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矢普@暁子 *改憲阻止・特集*
憲法九条を守るって、本気で言ってる?
笹山 尚人 憲法九条を守るために、私はこう語る
大久保 賢一 「憲法九条改正の論点」
―自衛隊の明記は可能か―を読んで
今泉 義竜 築地公務執行妨害でっち上げ国賠事件が本になりました!
「不当逮捕―築地警察交通取締りの罠―」
(同時代社・林克明著)
中野 直樹 会津の山たち(四)
伊藤 嘉章 二〇一七年三重総会一泊旅行記
その三 一泊旅行の二日目
副題「後世に残る言葉とは」(後半)



*改憲阻止・特集*

憲法九条を守るって、本気で言ってる?

愛知支部  矢 普@暁 子

 「護憲的改憲論」とか「新九条論」みたいな形で、「自衛隊違憲論者からの改憲論」が出されている。
 この動きに心をグラグラさせている自由法曹団員に問いたい。憲法九条を守るって、本気で言っているのか?本心では、自衛のための武装組織は必要だと思っているのだろう?なぜそれを口に出して言わないのか?もし、自衛のための武装組織は必要だが憲法九条も守りたい、と本当に考えているならば、その理屈をなぜ説明しないのか?あなた方のように「九条も自衛権も必要」という発想をもつ人は、おそらく日本人の多数を占めている。かれらに明文改憲反対の理屈を与えてあげられるのは、あなた方だけなのに。
 私は、憲法九条について真剣に悩んできたから、新九条論なんかが出てきても全く心は揺らがない。憲法九条を守る。そして自衛隊は廃止する。
 憲法九条は恐ろしい内容の条文だ。殺すくらいなら殺される、という凄まじい覚悟が表れている。植民地支配と侵略戦争を行ったアジア諸国に対し、いかなる場合にも武力を行使しないと宣言し武器を捨て、信頼関係を回復するための誓約が憲法九条であり、とんでもない過ちを犯した日本が国際社会に復帰するための前提条件である。決して破ってはならない大事な約束だ。
 したがって、「自衛」だろうが何だろうが、武力は絶対に行使しない。たとえば、米国が朝鮮民主主義人民共和国に対して、イラク戦争のように「先制的自衛」という理由で、あるいはベトナム戦争のように「被害」を自作自演したうえで、先制攻撃し、これに対する自衛権行使として朝鮮が在日米軍基地を攻撃したら?私はこう答える。(1)米国に対しては、朝鮮への攻撃を非難し、攻撃を止めるまで在日米軍の全面撤退を求め基地利用を禁止する。日米安保条約は(違憲無効であるものの)「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」(第六条)にのみ基地利用を許可している。極東の平和を乱す活動は条約違反であるから、第一〇条に基づき安保条約の終了を通告し、一年後からは地代を取る。(2)朝鮮に対しては、日本は無関係であることを説明し、在日米軍基地を利用させない条件で日本領域への攻撃中止を求める。それでもなお日本への攻撃を続ける場合には、国連加盟国に呼びかけて朝鮮を攻撃(集団安全保障)してもらう。(3)国連や周辺国に対しては、米朝双方への戦争停止要請、制裁や国連軍出動等の対応を求める。(4)自衛隊は、応戦しない。被害を受けた地域の市民の避難誘導、復興活動を行う。
 私の回答に対し、あなた方の圧倒的多数はこう言うだろう。「いや、国民の命を守るために自衛隊を出動させるべきでしょ。反撃しないなんて国策としてあり得ない」。憲法九条違反だが自衛隊を活用すべき、と。しかし、一度使用しその有用性を認めてしまえば最後、自衛隊明文化に向かうのは必然だ。
 次に、「自衛隊はいずれ廃止したい。しかし非現実的だ」と考える人に問いたい。自衛隊の即時廃止は、技術的に不可能である原発の即時廃炉よりも「非現実的」なのか?
 私は、自衛隊法等や防衛省を廃止すると同時に、「防災省」を創設して災害特別救助隊に組織再編し、消防庁を災害特別救助隊とともに防災省のもとに置き、武器等を廃棄し、漸次的に予算と人員を削減していく、というプランを立てている。
 他方、「自衛隊はいずれ廃止」などと言いながら、具体的な廃止構想も考えようとしてこなかったみなさんは、本心では自衛隊の廃止を望んでいないのだ。
 一〇数年も前から、「憲法九条を守るために、自衛隊に対する見解の違いはさておいて大同団結しよう」という呼びかけがされている。しかし、なぜ違いをさておくのか。「違い」や「多様性」から目を背け「みな同じ」と言ってくる相手を、どう信頼せよというのか。「小異」を明確にし尊重し合ってこそ「大同団結」が可能なのではないか。非武装を真に実現させたい人と、「必要最小限度」論による自在な解釈改憲を是とする人と、安倍政権を倒した後で明文改憲したい人とが、互いの利益相反になる部分を隠したまま協定を結ぶことなど、不可能だ。団結を呼びかける前に、まず自分の意見を相手に示し、丁寧に議論すべきだ。とりわけ「自衛のための武装組織は必要」と思いながら改憲阻止を呼びかけている人が、その本音と建前をどう両立させているのか、大変興味がある。
 これまでの「護憲運動」は、「大同団結」の名目のもと、憲法九条を正面から論じることから逃げてきた。しかし、憲法九条は大変重要な条文なのだから、きちんと自分の意見を述べ、論じてほしい。そして、せっかく「多様性」がキーワードになってきた時代なのだから、意見の違いを前提としたうえで手を結ぼう。私も、極端だの理想主義だの言われるが、この時代だからこそ、もっと堂々と発言していくことにする。
 改めて問う。憲法九条を守るって本気で言っているのか?団員の本音をぜひ聞かせてほしい。


憲法九条を守るために、私はこう語る

東京支部  笹 山 尚 人

一 リード
 今年は憲法第九条を守るたたかい、正念場ですね。自由法曹団員として、私も微力を尽くしてがんばりたいと思います。
 そこで、年始一発目に、私なら憲法九条を守るために、こういうトークをしたいということを記します。
 と、言いますのも。私は五三期ですが、私たち世代の声が少ない。きっと私のような中堅的な立場にいる人たちは何か言いたくても忙しいから団通信の原稿を書くヒマがないのだ。私もヒマではないのですが、今福島県いわき市から特急での帰り道で飲酒したあとなので他にできることもないので、今回勢いで書いてみることにしました。
二 リアリティーがない?
 五三期の私を基準に話をしますが、団には、憲法や核問題に関して深い見識をお持ちのベテランの先輩団員が多数おられます。そうした団員のみなさまの原稿を拝読していると、正直難しくて、また、リアリティーを感じないこともあります。
 他方、「あすわか」などで活躍されている若手の団員の皆さんが、現場レポート的なものを寄稿するものも見ます。これは現場からの実感なので面白いのですが、しかし、正直、それでいいのかと疑問を覚えることもあります。自衛隊を合憲と考えるリベラルな人たちと手を結ぶ必要がある。だから憲法カフェをやる。それには全く異論はありませんが、そこで語るべき内容はどうなのか。何かそれもリアリティーがないように感じます。
 この「リアリティー」のなさとは、いったいどういうことなんでしょう?
 そこで、私は考えました。
 自由法曹団は、「基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現に寄与すること」を目的とし、「あらゆる悪法とたたかい、人民の権利が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず、ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう」団体です。
 こうした団のたたかいは、どのように展開されてきたか。
 私たちが団の先輩たちから受け継いできたのは、何よりも現場の事実を大切にし、事実を語ってそれを共有し、説得し、団結の輪を広げる、というやり方ではないでしょうか。でしたら、私たちが憲法九条を守ろうと考えるときも、戦争と平和に関する重たい事実を伝え、広げ、そこから団結の輪を広げるということなのではないでしょうか。
三 戦争の真実
 そこで先頭と平和に関する事実に関する認識が乏しい私は、ちょっと調べてみました。すると、こんなことがわかりました(出典、半田滋「日本は戦争をするのか」岩波新書、西谷文和「テロとの戦いを疑え」かもがわ出版)。
(一)自衛隊の話
 戦争の真実という意味では、二〇一七年一一月ころの団通信に掲載されていた佐藤博文団員の戦争のリアルはとても面白く拝読しました。現代の戦争ってひどいなあ。そんなところに今の自衛隊が今のまま行ったら悲惨なことになるなあ。
 自衛隊というと、災害派遣への対応話で語るエピソードがあったけれども、自衛隊ってすることそれかい?
 航空自衛隊は、一九九三年の北朝鮮のノドン発射を受けて、北朝鮮への攻撃の可否を検討しました。そして当時の保有装備では不可能と判断しました。航続距離が足りないから。その弱点を補うために、航空自衛隊はAWACSや空中給油機を導入しました。周辺事態法成立後は、朝鮮半島有事に対応する訓練を、陸上自衛隊も海上自衛隊も行っている。
 イラク戦争の際には、航空自衛隊のC130輸送機は、空輸任務についているとき、地帯空ミサイルSA7の攻撃とおぼしきミサイル探知の警報音にさらされました。
 二〇一六年、南スーダンに自衛隊が派遣されました。南スーダンは、アビエイ地区の帰属をめぐって北のスーダンと戦争状態にあります。アメリカは南スーダンを安定させたいが、自らの部隊を派遣せず、日本と韓国に部隊を派遣させることとし、日本はこれに従った、というわけです。
 自衛隊は、げんにこうした海外での戦争参加への道を進めているわけです。
(二)戦争の話
 現代の戦争そのものは、どんなものなんでしょうか。
 アメリカがタリバン掃討作戦を行ったアフガニスタンで。カンダハルの国道でタリバンがアメリカ軍を狙って路肩爆弾を設置、そこを通った母子の車が吹き飛んで、母親は即死、娘も両足に重傷を負いました。娘の足にはすでにハエがたかっていました。一〇歳の男の子は、米軍がタリバン掃討のためにばらまいたペンシル・デトネイターを拾って、口に大きな穴があき、右手の指が吹き飛びました。
 なんで戦争が起こるのか?
 シリアのアレッポで二〇一三年三月に、三五〇キロ以上離れているダマスカスから飛んできた一発のスカッドミサイルが団地を吹き飛ばして、一五〇名以上を死亡させました。なぜこのスカッドミサイルは、飛んできたのでしょうか?アサド軍が、自由シリア軍の幹部がこの団地にいることを携帯端末の位置情報でつかんだから。スカッドミサイル、その発射装置、位置情報をつかむ衛星、コンピューターのシステム。戦争は儲かる。支払いは、「テロ」とたたかう国々が、税金で払ってくれますから。
 私たちは、こうした人をなで斬りにしていくシステムにお金を払うことに与するのか。さらにそこに自分たちの国の軍隊の流血の惨事まで求めていくのか、ということです。
(三)北朝鮮の話
 北朝鮮は怖い。あそこが核兵器を持つなんてとんでもない。ミサイル撃たれたらどうしよう。だから武力による対抗が必要だ。
 なんとなくそんな意識が市民にあるわけだからこの問題からも逃げるわけにはいきません。
 北朝鮮の軍事力はとても小さいらしい。しかし、彼らは戦力が小さいからこそ、テロやゲリラといった非対称戦を挑んでくる。
 そして問題はミサイルです。自衛隊の人は、「全国を守るにはPAC3が一千基以上必要になる。防衛費がいくらあっても足りない。」と言っている。
 こりゃだめだ…。北朝鮮が本気でわが国を撃ってきたら、いかんともしがたい…。つまり撃たせない、これ以外にない。
四 私ならこう語る
 私自身は、たぶん守旧派的な護憲論者です。自衛隊は最終的には廃止すべきと思っていますし。
 ですが、リベラルって言うんですか、とにかく自分と考えが違う人であっても、それを問題視するつもりはないし、むしろそういう人たちとも、一緒に憲法を守っていきたいです。多くのそういう人たちと一緒にやれるような、見せ方、打ち出し方、これもとても重要だと思います。
 しかし、それと同じくらい、私たちは、「なぜ憲法第九条を守るべきなのか」について、その根拠になる内容を、否定できない重たい事実で語ることもまた大切だと思います。そういう共通認識すべき事実をみんなでまず受け止めて、今の改憲論の本質を見抜き、そのよこしまな意図を許せないという思いでなければ、真に共同することはできないはずです。
 ということで、私なら、たとえば三で書いたような話をして、では、憲法を変えて自衛隊を公認し、北朝鮮を刺激して、海外にバンバン自衛隊を派遣することが私たちの国の平和と安全、人々の幸せな暮らしにつながるでしょうか?違うんじゃないでしょうか?って語ります。こんな話がもっともっとできるように、勉強していきたいとも思います(とくに軍事と北朝鮮情勢)。
 まあ、とにかく憲法にとって大きな試練になる一年となるでしょう、二〇一八年。団員のみなさん、がんばりましょうね。団員として語り尽くして、まずは三〇〇〇万人署名、がんばって集めましょう。


「憲法九条改正の論点」
―自衛隊の明記は可能か―を読んで

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 阪田雅裕先生が、標記の論稿を「世界」二〇一八年一月号で公表している。結論的に述べていることは、「現在の自衛隊を明記した憲法改正案を発議することこそが、法的にも、政策の当否という面でも、この問題を決着させるための王道である」ということである。
 現在の自衛隊を明記するという意味は、(1)自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊の保持、(2)武力攻撃を受けたときに、これを排除するために必要最小限度の武力行使の容認、(3)わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされる危険がある場合(存立危機事態)には、その事態の速やかな終結を図るために必要最小限の武力行使の容認などを、九条一項二項の後に書き込むということである。
 王道であるという理由は、国民投票の結果、「違憲の安保法制」を合憲化する結果になったとしても、違憲の法律が効力を有している立憲主義違反は是正されるし、我が国の防衛政策について、有権者が投票する機会が提供されることは歓迎すべきことだから、という趣旨である。立憲主義違反が是正されるというのが法的意味、投票機会が提供されることが政策的にも妥当ということのようである。
 私は、この結論に反対である。その理由は、このような改憲が成立した場合に、立憲主義違反が解消されるとは思わないし、このような改憲手続きのための国民投票など避けるべきだと考えるからである。
 私は、ある法案が、憲法の条文と文理的整合性がとれているかどうかだけではなく、国会や政府の行為によって、国民の生命、自由、財産などが侵害されないように、政治権力を拘束しておくということが立憲主義の根本思想だと考えている。端的にいえば、国家の最大の暴力である戦争の危険から、国民を遠ざけておくことだと理解しているのである。政府は自国民を戦争の危険から解放すべきだというのは、現代立憲主義が包摂する価値であろう。とりわけ、「核の時代」にはそのことを原点にするべきである。
 仮に、先生の提案のような改憲が行われることは、現在よりも、政府の行為による戦争の機会が増大することになる。したがって、国民の「平和的生存権」を含む個人の生活と権利が、より危殆に瀕することになることは、論理的必然であろう。国民を戦争に駆り出し、その惨禍にまみれる可能性を高める改憲案を提案しながら、立憲主義違反が解消するなどという議論を黙過することは、私にはできない。
 先生は「日本国憲法の平和主義は世界標準並みではない」と考えているようだし(「政府の憲法解釈」・七五頁〜七六頁)、九条は核兵器を容認していないと理解している(「世界」本号・七四頁)ところであるので、私のこのような問題意識は共有していただけるのではないかと思うのである。
 また、現在の国民投票法は、有効投票率の定めもなく、反対運動を担う人たちの行動を制約し、他方では、金に任せた野放図な宣伝活動も容認している。これらの問題点の解消もないままに、とにかく投票の機会があるのだから歓迎すべきだなどというのは、無責任極まりないであろう。
 先生は、「九条の下でも限定的な集団的自衛権の行使が認められることとなった今、その解釈を維持しながら憲法に自衛隊を明記するのは容易なことでない」とか、軍隊を持てる「普通の国」になるというのであれば、九条二項を削除すべきであるともいう。先生はいわゆる「九条加憲」などやれるものならやってみろと思いつつ、また九条二項の削除には反対だと内心考えながら、それでも「憲法も成文法である以上、必要な改正はその宿命である。」としているかのようである。安保法制を違憲だとする先生なのだから、そうなのだと思い込みたいところでもある。
 けれども、私は、「宿命である」などと第三者的にはなれない。人類が核を兵器として使用することが可能な現在、武力の行使を容認することは、直接的であるか、緩慢であるかはともかくとして、「壊滅的な人道上の結末」をもたらすことなると恐れているからである。そして、その恐怖から免れるためには、核兵器にとどまらず一切の戦力を放棄することだと思うからである。日本国憲法は、その地平を規範としているところであるし、それを後退させたくないからである。換言すれば、核兵器も含む戦力をどう制御するかは、現代の立憲主義に課されている最も重要な課題なのである。私はそれから逃げたくないのである。
 願わくば、安保法制は違憲だとしている先生の知恵と経験を、「宿命」を説く方向でなく、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」を実現する方向で生かしていただきたいと思うのは、私だけではないであろう。

(二〇一七年一二月一一日記)


築地公務執行妨害でっち上げ国賠事件が本になりました!

「不当逮捕―築地警察交通取締りの罠―」
(同時代社・林克明著)

東京支部  今 泉 義 竜

 小部正治弁護士とともに取り組んだ築地公務執行妨害でっち上げ国賠事件を、ジャーナリストの林克明さんが「不当逮捕―築地警察交通取締りの罠―」という本にしてくれました。
 この事件は、神楽坂の寿司店「吟遊」の経営者である二本松進さんが、二〇〇八年一〇月、築地市場での仕入れの際に警察官二名から駐車違反の指摘を受け、それに対して反論しただけで、暴行を振るったとして公務執行妨害をでっち上げられ、逮捕・勾留された事件です。警察官二人のウソが発端となったものですが、直後から築地警察署、検察官の組織ぐるみでウソが作り上げられ、東京都と国を相手取って起こした国賠訴訟においては、警察官のウソに従って整理された証拠が国及び東京都からだされました。
 二本松さんと弁護団は、証拠に現れた矛盾を徹底的に追及し、警察官二人の供述のウソを暴きました。結果、二〇一六年三月一八日、東京地裁は、警察官の供述の信用性を否定し東京都に賠償を命じ、一一月一日に東京高裁も地裁判決を維持、東京都が上告を断念したことにより判決は確定しました(検察官の責任までは認めさせることができませんでした)。
 本では、警察官に対する反対尋問の様子なども詳しく紹介されています。警察官が犯罪をでっち上げるためにどれほどの嘘をつくのか、そしてそれをどう暴いていったのかが分かる本になっています。
この本ですが、税込み一九九四円のところ、団通信をお読みの方にはなんと税込み・送料込で特別価格一五〇〇円にて発送もしくはお渡しします。
 imaizumi@tokyolaw.gr.jp
 までお名前と発送先をご連絡ください。


会津の山たち(四)

神奈川支部  中 野 直 樹

はっとう
 三夜連続の山人料理となったが、宿ごとに一工夫ある。このなかに「はっとう」というものがある。お品書きによると、そば粉ともち米粉を練り、茹でてエゴマをまぶしたそば料理。昔、あまりにも美味くて村民が殿様から食べる事をご法度にされたことが語源だそうだ。ソバしか穫れない地に餅米粉を食材にするということ自体がたいへんな贅沢の一品だったということだろう。会津若松で「こづゆ」という呼び名のホタテの入った汁物をいただいたことがあるが、南会津では「つめっこ」というみそ汁物が出された。鶏肉とジャガイモ、そして常食のソバのすいとんだった。
尾瀬国立公園
 旅館末廣の庭には幾本ものヤマユリが豪華絢爛な花弁を開いていた。あたりには強い芳香が漂っていた。七時四〇分に出発した。田代山林道はどんどん高度を上げ、八時半、標高一四三〇mの猿倉登山口の駐車場に着いた。この高さには昨日襲来した小型のアブはいないが、車の排気ガスに反応して今度は茶色の大型アブが集まってきた。メジロアブと違って身辺にまとわりつく行動はとらないが、遠巻きにしながら執拗に接近し隙あれば吸血しようとするので油断はならない。羽音が大きいのでハチと間違うこともある。
登山口に尾瀬国立公園との看板が出ていた。もともと尾瀬は日光国立公園の一部であったが、〇五年にラムサール条約湿地に登録された後、〇七年会津駒ヶ岳、田代山、帝釈山をも取り込んで二九番目の国立公園として独立したと解説されている。
田代山湿原
 スタートが一四三〇mで、標高差五〇〇mほどを快適に登り、九時半過ぎには一九〇〇mに位置する雲上の湿原地帯に出た。木道歩きである。黄色の星形の花が大きな群落をつくりじゅうたんを敷いたような彩をつくってくれている。キンコウカと呼ばれる。そこにワタスゲが白い頭を揺らしながら自己顕示をしている。
 木道の延び行く地平の果てに広がる青空に真っ白い雲が湧き上がる様は、一枚の絵をみるようであった。目線を近くの池塘に移せば、その水面が空の青さを背景に対岸の針葉樹の姿を逆さに映している。心が静まる自然の百景のあちこちにカメラを向けた。田代山頂と書いた木板標識が立っていたが、窪地のようなところでどうみても「山」には見えない。
帝釈山
 湿原の外れの林に弘法大師堂と書かれた避難小屋があり、トイレもあった。一〇時、ここからこの山旅の終着の地である帝釈山への道に向かった。濃密なトドマツ林の中のぬかるんだ道を歩むこと一時間少々で帝釈山に着いた。二〇六〇mの二百名山だ。帝釈という名は、仏教の守護神の一つである帝釈天からとられたものであろう。真言宗ということで「弘法大師堂」という名が付けられたのかもしれない。日光の女峰山の側にも帝釈山と同名の山があるらしい。
 この帝釈山は、六月頃に咲くオサバクサという花の群落が有名らしく、その時期には、直下の馬坂登山口まで送迎バスが運行されるそうだ。写真でみると、オサバクサの花は白く小さな花弁で自己主張は強くないというより、目立たない。この植物の葉が胞子植物のシダに似ている。針葉樹の根元に生えた「シダ」から花が咲いているように見えるのが珍しく人気があるとみた。
 帝釈山から鬼怒沼山に向かって二千メートル前後の稜線が伸びているが、山道はついていない。鬼怒沼山の下には奥鬼怒沼湿原がある。大学生のときにこの湿原脇にある内部に焼け跡がある避難小屋に一人で泊まっていたときに、激しい雷雨に見舞われた。すぐ目の前を稲妻が暴れ回り、奥鬼怒沼湿原全体を青白く浮かび上がらせた。その不気味さと雷鳴がすぐ耳元で咆哮し、振動した空気が身体に響き、鳥肌が立った。このときの深い孤独感そして自然の圧倒的な力への畏怖は忘れることがない。
 帝釈山の山頂には私たち三人も入れ、一〇名くらいがのんびりと昼食をとっていた。無数のアキアカネが風に乗って飛んでくる羽虫を待ちながら、風上に向いて泳いでいた。(終)


二〇一七年三重総会一泊旅行記
その三 一泊旅行の二日目
副題「後世に残る言葉とは」(後半)

東京支部  伊 藤 嘉 章

六 「四日市公害と環境未来館」
 四日市市立博物館の中には、「未来へ、よりよい環境を引き継ぐために」「四日市公害と環境未来館」という四日市公害に関する展示施設があります。二〇一五年三月二一日開館です。
 まずは、四日市空襲に関する展示がある。四日市に初めて空襲があったのは一九四五年六月一八日です。第一コンビナートの前身は、海軍省の燃料廠でした。ここを八月八日まで合計九回空襲で爆撃されたのです。燃料がなければ船は動かない。飛行機は飛べない。それでも、ポツダム宣言を突き付けられた日本政府は、すぐには終戦を決断できず、被害を拡大させてしまった。
 昭和四〇年代のキッチンの風景の展示があります。テーブルと椅子席です。冷蔵庫・洗濯機・テレビ(学芸員にメーカー名を聞くのを忘れました。たぶん、ナショナル)のいわゆる三種の神器があります。昨日の神宮内宮参拝のとき、案内人が本当の三種の神器を説明するにあたり、「これは家電の三種の神器とは違います」と言ったが、誰も笑わなかったことがありました。
 Oさんは、貧乏な生活の中で生まれ育ち、三種の神器が揃った高度経済成長の中で、コンビナートによる公害の被害に遭うという人生を歩んできたという事です。
 高度経済成長は多くの国民に豊かさをもたらしましたが、Oさんをはじめ多くの人が公害患者という苦しい生活を余儀なくされたという事実と、そして、行政、企業、住民の努力で、四日市公害を克服したという事実を後世に残すために、四日市市はこの「四日市公害と環境未来館」を設立したのです。
七 H元市会議員の言葉
 「四日市市は四日市公害の悪いイメージを払拭するために公害を克服したとアピールしている。でも、喘息患者が生まれても、認定制度を返上したため喘息患者は公式にはいないことになっている。実際には・・・」
八 B級グルメ「てんから」
 昼食は、「じばさん」近くの中華料理店でB級グルメ「てんから」を食べる。あとは帰るだけ。ビールを頼む。
伊藤「四日市公害と環境未来館で見た映像の中で法廷の場面があったが、あれは芝居ではないのか」
三重支部団員「いや、あれは本物の映像だ。」「当時、四日市辺りは田舎だから、ああいう映像がとれたんじゃないか」
九 伊藤の独り言 その七
 「当時は、まだテレビカメラが自由に法廷に入れる時代だったのかな」
 「そういえば、帝銀事件(昭和二三年)では、被告人の法廷映像が残っている。また、黒澤明監督の映画にもそのような場面があったような気がするので、人に頼むと、レンタルビデオ店では、「天国と地獄」や「野良犬」は生憎レンタル中ということで、「醜聞(スキャンダル)」というDVDを借りてきてくれた。まだ占領下の一九五〇年(昭和二五年)封切りの松竹映画で、事実無根のスキャンダル報道に立ち向かう画家の三船敏郎と歌手の山口淑子に、志村喬が演ずるチョイ悪弁護士が絡む。この法廷場面では、立見もいる満席の傍聴席のまわりをムービーカメラが取り巻いている。当時は、まだテレビの時代ではないから、このような映像は、映画館のニュース映画で流されたのであろう。名張毒ぶどう酒事件(昭和三六年)の法廷映像を見た記憶があるという人もいる。いずれにしても、戦後当分の間は、法廷映像の撮影が許されていたと思われる。いつから、法廷の映像撮影が禁止に近い運用になったのか。知っている人は教えてください」
一〇 帰路
 最後に垂坂公園の展望台より、第一コンビナートから第三コンビナート全体を一望する。
 そして、車窓から東芝工場を見たうえで、名古屋駅迄バスで行く。 午後四時前に名古屋駅で解散となった。
一一 最後に
(1)今回の一泊旅行では、三重支部の先生方には大変お世話になりました。今年の五月集会後の一泊旅行のとき、三重支部の団員が「団の旅行で伊勢神宮に行くのは、いかがなものかという議論がある。」と言うので、私が「いや、是非とも伊勢神宮に行きたい。別の観点で。そして、伊勢うどんも」と希望したとおりの旅行が実現しました。本当にありがとうございました。
 ちなみに、東京で総会の後の一泊旅行があるとすれば、私が幹事になって「別の観点からの靖国神社」という企画をあたためています。
(2)来年の五月集会は鳥取県とのこと。鳥取県の妻木晩田遺跡と青谷上寺地遺跡、そして因幡の国の国分寺跡を五月集会の前に訪ねるつもりです。因幡の国と伯耆の国のどちらが東になるのか、その位置関係はわかります。来年は前泊の予定ですので、五月集会には遅刻せずに行けると思います。

終わり