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酒 井 健 雄 事務局次長就任のご挨拶
増 田 悠 作 事務局次長退任のご挨拶
峯 田 勝 次 〜総会後の一泊旅行の感想〜
秋の定期総会後の一泊旅行
中 野 和 子 WIDF第一六回大会に参加して
石 川 元 也 団通信の有料購読者を広げよう
―購読料の思い切った値下げをー
高 橋   徹 「松原民商事件、一審判決の報告〜集会の自由と公園の使用」
中 野 直 樹 スキー場から百名山へー後方羊蹄山編(二)
小 部 正 治 【書評】「市民連合と野党共闘」を学ぶ
ー「つながり、変える 私たちの立憲政治」 中野晃一著



事務局次長就任のご挨拶

東京支部 酒 井 健 雄

 このたび次長に新任になった東京支部の酒井健雄と申します。
 お話しをいただいて割と気軽な気持ちで引き受けましたが、唐津総会で元次長(ただし任務から解放されていない)同期の森団員や横山団員に実情を聞かされたりし、次長の任務の重さと、西田先生などさらに上には上の任務を果たしている団員がいる!ことにおののきを感じた次第です。また、同じ代々木総合法律事務所で、長年にわたって団の労働問題委員会などで文字通り粉骨砕身(しながら非正規労働者の事件にも全力投球(しながら世の中の動きや権力・経営側のものの考え方などまで広く勉強))している鷲見先生のことを、あらためて凄いなと感じました。
 安倍政権の労働法制や憲法、戦争法制、社会保障………などなど全面的な改悪策動がますます強まる中で、しかし野党共闘が実現したり(トランプ氏がアメリカの大統領に当選したり!)とどう動くかわからない時勢のなかで、団本部の仕事にかかわることになった巡り合わせを感じながら、二年間頑張っていきたいと思います。
 一〇月三一日の引継ぎで、他の次長のみなさんと改憲対策委員会の担当に、また貧困委員会の担当になりました。二〇〇八年九月に弁護士になった直後にリーマンショック・派遣村があり、同じ事務所の貧困弁護士!の林先生に教えられるままに日比谷公園に出入りし、相談場所に行って相談しに来た人と間違えられたことなどを思い出し、巡り合わせを感じています。
 微力ながら頑張って貢献したいと思いますので、みなさんの(特に心強い同期の元次長『ただし任務から解放されていない』や事務所の方々)ご助力を得られましたら幸いです。ご迷惑をお掛けすることも多々あると思いますが、よろしくお願いします。


事務局次長退任のご挨拶

埼玉支部 増 田 悠 作

 佐賀唐津総会にて、本部事務局次長を退任しました。
二年間の任期は、過ぎてみればあっという間で、その間、長男が生まれたこともあり、振り返る暇も無く慌ただしく過ぎ去っていった印象です。とはいえ、改めて一つひとつの活動を振り返ってみますと、大変な場面もありましたが、普段の業務では経験し難いことを沢山経験し、強く印象に残っているものもたくさんあります。
 担当の教育問題委員会では、任期一年目に育鵬社教科書採択阻止にとりくみ、二年目は教育への政治の介入の問題にとりくみました。二年目からは改憲対策本部の担当にもなり、南シナ海でのアメリカと中国の覇権争いについて平和的に解決するよう両国大使館に申し入れに行ったことなどが印象に残っています(妻からは「最近、法律の文書を作っている姿を見ないね」との言葉をもらいました)。
 また、本部に来なければ無かったであろう出会いも沢山ありました。大阪修習時にお世話になった方々にも再会できました。本当に周りのメンバーに恵まれ、ハプニングが起こっても互いにフォローし合って仕事が出来たことはよかったと思います(二年間あると、骨折したり、肺に穴が開いたり(二人)など色々なことが起きるものです)。
 二年間、本当にお世話になりました。そして今後ともよろしくお願いします!


〜総会後の一泊旅行の感想〜
秋の定期総会後の一泊旅行

奈良支部 峯 田 勝 次

 一泊旅行は名護屋城址・玄海原発・有田・鹿島・佐賀空港を回りました。
 名護屋城址は秀吉の朝鮮出兵の根拠地のあったところですが、小高い丘と裾野の狭いところに秀吉の本陣や家康など多数の武将の陣屋が置かれていたそうで、正に夢のあとそのものでした。何を血迷って言葉も歴史や文化も異なる朝鮮や明国征服などを思いついたのか不思議でした。日本国内では人気のある秀吉も朝鮮側から見たら大悪人でした。
 玄海原発は四基の内稼働中の炉が二基、残り二基は休止中で再稼働を目論んでいるそうで、実物大の原子炉の模型などを展示した記念館を見学しました。地震で事故がおきたら目の前の玄界灘に浮かぶ島に住む人はどこに避難させるのかと不安でした。地元説明員からは原発交付金の使途は限定されており、小さな玄海町が指定された箱物を作るのに苦労している、といった笑い話も聞けました。玄海町だけは平成の大合併に応じなかったそうです。
 有田は秀吉軍が連れ帰った朝鮮の陶工が磁器となる鉱石を有田地方で発見して一大磁器生産地となったところで、柿右衛門さん宅の柿の赤色を出すのにご苦労があったそうです。工房に展示された五〇〇万円もする壺を見ても、美しいなと思うだけで門外漢の私などには値打ちはさっぱり分かりません。
 鹿島は有明海の湾奥に位置し、干潮と満潮の干満差が九メートルにも及ぶと聞いてびっくりです。広大な干潟を埋め立て農地や佐賀空港が出来ていました。諫早湾干拓地は有明海の入り口の方ですが、米余りの昨今一旦始めた公共工事を止められない悲惨さが思い浮かびました。干潟でのどろんこスキーは楽しいそうです。
 佐賀空港は一県一空港等というばかげた航空政策のため広大な農地の真ん中に出来ていて便数も少なく赤字空港そのもので、地元の人も一時間余りで行ける福岡空港の方が便利でこちらを利用するそうです。この空港がいま注目されているのはオスプレイの配備が準備されていることです。対応している弁護団の苦労が分かります。


WIDF第一六回大会に参加して

東京支部 中 野 和 子

一 はじめに
 今年九月一四日から一八日まで、国際民主婦人連盟(WIDF)第一六回大会がコロンビアの首都ボゴタで開催されました。団女性部は、WIDFに加盟している日本婦人団体連合会(婦団連)の構成員であり、婦団連はアジア地域の執行委員であるため、柴田真佐子婦団連会長とともに参加してきました(英語通訳同行)。
 WIDFは、一九四五年一二月一日、パリで結成された国連NGOである。結成当時は四四か国の代表が集まり、恒久平和と子どもの幸せ、女性の解放のために、ファシズムと戦争に反対してたたかうことを目的とした団体です。一九七五年の国際婦人年を最初に提案した団体でもあります。
 婦団連は、新日本婦人の会や全労連女性部を含む二三団体九〇万人で構成される女性団体です。結成以来六〇年以上、女性の地位向上、核兵器廃絶、平和を求める活動を行ってきました。団女性部の役割は、核兵器禁止条約を実現すること、「被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」を世界的に取り組むことを呼びかけ、米軍基地が沖縄に集中しレイプなどの被害があることを知らせることでした。
二 核兵器禁止条約交渉の開始と核廃絶署名活動について
 今年八月一九日、国連核軍備作業部会は、核兵器禁止条約の交渉を来年から開始することを国連総会に勧告する報告書を採択しました。二〇一七年の交渉開始には、国連加盟一九三か国の過半数を超える一〇六か国の支持がありました。これは長年にわたる世界の核廃絶運動が実を結んだものだと確信しています。しかし、米、露、英、仏、中の核保有五か国及びその同盟国、とくに日本政府が、核兵器禁止条約の交渉開始に反対しています。
 「被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」は、これまでもWIDFの皆さんに協力してもらっています。国連で必ず核兵器禁止・廃絶条約が採択され、核兵器の所有自体が違法となるよう、国際世論と運動の強化が必要です。「被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」を世界各国で取り組んでいただきたいと呼びかけました。
 大会中も、ブース(机ひとつ)借りて、千代紙で折り鶴を折りながら、片言のスペイン語と英語で呼びかけて、何十筆も集めることができました。
 なお、「被爆者」という言葉はまだ世界共通語ではなく、ヒロシマ・サバイバーなどと言うと理解してもらえました。
三 世界各国の女性たち
 大会には、アジア地域では、ベトナム、北朝鮮、フィリピンから参加がありました。
 ベトナムでは米軍が撒いた一〇〇〇万リットルの枯れ葉剤の影響が未だにあること、気候変動の影響で旱魃になっていることを訴えていました。北朝鮮は核兵器保有国と認めてほしいと主張しましたが、保育の状況について聞くと、どこの職場でも保育所がありキム・イルソン主席が「女性の力を社会の進歩に振り向けることが大事である」と位置づけたことを説明していました。フィリピンは、「ガブリエラ」という組織の代表ですが、自ら保育所を運営したり、貧しい子を保護したり、米国、豪、日本、香港、UAE、イタリー、カナダなど移民のいるところに支部をもつという大きな団体です。フィリピンでは、失業率一八%、女性の貧困率二五%に達しているそうです。フィリピンでは法律では女性も土地所有を認められていますが、慣習として女性が土地を所有することはできないので、これを変えたいと言っていました。
 南米の女性たちやアフリカの女性たちは、本当に元気で、女性国会議員なども参加していました。
四 コロンビアの和平交渉について
 偶々、コロンビアが大会直前の九月一二日にキューバで和平案に合意ができた時期でしたので、コロンビアでは、一〇月二日の国民投票を控え、国民投票で賛成票をという運動が子どもたちを含めて活発に行われていました。非常に希望に満ちた雰囲気でした。
 ところが同時に、和平反対のデモも起きていたのです。
 和平交渉の相手方は、FARCですが、FARCには、戦闘組織だけでなく社会厚生組織があります。FARCとの五〇年以上の戦闘で、二二万人が亡くなり、六万人が行方不明になっています。しかし、コロンビアは山岳地帯が国土の大部分を占めるので、政府の福祉も行き届かず、経済的な大きな格差、貧困があります。FARCは、これまでのコカイン栽培を止めて新しい作物や民芸品の販売など新しい経済の発展と子どもの教育などを担っていくことが期待されています。コカインは精製技術が必要で、単に栽培しただけでは大した収入にはならないそうです。
 そして、実は、戦闘組織はFARCだけでなく、小さい戦闘組織がまだ多く存在しており、そちらへの働きかけがこれから模索されていたところです。
 国民投票では和平案は否決されましたが、サントス大統領はノーベル平和賞も受賞し、今後も和平交渉は継続されます。確かに多くの人が殺されたことは違法であり裁かれるべきということも理解できますが、できるだけ早く合意できることを願っています。
五 女性部員の国際活動について
 今回、これまで全く参加してこなかったWIDF大会ですが、他の女性団体はどこも費用捻出が困難ということで急遽、団女性部から参加することになりました。
 それほど交流ができたというわけではありませんが、今後、国連での会議や世界の女性たちとともに人権活動ができるよう、女性部では婦団連が参加している国際会議や女性の地位向上のための国連の会議に出席するための費用を支援することにしました。
 視野を広げるために、是非活用していただければと思います。


団通信の有料購読者を広げよう
―購読料の思い切った値下げをー

大阪支部 石 川 元 也

 団通信、一一月二一日号は読み応えがあった。何と言っても、鶴見祐策さんの「大先輩の関原勇さんの思い出」がすばらしい。蛇足を加えれば、関原さんは三期、石島泰、竹澤哲夫さんらと同期でかっての東京合同法律事務所仲間、享年九一歳であった。そのほかの投稿も、多面的で、団員の活動のひろがりを感じさせるものであった。
 そこで、この投稿を思い立った。団通信は、団内の絆であるだけでは決してない。今月一二日、二年先輩の井戸田侃立命館大学名誉教授の米寿のお祝いの会には、多くの関西の刑事法学者が集まった。久しぶりに三井誠神戸大学名誉教授におあいした。三井さんから、「自由法曹団通信」は面白かったが、有料化に伴ってやめてしまった、大阪弁護士会の図書室で目にすることにします、といわれた。二〇年余り前になるが、私が団長になったとき、ご祝儀がわりに団通信を取ってくれと、二五人ほどの人に有料購読者になってもらった。しかし、年間購読料が、一二、〇〇〇円というのでは、殆どの人がつづかなかった。いま、全体で何人の有料購読者がいるであろうか。また、弁護士会の図書室に備えてもらうよう、送っているであろうか。
 そこで提案である。有料購読料を思い切って値下げしてもらえないか。年間六、〇〇〇円、或いは七、二〇〇円ぐらいが上限ではなかろうか。団通信を愛する団員が、まわりの人に広げやすくしてほしいのである。製作実費に郵送料などがまかなえればいいのでなかろうか。ともにたたかう各層の人々や或いは学者・研究者そして弁護士会の役員・会員らに喜んで読んでもらえたら、こんなにうれしいことはない。そして、その広がりを意識して投稿していただいたら、いっそう充実したものになるであろう。
ちなみに、国民救援会発行の「季刊・救援情報」は、約四〇ページの冊子で、四〇〇円、年間一五〇〇円(郵送料二八〇円)という安さである。
 広報委員会の議を経て、常任幹事会でも論議してほしい。


「松原民商事件、一審判決の報告〜集会の自由と公園の使用」

大阪支部 高 橋   徹

一 事案の概要
 平成二八年一一月一五日、大阪地方裁判所堺支部で、有意義な判決を勝ち取ったので、報告します(大阪地方裁判所堺支部平成二六年(ワ)第一五〇六号損害賠償請求事件)。
 事案の概要は、以下のとおりです。松原民商は、創立五〇周年を記念して、民商まつりの開催を計画し、松原中央公園の使用許可を申請しました。この民商まつりは、式典や、音楽演奏、模擬店、子ども遊戯のアトラクションを中心とした、文字通りの記念まつりの予定でした。これに対し、松原市が公園使用を不許可とする決定をしたため、民商まつりが開催できなくなりました。不許可の理由は、市の後援等承認がなく、公園の管理上支障があるというものでした。そこで、松原民商は、不許可決定の違法を主張し、準備費用相当額の財産的損害、信頼や名誉の低下等の非財産的損害の賠償を求め、松原市を被告として、国家賠償請求訴訟を提起しました。
 少し背景事情を説明しますと、松原市には、都市公園条例があり、公園の独占使用は許可制ですが、不許可事由として、(1)公序良俗違反、(2)暴力団関連、(3)公園管理上の支障の三つを定めています(多くの地方自治体で同様の定めが置かれていると思います)。これらの不許可事由に当たらなければ、公園の独占使用も許可されるはずで、これまでも公私の団体が種々のイベントを開催してきました。ところが、平成二五年頃から、市は民主団体の公園使用に難色を示すようになり、平成二六年には、都市公園行為許可審査基準という内規を変更し、公園使用の許可要件として、市の後援等承認を得ることを付加しました。これにより、市の後援等承認を得ないと、公園使用が許可されないという仕組みができあがりました。その後は、市当局が気に入った団体は、市の後援等承認を得て、公園使用も許可されるのですが、市当局の気に入らない団体は、市の後援等承認を得られず、公園の使用も認められないという事態となりました。松原民商などは、市長による公園の私物化であると批判をしてきたのですが、本件訴訟を契機として、公園を市民の手に取り戻すためのたたかいに打って出たのでした。
二 本判決の概要と評価
 本件訴訟の中心的な争点は、不許可決定の違法性です。市民に公園使用(独占使用)の権利が認められるか、どのような場合に不許可とされるのか、公園使用の許可要件として市の後援等承認を要件とする仕組みの是非などが問題となりました。
 判決は、まず、松原中央公園が地方自治法二四四条にいう「公の施設」に当たり、市は正当な理由がない限り、住民がこれを利用することを拒んではならず、その利用について不当な差別的取扱いをしてはならない、と判示しました。松原中央公園の位置関係や面積、利用実績をも考慮した妥当な判断です。
 その上で、「管理者が正当な理由もないのにその利用を拒否するときは、憲法の保障する集会の自由の不当な制限につながる」として、市民による公園使用を集会の自由にかかわる重要な憲法上の権利と位置づけました。
 そして、不許可事由の一つである「公園管理上の支障」については、支障が生ずるとの事態が、許可権者の主観により予測されるだけでなく、客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測される場合に限られると厳しく限定しました(このような判断は、会館の使用に関する泉佐野市民会館事件の最高裁判決(平成七年三月七日判決)や上尾市福祉会館事件の最高裁判決(平成八年三月一五日判決)、都市公園の使用に関する琉大学生会事件の一審判決(那覇地裁平成八年三月二八日判決)と同様です)。
 市は、公園の独占使用により、近隣住民の随時利用が妨げられ(松原中央公園は、近隣公園にあたり、近隣住民の憩いの場でもある)、これが公園管理上の支障の有無や程度に関わるから、市の後援等を得られるような特別な理由がある場合に限り、公園の使用が許可されるなどと主張していましたが、判決は、松原中央公園を集会による使用に供することは、公の施設の使命として、当然に想定されているとした上、随時利用への支障が一定程度生じるとしても、通常想定される範囲を超えるものではないから、公園管理上の支障が生ずるということはできないとして、市の主張を排斥しました。近隣住民による随時利用の利益をも考慮しつつ、通常の利用形態であれば公園管理上の支障は生じないとした、合理的な判断です。
 さらに、判決は、公園使用の許可要件として、市の後援等承認を要するとした仕組みについて、後援等承認の要件は公園管理上の支障があることを徴表するものではなく、むしろ後援等承認を得られなかった者は公園使用の許可を得られないこととなり、集会の目的や主催団体の性格そのものを理由として、使用を許可せず、あるいは不当に差別的に取り扱う危険性をはらむ余地があり、運用次第では、問題がある仕組みであると警鐘を鳴らしました。
 かくして、判決は、民商まつりについて、公園の管理上の支障が客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測されなかったとして(当たり前ですが)、不許可決定を違法であると断じ、民商まつりの不開催による有形無形の損害として、市に八〇万円の賠償を命じました(執筆時点では、控訴期間中)。
三 本判決の意義
 前述の那覇地裁判決を除き、集会の自由と公園使用については、会館使用の場合とは異なり、あまり良い判決に遭遇しません。本判決は、市民による公園使用を集会の自由にかかわる重要な権利と位置づけ、正当な理由がない限り、これを許可しなければならず、通常の利用形態であれば、広く公園使用が認められるとした点で有意義です。
 また、本件訴訟の中で知ったことですが、公園使用については、複数の地方自治体において、何らかの制限的な条例や内規を設けているようです。例えば、京都市は、都市公園内行為許可基準という内規を設け、専ら政治的な行為を行うことを目的としていないという要件を設けています。熊本県合志市は、都市公園条例において、政治的活動に使用することを禁止しています。千葉県も、審査基準という内規を設け、都市公園で興行(まつりもこれにあたるかも知れません)を行う場合は、地方自治体等の後援等を要件としています。松原市も、審査基準において、政治的な活動を行うことを不許可事由の一つとして列記しており、政治的なスローガンを掲げた集会については、公園使用が許可されない可能性があります(これは今後の課題となるでしょう)。
 地方自治体の中で、批判勢力や、当局が気に入らない団体の公園使用を制限する風潮が広がっていることに驚いたのは、私だけではないでしょう。本判決がこのような悪風を打ち破る一助となれば幸いです。
 なお、担当弁護士は、南大阪法律事務所の松尾直嗣、岩嶋修治、長岡麻寿恵、遠地靖志と私の五名です。

以上


スキー場から百名山へー後方羊蹄山編(二)

神奈川支部 中 野 直 樹

ガスに包まれた出発(続き)
 二七日朝七時に真狩登山口を出発した。標高四〇〇から一八九八メートルまでの標高差一五〇〇メートル、往復コースタイム七時間三〇分の登山ルートである。円錐形の独立峰に四本の登山ルートがあるが、自動車に戻る関係でピストンをするしかない。雨は降りそうもないが、山全体がガスのなかにあり、不満顔での出足となった。入口はキャンプ場となっており、金刀比羅宮の側に、地元の農民歌人の石村北泉の農民歌を刻んだ顕彰石碑が脈略もなく立っていた。
シラネアオイの大群落
 エゾマツ、トドマツ林から一時間ほど歩くと、広葉樹林に変相した。二合目半の印を過ぎて一〇分ほど歩くと、左手の道端にシラネアオイ(白根葵)の花が目をとらえた。三〇センチメートルほどの茎から、淡い紅というか紫色の大輪が、はにかむように少し俯き加減でこちらを見ている。四枚の花弁に見えるものは、実はがく片らしいが、葉の新緑色にほのかに浮かびあがる。その楚々とした色気に魅了される。朝露にしっとりと濡れているところもよく似合う花だ。二人ともカメラを取り出し、そこから二〇〇メートルほどの間、夢中の撮影会となった。シャッターを切っているときにはいっぱしのカメラマンになった気分であるが、下山後にみる画像で納得のいくものはほとんどない。花の撮影は難しい。
霧中
 一〇時、六合目を過ぎたあたりから樹林がまばらとなり、斜面を斑にしている残雪が見え始めた。やがて雪を踏みしめる歩きとなり、一一時、九合目の分岐から避難小屋に向かった。山頂はガスに包まれている。浅野さんは、しきりに、天気予報によれば晴れるはずなのだがと、うらめしげに空を見上げる。上空の気流がすごい勢いで雲を飛ばしている。時折、青空がのぞくがすぐ隠れてしまうめまぐるしさだ。
 小屋はまだ積雪期の避難小屋の状態で、はしごを使って高い位置にある入口から中に入った。ここで昼食をとりながら、待つことにした。湯を沸かし、カップ麺に注いだところ、荷の中で容器に亀裂が入っていたようで、注いだ湯がそのまま漏れ出し、ちょっとした騒動となった。
紺碧の空
 待つ作戦が当たった。一二時を過ぎたときには別天地となっていた。小屋を出て四〇分ほどで火口周回道に着いた。途中の山道に、木の実の種が混じった黒い糞の大きな固まりがあり、ギョッとした。熊!思わず周囲を見回した。羊蹄山にはヒグマはいないと聞いているが。
 火口中央部には、雪を含んで氷結している、鈍いライトブルーのお釜が見えた。その周囲には残雪が残り、これが差し込む陽光で、岩やはい松の色と変化に富んだ色彩遊びを創り出し、美しい。この時期とこの気象条件ならではの自然の芸術だった。
 浅野さんは、既に昼食のときに缶ビールを飲んでしまっていた。そこではがまんした私は缶ビールを残雪に埋め、火口縁巡りを終えた後の乾杯用とした。
三六〇度の大展望
 左回りで火口縁を回り始めた。やせた岩場歩きだ。眼下には農地が広がり、その向こうには支笏湖が存在感を発揮している。右が樽前岳(二百名山)、左が恵庭岳だろうか。北東にはルスツ高原スキー場が見えるが、これはずいぶん標高が低いことがわかった。その遠方には、定山渓を取り囲む無意根山、札幌岳、空沼岳と思われる山塊が遠望された。そしてぐっと手前に、すっかりおなじみとなったニセコアンヌプリ、イワオヌプリ、ニトヌプリと連なるというか、扁平な台地になっている山塊が残雪を光らせながらかまえている。ここでも写真を撮りまくったが、目にしたときの感動を伝えるような一品はなかった。陽が高いときの山の写真は難しい。
 すっかり堪能した二人は、仲良く一本の缶ビールを分け合って、お天道様に感謝の乾杯をして下山に向かった。
余話
 二人とも五月集会プレ企画に参加した後の夕刻、札幌の肘井博行弁護士の車で札幌市内の繁盛店に入った。既に内田信也弁護士が腰かけていた。この四人は三八期仲間だ。そこに小倉の荒牧啓一弁護士も加わった。荒牧さんは肘井さんの大学の後輩である。美味いカニを食べ楽しい語りの時を過ごし、夜は三人で肘井さん宅に泊めてもらった。(終わり)


【書評】「市民連合と野党共闘」を学ぶ
ー「つながり、変える 私たちの立憲政治」 中野晃一著

東京支部 小 部 正 治

 今年の団東京支部のサマーセミナー(八月二六日・二七日、熱海)のメイン講師は上智大教授・中野晃一氏。「改憲阻止に向けた市民運動と野党共闘のこれから」とのテーマで昨年来の市民運動の根底に流れる思想や参院選における市民連合の戦略と結果、さらなる野党共闘の深化などに関して話が進められた。
 シールズの学生たちの具体的な活動や、学生にとどまらず学者・弁護士・ママなどがその「属性」を明らかにして積極的に立ち上がった背景、野党共闘の接着剤としての役割と共闘の意義など、渦中にいてキーパーソン的役割を果たした人ならではの興味深いものであった。全国各選挙区ごとに来るべき衆院選では本物の「野党共闘」を実現するために多くの人に聴いてもらいたかった。
 そう思っていたら、友人の田中章史さん(元自治労連役員・現東京憲法会議事務局)が聞き手となってこの本が緊急出版された。大月書店と協議して文章にしていると情勢に間に会わないのでインタビュー方式にしたという。むしろ読みやすく理解しやすいと感じた。サマーセミナーでの話を改めて確認できた。私が気に入った頁をいくつか紹介する。
シールズ・・「戦争法への反対の根底に、個人の尊厳が守られ、育まれる社会を作りたいという願いがあることが、・・、若い人たちの声として出てきた。」「誰かやれよと他人を批判するのではなく、自分に出来ることを見つけ出してやっていく。自分たちと違うやり方をする人たちがあっても、それを批判するのではなく、連帯できるところは連帯していく。」(六六頁)
互いのリスペクト・・私が、『敷き布団と掛け布団』に例えてうちの『敷き布団』に当たる運動団体や世代の方々に対しては、基本的にはリスペクトしかないのです。(七九頁)
主権者意識に根ざした育む運動・・「政治の運営を委託した代理人が暴走しているときに、本来の主権者である人たちが姿を現すことによって、代理人の存在を無効だと言っている。」「主権者意識が非常に強まり、私たちの政治なのだから、私たちが担い続けなければいけないという意識が芽生えてくる。」(一二〇頁)
市民革命的な状況・・現在のような尊厳を踏みにじられた状況の下で、普段はおとなしく、政治的なものを避けがちな日本人も「おかしい」と声をあげ、それに対する連帯が広がっていくということは、まさしくフランス革命に代表される、社会が民主化されていくときと同じようなダイナミズムが、いま起きていると言えるでしょう。(一二二頁)
市民主導の共闘・・今回は逆に市民運動の側が、ばらばらな政党をまとめ、選挙協力へと導いていった。その根底にあるのは、立憲主義が無視され、国家権力が暴走し個人の尊厳が踏みにじられているのは民主国家として異常な事態であって、これを正し、違憲の法制を廃止するという一点では党を超えて合意できるはずだという認識です。(一八頁)
 一一月一六日・一七日に衆参で憲法審査会の審議が始まった。誰もが反対しにくいテーマから始めてしまえば次期通常国会では、緊急条項・環境権・統治機構などの各論に入り、あれよあれよといううちに第九条・安全保障まで行きかねない危うさがある。だからこそ、次期衆院選挙では「野党共闘」を最大限実現して、改憲勢力を三分の二以下に削減しなけばならない。本書は、そのために非常に役立つ本である。