<<目次へ 団通信1540号(10月21日)
東京支部 小 池 振 一 郎
継続審議に至るたたかい
九月二五日参議院法務委員会は、刑事訴訟法等一部改定案を継続審議とした。今年三月に国会提出されたときは、日弁連も賛成しており対決法案ではないとされて、すぐにでも成立するのではないかという恐れもあったが、長丁場の国会をついに乗り切り、継続審議に持ち込んだ。
桜井さん(布川事件)らえん罪被害者やその支援者たちたちがこぞって法案に反対し、「盗聴・密告・冤罪NO!実行委員会」(以下、「実行委員会」という)を作り、法案が国会提出された三月から国会閉会の九月まで、毎月、院内外で集会を開いた(計八回)。そこに各党の国会議員が参加し、超党派の運動が広がった。団をはじめ法律家団体、刑事法学者たちが反対し、日本ペンクラブ、日本雑誌協会なども反対した。
実行委員会主催集会に参加した法務委員会委員たちが、委員会審議で鋭い質問を連発し、法案の問題点が次々と明らかになった。法案作りをした法制審議会よりもはるかに審議が深まった。
何しろ、法案の中身がひどかった。
「可視化義務化」法案などといわれたが、供述が得られそうになければ取調べを録音録画しなくていいなどという抜け道があるのに、どうして「義務化」といえるのか。部分録画の抜け道を合法化し、かえってえん罪を増やす恐れがある。
盗聴対象を一般犯罪にまで大幅に拡大。政府が組織犯罪対策に限定と言っても、濫用されることは歴史が示している。暗号の機械を使うと言っても、第三者の立会人がいなければ警察内で濫用される。秘密保護法、戦争法、共謀罪と結びつけば、戦争国家、監視社会への道を促進する。
密告を合法化する司法取引は、裏取引も無感覚にし、えん罪を増やす。下手したら会社がつぶされる恐れもある。
こんな内容を知れば知るほど、法務委員たちが真剣に追及したのは当然であろう。政府は限定的に運用すると繰り返し答弁したが、納得できるわけがない。法律で限定されない以上、いざとなれば濫用されることは歴史が証明している。日弁連はこの法案の「慎重な運用」を随所に求めているが、そのような要求をすること自体がすでに法案として失格であることを示している。法案は一から作り直さなければならない。
衆議院から参議院への転回
衆議院法務委員会の野党委員たちは、日弁連の賛成を気にしないで、結束してよく頑張った。ところが、土壇場で、微々たる与野党共同修正案(共産党を除く)が提出され、可決された。大いなる政治的妥協であり、最後まで野党が結束していれば、今後のたたかいの大きな礎になったのに、と残念だ。
衆議院で維新の党と民主党が結局賛成した以上、参議院ではすぐ終わるかとも思われたが、参議院本会議での共同修正案の趣旨説明に対する両党の質問は実質反対討論であった。参議院は参議院という自負なのであろうか、衆議院で自党が賛成したことを気にもとめない質問であった。小川委員(民主党)は本会議で異例にも三度も質問を求め、議長はそれを認めた。
参議院法務委員会で野党委員は、ヘイトスピーチ法案が審議中であるから他の法案審議に入れないのが慣例だとして頑張った。結局、司法試験漏洩問題が口実となり、政治的妥協で、趣旨説明には入ったが、いわゆる「お経読み」のみ(趣旨説明に対する質疑はしない)で、終わらせた。この場で、仁比委員(共産党)が「法案は廃案にすべきだ」と発言したところ、小川委員が拍手していた(動画)。
九月一三日(日)実行委員会主催市民集会に出席した真山委員(維新の党)は、「私は、党が仮に賛成しても、自分個人は反対したいと党に話している」と挨拶した。この集会では、日弁連執行部に対するストレートな批判が相次いだ。
参議院野党の法務委員たちはやる気満々である。
衆議院法務委員会で戦後二番目という長期間審議を確保し、参議院法務委員会でも、審議中のヘイトスピーチ法案を利用し、この法案の審議入りをさせずに継続審議に持ち込み、今国会成立を阻止することができた。その要因は、法案に反対する人たちがそれぞれの持ち場で創意工夫して一所懸命たたかってきた運動の成果であることは明らかだ。
廃案の展望
舞台は次の国会に移る。秋の臨時国会が開かれるか微妙だが、開かれたとしても、一一月初めから一ヶ月程度といわれる。仮に参議院法務委員会で審議入りしたとしても、参考人質疑を含め、充分な審議がなされなければならない。早期採決をさせないよう、十分な審議を求めるたたかいが必要だ(一一月一一日午後三時〜六時、参議院議員会館内にて実行委員会主催院内集会予定)。
そもそも、国会開始直前に、法務委員会で何から審議するかが決められるようだが、ヘイトスピーチ法案も継続審議となっており、まずは審議する法案の順番をめぐる攻防戦があるだろう。そこで、次の参議院法務委員会で刑訴法案を先に審議させない状況を作ることが大事だ。この法案を先に審議すれば時間がかかり、他の法案(債権法改正、外国人技能実習法案など)成立に影響するという状況を作ること。そのためには、戦争法案の陰に隠れていたこの法案の問題点を広くアピールし、マスコミも報じるような反対運動を展開することだ。
いまや、法案を必死で推進する勢力は、面子にこだわる法務省と日弁連のようにも見える。日弁連は過去に盗聴法に猛反対していたのに、今回その大改悪を含む法案の早期成立を求め、国会要請までしている。ここで賛成しないと「会話傍受」までやられてしまうというような脅しに屈しているのだろうか。
法案を知れば知るほど、多くの弁護士たちが反対している。国会審議で問題点が次々と明らかになった以上、日弁連もこれまでの姿勢を見直すべきときだ。そのためにも、継続審議となったこの機会に、単位会で声明や決議を上げてほしい。
衆議院土壇場での法案共同修正に見られるように、国会では何が起こるかわからない、一寸先は闇であるともいわれるが、秋の臨時国会(開かれない可能性もある)を乗り越えれば、来年は参議院選挙があり、廃案の展望が見えてくる。廃案に向けた運動を再構築しよう。
(二〇一五年一〇月一三日記)
東京支部 加 藤 健 次
盗聴法の対象犯罪の拡大と要件緩和、司法取引の導入を含む刑事訴訟法等「改正」一括法案は、通常国会では成立せず、継続審議となった。
昨年、法制審で全員一致で答申された内容に基づく法案が、なぜ通常国会で成立しなかったのか。もちろん、戦争法案をめぐる国会全体の状況がこの法案の審議にも影響を与えたことは事実である。しかし、何よりも大きな問題は、法制審での「全員一致」が必ずしても国民の中でのコンセンサスと一致していなかった、というよりも大きな乖離があったことが決定的な要因であった。
刑事司法改革は従来の捜査に対する根本的批判の上で論じられるべきもの
刑事司法の改革というときに、普通の人がまず思い浮かべるのは、相次ぐ冤罪をどうやって防止するのか、とりわけ密室での虚偽自白の強要をどうやって防止するのか、ということである。取調べ過程の全面可視化は、あくまで違法な取調べの抑止という問題の出発点として位置づけられるべきものである。しかし、「一括法案」という形式が取られる中で、冤罪の防止という本来の目的はわきに押しやられた。国会の趣旨説明で、上川法務大臣は、「冤罪防止」という言葉はいっさい用いず、その一方で、「世界一安全な日本」をつくるという治安強化の目的を臆面もなく強調した。
また、取調べ過程の可視化は、捜査機関に対する義務づけではなく、自白調書を証拠とすることを前提に、その任意性立証の手段として位置づけられた。そこには、度重なる冤罪を生み出した取調べに対する真摯な反省は見られない。だからこそ、捜査機関が一時的判断権を有する広汎な例外規定が設けられ。さらに、見直し規定の中では、取調べの録音録画による「捜査上の支障」を考慮することが公然と語られているのである。
法案では、取調べの全過程の録音・録画の対象は、裁判員裁判と検察官独自捜査事件に限られている。しかも、今後の対象の拡大は保障されていない。
布川事件被害者の桜井さんをはじめ、冤罪被害者と支援の人びとが、法案に反対したのは、法案がめざす方向そのものが、痛苦の体験に基づいて彼らが要求する改革の方向に反しているからにほかならない。
「盗聴法は憲法違反」という原則論は今こそ必要
盗聴法の対象犯罪の拡大と要件の緩和に関しては、法制審では、盗聴法は憲法違反ではないか、という原則的議論は「封殺」され、盗聴法は「いまそこにある法律」として取り扱われた。しかし、盗聴法は、憲法違反という対反対の中で、警察にとっては非常に「使いづらい」ものとしてかろうじて成立した。だから、対象犯罪を拡大するとか、要件を緩和することは、直ちに憲法違反の問題につながる。換言すれば、「必要があるからもっと使いやすくしろ」というのは、捜査機関の都合に合わせて憲法解釈を変えろ、と言っているに等しい暴論なのである。
様々な通信手段が発展している下では、警察が会話を盗み聞きしたり、通信内容を盗み見することによる人権侵害のおそれは、盗聴法制定時よりもはるかに大きくなっている。だから、国会の審議では、盗聴法がそもそも憲法違反ではないかという問題がかなり論じられ、対象犯罪の拡大や要件緩和は簡単には認められない、という認識が共有された。
同時に、国会審議であらためて問われたのは、警察の姿勢である。一九八六年に発覚した緒方宅盗聴事件について、被害者の緒方靖夫氏が参考人として実態を述べたにもかかわらず、警察は、反省するどころか、いまだに違法な盗聴の事実そのものを認めていないのである。国会審議の中で、そのような警察が「もっと使いやすい盗聴法」を求めるなど言語道断、という認識も広がっていった。
そもそも論が全く議論されていない司法取引
司法取引については、法制審では本質的な議論がまったくないまま法案化された。
そもそも、自分と関係のない他人の犯罪立証に協力すると、なぜ罪が軽くなるのか。この初歩的な質問に対して、政府委員も与党推薦の参考人も、説得力のある説明をすることができなかった。
「冤罪の防止」という目的が出発点に据えられていれば、数々の冤罪の原因となってきた「利益誘導による供述・証言」を正面から認める制度を導入するなどということは考えられないはずである。
国会審議では、利益誘導による虚偽供述の防止という点について、政府委員や与党推薦の参考人から、「必ず裏付け捜査がなされるはず」、「弁護人が常時関与すれば大丈夫」、「虚偽供述を罰する規定がある」という説明が繰り返された。しかし、これらの説明には、確たる裏付けはなく、虚偽供述を防止する保障とはとうていなり得ない。
出発点に立ち返って日弁連の方針の変更を求める
継続審議から廃案へという運動を展望した場合に、避けて通れないのは、日弁連の方針の問題である。日弁連は、法制審の一括答申に賛成し、法案提出後は、二度にわたって法案の早期成立を求める会長声明を発表した。そこでは、盗聴法の改悪や司法取引制度の導入がもたらす深刻な人権侵害や冤罪の発生に対する懸念や批判は見あたらない。端的に言えば、「取調べの可視化の法制度化」という成果を得ることだけを評価の基準とする姿勢である。私が恐れるのは、このような日弁連の方針が、被疑者・被告人の利益を擁護するという弁護士の立ち位置の変質につながるのではないかということである。
国会審議の中で、法制審では論じられなかった問題点がいくつも指摘された結果、法案が成立しなかったという事実を重く受け止めて、日弁連は、従来の方針を根本から見直すべきであると考える。
刑事司法改革を進めるのは、法制審という狭い世界の中での取り引きではなく、冤罪の根絶を求める世論と運動である。もちろんそれは、憲法や刑事裁判の原則に則ったものでなけらばならない。このことを再確認して、法案の廃案をかちとる運動を進めていこう。
東京支部 竹 村 和 也
一 沖縄の声を日本中の声に
首都圏の若手弁護士を中心に辺野古新基地建設反対の運動に取り組み始めました。私たちは、日本政府が沖縄の「辺野古新基地いらない!」の声を無視し続け、辺野古新基地建設を強行している情勢を目の当たりにしています。沖縄はもう十分なほど声を上げ続けています。あとは、本土がその声にどう応えるかにかかっています。私たちは、「沖縄の声を日本中の声に」することで辺野古新基地建設を何とか阻止したいと思いました。
まず、七月一一日、新宿でデモ行進と街頭宣伝を行いました。当日に向けた呼びかけ文には一〇〇名を超える弁護士が名を連ね、当日も一般参加者を含め約二〇〇人の方に参加していただきました。「辺野古新基地建設反対!」と叫びながらビラを撒き、練り歩き、通行人から手を振られたり声をかけられたりもしました。
二 戦争法案強行採決と辺野古新基地建設の強行
その後、日本政府は、戦争法案について憲法無視・民主主義無視の暴走を始めました。民主主義無視、アメリカ追随の姿勢には、辺野古新基地建設強行の動きと共通するものがあるのではないか、こういった問題意識もあり、戦争法案と辺野古新基地建設反対を繋げた学習と街頭宣伝を行うことになりました。それが九月二〇日に開催した「NO MORE BASE FES−沖縄基地×戦争法案」です。
政府は、辺野古新基地建設に関する集中協議期間が終えるや否や工事再開を強行し、さらには企画前日の九月一九日未明に戦争法案を強行採決しました。企画者の若手弁護士も連日国会前に集うなどしていたこともあり、今後の運動に何とか繋げたいという思いで当日の企画に臨むことになりました。
三 企画「沖縄基地×戦争法案」の開催
企画は、講演会と街頭宣伝の二部構成でした。講演会には会場一杯の一七〇名(主催者側を除く実数)、街頭宣伝にも飛び入りを含めて多数の方に参加していただきました。
講演会の講師は、森住卓さん(フォトジャーナリスト)と渡辺治さん(一橋大学名誉教授)です。森住さんからは、現地沖縄(特に辺野古と高江)の状況を撮り立ての写真を見せていただきながら話してもらいました。辺野古の海の美しさは勿論、そこで闘っている人々の瑞々しい写真が印象的でした。沖縄には地上戦を経験した悲劇があり若い人達にも受け継がれている、それが今の反基地闘争にも繋がっているというお話もありました。現地に何度も入っている森住さんならではのお話で、日本全国に辺野古新基地建設反対の動きをつくるには、多くの人に現地のことをもっと知ってもらう必要があるように思いました。
渡辺治さんからは、安倍政権の戦争法案と辺野古基地の「ねらい」と「危険性」について分かりやすく解説していただきました。そのなかで印象的だったのは、河野統幕長と米軍幹部の会談の内部文書から明らかとなった戦争法案と辺野古新基地建設に共通するアメリカ言いなりの姿勢です。まさに属国としか言いようがありません。渡辺さんは、今後の運動について、戦争法案反対で出来た「共同」の歴史的意義を解説され、今後この共同の動きを辺野古新基地建設反対にも拡げて行く必要があると提起されました。「共同とは意見を隠すことではありません。意見を言い、意見を聞き、違いを乗り越えて共に動くことなんです。」という発言には感銘を受けました。今後の運動の道標になるような講演会でした。講演会の映像は後日「YouTube」で公開する予定です。
四 今こそ辺野古新基地建設阻止に向けた全国的な運動を
翁長雄志沖縄県知事は、一〇月一三日、辺野古新基地建設に伴う辺野古沿岸部の埋立承認を取り消しました。この取消しについては、自由法曹団も強く支持しています(一〇月二日付「沖縄県知事による辺野古新基地建設に係る埋立承認の取消を強く支持するとともに、国法的対抗措置をとらないことを求める意見書」)。
日本政府は、国土交通相に行政不服審査法に基づき不服審査請求をするとともに、取消の効力を求める執行停止を求めています。国民の権利利益救済のためにある不服審査制度を悪用するものであり、許されません(そもそも本件で国は「固有の資格」において処分の相手方となっているもので申立人適格がありません。詳細は「意見書」に記載されています。)。今後、辺野古新基地建設を巡っては法廷闘争を含めた展開が予想されます。しかし、何よりも重要なのは、日本全国で、この翁長知事の取消しを支持し、辺野古新基地建設を許さない運動を拡げることです。私たちは、今後も、「沖縄の声を日本中の声に」するための行動を続けます。集合場所等の詳細は決まっていませんが、一二月二〇日(日)午後一二時から横浜にてデモと街宣行動を行います。是非、ご参加ください(お問い合わせはnomorebasefes@gmail.comにお願いします。)。
最後になりましたが、九月二〇日の企画には多くの団員の先生方にカンパを含めた応援をいただいたことにお礼申し上げます。
今後ともよろしくお願いいたします。
埼玉支部 柳 重 雄
戦争法制反対−新しい民主主義の前進
戦争法制(安保法制)が強行された。平和安全法制と名前がつけられてはいるが、アメリカと肩を並べて自衛隊を海外に出して戦争を遂行する戦争法そのものであり、どんなに詭弁を弄しようとも立憲主義に反し憲法違反の法律である。何よりも圧倒的な反対の国民の声、行動を踏みにじって強行されたもので、さながらファッシズムの到来のようにも思える。しかし、戦争法制反対運動を通じて多くの青年は立ち上がり、子どもを持つ母親達はわが子を戦場に行かせたくないという思いから動き出した。地域からも運動は巻き起こり、国会前集会をはじめとしておそらく戦後最大の戦争法制反対闘争が盛り上がった。新しい民主主義が芽生え、胎動がはじまっている。
TPP大筋合意
一〇月五日、TPP(環太平洋連携協定)について、米国アトランタ市で行われたTPP交渉閣僚会合の最終日、TPP交渉が「大筋合意」されたと発表された。閣僚声明ではTPPが「世界経済の四〇%近くにより高い基準をもたらす」ものであり、「各国間の貿易及び投資の自由化に加えて」「各国のステークホルダーが直面する課題に対処するものである」等と述べているが、蓋を開けてみれば、農産物重要五品目など聖域は守るという公約もかなぐり捨てて、譲るべきものはほとんど譲ってしまっており、やはり日本の農業、地域経済、雇用、医療、食品安全、知財など国民生活、営業等に重大且つ深刻な被害、損害、影響を及ぼすものだ。
アメリカとの経済的同盟
TPPは戦争法制と表裏一体の関係にある。戦争法制が軍事面でのアメリカとの同盟強化のための法制であるとすれば、TPPは経済的な面でアメリカとの同盟を強化し、アメリカに従属する体制づくりであり、戦争法制の経済面を受け持つものである。
TPPはアメリカにとっても日本にとっても、中国をにらんだ経済同盟の土台を固めることであり、むしろ経済安保とも言えるものである。安倍首相が「TPPには、単なる経済的利益を超えた長期的な安全保障上の大きな意義があることを忘れてはなりません。」などと表明してきていることからも明らかである。
アメリカ多国籍企業の支配
TPPのもう一つの狙いはアメリカの多国籍大企業が、TPPに囲い込んだ国々から徹底的に利益を吸い上げ、自国の多国籍企業を肥え太らそうとするものである。最後に残ったバイオ新薬のテータ保護期間問題は、米日製薬資本の利益とその他の国々の国民の医療や健康とのせめぎ合いであった。ISDS条項は国民の安全、健康、環境等を守るための各国の規制が、外国投資家にとって不利な場合、投資家がその国を提訴、規制の撤廃を迫る。結局日米の大企業の各国への支配体制を強化し、これに従属する体制をつくる、これこそTPPの本質であるというべきである。
憲法違反の明白なTPP
戦争法制は立憲主義に反し、憲法違反であることは明白である。このことが、戦争法反対運動の原動力となった。TPPは戦争法制と同様に或いはそれ以上に憲法違反であることは明白である。
まず何よりも、TPPは秘密交渉のうちに交渉がすすめられてきた。国民生活の多方面にこれだけ深刻な被害、影響をもたらすTPPの内容について、国会にも国民にも基本的に知らされないままに結論だけを押しつけられるなどということが民主主義社会であってよいはずはない。これは国権の最高機関たる国会の立法権を侵害しまた国民の知る権利を侵害する。
TPPによって農林漁業その他広範な人達の生活、営業、安全等国民生活の存立基盤を脅かす。どれだけの人々にどれだけの影響を及ぼすのか筆舌に尽くしがたい。これこそ健康で文化的な最低限度の生存を保障した憲法二五条の生存権の侵害であり、憲法一三条の幸福追求権を侵害する。
投資家が国を訴えるISDS条項は、国内裁判所の裁判ではなく世界銀行傘下の仲裁機関に訴えることできると言う意味で、まさしく司法権、裁判を受ける権利を侵害する。多国籍大企業が投資国を訴えてその国の国民を守るための制度の改廃を迫るという観点から見ると、そもそも国家主権に違反をするものであり、憲法上許容する余地はない。
戦争法制反対の闘いで六月初旬、憲法学者がこぞって違憲であることを表明したことで運動の潮目が変わったといわれた。TPP反対の運動でも、明白な憲法違反の点は十分に留意して闘いに生かすべきである。
食料主権の確立と国の安全保障
安倍首相の説明によると安全保障環境が変わった、そこで、集団的自衛権をはじめとする安全保障法制を整えることで戦争を抑止し、我が国に平和と安全をもたらすという。自衛隊を海外に派兵して集団的自衛権行使や後方支援等することが、どうして国の安全保障につながるのかとても理解出来ないところである。国の安全保障を言うならば個別的自衛権を強化すればよいだけの話しでもあるし、また食料の安定的な供給体制、食料主権、食料自給率の向上こそはかるべきである。世界では今、食糧難がささやかれている。TPPによって日本の食料自給率がますます低下したとき、日本の安全保障は危機に瀕し、脅かされることになる。TPPこそ日本の独立、安全保障を真正面から害することになるのではないか。
戦争法制廃止とともにTPPの阻止の闘いを
TPPは大筋合意をされたと言っても、決してこれで終わったわけではない。細部の交渉の詰め、テキストの作成、調印、締結、国会における議論、批准など安倍政権にとって更に困難な道程が続く。TPP反対の闘いはまさしくこれからはじまる。アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド等反対運動も前進し必ずしも各国で批准される見通しが立っているわけではない。戦争法制反対の闘いの盛り上がりの上にたって、その闘いの教訓を生かして、戦争法制廃止とともにTPP阻止の闘いの国民的な運動を巻き起こすべきである。
東京支部 馬奈木 厳太郎
一 また来たくなる生業訴訟
九月三〇日、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の第一四回期日が、福島地方裁判所において開かれました。この日は、国と東電から新たな書面が提出されました。
国の書面は、二カ月に一度のこれまでの開廷ペースを維持して原告本人尋問を行うべきとするもので、要するに原告本人尋問だけで一年以上かけさせようという審理の引き延ばしを図るものです(意見書)。
東電の書面は、平成三年の内部溢水事故について、被水対策の教訓が導かれたとする原告の主張は誤りであり、今回の原発事故との関係でも、原告は吉田調書をご都合主義的に引用したにすぎず、今回の事故を予見するうえで平成三年の事故は参考にされるべきものではなかったと主張するもの(準備書面一五)、避難指示区域内の現況や空間放射線量の状況、各自治体における復興計画などを紹介するもの(準備書面一六)、本年一一月から原告本人尋問に入るのは早すぎるとする訴訟進行に関する意見を述べるものです(進行意見書)。
期日当日は絶好の秋晴れで、あぶくま法律事務所前には二五〇名を超える方が集まりました。前回に続き、ドキュメンタリー映画『大地を受け継ぐ』監督の井上淳一さん、東京演劇アンサンブルのみなさん、「原発なくそう!九州玄海訴訟」弁護団の東島浩幸団員、原発事故被害救済千葉県弁護団の藤岡拓郎団員、『原発と大津波 警告を葬った人々』著者の添田孝史さん、かもがわ出版編集長の松竹伸幸さんが参加されたほか、『永続敗戦論』でお馴染みの白井聡さん、おしどりマコ・ケンさんも、「一度くるとまた参加したくなる」と駆けつけてくださいました。傍聴席に入りきれなかった方々向けの講演会では、NHK「あまちゃん」で音楽を担当した大友良英さんが、「もしあまちゃんの舞台が福島だったら」と題して講演され、こちらも大好評となりました。
二 中谷内証人に対する尋問
この日は、中谷内証人に対する主尋問と反対尋問が実施されました。
中谷内証人は、生活上の様々なリスクをめぐる心理学研究に取り組まれ、一般の人々の「リスク認知」がどのような性質をもつのか、リスク管理にかかわる個人や組織への「信頼」は何によって決まるのかといった問題を扱ってこられました。また、「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」(内閣官房、二〇一一年)において、有識者としてリスクコミュニケーションに関する討議にも参加されています。これらの知見・経験をふまえ、中谷内証人は、専門家のリスク評価と一般の人のリスク評価の違い、リスク認知のモデル、リスク認知における信頼の位置づけなどを明らかにし、原告らの抱く放射線被ばくに対する恐怖感・不安感が、一般人・通常人を基準として、合理性・相当性を有すると証言されました。とくに、経験的システムと分析的システムという二重課程理論を用いた枠組みや、恐ろしさと未知性という指標を用いた放射線被ばくのリスク評価は、大変わかりやすく常識的なもので、傍聴席の至るところで何度も頷く方々を見ることができました。
三 なんとしても検証を
今回の期日では、次回からいよいよ原告本人尋問に入ることが決まりました。今後、五期日にわたって三五名の原告の本人尋問が行われます。他方で、私たちが強く求めている検証については、今回の期日でも裁判所は実施すると明言しませんでした。私たちとしては、検証なしでの判決は予定していません。なんとしても次回期日には検証を勝ち取る決意です。引き続き、生業訴訟の動向にご注目ください。
東京支部 坂 井 興 一
(本書校了二日後)の八月二八日、著者は一年余のがん闘病生活に区切りを付けた。享年六二歳。同じ事務所隣席の安原所員(二弁二九期、HIV・残留孤児・原爆症等の政策形成訴訟等で知られる。)から彼女がそう云う次第であることを告げられたのは危篤に陥った実にその日の朝、大業成就に付いては通夜の折り。重ね重ね不明の至りである。小さな活字体で約四〇〇頁の、大部と云っていい予告本の贈呈を受け、熟読させて貰っての感想が表題である。機恵子女史が出会った宗教・社会事業家、そして余り知られてはいない戦前早期の取っつきにくい人々の列伝をよくも書いたりと思ったのは始めだけ。八人の子を産みながら、自分らのことを勘定に入れずに宗教的社会事業にここまで真摯に励み、四一歳で倒れた機恵子の生涯は、同じ岩手花巻・豊澤町の宮沢賢治に通底する生き方であった、と。こう紹介すると、夫の日本救世軍創設者山室軍平共々超人的生き方をした例外人の如くに感じられる。が、数々の賞を取った彼女の軽みのエッセイで磨いた筆力なのか、これと云う渋滞なし延々と読めてしまうのである。私に読み取れたのは、宗教やその教えのことも去りながら、一見苛烈な日々よりも、かの「永訣の朝」の妹トシや清六の、隣家そのものの宮沢一家を始め、一途で・飾りなく・ずっと市井の人らしく生きた人々のリレードラマの如くである。このエッセイ風味の伝記本をご紹介する気になったのは、著者が盛岡一高後輩で、且つは夫君との係わりがあって、三十数年も前からエッセイを楽しませて貰ったからと云うのは、読後の今となっては単なるキッカケでしかない。西洋法華と揶揄された(救世軍のタンバリン)や団扇太鼓の賢治と、両者を象徴する音曲付きの布教宣伝行進は、何となく馴染みにくいものだが、その風景を気楽に受け止めれば、歳末助け合いフェスティバルや近頃元気の出るリズミカルデモ、娯楽に乏しい子供の頃、ゾロゾロついて行ったチンドン屋さんや紙芝居屋さん、或いはジャーンと来るお坊さんのパフォーマンスとさして違わないようにも思う。が、意味不明でも真面目に聞くしかない宗教世界でのこと故、それを察しての取っ付きにくい気分の心理紹介もぬかりがない。機恵子早逝後の軍平の再婚問題の下りの識者の議論紹介は、「ホントに男どもは!」と、おしりペンペンの音が聞こえて来そうではあるが、なさぬ仲の御子達を優先した救世軍士官の後妻悦子の献身的努力と軍平の心境忖度もシッカリしている。、、と云った如く、さしたる苦もなく大部な書に取り付けるのではあるが、うたれるのはやはり(宗教人の真摯なひたむきさ)である。昼夜を分かたず、富貴に目もくれず、貧乏であることに一顧だにもせず、臆することなく請い、隔てなく分かち合う表裏のない心。有るもの悉くを差し伸べたノーベル受賞栄誉教授は日本人の鏡であるが、無いものを差し出し続ける山室夫妻も真似し難い。みんなで入った時代の団で、程経ずしてマンネリに陥った私は、だったら総会旅費・参加費・稼働相当額を寄付した方がスッキリするかと幾度となく思ったことがあったが、そうした心の緩みとも無縁に真摯に生きる本物の宗教人、そこに惹かれる著者。かくして早過ぎる病苦の最晩年を、惚れ抜いて一緒になったセツル仲間の背の君に向かって、「貴方、校正の邪魔だから来ないで!」とばかりに悪態もどきの軽口を忘れず、撃ちてし止まんとばかりに校了まで全力投球した著者。この熱意と足で探し集めた軍平と、著名とは言い難い機恵子周辺にまつわる様々な苦労の諸資料のみならず、内村・新島・新渡戸・後藤新平・植村らの著名先賢や、著者を執筆に誘なった文人牧師・大田愛人氏ほか、誰でも知っていそうな数多の有名・無名のひたむき人列伝エピソードをも居ながらにして見せて貰える。結果、これらが相まって、まことに巧まざる人生指南書にもなっているのが有り難い。 著者には間に合わなかったこの本を包む花巻郊外・満面みどりの棚田風景は、きっと彼女が機恵子女史や会葬者に見て貰いたかったものかと、改めて思い返している。
尚、本書出版は、(株)銀の鈴社・TEL〇四六七(六一)一九三〇
FAX〇四六七(六一)一九三一