<<目次へ 団通信1556号(4月1日)
今村 幸次郎 | 札幌・定山渓でお会いしましょう ― 二〇一六年五月集会へのお誘い |
佐藤 哲之 | |
加藤 丈晴 | |
五月集会日程のあらまし | |
今橋 直 | |
佐々木 良博 | |
臼井 俊紀 | |
江夏 大樹 | |
町田 伸一 | 「反応工程」観劇のお誘いと、 「俳優座『反応工程』を成功させる会」へのご協力のお願い |
郷路 征記 | |
荒井 新二 |
幹事長 今 村 幸 次 郎
一 今年の五月集会は、五月二八日(土)〜五月三〇日(月)(二八日はプレ企画)、札幌・定山渓で開催します。夏の参院選を前に、五月集会に結集し、安倍首相らの改憲策動を打ち砕くべく、熱い議論を交わしましょう。多くの団員、事務局の皆さんのご参加を呼びかけます。
二 安倍首相は、この夏の参院選で、自公に「おおさか維新」「日本のこころ」をあわせて三分の二以上の議席を確保し、自分の任期中に改憲を行う考えを公言しています。現在(今年一月末)、これら四党の非改選議席は八五ですから、今回、四党で七七議席を確保すれば三分の二超(参議院全二四二議席中の一六二議席)となってしまいます。
今、これを絶対に阻止すべく、全国で三二ある一人区を中心に野党共闘、野党統一候補の擁立が進んでいます。憲法を活かして、平和と人権を守り、格差と貧困をなくしたいという広範な国民の声が、野党を、そして、政治を大きく突き動かす形となっています。
札幌・定山渓五月集会では、安倍政権を打倒して改憲を阻止するための全国の取り組みや課題等を持ち寄り、交流し、来るべき政治決戦に勝利する展望をつかみ取りたいと思います。
三 北朝鮮の軍事挑発、南シナ海での米中の軍事的行動、世界各地で多発するテロ等々、日本の安全保障をめぐる議論に大きな影響を与える事象が次々と生じています。私たちは、今一度、軍事で平和は創れないという原点にたって、九条改憲や戦争法を容認させようとする世論誘導等に対抗していかなければなりません。
また、アベノミクスの三年間で、実質賃金は五%減り、非正規雇用労働者が二〇一六年二月時点で二〇一五万人(全体の三七、八%)と大幅に増加しています。大企業の内部留保は三〇〇兆円を超え、富裕層への富の集中が進む一方で、「貯蓄なし世帯」が急増し、「仕事のあるひとり親世帯」の貧困率は五割を超えています。大企業と富裕層に奉仕するアベノミクスを直ちにやめさせ、格差と貧困をなくす雇用政策・経済政策への抜本的転換が求められています。
四 五月集会では、こうした課題に加え、原発再稼働・被害救済、「主権者」教育、TPP、ヘイトスピーチ、差別撤廃条約、刑訴法等一括改悪等の課題について、団の取り組み、全国での活動等を経験交流・意見交換し、今後の活動に生かしていきたいと考えております。
集会一日目(二九日)の記念講演は、遠藤乾氏(北海道大学教授)に、「リベラルの安全保障論―安保/九条、抑止/和解、国家/人間―」というテーマでお話しいただく予定です。「安全保障環境が変化した」と喧伝される昨今、戦争法廃止や九条改憲阻止の議論を深めるうえで、貴重な示唆をいただけるものと思います。
分科会は、(1)憲法、(2)労働、(3)刑事法制、(4)原発、(5)TPP、(6)ヘイトスピーチ、(7)差別撤廃条約、(8)貧困、(9)教育の九つを企画しました。特別企画として、給費制復活関連企画、女性部企画も準備されています。
プレ企画(二八日)は、(1)新人学習会、(2)支部代表者会議、(3)事務局交流会を予定しています。
詳しくは次号に掲載します。プレ企画も含め、是非、多くの団員、事務局の方に参加していただきたいと思います。
例年どおり、半日旅行、一泊旅行も予定しています。詳しくは後掲の案内をご覧ください。
五 盛りだくさんの企画を用意しました。五月二八日〜三〇日には、札幌・定山渓でお会いしましょう。
北海道支部 支部長 佐 藤 哲 之
二〇一六年の五月集会が、五月二八日(土)から三○日(月)まで、札幌市の定山渓温泉で開催されます。定山渓での五月集会は一○年ぶり、二回目となります。
全国の団員のみなさんは、昨年強行採決され、今年三月二九日に施行された戦争法の廃止と立憲主義回復のため、七月の参議院選挙を中心とした夏の熱いたたかいに向け、奮闘中のことと思います。
北海道では、その先陣を切る北海道五区の衆議院補選が戦われ、四月二四日が投票日です。いろいろ難しい問題はありつつも、昨年のたたかいが生み出した「アベ政治を許さない!」「野党は共闘!」の広汎な市民の声が力となって野党共闘が実現しました。鈴木宗男氏の「新党大地」は、昨年の知事選では攪乱者の役割を果しましたが、早々とアベと手を組み、本籍地に戻り、スッキリしました。支部では、若い団員を先頭に、無所属の池田まき候補の勝利で弾みをつけ、全国の団員を迎えたいものだと奮闘中です。たたかいの構図をハッキリさせつつ、どうたたかいを発展させるのか、各地の経験を持ち寄り、大いに議論し、確信を持ち帰る研究討論集会にしましょう。
さて、北海道の五月は、梅と桜が同時に開花するとともに、木々が一斉に芽吹く、春から初夏に向けて自然の胎動が実感できる素晴らしい季節です。また、定山渓温泉は、札幌の中心部を流れ、サケが遡上してくることでも有名な豊平川上流の渓谷にある温泉街で、多数の宿があり、湯めぐりをしていただくことも可能です。車で少し足を延ばせば、「揚げイモ」の聖地(?)中山峠、神秘の湖支笏湖、三○年毎に噴火を繰り返す有珠山、温泉と登山が楽しめるニセコ連山等々、景勝地もたくさんあります。夏のたたかいの前のひととき、新緑の北海道で、新鮮な北海道の素材を活かした料理を味わい、英気も養って下さい。
北海道支部では、総力をあげて、北海道ならではの支部企画や旅行(二つともアイヌをテーマにしています)、さらには懇親会のマル秘企画なども準備し、みなさまを歓迎致します。
多くの団員、事務職員、ご家族の参加をお待ちしています。
なお、昨年の総会でもお願いしましたが、今後の団活動の発展を考え、特に若い団員が参加しやすいよう各支部、各事務所でも特段の配慮をお願い致します。
北海道支部 加 藤 丈 晴
今年の一泊旅行は、一日目と二日目で、テーマが大きく異なります。
一日目は、北海道の憲法訴訟の現場を訪ねる旅です。一日目は、半日旅行にご参加の皆さまも、同じ行程となります。
恵庭事件、長沼事件といえば、自由法曹団員で知らぬ人はいない有名な憲法訴訟ですが、その舞台となった、自衛隊北恵庭駐屯地と野崎牧場、長沼ミサイル基地を訪問します。
札幌市周辺には、数多くの自衛隊基地が存在しており、道中いくつもの基地の近くを通ります。定山渓を出発したバスは、自衛隊真駒内駐屯地を経て、道央自動車道に向かいます。高速道路は、北恵庭駐屯地と島松演習場という二つの広大な自衛隊基地の間を縫うように走っており、道路上に架かる橋も、戦車が通行できるように特別な構造になっています。道中、北海道の自衛隊基地について詳しい内山博さんが、皆さまのガイドとして、各基地の概要はもちろん、基地の施設や武器、それらがどのような目的・性能を有しているか、さらには価格がどの程度かということまで、マニアックな(?)知識を提供していただけます。
恵庭インターで高速道路を下りたバスは、恵庭事件で島松演習場の電話通信線を切断した野崎兄弟が営んでいた牧場に向かいます。野崎兄弟は、毎日のように大砲が鳴り響き、飼っている牛がストレスで乳を出さなくなったことから、電話通信線の切断という行為に及んだと言われていますが、現場に行けば、自衛隊の基地のすぐ近くに牧場が隣接しているという異様な風景を目の当たりにし、野崎兄弟の苦悩をご理解いただけると思います。
次にバスは、長沼事件の舞台となった長沼ミサイル基地に向かいます。長沼は、千歳川と夕張川が合流するところにあり、農家の人々は、ずっと水害に悩まされていました。そこで、水源涵養林として山に木を植えていたのです。ところが、国は、ミサイル基地建設のために、国有保安林の指定を解除したのです。のどかな田園風景とミサイル基地とのミスマッチに、農家の人々の怒りを共有できることと思います。
ここで半日旅行にご参加の皆さまは、新千歳空港へと向かい、一泊旅行にご参加の皆さまは、登別温泉に向かいます。全国の人気温泉地ランキングでも常に上位にある登別温泉は、湯量の豊富さと泉質の多様さで、他を寄せつけません。その中でも、今回の旅行では、老舗中の老舗である「第一滝本館」に宿泊します。この旅館の特色は、七種類もの泉質のお湯が楽しめることと、大浴場から見える地獄谷の迫力のある景観です。
二日目は、一日目とはテーマが大きく変わって、アイヌの歴史を学ぶ旅となります。まず登別の住宅地の中にある小さな記念館である「知里幸恵(ちりゆきえ)銀のしずく記念館」を訪問します。知里幸恵は、一九〇三年に登別に生まれ、アイヌで初めてアイヌの物語を文字化した「アイヌ神謡集」の著者として知られています。幸恵は、一九歳という短い生涯の中で、アイヌとしての民族意識と誇りをしっかりと持ち、アイヌ語を伝えるという使命を果たし、没後、その著書と、そこに込められた精神によってさまざまな人たちに感銘を与えています。全て個人の寄付によって建てられた記念館には、幸恵の日記や手紙、ノートの復刻版などが展示され、アイヌ神謡集やアイヌ関連書籍を手にとってご覧いただけます。
次に向かうのは、アイヌ民族博物館(ポロトコタン)です。この博物館は、アイヌの文化遺産を保存公開するために、白老町の市街地にあったアイヌ集落をポロト湖畔に移設・復元した野外博物館です。五軒のチセ(茅葺きの家)や博物館、植物園、飼育舎などからなり、チセの中では、アイヌ古式舞踊の公演をご覧いただけます。また飼育舎では、北海道犬が飼育されており、ソフトバンクのCMで有名な「カイ君」の娘に会うことができます。
この日の昼食は、洞爺湖サミットの食材にも採用され、世界のVIPからも高く評価された白老牛の焼肉を召し上がっていただきます。適度な霜降りと赤身の旨さが調和した白老牛を心ゆくまでお楽しみください。
最後に、乗馬や様々なアトラクションを楽しめるノーザンホースパークに立ち寄り、旅を締めくくります。
半日旅行、一泊旅行ともに、自由法曹団のツアーでしか行けないような、とっておきの場所を訪問しますので、思い出深いものになることは間違いありません。皆さまの多数のご参加をお待ちしております。
●五月二八日(土)
【関連行事】いずれも午後二時〜六時(予定)
プレ企画
1 支部代表者会議
(午後二時〜六時)
今年は四年ぶりに五月集会プレ企画として支部代表者を開催します。支部活動の活性化策、若手団員の参加確保策等について、事前にお願いしたアンケート結果を踏まえて討議したいと思います。
後半部分では、将来問題委員会で継続的に取り組んできた団員事務所の基盤づくり・人づくりの問題について意見交換する予定です。
2 新人弁護士学習会
(午後二時〜六時)
〜 講演 〜
(1) 北海道支部企画
「戦争法制下の自衛隊と弁護士の役割」(仮題)
【講師 佐藤博文団員 北海道支部】
(2) 本部企画
「京都建設アスベスト訴訟の成果と今後」(仮題)
【講師 谷文彰団員 京都支部】
※新人弁護士に限らず、ふるってご参加ください。
3 法律事務所事務局員交流会
(午後二時〜六時)
(1)全体会
北海道支部の橋本祐樹先生(北海道合同法律事務所)に、「あくまで例え話〜冗談半分で聞いて下さい〜〔コント・歌つき〕(仮題)」と題してご講演頂きます。橋本先生は『歌う弁護士』としてもご活躍されており、当日は活動の話し以外にも、歌とコントを披露していただく予定になっています。どのような歌を歌われるかは当日のお楽しみです。
また、事務局講演として、野津喜代美さん(郷路法律事務所)に「団事務所での経験と活動について(仮題)」としてご講演頂きます。野津さんはキャリア二五年のベテラン事務員としてご活躍されており、これまでの貴重な経験をお話ししていただく予定となっています。
(2)分科会
今年は昨年の分散会とは変えて分科会としました。分科会は「新人分科会」、「IT分科会」、「業務・経験分科会」という内容の三分科会としました。詳細については次回の団通信に掲載する予定でので、そちらをご覧頂ければと思います。
●五月二九日(日)
午後一時四五分〜午後六時〇〇分(予定)
全体会(午後一時四五分〜三時四五分)
(1)団長挨拶・来賓挨拶
(2)記念講演
「リベラルの安全保障論―安保/九条、抑止/ 和解、国家/人間―」
遠藤乾氏(北海道大学教授)
(3)幹事長基調報告
分科会 一日目
(午後四時〇〇分〜六時〇〇分)
(1)憲法分科会(一日目)
安倍政権による明文改憲の策動を阻止するため、日本をめぐる安全保障環境の状況、明文改憲をめぐる攻防の現段階、参院選とその後の明文改憲の策動とのたたかい、沖縄辺野古新基地建設問題などについて討論します。
(2)労働分科会(一日目)
労働法制改悪に関する情勢と改悪阻止に向けたたたかいについて 〜 改悪労働者派遣法と労働時間法制、解雇の金銭解決制度の改 悪問題を中心に 〜
(3)刑事法制分科会(一日目)
刑事弾圧をめぐるたたかいについて
〜警察捜査の正体〜
講演・講師原田宏二さん
(ジャーナリスト・元北海道警察警察官)
(4)TPP分科会
(1) 基調報告「TPP協定案の問題点」
〜産業と暮らしへの影響〜(仮題)
(2) 情勢報告
(3) 経験交流 阻止を目指す各地の取組みと課題
(5)貧困・社会保障分科会
「子どもの貧困を考える」(仮)
(1)子どもの貧困をめぐる全体状況,原因と課題について
〜大学教授等の専門家による講演(予定)
(2)子どもの貧困に対して弁護士がいかに関わっていくべきか
〜貧困問題に取り組む北海道支部の団員より問題提起(予定)
(3)千葉県銚子市県営住宅母子心中事件に関する取り組みの総括報告
(4)生活保護の引き下げ反対訴訟の報告
(5)その他各地の取り組みに関する報告
(6)差別撤廃条約分科会
CEDAWジュネーブ報告、選択制夫婦別姓最高裁判決の分析と日弁連の取組、従軍慰安婦問題(CEDAW勧告を受けて)
特別企画
(午後九時〜予定)
夕食懇親会後、開催されます。事前申し込みは不要です。
*給費制特別企画
(1)裁判所法改正をめぐる政治情勢を知る。
(2)貸与制下での現状につき認識を共有する。
(3)運動面(ビギナーズネット、日弁連、給費制訴訟など)について各地からの報告を受け、討議を行う。
*女性部特別企画
セクハラ・マタハラその他の悩み
業務をしていて嫌な思いをしたことってありませんか?どう対処すれ ばよいのか、どうすれば防げるのか、話し合ってみませんか。
●五月三〇日(月)
午前九時〇〇分〜午後一二時三〇分
分科会 二日目
(午前九時〇〇分〜一一時〇〇分)
(1)憲法分科会(二日目)
一日目の続き
(2)労働分科会(二日目)
全国各地の裁判闘争勝利のための議論
(3)刑事法制分科会(二日目)
刑事訴訟法等改訂一括法案と倉敷民商事件のたたかいについて
(4)ヘイトスピーチ分科会
北海道支部企画
(1)基調報告 「ヘイトスピーチの根絶を目指して」札幌からの報告
(2)経験交流 根絶を目指す各地の取組みと課題
(5)教育分科会
(1)「主権者教育」とは〜憲法と教育基本法の観点から〜
(2)「政治的中立性」を理由とした教育への介入
(3)高校生の政治活動
(4)各地の取り組み(学校での講演など)
(6)原発分科会
(1)基調報告「核兵器と原発・なぜ我が国は核と手を切れないのか。」
(2)経験交流「脱原発、被害救済訴訟の成果と課題」
全体会(午前一一時一五分〜一二時三〇分)
*各地・各分野からのたたかいの報告
会場・宿泊先
定山渓ビューホテル 〒061-2302 北海道札幌市南区定山渓温泉 電話 011-598-3223 FAX 011-598-3222 |
交通のご案内
【航空便】
別紙、申し込み用紙をご参照下さい。
団体便以外の交通案内についても、別紙ご参照下さい。
【貸し切り送迎バス】
*事前申し込みをお願いします
*団体便往路、それぞれに対応
新千歳空港→定山渓ビューホテル(片道二、五〇〇円)
*復路は、定山渓ビューホテル→新千歳空港、定山渓ビューホテル →札幌駅のバスを用意しています。
★貸し切り送迎バスをご利用にならない場合
千歳空港から札幌駅までをJR(約四〇分・一時間に四本程度)
札幌駅からは、じょうてつバスなど通常の公共交通機関をご利用下さい。(約六〇分)乗換等により時間を大目に見積もって下さい。
千歳空港から定山渓温泉までの路線バスが一日一本出ていますが、会議には間に合いません。
札幌駅からは通常の路線バスの他に、定山渓行の直行バス『かっぱライナー』もあります。
(要予約、一日四本、定山渓温泉東二丁目下車)
※お問合せ先 Tel0120―37―2615
*問い合わせ先
株式会社 旅システム(担当 青木さん)
電 話 011―742―2260
FAX 011―742―2265
★ 五月集会参加費用 ★
●会議・宿泊費
全て事前のお振り込みとなります。
当日、現金での受付はいたしませんのでご了承願います。
(1) プレ企画・研究討論集会参加費(全日参加) 三五、〇〇〇円
(二八日〜三〇日の会議、二泊、二夕・二朝食付)
(2) プレ企画参加費 一八、〇〇〇円
(二八日の会議、一泊、一夕・一朝食付)
(3) 研究討論集会参加費 一八、〇〇〇円
(二九・三〇日の会議、一泊、一夕・一朝食付)
(4) プレ企画会議のみ参加(夕食なし・宿泊なし) 三、〇〇〇円
(5) 研究討論集会のみ参加(夕食なし・宿泊なし) 三、〇〇〇円
((1)〜(3)のプレ企画・研究討論集会とも、参加費には会場費、資料代、会場設営費等すべてを含みます。(4)(5)の会議のみの参加については、プレ企画と研究討論集会にわけてあります。会議のみ両日参加の場合は、合計六千円となります。)
*ツインご希望の場合
※部屋数に限りがあります。先着順となりますので、旅システムへ確認を取ったうえでお申し込み下さい。
参加申し込み方法
○同封の「五月集会参加申込書」にご記入の上、四月二八日(金)までにお申し込みください。(一人につき一枚のご記入をお願いします。)
○参加費の振り込みについても四月二八日までにお願いします。
○プレ企画について 参加される会議を必ずご記入下さい。
○分科会希望について 一日目、二日目とも必ずご記入下さい。
○キャンセルの場合、宿泊の五日前からキャンセル料が発生しますのでご了承ください。
○精算につきましては、集会終了後となります。
★参加申込の送り先・参加費の振込先は、ともに旅システム宛にお願いします。
北洋銀行 東苗穂支店 普通 0459410 (株)旅システム |
※今回は富士国際旅行社ではありませんので、お振り込み等お間違えのないようご注意下さい。
お振り込みの際には弁護士の肩書きはつけずにお振り込みください。(字数の関係で記帳印字が途中で切れてしまい、送金者の確認ができなくなってしまいます。)
また事務所で一括入金される場合は、別途内訳一覧表についてもFAXにて旅システム宛にお送り下さい。
★各地からの配布資料
五月集会・プレ企画参加者に配布する資料・報告書等は、今のところ五〇〇部を予定していますが、部数は参加状況により変動します。配布ご予定の方は、五月連休明けに団本部事務局に部数をご確認下さい。
配布資料はについては、五月二七日(金)までに「定山渓ビューホテル」宛お送りください。
お送り頂く際には送付伝票備考欄に、必ず「自由法曹団」宛と記載し、「プレ企画○○資料」、「全体会資料」、「○○分科会資料」、「販売書籍用」等、荷物の内容がわかる様に明記して下さい。
●現地にて、配布用資料の袋詰め作業を行います。資料についてはA4サイズが基準となりますので、A3・B4サイズの場合はあらかじめ半分に折って頂き、すぐに袋詰め作業が出来る状態でお送り下さい。
●送付する資料は、整理・管理の必要上、事前に文書にて団本部までFAXにてご一報下さい。
●五月二七日(金)中に間に合わない資料は、お手数ですが必要配布部数を印刷の上、直接会場までご持参下さい。
●当日持参される場合は、一日目全体会終了後、各分科会会場入口に置くかたちでの配布となりますのでご了承下さい。
♪ 書籍販売
販売用書籍については、北海道支部から地元で委託販売をお願いできるところを探して頂きました。
委託販売ご希望の方は、直接、左記までお問い合わせ下さい。
ポプラ書房・担当・七尾憲一さん
TEL 011-721-2135 FAX 011-721-2136
♪ 保育所の設置について
今年もご希望があれば保育所を設置する予定です。ご希望の方は参加申し込み欄にご記入の上、保育士さんの手配の関係上なるべくお早めにお申し込み下さい。
締め切り日以降のお申し込みの場合は、設置を見送らせていただく場合もありますのでご了承下さい。
詳細は、後日申し込みのあった方々にご連絡します。
保育料については、利用者の方の負担額は、利用される参加者一人当たり三千円(宿泊数・お子様の人数にかかわらず)とし、差額については団本部で負担します。
♪ 一泊旅行・半日旅行について
別紙「オプショナルツアーのご案内」をご覧ください。
参加ご希望の方は、五月集会申込書に○印をご記入のうえ、集会参加費用と共に、旅システム宛代金をお振り込み下さい。
*北海道特集*
北海道支部 今 橋 直
北海道東部・野付郡別海町の自衛隊矢臼別演習場。
一年に一回、ここに沖縄から米軍海兵隊がやって来る。沖縄県県道一〇四号線越え実弾射撃訓練が、「沖縄の負担軽減」との名目で一九九七年より全国五か所に分散され、矢臼別演習場でも毎年のように訓練が行われている(正確には五年に四回の割合)。
矢臼別演習場は、国内最大の自衛隊演習場で、面積一六八平方キロメートル(=山手線の円内の二・六倍、大阪市の四分の三)。ここで、米軍は射程距離一四キロの一五五ミリりゅう弾砲の実弾射撃を行う。
この矢臼別演習場敷地内に、「川瀬牧場」がある。故・川瀬氾二さんは、一九六四年に自衛隊演習場の設置が決まってからも移転を拒否し続け、以来この場所は、平和を守るたたかいの最前線として、多くの市民が集まり、川瀬さんとともに守ってきた。この間、自衛隊からは、買収工作、農業委員会を介しての干渉、鉄柵での囲い込みその他多くの「追い出し工作」がなされたが、それらをすべてはねのけた。
そしてこの場所は、平和を守る人たちが集う場所となった。毎年八月に「平和盆おどり」が行われ、昨年が第五一回。毎年三百〜四百名の人たちが全国各地から集まり、夜遅くまでやぐらを囲んで踊り、ステージで歌い、食べ飲み、平和を語り合う。
毎年、米軍実弾射撃訓練が行われている期間、川瀬牧場内に「監視小屋」が立ち、朝から晩まで射撃を数えている。今の矢臼別住人であるSさん、Uさん、矢臼別平和委員会の皆さん、そして各地からやって来る応援隊。
一日数名から十名程度が監視小屋に詰め、左前方遠くから「ドーン」と発射音が聞こえるとその時刻をノートに書き留め、右前方で「ドーン」と着弾音がするまでの時間を記録する。その時間は概ね四十秒ほど。射程距離十四キロメートルを四十秒で飛ぶので、時速千二百六十キロ、ちょうどマッハ1(なお、訓練が行われているのは前方の森の向こう側なので、訓練そのものは見えない)。
夜間訓練の際には、真っ暗闇の澄んだ空気を弾が切り裂いて「ヒューーン」という音が聞こえ、照明弾はちょうど前方の森の上で炸裂しオレンジ色に輝く。
二年前(二〇一三年)の訓練では、実弾が目標地点を大きく外れ、演習場外の国有地に着弾した。この時には監視していたメンバーが、「着弾音の方向がいつもと違う。時間も短すぎる。」と異変に気づいた。そして「場外に着弾したらしい」との情報がはいるとすぐに、時間から距離を割り出し、音のした方角を地図で確認、車で急行したところ、自衛隊員が穴掘り(穴埋め)作業中。「何してるんですか」と尋ねると、「地質調査です。」と答えたとか。この短時間で着弾場所を特定できたのは、絶えず監視し、記録していたからこそ!
着弾地点は国有地だったが、近隣の農家がいつも牧草を刈り採っている場所で、大惨事になりかねない誤射だった。その後実弾射撃は止まっていたが、誤射から四日目に米軍から北海道に訓練再開が一方的に通告され、五日目からまた射撃の音が鳴り響いた。矢臼別住人のSさんは「地位協定を見せつけられた五日間でした」とレポートにつづっている。
二〇一五年の米軍実弾射撃訓練は、一一月二五日から一二月三日まで行われた。私は、一一月二六日から二八日まで、現地を訪れた。以前六月に訪れた際にも薪ストーブに火が入っていたのに、一一月下旬とは…。
私は現地を訪れた際には、同行したメンバーと共に、「演習場のど真ん中から」という米軍実弾演習の様子をつづったニュースを、地域の人たちに配る作業をしている。二五〇枚のニュースを配りきるのに、二日がかりの八時間を要し、車の走行距離は二五〇キロ。別海町は牧場が多く、隣の家がとにかく遠い。牛の群れに道路を阻まれ、車をバックさせたことも。札幌でなら、二五〇枚は私の住むマンションだけで終わってしまうのに…。
みなさま、五月集会で北海道にいらした際には、「平和運動家の聖地」矢臼別に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。立ち寄るといっても札幌から車で六時間かかりますが。
*「三・一一から五年」特集
岩手支部 佐 々 木 良 博
こうした中で、住居の再建や事業の再建のめどが立たず、あるいは就労先がないために被災地を去らざるを得なかった被災者が続出しており、沿岸一二市町村の人口の減少は二万二二三三人に上っている。しかも、他の土地に転居した被災者のうち故郷に戻ることを希望している被災者は一八%程度に過ぎないといわれており、今後復興が進んでも人口の増加は期待できない状況となっている。
なお、震災によって家族や住居等を失ったことによるストレスや復興への希望を見出すことができないことによるストレス、仮設住宅の劣悪な環境などが原因と考えられる震災関連死は四五八名(自殺者は三四名)に達し、孤独死も三四名に達している。
三 自分たちのまちをどのようなまちに復興させるかという「まちづくり」やこれに関連する防災のあり方等に関する問題は、十分な時間をかけて住民の納得と同意を得て進められるべき課題であって、拙速に決定すべきものではない。
しかし、国が一〇〇年に一度の津波に対しては防潮堤で対応するという方針を打ち出したため、岩手県は、湾ごとに一〇〇年に一度の津波に対応できる防潮堤の高さを試算し、その結果を各被災自治体に通知した。その結果、ほとんどの自治体は、住民に対する十分な説明も、住民による十分な議論や意思確認も経ることなく、県が試算した数メートルから十数メートルの防潮堤の高さを前提として、被災した土地のかさ上げの高さやその土地の利用方法を決定してしまった。
その後、住民から「塀に囲まれて生活するのではなく海を見ながら生活したい」、「防潮堤の維持管理費用や、防潮堤の耐用年数(五、六〇年)経過後の再建築費用はだれが負担するのか」、「今回の津波では、防潮堤の安全神話によって、あるいは防潮堤によって津波が押し寄せてくることに気が付かずに多くの命が失われた。さらに高い防潮堤を建設することによって再び多くの命が失われることになるのではないか」、「住居は高台に建設するとともに津波が来たら高台に逃げるという防潮堤に頼らない防災計画であるべきだ」といった声が多数寄せられ、住民の議論によって、防潮堤について高さの見直しを行なったり(一九か所二二地区)、防潮堤を建築しないと決定した地域(釜石市唐丹町花露辺地区等)も現れた。しかし、ほとんどの地域では、「今から防潮堤の高さを変更したら復興は数年遅れることになる」として、県の試算した数メートルから十数メートルもの高さの巨大な防潮堤が建築されようとしている。
四 被災した事業者が地元で事業を再建することは、その事業者が生活していく上で必要であるというだけでなく、雇用を創出し、地元経済を再生し、人口流出を防止する上でも、さらには、地元の復興の担い手となり、地域の再生・再建を推進し、地域社会をより強固にする(「地域内経済循環」)という点でも極めて重要である。そして、被災地では、これまでの新産業都市構想やリゾート開発構想の失敗により、あるいは企業誘致の失敗によって、外発型の開発によっては何も生み出すことができないことを十分に学んでおり、内発型の復興を志向するのでなければ、真の復興とはなりえないことは明らかなはずであった。しかし、残念なことに、被災地では外から企業を誘致することによって復興を実現し地域の活性化を図ろうという施策が行われている。
例えば、釜石市は、防災対策費二億円を助成してイオンショッピングセンターを誘致し、二〇一四年三月、敷地面積約四万六〇〇〇平方メートル、駐車台数一二四〇台、三階建て、イオンスーパーセンターほか専門店五六店舗を有する「イオンタウン釜石」がオープンした。釜石市は、「復興のためにも街の活性化のためにも大型ショッピングセンターが必要であり、イオンが来ることで他の地域から人を呼び込むことができるし、雇用も創出することができる」と誘致した趣旨を説明している。
しかし、開店時にイオンタウン釜石に出店することができた地元業者は五六店舗中わずか二社(歯科医院とダンススタジオ)のみである。テナント料が高額であるほか、内装等の資金が必要であるため、被災した地元の事業者は出店を断念せざるを得なかった。釜石市では、自力で再建を果たした店舗はごくわずかであり、二〇六もの商店が本設での営業を夢見ながら市内五つの仮設商店街で営業を行っている。こうした事業者は、津波によって住まいも店舗も奪われながら再建を目指して仮設での営業を継続してきたものであるが、イオンに顧客を奪われ、廃業を検討せざるを得なくなっている業者も出てきている。
また、今後購買力が低下し利益が上がらない状況に至った場合、イオンは店舗を閉鎖して釜石市から撤退する可能性が高いと思われる。その時、地元の店舗の多くが消滅していたなら、いったい誰が生活に必要な商品やサービスを提供するのであろうか。街の復興や活性化とは逆に街の衰退への一歩を踏み出すことにならないことを祈るばかりである。
五 以上、これまで行われてきた岩手における復興の状況を三点について報告させていただいた。
三月一一日に岩手県復興県民会議主催の「東日本大震災津波から五年の集い」が宮古市で開催された。その集いに参加した被災者の一人が「防潮堤、かさ上げ、集団移転、道路など復興を口実にした自然破壊が進んでいる」と発言していた。この発言には重い意味が込められている。二五兆円を超える巨費を投じて、被災各地において必要以上のあるいは不必要な、防潮堤・かさ上げ・集団移転のための造成・道路等の建設が行われる場合、それは単なる自然破壊にすぎないことになる。また、それは、税金の無駄遣いであるとともに、真に必要な支援がなされないことにもつながる問題でもある。
被災自治体が復興基本計画を短期間で策定してしまったときから、十分な住民合意に基づかない拙速なまちづくりを行ってしまう愚を犯すことになるのではないか、三陸の集落やまちを、道路、橋、公共施設そして居住する者のいない広大な敷地が整備された壮大な廃墟としてしまうのではないかと危惧してきた。
そうした危惧を現実のものとしないためにも、五年を経過した今、これまでの復興のあり方を検証し、人間復興の観点から誤りを是正していくことが必要なのではないかと考えている。
(※一部前号と重複しています。)
山口県支部 臼 井 俊 紀
三菱下関造船じん肺・アスベスト訴訟弁護団事務局長
第一章 たたかいの始まり
一 全日本造船機械労働組合三菱重工支部下関造船分会(以下「下船分会」という。)は、下請労働者等のじん肺やアスベスト被害等の掘り起こしをして、四名の三菱重工業(株)(以下「三菱重工」という。)の下請労働者について、二〇〇六年一月二〇日にじん肺管理区分二を得させた。本件は、そこから始まった。
二 三菱重工には、じん肺やアスベスト被害について、本工(正社員)には補償制度があるが、下請労働者には補償制度がないので、下請労働者はじん肺やアスベスト被害がどんなに進行して、労災認定がされても、訴訟によらないで三菱重工から補償を受ける方法はない。
私は、この被害の掘り起こしの中心人物であった下船分会の久村信政さん(故人)と旧知の関係にあったことから、この四名について、三菱重工を相手に訴訟をしたいと相談を受けた。
私は、かつて山陽トンネルじん肺訴訟を担当した経験はあるが、ゼネコンの元請責任や連帯責任等は、既に先駆的なたたかいにより確立されており、この訴訟では、専ら労働者の職歴確定の作業のみを担当した。じん肺の元請責任や安全配慮義務違反等についての認識は浅く、ましてや造船所のそれについてはまったく無知であった。しかし、久村さんに頼まれた以上、義理人情に弱い私は、やらねばならないと決意したのであった。
三 そこで、断ることが苦手で、人一倍義理堅く人情に厚い下田泰弁護士(故人)や田中礼司弁護士等を巻き込み、原告の数以上の常任弁護団を早速結成した。後日、田中弁護士に聞いたところによると、私の妻から夫を助けて欲しいと頼まれたそうな(ウウッ)。下田弁護士には弁護団長の重責を担っていただき、私は、うまみのある(?)事務局長に就任した。
そして、三菱重工長崎造船所のじん肺訴訟の第一陣での勝利的和解や長崎地裁に係属中の第二陣訴訟を担当していた、長崎の熊谷悟郎弁護士や横山巖弁護士に教えを乞うべく、当時若手の板淵力弁護士と橋野成正弁護士を長崎に派遣した。両弁護士は、そこで的確な教示を受けるとともに、手厚い接待も受けた。それ以来、目の色の変わったこの二人の弁護士を軸にして、弁護団結成から約一年半をかけて、訴訟の準備をしていった。会議の後には、居酒屋等で反省会をセットしたので、出席率は極めて高かった。
この中で、横山詩土弁護士が加わり、田中弁護士は、じん肺弁連事務局長の鈴木剛弁護士という大物を、常任弁護団にゲットすることに成功した。勇気百倍、私たち弁護団はこの訴訟の勝利を確信した。
四 とはいえ、長崎の第二陣訴訟では、三菱重工は、じん肺管理区分決定を得た一部の人について、CT画像の読影でじん肺罹患そのものを争うという、これまでのじん肺訴訟ではなかった医学論争をしかけており、CT画像での鑑定を阻止すること等、これをいかに突破するかが課題となっていた。
私たちは、提訴前から、訴訟の中での早期の解決を目指して、じん肺管理区分決定の正しさを前面に出して、CT画像の送付嘱託等について反対をして、これを入手させないという方針で臨むことを決めていたが、CT画像が証拠として表れた場合に、医学的にどのようになるかについても検討していて、提訴の前後を通じて、じん肺の臨床経験も豊富で、原告らのじん肺の診断にも関わっていた、宇部協立病院の野田浩夫医師の判断等に基づいて、原告らのCT画像が読影されても、じん肺罹患が否定されることはないという確信を抱いていた。
第二章 第一審でのたたかい
一 二〇〇八年四月四日、その直前に亡くなった一名の労働者を除いて、三名の原告(その時点では一名の原告が管理区分二・非合併症、二名の原告は管理区分二・続発性気管支炎の合併症)で提訴をした(直前に亡くなった一名については、じん肺死として労災認定がされ、遺族がその後提訴して併合された)。
私たちは、下船分会の力を借りて、提訴前から準備してきた、造船の元請責任、安全配慮義務違反の詳細について、早めに主張・立証をしたが、三菱重工側は、これらの点は長崎の第二陣訴訟と同様、ほとんど主張・立証はしなかった。この点を争点にしても無駄だと判っていたからである。
二 そして、案の定、早期の段階から、複数の医療機関にCT等の送付嘱託を申し出る等して、本件を労災訴訟ではなく、医療訴訟であるかのような対応に終始してきた。
私たちは、当初の方針どおり、送付嘱託に反対したり、嘱託が採用された後も、医療機関に対し、提出には同意しないことを通知したりしたが、結果的に、CT画像を含む医療資料は裁判所に提出された。
それでも、私たちは、それまでの検討に加えて、これらの資料の検討により、CT画像が読影されても、じん肺罹患の認定が覆ることはないと確信を深めていた。
三 ところが、三菱重工側がCT画像の読影を依頼した医師の意見は、じん肺所見がないとして、全員についてじん肺罹患を否定するものであった。
これに対して、私たちは、じん肺管理区分決定の厳格性やCT画像の読影の限界(小粒状影ではX線の画像の方が正確であること等)を主張するとともに、野田医師の、CT画像の読影上も、じん肺罹患が認められるという説得力のある意見書を提出し、三菱重工の送付嘱託に基づいて、証拠として提出された医療機関のカルテ中にも、CT画像の読影の結果、じん肺罹患を認める所見があること等を指摘した。
四 この第一審の終結前に、長崎の第二陣訴訟は、福岡高裁判決が出されCT画像の読影によって、じん肺管理区分二の所見に疑いがあるとされた原告については、損害認容金額が、これまでの基準の二分の一になるという判断が出されて、それが確定していた。
しかし、私たちの事件では、野田医師の意見書や送付嘱託に基づく記録中のCT画像の読影の結果等から、原告らのじん肺罹患はCT画像上も明白であり、減額はないと確信していたし、敗訴などはまったく想定していなかった。
勿論、三菱重工の元請責任や安全配慮義務違反、個別の損害論等についても、新たに常任弁護団に若手の前田将志弁護士や三井隆宏弁護士も加わり、入念に主張・立証をしていった。(次号に続く)
東京支部 江 夏 大 樹
新進気鋭の若手弁護士で構成される明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」)は、日本国憲法改正草案の内容とその怖さを、広く国民に知らせることを目的とする団体である。
そんなあすわかの若手弁護士らが、先日、全国から結集し、専修大学で叫んできた。
もう執念の塊ですねとつぶやいてしまうほどに、改憲に前のめりの姿勢を見せる安倍首相は、まず手始めとして、「大規模災害に対処するため」の緊急事態条項を憲法に創設することを目指しているようである。
すなわち、改憲の執念に燃える安倍首相は、憲法九条改正という正面玄関を叩かず、憲法九六条の改正という「九条改正の裏口入学」の画策にも失敗し、解釈改憲というまさかの手法で強行突破している状況下、改憲に向けての次なる手が、「緊急事態条項の創設」のようである。
その主な理由は「大規模災害に対処するため」だ。
確かに、『五年前に起こった東日本大震災による被害は、災害による適切な対応があったならば、死傷者はもっと少なかったはず。』『じゃあ、大規模災害に対応することは必要だし、緊急事態条項の創設には賛成だね。改憲賛成!』という風潮になることも想像に難くない。
しかし、この緊急事態条項を創設しようという事態が、ヤバイ事態であるとして、北は新潟、南は沖縄と全国各地から弁護士が集結し、ゲストには、元最高裁判事の濱田邦夫先生、専修大学の岡田憲治教授をお招きして、フェスで「ヤバイよ」と叫んだのがこの企画である。
参加者は、七〇人を超え、聴衆の中にいた、立教大学の西谷修教授にも飛び入りで発言をいただき、たくさんの国会議員からも応援メッセージが寄せられるなど、同企画は大盛況のうちに幕を閉じた。
四部構成の同企画は、第一部では、岩手県宮古市の公設事務所所長として、災害現場を目の当たりにした小口幸人弁護士が、自民党が挙げる緊急事態条項の創設の理由は、どれも理由にならないことを鮮やかにスピーチし、第二部では、新潟県から駆けつけた二宮淳悟弁護士が、「命を救うのは、法律や制度(防災教育・非難訓練)の適正な運用による事前の準備。災害後に憲法を停止しても対処できない。」と強く訴えた。
第三部では、ゲストとともにミニシンポを行い、その中で、濱田邦夫氏は「ナチスの国家緊急権や明治憲法下の戒厳大権と比べてもずさんな案」と指摘し、西谷修教授は「緊急事態条項をいい餌にしたつもりかもしれないが、大失敗である」と熱く語った。
参加者の方々に、「うわー、ヤバイなー」と認識してもらったあとの第四部「この夏の民主主義をどう生きるか」では、岡田憲治教授が「デモクラシーとは、友達を作ること。あんまり好きじゃない人とも友達になる。」や「安倍さんの、じいさんが作れなかった家(=憲法)を建てたい気持ちはわかるけど、その家の中に住むのは、私たち国民ですよ」と参加者の笑いをかっさらいながら、わかりやすい説明で、会場を沸かせてくれた。
その後の懇親会では、二宮淳悟弁護士が持参した日本酒、「おかいしいだろ、これ」(新潟県弁護士会の「おかしいだろ、これ」シリーズ)を飲みながら、大成功に終わったこの企画を総括した。
改憲が現実味を帯びている昨今の状況下では、「あすわか」が活躍する機会はそこら中に転がっている。弁護士経験三ヶ月と未熟な私にも同企画の司会を無茶ぶりしてくれる先輩方に支えられながら、伸び伸びと活動ができる「あすわか」に自由法曹団の若手弁護士の方々にも、是非参加していただき、一緒に次の企画を盛り上げていきたい。
東京支部 町 田 伸 一
一九四四年に創立された劇団俳優座は、二一年間にわたる毎夏に有志で「戦争とは・・・」を上演し、「俳優座九条の会」を設立するなどして、演劇人として平和をアピールする活動を行ってきましたが、二〇一六年は、劇団の全ての演目を反戦・平和の願いをこめた芝居にしぼり上演します。その第一弾が、「反応工程」です。
「反応工程」は、一九四五年八月、終戦間近の軍需化学工場に動員され出兵していく少年達の叫びと時代に抗うことをしない大人たちの、戦中・戦後の変化と無変化とを描いた、劇作家宮本研の「戦後史三部作」の第一作目です。
「俳優座『反応工程』を成功させる会」は、「演劇と社会とをつなげた新たなムーブメントを創る」ことを目的として結成された会で、映画監督の山田洋次(以下、敬称略)、SEALDsの奥田愛基、Teens SoulのTAKUYA、俳優座の加藤剛の四名を共同代表とし、伊藤千尋、伊藤真、宇都宮健児、鎌仲ひとみ、金子兜太、小森陽一、森住卓、中野晃一、池辺晋一郎、高田健、ジェームス三木、青年法律家協会等々(とても書き切れないので、以下のご参照をお願いします。http://hyz-hannoukoutei.wix.com/2016may#!about/cfvg)が呼掛人になっています。「演劇と社会とをつな」ぐとのスローガンと、上記の顔ぶれから想像されるとおり、「成功させる会」は、演劇としての「反応工程」の成功に止まらず、演劇「反応工程」が、戦争に向かう現在の日本社会に変革をもたらすことを目的とした会です。
なお、「反応工程」は、そのストーリー上、男性の登場人物が大多数を占めていますが、たった二名の出演女優さんのうちのお一人である後藤佑里奈さんは、東京支部後藤賜c員のお嬢さんです(無断紹介、ご容赦下さい)。
そこで、団員の皆様に、「反応工程」の観劇と「成功させる会」へのご入会を、呼び掛けます。
■観劇しましょう。
公演:二〇一六年五月一三日(金)〜二二日(日)
東京都新宿区「紀伊國屋ホール」
成功させる会・割引料金(一般A席五四〇〇円→四七〇〇円
一般B席四三二〇円→三八〇〇円 学生三七〇〇円→三〇〇〇円 高校生以下三七八〇円→二〇〇〇円)
■「成功させる会」に入会しましょう。
入会金・会費などはありません。カンパは歓迎します。
■「平和の俳句」に応募しましょう。
金子兜太さんが選定し、東京新聞が掲載してくれます。
■上記のいずれも、連絡先・申込先は、以下です。
劇団俳優座
TEL 〇三―三四〇五―二八八八
FAX 〇三―三四七〇―二〇五三
E―mail:hannnoukoutei2016@gmail.com
HP http://hyz-hannoukoutei.wix.com/2016may
FB http://fb.com/10011168807206
Tw@haiyuza2016)
*追 悼* 故・廣谷陸男団員
北海道支部 郷 路 征 記
一九七一年、私は先生が全部用意してくれた事務所に、全く対等な弁護士として受け入れてもらいました。事務所名まで、広谷・三津橋・郷路法律事務所としていただきました。私から何も求めなかったのに、先生がそうしてくださったのです。以来、私は、先生から、ただの一度も命令を受けたことがありません。事実上の強制となるような指示を受けたこともありません。議論を通じて方針を一致させるか、それとも、議論もしないで勝手に判断して動き回る私を、先生は全く自由にさせてくれました。当時、先生は四一歳、私は二八歳の若造にすぎませんでした。
私は、今考えれば、法律家としてはとてもバランスの悪い人間で、依頼者との情緒面での一体化が強くなりがちで、依頼者の要求をそのまま法的な請求にしてしまう傾向が強く、他方、それを抑制すべき法的な知識、特に実務的な感覚が身についていませんでした。その結果、難しい事件をたくさん抱えて肉体的にも精神的にも追いつめられた状況になった時、先生は、何も言わず、数件、法的には勝ち目がない事件を引き受けて、私をその負担から解放してくれたことがありました。私は、先生の配慮にもかかわらず、すぐまた目いっぱい忙しくなってしまい、先生にそのことのお礼をすることをずっと忘れていました。昨夜、先生とのことを思い出していくうちに、そのことに思い当たりました。先生、その節は、本当にありがとうございました。お礼がこんなにも遅れてしまったことをどうぞ許して下さい。考えてみましたら、私は先生から個人的な経歴を長々と聞かせられることなく、自慢話の聞き手にされることもなく、他方、愚痴を言われることも、いわれなく非難されることもなく、若い時を過ごすことができていたのでした。先生との関係で人間関係上のわずらわしさ等を一度も覚えたことがありません。前向きに事件活動に集中することが保障されていました。
以上のとおり、権威主義的な態度とは全く無縁な、民主主義的な先生の人格は、私たちの事務所、発展して北海道合同法律事務所となった事務所の精神の根幹を形成するものだったと思います。このことは、企業の中で労働者の権利が縮小されていって権威主義的な体質が強まり、学校自体がそのようなものに変えられつつあり、憲法には公僕にすぎないと書かれているのに、私が内閣総理大臣ですからと国会で答弁する首相がいる今、本当に大切であり、貴重なものであると私は痛感しています。先生の精神を引き継ぎ、自分もそのような人格になれるよう、努力を重ねることを先生に誓いたいと思います。
弁護士会の活動における先生の功績として、私は、派閥を瓦解させた活動をあげたいと思います。今から三〇年以上前、札幌弁護士会に派閥が作られたことがありました。その派閥は当時の弁護士会員の過半数を超える人たちを結集していましたから、その派閥が結束すれば弁護士会の人事を思いのままにすることができました。そうすると、その派閥の中心者は、弁護士会の人事権を事実上握ることになり、ポスト供給能力を武器として会員に対して権威的な存在となり、自由で闊達な議論を通じて会の方針が定まり、その方針の実践のなかで適任者が会務を担うことになるべしという民主主義的な会運営が阻害される可能性がきわめて大きいというのが先生のご意見でした。そして、先生は自らが派閥を形成することには強く反対しておられました。組織的な対立が固定化してしまうというご意見であったと記憶しています。先生は、ご自身の意見を書簡という形で数度にわたり全会員に配布しました。そのご意見が会員の心に届いたのでしょう、その派閥は数年もたずに解散してしまいました。
当時の会員数からみれば、現在の会員数は桁違いとなっています。それでも、札幌弁護士会には、いまでも、派閥がありません。これは全国的に見ても珍しいのではないかと私は思っています。派閥の解消を通じて、札幌弁護士会の今につながる民主主義的な運営の基礎を作り上げたという点で、先生の功績はまことに大きいものがあると私は考えております。
私が、今、先生に学ばなければならないと思っているのは、政治への積極的な関与についてです。戦後民主主義が曲がりなりにも大切にされていた時代には、政治と距離をおいても生きていけた時期があったと思うのですが、これからはそうはいかないと思います。政治の方から、私たちの人生に強力に介入してくるのではないかと危惧を私は強く持っています。
どの仕事もそうでしょうが、弁護士の仕事も、集中しなければならない事態となれば無限定な労務の提供を要求する、とても厳しいものです。他方、政治もかかわり方によりますが、人生そのものを要求するものです。
弁護士としての仕事に精一杯な時には、政治のことは、判っているけどそれどころじゃないの、今はという気持ちになってしまいます。でも、先生はそうはならないで、弁護士として大変な事件に全力で対応しながら、政治への関与も怠りませんでした。到底、並みのことではないのですが、これからの時代、先生の示された模範が必要とされているのだと思います。できる形で、できる範囲で、政治への関与を、主権者として、決して怠らないということを私も追求していきたいと思っています。
そして、先生は、以上のようなことを、暗くならないで、理屈っぽくならないで、重くならないで、だからと言って軽薄にもならないで、やり遂げてこられました。どうして、先生は、そんなことができたのでしょうか?
私には全く解けない疑問です。少なくともこの疑問が解けるまで、ということは私の生涯の間ということでしょうが、先生には私の心の中に生き続けていただきたいと思っています。ですから、先生、さよならは言いません。千の風になって、光になり、雪になって、ずっと、ずっと、私たちと共にいてください。
二〇一六年一月二五日
団 長 荒 井 新 二
日本国民救援会主催による第六九回解放運動無名戦士合葬追悼会がこの三月一八日に開かれ、団を代表して参加した。会は取り壊しのため休館とされる(本年四月から)日比谷公会堂。数々の名演や戦後ののど自慢、そして浅沼社党委員長刺殺事件といった記憶をもつが、身近なことでは弁護士会主催で四〇〇〇人を集めた刑法・拘禁二法集会が忘れがたい。再開は未定という。
本年に合葬された方は全国で一一一二人にのぼり、自由法曹団からは小高丑松さん(千葉)、竹嶋健治さん(兵庫)、山本政道さん(埼玉)、吉原 稔さん(滋賀)、飯塚和夫さん(東京)、高山利夫さん(京都)が推薦され、他から推薦された河村武信さん(大阪)を含めて、全員で七名の団員が合葬された。
はじめに団員である鈴木亜英弁護士(東京)が国民救援会会長として遺族のお気持ちに添った心温まる挨拶をされた。そのうえで参院選挙に向けて壮大な国民運動に合流できず心残りであろう故人のご遺志を偲び、安倍内閣の退陣を求めて奮闘していくことを面前で誓う、というものであった。
新合葬者一一一二名の方々の経歴は、例年通りに二〇字ほどの短かい文の一覧にしたものが配布され、そこで紹介されている。団員は弁護士の肩書きのほかに「自由法曹団千葉支部設立に参加、弁護士会長歴任」「兵庫県人権問題研究所理事」「(埼玉)労働運動、地域住民運動に参加」「自由法曹団滋賀支部結成。県議六期」「メーデー事件等で弁護活動」「関電・国労・長生園事件弁護団」そして「民主法律協会副会長・幹事長、労働弁護士」とそれぞれ簡潔に記されていた。あらためて安らかなる眠りを念じ、後に続くことを見守ってくださることを希いたい(合掌)。
遺族を代表して挨拶されたおふたりのなかに横浜法律事務所の小島周一団員がおられた。父上の故小島達司さんは教育と平和運動に八六才の生涯を捧げ川崎市長選への出馬など地元での活動も旺盛にされたことを厳粛かつ軽やかに述べられた。小島団員がかつて団の会合で弁護士に成ってすぐ経験した保育園の倒産事件について熱く話したことがしきりと思い出された。
参加者のなかに伴侶の加藤裕(ヒロ)さんをなくされた加藤啓二団員とご子息の英輔団員がおられた。啓さんは日本共産党の甲府市議を五期もつとめられた。啓二・裕ご夫婦は学生時代に救援会の活動をともにされたが、三・一八の催しにいかなる思いをお持ちになられたか。裕さんが団の全国集会に参加し懇親会での楽しそうにしていた姿が瞼のうらによみがえる。
春の予告を告げる風に誘われながら道すがら今年もにこやかに道案内に立っておられる佐藤誠一団員(救援会東京副会長)に感謝しつつ墓前に一輪の花を供えた。
一九三五年建立の無名戦士の墓は、当日配布の「経過報告」書に「特高警察が有刺鉄線を張りめぐらせて、お骨を埋葬することはおろか、花を捧げお参りをすることさえ弾圧しようと、厳しく監視しました」。往時の非常時は、永続化され強化されていった。二年後には国家精神総動員運動が行われ、そして法制定に至った。墓参という人間的で自然な感情の発露までも非常時のひとことで当然のように奪ってしまうばかりか、あからさまに敵視・弾圧するという酷薄と非道に塗りつぶされた暗黒の時代の記憶がここにある。戦時=非常時と平時はひと続きであった。自由と権利がさまざまな口実で危険にさらされるとき、それを許さないために普段からその自由・権利を守り有用に行使し、その水位を高くしていなければならないだろう。そのようなことを思いながら、墓地を後にした。