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松 村 文 夫 労災 東京高裁で逆転勝訴
毛 利 正 道 市民と野党の統一政策に「非軍事世界平和省庁設置構想」を
松 島   暁 安倍改憲戦略と天皇メッセージ
土 居 太 郎 一一月一三日県民大集会IN木更津
玉 木 昌 美 滋賀弁護士会 全国初の「死刑廃止」
決議をあげる
渡 辺 輝 人 最近の原発を巡る情勢と運動のあり方についての雑感(上)
青 木 幸 男 千場茂勝先生を偲んで
永 尾 廣 久 【書評】京都第一 五五周年記念誌「あゆみ」



労災 東京高裁で逆転勝訴

長野県支部 松 村 文 夫

一 残業月一三〇時間にもなるのに労災認定されなかったのが、ようやく東京高裁で逆転勝訴しました。当然ですが、こんなに長時間残業しても業務の起因性を否定する一審判決に唖然としていただけにほっとしています。
二 社長とベテラン社員しかいない広告チラシなどのデザインを制作している会社に、二〇〇八年一〇月入社した若い女性が翌年六月には精神医に受診し、休職・退職に追い込まれました。残業時間が労基署認定でも月一二九時間、一三四時間になっておりました(発症時期を受診日とすると月一九八時間にもなります)。
 ところが、労基署もまた一審判決も認定基準で心理的負荷強度「強」としている「連続二か月間一か月間一二〇時間以上」に付加されている「その業務内容が通常その程度の労働時間を要する」となっているのを使って、当該女性の業務は「現に要した時間を通常要するものと評価するのは困難である」として「業務外」としました。なお、労基署は一審中に当該女性の製作した広告の「標準処理時間」は、月一〇八時間しかならないという意見書を上司に作らせて提出しました。現実には月二八七時間(残業一二〇時間)を無視し(その三七・七%で製作できるとする)、所定労働時間(月一七〇時間)の六割しか働いていないとする誠にひどい内容でした。
 製作広告一つ一つについて、どんな点を工夫し、苦労したかを、一由貴史弁護士が当該女性から聞き出して詳しい書面を作成し、主張しました(ワープロも打てない私には歯が立たないものでした)。
 しかし一審判決は、「標準時間」にとらわれたのか、これを無視しました。
三 これまでの労基署認定でも、判決でも残業時間が月一二〇時間を超えておれば「業務上」としており、労働の内容にまで踏み込んで「通常要しない」として「業務外」とした例はありません。
 このような悪い先例を作っては、全国弁護団に顔向けできないと考え、二審は必死に主張を展開しました。
 その結果二審判決は、「控訴人の業務は、単純な機械的作業とはいえず、感覚的な判断を要し、一定の試行錯誤を伴う裁量の余地のある仕事といえ、上司や顧客による修正依頼による手直しが想定される業務である。」「控訴人はこのような業務担当者と期待される能力が劣っていたとは認められない。」と認定し一審判決を取り消しました。
 この判決をかち取るために、行政段階で三年(連合が担当)、訴訟段階になって受任してから三年八月もかかりました。
 療養と休業の補償だけですから支給額は大したものではありません。裁判は一審長野地裁一二回、二審東京高裁三回、毎回国側は、東京・長野・松本から担当職員が十人以上も雁首を並べて出頭していましたが、その交通費で補償を賄えるだけに腹が立つものです。
 そして、国は、権力を使って、会社側に協力させて訴訟中に色々な資料を作って提出しました。
 孤立無援のなかでそれに打ち勝って、勝訴判決をかち取ることができて、気が晴れて来ました。


市民と野党の統一政策に「非軍事世界平和省庁設置構想」を

長野県支部 毛 利 正 道

一 本日一一月二九日の信濃毎日新聞一面記事によると、菅谷昭松本市長が、来年度に「平和推進課」を新設する方針を明らかにした。広島市・長崎市以外には、全国的に例が少ないとのこと。参院選頃から、「非軍事世界平和構築省設置」を口にし始めている者として私は、松本市のこの構想に諸手を挙げて賛成する。
二 振り返ると、安倍首相は、自民党総裁当時、日本国憲法を「自分たちの安全を世界に任せる、という、いじましい、みっともない憲法」と公言している(二〇一二年一二月一四日朝日新聞)。とんでもない。「憲法学の権威」として定評のある芦部信喜・高橋和之「憲法第六版」が次のように述べるとおりである。
 我が「憲法の平和主義は、単に自国の安全を他国に守ってもらうという消極的なものではない。それは、平和構想を提示したり、国際的な紛争・対立の緩和に向けて提言を行ったりして、平和を実現するために積極的行動をとるべきことを要請している」。憲法前文が、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」などと述べたあと、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
 と高らかに謳っていることを想起すべきである。
三 このような我が憲法の確固たる見地からすれば、本来なら、一九四七年五月三日に憲法が施行されるや、直ちに「世界平和構築省庁」を設置し、この七〇年間、世界を飛び回って非軍事による世界平和構築に尽力するべきところであった(私のこのような発想は、二〇一三年五月にインドネシアのマルティ外相が単身アメリカに飛んで、シンクタンクや政府要人に、紛争の平和的解決を中国に求めるためにもと、インドからアメリカまで含む「インド太平洋不戦条約構想」を説いて回った、そのエネルギッシュな活動に新鮮な衝撃を受けたことが起点になっている)。この努力を放棄したのが、「軍産複合体が支配するアメリカに支配された日本の支配層」だったことは厳しく指摘しなければならない。
四 このような見地からすれば、欧米各国に比べまだイメージが悪くなっていない日本が、大統領派・元副大統領派による戦場になっている南スーダンにおいても、両派に直接・間接に和平を働きかけることこそ重視されるべきである。その尽力をするためにも、両派に対して今後とも紛争当事者とはならない姿勢をしっかり示すため、一刻も早く派遣されている自衛隊員を全部撤収させるべきである。また、IS「イスラム国」に対するアメリカ主導軍事作戦と明確な一線を画すためにも、この見地は重要である。さらに言えば、ママの会が昨年発した「だれの子どもも殺させない」を本当に実現させようとすればこの道しかない。そうは言っても、世界第三位の経済力を持つ日本がやれることはすこぶる大きい。
 そしてまた、安倍流改憲が成就した暁には、日本はもはやこのような尽力を行う憲法上の根拠を喪失するやもしれず、そうなっては「世界平和構築省庁設置」は半ば永久に不可能になるかもしれぬ。今しかない、のである。
五 以上のような見地から、総選挙に臨む市民と野党の統一政策として、「非軍事世界平和構築省庁設置構想」を練り上げるべきである。むろん、ここで、単に「世界平和構築」と言わずに、「非軍事」と冠するのは、安倍首相の「積極的平和主義」とは異質なものであることを示すためであり、実際に安倍政権を倒して省庁を設置するときには、「世界平和構築省庁」で十分かもしれない。
 この構想に賛同していただける方は、これが実現するよう、ぜひ、急ぎ広く深く喧伝していただきたい。
六 加えて、全国の自治体で「平和推進課」を設けて、地域住民共々、平和を自治体・住民が創り出すプロセスに参画する社会になれば、それは、当該自治体での平和創造に大いなる貢献をなすとともに、世界規模での平和構築を日本国民規模で支える一大ムーブメントにもなるであろう。国政待ちでなく、同時に、各自治体に「平和推進課」を設けることを求める住民レベルの声を大きくしていくことも追及していただきたい。


安倍改憲戦略と天皇メッセージ

東京支部 松 島   暁

狂いはじめた安倍改憲戦略
 安倍政権の歯車が少しづつ狂いはじめている。
 泡沫候補であったはずのトランプが次期大統領に決まり、トランプタワーで会談してはみたものの、その直後に公約通り「TPP離脱」を表明され、また、プーチンとの「友情」に期待した北方領土返還は実現しないばかりか、日露経済協力のロシア側取り纏め役のウリュカエフ経済相は収賄容疑で逮捕・訴追されてしまった。加えて、インドネシアへの新幹線、オーストラリアへの潜水艦の売込み失敗につづき、「成長戦略」の目玉であったベトナムへの原発輸出も白紙撤回されてしまい、年明け早々に予定されていた解散総選挙も先延ばしせざるをえない情勢である。
 この狂いはどこから始まったのか。私は八月の天皇メッセージ、平成天皇の反乱に端を発しているのではないかと思う。
天皇メッセージの政治的意味
 八月八日、天皇は生前退位を強く示唆するビデオメッセージを発表した。これは現行憲法を前提に、その一条に定める象徴天皇制を存続させることを明確に意図した「政治的」メッセージである。
 昭和天皇は、戦前は元首であり大元帥であった。戦後も米軍占領下の沖縄について「日本の主権を残したままで二五年ないし五〇年あるいはそれ以上の長期」駐留を希望したり、米軍の朝鮮戦争介入に感謝のメッセージを送るなど戦後政治に積極的に関与し、政治的にとても生臭い存在であった。反面、アジア太平洋戦争の影(戦争責任問題)を終生引きずらざるをえなかった。
 それに対し、平成天皇は、日本国憲法とりわけ象徴天皇制(一条)の意味と天皇制存続の条件を誰よりも真剣に考え抜き、それを実践した人物であった。八月八日のメッセージはその実践的帰結としてのそれであり、昭和天皇とはその方向性は異なるものの、きわめて政治性の強いメッセージである。
戦前の教訓と現行天皇制
 かつて、天皇家は一部の政治家や軍人に同調・追随し、天皇自身が政治化・軍事化してしまったことによって、神武(継体、天武?)天皇以来連綿と続いた天皇制を滅亡の淵に立たせてしまった。戦後の象徴天皇制が、この戦前の教訓のうえに立って成立していることに平成天皇は自覚的である。
 日本国憲法の条文構造は、最初が天皇であり、次が戦争の放棄、基本的人権はそれに劣後する三番目の規定である。基本的人権を第一に、天皇や戦争法規(軍備)は統治機構の一部ないし部分問題として位置付けることを日本国憲法はしていない。
 このことは憲法制定時の国際環境に由来する。日本国憲法は、天皇を戦犯として訴追すべきだとの国際的圧力に抗して制定された。その第一の眼目は、戦犯と化する危険のあった天皇を免責、「天皇制は残す」と宣言することであり、天皇制の存続こそがマッカーサー及び日本支配層の焦眉の課題だった。そのためにこそ、それとの引き換えで武装解除=戦争放棄を約束したのである。(君島東彦「六面体としての憲法九条―越境する民衆はどのように軍事力を抑制するか」)
 現天皇は、一条と九条とが不即不離の関係にあること、戦争の放棄があってはじめて天皇制の存続が許された歴史的経緯も十分理解したうえでメッセージを発している。それ故、安倍改憲戦略にとってきわめてやっかいなメッセージなのである。
積極的象徴行動を通じた国民的支持の獲得
 象徴としての天皇の地位が、単に憲法によって定められているだけではなく、「積極的」(むしろ「戦闘的」とすら評しうる)象徴行動(行為)を通じた国民的支持によって支えられていること、ないし、この国民的支持によってこそ天皇制は支えられるとの確信が、天皇メッセージの次のくだりに色濃く表れている。
 「皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得た。」
 被災者の前に膝をつき可能な限り多くの人々と接してきたそれらの行為により象徴天皇制は実質的に支えられているとの自負と確信がメッセージには込められている。
 国民的支持を調達するためにの「積極的ないし戦闘的」象徴行為を実践するには、八〇歳を超えた老体ではできないし摂政でも担えないのである。気力・体力ともに充実した壮年の天皇でなければなしえないと確信している。
 現天皇についてケネス・J・ルオフは、皇位を継承するずっと前から現天皇と皇后とは実践的目標を念頭に置いていたことは間違いなく、夫妻の目指すものは、しばしば重なり合う二つの柱、「日本の地方の周辺に追いやられている人々の支えになることと戦後を終結させる」ことだとしている(『国民の天皇―戦後日本の民主主義と天皇制』共同通信社)。
立憲主義と思考停止
 平成天皇の求めるものは、改憲勢力のいう戦前の「元首」への復帰・復古などではない。現行平和憲法下での「象徴」天皇制こそが希望であり、その為には壮年天皇でなければならず、かつ、天皇制を安定的に存続のためには男子男系天皇制の見直しが必要だと考えているように思われる。にもかかわらず、安倍政権は、生前退位問題が改憲戦略の阻害要因となることを極力回避しようと、老体への加重任務問題と矮小化し、皇室典範には手を付けず特別法で乗り切ろうと策している。
 他方、平成天皇のこの挑戦を、「立憲主義」を掲げる人々は護憲の対象として擁護していくのであろうか。あるいは八割以上の国民が支持していることを口実に、日米安保と同様に、将来の問題に棚上げするという「思考停止」を今後も続けていくのであろうか。


一一月一三日県民大集会IN木更津

千葉支部 土 居 太 郎

一 概要
 二〇一七年一月から千葉県木更津市内の基地でオスプレイの整備が予定されています。事故率が高く、かつ、危険性の高いオスプレイの整備に周辺住民が不安を感じていました。
 そこで、反対の声をあげるために、一一月一三日、整備拠点化に反対する集会が開催されました。
二 当日の様子
 当日は、一三〇〇人以上もの人が参加をしました。なお。団員は一〇名参加いたしました。
 集会では、参加者が各々オスプレイの危険性や不要性を述べ、反対運動の連帯を訴えかけました。
 議員の挨拶もあり、発言順に並べると、日本共産党、自由党、新社会党、無所属、社会民主党の議員の方が参加及び発言をしてくださいました。幅広い政党の参加から、ここでも野党共闘の流れが活かされていることがわかりました。
 また、地元の住民だけではなく、厚木や沖縄の住民の方も参加及び発言をしてくださり、この問題は一部の地域だけでの問題ではなく全国での共闘が必要であるということを強く意識させられました。すなわち、日米の軍事拠点が多数存在している首都圏では、日常的にオスプレイが飛来し、日米一体の軍事力増強が進んでいます。その実態は、沖縄と本土の一体的軍事強化です。
 集会後、参加者全員でパレードを行い、反対の声をあげながら進行を行いました。
三 自由法曹団参加の意義
 私個人の意見ですが、憲法で保障されている表現の自由を守る法曹としてこのような集会に参加する必要があったのだと思います。
 当日は、反対勢力の妨害や警察との紛争発生が危惧されていました。そのため、弁護士の参加が求められていました。
 幸いなことに、実際はそのようなトラブルは起きませんでしたが、弁護士の参加により、主催者の方が少しでも安心して集会を開催できたのだとしたら、これほど嬉しいことはありません。
四 まとめ
 声をあげなければ存在しない者として扱われてしまいます。また、権力への反対運動は少数ではなしえず、幅広い連帯が必要となります。
 今回の集会は、県民の主体的な表現の自由の行使を幅広い連帯のもと行えたものといえ、大変意義のある集会であったと思います。


滋賀弁護士会 全国初の「死刑廃止」
決議をあげる

滋賀支部 玉 木 昌 美

 滋賀弁護士会(野嶋直会長)は、二〇一六年九月二七日の臨時総会において、「死刑廃止」決議をあげた。結果は、七四名(会員数一四四名)の参加(委任状出席を含む)のうち、賛成四二名(代理行使一三名)、反対二五名(代理行使三名)、棄権七名(代理行使一名)であった。決議は全国初のことであるという。
 決議は、「死刑が非人道的刑罰であること、罪を犯した人の更生と社会復帰の可能性を完全に奪うこと及び裁判は常に誤判・えん罪の危険をはらんでおり無実の者が生命を奪われる危険性があることを踏まえ、われわれは死刑のない社会が望ましいと考える」とし、「死刑制度は廃止されるべきであるという立場」を明らかにした。
 滋賀弁護士会は、これまで司法グループの会議では、結論を死刑廃止とは決めつけず、死刑廃止論と死刑存置論をそれぞれ何回も学習・議論した。また、日弁連からは小林修弁護士(愛知)や堀和幸弁護士(京都)をお招きした会内学習会を開催した。さらに、本年七月には、それぞれの立場からの意見を述べ合う会内討論会も行い、さらに、八月には映画「休暇」の上映と堀和幸弁護士の講演の市民集会を開催した(約一〇〇名参加)。そのうえで、今回の決議に至ったものである。
 総会では、賛成論も反対論も相当出された。特に、えん罪の可能性については、まったく犯人ではない場合だけでなく、量刑判断の誤りがある場合があり、特に、合議で意見が割れた場合、一人の意見が人の命を左右するという元裁判官の指摘が印象的であった。反対論は「死刑廃止には賛成だが、犯罪被害者の立場、感情を考えると文言に問題がある」、「死刑は廃止すべきであると思うが、世論の多数が死刑制度を支持している中で弁護士会がそうした決議をすることは相当ではない」、「会内でしっかり議論が尽くされていない」「反対論もある中、多数決で決めるべきでない」といった意見であった。もっとも、総会の場で死刑存置論を明確に主張した意見はほとんどなく、仮釈放のない終身刑を導入のうえ廃止すべきという意見がある程度であった。明確な存置論は、会内メーリングリストで一部出されただけで、これらの人は会内での十分な討議を主張するものの、会内学習会等や総会にも参加していない。
 このように、日弁連人権擁護大会のミニ版を行った感じであるが、人権擁護大会の場合と異なり、明確な存置論がなく、極端な被害感情絶対論もなく、反対論は、「死刑は廃止すべきだが、会がその文言で決議することに反対する。」という意見が多数であったように思われる。
 「もし、自分の大切な妻や子どもが残虐な方法で殺害されたとき、その犯人を死刑にしてほしい。」という遺族の被害感情・報復感情は、だれでも(私でも)そう思うかもしれず、正面から反論することはできない。しかし、死刑制度のマイナス面を補うものであるかどうかといえば、冤罪の危険性、死刑の場合は取返しがつかない等を考えれば、こうした感情を絶対化することはできない。滋賀弁護士会の会内討議においても、最後は、死刑存置論者もその点で廃止へ向かう結論となった。会内メーリングリストにおける存置論には、「私は、誤って死刑となった事例を知らない。判断ミスは制度につきもの。世界の趨勢というなら、軍隊を持つことも従うのか。」という人権感覚を疑うような極論もあったが、死刑存置論を維持するとすれば、えん罪事件が多い中、誤って処刑される危険性を回避することはできない。
 滋賀弁護士会の決議は、「死刑を行うということは、この世に生きる値打ちのない生命があるということを国家が正面から宣言することにほかならない」と指摘したが、相模原の事件はこの点考えさせられる。この事件を起こした青年は、障害者は生きる価値がないという優生思想のもとに事件を起こしたが、その犯人に対し、「生きる価値がない。死刑にせよ。」と死刑にすれば、皮肉にも国家が彼の思想を実践することにもつながる。国家といえども、人を殺すことを正当化できない、というのが世界における人権の発達の到達点であるべきである。死刑(絞首刑)は憲法三六条に規定する「残虐な刑」に該当する。私は、裁判員裁判で裁判員が量刑判断をすること、特に多数決で死刑の決定に関与することに反対である。最近、死刑を求刑した検察官の苦悩を描いた堀川惠子著『裁かれた命』を読んだが、死刑で苦悩するのは、検察官だけでなく、判決をする裁判官、裁判員、そして、執行する刑務官である。
滋賀の決議については、その結果を広く外部に広報することについては、決議の反対論があったことも考慮し、執行部を中心に消極論であった。もっとも、京都新聞等マスコミはそれなりに大きく報道した。また、総会では、日弁連の人権擁護大会に向けてのものという位置づけなら反対という意見もあった。滋賀は人権擁護大会で次回開催地を大きくアピールしたが、残念ながら会長は決議の報告をしなかった。私が発言の事前通告をしなかったのも消極論が影響している。
 しかし、弁護士が重要な憲法問題、人権問題について、国民に伝え、議論を起こしていくべきことはその責務である。今回の滋賀の決議、そして、日弁連の決議は、成立までにこれまでにない会員同士の議論があったと思う。団支部内でも意見は分かれた。この問題は議論をしないままアンケートをとって賛成、反対を確認し、その結果を発表し、圧倒的多数になるまで決議できないとすべきものではない。死刑制度の現状を把握し、憲法上、人権上どのような問題があるのか議論を尽くし、国民に対し問題提起していくことが求められると思う。日弁連の決議が大きく報道されたが、国民的な議論のきっかけになるものと期待している。
 尚、木谷明著『刑事裁判のいのち』の「死刑は本当に必要なのか」では簡潔にわかりやすく論点が整理されている。彼の見解に同感である。


最近の原発を巡る情勢と運動のあり方についての雑感(上)

京都支部 渡 辺 輝 人

一 もうちょっと自分で自分を誉めてあげて良いのではないだろうか
 筆者は京都地裁に係属している大飯原発差し止め訴訟の弁護団事務局長を務めており、相手にしているのは専ら若狭湾の原発の話なので、そこを中心に話をする。
 若狭湾に一五基ある原発のうちすでに五機は廃炉、もしくは廃炉になりかけている。敦賀一、敦賀二、美浜一、美浜二、もんじゅである。東日本大震災・福島第一原発の事故とその後の国民世論がここまでの状況は作ったと考える。
 震災後、一度は再稼働した大飯三、四号機はいまだに再稼働の目処が立っていないし、大飯一、二号機については二〇一九年で四〇年の期限が来るが、構造が特殊なこともあり、関西電力がどうするつもりなのかも今のところ見えてこない。
 政権が原発推進に前のめりになっている状況で、脱原発がここまで進んでいるのは、率直に言って、凄いことではないだろうか。特に、大飯については震災後に一度再稼働しているにもかかわらず現在に至るまで止まっている。これは、世論・運動や、訴訟(特に福井地裁判決)との関係を抜きには語れないだろう。そして、三・一一のあと、長期間、原発を再稼働を許さなかったことにより「原発がなければ電気が足りない」という議論は実証的に論破された。震災前に跋扈していたこの議論を論破できたのも、国民・市民の世論・運動ゆえなのである。
 もちろん四〇年超の原発を規制委員会が規制をせずに許可している逆流もある。若狭湾では、高浜一、高浜二、美浜三の四〇年超の老朽原発が再稼働に向けて動いている。高浜三、高浜四は、大津地方裁判所の仮処分命令で止まっている状態だが、予断を許さない。
 しかし、この間、原子力規制委員会が老朽原発の再稼働に向けて遮二無二動いている事実は、裁判官を含めた国民・市民に、規制委員会の専門性や中立性を疑わせる事情として映っているのではないだろうか。少なくとも、このようなことを繰り返し、老朽原発の再稼働のために必要な数千億円の費用を電気料金に転嫁する度に、国民は原発に対する信頼を失っていくことになるだろう。
二 原発推進勢力は兵糧攻めに遭っているのではないか
(1)
日本の戦後の軽武装路線は資本が軍事技術を放棄することで達成された
 日本の戦後の軽武装路線は、最終的に、軍需産業が兵器の製造技術を捨て、民生転換したことで達成された、と渡辺治氏は述べる。
 筆者は、原発の推進についても、同じ事が当てはまる、と感じている。二〇一三年夏、自由法曹団京都支部で、ドイツに脱原発の状況について調査に行ったが、同国緑の党の国会議員との懇談で聞いた話では、二〇一一年のドイツにおける脱原発は、最終的には、政府と原発推進勢力が協定を結ぶことで実現したそうである。同国のシーメンス社は原発製造技術をフランスのアレバに売却し、原発の製造そのものから撤退し、ドイツ国内には原発を推進する勢力が消滅した。日本でも、脱原発を実現する、ということは、原発推進勢力の総本山である三菱重工、日立や東芝が潰れるか、原発製造技術を捨てる、ということを意味しているのである。
(2) 日本のプラントメーカーの苦境
 この点、日本のプラントメーカーを見渡すと、東芝は原発部門の赤字が原因で粉飾決算に走った(この点については日経ビジネスオンラインの執拗なまでの追及記事が詳しい)。同社は医療部門など将来性があり儲かる部門を売却し、半導体と原発を基本に据える経営戦略を取ることとしたようだが、この戦略は素人目にも無理がある。筆者は、同社が、近い将来、東京電力と同じようにゾンビ化し、日本原子力発電とともに、原発の廃炉を手がける国策会社になる可能性すらあると思っている。
 また、世間的にはほとんど注目されなかったが、最近のニュースで筆者が最も注目しているのは日立の動向である。同社の社長は二〇一六年一〇月二七日の記者会見で、将来的な三菱重工、日立、東芝の原発製造部門の統合に初めて言及した。その後、後追い記事がいくつか出され、三菱重工を含めた三社が原発部門の不採算に苦しんでいる状況が出されている。
 その背景にあるのは、世論を受けて国内で新規建造ができない状況(これが国内の世論・運動によって作り出されていることは言うまでもない)に加え、ベトナムなど海外での原発受注計画の頓挫である。インドやトルコでも計画が順調に進んでいるとは言えない。日本とインドとの原子力協定では、プラントメーカーの免責条項がないそうである。プラントメーカーはインドで原発を建造しようと思ったら、無限の賠償リスクを覚悟しなければならない。トルコはそもそも政情が不安定化している。
 安倍首相が財界人を多数引き連れて外交交渉をしているのは有名な話だが、原発について言えば、攻めの外交というより、推進勢力の断末魔の叫びに近いものだ、というのがリアルな現状ではないのか。
(3) 原発の不経済性は財界でも意見が割れるはず
 もんじゅの廃炉が濃厚となる情勢の下、核燃料サイクル計画の破綻はますます明白になっており、「準国産エネルギー」という説明の根拠が失われている。この間の、福島の賠償金や廃炉費用の電力料金への転嫁の問題で、原発の経済的な劣位もますます明白になっている。経済的に不効率な原発を推進し続けると、無駄な費用がかかるだけでなく、新電力の開発が遅れ、この点についての国際競争に取り残されることになる。
 ここまで来ると、財界内部でも、原発の将来性について意見が割れて当然なのではないだろうか。脱原発問題での、小泉純一郎の「活躍」ぶりは、財界内部での意見の多様化を抜きには語れない気がしてならない。
(4) 原発資産のババ抜きが始まっている
 また、上記のように、ドイツのシーメンス社は原発製造から撤退した。そして、資産を売却した先の仏アレバ(アレバNP)は福島の事故を踏まえた新しい原発の建造が進まず、苦境に立たされている。フランスも原発大国であるため、ついに政府が支援に乗り出すこととなった。ゾンビ会社化はフランスでも進んでいるのである。そして、さらに同社の支援に乗り出したのが協力関係にある三菱重工である。同社は二〇一六年六月二八日、アレバNPへの出資を決めた。これは、東芝が米ウェスチングハウスの買収で後に引けなくなり、多額の不良資産を抱え込むこととなった構図と似ている。このまま、日本の三社やアレバの苦境が続けば、先進国間では、日本とフランスで、原発の負の資産をどちらが引き取るのか、というババ抜きが始まる気がしてならない。(続く)


千場茂勝先生を偲んで

熊本県支部 青 木 幸 男

一 千場先生を思う時、なんといっても第一次水俣病訴訟を共に  闘ってきたことが真っ先に頭に浮かぶ。
 この弁護団では、千場先生が弁護団事務局長、私が同次長をしていた関係で、会って話し合うのは勿論のこと、早朝・深夜を問わず毎日のように電話で意見を交わす等、極めて多忙な時間を共にした。
 私は体調の関係で、第二次水俣病訴訟では、名前だけの訴訟代理人となり、千場先生は弁護団長として第二次、第三次訴訟、さらに和解による全面解決へ向けて弁護士として最も充実した二八年間を水俣病訴訟に捧げられた。
二(1) 第一次訴訟では、先ず過失の立証でチッソ附属病院長・細川一先生の猫実験による水俣病発症の事実を、同先生の臨床尋問で明らかにできたが、なお証人の確保が難行し、やむなく敵性証人である水俣工場長であった西田栄一氏の尋問から始めた。これは約一年間・二〇回に及ぶ尋問となった。今でも忘れ難いのは、この尋問に備えて弁護団で一問一答の想定尋問形式で具体的・詳細な準備を行ったこと。この作業は多くの場合夜中までかかり、深夜に大きな風呂敷包みの記録を抱えて会場の裏口からソーッと帰っていたので、守衛さんから泥棒じゃないかと疑われ注意を受けたが、弁護団の訴訟準備と判ってからは、ねぎらいの言葉を掛けて励まされるようになった。
 かくして、西田尋問は成功したが、水俣病を引き起こした根本原因とでもいうべき会社の利潤追求の体質等については、如何に立証するかで、またしても立証方法、証人等につき第二の壁が立ちはだかった。これについては、主として工場労働者等の証人尋問により立証することができた。
 (2) 次に損害賠償額が問題であったが、弁護団では、患者家族の詳細な供述録取書を提出し、さらに裁判官が患者宅で直接本人たちを尋問する方法を採用して世界に類例のない水俣病の悲惨さ等を明らかにすることができた。
 千場先生も悲惨な患者の実態を供述録取書で提出し、また患者家族の尋問を通じて胎児性水俣病の実に悲惨な状況を明らかにされた。
 私が担当した家族は、家が海岸沿いにあって、子供が毎日のように貝を採り、これを家族で食べ幼い子供が水俣病になって死亡した。熊大病院で解剖を受けて、自宅に連れて帰るのであるが、当時水俣病は伝染すると村人からは忌み嫌われていたため公道を通ることが出来ず、水俣駅から自宅までは遺体を背負って線路伝いに泣きながら歩いて帰ったと聞かされた時は思わず目頭が熱くなり落涙を禁じ得なかった。
三(1) 第一次訴訟は終結したが、千場先生は弁護団長として第二、第三次訴訟……と引き続き尽力された。これらのことについて多くの方々との共著もあるが、千場先生独自で平成一五年一月に中央公論新社から出版された「沈黙の海」は圧巻である。是非多くの方々に読んで戴くことを切望する。
 (2) 千場先生は、世界の水銀汚染を調査し、国際交流により多くを学ばれ、世界に警鐘を鳴らされた。水俣病問題の国際化に貢献し、後の原発問題や各種公害との関連を鋭く指摘された。
四 千場先生とは、同じく弁護団員であった荒木哲也弁護士を交えて度々会食の機会を設けて実に楽しく会談した。荒木さんが逝ってからは、組合活動をやってこられた人と三人で、公害問題に限らず政治、経済、社会問題等々多方面にわたって時間の経つのも忘れて楽しく語り合った。
 次回を楽しみにしていた矢先、千場先生の訃報に接し痛恨の極みであった。
 千場先生との思い出は尽きることはないが、その弁護士会活動と二八年間にわたる水俣病裁判の弁護団活動に対し、二〇〇二年五月叙勲を受けられたことを称え、御冥福を祈って閣筆します。

合 掌


【書評】京都第一 五五周年記念誌「あゆみ」

福岡支部 永 尾 廣 久

装丁のすばらしさ
 京都第一法律事務所の五五周年記念誌が届いたので、早速、手にとって読みはじめました。内容も大変充実しているのですが、その体裁、レイアウト、割り付け、いずれも思わず感動するほどの素晴らしさです。いつも京都第一のニュースの体裁が実によく出来ていて感嘆しているのですが、今回の記念誌もまた実に素敵なつくりになっています。これなら、手にとって読んでみよう、読まないと損をすると思わせます。
 内容抜きに、こうやって形を私がほめているのは、私も、モノカキとあわせて編集も業としていると自負(自称)しているからです。青法協福岡支部として刊行した仮処分事例集と五〇周年記念誌はベストセラーになりました。
 人物写真もよくとれていて、皆さんの表情が実に生き生きと輝いています(私の好みからすると、顔をもっとアップにしたら、さらにいいと思いましたが・・・)。
 形はこれくらいにして、では内容を・・・。

二つの座談会
 過労自死事件の遺族もまじえた座談会は参考になりました。ある過労自死事件の被災者は二五歳だった。過労死が発生する職場は、みんなが長時間労働をしている。そのなかでも真面目で責任感の強い優秀な人に仕事が集中して過労死につながっている。会社の責任だけでなく、会社代表者の個人責任も追及したいという遺族の願いを、弁護団としていかに受けとめたか・・・。今では、裁判で社長個人も被告として請求の対象とするのが一般化しているけれど、当時は、まだそうではなかった。和解の席上、社長がぼろぼろ泣いてあやまったことで、遺族として区切りができた。ただ、遺族として、名前や顔を公表するのにはじめは抵抗があった。
 こんな苦労話が、よくまとめられています。社長の個人責任の追及が一般化しているというのを、私は恥ずかしながら知りませんでした。

事件報告
 不当解雇、派遣切り、不当労働行為などの労働事件、アスベストや公務災害などの労災事件について、だいたい見開き二頁ほどで写真を入れて、要領よく紹介されています。
 行政・人権・そして環境・市民事件の紹介もあります。「幸福の科学」が中高一貫のエリート校を大津市の軟弱地盤の地域に建設しようとしていることを初めて知りました(開校したようです)。なんだか怖い気がします。

運動・情勢
 安保法制に反対し、改憲勢力とたたかう取り組みがすすめられていますが、京都第一で特筆すべきは、なんといっても参議院選挙で大河原としたか団員が立候補して、当選へあと一歩まで迫って惜敗したことです。それでも二一万票をこえる得票でした。私も当選すると期待していましたので、本当に残念でした。大河原団員は建設アスベスト訴訟や中国残留孤児訴訟などでがんばってきました。
 選挙の点では、森川明団員も京都府知事選挙であと一歩でしたよね。いずれも京都の民主勢力の強さと、それを支えている団事務所の存在の大きさを物語っています。大河原団員には、ぜひ国会で活躍してほしいと思います。

所員所感
 藤澤眞美団員が、司法試験を三五歳から目ざし、子育てと仕事をやりながらの勉強だったこと、合格一年前は生活保護を受けていたことを書いています。プライドと引き換えの生活保護受給だったとのことですが、本当によくがんばられたと思います。
 谷文彰団員の生活状況には、思わず腰を抜かしてしまうほど驚きました。双子の子どもをふくめ三人の子をかかえているため、夕方六時にいったん自宅に帰って、食事と入浴そして子どもたちを寝かせつけたあと、片付け、洗い物、洗濯をして、夜一〇時すぎに事務所に戻り、それから自宅に戻るのは午前一時すぎ・・・・。身体をこわさないようにしてくださいね。福岡でも同じようなパターンで仕事をしている弁護士がいますが、健康第一ですので、無理しないのが一番です。

古希を迎えた村山晃団員
 唐津での総会で古希表彰を受けた村山晃団員は、私も昔からよく知っています。あの独得のダミ声で語気鋭く迫られたら、相手方のみならず、依頼者だって震えあがるのではないでしょうか。
 村山団員だけは、特別に八頁の寄稿文が載っています。そこにある写真をみて驚きました。弁護士五年目は、まん丸顔なのです。まるで別人です。それが三回の減量作戦で、大学時代の体型に戻って、今のスリムな身体があるとのこと。すごいですね。さすがに意志強固さは抜群ですね。
 村山団員は、裁判は何よりも「勝つ」ことがもっとも大切。同時に「早く」というのも必要。そのことにこだわり続けてきた四六年だったとのことです。
 「あまりにも多くの理不尽な被害現象が社会に蔓延している。それらの権利救済を図ることが京都第一の重要な職責。そのためには、『勝つ』ことが何よりも大切だと考えている。しかし、弱い立場の者が強い者に勝つというのはたやすいことであるはずがない。それでも弁護士になって四五年『勝ってきた』という自負心をもてるのはうれしい」
 すごいですね。私など、たとえば住民訴訟など全敗ですから、勝つべき事案で負けていて、悪いのは裁判官だと責任転嫁しているところが多々あり、考え直させられました。とは言っても、ひどい裁判官、勇気のない裁判官ばかりが目立ちますので、たまにまともな裁判官に事件であたると、ほっと救われた気がします。
 実に価値ある一一四頁の堂々たる五五周年記念誌です。一読をおすすめします。