<<目次へ 団通信1633号(5月21日)
鎌田 幸夫 | 「国立循環器病研究センター事件」大阪地裁判決報告 「妻の病気を理由に異動拒否。解雇は無効」 |
谷 文彰 | ヘイトスピーチに名誉棄損罪を初めて適用して起訴 |
木村 晋介 | *改憲阻止・特集* 立憲主義はそれほど正しいのか |
白 充 | 南北首脳会談について(後編) |
萩原 繁之 | 佐藤ママへの違和感の正体 |
伊藤 嘉章 | ふたたび伊勢参り 二〇一八年三月三一日から四月二日(後編) |
柿沼 真利 (「原発と人権」全国研究交流集会実行委員会) |
二〇一八年七月二八日(土)、二九日(土) 第四回「原発と人権」全国研究・市民交流集会inふくしま開催について |
大阪支部 鎌 田 幸 夫
一 事案の概要
独立行政法人国立循環器病研究センター(「国循」)の職員である原告が、独立行政法人国立病院機構(「国立病院機構」)への異動を、妻の精神疾患を理由に拒否したところ、懲戒解雇されたので、国循を被告として地位確認と賃金支払いを求めた事案です。大阪地裁(内藤裕之裁判長)は、平成三〇年三月七日、人事異動の性質を転籍であると判断して懲戒解雇を無効とする原告勝訴の判決を言い渡しました。事件の争点と判決の意義を紹介します。
二 争点
争点は、@本件人事異動命令の法的性質と原告の同意の要否及び同意の有無、A本件人事異動命令が権限濫用といえるか、B解雇が懲戒権濫用といえるかです。
三 本件人事異動の性質と労働者の同意の要否
(1)独立行政法人化される前の国循及び国立病院機構は、いずれも厚労省の一組織でした。原告は労働省(現厚労省)に採用され、国立病院機構の独立行政法人化に伴い国立病院機構の職員となり、同機構内の病院勤務をした後、同じく独立行政法人化された国循へ異動しました。その際、国立病院機構に辞職届を提出し、国循に採用されるという手続きを踏んでいました。そして、今回、国循から国立病院機構の病院への異動を命じられましたが、妻の精神疾患を理由に異動に応じませんでした。
被告(国循)は、本件人事異動は実質的には在籍出向を解かれて出向元に戻ることと同視できるので、労働者の個別同意は不要であり、仮に同意が必要であるとしても包括的な同意で足り、過去の人事交流の実態からして原告の包括的同意があったと主張しました。これに対して、原告は、国循と国立病院機構は独立行政法人化した別法人であり、両者間の異動は辞職と採用という手続きを踏んでいることから従前の労働契約を解約し、新たな労働契約を締結する「解約型」の転籍であり、労働者の個別同意が必要であると主張しました。
(2)判決は、本件人事異動は、実質的にも転籍出向であり、在籍出向と同視できないとし、転籍は「転籍元に対する労働契約上の権利の放棄という重大な効果を伴うものでるから、使用者が一方的に行うことはできず、労働者自身の意思が尊重されるべきいう点に鑑みて、労働者の個別同意が必要である」としました。そして、「転籍出向が労働者に及ぼす影響等に鑑みれば、転籍出向に係る労働者の同意については個別の同意を必要とし、包括的な同意で足りるとすることはできない。この点は、原告が、従前の人事異動に関する運用を知っていたとしても、その点をもって、覆るものではない」と判示しました。
(3)転籍出向には、地位譲渡型と解約型があります(本件は後者に該当します)が、いずれの場合も雇用関係の解消という重大な効果をもたらすものであり、事前の包括的な同意では足りず労働者の個別同意を必要とするのが通説判例といえます。判決は、独立行政法人間の異動についても、この点を明確に確認したところに意義があります。
四 本件人事異動は権限の濫用か、本件解雇は懲戒権濫用か
(1)本件人事異動が転籍であり、個別同意が必要だとすれば、それだけで解雇は無効となるのですが、判決は念のためとして、人事異動の権限濫用、懲戒権の濫用の有無についても判断しています。
(2)判決は、本件人事異動で通勤時間が短くなること、原告はこれまでも数年の間隔で人事異動していること、異動で経験を積ませることなど一定の合理性があるとしながらも、原告の妻の病状は相当深刻なものであったこと、人事異動を聞いてパニック状態になり、重大な事態を引き起こす可能性があったこと、本件人事異動は「ジョブローテーションの一環として定期的に行われるものであって、・・高度の必要性があったとまでは言い難いこと」から、「本件人事異動は、その必要性、対象労働者の選定に係る事情その他の事情に照らして、出向に係る権限を濫用したもの」と判示しました。
また、判決は、仮に人事異動命令が権限を濫用したものとはいえないとしても、原告が妻の症状から人事異動に応じがたい事由があること、人事異動がジョブローテーションの域を出るものではなく高度の必要性があったとはいえないこと、本件人事異動を差し控えることで被告らに組織上著しい支障が生じると認めるに足りないこと、原告の勤務態度からして、人事異動を拒否したことを理由とする解雇は重きに失し、懲戒権を濫用したものと判示しました。
(3)判決は、出向命令の業務上の必要性と出向者の被る不利益の比較衡量において、原告の妻の病状が深刻であったことを重視し、使用者側にそれでもなお出向を命じなければならない高度の必要性を求めたものといえます。出向命令権の限界について、労働者側の被る不利益に配慮した判断枠組みを示したものとして意義があります。
五 最後に
判決は、原告側の主張をほぼ認めた内容でした。勝因は人事異動の同意の要否という法律論に終始することなく、原告の被る不利益を、原告本人尋問、妻の尋問、医学文献などで十分立証したことだと思います。特に法廷で自らの病状を切々と語った妻の尋問は裁判所の心証を大きく動かしたと思います。原告は、一刻も早い職場復帰を望んでいますが、被告は控訴しました。必ず職場復帰できるよう、油断なく、力を尽くしたいと思います
(弁護団は、谷真介団員と鎌田です)。
京都支部 谷 文 彰
一 京都地検による起訴
京都地方検察庁は、四月二〇日、朝鮮学校に対してヘイトスピーチを行って学校法人の名誉を傷つけたとして、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)元幹部を名誉棄損罪で起訴した。
ヘイトスピーチにはこれまで侮辱罪の適用例があるものの、より重い名誉棄損罪の適用は初めてとなる。
二 再び起こってしまったヘイトスピーチ
今回の事件は二〇一七年四月二三日に起こった。「在特会」「朝鮮学校」「ヘイトスピーチ」といえば、二〇〇九年から二〇一〇年にかけて、在特会らが当時の京都朝鮮第一初級学校前で子どもたちの在校中にヘイトスピーチを行い、大きな被害を引き起こした場所。それから約七年。元幹部は、かつて同校があった場所で、拡声器を用いて「ここにね、日本人を拉致した朝鮮学校があった」「この朝鮮学校は日本人を拉致しております」などと発言し、その様子を動画で撮影してネット上にアップロードしたのだ。ヘイトスピーチ+ネット上への投稿というのは、彼らの常套手段である。
民事訴訟(在特会らに対し合計約一二二〇万円の賠償を命ずる判決が確定)や刑事訴訟(威力業務妨害罪と侮辱罪で有罪)でヘイトスピーチに対する厳しい判断が示されたにもかかわらず、再び同じ場所で同じことが起こってしまったのは無念でならない。前回の事件に弁護団として加わった私は、民事訴訟の終結を受け、二〇一五年の五月集会特別報告集で「残念ながらヘイトスピーチは続く」「この訴訟はヘイトスピーチの抑止には十分ならなかった」と懸念したが、最悪の形となってしまった。
三 ヘイトスピーチに対する社会の「変化」
それでも、事件を把握した弁護団はすぐに再結集した。翌日の四月二四日、休眠状態だった弁護団メーリングリストに「これは名誉棄損ではないか」と動画等が投稿され、私が「そう思う」と回答するなどして動き出したのである。弁護団会議を経て二〇一七年六月に告訴状を提出し、名誉棄損で起訴するよう検察官らに働きかけたことで、初の名誉毀損罪での起訴へとつながった。
侮辱罪に比べて名誉毀損罪のハードルは高い。しかも、前回と今回とを比べると、発言内容や行為態様においてむしろ前回の方が悪質な面もあった。それでも今回、名誉毀損罪が適用されたのは、様々な「変化」が背景にある。二〇一六年のヘイトスピーチ対策法の成立とそれに至るまでの多くの自治体や警察庁、国連等の動き、成立後の各自治体での条例等の制定に向けた動き、そして社会全体の意識の変化などである。今回の警察・検察の対応も、正直、前回とはだいぶ変わっていた。
名誉毀損罪での起訴は、こうした変化を裏付け、かつ後押しするとともに、今後の抑止効果も期待できる。大きく報道されたことも、「広くヘイトスピーチの実態を正しく知らしめる」(上記報告集)一助となろう。裁判所も、有罪判決の中で人種差別性を明確に認定してくれるとよいのだが。
今回の事件を契機として、どうやってヘイトスピーチをなくしていくのか、法規制はどのようにあるべきかといった議論がますます進むことを切望する。
四 取組みはこれからも
しかし、課題はなお山積する。例えば、相手方が特定されていないヘイトスピーチへの対応が困難な状況は従前と変わっていない。ネット上では相も変わらずヘイト発言が流布し、在特会の元会長が選挙に立候補して演説の中でヘイト発言を繰り返すという新たな問題も出てきている。
また、日本政府について見ても、「ヘイトスピーチを根絶するための明確な姿勢を打ち出すこと」(上記報告集)ができているだろうか。対策法が成立したにもかかわらず、内閣府の国政モニターのページでヘイト発言が放置され、長野県でも同様にヘイト投稿がそのままサイトに掲載されていたといったことも報道されている。
取り組むべき課題はなお多いと言わざるを得ない。
東京支部 木 村 晋 介
五月研の特別報告集掲載の松島暁氏の論稿「日本国憲法にける自衛権―一三条や立憲主義は自衛権を正当化できるか」を興味深く読みました。氏は立憲主義について「つまり憲法に化体された多数者(制憲権者)の意思を憲法を通じて現在の現在の多数者に強制すること」と意味づけています。私も、立憲主義をこのように端的に表現することに賛成です。
そのうえで氏は、制憲権者の意思は「戦争を放棄し、自衛軍も含めても含めて、軍備・武力装置を持たないという点では、疑いの余地なく一致していた」とされ、憲法一三条を国の自衛権の根拠としたり、リベラリズムの立場から自衛権(おそらくは個別的自衛権でしょうか)を肯定する学説を批判しています。
その論旨は明快ですが、明快であるだけに、いくつかの疑問が生じます。
一つには、立憲主義からそのような結論を導くことができると仮定して、その前提となった立憲主義が正しいのか、ということは別に考えなければならないということです。
氏自身、「墓の中に入っていながら、なおこの世を統治するという(略)傲慢」として立憲主義を批判する啓蒙思想家トマス・ペインの言葉を引用して、「立憲主義を口にする論者のどのくらいが、この批判を踏まえてもなお立憲論を支持しているのか、やや心許ない」そしています。
トマス・ペインはこの言葉に続けて、「人間は人間を所有する権利はない。いつの世の世代もその後に続く世代を所有する権利はない(人間の権利、岩波文庫)」とも述べています。
立憲主義の正当性の根拠として、「歴史から導かれる本来的な性質から、人は時に暴走し、間違えることがある。同じ間違いを犯さないために、(特別多数を要件とすることによって)将来のあり方を拘束することが立憲主義だ」という人もあります。
しかし、この議論は、憲法制定時の国民の判断が、その後に生じてくる国民の判断よりもより(相対的にいつも)正しい(ないしはその蓋然性が高い)、ということを前提としているように思えます。これはなかなか証明しづらいテーゼです。実際には、人間社会は、旧来の制約を乗り越えたイノベーション(経済的な意味だけではなく、政治や社会の構造についても)によって発展を勝ち取ってきました。これを阻止する立憲主義は一種のパターナリズムではないかという批判にこたえる必要があるでしょう。
松島氏自体が、この問いにどういう答えを持っておられるのか、うかがいたいと思いますし、制憲権者の意思は「戦争を放棄し、自衛軍も含めても含めて、軍備・武力装置を持たないという点では、疑いの余地なく一致していた」とされる根拠についても、ぜひうかがいたいと思います。私は、必ずしもそうではなかったと思っています。
なお、私は従来より、立憲主義を理由に、個別的自衛権(自衛のための武力)を否定するのは誤りだという見解を持っています。この点については、改めて論じたいと思います。
沖縄支部 白 充
三 感想に代えて
(1)新しい競争の時代
今、世界は、古い競争から新しい競争に姿を変えているのではないか―帰路に就きながら、そのようなことを考えていた。
過去の戦争が、古い競争、すなわち独占に向けた競争であったならば、今日における新しい競争は、平和に向けた競争とはいえないだろうか。
前述の特別寄稿でキム・ヨンチョル統一研究院院長は、「板門店宣言でなぜ最初に南北関係の発展について言及がなされているか。それは、分断線が協力に向けたベルトに変われば、韓半島の地位も役割も変わり、南北関係が変われば、東アジアの秩序も変わるからである」と述べている。
国内の腐敗と同時に、隣国による侵略、植民地、宗主国の敗戦、大国の利益による分断という歴史を経た朝鮮半島が、国内の発展と自国の平和のみならず、平和協定を内外に示し、地域の平和と安定をも目指そうとすることは何ら不思議ではなく、むしろ必然とすらいえる(その過程で経済発展を目指そうとする「H字」経済協力構想(特に非武装地帯を環境・観光ベルトとしてとらえ直すという視点)は、独占や侵略ではなく、平和と共存による経済発展を目指しているという意味で、新しい競争の時代に見合った経済モデルであるという分析も可能である。)。
このような視点で今一度板門店宣言を読み直したとき、はじめて「両首脳は、朝鮮半島においてこれ以上戦争はなく、新しい平和の時代が開かれたことを、八千万の同胞と全世界に厳粛に宣言した」という一文が、前文の中でも実質的な最初の文章に掲げられた理由も理解できるのではないだろうか。
これは競争かも知れない。地域と世界の平和をどこがリードするのか。どこが新しい経済のモデルを示すのか。古い競争のリーダーが米国であれば、新しい競争のリーダーはどこか…
板門店宣言は、我々の想像以上にしたたかなものなのかも知れない。
(2)日本は
そして改めて、日本について考えてみたい。
古い競争で敗戦した日本は、新しい競争の中で「名誉ある地位」を確立しようと、平和主義を掲げる日本国憲法を宣言したのではないだろうか。
その意味で、日本国憲法は七一歳を迎えた今も全く古くなく、むしろ施行時は「新しすぎた」のではないだろうか(このように理解したとき、日本では革新≠ニ呼ばれる側が護憲を唱え、保守≠ニ呼ばれる側が改憲を唱えるのも納得できる気がした。)。
時代はやっと、今の日本国憲法に追い付いてきた。
「変わりゆく時代に合わせ、憲法も変えていくべきだ」という議論は、こと日本国憲法については、あまりにも勿体ない(自衛隊の存在を、解釈ですら認めることができないような文言に改正する、ということであれば理解できなくもないが…)。
海を埋めて新基地を作り、集団的自衛権を「解釈」によって認め、自衛隊について明記する加憲を進め、ひいては自国軍を作ろうとする動きは、まさに時代を逆行するものであり、新しい競争の中で自ら敗北に向かうようなものである。古い競争(過去の大戦)で自ら敗北に向かった日本は、新しい競争でも自ら敗北に向かうのであろうか。
「時代に乗り遅れるな」などという勇ましい言葉をかける気はない。しかし、少なくとも状況を冷静かつ丁寧に把握・分析した上で、次なる一歩を検討しなければ、日本は再び敗戦を迎えてしまうであろう。
とある民弁の弁護士は、「日朝平壌宣言に立ち返るだけのことなのに、なぜそれが難しいのか?」と首をかしげていた(皆様なら、これにどのように答えますか?)。
今回の南北首脳会談−それは、今の日本社会を見つめ直す機会にもなり得るのではないだろうか。(終)
静岡県支部 萩 原 繁 之
佐藤ママについてご存じない団員が、意外に、少なくないのではないか、という気がしている。令息令嬢三男一女をことごとく東大理Vに合格させたことによってマスコミなどで著名なママである。そしてさらには、その佐藤ママが、誰あろう、我が団内で、知る人ぞ知る、奈良県支部の佐藤真理(まさみち)団員の配偶者であられる、ということについても、意外に、団員でご存じない方が少なくないのではないか、という気がしている。団内でご存じない方はあっても、佐藤ママのご夫君である真理団員のお子様が、三男一女、全員東大理Vに合格したということは厳然たる真実である。
ところで、マスコミなどで知る佐藤ママの言説には、率直なところ僕は違和感を覚えるところがあった。例えば「受験の時期には恋愛は禁止」というような言説である。恋愛に禁止も何もないのではないか。なかんずく自然発火的な恋愛において、その鎮火は至難の業ではないか。大学受験ではなく司法試験受験の際に、中止犯の要件を考えている最中に、一女性の僕に対する言葉が紛れ込むという苦痛を経験した身にとって、「禁止などと言ってもねえ」という感が禁じ得なかった。
このことを、僕は、別に真理団員に隠れて陰でコソコソ言っていた、というわけではないのだが、逆に真理団員に是非知ってもらおう、と言うつもりもなく、去年の前半に、共謀罪法に関する自分の講演内容を、団静岡県支部の活動報告集に載せるに当たって、チラッと、同じ団奈良県支部の宮尾耕二団員のお誉めに与ったことと併せて、記載した。
これが、真理団員のお目にとまっていた。昨夏の我が地元熱海での憲法合宿の懇親会の際に、同団員から「(佐藤ママの)書いたものを読んでないだろう。読まずに批判するのはいかんよ。」とご批判を受けた。佐藤ママが僕の文章を「なんか嫌な感じね」と評しておられたこともお聞きした。僕のは「批判」ではなく、単に違和感を覚えたことを述べたのみだったのだが。
(佐藤団員に団支部の報告集が渡った経路を僕は不思議に思ったのだが、要はヤ岡寿治当支部事務局長(当時)が団本部常幹で、希望者に配布し、佐藤団員が希望者だった、ということらしい。ところで、共謀罪法に関する講演内容については、佐藤団員からもお誉めに与った。ありがとうございます。)
佐藤ママの上記のような言説への違和感が、ご著書を拝読して解消するとも思えなかったのだが、ご批判は率直に受け止めて、では、どんなご著書を拝読すれば、とお尋ねしたところ、団三重総会の際にお持ちいただけることとなり、実際に三重総会の場で「三男一女 東大理V合格百発百中」「『灘→東大理V』の三兄弟を育てた母の秀才の育て方」という二冊を頂戴した。ただし佐藤団員に思わぬご迷惑をおかけしてはいけないので、対価を伴ったかどうかは書かないことにする。
さて、今年になってようやく、この二冊とも読了した。
ご著書をいただいていながら、そしてようやく読了しながら、佐藤団員にご挨拶もせず、団通信に書評も書かないまま五月集会で同団員と再会するのは仁義を欠く感がある。
ただ反面、ウチの連れ合いは何も書くべきではないという意見だ。僕が佐藤ママのご著書について良いことを書くはずがないという大前提の下、いつもながらの率直すぎることを書いて、佐藤団員の逆鱗に触れる様な「筆禍事件」を起こしてはいけない、佐藤団員との関係が良好でなくなるのは望ましくない、ということのようだ。
だが、その大前提が違っていれば問題ないはずだ。
そこで、いよいよ、上記二冊のご著書についての感想を記すことにする。
一読して感じたのは、これが受験生自身による受験生のための合格体験記だったら、非常に有益で役立つノウハウや考え方に満ちた体験記だ、ということだ。この本を僕自身(僕の親でなく)が大学受験生の時期に読んでいたら、東大理Vに合格できたかどうかはともかく、非常に役立っただろうな、と思う。著者のその努力たるや、またその合目的性たるや、さすが、というほかない。
反面でやはり、「受験の時期には恋愛は禁止」というのと似たような「恋愛する余裕があれば志望大学を一ランクアップ」という言葉が見出しになっていることとか、思春期を迎え親離れを始めているはずの令息令嬢に対して、ここまで手取り足取り指導、保護をするのは「過保護」「束縛」と言わざるを得ないのではないか、という違和感は、解消されることはなかった。
もっとも、そろって東大理Vに合格されたような秀抜な学力を持つ佐藤団員の令息令嬢ご自身方は、きっと、親の束縛などを、負担や重圧に感じることなどなく、柳のように軽やかにお付き合いすることが可能だったのではないかと想像する。
しかし、ご著書を読んであやかりたいと考える様な、「エピゴーネン」的な親たちの子どもたちはどうなのだろうか。親の子に対する、束縛、負担、重圧として、軋轢を生んでいるようなことはないのだろうか。
こうした違和感を覚える僕には、しかし致命的な弱点がある。単位会や日弁連で子どもの権利委員会の活動を続けてきた僕だが、その僕には、親になることがなかった。
今どきの親たちが、子どもの大学の入学式、卒業式に嬉々として出席し、大学生の子どもの就活にも親が取り組む、という風潮には、マスコミの報道で接して、違和感を覚えるだけだ。同時代・同世代の親仲間として、そういう親たちの心情に身近に接するような機会はないままに来た。現代の親たちの心情は、僕の知るよしもなく、あるいは佐藤ママがご著書に書かれる事柄に、多くの今時の親たちが、共鳴、共感している、ということも、大いにあるのかも知れない。
それでもなお、感じざるを得ないことがある。団の教育問題の分野や子どもの権利委員会で話題になっているような「子どもの貧困」などという問題と、佐藤ママのご著書の間に、接点があるとは感じられないことである。
さて、この文章は、佐藤団員の逆鱗に触れる様な「筆禍事件」を起こすことになるだろうか。
(ご参考)佐藤ママの最新刊は「私は六歳までに子どもをこう育てました」(中央公論新社)というご著書だそうである。
また「週刊朝日」の今年四月二〇日号には佐藤団員ご夫妻のインタビュー記事が掲載されており、その号の編集後記と並んで、興味深い。
東京支部 伊 藤 嘉 章
五 期待したものがなかった徴古館(四月二日午前)
三日目の朝、猿田彦神社に詣でてから神宮付属博物館徴古館に行く。ところが、期待していた「伊勢両宮曼荼羅図」の展示はなかった。係員に聞くと常設ではないという。この図には僧侶が多数登場し、伊勢神宮の神仏習合の様子がよくわかると思われるので、実物をみられないのが残念だ。期待はずれで、形だけ、隣の農業館を見たあと、同一敷地内の倭姫宮に行く。由来書を見て初めて知った。アマテラスを伊勢まで案内した「御杖代」といわれる倭姫を祀る神社が創建されたのは、なんと、一九二二年(大正一二年)と最近のことであることを。但し、この宮も式年遷宮の対象になっているという。この日は、徴古館にも倭姫宮にもわれわれ夫婦以外にはだれも客がいなかった。
六 乗り鉄と伊勢国分寺の断念(四月二日午後)
午後は、松阪駅から名松線を往復する。気動車一両が、市街地から田園地帯、そして山間部の渓谷の路線を進む。終着駅伊勢奥津には、「のこそう 名松線」との垂れ幕があった。缶コーヒーの自販機が一台もない。同じ車両に乗って松阪駅に戻る。「青春18きっぷ」だからできることである。
最後の目的地は、伊勢の国の国分寺である。最寄り駅の関西本線「河曲」駅に降りてタクシー会社に電話した。近くを走行する車がないので、配車できないといわれる。他の会社の探し方がわからない。徒歩で往復一時間を要したのでは、切符を買ってある帰りの名古屋からの新幹線に乗れなくなる。今日は国分寺跡にある資料館が定休日であることもあって、今回はあきらめて次回に期待することにして、「青春18きっぷ」を使って関西本線で名古屋駅に向かった。
七 猿田彦は何もの
内宮に近接する「猿田彦神社」は、当然猿田彦を祀る。今回訪ねた「椿大神社」も二年前に訪ねた「都波岐奈加等神社」も、猿田彦を祀るとともに、両社はいずれも伊勢の国の一の宮となっている。
猿田彦は、神話では、ニニギが天孫降臨して高千穂の峰にいたる道案内人として登場する。出身地は三重県の五十鈴川であるという。
猿田彦こそ伊勢の土着のカミであり、アマテラスの孫のニニギの道案内人として活躍の場を与えられた。アマテラスは倭姫とともに、諸国を彷徨したあと、伊勢の地に流謫の身となった。これは、独自の見解です。
八 まだ見ぬ瀧原宮、朝熊(次回)
次回に伊勢神宮に行くときには、もう一つの遥か宮瀧原宮と、「お伊勢参らば朝熊かけよ、朝熊かけねば片参り」と謡われた「朝熊山の金剛證寺」を訪ねたい。
そして、次回訪問時には、浸水からの修復がなった「せんぐう館」にも再び行ききたい。もちろん、伊勢国分寺にも。(終)
東京支部 柿 沼 真 利
(「原発と人権」全国研究交流集会実行委員会)
二〇一一年三月一一日の東京電力・福島第一原子力発電所の事故から七年という月日が経過し、この間、我が国の原発問題に関しては多くの動きがありました。
脱原発を求める国民の声が大きくなり、全国各地で原発事故の被災者の方々が東京電力及び国に対する損害賠償などを求める訴訟を提起し、これらの動きに対し、一部原発の停止を認める裁判が言い渡され、また、被害賠償においてもここ一年ほどで複数の裁判で判決の言渡しがありました。
その中で、団もその集会実行委員会に参加する「原発と人権」全国研究・交流集会in福島が、二〇一二年四月に第一回として開催され、以後二年に一回のペースで三回にわたり開催されてきました。
そして、今年七月二八日(土)、二九日(日)に、第四回目となる集会が、福島県福島市金谷川所在の福島大学キャンパス内で開催されます。
概要は、以下の通りです。
なお、「原発と人権」ネットワークのホームページ上に詳細の記載されたパンフレットがありますので、参照ください。
一日目「全体会」概要
一二時三〇分開場、一三時〇〇分開会
【1】報告「福島第一原発の現状」
山川剛史さん(東京新聞・原発取材班キャップ)
【2】被害者・被災者の声
【3】報告「現在の被害補償、復興政策の問題点と検討されるべき課題」
鈴木浩さん(福島大学名誉教授・元福島県復興計画策定委員会委員長)
【4】記念講演「フクシマは何を問うているのか」
高橋哲哉さん(東京大学教授)
【5】報告「原発被害者訴訟判決の成果と課題」
米倉勉さん(弁護士)
【6】報告「原発差し止め訴訟判決の成果と課題」
井戸謙一さん(元裁判官、弁護士)
一七時四〇分閉会予定
二日目「分科会」概要
九時三〇分〜一四時三〇分
【第一分科会】「福島第一原発の後始末と脱原子力社会への転換」
日本環境会議、原子力市民委員会
【第二分科会】「原発災害と政策転換」
日本環境会議
【第三分科会】「原発事故賠償の課題と展望」
日本環境会議福島原発事故賠償問題研究会
【第四分科会】「核兵器と原発」
日本反核法律家協会、日本国際法律家協会
【第五分科会】「原発政策の転換とメディア」
日本ジャーナリスト会議
二日目「全体会」概要
一四時四五分〜一六時〇〇分
【1】分科会報告
【2】集会アピール
【3】閉会挨拶
また、今回も、一日目「全体会」終了後に福島市内の飯坂温泉「飯坂ホテル聚楽」にて懇親会の場を設けております(参加申し込み締切りは、七月一〇日厳守です)。
さらに、オプショナル企画として、フクシマ現地調査実行委員会主催の第七回現地調査も行われます。
「原発と人権」ネットワークのホームページ上に掲載されたパンフレットの記載を参照の上、是非是非参加申し込み願います。
なお、@集会自体への参加申込み、A飯坂温泉ホテル聚楽での懇親会・宿泊の申込み、Bオプショナルツアーへの申込みは、それぞれ方法が分かれていますので、お気を付け下さい。
二〇一八年五月二〇日