<<目次へ 団通信1626号(3月11日)
埼玉支部 佐 々 木 新 一
先ごろ(一月中旬)、埼玉弁護士会では、会の歴代会長有志による埼玉県議会、さいたま市議会に対する「日本国憲法九条の改正の発議について、慎重に扱うように求める請願」がなされました。この請願には、埼玉弁護士会の歴代の会長のうち、現在なお弁護士活動をされておられる三二名のうち、二三名が名前を連ねました。名前を出さなかった元会長の何名かはそれぞれ埼玉県やさいたま市の公的な立場にあるので「趣旨賛成であるが遠慮する」と表明されています。
この間、特定秘密保護法、集団的自衛権を容認する安保法制、共謀罪などをめぐる国民運動に呼応する形で、弁護士会として積極的に集会やデモなどに取り組んできました。その一環として会の歴代会長による会内への呼びかけアピールも取り組まれました。
特定秘密保護法については、二〇一三年一〇月に、歴代会長二三名による有志アピールが「特定秘密保護法(案)反対の埼玉弁護士会員の声を広く市民に訴えましょう。」と題して公表され、これに呼応して賛同者連名アピールとして会員に賛同を呼び掛けました。賛同アピールは四次の集約で三分の一の会員の賛同を得て公表しました。
安保関連法では、会長有志を含めた会員有志で「戦争法反対の埼玉総行動に呼応する訴え」を連続的に出して(全会員あてFAX)、埼玉の市民集会への弁護士・法律事務所の参加を呼び掛け、それと並行して、『安全保障関連法の成立に抗議し、引き続き反対の取組みを継続することを誓う埼玉弁護士会歴代会長有志声明』を発表しました(二〇一五年九月)。この有志声明は歴代会長二八名中二七名の参加を得ることができました。
各地も同様ですが、弁護士会の取り組みに対する市民の信頼は厚く、安保関連法をめぐって弁護士会の主催した市民集会には、五〇〇名、一三〇〇名、一二〇〇名と想定以上の市民の参加があり、弁護士会の呼び掛けたパレードにも五〇〇名、三〇〇名という多数の市民の参加がありました。安保関連法反対の運動では、会の取組みは支部の段階でも独自の取組みがなされています。埼玉弁護士会には支部裁判所毎に川越・熊谷・越谷の三支部があります。支部独自の取組みは、共謀罪反対運動にも引き継がれて、昨年の二月から三月にかけては川越・浦和。越谷で緊急の集会が実施されています。
現在、全国市民アクションなどが呼び掛けている安倍改憲NO三〇〇〇万人署名への協力呼びかけを歴代会長有志で呼びかける取り組みも準備されています。会内世論に呼びかけ、弁護士が市民運動に呼応して、改憲反対の運動に積極的に参加していくためにさまざまに工夫されているところですので、その一例として紹介しました。
東京支部 佐 藤 宙
一 はじめに
安倍政権による明文改憲に向けた策動が本格化している。これに伴い、私が憲法学習会の講師を務める機会が増えている。
私の関わる学習会の参加者の多くは、「そもそも憲法ってなに?」、「九条改憲・加憲って何?いけないことなの?」という、これから憲法問題に向き合う段階の方々である。
このような参加者に対して憲法学習会を行う際、私が心がけていることについて、以下参考程度に紹介させて頂く。
二 憲法や立憲主義の基本をわかりやすく伝える
まず、私は憲法や立憲主義の基本をしっかり、しかしわかりやすく話すように心がけている。たとえば、誰もが社会や公民の授業で聞いたことのある、三大原則(国民主権、平和主義、基本的人権の尊重)が、少なくとも芦辺憲法観においては、基本的人権の尊重がもっとも上位(目的)にあり、ほか二原則はその達成のための手段的側面が強いこと(いわゆる「自由の基礎法」の考え方)を押さえた上で、なぜ民主主義(国民主権)に基づいて定められた法律も憲法により無効になるのかを話すようにしている。
そこで私が必ず用いる例が、「佐藤宙の出生及び生存の罪に関する法律」である。すなわち、私が日本国民全員に嫌われており、
一条 佐藤宙の出生及び生存を認めない。
二条 佐藤宙が生存している場合は死刑とする。
三条 佐藤宙の父母は、佐藤宙を出生させたため、死刑とする。
という内容の法律が、国会において手続き上瑕疵なく制定されたとしよう。こんなばかばかしい法律が認められないことは感覚的にわかるが、法的に無効となるのは、憲法があるからである。憲法がなければ、何ら瑕疵なく制定された法律により、私は合法に葬り去られてしまうのである。これは笑い話で済むが、ナチスドイツがユダヤ人に行ったホロコーストは本質においてこれと違わないのである。
だから、「一番大事なのは基本的人権の尊重の原則で、みんなで決めたことでも、この原則は無視できないのです!」と結論づけ、これを制限規範、立憲主義の話とつなげていくようにしている。
三 憲法の基本の話と現在の情勢をつなげる
私の学習会はだいたい二部構成で、前半の上述した憲法の基本の話をした後は、情勢の話をするようにしている。
内容は、「日本をアメリカと共に世界中で戦争をすることのできる国にする」ための策動をシンプルに伝えるというものであり、これ自体は団員各位と変わらないものと思われる。もっとも、九条二項の歯止めをなくすことや、緊急事態条項を設けるなど、制限規範としての縛りをなくすという意味で、このような策動が、前半に話した立憲主義や制限規範という憲法の基本的な理念に反し、最終的には、全体主義の支配する(すなわち、全体の優先による個人の尊重の否定)戦争につながっていくという結論付けをして、終わるようにしている。そうすることで、憲法の基本の話と、情勢の話をつなげて理解してもらえるように心がけているつもりである。
四 なにより楽しく、気軽な話題にしてもらえるようにする
冒頭に述べたとおり、私の学習会の参加者は、これから憲法問題に向き合う段階の方々が多い。したがって、運動論について大展開をするというよりは、何より楽しく、この問題を気軽に考えてもらえるような空気感、内容を大切にしている。そうすることで、マスコミの報道に対する批判的視点をもってもらい、自然と憲法問題を考え、職場や友人同士でこの問題を気軽に話題にしてもらえるようなればいいなぁ、と私なりに考えているのである。
アベ改憲のいかがわしさ、そして恐ろしさを少しでも大くの市民と共感できるように、学習会(憲法カフェ等も含め)はとても有効な手段である。今後も、積極的に続けていきたいと思う。
愛知支部 中 谷 雄 二
共謀罪法案の審議中に、話題となったマンション建設反対運動のリーダーが逮捕(傷害罪)、勾留、起訴された事件(暴行罪)について、二月一三日、名古屋地裁刑事第五部小川貴紀裁判官は、被害者・目撃者の証言の信用性が疑わしいとして、無罪を言い渡した。
本件建設現場周辺は、低層の建物がほとんどで、以前建っていたのも四階建ての会社の寮だった。そこへ、いきなり一五階建てのマンションが建設されることになったことから近隣住民が住環境を守るため、建設反対運動を展開した。被告人とされた奥田さんは、事件当日、抗議行動の一環として工事の監視を行っていた。これまでは声を掛けるだけだった現場監督がこの日に限り、奥田さんを両手で抱え込むように立ちはだかったため、その圧力から逃れようとして奥田さんは、右足を下げながら体を右側に捻った。これを捉えて、現場監督は暴行を受けたと訴えて、一一〇番通報した。駆けつけた警察官によって逮捕され、一四日間にわたって警察署に勾留された。奥田さんは否認を続けたが、取調べの警官からは防犯ビデオには、犯行状況がはっきり映っているのだから有罪になることは間違いないと、自白を強要された。ビデオ映像をみせて欲しいと訴える奥田さんに、取り調べ段階では一切、映像を見せられることはなかった。
裁判では、現場監督と警備員が、暴行の事実をはっきりと見たと証言したが、検察が有罪を立証するために提出した防犯ビデオの画像解析により、被害者及び目撃者の証言の映像との矛盾が明らかになった。特に、裁判所が採用した橋本正次鑑定人の鑑定は、公訴事実である奥田さんが両手で被害者の胸を突いたとの暴行は認められない。むしろ、後ろを走るダンプカーの側面に接触したという被害者の挙動は不自然であるという、弁護側の主張を全面的に裏付けるものであった。地裁判決は、被害者証言が曖昧で変遷していること、目撃証言と被害者証言の矛盾及び鑑定結果その矛盾を理由として、被害者証言と目撃証言には「合理的疑いが残る」として信用性を否定した。他方、鑑定が指摘した被害者の挙動の不自然さには触れることなく、現場監督が自ら倒れ込んだのだという弁護側主張を退けた。この事件の背景には、マンション建設反対運動のリーダーを逮捕・勾留に追い込むことにより、運動を弾圧しようとするマンション業者側の意図があった。本件逮捕までに業者と警察が頻繁に接触していたことや被害者から提出された診断書では左背部の打撲となっているのに、ビデオ映像では右背部しか接触していないことなどの矛盾は、取り上げられなかった。マンション業者の訴えを鵜呑みにし、無実の奥田さんを無罪判決まで一年半も苦しめた警察・検察の責任は厳しく問われなければならない。
名古屋地裁判決は、不十分さはあるものの、正しく証拠を判断して無罪を言い渡し企業と警察・検察権力の結託による反対派住民の弾圧を許さなかったという点で裁判所の良識を示したものである。奥田さんは、判決後、起訴後の一年半より接見禁止され、勾留されていた一四日間の方が長かったと感想をもらし、ビデオに犯行状況が映っていると言われた時は、本当はやっていたのではないかとすら思ったと語っていた。冤罪はこのようにして作られることを示している。
この無罪判決は、二月二七日の控訴期限の途過をもって確定しました。全国の団事務所には控訴するなの要請を数多くしていただきました。その結果の無罪確定です。ご支援ありがとうございました。
群馬支部 下 山 順
一 はじめに
昨年の群馬・磯部五月集会でも紹介させていただいた群馬の森追悼碑訴訟について、本年二月一四日、前橋地方裁判所において群馬県知事の不許可処分を違法として取り消す判決がなされましたので、ご報告いたします。
二 事件の概要
群馬県立「群馬の森公園」の片隅には、戦時中日本に労務動員された朝鮮人犠牲者を追悼する碑があります。この追悼碑は、市民団体(追悼碑を守る会)が二〇〇四年に群馬県知事の許可を得て群馬の森公園に建立したもので、建立以降、守る会は毎年、碑前で献花や追悼歌の合唱等を内容とする追悼式を行なってきました。ところが、朝鮮新報が二〇一二年五月に追悼式の様子を報道したことを契機に、碑文が反日的であり自虐史観であるなどとしてネット上で批判されるようになりました。群馬県に対しては多くの苦情が寄せられるようになり、抗議団体が群馬の森公園にプラカードや横断幕を持ち込み、追悼碑前で公園管理職員と小競り合いになって警察が出動するという事態も発生しました。
守る会が二〇一三年一二月、設置期間の更新申請をすると、群馬県議会は、二〇一四年六月、複数の抗議団体から提出された追悼碑の設置許可の取り消しを求める請願を採択し、副知事は、同年七月、「碑自体が紛争を起こしている」として守る会に自主撤去を求めました。守る会はこれを拒否し、@更新期間を一〜二年に短縮する、A今後、碑前での追悼式を自粛するといった代替案を提案しましたが、県知事は、同七月二十二日、更新申請を不許可にしました。そこで、守る会は、不許可処分の取消と十年間の更新許可の義務付けを求めて提訴しました。
三 不許可処分の理由
不許可処分の理由は、概ね次のとおりです。
@設置許可に際しては「許可施設については宗教的・政治的行事及び管理を行わない」という条件を付したが、追悼式における「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などの各発言は「政治的発言」であり、本件条件に違反して「追悼式の一部内容」を「政治的行事」としたものである。
A追悼碑が「政治的行事」に利用されてきたことで、追悼碑の設置目的は「日韓、日朝の友好の推進に有意義なものであるという当初の目的からはずれ」、また、「街宣活動、抗議活動など紛争の原因」となったことから、追悼碑は「憩いの場である都市公園にあるべき施設」として相応しくなくなった。そのため、追悼碑は都市公園の効用を全うする機能を喪失し、更新の要件を満たさなくなった(都市公園法二条二項、同法五条二項)。
四 判決
まず、判決は、「政治的行事」を禁止する本件条件の合憲性について、「本件追悼碑が一般公衆の多種多様で自由に供されるための条件として合理性が認められる」などとして憲法二十一条には反しないとしました。次に、「政治的行事」の有無については、群馬県の求めに応じて碑文の原案から「強制連行」との文言を削除したという「本件追悼碑の設置許可申請に至る経緯によれば」、「強制連行」の文言を含む発言は、「政治的発言」であって、この発言の結果、複数の追悼式は「政治的行事」になったと認定しました。
一方で、判決は、追悼碑は「日韓、日朝との過去の歴史的関係を想起し、相互の理解と信頼を深め、友好を推進するため有意義であり、歴史と文化を基調とする本件公園の効用を全うするものとして設置されたもの」と追悼碑の価値を正面から認めた上、朝鮮新報が二〇一二年五月に追悼式の記事を掲載するまでは、群馬県に対しても追悼碑に関する抗議の電話やメールが寄せられたことはなかったことなどを指摘して「政治的行事」と抗議活動との因果関係を否定した上、県知事の不許可処分は「条件違反の事実によっては、本件追悼碑が本件公園の効用を全うする機能を喪失していたということができないにもかかわらずなされたものであり、その結果、社会通念に照らし著しく妥当性を欠くと認められるから、裁量権を逸脱した違法がある」と結論付けて、その取り消しを命じました。しかし、更新の義務付けについてはこれを棄却しました。
五 今後の戦い
本判決は、不許可処分を取り消す一方で、更新の義務付けを棄却したものですが、義務付けを棄却した理由は許可期間や許可条件については県知事の合理的な裁量があるから直ちに十年間の更新を義務付けることはできないというものであり、あくまで県知事が更新処分を行うことを前提としたものでしたので、弁護団としては群馬の森公園に追悼碑を残すことを実質的に認めた妥当な判決であると評価しています。また、判決が、碑文の内容を相当であると認めて碑の設置を許可した県としては、碑文を非難する団体に対しては「本件追悼碑の碑文の内容は相当であることの理解を求めるのが望ましい」と説示し、県の姿勢を批判した点も評価できます。
しかし、追悼碑前での「政治的行事」を禁止する本件条件を何ら限定せず、またその外延も明らかにしないまま合憲と判断した点は極めて不当です。仮にこの判決が確定した場合には、いかなる発言が「政治的発言」に該当するのかが不明であるために、追悼式で挨拶をする場合には来賓も含めて事前に原稿を行政当局に確認してもらわなければならない事態になりかねません。
また、「強制連行」との言葉は、広辞苑や歴史教科書にも一般的に使用されている歴史学上確立した用語であるにもかかわらず、「強制連行」との言葉を含む発言を追悼碑前ですると、「政治的発言」になるという判断も極めて不当であり、到底納得できるものではありません。なお、この説示部分については、あくまで「本件追悼碑の設置許可申請に至る経緯によれば」、「強制連行」という発言も「政治的発言」になるというもので本件に限定した判断であることから、一般論として独り歩きしないように留意する必要があります。
追悼碑が群馬の森公園に残ることが何より重要であるという守る会の考えから原告として控訴はしませんでしたが、二月二十七日、群馬県からの控訴がありました。弁護団としても以上のとおり判決理由には重大な疑問があることから、公園での表現の自由について十分に配慮した適切な判断がなされるよう、高裁においてもさらに主張立証を尽くしたいと考えております。
神奈川支部 田 井 勝
一 労働組合のJMITU(日本金属製造情報通信労働組合)神奈川地方本部が申し立てた、日産自動車・日産車体を相手とする不当労働行為救済命令申立事件において、二〇一八年二月二七日、神奈川県労委は申立人組合の申し立てを認める救済命令を下しました。この件について報告します。
二 本事案は、二〇〇九年二月、日産自動車のカルロス・ゴーンCEO(当時)が、リーマンショックによる経営不況を理由とし、グローバルでグループ全体の約二万五〇〇〇人の人員削減を発表したことに端を発する事件です。
同年三月以降、国内で約八〇〇〇人の非正規労働者(派遣労働者・契約社員等)が契約解除・雇止めとなり、二〇代〜四〇代の労働者が職を失って路頭に迷うこととなり、派遣切り・非正規切りとして大きな社会問題となりました。そして、神奈川県下の日産自動車・日産車体の工場等で働いていた五人(派遣社員・契約社員)が、契約解除ないし雇止めの無効と、従業員としての地位確認を求め、同年五月に横浜地裁に提訴しました。
三 裁判については、二〇一六年一二月、最高裁で上告棄却・上告不受理となり、残念ながら原告らの訴えは退けられました。
もっとも、裁判と並行して、原告五名の加入する労働組合が、日産自動車及び日産車体を相手とし、最終解決を求めて団体交渉を申し入れていました。
日産自動車は、同社に地位確認を訴えている原告三名のうち二名については、派遣社員であって自社と契約関係になく、それゆえ、自らは「使用者」(労働組合法七条)に該当しないとして団体交渉を拒否しました。
また、残り一名の原告との関係では団体交渉が開かれましたが、日産自動車は組合側の申し入れた内容を一切聞き入れない形式団交に終始しました。
そして、日産車体は、同社に地位確認を訴えている原告二名の関係で団体交渉を開くも、同社も組合側の申し入れ内容を一切聞き入れない形式団交に終始しました。
そのため、労働組合は、日産自動車・日産車体を相手として、両社の行為が不当労働行為(労働組合法七条)に該当するとし、誠実に団体交渉に応じよとの命令を求めて、前期労働委員会に申し立てたものです。
四 本県労委では、特に、日産自動車が団体交渉を拒否した原告二名との関係で「使用者」に該当するかが大きな争点でした。
命令では、日産自動車が両名について、自動車デザインに関する特殊なスキルを備えていることを面談(事前面接)で確認し、もっぱら日産自動車に派遣するために派遣会社によって採用されたと認定し、同社は、両名の採用及び雇用の終了に関する決定について事実上、雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配決定していた、としました。また、派遣先である日産自動車が派遣会社との間の労働者派遣契約を解除したことにより、派遣会社によって雇用が終了となったため、日産自動車は、当該紛争をめぐる団体交渉の当事者として両名の雇用問題の解決に向けて当事者と協議する必要があるとし、これらにより、日産自動車を「使用者」と認めるに至りました。
本命令は、いわゆる派遣切り事例において、派遣労働者であっても労働組合を結成し、派遣先と団体交渉を通じ、雇用の存続・労働条件について話し合うことが認められる途を作るものであって、画期的といえます。
五 また、命令は、日産自動車が、裁判の経過や判決の内容を熟知せず、日産自動車の裁判での主張を説明できない者を団体交渉の担当者として出席させていた等、日産自動車の対応は不誠実であったと厳しく糾弾し、団体交渉での誠実交渉義務違反も認定しました。
六 当該五名は皆、心身ともに疲れ、体調を崩しながら、それでも職場復帰と非正規労働者の待遇改善をもとめて、たたかい続けています。九年もたたかいが続きながら、解決できていないことは大きな問題です。
当該五名が、このたたかいを続けてよかった、と思えるような解決を求めて、これからも頑張っていきます。
埼玉支部 伊 須 慎 一 郎
平成二四年一一月の労働ホットラインで相談を受けた日雇い派遣労働者の事件につき、ほんのわずかな一部勝訴判決を勝ち取りました。おもしろい内容なのでご報告します。
一 ホットラインで相談を受けた際、日雇い派遣が禁止されたことから日雇い職業紹介に切り替えられた事案だとは、すぐには気付きませんでした。話を聞いているうちに、派遣法の改正に伴い、フルキャストが日雇い職業紹介に切り替えていることが分かりました。実態は同じで、形式を変えただけのものです。
また、労働者がフルキャストと紹介先である凸版物流との間で、わずか二〇分ですが、二重の重複する労働契約を締結していることも判明しました。なぜ、二〇分だけ重複する形で労働契約を締結したかというと、当日稼動予定の他の日雇い労働者が欠勤した時の穴埋め要員として、待機させるためのものでした。
そこで、労働者は、職安法四四条違反であることを理由にさいたま労働局に是正指導の申告をしました。労働局は、平成二五年三月二五日に、フルキャストと凸版物流に対し、職安法四四条違反を理由に是正指導を行ないました。その後、事案の問題点を分析するために、労働局に対し、情報開示請求を行いましたが、文書の表題すらマスキングされた真っ黒の書類しか開示されませんでした。このような労働局の情報開示の対応も、労働者を守るためには重大な問題があり、是正させなければなりませんが、なかなか手を付けられないままになっています。今後の課題と考えています。
二 労働者は、平成二六年七月、さいたま地方裁判所川越支部に、職安法四四条違反、労働契約法一七条違反、労基法二四条一項違反、報復的な職業紹介の停止など、八つの不法行為に対し、慰謝料三〇〇万円を求める訴訟を提起しました。この裁判の中で、労働局の是正指導に関する書類につき、文書提出命令を求めましたが、さいたま地裁判決の中で必要性なしと却下されています。やはり事前の証拠収集は大事だと痛感しました。
さいたま地裁は、平成二九年五月一一日、八つの論点すべての不法行為上の違法性を認めないという全部棄却判決を下しました。それに対し、東京高等裁判所は、平成三〇年二月七日、八つの論点のうち、二つの論点につき、不法行為責任を認める一部認容判決をしました。
三 即給サービス
原告が争った八つの論点のうち、特に地裁と高裁の裁判官の価値判断が真っ向から分かれたのは労基法二四条一項違反の論点です。日雇い労働者は、月に一回の給与の支払日にフルキャスト(日雇い派遣期間)又は凸版物流(日雇い職業紹介期間)から手数料は使用者負担で給与の支給を受けます。ところで、日雇い労働者は明日の仕事も必ず確保できるわけでなく、酷い場合には確定していた稼動日も前日に突然キャンセルされるなど、究極の不安定かつ低賃金労働を続けていました。その中で、原告を含めた日雇い労働者の半数近くが月一回の給与の支払いでは日々の生活がままならないので、「即給サービス」を利用して、ATMで振込手数料一〇五円又は三一五円を労働者が負担のうえで、日払いを受けていました。この「即給サービス」は、賃金の全額払いの原則に反し、究極の不安定労働の日雇い労働者(時給八〇〇円で働いている)の困窮状態に乗じる不法行為だとして慰謝料請求を求めたという論点です。
地裁判決(合議)は、フルキャストらが労働者に即給サービスを利用させたわけでなく、労働者にメリットがある制度であることからすると、原告が自由な意思に基づいて利用したといえるので、労基法二四条一項に違反しないと判断しました。
それに対し、高裁判決は、フルキャストらが原告らに即給サービスの利用を誘導していること、同サービスによりフルキャストらが現金による賃金払いの事務負担を逃れることができる一方で、原告らは不安定雇用に置かれている者であり、不本意ながら即給サービスを利用せざるを得ない立場にあり、自由な意思に基づき振込手数料の控除に同意しているとは言えず、賃金の全額払いの原則は経済的利益だけでなく、人格的利益も含まれ、フルキャストらは原告に給与を全額払っていないことを認識していたのであるから、原告の権利・利益侵害につき過失があるとして、フルキャストと凸版物流に連帯して慰謝料を一万円認めました。
地裁の裁判官は、日雇い労働者の置かれた状況を考慮しようともしませんでしたが(他の請求を否定する理由も酷いものとなっています)、高裁の判断は弱い立場の日雇い労働者のことを理解してくれたものと考えています。本件については、フルキャストも凸版物流も上告せず、フルキャストの即給サービスが労働者の自由な意思に基づかず、振込手数料を徴収している違法なものであることが高裁で確定しました(なお、原告は高裁でも認められなかった他の六点の論点につき上告中です。)。是非、サービスの名の下で、大事な労働者の賃金をピンはねしている同種サービスも含めて、是正されるように訴えていきたいと考えています。
大阪支部 城 塚 健 之
日本労働弁護団から、『職場を変える秘密のレシピ47』(原題 SECRETS OF A SUCCESSFUL ORGANIZER アレクサンドラ・ブラッドベリー/マーク・ブレナー/ジェーン・スロータ著 菅俊治/山崎精一 監訳)が刊行されました。
最初に邦訳のタイトルを見たときは、なんだか自己啓発セミナーのような、怪しげな雰囲気が漂ってくるなあ、と思ったのですが、中身は真の優れもの。これはアメリカの労働運動の再生に取り組む「レイバー・ノーツ」という団体が、組織化と運動に役立つさまざま秘訣とヒントを体系的に指南するものです(原題をみれば、なるほどと思えます)。
ちなみに、「レイバー・ノーツ」は、「労働組合の力を最大限引き出したいと思う組合員を手助けすることを使命とする労働教育者の集団」、「労働運動に運動を取り戻そうとする人たちの本拠地」(本書末尾「日本のみなさまへ」より)。民主的な労働運動の再生という課題に悩んでいるのはいずこも同じということでしょう。全労連もその中心メンバーと九〇年代から交流を進めてきたとか。
さて、本書の内容を少しだけ紹介しますと、秘訣一は「組織化とは姿勢の問題である」。すなわち、「仲間と何かをすることで、今よりも状況を改善できるという発想を持つこと」。何とベーシックで、しかし、大事な第一歩でしょうか。
でも、他の人は無関心に見える。どうしよう。そこで、秘訣二は「本当は無関心ではない」。「誰もが何らかの心配事を抱えていますが、その何かはあなたが考えているものとは違うかもしれません。」「それを知る唯一の方法は聴くことです」。
では、「物事は変えられるとは思えない」人にはどうするか。それは「勝つための確かな計画を立てること」。「たいていの場合、小さなことから始めるのがよいでしょう。」
そうはいっても、「誰も会議に来てくれない」のではないか。「Eメールや掲示板でのお知らせでは不十分です。個人的に会って勧誘するのがベストです。」・・・という感じで、秘訣やヒントが豊富な実例と共に語られていきます。
本書のメッセージは、運動経験がまったくない人にはピンとこないかもしれません。でも、ある程度の経験があれば、「そうだな」と頷いたり、「これはできていないな」とか、「これなら自分にもできるかな」などと思えるところがたくさん出てきます。
とはいいながら、年を取ってくるとだんだん面倒くさくなるのも事実。そう、本書を読んでもっとも役に立つのは、これからさまざまな運動に関わっていくであろう若手のみなさんなのです。
本書の日本語訳に奮闘された菅俊治さんはご存じ日本労働弁護団元事務局長。山崎精一さんは明治大学労働教育メディア研究センター客員研究員。奥付をみると、ほかに木下徹郎、谷村明子、君和田伸仁、井上幸夫のみなさんのお名前が。あまり若くない人も混じっていますが、その英語力には脱帽です。
本書はすでに一部の労働組合に熱烈なファンを作っているようで、たとえば大阪府職労では、若い人、新しい人が主体的に関われるようにと、さっそくこの手法を取り入れた実践を始めておられます。
考えてみれば、組織化も運動もすべてはコミュニケーションの問題。それをよりよいものにしていく作法は、弁護士の仕事にも、社会生活の営みにも、そして家族や友人と仲良く暮らすことにもつながります。本書の応用範囲はとても広いのです。
あらゆる領域の組織化や運動に関わる若いみなさんにお読みいただきたい、とても価値ある一冊です。
税込一五〇〇円(送料別)。
市販はされていないようなので、ご注文は日本労働弁護団のサイト
http://roudou-bengodan.org/books/から
(もっとも、初版分は完売し現在増刷中とのこと(二月一九日現在))。
埼玉支部 大 久 保 賢 一
ホロコーストという言葉は、大惨事という意味だけれど、ナチスによるユダヤ人迫害のイメージで受け止められている。ユダヤ教では丸焼きの供物を意味するという(広辞苑)。ユダヤ人を丸焼きにしたからホロコーストというのだろうか、なんかすごい言葉のようである。
このホロコーストという言葉を次のように使用している人がいる。「ヒロシマっていうのは、まさにホロコーストの場になってしまったわけですが、ホロコーストの犠牲を負ってしまったことの意味を紡いでいかなきゃいけない。犠牲になってしまったけれども、九条ができたというのは非常に大きな物語になっているわけで、このことを抜きにして憲法を作ることはできなかった。」というようにである。この発言を要約すれば、「ヒロシマというホロコーストの上に、憲法九条がある」ということになるであろう。これは、昨年七月二二日、広島弁護士会の「憲法施行七〇周年、今、ヒロシマができること」―なぜ、今の憲法を守る必要があるのか―と題する集会での石川健治先生(東京大学・憲法)の講演の一節である。先生は、九条についてこんな問題意識も披歴している。「なぜここに生きているのか、意味のない人生を、我々は生きることはできません。この意味を調達するためには、それぞれがそれぞれの物語を持っていて、その物語によって生きる意味を調達して生きているわけです。こういう構造の中に、実は九条もある。とりわけヒロシマの場合はあるはずだ。」というのである。
私は、石川先生が「最終兵器としての核兵器が存在する以上、戦力は中長期的には国際紛争の解決や安全保障のための有効な手段とはならない、…といい続けてきたのが戦後憲法学の歩みであり、戦後の統治力学のもとでは、護憲派の光栄ある使命であった。」と書いている(「立憲的ダイナミズム」・岩波書店・二〇一四年・一二九頁)のを読んだことがあったけれど、先生自身が、ヒロシマと九条をこのように直結させることに接するのは初めてであった。私には、正直、うれしい驚きであった。護憲派を評価するという話法ではなく、自ら護憲を主張する話法と受け止めたからである。
私が、原爆投下と九条の関係を、ホロコーストという言葉を使用しながら連結している言説に初めて接したのは、水島朝穂先生(早稲田大学・憲法)の次のような論述であった。「日本国憲法は、九条二項において、安全保障における手段の選択に関連して、『やってはならないこと』を明確にしいる。…一切の戦争、武力行使、威嚇を否定したうえで、それを手段レベルにまで徹底して、戦力の不保持と、戦力行使を支える交戦権を否認するという選択を行ったのである。そこには、憲法九条と『ヒロシマ・ナガサキのホロコースト』との間の直接的連関を見ることができよう(前同・四ページ)というものである。
もちろん、原爆投下と九条の誕生を関連付ける言説は、ホロコーストという言葉を使用するかどうかを別にして、多くの論者によって語られてきた。そもそも、それは日本国憲法制定議会においても議論されていたところであった。例えば、次のようにである。「破壊的武器の発明が、この勢いをもって進むならば、次回の世界戦争は一挙にして人類を木っ端みじんに粉砕するに至るであろう。…文明と戦争は結局両立しない。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が文明を全滅することになる。」(一九四六年八月二七日貴族院本会議 幣原喜重郎答弁・新日本法規出版「復刻版 帝国憲法改正審議録 戦争放棄編」・二〇一七年 二八八頁)というようにである。幣原は、この答弁の中で、「改正案の第九条は戦争放棄を宣言し、わが国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位を占むることを示すものであります。」とも言っている。彼は、核兵器と人類は共存できないということを前提に、一切の戦力放棄を語っていたのである。
この様に、日本国憲法は、その制定時から、「核のホロコースト」を踏まえたうえで、核兵器のみならず、陸・海・空その他の戦力を放棄しているのである。ここにこそ、日本国憲法の先駆性が認められるのである。国際紛争の解決を殺傷力と破壊力の優劣に依存すれば、核兵器の使用を阻止できず、それが使用されれば、人類社会の滅亡をもたらすことになる。そのような事態を避けるためには、戦力と交戦権を放棄することであるという選択をしていたのである。武力による平和の達成、武力による正義の実現は不可能になったという時代認識である。
ところで、核兵器禁止条約は、いかなる核兵器の使用も、壊滅的人道上の結末をもたらすことになる。それを避けるためには、核兵器をなくすことである。核兵器のない世界こそが、人類社会にとって最高の公共善であるとしている。
日本国憲法の到達点は、戦力一般の否定である。核兵器にとどまらないのである。この地平から後退しようという選択は、私にはできない。核のホロコーストの犠牲者の死を無駄にすることになるからである。核兵器の廃絶と日本国憲法九条の維持は、個々の人々が、その人生の物語を紡ぐ最低条件なのである。一人一人がそれぞれの人生を生きるうえで、核兵器による相互確証破壊や、武力の行使に伴う死傷や難民化は、避けなければならないのである。そこでは、生命と日常が奪われるからである。日本国憲法九条の地平を一ミリたりとも後退させない営みが求められでいる。
(二〇一八年一月二五日記)