過去のページ―自由法曹団通信:1599号      

<<目次へ 団通信1599号(6月11日)


永芳 明 ※共謀罪反対特集(6)
滋賀弁護士会市民集会を開催
永尾 廣久 *五月集会特集(2)*
五月集会に参加して・・・(上)
窪田 聡 事務局交流会 感想文
渡邊 萌香 戦争は嫌
―憲法・平和分科会に参加して―
宮本 高平 共謀罪分科会に参加して
藤塚 雄大 貧困・社会保障分科会に参加して
林 翔太 貧困・社会保障分科会に参加して
森 悠 労働分科会に参加して
小嶋 啓司 原発分科会に参加して
濱野 尚子 福島とともに生きるためのたたかい
高木 野衣 脱原発へ向けて、
今改めて福島の被害を見つめる
小池 さやか フクダ電子子会社
・パワハラ退職強要事件判決報告
盛岡 暉道 横田で行動し、沖縄に行く(2)
鈴木 亜英 国連で近々予定される二つの人権審査について
日本からのNGO報告の準備状況
=国際問題委員会報告=
後藤 富士子 「国旗」を法律で定める意義
―「旭日旗」問題補論
守川 幸男 性犯罪の罰則強化に関する
村田団員の論考について



※共謀罪反対特集(6)
滋賀弁護士会市民集会を開催

滋賀支部  永 芳   明

 滋賀弁護士会では、六月四日大津市民会館小ホールで、「共謀罪を考える市民シンポジウム『私達市民と何か関係あるの?〜ラインやメール、電話も捜査対象に〜』」と題した集会を開催した。
 集会では、海渡雄一弁護士に「テロ対策はまやかし 現代の治安維持法・共謀罪の制定に反対する」と題した基調講演をいただいた。共謀罪は、処罰範囲が曖昧であり、日本の法体系の基本原則を覆し、思想良心の自由、表現の自由、集会結社の自由、適正手続等の人権を侵害するものであることが説明された。治安維持法の濫用の歴史(天皇機関説事件、大本教事件、横浜事件、創価学会の弾圧など)が説明され、治安維持法と共謀罪の共通点が浮き彫りにされた。そして、国連プライバシー権に関する特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏による日本政府に対する質問状とこれに対する日本政府の失礼な対応が紹介された(他方で、日本政府が、北朝鮮に関する国連の特別報告者を叙勲していた事実も明らかにされた。)。その他、そもそもテロ対策ではないこと、盗聴拡大等の心配があること等あらゆる関連論点が説明された。
 その後、滋賀弁護士会公式キャラクターナヤマズンも登場する寸劇を挟んで、第二部パネルディスカッションでは、海渡弁護士に加えて、元裁判官木谷明弁護士をパネリストに加え、関西で絶大な人気を誇る毎日放送アナウンサーの西靖氏のコーディネートで議論が進んだ。西氏からは、テロ対策はやはり必要ではないか、裁判所の令状チェックがあるから濫用のおそれは無いのではないか、といった市民目線での疑問がパネリストにぶつけられた。海渡氏から、テロ対策は現行法制度で対応が可能なことが説明され、他方でテロ対策とは無関係な反原発運動など、政府の考えと国民の大多数の考えが合致しない問題について市民運動に関わる人が弾圧の対象となったり、反戦運動が封じ込められる危険が指摘がされた。令状については、元裁判官の木谷氏や、会場に居た井戸兼一弁護士(原発訴訟の弁護団長であり、元裁判官)から、捜査機関の言いなりに令状が発布されていること、一部の裁判官が令状請求を却下しても、令状審査には一時不再理がないことから、他の裁判官の担当日に令状が発布される実情が紹介され、会場から驚きの声が上がった。話は裁判官の人事制度の問題点にまで及んだ。また、ジャーナリストである西氏の視点から、新聞によって共謀罪についての取り上げ方が異なることが指摘され、偏向報道の問題点も浮き彫りにされた。
 ジャーナリスト目線、市民目線でのコーディネート、治安維持法及び共謀罪の歴史経過をよく知る弁護士の説明、元裁判官による刑事司法の現場を踏まえた懸念が絡み合い、参加者一同、共謀罪の問題を深く理解するとともに、声を上げ続けることの重要性を意識し、熱い共感のもと、集会は終了した。時間等の関係でパレードは実施できなかったが、滋賀での共謀罪反対運動がより大きくなることを確信できる集会となった。


*五月集会特集(2)*

五月集会に参加して・・・(上)

福岡支部  永 尾 廣 久

街頭宣伝の自由と警察による規制
 新人学習会に参加した。今さら新人でもないのだけれども、「冤罪弁護士」として高名な今村核団員の講演を聞いてみたいと思ったからだ。
 ところが、その前にあった下山順団員による群馬における警察の規制とたたかった報告は大変面白かったし、勉強になった。このような企画があること自体を知らず、下山団員には失礼ながらまったく期待していなかったのだけど、道路使用許可をめぐって、全国でどういうことが起きているのか、深刻な問題状況とその克服の取り組みを知り、勇気づけられた。
 群馬県では街頭宣伝カーについての許可を、「停止宣伝」は一ヶ月ではなく七日ごとに二三〇〇円の証紙を貼って警察に申請する必要があるとされた。一ヶ月間だと一万一五〇〇円以上を要するというわけである。そして、宣伝現場に警察官多数がやってきて「許可をとっていない宣伝を早くやめさせてくれという苦情がきた」と言って妨害するようになった。
 そこで、自由法曹団群馬支部を中心として民主団体が「街頭宣伝の自由を守る会」を結成して県警と県知事に対して要請行動を繰り返した。
 そもそも、街頭での宣伝活動は「一般交通に著しい影響を及ぼす」おそれがなければ自由である。これは有楽町駅前ビラまき事件の東京高裁の確定判決が示しているとおりである。
 群馬弁護士会は、和歌山弁護士会に続いて、県警に対して前記判例の趣旨に反した運用をしないように勧告した。その結果、今では従前どおり街頭活動の自由が回復されたという。
 弁護士会が街頭でマイクによる宣伝活動をするにあたっては、どこでも警察に許可申請をしているが、本当は必要ないのになあ・・・と、いつも疑問に思っているところだったので、下山団員の報告を聞けて大変よかった。
冤罪事件の弁護活動
 日頃はテレビをまったく見ないので、NHKの「ブレイブ」が上映されたのは良かった。団事務所(旬報事務所)が大きく紹介され、団の常任幹事会の討議状況まで映像で国民に紹介されたというのは画期的なことだと思った。たまにはNHKも良いことをやってくれる。
 今村団員は無罪事件を一四件とったというが、本当にすごいことだと私も思う。私は二件しかない。そのうち一件は、戸別訪問を禁止する公選法は憲法違反なので無罪というもの(高裁で有罪になった)。
 目撃証人が「証人テスト」を繰り返しているうちに捜査官の言う内容を自分自身の体験記憶であるかのように思い込んでしまうという指摘は私も心あたりがある。だから証人本人は「嘘をついている」という自覚がない。真っ正直な気持ちで、悪意がなく間違った証言を繰り返すことになり、反対尋問も効を奏しない。「人間凶器」と化すというのは言い得て妙である。したがって、裁判所が被害者の証言を「記憶にもとづくというよりは知識にもとづく供述」として排斥したというのは当然の結果なのだが、それを導き出した弁護人の苦労を多とした。この事件では弁護人は色彩心理学まで勉強する必要があった。
 「放火」事件が無罪となった件では、現場写真を何度も何度もよく見ているうちに弁護人は「根太」を発見した。これがあると、天井にスキマが出来て、炎が通り抜けていく。その結果、燃え方に説明がついた。鑑定人尋問において、当初は素人のような顔をして、途中から決定的に矛盾する状況を示して追及すると、鑑定人は何も言えなくなったという話は聞いていて痛快だった。ところで、火災実験を警察側が二回やり、弁護側も一回やったとのこと。その費用負担はどうなった(どうした)のか、いささか心配になった。
 この話を聞いただけでも五月集会に参加した甲斐があった。近年、団の全国集会への参加者が減っているのが残念だ。
地方に弁護士よ来たれ
 最盛時六人いた私の事務所も現在は四人。若手弁護士がいないと本当に困る。九州各地で弁護士を迎え入れたいのに応募者がいないという残念な状況が続いている。弁護士会の弁護士過疎・偏在解消のための「あさかぜ」事務所も応募者を確保するのに四苦八苦している。聞くところでは、法テラスのスタッフ弁護士も志望者が減っているとのこと。
 司法修習の期間が短くなり、その前の法科大学院(ロースクール)では、ビジネス・ローヤーばかりが幅を利かせ、国際分野をふくむ活発な人権活動そして地方での草の根民主主義を守る幅広い活動に対して興味をもたない受験生、司法修習生、そして若手弁護士が増えている気がしてならない。
 団員の後継者対策を今こそ本格的に始めなければいけない時期にあると私は考えている。心ある若者になんとかして地方での弁護士活動の面白さを伝えたいものだ。(続く)


事務局交流会 感想文

大阪法律事務所  窪 田   聡

 大阪法律事務所に四月一日入所した窪田です。この度新人事務局交流会に参加して、自分なりに感じたことや考えさせられたことを書きたいと思います。
 全体分科会が終わり、緊張状態の雰囲気の中、新人事務局交流会が始まりました。まず、分科会の座長である大江さんからご挨拶と先輩事務局の方々のご紹介がありました。その後大江さんの先導により、参加している全員でジャンプを数回、更に肩回し首回しに続いて最後は深く深く深呼吸をして席につきました。自分自身かなり緊張していたのと、分科会のお話を肩をつめて聞いていたため、この軽い運動で一度リフレッシュをという大江さんの気遣いがとても有難かったのを覚えています。
 続いて参加された方の自己紹介がなされ、年齢も経歴も現在されている業務も様々で、中にはまだ学生という若い方もいらっしゃいました。参加されていたのはおよそ一五名程で女性の方が多かったのですが、一度ほぐれたはずの緊張を早くも取り戻していた私のしどろもどろな自己紹介と違って、皆さんハキハキとしっかりとした自己紹介をされていました。
 そこからは事前に提出していたアンケートを基に大江さんが話を振り、それぞれ失敗談や勉強の仕方等を話して、それに対して先輩事務局の方々がまた答えるという形でお互いの経験を語り合いました。中でも失敗談の話は身につまされるものが多く、表に出せないほどの衝撃的な失敗談もありました。その失敗から業務におけるチェックノートを作成し、事務局と弁護士でダブルチェックするようになりミスが減ったというお話でしたが、起きてしまったミスから具体的な改善策を出されていることが印象的でした。ミスは起こさないのが勿論一番ですが、してしまったミスを隠さずに次にどう活かしていくかが重要であると改めて考えさせられました。また、相手方からの贈答品を相手方と知らず受け取ってしまったなど自分でもしてしまいそうな実体験の失敗談は、聞いていて頭に残りやすく、いざそういった場面に遭遇した時にふと立ち返らさせてくれるような重みがありました。
 実務における工夫の話も先輩事務局の方々がしてくださったのですが、よくやり取りする発送先はラベルシールを作っておく、窓付封筒で宛名書きの時間短縮といった分かりやすく実践しやすいお話が多くて勉強になりました。個人的にはホッチキスを留めてしまう前にコピーが必要ないか今一度確認するべきというアドバイスが特に心に響きました。留めてしまってから他にもコピーが必要と分かり、よく留めたホッチキスを外す羽目になっていたので、弁護士に確認が必要な場合はクリップで留めておくようになりました。
 新人事務局交流会に参加したことで、自分と同じような失敗をして、似たような不安や悩みを抱えている方々が全国にいることが分かって安心感と親近感が湧きましたし、自分と全く違う仕事のやり方をされている方のお話を聞いて刺激も受けました。その後の懇親会や二次会でも交流会での話題を元に話をすることができて、意気投合して連絡先を交換した方もいました。同じようにこれから仕事を覚え、民主的な活動に取り組んで行く仲間がいることが今の日々の仕事で一杯一杯の自分にとってとても励みになりました。座長を務めてくださった大江さんを始め、この交流会の場を設けてくださった自由法曹団の皆様、そして参加させてくださった事務所に感謝を込めて感想文とさせていただきます。ありがとうございました。


戦争は嫌
―憲法・平和分科会に参加して―

静岡県支部  渡 邊 萌 香

 静岡県支部、新入団員の渡邊萌香と申します。二日間、憲法・平和分科会に参加させていただきましたので、その報告と感想を述べさせていただきます。
 一日目は、君島東彦先生の講演の質疑応答を、二日目は、各団員の先生方から活動報告がなされました。
 一日目は、お恥ずかしい話ですが、お話の難易度が高く、高度な議論がなされていたため、知識がない私にとっては、殆ど理解ができませんでした。それが大変悔しかったので、今後勉強を重ね、先生方の議論についていけるようになろうとの励みになりました。
 二日目は、多くの先生方の活動報告を聞き、問題提起がなされることで、多くの刺激を受けるとともに、大変勉強になりました。
 その中でも、特に印象に残ったのが、「武装平和」は、抑止力と行使力から成り立っているため、次戦までの準備に他ならないという話です。なるほど、行使を予定しているからこその抑止力であって、「武装平和」は、行使を大前提としているのだということが腑に落ちました。このように、戦争の準備に他ならない「武装平和」が本当の平和を実現できるはずがありません。武装に武装を重ね、脅威を生み出すだけです。
 また、「個性」にネガティブイメージがついていることへの問題意識を提示されたお話も印象的でした。確かに、「あの子、個性的ね」といった表現には、悪いニュアンスが込められていることが一般的であると思います。私たちは、それぞれ個性があるからこそ、高め合い補い合って、そして、社会が構築されていきます。個性があることの素晴らしさ、その個性を認め合う大切さを広げていきたいと思いました。
 あと、家庭教育支援法については、その脅威に驚かされました。森友学園の教育勅語に関してもそうですが、まだ何も知らない子どもたちに教育という形で刷り込んでいくのは、何とも卑怯で如何に危険であるかを痛感しなければならないと思いました。
 私は、何が何でも戦争は絶対してはいけないと考えます。多くの尊い人の命を踏み潰すように奪い、自然を破滅させる戦争を、私は許すことが出来ません。
 しかし、今の政府は、憲法改正、共謀罪、家庭教育支援法等を実現しようとしています。これは、着々とあらゆる方面から外堀を固めていって、この国を確実に戦争できる国にしようとしているということです。したがって、これらを個々の問題として扱うのではなく、一連の流れとして捉える意識を広げていきたいと思います。
 この憲法・平和分科会に参加したことで、多くのことを勉強すると共に、様々なことに興味がわき、今後の自分のやりたいことやすべきことを考える機会となり、大変有意義な時間をもつことができました。
 以上、稚拙な文章で大変お恥ずかしいですが、私の分科会の感想とさせていただきます。


共謀罪分科会に参加して

京都支部  宮 本 高 平

一 はじめに
 本年度より自由法曹団に入団いたしました、京都支部所属の宮本高平(六九期)と申します。去る五月二〇日から二二日にかけて、群馬県・磯部温泉にて、五月集会が開催されました。私は、入団後間もなくから共謀罪の学習会講師を務め、街宣活動に参加し、京都弁護士会の共謀罪新設阻止PTにも出席しておりましたので、今回の五月集会では共謀罪分科会に参加いたしました。以下、共謀罪分科会での研究・討議内容等について報告させていただきます。
二 一日目の報告
 一日目は、纐纈厚氏により、『安倍政権の本質と「戦争国家」化の現段階〜拍車かかる精神・思想動員と監視社会への道〜』とのタイトルで講演がなされました。纐纈氏は、二〇一六年参院選で山口県選挙区統一候補になられ、現在も、山口県を拠点にして、国民主権や憲法を守るための活動に尽力されているところ、山口県から民意を無視して安保法制を強行可決した安倍首相を輩出してしまったことに、強く憤っておられました。また、安倍内閣が議会を無視して強権政治を断行した大正時代のファシストとも揶揄される寺内内閣と類似したものであり、打倒する必要があると語られました。そして、盗聴法の拡大、司法取引の導入、共謀罪法案が三位一体となることで、戦前の治安維持法下のような国民が自由に表現・言論活動を封印する監視社会が到来し、戦争する国にさらに近づこうとしていることに警鐘を鳴らされました。
三 二日目の報告
 二日目は、各地での共謀罪反対の取組みについての報告等がなされました。特に印象的だったのは、市民監視の実態が大垣警察市民監視事件により白日の下に晒されたことや、名古屋市マンション建設反対運動事件から共謀罪法案が成立した場合に各種運動が直ちに弾圧され得ることが明らかとなったことです。会話だけで処罰され得る社会の到来が間近に迫っていることに危機感を抱きました。
 また、加藤幹事長からは、京都弁護士会が作成した共謀罪反対市民集会のチラシにつき、公明党所属の國重議員が、衆議院法務委員会の参考人質疑で、「テロ等準備罪の法案の内容とは全然違う」、「よくぞこんないい加減なチラシを作ったものだ」等と述べたことにつき、誤った理解の下に国会という国民注視の場で共謀罪反対活動を一方的に責め立てたことへの批判がなされました。國重議員が問題視したのは、チラシ中の「共謀罪は、考えたり、相談したりしただけで処罰しようという法律」等の記載部分でした。共謀罪法案が成立すれば、対象犯罪の遂行を二人以上で計画し、当該計画をした者のいずれかが準備行為をしたと捜査機関により判断されれば、準備行為をした者だけでなく、会話に加わっただけの者までもが処罰され得ることになります。また、準備行為というものが、捜査機関により恣意的に判断できる曖昧な概念である以上、真実は準備行為ではなくても、外形的行為があったとして、やはり、考えている段階や会話段階でも処罰され得ることになります。共謀罪のこのような問題点を把握していれば、國重議員の発言が的を射たものでないことは容易に理解できるでしょう。
四 京都での最近の共謀罪反対の取組み
 京都弁護士会では、先の国会での一方的批判に屈することなく、六月一日の京都新聞朝刊(京都府内トップシェアを誇り、発行部数は約四五万部に上ります)に、「テロ等準備罪(共謀罪)はいらない!〜自由に考え、集まり、話がしたい〜」とのタイトルで、意見広告を掲載しました。
 今回の五月集会で得た様々な情報や問題意識を活かして、引き続き、京都の地で、各種団体と共に共謀罪反対の声を上げていく次第です。


貧困・社会保障分科会に参加して

神奈川支部  藤 塚 雄 大

 私は、神奈川生存権裁判弁護団や反貧困団体に所属し、弁護士二年目に入っている中で生活保護の相談を受ける機会も多くなっており、勉強をしたく貧困・社会保障分科会に参加した。
 多くの先輩方から様々な報告が上がる中で、役所のミスで生活保護費を本来の額より多く支給したにもかかわらずその後返還を求めるという生活保護費の過誤払い返還請求問題、及びこの過誤払い保護費に対する六三条返還処分取消訴訟勝利報告が興味深かった。
 近年、生活保護利用者が、過誤払い分の返還を求められるケースが増えているという。当然、返還請求をされた時点では利用者は多く支払われた分を費消してしまっていることが多い。そのため、利用者は分割での返還を強いられることとなり、もともと最低限度の生活をすることのできない支給額からさらに低い額しか生活に回せなくなってしまう。日々切り詰めた苦しい生活を送っている利用者に対しさらにどこを切り詰めろと言うのか。大変理不尽な話である。
 この行政の運用に対する司法判断が下されたのが、勝訴報告のあった平成二九年二月一日東京地裁判決である。判決は、法六三条の趣旨を最低限度の生活保障・自立の助長に反しない額を福祉事務所が決定するものだとし、六三条の返還処分よりも最低生活保障が優先すること等の判断を示した。この判決自体、横行する過誤払い請求に対抗する上で大変重要であるが、今後は、この判決をてこに現場の実務が従っている別冊問答集を変えさせることにつなげなければならないということである。
 最初に述べたが、私は生存権裁判弁護団に所属しており、ここで簡単に紹介させていただく。
 生存権裁判とは、生活保護基準の引き下げの保護変更決定の取り消しを求める行政訴訟と、引き下げによる精神的苦痛の賠償を求める国賠訴訟の二つの面を持つ訴訟である。
 生存権裁判は全国各地で起きており、定期的に全国会議を開き、メーリス上でも活発な議論がなされるなど連携して戦っている。
 CPI(消費者物価指数)の仕組みの解明など、難解な論点が多くあり大勢で知恵を絞っている。
 私の所属する神奈川裁判の第一回期日は、横浜では珍しい大雪の中で行われた。しかし、その悪天候に負けず多くの原告・支援者が集結し初陣を飾り、その後の期日も、毎回多くの原告・支援者が集結している。
 神奈川裁判では、苦しい生活を強いられる原告の方々を勇気づけるため、支援者主催で食事会を開いて英気を養っていただくこともある。食事の席で原告の方たちから、「いつも飲めないビールが飲めるなんて本当に嬉しい」などと聞くことで、弁護団として、“この人たちのためにもっと頑張らなくては”と決意を新たにする機会にもなっている。
 これら貧困問題に取り組むに当たっての強敵として、世論における、生活保護受給者に対するバッシングがある。
 分科会で井上啓弁護士から報告があったように、神奈川では小田原ジャンパー事件という、大変残念な問題が発覚した。この小田原ジャンパー問題に対するネット上のコメントを見ていても、生活保護受給者を批判しジャンパー等のグッズを称賛するものが目立つ。
 私の最近受ける生活保護関連の相談でも、誤った報道を見たり、知人の誤った意見を聞いたりして、自分は受給できないと思い込んでいる人が目立ち、誤解を解くのに苦労をしている。誤った世論により実害が出てしまっている状況に危機感を覚える。
 社会に対し、生活保護の実態やバッシングに理由がないことを広く訴えかけることが喫緊の重要課題であると考える。裁判も申請同行も世論への訴えも、しっかり取り組んで貧困の撲滅を達成したい。


貧困・社会保障分科会に参加して

愛知支部  林   翔 太

 本年の五月集会で、私は貧困問題分科会に参加しました。一日目は、労働問題分科会と合同で、労働・格差貧困分科会として、後藤道夫氏を講師に、日本の社会保障と最低賃金のあり方について、講義が行われました。
 現在の社会保障の問題点について、後藤氏は、「最低生活費に医療窓口負担と介護利用料、勤労必要費用が含まれていない」ことを挙げ、最低生活費は実際の生活を踏まえたものになっておらず、現在の社会保険は、頼ることができず、最低生活を保障する制度設計になっていないと指摘されました。生活保護に頼らないためにも、貯蓄が必要になりますが、世帯別の貧困状況についても、高齢者の収支は年々悪化していると指摘されました。他方で、若者世代についても、収入が少ない・雇用状況に恵まれていない・教育費・子育て費用の負担、教育ローン・奨学金などで、生活が厳しく、世帯を形成することが困難であることが指摘されました。奨学金については、延滞者の増加しているほか、無理して返している人もいることが言われました。
 そこで、後藤氏は、生活保障の原則を変更する必要があると指摘します。「生活保障を原則個人単位、例外的に住居は世帯単位」で行うべきで、最低賃金は「勤労所得で、勤労時の、勤労者本人の通常の生活をまかなう」ことのできるものにすべきとします。そして、社会保障のあり方につき、「収入減少が想定されるライフイベントや『保険事故』には、所得や貯蓄・ローンではなく、公的給付・公的サービスを基本に対処する」とし、公的サービスについても、保育、教育、医療、介護などは現物給付とすべきとします。勤労者に対しても取り組んでいないという制度の実状を踏まえ、少なくとも一人分普通の生活が保障される賃金は、非勤労者が最低生活を保障するための条件と原則のポイントを指摘しました。
 その最低賃金の額につき、運動論の観点から、「最低賃金を一〇〇〇円ではなく、一五〇〇円に」と主張しました。後藤氏による統計結果を根拠に説明されたため、その要請がより現実的なものと感じられました。拡大についても、非正規で働く者も珍しくなくなったことから、非正規でも通常の生活を送れるよう特に若者世代に働きかけることも考えられると指摘しました。
 二日目は、貧困問題に対する各地の取り組みの報告がありましたが、分科会の始めに、「地域包括ケアシステム」強化法案の理念である「我が事、丸ごと」の問題点が指摘され、言葉のとおり、福祉に関する国家責任の放棄に向かっていることが指摘されました。
 格差の問題について、まず労働事件との関係が取り上げられ、企業側からの和解案の内容が、到底あり得ない条件であっても、将来の家族の生活を思い、和解案を受け入れてしまう現状が指摘されました。そして、荒井座長により「メトロコマース事件」判決の問題点について指摘があり、「(本件は)労契法二〇条の裁判だが、その問題点は格差と貧困の問題点から見るべき。最低賃金が生活保護並み。正規と同一労働をしているのに、賃金格差がある。」と指摘され、具体的な事件活動の報告がありました。
 後半は、生活保護制度に関する事件活動の報告があり、過誤支給事件、就労支援指導違反を理由とする保護廃止自死事件、小田原ジャンパー事件、不正受給に関する刑事事件など全国的にも起こりうる事件の紹介があり、今後の事件活動の参考になりました。
 今回の分科会では、「事件に限らず、運動を起こすにも、労働事件を減らす必要があり、経済的余裕も必要である」と総括され、格差・貧困の問題が他の分野の事件にもかかわるものと指摘し問題意識を持つことができ、新人として今後の事件活動に非常に参考になるものでした。


労働分科会に参加して

愛知支部  森     悠

一 はじめに
 先日の五月集会の労働分科会(五月二二日)に参加しましたので、私自身の感想を交えながら報告させていただきます。
 分科会は、大きく分けて個々の団員の現政策に対する提言・批判及び事件報告を中心に進められました。全てを取り上げるのは難しいため、私が印象に残ったものを取り上げたいと思います。
二 現政策に対する提言・批判
(1)労働時間規制に関して
 現在、政府の「働き方改革実行計画」では、時間外労働と休日労働を合わせて「一二か月連続八〇時間・一年九六〇時間」、「単月では一〇〇時間未満」の残業を認めるものとなっています。
 これは「脳血管疾患及び虚血性心疾患の認定基準」において業務と発症との関連性が強く評価できるとされる「発症前一か月間におおむね一〇〇時間又は発症前二か月間ないし六か月間に一か月あたりおおむね八〇時間超」に達するものであり、過労死の発生を容認するものと言え、到底許されません。
 残業隠しも横行している現状においては、法定の残業上限を抑えることに加えて、残業に対する規制が実効的になされる体制を整えることも重要です。
(2)同一労働同一賃金について
 政府の「働き方改革」の一つとして、「同一労働同一賃金」が掲げられています。通常、同一労働同一賃金の原則というのは、同じ職務を行っている者には同じ処遇を与えるというシンプルな内容のものです。
 しかし、政府が「働き方改革実行計画」で示した具体的内容は、(1)有期雇用について均等待遇を求める法改正、(2)派遣先労働者との均等待遇規定の整備、(3)均等待遇規定の明確化、(4)待遇差についての使用者の説明義務を課す、(5)行政による裁判外紛争処理期間の整備、(6)派遣労働者に関する法整備にとどまっています。これは非正規労働者にわずかな処遇改善をもたらす可能性がありますが、正社員との格差の是正にはほぼ効果はありません。このような内容では「同一労働同一賃金」とはいえず、市民に誤った期待を与えてしまいます。
 私自身、政府が「同一労働同一賃金」を掲げた当初は期待を持っていた部分もありましたが、その具体的な中身をきっちり検証していくことの重要性を改めて感じました。
三 事件報告
 裁量労働制の下で就業する労働者について、残業代請求が認められた事例につき報告がされました。この事件の最初の相談段階では、依頼者は残業代とは別の相談をしていましたが、弁護士のほうから残業代についても尋ねたときに発覚したようです。
 会社で裁量労働制がとられている労働者は、裁量労働制について労基署でもきちんと認められたうえで実施しているとの説明を会社から受けると不本意ながらも納得してしまうケースが多いとのことです。裁量労働制がとられている労働者について残業代請求を認めた裁判例はまだ数件しかないそうですが、それはそもそも問題が潜在化していて裁判所に持ち込まれる件数が少ないからであり、決して請求が認められにくいというわけではないとのことでした。
 依頼者が自分でも気付いていない問題を掘り起こすことは弁護士として重要な作業ですが、本件のような場合でもきちんとアンテナを張って相談にあたらなければならないと学びました。


原発分科会に参加して

愛知支部  小 嶋 啓 司

 私は、高浜・美浜老朽原発の延長認可等差止訴訟の名古屋弁護団に所属していることもあり、先日開催された五月集会では一日目二日目共に原発分科会に参加させていただきました。
 私が所属している弁護団は延長認可処分等の差止めを求める訴訟ですので、弁護団活動を通じて原発事故による“被害者”の方々の率直な思いを直に触れる機会はありません。このため、これまで報道を通じてしか、被害者の話等を聞く機会がありませんでした。今回の分科会を通じて、子どものことを考えて逃げたいのに移動による負担がかかることを心配したため逃げることができなかった妊婦の方、見えない放射能に対する不安から子どもを守るために必死になっている方など、「フクシマ」を経験した方々が、どれほどの恐怖と不安、憤りの中で震災後の六年を過ごされてきたかということの一端を、初めて目の当たりにしました。将来の日本において、私の所属する弁護団が危惧している、高浜・美浜両老朽原発の危険が顕在化した場合、人々に対してどのような苦しみ・悲しみを強いることになってしまうのかということをリアルにイメージできたと共に、私たちの訴訟の意義を改めて思い知ることができました。
 今回伺った原告の方のお話の中で、特に印象深かった言葉が、「差別への恐怖」と「避難したことへの後ろめたさ」です。
 避難した方々の中には、避難先でいじめにあったり、偏見を持たれたりして、避難先で苦しんでいる方がいると聞きます。そして、そのような現実のため、避難したくても避難できないと考え、放射能への恐怖に耐えることを選択せざるをえない方々がいます。
 また、自身や家族、子どもの体調のことを思って避難するという決断をすることは自分たちの身を守るために当然考えられる決断であり、かつ、慣れ親しんだ故郷を離れるという点で苦渋の決断だと思います。決断をすること自体が苦しいことであるにもかかわらず、避難した方々の中には、避難せずに故郷に残っている人たちへの後ろめたさから、故郷に戻りづらかったり、二度と戻れないと思ったりして、更なる苦しみを抱いている方がいます。
 本来、原発という人災によって、“被害者”という立場に置かれることを強いられているにすぎず、避難した方々には、何らの落ち度もありません。このため、上記のような苦しみは本来受ける必要はなく、また、苦しみを受けるような状況に置かれること自体が異常なことです。
 このような何重にも人々を苦しめる原発事故は、絶対に起こしてはいけません。第二の「フクシマ」が起きないよう、弁護団の一員として力を尽くしていきたいと思います。


福島とともに生きるためのたたかい

関西合同法律事務所  濱 野 尚 子

 原告さんらの声を直接聞けるということで、原発分科会に参加しました。家族全員で福島に残ると決めた方、自分は残り家族を避難させると決めた方、家族全員で避難すると決めた方。被害者の状況も決断も様々ですが、現状がいかなる場合であっても、自分や家族、周囲のことをすべて含めて一生懸命に考え判断した結果に他ならず、どの結果も間違いではないし、間違いだなどと言われる筋合いもなければ思う必要もないはずです。すべてが正しいのです。それなのに、今なお、自分たちの出した決断は、果たして正しかったのだろうかと問う毎日。誰のせいで悩み苦しむ日々を送らなければならないのか。原発事故がなければ、事故後の政府の対応が正しく行われていれば、正しい情報が私たちの耳に入っていれば…。すべての苦しみを背負うことになったのは、結局福島の人々です。
 正直、私は福島原発事故から、もう六年が経ったのかと思いました。それは事故の影響を感じていない証拠だと思いました。だからこそ、直接の声を聞きたいと思ったのです。
 福島から原告二名、群馬前橋から原告一名が参加いただき、自分のことばで語ってくださりました。家族への思いや、決断に対する後悔の念、差別とのたたかいなど、様々な思いがとても伝わってきて、私も思わず泣いてしまいました。この六年間、どんな思いでたたかって来られたのか。どんな気持ちで日々を過ごしてこられたのか。それを思うと心が締め付けられました。避難したらどんなことで苦しんでいるのか、避難しなかったらどんなことで苦しんでいるのか。それらをまざまざと見せつけられた気がしました。
 福島で生活をされてこられた方は、原発事故後、どこで生活をしようが結局「福島とともに生き」ているのだと感じました。どこで何をしていても事故がつきまとい、事故前と事故後の福島の狭間で苦しんでおられるのではないでしょうか。福島を愛しているからこその苦しみです。原告の方もおっしゃられていましたが、こんなに苦しまねばならないのは、一体誰のせいなのでしょうか?と、私も叫びたくなりました。
 苦しい気持ちをありのままに語っていただき、自分自身にとって原発事故をもっと身近に感じ取っていこうと、改めて思い直しました。辛い気持ちをお話されるのは、しんどいことだと思いますが、それでも知ってほしいという思いからこうしてお話いただいたのだなと思うと、感謝の気持ちしかなく、終わってから直接お礼を伝えに行きました。本当にこのような機会を与えていただき、ありがとうございました。


脱原発へ向けて、
今改めて福島の被害を見つめる

京都支部  高 木 野 衣

一 原発を止めるには
 高浜原発を止めた大津地裁の決定が抗告審で覆されました。裁判官が原発の運転を止めるか否かは、福島原発事故の被害にいかに真摯に向き合うかにかかっています。
 年度内に複数の原発事故賠償訴訟が判決を迎えることもあり、今年の五月集会原発分科会は、今改めて福島の被害を見つめるべく、生業及び前橋訴訟の原告の声を聞くことから始まりました。
二 変わり果てた福島での生活
 二本松市の二児の母。「窓は開けず、常にマスクを着用。食品の産地を気にかけ、両親が作った野菜も断る日々。山菜採り、雪遊び、それまでの普通の暮らしに戻れず、子どもたちのかけがえのない一日一日が活動を制限された状態で過ぎていく。時間が止まってしまったかのようだ。」
 妊娠中だった女性。「切迫早産で避難できなかった。被ばくした自分の体から放射能が出ているかもしれないと、我が子を抱くことも憚られた。祖父母から受け継いだ福島の地でのびのび子育てができると楽しみにしていたのに、今はいかに子どもの被ばくを避けるかばかり考えている。」
三 帰りたいけど帰れない苦しみ
 冨岡町で数十年ピアノ教室を営んでいた避難者。「一時帰宅で冨岡に近づくと吐き気がした。亡き夫が買ってくれた大切なピアノも錆つき、どんな音を出すのか怖くて触れられない。ここで生まれてここで死ぬと思っていた。納得できない形で変わりゆく故郷が悔しい。」
 いわき市から群馬に避難した女性。「六〇歳を目前に暖簾を捨て、老後の資金を投げ打って前橋に避難。自分だけが逃げたという後ろめたさもある。避難先では「汚い」「税金泥棒」などと心無い言葉を浴びせられる。故郷を捨てるのは簡単だと言った大臣がいたが、とんでもない。雨風が怖い、空気を吸うのも憚られるという大混乱の中で避難した者を、勝手に避難したと切り捨てる国が許せない。」
四 前橋判決を更に進めるために
 避難する者しない者。どちらも「これまでの暮らし」を奪われ、被ばくへの恐怖に怯えながら生活しています。
 前橋判決は、被告らの津波の予見可能性を肯定し、容易に対応できたのにこれを怠ったとして責任を認め、「強い非難に値する」「著しく不合理」と断罪。それだけに、賠償額の低さが際立ちました。原因は被侵害利益の捉え方。原告は包括的生活利益としての平穏生活権(社会生活から享受している利益の総体)の侵害と、日常を奪われた生活による様々な精神的苦痛を丹念に主張しましたが、判決は自己決定権を中核とする平穏生活権に矮小化し、避難と同時に侵害が終了したと強調。避難経過の事実を並べただけの「どんぶり勘定」で慰謝料額を決めました。
 しかしそれでは、避難生活の苦悩や葛藤が損害評価に反映されません。私はその本質に、放射線による健康影響と、それに対する不安への無理解があると感じます。除染には限界があるうえ、福島原発内部は高線量のまま廃炉の目途も立ちません。子どもの甲状腺からのう胞や結節が見つかり、「僕は大人になれるのかな」「(将来の結婚差別を憂えて)地産地消」と言わせる状況。そんな中、「放射能の健康影響は専門家でも意見が分かれるが、ともかくあなたの自己決定は尊重するよ」とのスタンスに留まることは、適切な損害評価を妨げます。
 京都では、低線量被ばくの健康影響に関する専門家証人尋問を実施しました。その結果を活かし、放射線による健康影響への不安がいかに切実なものか、避難したくても出来ないことや避難を強いられること、帰還を余儀なくされることによって生ずる様々な精神的苦痛を具体的に指摘し、個別的評価を示すことで、前橋判決を前に進められるよう頑張りたいと思います。


フクダ電子子会社
・パワハラ退職強要事件判決報告

長野県支部  小 池 さ や か

 二〇一四年一〇月に提訴した表題の事件について、二〇一七年五月一七日、長野地方裁判所松本支部にて、原告らが主張するパワハラ事実を概ね認める一部勝訴の判決を得ましたので報告します。
一 事案の概要
 被告会社は、心電図やAED等の医療機器を製造・販売するフクダ電子株式会社の一〇〇%子会社で、長野県松本市に本店を置くフクダ電子長野販売株式会社です。二〇一三年四月に被告会社に赴任してきた代表者(被告代表者)が、被告会社の女性事務員を蔑視し、退職強要目的で給料や年齢、仕事内容等へパワハラ発言を繰り返し、さらに、係長職にあった事務員二人の賞与をカット、このうち経理の事務員については被告会社の修正申告・追徴課税の責任を転嫁して降格処分・減給し転勤命令を行うなど、全員を退職に追い込んだという事件です。原告らの多くは定年退職を数年後に控え、三〇年以上被告会社に勤務してきた者もいましたが、被告代表者赴任後三か月で退職に追い込まれてしまいました。
 本件裁判で、原告らは、(1)慰謝料請求、(2)賞与カットや降格処分による給料減額分の差額請求、(3)会社都合退職金と自己都合退職金との差額退職金請求を行い、被告らは、全面的に争い責任を一切認めてきませんでした。
二 判決内容
(1)パワハラ事実を認定、断罪
 判決では、原告らが主張立証した被告代表者による原告らに対する年齢や給与、仕事の能力等についての発言を概ね認定し(例えば、「五〇代(幹部従業員を除く五〇代は原告らのみ)はもう性格も考え方も変わらない」、「夫と比べても自身の給与が高いと思わないのか」「原告ら四人の給料で派遣社員なら何人でも雇える。若いのを入れてこき使った方がいい」、五〇代は被告代表者の「抵抗勢力」である、「五〇代は転勤願いを出せ(原告らは現地採用)」「倉庫に行ってもらう」「辞めてもいいぞ」等々の発言。)、不法行為にあたると断罪して慰謝料請求を一部認めました。
 また、賞与のマイナス考課についても理由がないものと認め、降格処分も客観的合理的理由や処分相当性がなく無効として請求全額を認めました。
 さらに、原告の一人については、被告代表者に退職強要目的があったことを認め、「悪質である」と断罪するとともに、退職勧奨と同視できるとして(3)差額退職金の支払いも命じました。
(2)本判決の意義と課題
 立証が難しいと言われるパワハラ事件において、本判決は、原告らが主張立証したパワハラ事実を概ね認定し、不法行為として断罪したという点で画期的なものです。
 立証が成功した要因としては、原告らが被告代表者の日々のパワハラ行為を手帳に書き留めたり、被告代表者との会話内容を録音して証拠化を行っていたことが大きかったと考えられます。また、尋問において、被告代表者が懲戒処分基準の書かれた賞罰規程の内容を確認もせず結論ありきで処分していたことが露呈したりと、尋問も一定の成果を上げました。
 一方、本判決は、一人の原告を除き、退職強要目的を認定せず、「安くて若い非正規労働者への置き換え」という事件の背景を十分に理解したものとなっていません。また、慰謝料額が低廉で、生活の糧を奪われ、人間の尊厳を否定される様々な攻撃を受けた原告らの精神的苦痛を慰謝する額としては不十分な額にとどまっていると言わざるを得ません。
 しかし、課題はあるものの、泣き寝入りしてしまう人も多いパワハラ事件において、原告らが勇気をもって立ち上がり、パワハラ断罪の判決を勝ち取ったことは、パワハラに悩む多くの労働者・パワハラ事件を励ますもので、その意義は大きいと考えます。
 本件は、被告らによる控訴がなされ、今後さらなる闘いが続くこととなります。引き続き皆様のご支援・ご指導ご鞭撻をお願い致します。
 なお、被告会社との間では、以前団通信で提訴の報告させて頂いた、定年退職後の雇用継続更新拒否事件も係争中です。次回尋問期日を控え、こちらも山場を迎えています。区切りがつきましたら、またご報告させて頂きます。


横田で行動し、沖縄に行く(2)

東京支部  盛 岡 暉 道

 さて、このアンケートの結果は(続き)
問一 二〇一九年九月から一〇機の特殊作戦機CV22オスプレイを横田基地に配備すると米軍が通告していることを知ってますか
 知っている七一% 知らない二九%
問二 昨年(二〇一六年)一二月一三日に、沖縄の普天間基地配備のMV22オスプレイが、不時着(墜落)事故を起こしたことを知ってますか
 知っている九八% 知らない二%
問三 この事故の原因究明が不十分なまま、MV22オスプレイの飛行再開を政府・防衛相が認め、訓練が横田基地も使って再開されたことは
理解できる一五%  理解できない六一%  分からない一七%  その他二%
問四 CV22の配備問題について、基地の近くで生活している住民に対して詳しい説明が必要だと思いますか
必要だと思う八一 そうは思わない一〇  関心がない六
問五 こうした説明はどこがするべきだと思いますか(複数回答可)
国や東京都七六  昭島市二一  自治会や民間団体一
 必要がない三
問六 あなたはオスプレイのCV22横田基地配備についてどのように感じていますか
 不安に感じている八五 不安に感じていない一二 その他三
である。
 ところで、この結果についてはどう考えるべきか、そして五〇〇戸を含む美堀町一帯の約五〇〇〇戸にどう知らせるかなどの総括はまだこれからである。
 だから、ここでは私の個人的な感想を述べておくと、
 二〇一六年一二月のオスプレイの墜落事故を九八%が知っているのに、横田配備の通告を知っているのが七一というのは意外だった。
 この事故の原因究明が不十分なMV22オスプレイの飛行が横田で再開されたことは、理解できない六一である一方、理解できるが一五もあることは、先述の「守ってもらってるんだから、オスプレイぐらい当たり前」の考えの者もいるからだろう。 
 CV22の配備問題について、基地の近くの住民に詳しい説明が必要だと思うは八一だが、不必要も一〇ある。
 説明主体は(複数回答可で)国・東京都七六に対して昭島市二一なのは、基地問題について、みんなが如何に昭島市OR地元自治体をあてにしていないかを示している。
 昭島市長は「米軍基地は、国防政策の貴重をなすもの。基地は戦争しないための抑止力」といってオスプレイ配備に異議をとなえないから、市民もそんな昭島市に説明させてもしようがないと思っているのか。これでは、まずい。
 オスプレイのCV22横田配備に、八五が不安を感じ、二〇一六年一二月のオスプレイ墜落を九八%が知っていながら、不安に感じないのが一二もいるというのはどういうことだろう。
 なお、このアンケートには、各問に自由記載欄を付けておいたので、種々な書き込みがあった。
 オスプレイ反対、横田基地はいらないというものが多いのは当然であるが、しかし、「守ってもらっている」「自衛隊を強化せよ」「中国、北朝鮮がこわい」という書き込みも結構ある。
 そして、私たちの見解に肯定的な意見も、私たち横田基地反対運動の成果の反映というよりは、ほとんどがそれとは関係なく、自分の情勢判断からの意見だと見なければならないだろう。
 だから、私たちの運動によって、これらの肯定的な意見の率を高め、否定的意見を少なくして行くのは、これからまだ何年も何年もかかるに違いない。
 沖縄の人たちの「私たちは負けない。私たちはあきらめないから」という言葉の本当の意味がわかったように思う。(続く)


国連で近々予定される二つの人権審査について
日本からのNGO報告の準備状況
=国際問題委員会報告=

東京支部  鈴 木 亜 英

 ひとつは、UPR審査です。UPR第三回日本政府報告審査が二〇一七年一一月六日〜同月一七日に開催される第二八会期において行われます。
 UPRとは普遍的定期審査(Universal Periodic review)のことで、二〇〇六年三月の国連総会決議により創設された、人権理事会に導入された国家同士による相互の人権条項審査です。四七理事国代表団から成る作業部会によって、すべての加盟国を対象に定期的に各国の人権状況の審査を行う仕組みです。一年間で四八ヶ国の審査が行われるところ、今年は日本審査がやってきます。
 日本審査は今年一一月一四日午前九時からと決まりました。団は国連を中心とする国際人権活動については、国際人権活動日本委員会(議長は鈴木亜英)に団体加盟しており、団の抱える人権課題を同委員会を通じて国連の理事会や各種人権審査委員会に報告書を提出してきました。国際人権活動日本委員会は国連の協議資格を有する創立二五年の団体です。
 団は上記委員会を通じ、同委員会に参加する団体とともに以下の三項目の報告書を予め提出しています。委員会のホームページ(JWCHR)にアップされています。
(1)第一選択議定書(個人通報制度の導入)の早期批准
(2)東京の公立学校における国旗国歌の強制
(3)治安維持法犠牲者に対する謝罪と賠償
 なお、審査傍聴はできますが、NGOとして傍聴される方は会期開始日までに申請が必要です。
 もうひとつは、自由権規約審査です。自由権規約第七回日本政府報告審査が来年又は再来年(審査会期は未定)に予定されています。
 自由権規約審査では、五年に一回定期的に日本の人権状況が自由権規約に適合しているか否かが問われます。短時間での有効な審査を担保するために、事前に審査する自由権規約委員会と審査を受ける当該国日本政府とNGO三者間の人権キャッチボールが行われます。これまでは、日本政府による「報告書提出」からスタートしていたこの手続きも、リストオブイッシュ―方式に変わりました。リストオブイッシュ―(LOI)方式とは委員会側が先んじて、日本政府に対する規約上問題と思われる人権質問を発し、日本政府に回答を求めるものです。
 自由権規約批准国が一六九ヶ国に達した今日では審査の効率化からも必要な方法かと思われますが、新しい人権課題について、委員会に問題意識を持ってもらうにはどうしたらよいかという問題もあります。
 さて二〇一七年一〇月一六日〜一一月一〇日に開催される第一二一会期中にジュネーブにおいて、日本政府報告に対するリストオブイッシュ―の委員会採択が行われる予定です。そして本審査は二〇一八年以降になることは確実です。理由は政府報告は委員会がリストオブイッシュ―を発してから一年以内に提出となっているからです。
 自由権規約委員会へのNGOリポートの締め切りは七月二四日(月)であり、国際人権活動日本委員会はこれまでレポート原稿を募集してきましたが、その締め切りは五月三一日(金)、日本委員会への翻訳済み原稿の締め切りは六月三〇日(金)となっています。今のところ、報告は末尾記載のとおり一一団体が予定されていますが、実は困難なことが起こっています。これまで、報告書のボリュームは自由でしたが、今回から一団体一万語(一〇〇〇〇words)となりました。ほぼ一報告に付き一千語に過ぎず、十分な記述は難しいと思われます。委員会のこれまでの、そしてこれからの負担を考えれば、やむを得ないところかもしれません。
 またこれまでは当然のように設けられていた非公式ブリーフィングはNGOからの要請があっても必要性の判断は自由権規約委員会が行うとなったようです。私見ですが、こうした効率化は次第に市民社会の自由闊達な「民の声」を遠ざけることに繋がり、本末転倒にならなければと思います。
 さて、自由権規約委員会第一二一会期の傍聴希望者は参加申請しなければならず、その締め切りは今年一〇月六日(金)となっています。
 私たちの側から、日本の人権状況を報告することはとても大切です。是非今後の動きにご注目下さい。
レポート提出予定団体・若しくは個人
一 国際人権活動日本委員会
二 兵庫県レッドパージ反対懇談会
三 治安維持法犠牲者国賠要求同盟
四 日本国民救援会
五 国連に障がい児の権利を訴える会
六 東京・教育の自由裁判をすすめる会
七 小林痴漢冤罪事件
八 個人情報保護条例を活かす会
九 消防職員ネットワーク
一〇 日本出版労働組合連合会
一一 日本航空解雇裁判原告


「国旗」を法律で定める意義
 ―「旭日旗」問題補論

東京支部  後 藤 富 士 子

 「日の丸」を国旗と定めた「国旗及び国歌に関する法律」が制定されたのは、平成一一年のことである。したがって、それ以前に陸上・海上自衛隊が「旭日旗」を使用していたとしても、違法とはいえない。また、航空自衛隊は、同法が制定される前から、「日の丸」を使用していたのであろう。
 そうすると、陸上・海上自衛隊が同法制定後も「日の丸」ではなく「旭日旗」を使用してきたことが違法ということになる。しかるに、同法制定時に、「旭日旗」使用の実情が議論になった記憶はない。むしろ、「日の丸」は、旧日本軍が使用していたものであることを前提にして、それを国旗とすることに反対したのではなかろうか?
 このような前提事実を誤った政治的意見は、法律次元の問題を看過させる。
 一方、「旭日旗」の使用は、旧日本軍だけではない。
 ちなみに、朝日新聞社の社旗も「旭日旗」である。
 そうすると、アジアにおいて「国籍や政治的主張に関連する差別的象徴」と認定された「旭日旗」を社旗としていることは、適切なのだろうか?
 実際のところ、官房長官が言うように、「旭日旗はよく使われている」のである。
二〇一七・五・三一
※注 前号(六月一日号)の補論です。


性犯罪の罰則強化に関する
村田団員の論考について

千葉支部  守 川 幸 男

 五月二一日付の団通信で名指しされているので(批判されたというより、私の「ぜひ議論を」に答えたものであるが)、議論を要すると思われる項目についての論点整理と多少の感想的な意見を述べたい。
下限引き上げの問題点の補足
(1)下限以下の量刑の多い現状についての評価は?
 かつての量刑について、懲役三年以下が五〇%だったのが、平成二五年では二八.四三%となっているとの指摘がある。
 一つ一つの事例の当否は不明だが、重罰化の方向にあることの反映なのであろうか。ただ、五月一日号で私が指摘したとおり、酌量減軽してでも下限以下の量刑を選ぶことの不自然さをどう考えるのか。三年を五年に引き上げるとさらにその矛盾が増えることをどう考えるか、検討する必要はあると思う。
 なお、多くの事例の中には、合意なのか強制なのか疑わしかったり、示談ができていたり、処罰感情が強くないケースなど、裁判官が実刑がふさわしくないと判断したものもあろう。もっとも、「暴行・脅迫」の要件が高すぎるとかの問題もあり、女性が命を守ることを優先して抵抗し切れずに合意と疑われ、そのことを裁判官が見抜けなかった悔しいケースもあろう。しかし、ここでは個別の事情抜きの一律的な引き上げでよいのかが問われていると思う。どんな事件でも執行猶予は許されない、というわけではない。
(2)他の犯罪の刑との均衡については?
 村田さんは「問題はないわけではない。」と認めていて、その解決の方向について「いずれは刑法全体を見直す必要がある」と述べているが、その点の議論が求められている。
いきなりの重罰化について
 五月一日号で、詳しい内容は書かなかった。二〇一六年三月二五日付青年法律家の一二ページに宮城の阿部潔さんの「性犯罪の重罰化等について」の論考がある。「口淫について、従前は『強制わいせつ』として「六月以上の有期懲役」であったものが、いきなり『五年以上の有期懲役』となってしまう。」との指摘がある。これは法制審段階での指摘であったが、国会に上程された法案も同じだったと思う。これでよいのか検討する必要がある。
下限引き上げ以外の論点について
 罪刑法定主義や明確性の問題点についても指摘されていて、この点の検討が必要である。村田さんが指摘するように、詳しい団員からの論考が期待される。
国連の女性差別撤廃委員会の是正勧告について
 この点も五月一日号で指摘した。国連が、慎重、批判意見についても、どこまで議論して勧告しているのか、議論の素材として簡潔に紹介してほしいと思う。
「人間の尊厳に対する罪」であることから何が導かれるのか
 性犯罪が人間の尊厳に対する罪であることに反対する人はまずいないと思う。ただ、性犯罪だけがそうなのであろうか。また、五月一日号で指摘したとおり、重罰化による犯罪抑止の効果や再発防止対策全体としてどう考えるのか、犯罪加害者対策と教育、犯罪被害者に対する救済対策をどう考えるかなどについて、総合的に検討しなくてよいのであろうか。また、他の犯罪と比べて潜在化しやすいことに対応した対策も必要である。
議論のし方について
 私は五月一日号で、昨年六月一五日付の千葉県弁護士会の全国で唯一の反対意見書(正確には「性犯罪の罰則の整備に関する意見書」)を紹介し、二回の常議員会の審議で二三対二対二で採択されたことを紹介した。この審議の中で、「これだけ強い反対があるのに強行するのか。」とか「犯罪被害者に説明できない。」という反対理由もあった。これは、死刑廃止問題でも見られた一つの反対理由だが、ここでは法律実務家、在野法曹の立場から少し冷静に議論してはどうだろうか。この議論をしているうちに、国会ではあまり議論されずに、すんなりと成立してしまうかも知れないが。
 なお、私は、ヘイトスピーチや死刑廃止問題、核兵器問題など、自らが関与していない諸問題や十分に活動し切れていない分野でも、そのことを自覚しつつ棚に上げて、考えているところを率直に述べてきた。専門的に担当していて、その思いの強い深い論考も必要だが、少し離れた位置からの指摘も必要だろうと思う。したがって、もし不十分、不正確な点があればご指摘いただければありがたいと思っている。
 以上、ぜひ活発な議論を期待したい。