<<目次へ 団通信1535号(9月1日)
今村 幸次郎 | 二〇一五年 宮城・蔵王総会 特集 宮城・蔵王総会でお会いしましょう ―二〇一五年団総会へのお誘い― |
小野寺 義象 (宮城県支部支部長) |
二〇一五 宮城・蔵王総会へ是非ご参加を! |
宇部 雄介 | 半日旅行へのお誘い |
松浦 健太郎 | 一泊旅行へのお誘い |
菊地 修 | <一〇月一七日(土)宮城・蔵王総会前日プレ企画のご案内> 三・一一の今 |
則武 透 | 「安保法案イケンじゃろ!」 パレードに一五〇〇名参加! |
樽井 直樹 | 労働者派遣法改正案に関する参議院厚生労働委員会の地方公聴会に参加して |
中野 直樹 | 戦後七〇年の夏は越後三山へ(一) |
幹事長 今 村 幸次郎
一 今年の団総会は、一〇月一七日(土)プレ企画〜一〇月一九日(月)の日程で、宮城県蔵王町遠刈田温泉の「宮城蔵王ロイヤルホテル」で開催します。この一年間の団の取り組みを振り返り、次の一年の方針等を議論する重要な場となります。是非とも多数ご参集下さるようお願いいたします。プレ企画では、震災復興の現状及び放射性廃棄物の最終処分場の問題を取り上げ、「三・一一の今」を考えます。こちらも多数ご参加下さい。
二 この一年、団は、戦争法制、派遣法大改悪、盗聴拡大・司法取引導入の刑事司法「改革」、沖縄新基地建設、「つくる会」教科書押付け、原発再稼働、TPP強行等々、民意と憲法を無視して暴走する安倍政権と激突してきました。戦争法制等が提出された第一八九通常国会は、六月二四日の会期末が戦後最長の九五日間延長され、現在、最終盤のせめぎあいが続いています。最後の最後まで闘い抜き、その取り組み・成果を持ち寄り、交流し、次の一年を展望する、そんな総会にしていきたいと思います。総会では、分散会(四つ)と全体会で、各分野の取り組みと課題、当期の団の方針等について討議していただく予定です。
三 安倍政権は、七・一閣議決定に基づき、集団的自衛権行使を容認し、自衛隊による海外での他国軍隊への兵站と武器使用を歯止めなく拡大する戦争法制を策定し、国会へ提出しました。六月四日、衆院憲法審査会に参考人として招致された三人の憲法学者全員が、これを違憲と断言しました。これを機に運動は一気に盛り上がり、安保関連法案に反対する学者の会は賛同者が一万三〇〇〇人を超え、学生を中心とするSEALDsは国会前や全国各地で抗議行動を行い、女の平和「ヒューマンチェーン」には一万五〇〇〇人が国会前に結集し、総がかり実行委員会の大集会や座り込み行動が大きく展開されました。七月一五日には、衆院特別委員会で強行採決が行われましたが、その夜、国会前には一〇万人が集まり抗議の声を上げました。総がかり実行委員会は、八月三〇日、国会周辺で一〇万人、全国で一〇〇万人の抗議行動を予定しています。日弁連も会をあげて安保法制に反対しました。全国の単位会で大規模集会・シンポ・パレード等が行われ、八月二六日には、日比谷野音で日弁連主催の「安保法案廃案へ!立憲主義を守り抜く大集会&パレード〜法曹、学者、学生、市民総結集〜」が行われます。
団と団員は、全国各地でこうした運動と切り結びながら、戦争法制反対のたたかいに総力を結集しました。この間、国民から示されたのは、戦争法制反対のみならず、安倍政権による立憲主義、民主主義、国民主権の破壊に対するノ−の声でした。総会では、こうした声を今後にどう生かし、改憲阻止の取り組みをさらに強く大きくするにはどうしたらよいか等について議論していきたいと思います。
四 安倍政権は、辺野古新基地建設についても、オール沖縄の民意を無視して強行する姿勢を見せています。政府は、八月四日、同月一〇日から一か月間建設作業を中止して沖縄県と集中的に協議するとしていますが、新基地建設強行の方針は全く崩していません。今後、翁長知事による埋立承認の取消、それへの国の対抗措置等が予想されます。辺野古新基地建設阻止は、日本の平和、民主主義、地方自治をめぐる最重要課題のひとつとなっています。総会では、団として、辺野古新基地建設を許さないたたかいをどう進めるか等について、活発な議論をお願いしたいと思います。
五 盗聴拡大等の刑訴法等改定、労働者派遣法大改悪についても、団は、意見書作成、院内集会、議員要請等を旺盛に行いました。国会議員との意見交換等も緊密に行い、国会論戦への反対意見の反映等に取り組みました。各課題について複数の団員が参考人として国会で意見陳述を行ったのも今年の特徴でした。これらの課題以外にも、団は、今年、つくる会教科書採択阻止、原発再稼働反対、住まいと貧困の問題、TPP反対、ヘイトスピーチ問題、司法修習の給費制復活、構造改革反対、将来問題、大阪「都構想」阻止等の課題に精力的に取り組みました。各分野における取り組みと課題等について、積極的な討議をお願いします。
六 総会では、古希団員の表彰を行います。今年は三三名の方の表彰を予定します。古希団員のご紹介やこれまでの歩み等については、例年どおり冊子をご用意いたします。団の貴重な財産、「今」への参考として、是非、お読みください。
半日旅行と一泊旅行も行います。詳しくは後掲のご案内をご参照ください。
それでは、皆さん、宮城・蔵王総会でお会いしましょう。
(八月二五日記)
宮城県支部 小野寺 義 象(宮城県支部支部長)
団君:安保法案ゼッタイ廃案!安倍内閣は退陣しろ!
支部君:あのう、すみません。
団君:うるさいなぁ。歴史的な闘いのさなかに、何か用かい。
支部君:団総会のお誘いに来たんですが・・・
団君:えっ、もうそんな時期なのか。今年はどこでするんだい。
支部君:宮城県です。
団君:九州なんて遠くて行けないよ。
支部君:それは宮崎県でしょう。宮城県は東北です。
団君:東北かぁ。いずれにしたって、遠いなぁ。
支部君:「政治の役割はふたつあります。一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと」。これ知ってますか?
団君:もちろん知っているさ。菅原文太さんの沖縄知事選挙での応援演説じゃないか。
支部君:文太さんは、宮城県出身なんです。
団君:えっ、そうなの?
支部君:「生きべくんば民衆とともに。死すべくんば民衆のために。」これも知ってますか?
団君:自由法曹団を作った布施辰治弁護士の言葉じゃないか。団員なら知っていて当たり前だよ。
支部君:その布施辰治さんも宮城県出身なんです。
団君:えっ、そうなの。戦前治安維持法の弾圧と闘った大先輩が宮崎県の出身なのか。
支部君:宮崎県ではなく、宮城県だって言ってるでしょ。石巻出身なんですよ。宮城県には、戦前人権のために闘った人がかなりいるんですよ。
団君:へぇ。たとえば?
支部君:民本主義を唱えて大正デモクラシーの旗手となった吉野作造も、宮城県大崎市の出身なんです。さらに遡ると、明治の自由民権運動で五日市憲法を起草した千葉卓三郎も、宮城県出身で、今は仙台市北山の資福寺に眠っています。
団君:なるほど。戦後、自由法曹団が全力をあげて闘って勝利した松川事件も仙台の裁判所が舞台だったね。
支部君:「主戦場は法廷の外」、「大衆的裁判闘争」。団の戦後の闘いの原点も宮城県とつながっているんですよ。だから、総会に来てくれませんか。
団君:・・・行くのはいいんだけど・・・美味いものはあるの?
支部君:もちろんです。太平洋から奥羽山脈まで豊かな自然に恵まれている宮城には、海の幸も山の幸もいっぱいありますよ。最近は牛タンが有名だけど、アワビやウニやホヤ、ずんだ餅、季節的に秋のサンマや新米も美味いしいですね。
団君:いいねぇ。観光するところもあるの?
支部君:もちろんです。日本三景の松島をはじめ、杜の都仙台にも伊達家ゆかりの大崎八幡宮や瑞宝殿など手軽に行ける観光スポットがありますよ。
団君:総会は宮城のどこでするの?
支部君:宮城県には鳴子、作並、秋保など多くの温泉があり、団総会は県南の蔵王温泉でします。東北新幹線なら白石蔵王からホテルのバスで行けますよ。
団君:温泉かぁ。闘いの疲れもとれそうだねぇ。ところで、総会はいつなの?
支部君:なに言っているんですか。一〇月一八、一九日ですよ。
団君:国会の会期末が九月二七日だから、国会がどんな形で終わっても、団全体で今後の闘いを話し合うとても大切な総会になるねぇ。
支部君:一七日のプレ企画は、東日本大震災の復旧・復興を考える企画も用意していますよ。
団君:そうか、三・一一からもうすぐ5年になろうとしている・・決して風化させてはならない・・・
支部君:ぜひ、被災地で何が起こっているか知って、一緒に考えて欲しい。そのための半日旅行、一泊旅行もつくりました。
団君:わかった。宮城・蔵王総会に出ることにしよう。ところで、宮城県支部は、どんな総会にしたいの。
支部君:青春時代を仙台で過ごした井上ひさしさんが言っていますよ。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことはゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに。」。そんな総会に宮城県支部はしたい。
団君:よし!すぐに総会申込みを団本部に送るから、ちゃんと地酒も用意しておくんだぞ。
支部君:もちろんです。支部をあげて、全国の皆さまをお待ちしております!
(二〇一五年八月二五日)
宮城県支部 宇 部 雄 介
宮城・蔵王総会の半日旅行は、津波で壊滅的な被害を受けた名取市閖上(ゆりあげ)地区の見学と、日本三景のひとつ松島の散策を企画しています。
総会会場の遠刈田温泉を貸切バスで出発し、まずは、名取市閖上地区へ向かいます。現地では、更地となった同地区の被害状況等について遺族からお話を伺います。
同地区では、東日本大震災により発生した高さ約七、八Mの大津波によって、七〇〇名以上が犠牲となりました。これは名取市全体の犠牲者の約八割を占めるものです。その原因は、震災当日、津波避難指示放送用の防災行政無線が故障したため全く用をなさず、避難が遅れたことにあると考えられます。現在、団員により結成された弁護団が市の責任を追及していますが、詳しくは、今後の鈴木優団員の投稿をご覧ください。
次に、松島に向かいます。松島は、宮城県の松島湾内外にある大小二六〇余りの諸島及び湾周囲を囲む丘陵からなり、日本三景のひとつに数えられています。遊覧船が就航しており、船上より島々を眺めることができます。また、松島には、瑞巌寺(国宝・国重要文化財)などの文化財・史跡・歴史的建造物も多く残っています。町の中には海産物を焼くお店が多いので、いい香りが漂っています。 半日旅行では、遊覧船での島巡りと周辺の散策を予定しています。
宮城県内二箇所の沿岸部をご覧いただくことで、地域ごとの被害・復興状況の差異も確認いただければと思っています。
多数の団員の半日旅行への参加をお願いいたします。
宮城県支部 松 浦 健太郎
宮城・蔵王総会の一日旅行は、一日目が、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町を見学し、二日目は、同じく震災の甚大な被害を受けた宮城県石巻市と、日本三景のひとつである松島の観光を企画しています。
一日目は、総会会場の遠刈田温泉から貸切バスで、南三陸町へ向かいます。南三陸町では、津波にのまれ骨組みのみ残る、当時の南三陸町防災庁舎等の震災遺構や復興商店街等を、現地のガイドの方の説明付きで見学します。そして、南三陸町の老舗で、露天風呂から太平洋を一望できる「ホテル観洋」に宿泊します。
二日目は、南三陸町から、石巻市へ向かいます。石巻市も、最も甚大な津波被害を受けた地域の一つです。ここでも、現地ガイドの案内の元、同市で大きな被害を受けた南浜地区に行き、被害の甚大さや復興状況を肌で感じ取っていただきます。また、移動の際には石巻の震災被害を受けたその他の地域も通るので、被災状況や復興状況を見ていただければと思います。
次に、松島に向かいます。松島は、言わずと知れた日本三景のひとつで、無数の島々と海の絶景を見ることができます。一泊旅行では、松島湾をめぐる遊覧船の乗船を企画しており、同遊覧船では船上より美しい海と島々を眺めることができます。瑞巌寺(国宝・国重要文化財)などの文化財・史跡・歴史的建造物の見学も企画しています。
一泊旅行においても、南三陸町と石巻市という宮城県内二箇所の沿岸部被災地をご覧いただくことで、両地域の被害・復興状況の差異を確認できると思います。
多数の団員の一日旅行への参加をお待ちしております。
<一〇月一七日(土)宮城・蔵王総会前日プレ企画のご案内>
宮城県支部 菊 地 修
一 全国の団員の皆さんは、東日本大震災の復興は「順調に進んでいる」、あるいは「もう終わっているんじゃないの」と思っておられませんか。
宮城県における復旧・復興の状況と問題点については、これまで宮城県支部から全国への情報発信は不十分でした。一言でいえば、宮城県の現状は、外形的・ハコモノ的には復興しているように見えるが、肝心の被災者の住まい、街づくり、生業という面では何も進んでおりません(むしろ年々悪化)。被災者は国と宮城県(村井知事)によって徹底的に無視され、自己責任を強いられています。陰で「いつまで甘えているんだ、自立しろ」等言われたりもしています。被災地宮城県では憲法一三条、二五条違反の状態が蔓延しています。また、福島第一原発事故の宮城県における放射能被害も依然として放置され、また放射能に汚染された指定廃棄物最終処分場問題も何も解決されておりません(そういう状況下での原発再稼働など無責任極まりないことです)。
そこで、団全国総会が宮城県で開催されるこの機会に、団員の皆様に宮城県における復旧・復興の現状と問題点をお伝えしたいと思います。
二 内容、スケジュール
第一部 一〇月一七日(土)午後一時〜午後三時
「東日本大震災 宮城県の復旧・復興の現状」
・東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センター事務局次長小川静治氏がパワポで講演します(九〇分程度)。
・質疑・意見交換(三〇分程度)
第二部 同 日 午後三時二〇分〜午後五時
「指定廃棄物最終処分場問題を考える」
・加美町指定廃棄物最終処分場差止弁護団のメンバーによる問題点の解説(六〇分程度)
・質疑、意見交換(四〇分程度)
三 問題の多さ、問題の根深さ、問題の複雑さ、被災者の現状の悲惨さに全国の団員の皆様は圧倒されることでしょう。ぜひ圧倒されてほしいと思います。これらの問題は今後必ず起こるであろう首都圏地震、東海地震、南海地震等においても必ず起きる問題だからです。多くの団員の皆様の参加を呼びかけます。
なお、宮城県における問題点の詳細については、東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センターのホームページ(http://www.miyagikenmin-fukkoushien.com/index.html)をぜひご参照ください。
岡山支部 則 武 透
七月二五日、岡山弁護士会主催の講演会(東京新聞の半田滋さん)、コンサート、パレードが行われた。講演会は昨年来、岡山弁護士会憲法委員会(委員長は清水善朗団員)が企画したシリーズ憲法講演会の第五回目の企画であったが、今回はそれに加えて、吉岡康祐岡山弁護士会会長自らがギター・ボーカルで出演するフォークコンサート、そしてパレードが、これまでとは違う企画の特徴であった。パレードについては、山崎博幸団員などが、事前に労働組合、民主団体などをこまめに回って参加協力を呼びかけた。さらに、党派を問わず、岡山県選出の国会議員に対しても参加要請した。準備段階で、憲法委員会を中心とする若手の弁護士が献身的に努力する姿が印象的だった。
フタを開けると、講演会・コンサートは定員四五〇名の会場に六〇〇名を超える参加があり、弁護士会では「安保法案はイケンじゃろ!」と書かれた六〇〇枚のタオルを用意したが、たちまちなくなった。半田滋さんの講演は、弁護士以外の参加者を優先したために、残念ながら全く聞けなかった。また、私はパレードでシュプレヒコール担当だったので、近くの公園に待機しており、これまた残念ながら吉岡会長のギターや歌声も聞くことが出来なかった。
集会・コンサート終了後のパレードには、一五〇〇名を超える参加があった。岡山で一五〇〇名規模のデモ行進がなされたのは、一九七〇年代以来のことらしい。地元国会議員も、江田五月参院議員(民主党)、津村啓介衆院議員(民主党)、煦艪スかし衆院議員(維新の党)、大平喜信衆院議員(共産党)の四名が駆けつけ、安保法案阻止のためにスクラムを組んだ。
シュプレヒコールは「イケンよ、違憲の戦争法!」「戦争する国 きょーてーぞ」「憲法破りは いけんじゃろー」などと、全て岡山弁で行った。パレード参加者は弁護士会の用意したタオル、それぞれの思いのこもったメッセージボードを手に、ゆっくり岡山駅までの岡山市の目抜き通りを行進した。最高気温が三二度を超える暑い日だったが、参加者の熱気はさらに熱かった。
今後、岡山弁護士会では、安保法案を廃案に追い込むまで毎週月曜日の岡山駅前宣伝、隔週火曜日の倉敷駅前宣伝を予定している。「あのとき、もう少し頑張っておけば」との悔いを残さぬように。弁護士会が中心となって呼びかけることがいかに威力を発揮するか、それを実感することの出来た集会・パレードだった。
愛知支部 樽 井 直 樹
今国会に提出されている労働者派遣法の改正案は、六月一九日に衆院を通過し、七月三〇日から参議院の厚生労働委員会での審議が始まった。改正案に反対する野党の要求もあって、地方公聴会が開催されることとなり、八月六日に名古屋で公聴会が開催された。公聴会に反対の立場の公述人として参加したことについて報告する。
公述人は、反対の立場からは私と三菱電機派遣切り裁判を闘った原告の女性、賛成の立場からは、派遣受入企業であるトヨタ自動車の人材開発部長の伊藤正章氏、派遣会社であるテンプスタッフ・ピープル専務取締役の山本光子氏の四名であった。
まず、公述人が十分ずつの意見陳述を行った。私は、(1)愛知県はリーマンショック後の派遣切りでもっとも多くの被害を出した地域であること、(2)改正案による派遣受入期間制度の変更は、派遣労働を一時的・臨時的なものに限るという原則を実質的に放棄するもので、派遣労働の無制約な拡大に道を開いてしまうおそれがあること、(3)改正案の根底にある「無期雇用派遣の雇用は安定している」、「常用代替防止は派遣先の正社員と派遣労働者の利益の対立」、「労働者派遣が労働力の需給調整機能において大きな役割を果たしている」という考え方は、実態を踏まえたものとはいえないこと、(4)派遣切りの悲劇を繰り返さないためには労働者派遣を制約することが必要であり、そのためにも登録型派遣と製造業への派遣の禁止、均等待遇の導入を検討すべき、といった意見を述べた。
その後、八つの会派からそれぞれ十五分ずつの質疑が公述人に対してなされた。何点か感想を。
まず、改正案によって現場がどのように変わるのかということについて、推進派から具体的な展望がきかれなかったこと。委員からの、派遣労働者が増えるのか、受入を増やすつもりがあるのか、キャリアアップのためにどのようなことを考えているのか、経済的な裏付けはあるのか、といった質問に対して抽象的な回答に終始していた。
また、推進派からは「労働力の繁閑の調整」「需給調整機能」ということがしきりに強調される一方、派遣切りに示されるような労働者派遣が内在する不安定雇用などの脆弱な側面については全く触れようとしなかったことは印象的であった。
さらに、どのような派遣を念頭に置いて発言しているのかの吟味も必要であると感じた。トヨタの伊藤氏は主に専門性のある技術職を念頭に、テンプスタッフ・ピープルの山本氏は自社が扱う事務職を念頭に発言。他方、派遣切りにあった経験を持つ女性は、自ら経験した製造業での派遣について発言している。しかし、政府がしきりに売り込もうとしている「キャリアアップ」をとってみても、業種によってそのニーズは異なり、同一に考えることはできない。公聴会後、委員から、もっと実態に合わせたきめ細かい議論が必要、という感想が聞かれた。
それから、野党の中にも改正案に賛成の会派があると事前に聞かされていたが、その会派からの質問も、雇用については直接無期が大切な原則だと思うが派遣については労働者のニーズもあることをどう考えるべきか、など派遣労働の拡大には慎重な姿勢がにじみ出るものが感じられた。
派遣労働の実態を踏まえ、改正案が歯止めのない派遣労働の拡大をもたらす危険があること、あわせて十月一日から施行される派遣先の労働契約申込みみなし制度を空洞化させるという姑息な狙いをもったものであることを広めるならば、改正案の成立を阻止することは可能であるという実感をもった。
神奈川支部 中 野 直 樹
ランプの宿
「汽車旅行で窓から遠く見える山を一つ一つ確認していくのは、私の大きな楽しみである。上越の清水トンネルを抜けて、越後魚沼の野を下って行く途中、私の眼を喜ばす山が次々と現れる。普通魚沼三山と呼ばれるのは、駒ヶ岳、中ノ岳、八海山である。」と始まるのは、深田久弥氏「百名山」25魚沼駒ヶ岳(二〇〇三米)の章である。新幹線の時代も、浦佐駅から小出駅までの上越線一〇分弱の車窓から望むと、八海山の左に駒ヶ岳が顔を出し、やがて真ん中に中ノ岳が整列した。
八月一日、一昨年の飯豊連峰縦走、昨年の朝日連峰縦走に続き、京都の浅野則明・藤田正樹弁護士とともに駒ヶ岳と中ノ岳を縦走する山旅にきた。異常高温が続き、小出駅で路線バスを待つ間もとても外に立っていられない炎天である。大湯温泉でバスを降り、駒の湯温泉の送迎の車に乗り込んだ。運転する主から、駒ヶ岳の雪渓滑落の危険や雷の怖さをずいぶんと注入された。
秘湯を守る会会員の駒の湯温泉は、東京電力の送電に頼らない宿である。割り当てられた部屋に荷をおろすと、早速、沢沿いの露天風呂にむかった。混浴で、アベックと鉢合わせとなったが、お先にどうぞと遠慮された。かけ流しの湯船につかると、泉温三三度の湯はひんやりと迎えてくれた。七〜八月時の吸血群団メジロアブから身を守るために顎下までつかっていても茹だってこない。駒ヶ岳がガスに隠れ、稲光がし始めた。内風呂に移っても同じ温度で一時間ほどつかっていても汗もかかない。遅れてグループが到着し、風呂に入ってきた。長野からきた常連客だという。この中に温泉博士がいた。この方は、長野県の温泉の審議委員を務めていたとのこと。この方の体験に基づく至高の温泉は、次の三つの条件を備えるものだという。一つは、真水増しすることのない純粋源泉かけ流し。二つは、湯船が三八〜四〇度の泉温。三つは、循環なしの純粋かけ流し。この条件を満たすものは全国でも少なく、自分のお勧めは美ヶ原の中腹にある温泉だとの話であった。駒の湯のもう一つの売りは、魚沼コシヒカリと地元の食材を使った料理の美味さ。朝食に出た大粒の天力納豆は二度全国大会で金賞受賞したという。
戦争法案反対の運動が全国でかつてない規模となって広がっている時期である。私の住まいと事務所のある神奈川県相模原でも、前日の三一日夕方、藤井裕久元財務大臣の発言、超党派の議員の参加を得て、目標千人に千六百名がかけつけた野外集会とパレードの経験ができた。山中で怒っていても力にはならないが、ひとしきり安倍政権批判の気炎をあげて眠りについた。
「熱中」登山
翌朝、八時三〇分出発。少し白みのかかった青空を背景に駒ヶ岳がそびえたっていた。標高差一六〇〇メートル、コースタイムで七時間の登りである。手前にある小倉山への突き上げがきつそうだ。駒ノ小屋まで水場のない尾根道なので二〜三リットルの水をザックに詰め、私が先頭でペースメーカー役となった。ラジオから気象予報士が、今日も猛暑日、熱中症予防のためにこまめな水分と塩分を、と繰り返していた。いつもは一時間に一回目安の休憩だが、今回は一ピッチ三〇分で給水の方針を決めた。私は扇子を用意してきたが、二人は宿の人に頼んで引退間近の団扇を頂戴してきた。これがけっこう空冷に役立った。
樹林帯の山道は日光の直射はないが、風もない。瞬く間に汗が噴き出て、額から、腕から足下にしたたり落ちる。暑いと口に出しても涼しくなるわけではない。しかし、自然と、暑い暑いという言葉が口につく。身体や心がきついとき、そのことを口から吐き出しするだけで癒されるものだ。
標高千メートルを超えると小高い樹木がなくなり、左手に、奥只見湖をはさんで、雪渓を残した会津駒ヶ岳の全容が現れた。会津駒ヶ岳の上を歩くとどこが頂上かわからない長大な山であったが、ここから展望する会津駒ヶ岳は、三角の尖りが天を突く厳しさも備えた姿であった。下からみた予想に違わず、小倉山(一三七八メートル)直下の三〇〇メートルの標高差をつめる登りにあえいだ。ここをしのいで一二時過ぎに、枝折峠への登山道の分岐を過ぎた。昼食をとる時間だが、強烈な日差しを避ける木陰がない。ようやくダケカンバの根元に落とされたわずかな日陰に荷を下ろした。
汗かきの藤田さんは、汗でぐっしょりとなった靴下を脱ぎ絞っている。今年既に二〇回以上の山行をしている浅野さんもいつもの元気さはなく呆然と団扇をあおり続けている。私は、ない食欲に抗して持参のホットあんぱんを飲み込んだ。藤田さんは果敢にもガスバーナーに点火し暑さを高じさせていた。この傍らを小さな荷の登山者が五〜六組下っていった。標高千メートルまで自動車の入る枝折峠からの日帰り登山である。その一人から、駒ノ小屋では冷たい水がかけ流されていること、ビールが人待していることをしっかりと聞き、残り五〇〇メートルの標高差に向けて腰を上げた。(続く)