<<目次へ 団通信1547号(1月1日)
荒井 新二 | 新春の思い |
柿沼 真利 | 東京都立学校「日の君」強制事件・ 第二次再雇用拒否訴訟 控訴審「勝訴!!」判決報告 |
田渕 大輔 | 最低賃金裁判・判決言渡は平成二八年二月二四日! |
笹山 尚人 | 避難者訴訟 第一四回期日について |
坂 勇一郎 | 「外環の二」武蔵野訴訟判決 |
毛利 正道 | だれの子どもも殺させない、この地球を救うもの |
萩尾 健太 | 盗聴法・司法取引法案廃案を求めて、東京三会に申し入れに行ってきました |
鈴木 亜英 | チュニジアのノーベル平和賞受賞 日本国民救援会のパネルディスカッション参加 |
団 長 荒 井 新 二
皆様、新年おめでとうございます。戦後七〇年の昨年は、皆さんにとってどのような一年であったでしょうか。戦争法制の大きなたたかいの年として間違いなく歴史に記されることでしょう。そのことにかかわった全国の団員は自信と誇りをもって新年を迎えられたことと思います。この度まとめられた報告集「平和と民主主義と明日をかけて」を是非この正月休みにでも手にとってください。感動的な報告と叡智が一杯詰まっています。新年を迎えておおいに英気が養われます。
昨年は戦争法制以外の課題にもさまざまに団員が活躍しました。刑事訴訟法や労働者派遣法の「改正」などの委員会審議の参考人として団員たちが一〇人近くも登場し、なかには自由法曹団の団員として自己を紹介した方もいました。こぞって法案の大事な問題点をあきらかにし国会論戦に一石も二石も投じました。団員の活躍に目を見張る思いのする一年ではなかったでしょうか。それに加えて内外での教科書や給費制の諸問題、貧困・社会保障の取組も累年の努力が実をむすびつつあります。自由法曹団の、法廷内と法廷外のたたかいを結びつけるべしとのスローガンが生き生きと輝きました。一年間のみなさまの労をともにねぎらいたいと思います。
ひきつづき激動の嵐と情勢の胎動のときを迎えうつことになります。持てる力をフルに発揮しておおいに奮闘いたしましょう。
昨夏、国会前でシールズ(SEALDs)のコール、「民主主義って何だ」がすっかり人口に膾炙しました。自衛隊がグローバルに活動して米軍支援の片棒を担ぐことを危ぶみ、憲法九条が乱暴に踏みにじられることに抗議し集まってくる人々の内発的な行動。これが集会の自由の源基です。その集団的な行動は、徹底的に暴力と不当な干渉を排して極めて自律的に行われました。勤め帰りの会社員も、子どもを連れた家族連れ、学生や学者やママたちが個人として参加できる場がつくられました。繰り広げられるスピーチは複数形ではない各個人の意見が表明される。言論の自由のあからさまな行使です。具体的な内容の決意が日付と名前とともに歴史に刻印するように述べられます。えらびぬかれた言葉がその場に波動し、数限りない聴衆に共鳴しながらSNS上に伝わっていくことが文字通り手にとるように分かります。
平和・立憲主義を踏みにじる多数派専制の国会の中ではなく、その外で、議事堂を眼前にしながらコールすることにこそ、真の多数があり、民主主義が行われているという確信がひとびとを強く繋げていくことは間違いありません。
私たちはこれまで憲法二一条をめぐる裁判で「言論と行動」の二分化のうえで政治的な自由の許容基準いかんという問題に度々遭遇してきましたが、そのような論点が現実の前に自ずと氷解していった、そういう瞬間に立ち会っているという感を覚えました。街頭や集会に出て現実にコミットした多くの法学者も同様だったように思います。
このような状況を、わが国で初の市民的な革命がおきたとする論もあります。戦後ながく潜行した国民の平和への愛好志向がここにきて表れたとする見方もあります。シールズもママの会も確かにこの戦争法案の審議の最中に誕生しました。しかしそれらは一朝一夕に出来したものでは決してなく、そこに至る豊かな底流がありました。秘密保護法反対の持続的な活動あるいは首都圏反原発連合の国会前抗議活動とのつながりは誰も否定することはできないでしょう。しかも社会的な諸条件や諸状況にこれらは根ざしています。「誰の子どもも殺させない」というママの会のコールは、子育てに日々追われる女性たちの想いを込めた切実な声なのです。青年たちには就職難や奨学金問題で将来を見通し難いという怨嗟と怒りがあります。非正規労働者が全体の四割に達した今日の「労働の液状化」と言われる変容と劣化ぶりが、社会的な閉塞の壁をつくりあげています。地方の経済的な格差をはじめ、多様な社会的な格差のひろがり、あるいは秘密保護法などの情報秘匿の一方で、監視と不寛容な社会的な意識の増大が「戦争する国」の体制につながり、一層の治安強化にすすむことの危惧と批判が強まっています。右翼的言論が中間層を巻き込みつつ言論空間を歪めようとすることにも批判と抗議がひろがっています。
この数年間の社会的・経済的な情勢の集約点として、国会前と全国の津々浦々とで戦争法制反対の昂揚がありそれが連鎖的に伝導していったとみるべきです。このたたかいは、コールが表現しているように単に戦争法制だけでなく、この国の民主主義のあり方を問うものです。だからこそ戦争法制の廃止は、この間の安倍政治の否認と一体となっているのです。
パリの同時多発テロの後再びテロとのたたかいが声高に叫ばれています。安倍首相は前のめりになって「戦争状態」にある西側のお先棒を担いでいます。わが国内にもイスラム国のテロへの不安が生じ、空爆を支持したり共謀罪などの治安強化をいう意見もあります。しかし人間の不安は災害・失業・病死などといろいろあって、生きる不安を止めることはできません。テロというものも、長期的にみれば対処可能ではないでしょうか。テロをどうなくしていくか、を冷静に歴史と事実に学んで考える必要があります。イスラム国を軍事力で殲滅することに前のめりになるのではなく、憲法九条を掲げる日本がなすべきこと、なしうることは数多くあるはずです。
今や戦後の民主主義と平和の巨大な鉱床の存在が、明瞭に見えてきたと言えるでしょう。鉱脈の最先端の露頭にくっきりと表れてきたのが沖縄問題です。翁長知事を先頭にしたオール沖縄の立ち上がりは、日本とアメリカの政府に反対し辺野古新基地の建設を許さない壮大なたたかいです。地方自治体が生き残りをかけて自立した経済運営を進めようとするとき、その息の根を止めんとして国が首長を裁判にかける…このようなことは憲法の掲げる地方自治に反し、民主主義の根幹を破壊することと言わなければなりません。戦争法制やTPP問題で一層アメリカ寄りの進路をとろうとするわが国の現在の政治、それにノーを突きつける沖縄のたたかいは、経済を含めたグローバルな安保体制打破の課題にも直結する課題です。オール沖縄に連帯しつつ早急に全国のたたかいにしていかなければなりません。
年頭の一月常幹を沖縄那覇市で開きます。大勢の方が参加されるよう願っています。特に若い団員の参加を期待します。昨年に引きつづき重要課題と位置づけて本年も奮闘することをお互いの新年の誓いといたしましょう。
東京支部 柿 沼 真 利
はじめに
以前、団通信で報告させていただいた、東京都立学校「日の君」強制事件・第二次再雇用拒否訴訟で、二〇一五年五月二五日の第一審に続き、二〇一五年一二月一〇日、控訴審・東京高裁でも、東京都側の控訴を棄却する内容の原告勝訴判決が言い渡されたので、報告する。
事件の概要と判決の内容
同事件は、二〇〇七年三月、〇八年三月、〇九年三月にそれぞれ、定年退職を迎えた都立学校の教師であった方々二二名が、都立学校の定年退職後の再就職制度である「再雇用職員」、「非常勤教員」への採用を希望したところ、過去に、「君が代」斉唱時に職務命令違反の「不起立」があったこと「のみ」を理由に、それが重大な非違行為であるとして、一律にその採用を拒否されたので、その違憲・違法を主張し、損害賠償請求を行うものである。
第一審では、二〇一五年五月二五日に、原告一部勝訴判決が言い渡された。判決の内容は、端的に言うと、被告・東京都による「不起立のみ」を理由とした本件採用拒否は、その裁量権を逸脱・濫用する違法なものであり、原告らに対し、一人当たり、再雇用職員に採用された場合に一年間分の給与に相当する金額の賠償を行うことを、東京都に命じた、というものである。
この判決が、「画期的」なのは、既に、この「日の君不起立」を理由とした「定年退職後の再雇用職員などへの採用拒否」に関しては、複数の訴訟が先行的に起こされており(本件も「第二次」と銘打っている)、それらはいずれも、最高裁まで行った上で、全面敗訴判決が確定してしまっており、本件でも都側はそのことを主張していたのである(まあ、それが、本件が長引いている理由の一つでもあるが)。そんな中で、本件では、「勝訴」判決を勝ち取ったのである。
本件で弁護団は、公務員の定年退職後の採用制度に関する近時の法制度等のあり方(「原則採用」の流れ)、これに沿った新たな裁判例の存在、行政機関の裁量権行使の適法性判断に関する近時の最高裁判例の傾向(具体的で緻密な総合考慮)を示しつつ、本件の判決を、単なる先行訴訟の判決のコピペにしないよう、弁護活動を行った。また、都側の強制の実態が、「通達」、「職務命令」などの個別の要素だけに存在するのではなく、「通達」→「職務命令」→「懲戒処分」→「採用拒否」という「一連の仕組み」によって構成されているとの視点も示した。
第一審判決の注目点
この第一審判決で注目すべきは、(1)教師らに「君が代」斉唱時に起立を命じるのは、その教師らの世界観、人生観などに関わるものであり、「思想・良心の自由」に対する間接的制約になり得るものであり、これに対する不利益は慎重に行わなければならないこと、(2)都立学校における教師の定年退職後の再雇用職員制度などは、教師らの定年退職後の収入の確保などの趣旨がありこれに対する教師らの期待は法律上保護されるものであり、東京都の採用選考に関する裁量権も一定程度制限を受けること、(3)教師らに「君が代」斉唱時の起立を命じる職務命令の根拠として都側が主張している学習指導要領のいわゆる「国旗国歌指導条項」については、学習指導要領の全体的な概要を見た上で、同要領中の同条項の位置付けについて、「他の特別行事の実施や配慮すべき事項の内容と対比して特段区別した位置付けが与えられているとまでは認められない」とし、このことをのみを採用拒否の理由とはできないこと、(4)再雇用制度等は、退職前の地位に密接に関連し、全く新規に採用する場合と同列に考えるべきではなく、懲戒処分を課す場合と別異に考えるべきではないこと、などを認めた点である。
なお、本件で、原告らは、先行する訴訟と同様、「思想・良心の自由」侵害、「教育の自由」侵害、教育基本法違反なども主張したが、それらの点については、本判決は、そもそも判断自体していない。
しかし、上記の裁量権の逸脱濫用論の中で、憲法的価値観や、教育法的価値観を盛り込んでいる点も見ることができ、よく「練られた」判決であると言える。
そして、控訴審判決、さらに最高裁へ?
その後、東京都側が控訴し(原告側は控訴せず。)、第二ラウンドとなった。
しかし、控訴審は一回結審となり、今回一二月一〇日の判決言渡しとなった。控訴審判決も、基本的には、上記第一審判決の内容を、ほぼそのまま踏襲し、かつ、東京都側が控訴審で行った主張を、ことごとく排斥した。
そして、東京都側の控訴が全面的に棄却されたのである。
とはいえ、都側は、今後、上告してくることが予想されるので、第三ラウンドの開幕である。本件は、今後、公立学校の教育現場における日の君強制への一定の歯止めになり、また、公務員の定年退職後の再任用拒否事案にも影響を与えうるものでもあり、気を引き締めて望むことが必要である。
神奈川支部 田 渕 大 輔
一 四年を超えた審理
最低賃金裁判は、神奈川県の地域別最低賃金を一〇〇〇円以上にすることを国に義務付ける判決を求めて、神奈川県内で時給一〇〇〇円未満で働く労働者たちが闘っている裁判です。平成二三年六月三〇日の提訴から四年以上もの間、横浜地裁で闘ってきましたが、平成二七年一一月九日、遂に結審を迎えました。
判決言渡期日は、平成二八年二月二四日一三時四五分と指定されました。
二 裁判の争点一・最低賃金と生活保護とを比較する計算方法の不合理さ
裁判で一番の争点となったのは、最低賃金と生活保護とを比較する計算方法の合理性です。現在、神奈川県の地域別最低賃金は九〇五円ですが、国は、神奈川県を含めた全国全ての都道府県で、最低賃金の水準が生活保護の水準を下回る「逆転現象」は解消されたとしています。
しかし、最低賃金と生活保護とを比較する際にモデルとされている一九歳男性の単身者が、時給一二〇〇円でフルタイム働いたとしても、生活保護基準に則って生活保護を受給することはできます。また、時給一四〇〇円でフルタイム働いた場合でも、その他の条件次第では、やはり生活保護を受給することができます。
それにもかかわらず、時給九〇五円で「逆転現象」が解消されたことになってしまうのは、国が設定している最低賃金と生活保護とを比較する計算方法が著しく不合理な内容で定められているからです。詳細は割愛しますが、裁判では、(1)労働時間が労働基準法上許容され得る最長の時間である月一七三・八時間と設定されていること、(2)公租公課の負担割合について、全国で最も低い最低賃金の金額で働いた場合の負担割合が全国一律に用いられていること、(3)勤労必要経費が全く考慮されていないこと、(4)比較の対象である生活保護について、生活扶助の金額に人口加重平均という平均値を用いていること、(5)比較の対象である生活保護について、住宅扶助の金額に実績値という平均値を用いていることの五点に不合理さがあることを主張しています。
計算方法の不合理な点を是正した場合、神奈川県では最低賃金を一四〇〇円以上に引き上げなければ、「逆転現象」は解消されません。
すなわち、最低賃金の水準と生活保護の水準との間には、未だに五〇〇円以上の乖離があるにもかかわらず、これが存在しないものとして扱われて最低賃金の決定が行われている、この点に違法性があることを主張しています。
三 裁判の争点二・現在の水準の最低賃金では最低生活費を保障できないこと
最低賃金の金額を決定するにあたり、最低賃金と生活保護とを比較することは、平成一九年に最低賃金法が改正されて新設された九条三項に基づくものです。最低賃金法の改正以降、最低賃金の水準が生活保護の水準を下回る「逆転現象」の存在は、最低賃金の引き上げにはつながりましたが、他方で、生活保護バッシングの口実に使われてしまった面も否定はできません。
そもそも最低賃金法九条三項が、最低賃金の水準が生活保護の水準を下回らないことを求めている趣旨は、労働者に最低生活費を保障するということにあります。また、生活保護との比較以前に、勤労収入によって健康で文化的な最低限度の生活を営むことができることは、憲法二五条・二七条や社会権規約、ILO条約などによって権利として保障されているものです。
そうであるならば、健康で文化的な最低限度の生活を営むために必要となる最低生活費の金額を算出した上で、それを勤労収入によって実際に得られるようにするという観点から、最低賃金の水準を定めていくことが本来のあるべき姿です。そして、最低賃金の水準が労働者に最低生活費を保障する水準に達していなければ、最低賃金法の趣旨・目的に反していることになるのです。
このような最低生活費の保障という観点から最低賃金の水準を算出した場合、本来あるべき最低賃金の水準は一三〇〇円から一四〇〇円であるという結論に達しました。
最低賃金の水準について、生活保護の水準との比較によって算出した場合と、最低生活費の保障という観点から算出した場合とで、いずれも同程度の水準の最低賃金が必要との結論に至ったことは、現在の最低賃金の水準が低すぎること、それは国の裁量として許容され得る範囲を逸脱していることを明確に示すものです。
四 判決の影響は全国に波及する可能性を秘めている
今や、最低賃金の引き上げは世界的な趨勢ではありますが、先進国の中で、日本の最低賃金の水準は最低ランクに止まっています。また、日本国内では、非正規雇用が増加の一途をたどり四割に達しようとしている中、格差の拡大やワーキング・プアを防ぎ、労働者とその家族の生活を守り、社会経済の健全な発展を促していく上でも、最低賃金の大幅な引き上げは喫緊の課題です。
最低賃金裁判は神奈川での闘いですが、最低賃金の決定過程の問題点は全国で共通しています。そのため、一つの地裁での勝利が、直ちに全国に波及する可能性を秘めているのです。
横浜地裁で言い渡される判決には、多くの労働者・労働組合が注目しています。裁判所が、最低賃金裁判の原告らのように低賃金での労働を余儀なくされている労働者に寄り添い、理屈の観点からも、社会正義の観点からも、歴史の評価に耐え得る判決を言い渡してくれることを信じて、判決言渡の日を迎えたいと思います。
東京支部 笹 山 尚 人
一 福島県の浜通り地域、福島第一原発の周辺に居住しており、事故によって避難を余儀なくされた住民が、東京電力に対し、避難慰謝料・ふるさと喪失慰謝料・自宅不動産の賠償を求めて提起している「避難者訴訟」。福島地裁いわき支部に二〇一二年一二月三日に提起された裁判は、五次原告までで合計五八六名の集団訴訟であり、弁護団は福島原発被害弁護団が担当している。
平成二七年一二月九日に実施された期日は第一四回となった。原告本人尋問の第四回である。
今までこの訴訟について、自由法曹団に対する随時の報告は行ってきませんでしたが、訴訟も盛り上がってきましたので、今までを反省して、これからは折に触れて報告したいと思います。
二 今回の尋問は、三名の原告本人尋問でしたが、全員楢葉町からの避難者でした。ご案内のとおり、楢葉町は二〇一五年九月に避難指示解除となりました。帰還するかしないかの問題がより切実に問題になります。そこをどう語るかが一つのポイントでした。
今回法廷に立ったのは、Eさん(担当・米倉勉団員)、Wさん(担当・高橋力団員)、Nさん(担当・深井剛志団員)です。
三 三名の原告は素晴らしい証言をしました。私の一番の印象は、「事故前の楢葉町って、ものすごく良いところだったんだな。一度行ってみたかったな。」ということでした。どなたの証言にも、ふるさと「楢葉町」の素晴らしさを、それぞれに語るものでした。
(1)最初のEさんの尋問では、「家族離散」が大きなテーマとなりました。Eさんは、三世代家族で、豊かな老後生活を楽しんでおり、特にお孫さん(当時四才)とのふれあいは、かけがえのないものでした。ところが、原発事故によって、Eさん家族は、いわき(二か所)と東京の三か所で、バラバラに避難生活を送らざるを得なくなりました。お孫さんと面会したときの別れ際、お孫さんがEさんの腰に抱きついて離れようとしない、Eさんの車に乗り込んで降りようとしない、この切ない情景が語られたとき、傍聴席のみならず裁判官も涙を流していました。裁判官がこの原発訴訟で涙を流したのは、初めてだと思います。
また、避難生活の苦しさについて、「原発事故で自殺した人の気持ちがわかりました」と語ったとき、Eさんは、当時の辛い心境を思い出したようで、涙を浮かべていました。
(2)二人目のWさんは、農家のご二男ですが、家業を継ぐことになり、いわきから楢葉町に転居された方です。平成八年に楢葉に移られてから、農業を継ぐことと、町に溶け込むことに懸命な努力をされた結果、ふるさとといえる関係を築かれました。
最後に語られた、「ふと、楢葉町で子どもたちを育てていた時のことを思い出す。子どもたちは、気持ちで誰にも負けないやさしさを持った子どもたちに育てることができた。その子どもたちの子ども、孫たちを、子どもたちと同じように、海に連れて行き、川に連れていき、そうして情の世界を育てたいと夢に思っていた。今、それをやりたかった。楢葉の将来を担う子どもたちに、そんな未来をプレゼントしたかった。しかしいま、三歳の孫にそれができない。あの狭いアパートの中で、妻とどうしたらいいか、日々悩んでいる。妻と楢葉に行くたびに、楢葉はいいなあ、楢葉に帰りたいなあ、と語りあう。私たちはそんなふうに、必死に避難している。本当は、賠償金とか、そういうことではない。元の楢葉に戻してもらいたい、それだけなんだ。」
というお話が、涙なしに聞けませんでした。奪われたふるさとの重みを、ずっしり感じた証言でした。
(3)三人目のNさんは、四〇代の四人家族のお母さん。楢葉の人が、自然が好きで、楢葉にこだわりの自宅を建てて、草木にあふれ、子どもたちが思いっきり外遊びが出来て、ご主人も楢葉の自然を満喫できる。前半は、そういう幸せだった日々が、細かい一つ一つのエピソードを積み重ねて明らかになりました。
後半は、避難を余儀なくされて、家族全員が精神のバランスを失っていく様子が語られました。
愛着込めた自宅の荒れ果てた様子に触れ、Nさんは、「無念」と語られました。何が無念かと問われ、「未来がなくなってしまったことに無念を感じる」、と答えました。未来がなくなる。原告でなければ語れない、重い言葉だと思いました。
四 今後も原告本人尋問は続く。現在弁護団は、第二次提訴原告までの七五世帯について、先行して勝訴判決を得て、原発事故被害者の救済を進めていきたい考えです。
他方、原告本人尋問は一世帯について最低一名は行う、という方針です。それでなければ被害の立証にならないと考えるからです。現在終わっているのは一二世帯。七五世帯全部が終了するにはいつになるのか。
迅速に、でも被害立証は重厚に。相反するこの要請を両立させるべく、弁護団は全力で奮闘しています。
東京支部 坂 勇 一 郎
一 「外環の二」計画と武蔵野訴訟の概要
「外環の二」は、一九六六年、「外環本線」とともに都市計画決定された。「外環本線」は、高架式高速道路計画(幅員二二メートル)として計画され、「外環の二」は高速道路の橋脚部分の敷地を提供するとともに高架下の土地に街路を建設するとして、外環本線を包摂する幅員四〇メートルの道路として計画された。しかし、この道路計画は、成熟した住宅地をなぎ倒すものであったことから、地元住民を中心に広範な反対運動がおこり、外環本線・「外環の二」計画はともに長期間にわたり凍結された。
その後二〇〇七年、外環本線は、沿線地域での移転や地域分断への影響をできるだけ小さくするとして、大深度地下方式に計画変更された。外環本線が地上からなくなった以上、高架式高速道路の存在を前提とした計画を維持することに正当性は認められないし、「外環の二」計画は、地上部への影響を小さくするという外環本線地下化の目的にも整合しない。そもそも人口減少社会のなかで、新たな道路を整備する必要性・合理性は認めがたい。
そこで、計画地上に自宅を所有していた故上田誠吉団員は、自ら原告となって、「外環の二」計画の違法を主張し、(1)「外環の二」計画の違法・無効等の確認、(2)東京都が計画廃止の手続きを取ることの義務付け、(3)東京都が計画廃止をしない違法を理由とする国家賠償請求(慰謝料)、(4)都市計画制限等による損失の補償を求めた。その後、ご遺族が手続きを承継していた。
二 判決の特徴
判決は、原告の請求をいずれも認めなかった。
まず、(1)(2)については、行政処分性が認められないなどとして、請求を却下した。従前、都市計画には、行政処分性が認められなかったが、行政訴訟手続法の改正や、市町村が都市計画決定を行えるようになったことに鑑みれば、都市計画に対する司法審査の必要性は高まっている。そして、「外環の二」計画が四〇年以上にもわたって計画が凍結されてきたことや、現在の計画内容を維持することが不合理であることが明らかとなっているという、本件の特殊性に鑑みれば、都市計画決定の行政処分性が肯定され、司法審査が行われてしかるべきであった。
次に、(3)については、「外環の二」を廃止すべきことが明確に義務付けられたとはいえないとして、請求を棄却した。都市計画については、行政裁量を認めざるを得ないが、都市計画法一三条は都市計画基準を定めているところ、同条に反する場合には、裁判所は積極的に違法判断を行うべきである。この点、幅員四〇メートルの道路計画が高架式高速道路の存在を前提としたものであることは明らかであるし、このような道路計画を維持することが、地上部への影響を極力小さくするという「外環本線」の計画変更目的に反することも明らかである。しかるに、本件判決は、これらの点を正面から論じることを回避した。
さらに、本件判決は、将来の収用の可能性に鑑みての建築の躊躇や価格の下落は、都市計画区域内の所有権に伴う当然の内在的制約であるなどとして、受忍すべき限度を超えた特別の犠牲は存しないなどとして、(4)の請求を棄却した。
司法消極主義の判決というほかないし、裁判所の判断は、結局「外環の二」(青梅街道以南)の解決を先送りしたものである。
三 道路計画・都市計画と民主主義
「外環の二」では、民主主義の在り方が問われている。
地域における道路の在り方、街づくりの在り方を検討し、実施していくには、地域住民の意見が重視される必要がある。地域住民は、地域の専門家であり、また、街づくりの担い手だからである。
東京都は、地上部に道路をつくらないかの姿勢を示して「外環本線」計画をすすめながら、その事業化にめどがつくや手のひらを反して、「外環の二」の存続を図るかの姿勢を示し、その一部については事業化を行い、幅員を縮小した計画への変更を行った。地域住民には、東京都は二枚舌を使って住民をだましたとの思いが強い。東京都の進め方は、情報提供あり方、住民意見の反映の在り方において、問題があると言わざるを得ない。本件判決は、こうした問題を黙認するものでもある。
原告は、判決当日、即日控訴した。弁護団としては、原告及び住民の皆さんとともに、あるべき都市政策・道路政策を求めて、引き続き控訴審を闘う所存である。
長野県支部 毛 利 正 道
まさに、地球のなかの日本として
死者一三〇名、負傷三五一名、計五〇〇名もの犠牲者を出したパリ大規模テロと米英仏ロを含む一五か国による対IS空爆、第三次大戦の序曲ともいわれるなか、ここ日本が戦争法を発動して軍事作戦に加わる可能性が高まっている。テロによる世界の死者は、二〇一四年には、一五年前の二〇〇〇年からほぼ一〇倍=三万三〇〇〇名にもなっている。日本は、既にISから名指しで攻撃予告を受けてもいて、国内外でのテロで日本人に新たな犠牲が出た場合、軍事作戦に加わる動きが一気に加速する可能性もある。とりわけ、日本国民としてこの問題にどのような視座を持つべきかが問われている。
証明された、「武力で平和は築けない」
確かにIS「イスラム国」はひどい。テロを繰り返す一方でイラク・シリア内の「イスラム国」での人権抑圧も著しく、国家樹立を一方的に宣言した二〇一四年六月以降の一年半で、シリア国内で女性子ども一八〇名を含む三五九一名を処刑してもいる。しかし、だからといって、一一月一三日のパリ大規模テロ以降三週間余の空爆でそのパリ大規模テロを上まわる死者を生んでいる、その犠牲者の近親者らがテロリストに育つことをまるで意に介していない、悪夢の連鎖拡大を押しとどめるすべがない、まさに武力対武力の戦争!そのような「やり方」が許されるのか。
二〇〇三年にフランスを代表して対イラク戦争開戦反対演説をしたド・ビルバン元外相が、このパリ大規模テロの直後に「ISは、我々が生み出した。対テロ戦争では勝利できない。知性と和平の手段を用いなければならない」と述べた。人の喉奥に手を突っ込んではらわたをえぐるが如き二〇〇三年対イラク侵略戦争によって、職を奪われた軍人、殺人も職業としてきた彼らが大挙して「過激派」に流れ、それがISの母体になったことは今では周知のことだ。この過程が、「武力では平和を築けない」ことのなによりの証明となっている。非常事態宣言下のパリで、一〇〇〇名による空爆反対の「違法」デモが敢行された。フランスでも、イギリスでも、ドイツでも、空爆反対の声は決して小さくはない。
国際社会が一致して非軍事を貫くことこそ
注目すべきは、六五か国が空爆を認める米国主導有志国連合に加わっているとはいっても、一九三国連加盟国の僅か三分の一に過ぎないという事実である。空爆容認派は国際的に少数派に過ぎない。また、昨年八月一五日以来、本年一一月二〇日に至る再三に及ぶIS関連国連安保理決議において、対IS武力行使を認める表現はなく、外国人戦闘員参加阻止、油田収入などの資金源封鎖、シリア人諸勢力を基礎とした政治解決、テロ実行者・首謀者の逮捕・処罰、などを始め多様な非軍事的措置を行なうことを求めている。
特筆すべきは、国連人権理事会に設けられていたシリア問題独立調査委員会が二〇一四年一一月一四日に公表した報告書において、ISの成立・経過と凄まじい人権侵害の実態を踏まえつつ、国際刑事裁判所(ICC)による検挙・裁判・処罰によって、司令官を始めとするISメンバーを戦争犯罪や人道に対する犯罪を犯した者として裁くことを明記したことである。ICCは、二〇〇二年に規程が発効して加盟一二三か国となった現在、一六の案件を抱えていて元大統領の身柄を拘束している案件もあり、実績を豊富に有している。イラク・シリアがICC未加盟国であっても、安保理がICCに付託し、ICCと協定を結べば、大規模な捜査・検挙体制を敷くこともできる。法廷でIS幹部自身により、その実相が語られるとなれば、世界は、そこから今後の教訓を豊富に得ることができる。安保理並びに国連は、有志国連合に空爆を止めさせて不団結を克服し、これら非軍事の方途を地球規模で具体化すべきである。
誰もが生きる希望が持てる世界に
また、年々増幅していく一国の国内並びに多国間における貧富格差の拡大は、凄まじいものがある。非正規雇用・表現の自由抑圧などにより一度「社会の底辺」に陥るや、そこから「人間としての存在」が向上していく展望が見えず、ますます落ち込んでいくしかないとの真っ暗闇の「ガマ」に閉じこめられた如き閉塞感に支配される。これでは、「人間の尊厳」も「生存権」も享受できるはずもなく、今後「自発的」自爆テロも急速に拡大していくであろう。むろん、国際社会としても、この「現代資本主義社会の歪んだ到達点」を放置しているわけではなく、関係者の精力的尽力がなされてはいるものの、多国籍企業をメインとする地球的利潤拡大システム自体に大胆なメスを入れない限り、「底辺に生きる人々」が希望を持つことができない。ここでも国連の下に世界が団結して臨まなければならない。
日本国憲法が世界を救う
このとき、日本国憲法は、第九条「非戦」だけでなく、第一三条「個人の尊厳」・第二五条「生存権」を併せ持つ、世界で唯一のものである。前文で「平和のうちに生きる権利」まで保障している。戦後長く闘いのタイトルに掲げられている「軍事費を削って暮らしに回せ!」は、この我が憲法の特質を生かしたものであった。この憲法を持つ、そうはいっても「平和国家」で世界第三位の経済大国の首相が、日本国憲法の旗を高く掲げて、国連安保理事会を始めとする世界に訴えていけば、世界の人々も変革に希望を抱いて一層立ち上がり、世界を大きく変える力になるであろう。軍事力に頼る米国の言いなりになって憲法を否定して強権を以て安保法制を敷き、その発動をめざす自公勢力と「軍人に見える」(長野市の主婦)アベ首相がこの役割を担えるはずがない。野党共同の力で、国政選挙で彼らを政権からしっかり退場させ、七〇年前まで世界を震撼とさせたここ日本の、今度は我々主権者が、今、地球を救う。こんなロマン溢れることはない。安保法制反対ママの会が生み出したすごいキャッチフレーズ「誰の子どもも殺させない」の声で世界を包み込み、日本国憲法を高く掲げて地球を救おうではないか。
東京支部 萩 尾 健 太
自由法曹団が挙げて反対に取り組んだ、盗聴法と司法取引などを内容とする刑事訴訟法等改正一括法案は、衆議院は与党と民主、維新の合意で僅かな修正で通過してしまったものの、参議院では、徹底審議のなかで問題点がいっそう明らかになり、採択されずに継続審議となりました。そのため、次期国会で審議されるまで、時間的な余裕ができました。
問題は、日弁連が、この法案を「取調の可視化実現」を謳って推進していることです。そこで、この時間的空隙を生かして、日弁連の態度を変えさせるのが、弁護士である団員の責任だと思います。
自由法曹団東京支部は、一〇月の団総会で、久保田次長を本部に送り出しましたが、久保田次長は、最後の置き土産として、「盗聴法の拡大と司法取引の導入を含む刑事訴訟法等の一括改正法案の廃案を求める決議」を起案して行きました。この決議は、一〇月の城北地域拡大幹事会で見事採択されましたので、その時の言明に基づき、東京支部三役(須藤支部長、金井幹事長、事務局長の私)は、東京三会にこの決議を持って、一括法案廃案を求める申し入れに行きました。この問題の専門家である弓仲忠昭団員も、申し入れに参加して頂きました。
三会の刑事司法担当の理事者にお逢いしたい、と電話でアポを取ると、いずれも快く応じて頂けました。
一一月一七日、まず、第一東京弁護士会の担当副会長宮田桂子氏と面談しました。翌一一月一八日には、東京弁護士会の担当副会長森徹氏、続いて、第二東京弁護士会の担当副会長園部裕治氏と各面談しました。
東京支部の決議とともに、日本民主法律家協会の「法と民主主義」一〇月号の「日弁連にもの申す」などの三論文を手渡しました。
私たちが強調したのは、今や、情勢も認識も運動の状況も、日弁連がこの法案に賛同した当初からは大きく変わった、弁護士会も再検討をし、日弁連に働きかけてほしい、ということです。
弓仲団員にまとめて頂いたのですが、以下の点です。
(1)盗聴法拡大を含む本一括法案は、戦争法可決後、最近のフランスでのテロに伴う共謀罪制定への動きと合わせ、今や、「戦争する国づくり」における治安立法としてとらえるべきこと。
(2)国会審議を通じて、法案の危険性が、より明らかになったこと。
(3)冤罪被害者・市民・学者などの反対運動の広がりの中で、参議院法務委員会での具体的審議に入れなかったこと。
(4)戦争法案反対の運動では、大いに評価されている日弁連・弁護士会であるからこそ、本一括法案への姿勢とのギャップは、市民からは理解しがたく、冤罪被害者らは大変怒っていること。
弓仲団員からは、刑事司法問題では、長く日弁連とも協力関係にあった村井敏邦一橋大名誉教授が「早期成立を求める日弁連執行部の態度は、冤罪防止という本来の目的を見失ったもの」と「理念喪失」の日弁連を批判していること等が紹介されました。また、日弁連執行部が法案推進の裏付けとする二〇一四年六月二〇日の日弁連理事会での「一任決議」は審議の過程でさらに問題点が明らかになった今こそ見直されるべきことが強調されました。
ちょうど一七日に、フランスのテロに便乗して、共謀罪を日本でも制定しよう、という発言が官邸からなされており、刑事法制の各担当副会長は、問題意識を持っているようでした。日弁連から共謀罪については反対の対応についての話が来ている、共謀罪と盗聴法や司法取引との関係についても議論をしている、と述べた方もいました。そして、当方の申し入れについて、他の理事者にも伝え検討するとのことでした。
各地の支部でも、既に取り組んでおられることと思いますが、引き続き、各弁護士会や日弁連に積極的に反対の声を届けていきましょう。
東京支部 鈴 木 亜 英
一 チュニジア国民対話カルテットという団体がノーベル平和賞を受賞した。カルテットとは、わずか二年半前に結成されたチュニジア労働総同盟、チュニジア工業・商業・手工業連盟、チュニジア人権連盟、チュニジア弁護士会の四団体連合の枠組みを指すが、革命後の混乱の中で、「多元的な民主主義実現のために決定的な貢献をした」というのが、今回受賞の理由である。
二 昨年一二月一〇日のオスローでの授賞式には各国から平和団体や平和に貢献した人々が招かれた。この受賞を祝賀して、チュニジア大使館が呼応して日本でもとパネルディスカッションと祝賀パーティを催すことになった。これに日本国民救援会が招かれた。どなたからも、“なぜ”国民救援会が?と聞かれるが、受賞カルテットのひとつが人権団体であったことらしいが、選考基準までは知る由もない。“ジャスミン革命”、“アラブの春”と云えば、四年前のこととはいえ、まだ耳新しい。パネリストになった私には、当時、インターネット上のソーシャルメディアの情報発信と、ネット交換で人々が集散する新しい方式だと刮目した覚えがあるだけで、その後のフォローも覚束なかった。そんな私がパネリストとは、誠に痴がましい限りであったが、パネルは「国民対話と平和に関する(人権団体の)役割」だと云うし、出先機関とは言え民主路線を歩むチュニジア政府から選んでいただいたのだから光栄だと云う思いからこれをお引き受けすることにした。
三 チュニジアはアラブの春の先端を切りベン・アリ独裁政権を倒した後、民主国家への道を辿ろうとしたが、イスラム主義政党主導の暫定政府の下で、政治のイスラム化が進みつつあった。これに世俗的な野党勢力が反発したのが混乱のはじまりである。このことから、革命後に発足した憲法制定会議の憲法草案作成も困難を極め進展を見なかった。二〇一三年夏、反政府派が先導した大抗議運動は政府と反政府派対立のなか、反政府派リーダーの暗殺事件もあって、暴力か民主主義かが問われる緊迫が続いた。
四 この一触即発の情勢のなかで、市民社会の破壊に危惧を抱いた先の四団体が結束して、国民和解に乗り出した。普段は仲が良いとは言えない労使が手を結び、人権団体と法律家団体がこれに加勢したことで、国民各層を代表する調停役が揃い、対立する政治勢力の仲介役の登場となった。
ジャスミン革命はリビア、エジプトなどの北アフリカに伝播し、シリアなど中東にも飛び火するなど“アラブの春”と呼ばれたが、チュニジアを除いて、政治と社会の混乱が続いていて、総体的に失敗だったと評価されている。チュニジアは地中海に面し、対岸はイタリアであり、地政学的にもヨーロッパ文明の影響を受け、歴史的にも市民社会が形成されてきた国である。このような地盤もあって、宗教と世俗の対立も忍耐強い対話の中で、民主的プロセスが機能し始めた。難航していた新憲法制定、選挙の実施、平和的な政権交代の実現に光明をもたらしたのが、このカルテットの努力と国民の力量であった。
しかし、チュニジアの経済不安は若者にしわ寄せし、新卒大生の三割は就職出来ないと云う状況は続き、ISへは三千人を超える外国人戦闘員を輩出している。そしてご存知のとおり昨年だけで二回もISテロ攻撃を受け、多数の死傷者を出している。
五 さて、シンポジウムは、NHKアフリカ中東担当の出川展恒解説委員、公益財団法人中東調査会鏡武副理事長、上智大学アジア文化研究所私市正年教授らアフリカ中東の専門家がパネリストとしてずらりと顔を並べ、チュニジアには何回も足を運んだ方ばかりであった。日本における人権団体としての努力を話してほしいとの要請で、それならとお引き受けしたのであるが、日本経済新聞社のコラムニスト脇祐三氏の司会で始まったディスカッションは、チュニジア情勢から始まった。チュニジアの「チュ」の字も知らない私がパネリストとしてセンターの席を占めるのは足の竦む思いであった。
私にとっては、何とも気の重いスタートとなった。チュニジア素人は私ぐらいのものであった。私はまず、カルテット受賞に対し、心からの祝福を表明した。そして国民救援会の目的と戦後辿った道を紹介し、松川事件などの謀略事件、頻発した公選法弾圧事件、死刑から救出した再審冤罪事件に触れ、民主主義と人権を求める私たちの闘いも正に国民との対話であり、忍耐と辛抱の連続であったと述べ、混乱を平和裡に民主化プロセスに乗せたカルテットの苦労に思いを馳せ、偉業というにふさわしいことだと結んだ。列席の百人を超える大使館関係者にとって、国民救援会の闘いは、初めて聞くに近い話であったらしく、本当によく拝聴して頂いたと感じた。
パーティーでは大使とは長話となった。嬉しそうな顔つきの合間に時々見せた、チュニジアはこれからが「試練」だと云う緊張の表情は、その晩のパネリストの話から納得できた。大使はムスリムやアラブをもっと知ってほしい、これを機会にアラブとの交流を深めて欲しい、是非チュニジアに来て、カルテットと連帯してほしいと私に頼んだ。経済の低迷と格差が若者をISに追いやる貴国の情況はとても人ごととは思えないと私たちの心情を伝え再会を期して別れた。