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横山  雅 *改憲・戦争法制阻止特集*
国家安全保障戦略・防衛大綱と戦争法制
本田 伊孝 「防衛装備移転三原則」と戦争法制
藤岡 拓郎 集団的自衛権容認と恒久平和主義の破壊
辰巳 創史 集団的自衛権容認と立憲主義の破壊
久保田 明人 新三要件と国際法・ニカラグア判決
齊藤 園生 「存立事態」と経済的な損失
―ホルムズ海峡機雷除去問題をめぐって
井上 正信 新ガイドラインから見た安保法制閣議決定と安保法制改正の収支決算
石川 賢治 滋賀弁護士会憲法記念の集いを開催しました
則武  透 倉敷民商弾圧事
岡山地裁不当判決について
永尾 廣久 経営危機を打開するために
  盗聴法拡大・司法取引導入に反対する法律家デモにぜひ参加を!
労働法制改悪
阻止対策本部
労働者派遣法の改悪に反対する緊急院内集会五・二五参加の呼びかけ



*改憲・戦争法制阻止特集*

国家安全保障戦略・防衛大綱と戦争法制

東京支部  横 山   雅

一 国家安全保障戦略と防衛大綱から見る安倍政権の安全保障政策
(1)国家安全保障戦略の策定

 二〇一三年一二月一七日、安倍政権は「国家安全保障戦略」と「平成二六年度以降に係る防衛計画の大綱」(以下単に「防衛大綱」という。)の二つの文書を閣議決定した。
 これまで、日本では防衛大綱は策定されて来たが、国家安全保障戦略は、安倍政権下の二〇一三年にはじめて策定されたものである。
 国家安全保障戦略の策定の趣旨は、日本を取り巻く安全保障環境の動向を見通し、日本が直面する安全保障上の課題を特定し、その課題を克服するための外交政策及び防衛政策を中心とした国家安全保障上の戦略的アプローチを示すものとしている。
 したがって、この国家安全保障戦略を読み解くことで、安倍政権の安全保障環境の情勢認識、安倍政権が描く安全保障の施策が明らかになる。
(2)国家安全保障戦略から見る安倍政権の情勢認識
 安倍政権の安全保障環境の情勢認識のポイントは、(1)グローバル社会の進展に伴い、一国・一地域で生じた安全保障上の問題が、直ちに国際社会全体が直面する安全保障上の課題になること、(2)中国の経済的発展を背景とする軍事力の増大と東シナ海・南シナ海への進出がもたらす日本の安全保障環境への影響、(3)米国の国際的影響力の相対的低下が日本の安全保障環境へもたらす影響といった諸点にあることが読み取れる。
(3)安倍政権が国家安全保障戦略で描く安全保障政策
 安倍政権は、(1)の情勢認識を踏まえ、国家安全保障戦略の中で、安全保障体制構築の具体的政策として、ア.米軍との軍事的連携を前提とする日米同盟の強化、イ.国際平和協力活動等への積極的参加、ウ.武力攻撃事態等から大規模自然災害に至るあらゆる事態にシームレスに対応するための防衛体制の構築、エ.中東地域から日本近海までの海洋安全の保障等を掲げる。
 簡潔にまとめれば、安倍政権の安全保障政策は、米軍との軍事的連携を強化し、自衛隊を海外に積極的に派兵し国際社会での軍事的プレゼンスを高めるとともに、対中国を仮装敵国として捕捉し、日本近海の自衛隊による軍事的防衛体制を整えるというものである。
(4)安倍政権の安全保障政策を具体化する防衛大綱
 防衛大綱は、国家安全保障戦略で指摘された情勢認識と安全保障の政策を踏まえて、これらを具体化しているものにすぎない。
 すなわち、防衛大綱が、グレーゾーン事態を含むあらゆる事態にシームレスな対応、島嶼部に対する攻撃への対処、海洋安全保障の確保、国際平和協力活動の実施等を殊更に強調しているのは、全て国家安全保障戦略で企図された安倍政権の安全保障政策を具体化するためのものである。
(5)安倍政権の安全保障政策を実現するための障壁‐自衛隊にかかる制約
 以上から明らかになった安倍政権の安全保障政策を実現するためには、憲法九条と現行法という障壁が存在し、安倍政権から見れば極めて邪魔な制約が自衛隊にかかっているのである。
 例えば、日米同盟の強化といっても、アメリカが軍隊を派遣したとしても、自衛隊の恒久派兵法を持たないため、その都度、国会による特別法の制定が必要であり、時の内閣のみの判断で自衛隊を派兵することはできないという自衛隊派兵の判断主体という制約がある。
 また、中東地域から日本近海までの海洋安全の保障を実現するといっても、自衛隊の派兵には、周辺事態法による地理的制約があり、日本近海を遙かに越えた中東近海まで自衛隊を派兵することができるわけではない。
 さらに、武力攻撃事態からグレーゾーンを含むあらゆる事態までシームレスに対応できる防衛体制の構築といっても、「有事」における防衛を前提に組まれている自衛隊が、グレーゾーンという「平時」(いうまでもないが、グレーゾーン事態は「有事」ではないので「平時」である。)において、活動することはできないという制約がある。
 上記に加えて、そもそも憲法九条の下、集団的自衛権の行使を前提としていない現行法の下では、グローバル化に伴う安全保障体制の構築を強調したところで、あくまでも自衛隊が活動できるのは、日本に対し具体的な軍事的脅威が発生した場合、すなわち、日本が他国の軍隊による攻撃にあった場合のみである。
 以上のとおり、安倍政権の安全保障戦略を実現するためには、越え難い障壁である自衛隊の活動への制約が存在しているのである。
二 安倍政権が今国会で成立を狙う戦争法制の概要
 安倍政権は、自衛隊に課されている種々の制約を取り払うことを企図し二〇一五年の通常国会で「安全保障法制」を成立させようとしている。
 この点については、他稿においても詳述されているので簡潔に述べるが、改正のポイントは、(1)集団的自衛権行使に向けた武力攻撃事態法等の有事法制の改正、(2)米軍を含めた他国軍の後方支援のための恒久派兵法の制定、(3)PKOへの自衛隊派兵を拡大するためのPKO法の改正、(4)グレーゾーン事態への対処のための自衛隊法等の改正である。
 いずれも自衛隊の戦争・軍事紛争への積極的参加を指向する改正であり、その実は「安全保障法制」とは名ばかりの「戦争法制」と称さざるを得ないものである。
 これら戦争法制が、安倍政権の安全保障政策を前提とするものである以上、これら戦争法制には、安倍政権の安全保障政策の問題点が等しく包含されているのである。
三 安倍政権の戦争法制の問題点
(1)アメリカの国益と日本の国益を同一視していること

 集団的自衛権の行使容認によって、日本への武力攻撃がなくても、他国への攻撃によって戦争に突入することになる。
 日米同盟の強化を前提として、集団的自衛権の容認に踏み切った安倍政権の下では、他国がアメリカへ攻撃を開始した場合、直ちに日本も戦争に突入することを意味するのである。
 テロとの戦いを自国の国益として掲げ、中東各地に積極的に派兵を繰り返すアメリカ軍とともに、日本の自衛隊が行動することになるのである。
 とりわけアメリカは、歴史上、自国の軍事行動を「自衛」の名の下に繰り返し正当化してきた国である。
 アメリカの自称「自衛」戦争に日本も参戦せざるを得なくなる法体制を構築することは、アメリカの国益と日本の国益を同一視しているものと言わざるを得ない。
 日本の国益は、あくまでも主権者たる日本国民の議論の下で判断されるべきものであり、アメリカと国家の命運をともにする道理は何一つない。
(2)対中国への過剰な軍事的対抗が戦争を招来しかねないこと
 安倍政権は、グレーゾーン事態に対する自衛隊の治安出動を可能にしようとしており、尖閣諸島を含む南西諸島の島嶼部の軍事的防衛を強化しようとしている。
 治安出動した自衛隊に対し、何らかの攻撃が加えられた場合は、なし崩し的に戦争に突入する可能性があり、グレーゾーン事態への自衛隊の派遣は「戦争のスイッチ」につながる極めて危険なものである。
 それゆえ、尖閣諸島を巡る争いに自衛隊が参入することで、中国となし崩し的に戦争に突入する可能性すらあり、対中国との戦争を日本が自ら招きかねない。
 安倍政権の安全保障政策は軍事ありきであり、日本の平和国家としてのこれまでの歩みを根底から覆す極めて危険なものである。


「防衛装備移転三原則」と戦争法制

東京支部  本 田 伊 孝

一 「防衛装備移転三原則」と集団的自衛権の行使容認
(1)
政府は、二〇一三年一二月、「国家安全保障戦略」以下、NSS)を閣議決定した。NSSは「我が国の能力・役割の強化・拡大」と「日米同盟の強化」、という二つの目標が掲げ、日米防衛装備・技術協力をその二つの目標を達成するための一つの手段と位置付けている。また同時に、NSSは国家安全保障の基盤として、日本の防衛生産・技術基盤を育成・強化することにも言及している。
 しかしながら、NSSが政府によって決定された後も、防衛装備・技術協力を推進することや防衛生産・技術基盤を育成・強化することを妨げるとある方針が日本に存在した。
 それが、半世紀にわたり事実上武器の輸出を禁止してきた、いわゆる「武器輸出三原則等」である。
 政府は、二〇一四年四月一日、「武器輸出三原則」を撤廃し、「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。同年七月一日には、政府は集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行い、NSSで掲げた二つの目標と同じく、「我が国の能力・役割の強化・拡大」と「日米同盟の強化」を目標を中心に添えた。
(2)政府は「防衛装備移転三原則」、集団的自衛権の行使容認の閣議決定に基づき、 防衛装備・技術協力を推進するによって、軍事力による抑止力強化を押し進めようとしている。
二 「防衛装備移転三原則」が軍事力による抑止力強化を目的としていること
 日本が武器開発に乗り出すことによって、自衛隊が装備する武器も、より高性能・殺傷能力が高いものとなっていく。政府は「防衛技術の向上」と述べるが、その実態はより高性能・殺傷能力が高い武器を装備し、軍事力の強化を達成することにある。
 また、政府は、日本と米国が共同での武器開発・技術協力を加速させることで、相互運用性を向上させ、日米同盟の強化につながると述べる。
 しかし、政府の狙いは、海外で自衛隊が米軍と一緒になって武力を行使することにある。
 近い将来、海上自衛隊の艦船システムと米国艦船のシステムをネットワーク化し、両艦船が海上で一体となった軍事作戦の遂行が可能になる。
三 「防衛装備移転三原則」は平和国家の根幹を覆す
(1)
前記のとおり「防衛装備移転三原則」の目的は抑止力強化にある。具体的には、より高性能・殺傷能力が高い武器を装備することによる自国独自の抑止力強化と日米共同軍事作戦による日米同盟強化を目的とする。
 そもそも、「防衛移転三原則」は集団的自衛権行使の容認と相まって、海外での武力行使に連なるものであり、武力行使を禁止した憲法九条に違反する。
(2)「防衛装備移転三原則」は、武力行使を禁止した憲法九条を持つ平和国家としての立場から、「国際紛争を助長するおそれがある場合」には武器輸出を禁止してきたこれまでの原則を完全に捨て去るものである。
 武器輸出三原則は、一九六七年に当時の佐藤内閣が武力行使を禁止した憲法九条を持つ平和国家としての立場から、国際紛争を助長することを回避するため、(1)共産国(2)国連決議で輸出が禁止されている国(3)紛争当事国やそのおそれのある国への輸出を禁じたのが始まりで、一九七六年の三木内閣のもとで、憲法が定める平和主義に則り、その他の国への武器輸出も「慎む」として、武器輸出を原則禁止したものである。
 武器輸出を慎む国是は、専守防衛、非核三原則とともに、平和国家という戦後日本の「国のかたち」の根幹を成してきた。
(3)しかし、「防衛装備移転三原則」の閣議決定は、一九六七年以来、半世紀近く、憲法が定める平和主義に則り国是とされてきた「武器輸出三原則」そのものを完全に捨て去るものであって、憲法の平和主義を踏みにじるものにほかならず、断じて許されない。
四 「防衛装備移転三原則」は国際紛争を助長するおそれがある
(1)
政府は、「これまでの平和国家としての歩みを引き続き堅持」していくと説明するが「防衛装備移転三原則」の下で、武器や関連技術の輸出先は拡大し、平和国家としての歩みは堅持されなくなる。
 武器輸出三原則では、紛争当事国だけでなく、「そのおそれのある国」への輸出も禁止していた。これに対し、「防衛装備移転三原則」の第一原則では、輸出禁止対象国である「紛争当事国」は「国連安保理がとっている措置の対象となっている国」と限定され、「そのおそれのある国」は削除されている。そのため、周辺国に空爆を繰り返すイスラエルなどへの輸出も制限されなくなる。「防衛装備移転三原則」の下、日本が製造に関わった武器が他国の人々を殺傷するという事態が生じることになれば、これまで平和憲法を持つ国として日本が得てきた国際的な信頼も瓦解することになる。
(2)政府は、「防衛装備移転三原則」を策定した理由として、「武器輸出に対する考え方が複雑化してきたため、考え方を抜本的に整理し、輸出ができる場合を明確化にした」と説明する。しかし、「防衛装備移転三原則」の第二原則では、輸出の審査基準が「日本の安全保障に資する場合」などと曖昧で、判断基準として不明確であり、拡大解釈されるおそれがある。
(3)「防衛装備移転三原則」の第三原則では、目的外使用及び第三国移転に係る防衛装備の海外移転に際しては、原則として日本の事前同意を相手国に義務づけることにより適正管理を確保すると定める。しかし、国際共同開発などの場合は、事前同意を必要としない等、例外が広く認められており、適正管理が相手国において遵守されない場合が生じる。
(4)このように武器の輸出先の拡大、目的外使用、第三国移転のおそれがあり、「防衛装備移転三原則」の下、同盟国とともに武器の共同開発の提携と参画を推進し、国際紛争を助長するおそれがある。
五 「防衛装備移転三原則」は憲法九条に違反する
 安倍首相は、「積極的平和主義」を掲げる国家安全保障戦略で武器輸出に関する新原則を策定する方針を打ち出し、「防衛装備移転三原則」の閣議決定は、安倍自民党政権による集団的自衛権の行使容認と相まって、海外で戦争する国づくりの一環としてなされたものであり、平和国家という戦後日本の「国のかたち」の根幹を覆すものである。「防衛装備移転三原則」は国際紛争を助長し、武力行使を禁止した憲法九条に違反するものである。


集団的自衛権容認と恒久平和主義の破壊

千葉支部  藤 岡 拓 郎

一 はじめに
 集団的自衛権の行使を容認した昨年の七・一閣議決定は、近代立憲主義を否定するものである。憲法によって制限される立場の国家権力に、憲法の枠を超えた権限行使を認めるもので、憲法による歯止めをないがしろにすることになるからである。もっとも、安倍政権の手法が立憲主義を根本から覆すという批判は、正当な手続に基づいて憲法を「改正」して、集団的自衛権の行使を容認するのであれば、立憲主義には反しないのではないかとの議論によってかわされる危険がある。
 そこで、さらに一歩進めて、日本国憲法における平和主義が立憲主義に基づく歯止めとして機能する意味について、掘り下げて考える必要がある。
 すなわち、日本国憲法は、平和主義として、単に平和を希求するだけでなく、平和を実現する手段たる「戦争」や武力の「行使」「威嚇」を放棄し、国家としての「戦力」を備えず、「諸国民の公正と信義に信頼して」平和をも憲法規範化し、体制の原理に組み入れている。平和という目的を実現するために、その手段も非軍事・非武装という、すなわち手段としての平和をも明確にしているのである。この原理化された恒久平和主義に基づいて集団的自衛権の行使容認が批判されなければならない。
二 戦争体験に基づいた徹底した恒久平和主義
 日本国憲法の平和主義は、過去の戦争の惨禍にかかわる深刻な体験と反省に基づく徹底した恒久平和主義を基調としている。日本の侵略戦争により、二〇〇〇万人のアジア諸国民の命が奪われ、三一〇万人の日本人が犠牲となり、国土は焦土と化した。このような戦
争に関する悲惨な国民的体験にもとづき、戦争の惨禍を深く省みて、二度と戦争を起こしてはならないとの国民の思いが、憲法前文の平和的生存権、憲法九条に結実しているのである。言い換えれば、人の命の重さを国民自らが歴史的に体験した上に日本国憲法の平和主義は築かれているのでありる。
 この徹底した恒久的平和主義は、平和的手段による紛争解決や武力の不行使の原則などをうたっている国連憲章よりも、さらに非戦、非暴力を貫く平和主義として一歩先んじているのである。また、平和的生存権は、恒久平和主義の実現を、一人一人の国民の立場から位置づけ、基本的人権として具体化しているものであって、この点でも先駆的なものである。憲法が非戦、非暴力主義の原理を徹底して貫き、非暴力により幾多の侵略や報復、戦争の連鎖を断ち切ること、ここに戦争体験を踏まえた日本独自の恒久平和主義の要諦がある。
 安倍政権は、集団的自衛権の行使を容認することにより、この憲法に組み込まれた平和主義の原理を憲法規範から追放し、戦争する国づくりを進めている。しかし、集団的自衛権の行使を容認することは、それを企図する憲法改正も含めて、戦後日本の平和主義に基づく憲法の根本原理を正面から否定するものであり、もはや憲法の体制原理のそのもの転換であるから到底許されるものではない。
三 恒久平和主義を貫く道
 日本国憲法の徹底した恒久平和主義を貫くことに対して、現実の安全保障環境の変化にどう対応するのか、自分の身は自分で守るしかない中で、国家が生き残るために戦争は国家が当然にとりうる外交・防衛手段でないか、という批判がある。多くの国民が抱いている漠然とした不安であり、疑問でもある。
 しかし、国民の生命を守ることを優先して考えた場合に、平和主義を徹底し、非暴力を貫く選択肢を頭からはずしてしまう必然性はない。むしろ、戦争への道を前提とする考え方においては、勢力均衡、力の均衡によって緊張状態が保たれ、平和が維持されるという抑止力論が強調されているけれども、それは、自国の力の増強が他国に脅威を与え、その脅威がさらに他国の力の増強を招くという抑止力の悪循環に陥いる危険が大である。大量殺戮兵器の際限のない開発競争を生み出し東西間の極度の緊張と不安定化を招いた過去、そして現在に至る状況を忘れてはならないのである。
 そもそも、国際関係においては他国を敵と考え、その力を抑止しようとするのか、それとも信頼関係をつくり協調・共存していくと考えるかにより、国の基本的立場が異なってくる。国同士が政治、経済、文化的理由から互いに攻撃しないことへの相当の信頼関係が成立している場合には、その国と国の間では抑止力の悪循環、安全保障のジレンマが生じる可能性は低い。そこでは軍事力の多寡が単純に国家の安全や驚異を決定するわけではなく、国家間において安全保障を敵対的ではなく協力的に追及することへのコンセンサスが作り出されている(例えば、今日のフランスとドイツ等)。このように他国の力の増強が自国の脅威になるかどうかはひとえに両国の間の認識による。率先して軍縮を進めることが他国との信頼関係の醸成につながり、双方の安全保障に資することにもなるのであって、そのための交渉や対話といった非軍事的手段による安全保障の道筋も当然開かれているのである。
 日本は、戦後平和主義による非暴力、非軍事的手段の平和を憲法の原理として組み入れている。力に頼ることなく国家間の信頼関係を構築すること、国家の安全保障を敵対的ではなく協力的に追及するコンセンサスを作り出せる土壌がある。
 このように我々は憲法に原理化された恒久平和主義に基づいて、国際的に中立的な立場からの非暴力による平和外交、平和的方法による国際的な安全保障を実現するという道を目指すことが求められる。
 これは非現実的な選択ではないのである。
四 恒久平和主義にもとづき日本が果たすべき役割
 力に頼ることは、現状を追認し、さらなる軍備の拡張へとつながり、必要のない戦争に巻き込まれることになる。求められているのは、現実を現実として追認するのではなく、国際政治の現実の中にあっても、戦後の恒久平和主義の理念をいかに実現するかを考え、行動に移すことである。
 安倍政権が目指すのは国際社会における国家の安全保障をことさらに強調し、大国と肩を並べるためにこのような日本独自の特色を排除することである。
 しかし、日本の恒久平和主義は、日本を再び軍国主義にしないために建てられた防壁であり、戦後世界秩序の一つの柱であり、また戦後の民主主義の柱でもある。この柱を堅持した上で、非戦による平和主義のネットワークを広げ、アジアや世界の平和実現に貢献することが、日本が行うべき最善の国際貢献であり、また、最高の安全保障政策である。例えば、北東アジアとの関係では、東南アジア友好協力条約のような、信頼を醸成するための対話を進めて平和のためのルール化を目指すこと。これは平和を求める手段として、アメリカと一緒にいつでもどこにでも自衛隊が出掛けていくような安倍政権の目指す集団的自衛権よりもはるかに現実的ではないだろうか。戦後の恒久平和主義の理念のもつ歴史的意義、重要性が、今日の政治情勢において、あらためて認識されるべきである。


集団的自衛権容認と立憲主義の破壊

大阪支部  辰 巳 創 史

一 はじめに
 安倍政権は、二〇一四年七月一日、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行った。
 閣議決定に基づき、集団的自衛権の行使を内容とする戦争法制が本年五月中旬にも国会に提出される。
 しかし、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定は、憲法の存在意義ともいうべき立憲主義を根本から破壊するものであり、安全保障についていかなる立場をとるとしても、断じて許されるものではない。
二 立憲主義の成立と展開
(1)古典的立憲主義

 権力保持者による権力濫用を抑制するための装置を積極的に創出し、それを政治過程にはめこむことによって、あるべき国家体制の保全をはかり、権力名宛人の利益を守ろうとする努力は、すでに古代ギリシャ、ローマにおいてもみることができる。これを立憲主義と呼ぶならば、立憲主義は近代固有のものではなく、すでに古典古代において成立していた。
(2)近代立憲主義
 古典的立憲主義は、中世の封建体制下において、また近代絶対主義国家における君主の圧倒的な支配の前に後退を余儀なくされたが、近代市民革命を契機に、新たな理念と構想の下に再生した。すなわち、近代市民革命は、国家(公)に対して個人の自由の領域(私的領域)の存在を設定し、かつそれを積極的に評価し、国家(公)はかかる私的領域の確保のためにこそ存在理由があり、したがって国家の活動もそのような目的のものに限定されると捉えるところに本質をもち、そのための具体的方策としての憲法の意義が明確に自覚され、アメリカやフランスにおいて相ついで成文憲法の制定を見るに至った。フランス人権宣言(一七八九)は、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法を持つものではない」(一六条)と宣明するが、ここに近代立憲主義の心髄があらわれている。
 このように、古代に発生した立憲主義は、近代に完成し、近代国家の普遍的な原理となった。
(3)現代立憲主義
 資本主義の進展とともに、国民の間に貧富の差が拡大し、各種の矛盾と社会的緊張を惹起するところなった。人間の自由・権利の享受の実質的平等を要求し、政治の民主化を通じてその達成をはかろうとする動きが顕著となり、労働基本権などの社会権的基本権が現代国家の憲法の人権保障体系の一大支柱をなすに至った。さらに、日本国憲法は、戦争を放棄し戦力の不保持を定めた恒久平和主義を基本原理とし、平和的生存権の保障も明記している。このように、歴史的に展開してきた基本的人権の保障、そして恒久平和主義を実現することこそ、現代の憲法が権力に課した役割であり、権力がその拘束を受けるというのが現代における立憲主義に他ならない。
三 日本国憲法も立憲主義に立脚している
 日本国憲法は、個人の尊厳を謳い(一三条)、社会権的基本権を含む基本的人権を保障し(第三章)、憲法を最高法規として(九八条)、国務大臣等の公務員に憲法尊重擁護義務を課している(九九条)。
 このように、日本国憲法も憲法によって国家権力を縛ることにより、国民の権利自由を保障するという近代自由主義国家の基本原理である立憲主義に立脚している。
四 安倍政権による集団的自衛権行使容認の閣議決定
 これまで政府は、一貫して、憲法第九条の下における自衛権の行使は、我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)があり、これを排除するために他の適当な手段がない場合に、必要最小限度の範囲のものに限って許容されるものであって、我が国が直接武力攻撃を受けていない場合に問題になる集団的自衛権の行使は、その範囲を超えるものとして憲法上許されないとしてきた。
 しかし、一四年七月一日の閣議決定は、我が国を取り巻く安全保障環境の変化を理由に、(1) 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、(2) これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき、(3) 必要最小限度の実力を行使するという「新三要件」の下で集団的自衛権の行使を容認した。
五 閣議決定による集団的自衛権の行使容認は立憲主義に反する
 このような憲法解釈の変更は、憲法九条の本来的な解釈から到底認められない。のみならず、憲法九条をいかに解すべきかという問題以前に、閣議決定によって集団的自衛権の行使を容認すること自体が立憲主義に反し、許されない。
 前述のように、立憲主義は憲法によって国家権力を縛ることにより、国民の権利自由を守るというシステムである。そして、国家権力の濫用は、三権の中でも行政権によってなされることが多いという歴史にかんがみて、日本国憲法は行政権の担い手である国務大臣等の公務員に対して特に憲法尊重擁護義務を課しているのである。
 このように、憲法によって縛られる対象である国務大臣らによって構成される内閣が、自由に憲法解釈を変更できるとすると、憲法によって国家権力を縛るという立憲主義は画餅に帰する。いわば泥棒に刑法の制定を委ねるようなものである。
 繰り返し述べるが、憲法九条の解釈についてどのような立場に立つとしても、近代自由主義国家によって共有されてきた人類の財産ともいうべき立憲主義を承認する限り、閣議決定によって憲法解釈を変更することは許されない。弁護士の強制加入団体であり、弁護士の品位を保持し、弁護士の事務の改善進歩を図るため、会員の指導連絡監督に関する事務を行うことを目的とする中立的団体である日弁連(弁護士法四五条二項)も繰り返し閣議決定による集団的自衛権の行使容認は立憲主義に反するとの声明をだしているところである。
 安倍首相は、憲法解釈の見直しについて「最高の責任者は私です。」と述べており、私的会合にすぎない安保法制懇に集団的自衛権の行使容認等についての検討を委ね、同懇談会の報告を受けたのち、ごく短期間の与党内での密室協議を行ったのみで、日本の平和主義の在り方を大きく転換する閣議決定を行っている。これこそ立憲主義が抑制しようとした権力の濫用そのものであり、安倍政権による閣議決定は、立憲主義を全く理解しないか、理解して敢えて行っているとすれば、人類の多年にわたる努力と叡智で獲得した立憲主義に対する公然たる挑戦である。
六 まとめ
 以上のように、閣議決定によって集団的自衛権の行使を容認することは、立憲主義を破壊するものであり、断じて許されず、憲法九条の解釈や安全保障の在り方に対する考え方や政治的立場等を超えて反対すべきものである。


新三要件と国際法・ニカラグア判決

東京支部  久 保 田 明 人

一 議決定における武力行使は集団的自衛権の行使である
 二〇一四年七月一日の閣議決定は、次に掲げる三要件を満たす場合は、「憲法第九条の下で許容される自衛の措置」として武力の行使が認められる、とした。
 その三要件とは、
(1) 我が国に対する武力攻撃が発生した場合、又は、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
(2) これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
(3) 必要最小限度の実力を行使することである(以下、「新三要件」という。)。
 閣議決定では、武力の行使は、『国民の生命、自由及び幸福追求権が根底から覆されるという急迫・不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るため』(『』は閣議決定の文言引用。以下同じ。)の自衛の措置として講じることは憲法上許されるとの従来の政府見解を踏襲した上で、新三要件に基づく武力の行使も、『わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として』許容されるものであることを明記しており、あたかも個別的自衛権(一般的に、「外国からの違法な侵害に対し、自国を防衛するため、緊急の必要がある場合、それを反撃するために武力の行使をする権利」と定義される。)の延長であるかのように捉えている。
 しかし、閣議決定自体が『国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある』と認めているとおり、『他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれる』新三要件は、明らかに、個別的自衛権の範疇ではなく、集団的自衛権の行使である(集団的自衛権は、一般的に、「他国が武力攻撃を受けた場合、被害国を援助し、共同してその防衛にあたる権利」と定義される。)。
二 国際法上認められる集団的自衛権行使とは何か
 そして、同閣議決定では、『我が国による『武力の行使』が国際法を遵守して行われることは当然』であるとしており、国際法に則った「武力の行使」であることが必要であると述べている。
 では、国際法上認められる集団的自衛権の行使とは何か。
 国際連合憲章第五一条では、集団的自衛権が国際連合加盟国固有の権利であることを認めている。もっとも、同憲章では、集団的自衛権が性質や行使要件については定められていない。
 この点、国際法上の集団的自衛権の行使要件については、国際司法裁判所がニカラグア事件判決で判断を示している(国際司法裁判所は、国際紛争を裁判によって解決することを目的として設置された国際連合の常設司法機関である。ニカラグア事件とは、一九七九
年にニカラグアに親社会主義的政権が成立したことを機に、アメリカが反ニカラグア政権政策をとり、その一環として、ニカラグアの港湾に機雷を敷設し、空港や石油貯蔵施設などを攻撃した事件である。アメリカは、ニカラグアによるエルサルバドル等中南米諸国への武力攻撃に対する集団的自衛権の行使と主張した。)。
 国際司法裁判所は、同判決で、集団的自衛権行使のためには、次の要件が必要であると判断した。
(1) 武力攻撃の存在があること
(2) 武力攻撃の被害国による武力攻撃を受けた事実の宣言及び他国 への援助の要請があること
(3) 反撃行為の必要性があること
(4) 武力攻撃と当該反撃行為との間の均衡性があること
 (2)の前段については、集団的自衛権の行使国による武力攻撃の恣意的な認定を封じるための要件である。また、(2)の後段が必要な理由は、武力攻撃が起きた場合に、その事実を直接に認識するのは攻撃の被害国であること、他国による集団的自衛権の行使を望む場合は、通常、被害国は援助を要請するはずで、要請がないにもかかわらず、主権の及ぶ被害国で武力攻撃すべきではないからとの理由により求められる要件である。
 (3)及び(4)については、集団的自衛権であっても自衛の範囲でのみ認められるに過ぎないことから、当然の要件である。
 このように、同判決では、「他国の援助要請」を求めていることや自国の安全の対する脅威がなくとも援用することを認めていることからして、国際法上認められる集団的自衛権の本質は、「個別的自衛権の拡張」ではなく、被害国の自衛行動を支援する権利(「他国防衛権」)であることを明らかにしている(なお、ニカラグア事件判決では、(1)ニカラグアの行為は武力攻撃と認定できないこと、(2)自国を武力攻撃の犠牲国とみなす国家からの援助要請がなかったことなどから、アメリカのニカラグアに対する行動を集団的自衛権の行使とは認められないと判断した。)。
三 新三要件は国際法に反する
 閣議決定における新三要件では、ニカラグア事件判決における要件(2)「被害国の援助要請」が挙げられていない。
 上記のとおり、新三要件に基づく武力の行使が憲法上認められるのは、閣議決定によれば、『国民の生命、自由及び幸福追求権が根底から覆されるという急迫・不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守る』からであるが、この武力行使容認理由からすれば、『我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があ』れば、被害国の援助要請がなくとも武力の行使をすることは認められるはずで、「被害国の援助要請」という要件は必然的に表れてこない。したがって、閣議決定に基づいて集団的自衛権の行使だと主張する武力行使をすれば、国際法上は違法となる。
 逆に、国際法上認められる集団的自衛権の行使とするために、「被害国の援助要請」の要件を付加すれば、その武力行使は、国際法上認められている集団的自衛権である「他国防衛権」の行使となる。しかし、それでは、閣議決定のいう武力行使が憲法上認められる理由(国民の生命、自由及び幸福追求権の権利を守るため)及びその理由から認められる個別的自衛権の延長であるという性質認識と明らかに矛盾する。国際法上認められる集団的自衛権の行使をしようとすれば、閣議決定の述べる憲法上許される武力行使容認理由では正当化できなくなることとなる。閣議決定によれば、国際法上認められる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないのである。
 いずれにせよ、政府が新三要件による武力の行使について、他国に対する武力攻撃に対しても武力の行使が認められる場合があるにもかかわらず、その根拠を「我が国の防衛のため」に求めていることにより、国際法上認められる集団的自衛権と矛盾が生じているのである。
 新三要件に基づく集団的自衛権の行使は、閣議決定自らが『我が国による『武力の行使』が国際法を遵守して行われることは当然』であると述べているにもかかわらず、明らかに国際法上違法なものであって、到底容認できない。


「存立事態」と経済的な損失
―ホルムズ海峡機雷除去問題をめぐって

東京支部  齊 藤 園 生

一 「存立事態」とは何か
 七・一閣議決定では、日本への武力攻撃だけではなく、密接な関係にある他国への武力攻撃の場合でも「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」(存立事態)には、武力行使が可能とされた。
 問題なのは、この存立事態に「国民に経済的な被害が生じかねない事態」まで含まれるのかという点である。
 そもそも「存立事態」とは何かという点につき、安倍首相は「いかなる事態が、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に当たるのか。これは、個別具体的な状況に即して、総合的に見ながら判断していくものであって、一概にこれだということをお答えするのはなかなか困難ではあります」と述べ、明確に定義できないことを認めている。この曖昧な「存立事態」に、「経済的被害が生じかねない事態」まで含まれるというなら、「危険」は際限なく拡大解釈され、ほとんど何の限定もないに等しいことになるだろう。
 従来の憲法解釈の基本は変わらない、自衛権は必要最小限と、あれほど言い続けた安倍首相の説明は一体何だったのか。
二 掃海活動は明らかな武力行使
 経済的被害事態として、安倍首相が盛んに持ち出すのは、ホルムズ海峡が機雷で封鎖された場合である。日本のエネルギー輸入の多くを依存する中東。重要な輸送路であるペルシャ湾のホルムズ海峡が機雷封鎖されれば、世界的な石油の供給不足が生じ、日本の国民生活に死活的な影響が生じ、国の存立が脅かされ、国民の権利を根底から覆す、というのである。
 安倍首相は、砲撃行為や空爆行為と違って、掃海活動は機雷の除去という受動的、限定的行為にすぎないという。しかし機雷敷設行為も掃海行為も同じく武力行使であるという点は国際法上も常識である。機雷を敷設した相手国から見れば、掃海活動は機雷を無力化する行為であり、明らかな敵対行為である。戦争状態が続き、停戦合意もない中、日本が掃海活動を始めれば、敷設した相手国(ホルムズ海峡ではイランしか想定できない)は、日本を敵と見なし攻撃してくることは間違いない。そうなれば、すぐさま戦闘状態に陥る。
 この危険きわまりない掃海活動を、遠いペルシャ湾まで出かけていって海上自衛隊が実行する、その場合の危険性、損失の大きさを果たして想定しているのだろうか。
三 ホルムズ海峡機雷封鎖は現実的か
 そもそも「ホルムズ海峡の機雷封鎖」という事態が現実に起こるような事態なのか。
 イラン核開発問題で、国際社会はイランへの経済封鎖をおこない、これに激しく敵対した保守強硬派アフマディーネジャード前大統領は、ホルムズ海峡を機雷で封鎖すると脅した。これに対し欧米、特に米国は、自由航行の原則を脅かす行為は許さないと再三に渡り警告し、経済制裁を強め、ホルムズ海峡をめぐる緊張が続いていた。
 しかし、現段階では、イランがホルムズ海峡を機雷封鎖するという事態は、現実的ではない。保守穏健派ロウハニ現政権は、対話外交政策に転換し、核問題については、二〇一五年四月には最終的な外交解決の「枠組み」で合意をした。そもそも、イランも原油輸出国であり、イラン原油を輸出することで外貨を稼いでいるが、そのほとんどがホルムズ海峡を通過する。狭い海峡を機雷で封鎖したら自分の国の原油も輸出できず、自分の首を絞めることになる。現実には、イランによるホルムズ海峡封鎖という事態は「起こりえない」というのが、中東専門家、軍事専門家のほぼ一致した見解である。
 仮に、ホルムズ海峡の機雷封鎖が現実化した場合にも、日本には石油備蓄は官民あわせておよそ六ヶ月分、液化天然ガスは三ヶ月分ある。資源の中東依存からの脱却は、経産省が力を込めて推進している政策であり、現在、ロシア、中南米など供給国の多面化がすすみ、さらに供給国との共同備蓄などのプロジェクトが進んでいる。ホルムズ海峡封鎖がおきたとしても、日本のエネルギーは当面は「凌げる」と言うのが正直なところだ。日本にとって、「自国の存立を脅かし国民の権利が覆される事態」などという事態には、およそならない。
 現実には起こりえないホルムズ海峡の機雷封鎖と言う事態を想定し、日本に与える悪影響を誇大に宣伝をして危険性をあおった上で、「だから停戦前の戦争中でも日本の掃海活動は必要だ」と世論をミスリードする安倍首相の主張は、じつに詐欺的と言うべきだろう。
四 本当の目的は日米同盟強化
 かつて海上自衛隊は一九九一年の湾岸戦争時、ペルシャ湾の掃海活動に従事した。政府は、停戦合意後は機雷は海に遺棄された危険な「ゴミ」に他ならず、ゴミを除去する行為は戦闘行為ではなく、憲法上も問題はないという、実に苦しい理屈で掃海艦艇をペルシャ湾に送った。しかし、苦しい理屈をつけて死と隣り合わせの掃海活動に参加したのに、しかも一三〇億ドルという巨額な資金まで出したのに、肝心の米国に全く感謝されなかった。
 これが日本政府関係者に大きな衝撃を与えた、いわゆる「湾岸トラウマ」である。集団的自衛権の行使を認め、停戦前の段階でも掃海活動をできるようにする、安倍政権の強い意志はここに根ざしている。
 一方、米国からも日本の掃海活動に強い要求がある。日本の海上自衛隊の掃海能力は、技術的にも規模的にも世界有数と言われている。二〇一二年八月発表された第三次アーミテージ・ナイ・レポートでは、日本の責任範囲を拡大すべきとし、日米の防衛協力分野として、ホルムズ海峡の掃海と南シナ海の共同監視をあげている。同レポートでは「イランがホルムズ海峡を封鎖する意図もしくは兆候を最初に言葉で示した際には、日本は単独で掃海艇を同海峡に派遣すべきである」と、日本は真っ先に掃海活動に取り組むように促している。
 日本の役割分担を拡大強化し、自衛隊を米軍と一緒に世界規模で活用したいと考える日米の軍事協力推進勢力にとって、日本のホルムズ海峡の掃海活動は、是非とも可能としておきたい事例なのだろう。
五 集団的自衛権の行使を容認する戦争法制は許されない
 存立事態のなかに、経済的損失の場合まで含めようとする解釈は、要するに、主に米国を想定した「日本と密接な関係にある他国」への武力攻撃があった場合には、いつでも、どこでも日本は武力行使ができる、と宣言することと同じである。ホルムズ海峡の機雷封
鎖の事例を持ち出し、これも存立事態に含める解釈は、七・一閣議決定の枠さえを飛び越して、集団的自衛権の全面解禁に踏み出すことに他ならない。
 このような法制化は許されてはならない。


新ガイドラインから見た安保法制閣議決定と安保法制改正の収支決算

広島支部  井 上 正 信

 四月二七日日米新ガイドラインが合意された。七・一安保法制閣議決定も安保法制改正も、新ガイドライン策定と一体のものだ。新ガイドラインを実行するための安保法制の改正である。新ガイドラインが四月二七日にワシントンで合意されるスケジュールに合わせて、安保法制改正のための与党協議は四月二七日に合意に達した。
 約四〇年続いた政府の憲法第九条解釈を一八〇度変更して、「自衛の措置の三要件」で集団的自衛権行使と国連安保理による軍事的措置への参加を可能にした理由は、安全保障環境の悪化というものだ。とりわけ中国の軍事的脅威が挙げられた。
 その論理は、日本が集団的自衛権を行使することで日米同盟の抑止力が強化され、それにより中国に対する抑止力が強くなるので、中国の軍事的脅威に対抗できるというものだ。尖閣諸島を巡る日中間の紛争がその象徴であった。
 では、新ガイドラインはそのような政府の安全保障政策の大転換の目論見を見事達成したのだろうか。まだ安保法制改正法案は国会へも提出されていない段階で、いささか時期尚早かも知れないが、法案の主要な内容はすでに明らかとなっているので、私なりに収支決算をしてみようと思う。
 新ガイドラインは、九七年ガイドラインとは異なり、「日本の平和及び安全の切れ目のない確保」の章の中で、平時、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態(地理的限定を取り払った重要影響事態)、日本に対する武力攻撃の事態、日本以外の国に対する攻撃の事態(存立危機事態)をすべて含めている。九七年ガイドラインと対比するためには、「日本に対する武力攻撃の事態」と比較すればよい。
 日本に対する武力攻撃が予測される事態での日米両政府の協力、自衛隊米軍の協力については、九七年ガイドラインも新ガイドラインも中身に変わりはない。
 日本に対する武力攻撃の事態での日米協力も、その枠組みには変更はない。武力攻撃を排除するための措置は日本政府と自衛隊が主体的に対処し、米国は日本を支援し、米軍は自衛隊を支援補完するというものだ。
 作戦構想の項目では、空域防衛作戦は九七年と新ガイドラインは殆ど同じ内容だ。むしろ九七年の方が少し詳しいくらいだ。新ガイドラインは「米軍は、自衛隊の作戦を支援し及び補完するための作戦を実施する。」とだけ書いているが、九七年ガイドラインは「米軍は、自衛隊の作戦を支援するとともに、打撃力の使用を伴うような作戦を含む、自衛隊の能力を補完するための作戦を実施する。」と書いているからだ。新ガイドラインの書きぶりは「おざなり」と言ってよい。弾道ミサイル防衛だけは詳しく書き込んでいるが、九七年ガイドライン当時と現在とでは、日米の弾道ミサイル防衛が大きく発展したからに他ならない。
 海域防衛作戦でも同様だ。新ガイドラインは「米軍は、自衛隊の作戦を支援し及び補完するための作戦を実施する。」と書いている。空域防衛作戦での文章のコピペだ。九七年ガイドラインは、「米軍は、自衛隊の行う作戦を支援するとともに、打撃力の使用を伴うような作戦を含む、自衛隊の能力を補完するための作戦を実施する。」と書いているので、新ガイドラインの書きぶりは、やはり「おざなり」と言ってよい。
 では陸上攻撃への対処はどうだろうか。これも新ガイドラインは九七年ガイドラインと同じ枠組みだ。自衛隊と米軍は共同作戦を実施するとして、具体な役割分担として、自衛隊は陸上攻撃を排除する作戦を主体的に実施すること、米軍は支援補完するという枠組みである。新ガイドラインは、「米軍は、自衛隊の作戦を支援し及び補完するための作戦を実施する。」とこれまたコピペで書いているが、九七年ガイドラインは「米軍は、主として自衛隊の能力を補完するための作戦を実施する。その際、米国は、侵攻の規模、態様、その他の要素に応じ、極力早期に兵力を来援させ、自衛隊の行う作戦を支援する。」と、むしろ九七年ガイドラインの方が詳細な書きぶりになっている。
 これでは「おざなり」というよりも、米国は安保条約第5条で本気で日本防衛をする気があるのか疑問すら出てくる。
 では尖閣防衛ではどのようなことを合意しているのだろうか。尖閣防衛を意味するものは次の記述しかない。「自衛隊は、島嶼に対するものを含む陸上攻撃を阻止し、排除するための作戦を主体的に実施する。」としており、陸上攻撃の一つの事例として「島嶼攻撃」を挙げているだけだ。尖閣防衛は日本側の役割というわけである。「米軍は、自衛隊の作戦を支援し及び補完するための作戦を実施する。」とこれまたコピペだ。支援補完の具体的なものは何も記述されていない。単に情報提供にとどまるのかもしれない。
 昨年四月末にオバマが訪日し、その際オバマに尖閣諸島が日米安保条約の適用範囲に入ることを明言させた。多くの国民はこれで米軍が尖閣諸島を防衛してくれると思ったかも知れない。しかしもともと尖閣諸島を含む島嶼部防衛での日米の役割分担では、日本の役割と合意されていた(二〇〇五年九月「日米同盟:未来のための変革と再編」)。新ガイドラインもそれをなぞったにすぎない。
 「それで約束が違う!」というわけにはいかないのだ。あたかも尖閣諸島を米軍が防衛してくれる、との幻想を振りまいたのは日本政府とマスコミであり、米国はそんな約束など一度もしていないからだ。
 新ガイドラインは、存立危機事態で米国を支援して日本が武力行使することを合意している。重要影響事態と国際平和共同対処事態でもグローバルな米軍支援を約束している。九七年ガイドラインでは全く扱わなかった分野でも軍事的支援を合意している。「地域の及びグローバルな平和と安全のための協力」分野だ。ここでは、国連平和維持活動やそれ以外の分野での協力を合意している。国際平和支援法案や国連平和維持活動協力法改正法案で可能になった自衛隊の活動である。このほか宇宙、サイバー空間での軍事協力の合意も九七年ガイドラインにはなかった新しい日米軍事協力の分野だ。
 その結果、新ガイドラインでの米国の日本防衛義務は、これまでと変わらないか「おざなり」、その反面日本が米国に約束したことは、地理的制約のないグローバルな米国の戦争支援、宇宙サイバー空間での米国支援というものなのだ。現時点で収支決算をすれば、日本の方が大幅な赤字という結果だ。もっとはっきり言えば、「やらずぼったくり」と表現するにふさわしいものだと言える。
 ただし、一つだけプラスされたものがあることを指摘しておかないと公平ではないかもしれない。「日本における大規模災害への対処における協力」分野だ。これは二〇一一年三月の東日本大震災での米軍の協力、自衛隊と米軍の共同司令部の立ち上げという経験と教訓を踏まえたものだ。しかし、所詮軍隊の活動だから、この時の教訓を米軍は集団的自衛権の実践演習として評価しているのだ。人道支援であったことは否定しないが、これまで自衛隊と米軍は武力紛争では集団的自衛権行使ができなかったのに、東日本震災の救援活動で初めて集団的自衛権行使の経験を積んだのだ。アーミテージレポート3がこのことを幾分皮肉っぽく書いている。横田基地、市ヶ谷(防衛省本庁)、仙台(陸自東北方面総監部)へ調整所と称する日米の共同指揮所が設置されたことも、初めての経験として高く評価されている。
 安倍政権は、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と題する閣議決定をし、あたかも国民を守るための集団的自衛権ですよ、といわんばかりの安保法制改正を行おうとしているが、これは完全なペテンだと言わざるを得ない。新ガイドラインは米国向けの合意でもあるため、嘘はつけない。新ガイドラインの内容は、安倍政権の安全保障政策がペテンだということを明確に示している。新ガイドラインの合意と、この実効性を確保するための安保法制改正は、日本の平和と安全、私たちを守るというものではなく、日米安保条約を事実上改訂して、日本がグローバルに、あらゆる事態で切れ目なく米国を軍事支援するという仕組みを作るものだ。その結果私たちは、そのリスクを受けることになる。安保法制改正法案は五月一五日に閣議決定されて国会へ提出され。これを絶対に成立させてはならないと思いふ。
 この原稿は、NPJ通信に掲載されたものを転載しています。


滋賀弁護士会憲法記念の集いを開催しました

滋賀支部  石 川 賢 治

 本年四月二九日、滋賀弁護士会主催で「憲法記念の集い」が開催されました(以下、「本イベント」という。)。「憲法記念の集い」は、毎年憲法記念日前後に開催される滋賀弁護士会の伝統行事であり、今年で第二九回目を数えます。
 今年のテーマは「女性の労働と貧困〜なぜ女性の給料は低いのか『女だって普通に生きたい!』」でした。近時女性の貧困問題がマスコミでも注目され、その背景として非正規雇用の広がりが指摘される中でテーマとして選定されました。本年一〇月の日弁連人権擁護大会の第一分科会のテーマでもあり、本イベントはそのプレシンポと位置付けられました。
 集会の第一部では、滋賀県内でDVや虐待などにより貧困状態にある女性の支援活動をしているNPO法人リバティー・ウイメンズハウス・おりーぶ理事長の山本良子さんから実態の報告をしていただきました。山本さんが関与する女性の多くは貧困家庭に生まれ、幼少期から性虐待を受け、権利意識を涵養する機会に恵まれないままに貧困を甘受する人生を送っていることが明らかとされました。
 第二部では、ジャーナリストで和光大学教授の竹信三恵子さんに基調講演をお願いしました。竹信さんは、山本さんが明らかにしたような実態が、日本において社会問題として取り組まれるべき広がりを持った現象であるということを各種データを示しながら論証され、その背景として、ILO1号条約を批准せず同一労働同一賃金も採用しない労働政策が長時間労働の放置や家事労働を蔑視に繋がっていることを訴えられました。またアベノミクスの問題点として、「指導的地位の女性」の抱え込み政策とそうでない女性の低賃金化(公費を出さずに中流以上の「活躍女性」を「貧困女性」に支えさせる仕組みづくり)を進めている点を批判されました。そして、集票力のある圧力団体による運動の必要性を指摘されました。
 第三部のパネルディスカッションでは、山本良子さん、竹信三恵子さんのほか、滋賀弁護士会会員の河野純子弁護士を加えて、女性の貧困の原因について議論を深め、アベノミクスが有効な解決手段を提示することができているかという点についての検証を行うなどしました。パネルディスカッション冒頭では、川崎市の中学生殺害事件と一人親世帯に対する支援の貧弱さとの関係についてパネリストの皆さんの見方を披露していただき、山本さんが「夢中で自分の時間を切り売りする一人親に、支援の窓口をもっと周知しなければならない」と指摘されたこと、自身が子育て中の河野会員が「仕事と育児で手一杯で、目が行き届かない。『時間の貧困』は人ごとではない。」と述べたこと、アベノミクスの経済政策と貧困問題との関係について竹信さんが「雇用が増えたというが、とりあえず非正規で増やすなら生活保護や教育費支援なども厚くすべき」と問題点を指摘し、「非正規の人がどう安心できたかの検証もない。貧困の当事者からみて生きていけるのかという点から出発した対策が必要だ。」と力説したことが地元京都新聞の写真入り記事で紹介されました。
 本イベントの特筆点として、多くのシングルマザーの皆さんにご参加いただきたいと思い託児室を併設しました。滋賀弁護士会主催のイベントとしては初めての取り組みでしたが、ボランティアの保育士さんのご尽力と会員弁護士各位の献身により無事に運営することができました。対象可能年齢の設定、保護者に手交する利用上の注意事項の作成、子ども達にかける保険など多くのノウハウを蓄積することができたことは今後の財産となります。
 来場者の感想も概ね好評でしたが、その中で特に、「昨年も来ましたがいつも良い企画をされています。今後も毎年続けて欲しいです。」「毎年この時期の企画(憲法記念日)を楽しみにしています。」という声も散見され、本イベントが滋賀県民の中で待望される伝統行事として定着していることが窺われました。先輩会員の皆さんが苦労を重ねて続けてきたことが県民に受入れられていることをとても嬉しく感じました。
 最後に、本イベントは、玉木団員、元永団員(保育士さん連絡係)、近藤団員(竹信さん連絡係)、坂梨団員(保育係)、高橋団員(保育係)、河野団員(パネリスト)、樋口団員(託児利用規定作成)、岡村団員、石川(事務局長)と多くの団員が実行を担いました。


倉敷民商弾圧事
岡山地裁不当判決について

岡山支部  則 武   透

 さる四月一七日、倉敷民主商工会(以下「倉敷民商」という)の職員である小原さん、須増さんが税理士法違反の嫌疑で起訴された事件(以下「倉敷民商弾圧事件」という)について、岡山地裁第一刑事部合議係(松田道別裁判長、國井香里裁判官、豊岡慎也裁判官)は、小原さん、須増さん共に懲役一〇月・執行猶予三年とする不当な有罪判決(以下「本件判決」という)を言い渡した。弁護団は即日、広島高裁岡山支部に控訴した。
 本件判決は、弁護団の、(1)小原さんらの行為は民商会員の作成した会計資料などをもとに機械的に税務ソフトに入出力した作業に過ぎずそもそも「税務書類の作成」にはあたらない、(2)税理士法五二条の構成要件(税理士による税務書類作成の独占)は限定解釈されるべきである、(3)本件では可罰的違法性が認められない、(4)本件起訴は民商弾圧を目的とする公訴権の濫用であるなどの法的主張をことごとく退けた不当な判決であった。本件判決は、税理士法を形式的に解釈したに止まり、税務当局が税理士制度や臨時税理士制度を徴税の下請けとして位置付け利用してきた実体から目をそらしている。そのため、青色申告会のように体制に従順な団体は目こぼし、民商のように批判的意見を述べる団体には弾圧をもって臨むという税務当局の本質も判断の前提からこぼれ落ちている。税理士法生成の歴史から、申告納税制度のもと納税者の権利を尊重する立場と課税権力の優越性に固執する立場との相克は明らかであり、納税者の基本権を尊重する日本国憲法の立場からすれば、前者の立場にこそ立脚すべきであった。ところが、本件判決はそうした基本的視点を欠いている点に最大の欠陥がある。
 しかし、その一方、本件判決は量刑理由には、「関係各証拠によっても被告人両名が私利を図ったものとは認められず、被告人両名は中小商工業者の営業や生活の保護を目的とし、その支援を行う中で本件犯行に及んでしまった」、「関係各証拠によっても、被告人両名が作成した税務書類の内容が適正を欠くものであったとは認められず、適正な課税が実質的に損なわれたとまではいえない」などと量刑上有利な事情が述べられており、検察官求刑懲役一年六月であった小原さんを懲役一〇月にした上で執行猶予に付し、さらには未決勾留日数一〇〇日を算入した。検察官求刑懲役一年であった須増さんも同様の量刑となった。通常、刑事裁判では執行猶予を付す場合、求刑通りとし、未決勾留日数も算入しないことが多いことに鑑みれば、刑期を下げた上で未決勾留日数も算入した本件判決は、有罪とした点は極めて不当であるが、量刑としては相当程度情状を汲みとったものと評価できる。さらに、中小商工業者の営業や生活の保護という民商活動の社会的役割を肯定的に評価し、本件では実質的な法益侵害はないとした箇所は、控訴審における無罪判決獲得の闘いの重要な足がかりになるものである。
 納税者の基本権を守る民商運動に対する不当な弾圧を許さぬためにも、引き続き、広島高裁岡山支部での小原さん及び須増さんの闘い、あわせて岡山地裁での公判が続いている禰屋さんの闘いに対し、重ねてのご支援をお願いする次第である。


経営危機を打開するために

福岡支部  永 尾 廣 久

深刻な経営危機が続いている
 過払バブルがはじけたあと、安定的な収入、大きな事件報酬が大幅に減ったため、九州各地の団事務所は軒並み深刻な経営状態にあります。もちろん、私の事務所も例外ではありません。
 貸金業法による規制効果があがっているため、支払えない借金をかかえても債務者がかつてのような厳しい取立をほとんど受けなくなったことから、債務整理や自己破産申立事件を依頼されることが激減しました。これは、私たちの長年の運動の成果ですから、社会的には喜ばしいことですが、法律事務所の経営にとっては打撃になっています。
 それらの事件に代わるものとして、成年後見申立や親族間紛争、男女関係トラブルなどが増えていますが、それらは法テラス利用が多く、債務整理などの事件による売上減をカバーするほどのものとはなっていません。
 私の事務所でもB型肝炎事件に取り組んでいますが、事案の発掘は容易ではありません。
経費の削減
 家賃の大幅減額交渉に成功した事務所もありますが、簡単なことではありません。
 法律事務所の経費を占める最大のものは人件費です。そして、人件費は弁護士の給与と事務員の賃金です。事務所によっては先輩弁護士の給与を大幅にダウンさせ、若手弁護士の給与は維持し、あるいは引き上げています。完全歩合制にするところも出ていますが、そうすると社会的に意義ある活動への参加の足が止まらないか、心配になります。私の事務所でも、私たちパートナー弁護士の給与を大幅ダウンさせました。
 事務員については、希望退職を募って、人員削減しているところがあります。私の事務所も事務員から出された辞職願を慰留することなく受理して、人員削減する結果となりました。 
 そして、残業しないように業務命令を出し、残業代の削減を図っています。過払いバブルのあった当時のような高(好)条件は保障できなくなったことから、賃金ダウン(二割カットなど)している事務所も少なくありません。法律事務所、しかも団の事務所において、解雇などの労働争議は起きてほしくないものです。
 ちなみに、私の事務所は、前にはパートや嘱託(定年後)の事務員に働いてもらっていましたが、現在は全員が正規社員です。
 これまで月二回の事務所会議は夕方からにして、事務所負担で夕食を注文していましたが、これを経費削減のために昼休みに行うことにしました。すると、これまた時間外労働ではないかとの指摘があり、中断しています。これまでは、政治・経済の状況について、新聞記事の切り抜きも活用しながら情勢討議をし、認識を共通のものとすべくしっかり議論するようにしてきましたが、その土台が揺らいでいます。
 むやみな経費削減は事務所員全体の士気(モラール)の低下につながりかねませんので、いろいろ難しいところです。
事件の開拓
 経営危機にあることを全員がきちんと認識したうえで、売上を伸ばす工夫が求められます。具体的には、相談件数を増やすこと、そして受任する事件を発掘しなければなりません。
 事件にできるものはする。無理な受任はしないという選別が求められます。そして、事件を受任したら、なるべく早く着手し、回転を早くすることです。そのためにも、時間をうまく使う必要があります。
 さらに、事件を悩んだあげく抱え込まないようにしなければいけません。懲戒請求件数が増えていますが、その一つのパターンが事件処理の遅延にあります。
 弁護士費用が乏しい人には、法テラスを積極的に活用します。これは前からやっています。LAC利用も増えました。
 弁護士ドットコムの活用も考え、すすめています。それなりの反応があります。
 土・日そして夜間相談を受けるようにしている事務所が増えていますが、必ずしも事前に予想したほどの利用はないようです。弁護士の家庭生活への配慮や安全面などの心配もあります。
 初回相談を無料とするところが増えていますが、事件の種類によりけりにした方が無難なようにも思います。市役所などの無料相談を利用してもらった方が、お互いロス時間をなくせることが多いからです。
 以上、本稿はいろいろと悩んでいるという状況の中間報告です。積極的な打開策に決め手になるものはなく、いろんなことを同時併行的にやるしかないようです。


盗聴法拡大・司法取引導入に反対する法律家デモにぜひ参加を!

 政府は、盗聴法の拡大と司法取引制度の導入などを内容とする刑事訴訟法等の「改正」案を国会に提出しています。
 盗聴法の拡大は、捜査機関が盗聴を通じて国民の動向を監視する「監視社会」をもたらしかねません。司法取引は、捜査機関が被疑者を利益誘導して虚偽の自白や証言を獲得する手段として利用し、無実の第三者の「引っ張り込み」の危険や、共犯者への責任のなすりつけといった事態を生み出し、新たな冤罪の温床となります。
 このように危険な「改正」案成立をなんとしても阻止するために、自由法曹団など法律家団体が中心となり、「改正」案への反対デモを行います。ぜひご参加下さい!

日時:五月二七日(水)一二:〇〇〜
場所:打ち合わせ室 弁護士会館五〇三号室
※デモは、日比谷公園霞門から行いますので霞門に集合下さい。
※デモのルートは、日比谷公園霞門から国会へ向かうルートです。
※法律家でなくとも参加できます。


労働者派遣法の改悪に反対する緊急院内集会五・二五参加の呼びかけ

労働法制改悪阻止対策本部

 安倍内閣提出の労働者派遣法「改正」案は、五月一二日の衆院本会議で趣旨説明と質疑が行われ、審議入りしました。安倍内閣は、五月二七日に衆院厚生労働委員会で、五月二九日に衆院本会議で、派遣法「改正」案を強行採決しようとしています。
 自由法曹団は、派遣法「改正」案の強行採決を阻止するため、急遽、「労働者派遣法の改悪に反対する緊急院内集会五・二五〜正社員への道を奪うな!〜」を開催することにしました。院内集会では、厚生労働省が配布している「労働者派遣法が改正されずに平成二七年一〇月一日を迎えた場合の問題(いわゆる『一〇・一問題』)」ペーパーの不当性を明らかにします。
 全労連等の労働組合や諸団体にも広く参加を呼びかけています。団員、事務局の皆さんが全国から多数参加されることを呼びかけます。

労働者派遣法の改悪に反対する緊急院内集会五・二五
〜正社員への道を奪うな!〜

○日時:二〇一五年五月二五日(月)午後一時〜三時
     (院内集会終了後、国会議員要請を行います。)
   ○会場:衆議院第一議員会館第一会議室(地下一階)
○内容:(1)国会情勢報告
      (2)労働者派遣法「改正」案の「生涯派遣」の仕組み等
      (3)厚生労働省の「労働者派遣法が改正されずに平成二七年一〇月一日を迎えた場合の問題(いわゆる『一 〇・一問題』)」ペーパーの内容とその不当性
      (4)全国の活動の経験交流と今後の活動についての意見交換
○主催:自由法曹団
      (※ 議員要請終了後、懇親会を予定しています。)