<<目次へ 団通信1576号(10月21日)
仲 山 忠 克 | *民弁米軍委ー自由法曹団沖縄支部平和交流会一〇周年特集* 平和交流会一〇年の経験を通じて今後を展望する |
日高 洋一郎 | 「一〇周年記念シンポジウム」について |
市 橋 耕 太 | THAAD(サード)配置反対集会に参加して |
相 曽 真知子 | 五・一八民主化運動に触れて |
緒 方 蘭 | 一〇周年記念晩餐会に参加して |
中 村 晋 輔 | 「連帯」と「継続」 |
松 島 暁 | 辺野古訴訟福岡高裁那覇支部判決を読む |
久保田 明人 | 「安倍政権の労働法制大改悪に反対する一〇・一四院内集会」を開催しました。 |
鷲見 賢一郎 | 安倍「働き方改革」といかにたたかうか!? |
大川原 栄 | 総会議案「労働者の権利擁護のたたかい」等について(上) |
中 島 晃 | 世界遺産・下鴨神社境内のマンション建設等の取消訴訟について |
馬奈木 厳太郎 | 原告本人尋問が終わりました 〜「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟 第二一回期日の報告 |
守 川 幸 男 | 日弁連福井人権大会での「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」についての感想と意見 |
菊 池 紘 | 一日一日が短かかった頃に (文集「弁護士千葉憲雄さんを偲ぶ」から) |
中 野 直 樹 | スキー場から百名山へー磐梯山(上) |
沖縄支部 仲 山 忠 克
一 大韓民国建国勲章を受章された弁護士布施辰治は、自由法曹団創立者の一人であり、その布施の朝鮮民族によせた精神は「友情・連帯」だといわれている。
私達の平和交流会が継続しえた推進力は、友情・連帯に信頼が加わり、沖縄支部にとっては布施の精神を現在に蘇らせ承継するものである。
二 駐留米軍基地に起因する事件・事故は、沖縄でも韓国でも同様に発生し、米軍基地は地域住民の人権侵害の温床であり、環境破壊の元凶であることは両国において違いはない。軍隊の本来的任務は軍事力による殺戮と破壊であり、軍隊のこのような性質が人権侵害等の発生源となることは必然ともいえる。
米軍基地による人権侵害等の救済活動は、韓国では民弁の弁護士が、沖縄では自由法曹団の弁護士が中心となってその役割を担っていることは、交流会を通じて確認できた。しかしいずれにおいても米軍基地が国策として存在している以上、私達の活動は国策への抵抗としての性質を帯びざるをえず、困難な闘いであることは共通している。
しかし、それが困難であれ、目前の不条理に対して果敢な闘いを挑むそれぞれの弁護士集団の知恵と熱き心情は、国境を越えて共感し共鳴し合う。そこに築かれたのが友情と連帯であり、闘うもの同志の信頼である。
三 私達は、基本的人権の擁護を使命とする弁護士集団として、人権侵害の温床となっている駐留米軍基地を含む軍事基地そのものの存在意義を問い質さなければならない。
軍事基地正当化の論拠は、平和は軍事力によって構築されるという武力による平和論であり、軍事力の誇示による抑止力論である。しかし、他者(敵国民)を殺害し、基地所在地の住民の人権や平穏な生活の犠牲の上に構築される平和は、共生を求める人権思想の進歩の歴史に照らして許容されてはならない。また抑止力論は、武力による威嚇を本質とするもので、国連憲章や日本国憲法において否定されたものである。
平和は平和的手段によって構築されるべきであり、他国民であれ自国民であれ、人間の存在と尊厳を否定する軍事力による安全保障は人間の安全保障制度としては背理であり、非人道的である。脱軍事力、武力によらない平和の構築を希求することこそが、人類史の進歩に求められる希望であり、人権擁護の確かな保障となる。その具体的到達点として制定されたものが日本国憲法九条であり、それこそが「くずれぬ平和」の確かな制度的保障であると確信する。それを自国のみならず国際社会に訴えることが、軍事力の支配により苦難の戦後史を経験している沖縄と韓国に居住する私達の使命である。
四 私達は弁護士集団として、本来的な職責である個別の人権侵害事件の救済のために、それぞれの国や地域において、今後とも不屈の精神をもって全力で奮闘しなければならない。そして事件の抜本的解決をはかるためにも、その背景にあり本質的原因である軍事力の支配する体制を打破するという変革の闘いを同時並行的に推進しなければならない。個別的救済と社会変革の闘いは、私達に課せられた車の両輪の闘いである。
但し、現在の世界情勢とりわけ軍事的緊張の高まる北東アジアの情勢に照らせば、軍事力の撤廃が短期的目標となることは事実上困難である。そこでその前段階として、例えばASEANにおける東南アジア友好協力条約やアセアン地域フォーラムのような、地域内での紛争予防と紛争の平和的解決を図るための地域的安全保障の枠組みを、北東アジアにおいても確立することが必要である。そのために私達の交流会はどのような役割を果たすべきか、どのようなことができるかについて、今後の課題にできれば幸いである。
【注】本稿は、シンポでの筆者の報告を要約したものである。
沖縄支部 日高 洋一郎
我々沖縄支部(今回は東京支部、神奈川支部からも数名、また、米軍被害者遺族の山崎正則さんにもご参加頂きました。)では、毎年韓国の民弁(民主社会のための弁護士会)と交流しています。今年は、一〇周年ということで、盛大なシンポジウムが開催されました。その名も「アジア平和構築に向けた日韓の役割」についてです。
開催場所ですが、韓国議員会館(!)の第二小会議室という、通常は立ち入ることの出来ない場所でした。この場所での開催が実現したのは、民弁の弁護士であったイ・ジェジョンさんが昨年選挙で当選し、国会議員になったからでした。小会議室とはいうものの、ホールのような非常に立派なもので、後方には通訳ブースもあり、参加者は皆小型の受信機を耳に装着し、同時通訳で内容を理解していきました。
午前は双方から、それぞれが抱える基地問題についての報告がなされました。「米軍基地による人権侵害の主要訴訟事例」というテーマについては、沖縄側から(1)辺野古新基地訴訟、(2)高江住民運動、(3)沖縄県の爆音差止訴訟について報告がありました。民弁側からは、(1)二〇一四年一〇月の第四六回SCM(米韓安保年次協議会)で二〇一六年に移転が予定されていた米軍基地の更なる残留を韓国政府が承認したことに対する「米軍基地残留承認処分無効確認訴訟」報告、(2)米国のMD政策の一環として推進される朝鮮半島のTHAAD配置の違憲性についての報告がありました。
「SOFAの緊急の改善課題」というテーマでは、沖縄側から、芥川賞作家の目取真俊氏が辺野古新基地建設の抗議行動中に、キャンプシュワブ沖数十メートルの海上で身体拘束され、その後八時間もの間法的根拠が不明のまま拘束され続けたという事件について、民弁側からは、(1)炭疽菌搬入事件、(2)ヨンサン米軍基地の環境汚染情報公開訴訟の報告がありました。特に(2)については、裁判所が国民の知る権利を重視し、また、透明な国政運営の必要性という観点から、環境部長官がおこなった非公開処分を取り消したにもかかわらず、その後も韓国政府は、類似の情報について、訴訟によらなければ情報を公開しないという態度をとり続けており、現在でも必要に応じて非公開処分取消訴訟を提起することを強いられているとの報告が印象的でした。
「市民交流を通して追及されるべき具体的方策」というテーマでは、本交流会の創始者である、仲山忠克弁護士、クォン・ジョンホ弁護士の二名から、この一〇年の歴史を確認し、今後我々の歩みをさらに質的に量的に発展・強化していくことの重要性が指摘されました。
午後は二つの基調報告を頂きました。
民弁側からは、イ・チャンボク氏(六・一五南側委員会常任代表議長)から、「北東アジアにおける平和構築に向けた韓国の役割」について、沖縄側からは、君島東彦立命館大学教授にお越し頂き、「六面体としての憲法九条‐越境する民衆はどのように軍事力を抑制するか」と題してお話を頂きました。
その後、アジアの平和構築に向けての意見交換(パネルディスカッション)を経て、最後に、「米軍基地被害を根絶し、平和な東アジアを建設するための共同宣言」を、民弁米軍問題研究委員会と自由法曹団沖縄支部の名義で採択しました。これまでの交流会では、このような宣言を行ったことはなく、一〇周年の節目に、これまでの活動の集大成と、今後の活動指針として、素晴らしい宣言が出来たものと自負しております。
アジアに平和が訪れる日まで、我々の交流会が続くであろうことを確信した一日でした。他支部の皆様にも、来年以降ぜひご参加いただければと思います。
以上
東京支部 市 橋 耕 太
シンポジウムの翌日、私たちはソウルを出発してまず全州(チョンジュ)に向かった。ここは、朝鮮王朝時代の文化が現在も各所に残っている歴史的な都市であり、私たちはその中でも伝統的な家屋や建造物が残っている観光地「全州韓屋村」を訪れた。伝統的な建物を利用して雑貨屋やカフェなどが営まれており、伝統文化とポップカルチャーが融合した不思議な空間だった。
この日のハイライトは、THAADの配置が予定されている星州(ソンジュ)でのTHAAD配置反対のキャンドル集会だった。THAADとは、ミサイル迎撃システムのことであり、アメリカのアジア太平洋地域における(主に中国・北朝鮮による)ミサイル防御体系の中核的な役割を期待されている。今年7月に星州の米空軍基地内に配置されることが決定されていたが、レーダーの電磁波による健康被害への懸念等を受けて場所を変更することになっていた。そして、シンポジウム当日(集会参加前日)に同じ星州の山間にあるロッテグループ経営のゴルフ場に配置すると発表された。
この反対集会には、驚かされることがたくさんあった。集会は一九時半頃から星州郡庁前の広場、つまり役所の施設内で行われており、この日で連続して八二日間も集会を行っていた。しかし、集会が進むにつれ、それだけ長期間続けられる理由が少しずつ明らかになる。
参加者は、紙コップに入ったキャンドルに火を灯し、それを片手に広場に並べられたいすに腰を下ろす。小雨が降っていたが、雨合羽といすのシートも一人一つずつ用意されており、丁寧な心配りが有り難い。この日は数百人が集まっていたが、それと同じ数のキャンドルが並んでいる姿は幻想的だった。
日本の集会と異なるのはそれだけではない。集会のはじめは前日の配置場所決定に関する情勢報告があり、「配置反対!」の声を皆で合わせるところ等は日本のそれとさほど変わらない。しかし、一通りの報告が終わると、ミュージシャンが歌を歌い、学生がかわいらしいダンスを踊り、風刺たっぷりの「パンソリ」(韓国の伝統芸能。太鼓の音に合わせて扇子を持った歌い手が歌う)が行われ・・・と、娯楽的なプログラムが満載だった。反対運動に賛同する人々から手作りのパンと飲み物が差入れられ、全員に配られ、会場は終始楽しげな雰囲気に包まれていた。楽しく運動をするという姿勢が伝わってきて、これは日本の運動も見習わなければならないと感じた。
集会の終盤で、自由法曹団と民弁を代表して、沖縄支部の仲山団員から連帯の挨拶が行われた。沖縄も米軍基地の問題を抱えていること、集会を行っている星州の人々に敬意を表すること、アジアの平和のために連帯を望むこと等が、力強い声と言葉で伝えられた。特に、「武力では平和を実現できない!」という確信に満ちた想いには、ひときわ大きな拍手が送られ、後に民弁の弁護士からも共感の声が寄せられていた。
THAAD配備の問題について、恥ずかしながら私は全く知らなかった。しかし、これは京都のXバンドレーダー基地の問題等と密接に関係し、日本と韓国が組み込まれたアメリカのミサイル防衛システムの問題として、一体として考えなければならない。日韓で取組まなければならない問題はこれだけではなく、これまでこの交流会は沖縄支部が独自に行っていたものであるが、参加者の誰もが自由法曹団全体として民弁との交流を持つべきであると感じたところだと思う。私からも、その必要性を強く訴えたい。
最後に、これまで一〇年間にわたってこの交流会を続けてきた沖縄支部の皆さまに敬意を表するとともに、今回東京から参加させていただけたことに感謝申し上げる。
神奈川支部 相 曽 真知子
韓国民弁との交流のオプショナルツアー二日目には、光州での五・一八民主化運動にまつわる様々な場所に案内して頂いた。
一九七九年、韓国では、一八年間続いた軍事政権時代が幕を閉じ、市民は長い間待ち望んだ民主化の実現を期待したが、一九八〇年、韓国では新軍部勢力が権力を掌握して軍事独裁政権が成立し、民主化への実現は阻まれた。光州市民らは同年五月、韓国に自由、民主、正義の権利を確立するため、新政権に立ち向かうべく、大規模な街頭行進(デモ)や集会等を行い、最終的には自ら武装して政府軍と戦った。
この抗争には、性別や年齢に関係なくたくさんの光州市民が参加し、とりわけ学生が多く参加した。抗争の間に一六五人の民間人が死亡し、行方不明者の届け出は四〇〇人以上、負傷者と連行者は四三〇〇人以上にのぼり多くの犠牲を生んだ。
このような市民らの戦いが、五・一八民主化運動である。
今回、五・一八民主化運動に関し、市民らが政府軍と対峙し、まさに抗争した現場である錦南路や、当時の文書、写真、及び映像が保管されている五・一八民主化運動記録館、運動の中で犠牲になった方々が安置されている国立五・一八墓地を訪問した。
写真や映像等の中では、当時の政権や軍が市民に対して行っていたあまりにも残虐な行為が明らかにされており、また何列にも何段にもわたってつくられている墓地をみて、犠牲者の多さを目の当たりにし、大変ショックを受けた。
しかしそれと同時に、そのような巨大な権力に立ち向かっていった市民の力強さや不屈の精神をありありと感じることもできた。また、五・一八民主化運動の中では、光州市民らが、握り飯の食べ物や物資をカンパしあって助け合っていたことも聞いた。周りの地域から孤立させられ、多くの犠牲が出るといった非常事態の中でも、互いを思いやり、協力し合っていく姿勢にとても感銘を受け、そのような思いやりや優しさが、運動を支えていることを実感した。
最後に五・一八民主化運動記録館で掲げられていた、印象的な言葉を紹介する。
‘Unremembered history repeats itself (忘れられた歴史は繰り返される)’
東京支部 緒 方 蘭
一〇月二日午後に光州(クァンジュ)を訪れた後、二一時から宿泊中のホテル「中興(チュンフン)ゴールドスパリゾート」の大広間にて、一〇周年記念晩餐会が行われた。
晩餐会は三日間の交流会の最後を飾る行事であり、民弁米軍基地問題委員会と団沖縄支部の一〇年間の交流を祝福し、今後の一層の発展を目指す内容であった。
笑いの絶えない楽しい会であり、テーブルには美味しいワインと韓国の焼酎、ビール、旬の果物、酒の肴が食べきれないほど並べられたが、何よりも印象に残ったのは、民弁と団沖縄支部が一〇年間の交流を通じて信頼関係を築き、互いを尊重していることであった。
晩餐会の前半では、ゲームが実施された。このゲームは、司会が団沖縄支部の先生の特徴を表すキーワードを日本語で三つほど挙げ民弁の先生方が該当する先生の名前を答え、同様に、司会が民弁の先生方の特徴を表すキーワードを韓国語で三つほど挙げ団沖縄支部の先生方が該当する先生の名前を答えるというものである。
このようなゲームが実施されるほど、民弁と団沖縄支部の先生方は互いの母国語をよく学んでいる。何名かの民弁の先生に聞いたところ、団沖縄支部との交流をきっかけに日本語の勉強を始めたそうである。私は参加前はてっきり民弁の先生方と英語で会話するものと思いこんでおり、英和和英辞典を旅行鞄に忍ばせてきたが、辞典は重たい無用の長物と化した。
晩餐会の後半では、参加者が前に出て自己紹介と交流会の感想を述べた。同時通訳付きで、時間をかけて思いを語る場をいただいた。これまであまり交流のなかった団の先生方のお話も聞くことができ、貴重な機会であった。
晩餐会の後も、二次会がホテルの一室で行われ、引き続き、参加者が自己紹介と感想を述べ、その後はそれぞれ会話を楽しんだ。民弁の先生方の中には、国家保安法に関する事件を担当して、昨年、検察から懲戒請求された方もいて、戦前の日本のような過酷な環境で活動していることがわかり、苦労が忍ばれた。二〇一四年一二月には、民弁とかかわりのある統合進歩党が、憲法裁判所によって強制解散させられている。二次会の話題は料理や韓国語の勉強だけでなく、政府による弾圧や日本の選挙制度にも及んだ。二次会は午前五時まで続いたようだが、私は前日も遅くまで交流して午前四時に寝たため、体力が限界を迎え、残念ながら午前四時で中座した。
今回の交流会での一番の収穫は、民弁の先生方との出会いである。民弁と団沖縄支部の間には、単なる友情を超えた強い信頼関係がある。この素晴らしい関係の根底には、それぞれ米軍基地問題に真剣に取り組んできた実績をもとに、一緒に東アジアの平和を目指して協力していく関係性があると感じた。
私は、参加前は、沖縄の基地問題を日本全国の問題として捉えて何かできればと漠然と考えていたが、今回の参加を通じて、基地問題や武力によらない平和の獲得を広く東アジアの課題として捉え、他国の法律家等と協力して取り組む必要があると感じるようになった。
来年は沖縄で一一回目の交流会が開催される予定であり、万難を排して参加し、今度はハングルで先生方と交流したいと考えている。
最後に。今回の韓国訪問の初日に、松島暁団員、市橋耕太団員とともに「ナヌムの家」を訪問した。初めてお会いするハルモニの皆さんを前にして、恥ずかしいことに私は自分が加害国の国民であることを意識してしまい、どう接していいかわからなくなって固まってしまった。次に訪問するときは、胸を張って「東アジアで二度と戦争が起きない取り組みをしています」と伝えたいと考えている。
以上
神奈川支部 中 村 晋 輔
一 韓国民弁と団沖縄支部の平和交流が今年で一〇周年ということで、他支部にも広く参加呼びかけをしていただき、神奈川支部の私も参加させていただきました。
国際シンポジウムにおける民弁からの報告に、在韓米軍部隊の移転問題、在韓米軍へのミサイル配備問題、米国防総省から在韓米軍施設への炭疽菌送付問題があり、在韓米軍が市民にもたらす弊害に対し、民弁が積極的に関わっていることに感銘を受けました。
また、記念講演をされた君島東彦立命館大学教授から、憲法九条の懲罰性というお話があり、韓国側のパネリストのお話から、日本の憲法九条改悪の動きに対する厳しい視線を感じることもできました。
民弁と沖縄支部が一〇年にわたって交流を継続してきたご努力により、素晴らしい国際シンポジウムが行われたと思います。
その日に行われた懇親会では、神奈川の米軍基地について話をさせていただきました。民弁の米軍委員会所属の弁護士から、神奈川にも米軍基地があることを知らなかったと声をかけていただきましたので、神奈川支部から参加した甲斐があったのではないかと思っています。
二 二〇〇六年一〇月二二日に和倉温泉で行われた団総会の神奈川支部企画において、同年一月三日に横須賀で米兵によって妻を殺害された山崎正則さん、神奈川支部の渡辺登代美団員、高橋宏団員のお話がありました。民弁のクォン・ジョンホ弁護士もこの神奈川支部企画に参加されていました。この神奈川支部企画がきっかけとなり、全国から多くの団員が山崎さんの弁護団に名を連ねました。
山崎さんの国家賠償請求訴訟では、沖縄支部の新垣勉団員と仲山忠克団員に応援弁論をしていただき、仲山忠克団員には、山崎さんを支援する会主催の集会で御講演いただくなど、両団員から大変心強いご支援をいただきました。
山崎さんの国家賠償請求訴訟は、二〇一三年六月の最高裁決定をもって終結となりましたが、日米地位協定に基づく米政府からの見舞金支払いに関する示談書の文言や日本政府が支払うべき遅延損害金の問題に関し、現在も防衛省と交渉中です。山崎さんは、事件から一〇年が経った現在においても粘り強くたたかっています。
神奈川支部に沖縄支部のような力量があるかわかりませんが、神奈川支部も民弁との連帯を進めることができれば良いなと思っています。
東京支部 松 島 暁
一 訴訟の性質―高裁判決の政治的位置付け
中国の膨張や北朝鮮の核・ミサイル開発という安全保障環境の変化に対しては、「力」によって対抗する、その為には日本固有の軍事力と日米の同盟力の強化が死活的利益=国家目標だとし、自衛隊の国軍化を含む軍事力の強化と日米のより一層の一体化と緊密化を推進するとしたのが二〇一三年一二月の「国会安全保障戦略」で、これを国家戦略として承認したのが二〇一四年七月一五日の閣議決定である。新ガイドライン策定(二〇一四年四月)や辺野古の新基地建設は、国家目標である日米同盟を維持・強化していく上での不可欠の柱であり、安倍政権が遂行する安全保障政策の根幹にかかわる重大プロジェクト、これが辺野古新基地の政治的意味である。
福岡高等裁判所那覇支部判決(九月一六日)は、安倍政権の進める国策としての新基地建設の必要性を、「乱暴」かつ「粗雑」に正当化しようとする試みである。
二 新基地建設「正当化」の論理
国家安全保障戦略の発表された一〇日後、仲井眞前沖縄県知事は辺野古の埋立を承認した(以下「仲井眞承認」という)。この承認行為を、二〇一五年一〇月、翁長現知事が県民意思を背景に取消した(以下「翁長取消」という)。国は一一月に埋立承認取消処分の取消を求める代執行訴訟を提起、翌年三月、代執行訴訟で和解するとともに沖縄県に対する是正を指示したものの、県がこれに従わないとして不作為の違法確認を求めたのが本件訴訟である。
高裁判決の第一の特徴は、「翁長取消」司法審査の対象として、その違法性を判断するのではなく、「仲井眞承認」が審査対象だとし、その「仲井眞承認」は違法でなく不当でもない、故に、これを取消した「翁長取消」は当然に違法だと判示した点にある。
先行する行政行為の成立に瑕疵がある場合に、同一の行政主体が職権で取り消しすことができることを前提に、いかなる条件であれば取り消しうるか等その制限が、これまでは論じられてきた。
和解で終わった代執行訴訟に際しても国は、昭和四三年の最高裁判決に依拠し、行政処分に瑕疵があっても原則、取消権は発生しない、取消しできるのは、きわめて例外的場合に限られると主張し、裁判所からも、行政処分に瑕疵ある場合には、原則として取消しできるが例外的にできない場合があるとする平成一六年の東京高裁判決が示唆されていた。いずれを原則とするかに違いはあれ、最高裁と東京高裁判決は、(「仲井眞承認」と「翁長取消」の)それぞれが一定の裁量権を有することを前提に、取り消す場合と取り消さない場合の諸々の利益を考量したうえで最終的に判断してきた。
本判決はこの枠組みを採用せず(付足し的検討は行っているが)、「仲井眞承認」については裁量性を肯定したうえで、その違法性・不当性を判断するとし、「翁長取消」の裁量性は認めず、「仲井眞承認」が合法・相当ならば、「翁長取消は」当然違法だとした。
もっとも、何故、専門性や政策的考慮の働く裁量部門について司法が介入し判断することができるかという問題性を意識したのか、判決は、「裁量権の逸脱・乱用に至らない場合は違法とならない。しかし、裁量という衣を取り払ってしまえば、それは法定の要件を充足しないにもなされた法令違反の処分ということもできる」として「裁量内違法」という新しい概念を創作し(判決一一四頁)、そのうえで、「仲井眞承認」がいかに「合理的」で「正当」なものかを国に成り代わって縷々開陳している。
三 国の主張を一五〇%採用した政治的判決
判決は、「前知事の判断の検討」として、沖縄防衛局が提出した「埋立必要理由書」の記載を二頁半にわたり引用した上で、「以上の記載内容は,前記認定事実に照らして,特段具体的に不合理な点があるとは認められず」、「被告の主張には理由がないことから・・・・・・埋立ての必要性があるものと認めるのが相当である」と、国の主張を丸呑みした(判決一二六頁)。
沖縄の地政学的位置付けについて、「南西諸島及びその周辺海空領域は,我が国の存立や安全保障の確保といった見地から,重要な戦略的・地政学的意義を有する領域であるところ,そのほぼ中央に位置する沖縄本島は,我が国の戦略的要衝として位置付けられる」と判示(判決一三〇頁)、海兵隊の役割について、「米軍海兵隊が,MAGTFとしての一体性を保持しつつ,我が国の戦略的要衝としての地理的優位性を有する沖縄県に駐留することは,我が国の安全保障のための抑止力として機能している」とし(判決一二八頁)、防衛白書とほとんど変わらない判断を示した。
普天間基地と辺野古新基地については、「普天間飛行場の被害を除去するには本件新施設等を建設する以外にはない。本件新施設等の建設をやめるには普天間飛行場による被害を継続するしかない」と(判決一三四頁)理不尽な選択を求めるもので、ほとんど「難癖」に等しい。
さらには、国と地方の関係について、「住民の総意であるとして四〇都道府県全ての知事が埋立承認を拒否した場合,国防・外交に本来的権限と責任を負うべき立場にある国の不合理とは言えない判断が覆されてしまい,国の本来的事務について地方公共団体の判断が国の判断に優越することにもなりかねない」と(判決一二二頁)。国策を正当化するために一生懸命考えたのであろうが、「小賢しい」論理である。すべての知事が拒否する事態を想定することの非現実性はさておくとして、すべての知事が承認を拒否する以上は、「国の政策がそもそも間違っているのではないか」、「ひょっとしてどこか無理があるのではないか」という想像力すら働かないほどに、この合議体は、国の政策を絶対視しオーソライズするに汲々としているのだ。
四 下衆の勘繰り?
判決は全文一八九頁の膨大なものである。提訴が七月二二日、第一回弁論が八月五日、一九日に結審、九月一六日判決、とても一月余で起案・合議・加筆修正できる期間ではない。提訴のずっと前から準備されていたに違いない。今年三月の代執行訴訟の和解は、国と県の一時休戦ではなく裁判所の執筆期間のためと考えるのは、「下衆の勘繰り」であろうか。
事務局次長 久保田 明人
一〇月一四日、参議院議員会館にて、自由法曹団主催で『安倍政権の労働法制大改悪に反対する一〇・一四院内集会』を開催しました。本集会には、労働者、弁護士、国会議員、マスコミ記者など五〇名が参加しました。
安倍政権は本年六月二日に閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」のなかで、多様な働き方が可能となるよう「働き方改革」を行っていくとし、そのために(1)同一労働同一賃金の実現など非正規雇用の待遇改善、(2)長時間労働の是正、(3)高齢者の就労促進を進めていくとしています。しかし、具体的な内容を見てみると、これらは労働者の立場に立ったものではなく、むしろ正規・非正規労働者の格差を固定化し、長時間労働をより一層招く危険をもつものです。
労働法制改悪阻止対策本部では、安倍政権の「働き方改革」に対して警鐘を鳴らすため、「安倍『働き方改革』を批判し、働くルールの確立を要求する意見書」を一〇月一二日に発表しました(同意見書は団ホームページからご覧になれますので、ぜひご活用ください。)。
本集会では、同意見書をもとに、安倍政権の「働き方改革」と本来あるべき働くルールについて討論・意見交換しました。
報告では、まず、鷲見賢一郎労働法制改悪阻止対策本部長から、安倍政権の「働き方改革」が、わずかな改善と引き換えに、「労働者全体の年収の引下げ」、「正規・非正規労働者間の格差の固定化」、「低額の最低賃金による貧困の固定化」、「限度時間を超える長時間労働」等を認める、ごまかしの「改革」であることが報告されました。
並木陽介団員からは、安倍政権の長時間労働是正策について、時間外労働の上限時間を過労死の労災認定基準を超えるものにし、上限時間規制に法的強制力を持たせないおそれがあり、むしろ長時間労働を容認する結果となることが報告されました。
現在導入が検討されている「解雇の金銭解決制度」について、青龍美和子団員から報告がありました。同制度は、解雇権濫用法理を緩和して解雇規制そのものを根底から覆すものであり、労働者の雇用保障を奪い、労働者の自己決定権を侵害することとなるので、検討自体を中止し、他国に比べて弱い解雇規制のさらなる強化が必要であることが報告されました。
各報告の後、参加者から各労働法制についての考え方や問題点、運動方法、労働現場での現状などについて、報告とは異なった視点からもご発言を多くいただき、活発な討論がされました。
また、集会では、労働法制中央連絡会の伊藤圭一事務局長から連帯あいさつをいただき、山添拓参院議員、高橋千鶴子衆院議員、福島みずほ参院議員からそれぞれ国会情勢についてご報告いただきました。
集会後、集会参加者が手分けして、衆参両議院の厚生労働委員全員へ要請に行き、労働法制の改悪をしないよう、また、もっと広く労働者・国民の声を聴くよう求めました。
本集会では、安倍政権の「働き方改革」が、わずかな改善と引き換えに、格差と低い労働条件を固定化して、企業が都合よく労働者を使用できるようにするためのごまかしの「改革」であることが確認され、あるべき働くルールの確立を求める運動の重要性が確認されました。
以上
東京支部 鷲見 賢一郎
一 「働き方改革」にかける安倍首相の意気込み
―衆議院選挙で改憲発議に必要な総議員の三分の二以上の議席の獲得をめざして!?
1 記者会見における表明
安倍首相は、二〇一六年八月三日の第三次再改造内閣発足直後の記者会見で、「その最大のチャレンジは、『働き方改革』であります。長時間労働を是正します。同一労働同一賃金を実現し、『非正規』という言葉をこの国から一掃します。最低賃金の引上げ、高齢者の就労機会の提供など、課題は山積みしています。今回新たに働き方改革担当大臣を設け、加藤一億総活躍大臣にその重責を担っていただきます。」と表明しています。
2 所信表明演説における表明
安倍首相は、二〇一六年九月二六日の臨時国会での所信表明演説で、「働く人の立場に立った改革、意欲ある皆さんに多様なチャンスを生み出す、労働制度の大胆な改革を進めます。」、「各般にわたる労働制度の改革プラン、『働き方改革実行計画』を、今年度内にまとめます。可能なものから速やかに実行し、一億総活躍の『未来』を切り拓いてまいります。」と表明しています。
3 安倍「働き方改革」を衆議院選挙の表看板へ!?
安倍首相は二〇一七年一〜二月に解散・総選挙をするではないかとささやかれています。
安倍首相は、衆議院選挙で、自公与党で改憲発議に必要な総議員の三分の二以上の議席を得ることをめざして、「働き方改革」を賞賛し、宣伝しているのではないのか!?このまま安倍首相の賞賛と宣伝を許していたのでは、自公与党が総議員の三分の二以上の議席を得ることを許してしまうことになるのではないのか!?そんな危機感を持たざるを得ません。
いま、安倍「働き方改革」の正体を明らかにし、対応策を確立することが急務です。
二 安倍「働き方改革」をどうみるか!?
―わずかな改善、大きなごまかし
安倍「働き方改革」は、(1)同一労働同一賃金の実現、(2)最低賃金の引上げ、(3)長時間労働の是正、(4)高齢者の就労促進の四つを具体的課題にしています。
1 同一労働同一賃金の実現は、一方で、非正規労働者に対する手当等の支払いを改善し、他方で、基本給や時給等の相違はそのままにし、正規労働者と非正規労働者の格差を固定化するものになる危険があります。
2 最低賃金の引上げは、全国加重平均が時給一〇〇〇円になるのは二〇二三年です。時給一〇〇〇円は、法定労働時間の上限とされる月平均一七三・八時間働いて、月一七万三八〇〇円、年額約二〇九万円です。これでは、貧困の固定化です。
3 長時間労働の是正は、労働省告示の限度基準で定める時間外労働の上限(一週間一五時間、一か月四五時間、一年間三六〇時間等)を大きく上回る上限時間を認める危険があります。これでは、長時間労働の固定化です。
4 高齢者の就労促進は、高齢者を働かなければ生活ができない状況に追い込み、劣悪な労働条件の下で働かせようというものです。貧困を固定化するものです。
5 わずかな改善、大きなごまかし
以上のとおり、安倍「働き方改革」は、待遇改善や長時間労働の是正等を言いながら、わずかな改善と引き換えに、格差の固定化、貧困の固定化、長時間労働の固定化を行うものです。「わずかな改善、大きなごまかし」が安倍「働き方改革」の性格です。
この点で、「安倍『働き方改革』は悪い所もあるが、良い所もあるので、良い所は実現させよう。」とか「安倍『働き方改革』は不十分なものだが、良い所は実現させよう。」という評価は、間違っていると思います。このような評価は、安倍「働き方改革」の「大きなごまかし」を見逃すことになると思います。
三 安倍「働き方改革」への対応策
―実践こそ重要!
安倍「働き方改革」とのたたかいでは、安倍「働き方改革」には「わずかな改善」と引き換えに格差の固定化等という「おおきなごまかし」があることを暴露するだけでなく、「男女差別や雇用形態による差別を許さない真の同一労働同一賃金の実現」、「時間外労働時間の上限や勤務間インターバルの法律による規制」等の「真の改善」を勝ち取る実践が重要です。
安倍「働き方改革」も「改善」を含んでいるだけに、「大きなごまかし」を明らかにするだけでなく、誰が雇用と労働条件の改善のために力を尽くしているかを、事実をもって明らかにすることが重要です。
四 おわりに
以上、安倍「働き方改革」とのたたかいについての私の問題意識を述べてきました。これらの点について、一〇月総会で議論できたらと思います。
自由法曹団は、一〇月一二日、「安倍『働き方改革』を批判し、働くルールの確立を要求する意見書」を発表し、ホームページにのせています。この意見書も是非お読み下さい。
東京支部 大川原 栄
一 市場経済原理と二重の基準(ダブルスタンダード)
「第七章 労働者の権利擁護のたたかい」に記載されている内容について異論はありませんし、基本的にはそのとおりだと思っています。
ただ、そこで論じられているものの中心は、いずれも現在の立法等に対して「反対」の立場を表明するという内容となっており、「反対」ではない「提案」というものは、議案記載の「働くルール」の確立というものです。この議案で論じられる対象が国策としての立法等であることからすれば、それへの「反対」と抽象的な「提案」になることはやむを得ないのかもしれません。
団は、「あらゆる悪法とたたかい、人民の権利が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず、ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう」(規約二条)という目的を有しておりますが、団の方針は市場経済原理を前提にしつつその中での「人民の権利」擁護活動を行うものであると考えております。そして、その中の重要な柱の一つが「労働者の権利」擁護運動ですが、その権利擁護のために悪法反対運動と個別労働事件の解決を図る以外に、他に具体的が方策がありえないのだろうかと改めて考えています。
当然、労働者の権利擁護の中核になるのは労基法等を中心とした労働法制であり、その法制の内容が労働者の権利擁護にとって決定的な意味合いを持っていることを否定するつもりはありません。そして、このような法制度の実現をもたらした歴史的事実として、「労働者の運動」があったことも否定できないものであるとしても、私個人としては、市場経済原理そのものもその「推進力」の一つであったと思っています。
これは、いわゆる社会政策的意味合いを含むものであると同時に、企業・団体の中長期的発展(中長期提内合理的経営)のためには、労働者の勤労意欲を引き出す方策が不可欠であり、そのベースとなるものが労働関連法制の整備であって、市場経済原理そのものが「労働者の権利」擁護を必然的に必要としているという考えをベースにするものです。団提案の「働くルール」は、当然に企業・団体の存続・発展と両立するものであり、その提案は、労働者の権利擁護に合致するとともに市場経済原理(企業の中長期的発展)にも合致しているという考えです。
団員は、個人間・企業間・企業と個人間の「争い」という個別事件を通じて市場経済原理の「現実」を最もよく知っているはずです。このような状況下で、例えば、団提案の「働くルール」について、各団員が所属する事務所を含め、団員の依頼者・関係者である企業・団体にはどの段階でどのように適用されるべきだと考えているのでしょうか。おそらく少なくない団員は、団提案の「働くルール」について、「可能な範囲」においてではあったとしても、それを自分が所属する事務所や自分の依頼者・関係者である企業・団体に提案・実現していると思っております。
他方で、仮に自分の事務所や関係企業・団体にその「働くルール」について提案・実現しきれていない団員がいるのであれば、何故にそれを提案・実現しきれていないのかを素直に問いたいのです。中小企業において社長が労働者的に働き、また、慢性的に赤字の会社に対し、「働くルール」を適用するのは到底無理だ、現実的にありえないと考えているのでしょうか。そんなことを言ったら、顧問関係を解消されてしまうという不安があるから躊躇っている団員は流石におられないとは思いながらも、団提案の「働くルール」の適用を言い出せない理由について、それが多種多様なのだろうと想像しつつ、それぞれが抱えている本音の理由を真正面から問いたいと思っております。
団提案の「働くルール」を提案について、その運動を国政レベルだけではなく、まずはそれぞれの「身の回り」において「可能な範囲」で実現していくという「運動」の実践こそが、国政レベルの運動と同じように大事なのではないかと思っているのです。団と団員が、もしかすると団員の中に潜在しているかもしれない「二重の基準(ダブルスタンダード)」を確認・克服すれば、「働くルール」の実現が労働者の権利擁護のみならず企業経営の発展にも合致しているという実践例を全国各地で披露することができるのではないでしょうか。そして、その事実を「働くルール」の確立を推し進める推進力の一つにしていくという方向は、あまりにも「夢物語」すぎるということなのでしょうか。
二 「ホワイト認証」の薦め
私は、約三年前にブラック企業被害弁護団の一員から、「ブラック企業との闘いはモグラ叩きみたいなので、企業そのものを変える運動はありえないのか」という質問を受けたことから、ブラックではないホワイト企業を目指す「まじめな経営者」を支援する弁護士集団(=ホワイト弁護団)を立ち上げました。その時に、私が最初に思ったのは、経営者の立場に立ちつつそれを「ビジネス」としている方々に「ホワイト」という名称を使わせたくないということでした(私は、早速、「ホワイト認証」という商標を思いついてその商標登録を済ませました。)。
その後、紆余曲折がありつつ、約一年前からホワイト認証の普及運動を拡大させています(その背景にあるのは、「労働市場」における需給のアンバランスであり、労働力供給不足は景気動向に左右されることなく今後五年、一〇年と継続すると考えており、この事態は歴史的かつ決定的な出来事であると強く思っております。)。
ホワイト認証とは、各種労働関係法制に基づく社内労務管理規定等の整備状況、及びそれらの運用実態について、対象法人から独立したホワイト弁護団を含む専門家チームが一定の審査を行い(労務管理等のデユーデリジェンス)、対象法人の労働関係法制の遵守状況(労働環境)を審査する制度をいいます。労働者からのアンケートも同時に行い、それらの審査の結果、ホワイト認証基準に照らして、対象法人の労働環境に問題がないと判断した場合、対象法人はホワイト企業(団体)であると認定され、ホワイト認証を取得することになるという制度です。
このホワイト認証取得により、I経営者は、安心できる労働環境の整備状況等が客観的に認証されることによって新規雇用の確保や継続雇用の安定性の確保が実現でき、II労働者は、客観的に認証された安心できる企業に就労することにより、その意欲・能力が発揮できる効率的労働を実現でき、III安心できる労働環境による雇用は、会社の利益を生み出し会社の中長期的な経営発展につながり、IVホワイト認証のもつクリーンな印象は、利用者・消費者に安心感を与えて企業のブランド力・競争力を向上させる等々の効果を有するものです(そして、この制度は、労働者が企業・団体の就労段階のみならず利用(消費)段階でも企業を選別(セレクト)するという「ホワイトセレクト運動」を展望してます。)。
ホワイト認証の審査制度は、団提案の「働くルール」を経営者の立場から考えたものでもあります。この制度はあくまでも経営者の立場からのものですが、労働者的観点を堅持して行われるものであり、労働事件を労働者側で扱った経験を持つ弁護士こそがその審査に相応しく、より積極的にそれに関ってほしいと思っております。近々、「一般社団法人ホワイト認証推進機構」の設立も予定されており、全国的にホワイト認証運動が拡大すれば、団員の皆様のご協力が不可欠になると思っておりますので、その時には宜しくお願い致します。(続く)
京都支部 中 島 晃
一、世界遺産・下鴨神社の境内で、世界遺産のコアゾーンにあり、神社の東側、泉川と道路でへだてられていた空地に大型倉庫を建設する計画に対し、近隣住民が提起した建築確認の取消を求める裁判の第一回期日が、二〇一六(平成二八)年七月二六日京都地裁で開かれた。
この日の法廷で、被告京都市の代理人から、大型倉庫の工事取りやめ届が提出されたことが明らかにされた。下鴨神社をとりまく糺(ただす)の森をこよなく愛し、その自然的歴史的環境を守ることをめざして、ねばり強く運動に取り組んできた地域住民の努力が、ようやく報われることになった。
もっとも、神社は、大型倉庫の建設を完全に断念したわけではなく、規模を縮小して大型倉庫を建設したいとしており、なお予断を許さないものがある。
二、一九九四年に世界文化遺産に登録された「古都京都の文化財(京都市、大津市、宇治市)」の一七の構成資産の一つである、下鴨神社の境内、糺の森の一角に分譲マンションの建設計画が発表されたのは、二〇一五年三月初めのことであった。
神社側は、二一年毎に行う式年遷宮のための費用が募金などでまかなうことができなくなったとして、この費用にあてるために、糺の森の一部をマンション用地に提供して、年間八〇〇〇万円の借地料を受け取ると説明している。
これに対して、二〇一五年三月二〇日、京都・まちづくり市民会議などの住民団体が、京都市と下鴨神社に計画撤回等を求める申し入れを行い、これを契機に四月中旬には、「世界遺産・下鴨神社と糺の森問題を考える市民の会」が発足し、また、下鴨神社周辺の住民を中心に、マンション建設による糺の森の環境破壊に反対して、「糺の森未来の会」が結成された。
「市民の会」と「未来の会」を車の両輪として、マンション計画の撤回を求める申し入れや署名活動が取り組まれ、活発な運動が展開されている。
具体的には、一五年七月に、周辺住民一〇八四人による大型倉庫(マンション建設にともなう関連施設)の建築確認の取消を求める審査請求、一一月には福岡で総会が開催されたイコモス(世界遺産の登録審査を担当する国際NGO)本部への直訴、一二月にはJR西日本不動産開発の違法工事(風致地区条例違反)に対する告発、一六年一月には神社をとりまく街頭パレードなど、多様な取り組みが行われてきた。
三、二〇一六年に入って、マンション建設が動き出したことから、一六年二月七日、一一〇六人の住民によるマンションの建築確認の取消を求める審査請求、三月二三日、風致地区条例にもとづく京都市の許可取り消しを求める行政訴訟の提起(原告一二六人)と、次々と糺の森の破壊にストップをかけるために法的な措置がとられた。
また六月一七日には、冒頭でも紹介した大型倉庫の建築確認の取り消しを求める行政訴訟を提起し、さらに九月二〇日にはマンションの建設確認取消訴訟を提起するなど、法的な措置を取る一方で、糺の森を市民の森とする構想を発表して、その実現に向けて、市民の森構想検討委員会を発足させ、また下鴨神社ばかりではなく、世界遺産・二条城でも駐車場の設置計画が進行する中で、ユネスコの世界遺産センターに向けて、世界遺産の保護を求める国際緊急署名運動が始まるなど、さまざまな運動がねばり強く展開されている。
現在提起されているのは、(一)下鴨神社境内のマンション建設に対し、京都市風致地区条例にもとづく、樹木保存などの許可基準に違反することを理由とする、風致許可の取消しを求める訴訟、(二)大型倉庫が市街地調整区域に建設されることから、市長の建築許可不要の判断が誤りであるとして、建築確認の取消しを求める訴訟、(三)全部で八棟のマンションをエキスパンションジョイントによる渡り廊下で結んで、一個の建築物とすることが、一建築物、一敷地の原則に違反するとして、建築確認の取消しを求める訴訟である。
これらの訴訟は、いずれも景観・まちづくりに関する最新の重要な法律上の問題を争点とするものである。
四、世界遺産は、一九七二年ユネスコの第七回総会で採択された世界遺産条約(正式名称「世界の文化遺産と自然遺産の保護に関する条約」)にもとづくもので、文化遺産と自然遺産を次世代に伝えていくことを目的として登録されるものである。この条約の締約国は、現在一九二の国と地域で最多の国際保護条約であり、日本は先進国では最も遅い一二五番目の締約国となった。
世界遺産は、人類にとって「顕著な普遍的価値」を有するものであり、「締約国は、自国の有する全ての能力を用いて」、世界遺産を保存して「将来の世代へ伝えることを確保する」ために、「最善を尽くすものとする」(条約四条)とされている。
しかし、日本では、世界遺産を観光資源ととらえ、営利活動に利用しようという動きが強まっている。これは、世界遺産をかけがえのない歴史的文化遺産として後世に伝えていくことに逆行するものである。
今、世界遺産の普遍的価値を破壊してはばからない神社と、それを容認している行政を厳しく批判し、糺の森のかけがえのない環境の保存に向けて、地域住民の意気高い取り組みが進められている。
東京支部 馬奈木 厳太郎
一.秋晴れの期日
一〇月七日、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の第二一回期日が、福島地方裁判所において開かれました。この日、国と東電から新たな書面と証拠が提出されました。
国の書面は、裁判所から示された争点整理案の項目などについて意見を述べるもの(意見書)、中通りの検証結果について意見を述べるもので(中通りの検証結果に関する意見書)、証拠は、原子力工学を専攻する研究者が原子力工学分野における安全対策の考え方や本件事故前の安全対策の合理性などについて意見を述べたものです(意見書)。
東電の書面は、前回期日に提出した書面の賠償に関する訂正を述べるもので(準備書面一九別紙の訂正書)、証拠は二〇〇八年の津波試算の結果に関するものなどです。
原告側からは、二〇〇二年に津波推計を実施したとしても二〇〇八年推計に比べ「精度」と「信頼性」が劣るとし、二〇〇二年の時点で「長期評価」に基づく津波推計計算を行う必要性はなかったとする国の主張に反論し、補充の主張を述べるもの(準備書面四四)、被告らの各加害行為と損害全部との間に相当因果関係が認められ、また被告らの各加害行為について共同不法行為が成立することを述べるもの(準備書面四五)、尋問を終えた原告らの尋問結果や陳述書などに基づき原告らに共通する被害事実を主張するもの(準備書面・被害事実二)(準備書面・被害事実三)などの書面を提出しました。
当日は、絶好の秋晴れとなり、二五〇名を超える方が参加されました。かもがわ出版の松竹伸幸編集長、井上淳一監督、東京演劇アンサンブル、劇団さんらんなど常連のメンバーのほか、今回は岩波新書『ルポ母子避難』の著者でフリーライターの吉田千亜さん、詩人の中村純さんも駆けつけてくださり、傍聴席に入りきれなかった方々向けの企画では、仲里利信衆議院議員(沖縄四区)が「オール沖縄」の意義について語られ、こちらも大好評でした。
二.六回目の原告本人尋問
この日は、六回目の原告本人尋問となり、福島県や茨城県にお住いの七名の方がそれぞれ被害を訴えられました。
社交ダンス教室を経営し、地元の方々との交流を深めていたところ、事故によって「みんなの心の余裕がなくなり、ダンス教室に通うという行為自体ができなくなった」と事故の影響の大きさを訴える方、そば屋を営んでいたものの避難指示が出され、「積み重ねてきた私の幸せな人生が事故によってひっくり返された。お金で解決できるわけではない。元のふるさとが戻るまで被害は終わらない」と故郷への想いを語る方など、事故による生活変化や家族関係の変化がそれぞれの方から語られました。原告本人尋問の最後を飾った原告団長の中島孝さんは、三五人の原告が次の世代のために法廷に立った意義を強調。被害者がいまも生業、くらし、先行きなど見えない不安に立ち向かっていることを指摘するとともに、「国・東電は被害者の苦労をどれだけ理解しているのか。この被害に応えようとしているのか」と訴えました。
三.結審に向けて、そして第二陣提訴へ
今回の期日で、原告本人尋問は終了しましたが、六期日にわたる原告本人尋問を通じて、原告のみならず被害者全体の多様で深刻な被害を明らかにできたと考えています。
原発事故による被害は継続していますが、いまなお責任は取られず、被害救済も十分ではありません。最後の被害者が救済されるまで私たちのたたかいは続きます。本年一二月に予定されている第二陣の提訴はそのためのものでもあり、さらに声を広げていきたいと思います。
千葉支部 守 川 幸 男
―はじめに
私は日弁連の福井人権大会(一〇月七日)に参加して頭書の宣言(案)について、質問者として発言した。以下、その報告も含めた若干の補足を含めた感想と意見を述べたい。
私の発言は、提案者側と執行部に対する質問である。あわせて反対側の議論の立て方や討議の進め方についても意見を述べたが、残念ながら双方の議論のかみ合わなさの程度はかなりのものであった。
なお、宣言は約七割の賛成で成立した。
一.質問にあたって前おき
死刑廃止問題に注目が集まっているが、この宣言案は刑罰制度全体についてのこれまでの議論や実践の積み重ねを反映したものであり、死刑廃止問題だけの宣言でないことについて、マスコミ等も含めたていねいな説明や議論が必要である。反対する側も、この点について議論すべきである。
そのうえで内容について二つ、手続や進め方について一つ、質問する。
二.死刑になりたいためにあえて大量殺人をする人にとって、死刑の存置は抑止力どころかこれを誘発しないか、との論点
マスコミ報道を前提とすれば、日本でこの数年、このような事例が目立つようになっている。社会の反映でもあり、外国でも同様と思われる。これも死刑制度に反対する理由として主張されることがある。単純には言えないが、宣言案作成の過程で議論したのか。
(これに対しては、提案者側から、議論はしたが宣言に盛り込むのに適切な論点ではない、という趣旨の回答があり、了解した)
三.宣言案中の死刑の代替刑についての検討の提案と、提案理由中の仮釈放制度の形骸化の現状批判との整合性
前者は、仮釈放の開始時期を遅らせる重無期刑制度などの提案を含むが、提案理由の中では、多くの無期刑について仮釈放が保障されない異常な現状の改革についても述べている。これらは、違う場面についての提起であって理論的に矛盾しないものの、一見整合性がないように誤解されるので、ていねいな説明が必要である。
(なお、討論の中で、廃止反対論者に対する説得のためには、代替刑の内容として例外のない終身刑の提案をすべきであるという発言があった。これは、その限りでもっともな面があるが、単なる説得の技術論であること、宣言が、死刑問題に限定せずに刑罰制度全体に関するものとなっていて、罪を犯した人の更生をあくまで追求するという宣言全体の基調を損なうものであって正しくない)
四.議論が十分かどうか、出席者だけで決めてよいのかの論点
提案者側と執行部に対して、手続的な問題ないし会内民主主義のあり方に関して質問した。宣言案は当日配布され、私は事前にホームページ等は読んでいないので今朝しっかり読んだが、反対論者の言うように、事前の全会員への送付や委任状は認められていないこと、強い反論意見もあるから、なお議論が不十分であり、ていねいな説明が求められているのではないか。
(正面からの回答はなく、議論に入ることになった。そして、その後多数の賛否の意見があり、私は、この点と、これだけ強い反対意見のあるもとで採択してよいか迷い続けたが、反対論が、死刑廃止論の複数の論拠には答えず、心情的な発言が圧倒的だったことから今後も議論のすれ違いが埋まることはないと考えて、結局賛成した)
五.死刑廃止か否かは個々の弁護士の思想良心の問題である、日弁連は偏った正義の押し売りをしている、との意見について
これは、これまでの日弁連の活動の到達点を踏まえていない。三〇数年前の国家秘密法反対の日弁連総会決議の無効確認訴訟について東京高裁が指摘した弁護士法一条の観点から決議することはできる。
(これに対して宣言に反対の立場から二人の発言があった。人権侵害の悪法と死刑廃止問題とで、弁護士法一条の適用に違いがあるのであろうか、要検討である)
六.「被害者の人権」とは何か
発言しなかった論点であり、だれも指摘したことがないと思われるが、その後の発言を聞いての感想と意見である。
被害者の人権と加害者の人権を対立させる議論に対しては、宣言案が「刑罰制度の改革と犯罪被害者・遺族の支援とは別個の課題である」と指摘している。
これを踏まえつつ私がここで言いたいのは、ここで言う「被害者」とは、殺害されたご本人を指すのか、遺族を指すのかである。前者であれば、議論されているのは犯罪終了後の刑罰の問題なのである。すでに人権の享有主体性を失っている以上、人権の概念を容れる余地がない、という冷厳な事実であり、これを踏まえて、二度とこのようなことが起きないようにするにはどうすることが大切か、死刑制度の存置が絶対に必要か、という、法制家らしい冷静な議論のあり方である。
他方、遺族を指すと言うなら、将来に向けてその心身のケア、生活や経済的な支援をどうするかという、主として社会政策的な問題となる。また、ここで遺族の応報感情、報復感情だけを強調することが、様々な論点の総合判断を否定することにならないか、ということである。被害感情が苛烈であることは十分に想像できるし、私自身は殺人事件の被害者支援の取り組みをやってはいないが、だから発言できない、ということにはならない。むしろ、そのような者も含めてこそ冷静な議論ができると思う。
東京支部 菊 池 紘
自由法曹団員千葉憲雄さんは六月下旬に亡くなられた。一〇月四日の偲ぶ会では三澤麻衣子さんが司会をし、鶴見祐策さん、宮代洋一さん、田中敏夫さん、宮川光治さんらが心のこもったあいさつをした。奥様と子供たちの真摯なお話は二〇〇名近くの人びとの心を打った。これだけの人が集まったのも千葉さんの人柄をしたってのことであろう。
以下は文集「弁護士千葉憲雄さんを偲ぶ」に投稿した原稿である。
■上京して紀尾井町の司法研修所の門をくぐり四組の教室に入ると、そこには千葉憲雄、大森鋼三郎、高村よしあつ、南元昭雄がいたのだった。青法協の活動を共にし後に大阪で裁判官になった井垣敏生、小田耕治もいた。
私は一九六八年に弁護士になったのだが、時まさに文化大革命のさなか。その最初の仕事は中国書籍販売の大安書店の争議だった。毛沢東に盲従する社長と会社派は自主的な労働者を解雇放逐し、それに反対する社内の者に対しては凄惨な暴力をほしいままにしていた。
昼には千葉、大森と共に大安争議の裁判で法廷に出て、夕方からは本郷に行き赤門をくぐったことも多かった。私たちは平山知子とともに毎日のように東大闘争の弁護活動・防衛活動で教育学部に通った。また駒場にも通った。全共闘の暴力から代議員大会を守るなどの活動だった。夜になると時計台から全共闘の放送が「民青の弁護団は帰れ」などと大声で叫び、彼らが投げつけるビンが割れて、暗闇の路上で青白く光った。
■法廷で弁護団長の山根晃、千葉、大森らと代理人席に座って開廷を待っていると、傍聴席の会社側の支援者がいっせいに立ち上がり、赤い毛沢東語録を掲げて口々に「政権は鉄砲から生まれる!」「造反有理!」と唱和した。そして時にはどっと代理人席をとり囲んで「日共修正主義糾弾!」と叫んで気勢を上げた。
忘れもしない翌年一月、裁判所廊下で「イヌ!」などと怒号し争議支援の人びとにツバを吐きかけていた数十名が、それにとどまらず、私たちにいっせいに襲いかかった。特にその先頭に並んでいた五人の弁護士に対し、殴る、蹴る、ネクタイを力一杯引く、眼鏡をたたきとばすなど暴行の限りを尽くした。大森は眼鏡をとばされ、山根は下腹部を蹴り上げられ脂汗をうかべたが、大変だったのは、ネクタイを強く引かれ、そのために腱鞘炎の後遺症に苦しんだ千葉だった。このために千葉は長期にわたって苦労した。
■燃えていた二〇代のあの頃は一日一日が短かかった(千葉は三〇代になっていたが)。今日よりは明日、そしてその先には、よりおおきな進歩があると考えられた。
研修所の時期そして大安争議と東大闘争の頃は、毎日のように千葉さん、大森さんと行動を共にした。その後も千葉さんとは青法協や期成会の集まりで頻繁に顔をあわせた。そのうちにたまにしか会えないようになり、最近はめったに会わない。しかしこの間を通じて、年長の千葉さんは、私にとっていつも変わらず信頼できる兄貴だった。この五〇年をふりかえると、千葉憲雄さん、大森鋼三郎さんと激動の時期を共にしたとの思いが、今さらに深い。
神奈川支部 中 野 直 樹
猪苗代
五月七日、郡山から盤越西線に乗換え、快速電車で三〇分、中山トンネルを抜けると目の前に忽然と、陽光に輝く猪苗代湖が現れた。想定では、その先に磐梯山が凛々しくでんとかまえているはずだった。しかし、あいにく磐梯山の腰から上にガスがかかり、猪苗代スキー場のゲレンデがみえるだけであった。磐梯山は一八八八(明治二一)年に大爆発を起こし、北側に大量の溶岩流が流れて、集落を埋め、川を堰き止めて桧原湖、小野湖、秋元湖などを配した裏磐梯景勝地を造型した。
東京南部法律事務所の竹村弁護士と落合い、一〇時半過ぎ、表磐梯山登山ルート、実際にはスキー場ゲレンデを登り始めた。竹村さんとは、「生業返せ、地域を返せ!福島原発被害者訴訟」弁護団を共にしている。昨年は、白河の原告Nさんの尋問の準備を一緒にした。今年は、三月の浜通りの検証を実現し、明日は浪江町の避難者原告Sさんの尋問準備のために福島に向かう。その道草でここにいる。竹村さんは南部法律事務所山岳部のメンバーだそうだが、まだ山は仮免許段階のようだ。
歩き始めようとした途端に雨が降り出した。竹村さんはしっかりとゴアテックスの雨具を身につけ、私は汗をかくことを敬遠し傘をさしながらの歩みとなった。
芽吹きと残雪
今年は本州全体で歴史的な積雪不足で、ここのゲレンデにも雪のかけらもなかった。それでも春は未き、ゲレンデ下で芽吹き始めたばかりであった。磐梯山の山肌は、磐梯国際スキー場、猪苗代スキー場、猪苗代リゾートスキー場、アルツ磐梯スキー場、裏磐梯猫魔スキー場、裏磐梯スキー場とリゾート開発に浸食されている。
リフトの終点から猪苗代湖とまだ冬閑中の水田が展望された。小雨がやんだが、視界はここまでであった。私たちは、雲の中にある、本格的な登山道に入った。竹村さんは長い脚を延ばしてぐんぐん上っていく。私の歩幅ではとても追随できない。若いなと思う。ここには二つの意味がある。一つは、若く跳ねるような元気があり、到底かなわないなという思いである。もう一つは後で明らかになる。
地図には展望良いと記された天の庭は標識を確認できただけで、白い靄のなかを黙々と進んだ。やがて芽吹き前の裸木の間から残雪が見えるようになった。いったん平坦な道となり、鏡が池を通過した。その名から、磐梯山が池面に映し出されるのだろうと想像されるが、この日は池すら見えなかった。六〜七月期には高山植物の咲きほこるオアシスとなると解説されている池ノ平を過ぎると、左右の斜面は残雪に覆われ、やがて登山道も雪中に消えた。かなりきつい傾斜の雪面を左に大きくトラバースしながらの登りとなった。
事前の情報でアイゼンは不要だと言われていたし、竹村さんの靴ではアイゼンの装着はできない。残雪は固いが、氷雪ではない。私が先行し、靴先や靴底のエッジで雪面を切って滑り止めをつくりながら進んだ。転倒し滑り落ちても数メートル下のブッシュで止まるので大事に至る危険な個所ではないが、それでも身体的に痛いし心もへこむので、転ばないにこしたことはない。竹村さんに声をかけながら慎重に上った。(続く)