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松島 暁 *改憲・戦争法制阻止特集*
日米同盟の再々定義と新ガイドライン(下)
尾普@彰俊 武力行使の一体化論の破たんと戦争立法
岩佐 英夫 「戦前七〇年への歴史認識」を問う!
山崎 徹 重要影響事態と南シナ海をめぐる状況
渡部 照子 戦争法がもたらす悲しみと痛み
内藤 功 当面の「戦争法案」論議の視点
島田 修一 “戦争する国”ゴメンです! 九条の会東京のつどい二〇一五
大江 京子 改憲問題対策法律家六団体連絡会の取り組み
長尾 詩子 大田区での戦争法案成立阻止への一連の活動の紹介
―新しい「連帯」に出会える情勢であることに確信をもって
諸富 健 弁護士会の取組みにおいて存在感を発揮しましょう!
岡本 真実 街頭宣伝でシールアンケート
森 卓爾 刑訴法一部改正について横浜弁護士会が会長声明を発表
弓仲 忠昭 盗聴法拡大・司法取引導入等の刑事司法「改革」は誤魔化し
近藤 里沙 *広島・安芸五月集会特集*
プレ企画 将来問題に参加して
柳本 哲亨 広島・安芸五月集会 新人弁護士学習会に参加して
水口 瑛葉 労働分科会に参加して
川岸 卓哉 労働分科会(二日目)の報告
新屋 朝貴 五月集会教科書分科会 感想文
今年の夏は熱いぞ! みんなで教科書展示会へ行こう♪
塚本 和也 五月集会「原発」分科会に参加して
竹本 香織 ヘイトスピーチ分科会に参加して
畠山 幸恵 たくさんのご参加ありがとうございました〜五月集会 女性部ゆるカフェ〜
金 竜介 ヘイトスピーチは無視すればよいのか
〜伊賀興一さんの論稿と分科会での発言への批判
伊賀 興一 差別概念は、合理性のない実体的不利益を要素とするとの一致が可能か
神原 元 ヘイトスピーチ問題について自由法曹団で議論すべきこと
柿沼 真利 東京都立学校「日の君」強制事件・第二次再雇用拒否訴訟
第一審「勝訴!!」判決報告
伊藤 幹郎 国や自治体を相手とする不当労働行為申立について
塚本 和也 全国公害被害者総行動での対国・東電交渉に参加して
結城 祐 ノーモア・ベース・フェス〜沖縄の声を日本中の声に〜 ぜひご参加を!
横山 雅 六月二四日午後一八時三〇分からの戦争法案反対国会前集会にご参加を!!



*改憲・戦争法制阻止特集*
日米同盟の再々定義と新ガイドライン(下)

東京支部  松 島   暁

四 新ガイドライン―「片務」性のを解消と「双務」性の向上
 新ガイドラインは、対象領域を世界に課題するとともに、日米同盟の間の片務性を解消し双務性を高めようとしている。
 旧ガイドライン時代、朝鮮有事(周辺事態)等で想定されていたのは、アメリカ軍が主力部隊として対応、後方地域から兵站支援するというものであった。今回はこれを「相互」に兵站活動・後方支援し合う関係に再編・更新するとしている。地域から世界へ適用範囲を拡大したのもならず、対等なパートナーとして責任を分かち合う関係への移行である。このことを共同発表は、「平時から緊急事態までのあらゆる段階における抑止力及び対処力を強化することで、より力強い同盟とより大きな責任の共有のための戦略的な構想を明らかにする」と表現している。文中には、「相互」という単語が三六回、「共同」が二六回、英文において双務性を意味する「bilateral」という単語が三七回、お互いを意味する「mutual」が一九回、相互の後方支援(兵站活動)=「mutual logistic support」が一七回も登場している。
 とりわけ、「V 地域及びグローバルな平和と安全のための協力」においても、後方支援(兵站活動)を「相互」に行うとしている。共同で軍事行動を行うとされる武力攻撃事態や存立危機事態ばかりでなく、「重要影響事態」あるいは「国際平和共同対処事態」においても相互の後方支援(mutual logistic support)が予定されている。お互いに支援し支援される関係が世界規模で想定されている。
 加えて、相互協力体制が具体的に推進されることとなった。新ガイドラインの各論の冒頭、「強化された同盟内の調整」で、「日米両政府は、新たな、平時から利用可能な同盟調整メカニズムを設置」するとしている。緊急事態に向けた調整メカニズムではなく、新たに、平時からの常設機関としての調整メカニズムの設置が合意されたものである。これは、東日本大震災の際に設置された日米共同調整所の教訓をふまえて合意されたものだといわれる。
 これにより、米軍と自衛隊の統合司令部化に一歩近づくこととなり、日米両軍の「一体化」が平素から進むこととなる。
五 対中国シフトを明確に打ち出したガイドライン
 共同声明は、「力や強制により一方的に現状変更を試みることにより主権及び領土一体性の尊重を損なう国家の行動は、国際的な秩序に対する挑戦となっている」とし、これを共通認識としている。具体的な国名こそ出してはいないものの、中国・ロシアを意識したものであることは明らかである。そして、この「力や強制により一方的に現状変更を試みることにより主権及び領土一体性の尊重を損なう国家」に対し、「海洋監視情報の共有を更に構築し及び強化しつつ、適切な場合に、ISR(偵察活動)及び訓練・演習を通じた海洋における日米両国のプレゼンスの維持及び強化等の様々な取組において協力する」とした。
 南シナ海への日米共同の偵察・哨戒活動、さらにはフィリピンの基地への自衛隊の展開等、自衛隊の南シナ海への進出が想定されている。これに対し、中国は、新ガイドラインによって「中国は仮想敵国とみなされた」(南方日報)と認識し、岩礁埋め立てをめぐって「南シナ海での米中戦争は避けられない」(環球時報)とまで言い放っている。南シナ海は今きわめて危険な水域と化している。この南シナ海における米中覇権争い(パワーゲーム)に日本も参加しようとしているのだ。
六 憲法の規制無視ないし改憲の先取り
 このガイドラインは、軍事的合理性のみによって貫かれた内容で、日本国憲法が国や自衛隊に科した制約をまったく考慮してはいない。憲法の改定を予定した取決めだともいえる。
 アジア太平洋戦争における反省と教訓から生れた日本国憲法の平和主義は、武力によって、軍事力によって紛争を解決することはしない、平和は平和的手段によって実現するという哲学によって支えられている。しかも、その教訓は軍事組織が外国に出かけていき軍事力を行使することはしないという原則によっても貫かれてきた。この七〇年間守り続けてきた平和の営みを根底から破壊し、この国を覇権争いへの参加=戦争する国にあらためようというものである。
 アジア太平洋地域と世界の「平和と安全」を旗印に、今回の日米同盟の再々定義を正当化しようとしている。しかし、蘭印(オランダ領東インド)への帝国陸軍の侵攻、いわゆる南方作戦の目的は、帝国臣民の生存に不可欠な枯渇した石油資源の獲得であったし、帝国海軍の真珠湾攻撃も、「危機に瀕した帝国の存立のため」「我が帝国の自存と自衛」(開戦の詔勅)のためになされたことを想起すべきである。


武力行使の一体化論の破たんと戦争立法

京都支部  尾 普@彰 俊

一 はじめに
 これまで、政府は自衛隊が行ってきた後方支援活動について「武力行使の一体化論」を持ち出し、憲法違反ではないと説明してきた。政府は、戦争立法案についても、従前通り「武力行使の一体化論」で説明を使用としている。しかし、戦争立法案を従前通りの「武力行使の一体化論」で説明することなど不可能であり、戦争立法案は憲法九条一項に違反する。
 本稿では、「武力行使の一体化論」の破綻と戦争立法案の憲法九条一項違反について述べる。
二 武力行使の一体化論について(これまでの政府解釈)
 まず、憲法九条一項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定め、武力に威嚇及び武力の行使を禁止している。
 この憲法九条一項が禁止する「武力行使」には、「我が国に対する武力行使がない、武力攻撃がない場合におきまして、仮にみずからは直接武力の行使に当たる行動をしていないとしても、・・他のものが行う武力の行使への関与の密接性などから、我が国も武力の行使をしたという・・・法的評価を受けるような形態の行為」(大森内閣法制局長官答弁 平成九年一一月二七日)も含むとされてきた(「武力行使の一体化論」)。
 つまり、これまでの憲法九条一項に関する政府解釈では、直接武力の行使に当たる行動をしていなくとも、支援活動等が武力行使と一体化しているという法的評価を受ける場合には、「武力の行使」(憲法九条一項)に当たり憲法違反となるのである。
 そして、武力行使の一体化という法的評価を受けるかどうかの判断基準は、(1)戦闘行為が行われているまたは行われようとしている地点と当該行動がなされる場所との地理的関係(2)当該行動等の具体的内容(3)他国の武力の行使の任に当たる者との関係の密接性(4)協力しようとする相手の活動の現況などの諸般の事情を総合的に勘案して判断されると説明されてきた。
三 武力行使論自体の破たん
 しかし、そもそも、武力行使の一体化論などという議論は国際的にはあり得ず、これまで、アフガニスタン紛争及びイラク戦争において自衛隊が行ってきた後方支援活動(兵站活動)は「武力行使」に当たり憲法九条一項に違反する。
 仮に政府がこれまで述べてきた「武力行使の一体化論」を前提としても、本国会で問題となっている戦争立法は武力行使と一体化する内容となっており憲法九条一項に違反する。
四 PKO法改定案と武力行使の一体化について
(1) PKO参加五原則

 これまで、武力行使との一体化は、PKO法、イラク特措法、テロ特措法、周辺事態法の関係で問題となってきた。まず、PKO法の改定について問題点を述べる。
 PKO参加五原則は次のように定められている。
(1)紛争当事者間で停戦合意が成立していること
(2)当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること
(3)中立的立場を厳守すること
(4)上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること
(5)武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること
 政府答弁では、この参加五原則について「我が国が国連平和維持隊に参加するに当たって、憲法で禁じられた武力の行使をするという評価を受けることがないことを担保する、そういう意味合いで策定されました本法の重要な骨格であります」と説明してきた(衆議院本会議 橋本内閣総理大臣答弁 平成一三年一二月四日)。しかし、PKO法改定案は、重要な骨格である五原則をなし崩しにし、憲法で禁じられた武力行使にあたる行為を行える内容となっている。
(2) 五原則違反の改定
a 駆けつけ警護

 PKO法改定案において新設された同法案第三条五項ラは「活動関係者の生命又は身体に対する不測の侵害又は危難が生じ、又は生ずるおそれがある場合に、緊急要請に対応して行う当該活動関係者の生命及び身体の保護」と定め「駆けつけ警護」を新たな業務としている。さらに同法案二六条二項は、駆けつけ警護に従事する自衛官に「活動関係者」の生命又は身体を守るための武器使用を認める。
b 任務遂行のための武器使用
 また、PKO法改定案二六条一項は、保安のための監視、駐留、巡回、検問及び警護に従事する自衛官がその業務を行うに際し、他人の生命身体を防護するため及び、業務妨害を排除するための武器使用を認める(任務遂行のための武器使用)。さらに同改定案は、武器使用できる任務の範囲を政令で定めることができるとしており(同法案三条五項ナ参照)武器使用できる任務は歯止め無く広がる危険性がある。
c 五原則違反
 このように、PKO法改定案は、これまで禁止されてきた「駆けつけ警護」及び「任務遂行のための武器使用」を可能とする内容となっている。しかし、「駆けつけ警護」及び「任務遂行のための武器使用」は、他人の生命身体を守るためや業務妨害を排除するための武器を認めるものであり、「要員の生命等の防護のため」だけであるというPKO5原則(5)に明文上完全に違反する。この点について、政府は、PKO5原則(5)を修正すると説明したり、PKO5原則の変更は無いと説明したり一貫しない。
(3) PKO法改定案と武力行使の一体化論
 仮に、PKO原則(5)を一切変更せず、駆けつけ警護及び任務遂行のための武器使用を認めれば、原則(5)に明文上明らかに反することになる。一方、PKO5原則(5)を修正すれば、PKO5原則が武力行使をするとの評価をうけないための重要な骨格であるという政府答弁及び「武器の使用、これは我が国要員等の生命、身体の防衛のために必要な最小限のものに限られる」(工藤内閣法制局長官答弁 平成三年九月二五日)との答弁とも矛盾することになり、絶対に許されない。
五 「戦闘地域」と武力行使の一体化論
(1) 後方地域と非戦闘地域

 これまで、周辺事態法・イラク特措法などにおいて支援活動は、「後方地域」(「我が国領域並びに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。以下同じ。)及びその上空の範囲をいう。」(周辺事態法三条三号)。)及び「非戦闘地域」(「我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」(イラク特措法二条三項))に限られてきた。
 これらの地域に共通するポイントは、(1)現に戦闘が行われておらず(2)実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められることの二点である。
(2) 重要影響事態安全確保法・国際平和支援法における変更点
 重要影響事態安全確保法案(以下「重要事態法案」)第二条三項及び国際平和支援法(以下「恒久法」)二条三項は、協力支援活動及び捜索救助活動について「現に戦闘行為が行われている現場では実施しないものとする」と定めている。
 これは、後方地域及び非戦闘地域から上記ポイント(2)「実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められること」を削除した内容である。
(3) これまでの政府答弁との矛盾
 これまで政府は、後方地域及び非戦闘地域について、「我が国が憲法の禁ずる武力の行使をしたとの評価を受けないよう、他国による武力行使との一体化の問題を生じないことを制度的に担保する仕組み」(石破防衛庁長官答弁 平成一五年七月七日)等と説明してきた。また、テロ特措法案における協力支援活動等について「それ自体としては武力の行使に当たらない内容であり、また、その実地地域は戦闘行為が行われない地域に限定されていること等から、諸外国の軍隊による武力行使との一体化の問題を生じさせることはなく、憲法上の問題はない」(小泉内閣総理大臣答弁 平成一三年一〇月一九日)と説明してきた。このように、政府は、後方地域及び非戦闘地域を武力行使と一体化しないための歯止めとしており、上記ポイント(2)は憲法九条一項との関係で政府説明の重要な柱であった。
 しかし、重要事態法案及び恒久法は、この歯止めであるポイント(2)を取り払い憲法九条一項が禁止する「武力の行使」を行おうとする内容である。
(4) 武力行使一体化論四要件
a 四要件(1)について

 ポイント(2)を取り払うと「現に戦闘行為が行われていない現場」であれば活動が可能となる。このため武力行使の一体化論四要件(1)が定める「戦闘行為が行われようとしている地点」と「当該行動がなされる場所」(支援活動場所)との地理的関係は密接どころではなくイコールとなる。
b 四要件(2)について
 重要事態法案及び恒久法案は、支援活動として、弾薬の提供、戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油及び整備を行うことができるとする(重要影響事態法別表第一備考欄及び恒久法案別表第一備考欄)。
c 四要件からすれば武力行使と一体化する
 つまり、重要事態法案及び恒久法案は、「戦闘行為が行われようとしている現場」において、「戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機」(要するにこれから空爆を行おうとする航空機)に対する給油支援を行うことや弾薬を提供することを認める法律であり、このような行為は、武力行使の一体化四要件からすれば、当然に武力行使と密接に関わり一体化するとの法的評価を受ける。
六 まとめ
 これまで述べてきたとおり、武力行使の一体化論では戦争立法と憲法九条一項との関係を説明することができず、武力行使の一体化論は破綻している。二〇一四年七月一日の閣議決定後、同月一四日横畠内閣法制局長官答弁では、閣議決定は武力行使の一体化論を変更するものではないと説明しているが、戦争立法は、武力行使の一体化論を変更するものであり、憲法九条一項が禁止する武力行使を行う法律である。このような憲法九条一項違反の法律は、今国会において絶対に廃案に追い込まなければならない。


「戦前七〇年への歴史認識」を問う!

京都支部  岩 佐 英 夫

一 安倍首相の「歴史認識」のレベル
(1) 安倍首相は、四月二九日の米議会上下両院合同会議での演説で、第二次世界大戦について、先ず真珠湾攻撃に触れ、「深い悔悟」を吐露し、「日本国民を代表し先の戦争に斃れた米国の人々の魂に深い一礼」と述べた。
 しかしながら、アジア諸国に対しては「先の大戦に対する痛切な反省」を口にし、「自らの行いがアジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは歴代総理と全く変わるものではありません」と述べただけである。「反省」だけでは、「負けたのが残念」の意味もあり得る。一九九五年の村山談話が明確に述べた「植民地支配と侵略」「心からのお詫び」は完全に欠落した。
 旧日本軍「慰安婦」問題については、四月二八日の日米首脳会談後の共同記者会見で、旧日本軍による強制性を認めた一九九三年河野談話について「継承し、見直す考えはない」と述べたものの、「人身売買」という表現を使った。「人身売買」という表現は二〇〇七年米下院決議中の「二〇世紀最大の人身売買」を念頭においたと思われるが、同決議は日本に対して「慰安婦」を性奴隷としたことを謝罪し、明確なやりかたで歴史の責任を受け入れることを迫っている。しかるに、「人身売買」の部分のみを引用するのは、「慰安婦」問題を民間業者による売春をすり替え政府の責任免罪する意図といわざるを得ない。
 河野談話は一年九ヶ月にわたり収集した関係省庁の資料等や当事者の証言をふまえ、慰安所の設置・管理・慰安婦移送には軍が関与したこと、慰安所での生活は強制的な状況でのいたましいものであったことを明確に認定し、「心からのお詫びと反省」を表明している。
 安倍首相が、もし「村山談話」や「河野談話」を真に「継承する」というのであれば、両談話の「植民地支配と侵略」「心からのお詫びと反省」を明確に再確認するのが当然である。
(2) 五月二〇日の衆院党首討論で安倍首相は、戦後日本の出発点であるポツダム宣言をふまえ、過去の日本の戦争が「間違った戦争」であったことを認めるか否かを問われ、最後まで明確な答弁をしなかった。さらにポツダム宣言について「つまびらかに読んでおりません」という驚くべき答弁をした。「戦後レジームの解体」を主張する安倍首相が、その原点であるポツダム宣言を読んでいないとすれば、こんなレベルの低い首相を選んだ情けなさに悄然とする。また、それを知った世界は唖然とするであろう。逆に、もし安倍首相がポツダム宣言の内容を知った上で、本質をついた質問へのストレートな答弁を回避するためにこうした答弁をしたのだとすれば、平然とウソをつく悪質さに背筋が寒くなる。
二 「戦後七〇年を問う」は「戦前七〇年を問う」ことである
(1) 今年、第二次世界大戦終結から七〇年という大きな節目の年を迎える。私が、いま強調したいのは、「歴史認識」問題は、「一五年戦争」(一九三一〜一九四五年)・「慰安婦問題」・「南京大虐殺」等だけではないという点である。
 「戦後七〇年」という場合、「戦前七〇年はどうだったのか?」という視点である。「一五年戦争」という表現では、明治維新初期以来の一貫した朝鮮半島の植民地化・大陸侵略という視点がバッサリと欠落している。
(2) 日本は明治維新からわずか七年後の一八七五年、武力で朝鮮に開国を迫り(江華島事件)、その後、日清・日露戦争を経て大韓帝国の外交・内政の権限を事実上奪った状態で一九一〇年に韓国併合条約を強要し植民地支配を確立した。朝鮮半島を足場に中国東北部を侵略して一九三一年に「満州国」傀儡政権を樹立し、それ以降は中国全土に侵略を広げ、さらに武力支配を東南アジアにまで拡大し、遂には米英等に対しても無謀な太平洋戦争を開始した。第二次世界大戦では世界全体で六〇〇〇万人が犠牲となったが、そのうち日本に命を奪われたアジア・太平洋地域の人々は二〇〇〇万人にものぼるのである。何気なく使用する、この膨大なアジアの人々に与えた深刻な被害の意味を、日本の普通の市民がどれだけ認識しているだろうか?日本でも三一〇万人の命が奪われ、各地の大空襲・悲惨な沖縄の地上戦、広島・長崎の原爆投下をうけた。
(3) こうした痛切な経験をふまえて憲法九条は生まれた。憲法九条は、“絶対に戦争を繰り返してはならない、アジアの人々に決して銃口を向けない”という固い平和の誓いである。戦争を放棄し軍隊も交戦権も持たないと誓った憲法九条のもとで、日本は戦争で一人も他国の人々を殺すことなく、自衛隊員も殺されることなく戦後七〇年を迎えることができたのである。
(4) 「日本を取り戻す」が声高に叫ばれるなか、NHK大河ドラマに見られるように、幕末の「志士」吉田松陰がもてはやされる。
 しかしながら、吉田松陰の「幽囚録」には「いま急いで軍備を固め、軍艦や大砲をほぼ備えたならば、蝦夷の地を開墾して諸大名を封じ、隙に乗じてはカムチャッカ、オホーツクを奪い取り、琉球をも諭して内地の諸侯同様に参勤させ、会同させなければならない。また、朝鮮を促して昔同様貢納させ、北は満州の地を割き取り、南は台湾・ルソンの諸島を我が手に収め、漸次進取の勢いを示すべきである。」と記されているのである。こうした松陰の“薫陶”を受けた志士たちによって明治維新がなされたのである。「幽囚録」は、明治以降の戦前七〇年の侵略の歴史を彷彿とさせる。明治の“元勲”伊藤博文(初代朝鮮総督府統監)と、韓国併合の前年(一九〇九年)伊藤博文をハルピンで射殺した安重根(アン・ジュングン)に対する評価は日韓で正反対である。安重根は日本では「テロリスト」であり、朝鮮半島では英雄である。
(5) こうした厳しい現実を踏まえたうえで、どうアジアの人々と向き合えばよいのだろうか?
 ドイツが戦争責任に真摯に向き合い、仏との数百年にわたる領土・資源紛争をベネルックス三国の支援も受けながらECを発足しEUへと発展してきた教訓、またヴェトナム戦争当時は敵対国同士であったASEANが紛争を平和的に解決するための粘り強い努力を積み重ねてきたことに、私たちは改めて深く学ぶ必要があると思う。


重要影響事態と南シナ海をめぐる状況

埼玉支部  山 崎   徹

一 はじめに
 国会に提出された安全保障関連法案では、現行の周辺事態法について、「周辺事態」という事実上の地理的概念を外し、「日本の平和に影響を及ぼす事態」(重要影響事態)が発生すれば、地理的制限なく、他国軍への後方支援を可能にしている。支援対象は、米軍に限定されていない。支援内容は、従来の補給・輸送、医療、通信などに加えて、弾薬の提供、発進準備中の戦闘機への給油・整備、武器輸送ができるようになり、活動地域は、現に戦闘が行われていなければ、戦闘が予想される地域であってもよいとされる。
 これにより南シナ海での中国と東南アジア諸国と衝突が起きれば、「日本の平和と安全に影響を及ぼす事態」である認定して、日本が他国軍を支援することも起こりうる。
二 南シナ海を巡る状況
 南シナ海では、中国と東南アジア諸国との間の島嶼をめぐる領有権紛争が未解決である。具体的には、東沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、南沙諸島の四つの諸島を巡る領有権争いである。
 これらの島嶼は、一九三八年から四五年にかけては、日本が東南アジアへの侵略の過程で実効支配して日本の植民地である台湾の管轄に組み入れていた。敗戦後、日本はこれらの島嶼から撤退し、一九五一年のサンフランシスコ平和条約で領有権を放棄した。しかし、同条約では新たな帰属先は明記されず、今日まで、中国、台湾、ベトナム、フィリピンなど各国がそれぞれその一部を実効支配して、領有権を主張し合う状況が続いている。
 各国の主張をみると、中国と台湾は、東沙、西沙、中沙、南沙の四諸島全部の領有権を主張している。ベトナムは、西沙諸島と南沙諸島の領有権を主張している。フィリピンは、中沙諸島と南沙諸島の一部の領有権を主張している。そして、マレーシアとブルネイが、南沙諸島の一部の領有権を主張している。 
 また、実効支配の状況は、東沙諸島は台湾、西沙諸島は中国であるが、中沙諸島は実効支配が不明確である。南沙諸島は、ベトナム、フィリピン、マレーシア、台湾、中国がそれぞれ複数の島嶼を実効支配している。 
 この間、一九七四年には、中国とベトナムは西沙諸島を巡って軍事衝突し(西沙海戦)、中国が西沙諸島の実効支配を確保した。また、中国とベトナムは、一九八八年にも南沙諸島を巡って軍事衝突を起こしている。
 一九九二年には、中国が領海法を制定し、南シナ海の四諸島を自国領と定めた。
 一九九五年には、中国がフィリピンが領有権を主張している南沙諸島内のミスチーフ環礁を占領して、軍事施設らしきものを建設するにいたった。
 そして、中国は、二〇〇九年頃から、南シナ海の島嶼や海域を中国の「核心的利益」として扱うようになり、中国の海洋進出が目に余るものとなってきた。二〇一二年には、中沙諸島のスカボロー礁でフィリピン軍と中国監視船が睨み合いとなった。同年、中国は、南シナ海の実効支配強化策として、西沙、南沙、中沙の三諸島を管轄する「三沙市」を発足した。
三 中国の海洋進出に対する東南アジア諸国連合(ASEAN)の対応
 中国の海洋進出に対し、ASEANは、東南アジア友好協力条約、ASEAN地域フォーラム、東アジアサミットなど重層的な安全保障の枠組みで対応している。
 二〇〇二年には、ASEANと中国が、領有権問題を棚上げにして、現状を変更しないことを目的とした「南シナ海行動宣言」(DOC)に調印した。同宣言では、「紛争を複雑化、エスカレートさせ、平和と安定に影響する行動を自制する」ことが約束されている。
 ASEANは、現在、この「行動宣言」を南シナ海海域での行動に法的拘束力を設ける「行動規範」(COC)に高めることを目指し、中国との協議を強めている。
 ASEANの安保外交戦略の基本は、(1)対話と交渉という「安全装置」(対立を大規模軍事衝突にさせない)、(2)非軍事ブロック型(軍事ブロック(同盟)で対応しない、どの大国とも付き合う)、(3)安定した恒常的な枠組みをめざす(南シナ海行動宣言の「行動規範」化)にあると言われている。
 直近では、二〇一四年五月に、中国とベトナムが、西砂諸島近海での中国の石油掘削強行を契機として一触即発の事態にまで至った。しかし、両国高官の外交交渉の結果、中国側が石油掘削作業を前倒しして終了させたことで収束に向かった。
 同年八月には、習近平国家主席とベトナム共産党書記長特使が両国関係の回復を確認し、「双方が受け入れ可能な」解決をめざすとともに、「共同開発を含む」過渡的な措置の研究、協議に合意した。一一月には、中国の習近平国家主席とベトナムのチュオン・タン・サン国家主席と北京で会談し、両首脳は、南シナ海をめぐる中越の対立について、対話を通じて適切に解決を図っていく考えで一致した。
 しかし、現在、中国は、南沙諸島の七つの岩礁で埋立と施設建設を進めており、軍事利用への懸念が高まっている。
 米国のハリス米太平洋艦隊司令官は、「浚渫船とブルドーザーで、砂による万里の長城を数ヶ月にわたり築いている」「珊瑚礁の上に砂で人工の土地を造成し、コンクリートで固めている」「「その意図について深刻な疑念を引き起こすのは当然だ」と中国を牽制している。
 これに対し、ASEAN首脳会議の議長声明(四月二八日)は、「数人の首脳が表明した深刻な懸念を共有する」と明記した上で、「関係国が南シナ海行動宣言(DOC)を全面的かつ実効的に履行する必要性」を強調した。また、「すべての当事国が行動を自制し、武力行使や威嚇に訴えないことが必要だ」と確認している。
四 平和構築に逆行する南シナ海への軍事介入
 昨今、米第七艦隊のトーマス司令官が、「率直に言って、南シナ海では中国の漁船、海警の船(と海軍の艦船)が近隣諸国を圧倒している」「将来的に自衛隊が南シナ海で活動することは理にかなっている」と述べるなど、南シナ海での自衛隊の活動を求める米国側からの発言が相次いでいる。
 そして、新たな日米防衛協力の指針(ガイドライン)は、南シナ海での日米協力を想定している。平時における日米共同のISR(情報収集、警戒監視及び偵察)活動に加え、南シナ海で中国と米国・フィリピンなどが軍事衝突した場合には、日本の平和と安全に重要な影響がある「重要影響事態」として自衛隊が後方支援を行うことが予定されている。さらに、集団的自衛権の行使が限定的に容認される「存立危機事態」が認定されれば、自衛隊が南シナ海で機雷掃海や臨検、船舶護衛をなどを行うことになる。
 しかし、南シナ海の島嶼を巡る紛争を軍事衝突にさせないことは、当事国の東南アジア諸国が「南シナ海行動宣言」(DOC)などを通じて一貫して追及していることである。ASEANは、軍事同盟の抑止力による安全保障という考え方から離脱し、対話と信頼醸成、紛争の平和的解決などの平和的な安全保障の流れを作り出している。
 このようなときに、日米両国がこれに反する形で軍事介入をすることは、それこそ国際平和の破壊者となりかねない。


戦争法がもたらす悲しみと痛み

東京支部  渡 部 照 子

 安倍総理は二〇一五年四月二九日アメリカ議会で演説し新日米ガイドライン実施のための安保(戦争)法制をこの夏までに成立させることを公約した。
 他方、天皇・皇后はこの四月に太平洋戦争の激戦地であったパラオを訪問し、一万人が戦死したと言われるペリリュー島で平和を祈念した。私の叔父の一人も昭和一九年一二月三一日、同島で二三歳で戦死と過去帳に記載されている。当日は、日本兵がせん滅され戦闘が終了した日であり、叔父が死亡扱いされた日であることを私は知った。また、天皇はこの新年に「この機会に満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切」と述べた。
 「満州事変に始まる」とは、まず昭和六(一九三一)年九月、明治憲法下の統帥命令のないままに関東軍が満州鉄道を爆破し、更に、朝鮮軍が満州に移動して軍事行動を展開した。政府も天皇も軍により憲法が侵されたにもかかわらず違憲行為を追認して満州国建設へと突き進んだのである。そして、その後の結末は、無責任極まる太平洋戦争開戦であり、多くの人々の命を奪い、今も加害と被害の悲しみと痛みが続いている。ナチスも国の根本規範を否定した先には国法体系も破壊して為政者の意のままになる圧政と人権が侵される社会となることを示した。
 安倍政権には立憲主義を尊重する姿勢がない。今日の国会は選挙権の平等を犯した違憲状態であり、そもそも憲法を破壊する法案審議自体許されるべきことではない。悲惨な戦争の結果、かろうじて得た平和憲法が破壊されつつある。私たちは、決して同じ過ちを再び繰り返してはならない。
 安倍自公政権が推し進める戦争法制は、常時戦争準備態勢を整え、いつでも、どこにでも、どのような事態にも派兵できる軍事国家つくりである。経済的・軍事的に台頭する中国が我が国の地位を脅かす存在となりつつあるという国際環境の変化を理由として、アメリカに従属しながらも大国日本復活の野望を実現しようとしている。しかし、過去の戦争も、相手方の軍事的脅威を理由とする自国防衛のための軍事同盟の締結・さらなる軍事体制の強化、そして、軍事行動の展開・戦争であった。戦争を好む者は戦争によって滅ぶ。再び戦争をしてはならない。
 現代の戦争のあり様とその被害は、先の大戦のそれとは質量ともに異なる。その加害と被害の深刻さに真剣に思いを致すべきである。
 戦争法制で日本が主に軍事共同行動を行わんとするアメリカは世界最大の軍事大国である。アフガン・イラク戦争に派兵されたアメリカ兵は約二〇〇万人、内イラク戦争では戦争勝利宣言までに一三九名が死亡、治安維持過程では四三五二名が死亡、又、アフガン・イラク戦争では、五〇万人がPTSD(心的外傷後ストレス)とTBI(外傷性脳損傷)になったとされる。それら戦争の戦闘に直接参加した兵士は圧倒的に貧困家庭出の若者であり、ある歩兵連隊の平均年齢は二〇歳であった、と言う。
 安倍総理らは、具体的に戦闘現場や廃墟と化した街並み、更には、障害をうけた兵士たちの惨状を認識すべきである。何故、兵士たちがPTSDやTBIになるのか。また、故郷に帰り、家族と共に暮らし始めた障害を受けた兵士たちは、派兵された以前の生活に戻ることができない。妻や子どもたちへの暴力、地域での暴力行為、そして自殺する者も後を絶たない。兵士だけではなく、配偶者も子どもも精神を病み、地域社会も深刻な影響を受ける。
 日本ではイラクに約一万人を派兵し、帰還後に二八人が自殺、PTSDやTBIの障害を受けた人は全体の一〇〜三〇%と報じられている(「帰還兵はなぜ自殺するの」亜紀書房・デイヴィッド・フィンケル著・古谷美登里訳)。
 戦争法制が実施されれば海外に派兵される兵士の数は今までの比ではなくなる。ちなみに、陸上自衛隊員は約一三万七千名、海上自衛隊員は約四万二千名、航空自衛隊員は約四万三千名、合計約二二万三千名である(二〇一四年三月三一日現在)。現在想定されている集団的自衛権の行使や東シナ海、南シナ海、インド洋まで広大な領海の警戒監視活動、更には中東での後方支援活動などを考えれば、自衛隊員は死に、また、障害もうける。アメリカと同じように家族や地域社会の人たちも犠牲になる。日本でも兵士獲得のために若者の貧困化政策が一層進められ、それでも不足の場合には徴兵制の導入もありうる。人々の悲しみと痛みは広がっていく。
 戦争は国民の動員を必須とする。建設業者を例に考える。
(1) 国際平和支援法案一三条や国際平和協力(PKO)法案三一条は「物品の譲渡若しくは貸付又は役務の提供について国以外の者に協力を依頼することができる」とする。これまでの自衛隊は、派兵先において道路建設・補修、井戸掘、建物建築工事などをして来た。今後自衛隊が参戦・兵站業務を担うのであれば、かかる土木建築関係の業務は、民間大手建設業者等へ依頼することが多くなるだろう。要請をうけた会社等は社員(非正規も含む)を派遣し、また下請業者へ依頼をする。重層的下請関係にある下請業者は戦地での業務を拒絶することは困難だろう。
(2) 戦争法制では、存立危機事態は即武力攻撃事態等と認定される可能性が高い。武力攻撃事態等では国民保護法が発動される。従って国民は秘密保護法の下で情報操作をされ、国はなにかと武力攻撃事態等と認定し、国民を戦時体制に組み入れる訓練・動員をする危険性が大きい。国民には協力要請という名の防衛の義務が課される(国民保護法四条)。
 国民保護法二条三項は、施設及び設備に応急の復旧に関する措置等を規定する(新設案)。また、自衛隊法一〇三条(1)は、防衛出動における物資の収容等の規定であって土地等の使用を定め、同条(2)には、土木建築工事業者に対する従事命令が規定されている。従って、かかる業者は、防衛の陣地構築や防空壕構築等のために立木の伐採や建物の解体・改造工事等をし、また、避難道路の建設・補修等、その後の応急避難建物の建築工事等も行うことになる(自衛隊法一〇三条(8)、国民保護法五二条、七八条、八二条等)。
 更に、多数の死者がでた場合に埋葬場所の構築等(国民保護法七五条)や、原発の放射性物質の汚染拡大防止のための土壌汚染等の作業などもある(同法一〇七条)。
(3) 戦地に行くこと自体の危険はもとより、そもそも土木建築関係の業務は労働災害が多い職場である。安全対策なくして労働することは危険である。わずかの安全対策の手抜きが重大事故を引き起こす。
 外地に行く時に果たして安全対策の要員や機材を国内並みに準備することができるのか。また、気候も日本と大きく違う。例えば、戦地という極度の緊張状態の下で気温四〇度を超える酷暑の中での労働など経験したことがない人たちが派遣されるのである。
 国内においても武力攻撃事態等という戦争に勝つことが至上命題の中で、現場における安全対策より国防上の要請が上回ることになるだろう。
 私が居住する中野区の平和憲法を擁護する運動の中核メンバーの一つは区内の建設関連業者である。中野区には、「中野区における平和行政の基本に関する条例」がある。この条例が定める平和行政は、日本国憲法に規定する平和の意義の普及、平和に関する情報の収集および提供、国内及び国外の諸都市との平和に関する交流等である。
 今日の情勢の中で、この四月に選出された新たな区議さんたちと共に戦争法制・憲法改悪反対で一致する共同行動を一層強化し、上記平和行政のさらなる実施を求める運動を強化する必要がある。


当面の「戦争法案」論議の視点

東京支部  内 藤   功

 自由法曹団はじめ法律家団体、日弁連、各単位弁護士会の活動が、大きな「うねり」をつくりつつある。「戦争法案は違憲無効。廃案にせよ」を正面に据えて闘うときである。難解に見える問題点を、いかに短く、分かり易く語るか、知恵をしぼりたい。そして、情勢に確信を持って進みたい。
(1)安倍総理は、米両院合同会議で、夏までの成立を誓約した。政治日程上、「背水の陣」を宣言したに等しい。政権の「命取り」になりかねない言明だ。今国会の衆参両院の委員会と本会議で、少なくも四度の採決を強行しなければならない。その暴挙に世論が激変し、野党が結束し、与党内に動揺が走れば、日程は狂う。法案の正体の重大性に加えて、無法な政治手法は、この闘いに民主主義擁護運動の性格を帯びさせることになろう。
(2)法案の核心は、自衛隊員のたった一つの生命を、米国の戦争の犠牲に供してよいのか、という問題だ。さきの一斉地方選挙戦では、隊員と家族の危惧、懸念、反対運動への期待は、今までにないものがあった。駐屯地以外の全国至る所に隊員の家族、友人、恩師が住む。その心情に触れた言説が必要だ。
 戦争法案は、一般国民にとっても、他人事ではない。他国の戦に馳せ参ずる「存立危機事態」それと同時に該当する「武力攻撃事態」に早期に誘導するのが、法案の仕掛けだ。「防衛出動の早期発令」によって、国民は戦時状態におかれる。「海外派兵反対運動の監視、抑圧(自衛隊法一二二条)」「公共秩序維持活動(隊法九二条)」「土地、施設、物資の収用命令。医療、輸送、建築の労務従事命令(隊法一〇三条)」「武力行使、部隊の展開、防御施設構築を容易ならしめるため、二三本の法律の規制条項の適用除外(隊法一一五条の二ないし二四.消防法、建築基準法はじめ二三本)」「生活物資の安定供給(事態法二条八号ニ)」「国民保護法の適用」「港湾、飛行場、道路、海域、空域、電波の軍事優先利用(特定公共施設利用法)。これらは、今後の論議の中で解明されるべき国民生活に関わる重要課題である。
(3)沖縄の翁長知事は、七月にも、公有水面埋め立て承認の取り消し、撤回の決断を示す構えだ。沖縄を戦場にしないとの揺るがぬ民意と、第三者委員会の検討報告を受けて、その決意は、憲法に基づく確信に満ちたものである。戦争法案は、戦争国家の「法的基盤」。米軍基地を許さぬ闘いは、戦争国家の「物的基盤」。それを阻止する二つの闘いは、実は一体である。全国の力で合流した巨大な流れとなるだろう。
(4)八月一五日の安倍総理談話は、内外の注目と懸念の的となっている。ポツダム宣言の戦後政治の位置づけさえもわきまえず、侵略戦争の反省と謝罪の心を欠く政権が推し進める暴走と法案の正体は、鮮明である。
(5)今は、たしかに憲法の危機である。同時に、憲法を深く学び、価値を確認し、威力を活用し、その力を日本国民の「血、肉」として、定着普及させていく機会である。望んでも、容易に得られない好機である。満州事変以降のアジア太平洋侵略戦争拡大への過程で、国民は反対運動を組むことができず、アジアで二〇〇〇万人、日本国民三一〇万人といわれる尊い生命が奪われた。今度はそうはさせない情勢がある。戦後、最大規模の一九六〇年安保闘争をも上回る大きな運動に発展する予感がある。
(本稿は、五月集会の憲法分科会での発言に加筆したものです。)


“戦争する国”ゴメンです! 九条の会東京のつどい二〇一五

東京支部  島 田 修 一

 六月四日夜、なかのゼロ・大ホールで都内の九条の会が結集し、「戦争する国、ゴメンです。」を開催(参加者一二〇〇名)。石井夕紀さんのバイオリン演奏に続いてリレートーク(一人二〇分)。当日午前の衆院憲法審査会の参考人小林節さん(慶大名誉教授)は、「九条は本当に危機に直面しているが、本日の参考人三人はいずれも新安保法制は真っ赤かの憲法違反と断言した。今まで国会に二〇回呼ばれたが、いつも御用学者がいて不愉快な思いをしてきた。例えば昨年七月一日閣議決定の翌日、北岡伸一教授は“憲法は政治家が使いこなすものである”と発言。しかし、今日は参考人全員の意見が一致し違憲だときっぱり言った。聞いていた自民党議員は苦虫を噛みつぶしていた。私は絶望していない。自民党支持者の知人がこの集会に参加しているが、私はこれからは街頭に出る。七〇年間も戦争しなかったことは世界遺産。安倍の蛮行に反撃していこう」。
 続いて宝田明さん(俳優)。「昭和二〇年八月満州国ハルピンで居住していたが、ソ連軍のハルピン攻撃で多くの邦人が暴行・略奪を受け、自分も撃たれて弾が腹に当った。夕食時に小銃を持ったソ連兵が侵入してきて銃口が顔に当たり、ガタガタと歯の音がした。戦争とはいかに残酷なものか痛感した。終戦までの一〇〇年間に日本は戦争を繰り返し三五〇万人の日本人が死んだが、この七〇年間、戦争をしなかったのは日本の英知。しかし、今は違う。安倍の集団的自衛権改定にはいてもたってもいられない。六〇歳の時(今八一歳)、自分の経験を基に発言し、その発言が太いバトンとなって次の世代にパチンと渡せるような行動をとらないといけないと思った。平和な日本を子どもたちに渡していく責任と義務が私たちにある」
 池田香代子さん(翻訳家)。「ナチス独裁は議会軽視とユダヤ人が混乱を招いたとのデマを煽って誕生したが、ヘイトスピーチ・アイヌ特権等の攻撃にみるように、それと似たようなことが今、日本にある。しかし、ある政治学者によると自民党員は一〇年以内にいなくなるという。党員の平均年齢が七三歳だから。党がじり貧状態にあることは自民党が一番知っている。そこでヘイトスピーチや右翼的宗教団体に接近している。自民党は一〇〇万枚のチラシで「国民の命と平和なくらしを守る大切な法律」と嘘の脅威で法案を通そうとしている。世論調査によると「よくわからない」が八割に及んでいる。私たちが勝ちに行くにはこれを直視しなければならない。オール沖縄、オール大阪が勝ったが、次はオール私たち、だ。そのためには一致できるところから一致していこう。オール平和を愛する人々の輪を大きく広げていこう」
 箱崎作次さん(中学校社会科教諭)の歌「教え子を再び戦場へ送るな」に続いて小森陽一さん(九条の会事務局長)。「九条の会が呼びかけている具体的な行動提起は、一は戦争立法反対・改憲阻止の一点で保革を超えて全国各地で声を挙げていく、二は全ての国会議員への働きかけを選挙区で行う、三は戦争法案の本質を伝えるようマスメディアに声を届けていく、以上の行動に取り組む上で全ての人々が参加できる共同の行動となっているか振り返って欲しい。〇四年四月読売調査では憲法改正賛成六五%、反対二二%だったが、〇八年四月には一五年ぶりに反対が多数派となった。草の根運動で転換させ、その年にイラク派兵違憲判決が出て自衛隊を撤退させたが、それは運動の力。今、その力を更に強めていかなければならない」
 その後、都内九条の会が幟旗など立てて登壇し、地域の会そして大学生・高校生が決意表明。最後に、参加者全員が「戦争法案反対・横田基地オスプレイ配備反対」の怒りの声を東京全域で広げる、「戦争する国」づくりへ暴走する安倍政権を追い込んでいく、の決意を固め合った。
 集会の最後で、この日完成したばかりの紙芝居『「戦争する国」にさせてたまるか!』が紹介された。「日の丸」と「星条旗」が握手する絵、ワイマール憲法を踏みつけて「全権委任法」を掲げるヒトラーと日本国憲法を踏みつけて「集団的自衛権」を掲げるアベ首相の絵、アベ政権の「暴走」ぶりと私たちのたたかいの方向を提起する絵など、佐々木こづえさんのイラスト(二〇枚)が好評。なにがなんでも、この国を「戦争できる国」にしたい安倍政権を、みんなの力で土俵の外へ押し出そうではありませんか。この「紙芝居」がお役に立てれば幸いです。
 申込は、九条の会東京連絡会
     電 話:〇三-三五一八-四八六六 
     FAX:〇三-三五一八-四八六七
     Email:mail9jotokyo@iris.ocn.ne.jp
     送料込三五〇〇円


改憲問題対策法律家六団体連絡会の取り組み

東京支部  大 江 京 子

一 改憲問題対策法律家六団体連絡会の結成
 二〇一三年一〇月、日民協改憲問題対策本部の呼びかけで、法律家六団体(社会文化法律センター・自由法曹団・青年法律家協会弁護士学者合同部会・日本国際法律家協会・日本反核法律家協会・日本民主法律家協会)が、安倍政権の進める改憲策動についての意見交換を行い、その後、二〇一四年七月一日の閣議決定を受けて、同年八月二一日、正式に『改憲問題対策法律家六団体連絡会』を結成し、戦争法案阻止のための共同の取り組みを続けている。以下、その活動の一部を報告する。
二 国会対策・マスコミ対策
 本年三月一八日に、まず立憲フォーラム(安倍政権の九条改憲の動きに反対する民主党、社民党を中心とする超党派の議員の集まり)との意見交換会を実現させた。六団体からは福田護弁護士(社文センター、日弁連憲法問題対策本部)、田中隆弁護士(自由法曹団)、小沢隆一教授(日民協)、清水雅彦教授(日民協)が報告者となって万全の準備で臨み、江田五月民主党顧問をはじめとする参加議員の信頼を得て、以後の国会対策に弾みをつけた。
 三月二七日には、「与党合意に抗議し、閣議決定の撤回と安全保障法整備の即時中止を求める法律家六団体の共同声明」を発表する共同記者会見を国会内で行った。日弁連憲法問題対策本部長代行の山岸良太弁護士が連帯の挨拶を行うともに、民主党、共産党、社民党の議員も参加し、法律家団体と連帯して安全保障法整備に反対する決意が述べられた。
 その後、法律家六団体では、立憲フォーラムと連携しつつ、民主党枝野幹事長、共産党、維新の党の議員らとの懇談を重ね、六月二日には、「法律家は安保法制を許さない六・二院内集会」を開催した。その場で、戦争法案の廃案を求める法律家六団体共同アピールを発表し、日弁連憲法問題対策本部長代行の山岸良太弁護士から連帯の挨拶を受けた。国会からは、民主党幹事長代理近藤昭一氏、立憲フォーラム事務局長江崎孝氏、社民党党首吉田忠智氏、共産党仁比聡平氏をはじめとする国会議員より、それぞれ熱のこもった戦争法案阻止の決意表明がなされた。市民団体からは、「総がかり行動実行委員会」の構成団体である戦争をさせない一〇〇〇人委員会から藤本泰成さん(平和フォーラム事務局長)、解釈で憲法九条を壊すな!実行委員会から高田健さん、戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センターから小田川義和さん(全労連議長)が、戦争法案を必ず葬ろうと力強い発言を行った。院内外において戦争法案を阻止する一点で団結することの必要性と、決め手は国会を圧倒的に包囲する国民的な反対運動を作ることができるかどうかにかかっているとの認識を参加者全員で共有できた意義は大きい。
 これらの国会対策と並行して、法律家六団体はマスコミ対策を重視し、東京新聞(担当論説委員、担当デスク、政治部長、社会部長、編集局次長)、共同通信(担当論説委員)、朝日新聞(論説主幹ほか一〇名)、TBS(ニュース23チーフプロデユーサー、報道局解説・専門記者室長、報道局編集主幹)と懇談会を行っている(NHK、毎日新聞社とも予定)。
 注目すべきは、これらのマスコミ懇談会がいずれも形式的儀礼的なものに終わらず、政府与党側が行っている論説研究会(五〇社参加)の実態が語られ、内閣法制局がサポートして出されている法案に対して説得的に反論するには何が必要か、自分たちには関係ないと思っている国民や、「米国に守ってもらわないと中国に攻められたら怖いよね」という国民の声に如何に応えるのか等々、真剣な議論がなされたことである。我々が想像する以上にマスコミが法律家の意見を聞きたがっているというのが実感である。
三 法律家団体共同行動の意義と今後の活動
 上記のような国会・マスコミ対策は、一団体で行うには困難が多く法律家団体共同の行動であるがゆえに実現した側面がある。また、常に日弁連憲法問題対策本部との連携をとっていることも相手方及び国民に対する発信力という点で大きな意義を持つ。さらに、法律家の共同が実務家のみならず憲法研究者との連携を核としていることが大きな力となっている。先ごろ、憲法審査会において、政府与党側推薦を含む参考人(憲法研究者)全員が今法案を違憲と明言したことや、立憲デモクラシーの会主催の東大でのシンポジウム、二〇〇名を超す憲法研究者の声明などが、マスコミで大きく報じられている。ようやく憲法・法律専門家の発言が影響力を持ちはじめ流れを変えつつあることに確信を持ちたい。今後、法律家六団体では、自民党、維新の党の議員を中心に働きかけを強めていく予定である。
 ご紹介したのは東京を中心とした活動であり、これらの法律家団体共同行動は、むしろ地方においては弁護士会を中心に以前より行われている活動ではないかと思われる。戦争法案を阻止する全国の法律家(団体)の幅広い共同を一層大きく広げて国会を包囲していきたい。


大田区での戦争法案成立阻止への一連の活動の紹介
―新しい「連帯」に出会える情勢であることに確信をもって

東京支部  長 尾 詩 子

第一 五・三一PeaceParadeについて
 既に三月から、五月の国会審議に備えて、大田区で大きな取り組みをもとうということで、憲法改悪反対大田区共同センターでは、五月末のピースパレードを予定していました。
 「今までのつながり以上のつながりをつくる」という気概で、実行委員会形式で、これまでつながったことのない人・団体も実行委員会に加わり、準備をしました。
 実行委員会では、ご高齢の反戦活動家が「PeaceParadeって、平和行進だろ。そんな生ぬるいこと言っている情勢じゃないだろう!ネーミングを変えるべきだ!」という意見も出れば、それに対して子育て世代の初めてこういった活動に参加するママ)から、「情勢っていうなら参加へのハードル下げて人数を集めましょうよ!」と反論も出る・・・そんな感じで、わきあいあいと準備しました。
 実行委員会として、地元大田の議員には全会派訴え、当日への参加を訴えました。
 事務所の事務局にも、わがままを言い、チラシやフェイスブックページをつくってもらいました。チラシは、「ポップな感じで」というとても抽象的なオーダーにもかかわらず、とってもセンス良く、作ってもらいました(後には、他の地域からも、使わせて欲しいという依頼を受けました)。また、フェイスブックも、一週間前、前日と投稿してもらい、後に述べるような予期しなかった効果を生みました。
 実行委員会で、国会前でやっているようなドラムの演奏があったらいいよね〜という意見が出たため、国会前活動に参加している人(五月二〇日の東京南部法律事務所主催の学習会で見かけた人)に無理を言い、国会前でもチラシを配り、宣伝してもらいました。
 また、私個人の事前の「宣伝」について述べますと、偶然、前日に私が戦争法案の学習会をさせていただく会場が某寺院の社屋であったことに目をつけて、住職に電話をかけ、ピースパレードへのご協力を訴え、境内にチラシを置かせていただきました。池上本門寺系列の中でも有名で、しかも地域で様々な取組をしている寺院だったため、このお寺にチラシを置かせていただいたことは、地域のみなさんの「元気」につながりました。しかも、ずうずうしい私は、さらにその住職に別の寺院を紹介していただき、そちらにもチラシを置かせていただきました(笑)。
 また、ママ友通じて知り合った親子カフェにも、前日に「ちょっと話があるので、明日一〇時に行ってもいい?」というメッセージを送り、チラシを持って宣伝に行きました。ピースパレードへの協力を訴えるとともに(チラシを置くだけではなく、お店の入り口にポスターを貼ってもらいました)、ちゃっかりと憲法カフェの予約を取り付け、さらに別のカフェ数カ所を紹介してもらいました。もちろん、それら全てにチラシを置いてもらうよう連絡したことは言うまでもありません。
 ゴールデンウィークがあったため、五月に入るやいなやピースパレード直前という状態で、率直なところ時間がないというのが実感でした。ですから仕方なくだったのですが、非常にたくさんの方に、かなり乱暴にピースパレードへのご協力をお願いしたと思います。しかし、ご協力をお願いしたすべての方が、本当に快くご協力してくださいました。忙しかったですが、毎日、感動することがあり、わくわくしていたというのが実感です。     
 そして、当日。一週間前の雨予想が嘘のような真夏日。四五〇人を超える参加でした。
 こういったパレードには初めて参加するという子ども連れのママパパが数十名いました。
 国会前の希望のエリアで活動しているみなさんが、チラシを見て、又はフェイスブックページを見て、参加してくれました。国会前でピースコールしている有名な女性の登場に、若い人は、どよめきたっていました。
 JAL原告団を始め航空労働者、大田区の金属関係労働組合のみなさん他たくさんの労働組合、九条の会からも、たくさんご参加いただきました。
 共産党、生活者ネット、緑の党の区議から参加してもらい、区議選で二位当選した無所属の区議からメッセージをもらいました(民主党区議からも参加連絡を受けていたのですが、間に合わず不参加でした)。
 鳩型他様々な形、様々な色の風船をもって、思い思いのプラカードを持って歩く人、労働組合や九条の会の旗を掲げて歩く人、日曜日の午後、四五〇人がピースコールしながら歩く様子は、とても大きなアピールになったと思います。マンションから見て手を振ってくれる人、パレードの中に飛び入り参加した中学生、あたたかな応援を受けて、参加者一同元気と確信を得ました。
第二 パレード後
 参考人の戦争法案意見発言、多数の憲法学者の戦争法案意見アピール、自民党からの戦争法案意見発言…戦争法案が違憲であることは市民の中に広がっています。
 パレードは終わりましたが、国会審議は続いています。
 大田区では、パレードで得たつながりを活かし、さらに大きな運動をつくるよう、もう次にむけて走り出しています。
 六月二〇日には、弁護士九条の会・おおたと大田九条の会共催で、池田香代子さんと小森陽一さんの講演会を三〇〇人規模で行います(池上会館・六時三〇分〜)。
 そして、七月一一日には、東京南部事務所主催で、落合恵子さんと半田滋さんの講演会を四〇〇人規模で行います(大田区産業会館PIO・六時三〇分〜)。
 東京南部法律事務所では、このような大規模企画を連続して本当に行えるのかと激論になりましたが、今この情勢にがんばらないんでどうするんだということで一致して連続企画を打つことを決めました。この連続企画成功にむけ、上記池上本門寺近辺の寺院にさらなる宣伝をお願いしたことはもちろんですが、地域の情報を得て、さらにキリスト教系教会など複数にご協力の訴えをしています。山王の親子カフェから広がった縁で、絵本屋での憲法カフェ、地域子育てカフェでの憲法カフェと、憲法カフェも次々と依頼がきています。
 戦争法案成立は日本を「戦争への道」になるのだという現在の情勢と、今国会開催中の私たちの運動の意義を正確につかみ、ちょっとの勇気(ずうずうしさ?)をもって一歩外に踏み出せば、新しい「連帯」に出会えます。
 「がんばったけれど、成立阻止できなかった」とはいいたくないです。
 大田区での活動が団員のみなさんの参考になれば幸いです。ともにがんばりましょう。


弁護士会の取組みにおいて存在感を発揮しましょう!

京都支部  諸 富   健

 日弁連は、昨年憲法問題対策本部を立ち上げ、憲法問題への取組みを強化しています。今年度に入ってからだけでも、ガイドライン改定当日の会長声明、憲法記念日の会長談話、安保法制閣議決定当日の会長声明、定期総会における宣言と、立て続けに日弁連としての見解を表明しています。六月一〇日には院内集会を開き、紹介議員に二六万筆の署名を渡しました。六月一九日には国会議員への一斉要請行動が実施されます。
 各単位会も日弁連の動きに呼応して様々な活動に取り組んでいます。私が所属する京都弁護士会は、昨年二度にわたって会長声明を発表したのに続き、五月一日に安保法制整備に断固反対する会長声明を発表しました。集会としては、昨年、京都弁護士会最大のイベントである「憲法と人権を考える集い」で立憲主義をテーマに取り上げ、そのプレイベントとして秘密保護法をテーマにした集会及び集団的自衛権をテーマにした集会の二つの集会を開催しました。そして、本年四月二八日には、元自衛官の泥憲和さんと団員でもある日弁憲法問題対策本部事務局の井上正信弁護士にご講演いただき、弁護士会の地階ホールのキャパシティを超えるほどの参加者が集まりました。七月二二日にも毎年行っているパレードの前に緊急集会を開催する予定です。また、京都弁護士会憲法問題委員会は昨年一二月から毎月一回街頭署名活動を実施していますが、今月末からは毎週実施することを検討しています。さらに、地元の国会議員への要請行動にも取り組む予定です。
 私は、昨年から日弁連憲法問題対策本部の一員となり、また今年度から京都弁護士会憲法問題委員会の委員長を拝命いたしましたが、これらの活動を通して、弁護士会に対する市民の期待をひしひしと感じています。そして、公益団体たる弁護士会だからこそできる取組みが数多くあることも実感するようになりました。戦争立法の制定を阻止するためには、こうした弁護士会の特性を活かさない手はありません。
 団員の皆さまにおかれましては、団の活動はもちろんのこと、弁護士会における活動にも積極的に関わっていただきたいと思います。日弁や単位会の委員はもちろんのこと、委員でない方も弁護士会が行う集会や街頭宣伝に参加したり、委員に企画を提案したりなど、様々な形で関わることが可能です。団員の皆さまが弁護士会の取組みにおいてもその存在感を存分に発揮していただくことを期待いたします。


街頭宣伝でシールアンケート

吉原稔法律事務所  岡 本 真 実

 滋賀支部は六月九日午後六時から一時間、JR草津駅にて街頭宣伝を行いました。当日は二二名の団員・事務局、地元の議員が参加し、戦争法案反対のリーフレットを配布しました。また宣伝の傍らでシールアンケートも滋賀支部として初めて実施しました。
 「あなたは集団的自衛権に賛成?反対?」と題して、選択肢は「賛成」、「反対」、「わからない」の三つを準備。行き交う人々にシール投票を呼びかけました。最初はなかなか投票してもらえなかったのですが、一人二人と投票シールが増えるにつれ、少しずつ回答が寄せられました。シールを貼ってくれた人に簡単な感想や意見を聞くと、反対の回答者の多くが「憲法を変えずに解釈で変えるという安倍さんのやり方が良くない」という意見でした。
 他にも二〇代女性の「戦争は怖い。平和的に解決して欲しい」という声も聞かれました。学校帰りの女子高生たちも揃って投票してくれました。
 六〇代の男性からは、「安倍首相は小さい戦争を起こして、(第二次世界大戦での)敗戦国としての日本の記憶を消そうとしている。だから(集団的自衛権に)反対」という意見もありました。
 他方、賛成派の方はシールを貼るなり、そのまま去って行く方ばかりでした。こちらから話しかけても、対話をしようという姿勢が微塵も見られませんでした。
 宣伝開始から一時間後、最終的に「賛成」八票、「反対」三六票、「分からない」一票という結果になりました。面白いことに、シールの貼り方にも性格が出ていました。反対欄にはシールが綺麗に列を作って、秩序立っていました。片や、賛成欄にはシールがまばらに点在していました。まさに前者は調和を、後者は不和を示しているのではないでしょうか。
 総合的に見ると、投票に参加してくれた多くは女性が占めており、中でも主婦層や二〇代前後の若い世代が多かったように思います。
 一方で、特筆すべきは三〇〜四〇代の男性の関心の低さです。回答者の中には、五〇〜六〇代の男性はいましたが、働き盛り世代の反応が薄かったのが残念でした。「集団的自衛権」自体に関心がないのか、それともシールアンケートに関心がないのかが分かりません。それでも、嬉しかった事もありました。一度は通り過ぎたものの宣伝終了後にわざわざ戻ってきて、自ら「反対」に投票してくれた二〇代男性もいて、自発的に行動してくれたことに感動しました。
 今国会で審議されている戦争法案を廃案にするためには、世論の高まりが必要であり、そのためには街頭で呼びかけることで、一人でも多くの方に関心を持ってもらうことが大切だと改めて思いました。そして集団的自衛権に反対意見の方はもとより、賛成意見の方がどのような理由で支持をしているのかを把握した上で、賛成派が納得する形で反対意見に動かしていくことが求められているとも思いました。


刑訴法一部改正について横浜弁護士会が会長声明を発表

神奈川支部  森   卓 爾

 横浜弁護士会は、六月一一日、常議員会の議を経て、「『捜査・公判協力型協議・合意制度』の導入と通信傍受法の改正に反対する会長声明」を発表した。会長声明の起案を担当したのは、刑事法制委員会である。刑事法制委員会では、法制審新時代の刑事司法制度特別部会での議論について、委員会で討議を重ねてきた。そして、審議調査の結果が公表された直後から、その問題点を明らかにし、会員に知ってもらう必要があるとして、刑事法制ニュースを五回に分けて発行した。ニュースでは、取り調べの可視化、司法取引、盗聴法、証拠開示、その他のテーマでそれぞれ問題点を指摘した。
 日弁連は、刑訴法等の一部改正案として、法案が国会に提出された時点で、「改革が一歩前進したことを評価し、改正法案が速やかに成立することを希望する」との会長声明(三月一八日)を出したが、本当にそうだろうか、との疑問があり、委員会で討議した。その結果、会長声明を出すことを声明案を添えて弁護士会執行部に提案した。
 執行部では、他の委員会の意見を聞く必要があるとして、関連委員会に照会したところ民暴委員会から強力な反対意見が出た。執行部は、民暴委員会の反対はあっても、会長声明を出すことに意義があるとの判断で、六月の常議員会に議題として提案した。常議員会では、日弁連が推進をしているときに、日弁連の意向に反する会長声明を出すことに反対であるとの意見も出されたが、賛成多数で可決された。
 会長声明では、単に「司法取引」と言うことではなく、「捜査・公判協力型協議・合意制度」と言う、被疑者・被告人そして弁護人が、検察官の行う捜査・公判に協力して合意をする制度である本質を明らかにして、その制度の導入に反対することを明らかにした。
 反対する理由として、(1)無実の第三者について「引っ張り込み」の危険や共犯者への責任のなすりつけといった事態、新たなえん罪を生み出す危険性が認められること、(2)犯罪を犯したものが他人の犯罪立証のために捜査機関に協力することによって自らの刑事責任を免れ又は軽減されることは裁判の公平や司法の廉潔性に反する恐れがあること、(3)合意には弁護人の連署が必要とされているが、捜査段階での証拠開示制度も無い中で依頼者の利益とえん罪の防止という相反する要請の板挟みになるだけで無く、弁護人自身がえん罪の作出に加担させられるおそれがあることをあげ、制度導入に強く反対するとした。
 盗聴法については、特に対象犯罪の拡大に反対をした。憲法二一条の通信の秘密に反する規定がそれでも許されるのは「重大な犯罪に係る被疑事件」であるからとする最高裁判決(平成一一年一一月一二日判決)の趣旨からも窃盗、強盗、詐欺、恐喝、逮捕監禁、傷害など一般犯罪に拡大するの許されないとした。
 法案について、国会での審議が始まると、その問題点が明らかになり、慎重な審議が続いている。すると、日弁連は、五月二二日、今回の法案を「複数の制度が一体となって新たな刑事司法制度として作り上げていくものである」と評価して「国会の総意で早期に成立することを強く希望する」「全ての弁護士、弁護士会とともに、改革を前進させるために全力を尽くす決意である」との会長声明を発表をした。法案に反対する運動が広がっているときに、日弁連がこのような会長声明を出すことに驚かざるを得ない。
 千葉県弁護士会からは、「法案の抜本的見直しを求める会長声明」、三重弁護士からは「慎重審議を尽くすよう強く要望する」会長声明が出されている。
 反対運動を強め、全国各地の単位会から、法案に反対する会長声明が出されることが、更に反対運動を発展させるものと期待する。


盗聴法拡大・司法取引導入等の刑事司法「改革」は誤魔化し

東京支部  弓 仲 忠 昭

一 法制審答申は冤罪根絶に有害
 村木厚子厚労省局長(当時)らの冤罪事件を契機に、取調べの全面可視化実現と冤罪根絶を展望し設けられた筈の法制審「新時代の刑事司法制度特別部会」は、昨年七月九日、答申案を決定した。法制審は、同年九月一八日、同案を承認し法務大臣に答申した。
 答申は、「冤罪根絶」とはほど遠く、ごく一部の犯罪につき、抜け穴だらけの例外つきで「取調べの可視化」を導入したものの、捜査の要求に屈し、他人を引っ張り込み新たな冤罪の温床となる「(証言買収・密告奨励型)司法取引」や「盗聴法適用拡大と通信事業者の立会不要」等の人権侵害・冤罪助長の有害な制度を潜り込ませた。
二 刑事訴訟法等一部改正案、衆議院で審議入り
安倍内閣は、本年三月一三日、衆議院に刑訴法等一部改正法律案を提出した。「取調べの可視化」「司法取引」の刑訴法「改正」と「盗聴拡大」を含む他の法律「改正」を一括法案として提出し早期成立をもくろむ。元来、いずれも個別、入念に精査されるべきもの。
 五月一九日、衆議院本会議で趣旨説明、法務委員会に法案付託。 五月二〇日からの委員会審議で、冤罪防止が出発点の「捜査の適正化」で、何故「盗聴拡大」か、何故冤罪を招く「司法取引」か等の追及がされ、法務大臣は答弁不能に。六月一〇日の委員会参考人質疑で、布川事件桜井昌司さんは「一部可視化で冤罪が防げるか、盗聴拡大は論外」と批判。映画監督周防正行さんも「全事件で取調過程を録音・録画すべき」と強調。加藤健次団員が「議論を尽くせば、今回の一括法案の危険性は明らか」、日弁連内山新吾副会長も、盗聴拡大と司法取引の「どちらも必要性は低い」と述べたという。
 六月四日には、民主・維新・共産三党合同勉強会が開かれ、厚労省村木厚子さんが、「密室の調べは非常に恐ろしく、調書はいかようにも作られる」等と述べ、取調べ可視化の必要性を説いた。その後三党議員が記者会見、「慎重審議・徹底的に問題点を明らかにするとの思いは各党共通」「問題点が多いことでは一致」等と語る。三野党は、司法取引、盗聴拡大の問題点の勉強会を開く予定。維新も含む合同勉強会は悪法阻止への足がかりとなり得る。注目したい。
三 明白な緒方宅盗聴を否定し続ける警察
 共産党の国際部長緒方靖夫さん宅の電話盗聴事件では、国賠訴訟の東京高裁判決(九七年六月二六日。国及び神奈川県に合計四〇四万円余の支払いを命じた。確定。)が、以下の事実を認定した。
 「本件盗聴は…原告靖夫の電話による通話を傍受することによって、日本共産党に関する情報を得ることを目的として計画的かつ継続的に実行されたもので、これには神奈川県警察本部警備部公安一課所属の警察官が関与していたものと推認…できる。」、「県警…警備部公安一課の所掌事務には日本共産党関係の情報収集事務が含まれ…、…情報収集活動を末端の警察官が職務と無関係に行うことは通常あり得ない…、本件盗聴行為は、…公安一課所属の警察官…が、いずれも…県の職務として行ったものと推認…できる」、「警察庁は、昭和二九年の警察法施行以来…、一貫して日本共産党を警備情報収集の対象と位置づけ…、全国の都道府県警察に対し、同党関係の情報収集に関する一般的指示を行い…各都道府県警察が収集した同党関係の情報は…報告を受けていた…と推認…できる」等々。
 裁判所に断罪された警察は緒方さん一家に、遅延損害金を含めて六一九万円余を支払いはしたが、未だ、警察庁、神奈川県警、実行犯と認定された警察官三名の誰からも一片の謝罪の言葉もない。
 事件発覚から約半年後、山田英雄警察庁長官は「警察におきましては、過去においても現在においても電話盗聴ということは行っていない」(参院予算委、八七年五月七日)と答弁。以来、緒方さんが参議院議員に当選後、警察の組織的犯行という東京地裁判決(九四年九月六日)を踏まえ追及しても、國松孝次警察庁長官は「山田警察庁長官が御答弁申し上げたとおり」(参院決算委、九六年一一月二七日)と警察の電話盗聴を否定。高裁判決確定後も、田中節夫警察庁長官は、警察官の「盗聴行為未遂が…推認されたことを…厳粛に受けとめ、反省」と言うも、既遂の組織的・計画的犯行とは認めず、保利耕輔国家公安委員長も「県警察が組織として関与したことがなく、職務命令も発しておらず…警察官個人の関与については確認できな」いと居直る(以上、参院予算委、〇〇年三月一〇日)。
 最近も仁比聡平参議院議員や畑野君枝衆議院議員の追及に「組織的犯行と断定」されていない、「警察としては盗聴と言われるようなことを過去にも行っておらず、今後も行うことはない」と否定(高橋清孝警察庁警備局長、参議院法務委、本年三月二六日。同旨、塩川実喜夫警察庁長官官房審議官、衆議院法務委、本年四月一七日)。
未だに裁判所認定に反し、盗聴の事実を認めない警察に、盗聴法の適用拡大と通信事業者の立会排除など要件緩和の「武器」を与えれば、警察の違法盗聴に対するチェックは事実上不可能となり、市民の通信の秘密やプライバシーが大きく侵害されることになろう。
四 恥ずべき日弁連会長声明
反対運動の広がりを展望し、悪法成立阻止に向け闘う国民の背後から矢を射るような恥ずべき日弁連会長声明が出され続けている。
 日弁連会長は、昨年七月九日の答申案決定時、本年三月一八日の法案提出の後、更には五月二二日の審議入りの後、「(法案が)成立することを強く希望する」との悪法推進声明を三度公表した。
 最後の声明では、「通信傍受法の安易な拡大に反対してきた…が、補充性・組織性の要件が厳格に解釈運用されているか…を厳しく注視し、人権侵害や制度の濫用がないように対処していく」、「司法取引についても引き込みの危険等に留意しつつ、新たな制度が誤判原因とならないように慎重に対応する」と言い訳のお題目を並べた。
 「補充性・組織性の要件」の厳格解釈運用を「厳しく注視」すれば、盗聴拡大による「人権侵害や制度の濫用」なきよう「対処」できるというが、一体どう「注視」したら、どう「対処」できるのか。そもそも「安易な拡大」そのものの盗聴拡大法の容認の必要性につき厳しく問わずして悪法成立後の「対処」などできようはずがない。
 「引き込みの危険」にどう「留意」すれば、どう「誤判原因とならないように」「対応」できるのか。「他人の罪を明らかにする供述」の真実性担保は皆無に等しい。自らの罪軽からんと他人を陥れる「虚偽供述」の危険は、虚偽供述罪の導入では防げない。司法取引の対象たる「虚偽供述」につき、虚偽供述罪は、却って公判で虚偽供述を翻しての真実供述を妨げる。「盗聴拡大による人権侵害」や「引き込みの危険」を認識しつつ、抜け穴だらけの「取調べ可視化」と引き換えに悪法成立を推進するのは誤魔化しそのものである。
更に、連帯を広げ法案成立阻止闘争真っ最中の今、日弁連執行部が与野党議員を訪ね早期成立を働きかけているという。言語道断!
 かかる不正義な会長声明と日弁連執行部の動きは、いずれも反対運動を展開する冤罪被害者や冤罪撲滅を願う市民に対する重大な裏切りであり、三つの会長声明の撤回を強く求める。先述の衆議院法務委員会での参考人質疑において、日弁連内山副会長が盗聴拡大と司法取引の「どちらも必要性は低い」と述べたというが、そうであるならば、日弁連執行部の「成立運動」は直ちにやめるべきである。
 現会長の支持者のみならず、日弁連会員として我々の責任は重い。


*広島・安芸五月集会特集*
プレ企画 将来問題に参加して

埼玉支部  近 藤 里 沙

 五月一六日(土)、五月集会のプレ企画のうち、将来問題の分科会に参加しました。
 今回のタイトルはその名もずばり「どう稼ぐ、どう活動する」。
 自由法曹団の特徴を活かしながら、稼ぎと活動のバランスをとりつつ、どう財政基盤をつくっていくのかという、若手団員であれば誰もが興味を持つテーマで活発な議論がなさされました。
 この企画では、各若手団員が、それぞれ自分の事務所について、事務所の規模や事務所の特徴、どのような活動をしているのか、財政基盤をつくるためにどのような工夫をしているのかなどを紹介していきました。五月集会では、全国津々浦々から集まってきているため、事務所の場所や規模、構成している弁護士の期も全く異なり、こんなにも様々な事務所のお話を聞ける機会はなかなかなく、とても興味深かったです。その地域ならではの取り組みもありましたし、場所や規模に関係なく共通で取り組めるものもあり、大変勉強になりました。
 ベテランの先生方からも、様々なご意見をいただきました。やはりベテランの先生方と若手とでは、経験値も違ければ取り巻く環境も大きく違うので、考え方が違うのも当然だと思います。その中で、自分たちの考えを率直に話すことができ、お互いに、どのようなことを考えて日々業務に当たっているのかを知ることができました。
 また、団としての活動の内容や方法、規模なども各都道府県によって全く異なることがよく分かりました。他の支部の活動も興味深いものも多々あり、このような点でも、多くのことを学ぶことができました。
 このプレ企画は、そもそも若手団員交流集会ということで若手の先生ばかりが集まるものだと思っていましたが、意外とベテランの先生方もたくさん参加なさっていました。若手の意見とベテランの先生方の意見を交換することができ、とても有意義な会となりました。
 全国から様々な期の弁護士が集まり、どのように稼いでいくか、どのように活動していくかについて、率直に意見を交換できる場はそうそうないと思います。このような貴重な場に参加でき、とても勉強になりました。
 最近の日本の情勢からすれば、団としての活動の必要性・重要性はますます高まっていきます。そして、団の活動もさらに活発化していくと思います。そのような中で、この分科会で聞いたお話を活かし、団としての活動と財政基盤をつくることとの両立をはかるべく、積極的に活動していきたいと思います。


広島・安芸五月集会 新人弁護士学習会に参加して

大阪支部  柳 本 哲 亨

一 はじめに
 広島・安芸五月集会では、第一日目に新人弁護士学習会が実施された。私も六七期の新人弁護士として学習会に参加したので、以下、学習会の前半部と後半部に分けて、感想を寄せたい。
二 原爆症認定集団訴訟等
 新人弁護士学習会の前半部分は、佐々木猛也先生より「捨てられない記憶と記録 僕と原爆・ヒバクシャと裁判」と題し、原爆症認定集団訴訟と核兵器廃絶運動について講演を頂いた。訴訟及び運動の前提となる事実群、特に原爆が投下されるに至った歴史的経過、原爆投下のその日の具体的事実経過並びに被害の実態につき詳細な解説がなされ、広島出身の私にとっても勉強になることが多くあった。特に、原爆投下の日の広島の風景と人々の動きに関する描写は、実際に体験された佐々木先生だからこその迫力と生々しさがあった。
 広島というのは、その歴史的経緯もあり、戦争教育が盛んな土地柄である。学生時代、私も戦争の話に接する機会が多くあった。たとえば、小学校時代、夏休みの登校日には、担任の先生が伝達事項もほどほどに「はだしのゲン」や「ゆめゆりの塔」の上映会をしていた。また、定年退職される社会科の先生が、「最後にどうしても子供たちに伝えたい。」と、自身が体験した戦争の惨禍について校内放送をなさっていたこともある。その時に耳にした、原爆投下の際の凄まじい衝撃と、その後の地獄絵図については、涙ながらに語る先生の声とともに今も胸に残っている。
 佐々木先生の格調高く熱意に溢れた講演は、色褪せつつあった私の過去の記憶と、戦争の惨禍を悼み、戦争根絶を願う気持ちに、新たな色彩と息吹を与えてくれた。
三 Club NOON訴訟
 昨年の七月、私は京都にいた。修習生主催で執り行う七月集会の実行委員としてである。夜の懇親会の席で、集会に来て下さったとある先生が、「今から時間ある?クラブ行こか。」と誘って下さった。私は、「女の子のいるお店に行くのは久しぶりだなあ。」と思いながら、ワクワクして先生に付いていった。「着いたで。」と言って先生が指し示した先には、煌びやかな衣装に身を纏った妙齢の女性がお酒を入れてくれて男女間の小粋な会話を楽しむクラブではなく、DJがいる方のクラブがあった。しかもただのクラブではない。日本最古ともいわれる老舗クラブ、Metroである。
 私の邪な期待は見事に裏切られたわけではあるが、ここで私は一つのカルチャーショックを受けた。Metroには、純粋に音楽を愛し、新しい音楽性を模索するとともに、音を奏でる喜びに震える演奏者がいて、同じく音楽を愛し、心のまま、それに身を委ねる人たちがいた。老若男女が混在し、一人一人の国籍や職業もバラバラではあるが、音楽を愛する心は一つだった。彼らにとって音楽は生きる喜びであり、癒しであり、世界に対する祈りなのである。私はそれまでクラブというものをよく知らず、なんとなく、若い男女が出会いの場として夜な夜な集う場所であって、かつ、麻薬取引等の悪事の温床になっているというような固定概念を持っていたが、それは紛れもない予断と偏見であった。
 前置きが長くなってしまったが、私をMetroに連れて行ってくれた先生こそ、新人学習会の後半部分の講師を勤めた、Club NOON訴訟弁護団長の西川研一先生なのである。Club NOON訴訟はクラブとそこに根付く文化を守るための訴訟であり、その意義深さはもはや語るまでもない。
 Club NOON訴訟において弁護団が無罪判決を勝ち取り、控訴審でもこれを維持できたのは、固定概念に捉われず、知恵を出し合い、戦略を練り、創意工夫を重ね、信念を曲げずに最後まで闘いを続けたからである。そのことは、新人学習会の西川先生の発言にも現れているが、なによりも弁護団の訴訟活動と運動を見れば明らかである。練り上げられた法廷活動、インターネットを最大限活用した広報、グラフィティの統一等、Club NOON訴訟弁護団に学ぶべき点は多い。
四 おわりに
 新人学習会のいずれの講演にも共通するのは、信念の下に、粘り強く努力を重ねることの重要性である。私も自由法曹団の末席として、学習会を通じて学んだ諸先輩の思考と努力の積み重ね、そして何よりもその不撓不屈の精神にならい、今後の様々な活動に積極的に取り組んでいきたい。


労働分科会に参加して

東京支部  水 口 瑛 葉

 先月、広島・安芸で五月集会が行われ、一日目・二日目と労働分科会へ参加しましたので、労働分科会の様子をご報告致します。
 一日目は、労働法制改悪をめぐる情勢と課題、今後の行動提起について報告や議論がなされました。
 各地の労働法制改悪に反対する運動についての報告がありました。東京支部では、組合と共同で労働法制の改悪の内容に言及したタブロイド紙を作成し、これを配布するなどの運動を行っています。各地でも街宣等の運動を行っているようでしたが、派遣法改正案については既に国会での審議が始まっており、なかなか草の根の運動を広げていく時間的余裕がないためか、各地でも取り組みに苦慮しているような様子でした。
 このような情勢の中、団としてどのような運動を行っていくべきかを議論し、一〇・一ペーパー問題や、塩崎大臣自信の経営者団体での「とりあえず通す」旨の発言から、塩崎大臣について辞任要求を行い、両法案の撤回を求めていくべきだとの方針が決定されました。 
 また、法案を通さないためには、やはり国会議員への働きかけを重視しなければならないということで、衆参の厚生労働委員、地元選出議員への要請FAXの集中等を行っていくことが確認されました。
 議員への要請においては、この法案が通った場合には“具体的にどのようなことが起こるのか”という視点で語ることで、国会議員も耳を傾けやすくなる旨の発言がありました。
 これは、国会議員だけでなく、一般の人々に呼びかけるときにも重要な視点だと思います。法案のどの部分が変わるのかを具体的に説明し、その結果どうなるか、をすべて理解してもらうにはまとまった時間が必要です。このような情勢の中では、具体的にどのような事が起こるのか、どのような結果が想定されるのかを示して、興味を持ってもらい、素早く動ける状態を作ることが必要となってきます。このような考え方は、労働法制の問題についてだけではなく、安保法制やその他の問題に対する運動についても同じことが言えるのではないでしょうか。
 二日目は、事件報告が中心になされました。
 印象的だったのは、複数の団員から、労働組合に自分から働きかけて学習会等を行い、相談に乗るなどして組合と長く付き合い、良好な関係を築いていったところ、いざ重要な問題が発生したときに、今まで築き上げてきたその良好な関係性が力を発揮したというエピソードが紹介されたことでした。労働組合の組織率が落ち、組合の力が弱体化しているということは良く語られるところですが、それを嘆いているだけでは始まりません。私たちから労働組合への働きかけを行い、その活動をバックアップしていくことも必要なのだと感じました。
 多くの事件報告があり、団員の先生方が各地でそれぞれ労働事件に取り組んでいらっしゃることを改めて実感し、また、現在どのような点が問題になっているのかを一度に知ることができ、非常に勉強になりました。
 労働分科会は、一面がガラス張りで、外の木々の緑が見えるとても明るくさわやかな会場で行われました。労働法制に関する状況は、明るくさわやかとはいえませんが、諦めずに行動していかなければなりません。私も微力ながら頑張って参りたいと思います。


労働分科会(二日目)の報告

神奈川支部  川 岸 卓 哉

 五月集会労働分科会二日目は、労働裁判の取組みについて、リストラ・解雇とのたたかい、非正規切りとのたたかい、労災・残業代などの労働裁判、ブラック企業とのたたかいなどをテーマに、報告・意見交換がされました。
 分科会冒頭の問題提起において、中村和夫労働問題委員会委員長は、フランチャイズの労働運動に取り組む米国の弁護士から、「組織拡大に貢献しない裁判はやるべきではない」と言われたことを紹介した上で、一つ一つの裁判において労働運動を展開し労働条件を改善していき、たとえ裁判で負けたとしても,その後,運動で勝ち取っていくべき姿勢の重要性を指摘されました。同じく、小部正治団員も、勝訴率の低い公務労働事件において、難しい裁判でも、労働組合運動の発展の観点から闘っていく重要性を強調していました。並木陽介団員から報告のあったIBMロックアウト解雇事件についても、ロックアウト解雇の手法が、現在の労働法制改悪において狙われている解雇自由化の流れとなることが指摘され、労働法制改悪を止めるべく、裁判を勝ち取っていく必要性が述べられました。この点、「ブラック企業」問題として展開されている裁判は裁判による救済にとどまらず、職場の労働条件改善や、社会への問題提起を意識した運動が展開されており、学ぶところが多いとの指摘もありました。以上の各発言からは、労働裁判においても、単に裁判による救済のみならず、労働運動を前進させ、安倍雇用破壊の歯止めとしていく取組とする必要性が再認識させられました。
 裁判と労働委員会双方の活用についても、意見が出されました。ビクターサービスエンジニアリング事件では、裁判と労働委員会両方に活用することについて勝利的和解に至った経験をもとに、解決に向けた多様なチャンネルを活用する戦略が有効であったことが報告されました。他方、敗訴事件の報告者からは、初期の土俵設定において、裁判のみならず不当労働行為による労働委員会も活用するグランドデザインもあり得たのではないかとの総括報告もありました。このように、裁判だけでなく、労働委員会双方を積極的に活用し解決を図る戦略についての検討の重要性が指摘されました。
 分科会においては、弁護士と労働組合の関係について提起されたのも印象的でした。平井哲二団員からは、労働組合における学習会などを継続的に行うことにより、労働組合との関係を密にして信頼関係を構築し、事件発生後の裁判による事後的解決とどまらない、事件発生前段階での弁護士としての日常的な労働組合との関わり方が提起されました。尾林芳匡団員からも、若手弁護士へのメッセージとして、労働組合の組織化のため能動的に労働者のなかに飛び込んでいき、ボランティアでの学習会を引き受けるなどして関係構築をし、二〇年以上継続して組織化に貢献するなかで、重大事件を解決し労働条件改善に至った経験などが語られました。弁護士が、労働組合から持ち込まれる事件を引き受けるだけにとどまらず、積極的に労働組合運動に関与し、継続的な関係を構築し、組合運動の前進につなげようとする組合顧問弁護士としての姿勢は学ぶところが多かったです。
 以上、労働分科会二日目も、勝訴判決を勝ち取るという目的のとどまらず、広い視野で創意工夫をしながら労働事件に取り組む全国の団員の報告に刺激され、労働事件に取り組む智恵と意欲の湧いてくる、自由法曹団五月集会らしい分科会でした。


五月集会教科書分科会 感想文
今年の夏は熱いぞ! みんなで教科書展示会へ行こう♪

東京法律事務所  新 屋 朝 貴

一 分科会で各地の取り組みを共有♪
 教科書分科会に参加し、教科書採択問題を取り巻く環境は各自治体によって状況が様々だということがわかりました。「つくる会系」教科書が採択されたことがあるかどうかだけでなく、採択制度の仕組みや要綱の違い、議事録の公開の有無、教育委員会の日程公開日など自治体によって様々でした。
 各地で異なる環境の中、『どの地域でも採択の可能性はある!』という危機感は共有されていて、どの参加者からも『情報や経験を共有したい』という熱い思いが会場に充満し、とても良い雰囲気だったと思います(上から目線ですみません)。
二 地域での取り組みに活かす♪
 私も分科会で全国の取り組みや教訓を共有したいという強い思いがありました。新宿では街頭宣伝や学式宣伝などもしていなく、多くの市民の目に触れる取り組みができていませんでした。分科会では「公園でチラシを撒く」「学校前で下校中の生徒にチラシを渡す。そうすれば父母に届く」という発言もありました。そのような発言を受け、さっそく六月八日一七時三〇分から、高田馬場駅前で宣伝を行いました。宣伝場所についてはよく話し合ったのですが、平日の夕方、区内で父母や子どもたちが集まるような場所が無く、通行者が多い駅前で行うことになりました。
三 教科書の分析が凄い!!
 分科会では育鵬社の教科書の分析が報告されていて、とても凄いと思いました。
 四年前と若干の修正もあり同じような批判ができなくなった今年の育鵬社教科書について、具体的な記述部分を読み込んでの批判がされていて、とても勉強になりました。
 育鵬社(公民)は「愛国心」とゴシック文字で表示されています。愛国心の定義として「国家への帰属意識、国の名誉や存続、発展などのために行動しようと思う気持ち」としています。また、同じページに記載されている世論調査に「個人の利益よりも国民全体の利益を大切にすべきだ―五三・五%」が記載されています。そして「一般の家庭では国民の祝日などに国旗が掲げられ、喜びを表します」などの記述もあります。このような記述を通して愛国心を煽り、他の章でも危機感や恐怖心を煽る内容になっています。
 新宿では再度教育委員への申し入れをする際には、教科書に記載されている内容に触れた申し入れ書を作成することも検討中です。
四 六月七月が勝負の時!
 教科書採択へ向けて、勝負の時は六月七月です。六月から開始される教科書展示会へ行き多くの方に「育鵬社教科書は採択しないで」と意見を書いてもらうこと、そして歴史公民教科書について議論される教育委員会の傍聴をすることです。新宿区では八月の教育委員会で採択ですが、その会議では既に採択する教科書がほぼ決定しています。ですので、七月の教育委員会への傍聴が大切です。
 五月集会では各地での取り組みが報告されていましたが、団事務所の繋がりを活かし、近県で取り組みの無い地域への働きかけをするなど、「切れ目の無い」教科書問題の運動を起こす必要があります。油断は禁物です。すべての採択地区でつくる会系教科書の採択を許さない取り組みを広げていかないと、思わぬ地域で育鵬社が採択されるかもしれません。そしたら、四年間、その地区の公立学校では育鵬社の教科書が使用されます。そんなの嫌です。
 東京法律事務所もみんなで展示会へ言って意見を書きに行きます!みなさん、短期決戦です。頑張りましょう!


五月集会「原発」分科会に参加して

東京支部  塚 本 和 也

 広島・安芸で行われた五月集会の「原発」分科会に参加いたしましたので、感想などを書かせていただきます。
 まず、河合弘之弁護士が作られた映画「日本と原発」の短縮版が上映されました。私はこの映画を東京弁護士会と沖縄大学でも観ていますが、原発の問題点について様々な角度からわかりやすく明らかにしている良い映画だと思います。特に、安倍首相のオリンピック招致での発言と飯舘村の被害の実情とを対比する場面では、怒りがこみ上げてきました。私は、生業訴訟の検証準備のために何度か現地に行っていますが、避難指示区域内にはいまだに津波の跡がそのまま残っており、放射性廃棄物を入れた黒い袋が大量に積み重ねられています。やはり、裁判官には現場を見たうえで判断をしていただきたいと思っています。
 次に、裁判官として金沢地裁で志賀原発の差し止め判決を出され、現在は弁護士として原発訴訟に関っておられる井戸謙一弁護士が「脱原発と司法の役割」という講演をしてくださいました。福島原発事故前の原発訴訟では敗訴判決ばかりだったが、事故後には裁判官の考えが変わる可能性は十分にあるというお話でした。そして、福井地裁の判決・決定と鹿児島地裁決定を対比して解説していただきました。福井地裁は市民目線の判決・決定であるのに対し、鹿児島地裁は規制委員会の判断を優先しすぎていると感じました。正直、理論面の説明には十分にはついていけませんでしたが、司法の役割を果たす良い判決を獲得するため、これから頑張って勉強しようと思いました。また、脱原発のためにも福島原発事故の被害をしっかりと明らかにすることが大切であると再認識しました。
 最後に、各地の訴訟の報告が行われました。生業弁護団の南雲弁護士は、田中正造の直訴を引用しながら、責任追及の大切さについて話されました。そのほか、脱原発訴訟と被害者訴訟の連携が大切だという意見が出されました。
 今後も、今回の分科会のように自由法曹団の先生方と情報共有や意見交換をしながら、団結して原発問題に取り組んでいきたいと思いました。よろしくお願いいたします。


ヘイトスピーチ分科会に参加して

神奈川支部  竹 本 香 織

 広島・安芸五月集会にて、ヘイトスピーチ分科会に参加しました。
 分科会の始めに、会場の前に設けられたスクリーンで、新大久保や大阪で実際に起きたヘイトスピーチの映像が流されました。「在日は日本から出てけー。」「良い韓国人も悪い韓国人もみんな殺せ。」相手の気持ちなど全く考えずに(あるいは逆に殊更傷つけようとする意図で)口汚く、人の尊厳を踏みにじるあまりに醜い言動に、会場の空気は一気に緊迫し、重苦しいものとなりました。
 映像が終わった後は、各地の団員から、自身が体験したヘイトスピーチや差別的言動について報告がありました。病院で名前を呼ばれるのが怖い。公園で仲良くなったママ友が在日と分かると途端に離れていく。事件の相手方本人やときには依頼者から事案とは全く関係なく「在日」であると罵られる。周囲の人に自分が「在日」であることを言うのが怖い。報告を聞いて涙を流す団員もいました。
 その後、ヘイトスピーチへの対抗策として、法務省による相談受付(但し、実際に機能しているとは言い難い)や大阪市を代表とする条例制定運動、カウンター行動が紹介され、法規制の是非について、賛成反対の両立場から意見交換がなされました。
 また、法規制の現状については、処罰対象行為の定義付けを慎重に行うことや規制態様の工夫等、国家権力による悪用がなされないよう知恵を絞っての活発な議論がなされており、条文や基準が具体化しつつあることが報告されました。
 法規制については賛否両論あるかと思いますが、個人的には賛成です。正直なところ、分科会に参加するまでは、どちらともいえないという立場でした。ですが、法規制に向けて議論を重ねる団員の報告を聞いて、たとえ表現の自由、国家権力による恣意的運用のおそれといった困難があっても、法曹である以上、決して法的な解決を諦めてはいけないという気持ちになったことが賛成の考えに変わった理由の一つです。
 また、もう一つの理由は、ヘイトスピーチの被害実態の深刻さを改めて知ったことです。上記のヘイトスピーチの映像や体験談はヘイトスピーチがいかに卑劣で相手の心を傷つけるものかを知るのに十分なものでした。また、犯罪被害者問題に取り組む団員から、ヘイトスピーチの被害について、「感情的苦痛」(悲しい、悔しいという気持ち)だけでなく、「前提の粉砕」(人が日常生活を送る上で当然の前提となっている周囲への信頼が粉砕されてしまうこと。たとえば「このバスに乗っても乗客が自分を攻撃してくることはないから大丈夫」という前提が砕かれることによってバスに乗れなくなるといった支障が生じる)といった犯罪被害者が陥る傾向と酷似するという指摘がありました。それだけ、ヘイトスピーチによる被害は深刻かつ甚大だということです。そのため、一人ひとりが「私はヘイトスピーチを許さない、差別を許さない」と意思表示することはもちろん大切なことだと思いますし、より大きい視点でみると、法律又は条例によりヘイトスピーチを規制すること、少なくとも違法であると明言することは、その社会が一丸となって差別を許さないという姿勢を示す意味で、とても重要なことだと思います。
 ヘイトスピーチに対して「許せない」という気持ちは、相手の心を思いやる気持ちが少しでもあれば当然抱く感情です。しなしながら、たとえ許せないと思っていても、ヘイトスピーチに対して何もしないということは、被害を受けている相手にとっては、ヘイトスピーチを黙認しているのと同義です。それでは差別を助長し、相手を傷つけることになってしまいます。
 実際に差別を受けた経験のある団員は、分科会のなかでこのように言いました。
 「差別の被害を知った人から聞きたいのは『かわいそう』という感想ではない。『私はこれからこう動く、実際にこう動いてみた』が聞きたいんです。」
 この団員の言葉が強く心に残っています。私は、今回の分科会に参加して、ヘイトスピートを許せないという気持ちがありながら、今、何もしないということは、この問題をどこか他人事として捉えているからなのかもしれないという、自分の中にある差別意識を自覚し、強く反省しました。「かわいそう」では足りません。今度団通信に投稿する際は、「かわいそう」からもう一歩進んで、「こう動いた」という報告をしたいと思います。


たくさんのご参加ありがとうございました〜五月集会 女性部ゆるカフェ〜

東京支部  畠 山 幸 恵

 先日、広島・安芸で行われた五月集会で、女性部企画「またやります!『ゆるカフェ』〜女性弁護士の働き方を考える〜」を開催しました。懇親会後の夜遅い時間帯にもかかわらず、また、女性弁護士の働き方というサブタイトルでしたが、男性の先生も参加してくださり、あわせて約三〇名もの先生にお集まりいただきました。
 ゆるカフェということで、机を囲んでお茶(お酒がメイン?!)やお菓子をつまみながら、自分のこと、周囲の人のことなど抽象的な悩みから具体的なものまでざっくばらんに話し合いました。参加者は六〇期台と若手が多く、結婚・出産に直面しまたはこれらを含む将来について不安を強く抱いていましたが、こうした不安に、上の期の先生方がご自身での体験やいろいろな事務所ごとの工夫などを話してくださいました。結婚・出産が落ち着くと今度は介護の問題が生じたり、仕事(経営)と運動と家庭とのバランスのとりかたをどうするかという問題もあったりと、なかなか平坦にいかない弁護士人生とどう向き合うのかということも考える機会になりました。最終的には、妊娠・出産の悩みは「産んでしまえばなんとかなる」という頼もしいアドバイスもいただきました。
 女性ならではの悩みを相談できる場があり、それに対して全国の先生からアドバイスを受けることができるということは、全国組織である自由法曹団ならではの強みだと思いました。そして今回は、こうした悩みを女性だけで完結させず、男性にも参加してもらうことで「女性だけの」悩みではなく「全体の問題」として考える場にもなる可能性を模索できたと思っています。
 今後も、こうした機会を設けて、女性部ならではの視点でいろいろな企画を発信していけたらと思っております。また「ゆるカフェ」を開催する折には、みなさんぜひご参加ください。


ヘイトスピーチは無視すればよいのか
〜伊賀興一さんの論稿と分科会での発言への批判

東京支部  金   竜 介

 五月集会でヘイトスピーチの分科会がもたれた。団の全国集会としては初めてのことだ。ヘイトスピーチが日本社会に蔓延している状況や被害者の苦痛について多くの報告があり、今後もこの問題に引き続き取り組むことが参加者によって確認された。今後の団の活動を考える上で有益な分科会であったと思う。
 分科会の様子については他の参加者から報告があると思われるので、本稿では、伊賀興一さん(大阪支部)の論稿「ヘイトスピーチ問題、私はこう考える」(二〇一五年五月研究討論集会 特別報告集 )と分科会での発言について、ヘイトスピーチの攻撃対象であるマイノリティの現状を踏まえてその問題を指摘し、今後の団員の取り組みについて考えることとする。
一 「マイノリティは疲れ果てている」
 青法協弁学合同部会の機関紙に和田義之さんの論稿が掲載されていた。
 「ヘイトスピーチが社会問題となって数年以上、法律家は何らの処方箋も示さず、延々と議論のみ続けてきている。そこには、マジョリティであることからくる想像力の限界、もしくは余裕のようなものがあるのではないだろうか」「マイノリティはこの状況に疲れ果てている、加害者らに対して疲れ果てているのではなく、むしろ味方だと思っていた人権派の人々を説得するのに疲れ果てている」(「いま一度ヘイトスピーチ規制について」『青年法律家』二〇一五年四月二五日号)。
 これほど的確に私たちの現状を表現した弁護士の文書を私は知らない。(なんでこの人はわかってくれるのだろう…)大げさではなく私はこの文を泣きながら読んでいた。
 谷文彰さんの論稿も大きくうなずいた。
 「ヘイトスピーチの規制の是非を議論するには、こうしたヘイト被害の特質をまず正確に理解しなければならない。表現の自由との関係はもちろん重要だが、他方で侵害される権利・利益とその重大性も充分に目が向けられる必要がある。この間の議論を見ると、被害を受ける側への理解が不十分なのではないかというものが散見されるように感じることがあるため、まず議論の前提として、ヘイト被害への理解をどのように深めていくのかが観念されるべきではないだろうか」(特別報告集「裁判は終わった。けれど…〜京都朝鮮学校ヘイトスピーチ事件」)。
 和田さんや谷さんに共通するのは、ヘイトの被害当事者と付き合っていくうちにその被害の実態を認識するようになったということだ。谷さんの論稿には、京都朝鮮学校の子どもたちの「もう大丈夫」「今は問題ない」との言葉への弁護団の戸惑いとその意味を理解する過程が率直に書かれている。“けなげさ”などというような生易しいものではない、全人格的な甚大な被害を受けながらそれを口にできないということの意味を谷さんたちは正確に理解している。
二 「無視するに限るのである」〜伊賀興一さんの論稿への批判
 「まず、私はほぼ確信なのだが、ヘイトスピーチを行っている人たちは、自らの考え方をして共感を呼び、それが多数派を形成するという意識も意欲も持っていないところに本質があると、初めに書いた。この見方は甘いと叱られるかもしれない。被害者の気持ちがわかっていない、といわれるかもしれない。しかしながら、ヘイトスピーチは、その本質を先のようにとらえる場合、無視するに限るのである。 もちろん、個別の個人や団体に対して牙を直接向けた場合には、これは黙過する必要は全くなく、容赦なく、取りうるあらゆる手段をとるべきである。」(特別報告集)。
 これが伊賀興一さんの結論だという。まさにマジョリティの想像力の限界、マジョリティの余裕だ。〈無視すればいい〉と述べる人間に対し、私は強い恐怖を感じる。「朝鮮人をぶっ殺せ!」と叫んでいる群衆に感じるものとは異なるものの、その恐怖感は、直接的な排除の言葉よりも大きいといえる。
 「個別の個人や団体に対して牙を直接向けた場合」とは、例えば京都朝鮮学校襲撃事件のようなものを想定しているのであろうが、ヘイトスピーチの被害はそのように分別できるものではない。名指しされなければ無視できるというというようなものではないのである。
 ジャーナリストの安田浩一氏は、下記のような経験を書いている。在日特権を許さない市民の会(在特会)のヘイトデモを李信恵氏と取材に行ったときの話だ。
 「そのとき私は、在特会に名前と顔が知られている李さんが名指しで誹謗中傷されないか、そればかり心配していました。その日のデモも低劣きわまりないものでしたが、李さんへの個人攻撃はないまま終わり、私はそれでほっとしたんです。そこで私は『よかったね』と李さんについ言ってしまった。李さんは表情を歪めて泣いて、『死ね、ゴキブリって私はずっと言われていたやんか、あれは私に向けられた言葉やないの?』と。」(「人間と社会を傷つけるヘイトスピーチ」(李信恵×安田浩一対談)『世界』 二〇一四年一一月号)。
 昨年一一月に行われた近畿弁護士会連合会人権擁護大会報告書「ヘイトスピーチは表現の自由か」の序章には次のような記載がある。
 「『そんなん気にせんとき』、『言いたい人には言わせとったらええねん』私が現に差別を受けたとき、そしてこれからも差別を受け続けるであろうことを悲観しているとき、友人らが私にかけた言葉のうちで最も多い言い回しである。この言葉を受ける居心地の悪さは、『あなたは、こういう目にあって、気にしないでいられるのか、勝手に言っておけばいいと超然としていられるのか』としか思えないことにある。まるで差別を受けたり、気にしたりする方が狭量であるかのようだ。」(「『ゴキブリ』『ウンコ』と呼ばれ、『死ね』と言われて」康由美弁護士)
 ヘイト集団が共感を得ようとしてないことを伊賀さんは確信しているというが、これは明白に事実と異なる。
 在特会などが、自らの考え方への共感を集めようという意欲を持っていること、現実に多くの共感を集めていることは、安田浩一氏の『ネットと愛国』、朴順梨氏・北原みのり氏の『奥様は愛国』などのルポを読めばわかるはずだ。今回の分科会でもクラス会や結婚式での友人の発言、小学生が「朝鮮人を殺せ」といい放つ事例などの報告が複数なされた。
 「私が恐ろしく感じるのは、ヘイトスピーチを行う人々が存在していることそのものではなく、ヘイトスピーチを行う人々に共感する人々が広がっていることである。」(前掲 康由美弁護士)
 これが事実の正確な認識である。
三 分科会での伊賀さんの発言
 五月集会の分科会で、伊賀さんは、ヘイト集団が共感を得ようとはしてはいないとの自説には全く触れず、無視すればいいとの自説についてもほとんど述べることをせず、自己の過去の経験を延々と述べていた。伊賀さんの演説を私は大きな苦痛の中で聞いていた。これはいったいなんなのだろう。伊賀さんは何を言いたいのか。伊賀さんが声高に語った体験談の登場人物を「朝鮮人」と入れ替えれば結論は自明だということか。真っ当な日本人が述べる正論を朝鮮人たちは差別だと言って攻撃してくるから気をつけろということなのか。私たちは伊賀さんの敵なのだろうか。私はこの部屋にいてもいいのだろうか…。
 伊賀さんが話し終えた後の会場の拍手は、単に儀礼的なものであったのか、それとも伊賀さんに対する賛同の趣旨であったのか。私は怖くて未だに分科会参加者に確認することができずにいる。
四 いま、弁護士に求められていること
 直接に向けられたものでなければ無視すればいいという伊賀さんの認識は、極めて平凡なものであり、この社会の多数意見であると思う。そして、それは弁護士たちの多数意見であり、ひいては自由法曹団員の多数意見でもあるのだろう。
 とはいっても、この分科会に参加した人の意識は今では違うのではないかとも思う。ヘイトスピーチの被害者に「気にしなければいい」と言った経験がある人も今後はその言葉の意味を考えてくれるようになったのではないか。少なくともそのときに相手がどういう表情をしているか―安堵の表情をしているか、それとも怯えた表情か―を確かめることくらいは意識してくれるであろう。
 いま、弁護士に求められていることは、ヘイトスピーチの被害を正確に理解することだ。ヘイトスピーチの規制の是非を論ずる前に、多くの自由法曹団員が「ヘイトの被害とはこういうものだ」とたくさんの人々に話せるようになってもらいたいと私は強く思っている。そうならない限り「マイノリティは疲れ果てている」という現状が変わることはないだろう。


差別概念は、合理性のない実体的不利益を要素とするとの一致が可能か

大阪支部  伊 賀 興 一

一 ヘイトスピーチ問題の所在
 今年の五月集会で、ヘイトスピーチ問題が取り上げられた。私は事前に、ヘイトスピーチの一網打尽の実現に焦るのではなく、個人としては「無視するに限る」と述べて、法規制に反対する寄稿をし、会場では、同和問題において生じた部落排外主義との戦いの教訓をいくつか紹介した。
 この国における排外主義思想を生み出す土壌というものは根深く、それだけに、憎悪感情むき出しの排外主義から被害者を擁護するという意図はよくわかる。しかし、ヘイトスピーチの法規制を要求するかどうかは、慎重に考えなければならない問題を指摘したかったからであった。
 ヘイトスピーチの法的規制を求める場合に、必ずぶつかることはヘイトスピーチの概念規定のむつかしさではないか。「排外主義による憎悪表現は、差別である」というほど単純なものだろうか。
 何が差別か、ということはそれほど単純で明快なものとは言えない。この回答を明確にしなければ、国連などでいう「差別撤廃」の議論ににわかに賛成できない。それは、いわゆる「心の問題」に矮小化され、加害も被害も、ともに「心の問題」にされてしまい、差別の真因に迫る妨げになりかねないからである。
二 ヘイトスピーチを生み出すこの国の支配権力の排外思想
 この国に生きる人たちの意識を決定づける要素の中の、日本の明治維新以来の「脱亜入欧」に象徴される排外主義思想の厳しさと、一〇年ごとに繰り返した侵略戦争の轍の克服は今もなお、この国の課題だと思う。ところが、歴史修正主義の台頭、あの侵略戦争への「反省と謝罪」を言うのは「自虐思想だ」とする攻撃が支配権力側から盛んに流されている。戦後の対米従属の政治、経済、文化は、日本のアジアにおける孤立を促進させているのではないか。
 これらの土壌がヘイトスピーチを支えていることは動かせない事実だろう。戦後七〇年で予定されている総理談話の表現をめぐるイデオロギー闘争は、もろにヘイトスピーチ現象に影響を与えていることは疑いを入れない。その意味では、ヘイトスピーチに加わる人たちの憎悪感情は、その個人の「心が生み出した心の問題」とだけ見ることはできない。
 私は五月集会の会場発言で、外国籍住民の公務就任権の問題に触れた。いまだ最高裁判決が言った「当然の法理」という論理にならない論理で、憲法二四条にいう平等は実現されていない。公的に排除されている状態の改善は道半ばである。これは公的に不利益がもたらされている合理性を持たない実体的不利益である。そのことから怒りや反発という感情が湧き出ることになる。
 このような実体的不利益を生じさせる施策や法令などの撤廃、改善を伴わずに、「差別をなくす」という題目を唱えるだけでは、人の内心を規制しようとする制度そのものとなってしまう。差別意識を抱いているかのような言論、表現は、確かに聞くものをして反発や悔しさという感情に至ることは当然であるが、この国の政治、経済、文化等の影響を受ける市民の中に生まれる誤解や偏見まで法規制の対象となる危険性は、断じて避けなければならない。
三 「差別を受ける者の苦しみは、差別を受けたものしかわからない」という部落排外主義の過ち
 私はもう五〇年も前のことになるが、高校時代に部落研の活動に参加し、一年間ある部落で子供会の指導員補助に従事した。いろんなことがあり、いろんな会話をしてきた。ある天気のいい日に、近くの畑にみんなで出て、レンゲの花を積みながら談笑していた。その時、私は「いいなあ、この辺の子は。こんな気持ちのいい遊びができて」と独り言のようにつぶやいた。一瞬、その場の空気が凍りつくのを感じた。子どもたちにとってみれば、「あそこの子、部落の子」といわれては差別を受け、排除され蔑まれてきたことが染みついている。その凍りつくような反応の厳しさに、高校生ながら、地域の内外を意識させるような実体を改善することの重さを痛感したことを覚えている。同和問題は完全にとは言えないけれど、紆余曲折を経ながらも、基本的な解決の段階に来ているという見方が妥当するであろう。
 ちょうどそのころに起こされた矢田事件を契機に、部落解放同盟は、部落民以外は皆差別者、部落に不利益なものはすべて差別、差別かどうかは、差別を受けたものしかわからない、という部落排外主義を運動方針として掲げるようになる。同体審答申を経て、特に関西以西では、地方自治体に対する「差別をなくす行政を求める」という行政闘争が展開された。解同の言うことに同調しない人には見境なく差別者のレッテルを張り、暴力的抑圧を加えた。警察は目の前で暴行や監禁事件が発生しているのに見て見ぬふりであった。八鹿高校事件のような幾多の乱暴狼藉を生み出し、解同への屈服、服従を宣言する首長が続出するという考えられない事態にまで至ったことは、忘れられてはならない歴史的事実である。
 矢田事件の民事判決は、次のように排外主義の深刻な過ちを指摘している。
 「同和教育の推進あるいは同和問題解決を進めるについて、さまざまな意見や理論的対立の存在することが考えられるが、特定の思想なり運動方針に固執するものが右のような差別文書の定義({市教委と解同は}市教委の進める教育行政を批判する文書は、同和教育の推進あるいは同和問題の解決を阻害する恐れのある文書であり、これを記載したものは差別文書とするとの定義)を採用するときには、差別文書の解釈、運用の仕方如何によって容易に反対意見を封じる手段として利用され、同和教育の推進あるいは同和問題の解決に対する自由な批判討論が不活発となり、右問題に対する開かれた、自由な雰囲気がなくなって、ついには、一定の思想が独善に落ち込み、反対の理論ないしは思想の存在、更にはその考え方やその思想に同調する人々の存在をも許さないという結果に陥ることになる」
 この判決部分は、のちに政府の地域改善対策協議会基本問題検討部会報告に取り入れられている。
 この判決の言うところは、思想や感情について、たとえ深刻な差異が存在するとしても、自由な意見交換が保障されなければならず、ある特定の見解に固執するものが判定権を持つことは事態を深刻化させるという真理を鋭く指摘したものである。
四 法規制を検討する際の留意点
 ヘイトスピーチの法規制を検討する場合、私は、心理的差別や心情的反発を対象として法的規制や保護を検討することは誤りだ、と考える。差別とは実体的不利益を伴う場合に初めて法的場面での検討の対象とされるものと考えるのである。
 政府公権力の、さまざまな弱者属性を持つ人たちに対する実体的差別政策が温存されたまま-にならないか。その場合、被害者の被害感情は自由の範疇であるし、それに同調するかどうかも自由な意見交換の保障が不可欠だということである。そのような自由な意見交換を阻害しかねない特定属性の特別扱いにはやはり反対しなければならない。お互いの属性を尊重し、ともに人として平等に尊重される基礎というべき、連帯が阻害される結果を生む。
 さまざまな属性を持ちながら、みんな違ってみんないいという連帯の思想が否定され、新たな排外主義を生み出さないか、という懸念は十分検討されるべきだと思うのである。


ヘイトスピーチ問題について自由法曹団で議論すべきこと

神奈川支部  神 原   元

一 五月集会「ヘイトスピーチ分科会」における議論状況
 「何度聞いても慣れる、ということはない。」
 在日コリアンに属する団員は、絞り出すように言った。五月集会二日目、「ヘイトスピーチ分科会」において。ヘイトスピーチの現場映像を見ての発言だ。
 その後、在日の団員の血を吐くような訴えが続く。
 「在日の出自を隠して生きている」「ヘイトデモの子どもへの影響を思うと胸が張り裂ける」「日本を脱出したい」「リベラルが同じ方向を向いていないのがつらい」「身の危険を感じる。災害のときは在日名を隠して逃げる」…。
 映像は私が用意したもので、私にとって見慣れたものだった。しかし、在特会が「朝鮮人をぶっ殺せ〜」と叫ぶとき、それはマジョリティーに属する私に向けられたものではなかった。言葉の刃を向けられた人々の叫びに、私は十分耳を傾けてこなかった。私は自分の甘さを感じた。
 私は、これまで自由法曹団にて「ヘイトスピーチ法規制」の議論は避けてきた。議論の一致はみないであろうとの予想があったからだ。しかし、それも私の甘さだったと気づいた。目の前に「被害者」がいて「救済」を求めているのに議論を避ける、これは被害者を置き去りにせよということではないだろうか。自由法曹団が真に「民衆の側」に立つならば、そろそろ法規制論について、重い腰を上げる時期ではないだろうか。
 分科会では、札幌でネット右翼の植村隆氏に対する攻撃とたたかう郷路団員、大阪でヘイトスピーチ規制条例案の作成に携わった田島団員、関西弁護士会でこの問題のシンポを主催した藤木団員から貴重な報告があった(この問題を「部落問題」に結びつける議論には率直に言って無理があったと思う)。私たちはこれらの貴重な報告、そして何より在日の団員の血を吐くような叫びを、無駄にしてはならないはずである。
二 五月七日付け日弁連意見書
 日弁連はヘイトスピーチ問題に関し、二〇一五年五月七日付けで新しい意見書を公表した。その要諦は、政府に対し、(1)罰則を設けない形でヘイトスピーチ規制をもうけ、これを違法化すること、(2)差別の実態について公的な調査をすること、(3)差別禁止基本法を制定すること、の三点を求めることと理解される
 自由法曹団としては、まずは、この意見書を叩き台にして議論を始めてはどうか。まず、この意見書をどう評価するのか議論する。その上で、この意見書に欠けているものを補っていくのが団の役どころであろう。私は、当面、以下の二点を指摘したい。
 第一として、日弁連の意見書は、ヘイトスピーチ勢力を扇動する政治権力との対決姿勢が希薄である。拙著「ヘイトスピーチに抗する人々」(新日本出版社 二〇一四年)で強調したとおり、ヘイトスピーチ蔓延の根本的原因は、繰り返される政治家の差別発言と日本政府による少数民族差別政策にある。とりわけ歴史修正主義に立つ極右安倍政権は、同じく歴史修正主義に立つ在特会等ヘイトスピーチ勢力と心理的幇助関係にある。団はこの構造を暴き、ヘイトスピーチの根底にあるものを断罪するべきだ。
 第二に、ヘイトスピーチに抗する運動と法律家の結節点をどう作っていくのかという課題である。ヘイトスピーチ問題は、同時に「カウンター運動」という新しい民衆運動を成立させた。民衆はヘイトスピーチ問題を自らの問題と受け止め、多くの犠牲を払いながらこれを排除しようと努めている。団は彼らと交流し、必要があれば法的助力をためらってはならない。
三 団の責任
 「戦争法制」「労働法改悪」「TPP」…。団に課せられた課題は多く、それぞれ重い。だから、「団は一丸となってこの問題に取り組むべきだ」等というつもりはない。
 しかし、この問題に関心のある少数のメンバーが会合を開き、常幹に報告する、という形で議論の火ぶたを切ることは可能だろう。「五月集会」では多くの被害者からその思いを引き出した。団は最後まで議論を重ねる義務があると思う。


東京都立学校「日の君」強制事件・第二次再雇用拒否訴訟
第一審「勝訴!!」判決報告

東京支部  柿 沼 真 利

 まず、長いタイトルで申し訳ない。あと、若干(?)報告が遅れてしまい申し訳ない。
はじめに
 東京都立学校の卒業式・入学式の実施に関し、あの石原慎太郎都政下の二〇〇三年一〇月二三日に一つの「通達」が東京都教育委員会から出され、以後、卒業式などにおいて、職務命令に反し、「君が代」斉唱時に、「日の丸」に向かって起立しなかった教師の方々が、懲戒処分、あるいは、定年退職後の「再雇用職員」等への採用の一律拒否、等の不利益を課されている現状にあることは、皆さんご存じのとおりだと思う。
 この件に関しては、既に、最高裁まで行った事件もあり、正直、既に終わった事件なのでは?、などと考える方もいるやもしれない。
 しかし、この件は、現在もなお強制に従えなかった方々の被害が出続けており、訴訟活動も継続的に行われているのである。
 そんな中、本年五月二五日、東京地裁は、「画期的」な判決を言い渡した。それが、タイトルにある、第二次再雇用拒否訴訟の第一審判決である。
事件の概要と判決の内容
 同事件は、二〇〇七年三月、〇八年三月、〇九年三月にそれぞれ、定年退職を迎えた都立学校の教師であった方々二二名が、都立学校の定年退職後の再就職制度である「再雇用職員」、「非常勤教員」への採用を希望したところ、過去に、「君が代」斉唱時に職務命令違反の「不起立」があったこと「のみ」を理由に、それが重大な非違行為であるとして、一律にその採用を拒否されたので、その違憲・違法を主張し、損害賠償請求を行うものである。
 提訴が、「二〇〇九年九月」であるので、「第一審」の判決言渡しまでに、五年八ヶ月の期間を費やしたのである(提訴時、小学一年生であった方が、もう中学に進学している時間の長さである・・・まあ、あまり意味のあるたとえではないが)。
 さて、本題に戻ろう。判決の内容は、端的に言うと、被告・東京都による「不起立のみ」を理由とした本件採用拒否は、その裁量権を逸脱・濫用する違法なものであり、原告らに対し、一人当たり、再雇用職員に採用された場合に一年間分の給与に相当する金額の賠償を行うことを、東京都に命じた、というものである。
 この判決が、「画期的」なのは、既に、この「日の君不起立」を理由とした「定年退職後の再雇用職員などへの採用拒否」に関しては、複数の訴訟が先行的に起こされており(本件も「第二次」と銘打っている)、それらはいずれも、最高裁まで行った上で、全面敗訴判決が確定してしまっており、本件でも都側はそのことを主張していたのである(まあ、それが、本件が長引いている理由の一つでもあるが)。そんな中で、本件では、「勝訴」判決を勝ち取ったのである。
 本件で弁護団は、公務員の定年退職後の採用制度に関する近時の法制度等のあり方(「原則採用」の流れ)、これに沿った新たな裁判例の存在、行政機関の裁量権行使の適法性判断に関する近時の最高裁判例の傾向(具体的で緻密な総合考慮)を示しつつ、本件の判決を、単なる先行訴訟の判決のコピペにしないよう、弁護活動を行った。また、都側の強制の実態が、「通達」、「職務命令」などの個別の要素だけに存在するのではなく、「通達」→「職務命令」→「懲戒処分」→「採用拒否」という「一連の仕組み」によって構成されているとの視点も示した。
本判決の注目点
 この判決で注目すべきは、(1)教師らに「君が代」斉唱時に起立を命じるのは、その教師らの世界観、人生観などに関わるものであり、「思想・良心の自由」に対する間接的制約になり得るものであり、これに対する不利益は慎重に行わなければならないこと、(2)都立学校における教師の定年退職後の再雇用職員制度などは、教師らの定年退職後の収入の確保などの趣旨がありこれに対する教師らの期待は法律上保護されるものであり、東京都の採用選考に関する裁量権も一定程度制限を受けること、(3)教師らに「君が代」斉唱時の起立を命じる職務命令の根拠として都側が主張している学習指導要領のいわゆる「国旗国歌指導条項」については、学習指導要領の全体的な概要を見た上で、同要領中の同条項の位置付けについて、「他の特別行事の実施や配慮すべき事項の内容と対比して特段区別した位置付けが与えられているとまでは認められない」とし、このことをのみを採用拒否の理由とはできないこと、(4)再雇用制度等は、退職前の地位に密接に関連し、全く新規に採用する場合と同列に考えるべきではなく、懲戒処分を課す場合と別異に考えるべきではないこと、などを認めた点である。
 なお、本件で、原告らは、先行する訴訟と同様、「思想・良心の自由」侵害、「教育の自由」侵害、教育基本法違反なども主張したが、それらの点については、本判決は、そもそも判断自体していない。
 しかし、上記の裁量権の逸脱濫用論の中で、憲法的価値観や、教育法的価値観を盛り込んでいる点も見ることができ、よく「練られた」判決であると言える。
今後、控訴審
 とはいえ、都側は、早速、控訴してきやがりましたので、第二ラウンドの開幕である。先行訴訟では、第一審で勝訴したものの、控訴審で逆転敗訴となったものもあり、気を引き締めて取り組むことが求められる。

二〇一五年六月一六日


国や自治体を相手とする不当労働行為申立について

神奈川支部  伊 藤 幹 郎

 長尾団員の投稿に触発されて私も労働事件の話題を提供する。
 一つは今年一月八日に勝利・解決した労働者健康福祉機構事件であり、もう一つは今年四月三〇日に申立をした鎌倉市・同議会事件である。
 共通するのはいずれも直接労使関係にある使用者だけでなく、労使関係を支配する団体をも相手方としていることである。
前者は全国労災病院労働組合(以下、全労災)が労働者健康福祉機構(以下、機構)の他に厚労省をも相手方として不当労働行為の救済申立をしたことであり、後者は鎌倉市職員労働組合現業評議会(以下、現評)が鎌倉市だけでなく鎌倉市議会をも相手方として不当労の申立をしたことである。いずれも全国最初のケースである。
 全労災は全国の二九労災病院に三六〇〇人の組合員を擁する単一の医療労働者の組合である。
 全労災と機構との労使関係は賃金交渉に限ってみても二〇〇五年以降不正常な状態が続いた。争いの元は、機構が職員給与規程に、夏期の期末手当は六月三〇日に二・二五ヶ月、冬期は一二月一〇日に二・一五ヶ月分を支給すると定めているにもかかわらず、規程通りの額を払わなくなってしまったことである。支払わない根拠は、同じ規程の中に理事長の裁量によって支給率を下げることができるという条項が挿入されてしまったことである(組合はしばらく気付かなかった)。それにより二〇〇六年一二月期一時金以降、期末手当は規程通り支払われなくなった。
 そのため二〇〇八年九月、組合は規程通りの一時金支払と誠実団交を求め神奈川県労委へ不当労救済の申立を行ったところ、団交で機構は必要に応じて十分な資料を提示するなどして誠実に説明する、団交ルールについて協議して定めるという和解協定が二〇〇九年一月成立した。しかしそれにもかかわらず、機構は二〇〇九年六月期から二〇一一年六月期一時金まで規程通り支払わなかった。そのため再び同じような内容で、二〇一一年八月救済申立をした。
 審査の結果、二〇一二年四月四日下記内容の和解が成立した。
労使関係のあり方として、「労使双方は、政策医療・地域医療の担い手としての活力の維持と労働者健康福祉機構を取り巻く環境の変化や課題を共有し、労使自治の原則に則り、建設的な未来志向の労使関係の構築に努める」。
 期末・勤勉手当の交渉のあり方として「労使双方は、諸法規・就業規則・諸規程等及び労使で合意した内容を踏まえ交渉を行う。」などというものである。これで紛争はひとまず終束すると思った。
しかし機構の団交態度は全く改まらず、直後の夏期一時金交渉の回答も一・九ヶ月と規程より〇・三五ヶ月少なかった。その理由とするところは「閣議決定等にもとづく政府からの要請をふまえた結果」というもので、それ以上明確な根拠を示さなかった。
 そのため組合は再々度、今回は厚労省をも相手方として不当労救済の申立をすることにした。求める救済内容は機構には従来と同じであるが、厚労省には団交応諾及び組合と機構との労使関係に介入するなというものである。
審問では五名の看護士が職場での過重労働や生活の実態を明らかにして、それにもかかわらず規程通り一時金を払わないことの非道さを証言や意見陳述で訴えた。
 また毎回傍聴席を白衣で埋めた。そして最終段階で約二一五〇筆の団体署名を提出した。
 かくして二〇一三年一二月一九日、県労委は機構に対して誠実団交の命令と「組合と十分な交渉を行わないまま支給率を決定し、支給を行ったことは労組法七条二号及び三号違反の不当労働行為である」と認定し、「今後このような行為を繰り返さないようにいたします」との誓約文の交付を命じた(浜村彰公益委員)。但し厚労省に対しては申立棄却であった。
 この主文はともかくとして命令書の中味は組合にとってある程度満足のいくものであったが、機構が中労委に再審査申立をするというので、二〇一四年一月、組合も再審査の申し立てをした。
 中労委では証人調べすることなく、三名の看護士と一名の放射線技師が意見陳述を行い、和解交渉に入った。第二陣が神奈川県労委で始まっていたからである。数度の交渉後中労委が双方に和解勧告書を呈示した。組合はさらに要求を出すとともに熟慮を重ねた結果、中労委による解決金が出された二〇一五年一月八日、その深夜午後一一時五八分に受諾を決めた。ここに二年半の闘いは終った。かかる時刻になったのは、何が何でもこの日決着をつけようという弁護団の決意とそれを受け止めて頑張った組合の熱意による。
 本和解は完全勝利というべきもので、評価すべきは次の点である。
 一時金を理事長の裁量によって一方的に下げることができるという規定の条項を適用させないようにしたこと。一時金支払いを一方的にせず労使合意ですること。合意できない場合は中労委あっせんで合意に向けて双方努力すること。団交の基本ルールの策定に関する道筋をつけたこと。機構に遺憾の意を表明させたこと。解決金を払わせたことなどである。
 勝因は何かということであるが、厚労省を巻き込んで不当労の申立をしたこと。そこで国が民間の労使関係に介入することの違憲違法性を明らかにしたこと、及び理事長の裁量で規定で定まっている額の引き下げができるという条項が労使対等の原則・労働条件の決定原則(協約なければ労働なし)に違反していることを徹底的に明らかにしたこと。また規程通り払っても経営上何の問題もないこと等を明らかにしたことである。ちなみに、弁護団は上条貞夫(東京法律)と井上啓(横浜法律)と私の三人である。
 この事件が終って 一ヶ月後くらいに持ち込まれたのが鎌倉市議会の件である。
 鎌倉市職員労働組合(以下、市職労)は四四九名の職員で構成されており、そのうち現業職は一五九名である。鎌倉市と市職労とは給与の引き下げを巡って団体交渉を重ね、二〇一四年八月に合意に達した。最も減額幅の大きい職員は一七・九パーセント、金額にして年約一四三万円に上り、一〇五名の職員が一〇パーセント以上の減額になるものであった。そのため給与減額の実施については段階的に行うことにして、毎年一・五パーセントづつ六年にわたって行うことになった(激変緩和措置)。これがなければ組合員は納得せず組合がこれを受け入れることもなかったものである。
 ところが、九月に開かれた市議会はこの市長提案、すなわち給与減額と一体となっている激変緩和措置のみを全面的に削除してしまった。市長は再議に付することを議会に求めたが否決された。
 かくしてその年の一〇月から大幅な減額が実施され、これに対する市長からの代償措置は何も講じられなかった。
 一たん労使で合意していた労働条件をこのような形で無かったものにしてしまうのは、あまりに理不尽で職員の不利益が大き過ぎるということで、市長だけでなく市職労の活動を嫌悪している議会をも相手にすることにした。かくして本年四月三〇日、県労委に市議会をも相手にした不当労の申立をしたものである。
 申立の趣旨は、市長に対しては激変緩和措置を講じること及びそれを市議会に提案すること、議会に対しては労使自治に介入してはならないこと及び市長と組合との合意内容を尊重することなどである。
 第一回審問は六月二五日であるが、議会は出席しないとの上申書を出している。理由は当事者適格がないことと労使関係がないことなどである。


全国公害被害者総行動での対国・東電交渉に参加して

東京支部  塚 本 和 也

 六月三日、午後一時三〇分から午後五時までの間、参議院議員会館において、第四〇回全国公害被害者総行動の一環として、対国・東電交渉が行われました。
 福島や沖縄から上京してこられた「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の原告約一〇〇名を含め、被害者、支援者、弁護士など約二五〇名の方々が参加されました。国と東電の担当者は約二〇名が出席しました。
 様々な問題について、被害者の方々が具体的な事実をあげながら国と東電に対し訴え、どの発言も心に響きました。しかし、全体として、回答内容は首をかしげたくなるものばかりでした。国も東電も緊張感をもって交渉に臨んでいるとは到底思えませんでした。出席している担当者であっても要求項目やその周辺事情についてよくわかっていない様子で、不誠実な対応であると思いました。毎年参加されている先生方によると、回答内容、回答者の両面にわたって昨年よりも後退していたとのことです。
 まず、直前に与党の第五次提言で避難指示の早期解除および慰謝料の一律打ち切りという方針が出されたことに対して、そのような方針をとらないように求めました。これに対し、国も東電も、第五次提言をふまえて検討中などと何度も発言し、目の前の被害者の要望に応えようとする姿勢が感じられませんでした。むしろ、住民の方々の意見も伺いながらと枕詞のように言いながらも、現実には解除や打ち切りなどが既定路線になっているような印象をもたざるをえませんでした。
 また、いわゆる「自主避難者」に対する住宅無償提供について、国は「県が判断すること」と逃げ、それならば国から要請してほしいという被害者の当然な要求にも応じませんでした。
 さらに、福島の県議会や全自治体が決議をあげている、福島県内全基廃炉の要求について、東電は、「国のエネルギー政策を見ながら事業者として判断したい」と、福島第二原発の再稼働に含みを残す発言をしたことから、会場は騒然となり、怒号が飛びました。
 その他、営業損害や処分場建設問題、健康診断などについて原告や支援の方の発言がありましたが、みなさんそれぞれ具体的なエピソードや被害を語られ、会場から力強い拍手を受けていました。沖縄からの参加者が涙ながらに発言する姿には、会場がシーンとなりました。しかし、国も東電も十分な回答は示しませんでした。
 今回の交渉を通して、団結して行動すること、国・東電の不誠実な対応を明らかにすること、裁判で責任追及をすることの大切さを再認識しました。少しでも力になれるよう頑張ってまいります。


ノーモア・ベース・フェス〜沖縄の声を日本中の声に〜 ぜひご参加を!

東京支部  結 城   祐

 沖縄県名護市辺野古の美しい海を埋め立てでも、かの地での新基地建設が唯一の解決策であるとする安倍政権に対し、沖縄県では何度も数千人規模の反対集会が開かれ、キャンプ・シュワブ前での座り込みなども連日のように行われています。五月一七日には県民集会に三万五〇〇〇人が集まり「安倍政権の暴虐をこれ以上許せない!」と反対の意思を示しています。そして、沖縄県民の民意は、昨年の名護市長選、県知事選、さらには総選挙での小選挙区選挙でいずれも新基地建設反対派が勝利し、固く揺るぎのないものとなっています。
 このような沖縄の現状を見て、民主主義と沖縄の自然をこよなく愛する若手弁護士有志が、今こそ立ち上がらなければならないと思い、イベントを開催することを決めました。イベントタイトルは日本には戦争の拠点である基地はもういらないという強い思いから、「ノーモア・ベース・フェス」にしました。また、新基地建設反対の民意が確立した沖縄のみならず日本中でも基地建設反対の声をあげて、新基地建設を強行する安倍政権に共に対抗していこうということで「沖縄の声を日本中の声に」というコンセプトにしました。
 私たちは、安倍政権による新基地建設の強行が、以下の三点において、根本的に誤っているものと考え、沖縄県民と連帯して反対の声をあげます。
 第一に、沖縄県民の明確な民意に反し、まさに粛々と新基地建設を進め、現在でもボーリング調査等と行っており、民主主義に反する暴挙でしかないこと。上述したとおり各種選挙では新基地建設を掲げたオール沖縄が勝利しています。これは沖縄県民が新基地に反対することを明確に示したことに他なりません。
 第二に、辺野古への新基地建設は、絶滅危惧種であるジュゴンが生息し、サンゴ礁が広がる美しい自然を汚染し、破壊するものであること。既にボーリング調査やコンクリートブロックの投下により美しい自然が破壊されつつあることに強い憤りを禁じ得ません。
 第三に、沖縄に新基地を建設する必要性がないこと。普天間基地に配備されている海兵隊は、日本防衛の部隊ではなく積極的に戦争を仕掛けるための部隊です。また、対中国抑止力論は、経済的にも軍事的にもあまりに空想的であり、辺野古への新基地建設の根拠としてあまりに薄弱と言わざるを得ません。
 私たちは、以上三点の理由から、辺野古への新基地建設に反対する沖縄の声を、沖縄だけにとどまらせてはならない、日本中の声とするため行動を呼びかけたいと考えております。
 具体的には、下記の日時場所で、アピールウォーク(明るく楽しいデモ行進)とキャンペーン(明るく楽しい街頭宣伝)を行います。
 若手弁護士のみならず、老若男女、所属にとらわれず、辺野古新基地建設反対の一点で、広くご参加いただくことを期待しています。どうぞよろしくお願い致します。
日 時:二〇一五年七月一一日(土)開始午後三時〜終了午後五時
                       (集合午後二時四五分)
場 所:柏木公園(東京都新宿区西新宿七―一三、新宿駅西口徒歩約五分)
※当初の原宿・渋谷から場所を変更しましたので、ご注意ください。
連絡先:nomorebasefes@gmail.com
    (竹村和也;東京南部法律事務所)
Twitter:@NO_MORE_BASE
Facebook:NO MORE BASE FES


六月二四日午後一八時三〇分からの戦争法案反対国会前集会にご参加を!!

事務局次長  横 山   雅

 憲法学者三名の違憲の指摘、自民党の元幹事長らの反対声明等、国民の声に呼応するように、戦争法制の違憲性、問題点を指摘する声は日を追うごとに大きくなっています。
 他方で、安倍政権が、国会の会期を大幅に延長し、審議時間を稼ぎ数の論理に任せた強行採決をすることも危惧されており、まだまだ予断を許さない情勢です。
 そこで、自由法曹団改憲阻止対策本部では、今国会会期末である六月二四日の国会包囲行動・国会前集会を前半戦の運動の結節点と位置づけましたので、左記日時場所に奮ってご参加下さい。

 日 時 六月二四日一八時三〇分〜二〇時
 場 所 国会議事堂周辺(団員の集合場所は国会図書館前)
 主 催 総がかり行動実行委員会