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改憲阻止対策本部 *改憲・戦争法制阻止特集*
戦争法制の廃案に向けて全団の力を結集しましょう!
八月二六日の日弁連の緊急集会への参加・連帯を呼びかけます!
松井 繁明 自由法曹団員のための軍事知識(二)
郷路 征記 シールズの動画をメールで紹介した活動について
広田 次男 アベ政治を許さない
玉木 昌美 新安保法制(戦争法案)廃案に向けての滋賀のたたかい
馬奈木 厳太郎 都司嘉宣証人の反対尋問が終わる
〜「生業を返せ、地域を返せ!」
福島原発訴訟第一三回期日の報告
椛島 敏雅
(弁護団長)
池永  修
(弁護団事務局)
原発労災裁判梅田事件(下)
平井 哲史 「闇」を暴く ―旧動燃差別是正訴訟の提訴報告(二)―
原野 早知子 東大阪弾圧事件について
小林 善亮 *教科書問題*
育鵬社版教科書の採択拡大を阻止しよう
市川 守弘 教科書検定を巡るアイヌ問題
鷲見 賢一郎
(労働法制改悪
阻止対策本部)
*労働問題*
「派遣法が『改正』されると困る。だから電話した。」四八日間闘い抜いて、派遣法「改正」案を必ず廃案に!!
並木  陽介 派遣労働者の声を国会へ!!
「生涯派遣・正社員ゼロ」「派遣切り自由化」法案に反対する七・八院内集会のご報告
上田 月子 「七・二 派遣労働一一〇番」結果発表記者会見と議員要請



*改憲・戦争法制阻止特集*

戦争法制の廃案に向けて全団の力を結集しましょう!
八月二六日の日弁連の緊急集会への参加・連帯を呼びかけます!

改憲阻止対策本部

 七月二七日、参議院での戦争法制に関する審議が始まりました。
 衆議院での戦争法制の審議では集団的自衛権の行使を認める戦争法制が憲法九条に違反する違憲立法であることが明らかとなり、戦争法制に対する批判と反対の声が全国各地、各界各層の人々に広がっています。憲法研究者にとどまらず、学者、弁護士、NGO、学生、女性など、運動の広がりはかつてないものとなっており、七月一六日の衆議院での強行採決を経ても、戦争法制の廃案を求める声、安倍政権の国会軽視・国民無視の姿勢への怒りの声は高まり続け、安倍政権への支持率は低下の一途をたどっています。
 戦争法制の成立に邁進する安倍政権の姿勢は、平和憲法を破壊し、立憲主義を無視し、議会制民主主義と国民主権を蔑ろにするものにほかならず、戦争法制が強行されれば、アメリカが起こす戦争に自衛隊が参戦し、いつでも・どこでも・切れ目なく自衛隊が海外で武力行使に及ぶことになります。このような違憲の法制の成立は断じ許されません。参議院で始まった審議によって、法案を徹底的に批判にさらし、その問題点を浮き彫りにし、法案に反対する国民の声と運動をこれまで以上に飛躍的に広げていく必要があります。
 八月二六日、日弁連は、日比谷野外音楽堂において戦争法制に反対する緊急集会を開催します。戦争法制を廃案に追い込むために集会をかつてない規模で成功させなければなりません。日弁連を先頭に全単位会が反対の声をあげる弁護士のとりくみが世論に大きな影響を与え、共同のとりくみをかつてなく広げています。法律の専門家として弁護士が果たす役割が極めて重要です。団員として弁護士として日弁連主催の集会に大きく結集し、全団をあげて集会を成功させましょう。
 首都圏の団員の皆さんには法律事務所をあげて同集会への参加を呼びかけます。
 全国各地の団員の皆さんには日比谷野音への結集を呼びかけるとともに、同集会に連帯した全国各地でのとりくみを呼びかけます。
 猛暑も吹き飛ばす勢いで戦争法制を廃案に追い込みましょう。

●安保法案廃案へ!立憲主義を守り抜く大集会&パレード 〜法曹アカデミズム市民総結集!〜
日時:八月二六日(水)一八時〜一九時 終了後パレード予定
場所:日比谷野外音楽堂
主催:日弁連
※ 団も旗を立てます。各法律事務所も旗をもってご結集ください。


自由法曹団員のための軍事知識(二)

東京支部  松 井 繁 明

(3) 捜索救助活動
 重要影響事態法と恒久派兵法(国際平和支援法)では、「捜索救助活動」が自衛隊の任務とされる。戦闘行為によって遭難した戦闘行為参加者について捜索または救助(輸送を含む)をおこなうことである(被災した民間人の救出ではない)。
 輸送などの「後方支援活動」では活動場所が戦闘現場になったときは活動を中止して退避することになっている。これに対し「捜索救助活動」については、既に遭難者が発見され、自衛隊が救助を開始している場合には活動を継続することになる。戦闘現場の地上や海上でアメリカ兵を救助しようとするヘリコプターは、低空でホバリング(空中停止)をせざるをえない。相手方からみればこれほど格好な標的はない。対空ミサイルなどは必要ない。機関銃や小銃でも撃ち落とせるからである。これでもリスクは増大しない、といえるのだろうか。
 現代の軍について「捜索救助活動」は不可欠の軍事行動である。しかし旧日本軍では、その能力が劣っているというレベルではなく、そもそもそのような思考が欠落していた。兵士は勇敢に戦うべきで、捜索救助をアテにするようなことは許されなかった、のである。
 先の大戦でB29重爆撃機は一万メートル以上の高空を飛ぶときは、日本軍の高射砲弾も届かず、ゼロ戦もそこまで上昇できなかったので、捜索救助を期待する必要がなかった。しかし四五年三月一〇日の東京大空襲では、高度三〇〇メートルから焼夷弾をばらまいたので日本軍の高射砲に被弾する機体もあった。
 その日、神奈川県藤沢市に住んでいた五歳になったばかりの私自身も、夜中、北の空が真っ赤になっているのを見た記憶がある。母の話では、火だるまになったB29が南へ飛んでゆくのを見た、という。
 被弾した機体が南へ向かったのは、相模湾には救難用の潜水艦が配備され、着水すれば救助されるからであった。被弾して火災をおこしてもわずか五分ほど飛んで相模湾に達すれば救助されるという「安心感」が、B29乗務員たちを危険な任務におもむかせたのである。―ここに「捜索救助活動」の重要さがある。
 戦争法案が、「捜索救助活動」を規定し、アメリカ兵の救助にあたってくれることが、アメリカ軍にとってどれほど有難いことか、よくわかるだろう。しかしそれだけに、軍事行動そのものである「捜索救助活動」が、憲法九条二項に違反する疑いは濃いといわなければならない。
(4) 兵站(たん)
 敗戦のとき私はまだ五歳半だったが、おとなや年上の子どもに教えられて、こんな歌を唱っていた。
 ?輜重(しちょう)輸卆が兵隊ならば電信柱に花が咲く
 軍隊のなかで兵器、糧食、被服などの輸送、管理などをおこなう輜重兵は正規兵ではないという“からかい”である。もちろん輜重兵も正規兵である。もっとも輜重部隊には正規兵のほかに多くの民間人を軍属などとして配備していた事実はある。当時の日本軍ではトラック運転などを正規兵だけでまかなえなかったような事情もあった。
 からかいの歌にとどまればよかったのだが、実際に旧日本軍は輜重=兵站を極度に軽視した。
 中国戦線での糧食の確保方針は「現地調達」であった。日本軍は民衆の食糧を強奪した。中国民衆の抗日戦争への意欲は拡大・強化に向かわざるをえなかった。ビルマ(現ミャンマー)の密林で戦われたインパール作戦。現地調達などできないのにまともな兵站作戦もなかったので、日本軍の退路は「白骨街道」とならざるをえなかった。日本軍も象まで使って兵站を確保しようとはしたのだが、象が密林を通れるわけもなく失敗したのである。
 まともな軍隊なら兵站を重視する。ナポレオンはみずから補給部隊を編成し、当時発明されたばかりの缶詰を活用して軍の糧食を確保した。ナチス・ドイツ軍の敗北にはさまざまな要因が語られてきたが、兵站の失敗が挙げられることはない。
 明治時代の前期にはフランス軍の、その後期にはドイツ軍の指導を受けてきた日本陸軍が、なぜこれほどまでに兵站を軽視するようになったのか、私にはいまだに謎である。
 陸軍にくらべればそれなりに理性的だったとされる旧日本海軍も、同じ批判を免れないであろう。南方(現インドネシア)の石油資源を確保した日本であったが、それを日本本土に輸送する業務はアメリカ軍の潜水艦に阻止されてしまった。それに気付いて海上護衛作戦を開始したのは、すでに日本軍の劣勢が明確になってからのことであった。
 安倍政権は当初、「後方支援」は軍事活動ではないかのように主張した。しかし共産党のなどにより「後方支援」が軍事行動の兵站活動そのものであり、それは相手方からの反撃を免れないことが明らかとなった。それに自衛隊が反撃し相手方も再反撃すれば、まさに「戦闘行為」となり、憲法九条に違反する―これはもう明白である。
 これまでの歴代政権が兵站を「後方支援」と表記したことの虚偽性が明らかとなったのである。「兵站」を「後方支援」などと表現してきた理由は、まず「兵」を避けたのである。歩兵を「普通科」、戦車を「特車」、砲兵を「特科」などと表現してきた流れとの共通性がある。同時に「站」の字が当用漢字に含まれていなかったことの影響もあるのかもしれない。しかし問題の本質は用語にあるのではない。その実態が問われなければならない。
 「後方支援」は兵站そのものであり、兵站は軍事活動であって、相手方の反撃が国際法上許容される行為であること―これが明確に押さえられなければならない。戦争法案によって日本はそんなことをするのか。主権者ある日本国民の判断が求められているのである。


シールズの動画をメールで紹介した活動について

北海道支部  郷 路 征 記

 シールズの動画を紹介するメールを送った(メールの内容や経過は同期の澤藤統一郎弁護士のブログに詳しい・http://article9.jp/wordpress/画面が出できたら右上にある検索窓に「郷路」と入力してサーチをクリックすると目的のページに跳べます。)。私としては戦争法案反対運動の一環として送ったのである。私は国会前に集まる若者のスピーチを聞いて「希望」を感じたのである。そして、「希望」を拡げることが戦争法案反対運動を広げることに直結すると感じ、希望を体現していると思った動画を多くの人たちに見てほしいと思ったのである。
 送付先は札幌弁護士会会員五三〇名(メールアドレスが判っている人全員)、その他二〇〇名で、その他には、北星問題で告発に賛同するとして私にメールをくれた全国の弁護士約一〇〇名が含まれている。七三〇名へのメール送付に要した時間(動画の選択、メールの作成などの準備の時間は別にして)は、手作業で、私一人で、一〇時間程である。
 この宣伝方式の表面的な特徴をあげると
(1)肉体的に、とても、楽な方法である。
(2)お金が全くかからない。
(3)一人でやれる。打ち合わせも動員も必要ない。
(4)勉強していなくてもできる。自分が戦争法案について語るのではないからである。
したがって、誰でも簡単にやれる方法である。
 そして、紹介する動画によるのだろうが、極めて効果的な方法である。 
 メールに対して返事をくれたのが、札幌弁護士会員七名(一・三二%)、その他一七名(八・五%)、全体では二四名(三・二八%)であった。二〇年前の知識だが、ダイレクトメールに対する反応は、一〇〇〇 三つと言われていた。一〇〇〇通出して三通の反応ということである。〇・三%ということである。
 それに対比してみると、上記のメール返答率の高さは、凄いのではないだろうか?
 メールの返事が、回答率よりもずっと素晴らしいものなのであった。
 二つほど例をあげる。
 大学に長年居て、ドンドン学生のレベルが低下し、今後どうなるのかと思ったのが二〜三年前。
 こんな若者たちが台頭?してきているのですね。本当にびっくり致しました。
 六分間のメッセージも良くまとめられていて新しい世代の情報伝達の仕方を感じました。
 また、スピーカーがスマホで原稿を出していてこれも世代を感じました。

・  ・  ・  ・  ・

 この日本の在り方一言では申せませんが「自分のこと」として考える、若者世代にとても勇気をもらいました。また、この若者たちをさりげなく護るのも我々の勤めとも思いました
  知人に紹介しようと思います。
 メール、有難うございます。SEALDsに感動、感涙しました。私のできる範囲でこのメールを転送させて頂いています。
 その結果、七名(一・三二%)が、返事のメールの中で、私のメールの転送をした、これからすると言ってくれたのである。その方々は、客観的には戦争法案反対運動の一翼を担う行動を取ってくださることになったのである。
 最近はなくなったが、今までの人生で、私も、数多くの街頭宣伝・ビラまき等を行ってきたが、このような体験をしたことは全くない。
 以上のことから、この活動に次のような本質的な特徴を見いだしても誤りではないと思う。
 私は、私のメールを転送してもらいたくてメールをしている。そのことはメールに明記している。すなわち、メールを受け取る人が戦争法案に関して広い意味で具体的な行動をして欲しいと要請しているのである。しかし、そうするかどうかの判断は、一〇〇%メールを受け取る人にゆだねられている。メール中の動画のURLをクリックするかどうかは、全く、受け取った人の自由だからである。受け取った人の行動を変えたのは、その人が動画に感動したからであって、その点について私は直接何もしていない。私は情報の紹介をしているだけなのである。
 情報の紹介者である私が戦争法案について「訴える」のではないのと、動画のURLをクリックするという自己の行為が介在しているので、メールを受け取った人は、私のメールを転送するという自分の決定と行動が、私に紹介された情報によって「自主的」に判断したと考えているのだと思われる。
 自分の行動は他から影響されたのではなく、自分が自主的に判断した結果なのだと思えることは、人にとって決定的に大切な感覚なのであるが、この方法は、そのことを保証しているである。
 だから、多くのメールで私は情報の提供を感謝されている。シールズの動画を紹介するメールを送付するという客観的には政治的活動に該当する行為を行って、感謝されることなぞ、私には初めてである。
 このこと、すなわち、他人の意思決定に働きかけるのが私ではない、動画の中の他人であるということは、私がこの行動を行うに際しての心理的ハードルを著しく低くしている。情報の紹介者に過ぎないので、電話せよと言われては逡巡するような人にでも、楽にメールをすることができるのである。
 この方法のもう一つの特徴は、自分の「感動」や「感情」を広めることができるということである。文字にしては伝えることの難しい感激や感動という感情が、容易に伝播できる。この点は運動を広げ、行動に参加してもらうためには特に優れたところである。ファイスブックやツイッターも同じような機能を持っていると思う。ただ、それらのSNS等は同じような考え方の人たちの間に感情を伝えあうことに優れているのではないかと思う。メールによる方法は、どのような人であれ、アドレスが分る人には、自分の思いを伝えることができるのだと思う。
 問題は、感動を伝えるような動画を選択することである。一〇分程度の長さの・・・。
 この宣伝方法を全国で戦争法案反対派が採用したら、大きな可能性が開けるのではないかと私は考えるのだが・・・・。


アベ政治を許さない

福島支部  広 田 次 男

上野・「鈴本」
 「三・一一」から、四年四ヵ月が過ぎた。
 ここ四年間位の週末は、殆ど原発関連のうち合わせ、会議、集会などで埋まっており、曜日の感覚の全くない生活となっている。
先週の土曜日(七月二五日)だけが、ポッカリ空いていた(但、これは、訟廷日誌への記入ミスで、本当は出席しなければならない会議があったのだが、記入を忘れた結果、当該会議には欠席になってしまった。)
 翌二六日の会議が朝からなので、二五日に上京する旨を妻に伝えると、「時節だから、鰻が食べたい」と言う。
鰻なら、上野・池の端の「K」で食べよう、ついでに、暫く振りだから、鈴本演芸場にも寄ろうという事になった。
鈴本の昼の部は満席だったが、前から二列目の席に妻と二人で座われた。
 演目も進み、場内の笑いの渦は高まり、雰囲気は最高潮を迎えていた。
 そこで登場した古今亭「K」の噺の内容は地獄のエンマ大王が住民である赤鬼、青鬼の気持に全く耳を傾けず、横暴の限りを尽くすので、赤鬼、青鬼がエンマ大王追放の運動に立ち上がるという筋立である。「その時、赤鬼、青鬼が使ったのが、これでございます」と「K」が懐から取り出した四つ折りの紙を拡げると、あの金子兜太の筆跡そっくりに「エンマ政治を許さない」と書いてある。大きさも同じ。
 私は、一瞬ドキリとした。「そこは、上野・鈴本の高座。余りにも大胆ではないか。」そんな懸念は一瞬にして払拭された。
瞬時に場内は、正に割れんばかりの爆笑と拍手に包まれていた。
白い影
 一九八三年、現在の場所に事務所を新築して以来、事務所前を東西に走る道路に直角に面したブロック塀の両面に共産党のポスターを貼り続けてきた。
 道路は高校生の通学路であり、裁判官の通勤路であり、その他の人通りもあって、西側からも東側からもポスターは大変に目立った。
原発訴訟が本格化した一昨年、団の大先輩から、「事務所の共産党のポスターをはずせ」と強く言われた。
その理由は、「原発訴訟は右も左も糾合する大運動にしなければならない。共産党主導の運動であるかの如き印象を与える事は、絶対に避けるべきだ」だから「ポスターをはずせ」と繰り返された。
 私は、「いわき市に於る、私の政治的旗織は鮮明だし、今更はずしたところで……。」などと思い迷っていたが、他の先輩からも同様趣旨の勧告があり、遂にポスターをはずした。
 ブロック塀には三〇数年にわたり、ポスターが貼られていた跡が白い影となって残るのみとなった。
 七月一五日の昼のNHKニュースで、強行採決の様子を見た私は、手元にあった「アベ政治を許さない」のポスターを増刷して、四枚を貼り合わせたものを二組作り、一昨年まで共産党のポスターのあった場所に貼り出した。
 両面ともに大きさはピッタリであり、白い影は隠れて見えなくなった。
「これだけはやらなければ」
 福島民報、福島民友、いわき民報の各紙に意見広告を出した。
 いわき市のお坊さん、画家、大学の名誉教授、医師、前市長、そして、私以外の弁護士などを呼びかけ人として、一口一〇〇〇円の募金を集め、計四一六名による、安保法制反対の意見広告を行った。
 掲載時期が五月末だったせいか、反響はマズマズであり、数十万円の赤字が残った。
 先週(七月二二日)の県弁護士会いわき支部会議に「県弁護士会いわき支部として駅前で街宣をやろう」と意見書を提出して、「異議なし」で了承された。
 但、取り纏め役は、私という事になった。
 これまでに、いわき支部として街宣活動を行ったという記憶は、今では古株となった私にも全くない。
 今週の土曜日(八月一日)から団の県支部合宿が行われる。
 そこでは、全県規模での運動をどう作るかが話し合われる。
 その結果、私の新たな負担が増える事は充分に予想される。
 この年齢になって、原発だけでも手一杯なのに「もう、これ以上はできないよ」と強く思うのだが「これだけはやらなければ」という、より強い思いがこみ上げてくるのを抑える事ができないのである。

七月三〇日記


新安保法制(戦争法案)廃案に向けての滋賀のたたかい

滋賀支部  玉 木 昌 美

一 七・二〇滋賀県民集会の成功
 滋賀弁護士会は、七月二〇日「新安保法制を許さない滋賀県民集会」を膳所公園で開催し、デモ行進をした。この集会及びデモは、弁護士会が主催し、連合系(一〇〇〇人委員会等)と県労連系に協力を要請する形で取り組んだ。普段は同じ課題でも統一行動をとることができない両者が、弁護士会が接着剤の役割を果たすことにより統一が実現した。こうした形で集会とデモを主催することは滋賀弁護士会として初めてのことであった。また、集会では、「戦争法案」という言い方はせず、「新安保法制」とし、また、メインスローガンは「憲法違反の法律をつくるな!」「新安保法制反対!」等とした。
 当日は膳所公園を埋め尽くす一三〇〇名を超える人の参加で暑い日に熱い集会となった。集会は中原淳一会長の挨拶に始まり、土井裕明弁護士の基調報告、日弁連副会長(四国選出)の吉田茂弁護士(名前に大きな反響があった)の挨拶と続いた。そして、学者、女性、宗教者、若者の四名の方のアピールがあり(それぞれ味のある内容で感動した)、民主党、共産党、社民党、新社会党のメッセージを紹介した。そして、集会宣言と強行採決に抗議する緊急アピールを採択し、全員で「新安保法制 NO!!」のミニプラカードを高く掲げ、シュプレヒコールを唱和した。司会をした日比野貴子弁護士は声がよく通り、シュプレヒコールを促す声が快く響いた。
 デモは弁護士会の隊列を先頭に、四台の街宣車を動かして膳所公園からパルコ前まで約一・八キロ行進した。久しぶりに長い、長い隊列のデモで、通行人や琵琶湖岸を走るドライバーに大きくアピールすることができた。最後のデモ隊が到着するまで終点にいたが、私は水分不足でふらふらになっていた。
 午後二時からという一番暑いときの集会だけに熱中症を心配したが、一人も倒れることもなく無事成功のうちに終了した。
 翌日の朝刊は京都新聞が一面で報じたほか毎日新聞、中日新聞、赤旗等が大きく報じた。
 この集会の宣伝としては、表に集会案内、裏に短文のアピールを記載したビラ二万五〇〇〇枚を作成し、両団体を通じて配布するとともに、弁護士会としても街頭宣伝を行い配布した。
 六月一四日に憲法を守る滋賀共同センター等で開催し、県民集会を約八〇〇名の参加で成功させたが、今回の取組は新安保法制を廃案にという一点共闘が実現でき、参加者数も格段に増えた。統一による力の結集の重要性を痛感した。意見の対立が生じやすい実行委員会形式ではなく、弁護士会が主催するという形式もよかったといえる。集会後、滋賀弁護士会会長を交え、実務担当者会議で直ちに今後の取組みについて協議し、その場で八月二一日に次の集会を予定することを決定した。
 滋賀弁護士会は、今年六月一日には、松竹伸幸氏を招いて「集団的自衛権はどのように行使されてきたか」と題して講演してもらった。この集会は、一〇三名の参加者で成功したが、その開催を知らせる一貫として、集団的自衛権行使に反対する街頭宣伝活動を再三行った。今回の七・二〇集会はそれをさらに飛躍させる取り組みとなり、統一集会ができたことを感謝する声が多かったといえる。二万五〇〇〇枚のビラにも反響があった。
二 憲法を守る滋賀共同センターの活動
 私が代表をしている共同センターは労働組合や民主団体で構成し、恒常的に街頭宣伝や集会、昼デモ等を開催している。緊急に行動を提起しても毎回それなりに形を作ることができる体制がある。
 強行採決への動きが強まった七月一四日、「ストップ!戦争法案 昼デモ」を緊急に呼びかけたところ、大津駅前に約八〇名が集まり、駅前周辺、県庁周辺をデモ行進した。
 このとき、デモに同行して歩く女性が気になったが、彼女は京都新聞の記者であった。取材を受け、「新聞は戦争法案に反対する国民の運動を報道する姿勢が弱い。」と指摘したところ、「そうかもしれない。」ということであった。しかし、翌日は、その昼デモが京都新聞の一面に登場した。その後も、団支部独自の宣伝で近藤団員(昨年度滋賀弁護士会会長)がマイクを握ったときも写真入りで報じられ、また、前記七・二〇滋賀県民集会も一面で報じられた。これまで中日新聞の報道姿勢を評価していたが、京都新聞もよくなった。しかし、考えてみれば、特定秘密保護法のときは、記者の方から「次はいつどこで街頭宣伝をしますか。」という電話がしばしばあったが、戦争法案の問題では記者にそこまでの熱意はない。マスコミ、特に現場の記者に働きかけることも重要である。
三 団支部の活動
 自由法曹団滋賀支部では、独自の街頭宣伝活動を行っている(たとえば、六月一日は、草津駅前で団支部の弁護士・事務局だけで一八名の参加で実施、岡本報告参照)ほか弁護士会、共同センターの街頭宣伝に相当協力している。特に、団員弁護士だけでなく、事務局も相当に力を入れ、再三街頭宣伝に立ち、独自の垂れ幕やうちわ等グッズも制作し、活用している。依頼者や知人に七・二〇集会に参加をお願いする手作りの絵葉書も作成し送った。さらに、滋賀県選出の国会議員や県会議員全員に団支部の要請書を送った。絵本作家長谷川義史さんの「戦争やめて」の缶バッジの普及もしている。私は、熱い思いをもった事務局の皆さん(全員女性)に「団支部はもっとしっかりやろう。」と励まされ、彼女らの発想や行動力にいつも感謝の頭を垂れている。
 団支部は、七月一三日からの週は連日宣伝をやろうと決定し、一三日昼に大津駅前で行った。一四日は共同センターが昼デモを行ったが、その後は可能であれば、弁護士会でやりたいと提起し、弁護士会は一五日から連日、集会成功に向けて街頭宣伝を行った。団支部の決意が弁護士会の活動に進化したわけである。
四 最近の運動の特徴
 組織の動員ではなく、インターネットを利用した拡散、それによる参加が増えているといえる。七月六日、滋賀弁護士会は岩田研二郎団員を招いて刑事司法改革の問題点について会内学習会を開催したが、岩田団員がフェイスブックで大津駅前の街頭宣伝を報じたところ、西晃団員から早速反応があった。七・二〇集会もすぐに拡散したようである。また、憲法の学習会にあちこち行って話したことがこれまた拡散しており、「先生あそこにも講師で行ったんですね。」という反応がある。また、滋賀では若者集会がしばしば予想外に多い参加者を集めているが、これもインターネットを利用した拡散が効果を表しているようである。
 いずれにしても、戦争法案を廃案に追い込むためには、廃案を求める世論を高め結集していく必要がある。「違憲・違憲状態の国会で選出された『ニセ首相』が九条を否定する違憲の法律を作ることは許されない」とあちこちで声をあげていく必要がある。私は、あるときは滋賀弁護士会憲法問題委員会の委員長として、あるときは憲法を守る滋賀共同センターの代表として、あるときは自由法曹団滋賀支部の支部長としてマイクを握っている(「なーんだ一人がやっているだけか。」と言わないでほしい。)が、あらゆる団体・組織を動かして徹底してやっていくほかはない。一〇人程度参加の民青の学習会に行ったとき、終了後彼らが「これから膳所駅前で宣伝する。」とすぐに行動に動く身軽さに感動したが、思い立ったら声をあげることが重要である。
 七月二六日、私は暑い暑いこの日に熱い熱い国会包囲行動に参加し、自由法曹団の旗の下に結集した(実は国民救援会の中央委員会があり、会議後、会長の鈴木亜英団員らと一緒にこれに参加した)。運動を強化し、もっともっと国会を包囲していく必要がある。


都司嘉宣証人の反対尋問が終わる
〜「生業を返せ、地域を返せ!」
福島原発訴訟第一三回期日の報告

東京支部  馬奈木 厳太郎

一 三六度のなかでの事前集会
 七月二一日、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の第一三回期日が、福島地方裁判所において開かれました。この日は、国から新たな書面が提出されました(東電は書面を提出しませんでした)。
 国の書面は、舘野証言や証言をふまえた私たちの主張について、(1)福島第一原発の立地や非常用電源設備の津波に対する脆弱性を指摘する原告らの主張には理由がない、(2)スリーマイル島原発事故後の対策に関する証言を根拠に、わが国の対策の不十分さを指摘する原告らの主張にも理由がない、(3)津波に関する確率論的安全評価の不備をいう証言の指摘は知見の進展を理解しないものだとして、それぞれ反論し、(4)国の規制権限についても、基本設計ないし基本的設計方針の安全性にかかわる事項を是正するために、電気事業法四〇条に基づく技術基準適合命令を発令できないことが不合理であるとはいえないとするものです(準備書面一三)。
 期日当日は、三六度を超す猛暑となりましたが、あぶくま法律事務所前には二五〇名の方々が集まりました。前回に続き、元ラジオ福島アナウンサーの大和田新さん、元NHKキャスターの堀潤さん、東京演劇アンサンブルの劇団員、「原発なくそう!九州玄海訴訟」弁護団から板井優団員と東島浩幸団員、『原発と大津波 警告を葬った人々』の著者である添田孝史さん、かもがわ出版編集長の松竹伸幸さんが駆けつけたほか、脚本家で映画監督の井上淳一さん、おしどりマコ・ケンさん、福島原発告訴団の武藤類子さんも参加されました。さらに、東京大学地震研究所教授の島崎邦彦さんも傍聴されました。傍聴に入りきれなかった方々が参加する講演会には、里山資本主義で著名な藻谷浩介さんをお招きし、「福島から広げる里山資本主義」と題して講演していただき、こちらも大好評となりました。
二 都司証人に対する反対尋問
 この日は、都司証人に対する反対尋問と再主尋問、補充尋問が実施されました。
 都司証人は、前回期日において、ご自身も策定にかかわった地震調査研究推進本部の「長期評価」(二〇〇二年)が「明治三陸地震(一八九六年)と同様の津波が三陸沖から房総沖にかけて発生する可能性がある」と指摘していたことをふまえ、「対策を取らなかったことが今回の事故を招いた」とし、事故は予見可能だったと証言していました。
 この日の反対尋問で国側は、「同一プレートであっても、過去の地震では北海道と古河では違っている。福島沖でも違うのではないか」と質問。都司証人は、「現に延宝津波地震(一六七七年)も起こっている訳で、北と南で本質的な違いはないですね」と証言し、「日本海溝で発生する地震は北と南では違うのではないか」とする国側に対して明確に反論しました。
 また、国側は、長期評価や都司証人の意見に沿わない論文を示して、「異論があるのではないか」と執拗に質問。都司証人は、異論は少数にすぎないとしたうえで、「長期評価はそうした異論も含めて検討分析したうえでまとめられたもの」と述べ、国側の指摘を斥けました。
 国と東電は、日本海溝沿いのプレートを同一の構造と見ることできるのか、三つの地震を前提とする長期評価は三つの地震を強引にまとめているのではないかといった点を中心に長期評価の信用性を覆そうと試みました。国と東電が行った反対尋問は三時間半に及びましたが、都司証人は「国と東電は長期評価を参考にしていれば原発の敷地高さを超える津波を予見することができた」と改めて証言。国と東電の責任を浮き彫りにするものとなりました。
三 次回期日に向けて
 前回期日が終わって間もなく、朝日新聞の『プロメテウスの罠』において、「津波を争う」と題したシリーズが始まりました。久保木亮介団員、西田穣団員をはじめとする生業弁護団の東電責任・事実経過班の活躍ぶりが連日とりあげられているところですが、すでにお読みいただけたでしょうか。
 「生業といえば責任論」といった評価も耳にするところですが、次回期日ではリスク認知を専門とする中谷内一也先生の証人尋問も決まり、さらには検証と原告本人尋問も見据え、被害班も懸命に準備を進めています。
 引き続き、生業訴訟の動向にご注目ください。


原発労災裁判梅田事件(下)

福岡支部  椛 島 敏 雅(弁護団長)
福岡支部  池 永   修(弁護団事務局)

長崎大学病院O医師の意見書も無視
 二〇〇八年九月原告が労災申請した時、長崎大学医学部付属病院の放射線科のO医師は、
 「梅田さんの体内から前述したコバルト、マンガン、セシウム一三七と思われるガンマ線のスペクトルを探知していると推定されました。梅田さんの体内に通常では検出されない放射性物質があった(内部被ばくの)可能性が高いと思われます。当時、悪心、全身倦怠感、昜出血性などの症状があり、病院の検査で白血球減少を指摘されたそうですので、急性放射線症候群に近い被ばくがあった可能性は否定できません。心筋梗塞の発症は(諸要因に加え)一九七九年当時の被ばくが関与している可能性は否定できない」という要旨の医証を書いてくれていた。この医証は、長崎の被爆者松谷英子氏が原告になった長崎原爆訴訟松谷裁判で一九九三年五月一審長崎地方裁判所が示した「放射線の影響を受けた可能性があれば原爆症と認定してよい」とした勝訴判決を意識して作成されていると思われる。(同訴訟は一九九七年一一月控訴棄却、二〇〇〇年三月上告棄却で確定している)。この意見書の内容と厚労省が従前原爆症認定で出していた「新しい審査の方針」による心筋梗塞の認定では(爆心地からの距離から推定して)一mSv以上の被曝線量が認められる心筋梗塞については積極的に原爆症と認定してよいことになっていたので、当然、放射線被ばくによる疾病として、労災認定がなされるべきであった。
 しかし、国は前述したように原発労働者梅田氏の請求に対しては専門家でも対応できないような理由をつけて、この医証を無視して救済を拒否している。
国の訴訟での対応
 医学的な争点とは別に現場関係者五人の証人尋問を行った。原発推進勢力からして、梅田原発労災裁判の結果如何では、原発の継続に重大な影響を受けると考えているのだろうか。証人は、山口亮氏)、冨永克哉氏)、藤井新一氏)、渡部博氏)、杉原洋氏5)の五名であった。
 彼らの証言の概要は、○島根原発は汚染少なく線量も高くなかったので、PCV内で全面マスクをつけたこともアラームが鳴った記憶もない、作業服も赤服(高レベル放射線エリアに入るときに装着する防護服)に着替えたことがない(これは、梅田氏の記憶を裏付けている)○PCV内は線量が高いので線量計等を隠すところはない、○工事計画はあってもノルマはなかった、○放射線教育は分かるまで丁寧にやっていた、○線量計等の預け等はさせていないし、やられていなかった等である。だから記録に残っている八・六mSvは正しい、と言いたいのであろう。
 証人の所属は以下の通り。1)山九プラントテクノ(旧西牧工業)株式会社電力事業部長、2)山九プラントテクノ(旧西牧工業)株式会社工事品質専門部長、3)日立プラントコンストラクション嘱託(高速増殖炉「もんじゅ」現場監督}、4)株式会社ジェイテック常務取締役、5)中電プラント株式会社〜下花物産株式会社顧問
原発労働者対国との裁判
 原告弁護団は梅田氏の原告本人尋問に加えて二名の証人尋問を行った。二名の証人は原発の下請け労働者としてその通常運転に長年携わってきた斉藤征二氏と、原告ら末端下請労働者を定検現場で就労させた二次下請けの放射線管理者升元弘氏である。
 斉藤証人は甲状腺腫瘍血腫、急性心筋梗塞、両眼の白内障を、升元証人は高血圧、胃がん、肺がん、目の手術、大動脈弁狭窄症等を抱え、いずれも放射線被ばくの後遺症と思われるいくつもの重い疾病を引きずっての命がけの証言であった。
 斉藤氏は下請け労働者がいかに放射線職場で差別をされているのか、そのために二〇項目の要求を掲げて労働組合を結成して闘ったが組合つぶしの攻撃を受けた事等を証言された。
 升元証人は、作業現場の雰囲気線量は一次下請けが作業開始前の朝に計測し、それを二次下請けに渡し、それで二次下請けの放射線管理員が作業人員の割り付けをしていた。しかし、実際の作業現場は労働者が歩き回ったり、工具を使ったり、配管を切断したりして作業現場の線量が上がる。私はそれを見越して割り付けをしていたが、多くの放射線管理員はやっていない、中には線量が高過ぎるために割り当てる作業時間を三〇分だけにしたこともある。三〇分だと大きいバルブのパッキンを締め付けているボルトを外すのに何人もの作業が要った等々、PCV内での生々しい作業実態を証言された。
 原子力発電所の作業員の労働実態は福島第一原発事故後、マスコミがいくらか取り上げ関心を持たれるようになったが、裁判所の証言でその実態が明らかになったのは極めて貴重なことである。
 二名の証言が終わった報告集会で梅田氏は、今日の証言でこの裁判は「原発労働者対国との闘いになりました。」と最後の挨拶をしたが、正にその様な闘いになっている。
勝利をめざして、より広い支援の輪を
 裁判はこれから、放射線と疾病に関する疫学や被ばく線量の科学的推定、内部被ばくの問題等についての専門家の意見書提出や、証言に移っていく。原告弁護団側は数名の熱心な専門家から協力を頂いており、すでに三好永作氏(九州大学名誉教授 理論化学)、森永徹氏(元純真短期大学講師 医学・薬剤毒性)、永井宏幸氏(理学博士 理論物理学)、岡本良治氏(九州工業大学名誉教授 原子核物理学)、豊島耕一氏(佐賀大学名誉教授 原子核物理学)らによる共同の疫学意見書、矢ケ崎克馬氏(琉球大学名誉教授 物性物理学)による内部被ばくに関する意見書を提出し、ている。共同意見書では、梅田氏の作業現場における雰囲気線量から梅田氏の外部被ばく線量を推計し、梅田氏の被ばく線量が国が主張する八・六mSvにとどまらないこと(少なく見積もっても二二・〇〜三三三・七mSv)が明らかにされ、また近時の疫学調査の結果から放射線被ばくと心筋梗塞の発症との間には閾値がなく、低線量域においても心筋梗塞の発症リスクが高まることが科学的に明らかにされた。また、矢ケ崎意見書では、梅田氏の労働の実態やホールボディカウンターのスペクトルなどから、梅田氏の内部被ばくが、国が主張するセシウム一三七等の放射性核種以外にも存在し、ウラン二三五やプルトニウム二三九、ヨウ素一三一などを取り込んでいた可能性があること、そしてこれら内部被ばくのもたらす真の危険性が詳細に明らかにされた。本年九月、一〇月には疫学意見書の共同執筆者のひとりである永井氏による進行協議期日を利用したプレゼンテーションに引き続き、原告側の矢ケ崎氏と国側のいわゆる「原子力村」の専門家証人二名の証人尋問が予定されている。弁護団は空中戦にならないように原発労働と被ばくの事実に基づいた裁判を進めて行く考えでいる。裁判勝利の展望が大きく見えてきている。原告、弁護団、支える会の三者は団結を固めて、これまで闇に葬られてきた原発労働者の救済と人間の尊厳の回復をめざして頑張っていく決意である。皆様のこころからのご支援をお願いする次第です。
(弁護団事務局 弁護士法人奔流 池永修 
電話〇九二-六四二-八五二五、FAX〇九二-六四三-八四七八)


「闇」を暴く ―旧動燃差別是正訴訟の提訴報告(二)―

東京支部  平 井 哲 史

二 本件提訴に至る経過
(1)安全確保の観点からの批判的意見を封じた結果としての「もんじゅ」事故

 前述したような、原子力の開発推進のために安全確保の観点から批判的な意見を述べる者あるいはその同調者と目した者らを目の敵にして、これらの者を枢要業務から外し、周囲から距離を置かれるようにして、その影響力を封じ込めていくことに動燃は成功した。
 だが、これは安全を脇に置いた開発の促進につながり、一九九五年には高速増殖炉「もんじゅ」において、出力上昇の実験中に二次冷却系等の配管で冷却剤として用いられていた金属ナトリウムが漏洩し火災が生じる事故が発生した。
 この事故において放射能漏れはなかったとされたが、動燃が公開した事故の映像はカット編集されたものであったことが発覚し、「もんじゅ」は運転停止に追い込まれた。そして、動燃自身、そのままでは継続が困難となり、一九九八年に核燃料サイクル開発機構に事務事業を承継し、事業体としての歴史に幕を閉じた。なお、核燃料サイクル開発機構は二〇〇五年に日本原子力研究開発機構に事務事業を承継しており、この機に原告らは組合を脱退し、日本原子力研究開発機構労働組合(原研労)に加盟した。
(2)西村資料の発掘と『原子力ムラの陰謀』の発刊
 原告らは、事務事業とともに雇用が動燃から核燃料サイクル開発機構に移ったが、その処遇はなんら変わることがなかった。すでに差別処遇が始まってから一五年となり、それぞれ改善を求めることもしたが、核燃料サイクル開発機構はまったく対応を変えなかった。この時点で原告らは差別があることを認識していたが、それを立証する術がなかった。
 そこへ、一筋の光が見えた。「もんじゅ」事故で報道の矢面に立たされて自殺した総務部次長の故・西村成生氏が残していた大量の資料をもとに動燃の隠ぺい体質を暴く『原子力ムラの陰謀』が二〇一三年八月に発刊された。この中において、原告らが受けてきた差別処遇の仕掛けが暴露されていた。
(3)西村資料の分析、そして提訴へ
 その後、原告らおよび原研労は、つてをたどって故西村氏が残した膨大な資料の写しを入手し、同年一二月、原子力研究開発機構に原告らを含む在職中の九名の差別処遇の是正を申入れたが、機構側は格差があることは認めたものの、その原因については不明として、差別の是正については拒否回答をしてきた。
 そこで、原告らおよび原研労は、もはや裁判しかないと判断し、上部団体の特殊法人労連と相談して東京法律事務所を訪ねた。東京法律事務所ではこの手の差別事件は故・秋山弁護士が東電思想差別訴訟をやったきりであった。また、この時点で原告は未確定であったが、最大九名に上ることが予想され、マンパワーも必要と思われた。そこで弁護団組織においては、思想差別事件の経験を有する城北の菊池団員を弁護団長に迎え、原告担当を持ち、かつ経験を承継する意味で若手の団員らに参加していただいた。だが、現地は茨城県東海村であり、何をするにも現地の体制が必要である。そこで水戸翔合同にお願いし、所員の三分の二と事務局スタッフの三分の一を割いていただく贅沢な布陣で臨むこととなった。
 提訴までは一年三か月かかり、最終的に第一陣として四名が二〇一五年七月六日、水戸地裁に提訴した。提訴行動には原研労および支援者らも集まっていただき記者会見場は八〇名を超える人の熱気で包まれた。
三 本件の特徴
 ネットで軽く調べた範囲では、労働者の思想・信条を標的にして差別処遇をおこなったことに対する裁判は、以下のものがあった。なお、実態は思想・信条差別であるが、あらわれ方として潮流間差別の形をとったものを不当労働行為として申し立てたケースは国民金融公庫事件や明治乳業事件等数多あるものと思われる。
  東京電力思想差別事件(一九九五年一二月全面解決)
  中部電力思想差別事件(一九九七年一一月全面解決)
  関西電力思想差別事件(一九九五年九月最高裁判決)
  クラボウ(倉敷紡績)思想差別事件(二〇〇五年三月和解)
  新日鉄広畑思想差別事件(二〇〇五年一二月和解)
  石川島播磨重工業思想差別是正申告事件(二〇〇七年一月和解)
  スズキ自動車思想差別事件(二〇〇八年三月最高裁決定)
  新日鉄住金思想差別事件(名古屋高裁係属中?)
 上記いずれの事件も、日本共産党員あるいは民青同盟員を調べ上げ、これに対し、プライバシーを侵害する調査や、「転向」の働きかけ、職場での孤立化、そして差別処遇をおこなったものであるが、本件の場合、(1)普通の民間会社ではなく国の関連機関において、(2)政党への所属ないし政党支持の別よりも原子力研究開発の積極推進に賛同するか、これに疑問や異議を唱えるかで選別し、(3)疑問や問題提起をしただけで共産党およびその同調者を意味する「非良識派」として分類され、枢要業務からの排除や封じ込め配転、そして差別処遇等を受けてきたところに特徴がある。
 本件の第一回期日は九月一七日午前一〇時三〇分と決まった。すでに原告らを支えるために原研労が事実上中核となって「動燃から続く不当差別是正訴訟を支援する会」が立ち上がっており、同会の会員を増やしていく計画であるが、並行してこの先、組合ルートでも支援要請をしていく予定となっている。他方、被告の側では「闇」を否定し、必死に覆い隠そうとするであろう。立証方法をめぐる攻防も想定されるところである。そこで、先例に学び立証方法を工夫しながら「闇」を暴いていきたい。全国からの激励、カンパ、そして主張立証方法についての経験に基づくアドバイスをお願いしたい。


東大阪弾圧事件について

大阪支部  原 野 早 知 子

 現在、大阪府東大阪市において、医療生協及び日本共産党に対する弾圧事件が発生しているので、経過と問題点を報告する。
一 事実経過
(一)警察の動き

 平成二七年六月一一日、東大阪市居住の女性が、生活保護費不正受給による詐欺容疑(仕事をして得た収入を申告していなかった)で逮捕され、六月末に起訴された。
 逮捕当日、女性の関係先として、東大阪市に本部を置く医療生協かわち野の施設が家宅捜索を受けた(捜索自体は、差押対象物がその場所になく、押収された物は無かった)。
 七月一日、女性は再逮捕され、同時に、元夫が不正受給容疑の共犯として逮捕された。
 六月末頃から、医療生協や共産党地区委員会に、捜査員が訪問、「話を聞かせてほしい」などと求めた。医療生協の組合員や、共産党の支持者・支援者にも、捜査員が接触して回り、医療生協・共産党の活動について、話を聞き出そうとしていた。
(二)報道
 女性が逮捕された際、一部マスコミは、「医療生協支部長逮捕」として、「医療生協支部長」の肩書をつけて報道した。
 起訴・再逮捕の際には、産経新聞朝刊で、詐取した金銭の使途について、女性が「医療生協の出資金や生活費、共産党の党費に使った」と供述していると報道された。
 七月二一日、産経新聞朝刊社会面に本件についての記事が掲載された。「逮捕された容疑者が、生活保護申請を行う際、共産党市議が同行した」とし、詐取した金銭の大半が医療生協・日本共産党に渡ったかのような相関図を図示し、「生活保護費を特定政党の政治活動に使うのは問題」との識者(熊本県立大学教授)のコメントを付けるものだった。
二 医療生協・日本共産党は不正受給事件とは無関係
 不正受給は許されない法違反であり、医療生協組合員や、日本共産党の支持者が実際に不正受給を行っていたならば、残念な事態と言わざるをえない。
 しかし、医療生協も日本共産党も、今回の生活保護の不正受給とは無関係である。
 医療生協は、生活保護受給やその後の収入申告を業務とする団体ではない。医療生協の支部は組合員(一口数百円の出資金を支払えば加入できる)の活動単位であるが、支部長は、組合員が自主的にボランティアとして担うもので、報酬もない。医療生協は、組合員の収入を知りうる立場にも、生活を監督する立場にもなく、不正受給に関わりうる立場ではない。もちろん、本件には一切関わっていない。
 また、日本共産党の市会議員が生活保護受給申請に同行することはあるが、窓口で不当な申請拒否(いわゆる「水際作戦」)が行われないよう見届けるものであり、議員の日常的な市民に対する援助活動である。
 しかし、当該市会議員も、日本共産党も、個々の支援者の収入の有無について知る立場にはなく、稼働収入の過少申告という本件には何ら関わっていない。
 詐取した金銭の使途について、一部報道では「生協の出資金や共産党の党費」とされているが、医療生協も日本共産党も、詐取(不正受給)した金員と知って受け取ることはありえない。
 医療生協や日本共産党が組織的に不正受給に関与し、詐取した金員の環流を受けたかのような一部報道は、全く事実に反するものである。
三 警察の捜査の狙いと反撃活動
 今回の件で、捜査を担っているのは、大阪府警警備部、すなわち公安警察である。単なる詐欺事件で公安警察が府警レベルで動くことはなく、元より政治的な意図を持った捜査である。
 かような捜査は、生活保護不正受給事件を手がかりに、医療生協と日本共産党の結社の自由、団体としての活動を弱体化することを目的とした弾圧と言わざるをえない。
 特に、東大阪市では本年九月に市長選挙、市議会議員選挙が予定され、日本共産党が生活保護不正受給に関与しているかのような捜査は、政治活動に対する妨害であり、選挙運動への不当な影響を狙ったものである。
 医療生協は、昨年来、大きく組合員を拡大し、地域の医療・福祉の増進のために活動しており、捜査は、生協の団体としての活動の妨害でもある。
 また、生活保護費の使途について法律上制限はなく、生活保護受給者にも、団体加入の自由・政治活動の自由が保障されている。不正受給自体は許されないことであるが、一連の捜査を通じ、一部報道に現れたように、生活保護受給者が、医療生協等の団体に加入したり、政党を支持する活動が一切できないかのような「レッテル貼り」が行われていることも見過ごしてはならない。
 私たちは、医療生協・日本共産党市議の代理人として、マスコミに対する抗議や、令状部に対する抗議・申入れを行ってきた。更に、国民救援会と共同して、事実を広く知らせ、地域を中心に、捜査に対する抗議の声を広げようとしているところである。
 この二、三年、生活と健康を守る会や民主商工会への弾圧事件が各地で発生・報告されている。戦争法案反対の運動がかつてなく広がる中、市民の生活・人権を守る運動に対する権力の反動も大きくなる危険があり、警戒を強めるべき情勢と見なければならないだろう。
 東大阪の件では、医療生協や日本共産党に対する不当な捜査を中止させ、政治活動や団体の活動を妨害する動きを押しとどめることが今後の課題である。


*教科書問題*

育鵬社版教科書の採択拡大を阻止しよう

埼玉支部  小 林 善 亮

 二〇一六年度から四年間使用する中学校教科書採択が七月から各地の教育委員会で始まっています。八月三日時点で、東京都、栃木県大田原市、神奈川県藤沢市、広島県呉市、大阪府東大阪市、同河内長野市、同四条畷市で、育鵬社版の教科書が採択されてしまいました。とりわけ、河内長野市、四条畷市での育鵬社採択は、今回初めてであり、このままの状況であれば、育鵬社版が採択を拡大する危険があります。
 育鵬社版の歴史教科書は、日本のアジア・太平洋戦争はアジア諸国の独立につながったと教え、加害責任については抽象的にしか記載していません。同社の公民教科書は、人権を主張することがトラブルにつながるかのような記載や、平和主義は連合国軍から押し付けられたものとの記載、日本が行う平和への貢献は自衛隊の海外派兵の記載ばかりとなっています。育鵬社版教科書は、子どもたちから戦争への抵抗感と人権意識をなくし、戦争をする国を支える国民、どんなに劣悪な労働環境でも文句を言わない国民をつくることを目指す教科書と言えます。育鵬社版の拡大を許せば、子どもたちが歪んだ憲法観を植え付けられ、将来の改憲派を増やすことになりかねません。
 八月の中旬以降に採択が行われる教育委員会もたくさんあります。団の意見書「弁護士から見た育鵬社版公民・歴史教科書の問題点」とリーフは必ず教育委員会に送付ないし持参して届けてください。育鵬社版教科書の採択の危険のある地域では、意見書やリーフに加え、メール等で重ねて教育委員会に育鵬社版教科書を採択しないように要請したり、教育委員会が行われる会場近くで宣伝行動を行ったり、教育委員会の傍聴を呼びかけたり、市民が注目していることを教育委員に認識してもらう取り組みを行っている地域もあります。育鵬社版教科書の採択の危険が強いと危惧されていた名古屋市では、様々な団体や市民が協力して育鵬社版教科書を阻止するための実行委員会を結成し、取り組みを行い、育鵬社版教科書を阻止することができました。七月三〇日には、団長名で育鵬社教科書採択阻止のための取り組み強化の呼びかけがなされています。最後まで油断せずに取組、育鵬社版教科書の拡大を食い止めましょう。


教科書検定を巡るアイヌ問題

北海道支部  市 川 守 弘

 ちょっと前になるが、二〇一五年四月一七日付け赤旗で教科書検定に関して次のような記事が掲載された。
 「(明治)政府は、一八九九年に北海道旧土人保護法(「保護法」)を制定し、狩猟採集中心のアイヌの人々の土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました」と記述。これに、「生徒が誤解するおそれのある表現である(旧土人保護法の趣旨)」との検定意見がつきました。 「…狩猟や漁労中心のアイヌの人々に土地をあたえて、農業中心の生活に変えようとしました」と修正させ、検定合格に。検定意見は、「旧土人保護法」に“土地を与える”との文言があることを理由にするもの。
 世論は修正前の記述が正しいことを前提にこの検定を批判するが、ここには、次の問題点がある。第一に、北海道旧土人保護法(旧土法という)はアイヌから「土地を取り上げたのか」どうか、第二に修正文章は正しいのか?がそれである。
 私の回答は、第一の点は、旧土法は土地を取り上げる法律ではなかったので間違いである。第二の点は、この修正では正しい歴史認識ができない、ということになる。
 この疑問の解決に重要なのは、従来から北海道とアイヌの歴史について正しい理解が、特に法学者からの理解がなされていなかった、と言う点である。江戸時代におけるアイヌは、コタンと呼ばれている小さな集団が一定範囲の土地を支配し、サケなどの自然資源に対する排他的権利を有し、民事刑事の裁判を行い、祭祀を執り行ってきた。確かに和人の経済的収奪の対象になり、政治的にもかなり圧迫されていたが、他方では「蝦夷のことは蝦夷任せ」「化外の民」として、幕藩による課税はなく、賦役もなく、人別帳も作られなかった(ゆえに無宿人と言う扱いもない)。
 ところが明治政府になって、一八七二年、開拓使布達によって「原野山林等一切の土地官属」と国有地化し(土地売貸規則)、また「山林川沢従来土人等漁猟伐木仕来シ地」を区分し地券を発行(地所規則)するなど、それまでアイヌコタンが支配していた土地を一方的に国有地化し地券によって和人へ払い下げていく政策をとり、コタンの権限を一方的に排除した。サケやシカの捕獲も禁止され、裁判権は当然のことのように禁止された。
 これらの歴史を見ると、江戸時代まで存在していた主権団体としてのコタンが一方的な明治政府の侵略によってその権限を失わされたということが明らかである。さらに同化政策によって和人の思想、慣習が強制され、生活は困窮し、その「保護のため」「土地を給与する」として旧土法が制定されたのである。このように理解すると前記した二つの問題点への私の回答を理解いただけるものと思う。
 つまり、旧土法は明治の末にアイヌに対する侵略法制がほぼ完了した時点に出てくる法律で、旧土法だけではこの侵略の歴史は分らないのである。そしてこれはひとえにアイヌ問題に対する法学的研究、考察がなされてこなかった、という法に携わる私たちに原因の一つがあるのである。
 実はアイヌ問題はいま大きな転換点を迎えている。一つは前記した日本政府の侵略を曖昧にし、すべて法令に従っているから侵略ではない、という論調が出てきていること(冒頭の検定問題はこの問題と思われる)、二つにコタンという集団の権限(先住権)を否定する動きが強まっていること(これは国連宣言を無視するということ)、三つに、この動きと関連し、すでに団通信に投稿したことがあるがアイヌの人骨返還を否定する国の政策が進行していること、等々の問題が生じているのである。
 教科書問題と併せてでもよいので、アイヌ問題をローカルな問題にせずに団として取り上げる時期に来ているのではないでしょうか。


*労働問題*

「派遣法が『改正』されると困る。だから電話した。」
四八日間闘い抜いて、派遣法「改正」案を必ず廃案に!!

東京支部  鷲 見 賢 一 郎(労働法制改悪阻止対策本部)

一 派遣労働者の声を国会へ!!「七・二派遣労働一一〇番」
 自由法曹団は、二〇一五年七月二日(木)午前一〇時〜午後八時、労働法制中央連絡会、全労連、東京地評と共同して、「派遣労働者の声を国会へ!!『七・二派遣労働一一〇番』」を行いました。当日は、三八名の労働者(うち三二名が派遣労働者)から電話、面談での相談がありました。
 三二名の派遣労働者の声は、いずれも、労働者派遣法「改正」案に反対し、派遣での働き方の劣悪さを訴え、その改善を求めるものでした。
 自由法曹団ら四団体は、これらの三二名の派遣労働者の回答と意見を、七月八日の院内集会で発表した後、冊子「労働者派遣法『改正』案と派遣での働き方についての派遣労働者の回答と意見」にまとめ、七月三一日、厚生労働省記者クラブで発表しました。
二 「『うち、これまでも何人も死んでんだよ。』と、派遣社員の命と健康を軽視する発言をした。」等々―劣悪な派遣労働の実態を訴え、その改善を求める派遣労働者の声
 皆さん、是非、冊子「派遣労働者の回答と意見」を読んで下さい。自由法曹団のホームページに掲載してあります。
 そこには、「正社員や契約社員への登用拒否、解雇、雇止め等の雇用不安、賃金不払い、ピンハネ、低賃金、賃上げなし、一時金なし、社会保険不加入、正社員との差別待遇、労災かくし、パワハラ・セクハラ、侮辱、罵倒、無視、監視」等の劣悪、無権利、違法な派遣労働に対する、派遣労働者の強い不満と切実な改善要求が出されています。
 そこには、(1)「派遣という働き方をなくしてほしい。ピンハネはされるし、不安定でいいことがない、ピンハネが特にいや。」(相談者(14))、(2)「派遣先の上司に労働災害の申請について相談をしたところ、上司は、露骨に嫌な顔をし、『うち、これまでも何人も死んでんだよ。』と、派遣社員の命と健康を軽視する発言をした。」(相談者(20))、(3)「しかし、その後、契約社員にしてもらう話は進まないまま、同じ職場には三人も契約社員が採用された。その三人の契約社員は、給料は私よりも高い。今の職場で、一生懸命三年間やって来た。それなのに、正社員にも契約社員にもしてくれない。生きていくのが、つらくて。」(相談者(21))、(4)「送迎バス利用は正社員のみである。休憩室やロッカーは、正社員は事業所内にあるが、派遣労働者は事業所外のプレハブにある。派遣労働者の賃金は最賃レベルで、ボーナスも交通費もない。」(相談者(27))等々の派遣労働者の告発と切実な訴えがあります。
三 「派遣法が『改正』されると困る。だから電話した。三年で打ち切りのカウントはいつから始まるのか知りたい。」等々―「改正」案に反対する派遣労働者の声
 「改正」案についての賛否を尋ねるアンケートに対する回答では、三つの論点((1)直接雇用の機会をなくす。(2)同じ職場には三年しかいられなくなる。(3)正社員が減り、派遣労働者が増える。)について、「賛成:〇名、〇名、〇名 反対:二五名、二一名、二一名 どちらともいえない:三名、二名、一名」と、圧倒的多数の派遣労働者が「改正」案に反対しています。
 そして、次のように、「改正」案に反対する派遣労働者の声が多数寄せられています。
 専門業務に従事している一〇名の派遣労働者、一般業務に従事している六名の派遣労働者、専門業務に従事しているか一般業務に従事しているか不明である一名の派遣労働者、合計一七名の派遣労働者が、個人単位の期間制限により雇用が失われること等を危惧し、「改正」案に反対する意見を寄せています。
 二名の派遣労働者が、「改正」案の下で派遣労働者の使い捨てが進むことを危惧する意見を寄せています。
 五名の派遣労働者が、「改正」案は派遣労働者の増加をもたらすとして、「改正」案に反対する意見を寄せています。
 三名の派遣労働者が、「改正」案は永続派遣をもたらすとして、「改正」案に反対する意見を寄せています。
 五名の派遣労働者が、二〇一五年一〇月一日施行の労働契約申込みみなし制度に期待し、「期間制限違反の場合の労働契約申込みみなし制度」を廃止する「改正」案に反対する意見を寄せています。
 以上の派遣労働者の意見に明らかなように、派遣労働者は、「改正」案の内容を正確に理解し、反対しています。
四 あくまでも「期間制限違反の場合の労働契約申込みみなし制度」の適用を回避しようとする政府と経済界の思惑
 政府は、現在、「改正」案の施行期日を二〇一五年九月一日から九月三〇日に延期し、「改正」案を九月初旬に参議院で可決し、衆議院に送付し、会期末の九月二七日までに衆議院で可決、成立させることを狙っています。「改正」案に反対し、徹底審議を求める世論の影響を受けて、予定よりも審議が大幅に遅れる中で、政府は、施行期日を延期せざるを得なくなっているのです。しかし、政府は、経済界の意向を受けて、あくまでも一〇月一日施行の「期間制限違反の場合の労働契約申込みみなし制度」の適用を回避しようとして、施行日を九月三〇日にしようとしているのです。
 現行労働者派遣法は、二〇一二年三月二八日に成立し、同年四月六日に公布され、労働契約申込みみなし制度の条項以外の規定は同年一〇月一日に施行されました。労働契約申込みみなし制度の条項のみが、施行期日を三年後の二〇一五年一〇月一日にされたのでした。
 三年間待たせた上で、施行直前になって「期間制限違反の場合の労働契約申込みみなし制度」を廃止するとは、「改正」案は、派遣労働者に対する背信法案そのものです。
 しかも、政府の計画では、「改正」案の成立・公布から施行まで一か月もありません。「改正」案は、派遣先にも、派遣元にも、労働者にも、その内容を周知されないまま施行されることになります。こんな異常な立法計画を許すわけにはいきません。
五 四八日間闘い抜いて、派遣法「改正」案を必ず廃案に!!
 この団通信が発行される八月一一日から会期末の九月二七日まで四八日間あります。この四八日間、全国各地で、学習会、街頭宣伝、地元議員要請、衆参の厚生労働委員等に対するファックス要請等、旺盛に闘い抜き、派遣法「改正」案を必ず廃案にしましょう!!


派遣労働者の声を国会へ!!
「生涯派遣・正社員ゼロ」「派遣切り自由化」法案に反対する七・八院内集会のご報告

東京支部  並 木 陽 介

 労働者派遣法「改正」案が、二〇一五年六月一九日、衆議院厚生労働委員会と本会議で相次いで強行採決され、自民、公明両党などの賛成多数で可決され、参議院に送付されました。
 しかし、この労働者派遣法「改正」案は、(1)業務単位の派遣受入期間制限をなくし、直接雇用や正社員への道を奪い、「生涯派遣」を強要するものであり、また(2)個人単位の派遣受入期間制限を導入して派遣先に永続的な労働者派遣の利用を可能とし、他方で派遣先に「派遣切り自由」の権限を与える法案であり、しかも(3)施行予定日の一か月前に「業務単位の派遣受入期間制限違反の場合の労働契約申込みみなし制度」をなくし、派遣労働者の直接雇用へ移行する権利を奪うものであって、権利行使を二年一一か月待たされた派遣労働者に対する背信行為になるなど、様々な問題があります。
 そこで、自由法曹団は、全労連、労働法制中央連絡会、東京地評と共に七月二日に「派遣労働一一〇番」を実施し(その詳細は団通信二〇一五年七月二一日号を参照してください。)、その集計結果をまとめて、七月八日に参議院で院内集会を開催して発表しました。
 院内集会には、参議院議員の小池晃氏と辰巳孝太郎氏が駆け付け、派遣法「改正」案の不当性が国会論戦で明らかにされたことが報告され、派遣可能期間を人単位とすることは常用代替防止の最大の担保をなくすものであることなどが指摘されました。
 鷲見賢一郎団員からは派遣法「改正」案の仕組みと問題点について報告し、田井勝団員、上田月子団員、近藤ちとせ団員からは、派遣労働者が直接雇用されることの難しさや、改正案への不安など、「七・二派遣労働一一〇番」に寄せられた派遣労働者の切実な声を紹介しました。
 また、院内集会には、派遣労働一一〇番に相談してくれた派遣労働の当事者が参加し、派遣労働者がピンハネされる実態や、立場の弱さから声をあげたくてもなかなか声が上げられない実態について報告がありました。日産派遣切り裁判の原告等からは、「改正」案反対の意見も出されるなど、活発な発言もあり、八六名の参加を得て盛況な院内集会となりました。
 派遣法「改正」案は、参議院での議論が始まっています。派遣法「改正」案の成立を阻止するため、派遣労働者の声と実態を訴えていく必要があります。一一〇番の結果は、「相談・アンケート結果集計表」、及び「派遣労働者の回答と意見」(いずれもHPに掲載)にまとめてありますので、これらを活用してさらに運動を広げていく必要があります。是非ご活用ください。


「七・二 派遣労働一一〇番」結果発表記者会見と議員要請

埼玉支部  上 田 月 子

一 「七・二 派遣労働一一〇番」結果発表記者会見
(1)二〇一五年七月三一日午後二時、七月二日に行った相談結果をまとめた冊子を公表するため、厚労省で記者会見を行いました。前日に参議院で労働者派遣法「改正」案が審議入りしており、迅速に冊子を公表する必要がありました。
 参加者は団から労働法制改悪阻止対策本部長の鷲見団員と緒方団員、専従事務局の薄井さんと私、団外から全労連副議長の根本さん、東京地評労働政策局長の柴田さんの六人でした。
 マスコミの参加社は幹事社の北海道新聞、毎日新聞、共同通信、連合通信、しんぶん赤旗の五社でした。
(2)冒頭、鷲見団員が冊子の概略を説明しました。相談者は三〇代〜五〇代であり、地域は北海道から福岡までの全国にわたっていたこと、「改正」案を良く理解している者が多く、専門業務に従事している一三名の内、一〇名が期間制限により雇用が失われることを危惧していたこと、労働契約申込みみなし制度に期待している者が五名いたことなどです。九月四日の院内集会の告知もしました。
 続いて、私と緒方団員が、自分が担当した相談者について、印象に残った点などをお伝えしました。
 次に、根本さんが、この相談会の特徴として、悩みを相談して救済を求めるというよりも、「改正」案を理解している相談者が、「改正」をストップするために協力したいという思いからコンタクトしてきた点が挙げられる旨発言しました。
 また、柴田さんは、厚生労働省が労働契約申込みみなし制度の説明会を八月一〇日を皮切りに開催するようだという情報を伝えました。
(3)マスコミからは、まず、幹事社の北海道新聞の記者から「団は今後この冊子をどのように活用していく予定か」という趣旨の質問がありました。
 次に、毎日新聞の東海林記者から、「仮に『改正』案が成立すると、周知期間がほとんどないが、そのことについて団の意見は?」と鋭い質問がありました。今まで、派遣法の改正に際しては、最短でも五か月の周知期間が置かれているそうです。
 その後、派遣労働一一〇番の開催現場にも取材に来てくださっていた共同通信の岩田記者からも質問がありました。毎日新聞、共同通信からは、特定の相談者に対しての取材申し入れもありました。
二 議員要請
(1)記者会見後すぐに、参議院議員会館へ移動し、参議院の厚生労働委員二五名へ冊子を渡して廃案を求める議員要請を行いました(四名留守などで渡せなかったので、後から郵送しました)。
 参加者は鷲見団員と私、全労連雇用・労働法制局長の伊藤さんの三人でした。二四名を分担して回り、最後に共産党の小池議員の部屋に集合することにしました。鷲見団員と二人だと、一人一二名担当しなければならないところ、伊藤さんも参加したので、一人八名担当で済みました。
(2)私は、地元の埼玉選出の行田議員(元気)がいる分担だったのですが、一階の電話アポ取りのところへ二回行きましたが、二回とも繋がりませんでした。厚生労働大臣政務官の高階議員(自民)の部屋では、「こちらは法案を出している側なので、お力にはなれませんが、それでもよろしいですか?」と冊子を渡す際に秘書から念を押されました。羽田議員(民主)の部屋では、志を同じにする者として、秘書に喜ばれました。
三 帰り道
 議員会館から外に出ると、ちょうど、議員面会所を全国各地から駆けつけた学生と学者のパレードが通過している光景に出会いました。多くの人が行動している様子を見て、元気をもらった気がしました。戦争法案も労働者派遣法「改正」案も必ず廃案に持ち込みましょう!