<<目次へ 団通信1603号(7月21日)
松島 暁 | *憲法討論集会特集・その2* われらの改憲提案―安倍改憲戦略の狙うもの |
松井 繁明 | 安倍改憲「九条三項」を考える |
守川 幸男 | 憲法九条三項「加憲」問題の論点整理 |
大久保 賢一 | 「安倍流改憲」阻止のために その二 ―自衛隊を憲法に位置づけるだけという嘘― |
須藤 正樹 | 大衆運動として選挙闘争の時代に思う |
菅野 園子 | 近畿ブロック交流会の報告 |
中野 直樹 | 五月の風渡る 春山三山―巻機山(上) |
東京支部 松 島 暁
一 憲法記念日に、改憲派の集会にビデオメッセージを寄せた安倍首相は、「二〇二〇年までに新しい憲法の施行を」と打ち上げた。同じ五月三日、一冊の本が出版された。タイトルは『これがわれらの憲法改正提案だ―護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?』(以下、「われらの改憲提案」と略す)、この挑戦的書の著者は、日本政策研究センター長で安倍加憲提案の考案者・伊藤哲夫氏らである。
『明日への選択』平成二八年九月号に掲載された「『三分の二』獲得後の改憲戦略」において伊藤氏は、三分の二の壁がようやく突破され、護憲派陣営分断に向けた「反転攻勢」と改憲派の「思考の転換」を改憲戦略の二つの柱に、まずは加憲によって「普通の国家」を実現し、いつかは「真の日本へ」と主張していた。本書「われらの改憲提案」は、「明日への選択論文」をより体系的かつ詳細に展開したものである。
二 これまで憲法・平和・九条をめぐっては、自衛隊は違憲であり、憲法九条は守られるべきとする非戦・平和主義者と自衛隊は合憲と考えるが、自国防衛に徹すべきとする専守防衛論者とが「立憲主義」を媒介に護憲の連合を組み、伝統的改憲論者(改憲「原理」主義者)や軍事(自衛隊)の積極活用を目論む軍事積極論者(積極的平和主義)らと対峙し、彼らの改憲の望みを封じてきた。
本書は、現憲法が「国家」と「日本」を欠落させた欠陥憲法だとする点で、改憲「原理」主義の立場だとしつつ、同時に、憲法を一から作り直す政治状況に今はなく、不可能であるのにそれができると言うのはゴマカシである。「現憲法肯定派」と「押しつけ憲法否定派」が半数以上を占める現状では、新築「改憲」ではなく耐震補強としての「加憲」こそが追求されるべきだと主張する。
三 われらの改憲提案の政治的意図は二つある。
第一は、護憲派の分断である。日本国民の九〇%以上が好意をもって自衛隊を支持しており、国防の任務を自衛隊に国民が負託、自衛隊は平和と安全を守る活動を行い、国民はその恩恵を受ける関係にある。ならば、憲法に何らかの位置付けしないままでよいハズがない。現状維持派(専守防衛論)は自衛隊反対派ではない、現状の限界を知れば改正派になりうるのだから、加憲=自衛隊の明記の議論は説得力あることになるとし、現状維持派=専守防衛論者を改憲派に取り込み、非戦・平和主義者の孤立化を狙うものである。
第二の狙いは、改憲「原理」主義の主張の封印であり、われらの改憲提案の重点は、むしろこちらにあると思う。
戦後初めて改憲実現の可能性が出てきた。しかし、憲法の根本的欠陥にスポットをあてた原理的主張―(1)日本の伝統的価値を確認・表明する前文、(2)天皇を国家元首に、(3)自衛軍の保持を明記、非常事態条項の明文化、(4)義務と責任の自覚、(5)家族の価値と国の保護責任を規定―これを言い続けていたのでは中間的人々は警戒し現憲法肯定派や公明党も乗ってはこないという。
彼らの意図を露骨に表現すれば―改憲派に向かって、現状肯定派が多数を占める国民意識を考えろ。原理的主張に固執することは戦後初めて訪れた千載一遇のチャンスを無にするもので、百害あって一利なしだ。非武装平和の原理的主張を前面に出さずに立憲主義で連合している護憲派の教訓を何故学べない。改憲「原理」主義者は黙っていろ。―となるであろうか。
四 盤石といわれた安倍政権に最近感ずるのは「腐臭」である。数々の失言や暴言、不祥事といった臭いは、安倍政権の内部で進む腐敗が放つ臭気である。都議選最終日、秋葉原での街頭演説の場で起きた「安倍辞めろ」コールと安倍の反発が報じられている。それを見ながら、ルーマニアのチャウチェスク独裁政権末期、本来支持者しかいないはずの演説会場で反チャウチェスクのコールが起きたシーンを思い出した。独裁政権が倒れるときはあっけないのだ。
安倍は、最初、改憲要件を引き下げて改憲に臨もうとした(九六条改憲)ものの「裏口改憲」との批判を浴びてこれを断念、次に、内閣法制局長官の首をすげ替え、旧政府解釈を無理矢理変更、集団的自衛権容認という解釈改憲を強行した。今度は、加憲による護憲派の分断を策すもので、その手法はあざとい。安倍らしいといえば、安倍らしいが、「身勝手」で「志なき」改憲戦略というべきである。
森友で国有財産を私物化し、加計では文部行政を私物化、今度は憲法を私物化しようとする。こんな安倍改憲策動を許してはならない。
東京支部 松 井 繁 明
安倍首相が提起する九条改憲案。その要となるのが新設する同条三項であるのには間違いない。
しかしその具体的な条文(案)は明示されていない。ただ自衛隊を「明記する」というばかりである。そのためもあってか、憲法擁護派の反論も一般論に終始しているようである。
そこでまず、新三項の条文(案)を推理してみよう。
自衛隊を「明記する」というから、その条文(案)はつぎのようにならざるをえない。
「前項の規定にもかかわらず、……自衛隊を保有する」
問題は右の「……」がどうなるか、である。
一般にここには、自衛隊の目的またはその主要任務が書込まれ、憲法上の、自衛隊の存在を規定する基本条項となるはずのものだろう。
自衛隊の主要な任務として、つぎのような規定が想定できるだろう。
「侵略を受けた場合、自衛権を行使して国土および国民の生命、財産を守る」
フルスペックの集団的自衛権
このように「自衛権」を規定する条項は、当然に国連憲章五一条の適用を受け、個別的自衛権および集団的自衛権を保有するものと解される。「存立危機事態」などの制約を受けないフルスペックの集団的自衛権である。
つぎのような規定も想定されるだろう。
「世界の平和および秩序の維持、発展に貢献する」
地球の裏側まで
これによれば、自衛隊の活動地域は地球的規模に拡大する。じっさいの運用がどうなるかは別にして、法理論上自衛隊は「地球の裏側」まで足をのばすことになる。
安倍首相は自衛隊を「八割の国民が信用する」として、この改憲の見通しを展望する。
自衛隊の前身である警察予備隊が発足(一九五〇)してからやがて七〇年になる。
この間、自衛隊が災害時の救援・復旧活動に献身し、国民に感銘をあたえ、高い信頼を得てきたことは事実である。
しかし幸か不幸か(国民にとっては「幸」なことに)、自衛隊が武力を行使して国民の生命を救った例は存在しない。レニングラード、スターリングラード防衛戦で苦難と悲惨に耐え、ついにはナチスドイツ軍を大敗走させた「赤軍」にたいするロシア民衆の圧倒的信頼、ドイツ占領軍にたいし生命がけで闘ったレジスタンスやその戦士にむけられるフランス人民の揺るがない敬服ーこれらに匹敵するものは自衛隊には存在しない。
ここには、災害時の自衛隊に対する国民の信頼を、「武力組織としての自衛隊」の承認にすり替えようとする安倍政権の策略がある。これを許してはならない、とつよく思う。(二〇一七・七・一二記)
千葉支部 守 川 幸 男
(注)都議選で自民党が大敗したが、国会の勢力は変わらないし、解散もしないと思われ、当面これらを踏まえた修正はしない。
一 その手法、やり方の問題点―安倍独裁の象徴
・二〇二〇年オリンピックに施行目標
年内に衆参の憲法審査会に自民党案を提出、来年一二月の衆院の任期満了前の六月に改憲発議、とのスケジュールを決める
・自民党の改憲草案をそのままにして、党内手続も経ず首相の独断 で方針転換
・オリンピックの政治利用、オリンピック憲章違反
・これらに対する党内での批判はわずか
・憲法尊重擁護義務(九九条)違反
「名を残したい」という異常な個人的野望の反映
二 その背景と狙い
(1)戦争法の不十分さとあせりの反映
・あれこれの要件が煩雑でじゃま
・南スーダン派遣するも
新任務(駆け付け警護、宿営地の共同防護)は全く発動できず、むしろ自衛隊員を危険にさらすという意見、不満も
・「米艦防護」も太平洋側でおざなりに実施して見せただけ
・戦争法のほかの改悪部分も九条と世論で発動できない
(2)背景と狙い
・日本会議の伊藤哲夫氏らの考え方と同じ
・公明党の「加憲」、維新の「教育無償化」(改憲不要、財源こそ重 要、これまで反対して来たこととの矛盾などの批判が可能)に迎 合、取り込み
・自衛隊の軍隊化
・軍隊としての実質を確立するための軍法の整備へ
・「安倍政権下での改憲反対」勢力の分断
・専守防衛、災害救助に対する国民の思いを悪用
三 憲法九条は生きていることの反映に確信を
・戦争法強行などの敗北感は不要、九条は生きている、その価値は 不変
・新九条論の誤り
四 三項「加憲」のもたらすもの
・戦力不保持の二項と三項で自衛隊容認、合憲化との間の抜きがたい矛盾
・当面、二項を削除せずとも、二項の死文化へ
憲法の明文を解釈や立法で否定する立憲主義無視の政権下でこそ
・いずれ二項削除の「改正」を狙う
今度は二項と三項の「決定的矛盾」を悪用、のご都合主義
五 改憲阻止のために
・共謀罪強行でひるんでいるヒマはない
・本気の方針であることに警戒を
・改憲の動きのスピードを直視する
・緊急事態条項もあわせて一気に実現の方針に警戒を
・国会での発議の強行の危険性は直視する
・国民投票運動での資金力に物を言わせた大キャンペーンを軽視し ない
・タイミングを図った大規模テロ、謀略事件のおそれにも警戒を
しかし―
・三項「加憲」の条文に、専守防衛も災害救助も入れるはずはない ことの暴露
・三分の二と言っても内部矛盾も大きい
・「安倍政権下での改憲反対」方針の堅持
新九条論者とともに反対運動を
民進党の動きに注目するとともにいちいち一喜一憂しない
・安倍内閣の暴走、国家の私物化、末期症状と支持率の低下に確信を
・この数年、外堀は埋められたが、本丸決戦での返り討ちの気概と 確信を
・これまでの悪法強行との決定的違い = 国民投票 = との確信、 憲法学習会、署名運動など備えの開始
・権力の内部での対立、異論もあり、国会上程阻止こそ目標の方針 は不変(注、これまで我々は、国民投票に持ち込ませないことを運 動の目標として来たが、この線は突破される危険も高まっている)
・これらの論点をよく理解して全面的な批判を
(六月三〇日記)
埼玉支部 大 久 保 賢 一
自衛隊違憲論を解消するための改憲ということについて
安倍首相は、多くの憲法学者や政党(共産党は名指しされている)の中には、自衛隊を違憲とする議論が存在しているので、「自衛隊が違憲かもしれない」などの議論が生まれる余地がないようにするために、「九条一項・二項を残しつつ自衛隊を明文で書き込む」としている。法理論的にそのような書き込みが可能かどうかは置いたとして(このことは後で述べる)、そもそも安倍首相は自衛隊を違憲などと考えていない。歴代内閣は、自衛隊は合憲であるとしてきたし、安倍政権は、その自衛隊の海外での展開を大幅に拡大しているところである。今更、自衛隊の違憲性を自分から問わなければならない理由はないはずである。にもかかわらず、安倍首相は何か大事なことを提案しているかのように振舞っているのである。少し冷静に考えてみよう。
仮に、安倍首相がいうように現在の自衛隊の違憲性を解消するための改憲がおこなわれたとしても、現状の自衛隊を追認するだけだから、自衛隊の地位が向上するわけではない。今以上に、自衛隊の活動範囲を広げるための改憲ではないからである。これでは、何のための改憲なのか判らなくなる。
逆に、自衛隊の存在を合憲化するための改憲案が否決されたら、現在の自衛隊の違憲性は固定されてしまうことになるであろう。
このことについて、自衛隊合憲論者を自認する長谷部恭男先生は、「自衛隊の現状を憲法に書き込んでも安全保障環境は一ミリも好転しない。…現状を書き込むという提案が国民投票で否決されたら、安倍首相は自衛隊をどうするつもりなのだろうか」と指摘している(毎日新聞・前同)。
そして、私とは逆の立場であるけれど、憲法九条二項を廃止して国防軍を作り、「普通の国」として海外で武力行使を可能としたいと考えている改憲派からすれば、このような「安倍流改憲」は、全くの無益・無駄、あるいは藪(やぶ)蛇(へび)になる改憲案であろう。自民党の一部からこのことを指摘する意見が出てくるのは、当然であろう。この人たちは、「殿ご乱心」と思っているのではないだろうか。
九条「加憲」の矛盾
ところで、安倍首相が、九条一項・二項をそのままに、三項を追加して(九条の二の新設でも同じこと)自衛隊の合憲化に取り組むというのであれば、そのようなことが法論理的に可能なのかという問題が生ずる。この「加憲」という手法は、戦力を持たないとしながら戦力を持つという矛盾も、交戦権を持たないとしながら戦闘行為をするという矛盾も深刻化するからである。そもそも、戦力や交戦権を持たないという規範と自衛隊という戦力を持つという規範は法論理的には両立しえない規範である。二項を残したまま自衛隊を戦力とすることは無理である。法は二律背反を認めないし、そのような規範は成り立たないからである。法の原理を無視して憲法の条項を改正するなどということは、「法の支配」の放棄である。このような「加憲」は余にも無理筋である。無理を通して道理をひっこめることはできない。
それでも、「加憲」にこだわる理由
にもかかわらず、その無理をゴリ押ししようという「安倍流改憲」の政治的狙いは、自衛隊の追認だけではなく、国防軍化を狙うものである。なぜなら、改憲派にとって、自衛隊の現状確認ための改憲の不合理性や危険性は先に述べたとおりであるから、その危険を冒してまで確保したいのは、九条の縛りのない自衛隊の海外展開と理解するのが合理的だからである。
現在、政府と与党は、自衛隊の存在は合憲とするだけではなく、その任務として、急迫不正の侵略に対するやむを得ない範囲での自衛の措置(専守防衛・個別的自衛権)にとどまらず、「存立危機事態」における武力行使、「重要影響事態」における後方支援、「国際平和活動」における武器使用などを認めている。このような憲法解釈は違憲であるとの多くの憲法学者や元内閣法制局長官、元裁判官、弁護士、市民そして野党の反対を押し切って安全保障法制を成立させたのはつい最近である。
安倍首相が欲しいのは、単に自衛隊の存在が合憲だというだけではなく、これらの自衛隊の活動が違憲の疑いをもたれないようにすることであろう。
安倍首相の「自衛隊が違憲かもしれない」という事態解消のための三項追加というのは、「加憲」をいう公明党への秋波であり、自衛隊の国防軍化に向けての「隠し玉」ということになる。私たちは、現状確認のための改憲などという言説に惑わされることなく、自衛隊の国防軍化をもくろむ改憲策動であることを見抜かなければならない。(続く)
東京支部 須 藤 正 樹
一 二〇一七年七月二日の東京都議選の開票結果は、多くの人を驚かせた。私も開票日の午後八時に始まる出口調査からの推計結果の、都民ファーストの議席独占と自民の凋落の鮮やかな対比に唖然とするとともに、翌朝に知った、共産一七→一九の増加に、前回倍加+一で「躍進しすぎた」ことで、ありえないと見ていたことが起こりまた驚いた。選挙当事者の異口同音の感想では、投票日一週間前から街の雰囲気が一変したと言う。二〇一二年一二月の自民躍進時に安倍首相が高揚の中で締めくくった秋葉原駅前の街頭演説が、今回は、日の丸隊の後ろからアベ辞めろコールが叫ばれる喧騒の中で行われたことが象徴的である。この出来事を猪瀬元都知事は共産党が動員したなどと見当違いのツイッタ−を流し反撃され黙ったと言う。演説で安倍首相が、意見を聞き議論することが大切なのに人の演説を妨害するような行為は許されない、こんな人たちに負けるわけにはいかない、と叫んだことがまた議論を呼び、安倍批判の声が高まっている。私はこの叫びの前半の部分はそのまま安倍首相にお返ししたい本来なら正当なものと考えるが、むしろ後半が話題になり、国民を「こんな人」呼ばわりするのは不当だ、という批判が強い。主権者を尊重しない、敵味方の差別扱いが顕著だ、などの意見が背景にある。私は、このような意識を国民の相当部分が有するような社会に今あることに注目したい。それは、主権者意識であり、自己の利益との関係で正面から政治を考えることであり、それを感情的に表現することを躊躇しないことである。集まった聴衆の中では籠池氏が一〇〇万円を見せながら「説明責任を果たせ」など叫ぶパフォーマンスもあったが、問題あるが落ちぶれたこの人の姿にも共感しているような街の声も少なくなかった。このような国民多数の政治から排除された恨みのような声が、選挙結果の「反安倍」「反自民」に強く反映されている。私も、投票日数日前、それなりに政治意識の高い人たちの集まりで、「今度は都民ファがいかに自民を落とすかだ」と複数名から言われ、その場では異論を出したが、結果は、そのとおりとなった。
二 客観的な結果は、投票率は五一・二七%でやや高め、議席では、都民ファが四九と追加六で五五(+四九)、自民が二三(△三四)、公明が二三(+一)、共産が一九(+二)、民進が五(△二)などである。得票(率)では、都民ファは一八八万(三三・六八%)、自民は一二六万(二二・五三%)、公明は七三万(一三・一三%)、共産は七七万(一三・八三%)、民進は三八万(六・九%)であった。得票(率)を四年前の都議選と比べると、推薦・支持を除く比較可能な選挙区で、得票数・得票率ともに、自民は大きく落ち込み、公明は横ばい、共産は増勢、民進は減勢という結果であった。自民と共産を比べると、自民が共倒れを含め落ち、共産が勝ったのが、品川、目黒、豊島、北、板橋、北多摩一、北多摩三、北多摩四で、野党共闘は、北多摩二で生活ネットが勝ち、北を含め五つの選挙区で共闘が実現した。都民ファは大勝したが、小池都政一年で、保育行政などの都民要求に応える前進面はあるが、外郭環状道路・特定整備路線や都市開発重視の予算配分は変わらず、築地市場も豊洲移転の上で活用するという矛盾を抱え、オリンピックを控え、問題は山積している。
三 今回の変化をもたらした背景が「反安倍」「反自民」の声であることは明白であるが、その声はどこからきたものであろうか。各種調査は、バラつきはあるが、無党派層の支持は、産経でも、第一位は都民ファが三〇、第二位が共産で二〇、続いて自民一三、民進一〇、公明八で、他紙も同様であった。私の感覚では、無党派一〇のうち、五が都ファ、二が共産程度かと思われる。しかし都政の上記の争点について政策論争で勝利したという感じはまったくなく、「反安倍」「反自民」の批判の受け皿にどこがなったのかが、勝敗を分けた。思えば、一年前の都知事選でも、同じような政治不満が小池旋風を吹き荒れさせたように思う。ポイントは旧来の政治への鬱積した不満であり、政治から疎外された民衆の自己要求実現へのぼんやりとした期待である。それは、国保料値上げ反対、認可保育所の大幅増設、築地市場支持、ゼネコン優先の大規模開発反対、庶民参加でオリ・パラ成功をなどの都政政策には必ずしも直結せず、当然、国政の憲法的な争点とは容易には結びつかないが、相当な範囲でこれらを「反安倍」の点で支持し受け入れ、かつ、そのわかり易い実現を期待する意識である。長い間、人は、政治は変わらないものと信じていたし、実際そうであるが、わずかではあっても今、変わる道があるように見えているのである。わざわざ投票所まで行き、一票を投じることで、自分も主権者として行動しようとする意識、これが変化の根本にあるのではなかろうか。
四 私は長く、選挙闘争は、候補者支援活動以外、地道な支持拡大と全戸配布等の宣伝の活動であると思っていた。確かに、このような活動を広げに広げることが一票を争う組織的な選挙戦の大原則であり、この理はいつの時代もそうであろう。諸外国での自由な戸別訪問もその一つの表れと思う。しかし今は、国民が主権者として自ら何かしてみたいと考えている時代だとすれば、その意識に応える広い行動形態も、極めて重要で選挙の勝敗を左右する活動と位置づけることが大切と思うようになった。若い人が中心で行われることが多い街頭でのパフォーマンス(縫いぐるみなどで踊る、シール投票を行う、華やかなデモをするなど)やSNSを利用した幅広い情報の拡散なども、私にはできないが、有意義な選挙活動である。さらに目を広げれば、原発再稼働阻止の金曜日行動、辺野古・高江・横田などの座り込み行動、戦争法阻止や共謀罪反対などの国会前行動、ヒバクシャ国際署名なども、誰でも参加できる主権者の行動の幅を広げる実例であろう。これらで特に大切なのは、一致点を大事にして自由な参加と共同で行うことであり、自主的な参加を妨げないようにする心がけと思う。これらが、選挙での適切な受皿の構築、たとえば、幅広い共闘と適切な候補者と結合すれば、変化が起こる可能性のある時代になったように見える。
五 目を改憲阻止課題に転じれば、安倍首相は、都議選敗北は「緩み」が敗因だ、反省すべきは反省すると、まったく自己批判しないまま、自民党憲法改正推進本部で、二〇一七年秋の臨時国会までに自民党の具体的な憲法改正案を示す目標ですすめる、とし、二〇二〇年までに憲法九条三項等の具体的な憲法改悪条項の施行を公言している。その後ろには日本会議と米日軍産共同体があり、それこそ「緩み」は許されない。同時に、この時期は二〇一八年一二月の衆院任期切れまでの時期でもあり、解散総選挙が行われることが予定されている。改憲阻止闘争と選挙闘争とが一緒に進む形になるのであり、今日の選挙闘争の大衆運動的な性格を生かす運動をすることと、改憲阻止のための様々な運動、戦争する国づくりに反対する運動を一緒に広げるチャンスが訪れることになる。展望は、目標の受皿さえできるなら、十分に開けるのではないだろうか。
大阪支部 菅 野 園 子
七月一日新大阪で一三時三〇分から一六時四〇分まで大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、和歌山の団員四六名が参加して近畿ブロック交流会を行いました。
きっかけは、森友問題の現地調査を京都支部、大阪支部で行ったときに、ああそういえば、近畿で集まっていないねという思いつきで、いざ四六名が集まるとなるとただあつめて話をしても、まとまるまいと思い、あらかじめ、三つの議論の柱を立てました。事前に各支部の事務局長に電話をしてこんな感じでやりたいけどどうですかといったら、みんな「うちは話すことあるかなあ」という温度感でしたが、ところがどっこいむしろ時間が足りないくらいでした。
(1)街宣に対する警察からの介入に関する報告・意見交換
色々ありますが、街宣に警察の許可をとるかということ、これは団支部はもちろん取らないのですが、弁護士会によっては街宣の許可をとっていたり、ある市民団体はとっていたりとまちまちで、「許可は力関係の問題、妥協したら取ることが当たり前になる」から極力市民の自由としてとらない取らさないということが大事ということで一致しました。しかし、奈良は観光行政、兵庫は福崎や養父などで選挙運動に関する妨害があったり、大阪は、デモの届け出の際に艇団毎の指揮者を届け出るというようにという運用があり外の地域ではないと指摘されたり、色々地域の違いがわかりおもしろかったです。街宣について東京や京都で既にサウンドカーが許可されていると思っていたら、じつはそうではなくて、京都や滋賀は大阪でやってるから認めてよということで認めてもらったという議論がありおもしろかったです。より自由にできる街宣のためにもっと情報交流が必要とおもいました。
(2)憲法九条「加憲」提案への対応について意見交換
これは、佐藤真理先生の国民投票をさせてはいけないという激しい発破かけが印象的でしたが、(1)自衛隊が単なる専守防衛組織から変質していること、安保政策の実態を示す事実、映像その他の収集といった情報の効率的なシェアを実現する方法の検討が必要ではないか、(2)ネット戦略の練り直し(3)向こうに金があり、大規模なCM等をつかった宣伝におそれるのではなく、こっちも金を集める努力をしたらいいとしてクラウドファンデングのなど具体的な提案もありました。
私について言えば、危機感が先立ち、憲法を自衛隊に明記するという提案については、分断されるということばかり、着目していましたが、いや、多くの国民が望むのは、災害救助、専守防衛の自衛隊だ、私達は、自衛隊を違憲、合憲それぞれ考え方の違いはあるかもしれないが、自衛隊を他国に対する攻撃部隊としない、一人の外国人も殺させない、敵国を作らないという点ではより広い立場を代弁できると自信をもって発信していこうと思いました。
(3)各地のとりくみについて、その他フリートーク各地の街宣の報告
手前味噌でいうと大阪の女性活躍がほめられました。幹事や執行部で女性の割合が多いのは、まああまり厳密にやらないと言うことにつきるのと、私個人で幹事長、支部長、事務局幹事のみなさんで業務分担をしているということにつきます。交流会全体としてよかったのは、話す議題をしぼったので、報告だけではなく、議論ができたということです。好評だったので次回は京都で行う予定?と聞いていますが次期は未定です。
神奈川支部 中 野 直 樹
三度目の正直
二〇一五年猛暑の夏、京都の浅野・藤田弁護士と越後駒ヶ岳・中岳縦走をしたときに、一〇月一〇日頃の紅葉見所期に八海山と巻機山に行こうとの話になり、手帳に書き入れた。しかし、大雨で中止。翌年も同じ時期、同じメニューで計画したが、雨天断念。
二〇一七年五月、六日町を見下ろしてどでんと座る八海山など越後三山を見ながら、浅野さんと巻機山の登山口桜坂に向かった。まきはたという名のやさしさと広々とした山上の雄大さとは対照的に、山の胴体は厳しい岩場と峻険な谷に武装され、一般登山道入口は清水部落から入る桜坂しかない。ここの駐車場は五〇〇円の料金が必要だ。珍しいことだ。
標高七三〇mの桜坂からのルートは三つ。一つは安全な井戸尾根コース。そして厳冬期でも岩肌が剥き出ている天狗岩をはさんだヌクビ沢コースと割引(わりめきと呼ぶらしい)沢・天狗尾根コースである。地図にはこの二つの沢コースは、「下山禁止」、「八月中旬までスノーブリッジあり入山要注意」と書かれ、破線の難路である。駐車場には「登山はすべて自己責任です。」との看板、「ヌクビ沢コースと天狗尾根コースは、雪渓の状況が不安定で危険ですので、入山禁止とします。」との看板が当然人目を引いている。
熊との遭遇から始まった割引沢ルート
浅野さんの元々の計画書では登り・ヌクビ沢コース、下り・井戸尾根コースが選択されていたが、直前になり、残雪期のヌクビ沢は危険すぎるのでやめようとの決断をした。次の選択となっていた天狗尾根コースは現地にきてからの判断としていた。浅野さんが駐車場の管理者に状況を尋ねると、沢はまだ厚い雪渓に覆われているので、大丈夫だとの情報を得てきた。この最後の「大丈夫」というのは浅野さんの解釈かもしれない。
装備は六本歯の軽アイゼンで、ピッケルは不要だろうとの判断をした。この判断が正しかったかどうか。午前七時、他の登山者が井戸尾根コースに向かうのに対し、私たちは割引沢に向かう道を選んだ。眼前右手ににょきっと立った天狗岩とその左手下に雪渓に覆われている割引沢が直線的に展望された。いつもどおり中野が露払いで先行し、二人とも熊避け鈴をチリンチリン鳴らしながら樹林帯の道に入った。
突然、左手の沢から、熊が駆け上がってきて、登山道を横切り、右手の尾根側に上がった。熊は、斜面の途中で立ち止まってしばらくこちらの動きを観察した後に、藪に消えていった。若熊のように見えた。向うも驚いたことだろうが、こっちも心臓が高鳴った。これまで熊との遭遇は経験しているが、互いに見合いながら、ほんの目の前を横切って、三〇メートル以上も走っていく姿を見たのは初めてだった。熊の動きは素早く、万一こちらに向かわれるととても逃げられたものではないし、死んだふりをする暇もない。今の熊は人間界を怖がらなくなっているというから要注意だ。
安定した雪渓歩きと思いきや
登山道は割引沢の渡渉点におりた。その場所で雪渓が口を開けてブリッジとなり、沢水が勢いよく流れ出ていた。左岸の残雪を辿って雪渓の厚みが十分になったところで、その中央部分に足を置いた。足下の雪の下からコトコトと水の流れる音が伝わってくることは気持ちがよくなかったが、抜けることはあるまい。踏み跡がつき、先行者がいるようだ。
まだ陽が差し込んでいない雪渓の表面はよくしまり歩き安い。左手西側の岩陵の裾野を被う木々の新緑が朝陽を受けて輝いている。八時過ぎ、沢がやや右側に転向するところの岩肌が露出して滑滝となっているところを過ぎた。地図に出ている吹き上げの滝だろうか。この右岸に道がついており、その周囲には、少し威張っている様子のカタクリの淡い紫色の花、清楚な白色のイワイチョウの花が小さな群生となり、カメラを誘った。ここでは元気な浅野さんが先行し、花を撮り終わった私が再び登山道から雪渓に戻ったところの正面に天狗岩が泰然と現れた。それを眺めていると、突如、右手の上の方から岩が崩れるような音が響き、はっと向こう岸の上を見上げると、岩場の上層から残雪のブロックと石ががらがらと音をたてながら落ちてきた。切り立つ岩陵には陽光が当たり、張り付いていた雪が緩んで雪崩れてきたのであった。幸い、その時点では私はその落下点よりも上部に進んでおり、私のいる場所で危害に迫られたということはなかったが、わずかの時間差であり、ニアミスだったとも言える。先を行く浅野さんも危ないとの声を上げていた。
天狗尾根に取り付くまでの核心部
気を引きしめ直した。天狗岩の左手脇を直線的に突き上げていく雪渓全体が陽に照らされており、気温が上がってきた。天狗岩の手前あたりに四人の先行者の姿が小さく見えた。四〜五〇〇mくらい離れていたろうか。ヌクビ沢出合の場所は雪に埋もれ、不明だった。雪渓の上に残留している落下した雪のブロック、岩片、剥がれた苔などの位置を観察し、両側の上部の残雪状況にも目を凝らしながら、雪渓を歩む位置を見極めた。畳一畳もあるような雪ブロックがあたりを埋めているところもあり、肝も冷やしながら一歩一歩進んだ。ずいぶん先に見えた四人の先行者の進行が遅く、一時間ほどの行動のうちに、天狗岩を越えた先の雪渓から天狗尾根にはい上がるところで合流した。振り返ると、歩んできた割引沢の雪渓がまっすぐに下り落ち、その麓に清水部落が見えた。そしてその先から山が幾層にも立ち上がり、谷川岳、苗場山など上越国境の山波に連なった。その中央に見える三角形の美しい姿の山は何であろうか。(続く)