<<目次へ 団通信1550号(2月1日)
今村 幸次郎 | 団の二〇一六年 ―沖縄・辺野古からのスタート |
土居 太郎 | 常幹感想 |
水谷 陽子 | 市民が権力とたたかう最前線の姿に感銘 |
冨田 真平 | 沖縄拡大常任委員会に参加して |
松村 文夫 | 軽井沢バス転落事故と バス運転手過労死判決 |
郷田 真樹 | 自由法曹団福岡支部 ・女性部の活動がはじまりました(下) |
早田 由布子 | 安保法制の次は緊急事態条項です |
守川 幸男 | 独裁政権が「緊急事態条項」の名で「戒厳令」もどき ――効果的なネーミングを ほか |
佐藤 博文 | 平和主義と立憲主義との関」係について |
大久保 賢一 | 核抑止論は核拡散をもたらすことになる ―北朝鮮の水爆実験を例として―(上) |
林 治 | 千葉県銚子市・県営住宅母子心中事件の 悲劇を繰り返さないために(上) |
笹本 潤 | 第六回アジア太平洋法律家会議(ネパール)へのお誘い |
幹事長 今 村 幸 次 郎
一 一月一五・一六日、団は、沖縄で、県庁訪問(安慶田副知事面談)、シムラ候補激励、普天間基地見学、辺野古座り込み及び拡大常任幹事会を行いました。県庁訪問には三七人、辺野古座り込みに五五人、拡大常幹には六三人が参加し(新人も九人参加)、すべての企画で大きな成功を収めることができました。沖縄支部の皆さんには大変お世話になりました。心からお礼申し上げます。
二 辺野古では、キャンプシュワブのゲート前で隊列を組んで警備している機動隊のすぐ目の前に、団員五五人が座り込みました。五五人もの団員が一堂に会して座り込みをするのは、かつてないことだと思います。皆の団結と熱い決意が改めて感じられる取り組みとなりました。現地世話人の山城さんが、多くの弁護士の来訪を本当に喜んでくれました。新基地反対の運動に全身全霊をささげておられる現地の皆さんの姿には、私たちの方が逆に励まされる思いでした。
三 二〇一六年は、戦争法廃止、立憲主義の回復、個人の尊厳を尊重する政治を、選挙によって実現させる勝負の年です。団と団員が、燃えに燃えて日々行動に打って出る時がきています。昨年大きく沸き起こった運動のうねりを、今年さらに強く大きくし、「安倍政権退陣」「戦争法廃止」という結果を出すことが求められています。「日本国憲法」を選ぶか「自民党憲法改正草案」を選ぶのかが問われているのだと思います。
四 一大政治決戦はすでに始まっています。まずは、「戦争法廃止二〇〇〇万署名」をやり切りましょう。一人一人の国民が「平和」と「憲法」を選び取る貴重なツールだと思います。家族、親戚、友人・知人、ご近所、相談者、依頼者への声かけなど、私たちにできることはたくさんあります。そして、「一九日行動」など全国各地での運動を盛り上げ成功させましょう。幾重にも続く国民の旺盛な意思表明は、必ずや政権を追い詰めることにつながると思います。
私たちは、沖縄・辺野古で、今年の躍進に向けて「ロケットスタート」を切ることができました。この勢いで、今年も団結して頑張りましょう。(一月二三日記)
千葉支部 土 居 太 郎
一 ご挨拶
はじめまして。今年から弁護士になりました土居太郎と申します。
また、修習中にお世話になった先生方のご厚情にこの場を借りて感謝いたします。
先日(一月一五日から一六日)、沖縄県で行われた自由法曹団の常任幹事会に出席しました。団員としての出席は初になります。多くの団員は、幹事会の前に、沖縄県副知事と面会、辺野古のキャンプシュワブ前の座り込みの応援、普天間基地の見学(見学と言っても基地の中に入るわけではない)に行きました。なお、宜野湾市長選の応援に行った団員もいます。
二 弁護士としての所感
今回参加して抱いた感情の一つは励みです。
常幹には、全国各地から団員が参加しました。頼れる先輩方や仲間が全国各地にいることはとても頼もしく思えました。また、私もこのような組織に加わることができたのは誇らしく思います。修習中に七月集会等で知り合った同期と再会できたのも嬉しかったです。次にまた会える日を楽しみにしております。
次に感じたのは焦りです。
常幹では、様々な分野に特化し、法律家としての優れた技術を有する先生方がいらっしゃいました。他方で、私は何ら誇れる技術がありません。団に入ったのは、自分が弁護士として、報われない人の助けになりたいという思いからですが、思うだけなら誰にでもできます。
今回の訪問の途中で、ふと思ったことがあります。辺野古で座りこみをしている人が逮捕されたとき、自分が仮に弁護人だったら助けることができるのか。常幹では千葉県銚子市で起きた母子無理心中事件について報告されたましたが、仮に自分がその母親の弁護人だったらどうなっていたか。母親に対する刑事裁判の懲役刑は求刑の半分でした。このような結果が出たのは、有名なトップクラスの弁護人がついていたからです。技術なくしては、誰の助けになることもできず、そうであれば法律家たりえません。私の未熟さを改めて認識させられ、技術を磨かなければならないと強く焦りました。
三 一月一五日、一六日の日記のようなもの
紙面に余りが出たので、以下、当時の日記のようなものを書きます。
第一に、副知事との面会について。副知事には多数の団員が面会に訪れ、副知事の部屋が満員になるほどでした。問題が起これば全国から駆けつける団というものの力強さを感じました。
第二に、普天間について。普天間の基地は周りが住宅で囲まれたど真ん中にあり、まさに住宅の「お隣」です。近くであるとは頭ではわかっていましたが、こんなにも身近なものであるとは感覚では理解していませんでした。感覚で言われてもよくわからないという人はグーグルストリートビューで普天間基地の周辺を見てみるとわかるかもしれません。
第三に、辺野古について。機動隊にも屈せず主張を続ける人々を見て、民主主義ってこれだと思いました。このような活動を後退させるべきではなく、これを影から支えるのが法律家の役割であります。
第四に、常幹について。最初に配られた資料がとても多く、一目で尋常じゃない内容量であると見抜きました。一〇以上のテーマにわたり、報告・議論が行われ、各分野の最先端の議論の一端に触れることができました。このうち自分が非常に興味を持って取り組みたい分野があったら、周知されたシンポジウムに行く、報告者に問い合わせをする等すればいいということが分かり、具体的な団の効用を実感しました。
さて、普天間や常幹の感想はおそらく他の新入団員がもっと良い文章を記しているでしょうからこのぐらいにしておきます。今後ともよろしくお願いいたします。
東京支部 水 谷 陽 子
私は六八期の新人として、弁護士になって間もないタイミングで今回の沖縄拡大常任幹事会に参加しました。権力と市民が目に見える形で対峙する姿や基地による異常な様子をありありと学び、ガツンと衝撃を受けて帰ってきました。弁護士人生の初っ端からそんな体験をさせていただけたことに感謝しております。
◆辺野古座り込みから見えたもの
何より衝撃的だったのは、辺野古の座り込みでした。
というのも、私は今まで「権力」というものは何やら抽象的な概念として捉えていましたが、辺野古では、まさに市民とのせめぎあいの中で権力が具体的な形になって市民を弾圧する姿が見えてきたからです。
ゲート前に座り込んでみると、私たちのすぐ後ろ、座り込む市民の背中がつくほどの距離に護送車が停められており、民間の警備員らしき男性が複数人立っていました。すでに市民への威圧をひしひしと感じる場でしたが、私たちを歓迎してくださった座り込みのリーダー的存在の山城さんの話はもっと衝撃的でした。山城さんのお話によれば、機動隊員は一人一人をごぼう抜きにして一か所に集め、集めた市民が出ていかないように囲む、だから囲むのにも機動隊員の人手が必要になり、ごぼう抜きに回れる機動隊員の数は限られている、ということは機動隊員がごぼう抜きにできないほどの数の市民を集めれば新基地建設作業を止められる、というものでした。また、ごぼう抜きされた際に、体を動かさないことで機動隊にどかせにくくするという抵抗をする人もいるというお話や公務執行妨害をでっち上げられて逮捕された仲間がいるというお話もありました。
こういったお話からは、権力というものが市民に対して排除する物理力や公務執行妨害をでっち上げて逮捕し身体拘束する物理力をもっているという権力の実体を伴う姿が見えてきました。そして市民の側には自分の生身の身体ひとつしかないという力の差もひしひしと感じました。もし自分も弁護士という立場でなかったり、今回のように仲間と一緒でなかったりしたら、そのせめぎあいに怖さを感じていたと思います。
だからこそ、自分の身体を使いながら、同時に非暴力を貫きながら、屈しないでたたかい続ける市民の姿に感動し尊敬するとともに、こういった方たちの安全や人権を守るために弁護士がこのせめぎあいの場に来なければいけないと感じました。
◆普天間基地と子どもたち
嘉数高台から眺めると、写真でみるよりもずっと、普天間基地と住宅街の近さを理解できました。オスプレイの迫力や滑走路のゆがみもはっきりとわかりました。危険さや異常性を感じる一方で、高台のふもとからはたくさんの子どもたちの遊ぶ声も聞こえ、そのギャップがとても印象的でした。この子どもたちは、この基地のある景色を通して、自分たちの安全や声が尊重されないという経験の中で育つのだろうか…、と考えると、普天間だろうと辺野古だろうと、安全を脅かす基地があってはならないんだと思いました。
◆これから東京で活動する弁護士として
今回の衝撃は忘れられないものになりそうです。残念ながら沖縄にはしょっちゅうは行けませんが、東京での平和や民主主義を守る取り組みや弾圧とのたたかいに加わりながら、沖縄の声に連帯していきたいと思います。
諸先輩方や今回沖縄でお世話になった方々には、貴重な機会をいただけたことを感謝するとともに、これから仲間として一緒に頑張っていきたいと思っております。ありがとうございました。がんばりましょう。
大阪支部 冨 田 真 平
大阪支部の六八期弁護士の冨田と申します。この度沖縄拡大常任委員会に参加させていただきました。
一日目は、まず沖縄県庁を訪問して副知事との面談に参加しい、その後、普天間飛行場の見学に行きました。嘉数高台から普天間飛行場を眺めて感じたのは、本当に基地のすぐそばに住宅地があるということでした。住宅地にあり世界一危険な飛行場といわれていることは知っていましたが、実際に現地を見ると、住宅地のど真ん中に基地があるということを実感しました。あんなにも住宅地のすぐそばをアメリカ軍のオスプレイなどが離着陸しているのだと思うと、もし自分があそこに住んでいたらとても安心して生活できないと思いましたし、騒音も相当なものであると想像できました。
二日目の朝には、辺野古の座り込みの現場を訪れました。五五名もの弁護士がきたということを受けて、現地で指揮を執っておられる山城さんの盛り上がりもものすごく、力強く楽しい演説や、また座り込みのための歌も何曲か聞かせていただきました。
山城さんからは、現地の運動の現状についてもお話しいただきました。その中で印象に残ったのは、水曜日行動、木曜日行動のお話でした。
以前「戦場ぬ止み」という映画を見て、その中でゲート前に集まる人たちを機動隊が強制的に排除するシーンを見て、権力の怖さ・横暴さに憤りを感じると共に、正直なところ、座り込みを行っていても屈強かつ装備も十分な機動隊が来れば、最終的には排除されてしまうのだろうなと思っていました。しかし、水曜日に集中的に集まるという運動を行い、早朝にもかかわらず一二〇〇名もの人が集まり、水曜日の作業をあきらめさせたということをお聞きし、非常に驚くとともに、市民の団結した際の底力というもののすごさを感じました。
そして、水曜日に続き、木曜日にも一斉行動を行ったところ、機動隊だけでなく地元の警察が呼ばれ、また機動隊により肋骨をおられる、転倒させられるなどの暴行が行われたというお話をお聞きし、機動隊の暴力に憤りを感じると共に、機動隊がそのようなことをしなければならないほど、市民の非暴力の戦いが権力側を追い詰められているのだと感じました。
その後の常任委員会では、新垣団員より辺野古を巡る国と県・住民との訴訟について、また沖縄の今後の闘いの展望について詳しい説明をしていただきました。正直なところ、沖縄でのそれぞれの訴訟がどのようなものか頭の中でこんがらがっていた面もあるので、新垣団員の解説により、それぞれの訴訟がどのようなものでどのような関係にあるのか自分の頭の中で整理することができました。
今回初めて、普天間と辺野古に行かせていただきましたが、実際に現地を見ることがいかに大切かということを改めて感じました。普天間飛行場の危険性、辺野古基地建設反対の座り込み運動の盛り上がりについても、現地に行き、自分の目で見ることで改めてどのようなものなのか実感することができました。今後も機会があれば沖縄にいき、現場を見てみたいと思いますし(今回は、残念ながら本番である早朝の座り込みには参加できませんでしたが、次回参加するときは是非参加してみたいと思います。)、沖縄基地問題に限らず、様々な問題について、現場にいき、自分の目で見るということ、当事者の話を聞くということを常に意識しながら取り組んでいきたいと思います。
長野県支部 松 村 文 夫
一 一月一五日長野県軽井沢の碓氷峠でバスが転落し、多数の死傷者が出る事故が起こりました。
その一週間後の二二日長野地方裁判所で運転中に脳出血を発症して死亡した運転手について業務外決定を取消して、労災と認定する判決が言い渡されました。この事件は、二〇〇八年八月一九日日光で観光バスを運転中に脳出血を発症したもので、同乗していたバスガイドが気がついてサイドブレーキを引かなければ重大事故に至ったものでした。
この訴訟を通じて、今回の軽井沢事故の原因は、バス運転手が劣悪な労働条件で長時間過密労働を強いられていることと、これに対して国の行政が適切な規制・監督をしていないことにあると、私は、つくづく思います。
二 被災運転手は、発症の少し前の二五日間休日二日だけ、労働日二三日で一日平均拘束時間一四時間、走行距離四五〇Kmという長時間、過密労働をしておりました。このなかには、長野からの四国一周旅行三日間では拘束時間五三時間三〇分(一日平均一七時間五〇分)、走行距離一九七九Km(一日平均六六〇Km)という過酷な運転もあります。
このために、頭痛のために帰庫しても七時間四〇分運転席から降りられなかったり、不調で受診したところ食欲不振で血糖不足によりケトンが尿に出ていることも起こっていました。
ところが、労働時間については、労基署長はハンドルを握って走行中だけしか算入せず、乗客が観光し、運転席で待機していても休憩扱いにするために、残業は一か月あたり四五時間程度として労災認定基準に達していないと主張しました。
これに対して、原告側は、拘束時間週六五時間以内、一日一三時間以内等とする厚労省の「改善基準」や、走行距離夜間四〇〇Km、昼間五〇〇Km(事故当時六七〇Km)を上限とする国交省「指針」をもとに、これに違反する実態を詳しく立証しました。
しかし、労基署長は、これらの「基準」「指針」について、「運転者の労働条件の向上を図ることを目的とするもの」「旅客自動車運送の安全性の確保等をより確実に行うためのもの」として、違反があったとしても、労災判断に影響を与えるものではないとの主張をし続けました。
しかし、労働時間等の規制の改善は、労災で過労死と認定されたことから進んだことから考えれば、このような主張までする労基署長の対応が長時間過密労働を容認する役割をはたすものであり、今回の軽井沢事故の原因となっているとも言えます。
三 判決では、待機時間を労働時間として認めなかったことから、残業時間が認定基準を超えているとは認めなかったものの、休憩時間について「完全に業務から解放されていたとはいえない部分があった」として、「労働時間以外にも一定の精神的緊張を負っていた」とし、「不規則な勤務・拘束時間の長い勤務、出張の多い業務、交替制勤務・深夜勤務及び精神的緊張を伴う業務」であったと判断しました。
なお、脳出血の発症について、直前の診断書では血圧が正常となっていても、医学的機序などに触れず、業務との相当因果関係を認めました。(弁護団は、山崎泰正、一由貴史団員と私)
四 私は、昨年長野県内でトラック運転手がどんなに長時間労働しても給料が一日一万円と固定されている事件を二件担当しました(改善しようとしたところ解雇された事件―一審勝訴、高裁逆転敗訴、残業代請求―和解)。最低賃金並みの給料しかもらえずに早朝、深夜運転し続けている現状を正していかなければ、今回のような事故はなくなりません。
なお、同じ合議体で二週間前に、月一三〇時間にもなる残業をしながら、単純作業なので強度の心理的負荷がないとの判決を言い渡されたばかりでした。一喜一憂しないで、果敢に取り組みたいと決意を新たにしました。
福岡支部 郷 田 真 樹
共働き家庭(弁護士同士の夫婦も含む)において、子どもが幼い時期に仕事を休むのは誰でしょう?、保育園の送迎や発熱対応は誰がしているでしょう?、小学校の宿題をみて、春夏冬の長期やすみに子どものお弁当を作って日中の過ごさせ方に心をくだいて、中高生の部活動や受験勉強の諸々をサポートして、日々の重い荷物を抱えながら買い物をして、食事を作って、洗い物をして、洗濯をして、洗濯物を取り込んでたたんで、家を掃除して、子どもが悩んでいないかイジメがないかと保護者友達とのつきあいをたやさず、親戚づきあいや近所づきあいもして、親の介護をして、あるいは介護施設と連携をして訪問もして・・・・・男性が女性と同じ程度あるいはそれ以上にこうした役割を担ってくれているご家庭は、どのくらいあるでしょうか?。仕事に穴をあけて、周りに頭をさげて、自分の時間を削って、これらの全てに必死に対応をしているのは、多くの場合は女性ではないでしょうか。
総務省によれば、男性の家事・育児分担率は一〇〇%のうちの、わずか一四・一%です。幼子がいる共働き夫婦での夫の家事・育児分担率は、最も分担している岡山でも二二・四%、福岡にいたっては八・六%だけだそうです。
家庭責任を負う女性弁護士の多くは、こうした現実を背負って働いています。そのため、夜は全く外に出られない、夜間の勉強会や懇親会にはどんなに興味があっても参加ができない、土日に交通不便な遠方での合宿には出られないということは珍しくありません (たとえば、土曜保育や学童を利用しても子どものお迎え時間までの日帰りができなかったり、子連れで宿泊参加をしようとしても遠すぎてかなわなかったり・・・たとえば、子どもをチャイルドシートにくくりつけて自分が車を運転するにしても、子どもが退屈して騒ぎ出すまでの限界というものがありますし、そうした距離を公共交通機関でオムツやミルクやお菓子を抱えて移動することは、なおさら困難です)。
日中に精一杯働いても、毎日の子どもの送迎ないし朝食・夕食作りのために早朝出勤も残業もできず、家に仕事を持ち帰っても子どもが寝付く二一時〜二二時まではPCを開くこともままならず、結果、どんなにがんばっても仕事はたまり放題で、日中の委員会や会議でさえもなかなか参加ができない日々が続き、本当はもっと仕事がしたいのに、もっと勉強会や社会的意義のある活動がしたいのにと忸怩たる思いをもっている女性団員もたくさんいます。
そうした妻団員の横で、自由闊達に弁護団活動・勉強会・取引先との懇親会等にいそしむ夫団員は、その活動自体は意義があり立派なのですが、家庭内ではしばしば妻からの激しい集中砲火を受けることもあるようです。たとえば、「産後クライシス」という言葉が話題になった頃から、妻から夫への愛情曲線は、産後に一気に低下し、その後に徐々に回復する・・・のは育児期間中に育児を手伝った男性だけで、育児にあまり協力しなかった夫への愛情曲線は、産後の低下のまま、高齢になるまでほぼ復活をしない、というグラフがしばしば取り上げられていました。
というところで熱くなってしましましたが、今はこうした家庭責任を負っておらず、自分自身の人生を謳歌できているという女性であっても、たとえば裁判所や弁護士会で、綺麗・可愛い・身だしなみがきちんとしている・心使いができる・優しい・笑顔でいるといったことが、無意識下でのその人への評価につながっていたり、社会のなかで気持ちよく働くために、意識・無意識を問わずにあれこれと苦労や配慮をしていたりもします。
これは、女性が、それこそ幼稚園・小学校といった幼い頃から、マスコミや社会から、女性は「いかに可愛く美しく、人から(長じてからは主に男性から)人気があるか・モテるのか・評価されるのか」が女性の価値に直結しているかのような、主体性を欠いた価値観を大なり小なりすり込まれてしまうためだと思えます。いかにも女性の高度な仕事を応援しているかのような新聞や雑誌などでも、平気で、「女性らしさをさりげなくアピールすることが有効です」、「女らしさをかなぐり捨てて仕事に励むと、男性の協力は得られないでしょう」等の言説は未だに幅をきかせています。実際、この文章を読んでくださっている団員の周りには、たくさんの、ものすごく感じがよく、いつも笑顔で、仕事もできる女性団員がたくさんいらっしゃいませんか?(私を含め、例外がいるとかいないとかいう話は、ここではいったん置いておいてください)。
女性団員は、特に無理をせず、当然に身についている身だしなみや礼儀としてそのようにしているかもしれません。また自分自身の楽しみのためにオシャレをしているのであって「男性のためにしているのではないわ!」という方も多いかもしれません。でももしかしたら、綺麗で美人で感じのよい女性を賞賛するという刷り込みのない社会で育っていたら、彼女はもっともっと違った、より彼女らしい人であったかもしれないとも思います。
そうした、楽しく輝かしく、でも心身ともに疲れたり鬱屈したりもするといった女性弁護士・女性団員としての生活のなかで、私たちは、(1)女性どおしで自分らしくのびのびと語り合いたい、(2)家庭責任がある弁護士であっても可能な方法で社会問題に取り組みたい(女性問題に限らない)、(3)弁護士皆で(女性弁護士に限らない)、女性問題についても取り組みたい、といった気持ちを語り合うようになりました。
実際に集まってみると、女性弁護士であるが故におこる依頼者や他機関との問題、女性弁護士としての仕事と家庭責任とのバランスの取り方の悩みなど、語り合いたいことは多数ありました。顔を合わせるだけでホッとする、気持ちが楽になるといった声もたびたび聞かれました。
現在の女性は、長年の女性達(歴代女性団員の先輩方を含め)の熱心な活動のおかげで相当に進歩してきているとはいえ、未だに、この男性規格でできている社会のなかで、違和感を感じないほどに自分がその社会に適合するか(男性並み労働や平等を実現するか)、あるいは周りの求める女性像にそった愛される女性として存在するかといった、生存戦略の選択を常時迫られているように思います。その選択と適応は、幼少期から、あまりにも当然のこととして繰り返され、身につきすぎて、もはや選択している本人さえもが意識できないほどに、生きていくための不可欠の前提になっているかのようです。
こうした毎日のなかで、女性団員が集まって、お互いに信頼できる暖かい関係のなかで、男性なみでなくても、女性らしくなくても、ただ自分らしくあることを受け入れあって、日々の話をしたり、仕事の悩みを打ち明けたり、家族責任と仕事とのやりくりに追われる日々の愚痴を言ったり、笑い飛ばしたりできる時に、ああこの集まりがあってよかったなあと心から思います。
自由法曹団福岡支部・女性部は、このような気持ちから、半ば自然発生的にはじまり、平日日中の短時間に、昼食をとりつつ近況報告をしたり、あるいは演者をお招きして団全体への声かけのもとにお話をうかがったりと、自分たちの身の丈にあった地道な活動を続けています。
ちなみに、平成二七年の活動は、三月一三日一五時〜一七時、六月二〇日一五時〜一七時、九月八日一五時〜一八時(団九月例会として『家事ハラスメント』などの竹信美恵子先生の講演)、九月一二日〜一三日に有馬温泉での団女性部総会への出席、平成二八年には一月一九日のランチと近況報告、四月一三日にDV被害者支援の現場の方のお話をうかがいながらランチ、六月一六日にランチと近況報告、九月一一日〜一二日に、団女性部の全国総会(唐津市)への参加、九月二八日に、団九月例会として性犯罪被害者支援の専門の方からのお話をうかがったりしました。
そして何と!、平成二八年には、団女性部メンバーの原田直子弁護士が、福岡県弁護士会初の女性会長を目指して立候補をいたしました〜!。また、メンバーどうしでも、今年も、女性部ならではの例会企画をたてたいと語り合っているところです。
男性女性を問わず、団員の皆様、女性は強いとか怖いとかちゃかさずに、ぜひ団女性部への参加やご協力を、どうぞよろしくお願いいたします。また、女性部としても、お互いに居心地のよい女性部を維持しつつ、女性部ならではの視点や切り口をもって、諸々の制限を抱えつつも地道に、私たちにとっての実現・持続が可能な方法を模索しながら、社会問題に取り組んでいきたいと思っています。
【《上》原稿・文中のクイズの答え】一四二カ国中一〇四位(二〇一四年)。ちなみに一位はアイスランド。日本前後の一〇三位はアルメニア、一〇五位はモルディブ。
東京支部 早 田 由 布 子
一 二〇一六年、安保法制(戦争法)の適用を許さず廃止を目指すたたかいをする!ということも大変重要なのですが、自民党・安倍首相の狙いはもうすでにそこにとどまっておらず、緊急事態条項へと進んでいます。
自民党の憲法改正草案(二〇一二年発表)には、「緊急事態」が起こったときに、人権を制限して、内閣が国会の権限も持つという、緊急事態条項の中でも最も強い部類の権限を内閣に与える緊急事態条項の定めがあります。
二〇一四年一一月六日に行われた衆議院憲法審査会で、第一回目に行う憲法改正手続のテーマ六つが提案されましたが、その中に緊急事態条項が含まれています。昨年から今年にかけて、自民党の幹部から緊急事態条項を優先して憲法改正を行うという発言も相次いでなされています。第一回目の憲法改正手続、すなわち、今年七月の参議院選挙後に、緊急事態条項導入の発議がなされる可能性がきわめて高いのです。あと、わずか半年足らずです。
二 緊急事態条項といっても多種多様な定め方がありますが、昨年はもっぱら国会議員の任期延長が議論されていました。これには民主党など野党の多くも異論がないとされ、「異論のない緊急事態条項から先に」ということで憲法改正の対象となっています。しかし、緊急事態における国会議員の任期延長がそもそも必要か、それを誰がどのような要件のもとで決定し、何日間延長でき、延長期間の更新はできるのか、事後的な司法審査は及ぶのか、さまざまな課題があります。緊急事態を口実にいつまでたっても選挙が行われずいつまでたっても議会の構成が変わらない、ということもあり得、非常に危険です。
しかし本音はその点ではなく、明らかにその先の、内閣の権限を強化し、緊急事態において人権を制限するところにあります。自民党改憲草案の規定内容や、自民党がNSC法・特定秘密保護法以来三権分立を骨抜きにして内閣の権限を強化したがっていることから、その本音は明らかです。昨今の自民党幹部・議員の言動からして、緊急時を口実にした言論の自由の抑制、報道規制が狙われていることは明白ではないでしょうか。
フランスでは、昨年一一月の同時テロを契機とした非常事態宣言に基づき、テロを未然に防止する目的といって、無令状で一六八か所の捜索差押を行い、三一丁の武器を押収、二三人を逮捕しました(同月一六日毎日新聞)。このような無令状捜索を許す規定が、特定の宗教、政治思想の弾圧にわたらないと誰が言えるでしょうか。
三 あすわか(明日の自由を守る若手弁護士の会)は、今年の参院選後に狙われている憲法改正にそなえ、新リーフ「とりあえず知っておきたい イマドキの改憲の話」を発行しました。押しつけ憲法論、古臭い憲法だから改正が必要、環境権が入っていないから改正が必要、などといった自民党がいうロジックを、いつものようにイラストで批判しています。もちろん、緊急事態条項についてもイラストで批判しています。これまでどおり一部一五円(五〇〇部ごとに五〇〇円割引)で販売していますので、ぜひご活用ください。
また、気軽に憲法を語り知ってもらうことを目的とした「憲法カフェ」を継続して行っていますが、今年は緊急事態条項に特化した憲法カフェも行っています。特に、緊急事態条項が災害対策を口実に議論されていることから、災害対応に奔走した弁護士とあすわかがタッグを組んで、緊急事態条項の危険性を災害対応の現場から語るということを行っています。
「緊急事態条項」の危険性は、まだまだ知られていません。団員のみなさんも、ぜひご注目いただき、あすわかと一緒にご発言いただきたいと思います。か
千葉支部 守 川 幸 男
一 問題意識
――緊急事態条項と戒厳令とどう違うのか
「戒厳」は広辞苑によれば「戦時・事変に際し、立法・行政・司法の事務の全部または一部を軍の機関に委ねること。通常、人権の広範な制限がなされる。日本にも明治憲法下でこの制度があった。」と解説されている。
これと明文改憲の突破口として急浮上中の自民党の改憲草案九八、九九条の「緊急事態条項」とは、要件事実などが異なる。もし現在たくらまれている緊急事態条項を「戒厳令」と呼ぶなら、法律家の議論としては不正確であろう。ただ効果や狙いはそれほど変わらないから、人権擁護の立場の「活動家」としては、少々不正確でもインパクトのあるネーミングを用いて批判すればよい。
二 要件事実的に違う点、共通する点の検討
広辞苑にとらわれず整理するとこうなる。
戒厳令は、発動の要件として「戦時・事変に際し」とあり、他方緊急事態条項では、「外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱」に限らず「地震等による大規模な自然災害その他」(の緊急事態)も含む(九八条一項)。
緊急事態条項では法律と同一の効力を有する政令を制定することができる(九九条一項)が、戒厳令では「立法・行政・司法権の一部または全部」を軍部の権力下に移行するものであり三権を掌握してしまう。明治憲法下では天皇がこれを宣告した。本来は極端な治安悪化や暴動を中止させるために行われるが、しばしば軍部によるクーデターで活用される、とも言われている。
他方、緊急事態は内閣総理大臣が宣言し(九八条一項)、宣言の効果として、法律と同一の効力を有する政令の制定のほか、財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる(いずれも九九条一項)。緊急事態宣言が発せられたら、「何人も、」(一定の要件はあるが)「国その他公の機関の指示に従わなければならない」(九九条三項)。
このように、要件事実的にはあれこれ異なるものの、緊急事態条項は、結局は、有事と自然災害とを問わず、これらを口実にして、また、軍部によらなくとも内閣総理大臣が独裁者となって、法律によらずに一方的に広範囲な人権制限を行うことができるものであり、この二つは、立憲主義、民主主義に反する憲法秩序破壊の点で共通である。
軍事クーデターによる戒厳令なら、いかにも非合法の臭いがするが、緊急事態条項は、憲法破壊できる条項を憲法条項に盛り込むというのだから、いわば合法の装いがある分、よりたちが悪い。自然災害も口実にできる分、誤解も賛同も広がりやすい。
三 緊急事態条項の必要性についての推進側の理由づけ
さて、日本会議などで作る「美しい日本の憲法をつくる国民の会(櫻井よし子氏が賛同代表の一人)」の一〇〇〇万人署名の中では、緊急事態条項について、次のように解説されている。
「東日本大震災は、一〇〇〇年に一度という想定できない大惨事を招きましたが、緊急事態対処の憲法規定があれば、多くの国民を災害から守ることができました。来るべき大災害に対処しうる憲法規定が必要となっています。」
びっくりする理由づけである。条項があれば防げたはずなどあり得ない。
四 あわせて署名簿の異様さとそのねらい
そして、署名簿には、まず名あて人(議長とか総理大臣とか)がない。また、「ご紹介者」と「ご賛同者」の各署名者については、住所だけでなく、電話番号欄などがある(「ご紹介者」についてはFAX欄もある)。異様である。署名用紙の下欄に、情報提供や国民投票の際の呼びかけなどへの活用について触れており、要するに推進側が署名者の個人情報を蓄積して、いざ国民投票というとき、「改憲に賛同して下さい。」という電話かけ用の名簿にも使うのである。さらに紹介者に対しては、賛同者その他に対する「支持拡大」の協力をさせるのであろう。
なお、東京都神社庁も同様の署名活動を行っている。こちらはお願い文の中でわざわざ「国会へ提出する請願署名ではありません。」としたうえで署名の活用について触れているから「目的外使用」の批判はできないが、署名用紙そのものについてはこれに触れず神社での署名集めに使っていて、問題がある。
五 効果的なキャンペーンを
「外国の侵略や有事の事態とか、自然災害の緊急事態に対応できる条項がないと困るでしょ?」と言われると、多くの国民は「なるほどそうだよね」と答えるであろう。「いや、自然災害については災害対策基本法がある」と答えられる人は少ない。
また、有事についてはまさにそのために戦争法を強行したばかりであるが、これを効果的に発動するためにも広汎な人権制限が可能な緊急事態条項が必要となる。
安倍政権は今度は「緊急事態条項」を狙っている、と言っても、すべての国民がすぐに、それは大変だ、と飛び上がってくれるわけではない。次は戒厳令を狙っている、と言えば、えっ?とびっくりされることが多いはずだと思う。
ネーミングが運動の帰趨に影響を与えることがある。そこで、「独裁政権が戒厳令を狙っている!」などと不正確でもそう言い切ってから、ゆっくり正確に解説するか、「戒厳令もどき」などと表現して訴えるか、よいネーミングがないか、みんなで検討したらどうだろうか。
北海道支部 佐 藤 博 文
一 問題意識
集団的自衛権行使・新安保法に対して、憲法九条(恒久平和主義)違反に加えて立憲主義違反という言われ方もした。しかし、その使われ方は定まっておらず、一般的には明文憲法違反を強調する意味が多かったのではないか。
立憲主義とは、本来、多数者によっても侵しえないものとしての人権を承認し、それを保障する(抵抗権の行使も)ことを言う。かかる意味における立憲主義の内容は何か、理論的な解明が必要ではないか。
また、立憲主義は、人権保障のための権力分立も内容とするところ、新安保法には権力分立が確保されているか=誤った戦争の発動を阻止できる国会・司法・その他の担保があるか、解明が必要ではないか。この点で、わが国の権力分立は「内閣+国会多数派vs国会少数派vs裁判所」であり、この特質と軍隊に関するわが憲法下の歴史的事実を踏まえた検討が必要ではないか。
結論的に言うと、新安保法はシビリアン(内閣+国会多数派)が暴走する危険性及び軍隊が暴走する危険性が格段に大きくなったと言える(昨年三月の文民統制廃止の閣議決定と同六月の防衛省設置法改正も踏まえ)。
二 人権という観点から
集団的自衛権行使を認めたこと自体をもって立憲主義違反だとは言えまい。集団的自衛権を認める欧米諸国を非立憲主義の国だとは言わないからである。そうすると、わが国の戦後史・憲法史から生れた格別の価値=権利と解することになり、それが「平和的生存権」だと思う。問題は、今回の新安保法で「平和的生存権」の何が侵害されることになったのか、その核心的内容は何かだと思う。
私は、(日本は他国の人を)「殺さない」ことではないかと考える。今までの自衛隊海外派遣でも日本をターゲットにした犠牲者は出ている(カンボジアでの警察官、イラクでの外交官など)。しかし、わが国の方から銃を向けて殺すことは一度もなかった。実は、これこそが戦後七〇年の一番の実績であり、憲法九条の政府解釈が変わり自衛隊の実態も変わっても、この点での「国民的な共通理解」は変わらなかったと言える。これが、今回「積極的平和主義」の名で破られたのである。
三 もう少し私流に敷衍すると
戦争(武力行使一般)により「殺すべからず」は、明治以降の歴史を通じて、日本社会に深く根付き、普遍的価値として共有されてきたのではないか。例えば、
・内村鑑三「戦争は人を殺すことである、而して人を殺すことは大罪悪である」(萬朝報一九〇三・六・三〇)→戦前から戦後、今回に至るまで、宗教・宗教者が日本の平和主義、特に人々の内面形成に果たした役割は極めて大きい。
・宮沢賢治の世界的名作「よだかの星」は、自分自身もまた「殺す存在」であることを重く認識した結果、天空に向って飛び続けて死ぬ。人々はこの物語に「あきらめ」ではなく「正義」をみる。もう「これ以上殺してはいけない」という強烈なメッセージを受けとる →児童文学の世界でも「殺すなかれ」。
・セネカ「私たちは人殺しや個別の殺傷事件は抑止しようとするが、戦争や民族全体の虐殺という名誉ある罪はどうだろうか・・ひそかに殺せば死刑になるような罪も軍司令官の外套をまとった人物が行なえば私たちは称賛する」(倫理書簡集II)一八三頁)→原爆まで体験した日本は「称賛」しない意識を共有している。
・ラッセル「愛国者というのはいつでも、その祖国のために死ぬことを語る。そしてその国のために人殺しをするとは決して言わない」(「人類に未来はあるか」一一〇頁)→新安保法が「これからは人殺しをする」ことだと本質を自覚すれば、国民は強い規範意識に直面する。
・一九五〇・五・一二日弁連平和大会「平和宣言/・・従ってわれらは戦争を放棄すると同時に軍備をも廃棄し赤裸々の丸腰となって、東亜の天地に生存せんとするものである。」
など。平和的生存権の内容を、こういうわが国の平和主義の歴史・思想など市民レベルで豊かにすることこそ、新安保法廃止・九条明文改憲反対に向けた根源的な力になっていくと思う。
四 権力分立・軍隊へのチェック機能
新安保法成立ということが、権力分立がどのように破壊されてなされたか、事実を整理し検証する必要がある。さらに、たまたま安倍政権下で生じたが、そこに至る憲法九条に関する立憲主義の劣化・破壊の歴史的経緯について、検証する視点が必要ではないか。この点では、おそらく、戦後同じように再軍備の道を歩んだドイツと比較して考えることが、思考上効率的であり問題を理解しやすいと思う。
ざっくり言うと、日本は、憲法九条があったので、警察予備隊がGHQの指令により国会で議論せず秘密裏に作られた。その後、警察予備隊は保安隊、自衛隊となっていくが、政府は軍隊でないと言い続け、実態も国民に隠し続けた。他方、国民の側は戦前の軍国主義の忌まわしい記憶と重なり、自衛隊に対する拒絶意識、情報不足が続いた。その結果、国民的(議会・司法)制御が不可能な「日米同盟」になってしまった。
これに対してドイツでは、ソ連・フランス・イギリス・アメリカの四ヶ国に占領され、ナチ時代のような軍隊を二度と作らないと、時間をかけた議論・憲法改正手続を経て再軍備が行なわれた。従って、自国の利益だけでは動かない「欧州の軍隊」たる性格を有し、連邦議会直属のオンブズマン制度など立法権が行政=軍隊を直接コントロールし、暴走・人権侵害を許さない仕組みを考えた。
要するに、ドイツの再軍備は立憲主義的に、日本の再軍備は立憲主義を潜脱して進められたと言える。
五 兵士の権利(ある種の抵抗権)
ドイツでは、「一人の兵士を守ることが、軍全体を誤らせないこと」と考え、兵員法で軍の命令が「人間の尊厳」を犯す場合や犯罪に繋がる場合には命令に従うことを禁じた。前述したオンブズマンの他、兵士や家族の「労働組合」もある。だから、ぎりぎり兵士(国民)のところでも軍隊の誤りを止める担保がある。
これに対して、自衛隊法五七条は「隊員は、その職務の遂行に当たっては、上官の職務上の命令に忠実に従わなければならない」と、無条件の服従を命じるのみである。しかも新安保法では国際交戦法規の「兵士の権利」は何ら顧慮されていない。考えてみると、日本は戦前より「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」(軍人勅諭)とされ、兵士の命は(軽視というより)無視されてきた。
こうして日本は、いまや法制度的には、どの先進国よりも簡単に、政府が軍隊・兵士をして「人を殺す」ことができる国になったと言える。
これは、自衛隊員は当然のことながら、恒久平和主義の下で(日本は他国の人を)「殺さない」とする平和的生存権を有する国民(正確には日本の主権下にある外国人も)にとっても権利侵害が逼迫した状態になったと言える。
埼玉支部 大 久 保 賢 一
はじめに
一月六日、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)は水爆実験に成功したと発表した。日本原水爆被害者団体協議会(以下、被団協)(i)は、即座に「核兵器廃絶へ力を尽くす世界の努力に反逆する愚行」との抗議声明を出している。また、衆参両院も「国連安保理の一連の決議などに違反する国際的な核不拡散体制に対する重大な挑戦」との決議を採択している。そして政府は、日本独自の制裁強化に加え、国連安保理における制裁決議を求めるとしている。(ii)
いずれも水爆実験を非難している。けれども、その非難の根拠付けには違いがある。被団協の声明は「核兵器廃絶への努力」に逆行するとしている。各議院は「核不拡散体制」に対する挑戦というものである。政府はとにかく「制裁」をという姿勢である。
問題の所在
問題は、どのような論理と方法で北朝鮮の核開発を止めるかである。
武力行使などの強硬手段に出ることも不可能ではない。北朝鮮を攻撃して、金体制を打倒すれば、「北の核の脅威」を消すことは可能なのである。けれど、その代償はとてつもなく大きくなるであろうことは、現在の中東の情勢を見れば明らかである。
また、六者協議の到達点として、北朝鮮は核開発を断念した時期もあったことや、イランは関係国との協議によって核武装を放棄していることも忘れてはならない。平和的解決は可能なのである。
被団協は「日本政府や各国政府は、力で対応することは慎み、理性的に対応することを強く望む」としている。
まさに、「理性的な対応策」が求められているのである。そのためには北朝鮮の行動の動機を知る必要がある。動機の解明は対応策を練る上で必須の作業だからである。
水爆実験の動機
北朝鮮は、「朝鮮は水爆を保有する核保有国となり、最強の核抑止力を備えた」、「水爆保有は主権国家の合法的な自衛権手段である」、「米国の対朝鮮敵視政策が根絶されない限り核放棄はありえないし、核抑止力を強化していく」などと声明している。(iii)
そして、「労働新聞」(iv)は、「朝鮮は核不拡散体制(NPT)の外にいるので、同条約の制約は受けない」、「水爆実験は国際法に違反していない」、「水爆の保有は国の自主権と民族の生存権を担保する自衛的権利である」という社説を掲載している。()
要するに、米国が敵視政策をやめない限り、抑止力としての核兵器の開発は止めないし、国家と国民の当然の自衛手段であるというのである。これは「核抑止論」の援用である。
核抑止論
核抑止論というのは、「わが国に攻撃を仕掛ければ、核兵器で反撃されて甚大な損害をこうむることになるから、攻撃などするなよ」という脅しで、自国の安全を確保しようという「理論」である。
この「理論」は、核兵器国や日本も採用しているし、国際法上違法とされているわけでもない(vi)。北朝鮮も日本も米国も同じ「理論」に依拠して国防政策を展開しているのである。
もちろん、核兵器の廃絶を求める立場からすれば、このような主張を黙過することはできない。だから、被団協は「いかなる理由をつけようとも北朝鮮の核実験を厳しく抗議する。」としているのである。
けれども、各議院の決議や政府の言明には、北朝鮮の核拡散に対する非難はあるが、核兵器廃絶という言葉はない。自分たちは核兵器に依存しながら、北朝鮮に止めろと迫っても全く説得力はない。むしろ対抗心を強化するだけであろう。これまで繰り返されてきた一連の安保理決議や制裁が何ら効果をもたらしていないのは、このような根本的な欠陥があるからである。(続く)
───────────────────────
(i)日本被爆者団体協議会は、各都道府県にある広島・長崎の原爆被害者団体の協議会
(ii)一月一七日現在、新たな制裁強化案も安保理決議案も提起されていない。
(iii)「朝鮮新報」二〇一六年一月六日
(iv)朝鮮労働党の機関紙
()「朝鮮新報」二〇一六年一月八日
(vi)一九九六年、国際司法裁判所は、核兵器の使用や威嚇は一般的に国際法に違反するとしたが、国家存亡の危機においては、合法とも違法ともいえないとの勧告的意見を出している。
東京支部 林 治
一 千葉県銚子市・県営住宅母子心中事件の概要
自由法曹団では、全国生活と健康を守る会連合会(全生連)、中央社会保障推進協議会(中央社保協)、住まいの貧困に取り組むネットワークなどの団体や個人共に、千葉県銚子市・県営住宅母子心中事件について、事件が起きた問題点を検証し、再発を防ぐ目的で調査団(団長:井上英夫金沢大学名誉教授)を結成し、行政への要請や聞き取り、母親の刑事裁判の傍聴などを行ってきた。
そして、二〇一五年一〇月二九日、千葉県へ二度目の要請行動(意見交換)を行った。
この事件については、すでにご存知の方も多いと思うが、改めて紹介する。
二〇一四年九月二四日、千葉県銚子市の県営住宅で、家賃滞納を理由に明け渡し訴訟を提起された母子家庭の母親が、この判決に基づく明け渡しの強制執行を行う日に、当時一三歳(中学二年生)の一人娘を殺害したというものである。
この悲劇的な事件は、援助ができるたくさんの機会がありながら、千葉県や銚子市がそれを見逃してきたために起きた悲劇であった。
この点の改善を求めるために、千葉県に対し、二度目の要請行動を行った。さらに、二〇一五年一二月二二日に国土交通省にも要請行動を行った。
二 千葉県との交渉
調査団では、二〇一五年一月一九日にも千葉県と銚子市に要請行動を行い、事件の問題点や、今後の改善を求めていた。この一回目の要請行動、千葉県議会で丸山慎一県議(共産党)の質問などもあり、事件を受けて千葉県では改善をしている点もある。
しかし、以下で述べるような問題点があると言わざるを得ない。
また、一回目の要請行動後に行われた母親に対する刑事裁判(二〇一五年六月八日〜一二日、裁判員裁判)の供述で初めて明らかになった事実もあり、調査団では、その事実も踏まえて調査報告書を作成した。
この調査報告書の中で、千葉県、銚子市の問題点を指摘しているので、今回の要請行動で直接伝え、行政の姿勢を質す必要があった。
以上が、今回要請行動を行った趣旨である。なお、今回は、銚子市には要請できなかったので、銚子市の福祉行政については千葉県を通じて問題点を告げ、改善を求めることとなった。
(1) 生活保護行政の問題点
ア この母親は、刑事事件の公判供述によれば、二〇〇八〜〇九年頃と娘が中学校に入学する二〇一三年四月の二回にわたり銚子市社会福祉課(福祉事務所)を訪れている。しかし、二回とも働いていることを理由に「申請してもお金はおりない」などと告げられ生活保護の申請に至らなかった。銚子市が開示した二〇一三年四月の面接記録票には、生活状況を把握するために必要な勤労収入、仕送収入、保険金、家賃額、生命保険加入の有無、自動車所有の有無、貴金属所有の有無、預貯金・現金の保有状況などをことごとく「未聴取」となっており聴き取っていなかった。
なお、要請の際に、千葉県は、「銚子市が調査した結果、二〇〇八〜〇九年頃に母親が福祉事務所を訪れた記録はない」と伝えた。しかし、二回とも働いていることを理由に「申請してもお金はおりない」と明確に述べていることから、訪れたことは間違いないと思われる。また、五年以上前のことなので廃棄されたため「記録がない」という可能性も高い。
イ 千葉県は政令指定都市以外の各市に対し、生活保護行政を監査する権限があり、各市を監査している。今回の要請の際に千葉県は、「監査の際に重視しているのは生活保護の申請意志の有無だけでなく、急迫性があるかどうかについてである」、「急迫性の有無は第三者が見て分かるような資料となるので、確認するべき」、「急迫性の有無の判断要素は、(1)手持ち金の額、(2)ライフラインの状況、(3)食事を摂れているかの三つだと思っている」、「これらはしっかり確認するべきと指導している」、「その点から見て銚子市が(二〇一三年四月に)聞き取りした内容は十分ではないと考えている」とのことであった。
しかし、今回の事件を受けて特に各市に対し「銚子市での事件を繰り返さないようにこの点はしっかりと確認し、間違っても生活困窮している市民に生活保護を利用できないと思わせることがないように」という趣旨の通知などは出していないとのことであった。
もし、千葉県が、「銚子市が(二〇一三年四月に)聞き取りした内容は十分ではないと考えている」のであれば、このような悲劇が二度と起きないように各市に対し銚子市のようないい加減な聞き取りではなく、正確に生活状況を聞き取るように、という通知を出すべきである。
また、千葉県が考える急迫性の判断の要素の一つである(2)「ライフライン」とは電気、ガス、水道のことであり、家賃は含んでないということであった。もちろん電気やガス、水道が止められていることは急迫性があることは明らかであるが、家賃の滞納も住まいを失う危険が生じることからすれば急迫性の判断とすべきであろう。
要請行動の際には、これらの点を指摘したが、千葉県からは明確な回答はなかった。千葉県には善処を求めたい。
(2) 家賃減免についての問題点
千葉県は、この母親に対し、明渡訴訟の段階、強制執行の段階のいずれも直接会っていない。本件で千葉県側が会うことが出来ていたならこの母子に対し家賃減額措置も採りえたはずであり、減額されていれば今回のような悲劇も起きなかったはずである。
千葉県も今回の事件以降、滞納額が三〇万円以上で、一年を超える滞納世帯には直接訪問し会うようにしているとのことである。明渡訴訟の判決後や和解後でも任意に退去しない世帯には強制執行に至る前に直接訪問をしているとのことである。また、家賃減額を知らせる文書もこれまでは、毎年二月に家賃額を決定するときのみ一回だけであったものを、四ヶ月滞納世帯、六ヶ月滞納世帯にもお知らせの文書を送っているとのことである。
これにより、実際にも二〇一四年四月時点での減額世帯が一六五三世帯から一五年四月時点では一八七三世帯に一一%増加し、一四年一一月時点での一八八〇世帯から一五年一一時点での二二〇四世帯に一七%増加しているとのことであり、この点を改善したことは評価できる。
もっとも、直接訪問する世帯が「滞納額が三〇万円以上で、一年を超える滞納世帯」というのは絞りすぎていると思われる。すでにこれほどの滞納額がある世帯では、今後家賃減額制度を利用したりやその他の社会保障制度を利用しても滞納額を減らすことは困難であり、もっと早い段階での直接訪問が望まれる。
また、千葉県では、家賃減額の申請後しか家賃の減額ができないとして、それ以前にも減額の基準を満たしていたとしても、遡及的な減額はできないと主張していた。しかも、それは禁じられているとのことであった。
しかし、後述の通り、国土交通省はこれを禁じていないと明確に述べており、各自治体の判断で遡及適用を行うべきである。(続く)
東京支部 笹 本 潤
二〇一六年六月一七〜一九日に、アジア太平洋地域の法律家が五年に一度集まる第六回アジア太平洋法律家会議がネパール・カトマンズで開催されます。本来は昨年六月に開催する予定でしたが、ネパールの大震災で一年延期になっていました。ネパールは、震災から復活して活気を取り戻しており、現地の準備委員会も多くのアジアの法律家の参加を待っています。
現在のアジアを取り巻く情勢は他の地域と比べても厳しいものがあります。
平和の問題では、南シナ海、東シナ海の紛争、北朝鮮の核ミサイル実験、沖縄・フィリピン・韓国の米軍基地問題、日本の安保法制の問題など、いつ国同士の紛争が起きかねず、地域的な解決が求められている課題が多くあります。また、人権や民主主義の問題においては、弁護士法律家に対する弾圧は私たちの想像以上にひどく(特に、パキスタン、フィリピンなど)、先住民、女性、労働者の人権の侵害がひどく、日本の多国籍企業が関与している場合もあります。アジアの地域内での移民や難民の問題を通して、貧困の問題や差別、南北経済格差の問題も見えてきます。また原発輸出に伴う輸出国・輸入国の法律家の問題、南アジアでの環境破壊も進んでいます。他方、この間の新しい動きとしては、ネパールでは新憲法が公布され、ミャンマーの選挙では、軍政でない民主勢力側が勝利しました。
これらの問題に対して、アジア地域の法律家が、共通の問題意識をもって、どのように連帯して取り組めるのか、それを話し合うのがCOLAP(アジア太平洋法律家会議)です。
また、今回のCOLAPのもう一つの目玉として、アジア地域の法律家組織を立ち上げることが予定されています。COLAPは、一九八〇年代から、インド、日本、ベトナム、韓国、フィリピンで約五年に一度の割合で会議を開催してきました。しかし、アジアで生起する多くの問題に対応するためは、アジアに恒常的な組織を作る必要性が言われ、今回ようやく立ち上げを会議で発表できる予定です。将来のアジア共同体を見据えても、法律家のような民間レベル、NGOの動きは重要な役割を果たします。
前々回(二〇〇五年)は韓国・ソウルで、前回(二〇一〇年)はフィリピン・マニラで、二〇〇〜三〇〇人規模の法律家が集まりました。日本からも、毎回三〇人〜一〇〇人以上の規模で参加してきました。アジアの法律家と交流し、視野を広げて、世界やアジアからの視点で日本の問題を考える上で絶好の機会です。是非ご参加ください。
会議後の六月二〇日からは、美しい沼と湖から目の前のヒマラヤを見渡せるリゾート地・ポカラへのオプションツアーも用意しています。会議は、法律家だけでなく、市民や家族の方の参加も歓迎です。
【会議開催要綱】
第六回アジア太平洋法律家会議(COLAP6)
日 程:二〇一六年六月一七〜一九日
場 所:ネパール・カトマンズ
スケジュール:
六月一七日(金)夕方から 開会式など
六月一八日(土)分科会(平和・人権)、サイドイベント
六月一九日(日)分科会(開発・民主主義)、閉会式
おおよその費用の目安:二〇〜三五万円
参加国:一〇〜二〇ヶ国のアジア太平洋地域の法律家
※申込みは、日本国際法律家協会を経由してお願いします。
連絡先・申込先 日本国際法律家協会
電 話:〇三-三二二五-一〇二〇
FAX:〇三-三二二五-一〇二五
メール: jalisa@jalisa.info