過去のページ―自由法曹団通信:1538号      

<<目次へ 団通信1538号(10月1日)


  *改憲・戦争法制阻止特集*
戦争法制(安保法制)の強行採決に抗議し、違憲立法の速やかな廃止を求める(声明)
田中  隆
(改憲阻止対策本部)
戦争法制阻止闘争から明日のたたかいへ
―中間総括と報告集にご協力を
大久保 賢一 「戦争法」廃止の「国民連合政府」を実現しよう
小林 善亮 二〇一五年教科書採択の報告
永尾 廣久 『証拠は天から地から』(岡田尚)をすすめます
鈴木  優 *宮城・蔵王総会特集*
東日本大震災名取市閖上訴訟 ―半日旅行の案内も兼ねて―



*改憲・戦争法制阻止特集*

戦争法制(安保法制)の強行採決に抗議し、違憲立法の速やかな廃止を求める(声明)

 本日未明、政府・与党は、九月一七日の特別委員会での暴力的な強行採決に続き、参議院本会議で戦争法制(安保一括法案・国際平和支援法案)の採決を強行した。自由法曹団と全国二一〇〇名余の団員弁護士は、政府・与党の暴挙に満腔の憤りをもって抗議する。
 戦争法制は、集団的自衛権を行使して米国の戦争に参戦するとともに、米軍等の兵站支援(重要影響事態法・国際平和支援法)、治安維持活動と任務遂行のための武器使用(PKO法)、米軍等の武器防護のための武器使用(自衛隊法)などを認め、いつでもどこででも切れ目なく戦争に突入できるようにするものである。
 自由法曹団は六次にわたる意見書を発表し、本質や問題点を明らかにしてきた。戦争法制はまごうことなき違憲立法であり、そのことは圧倒的多数の憲法研究者や歴代内閣法制局長官、最高裁判所元長官らが、憲法違反と断定していることからも明らかである。
 国会審議を通じて、「大量破壊兵器の輸送・補給すら可能」「米軍の武器防護が戦争に直結」など無限定性や危険性がますます明らかになり、安倍晋三首相が言い続けた「邦人母子の乗った米艦防護」「ホルムズ海峡の機雷敷設」の「立法事実」が「絵空事」であることも明白になった。統合幕僚長の訪米協議録などによって、制服幹部の先取り検討や米日軍事一体化の進行も白日のもとにさらされた。
 こうしたなか、日を追うごとに法案反対の声が強まり、「成立の必要なし」が六八%に対し、「必要」は二〇%にすぎなかった(九月一二、一三日 朝日・世論調査)。弁護士が全員加入する日本弁護士連合会や弁護士会が強く反対したのをはじめ、各界・各分野から反対の声がまき起こり、青年・学生は「SEALDs」などに結集して行動に立ち、「ママの会」などに集まる女性の活動も全国に広がった。八月三〇日には一二万人が国会周辺を埋め尽くし、一千か所以上で数十万人が行動した。かつてない規模で広がった地方・地域の運動の地響きが国会を揺るがし続け、採決を強行した国会は怒りの声に包囲された。
 戦争法制は強行されたが、国民の力は政府・与党を圧倒した。
 圧倒的な反対の声に逆らった強行は、平和主義・立憲主義を蹂躙するばかりか、国民主権と民主主義をも踏みにじるものであり、違憲立法にはいかなる効力もない。
 違憲立法・戦争法制は速やかに廃止されねばならず、仮にも発動されることがあってはならない。国民は、平和憲法を守った平和的な国際貢献を求め、憲法を破壊する安倍政権の退陣を要求している。
 戦争法制阻止に結集した力は、違憲立法の廃止と戦争阻止・発動阻止のたたかいに前進し、明文改憲を阻止し安倍政権を退陣させるたたかいに発展しなければならない。
 自由法曹団は、ともにたたかった皆さんにさらなるたたかいを呼びかけるとともに、自由法曹団みずからも全力でたたかう決意を表明する。
  二〇一五年九月一九日

自  由  法  曹  団
団 長 荒 井 新 二


戦争法制阻止闘争から明日のたたかいへ
―中間総括と報告集にご協力を

東京支部  田 中   隆(改憲阻止対策本部)

一 あのとき・・九月一九日未明
 九月一九日未明、参議院本会議で戦争法制(安保法制 安保一括法案、国際平和支援法案)の採決が強行されました。山崎正昭参議院議長が投票結果を報告し、「両案の可決」を宣言したのは、午前二時一九分のことでした。
 白色票(賛成)=一四八票、青色票(反対票)=九〇票が投票結果、民主・維新・共産・社民・生活の野党は一致して反対し、「維新の一部を取り込んで」との、政府・与党のもくろみは失敗しました。
 このとき、国会周辺は前夜から詰めかけた数万の民衆に埋め尽くされ、筆者も含めて多くの市民が「ネット中継」で本会議を注視していました。野党の反対討論が院外の反対の声と共鳴・共振していたのも特徴的でした。
 国会を包囲した反対の声が「一部の民意」でなかったことは、強行直後の世論調査が物語っています。
 法案賛成三〇%、反対五一%(朝日)、成立を評価三三%、評価せず五七%(毎日)、評価三一%、評価せず五八%(読売)、評価三一%、評価せず五四%(日経)、評価三八%、評価せず五六%(サンケイ)と、どの調査でも反対や「評価せず」が多数を占めました。「審議不十分」「政府の説明不十分」が八〇%水準に達し、政権不支持が支持を上回っているのも共通しています。
二 攻防・・「突破策」と阻止闘争
 圧倒的な違憲論に包囲され、国民的な反対に直面した政府・与党は、「安保法制成立」を最優先に「なりふり構わぬ突破策」を展開しました。
 「一五〇日」という長期延長を強行して「中国の脅威」と「平和のための法制」を強調する一方で、沖縄・辺野古工事の「一ヶ月凍結」や国立競技場など東京五輪関係の見直し、「首相談話」への「侵略」等の挿入など、「支持率回復」のための妥協を繰り返しました。「安保法制中心」の国会運営の「あおり」で、盗聴拡大・司法取引法案や民法(債権法)改正案、労働基準法改正案などの「重要法案」も先送りとなりました。
 それだけの「犠牲」を払ったにもかかわらず、強行突破は延長国会の最終盤にもつれ込み、国民的な理解も支持も得られないもとでの強行にならざるを得ませんでした。強行採決をめぐる民意が示しているのは、日本国憲法が掲げる平和主義が国民のなかに根強く定着しており、国会内の議席はこうした民意とあまりにも乖離しているという事実にほかなりません。
 ここまで政府と法案を追い込んだものが、各地・各分野・各方面から澎湃として巻き起こった反対の声であったことは、論を待ちません。
 あらためてふり返ってみると、「総がかり」実行委が提起した行動への広範な勢力の結集、「シールズ」などでの学生・青年の決起、弁護士会が中心にすわった各地の反対運動、法律家六団体による広範な野党議員との共同、マス・メディアと法律家の連携など、今回の特徴的な展開のそれぞれが、二年前の秘密保護法案反対のたたかいを引き継いでいることがわかります。戦争法制阻止闘争は、「前哨戦」と言うべき秘密保護法案阻止闘争を承継し、規模と質の両面で飛躍的に発展させたものと言えるでしょう。
 このたたかいは決して一過性のものではありません。
三 たたかいから明日へ・・九月常任幹事会
 強行採決のその日に行われた九月常任幹事会では、参議院での攻防が続いていた七月から九月にかけて、それぞれの地方・地域で展開された運動が熱く語り合われました。
 「実行委員会主催の市民集会に一万五千人が参加」(埼玉)「連日の街頭宣伝にのべ七百名余の支部団員が参加」(神奈川)、「支部団員の行った学習会は一千回を数えた」(京都)など、地方・地域の運動と支部の活動は、かつてない規模と質で展開されており、この地方・地域の運動の地響きこそが、国会と法案を追いつめた原動力であったことを実感させるものでした。
 常任幹事会ではまた、「次なる課題」も語り合われました。このとき異口同音に指摘された
*戦争法制の本質・内容やたたかいの意味を広げ、廃止の世論を強めること
*違憲訴訟を含めて廃止のための運動を模索すること
*南スーダンPKOへの『駆けつけ警護』の組み込みなどの発動を許さないたたかいを組むこと
*安倍内閣打倒の闘争を前進させ、団員候補の押し出しを含め、一六年参院選で戦争法制反対勢力を躍進させること
*憲法の意義を再確認し、明文改憲を許さないたたかいを強めること
*民意を歪曲する選挙制度を改め、民意が反映する議会を実現すること
 などは、いずれも「次なるたたかい」として具体化が求められるでしょう。
四 ご協力のお願い・・中間総括と報告集
 歴史的な戦争法制阻止闘争を心に刻みつけ、記録し、共有し、明日のたたかいの出発点にするために、中間総括の運動を呼びかけるとともに、各地の運動を集成した報告集を編集します(常任幹事会で確認済)。以下の方向で中間総括を行い、原稿を寄せていただくようお願いいたします。
◎ 経験・教訓や決意・意見を団通信へ
 団員個々人(あるいは法律事務所)の活動の総括・報告やこれからの活動への決意・意見などは、団通信に投稿してください。
 自由投稿原稿なので、視点や内容にとくに指定はなく、投稿の期限はもうけません。
◎ 報告集に各地の運動を
 以下の要領で、報告集(中間総括集)を編集・発行します。
 「平和と民主主義と明日をかけて
       ―― 自由法曹団の戦争法制阻止闘争」(仮称)
 戦争法制との攻防(本部の中間総括)
 戦争法制をめぐる展開/たたかい/日誌/資料/声明
 各地の戦争法制阻止闘争(支部の中間総括)
 都道府県(県と略記)での運動と支部のたたかいと到達点・特徴など浮き彫りにするもの。一本にまとめても何本かの原稿の集成でも可(例 市民の運動/弁護士会活動/支部の活動。〇〇市の運動/△△市の運動)。
 このbの原稿を各支部にお願いします(支部がない県は、法律事務所あるいは団員からお寄せください)。
・字数 一県あたり五千字見当(長大にすぎるものは圧縮を求めることがあります)
・体裁 「である体」、横書。
・締め切り 一〇月末日
・送信先  watajima@jlaf.jp 
・発行予定 一一月下旬(一一月常任幹事会のころ)
 団員の皆さんのこの間の奮闘に心から敬意を表するとともに、中間総括と報告集の編集・発行にご協力いただくことを、お願いする次第です。

(二〇一五年 九月二七日脱稿)


「戦争法」廃止の「国民連合政府」を実現しよう

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 日本共産党が、「戦争法廃止の国民連合政府」樹立を呼びかけている。戦争法の廃止を議決し、集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回するために、安倍政権を退陣に追い込み、これらの課題を実行する政府を作ろうという提案である。呼びかけの対象は、「戦争法廃止と立憲主義を取り戻す」との一点で一致するすべての政党・団体・個人である。  
 その背景にあるのは、「日本の政治は安倍政権の暴挙によって、平和主義、立憲主義、民主主義が根底から脅かされる非常事態にある。非常事態にあってこれまでの枠内にとどまっていては、政党としての責任を果たせない。大胆な対応が求められる歴史的局面である。」という問題意識である。
 私は、この提案に喝采を送りたいし、呼びかけに応えたいと思う。今この国は「非常事態」にあるという認識を共有できるし、安倍政権に代わる政府の樹立は必要だと考えるからである。
非常事態だと思う理由 その一
 戦争法の第一の特徴は、自衛隊という暴力装置を「切れ目なく」海外に送り出すことにある。殺傷と破壊の巧拙で事態を解決しようという野蛮さへの回帰である。「幸福の名においてマルスが支配する」ことになる。第二は、政府や国会という政治部門が、憲法の禁止を破り授権の範囲を超えているということである。憲法という鉄鎖からはずれたとき、国家はその本性を剥き出しにする。立憲主義が無視されたとき、民衆は独裁者の下で呻吟することになる。第三に、国民世論と国会の意思の乖離である。多くの国民はこの国会での成立は望んでいなかった。にもかかわらず、国会はその声を無視した。民意を切り捨て、国庫金で政党を飼いならすという小選挙区制と政党助成金制度の帰結がここに現れている。
 このままでは、再び政府の行為によって戦争の惨禍がもたらされることになる。
 平和主義、立憲主義、民主主義の危機だという認識は事態を正しく捉えているし、抵抗権を発動すべき状況だとも思われる。
非常事態だと思う理由 その二
 多くの学者や内閣法制局長官経験者や最高裁判事経験者たちが、違憲の声を上げている。そのことは何を意味しているのであろうか。「大学はいい意味で『象牙の塔』であるべきです。」と考えていた学者(樋口陽一)も、「自衛隊は合憲である。海外での活動も全面的に禁止されるわけではない。」としてきた内閣法制局や、自衛隊違憲判決を書いた裁判官を冷遇したり、政党助成金制度は憲法問題ではないとしてきた最高裁で仕事をしてきた人たちが、この戦争法は違憲だと言うだけではなく、社会的行動をしているのである。そこまで、この国の政治は「おかしいだろう、これ。」(新潟弁護士会会長・平哲也)となっているのである。この状況を非常事態であるとしても決して大袈裟ではないであろう。
今、求められていること
 私は、これまでも、日本の政治は日本国憲法が予定する方向ではなく、危険で醜悪な方向に進んできたと考えていた。そして、必要な抵抗もしてきたつもりではいる。けれども事態は改善されないどころか、むしろ悪化しているようである。そんなはずではなかったと思いつつも、自分の努力の足りなさや無力さを覚えざるを得ないところである。また、どこかに「だから言わんこっちゃないだろう。何をいまさら。」と言いたくなる気持ちもないわけではない。
 けれども、シールズの諸君や若いママたちの姿を見るにつけ、まだ退役するわけにはいかないと思うのである。
 今回の事態とこれまでの事態との違いは、私たちの論争相手であった統治機構の中にいた人たちまでも政府批判をしていることと、組織的動員を超える自発的運動が沸き起こっていることである。その新しい状況にどう応えていくのかが求められているといえよう。恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生活することは、夢物語ではなく、憲法上の権利なのである。大胆な対応をしなければならない時が来ているのである。

(二〇一五年九月二二日記)


二〇一五年教科書採択の報告

埼玉支部  小 林 善 亮

一 育鵬社版教科書の採択状況
 四年に一度の中学校教科書採択が終わった。残念ながら、育鵬社版の教科書が採択されたところは以下の地域であった(カッコ内は一教科あたりの教科書の使用冊数。教科を表記していない地域は歴史と公民の両方が採択された)。
(一)前回(二〇一一年)に引き続き育鵬社版が採択された地域
 大田原市(七〇〇)、呉市(一九〇〇)、東大阪市(公民のみ。四六〇〇)、藤沢市(三五〇〇)、横浜市(二七〇二五)、武蔵村山市(七〇〇)、四国中央市(八〇〇)、石垣市・与那国町(公民のみ。六〇〇)、岩国市・和木町(歴史のみ。一三〇〇)、東京都(一六〇〇)、埼玉県(八〇)、愛媛県(四八〇)、香川県(一二〇)、上島町(五〇)、熊本県(公民の副教材として。二四〇)。
(二)今回新たに育鵬社版が採択された地域
 河内長野市(公民のみ。一一〇〇)、四条畷市(六〇〇)、大阪市(一八五〇〇)、松山市(歴史のみ。四五〇〇)、新居浜市(歴史のみ。一一〇〇)、泉佐野市(一〇〇〇)、小松市(一一〇〇)、金沢市(歴史のみ。四〇〇〇)、加賀市(六〇〇)、防府市(歴史のみ。一一〇〇)、小笠原村(二〇)、福岡県(二四〇)、宮城県(歴史のみ。二一〇)、千葉県(一六〇)
(三)育鵬社版から他社の教科書へ変更となった地域
 大田区、今治市、益田地区、尾道市、神奈川県
 育鵬社版のシェアは歴史は六・二%(前回三・七%)、公民は五・六%(前回四・〇%)となった。
二 採択結果をどう見るか
(一)安倍「教育再生」下の教科書採択

  今回の教科書採択の最大の特徴は、安倍政権による教育介入政策のもとで行われたという点であった。
 二〇一三年には、教科書検定基準が改訂され、通説的な見解がない事項については、通説的な見解がないことの明示や、政府見解・最高裁判決に基づいた記述が要求されるようになった。また、教科書検定審査要項も改訂し、「国を愛する態度」等の教育基本法が定める教育の目標に照らして重大な欠陥がある場合は検定不合格にできるようにした。さらに、年には、地方教育行政法を改悪し、教育委員会のトップを首長が任命する教育長とする等、教育委員会に対して政治的な圧力を及ぼし易くするよう制度変更がなされた。
 安倍首相は、以前から育鵬社版教科書の作成・採択を支援している日本教育再生機構や教科書改善の会と蜜月関係にあったが、今回いよいよ育鵬社版を採択しやすい環境を整えてきたと言える。今年五月に日本教育再生機構が開いた集会には、衛藤首相補佐官が出席し、「育鵬社の素晴らしい教科書が全国で採択されるように支援を」と述べた。全国の自民党の地方議員には、安倍首相に近い「日本の前途と歴史教育を考える会」(教科書議連)が作成した、育鵬社版教科書を他社と比較して評価する資料が配布され、議会での「しっかりとした検証」が呼び掛けられた。安倍「教育再生」を支持する首長で構成される「教育再生首長会議」が結成され、一〇〇カ所近い地域の首長が参加した。かかる状況の下、日本教育再生機構も今回の採択で一〇%以上のシェアを獲得することを目標に掲げていた。
(二)運動の展開
 対する育鵬社版教科書を子どもに渡さないための市民の取り組みも活発であった。前回、育鵬社版が採択されていた地域では、継続的な取り組みがなされていたし、そうでない地域でも、今年二月ころから学習会などの取り組みが行われていた。おりしも、安倍政権の集団的自衛権の行使容認や戦争法制整備の動きと相まって、戦争を準備するための国民づくりに対する危機感が高まっていた。団としても、二月に教科書問題プロジェクトチームを立ち上げ、育鵬社教科所の問題点を明らかにする意見書、リーフの作成を行い、全国で教育委員会への要請、教科書展示会への参加等が取り組まれた。
 育鵬社版の採択拡大を許したことは残念であるが、日本教育再生機構の目標には届かなかった。圧倒的に多数の地域で育鵬社教科書が採択されなかったことをまず喜びたい。特に、名古屋市等、日本教育再生機構が力を入れていたとされる地域での採択を許さなかったことは重要である。さらに私たちの取り組みによって非常に大きな成果も生まれている。まず挙げられるのは、大田区や神奈川県、今治市、尾道市、益田地区で育鵬社版から他社教科書への採択替えを実現したことである。また、前回につづき育鵬社版が採択されてしまった地域でも、育鵬社版に反対する教育委員が増えたり、大阪市では教科書としては育鵬社版を採択しながら、他社の教科書を副教材として使用せざるを得ない状況に追い込まれる等、育鵬社版が採択された地域でも、批判の声を無視し得ない状況を生み出すことができた。さらに、今回、育鵬社版の公民教科書の採択が歴史教科書よりも少なかったのは、「憲法の三原則すらきちんと学べない教科書は公民教科書にふさわしくない」との批判が影響したものと思われる。
 この間の取り組みと成果は、四年後に向けて大きな財産となる。現在、教科書問題PTでは、今後の参考にしてもらうため、特徴的な地域のこの間取り組みを紹介する報告集の作成を予定している。四年間に育鵬社版が採択された地域では、育鵬社版教科書のひどさを市民に知らせる活動(学習会や宣伝行動)から取り組みが行われてきた。今回、育鵬社版が採択された地域でも、是非学習会等に取り組んでいただきたい。団のリーフもまだ在庫があるので、広く活用をお願いする。


『証拠は天から地から』(岡田尚)をすすめます

福岡支部  永 尾 廣 久

 著者は司法研修所で私と同期(二六期)で、同クラスでした。実は、実務修習地も同じ横浜だったのです。しかも、出身地が九州、すぐ近くなんです。
 著者の扱った事件からタイトルがとられていますが、読みものとしても大変面白く、一気に読了しました。
 では、タイトルにちなむ話を少し紹介しましょう。本書の後半に出てくる話です。
 国鉄の分割・民営化の過程で、当時の日本で最強の労働組合と言われていた国労や全動労の組合員は徹底して弾圧され、迫害を受けた。一九八六年一二月、横浜貨車区で国労の組合員五人が助役に傷害を負わせたとして逮捕された。逮捕当日の夕刊各紙は大きく事件を報道し、国労つぶしキャンペーンに加担した。
 しかし、起訴されたとき、助役に対する傷害罪は消え、公務執行妨害罪しかなかった。いったいどういうことか?
 この刑事裁判で、検察側は、物的証拠としてマイクロカセットテープ一本を提出した。助役が事件の現場で隠しどりしていたというもの。
 弁護団は当然のことながらテープをダビングして聞いていた。すると、坂本堤弁護士(オウム真理教から妻子ともども無惨に殺されてしまいました)が、「あれ、なんか違うのが入ってるな」と、つぶやいた。このテープには、当局側の事件直前の打合せまで録音されていて、それとも知らずに消去されることなく裁判所へ提出されていた。
 ところが、雑音がひどくて、とても聞きとれない。そこで音楽スタジオを借りたりして、大変な苦労を重ねて二年かけてテープ全部の反訳書を完成させた。
 「やつら、たくさんいるんでね。動かないんですよ……。公安関係の人、残っていただいてね」
 「皆さん、ここに隠れてもらって、なにかあったときは、すぐ飛び出してもらいます」
 「うちのほうは隠れていてね、やつらにやらせるように仕向けますから。決定的なやつをね……皆さんにみてもらえば……」
 「ワーワーやったところで、現認してもらえばいいですから」
 このような当局の内部打ち合せが二七分間も録音されていた。
 このテープの謀議場面を著者はテレビ局に提供した。深夜に、「刻まれた謀議」として一時間番組として放映され、二桁の視聴率をとった。
 助役のズボンのポケットにカセットテープレコーダーが入っていたというが、国労組合員による具体的「暴力行為」に触れた発言がどこにも出てこないことも明らかになった。
 そこで、裁判所は、「(暴力があったら聞けるはずの)衣擦れ音等をまったく聴取できない」「本件テープは、暴力の裏付けとならないばかりか、問題性を広げてみせるばかりである」「管理者側の挑発の策謀といった、これまた不明瞭な事情が認められる」などとして、無罪判決を下した。検察官による控訴はなく、一審で確定した。
 要するに、国鉄当局が公安警察としめしあわせて「傷害」事件をデッチあげたのです。
 次は、海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」で、いじめにあって自殺した若い自衛官の事件です。
 一審判決は遺族が勝訴(国は四四〇万円支払え)したものの、自殺とイジメの因果関係を裁判所は認めなかった。東京高裁へ控訴した段階で、一審で国側代理人だった自衛官が内部告発したのです。自衛隊は、この自衛官が自殺した直後に乗組員全員にアンケートをとり、実情をつかんでいたのに、それを裁判の証拠として提出していなかったことを裁判の相手方である著者へ通報した。ところが、それでも自衛隊側はシラを切ろうとするので、 この勇気ある自衛官は、ついに裁判所あてに陳述書まで書いたのでした。
 証拠隠しがバレた自衛隊側は、当然のことながら敗訴(国は七三五〇万円を支払え)します。
 そして、自衛隊のトップは遺族宅に出向いて直接、謝罪し、告発した自衛官は差別されないような措置がとられたのでした。
 著者は、「あとがき」で次のように書いています。
 「弁護士生活四一年だから、負けたこともあるし、勝利も、そこで私が果たした役割がどれほどのものか分からないが、それでも私は、これまで幸せな弁護士人生であった」
 弁護士の仕事に全力投球したため、家庭のほうはいささかおろそかになった面があるようです。著者も、その点は反省しきりです。
 熊本県玉名市で生まれ育ち、横浜での四一年あまりの弁護士生活を振り返っている本書は、あとに続く弁護士にとって大変教訓に富むテキストにもなっていると思います。ぜひ、ご一読ください。
 著者の今後ひき続きのご健闘を心より祈念しています。
(新日本出版社。一七〇〇円+税)


*宮城・蔵王総会特集*

東日本大震災名取市閖上訴訟 ―半日旅行の案内も兼ねて―

宮城県支部  鈴 木   優

一 はじめに
 東日本大震災から四年と七ヶ月が過ぎました。
 これまで経験したことのない地震の揺れ、大津波、そんな中で、自治体の怠慢により大切な家族を失った遺族がいます。宮城県名取市閖上地区で、生後八ヶ月の長男を含む家族四人が死亡・行方不明となった夫婦とその遺族を原告として、市の責任を追求する裁判が、現在、仙台地方裁判所で行われています。
 宮城・蔵王総会の半日旅行では、津波で壊滅的被害を受けた同地区の見学を行い、津波により更地となった同地区の被害状況等について遺族からお話を伺います。
 この「東日本大震災名取市閖上訴訟」について、一人でも多くの団員の皆さまに理解を深めていただき、半日旅行においては、同地区の被害実態を肌で感じながら、遺族の無念さ、災害時における自治体のあるべき姿とは何かということを考えていただければと思い、今回ご紹介させていただきます。
二 名取市閖上地区
 宮城県名取市閖上は、仙台市の南東に位置し、太平洋に面した豊かな土壌に恵まれ古くから農業と漁業のさかんな地区です。平成二三年三月一一日、同地区では、東日本大震災により発生した高さ約七、八mの大津波によって、七〇〇名以上の犠牲者がでました。これは名取市全体の犠牲者の約八割を占めるものです。同地区だけなぜ多数の犠牲者が出たのか、その原因の一つとして、震災当日、津波避難指示放送用の防災行政無線が故障したため全く用をなさず、避難が遅れたことがあげられます。
三 裁判
(1)国家賠償法二条の責任

 東日本大震災当日、名取市閖上の原告らの実家では、生後八ヶ月の長男を含む家族四人がいました。停電のため、テレビからの情報を得ることはできず、ラジオもワンセグ放送を受信する手段もない中で、四人が同地区における津波襲来の情報を得ることができるのは、防災行政無線による津波避難指示だけでした。
 しかし、当時、災害時における人命確保のための最後の手段である防災行政無線は、故障により、全く機能しない状態になっていたのです。被告(災害対策本部長である市長及び防災安全課課長ら)が、防災行政無線の故障に気がついたのは、大津波襲来の情報を入手した午後二時五七分から約四時間以上も経った後のことでした。
 災害時の人命確保のための最後の手段である防災行政無線の故障について、弁護団は、市に対し、国家賠償法二条の責任を追求しています。
(2)国家賠償法一条の責任
 また、市の事前対策や当日の避難誘導にも問題があります。防災行政無線が正常に機能しているかを確認することを怠り、さらに、防災計画に定められた避難広報活動すら行っていません。この点についても、弁護団は、国家賠償法一条の責任を追求しています。
(3)裁判の今後
 防災行政無線の故障及び震災当日の名取市の行動については、第三者検証委員会が発足され、報告書が完成しています。しかし、第三者検証委員会の報告書も不十分な点が多く、未だ真相が解明されたとはいえません。現在、この報告書の元資料となるものを得るべく、裁判所に対して、文書提出命令の申立てを行っています。また、被告が震災当日、防災計画所定の対策を確実に実施していなかった点についても追求していきます。第六回期日は平成二七年一〇月二一日に予定されており、裁判終了後には、報告集会も予定されています。
四 運動
 平成二六年九月の提訴以降、原告ら家族を支援する動きが広がり、平成二七年四月には、「東日本大震災名取市閖上訴訟を支援する会」が発足しました。現在賛同者は八〇名を超えています。また、同会が開催した裁判報告会には七〇名以上の参加者があり、多くの人が今もなぜ七〇〇人以上の犠牲者が閖上地区で出たのか、震災直後からの市の行動は本当に適切だったのかなど疑問や不信感を持ち、市に真実の説明と謝罪を望んでいます。
 弁護団としても、この運動の流れを、市の責任を追求する大きな力として、裁判で真相究明をしていきたいと考えています。
五 最後に
 最後に、今年の五月に行われた第四回期日での原告の意見陳述を引用させていただきます。
 「このまま、あの日の真実が分からず、そうした真実をもとにした教訓がいかされないのでしたら、私たち家族の死は無駄になってしまいます。なぜこんなにも多くの犠牲者が出てしまったのか、その原因と真相を究明することで、これから起こるかもしれない震災で何百、何千もの命が救えるようにしたい、そうした思いから、やむなく。提訴を決意いたしました。・・・裁判所には、なぜ名取市の閖上地区だけ、こんなにたくさんの人たちが犠牲にならざるを得なかったのか、その原因と真相を究明していただき、名取市の責任をきちんと追求していただきたいと思います。そして、名取市にはその責任を認めて、私たちに謝罪をしてほしいと思っています。」