別人権裁判がたたかわれていた。海自「たちかぜ」裁判は、イラク派兵の二〇〇四年の事件(被害者は当時二一歳)である。空自浜松基地裁判は翌二〇〇五年の事件(同二九歳。妻と〇歳の子あり)である(いずれもいじめ自殺)。
 名古屋高裁違憲判決が出た二〇〇八年には、空自女性自衛官セクハラ事件(北海道。当時二〇歳)、陸自(札幌真駒内。当時二〇歳)及び海自(広島江田島。当時二五歳)の徒手格闘訓練死事件が起きている。
 他方で、二〇〇八年には、海自「さわぎり」(事件当時二一歳)の福岡高裁・逆転勝訴判決があり、イラク派兵違憲判決と歩調を合わせるように、自衛隊員の人権問題がクローズアップされた。
 イラク派兵中、在職中の自殺者は毎年約一〇〇名にのぼっていた。自殺する前に退職するケースが多いから、「暗数」は計り知れない。
 海外派兵、国防軍化が進む自衛隊内の矛盾が、精神疾患、いじめ自殺、セクハラ、パワハラなど、自衛官の人権問題として噴出した。
 そこで、自衛官人権裁判全国弁護団連絡会議が結成され、今日まで活動が続けられている。
四 自衛隊員の人権裁判―自殺
 前述のとおり二〇〇四年頃から自衛隊裁判が急増したが、まず、いじめ自殺事件が表面化した。主な裁判を挙げると、次のとおりである。
(1)海自衛隊さわぎり・いじめ自殺 
 二〇〇八・八福岡高裁・勝訴・確定
(2)空自浜松基地・いじめ自殺 
 二〇一一・七静岡地裁浜松支部・勝訴・確定
(3)陸自東北方面通信群・いじめ自殺事件
 二〇一一・九仙台地裁・勝利和解
(4)海自たちかぜ・いじめ自殺
 二〇一四・四・二三東京高裁・逆転勝訴・確定 
(5)陸自朝霞駐屯地・いじめ自殺
 二〇一三・一〇・一六東京地裁(一部勝訴)。東京高裁係属中。
 自衛隊員の自殺者のうち、アフガニスタンからイラク戦争への派兵経験者に限った統計では、第一次テロ特措法(インド洋派兵)では海自八人(延べ派兵数一三六二人に一人)、第二次では海自四名(六〇〇人に一名)、イラク戦争では陸自二〇名(二八〇人に一人)、空自八名(四五三人に一人)、総計四〇名になる。ちなみに、日本国民の自殺者は四六七二人に一名(二〇一三年度)である。
五 自衛隊員の人権裁判―パワハラ・セクハラ
 訓練死・暴行死事件も頻発した。そのうち、素手で相手を殺傷する徒手格闘での死亡事故の裁判は、次のとおりである。
(1)海自江田島第一術科学校・暴行死
 二〇一二・秋 松山地裁・勝利和解
(2)陸自札幌真駒内基地(二〇歳) 
 二〇一三・三・二九札幌地裁・勝訴・確定
 裁判で、徒手格闘訓練による負傷件数を調べたところ、業務上の事故の約半数が徒手格闘によるものであった。徒手格闘は、対ゲリラの市街戦を想定したものである。
 米軍と同様に、自衛隊員による性暴力事件も頻発した。プライバシー保護の観点から、多くは公表されていない。以下は、ごく一例、私が取り組んでいる裁判である。
(1)空自女性自衛官セクハラ 
 二〇一〇・七 札幌地裁・勝訴・確定
(2)陸自女性事務官セクハラ訴訟
 二〇一三・一二 札幌地裁提訴
 事件当時一九歳。本人の歓迎会の深夜に「上司」により強制猥褻。
(3)陸自帯広駐屯地・請負業者職員セクハラ訴訟
 二〇一四・三 旭川地裁提訴
 給食受託業者の職員が部隊の担当自衛官から性的暴力。
六 その他の特徴的な事件
 パワハラ・市民的権利に関する事件は全国各地に多数あるが、以下のような特徴的な事件もある。以下は筆者が取り組んだ事件である。
(1)大学受験妨害(空自奥尻基地 二〇一一) 
 自衛隊リクルートで夜間大学に行けると言われ入隊。いざ受験を申し出たら自衛隊を辞めるか大学を諦めるかだと言われ、いじめを受ける。
(2)陸自岩見沢基地・自衛官退職不承認(二〇一四・一〇) 
 大型車の免許が取れると聞いて入隊したが取れない(免許が取れたのは昔の話)。そこで辞めたいと言ったら、辞めさせてもらえず。
(3)遺書の作成強要、部隊の返還拒否(二〇一四・一〇)
 部隊からの命令で、家族宛の「遺書」を書かされ、部隊が保管している。返還要求しても返してもらえない。
七 軍隊内における公務災害の実態と裁判の到達点
 自衛隊では、隊員の事故・負傷が急増している。このような中で、前記札幌地裁判決(二〇一三・三・二九)では、次のような判示を勝ち取った。
 「自衛隊の徒手格闘訓練は、旺盛な闘志をもって敵たる相手を殺傷する又は捕獲するための戦闘手段であり、その訓練には本来的に生命身体に対する一定の危険が内在」するものとして、徒手格闘訓練の危険性について言及し、その上で、訓練の指導者は「訓練に内在する危険から訓練者を保護するため、常に安全面に配慮し、事故の発生を未然に防止すべき一般的な注意義務を負う」とし、このことは、徒手格闘訓練が自衛隊の訓練として行われる場合であっても異なるものではない。」
 一見当たり前のことのようだが、自衛隊の訓練における安全配慮義務の内容を、スポーツ事故や巷間の労災案件と同じ基準で捉えている。これは、徒手格闘訓練で言えば、「素手で殺傷する訓練」(相手に防御させず急所を点く)を、「柔道などのスポーツ」(相手に防御させ急所は狙わない。技が決まればよく、それ以上やると反則)と同じ安全性を確保せよと言っているわけで、これを徹底すると軍隊が軍隊でなくなる。この札幌地裁判決以後、自衛隊での徒手格闘訓練は激減したと聞く。
八 軍隊の本質―人権保障と根本的に矛盾
 自衛隊員は、日常生活の全てにおいて、「おう盛な闘争心をもって敵を殺傷又は捕獲する戦闘」(前記判決)に備えていなければならず、そのため組織=上司・先輩の命令は絶対である。
 自衛隊の規律は、「軍紀」と言われ、その本質は、「通常の道徳規範」とは正反対の一般社会では許されない器物の損壊、人員の殺傷などの戦争遂行行為を、自他の生命を省みることなく公然と行なわせるものである。
 これが、自衛隊員や家族の良心や価値感と矛盾・対立し、様々な問題を引き起こす。
 私たちはいまこそ、自衛隊員とその家族に寄り添い、「兵士である前に市民である」「自衛隊員や家族にこそ平和憲法の平和的生存権を」と、声なき自衛隊員・家族の声を代弁しながら、戦争立法と闘うべきである。


情報保全隊と戦争法制

宮城県支部  小 野 寺 義 象

一 はじめに
 昨年(二〇一四年)七月一日、安倍政権は集団的自衛権の行使容認等の閣議決定を強行し、一二月には特定秘密保護法を施行した。そして、今年の通常国会では、閣議決定を実効化するための法律=戦争法制の制定を強行しようとしている。安倍政権が推し進める「戦争する国」づくりは、自衛隊の活動全般に重大な変容をもたらし、自衛隊と国民との関係、国民の基本的人権に対して深刻な影響を及ぼすことは確実である。
 私たちは、現在、仙台高等裁判所で、自衛隊情報保全隊の国民監視差止め訴訟を闘っているが、その視点から、情報保全隊と戦争法制との関係について検討してみる。
二 情報保全隊の国民監視(情報保全隊とイラク特措法)
 この問題を考える場合、イラク特措法の下で情報保全隊が何をしていたかを知ることが参考になる。
 二〇〇七年六月、陸上自衛隊情報保全隊の内部文書(一六六頁)が公表された。それには、情報保全隊が、二〇〇三年末から〇四年二月にかけて、イラクへの自衛隊派兵に反対する全国の広範な団体・市民の集会、デモ等の動向を組織的・系統的・日常的に監視し、個人の実名を含む情報を収集・分析・管理保管していたことが詳細に記載されていた。監視対象は平和・護憲・女性などの様々な市民団体から国会議員・地方議員、マスコミ、さらには弁護士会や著名な映画監督など広範囲に及んでおり、また、イラク派兵とは関係のない小林多喜二展、成人式での九条チラシの配布、増税反対など様々な市民活動にわたっている。この監視活動が自衛隊の海外派兵に反対する国民とその運動を敵視するものだったことは「イラク自衛隊派遣に対する国内勢力の反対動向」、「反自衛隊活動」と呼称していたことからも明らかである。
三 自衛隊の国民監視差止め訴訟と勝利判決
 この情報保全隊の国民監視は大きな社会問題となり、東北地方の住民一〇七名が情報保全隊の国民監視の差止めと国家賠償を求める訴訟を提起した。情報保全隊の監視活動は、報道機関の報道の自由、国民の知る権利、市民団体・個人の表現の自由、プライバシーの権利、監視されない自由、肖像権、思想良心の自由、平和的生存権を侵害する違憲・違法行為であり、戦前の「憲兵政治」を復活させ、基本的人権保障や民主主義・立憲主義に対する重大な侵害行為、国家的不法行為だと原告は主張した。
 これに対し、仙台地裁は、二〇一二年三月二六日、自衛隊の国民監視行為の存在を明確に認め、五名の原告に対する監視行為を違法とし慰謝料の支払いを命ずる画期的判決を言い渡した。
四 裁判から見えてくる情報保全隊の国民監視の実態
 控訴審において、国は、情報保全隊の国民監視には正当な理由と必要性があると主張し、当時の情報保全隊長(鈴木健氏)の証人尋問が行われた。その証言の概要は、次のとおりである。
(1) 情報保全隊の任務
 情報保全隊は、自衛隊の「健全性」を守るために「外部からの働きかけ」を監視する組織である。従って、監視対象は、自衛隊隊員だけでなく、一般市民も対象になり得る。
(2) 国民運動は「外部からの働きかけ」である
 自衛隊イラク派兵に反対する国民の運動は、隊員やその家族が好むと好まざるとにかかわらずその主張を見聞きして、心理的に混乱してしまうかもしれない。従って、「外部からの働きかけ」に該当し、日本中の全ての反対運動が情報収集の対象になり得る。
(3) 「外部からの働きかけ等」の具体例
・「米兵・自衛官人権ホットライン」を開設すること、・「イラク派兵反対の署名を市街地で集める活動、・自衛隊のイラク派兵反対の屋内集会、・イラク戦争での現地住民の被害を訴える写真展、・自衛隊駐屯地の騒音について苦情の電話を入れること、・成人式の会場入り口で、憲法前文と九条のビラを配布すること、・スーパーマーケットの前で反戦平和の歌を歌うこと、・労働組合の春闘での街頭宣伝、・核兵器廃絶の署名活動、・プロレタリア作家の展示会など。
(4)「外部からの働きかけ等」を行ったとされた団体・個人の取扱い
 団体・個人は文書に整理されており、団体・個人の関係者及び関係団体が行う「他の活動」や、当該関係団体等に「所属する個人」に関する資料や情報も収集整理している。自衛隊の業務に支障を及ぼすおそれがなくとも、情報収集の対象となり得る可能性はある。
(5) 収集している「個人情報」の具体例
 氏名、職業、住所、生年月日、学歴、所属団体、所属政党、個人の交友関係、過去にその個人が行った活動が含まれている。個人については、所属政党などの区分整理がなされている。
(6) 情報保全隊の情報源
 情報保全隊は自ら国民の情報を収集するだけでなく、警察を含む他の行政機関から非公開の情報の提供を受けることがある。
五 戦争法制の制定による情報保全隊の「憲兵」化の危険
 このように、戦争法制制定前から、情報保全隊の国民監視は広範に行われており、これによって国民の諸権利は侵害されているが、それでも現在の情報保全隊は「日陰の存在」である。
 しかし、戦争法制の制定によって、情報保全隊の位置づけや活動は質量ともに大きく変化することになるだろう。これは、戦争法制によって、情報保全隊の保全すべき自衛隊の「健全性」の内容が全く変わってしまうからである。
 憲法九条を破壊し、アメリカと一体となって戦争する「攻撃的な自衛隊」の出現、切れ目のない安全保障法制による「平時と有事(戦時)の区別の喪失」などにより、国民生活全体が常に戦争体制におかれる危険がある。
 このような状態が到来すれば、情報保全隊が平時でも国民を監視することが正当化される危険がある。また、情報保全隊が、国民監視にとどまらず、自衛隊の「健全性」を保全するために、国民の表現活動やプライバシー、思想良心の自由にまで介入してくることも予想される。
 このように、戦争法制の制定は、情報保全隊の「憲兵化」、戦前の「憲兵政治」の復活を導くものであり、決して許してはならない。


安保法制改正と日米同盟

広島支部  井 上 正 信

一 七・一閣議決定、ガイドライン見直し、安保法制改正は三位一体
 この三つを貫く共通のキーワードは「切れ目のない」「グローバル」である。閣議決定の表題が「切れ目のない安全保障法制の整備について」となっているし、ガイドライン見直し中間報告は、ガイドライン見直しには閣議決定が適切に反映されるとしているからだ。
 日米同盟の具体的な姿を規定するのがガイドラインである。なぜ見直しなのか。七八年ガイドラインは我が国の防衛に限定していた。九七年ガイドラインは我が国の防衛から周辺事態での日米共同作戦へ重点が移った。しかし、これによっても米国が期待するほど日米同盟は強化されなかった。個別的自衛権と集団的自衛権との間に切れ目があったからだ。九七年ガイドラインを実行するため作られた周辺事態法では、自衛隊の後方支援活動は後方地域に限定され、戦闘が及びそうになると活動を中断し、撤退するので「切れ目」が生じた。「切れ目」とは憲法第九条でできることとできないことの切れ目なのである。その象徴的なものが集団的自衛権行使禁止であった。そこで日米同盟を強化するため、アーミテージレポートが三回にもわたり執拗に集団的自衛権行使を求めた。
 九七年ガイドライン以降日米同盟強化が図られたのが、二〇〇三年から始まった日米防衛政策見直し協議(米軍再編協議の正式呼称)であった。二〇〇五年一〇月2+2共同発表文「日米同盟:未来のための変革と再編」で日米同盟はグローバルな軍事同盟になったといわれた。しかし「変革と再編」では、周辺事態対応における日米双方の軍事的役割と任務が具体的に規定されているが、世界における共通の戦略目標では、日米双方の軍事的な役割、任務は具体的に規定はされていない。グロバール軍事同盟とは言い難い内容であった。
 当時日本には有事法制があるため、周辺事態での日米共同作戦計画は具体化が可能であった。「変革と再編」が周辺事態で「日本は…事態の進展に応じて切れ目のない支援を提供するための適切な措置を取る」と書き込まれているのは有事法制が存在しているからであった。日米同盟の文脈で「切れ目のない」が使用された最初だと思われる。九七年ガイドラインでは「切れ目」を克服できなかったとの認識である。
 周辺事態が武力攻撃予測事態と重なれば、有事法制を発動して「切れ目」を埋めることが出来る。しかし有事法制は個別的自衛権行使の法制度であるから完全には埋めきれない。ましてや周辺地域を遠く離れたグローバルな事態では超えがたい「切れ目」が存在する。そのため日米防衛政策見直し協議でも、グローバルにあらゆる段階で日米が切れ目なく軍事的協力関係を強化することはできなかったのである。
 民主党野田内閣で、米軍再編見直しが合意され、動的防衛協力が日米防衛協力を表す新しい軍事態勢として合意された。これは西太平洋での日米両軍が平時から緊密に共同する「情報活動、警戒監視活動、偵察活動(ISRと略)」を行う態勢である。平時からの集団的自衛権行使の態勢だ。しかしこれを実行しようとしても有事にはどうしても「切れ目」が生じる。
二 ガイドライン見直し協議では何を見直すのか
 二〇一三年一〇月2+2合意文書は七項目の見直しの論点を挙げている。その内容は、アジア太平洋地域(西太平洋、東シナ海、南シナ海を含む)での日米の軍事一体化、グローバルな日米同盟の軍事的側面の強化、アジアの友好国との緊密な安全保障関係強化、宇宙・サイバー空間での日米の軍事協力強化である。ガイドライン見直し中間報告はこれに沿っている。
 中間報告では、そのほとんどの項目で「切れ目のない」という単語が使用され、合計で七か所登場する。その意味は、「平時から緊急事態までいかなる状況」でも日米の軍的協力関係を強化するということである。
 中間報告は、ガイドライン見直しの必要性を日米同盟のグローバル化だと説明している。そのため九七年ガイドラインが重点を置いた周辺事態という概念はもはや使用されていない。
 ガイドライン見直しは、これまで憲法第九条の制約からグローバルで切れ目のない日米同盟にすることがどうしてもできなかったことを、七・一閣議決定がその政治的制約を取り払ったことで実現させようとしているのである。
三 安保法制改正は見直されたガイドラインを実行するためのもの
 安倍政権が国会へ提出する安全保障法制改正法案は、(1)周辺事態法の周辺事態という地理的制約を取り払い、グローバルに米軍のみならず他国軍への後方支援(戦争支援)と船舶検査を自衛隊が行う、(2)自衛隊海外派兵恒久法を制定し、周辺事態船舶検査法改正によりグローバルに船舶検査と他国軍支援(戦争支援)を自衛隊が行う、(3)PKO協力法を改正し、国連決議がない場合でも多国籍軍による治安維持活動へ参加させる、(4)自衛隊法、有事法制を改正して他国の戦争へ自衛隊を加担させる、(5)情勢が緊迫した中で行われる他国に対する武力による威嚇目的での軍事演習で、ともに行動する他国軍隊の防護活動を行う、(6)在外邦人の救出活動を自衛隊に行わせるというものである。
 (1)(2)による後方支援では、戦闘地域でも弾薬の提供や輸送任務を行わせ、自衛隊が攻撃されれば反撃も辞さない(ただし、自己保存型武器使用のみ)、(3)では自衛隊の任務を妨害する武装勢力に対して危害射撃を含む積極的な武器使用(任務遂行型武器使用)ができる、(4)は集団的自衛権または安保理による集団的措置と称して武力行使、という内容である。
 派遣要件は極めて幅が広い。(1)は国益判断で可能(派遣要件はないといったほうが正解)、(2)は関連する国連決議で可能、(3)はさまざまな国際機関の要請でも可能である。
 安全保障法制改正法案では、存立危機事態((4))、重要影響事態((1))、国際平和協力事態((2))という概念が基本となり、既存の武力攻撃事態と同予測事態がこれに連なっている(いずれも法案が不明な段階なので井上による仮称)。
 これらの各種事態は重層的に重なり合う関係であり、適用される改正安保法制も重層的に重なり合いながら、平時・情勢緊迫・危機・戦時というあらゆる事態で「切れ目のない」軍事的対応を可能にしようとしている。これを可能にしているのは単に集団的自衛権行使の容認だけではない。他国との武力行使一体化禁止の事実上の廃止、武器使用を自己保存型から任務遂行型へ拡大、戦闘地域での活動の容認、治安維持活動などの前線任務を行わせる、情勢緊張段階での相手国に対する軍事的抑止力を行使する目的での軍事演習に際しての他国軍隊の防護活動、平時からの共同したISR活動などである。
四 安保法制改正とガイドライン見直しで日米同盟はどのように変貌するのか
 日米安保条約は、日本の施政権下にある領域における日米いずれか一方に対する武力攻撃に際して日米が共同防衛を行う(第五条)、日本は在日米軍基地を提供し、米国はそれを日本の安全と極東の平和と安全に寄与するために使用できる(第六条)という構造である。
 日本が米国とともにグローバルに集団的自衛権を行使するものでもないし、世界中で戦争をしている米軍の後方支援をしたり、地理的限定もなく平時での米軍を防護することを求めるものでもない。公海上で攻撃された米軍を防護するなど安保条約第五条を超えるものだ。
 安保法制改正とガイドライン見直しで、日米同盟は日米安保条約の枠組みを取り払って、あらゆる事態にグローバルに軍的協力を強化するものである。いったん憲法第九条と条約の枠組みを取り払ってしまえば、何でもありの世界になってしまう。他方で米国は在日米軍基地を自らの軍事戦略により、自由に使い放題である。日米安保体制は日本のただ乗りどころか、米国のただ乗りだ。いやただ乗りではない。「思いやり予算」という熨斗まで付け、さらには自衛隊員の血まで提供するものに変貌しようとしている。それにより国際社会の平和と安定が維持され、私たちの平和と安全が守られるのであろうか。他国での武力紛争の犠牲者を増やし、武力紛争を深刻化させ、我が国に対する憎しみの連鎖を引き起こし、私たち自身の平和と安全まで脅かされることになるのである。


安全保障法制論議の視点

東京支部  内 藤   功

一 存立危機事態に防衛出動命令
(1)
三月二〇日の与党合意によると、二〇一四年七月一日の、閣議決定の「武力行使新三要件」を法文に「過不足なく盛り込む」という。我が国にたいする武力攻撃がなくとも、密接な関係にある他国への武力攻撃事態を「存立危機事態」として、出動することになる。それは、自衛隊法七六条の防衛出動と八八条の武力行使の条項によるという。
(2)そうすると、防衛出動下での「公共治安維持行動」など、国民の自由と権利の重大な制限条項が発動される。たとえば、隊法一二三条の罰則は適用されるのか? 同条一、二項は、命令に従わず、反抗したり、三日以上職務の場所から離脱したり、警戒勤務中、職務離脱、睡眠、酩酊した、自衛隊員を七年以下の懲役、禁固に処するという罰則である。また、これらの行為の、教唆、幇助、共謀、煽動も同罪とする。
(3)我が国が、武力攻撃を受けた事態とは、隊員の受け止め方は異なる。他国の戦に馳せ参ずるということである。たった一つしかない大事な命だ。それを、そういう戦では、失いたくない、行きたくないという隊員が出てきても不思議ではない。又、家族として、行かせたくない、引き留めようというのも自然ではないか。それを刑罰で強制することは許されるか。憲法に照らせば、第一八条(意に反する苦役)、第一三条(生命、自由、幸福追求の権利の最大の尊重)、第九九条(自衛隊員の憲法尊重擁護義務)などに違反する。
(4)陸上自衛隊北部方面隊で、全隊員に遺書(家族への手紙)を書かせていたことが、報道された。方面総監が、「軍人の心構え」として指示し、部隊では、「服務指導」(精神教育)として実施していた。二〇一〇年頃から、海外派兵時での死亡も予測し、このような精神面での指導を行っている。海外での危険な戦闘現場に臨むのは、下級自衛官たちである。今の情勢下、隊員と家族の危惧は深刻と想像される。自衛隊の若者を、刑罰の強制下で、戦場に送る法制は許せない。
二 「軍隊」「武力行使」の意義
(1)
「武力行使」は、国家の最大限の実力(殺傷破壊力)の行使である。「軍隊」は、その「武力行使」を遂行する武力集団である。
(2)日本帝国陸軍が、「諸兵連合の戦闘に関して準拠すべき基準」とした「作戦要務令」(一九三九年九月二九日。軍令陸第一九号)は、冒頭の「綱領」で、次のように示す。
 第一(軍の主眼・戦闘一般の目的) 軍の主とする所は戦闘なり。故に百事皆戦闘を以て基準とすべし。而して戦闘一般の目的は敵を圧倒殲滅して迅速に戦捷を獲得するに在り。
 第二(戦捷の要)戦捷の要は有形無形の各種戦闘要素を総合して敵に優る威力を要点に集中発揮せしむるに在り。 
 第九(敵の意表に出づる)敵の意表に出づるは機先を制し勝を得るの要道なり。・・・神速なる機動を以て敵に臨み、・・・敵をして之に対応するの策なからしむること緊要なり。
 第一一(運用の妙)戦闘に於いては百事簡単にして精錬なるもの能く成功を期し得べし。典令は軍隊の訓練上主要なる原則、法則及び制式を示すものにして・・・之に拘泥して実効を誤るべからず。・・・千差万別の状況に処して之を活用すべし。
(3)米海兵隊の根本哲学・理念・行動の基本原則を示した「米国海兵隊ドクトリン全書」の総論部分「WARFIGHTING」(北村淳・北村愛子編著。二〇〇九年二月。芙蓉書房出版)によると、米海兵隊の戦闘の原則は、「敵の決定的脆弱性を発見して、それを攻撃することによって勝利を確実にする。その際にとりわけ欠かせないのが、迅速性と集中と奇襲である。」これを「米海兵隊の攻撃戦闘の三要素」としている、という(同書一九五頁)。
 米海兵隊のドクトリンは、日本帝国陸軍の「作戦要務令」と共通点がある。陸上自衛隊は、旧軍と米軍の双方の理念を継承している組織である。とりわけ、最近数年、米海兵隊との共同演習・訓練が、常時、実施されている。強襲上着陸戦闘への参加を視野に、水陸両用強襲車、垂直離着陸長距離輸送機オスプレイなど、米海兵隊と共通の主要兵器を導入している。
(4)総理が思わず口にした「我が軍」は、米軍との共同戦闘の場で、「最大限の武力」を行使せざるを得ない。武力行使の最小限の原則等、実戦ではありえない。「軍隊」の武力行使は、法律になじまない。「典範令」にも拘泥されない。
 米軍に補給、輸送等支援活動している自衛隊の部隊が、敵から攻撃受けたら、活動を休止、中断するという国会答弁がなされた。しかし、まず、米軍が容認しないであろう。それでも、休止、中断、つまり退却すれば、敵は好機到来とみて、追撃する。それに反撃すれば戦闘となり、死傷者の出ることは必至である。無責任な答弁は許せない。
三 防衛省設置法改定・・・文官統制の廃止と防衛装備庁の新設
(1)
防衛省設置法改定案が、三月二〇日、国会に提出された。制服組の地位強化、権限の拡大を狙うものである。現行設置法の第一二条を全面的に変える。内局の官房長、局長と新設の防衛装備庁長官とは、統合・陸海空の幕僚長の「自衛隊法九条二項に基づく「最高の助言」と相まって大臣を補佐する」というように改める。内局、装備庁、幕僚長の三者のうち、幕僚長が最高の助言者だということを、あらためて確認する条文である。
(2)統合幕僚監部が、内局を介さず、直接、関係省庁、地方自治体、民間団体などへ、連絡調整できることにする(設置法二二条八号の新設)。
(3)防衛装備庁の新設は、およそ、陸海空の自衛隊の全装備品について、研究、開発、取得、調達、廃棄、海外輸出、共同開発、民間転用等一切を取り仕切る巨大官庁の出現である(設置法三六条の新設)。「好戦政治家」と「功名狙うエリート幕僚」と「利潤を目的とする軍需産業」が直結する。世界規模の海外派兵を推進する。「産・軍・政複合体」の温床となる、大機構改編である。


戦争立法と国会の空洞化

東京支部  長 澤   彰

 集団的自衛権の行使容認の閣議決定にもとづく戦争立法について、自民・公明の合意文書では、国会の承認について、次のように定めている。「『新三要件』によって『武力の行使』が可能となる新事態に対応するために自衛隊に防衛出動を命ずるに際しては、現行自衛隊法の規定と同様、原則国会の事前承認を要する」としている。しかし、例外として「特に緊急の必要」がある場合は、国会承認は事後で足りることになる。
 国会の事前承認で、民主的コントロールは及ぶのか。
 集団的自衛権行使の場合とその他の海外派兵の場合について検討する。
一 集団的自衛権行使の場合(事態対処法制)
 自公合意では、国会の承認は、「原則は事前承認」であるとしている。
 政府は、「存立危機事態」に至ったときは、それへの対処に関する基本的な方針(対処基本方針)を定め、国会の承認を得ることになる。
 武力攻撃事態法の中に、「存立危機事態」の要件を規定するとしているが、大きな問題点がある。
 第一は、「存立危機事態」は、事実概念ではなく、評価を含めた関係概念である。「武力攻撃事態」は、外国のミサイルが日本国土に着弾し、被害が発生した事実などによって判断が可能であるが、「存立危機事態」はそう単純にはいかない。「存立危機事態」は、「他国への攻撃によって、この国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険があるか」が基準となる。「他国への攻撃」は事実概念であるから判断は可能であるが、「日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険」の判断は、外交関係や政治・経済関係などの評価にかかわるものである。他国への武力攻撃に関する情報をいくら収集しても判断はできない。
 米軍再編の中で、日米の防衛協力が進められ、共同軍事訓練が広く行われ、司令部の一体化も進んでいる。「存立危機事態」の判断は、自衛隊と米軍が集団的自衛権を行使するかどうかの判断をなし、それを内閣が追認することになりかねない。
 安倍首相は、ホルムズ海峡での機雷掃海も新「三要件」を満たせば、「存立危機事態」に該当すると主張している。公明党がいくら経済的危機だけでは、「存立危機事態」を認定できないと主張しても、政府が認定可能だと判断すれば、集団的自衛権行使容認に踏み込むことになる。「存立危機事態」の評価の曖昧さが露呈している。
 第二は、秘密保護法の壁の問題がある。
 国会が、政府に「存立危機事態」判断のための資料の提出を求めても、「我が国の安全保障に著しい支障を及ぼす恐れがある」との判断がなされれば、国会は資料提供を受けることはできない。両院に設置された「情報監視審査会」は、政府に特定秘密の提出を要求できるほか、政府の秘密指定が不適切と判断すれば、指定解除を勧告できる。しかし、強制力はなく、どこまで実効性があるかは不透明と言わざるを得ない。
 日米の防衛協力の進展の中で、米軍からえた情報は特定秘密として、国会に提出されることはまずない。米軍の軍事情報は、特定秘密そのものであり、政府が米軍情報に依拠して集団的自衛権行使を決断しても、その判断の材料となる情報は、国会に提出され、審議対象となることはない。
 第三は、「緊急の必要」の場合の事後承認の問題がある。
 国会の承認は、「特に緊急の必要があり事前に国会の承認を得るいとまがない場合」(武力攻撃事態法第九条四項)は、事後承認で足りることになっている。
 「特に緊急の必要性」は、政府が判断するものであり、国会承認の事前手続きが困難を極める場合など、政治的に事後承認の手続きを取ることが可能である。
 この場合には、国会の審議を全く経ないで、自衛隊が「武力行使」に踏み込むことになる。憲法が定める国会の役割は否定され、国会による民主的コントロールは死滅する。
二 後方支援の場合
 自公合意では、後方支援(海外派兵恒久法(国際平和支援法)、周辺事態法「改正法」)での自衛隊の発動については、「国会の関与については、対応措置の実施につき国会の事前承認を基本とすること」と規定する。
(1)海外派兵恒久法(国際平和支援法 新法)による場合
 海外派兵恒久法(国際平和支援法)の制定により、アフガン戦争の「テロ特措法」、イラク戦争の「イラク特措法」のような特別措置法の制定をしなくてもよいことになる。
 自衛隊発動については、内閣の「対処措置基本計画」についての国会の事前承認が必要となる。「基本計画」には、自衛隊派兵の規模や内容、活動地域、装備内容などが含まれる。しかし、特別措置法の制定のような厳格な派遣地域の制限、活動内容の制限、派遣期間の限定などについては、明確な限定基準は設けられないであろう。恒久法を制定した趣旨は、特別措置法制定による国会審議の「混乱」と長期化を避け、速やかに自衛隊を派兵することにあるので、詳細な内容の「基本計画」の提出と時間をかけた国会の事前承認は、意図していない。自民公明の最終合意で、「例外なき事前承認」を定めたが、審理期間は、衆議院七日間、参議院七日間、総計一四日間で国会承認を完了することを合意した。「例外なき事前承認」を定めたとは言っても、閣議決定から一五日後には自衛隊を海外に派兵できることを意味し、国会審議に期間の歯止めをかけたということになる。
 海外派兵恒久法(国際平和支援法)の制定では、「非戦闘地域」に限っていた自衛隊の活動地域を、「戦闘現場」でない「戦闘地域」まで拡大している。イラク特措法の国会審議の時に、戦闘地域と非戦闘地域の区別の基準について審議がなされたが、これからは「戦闘現場」以外ならばどこへ行っても活動できることになる。国会審議による歯止めは全く効かないことになる。
 海外派兵恒久法の制定は、国民と国会に対し、情報提供を極力抑え、内閣の判断を優先した自衛隊派兵が意図されており、国会の民主的コントロールは、形骸化し空洞化する。
 情報提供についての秘密保護法の壁と「非戦場地域」の歯止めを外したことにより、国会をないがしろにする仕組みが設けられ、国民は、戦争参加について、主権者たる地位を奪われることになる。
(2)周辺事態安全確保法(重要影響事態安全確保法)による場合
 自公合意では、「国会の関与については、対応措置の実施につき原則国会の事前承認を要するという現行周辺事態安全確保法の枠組みを維持すること」と規定する。
 周辺事態法「改正法」(重要影響事態安全確保法)では、「周辺」の地域限定を排除し、「重要影響事態(日本の平和と安全に重要な影響を与える事態)」への対処法(重要影響事態確保法)として、地球の裏側まで米軍支援に自衛隊を発動することが可能となる。
 周辺事態法「改正案」(重要影響事態安全確保法)では、米軍の軍事活動への自衛隊の協力支援という性格が強く表れることになり、米軍との情報の共有などその特定秘密性が表面化し、内閣による情報提供の拒否という事態が如実に表れる。
 国会による事前承認は、特定秘密の高い障害に脅かされ、民主的コントロールがないがしろにされる危険性が極めて高い。
三 国連平和協力法(PKO法)(国際平和協力法)による場合
 PKO法「改正案」(国際平和協力法)の最大の問題点は、武器使用の範囲を現行の「自己防護」のための必要最少限度から「任務遂行」まで拡大し、「治安維持」名目で敵対勢力との交戦にまで道を開くことを狙っていることである。PKO五原則のうち第五原則を書き変え「任務遂行」の武器使用を認め、他国部隊が攻撃された際の「駈け付け警護」も可能となる。
 さらに、国連が統括しない活動に対しても、参加が可能となり、任務遂行の武器使用も認められる。
 このような、「法改正」を前提とした下で、実施計画について、国会の事前承認による民主的コントロールを及ぼすことは可能であろうか。
 憲法九条の要請は、自衛隊の「武力行使」を禁止し、「武力行使に道を開く」ことを禁じている。国会は、従来は「武力行使に道を開く」行為を厳しくチェックし、PKO五原則をもとに審理してきたが、治安維持のための「武器使用」の拡大は、まさに、「武力行使への道を開く」ものに他ならない。アフガン戦争で、国際治安支援部隊(ISAF)は、当初は治安維持を任務としていたが、米軍主導の「対テロ掃討作戦」と渾然一体化し、約三五〇〇人の死者を出した。
 「法改正」(国際平和協力法)が、国会の事前承認による民主的コントロールを形骸化・空洞化させ、実際にはなきものにしている。事後承認の場合には、フリーパスによる内閣単独の自衛隊派兵が可能となる。
 以上より、「国会の事前承認」の有無の議論は、問題を矮小化するものであり、国会による実質的な民主的コントロールを及ぼそうとするなら、戦争立法そのものを廃案としなければならない。


戦争法制と教育・教科書

埼玉支部  小 林 善 亮

一 戦争体制と教育
 安倍首相は、二〇〇六年、第一次安倍政権時に「教育の憲法」とも言われた教育基本法の改訂を強行した。また二〇一二年に再び首相に就任して以降、「教育再生」を唱え、矢継ぎ早に教育制度の改変を行っている。
 なぜ、安倍政権が教育にこだわるのか、それは、戦争をする体制づくりに教育が欠かせないからである。
 戦争をするためには、それを可能とするハード、システム、ソフトが必要となる。戦争をするハードは言うまでもなく自衛隊が担う。戦争をするシステムづくりとは、即ち戦争をするための法整備である。安倍政権は、昨年七月の集団的自衛権を容認する閣議決定や、今国会に提出するとされる戦争法制によって、急ピッチで戦争をするためのシステム作りを進めようとしている。しかし、それだけでは実際の戦争はできない。戦争を可能とするソフト、即ち戦争体制を支える国民、少なくとも戦争を容認する国民の意識をつくらなければ戦争を遂行することはできない。
 かつて、戦前は、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以て天壌無窮ノ皇運を扶翼スベシ」とする教育勅語が教育の中心に置かれ、その実践道徳を教える「修身」がすべての教科の上にあると位置づけられ、天皇のために奉仕する精神が子どもたちに植え付けられた。教科書は国定され、子どもたちは国が発行した教科書で学習した。国定教科書には、小学校一年のころから天皇や天皇が治める日本の国をたたえる内容が記述されていた。このような教育が、戦争を支える国民を生み出していったことは想像に難くない。とりわけ教科書が国定されていたことは重大であった。近代以前の日本では、権力者の欲するようなイデオロギーを人民に注入することは不可能に近かった。これは、権力者と全人民を結びつけるコミュニケーションの手段がなかったためである。しかし、義務教育制の普及と国定教科書による教育がこれを可能にしたのである。
二 安倍「教育再生」
 安倍政権が進める「教育再生」をみると、この戦前の教育体制を復活させるような施策が極めて多い。
 二〇〇六年九月に発足した第一次安倍政権は、一二月に教育基本法改定を強行し、教育の目標に、伝統の尊重や国やを愛する態度を養うことを入れ、国が教育の基本計画を策定できるようにした。
 翌二〇〇七年には、学校教育法、地方教育行政法等を改定した。これらは、学校教育法にも伝統の尊重や国を愛する態度の育成を書き込むとともに、これらの国家主義的な教育を徹底させるための教育現場の管理強化を内容としていた。即ち、文科省が一定の場合に各地の教育委員会に直接指示や命令ができる制度をつくり、国の管理権限を強化した。また、教育現場に副校長、指導教諭、主幹教諭といったいわば「中間管理職」を導入し、トップダウン型の指示命令系統を教育現場につくった。さらに、教員免許を一〇年ごとの更新制に変え、更新時の研修を義務づけ、「不適格教員」と認定されると免職が強いられるようになった。
 第一次安倍政権は、この直後に退陣するが、この時につくられた愛国心教育をはじめとする国家主義的教育と、それを徹底するための教育現場管理が学校に推し進められることになった。
 第二次安倍政権発足以降、より具体的に教育内容に介入するような施策を次々につくっている。
 まず、中学生がいじめを苦にして自殺した事件をきっかけに、学校教育における道徳教育の強化を打ち出した。さらに、道徳を教科化し、子どもに対する評価制の導入することも目指されている。本来、個々人が選ぶべき人生観や世界観、信条等について、子どもたちが評価されるということは、一定の価値観を持つことを「望ましい」と国や行政が奨励することにつながる。しかも、今や、法律上「国を愛する態度」が教育目標に掲げられており、これも道徳科目で教え、子どもが評価される内容となる。
 また、教科書検定基準等を改定し、すべての教科書に政府見解を書き込ませ、「伝統の尊重」や「国を愛する態度」等の教育目標に照らし重大な欠陥がある場合は、検定不合格とできるようにした。教科書に対する国による内容統制が大きく強化され、実質的に国定教科書に近くなってしまった。国が、再び、すべての子どもたちに国の望むイデオロギーを持つよう植え付ける手段を手に入れてしまった。
 教科書については、「新しい歴史教科書をつくる会」や同会から分かれた「教科書改善の会」が、アジア・太平洋戦争による日本の侵略を「やむを得ない」戦争だったとし、日本の加害の事実を矮小化した中学校歴史教科書や、明治憲法を礼賛し、日本国憲法をアメリカから押し付けられたものと教え、愛国心教育を目指す中学校公民教科書を作成している。安倍首相や自民党は、これらの教科書の採択拡大を目指している。安倍首相は、前回教科書採択が行われた二〇一一年、「教科書改善の会」が作成した教科書の出版祝賀会に参加し、「今夏の採択で大きな成功を収めるように一緒になって頑張りましょう」と発言し、同年九月に行われた同教科書の採択報告会には、「日本人の美徳と優れた資質を伝える教科書が今後四年間で二五万名の子どもたちの手に届くことになったことは、教育再生の基盤になると確信しています」とメッセージを送っている。
 さらに、地方教育行政法を改定し、これまで教育委員長による運営で独立性の担保されていた教育委員会について、その長を首長が任命する教育長とし、首長が主宰する総合教育会議で教育に関する方針を協議し、首長が教育の大綱を策定するとした。これにより、教育に対する政治的な圧力が、以前よりも強く作用するようになってしまった。
 自民党の教育再生実行本部は、今後、教職員への「倫理規定」や教職員組合に対する教育委員会の調査権の導入などを目指しているとされる。
三 安倍「教育再生」の進む道
 このように、安倍政権は、これまで一貫して、愛国心教育などの国家主義的な教育を推し進め、さらにそれを現場に徹底するために、教育現場に対する、国や行政の監理権限の強化体制を整備してきた。
 特筆すべきは、これらの施策が、戦争をするためのシステム作りと軌を一にしてつくられてきたことである。第一次安倍政権の時は、改憲を行うための国民投票法がこれも強行採決で成立し、第二次安倍政権は、集団的自衛権容認、自衛隊の海外派兵を実現しようとしている。この戦争法制を支える国民づくりとして、上記の「教育再生」が進められてきたことは明らかである。かつて、「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す」と教育基本法改定の目的を説明した国会議員がいた。教育基本法改定に始まる安倍「教育再生」の進む道が端的に表現された言葉ではないだろうか。戦争をする国は、このような国民を必要とする社会である。戦前は、学校で国家主義的な教育を受けた子どもたちが、家で親たち政府を批判する発言をしようものなら「非国民だ」と親を非難した。
 子どもが家で「お父さん(お母さん)には愛国心が足りない」と親を非難し、国民から政府を批判する力が奪われる、そんな社会が来ることを望むのかどうか、それが戦争法制と「教育再生」で私たち国民に問われている。


戦争法制と雇用政策・労働法制

東京支部  今 村 幸 次 郎

一 はじめに
 安倍政権は、二〇一四年七月一日、憲法九条の解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊の海外での軍事的活動を大幅に拡大する方針を閣議決定した。二〇一五年五月中旬には、その方針を具体化する戦争法制を国会に提出しようとしている。
 自民党は、それに先立つ二〇一二年四月二七日、国防軍の創設、国民の国防(協力)義務、公益・公の秩序のための人権制限等を盛り込んだ憲法改正草案を発表し、政権は、二〇一三年一一月以降、日本版NSC設置法の制定(一一月二七日成立)、秘密保護法の制定(一二月六日成立)、武器輸出三原則の廃止(二〇一四年四月一日)、ODAによる他国軍支援解禁(二〇一五年二月一〇日)など、次々と「戦争する国」づくりに連なる政策を強行している。
 私たちは、憲法九条を無視ないし軽視して進められる「戦争する国」づくりに強く抗議し、これを許さない反対運動を展開しているが、懸念されるのは、こうした問題に対する日本社会の抵抗力が弱体化しているのではないか(むしろ、これを容認する風潮が強まっているのではないか)ということである。
 今、日本社会に、戦争を容認する風潮が、もしあるとすれば、それは、格差と貧困が広がった社会のあり方、ワーキングプアを大量に生みだした雇用社会のあり方と無縁ではないだろう。
 日中戦争(一九三七年〜)前夜、泥沼の戦争へと駆け込んでいった日本社会は、行き過ぎた経済的自由主義のため、激しい格差=貧富の差が存在した。労働運動等の民主的な方法による待遇改善や地位向上に希望を持てなかった労働者や農民の多くは、国家主義運動に期待し、戦争に協力していった。彼らにとって、戦争は、資本家に対する労働者の、地主に対する農民の地位向上(社会的平準化)のチャンスだったのである(井上寿一「日中戦争下の日本(講談社選書)」参照)。
 以下、今の日本の雇用政策・労働法制改悪と「戦争する国」づくりとの関係等について、考察してみたい。
二 雇用の流動化・多様化政策とそれがもたらした格差社会
 一九九五年、日経連(現在の日本経団連)は、「新時代の日本的経営」を発表した。無期雇用の正社員は一部の企業幹部候補に限り、それ以外の労働力は、有期雇用や派遣労働等の非正規雇用により調達すべきであるとの雇用政策の大転換を提言した。その後政府は、この提言に忠実に、労働者派遣法の改定(原則自由化・一九九九年、製造業派遣の解禁・二〇〇四年)、有期雇用の期間制限の緩和(上限一年を原則三年へ・二〇〇三年)等、雇用の流動化・多様化政策を押し進めた。その結果、一九八五年には六五五万人(全労働者に対する割合一六%)だった非正規雇用労働者は、二〇〇五年には一六三三万人(同三三%)となり、二〇一五年二月の調査では一九七四万人(同三八%)となっている。他方で、正社員は三二七七万人(二〇一五年二月)となり、二〇年前と比較して五〇〇万人以上減っている(総務省「労働力調査(二〇一五年二月二七日発表)」参照)。
 急激な増加を続ける非正規雇用労働者の待遇は、低賃金、劣悪労働条件のもとに据え置かれている。厚生労働省の二〇一四年の調査では、非正規労働者の賃金は正社員の約六割となっている。
 年収二〇〇万円以下のいわゆるワーキングプアは、二〇一三年に一一一九・九万人となっている(国税庁「民間給与実態統計調査」二〇一四年九月二六日発表)。年収二〇〇万円以下の層が一〇〇〇万人を超えるのは八年連続であり、一五年前の一九九八年と比べると一・四倍に増えている。全体に占める割合は、一九九八年の一七・五%から二〇一三年には二四・一%と大幅に高まっている。
 このように、一九九〇年代後半以降一貫してとられてきた雇用の流動化・多様化政策は、低賃金・劣悪労働条件の非性雇用労働者を大量に生みだしてきた。
 問題は、バブル崩壊後の低成長経済の下にあって、こうした格差や差別が、努力しても解消できない下方硬直的なものとして生じていることである(雇用流動化・多様化政策が、雇用を多様化・階層化したうえで、正規・安定雇用を非正規・不安定雇用へと流動させるものであって、その逆を志向するものでないことは、改めていうまでもないだろう。)。
 ワーキングプアの立場に置かれている労働者は、それが、努力しても解消できない構造的な問題であるにもかかわらず、安易な自己責任論のもとに切り捨てられようとしているのである。労働組合運動や民主勢力等に期待を持てないこうした層から、「希望は戦争」という言説が生まれている。
三 「三一歳、フリーター。希望は、戦争。」
 「『丸山真男』をひっぱたきたい―三一歳、フリーター。希望は戦争。」は、当時フリーターであった赤木智弘氏によって著された論文である。論座(朝日新聞出版)の二〇〇七年一月号に掲載されている。
 赤木氏は、現代の日本社会は、地位が固定されており、いったん非正規雇用という下の地位についたら、上の身分に上がることは不可能であると指摘している。この地位の流動化(下から上へ)が生じるのは、戦争が勃発したときであり、故に、同氏は、日本が戦争することを希望していると述べている。このような言説は、やや極端なものであり、多くの若者が支持するところではないのかもしれない。しかし、フリーター、ワーキングプアの地位に据え置かれている若者の中に、こうした気分感情が持ち込まれる可能性を過小視すべきではないと思われる。
四 「絶望した若者」の戦闘参加
 新自由主義が世界を席巻する中、格差と貧困の広がりは、グローバルな問題となっている。ISなどの過激派組織で戦闘に参加したり、軍事訓練を受けたりする人は、ヨーロッパ諸国にも多数いるが、その多くは、格差と貧困に苦しむ若者であると報じられている(二〇一五年四月五日付朝日新聞)。高待遇を謳うISなどの巧みな勧誘により誘い込まれていく者が多いとのことである。
 一月、ベルギーでイスラム過激派グループの拠点が捜索され、当局との銃撃戦により容疑者が射殺された。射殺された容疑者のうちの一人は、二三歳で、ベルギーの首都ブリュッセル西部のモランベーク地区の出身だった。同地区の住民の平均年収はベルギー平均の約六割で、失業率は約三〇%(国平均八・五%)、若年層では四割を超えるといわれている。同容疑者は、生前、「ここには何もない。俺は出ていく」と語っていたようである。
五 労働法制改悪に反対し、格差と貧困のない社会へ
 雇用の流動化・多様化政策により格差と貧困が蔓延した今の日本の雇用社会は、日中戦争前夜の日本社会とそっくりである(島本慈子「戦争で死ぬということ(岩波新書)」参照)。若者にIS等への参加を決意させる「絶望」の状況と違うと言い切れるだろうか。
 安倍政権はこのうえさらに、財界・大企業の露骨な要求を丸のみして、日本を「世界一企業が活躍しやすい国」にするための安倍「雇用改革」を押し進めている。「企業の活躍」のために、雇用のさらなる流動化・多様化・非正規化・企業負担の極小化を目論むものである。その一環として、正社員ゼロ・生涯派遣の労働者派遣法大改悪法案が、今通常国会に提出された。これを許せば、労働者派遣の爆発的な増加を招き、不公正・不平等な格差社会がさらに広がることになる。
 労働組合や民主勢力が、格差と貧困に苦しむ労働者・国民とともに手を組んで、正面からこれに立ち向かい、これをストップし、格差と貧困をなくしていくことがなければ、「若者の絶望」から「戦争への希望」が生み出され、戦争推進勢力から利用されることになりかねない。
 戦争法制反対の運動とともに、労働法制改悪阻止のたたかいを強めなければならない。


戦争立法でどうなる?

京都支部  尾 普@彰 俊

第一 始めに
 戦争立法について講師活動を行う中で、憲法九条がはどめとなり湾岸戦争やイラク戦争においてできなかったことが昨年七月一日の閣議決定及び戦争立法により「何を」「どこまで」できるようになるのか湾岸戦争やイラク戦争を例に話して欲しいという要望を多く受けた。現段階では、戦争立法について政府説明が不十分な部分も多いが、湾岸戦争を例に戦争立法で何ができるのかを以下記載する。
第二 湾岸戦争
一 湾岸戦争の流れ

 (1)一九九〇年八月二日イラク軍がクウェート進行(2)同日、国連安保理事会は、イラク軍のクウェートからの即時無条件撤退を要求(決議六六〇)(3)同年八月六日、安保理事会は、国連憲章四一条に基づく対イラク経済制裁を決定(4)同年八月七日アメリカが集団的自衛権の行使としてサウジアラビアへ米軍を派兵(サウジアラビアの許可有)。さらに米国は他国へも呼びかけを行い、イギリス、エジプト、ドイツ等が参加。(5)同年一一月二九日、すべての加盟国に対して必要な措置をとる権限を与える(安保理決議六七九)。(6)一九九一年一月一七日多国籍軍がイラクへ攻撃(空爆)(7)一九九一年三月三日暫定停戦協定
二 戦争立法で何をするのか
(1)(4)に自衛隊が参加できるのか。

 当時は、戦争立法が存在せず、自衛隊が(4)に参加することは不可能だった。仮に戦争立法によれば、自衛隊がサウジアラビアへの派兵に参加できるのか。
 まず、上記(4)の時点では、サウジアラビアへの派兵について国連決議がない。この点が、国連決議に基づいたテロ特措法、イラク特措法(後述する恒久法)とは大きく異なる。したがって、自衛隊が参加する根拠として考えられるのは、「新周辺事態法」である「重要影響事態安全確保法案」(以下「重要事態法案」という。)となる。新武力攻撃事態法案の「存立危険事態」も根拠とされる危険性が高い。
(2)イラク軍のクウェート侵攻は「重要影響事態」なのか
 重要事態法案は、「重要影響事態に際し、合衆国軍隊等に後方支援を行う」(一条)とされている。「重要影響事態」とは、我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態である(同条)。
 イラク軍のクウェート侵攻が日本にとって、「重要影響事態」であるという判断がなされれば、合衆国軍隊等に後方支援を行うため、自衛隊を国連決議がなくともサウジアラビアへ派兵することが可能となる。しかし、イラクのクウェート侵攻が日本に対する直接の武力攻撃に至るおそれがある事態(イラクが日本に攻めてくる)とは到底考えられないため、イラクのクウェート侵攻は「重要影響事態」と評価できるはずがない。なお、「存立危機事態」は「重要影響事態」よりもさらに事態度合いが激しいため、「重要影響事態」と評価できなければ、当然「存立危機事態」と評価されることはない。したがって、(4)の時点において自衛隊の海外派兵は不可能である。
 しかし、「重要影響事態」は非常にあいまない概念であり、政府側は無理矢理「重要影響事態」であるという評価をする危険性がある。さらに、日本政府がイラク軍のクウェート侵攻を「重要影響事態」に当たると判断し、自衛隊がサウジアラビアへ派兵された場合、米国軍等が行う武力攻撃の後方支援を戦闘地域で行うことになる。なお、現実には、米軍等は国連決議後に(6)の武力攻撃を行った。この点を政府がどのような説明をするのか五月中旬以降の戦争立法に関する国会論戦を監視し重要事態法案を批判する必要がある。
三 (5)の決議により米軍等に参加し(6)の攻撃に参加できるのか。
(1)国際平和支援法案(恒久法)の規定

 国際平和支援法案(恒久法案)は、「国際平和共同対処事態に際し、当該活動を行う諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等を行う」(一条)と定め、「国際平和共同対処事態とは国際社会の平和及び安全を脅かす事態であって、その脅威を除去するために国際社会が国際連合憲章の目的に従い共同して対処する行動を行い、かつ、我が国が国際社会の一員としてこれに主体的かつ積極的に寄与する必要があるもの」とする(一条)。
 日本政府が、(1)を重要影響事態にあたらないと判断したとしても、(5)の時点では、国連決議があるため、政府は、国際平和支援法案(恒久法案)を根拠に自衛隊を海外派兵する危険性が高い。さらに、(6)の武力攻撃に後方支援活動として参加し、これから(6)の空爆を行う発進準備中の航空機に対する給与及び整備や、戦闘地域における弾薬の補給などを行う可能性がある。しかし、このような「支援」は後述する武力行使との一体化論との関係で当然に憲法違反である。
 これまでは、テロ特措法やイラク特措法など、期間が決まった法律により自衛隊は海外派兵されてきた。しかし、国際平和支援法案(恒久法案)によれば、いつでも国連決議を根拠に自衛隊を派兵することができる。
(2)武力行使との一体化論との矛盾
 これまでの政府は、武力行使の一体化について次のように説明してきた。
 武力行使の一体化論とは、仮に自らは直接武力の行使をしていないとしても、他の者が行う武力の行使への関与の密接性等から、我が国も武力の行使をしているとの法的評価を受ける場合である(衆・予算委 大森内閣法制局長官答弁(平成九年二月一三日))。さらに、武力行使の一体化を判断する要素として「・・他国による武力の行使と一体となす行為であるかどうか、その判断につきましては大体四つぐらいの考慮事情を述べてきているわけでございまして、委員重々御承知と思いますが、要するに、戦闘活動が行われている、または行われようとしている地点と当該行動がなされる場所との地理的関係、当該行動等の具体的内容、他国の武力の行使の任に当たる者との関係の密接性、協力しようとする相手の活動の現況等の諸般の事情を総合的に勘案して、個々的に判断さるべきものである」(同答弁)としている。
 この政府答弁を前提とすると、(5)の決議を根拠にこれから武力行使を行おうとする米国軍等の支援をするために、自衛隊をサウジアラビアへ派兵すれば、自衛隊の海外派兵は、米国軍等の行う武力行使と一体化していることは明白であり、(6)への支援として、発進準備中の航空機への給油など行えるはずがない。
 それにも関わらず、昨年七月一日の閣議決定では、「他国が「現に戦闘行為を行っている現場」ではない場所で実施する補給、輸送などの我が国の支援活動については、当該他国の「武力行使と一体化」するものではないという認識を基本としたとしている。
 これまで、武力行使との一体化の判断においては、「大体四つぐらい」の考慮要素があると説明を行ってきたにもかかわらず、この閣議決定は、政府説明の上記考慮要素のうち「当該行動がなされる場所」及び「当該行動」について、前者が「現に戦闘行為を行っている現場でなく」後者が「補給、輸送」であれば、他の考慮要素を一切無視して、武力行使との一体化は無いとするものである。このように、政府の武力行使一体化論はすでに、破綻している。この点についても、政府説明について五月中旬以降の戦争立法に関する国会論戦を踏まえ徹底的に批判する必要がある。
第三 最後に
 戦争立法は、まさに「日本が戦争する」法律である。こんな憲法違反の法律絶対許せません。絶対廃案にするためこれからも全力でがんばりたい。


「リニア中央新幹線」の利便性は本当か
九兆円の巨大プロジェクトの狙いを問う

東京支部  長 澤   彰

 リニア中央新幹線について、品川―名古屋間を四〇分で結ぶ、夢の超特急だとその利便性が強調されている。総経費は九兆円で、すべてJR東海が負担し、国民の税金は投入されない。税金が投入されず、利便性だけ国民が享受する、そんなに良いことづくめなのであろうか。
一 利便性について
 品川―名古屋間は、のぞみで一時間三五分かかるところ、四〇分に短縮され、約五五分、早くなる。
 しかし、品川駅と名古屋駅は、地下四〇メートルにホームが作られ、地上からホームにつくまで、エスカレーターで約一五分かかる。二駅で約三〇分のロスとなる。
 また、当面、東京駅始発はなく、品川駅が始発となる。東京圏内の交通網は、東京駅を起点としており、東京駅から品川駅までの山手線・京浜東北線での移動に約一二分かかる。乗り換えなどを入れると、ロスタイムはそれ以上になる。東京―名古屋ののぞみと比較すると、四二分以上のロスタイムが生れるので、一時間二二分かかることになり、のぞみの一時間三五分と大差ないことになる。
 さらに、JR東海は、東京―名古屋の乗客を、のぞみからリニアに切り替えるように、ダイヤの編成を行うことになる。朝ののぞみのダイヤは、東京―新大阪は、一〇分ごとに組まれている。しかし、リニアが開通すれば、東京―名古屋間について、リニアに乗客を移そうとするので、のぞみの本数が徐々に減らされる。名古屋に行く乗客は、リニアとのぞみを選択できるが、京都、新大阪に向かう乗客は、のぞみの本数が減らされ、確実に利便性は低下する。将来、新大阪までリニアが開通すれば、JR東海の新幹線路線は、のぞみはなくなり、ひかりとこだまだけになるであろう。
二 九兆円の経費返済は可能か
 九兆円の経費をJR東海だけが負担し、リニア新幹線の収益だけから返済する計画である。東海道新幹線の輸送実勢は横ばいの状況にあり、人口減少も伴い、将来、東京―大阪間の輸送力が大幅に向上する見通しは立たない
 返済計画では、のぞみ利用客をリニアに誘導することになり、のぞみの本数が減らされることは、前述した通りである。さらに、計画通りの収益が上がらなければ、運賃の値上げにつながることになる。
 地下七〇メートルにトンネルを掘るという壮大な工事計画の実現が、当初予算の九兆円で済むとは考えにくい。品川―名古屋間の運賃が、のぞみよりわずか七〇〇円程度高くなるだけだという当初の見込み通り行くとは到底考えられない。
 リニア新幹線は、二一世紀後半のわが国最大の国家インフラプロジェクトでありながら、民間事業であることを理由に国民と国会の関与を排除して進められている。このこと自体に、大きな問題がある。
三 JR東海と安倍政権のねらい
 九兆円の大事業を推し進めるJR東海とそれを推進する安倍政権のねらいは何か。
 リニア新幹線は、世界に売り込もうとする国家の戦略的なシステムインフラ商品として位置づけられるからである。
 安倍政権は、システムインフラ輸出戦略を推進し、安倍首相の外国訪問に多数の財界人をひきつれて、日本商品の売り込みをしているが、原発と高速鉄道が重要なシステムインフラ戦略商品となっている。高速鉄道については、ドイツ、フランス、中国など超特急鉄道を商品化し、世界に売り込んでいる。日本の新幹線が、他国に比べて圧倒的に有利であるとはなっていない。高速鉄道は、スピードだけでなく、輸送量、安全性、快適性、経済性などの要素でみると、各国の高速鉄道は一長一短あり、日本の新幹線が有利になっているわけではない。そこで、リニア新幹線を実用化し、時速五〇〇キロメートルを超えるスピードの超特急リニア新幹線を、世界に売り込もうとしている。これが実現すると、日本のリニア新幹線がスピードでは、他国を圧倒することになる。安倍政権が、世界に打って出る戦略的商品として多大の収益を上げることになる。
 そのため実用化を世界で初めて実現する必要に迫られている。JR東海にとっては、九兆円の投資は、初期投資に過ぎず、世界において、その数十倍の利益をもくろんでいる。
 いわば、リニア新幹線は、世界に売り込むための戦略的な商品であり、リニア中央新幹線網は、世界に向けた実験場である。どれだけ自然環境を破壊しても、多額の負債を抱えても、安全性に不安があっても実現しなければならない国家的戦略課題なのである。
 四月二四日予定されている日米首脳会談において、リニア新幹線の米国への技術導入で合意することで、日米両政府が最終調整に入ったと報道されている。日本での新幹線の実用化と米国への技術導入でリニア新幹線の世界への売り込みに拍車をかけようとしている。
 路線の約九割近くが地下約七〇メートルのトンネル走行となり強い電磁波の発生などの安全性・健康への不安、東海道新幹線の三〜五倍以上の電力消費による省エネへの逆行、地下水系の破壊と水枯れの発生、大量の残土処理の問題など多くの環境破壊が想定されても、リニア計画を推し進める理由がここにあるからである。
 今からでも国民的議論を巻き起こす必要がある。


埼玉原発事故責任追及訴訟について

埼玉支部  吉 広 慶 子

一 訴訟に至る経緯
 東日本大震災発生以降、埼玉県内には、福島からの避難者を迎えるため、複数の避難所が設けられました。国内でも有数の大規模な避難所となったさいたまスーパーアリーナを始め多くの避難所では、避難所設置当初から、埼玉弁護士会員の有志による支援活動が始まりました。
 私が初めて三郷避難所に行ったのは避難所発足から数日経った三月下旬のことでした。二〇〇人以上の広野町民が、床いっぱいに段ボールの上に毛布を敷いた寒い体育館で生活していました。人でひしめきあい、あふれた人は校舎の教室に入居していました。
 「いつになったら帰れるのか」「帰りたいが、国が安全と言ったら帰っても安全なのか」という人々の声に圧倒された私たちは、週一〜二回、避難所相談を続けました。法律問題にかかわる相談はほとんどありませんでした。「地元金融機関から預金をおろしたい」「口座を止めたい」「金がないが医者にかかるにはどうしたらいいか」といったことから、雇用保険の受給や住宅ローンの相談まで。避難所が閉鎖されるまで、私たちは週一回定期的に通い、法律相談ならぬ情報提供と、悩みの聞き役を続けました。
 避難者の方々の苦労や不安は図りしれません。ある日突然、ふるさとを遠く離れた見知らぬ地の体育館で、雑魚寝生活が始まったら、私だったらどうなるでしょう。毎日、起案と相手方と依頼者と事務所経営に追われていた自分が、事務所にも戻れず、ぽつねんと体育館で炊き出しを受けていること自体、現実として受け止められないと思います。
 私は、こうした被害実態に直面して、自分なりに一生懸命考え、支援体制を作ったつもりでした。でも結局どれほども役に立たなかったと思います。何か役立ちたいと頑張っているつもりでも、結局何の役にも立っていないことに、だんだん苦しくなる日々でした。相談担当弁護士の中にも、被災者から直接「弁護士さんは何度も来てくれるけどね(何の役に立つのか)」と聞かれ悩んでいる人もいました。
 それでも、事故直後に大阪の伊賀先生を招いた弁護士会の学習会で、阪神淡路大震災の際の被災者支援と復興支援活動についてお話を頂いた際の、「正答がない訴えを受け止め、被災者とともに悩み、被災者の心情に寄り添う姿が、被災者の信頼を生み、その後の支援活動に活きるのだ」という言葉を信じて、支援活動を続けました。
 避難所での活動は、私にとって、弁護士としてもっと何かできることがあるのに、それに気づかず何もできていないのではないか、と悩みながらの支援活動でした。
 この避難所支援活動は辛かったですが、避難者の気持ちや状態が少しでもわかるようになったと思いますし、その後の訴訟活動に向かう礎になったことは間違いありません。
二 直接請求、ADR、そして提訴へ。
 三郷避難所がなくなった後、私たちは直接請求、ADRと、避難者の支援活動を続けましたが、いずれも、避難者の気持ちに寄り添うものではありませんでした。ことに、区域外避難者への救済のなさは特筆ものでした。小さな子供を抱えた母親の多くが母子避難を余儀なくされましたが、彼女らが受けた苦労・苦痛に比べ、賠償額は極めて低額で、焼け石に水の状態でした。未成年子をもたない区域外避難者など、さらに雀の涙程度の賠償しか支払われません。区域内外を問わず、ふるさとを奪われ、子々孫々まで続く放射能被害におびえる精神的苦痛はみな共通なのに、賠償基準が細かく細分化され、被害者を細分化し、相互にひがみ合う関係を作出することで、加害者側は、被害者の分断を画策しています。
 そして日本社会は今、まるでフクシマの被害などまるでなかったようです。フクシマの放射能はアンダーコントロール、オリンピック招致、安倍ノミクスと、騒いでいます。そして着々と、原発再稼働が現実化しています。事実に直視しないで、何をやっているのか。こんなことでいいのか。フクシマを、忘れていいのか。
 こうした思いから、私たちは現在、一三世帯四六人の原告らとともに、国と東電を相手に不法行為責任を追及する裁判をさいたま地裁に提訴し、現在、闘争中です(第一次提訴:平成二六年三月一〇日、第二次:翌年一月一九日)。
三 現在の活動状況
 提訴以来、埼玉弁護団では、国の規制権限不行使を中心に主張立証を展開しています。特に、津波対策とSBO対策について、世界各国の知見の進展について情報収集して主張に盛り込んでいること、津波の誤差論について検討を深めて主張していることの二点が、全国の他弁護団と比した、埼玉の特徴です。
 私たちは現在、平成九年に国がまとめた四省庁報告書、平成一四年の長期評価によって、一五メートル程度の津波が福島沖に到来することは予測可能だったと考えています。東日本大地震が起きて以降、マスコミは「想定外の津波」という言葉を濫用し、本件津波は想定外であったかのような先入観を国民にすり込み続けてきました。事故当時は私もすっかりこれに騙されてしまっていましたが、提訴後学習を深め、今は国が津波を予見しえたことを確信しています。
 日本は地震大国です。世界でも最も地震津波の脅威にさらされている国といえるでしょう。その日本が、海外では二〇メートル級の津波が起きているのに、うちでは五メートル程度の津波しか起きないと思っていたなどといっても、なんの科学的根拠もありません。被告らは、たかだか数百年間の史実上明らかな津波をベースに、その地域に起きた「過去最大」の津波に耐えうる対策をしていたといいますが、そもそも数百年の歴史書上に書いてある津波以上の津波が、過去に起きたことがないということにはならないし、まして将来も起きないという保障もないのです。一年生のときに算数で五〇点以上取ったことがない子は、それが実力だから二年生になってもそれ以上の点数をとるはずはない、ということはありません。「過去最大」の数値は、過去何年間分のデータに基づくかによって異なってくるものですし、「過去最大」が「予見しうる最大」とは異なることは当然です。
 現在埼玉では、原発技術者(佐藤暁氏)と定期的に学習会をもち、世界各国の原発の危機管理について学んでいます。世界標準に比べ、日本の安全対策の不備はあきれるばかりです。津波・高潮対策一つとっても、例えば米国は、大規模な海底調査を行い、断層や地滑りの可能性がある箇所を地質調査し、さらに地震と台風の同時到来等、あらゆる可能性を想定して想定しうる最大津波を予測しています。一方東電は、海底調査などのお金がかかることはもちろんしていないし、津波対策など、断層の位置を多少パソコンで動かしてみる程度の津波高計算しかしていません。一万年に一度のリスクに備えた安全対策をしている世界各国に比べ、日本の原発は、一〇〇〇年に一度のリスクにさえ対応できるのか、安全性がはなはだ疑問です。日本各地の原発を再稼働させれば、またどこかで事故が起きることは想像に難くありません。老朽化は四年前よりさらに進んでいますし、安全性は、事故前とほとんど変わっていません。
 私たちは、この訴訟を通じて、国と東電がやるべきことをなさず、見たくないモノから目を背けてきた結果、今回の事故が発生したことを明らかにしたいと思っています。国民の生命身体より経済合理性を優先させてきた結果、どんな被害が惹起されたかを明らかにすることは、今後の再稼働の是非を論じるにあたっても重要な問題だと思います。ぜひ、皆さんのご理解・ご協力をお願いします。


責任無能力者が引き起こした事故の被害者はいかにして救済されるべきか
(とある知的障害者施設の事例)

静岡県支部  佐 野 雅 則

一 事件の概要
 本件は、静岡市内にある重度知的障害者施設の入所者Aが引き起こした交通事故である。当該施設は閉鎖施設ではないが入所者の自由な外出は禁止されている(日中のみ許可制)。平成二四年四月七日午後七時四五分頃、Aは施設の外に無断で出ていき、近くを通る幹線道路の車道上を歩いていた。被害者は中型バイクを運転中、Aの発見に遅れ、これを避けようとして転倒し、反対車線に滑走した結果、反対車線を走行してきた普通自動車と衝突し死亡した。享年一九歳だった。
 被害者の両親は、Aよりも、Aが入所していた施設の管理責任が問題だとして静岡地裁に提訴した。なお、当該施設については、静岡市が管理運営を委託している社会福祉法人静岡市厚生事業協会(以下「協会」という。)が責任主体となる。
二 静岡地裁判決(平成二七年三月二七日)
 二年間の審理を経て、静岡地裁は協会の責任を認めた。法的根拠は、民法七一四条二項だった。
(1)Aの責任能力
 Aは、精神年齢四〜五歳程度、社会成熟年齢三〜四歳程度、意思伝達能力・理解力・判断力が極めて障害されていたということで、責任無能力と認定した。
(2)協会の責任
 協会が代理監督義務者にあたるという認定を前提に、七一四条一項但し書きの適用が争点となった。
 まず一般論として、「知的障害者による他害事故が発生した場合、事故当時の知的障害者の状況、介護福祉施設による管理の状況、事故の態様、事故の発生時刻等諸般の事情を考慮して、監督義務者ないし代理監督義務者にとって、当該事故の発生を予測することが困難であり、当該事故の発生当時、当該事故を防止することを監督義務者に期待することが酷といえるような事情がある場合」には免責されるとした。
 本件では、事故当時の状況に照らすと、個々の入所者の知的障害の程度やその行動範囲を理解している施設において、入所者が夜間に正門から無断外出する可能性があることを認識することができた。
 それにもかかわらず、施設はAが支援員に気づかれないまま正門から敷地外に出ていくのを防止することができず、その結果、本件事故が発生したというのであるから、入所者に対する監督義務を十分に尽くしていたとは認められない。
 施設としては、少なくとも支援員の数が大幅に減少する午後五時以降については、正門の門扉を閉じるなどして、入所者が施設の敷地外に出ることのないよう必要な措置を講ずるべきであった。そのような措置を取ることが施設にとって酷であることはない。そうしていれば、本件事故の発生を防ぐことができた可能性は十分にあったとして、協会の責任を認めた。
三 サッカーボール事件最高裁判決
 ところで、本年四月九日にある最高裁判決が出された。当時一一歳の小学生が学校の校庭でサッカーをしていたところ、蹴ったボールが道路に飛び出し、偶然そこを通過したバイクの男性(八〇代)が転倒し、約一年半後に死亡したという事件で、最高裁第一小法廷は、少年の両親に監督義務違反はないという判断をした。
 最高裁は、「ゴールに向けたフリーキックの練習は、通常は人身に危険が及ぶような行為であるとはいえない。また、親権者の直接的な監視下にない子の行動についての日ごろの指導監督は、ある程度一般的なものとならざるを得ない」、「通常は人身に危険が及ぶものとはみられない行為によって、たまたま人身に損害を生じさせた場合は、当該行為について具体的に予見可能であるなど特別の事情が認められない限り、子に対する監督義務を尽くしていなかったとすべきではない」との判断を示した。
四 本件との比較と考察
 本件とこの最高裁判例の事案は、責任を負うことができない者の行為によって、偶然重大な事故に巻き込まれてしまった場合の被害者側がいかにして救済されるべきかという点では共通する。しかし、最高裁判例の事例は、通常は人に危険が及ばない日常的な行動の中での事故であるのに対し、本件は、通常予定されていない夜間の無断外出であるうえに事故が生じる危険性の高い車道への侵入行為であるから、全く事案が異なる。
 なので、本件でこの最高裁判例を特に心配することはないのだが、一般的に「責任を負うことができない者の行為によって、偶然重大な事故に巻き込まれてしまった場合の被害者側がいかにして救済されるべきか」という問題は、学校、障害者施設、介護施設など様々な場所で今後多く生じるだろう。
 管理監督を厳しく要求すれば事故は減少するだろうが、施設としての柔軟性は失われる。硬直化した施設運営が果たして本来の目的に沿うものかどうか大きな疑問が出てくる。偶然の事故に巻き込まれた被害者側としては、そのやり場のない怒りに苦しむことになる。被害が救済されない不正義はあってはならないが、多額の賠償責任が生じ得る危険を孕むということは施設運営者を委縮させてしまう。二律背反的な難しい問題であり、なにをどこまで注意していれば責任を全うしたといえるのか、ケースバイケースで判断するしかないのがまた問題を難しくする。社会的な常識と法的な責任をどうバランスよく調和させるかというなかなか悩ましい問題である。
 なお、本件は控訴されたので舞台は東京高裁に移っている。


「法解釈」の思考停止
―人身保護法の「引渡し」の場合

東京支部  後 藤 富 士 子

 人身保護法の規定による救済は、人身保護命令(法一二条)を発付したうえで、判決(法一六条三項)で釈放その他適当であると認める処分をすることによって実現する(規則二条、三七条)。この救済を実現する人身保護手続は、通常の訴訟手続と異なり、判決手続の一部として必要的仮処分に準ずる人身保護命令という強力な手続を介在させ、それを中心として構成されている。
 ところで、人身保護命令書が拘束者に送達されると、被拘束者は人身保護命令を発した裁判所によって当該拘束の場所において監護されるものとされ、当該裁判所の指揮のもとに引き続き拘束者が監護するのである(規則二五条一項)。このことは、判決の主文に反映している。人身保護法一六条三項の認容判決では「被拘束者を直ちに釈放する。」とされているが、人身保護規則三七条では、「釈放」のほか「適当であると認める処分」が認められているので、被拘束者が幼児の場合は「被拘束者を釈放し、請求者に引き渡す。」とされる。被拘束者の利益のために適当であると認める処分が「引渡し」であり、かつ、人身保護命令により被拘束者の監護は裁判所が行っているので「引き渡す」なのである。ちなみに、家事審判の「子の引渡し」では、「引き渡せ」である。
 この主文の違いは、執行方法にも影響する。「引渡し」の審判・保全処分については、直接強制、間接強制が行われる。これに対し、人身保護法の認容判決は、言渡しによって直ちに効力を生じるとされ、人身保護命令により被拘束者が在廷していることを想定しているが、在廷しないまま認容判決を言い渡しても、法二六条の罰則による間接強制しかないのである。
 一方、請求棄却の判決では、「被拘束者を拘束者に引渡す。」とされている(法一六条一項)。裁判所は引き渡す旨の裁判をするだけで、引渡の事実行為をするわけではない。すなわち、「引き渡す」旨の判決は、請求者に対すると、拘束者に対すると、同じであり、裁判所は、引渡について特段の行為をするものではない。
 私が担当した事件で、審問期日に拘束者は被拘束者(六歳)を同行し、認容判決が言渡された。しかるに、被拘束者が拘束者(父)にしがみついて離れなかったため、裁判長は請求者に「取ってください」と引取りを促したが、被拘束者が「帰ってよ〜」などと母を撃退してしまい引取りも困難になった。すると、裁判長は、「判決を言い渡しましたので閉廷します」と宣言し、裁判官全員が退廷し、拘束者と被拘束者は傍聴者とともに法廷から出されたのである。保全執行で不能になったことに照らしても、被拘束者が引渡を拒否していることは明らかであり、人身保護手続のこのような結果は十分予想できたことである。
 ところで、言渡と同時に効力が生じる判決は、審問前に作成されている。仮に、請求棄却の判決がされれば、被拘束者は拘束者に引き渡され、人身保護法二四条により、「引渡し」の審判は効力を失うから、法的にも正常化できる。人身保護法の手続の「強さ」は、本来、この点にあるはずである。しかし、認容判決であるから、「引渡し」の審判の執行力を喪失させるために請求異議訴訟を提起したが、棄却された。また、この事例は、父母が既に離婚しており、母が親権者であったから、親権者変更の審判申立てもしたが、却下された。結局、法的には違法状態のまま、父子は幸せに暮らしている。
 このように、人身保護法の手続では、請求者代理人弁護士も、裁判官も、被拘束者国選代理人弁護士も、すなわち、関係法曹全員が人身保護法規を真逆に悪用していることを看取できる。ちなみに、人身保護法の手続は、請求者は弁護士強制である(法三条)。また、裁判所が一丸となって「子どもを母親に引き渡す」ことに血道をあげる光景は、実におぞましい。こうして、「子の福祉」は完膚なきまでに踏みにじられる。
三 実務法曹のこのような実定法無視は、どこから来ているのだろうか?
 日本は、英米法のように判例法主義を採用していないので、最高裁判例がその後の同種の事件において下級審を法的に拘束することはない。しかるに、現行民訴法では、最高裁への上告を一定範囲で制限し、補完措置として、「判例違反その他法令の解釈に関する重要な事項」を要件とする上告受理申立ての制度を採用したため、実務法曹は「判例依存症」と「実定法解釈発達障害」の合併症のようになっていて、法令の解釈に関する思考が空洞化している。また、判例の誤引用も目に余る。
 新判決様式になって四半世紀、新民訴法になって間もなく二〇年である。この間に、実務法曹は、すっかり「法解釈」という作業を忘れてしまったように見える。それは「歌を忘れたカナリヤ」のようであり、これこそ、本当の「司法の危機」ではないのだろうか。

二〇一五・四・一一


二つの「改正」案の廃案をめざす院内集会の報告(労働)

神奈川支部  田 井   勝

 二〇一四年四月二八日(火)、自由法曹団は衆議院第二議員会館において、労働者派遣法「改正」案と労働時間法制を緩和させる労働基準法等「改正」案の廃案をめざす院内集会を開催しました。
 安倍政権は本年三月一三日に労働者派遣法「改正」案、四月三日に労働基準法等「改正」案を法案提出しています。今国会ではこれら労働関係法案と戦争法案が大きな争点となっており、成立のおそれがあります。なんとしてもこれを廃案に追い込むべく、院内集会を企画しました。
 当日は平日の午後にもかかわらず、八〇名以上の方が集まり、団員のみならず、労働組合・解雇争議でたたかう原告の方なども参加されました。また、共産党の小池晃参議院議員、堀内照文衆議院議員や、民主党の白眞勲参議院議員、山井和則衆議院議員、社民党の福島瑞穂参議院議員と、大勢の国会議員にお越しいただき、現在の情勢を報告していただきました。
 集会では、自由法曹団が今回発表した二本の意見書(派遣法「改正」案と労基法「改正」案)の解説を行いました。意見書については、団員の若手メンバーが中心となって作成したもので、労働者の置かれた現状(雇用の不安定さ、長時間労働の蔓延等)もふまえて報告しました。
 情勢報告では、派遣法「改正」案に関し、厚労省が内部資料として「いわゆる『一〇・一問題』ペーパー」を作成したことについても討議しました。この資料の中にはこの内部資料には、派遣法四〇条の六の適用により、派遣労働者が派遣先に対して直接雇用を求める訴訟が乱発することを防ぐため、「改正」案(1)を早期に成立させるべきであること求める内容が記載されています。専門二六業務偽装等によって、派遣期間制限違反の長期の違法派遣に苦しめられている派遣労働者を救済するために設けられた労働契約みなし制度の適用を回避するため、政府が法案を早期に成立させようと考えていることは極めて危険であって、集会でも大きな話題となりました。また労基法等「改正」案については本年四月、塩崎厚労相は経済人を集めた会合において、高度プロフェッショナル制度についての年収一〇七五万円の条件について「(法案を)とりあえず通す」「小さく産んで大きく育てる」などと、いずれはこの下限をさらに下げる意思のあることを発言したことも話題となりました。政府が今後、低収入の労働者についてもこの制度の対象としていると考えていることから極めて危険です。多くの国会議員の方がこの発言を大きく問題視する意見を述べられていました。
 集会では最後に、鷲見対策本部長から「戦争法制の前に、この派遣法『改正』案と労基法等『改正』案を廃案に追い込む必要がある。この二つの法案が成立するようでは、戦争法制に関するたたかいも勝てない。運動体と弁護士が一体となってたたかいをもり立てる必要がある」との発言を行いました。
 法案を廃案にすべく、全団員で頑張っていきましょう。


新たな意見書の発表と記者会見

埼玉支部  上 田 月 子

 二〇一五年四月二四日、労働法制改悪阻止対策本部は、二つの意見書を発表し、団ホームページに掲載しました。タイトルは、『生涯派遣を強要し、正社員をゼロにする労働者派遣法「改正」案の廃案を要求する意見書』と『過労死を激増させ、残業代をゼロにする労働基準法等「改正」案の廃案を要求する意見書』です。
 また、同日午後一時から、厚生労働省において、鷲見対策本部長、並木対策本部事務局長、今村団本部幹事長、三浦団員、私の五名が出席して、意見書発表の記者会見を開きました。記者の関心も高く、毎日新聞、東京新聞、北海道新聞、時事通信等から一一名の記者が参加しました。
 記者からは、「この法案を止めるにはどうすれば良いのですか?」などの質問が出ました。そして、会見後も個別質問がしばらく続きました。
一 意見書の概要
(1)改訂版ではない

 今回発表した意見書は、第二弾です。第一弾は、二〇一四年一〇月一〇日発表の、『「生涯派遣・正社員ゼロ」法案は許されない!!労働者派遣法「改正」案の廃案を求める意見書』と『過労死を激増させ、残業代をゼロにする労働時間法制の大改悪に反対する意見書』です。これらも団ホームページに掲載されています。
 第一弾も対策本部の叡智を結集した自信作でしたが、今回発表した第二弾意見書は、それらの改訂版ではありません。政府の答弁や、厚生労働省への質問などから得た最新情報を基に新たに作成したものです。以下に、簡単に読みどころを説明します。
(2)労働者派遣法「改正」案の廃案を要求する意見書
 まずは、一五頁以下の、「労働契約申込みみなし制度」の適用回避に注目です。政府・与党が何が何でもこれを今通したいのは、二〇一五年一〇月一日から「労働契約申込みみなし制度」の適用が始まるからです。そうなると、原則一年、最長三年の派遣受入期間制限に違反する派遣先は、派遣労働者に労働契約の申込みをしたとみなされます。これを阻止するために、「改正」案は、施行時期を二〇一五年九月一日としています。なんと厚生労働省は「改正」賛同議員を増やすため、『一〇・一問題』文書を作って配っています。
 次に、政府答弁の豊富な引用がポイントです。二〇一四年一〇月から一一月にかけての、衆院予算委員会や衆院本会議、衆院厚労委員会における安倍首相や塩崎厚労相、坂口委員の答弁を計一三箇所引用しています。
(3)労働基準法等「改正」案の廃案を要求する意見書
 何と言っても、計三一頁の意見書の半分を占める、高度プロフェッショナル制度に関する箇所(三頁から一八頁まで)が読みどころです。
 アメリカのホワイトカラー・エグゼンプション制度を手本としたこの制度ですが、本家アメリカでは弊害が大きいことが分かり、見直しが始まっています。それなのに、これから導入しようとしている日本は労働者を食い物にする気満々です。アメリカでは、年収三〇〇万円未満の労働者にもこの制度が適用されているので、高度プロフェッショナル制度が年収一〇七五万円以上で始まったからといって、安心できません。また、統計上、エグゼンプション労働者の方が、非エグゼンプション労働者に比べて長時間労働を強いられる傾向にあることが分かっているので、残業代をゼロにすれば時短につながるというのは嘘です。
 しかも、高度プロフェッショナル制度は、労働時間規制の適用を全て除外するだけでなく、使用者が始業時刻や終業時刻を定めたり、指揮命令をしたり、具体的な業務指示をしたりすることを禁止していません。法文上は、二四時間休憩を与えずに労働させたり、一週間連続で労働させたりすることも禁じられていません。
二 まとめ
 団ホームページから入手できる、これらの意見書を全国で活用し、労働者派遣法「改正」案と労働基準法等「改正」案を廃案に追い込みましょう。


*広島県特集*

広島と憲法、そして平和

広島支部  依 田 有 樹 恵

 私は、広島生まれの広島育ちの被ばく三世です。途中、一四年ほど広島を離れていた時期がありますが、広島に帰って来て、五年半が経ちました。
 幼い頃から、私の曾祖母や祖父母や、周囲のおじいさんおばあさんから、広島に原爆が落ちて犠牲になった人々の話や、戦争体験談、学校での平和学習など、日々原爆や戦争の悲惨さを聞かされながら育ちました。広島以外の地方での平和教育についてはよく知りませんが、広島以外の方々のお話を聞くと、広島は非常に平和学習に熱心なんだな、と思った印象があります。このような環境から、当然と言えば当然なのですが、八月六日は、どこにいても、前の日どんなに遅くまで飲みすぎても、「安らかにお眠りください。過ちは二度と繰り返しませんから。」との思いを胸に、午前八時一五分には必ず黙祷をします。…この碑文について、様々な意見があることは知ってはいます。しかし私としては、情緒的ではあるかもしれませんが、ただただシンプルに、どこの国であれ、人類に核兵器による惨禍が二度とおきることのないような世界を作っていくことを決意した碑文だと考えています。
 これを難しく言い換えるとすれば、平和的生存権にあたります。日本国憲法では前文に、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と書かれています。その主語は「われらは」であり、つまり日本国民が世界中の人々に対して平和的生存権を権利として認めるよ、と宣言したものだと思います。
 憲法は、国の基本法です。国の理念であり根本を示したものです。憲法は、国内に向けては国のかたちに枠を与える、つまり制度や法律の枠を設定するものであり、国外に向けては国の本質を公式に宣言するものです。なので、日本国民は、平和的生存権、つまり、世界のあらゆる人々に対して、戦争の恐怖と困窮にさらされることなく、平和に生活できるよう日本の政府をコントロールしていくことを前文で約束し、宣言しています。
 私自身、憲法を勉強して、日本国憲法は日本の歴史だけでなく、マグナカルタ、フランス人権宣言、ワイマール憲法など、広く人類が得て来た成果をもとに作り上げたもの、人類の英知を集めた、目指すべき道しるべだと思いました。こんな世界になったらいいな、というのが日本国憲法だと思います。その意味では確かに、はるかかなたの理想論であったり、手の届きそうな理想であったりするのだと思います。しかし、道しるべが理想論なのは、ある意味当然ですよね。
 広島に生まれ、平和公園の碑文に慣れ親しんで育った私にとって、憲法の平和的生存権は、同じ誓いです。広島の願いは、憲法の願いでもあると思っています。法律家としてもですが、法律家ではなかった幼い頃からの思いとしても、戦争の記憶が薄れていく中で、今後も日本国憲法が生き続けますように、私たちの約束を果たして、また次の世代へとつなげますように、不穏な時代背景の中で、自分にできることをやっていきたいと思っています。 
 戦後七〇年、被ばく七〇年、今年は広島にとっても節目の年です。広島は、すぐ近くに海や山があり、街中にも緑の多い美しい街だと思います。七〇年前には焼け野原だった広島ですが、五月集会に来ていただいて、現在の広島のいいところ、おいしいもの、おいしいお酒を満喫していただきたいです。私自身は、戦争を全く知らない世代であり、焼け野原だった広島を知りませんが、七〇年で、こんなにも復興させた人々の力に希望を見出して、これからの皆様方のエネルギーとしていただけるとうれしいです。


広島支部冊子『たたかう弁護士たち
その後・・・ パートV』の紹介

広島支部  竹 森 雅 泰

 広島支部では五月集会に合わせて、『たたかう弁護士たち その後・・・ パートV』と題する冊子を作成・発刊しましたので、この場を借りて紹介とお願いをさせていただきたいと思います。
 広島支部は、一九七六年に団員一六名で結成され、一九七九年一〇月に広島県福山市鞆で団の全国総会が開催された際に、支部団員の活動をまとめた『たたかう弁護士たちは、今・・・・』を発刊し、続いてPARTII、III、IV(一九九六年)まで発刊しました。しかしその後、各団員が、広島弁護士会だけでなく日弁連の役員や委員会活動をはじめ、労働弁護団、青法協、日民協、反核法律家協会などの活動も担いながら、様々な集団訴訟、労働・公害・消費者・社会保障等の訴訟の弁護団となり、また幾つもの市民団体や労働団体と連携して憲法集会などの取組みをすることに精一杯で、団としての活動が停滞し、冊子の発刊も二〇年来行われておりませんでした。
 このような中で五月集会が広島で行われることとなり、これを契機にして、団員の結束を高めようではないかという話しになり、私が冊子の編集責任者に命ぜられました。原稿の督促等苦労はありましたが、改めてできあがった冊子を見ると、私が無知だっただけかもしれませんが、各団員がそれぞれの立場でまさに弁護士法一条にいう「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」ための活動に日夜取り組んでいることが分かりました。具体的な内容については、ここで紹介をしたいのも山々なのですが、せっかくの機会ですので、五月集会にお越し頂いて会場内で販売している是非冊子をご購入頂き(頒布価格七〇〇円)、その内容を御覧頂ければと思います。広島県の各地の団員が、様々な分野で粘り強くユニークな活動をしているかをおわかり頂けるのではないかと思います。
 それでは、多くの団員、事務局、ご家族の皆様の五月集会へのご参加をお待ちしております。


戦争法制阻止に向けてたたかいを強めよう!
リーフレット「平和な戦後が終わる」のご活用を

改憲阻止対策本部

 この度、安倍政権が今国会で成立を狙う戦争法制の危険性を明らかにするリーフレットを作成しました。リーフレットは、「平和な戦後が終わる 安倍政権の戦争法制づくり 戦争で平和が創れますか?」と題したA4版のフルカラー両面刷りです。「いつでも、どこでも、切れ目なく」自衛隊をアメリカの戦争に荷担させる危険性を明らかにした内容です。
 安倍政権が成立を目指す戦争法制は日本を戦争する国にするための安全保障戦略の全面再編の最終段階に位置するものです。戦争法制が成立すれば、自衛隊は、文字通りいつでも、どこでも、切れ目なく世界に派兵されます。そして、安倍政権は、戦争法制を完成させた次には明文改憲が狙っています。戦争法制の危険性を広く国民に訴え、法案の成立を阻止する運動を大きな波にしていくことが早急に求められています。
 法案の危険性を訴える宣伝ツールとして、ぜひ、ご活用ください。多数のご注文をお待ちしています(ご注文は団本部までお寄せください)。

* 一枚一〇円です(一〇〇〇枚以上をまとめて注文の場合一枚八円です)。(→ 六月四日以降、一枚五円(一〇〇〇枚以上は送料無料に変更しました)
* 御注文の順に発送いたします。ぜひ、お早めに御注文ください。
* 郵送費は、別途御請求いたしますので、御負担お願いいたします。