<<目次へ 団通信1625号(3月1日)
松島 暁 | *改憲阻止・特集* 法制局官僚による現状追認の「改憲論」 ―阪田雅裕・世界論文をめぐって(下) |
萩尾 健太 | みんなで歌おう 緊急事態条項の歌 |
大久保 賢一 | 核兵器は本当になくせるの? ICANに聞いてみよう! |
東京支部 松 島 暁
攻撃部隊と化した「現在」の自衛隊
現在の自衛隊は、隊員二五万人、人員において英・独・仏を抜き去り米・中・露その他の軍事大国に次ぐ軍事組織に成長している。また、装備の面でも、輸送艦という名の強襲揚陸艦「おおすみ」「しもきた」を保有(エアクッション型揚陸艇の母艦として、また、オスプレイ離発着の甲板を有する)、フラット甲板を有する空母「いずも」や「かが」が就航、さらにこれを次期戦闘機F―35B搭載可能艦艇に改造しようとしている(垂直離発着が可能なF―35Bを搭載すれば、攻撃型空母として充分機能するし、むしろ大型原子力空母よりもコスト面や機動性において優れた「いずも型」軽空母を数多く建造・展開する方が戦略的に有利だとするアメリカの軍事専門家すら存在する)。規模や装備の面において、もはや専守防衛の範囲を大きく逸脱した自衛隊を「現在の自衛隊」としてそのまま憲法に書き込もうというのであろうか。
米軍と一体化した「現在」の自衛隊
そして何よりも、「現在の自衛隊」は、自衛隊単独としては存在していない。日米安保条約とグローバルに展開するアメリカ軍との関係を抜きには、「現在の自衛隊」を語ることはできない。日米安保条約のもと、日本は沖縄を中心に多くの基地をアメリカ軍に提供し、多数の自衛隊基地をアメリカ軍と共用している。また、二〇一五年の新ガイドラインのもとで、日米間での世界規模での責任の分担、訓練という名の共同行動=一体化が日常化している。赤旗報道によれば二〇一六年度の日米共同訓練延日数は一一二四日にものぼるという。訓練内容も、中東砂漠での敵対勢力の掃討を想定した共同作戦訓練、米海兵隊との島嶼上陸訓練(本年三月に新設される「水陸機動団」への移行の予定される陸自西部方面普通科連隊と米海兵隊とによる共同訓練「アイアンフィスト」)など、米軍と自衛隊との各レベルでの共同行動を確実に深化させている。
アメリカと一緒に戦争をする準備を実戦さながらに行っている「現在の自衛隊」を、立憲主義違反の是正を名目に憲法に書き込もうとの主張は、厳しく批判されなければならない。
噴出する「亜流」改憲論
立憲主義違反の状態を不正常だとし、専守防衛=個別的自衛権+集団的自衛権の一部に限定した現在の自衛隊を正確に明記した改憲案という阪田提案、あるいは、集団的自衛権を否定し個別的自衛権に限定した自衛隊として憲法の中に書き込み、立憲主義違反を解消するとともに、自衛隊の(文民)統制が必要だとする「対案必要論」、「護憲的改憲論」、「改憲的護憲論」「新九条論」等々、安倍改憲を批判しつつ自衛隊の憲法への書き込みを主張する言説が噴出している。
しかし、彼らは何か「勘違い」をしているのではないか。それは彼らの様々な主張が、一つの改憲論でありながら、改憲論だとの自覚が欠如している点にある。
改憲は一大難事業
改憲とは、広範な国民的支持に支えられながら、憲法審査会または議員有志により作成された原案を国会に提出し(原案発議)、国会において審議の上、各議院の総議員の三分の二の賛成により発議され(改憲発議)、国民投票により過半数をえてはじめて完成する一大事業である。
安倍政権にとっても、易々と実現できるような事業ではないのに、彼らにはこの一大事業をやり抜こうとする自覚もなければ実力もないのが現実である。そもそも個別的自衛権に限定した専守防衛の自衛隊を実現することは、改憲によらずとも、憲法に書き込まなくとも、戦争法=安全保障法制の改廃によって実現できるのである。改憲という難事業を実現する実力があれば、法律の改正の方がよほど容易いのだ。法改正をすら実現できない勢力に改憲などという大事業が担えるはずもない。
弁護士は、裁判での和解手続きに慣れきっているせいか、相手方提案と当方提案のどこか中間点での和解合意が成り立つかのように考えがちであるが、改憲事業はそうではない。改憲案を可とするか否とするかの二者択一でしかない。だからこそ改憲原案作成において改憲政党間の実質合意が求められるし、そのための協議あるいはバトルが三月に予定される自民党原案の公表後に控えている。専守防衛に限定した自衛権の憲法への書き込みなど、安倍自民党が受け入れるはずはないし、それが石破自民党であってでもである。ならば自らの「護憲的」という改憲案を自力で実現できるのかと問われれば、原案発議すら覚束ないであろう。
便乗改憲論・パラサイト改憲論
にもかかかわらず、「対案だ」「護憲的だ」などと言いつのる諸言説は、安倍の改憲論に便乗して自らの安全保障政策を語るものであって、安倍の改憲論に寄生しながら自己の改憲論を展開するにすぎない、いわば「便乗改憲論」ないし「パラサイト改憲論」というべき議論である。それは、護憲派の人々ばかりでなく、真面目に「改憲」を願い、地道に「改憲」運動を組織してきた改憲派に対しても失礼であろう。(終)
東京支部 萩 尾 健 太
憲法の学習会で、私が歌って受けているのが、次の緊急事態条項の歌です。
これで学習会を締めると、盛り上がります。学習会後の懇親会で、この歌をユーチューブで流したらいいのでは、といわれました。
団員の皆さんも、是非歌ってみてください。
(「一年生になったら」の替え歌:萩尾健太)
一 緊急条項があったら 緊急条項があったら 地震が起きたら大変だ
「政府の指令に従えよ 批判をする奴許さない 国会審議も必要ない」
二 緊急事態になったら 緊急事態になったら 友達一〇〇人集めるな
「一〇〇人も集まって デモや集会する奴は テロリストだろ 逮捕する」
三 緊急条項があったら 緊急条項があったら 原発事故は、隠蔽だ。
「放射線が漏れようと、報道統制すればいい インターネットも禁止する」
四 緊急事態になったら 外交・安全にかかわるぞ 秘密保護法発動だ
「怪しい奴は盗聴だ 仲間を売ったら許してやる 人権よりも 国益だ」
五 緊急条項許さない 緊急条項ゆるさんぞ
友達一〇〇人集まろう 一〇〇人から広げよう 戦争する国阻止しよう 憲法平和を守ろうよ
埼玉支部 大 久 保 賢 一
一月一六日、核兵器廃絶日本NCO連絡会主催の標記講演会に参加した。核兵器は本当になくせるのかどうか、ICAN事務局長のベアトリス・フィンさんの話を聞きたかったからである。ICANは、核兵器廃絶国際キャンペーンのことで、昨年のノーベル平和賞の受賞団体である。ベアトリスさんは、三五歳のスウェーデン人で、二人の子の母。国際関係論や国際法を学び、ジュネーブ安全保障政策研究所(GCSP)や婦人国際自由平和連盟(WILPF)などで仕事をしてきた。二〇一四年からICANの事務局長の任にあり、核兵器禁止条約の作成と採択に貢献し、ノーベル平和賞の授賞式でスピーチしている人である。なお、以下の記述は、彼女のスピーチの順序どおりではなく、私なりに受け止めたものである。
彼女は、核兵器によって私たちの生存が脅かされているという。その実例として、ハワイでミサイル攻撃の警報(誤報)が出されたとき、多くの人がお互いにサヨウナラをいい、子どもたちを抱きしめるために家に急いだというエピソードを紹介していた。そのような一瞬にして全てが破壊される恐怖から免れるために、私たちには声をあげる権利があるし、政治的意思を形成し、政策を実施させなければならないというのである。
彼女は、今ほど核戦争の危機が高まっているときはないという。トランプ大統領と金委員長が、私たち全員を殺す力を持っているからだ、という理由である。そして、長崎以降、核兵器が使用されなかったのは政治リーダーが聡明だったからではなく、単に運がよかっただけだ。核兵器が使用される確率がゼロではない限り、何時か使用されることになる。核によるアルマゲドン(最終戦争)では、予告なしに空が落ちてくることになるし、刃(やいば)が降ってくることになる。言葉による戦争はいつか武力による戦争に変わるかもしれない、と核戦争の恐怖を説いていた。
他方では、最も核兵器のない世界に近づいているともいう。核兵器禁止条約による核兵器の違法化は、核兵器廃絶の一歩となる。核兵器違法化は、核兵器依存の政治的正当性を失わせるし、核兵器を力のシンボルではなく、恥の象徴とすることになるというのである。
そして、核兵器禁止条約は、核兵器武装国や依存国が何といおうとも、現実なのだ。核兵器武装国の姿勢を変えることは困難かもしれないけれど、大勢の人が価値観を共有し、政府に働きかけることによってそれは可能となる。それが民主主義の在り方だというのである。
彼女は、日本政府に対して、広島・長崎を繰り返していいと思っているのだろうかと疑問を呈し、核兵器廃絶のリーダーになってもらいたいと期待している。そして、私たちには、「皆さんが首相のボスなのです。皆さんの声を無視するようなボスを取り換えるという選択肢はあるのです。」と檄を飛ばしていた。
不安や恐怖の反対語は希望だ。希望で危機に打ち克とう。政治家が何かをしてくれるのを待つのは止めよう。テーブルが空くのを待つのではなく、自分たちでテーブルを作ろう。核兵器が私たちを終わりにする前に、私たちが核兵器を終わりにしよう。一瞬に、全てを破壊される恐怖から免れよう、と結んだ。
彼女もあちこちで、核兵器廃絶など非現実的だとか、非合理的だとか、今の課題ではないとか言われているようである。これらのことに対する彼女の答えははっきりしている。核兵器禁止条約は存在しているのだから現実でしょ。核兵器に依存することとそれを廃棄することとどちらが人類社会にとって合理的かといえば廃棄が合理的であることは明々白々でしょ。核抑止論を言い出した人物は詐欺師じゃないの。現状を座視することは核を温存することになるでしょ、というのである。
彼女の論旨は明快である。核兵器は危険この上ないものであり、現実に人々に恐怖と不安をもたらしている。だったら、自分たちで、それをなくしましょう。なくすことに反対する政治指導者は取り換えましょう、というのである。私は、彼女の提案に諸手を挙げて賛成する。
安倍首相は日程を理由に彼女と面会しなかった。東欧を歴訪していた首相が帰国したのは一七日午後四時である。午後五時には表千家の初釜式に参加し、午後七時には私邸に帰宅したという。その時、ベアトリスは日本にいるので、会うことは不可能ではない。もちろん会うかどうかは首相の裁量である。けれども、首相は絶対に会いたくなかったであろう。北朝鮮の核やミサイルがああだこうだと説明したところで、彼女に「あなたはトランプさんに北朝鮮に対する核攻撃をして欲しいのですか」と問い返されるからである。「俺は持つお前は持つな核兵器」という論理は、絶対に彼女の同意を得ることはできないであろう。
核兵器の使用は、その下にいる全ての人たちの日常を瞬時に奪うだけではなく、救援を困難にし、健康と環境を害し続けることになる。私たちは、「相互確証破壊(MAD)」という狂気から脱出しなければならない。「人類は賢くないな核兵器」などという川柳が詠まれる状況を変えなければならない。
彼女のスピーチは、私に、改めて、「核兵器のない世界」の実現に向けてのエネルギーを注入してくれた。彼女を招聘し私たちに彼女の肉声を聞く機会を提供してくれた連絡会の皆さんに感謝したい。ありがとうございました。
(二〇一八年一月一九日記)