<<目次へ 団通信1588号(2月21日)
馬奈木 厳太郎 | いよいよ結審を残すばかりとなりました 〜 「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟第二三回期日の報告 |
広田 次男 | 安保法制違憲訴訟をめぐる福島県の状況 |
笹山 尚人 | 地方公務員のあり方を根本的に変更し、自治体リストラが進むのではないかと危惧しています(上) |
井上 洋子 | 日弁連女性副会長クオータ制が検討されています |
大久保 賢一 | 百歳は通過点!! |
東京支部 馬奈木 厳太郎
一.冬晴れの期日
一月三〇日、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の第二三回期日が、福島地方裁判所において開かれました。この日、国と東電からは新たな書面が提出されました。
国の書面は、国賠法六条の相互保証について述べるもの(準備書面一八)、原告らの主張する精神的損害が放射線被ばくの健康影響や中間指針等に基づく賠償の考え方などに照らして本件原発事故との間に相当因果関係が認められる損害とはいえないと主張するものです(準備書面一九)。
東電の書面は、二〇〇二年に津波評価技術に基づき実施した津波推計計算に対応して講じた津波防護措置に関する原告らの釈明に回答するもの(準備書面二五)、避難指示区域における帰還に向けた取り組みについて述べるもの(準備書面二六)、原告本人尋問をふまえた原告らの損害各論に反論するもの(準備書面二七)、本件原発の状況について説明するもの(準備書面二八)、原告らの二〇ミリシーベルト以下の放射線被ばくに関する主張などに反論するもの(準備書面二九)、原告らの社会的・心理的知見に基づき精神的損害の評価を行うべきであるとする主張に反論するもの(準備書面三〇)、一部の原告につき弁済の抗弁を主張するものです(準備書面三一)。
原告側からは、「長期評価」に基づく津波防護措置により事故が回避可能であったことを主張するもの(準備書面四七)、水密化等の津波対策義務の履行により本件原発事故の回避が可能であったことを主張するもの(準備書面四八)、慰謝料請求を基礎づける被侵害利益の内容を整理したもの(準備書面・被害総論一七)、原告らが主張する損害賠償請求にかかる判断の土俵・枠組みについて述べるもの(準備書面・被害総論一八)、放射性物質汚染対処特措法が除染費用を原子力損害と評価していることをふまえ、二〇ミリシーベルト以下の放射線被ばくの権利侵害性が認められるべきであると主張するもの(準備書面・被害総論一九)、農作物の出荷制限などの社会的事実からも原告らの損害が認められるべきであると主張するもの(準備書面・被害総論二〇)、ふるさと喪失訴訟原告とその家族の慰謝料額を認定するうえで考慮されるべき要素を述べるもの(準備書面・被害事実六)、慰謝料額を認定するうえで考慮されるべき要素を述べるもの(準備書面・被害事実七)、陳述書の陳述に基づく被害事実を主張するもの(準備書面・被害事実八)などの書面を提出しました。
当日は、雨の予報にもかかわらず冬晴れとなり三五〇名を超える方が参加されました。「原発なくそう!九州玄海訴訟」弁護団の東島団員のほか、かもがわ出版の松竹伸幸編集長、井上淳一監督、おしどりマコ・ケンさん、『ルポ母子避難』の著者である吉田千亜さん、東京演劇アンサンブル、劇団さんらんといった方々も駆けつけてくださり、傍聴席に入りきれなかった方々向けの企画では、鳩山由紀夫元首相をお招きして講演会を行いました。
二.損害の社会的な広がりを主張立証
この日、私たちは、長期評価に基づく津波防護措置や、水密化などの津波対策によって事故を回避できたことを述べるとともに、被ばくによる健康影響を避けるため、避難を含む被ばく回避措置をとらざるを得ず、そのことによって事故前に享受していた様々な生活上の利益を毀損されたこと、そうした包括的生活利益としての人格権侵害の事実が深刻であることを訴えました。
また、除染実施計画を策定した自治体の広範さや除染の進捗状況、飲料水の汚染や農作物などの出荷制限の経過、河川や海の汚染状況、子どもの被ばくを回避するための措置や行動制限など、多様な被害事実が社会的な広がりをもって生じていることを様々な統計や資料に基づき明らかにしました。この点の立証に関する書証だけでも段ボール五箱分にものぼりました。
三.結審に向けて
次回はいよいよ結審となる見込みです。
なお、法廷外の取り組みとして、公正な判決を求める署名の取り組みも始まり、今回の期日にあわせて、一万五〇〇〇筆を超える署名を提出しました。署名の取り組みは今後も続きます。署名用紙をご希望の場合、http://www.nariwaisoshou.jp/activity/entry-686.htmlからダウンロードしていただくか、東京合同法律事務所(電話:〇三―三五八六―三六五一)までお問い合わせください。ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
福島支部 広 田 次 男
一 二〇一六年四月二六日、東京地裁(原告数四五六名)と福島地裁いわき支部(原告数二〇四名)を皮切りに提訴された安保法制違憲訴訟は、二〇一七年一月二〇日時点で全国一八の裁判所で原告数五一九五名、代理人弁護士一四二六名の大型訴訟へと発展しており、今後ともその数を増やす情勢にある。
多くの団員が関わっているにも拘らず、この訴訟に触れた意見を団報では目にしない。そこで、私が体験した提訴に至る経過と情勢の発展について報告する。
二 二〇一一年三月一一日の福島原発事故以来、私は「余生は原子力ムラの打倒のためにある」と思い定め「あらゆる角度から提訴を浴びせかける事が原発事故の本質を暴く事に繋がる」と考え、提訴可能な事案は片っ端から提訴し、原告団・弁護団の組織化に持てる力を傾注してきた。
しかし、廃炉(福島第二原発の四基は存続しており、今も、国も東電もその「将来は未定」としている。)についてだけは、訴訟による事なく県民運動の高揚により、その実現をはかるのが被害地フクシマの意地であると考え「県内の全原発の廃炉を求める会」(以下「廃炉の会」)を組織化し、自ら事務局を志願して活動してきた。
従って、私にとって原発以外の課題は「入れる余地」のない状況にあった。今に至るも土日の休みは殆どない状況にあり「原発余生」に安保法制の入る余地は、本来考えられなかった。
三 ところで「廃炉の会」であるが、私は保革一点共闘こそが、その成功の鍵を握ると考え、元県知事・元県会議長など、かつて保守県政の中枢に居た人々(仮に「かつての保守中枢の人々」と呼ぶ)の懐に飛び込み、県内の全原発廃炉こそ福島復興の要である事を訴え、その賛同を得て、県内の保守的知名人一一名を呼びかけ人として「廃炉の会」を結成した。以来、四年有半に亘り、様々な活動を展開してきた。
最も労働量の多かったのが、昨年二月一〇日の小泉純一郎講演会で、いわき市最大のホールに一五〇〇名の大聴衆を集める事に成功した。その準備は一昨年から始まり、煩雑な手続き・打合せを重ねる必要があった。
これらの経過を通じて「かつての保守中枢の人々」も今となっては「孫を膝に抱くと原発はあってはならない。九条はなければならない」と心から思うようになっている事を知った。
一昨年の安保法制強行に際して福島県では、九月一三日に県民集会が呼びかけられ「かつての保守中枢の人々」の殆ど全てに加え、いわき前市長までが集会の呼びかけ人になってしまったのである。
そして、安保法制違憲訴訟の提訴予定とのニュースが流れると「かつての保守中枢の人々」は、私に対して「広田さんはやらないの」といった趣旨を問うのである。「私が原発で手一杯なのは御承知でしょう」と答えると「あっ、そう」と棒を呑んだような答えである。仕方なく「仮にやったら応援して頂けますか」と問うと「そりゃ、まあ」と否定しない。私はそれを聞いて「これはやらざるを得ない」と思わざるを得なかった。
四 二〇一五年一一月から福島地裁いわき支部への提訴の準備を始めた。二〇一六年四月二六日が全国一斉提訴日と聞いていたため、二回の集会を行い、チラシを撒き訴訟委任状を集めた。「かつての保守中枢の人々」には、チラシの目立つ所に「私達もこの裁判を応援しています」という見出しの下に名前と肩書を連ねさせて頂いた。
提訴の準備は参院選の市民共闘(通称「ミナセン」:「みんなで選挙・みんなで共闘」の略)の結成時期に繋がった。いわきに於けるミナセンの中心的課題としての位置を、安保法制違憲訴訟は占める事となった。選挙結果は現職大臣を破っての勝利であった。
五 二〇一七年一月七日・八日と団東北ブロック総会が開催され、その中心的議題は市民共闘であった。参院選での東北六県の市民共闘は五勝一敗であり、意気は大いに上がった。
いわき市では衆院選挙に向けた市民共闘「ミナハマ」(「ミナセン浜通り」の略)の結成準備が進む。その中心的課題としての安保法制違憲訴訟の訴訟委任状の追加は続き、二月二四日に追加提訴の予定である。なんとか原告合計三〇〇名を実現させたいと思っている。
六 私が「反自民」という言葉を封印したのは「廃炉の会」の活動を開始した頃かと思う。その後、事務所設立以来、事務所外壁に貼ってあった共産党のポスターを剥がし、その跡に「アベ政治を許さない」のポスターを貼った。現在、求められている課題は「反安倍」の一点であり、結集を目指すべきは「反安倍」勢力である。課題は適格でなければならないし、照準は正確でなければならない。ふくしま平和訴訟(福島では安保違憲訴訟をこのように呼んでいる。)は、その結集の結節点として、大きく成長させたいと思っている。
二〇一七年二月六日記
東京支部 笹 山 尚 人
一 問題の所在
二〇一六年一二月二七日、総務省は、「地方公務員の臨時・非常勤職員及び任期付職員の任用等の在り方に関する研究会報告書」(以下、「研究会報告書」といいます。)を発表しました。
自治体の臨時・非常勤職員のうち、「特別職非常勤」を専門的な職に、「臨時職員」を正規職員の欠員対応に限定し、そのほかは「新たな一般職非常勤」(「会計年度任用職員(仮称)」)に分類する内容。地方公務員法・地方自治法の改正が必要になるので、この改正案を今年の通常国会に提出成立させ、二〇一九年四月一日実施を目指す、というものです。
総務省は、このほかにも、自治体の窓口業務(判断業務を含む)を地方独立行政法人への委託を可能とする地方自治法改正をもあわせて行う模様で、これらは総務省が今国会に提出する予定の法案リストに掲示されています。
私は、これは地方公務員のあり方を根本的に変更し、民営化自治体リストラが進むのではないかと危惧しています。そうなると公務労働者の職場が奪われるとともに、利益度外視で行われるべき福祉等の公共サービスが利益事業となって国民の社会権が脅かされる結果になるのではないでしょうか。
二 総務省の動き
いまや、自治体には多くの臨時・非常勤労働者が就労しています。自治体によっては五割近い臨時・非常勤職員がいるところもあるようです。いまや臨時・非常勤抜きには自治体の業務はまわらないわけです。
現行の地方公務員制度は、「任期の定めのない常勤職員」(正規職員)による運営が原則であることから、「任期の定めのある非常勤職員」の任用は例外的なものとしています。したがって、地方公務員法には正規職員の代替として恒常的・本格的業務に従事する臨時・非常勤職員の明確な任用根拠は定められていません。
今回、「臨時・非常勤職員の任用根拠の適正化」の名のもとに、地方公務員法に「任用の定めのある非常勤職員」(フルタイムも可で、入口規制?任用条件?がまったくない)の任用根拠を定めることは、「任期の定めのない常勤職員」による運営が原則という地方公務員制度の重大な転換です。
さらに研究会報告書では、臨時、非常勤職員の業務の中には、「常勤職員と同様の本格的な業務を行う職が存在する」とし、その上で、「本格的業務に従事することが可能である任期付職員制度の活用について検討する事が必要である」、「常勤職員が行うべき業務である本格的業務」として、「組織の管理・運営自体に関する業務や、財産の差押え、許認可といった権力的業務」を例としてあげています。
三 「本格的業務」をめぐる区分けは憲法に反し、自治体リストラを推進する
しかし、「本格的業務」と言うなら、それは常勤職員をもって対応するのが地方公務員法の本来の在り方のはずです(一七六国会、参議院総務委員会での片山総務大臣の答弁、二〇一〇年一一月一一日。山下議員の「公務の継続性、安定性、公平性ということからいっても、本来、公務というのは任期のない常勤職員で運営するというのが基本であるべきだと考えますが、いかがでしょうか。」という質問に対し、片山大臣は、「基本的認識は今、山下議員がおっしゃったことと私は全く同じであります。」と回答した。)。それが常勤でなくてもできるというのは、地方公務員のあり方の根本的変更ではないでしょうか。実際に多くの非常勤職員が自治体の本格的業務を担っている実態があるのだから、これを法制化しようというのであれば、それはなんだか「憲法九条に違反する自衛隊が現実に存在して活動している実態があるのだから、憲法九条を変えて自衛隊を認める規定を設けよう」という意見と同じではないかと思えます。
また、「常勤職員が行うべき本格的業務」なる区分けは、常勤職員の担当業務を著しく狭く捉える発想です。これは、福祉に関わる職場の業務などについては、本格的業務であっても常勤職員が行うべき業務ではないとし、こうした業務を非常勤職員や、民営化して民間にゆだねていくことを推進していく発想と考えられます。
しかし、自治体業務のうち、「本格的業務」とそうでない業務、そして「本格的業務」のうち「常勤職員が行うべき業務」とそうでない業務を区分けする考え方自体、なんの根拠もありません。かえって福祉の業務を自治体の常勤職員が行う業務ではないとするのであれば、それは社会権を定め国と自治体に福祉事業を行うことを求める憲法からして許されない発想ではないかと考えます。
つまり今回の提起は、結局常勤の自治体職員が担う自治体業務を著しく限定して、自治体業務の多くを民営化したり、解雇しやすい非常勤職員に置き換えたりする「自治体リストラ」の手法、と私には思えます。(続く)
大阪支部 井 上 洋 子
(日弁連から単位会への意見照会)
平成二八年一二月一四日付で、日本弁護士連合会から各単位会に対し、女性副会長クオータ制の導入についての意見照会がきています。今後の予定される日程としては、意見照会の締め切りが三月二四日で、その後の検討を経て、一二月の日弁連総会での会則改正が目標とのことです。日弁連でも会員への周知を希望しているので、たまたま大阪弁護士会の常議員としてこの問題を知った私が、団通信に投稿することにしました。
男女平等の視点や男女共同参画をどう推進していくか、という観点から、大切な問題だと思います。
(現状)
日弁連の副会長は定員一三名です。現在、東京三会の各会長、関弁連から二人、大阪の会長、近弁連から一人、中部弁連から一人(愛知の会長)、中国、九州、東北、北海道、四国の各弁連から各一人が実際の選出母体です。このうち女性副会長はこれまでの累計でたった一〇名です。二〇〇五年度までに二人、二〇〇六年から二〇一一年度までゼロ、二〇一二年度、二〇一三年度が各二人、二〇一四年度が三人、二〇一五年度はゼロ、二〇一六年度は一人(七・七%)です。
なお、日弁連の理事は定員七一で、女性理事は二〇一六年度七名(九・九%)、過去最高が二〇一五年度で九名です。また、日弁連の女性会員の割合は一八・三%です。
(検討されているクオータ制の具体的内容)
副会長定数を一三名から二名増やして一五名とし、副会長のうち二名以上は女性が選任されなければならないとし、女性が含まれる場合には同じ単位会から二名まで副会長を選任することができるとするものです。副会長候補の女性二名については、男女共同参画推進特別措置実施のための副会長候補者氏名推薦委員会(定員一六名、東京三会、大阪、各弁連から各一、男女共同参画推進本部長、同本部推薦三名)を設置して推薦するという構想です。
(議論)
私自身はおおむね賛成ながら、まだ確信に至っていません。予想される議論として以下のようなものがあるのではないでしょうか。
〈賛成の立場〉
・組織の運営メンバーはその組織のメンバー構成を反映したものであるべき
・自然増を待っていても増えてきていないという現実や、責任の重い役目を得る目的で長い間を会務に捧げてまで行動する、という思考が女性会員に少ない、あるいはそうしようと思ってもできない環境に女性ゆえに(出産、育児等家庭責任の現実的負担など)置かれていることが多いという現実、を補う必要がある
・今までと違うメンバーが選出されれば組織のあり方は変わらざるを得ず、それが組織の改良につながる
〈反対の立場〉
・弁護士会で活躍する女性は多く、無理しなくても人材は輩出される
・そもそも男女平等はたたかって勝ち取るべきものである
・導入により大規模単位会に副会長が偏る結果となり、地域性が不公平になる懸念
・女性副会長がいたかいないかで、過去の日弁連の実績にいかなる違いがあったのかが不明
・女性副会長はクオータ制で出てくればよいという男女コース別人事に陥る懸念
私の思いつかない意見もたくさんあると思います。みなさんはいかがお考えになりますか。老若男女をとわず、団員のみなさまの活発な議論をお願いします。
以上
埼玉支部 大久保 賢 一
先日、肥田舜太郎先生の百寿の祝いに、事務所の村山志穂弁護士と参加してきた。肥田先生は、軍医をしていた二八歳の時、広島で被爆している。極度の貧血などに苦しめられたこともあるけれど、戦後一貫して、被爆者の治療に従事し、核兵器廃絶のためにたたかってきた人である。その超人的な奮闘に畏敬の念を抱いている私は「先生は化け物ですね」と言ったことがあるけれど、先生は「僕は化け物じゃないよ」と笑って受け流されてしまった。
埼玉の被爆者の会である「しらさぎ会」のメンバーからピンクの羽織と帽子を送られた先生は、「私にとって百歳は通過点に過ぎない。被爆者は百五歳、百十歳と長生きをする必要がある。皆さんも自分の命を大事に、目標に向かっていっぱい花を咲かせてください。」と呼び掛けていた。九八歳になる参加者は、「肥田先生に勇気をもらった。私も百歳まで生きる。一緒に歩いてきた被爆者はどんどん少なくなっていくけど、最後の一人になるまでに核廃絶を実現したい。」と車椅子の上でスピーチしていた。肥田先生や被爆者にとって核廃絶は「使命」なのである。
百歳になった肥田先生は、私の父と同じ一九一七年(大正六年)の生まれである。私の父は八三歳で他界しているけれど、先生は、今なお、使命を語り、お酒をたしなみ、カラオケをやるのである。三〇年後、私も生きていれば百歳になる。その時、私は何をしているのだろうか。私はどんな使命感を持っているのだろうか。酒は飲めるのだろうか。カラオケはどうだろうか。
ところで、「草木(そうもく)国土(こくど)悉皆(しっかい)成仏(じょうぶつ)」という言葉がある。要は全ての存在に神聖を認めるということであろう。梅原猛先生によれば、これは鎌倉時代の新仏教である浄土、禅、法華仏教の前提となった日本思想の本質であるという。その梅原先生は、「自然を破壊して多くの生物を殺した人間が、人間同士の殺し合いである戦争を行うのは必然的であったと考える。そして殺人兵器の技術が進歩し、ついに原爆、水爆の開発に至った。そのような人間の運命を変えなければならないと私は思う。」と言う。そして、この「草木国土悉皆成仏」の理念は新しい人類の理想になるべきだとしている。けれども、これは序論であって、人類文明を飛躍的に発展させた西洋哲学を厳しく批判する本論を完成するまでには、まだ十年ほどの時間が必要である。十年たつと百歳を超えることになるが、少なくとも百歳までは生きて、新しい哲学を創らなければならないと思っているとしている(學士會会報No.919・随想「人類哲学の使命」)。ここでは「核兵器と人類は共存できない」という思想が共有されているのである。
私は、この梅原先生の提案を新しい人類の理想とすることについて、無留保で同意することはできないけれど、一九二五年(大正一四年)生まれの梅原先生が、核時代を迎えてしまった人間の運命を変えるために、少なくとも百歳までは生きて、新しい哲学を創り出すことを使命としている姿勢には、心からの敬意を覚えるのである。
私は七〇歳になったけれど、村山志穂弁護士はまだその半分である。二人とも、肥田先生や梅原先生の年までは時間が残されている(私と彼女を同列に置くのはいかがかと思うけれど、行論上の成り行きなので大目に見てほしい)。
私たちは、何を使命とするのか。核兵器廃絶のために何ができるのか。三〇年後もまだ同じ使命を抱えているようなことだけはしたくないと思う。私は「核兵器問題は、外交問題のあれこれの一部分ではなく人類にとっての死活的な緊急・中心課題である」(日本共産党二七回大会決議)という時代認識を共有しながら、「核兵器禁止条約」の実現のために尽力したいと思う。
(二〇一七年二月九日記)