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星野 文紀 三〇〇〇万署名第一次提出行動の報告と、更なる署名の呼びかけ
深井 剛志 六月七日「安倍『働き方改革』一括法案の廃案を要求する緊急院内集会」報告
青龍 美和子 「緊急街宣/命を奪う、残業代ゼロ・過労死激増の高度プロフェッショナル制度反対!!@新橋駅SL広場」を実施しました!!
中島 晃 日本のマスコミの思考停止を批判する
井上 正信 米朝共同声明をどう見るか
西田 穣 *五月集会特集*
事務局長退任にあたって
〜若い団員に向けた事務局次長就任の勧め〜
服部 泰子 事務局交流会全体会に参加して
荒木 美和 五月集会プレ企画
事務局交流会の活動交流会 報告と感想
西川 裕也 憲法・平和分科会Aに参加しての感想
辻田 航 教育分科会に参加して
大木 裕生 原発分科会に参加してみて
伊藤 嘉章 二〇一八年米子五月集会一泊旅行
その二「五月集会翌日の旅行」
佐々木 猛也 客人は、さきぶれもなく、午後二時ジャスト、現れた



三〇〇〇万署名第一次提出行動の報告と、更なる署名の呼びかけ

事務局次長  星 野 文 紀

 自由法曹団として初めて、数字目標を掲げて取り組んだ三〇〇〇万人署名について、今国会への提出行動として、衆院議員会館の国際会議室で「安倍九条改憲NO!憲法を生かす全国統一署名」の第一次提出集会が開かれ、一三五〇万筆超の署名が提出されました。
 衆議院議員会館に二〇〇箱を超える署名でいっぱいの段ボールが運び込まれ、改憲に反対する国会議員に渡されました。立憲民主党の枝野幸男代表、日本共産党の志位和夫委員長、無所属の会の岡田克也代表、自由党の小沢一郎代表、社会民主党の照屋寛徳国会対策委員長、沖縄の風の糸数慶子代表が、一三五〇万人を超えた署名の取組みへの敬意と、市民と野党の共闘で九条改憲を許さない決意を表明し、出席した各党・会派の二四人の国会議員とともに正面に集合し、市民たちから請願署名の束を受け取りました。
 提出行動は、大いに盛り上がり、市民アクションから「あくまで三〇〇〇万人の署名達成をめざそう」と呼びかけて閉会となりました。
 自由法曹団としても、これに引き続き協力し、改憲反対の声を形にして、改憲の動きを止めたいと考えています。引き続き、団としても三〇〇〇万人署名に協力し、また、団独自の改憲の問題点を明らかにした意見書を利用して国会議員、マスコミにも呼びかけていきます。全国の各支部、各団員のさらなる協力を呼びかけます。


六月七日「安倍『働き方改革』一括法案の廃案を要求する緊急院内集会」報告

事務局次長  深 井 剛 志

 六月七日(木)、自由法曹団は参議院議員会館において、「『働き方改革』一括法案の廃案を要求する緊急院内集会」を開催しました。
冒頭、舩尾徹団長が挨拶し、一日八時間労働の原則を覆す高度プロフェッショナル制度や、平均八〇時間、最長一〇〇時間未満という過労死ラインの時間外・休日労働の上限規制を批判し、反対の輪を広げていくことを呼びかけました。
 その後、労働法制中央連絡会の事務局長の伊藤圭一さん、東京過労死を考える家族の会代表の中原のり子さんから、連帯の挨拶を頂きました。
 国会議員である山添拓参議院議員、福島瑞穂参議院議員も参加し、山添議員は、「議員のFAXが壊れるまで、要請文を送っていただきたい」、福島議員は「高度プロフェッショナルの必要性についてのヒアリングは、一二人にしか行っておらず、しかも法案が提出される前に行っていたのは三人だけである。立法事実が存在しないことは明らか」と発言されました。
 その後、労働法制改悪阻止対策本部で取り組み、青龍美和子団員が中心となって作成した高度プロフェッショナル制度を批判するスライドショーを披露しました。スライドショーの説明は、作成を担当した青龍団員が行いました。
 スライドショーでは、「働き方改革」一括法案の立法事実となった労働時間の調査が極めて杜撰であったことなどが、表や図を多数用いて説明されています。また、高度プロフェッショナル制度が導入されることにより、どのようなことが可能になるのかなどについて、一覧にまとめられた表なども作成し、説明を行いました。
 文章だけではなく、図や表を多く用いた説明は分かりやすく、高度プロフェッショナル制度が持つ危険性や審議の問題点について参加者の理解が深まりました。
 次に、今村幸次郎団員と、鷲見賢一郎団員から、「働き方改革」一括法案の問題点について説明する説明する意見書(「『働き方改革』一括法案の一二の問題点」)の解説を行いました。すでに、自由法曹団では、三月二〇日に「働き方改革」一括法案を批判する意見書を作成、発表しておりますが、今回発表したのは、さらに要点を絞った、コンパクトなものです。「働き方改革」一括法案の中でも、特に問題となる一二の問題点について解説したもので、使いやすく、わかりやすいものになっています。
 その後、各参加者からの発言がありました。ちょうど、東京で公害総行動が行われていた日程であったため、水俣病訴訟の活動で熊本県から来られていた方も参加しており、「東京でこのような活動があると勇気づけられ、熊本に戻っても活動の励みになる」と発言されておりました。
 最後に、自由法曹団の加藤幹事長から、今後の問題提起がなされ、当日発表した意見書、スライドなどを利用して、ぜひ学習会や反対の集会を行ってほしいとの呼びかけがありました。
 「働き方改革」一括法案が、いよいよ参議院で審議が開始され、成立の危険が高まる中、大変タイムリーで、かつ中身の濃い集会となったと思います。
 当日利用した意見書やスライドのデータは団員の皆様にも配布可能ですので、加藤幹事長からの行動提起にあったように、ぜひ、スライドショーや意見書を用いた学習会や集会を開催していただきたいと思います。また、当日は、議員要請も行いましたが、自由法曹団で作成した議員要請用のFAX送付文及び送付先一覧も団員の皆様に送付しておりますので、ぜひ、各事務所で、FAX要請にも取り組んでいただきますよう、お願いいたします。
 今後、参議院での審議が続きますが、我々の運動で何とか廃案に持ち込むよう、全国の団員の行動を求めます。


「緊急街宣/命を奪う、残業代ゼロ・過労死激増の高度プロフェッショナル制度反対!!@新橋駅SL広場」を実施しました!!

東京支部  青 龍 美 和 子

 六月一三日、お昼の一一時三〇分〜一三時、新橋駅SL広場で、高プロ反対の街頭宣伝をしました。
 もともとこの宣伝行動は、団主催の「『働き方改革』一括法案の廃案を要求する六・七院内集会」及び議員要請の後、鷲見賢一郎団員、中川勝之団員、団本部事務局の薄井さん、全労連の伊藤圭一さん、そして私の五人で参議院議員会館の地下の喫茶店でお茶している時に発案されたもので、日程は私と鷲見団員の予定の合うところで勝手に決めたものでした。開催前一週間を切る、本当に緊急に呼びかけた宣伝でしたが、本部事務局の全面的バックアップを受け、「過労死を考える家族の会」のみなさんや労働組合のみなさん、東京支部の団員・事務局の方々、総勢約六〇名の方に参加していただきました。
 SLの前に、横断幕やのぼり、パネルを持ってずらっと並ぶ光景はかなり目立ちました(一二時になるとSLが汽笛を鳴らすことを初めて知りました。)。目立つので通りかかる人はチラっとでも見てくれていました。チラシの受け取りもよかったようです。当日は暑かったですが、ちょうどランチタイムで人通りが多く、立ち止まって聞いてくれる人たちも結構いました。
 「家族の会」の方々から、次々と長時間労働で大切な家族の命を奪われた辛いエピソードとともに、労働時間の規制をなくす高度プロフェッショナル制度の導入によって、過労死を増やしたくない、自分たちのような思いをする人を生み出したくない、という訴えが新橋駅頭に響きました。
 参加してくれた東京法律事務所の事務局の小池さんは、「ずっと立ち止まって話をきいている人がいるなあと思っていたら、翌日のしんぶん赤旗にインタビューが載っていました。旦那さんが過労で三回の自殺未遂をしたという方で、ひとごとではないと熱心に聞いてくれていたそうです。暑いなか日傘をさしてずっと聞いてくれていました。」と報告してくれました。
 私個人のツイッターやフェイスブックでも参加を呼びかけたところ、何人かの人から後で直接会った時に「見たよ」「行きたかったけど残念」などと声をかけられました。また、SNS上で「#高プロ止めろ全国一斉抗議」が広がっており、新橋駅や東京駅前でスタンディングをしている個人の方から、今回のような街宣を「丸ノ内でもやってほしい」とコメントいただきました。SNSでつながっている人たちも、結構見てくれています。
 六・七院内集会で、「『働き方改革』法案を批判する」というパワーポイントを作ってスライド上映したところ、好評だったので、パネル(A2サイズ)にして、街頭宣伝でも紹介しました。近くに寄って写真を撮ったり、ずっと聞いてくれたりする人もいました。
 今回の反省点は、このような街頭での宣伝を「なぜ、もっと早くやらなかったのだろう」です。しかし、後悔しても始まりません。あきらめずに、引き続き声を上げていきたいと思います!!


日本のマスコミの思考停止を批判する

京都支部  中 島   晃

 団通信二〇一八・四・二一号に載せた拙稿「マスコミの好戦的な論調を批判する大久保団員の投稿を読んで」でも触れたことだが、現在、筆者は「NHK・メディアを考える京都の会」の共同代表をつとめている。そうした関係から、六月一二日の米朝首脳会談の前日(六月一一日)に、上記「京都の会」の関係者に後記のとおりのメールを送った。
 米朝会談の後に、日本のマスコミがさまざまな報道や論評をしているところだが、それをどういう視点から評価するかをめぐって、筆者なりの見解をあらかじめまとめたものである。
 そうしたことから、今回の拙稿についても、団通信に投稿して、全国の団員の参考に供する次第である。

 いよいよ、明日(六月一二日)、米朝首脳会談が開かれます。このことに関連して、五月半ばすぎに、麻生財務大臣が米朝首脳会談について、北朝鮮の飛行機が途中で落ちたら話にならんなと述べたことが報ぜられて、話題を呼びました。この発言は、米朝会談が何とかつぶれてほしいという、いまの安倍政権の本音、いやむしろ、切なる願望のあらわれではないでしょうか。
 このまま、米朝首脳会談で一定の合意が成立し、朝鮮半島の緊張が緩和すればどうなるのか。
 まず第一に、九条改憲が緊急の課題であるとしてきた、朝鮮半島の一触即発の事態がなくなり、九条改憲を推し進める切迫した状況が失われることを意味します。
 また第二に、日本政府がいやでも北朝鮮の金政権との直接対話を実現して、そこで拉致問題の解決を図ることを迫られることになります。
 そこで、安倍政権が拉致問題の解決に失敗すれば、安倍政権誕生の契機となった政治課題の解決に失敗して、政権存続の基盤を失うことになると思われます。
 その意味で、森友、加計といった国内での失政だけではなく、外交上の失政も重なって、安倍政権は存立の危機にさらされるのではないでしょうか。
 それだから、麻生は金の乗った飛行機が落ちる云々の発言したのであり、飛行機が無事飛べば、今度は自分たちが落ちることになるという危機感をつのらせているのではないかと考えます。
 さて問題は、米朝首脳会談をうけて、日本のマスコミがどういう報道をするかだと思います。
 いまや、政府広報機関と化した観のあるNHKに多くのことを期待をするのは無理でしょう。産経や読売はおよそ論外にしても、毎日新聞やあの東京新聞がこれをどう報ずるかが問われる必要があるのではないでしょうか。
 毎日や東京新聞は、朝日新聞とともに、戦争法や共謀罪では、政権批判の論陣をはりました。しかし、北朝鮮問題になると、途端に思考停止状態に陥り、政府の外交方針に同調する報道を繰り返しています。
 六月一二日以降、日本のマスコミが米朝首脳会談をどう報道するのか、引き続き対話ではなく、圧力強化の継続を求める、これまでどおりの報道を繰り返すのかが、あらためて問われる必要があると考えます。その意味で、いま、あらゆる権力から独立した報道を標榜するマスコミの存在意義がきびしく問われているのです。
 最近読んだ、白井聡の「国体論・菊と星条旗」(集英社新書)に、いま日本の支配層は、朝鮮半島の軍事衝突の勃発を危機打開の切り札として待ち望んでいると書かれています。成程とうなづけるものがあります。
 日本のマスコミが、朝鮮半島の軍事衝突の露払いの役割をはたしていることを、きびしく見つめる必要があるのではないでしょうか。
 いささか余計なことを申し上げましたが、この間、北朝鮮問題に関する日本のマスコミの報道を批判してきた者として、この機会に、是非とも以上のことを指摘しておきたいと考えた次第です(二〇一八年六月一一日記す)。


米朝共同声明をどう見るか

広島支部  井 上 正 信

 二〇一八年春以降急速に事態が進展して、六月一二日米朝首脳会談が開かれて、共同声明が合意されました。これをどう見ればよいでしょう。今後の北朝鮮問題がどのように推移するでしょうか。
 また、日本には今後どのような取り組みが求められるでしょうか。
 米朝共同声明では、三項で「板門店宣言を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島における完全な非核化に向けて努力する」としています。つまり、米朝共同声明は「板門店宣言」と深く結びつけられていることが分かります。
 では「板門店宣言」はどのような内容でしょうか。宣言の正式名称は「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」です。名前は体を表します。「板門店宣言」は大きな三項目を合意しています。第一項は「共同繁栄と自主統一」、二項は「軍事的緊張状態の緩和、戦争の危険を解消」です。第三項は「朝鮮半島で強固な平和体制構築のため、積極的に協力」で、この三項の最後の項目に朝鮮半島の完全非核化が合意されています。
 「板門店宣言」はまず南北の繁栄と自主統一、そのための南北関係改善が第一の願い、それを妨げる軍事的緊張状態緩和と戦争の危険を解消するための具体的な措置の合意があり、南北だけではなく関係諸国を含めた朝鮮戦争の終結、平和協定締結を求め、そのための非核化という位置づけなのです。
 すなわち、南北朝鮮の繁栄と自主統一という戦略目標を合意し、そのためには、戦争の危険を除去するため南北関係を改善すること、朝鮮半島での緊張と対立の原因を除去することが必要だとして、朝鮮半島の非核化はその中で解決すべき問題との位置づけです。その意味で極めて明確な戦略文書と言えるでしょう。
 米朝共同声明は、一項で両国民の平和と繁栄のため新たな米朝関係を確立、二項で朝鮮半島における持続的安定的な平和体制を構築、三項で板門店宣言を確認して北朝鮮は朝鮮半島の完全非核化に向けて努力することを合意しました。「板門店宣言」の構造とよく似ています。
 つまり米朝共同声明は、それに至る出発点は確かに北朝鮮の核兵器と弾道ミサイルでしたが、これを解決するために、新たな米朝関係の確立と朝鮮半島での平和体制構築という大きな戦略目標を目指す中で解決しようというものと理解できます。
 朝鮮半島の非核化を実現するために、米朝首脳会談まで米国側は完全(C)・検証可能(V)・不可逆的(I)・非核化(D)を求め、それが実現するまでは経済制裁を解除しない(見返りを与えない)、極めて短期間でCVIDを達成すると表明していました。それと比較すると、米朝共同声明は米国の一方的な譲歩だ、北朝鮮の粘り勝ちだ、不可逆的な非核化を落としたのはトランプが功を焦って譲歩したからだ、内容に乏しいなどとマイナス評価をする向きがあります。
 しかしこのような評価は、四半世紀続いてきた北朝鮮核開発と弾道ミサイル開発の問題を十分理解していないからだと思います。北朝鮮の核開発問題は、事柄の性質上長期間、困難なプロセスを要することは明らかです。
 また北朝鮮の非核化だけを切り離して解決することも不可能です。そもそも北朝鮮が核兵器を開発した理由は、朝鮮戦争とそれが未だ終結していないこと、米韓、日米軍事同盟に包囲されており、場合によっては核兵器攻撃すらありうること、朝鮮半島での大規模武力紛争の危険が常に付きまとっていることなどが背景にあります。これらを解決するプロセスの中でしか北朝鮮の非核化は実現不可能であることは明らかです。
 米朝共同声明はこの当たり前の事実を認識したうえで作られたと理解できます。
 北朝鮮の非核化を進める手法においても、完全な非核化まで経済制裁を解除しない、経済的な見返りを与えないということは非現実的です。長年月にわたる非核化の過程で、何らの見返りもなく、北朝鮮が一方的に非核化の措置をとり、IAEAや米国による査察を受け入れるなどとうてい考えられません。
 トランプやその側近たちは当初極めて短期間に完全な非核化を実現させると考えていたようです。これに対して米国の核兵器専門家らは、このような認識に対する危惧の念から、トランプへ意見書を提出して、北朝鮮の非核化は、リビアなどと異なり、極めて困難で長期間を要する、一〇年、一五年かかる可能性があることを忠告していました。おそらくこのような意見がトランプの認識を変えたと思われます。
 朝鮮中央通信は、「段階別、同時行動原則を順守することが重要との認識で両首脳が一致した」と報道しました。米朝首脳間でその点についてどこまで合意したかは不明です。しかし私は、共同声明の前文の中にある「相互の信頼醸成によって朝鮮半島の非核化を促進できることを認識」との一文に注目しています。
 朝鮮戦争以来六八年間にわたる米朝間の根深い不信と対立が、一回の首脳会談やそれに至る短期間の実務者・高官協議で解消できるはずはありません。共同声明を実行する今後の米朝の取り組み(米朝実務者協議、高官協議等の外交レベルの協議と交流)を進める中で信頼醸成を積み重ね、そのようなプロセスの中で非核化の措置が段階的にとられることになるでしょう。トランプが米韓合同軍事演習の中止に言及したことはその始まりの一つかもしれません。
 現時点では非核化を実現する期間や、その間の米国による経済制裁緩和や支援がどのように話し合われたかは分かりませんが、非核化を目的にしたプロセスとして、「約束対約束、行動対行動の原則」(二〇〇五年九月六者協議共同発表文で合意)という考え方は双方が共有しているのではないかと推測しています。その根拠が引用した前文にある一文です。また、米国側は朝鮮中央通信の報道に何らのコメントも出していません。黙認していると思われます。米国はこの点も今後の米朝二国間の協議の中から見えてくるでしょう。
 日本は今後どのような取り組みが求められるでしょうか。米朝共同声明に具体性がないだけに、今後の米朝間の各レベルでの協議の進展が極めて重要になります。時には協議が行き詰まり、再び米朝関係が緊張をはらむものになる可能性があります。九四年枠組み合意以降の米朝関係がそのことを物語っています。
 その様なことを極力避けながら、米朝共同宣言を具体化させることが日本に求められます。北朝鮮と日本との間には核開発問題以外にも、国交正常化を図ること、拉致問題、過去の清算(戦後補償問題)、弾道ミサイルと核開発、在日朝鮮人の地位などがあり、弾道ミサイルと核開発問題以外は日本と北朝鮮の間の独自の外交課題です。日本が主体的に発言し行動しなければなりません。日本が北朝鮮との間のピョンヤン宣言に基づいて、国交正常化を目標にした二国間交渉を行い、その過程でこれらの問題の解決を進めることは、米朝共同声明を支えて補完することになります。その際拉致問題の解決を米朝協議の入口条件にしてはいけません。米朝共同声明の具体化と日朝関係の改善が合わさって初めて北朝鮮が日本の脅威ではなくなり、友好的な隣国となるでしょう。


*五月集会特集*

事務局長退任にあたって

〜若い団員に向けた事務局次長就任の勧め〜

東京支部  西 田   穣

 二年半の任期を終え、無事、事務局長を退任することができました。全国の団員の皆様に感謝を込めて、退任にあたっての感想を述べたいと思います。なお、五月集会での退任の挨拶と重複しますが、私の思いの丈を語ったものですので、重複ご容赦下さい。
 私は、自他共に認める「偽善者」ですが、事務局長を終えた第一の感想は、心底、「感謝」しかありません。二年間支えてくださり、退任後も私の去就を最後まで心配してくださった荒井前団長。半年間のお付き合いでしたが、広い心で見守ってくださった船尾団長。次長時代からの師弟関係になりますが、相変わらずキレッキレの加藤幹事長。一年目を支えてくれた千葉・藤岡次長、埼玉・増田次長。二年間を共にした大阪・岩佐次長、神奈川・湯山次長、東京・久保田次長、種田次長。団史上唯一だと思いますが同期なしの一人次長として頑張ってくれた東京・酒井次長。半年の付き合いでしたが優秀な次長団の大阪・遠地次長、京都・尾侮汳キ、神奈川・星野次長、東京・緒方次長、深井次長。半年間、一人専従として頑張ってくれた薄井さん。いつも細かいところまで気にかけてくれる専従の阿部さん。そして、彼が団に来てくれて私の事務局長としての仕事は間違いなく三〇%以上削減されました、スーパー専従の柴田君。引退した身でありながら、団本部の危機をアルバイトとして支えてくれた元旬報法律事務所事務局長の山口さん、元北千住法律事務所事務局長の本木さん。私の任期中に全国集会を開催していただいた北海道支部、群馬支部、三重支部、佐賀支部、そして鳥取支部の皆さん。同じく任期中に地方常任幹事会を開催していただいた千葉支部、福島支部、京都支部の皆さん、そして、常任幹事会だけでなく、高江ツアー、辺野古ツアー、韓国民弁交流会等を合わせると全部で五回も企画を主催してくださった沖縄支部の皆さん、特に事務局長の仲山団員に感謝申し上げたいと思います。何より、二年半の不在を許してくれた私の出身事務所の東京東部法律事務所の皆さんと、一年目、専従も次長も不足する中、不慣れな事務局長の業務を多く支え分担していただいた今村幸次郎前幹事長、そして未熟な私を暖かく見守ってくれた全国の団員の皆様に深く感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
 さて、ここで話を終えれば、有終といえるのかもしれませんが、偽善者の私が殊勝な言葉だけで挨拶を終えると、「あいつ、次は幹事長狙っているんじゃないか」といった自他共に大変迷惑な噂がたっても困りますので、私らしく毒舌というか、「立つ鳥跡を濁す!」、二度と団の表舞台に呼ばれないように、感想を続けたいと思います。
 事務局長を終えた第二の感想は「大変だった」です。何が大変って言われれば、私は情報収集でした。この情報収集を日ごろ苦なく行っている団員の方はいいかもしれませんが、私の愛読紙(誌)は、「東スポ」と「週刊少年ジャンプ」でして、「赤旗」は「(読まなくても)買うことに意義がある」が持論だったのですが、この「赤旗」というのは情勢把握に優れているだけでなく、一般の日刊紙等が取り上げてくれない全国の団員の活躍を記事にしてくれることが多く、それが団通信の原稿依頼のネタ元としても優れているんですね。ですから、これを隅から隅まで読むようになる、これが一時間弱。次にメール。これも大変。事務局長になるまで、「K憲ML」なんて、Shiftキーを押しながら、スクロールして、Deleteをかけるだけで、一通のメールを二〜三秒で読む(処理する?)程度だったのですが、これを全部読むようになる。これがきつい。読みたくないメールもすべて読み、時に「執行部はどのようにお考えか?」などと来てしまうともう大変。「何も考えていません!」と回答して笑いが取れるならば、勝負してみてもいいのですが、残念ながら団はそういった組織ではなく、慌てて「知ったかぶり」をできるくらいまで調べ、時に回答を出す。これが一時間以上・・・まだまだ大変なことはいっぱいあるのですが、団通信原稿のリミットの一五〇〇字に達してしまったので、この程度にしておきます。
 本当は、ここから「それでも団の事務局長の仕事はこんなに素晴らしく、やりがいがある!」ということを述べてから、まとめに入りたかったのですが、これも割愛して、まとめにいきます。
 私が、事務局長を退任するにあたって、特に若い団員の方に伝えたいことは、「本部の事務局次長をやってください」です。私は、(新事務局長に就任してくれた森さんには申し訳ないのですが・・・)事務局長を人に勧めることはできませんが、事務局次長は本当に楽しく充実していると思っており、是非やるべきだし、せっかく団に入ったのなら「やらないと損」とまで思っています。
 団の次長は、執行部の下っ端でも雑用係でもありません。団の次長は、担当分野における団のリードオフマンです。次長のやる気と能力で、その担当分野での団の取り組みは大きく変わります。最近の例だと、湯山次長が、女性部の事務局長でありながら団本部の次長を掛け持ちし、団の女性差別問題の取り組みに大きく貢献してくれました。酒井次長は、貧困問題の取り組みにつき、関連諸団体との結びつきをどんどん広めてくれています。
 団が取り組みを強めなければならない人権課題は増えています。昨年の五月集会で分科会をもったヘイトスピーチや今年の五月集会のLGBT問題、若者の大衆的運動を擁護するための警護活動等々、例を挙げればきりがありません。これらの問題に、執行部が速やかに対応できれば良いのですが、肝心の事務局長が「東スポ」と「ジャンプ」を第一の情報収集源にしていたため、「キタサンブラックが勝てるか」とか「ルフィがどうなる」といった課題であれば、独自に最新情報を収集し、適切な議論設定も可能なのですが、それ以外の課題となると、既存の団の課題に対応するので手一杯で、対応が後手に回ってしまいます。そんなときやる気のある次長がいれば、団の執行部の動きは、大きく、早く変わります。
 団は、良くも悪くも大きな組織です。政治を変える力まではないかもしれませんが、皆さんが取り組んでいる人権課題の当事者、支援者などが、団が積極的に取り組んでくれていると分かれば喜んでもらえるくらいの組織であることは間違いありません。次長になれば、そういった取り組みを広げることができると思います。「まず隗よりはじめよ」という言葉があります。語源のエピソードはあまりいい話ではないのですが、皆さんが何かを成し遂げたいなら、他人の執行部ではなく、まず自ら積極的に執行部に入り、取り組める課題から進めていくべきです。そして、皆さんがどういった目的を持っているかによりますが、団本部の次長はその目的達成に寄与しやすい役職ではないかと思います。
 「次長は大変」、「専従のような仕事」、「売り上げが落ちる」等々、様々な憶測が広がっているようですが、どこかの国の首相が「憲法に自衛隊を明記するだけ」と言っているのと同じレベルのデマです。やりたい、やってもいいと思ったなら即断して下さい。
 若い期の皆さんが、積極的に団の執行部に入り、ベテランの団員をあたふたさせるような目覚ましい活躍をしてくれることを期待して、私の退任の挨拶のまとめとさせていただきたいと思います。
 二年半の間、本当にありがとうございました。


事務局交流会全体会に参加して

ほづみ法律事務所  服 部 泰 子

 一昨年の北海道以来、二年ぶりの五月集会となりました。これまでも定期的に参加させていただいており、その度、全国の先生方や事務員さんのお話を伺って、問題意識を高められる、大変貴重な時間を過ごさせていただいています。
 今回の事務局交流会全体会では、東京支部の白神優理子先生に『憲法の原点(基礎)と九条改憲でどうなるか?』と題してご講演いただきました。
 普段、先生方の活躍を近くで見ている私たちですが、弁護士本人が何故その考え方に至ったか、何に心を動かされたか、という話を聞く機会は殆どありません。
 そんな折、白神先生は講演冒頭で、ご自身の意識変革の体験をお話しされました。世の中への失望と諦めに満ちていた中学時代からどのように変わっていったか、白神先生の体験を通して語っていただいたことで、途端に先生の輪郭がクッキリしたようでした。共感を持ち、身近に感じられ、その後に続く、憲法がいかに私たちに寄り添ったものかというお話しも、説得力や浸透度が増したように思います。誰かに何かを話す時、内容はもちろんですが、話者がどういう人物なのか、どういう人となりなのか示すことは、とても大切なんだと実感しました。
 また、九条改憲の危険さを、聞き手のタイプに合わせた四パターンで解説されたパートでは、何が問題なのか明瞭になり、頭の中が整理されました。一貫して、参加者の立場になって考えていただいた講演で、大変分かりやすかったです。
 講演後は、白神先生と東京支部の舩尾遼先生で『九条改憲に関わる争点ごとにディベートをして学ぶ』として、改憲派役の舩尾先生の主張に、白神先生が反論する形でディベートが行われました。
「北朝鮮がミサイルを打ってきてるじゃないか。」「七〇年も変えてないんだからそろそろ変えるべきだ。」「そもそもアメリカに押し付けられた憲法じゃないか。」などなど、よくある改憲派の主張に対し、どのように返したらよいか、こちらも大変分かりやすく、お手本を見せていただきました。
 身近な人と改憲について議論になった時、互いに怒って結局最後は「もういいです」と終わってしまうことが多い私ですが、白神先生の講演と舩尾先生とのディベートで得た学びを手に、まずは家族や友人と話し合ってたいと思います。
 白神先生、舩尾先生、ありがとうございました。


五月集会プレ企画

事務局交流会の活動交流会 報告と感想

大阪中央法律事務所  荒 木 美 和

一 三〇〇〇万人署名の各事務所の活動報告
 活動交流会では、各地の事務局から以下のような報告がありました。
・自然カフェ(オーガニックやフェアトレード等の食品を扱うカフェ?)やお寺、教会にお願いに回る。
・署名用紙を返送するよう電話かけ。弁護士からお願いの一筆を添えて再度署名用紙を送る。
・「九条改憲NO!」と「核廃絶」の二種類を送付、依頼文、料金受取人払いの返信用封筒を同封し、依頼者等へ送付。
・相談室のテーブルにポップを立てて署名用紙を置く。
・憲法学者によるイベント、昼休みを利用した一五分憲法学習会などを企画。
・街宣で着ぐるみを使用。通行人らが興味を持ち、ツイッターでアップされた。
・他団体と一緒に街宣(労働組合と一緒に街宣をすると焦点がぼやけてしまう、「法律事務所がしている街宣」ということで通行人の見方も違う気がする、などの意見もあったが。)
・わかりやすい「あすわか」のチラシを拡大コピーし、ティッシュと一緒に配布することで受取りアップ。「あすわか」弁護士の勉強会に参加し分かりやすく説明する技術を学ぶ。
・安倍内閣の九条改憲は、自衛隊が海外に行って戦争に巻き込まれることになるので反対、と訴える。
・昼の街宣は急ぎ足の人が多いので夕方にした。夕方は、主婦や学生も多く、チラシの受取りがよかった。
二 仕事と活動の両立について意見交換
 この点については以下のような報告がなされました。 
・事務所の売上が減少、事務局の人数も減り、事務所全体で活動に取り組むことが難しい。
・活動に参加する人、しない人、できない人様々だが、憲法を守ろうという思いはみんな同じ。特定の事務局に負担がいかないようにみんなで分担。
・個人的に行っている取組みなどを所内にメールし情報を共有(活動ができない人にはプレッシャーになる、という意見もあり。)。
・事務局で映画を観に行くなど、所外での交流の場を設ける。
・子育て中は事務所での活動に参加できないことも多いが、長い目でみてほしい。今はできないけど、いつかはみんなと一緒に活動できる時期がくる。活動をがんばっている事務局さんの空気(思い)は、子育て中の人には痛いほど伝わる。子育て中の事務局は、活動に関わる時間を持てない今の自分の状況や、そのことに対する自分の気持ちを、話しやすいときに、他の事務局に伝えてみるのも良い。
・事務局全員が参加できるよう就業時間内に街宣する。
・夜や土日などの学習会等に参加できない事務局は、案内の発送作業や、街宣で配布するチラシの準備など就業時間内にできることをし、事務局全員が事務所の活動に関われるようにする。
三 感想
 今回、同じく大阪にある関西合同法律事務所の事務局の方が、プレ企画から参加しませんか、と誘ってくださったので、数年ぶりに、五月集会にフル参加しました。
 事務局交流会では、約一五名の事務局で意見交換をしました。他の事務所の取組みや、私とは違う生活環境で仕事をされている事務局の方の意見を聞けたことは、とても大きな収穫となりました。
 年数が経てば、自分を取り巻く環境も変わり、それに伴って考え方も変化します。多くの人の意見を聞くことは自分の糧になると実感した交流会でした。
 特に、子育てを終えられたベテラン事務局の「子育て中は事務所の活動に参加できないことも多いが、いつかみんなと一緒にできる時がくる。今、参加できない自分の現状と思いを気楽に打ち明けてみては。」との言葉がとても印象に残っています。
 事務所の売上が減り、事務局の人数も減少すると、余計に人間関係もギスギスしがちですが、私たち事務局同士が相手の現状を理解し、声を掛け合って、お互いに支えあうことが大切だと思いました。
 いずれにしても、私たち事務局も、団員である弁護士の仲間として共に様々な人権問題や平和活動に取り組んでいきたいと思います。


憲法・平和分科会Aに参加しての感想

大阪支部  西 川 裕 也

一 はじめに
 今年の五月集会は、平成三〇年五月一九日から五月二一日に、鳥取県米子市の皆生温泉にて行われました。
 私は、五月集会には初参加でしたので、五月集会のうち、憲法分科会Aについての感想を述べたいと思います。
二 情勢報告について
 分科会一日目の序盤は、現在の安倍政権の情勢報告等が行われました。
 安倍政権による改憲の現状は、当初予定されていたスケジュールに比べて、大幅に遅れているものの、依然として予断は許されない状況であるということが確認されました。
 また、各地の弁護士会における改憲に対する意見の出し方に関して、やはり強制加入団体特有の難しさがあるということを、千葉支部の報告を聞いて再確認しました。多くの弁護士が改憲に反対しているというメッセージを伝えることは、今後の改憲阻止の活動に大いに役立つと思われますが、なかなか統一的な意見を公式に出すのは難しいと感じました。
 加えて、群馬支部の報告を聞いて、改憲側は、弁護士会のトップに公明党員を配置し、改憲に反対する意見の封じ込めを行う等、依然として改憲への意欲を強く感じさせるものでした。
 以上の各支部の報告を受け、多くの人が改憲に問題意識を持っているということを伝えるためには、今後も三〇〇〇万人署名の活動に励む必要があると感じました。
三 各支部の活動報告について
 上記の情勢報告等の後は、各地における学習会等の活動報告が行われました。
 私は、自由法曹団に所属するまでは、具体的な活動を行ったことがなく、また、現在においても、単独で学習会などを実施したこともありません。
 そのような私にとって、市民の方に対して具体的に想像をしてもらうために写真を見てもらう、市民の方と共感することを意識している等の各支部の皆さんの活動報告は、とても勉強になりました。
 特に、改憲に関して中立的な意見の市民や若者等に対して、わかりやすく改憲問題の話を行う為に必要な視点(興味の引き出し方やわかりやすい伝え方)はとても勉強になりました。
 団員の活動報告を聞いて、私自身も学習会等で市民の方々と触れ合う機会を持ち、自分の言葉で改憲問題についての考え方を伝えていきたいと思いました。
四 終わりに
 今回は、分科会に関しての感想に留めましたが、五月集会に参加して全体を通して、団員皆さんの社会問題に対する意識の高さ、取り組み、その熱意に圧倒されました。
 私のこれからの弁護士人生にとっては、改憲問題だけでなく様々な問題に直面していく事になると思われます。その中で、私も自由法曹団の団員として積極的に問題解決に向けた活動に取り組んでいくことを改めて決意しました。


教育分科会に参加して

東京支部  辻 田   航

 五月集会教育分科会では、「少年法適用年齢引き下げ問題」がメインテーマとして扱われました。
 法制審での議論状況について報告された後、元家庭裁判所調査官である日比野厚さん(全司法労働組合本部少年法対策委員)から、「少年法適用年齢引き下げ問題を福祉の視点から考える」と題する講演をしていただきました。
 講演では「引き下げ問題」について現行少年法の誕生と絡めたお話がありました。旧少年法から現行少年法への改正(一九四九年)では、@少年に対する保護処分を行政官庁(少年審判所)ではなく裁判所が行うようにした、A少年年齢の一八歳未満から二〇歳未満への引き上げ、B検察官が行っていた少年に保護処分と刑事処分のどちらを課すかの判断を裁判所が行うようにした、といった点が変更されたことが紹介されました。
 これらの改正点を聞いた私は、現在審議されている少年法改正が時代に逆行していると感じざるをえませんでした。というのも、「引き下げ」自体がAの「引き上げ」からの逆行そのものである上、現在法制審で審議されている「検察官による起訴猶予に伴う再犯防止措置」は@のように実質的な保護処分の権限を検察官に与えるようなものですし、「引き下げ」の代わりに若年層の再犯防止措置を導入しても、一八・一九歳の者についてそれらの措置を用いるか、通常の刑事処分を適用するか、Bのように検察官が判断することになるからです。
 また、家裁調査官の視点から、「引き下げ」が行われた場合の問題点が挙げられました。
 第一の問題点は、交通事故に関してです。現在、少年が起こした交通事故に関して、家裁では教習所と比べてもかなり丁寧に指導を行っているとのことです。「引き下げ」になれば、一八・一九歳の交通事故が一気に家裁で扱われなくなるため、その影響を心配されていました。
 第二に、現在一八・一九歳を中心に行われている、少年を民間に預ける「補導委託」が壊滅的な打撃を受けるのではないかという問題を挙げられていました。
 本分科会の講演は、「引き下げ」の問題点をより深く理解できるものだったと思います。今後、「引き下げ」阻止に向けてこれを生かしていきたいと思いました。
 その他に、分科会では神奈川支部における「道徳の教科化」問題への取り組みの紹介もありました。
 神奈川支部で作成されたこの問題を紹介するリーフレットは、自由法曹団らしからぬポップなデザインで、手に取りやすいものとなっていました。どんな問題でもそうですが、広く一般の方々に知ってもらうには、このような時代に取り残されないようにダサさから脱却する弛まぬ努力が必要だと、強く認識しました。


原発分科会に参加してみて

福島支部  大 木 裕 生

 原発分科会では、一日目が、全国で約三〇存在する福島原発事故賠償集団訴訟についての基調講演と、各裁判に関わられている先生方や原告となっている方からの裁判報告等が行われました。また、二日目は、主に脱原発の実現に向けた全国の動きについて、基調講演と全国で、原発の再稼働差し止めの裁判に関わられている先生方からの報告等がなされました。自分は福島原発事故賠償裁判に、弁護団の一員としてかかわっている関係で、二日間とも原発分科会に参加いたしましたので、簡単ではありますが分科会の内容と感想を述べさせていただきます。
 一日目は、まず初めに立命館大学法学部の吉村良一教授から、「福島原発事故賠償集団訴訟における「損害論」―七判決の判決と課題」という演題の基調講演から始まりました。吉村教授には、今までに出された七つの判決を分析し、判決の内容の概説とその課題を提起していただきました。自分の関わっている裁判の判決の解説や課題の提示を頂くことができ、今後の裁判を戦っていくうえで大変重要になる指摘を頂くことができました。
 講演後は、意見や質問の時間となり、各裁判に参加されている先生から、裁判の現在の進捗状況や今後の展望など、活発な発言が相次いでなされ、その熱量に圧倒される思いでした。
 二日目は、島根大学法文学部の上園昌武教授から「脱原発社会の実現に向けて」という演題の基調講演をいただきました。この講演では、福島原発事故の教訓を踏まえて、国のエネルギー政策の問題点を指摘し、原発に頼らないエネルギー自立地域を目指すために、どうしたらよいかを海外の実例や、上園先生が実際に島根県で取り組もうとしていることなどを紹介しつつご教授いただきました。
 その後の、意見や質問の時間では、各地で脱原発裁判に関われている先生方からの、裁判の進捗状況や今後の展望について話がなされました。
 特に京都の脱原発裁判は、重要局面に今まさにいることなどが話され、勝手ながら、いい結果が出るのではないか、そんな期待を感じずにはいられない印象を受けました。
 二日間にわたり、原発分科会に参加することで、全国の先生方の熱心な活動を知ることができ、多少なりとも関わらせていただいている自分としても大変励みになりました。先生方から頂いた活力を、今後の自分の活動に生かしていきたいです。
 ところで、実は、今回の原発分科会に参加して、一日目の吉村教授の七判決の総括を受けて気になったことが一つあります。
 それは、公害裁判の損害立証において最も重要な立証手段の中の一つといえる「検証」を行ったのは、七判決のうちでは「群馬」・「生業」・「浜通り(避難者)」ですが、その「検証」を行った裁判所が、「検証」を行っていない裁判、特に「千葉」や「小高」に比べて賠償額が低額になる傾向があることです。
 「検証」において復興に向かっている姿を一部でも見せてしまうことが、裁判所の判断にブレーキをかけてしまっているのではないか…原発事故賠償訴訟において「検証」はマイナスに働いてしまっている面があるのではないか…、現在、ここについての「検証」が必要ではないか、そんな気がしているところです。


二〇一八年米子五月集会一泊旅行

その二「五月集会翌日の旅行」

東京支部  伊 藤 嘉 章

一 足立美術館の横山大観
 五月二一日、宿の前で集合写真を写したあと、徒歩一分で足立美術館に行く。
 他の作品には眼もくれず、横山大観の部屋に行く。
 「えっ。ここにあるの。」、草履を履いた童子(わらべ)がダブダブの着物を着てつっ立っているあの「無我」があるではないか。この絵はたしか東京国立博物館所蔵のはず。借りてきているのか。解説文を読むと、この「無我」と題する絵を横山大観は全部で三枚書いているという。東京国立博物館の他に、鳥取県のこの足立美術館、そして、長野県の水野美術館に各一枚あるという。隣の団員に「この絵が三枚あるとは知らなかった。」というと、彼は「ほかで見たものはもっと色彩が明るかったようだ。」という。私も同意する。
 次に、富士山と太陽を描いた「神国日本」と題する絵を見る。一九四二年に横山大観は、海軍の工作学校から練習生の士気を高める目的で頼まれてこの絵を描いたという。この説明がなければ、あるいは海軍の学校の講堂などに展示されるなどという舞台装置がなければ、この絵からは、士気高揚は窺えないのではないかと思った。あるいは、富士山の頂上の左上に赤い太陽という、不自然な位置の真っ赤な太陽を描いているところから、作者の意図を読み取るのであろうか。
 横山大観は一九四三年に日本美術報国画家協会の会長となった。この年、七五歳のときに、「瑞祥」という絵を描いている。図録の解説によると、多数の鶴が皇居の上空を飛翔している情景であり、平安を希求する画家の想いが込められているという。
二 米子の水を守る会
 大山の中腹にあるスキー場近くのレストランで、名物「おこわとそば」の食事をしたあと、大山寺近くの橋のたもとで、米子の水を守る会の活動家から、管理型産業廃棄物処分場の建設によって大山の地下水が汚染されることを恐れて反対運動を展開している話をきく。
 私も別の県で管理型産業廃棄物処分場の建設側の立場で裁判をやったことがあるが、その時は、住民の反対はなく、地下水汚染のことは問題にならなかった。
三 大山の自然
 次に大山歴史自然博物館の館長から、大山の自然の話をうかがうことになった。
 まずは、大山寺に向かう参道を歩きながら、植物の説明をきく。葉の上に実がなる。これが「ハナイカダ」であるという。高い木を示して、これは、「ナナカマド」という。確かに樹高が高い。私の家にあるナナカマドは大きくならない。植木屋にナナカマドモドキをつかまされたのか。
 石段を登って山門をくぐると、まだ先に石段がある。これ以上石段を登りたくない。大山寺の朱印をいただいたうえで、添乗員に断って、自分ひとりバスの待つ場所に戻った。
 最後に大山の北壁が見える場所で、引き続き館長から、大山の自然、とくに大山の火山としての歴史、現在の山林の状況などの説明を受ける。私はあまり興味がないので、ただきいていた。
四 オスプレイ
 全部の日程が終わった。米子駅に寄ったうえで、米子鬼太郎空港に向かう。低空を四機が編隊で飛んでいる。
 「あれは、オスプレイだ。」
 一機が見えなくなる。
 「一機は故障したんだ。」
 「墜落するぞ。」
 残りの三機も見なくなると、普通のジェット機一機が空港に向かって飛んでいる。
 「あれは、われわれが乗る飛行機だ。」
 米子鬼太郎空港から羽田行のANAに乗るために、搭乗ゲートを通過し、ボーディングブリッジの窓から外をみると、駐機場にオスプレイらしきものが一機駐機していた。


客人は、さきぶれもなく、午後二時ジャスト、現れた

広島支部  佐 々 木 猛 也

 ナショナル・ローヤーズ・ギルド(NLG)のメンバー六名のことである。五月集会開催の地、米子市皆生に向かう前日、広島の弁護士と「慰霊と反核」のイベントをし、声明を発表したいと言っていると、大久保賢一団員が伝えてきた。四月一〇日過ぎのことである。
 到着時刻や行動計画、イベントや声明の内容などの具体的情報はなかった。西田穣(前)団事務局長(陰での協力はすごかった)に問い合わせたが状況は同じだった。一行は本当に来るのか、半信半疑だったが、何はともあれ会合場所として使用料無料の弁護士会館を押さえた。
 石口俊一団広島支部長、池上忍事務局長は、業務と憲法集会などの行事の主催に追われ多忙を極めていた。業務は暇な僕だが、第一二胸椎圧迫骨折で後背部の痛みが続き、四月下旬には大腸ポリープ切除のため三日間入院の予定があり、連休が明けた三日後には、中国・四川(兵馬俑)への旅を計画しバタバタしていた。かくて、五月七日まで三人が顔を合わせ話すことはできなかった。この間、客人からのメール、ファックス、電話などは何もなかった。
 Outgoing(外向的)で、Outspoken(遠慮のない率直)な人たちであろうが、いささかRough(雑)で、Courtesy(礼節)を欠くなどと悪口を言いながら、交流の仕方を練った。
 五月一八日、彼らは大阪から新幹線で来るであろう、旅程が不明なので、イベントや声明の発表などは独自にやってもらうしかない。
意見交換会は、午後二時から二時間、
()日米安保条約のもとで動く自衛艦「おおすみ」が小型釣り船に衝突し二名を殺した事故の真相を求める損害賠償訴訟
()米軍岩国基地騒音訴訟
()黒い雨の放射線被曝による原爆手帳交付申請却下処分取消訴訟
()原爆症認定申請却下処分取消訴訟
の、原告らと代理人弁護士の報告を元に意見を交わすものとした。
 一行は、午後二時ジャスト、会館六階に卒然と姿を見せた。
 前夜、交流を終えた大阪支部の井上洋子団員からのメールは、「原爆資料館がショッキングなことは分かっているので、広島での会合の前に行く自信がない、会合の後であれば、どんなショックでも落ち込んでもそのままいられる」と話していたと教え、naiveな心を持つ紳士たちだと知った。
 本人尋問が朝から夕刻まであった基地騒音訴訟は、参加が得られなかったが、岩国基地への米軍機移転で騒音が深刻な廿日市市の住民が代わりを務めてくれた。日本側出席者は、二〇名足らず。池上弁護士が司会をした。僕とシロトキン弁護士の挨拶で会は始まった。
 同氏は、ニューメキシコ州アルバカーキに住んでいると知った。ニューメキシコ州は、核兵器と深いつながりを持つ。この州のアラモゴード爆撃試験場で起爆され、トリニティ実験場で、史上初の核実験が行われたのは、一九四五年七月一六日のこと。
 そこで、同州のロスアラモスの工場がテネシー州オークリッジから送られたウラン二三五を組み立て製造した広島原爆は、あの日、七万人を、その年の末までに一四万人を、一九五〇年までに二〇万人を殺し、今も被爆者たちは原爆症に苦み、提起した原爆症認定訴訟は勝利し続けていること、核兵器と人類は共存できないこと、核兵器禁止条約の早期発効をめざす取組などを伝え、あの日の朝の原爆の音と光、キノコ雲などの情景を僕は語った。
 シロトキン氏は、被爆者に同情の心を重ね、支援したいと言い、ここに来る前、ソウルに行き米軍基地などを視察し、「完全かつ無条件な平和条約を結んで朝鮮戦争を終結させ、朝鮮民主主義人民共和国と正式国交を持つこと」などを求める声明を大使館に届け、世界は非核化すべきだと申し入れ、共和国を四回訪問して、自国政府に取るべき姿勢を具申したと明かした。彼は、かの地にあって、世界平和構築を続ける使徒だったのだ。
 原告たちは、闘いを活写して訴え、担当弁護士がコメントを加えた。一行は、発言をメモし、鋭い質問をし、意見を添えた。放射線による水質汚染の訴訟、原爆の日の集会、一〇〇〇発の核兵器がアルバカーキ軍事基地にあることなどを紹介した。肌に触れ合う交流とは言えないが、平和をめぐる理知的な会合だった。彼らは原告らの話を聞けて良かったと語った。
 入館制限時刻が五時の原爆資料館に急がねばと乗ったエレベーターの停止階ボタンにシロトキン氏の大きなカバンが触れ、各階止りとなった。四階の扉が開いたとき、咄嗟に、Follow me と言って全員を降ろした。ここからは、原型どおり再築された美しい広島城が一望できる。国宝に指定されていた築後三五〇年のお城は、原爆で一瞬のうちに崩落したと話し伝えた。これがただひとつの広島案内だった。固い握手をしてタクシー二台で平和公園に向かう彼らの平和への思いは僕らと変わらなかった。