<<目次へ 団通信1610号(10月1日)
木村 夏美 | *三重・鳥羽総会に集まろう!・三重特集・その五* 鈴鹿市における生活保護廃止処分についての国賠訴訟 |
平井 哲史 | 日本郵便で有期契約社員の待遇格差是正(一部)を勝ち取る |
長尾 詩子 | 「安保関連法に反対するママの会」と絵本「だれのこどももころさせない」と自由法曹団 |
鶴見 祐策 | 知られていない「煽動罪」の危険性について(前編) |
大久保 賢一 | 加憲論が奪うものともたらすもの |
金井 克仁 | 靖国神社は「賊軍」を合祀できるか(二) |
後藤 富士子 | 「最低生計費」と「生活保持義務」(二) |
秋山 健司 | 『自由にできる選挙活動』ご活用ください |
三重支部 木 村 夏 美
一 事件の概要
鈴鹿市に住む三〇代女性のAさんは、出産をし、就労が不可能となったことから生活に困窮し、生活保護の受給を開始しました。Aさんはいわゆるシングルマザーです。
ところが鈴鹿市は、Aさんが男性と生活を共にしているとして生活保護を廃止し、Aさんが既に受給した生活保護費も返還するべきことを決定しました。生活保護が廃止された当時、Aさんの子どもであるBちゃんは、わずか〇歳四か月でした。
Aさんはたちまち生活に困窮し、家賃や電気、ガス、携帯電話代金を滞納するに至り、東海生活保護利用支援ネットワークに電話相談をし、私に事件が配点されました。
そこで、私は、廃止処分に対する審査請求、廃止処分の取消訴訟、執行停止を申立てました。
申立てから約二週間後、裁判所から執行停止の決定が出されました。
その後、審査請求が認容され、廃止処分は取り消されました。返還決定については、鈴鹿市が自発的に取り消しました。
廃止処分は取り消されたとはいえ、執行停止が出る間での間、Aさんは強い不安を感じ、AさんとBちゃんは人間らしい生活もできませんでした。
そこで、廃止処分と返還決定処分によって精神的苦痛を受けたとして、鈴鹿市に対して国賠訴訟を提起しました。
二 訴訟の経過
訴訟の争点は、廃止決定にあたり、鈴鹿市が注意義務を尽くしたか、具体的には、Aさんが男性と住んでいるか否かにつき、調査を尽くしたかです。
実際には、Aさんは男性と一緒に住んでおらず、鈴鹿市が行った調査は不十分であるといわざるを得ません。
そのような不十分な調査で、〇歳の子どもと暮らす母親の唯一の収入源が絶たれたことについては怒りを覚えます。Aさんは食事を切り詰め、Bちゃんの唯一の栄養源である母乳が止まるかもしれませんでした。おむつも買えないため、一枚のおむつを長時間使い、おむつかぶれができるのではないか、Bちゃんに申し訳ないと感じていました。家賃の督促を受け、立ち退きも示唆されていたので、〇歳の子どもと二人、どこへ行けばいいのかと途方に暮れました。
また、Aさんは、生活保護を受けるまでにも、まさに水際作戦といえる扱いを受けたり、生活保護が開始されてからも保護課の職員から違法な指導を受けています。
これらの鈴鹿市による違法な生活保護行政を是正するためにも、本件訴訟に必ず勝利したいと思っています。訴訟は九月一一日に結審予定で、年内には判決が出されると思います。
三 その他
三重県内では、私が把握している限りで、本件訴訟以外にも二件の生活保護に関する国賠訴訟があります。
違法・不当な生活保護行政を是正する一つの手段として、違法な事案については積極的に訴訟を提起していきたいと思います。
三重県では、「生存権がみえる会」という貧困問題に取り組む取り扱う団体があり、本件でも生存権がみえる会を通じて、フードバンクを紹介してもらい、なんとかAさんも食いつなぐことができました。生活保護の問題を取り扱うにあたり、生存権がみえる会のような団体の協力を得ることは不可欠です。今後、生存権がみえる会の活動も、活性化していきたいと思います。
東京支部 平 井 哲 史
団本部から、郵政産業労働者ユニオンが組合をあげて取り組んでいた日本郵便における有期契約社員に対する待遇差別の是正を求める訴訟(東日本)の判決についての投稿依頼をいただきました。ただ、字数制限があるのと、現時点では書き下ろしよりはいっそ声明をそのまま読んで頂いたほうがよいだろうと思いますので、以下引用をします。
「本日、東京地方裁判所民事第一九部(春名茂裁判長)は、期間雇用(非正規)社員である原告三名が不合理な労働条件の是正を求めて日本郵便株式会社を提訴した事件につき、正社員との年末年始勤務手当等の労働条件の相違を不合理だとして、原告三名全員の請求を認容し、会社に対して合計金九二万六八〇〇円の損害賠償を命じた。この判決は、日本の非正規労働者の未来に希望を灯す大きな意義のある画期的な判決となった。郵政産業労働者ユニオンに所属する原告ら三人の組合員は、二〇一二年八月において正規屈用と非正規雇用の著しい労働条件の格差を解消するために戦後初めて立法された労働契約法二〇条(不合理な労働条件の禁止)に基づき、二〇一四年五月八日、日本郵便株式会社を被告として有期契約である期間雇用社員と正社員の労働条件格差の是正を求める訴訟を提起した。三年にわたって、郵便外務・内務業務を担当する社員は正社員も期間雇用(非正規)社員も業務の内容と責任の程度は同一であり、職務の内容と配置の変更の範囲もほとんど変わらないにもかかわらず、様々な種類の手当や休暇などの労働条件に大きな格差があるのは到底容認できない不合理なものであると主張し立証を尽くしてきた。これに対し、被告日本郵便は、管理職以上の社員も合わせて正社員全体と比較すれば期間屈用社員の職務の内容も配置の変更の範囲も大きな差異があり、正社員には「長期雇用のインセンティブ」を付与する必要があるので、様々な手当や労働条件に格差があっても許されると主張していた。本日の判決は、原告らが格差是正を求めていた労働条件のうち、年末年始勤務手当、住居手当の損害賠償を認め、他に判決の理由の中で夏期・冬期休暇と有給の病気休暇を取得させないことは不合理な労働条件の相違であることを認めた画期的な内容である。二〇一三年四月に労働契約法二〇条が施行されてからこれまでいくつかの判決が出されたが、これまでの判決は同条の立法趣旨を正しく解さず不合理な格差について、管理職への登用など将来の人材活用の仕組みの可能性や定年後の賃金減額が社会的に容認されているなどといった誤った根拠に基づき、同条の不合理性について慎重に判断すべきとして、長澤運輸事件、メトロコマース事件、佐賀中央郵便局事件、ヤマト運輸事件などにおいて、労働者側全面敗訴か一部勝訴かの極めて消極的な判断を示してきた。しかし、本日の東京地裁民事第一九部の判決は、これまでの消極的な司法判断の流れを変えて、今後の非正規労働者の労働条件格差を是正していくための扉を開いたといえるものである。日本郵便株式会社は、約二〇万人の正社員に対してほぼ同数の約一九万人の期間雇用社員が働く大企業である。民間の大企業で働く非正規労働者の格差を是正する画期的な判決が出たことは、非正規雇用の増大と格差が広がるわが国の屈用社会に与える影響力が大きいものといえる。郵政産業労働者ユニオンは正社員だけではなく、原告らのような非正規労働者も積極的に組織化して労働条件の格差是正を被告会社に求めてきた。本日の判決は、正社員の組合員が法廷で証言に立ち、同じ職場で同じ誇りをもって同じ仕事をしているにもかかわらず、大きな労働条件の格差があることはおかしいと証言し、正社員も非正規社員もともに一致団結して闘ってきた労働組合運動の大きな成果である。原告ら被告会社で働く非正規社員は、「夢と働きがいのある職場にしてほしい」と切実に願っている。被告会社は本日の判決を真摯に受け入れ、非正規社員と正社員との労働条件の格差を是正するために、直ちに労働組合との団体交渉の席に着いて労使交渉を始めることを強く求める。」
勝訴部分のうち住宅手当や病気休暇は有期契約社員にとって切実なものであり、日本郵便経営にとっては激震の走るものでしたので、被告側は即控訴。原告側も、格差が容認された点、特に、賞与について著しく低い倍率でしか支給されないのは絶対おかしい!という強い思いがあり、西日本の訴訟とタッグでさらに前進を築くために控訴しました。裁判での決着を待たずに決められるものは労使交渉で決めていき、高裁でさらなる前進を築き、有期契約社員の待遇格差是正に弾みをつけるべく当事者・組合・弁護団はいっそう頑張る決意です。
なお、弁護団は、宮里邦雄、徳住堅治、高木太郎、水口洋介、棗一郎(事務局長)、小川英郎、佐々木亮、梅田和尊、嶋崎量、三枝充、小野山静、伊藤安奈、そして私でした。
東京支部 長 尾 詩 子
一 「安保関連法に反対するママの会」の活動
二〇一五年七月、「だれのこどももころさせない」を合い言葉に、京都に住む三人の子どものママが、安保関連法案に反対するママの会を呼びかけました(後に「安保関連法に反対するママの会」と名称変更しています。以下、「ママの会」といいます)。
その呼びかけに応える形で、ママの会に関わらせていいただき、「渋谷ジャック」と呼ぶ街頭宣伝とデモを始まりとして、様々な活動をしています。
ママの会は、各地ごとのママの会の結成を呼びかけています。
二〇一五年九月には約五〇だった各地のママの会は、その後増え続け、二〇一六年五月には一三〇を超えてています。戦争法成立後も「あきらめない」で広がっていったのです。
ママの会は、中央で方針を決めて各地におろすというような「組織」ではないため、各地の活動は各地のママの会で自由に決めて行っています。
あすわかの弁護士を呼んでの憲法カフェを始め、プラカードを掲げてのスタンディング、立憲野党議員との懇談会など創意工夫をこらして活動をしています(時々の活動では、おそらく全国の団員のみなさまにもお世話になっていることと思います)。
「創意工夫」と言うのは簡単ですが、例えば、ある地域で、民進党議員と共産党議員がともに公園のシートの上で、ママ達と懇談している風景などは、私にとってはとても新鮮でした。喫茶店など限られた空間では子ども達が騒いで気が散るし日曜日などは子どもの用事で一定時間ずっと参加できないママ達のニーズと、公園で「だれのこどももころさせない」という横断幕を掲げてピクニックしていると公園で遊ぶ他の親子にもアピールできる利点、議員さんも堅苦しくなく話ができ親しみがもてるということから思いついたようです。
二 「ママの会」に集まるママ達
「安保関連法に反対するママの会にはどのような人が集まっているのですか」という質問をよく受けます。
もちろん九条の会等民主団体で平和運動に関わってきた人もいます。
しかし、二〇一一年三・一一で政治と自分の暮らしとが無関係ではないことを実感したり、二〇一五年の国会の状況を憂いたりする中で、声を上げ始めた人もいます。
戦争法案廃止のために、私たちが日常的に行っている街頭宣伝やビラ作成などは思いつかず、国会に通うために定期券を買いに走ったり、喫茶店でママの会のプラカをテーブルに置いてアピールしたりというアクションをとる「市民」が一緒に活動しています。
熱海の憲法集会における松島団員作成のマトリックスの「B」側寄りの「A」の市民です。
憲法改悪阻止のためには、私たちは、「B」にとどまらず、もっと「A」の市民の中に入り、対話をしていかなければならないと思います。「A」の市民の支持を得るというだけではなく、「A」も「B」も一緒に活動することで、様々な知恵や工夫が出されて、よりカラフルな活動になり、その活動がさらに活動を広げるからです。
私は、団員一人ひとりが、もっと市民の中に出ていきさえすれば、「A」の市民ともっともっとつながれると思っています。
と、偉そうにいうものの、私自身も試行錯誤しながらです。ただ、それでも私の経験からは、教会、寺院、オーガニックカフェ、子ども食堂など、「A」の市民とつながれる場はたくさんあります。そういった場に、こちらから飛び込んでいって、つながることが必要なのだと思います。
また、「ママの会が広がった理由はなにですか」という質問もよく受けます。
スタンディングや街頭宣伝をする際に頭を悩ます横断幕や宣伝のグッズをSNSを使って著作権フリーで共有すること、二〇一五年国会内の状況の酷さなどいくつかありますが、SEALDSとの比較でよく語られるのは、ママの会のメンバーのスピーチは日常生活から始まることが多く共感を得やすいということです。
二〇一五年の夏、マスコミが戦争法案についてあれこれと報道するなか、そういった報道は、幼い子ども達の耳にも届いていました。メンバーの数名が、夜、子どもを寝かしつける際に「ママ、今日の夜、戦争にならない?」と聞かれたと言います。「大丈夫だよ。ママが戦争させないんだよ。」とか「日本には憲法九条があるから戦争しないんだよ。」とかそれぞれの言葉でその場は答えるのですが、そのやりとりは胸に残り、彼女たちが立ち上がるきっかけとなっています。そういった日常生活から始まる話は共感を得やすく、ママの会へ近づきやすくしています。
三 絵本「だれのこどももころさせない」と誕生秘話
今年五月、ママの会のコールから、絵本ができました。その名も、「だれのこどももころさせない」(かもがわ出版)。
絵を描いてくださったのは、絵本作家の浜田桂子さん。故永盛敦郎団員の配偶者です。
この絵本出版の話が出たのは昨年五月でした。浜田さんがイメージをまとめ実際の原画を描くという段階の昨年九月に永盛団員が御倒れになりました。浜田さんは、永盛団員の闘病を支えながら、原画を描き続けたのです。
この原稿を書くにあたり、浜田さんに、永盛団員のことを団通信に書いてもいいですかと問い合わせしました。すると、こんなお返事がありました。
「自由法曹団は、結婚する前からよく聞かされておりました。永盛自身が、戦前の治安維持法下で闘った布施辰治に憧れ、熱く語っておりました。私もすっかり感化され、素晴らしいなあと思ったものです。」「今思い出すと笑ってしまうのですが、『私の夫は、社会的に虐げられた人の弁護士なのでお金は稼がない。私が経済的に支えなければ』などと考えていました。」
不思議なご縁だと思います。時を超えて、先輩団員の自由法曹団への思いがこんな形で伝わってくるとは思ってもみませんでした。
そして、そんな永盛団員が、浜田さんのそばで、どんな思いで、絵本「だれのこどももころさせない」の制作を見ていたのだろうと思うと、胸が熱くなるのです。
絵本「だれのこどももころさせない」の本文は、以下のとおりです。
せんそう させない
こどもを まもる
せんそう させない
おとなも まもる
ママは せんそうしないと きめた
パパも せんそうしないと きめた
みんなで せんそうしないと きめた
ずっとずっと、きめてきた
せんそうのりゆう つくるのやめよう
せんそうのどうぐ つくるのやめよう
だれのこどもも ころさせない
だれのこどもも ころさせない
注:実際のコールは「ずっとずっと、きめてきた」ではなく「七〇年間きめてきた」でした。絵本の普遍性を保つために変更しました。
私たち市民の力で、戦争しないとずっとずっと決めてきたのです。
その私たち市民の力を信じましょう。「B」だけではなく「A」の市民の力を信じて、市民の中に入り、市民とともに声をあげて、憲法改悪を阻止しましょう。
東京支部 鶴 見 祐 策
一 「税金を払いたくない」
「モリ・カケ食い逃げ解散」とはよく言ったものだ。疑惑の追及回避の狙いが露骨だ。財務省による国有財産の実質タダ同然の払下げが国民の怒りを呼んだ。私も集会や学習会のつど「税金を払うがバカバカしい」などと存分に放言している。
これが危ない。今年の春のことだ。国税通則法(通則法)の改正で「煽動罪」が盛り込まれた。
国会では共産党の追及があるが、全くと言ってよいほど報道されなかった。だから世間では殆どの人が知らない。もちろん今年度版の六法全書には載っていない(ちなみに税法書店には平成二九年度改正の分厚い解説書が並んでいる。それを繰って通則法を瞥見したところ、電磁的記録の差押えなど調査権強化に周到な記述があるのに「煽動罪」は空白だった)。
二 国税通則法一二六条の新設
新設された条文は同時廃止の「国税犯則取締法」(国犯法)二二条の引き写しである。「国税の課税標準の申告をしないこと、虚偽の申告をすること又は国税の徴収若しくは納付しないことを煽動した者は三年以下の懲役又は二〇万円以下の罰金に処する」(そのために「暴行又は脅迫を加えた者も同様」)と定めている。施行は来年の四月。
立法者(財務省)は、国犯法の「編入」と説明するが、実際は違う。他国に例を見ない優遇税制により大企業が適正な課税を免れて空前の内部留保を溜め放題が実際だ。その半面で勤労市民には直接・間接の税収奪と負担の強化が生活苦に拍車をかけている。租税本来の再配分機能は見る影もない。格差の拡大は加速の一方。それを国民大多数が実感している。怨嗟の声がかつてなく広がっている。その現実が新設の基底にある。
三 煽動罪導入の歴史と社会背景
そのことは歴史を紐解くことでわかる。国犯法自体は明治三三年の取締罰則に始まるが、昭和二三年七月に二二条(煽動罪)が加えられた。戦後の占領軍施政下の混乱期の新設である。占領軍と日本政府による苛烈で理不尽な課税と収奪に抗議する自営業者や労働者の運動が大きく発展していった時期にあたっている。その弾圧が狙いである。
その背景を見よう。敗戦後も特権階級の権益の温存が図られた。それとは裏腹に国民の大多数は、戦災の損害と物資の欠乏により生活破綻の淵に追い詰められた。急激なインフレ、食料の遅配や欠配、「緊急措置令」(昭和二一年二月)の預金封鎖の追い打ちに苦しめられた。「隠匿物資の摘発」「生産管理」「食糧メーデー」「米よこせ」の抗議が各地に巻き起こり、「生活擁護同盟」や「民主主義擁護連盟」がうまれた(後の全商連・民商の結成につながる)。
加えて「臨時増加所得税」(昭和二一年一二月)、新たな「増加所得税」(昭和二二年三月)、「営業収益税」が中小零細業者を倒産に追い込み自殺者を続出させた。調査抜きで無差別の割当課税が強行された。滞納の累積は必然だった。そこに占領軍が乗り出した。武力を背景に差押えが街中を制圧した。恐怖の「ジープ徴税」「トラック徴税」と呼ばれた。
昭和二三年七月、事業者は同年分の予定申告を義務づけられた。予告事態が不可能だったが、同年一〇月には、各税務署が割当に基づき一方的に四月分から九月分の仮更正を決めた納税通知書が送りつけ、予定申告と同時に税額の三分の一の予定納税を求めた。多くの事業者が廃業や自殺に追い込まれた。
政府が懸案の「取引高税」の実施が火に油を注いだ。この悪税は、消費者も巻き込み国民大多数の怨嗟の的となり、全国各地に総反撃の運動をひき起こした。施行は昭和二三年九月と決められていた。
想定される世論の高揚を抑えるべく政府がとった施策が「反税」の世論を封ずる「煽動罪」新設であった。
四 「煽動」とは何ぞや
起源を辿ると戦前の弾圧法に行きつく。治安警察法、新聞紙法、治安維持法など。言論抑圧の凶器である(もっと古くは加波山事件や秩父困民党事件を契機に発した太政官布告「爆発物取締罰則」が最初とされる)。曖昧さは権力の濫用を随意にする。
「煽動」とは「行為のいずれかを実行させる目的で文書若しくは図画または言動によって、他人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめるような、または既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることをいう」のが判例である(最高裁昭和三七年二月二一日大法廷判決)。これは治安維持法の大審院判例(昭和五年一一月判決)を踏襲している(後の「破防法」の定義に引き継がれる)。
「煽動」は、相手方が不特定または特定の多数者であることが必要だが、これらの者に行われた場合に限らず、これらの者に伝達されることを予期して為された場合にも犯罪が成立する。相手方が了解可能な状態で文書(ビラ)を置いただけでも処罰される。決意実行の有無は問わない。国犯法二二条一項違反の事件では最高裁昭和二九年五月二〇日第一小法廷判決がある。「文書による煽動罪の成立には、その文書を他人において現実に認識又は了解することを必要とせず、他人によって閲覧され得るような状態におくを以て足りる」としている。(続く)
埼玉支部 大 久 保 賢 一
私は、九条一項・二項をそのままにして自衛隊の存在を書き込むこと(加憲論)は、禁止規範と授権規範を併存させるという矛盾であり、規範としての体裁をなさないので、そんなことはやるべきではないと考えている。ただし、この論点は、論理的に整合しない改憲などは止めろというものであって、憲法の平和主義とは直接の関連性はない。だから、自民党の改憲草案のように、九条二項を廃止したうえで、「国防軍」を設置するという改憲案に対する批判とはならない。そのような改憲案は、論理的には矛盾しないし、規範としての体裁も整えられるからである。
けれども、私は、自民党改憲草案についても反対である。その理由は「武力を行使する組織」=軍隊を憲法に書き込むことに反対だからである。
軍事力で物事を解決すれば、どのような非人道的な結末が発生するのかについて、私たちは多くの実例を目の当たりにしている。それは、七二年前の日本の敗戦にまで遡らなくとも、現在、世界で起きている事態を直視すれば明らかであろう。武力行使の結果、多くの死傷者が出るだけではなく、難民やテロリストが生み出されている。加えて、現在の朝鮮半島の情勢は、意図的であるか偶発的であるかはともかくとして、核兵器の応酬が発生する怖れすらある。
七月七日、国連で採択された「核兵器禁止条約」は、核兵器の使用がもたらす壊滅的人道上の結末を回避する確かな方法は、核兵器を廃絶することであるとしている。(ただし、日本政府はこの条約に反対している。結局のところ、核兵器の使用を容認しているのである。)
同様に、国際紛争を武力で解決しないということを徹底するならば、一切の戦力の廃絶が望ましいことは当然である。自民党は、そのような発想はユートピア的で非現実的であると批判しているけれど、軍隊のない国家が二六カ国ほど存在している事実もある。
そもそも、殺傷力と破壊力で欲しいものを手に入れるという行動(戦争)を、繰り返された悲劇を踏まえて否定してきたのが「戦争違法化」の歴史であり、国連憲章の到達点である。
そして、人類が核兵器を保有し、それが使用された「核の時代」における武力の行使は、文明の消失をもたらすことになるので、戦力を放棄しようというのが、日本国憲法の非軍事平和規範誕生の歴史的背景である。であるがゆえに、日本国憲法には「軍隊」についての規定が存在しないのである。「核の時代」において、憲法九条の先駆性と普遍性は承認されなければならない。
ところで、政府は、「自衛隊は、…自衛権行使の要件が満たされる場合には、武力を行使する組織であるから、ジュネーブ諸条約上の軍隊に該当する。」(政府答弁書・内閣参第一五五・二号・平成一四年)として、自衛隊は国際法上「軍隊」であると認めている。
加憲論は、その自衛隊についての規定を書き込もうというのである。非軍事の立場を徹底している憲法に、自衛隊という「武力を行使する組織」=軍隊を書き込むことは、現行憲法の基本原理の一つである「平和主義」を大きく変容させることになる。軍隊が憲法上の国家機構として公認されるからである。例えば、自衛隊のための強制収用が可能になり、百里基地のような曲がった滑走路などという事態は起きなくなるであろう。そして、兵隊が足りなくなれば「徴兵制」が検討されることになるであろう。「軍事法廷」も必要になるであろうし、軍の暴走防止のためのシステム(文民統制)の構築も求められるであろう。他方、「防衛産業」と「防衛族」はわが世の春を謳歌するであろう。
自民党が、この政府見解をどのように理解しているのかは知らないけれど、現行憲法に全く存在しない「軍隊」に係わる条文が書き加えられても、何も変わらないなどというのは明らかな嘘である。そもそも何も変わらないのであれば、こんな改憲など不要であろう。
加憲という提案は、核兵器も含む武力で国際紛争を解決できる国家になるための準備行為であることを見抜かなければならない。
提案者は正面からそのことを説明するべきであろう。例えば、次のように。
我が国は、米国の傘に依存して自国の安全を確保する。そのためには、米国との軍事同盟を維持し強化する必要がある。戦地に日の丸や旭日旗を掲げなければならない。そのためには憲法九条二項が邪魔だ。国家の独立と安全があってこそ、国民の生命も自由も幸福も保全できるのだ。非軍事平和主義などナンセンスであり、国家として採るべき政策ではない。無法者の北朝鮮や膨張を続ける中国と対抗するためにも、国防軍が求められるのだ。力のない正義など意味がない。力によってこそ平和は実現できるのだ。さあ、憲法九条を変えよう。
彼らは、このようなことを主張しているのである。
分岐点は、核兵器使用も含む武力の行使を可能とする国家になるための憲法改正を容認するのかどうかである。加憲論は、憲法の非軍事平和主義に風穴を開け、政府の行為による戦争と軍隊をこの国にもたらすことになるのである。
私は、ヒロシマ・ナガサキ体験の上にできた憲法九条を一ミリでも後退させたくないと考えている。核兵器も戦争もない世界を希求するからである。
二〇一七年九月一六日記
東京支部 金 井 克 仁
なぜ靖国神社や保守派の中に異なる意見が生じだしたのか
靖国派や保守派の国会議員や閣僚の靖国神社参拝が続く中、なぜ「賊軍合祀」が主張されたり、前述の本が出版されるのか。
天皇の靖国神社参拝は、数年に一回の昭和天皇の参拝が一九七五年(昭和五〇年)一一月二一日を最後に四〇年以上中断している。再開できる見通しはほとんどない。また靖国神社の氏子は年々減り続け、太平洋戦争の遺族は激減している。
一方で戦争法成立と安倍首相による憲法「改正」の策動により、自衛隊員の海外での戦死者が現実のものとなってきている。そして国のために喜んで戦争で命を捨てる仕組み、すなわち国のために全てを捧げる思想教育(安倍「教育再生」や教育勅語問題・道徳の教化問題等)と、戦死者を顕彰する「靖国神社」の国家支援が必要不可欠になっている。実際に保守派の小林よしのり氏の『保守も知らない靖国神社』(ベスト新書二〇一四年)は、「国を守るための戦争は必要であると考えている。国を守るために死んだ者を顕彰する施設は独立国家には不可欠であり、それがなければ後に続いて、国を守るために命を賭けて戦う決意をする者が現れなくなってしまうから、靖国神社は大切だ」(一九〇頁)と端的に主張している。
こうした中、二〇一九年に創立一五〇年を迎える靖国神社については、国家護持がかなわないまでも少なくとも天皇の参拝を実現し「戦争できる国」を支えようとする勢力があり、一方で頑くなに靖国神社の本質を守ろうとする勢力があり、攻めぎあっているように思える。
憲法「改正」阻止のために
靖国神社は天皇のために死んだ兵士を顕彰する(褒め称える)神社である。すなわち次に続く戦死者を想定するからこそ《戦死者を褒め称え》、ひいては国民の戦意を高揚・鼓舞するための神社である。したがって靖国神社は敵味方を問わない戦死者を慰霊するものではなく、ましてや平和を祈念する施設では決してない。
戦争法の成立により、アメリカによる海外での戦争で自衛隊員が戦死することが現実のものとなってきた。安倍首相がこうした靖国神社の参拝に今なお固執していることは、「戦争する国」として来たるべき戦死者の追悼・顕彰の仕組みづくりに必死だからである。あわせて自衛隊を違憲の存在から解放するものとして、安倍首相は九条三項に自衛隊の存在を創設する憲法「改正」案を表明している。
自衛隊を合憲にする「改憲」、教育勅語的な教育の押しすすめ、天皇らによる靖国神社の公式参拝の実現を目指す先の社会・政治の仕組等は、自民党の憲法改正草案(二〇一二年)にあらわれている。その前文では日本を「天皇を戴く国家」と規定している。
今回の安倍改憲は戦争のできる国造りの完成とともに、自民党の憲法改正草案(二〇一二年)の先触れである。たんに九条三項に自衛隊の存在を創設する点を批判するだけでなく、戦後の民主的システム(安倍首相は「戦後レジーム」と言い、その脱却を標榜する)のの擁護の観点から、あらゆる事柄が「改憲」につながることを意識して、安倍改憲とその国づくり策動を阻止しなければならないと、思っている。(終)
東京支部 後 藤 富 士 子
三 「最低生計費」と「生活保持義務」
憲法二五条一項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定めている。ここで「最低限度」が問題になるが、最低賃金制の議論を参考にしてみる。
中央最低賃金審議会における最低賃金の改定審議のために全労連が各地で行った最低生活費の試算に関し、二五歳男性をモデルにした埼玉労連の調査によると、最低生計費は、税抜きで一九万八二四円、税込みで二四万一八七九円である。働く貧困層(ワーキング・プア)が増える中で、人間らしい暮らしを支える水準にすることが求められているところ、「生計費」は、日常の生活を維持するうえで必要な費用であるが、人間らしい生活を送るうえで必要な最低生活費を、消費支出(食費、居住費、光熱水費、家具・家事用品、被服、保健・医療、交通・通信、教育、教養・娯楽、その他冠婚葬祭費など)、非消費支出(社会保険料、税)、予備費(消費支出の一割)などの項目ごとに調査して、試算している。
そうすると、税込月収二四万円以下の夫は、「生活保持義務」であれ、「生活扶助義務」であれ、妻に支払うことはできない。妻は、生活保護などの社会保障制度を利用すべきである。
ところが、「算定表」の思想では、「私的扶養」が「公的扶助」に優先するとして、夫をも最低限度以下の生活に追いやってまで、「生活保持義務」=「婚姻費用分担」を貫徹させる。そして、面白いことに、日弁連は、「子どもの貧困」問題の解決を理由にして「新算定表」を提唱しているが、それは、子どもを連れ去った妻への婚姻費用や養育費の支払額を現在の算定表よりも高額にするものであり、「夫または父の貧困化」を省みない。
かつて、離婚は、男性にとって生命・健康に打撃を与え、女性には貧困をもたらすと言われていた。母子家庭(シングルマザー)に対する福祉政策が充実したのも、そのためである。しかし、終身雇用、年功賃金制が壊れて久しい現在では、男女を問わず、貧困が離婚の原因になっていたり、離婚が貧困の原因になっていたりしている。それにもかかわらず、社会福祉予算が大幅に削減され、貧困についても「自己責任」が強調されている。このような社会情勢の中で、憲法二四条一項が定める「両性の本質的平等」と「個人の尊重」を指導原理とした婚姻生活が営まれ、また、離婚についてもその原理が貫徹されるために、妻が夫を収奪する構造を改める裁判がされるべきであろう。
(二〇一七・九・七)
京都支部 秋 山 健 司
全国の皆様、日々のご奮闘、大変お疲れ様です。
さて、九月度の本部常幹会議の直後、戦後最悪というべき安倍政権が、「もりかけ逃れ」、「北朝鮮情勢に連動しての支持率回復頼み」という、全く大義のない理由での解散総選挙の大博打に打ってでました。安倍政権のこのような動きは許されるものではありませんが、この選挙戦に勝利すれば、今年中に安倍政権を倒すことも夢ではなくなりました。
「経済・雇用」という選挙民の関心事に対して労働法制改悪の動きを語りながら、ひいては安倍改憲の危険を語る活動を盛り上げつつ、市民の選挙活動(選挙運動・政治活動)をあれやこれやと縛り上げようとする公職選挙法とも強かに渡り合っていく活動が求められます。
そこでどうぞ本書をご活用下さい!長年にわたる京都支部の選挙対策活動の中で磨かれた知見に基づき編集されている本書は、市民の選挙活動を法的側面からバックアップする団員の皆さんの大いなる武器として必ずや力を発揮してくれるはずです。
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