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清田 美喜 ※福岡・八幡総会に集まろう!福岡県特集※
「九州朝鮮高校無償化弁護団からの報告」
朝隈 朱絵 あすキタ(明日の自由を守る若手弁護士の会北九州)の活動について
永尾 廣久 未来を拓く人
 ―池永満弁護士追悼集を読んで
八木 和也 ゴンチャロフ過労自死事件・労災認定
鶴見 祐策 倉敷民商(小原・須増)事件の
最高裁決定について(後編)
山下 潔 法廷における手錠腰縄の廃止を(その二)
大久保 賢一 相良倫子の名を心に刻む
久保木 太一 七月二〇日「戦争のリアル」シンポジウム報告
関口 速人 二〇一八年鳥取・米子 五月研究討論集会
〜LGBT分科会に参加して〜
遠地 靖志 「道徳の教科化に反対し、学習権保障の観点から問題がある日本教科書の道徳教科書の採択に反対する」意見書を活用しましょう!
緒方 蘭 エクスターンシップを受け入れ、
繋がりを活かしてください



※福岡・八幡総会に集まろう!福岡県特集※

「九州朝鮮高校無償化弁護団からの報告」

福岡支部  清 田 美 喜

 今年度の団総会が開催される北九州市八幡東区の隣、八幡西区に折尾という地域があります。この折尾に、九州朝鮮中高級学校があります。
 朝鮮学校は「ウリハッキョ」と呼ばれています。直訳すると私たちの学校、ですが、みんなの学校、といったところでしょうか。
 ウリハッキョには、朝鮮半島にルーツを持つ子どもが、国籍を問わず通っています。
 ところで、九州内の朝鮮中高級学校は、ここ折尾の一校だけです。
 初級学校もかつては各地にありましたが、生徒数の減少などで、現在は福岡県内の二校だけになっています。そのため鹿児島や熊本などの在日朝鮮人家庭の子どもは、早い子で初級学校に入るときから下宿や寮生活をしています。
 子どもにとっても親にとっても、離れて暮らすことは寂しいことでしょうし、経済的にも大きな負担になります。
 それでも、九州の中で民族教育を受けられる学校はウリハッキョだけ、ウリハッキョに通って在日朝鮮人として堂々と生きてほしい、そのような思いで親はわが子を送り出し、子どもたちは遠い通学、下宿をも糧に日々ウリハッキョで学んでいます。
 この九州朝鮮中高級学校をはじめとする全国の朝鮮高校に通う学生たちには、高等学校等就学支援金が支給されていません。
 民主党が二〇〇九年に与党となる前に掲げていたマニフェスト、高校無償化法の制定段階、制定後の制度設計段階においても、朝鮮高校が支給対象とされていたことは明白でした。たとえば、予算の概算要求においては、全国の高校生等の人数に、朝鮮高校の学生たちも含めた試算が行われていました。
 ところが、朝鮮高校の審査段階で延坪島事件(朝鮮民主主義人民共和国と韓国の武力衝突)が起こったことで「超法規的」に審査が長期間停止され、再開後も多数の質問・回答が文科省との間で繰り返された挙句、二〇一二年に自民党が政権与党になったとたん、「拉致問題の進展がなく、朝鮮総聯と密接な関係にあり、教育内容、人事、財政にその影響が及んでいること等から、現時点での指定には国民の理解が得られず、不指定の方向で手続を進めたい」と下村文科大臣(当時)が表明し、二〇一三年の二月には不指定処分が行われました。
 これが法の本来の趣旨目的と異なる政治外交目的の違法な処分であって、憲法一三条、一四条、二六条等に反するとして、当時の学生らが原告となり、二〇一三年一二月、福岡地裁小倉支部に国家賠償請求訴訟を提起しました。
 二〇一八年九月二〇日に結審弁論が予定されています。
 ウリハッキョの起源は、第二次世界大戦後各地に設立された「国語講習所」にあります。
 日本の植民地支配下にあった朝鮮の人々は、朝鮮語を話すことを禁じられ、「帝国臣民」としてふるまうことを強制されました。また強制連行や、土地を強制的に奪われて生産手段を失い、日本に来ることを余儀なくされた人々が在日一世です。その世代が、終戦によって祖国に帰るのに先立ち、日本中に「国語講習所」を設立して、朝鮮語や朝鮮の文化を学んだことから始まっています。「お金のあるものはお金を、力のあるものは力を、知恵のあるものは知恵を」と、在日朝鮮人社会の力を結集して建設し、今日まで支え守ってきました。
 占領軍及び日本政府は朝鮮人による民族教育を繰り返し弾圧しましたが、在日朝鮮人社会は抵抗を続け、各種学校としての認可、そして高体連への加盟、JRの定期券の割引差別の是正など、日本の学校で学んだ者には当然であった制度を、一つ一つ勝ち取ってきました。
 教育内容は当初は帰国を前提としたものでしたが、日本への定着が進むにつれ、日本で生きることを前提とした内容に変わってきました。
 ウリハッキョはただ勉強を教える場所ではなく、さまざまな行事や集まりの催される在日朝鮮人社会の中心であり、みなの結節点でもあるのです。
 いわゆる日本の学校(学校教育法上の一条校を中心とする)は、日本人としての民族教育を行う場所です。
 日本語を教え、日本が正しいと思う地理を教え、日本が正しいと思う歴史を教え、日本人としての教養を備えさせることで、子どもは日本人になっていきます。
 ですが、在日朝鮮人の子どもが自分のルーツを自覚し、自分につらなる言語、歴史、文化、教養を知りたいと思ったとき、いわゆる日本の学校ではそれを教えてくれません。
 まして、昨今の「北朝鮮」に対する憎悪と偏見に満ちた報道の中で、ほんとうの名前を名乗り、在日朝鮮人として誇りを持ち、安心して生きていくことは、とても厳しく困難なことであろうと思います。
 そうした状況の中、ウリハッキョは安心して自分の名前を名乗り、朝鮮語で学び、考え、在日朝鮮人としてのアイデンティティを確立する場所として、ますます重要性を増していると言えます。
 そのようなウリハッキョを就学支援金制度から排除することは、当事者であった学生たちの心を傷つけ、高い学費負担に歯を食いしばってきた保護者に経済的な負担を負わせるだけでなく、在日朝鮮人社会への攻撃そのものであり、植民地支配の時代から続く在日朝鮮人への差別がいまだ根深いものであることを物語っています。
 ヘイトスピーチや在日朝鮮人の弁護士に対する大量懲戒請求、朝鮮総聯本部への銃撃事件など、差別がよりいっそう深刻さを増している中、大阪地裁で出された勝訴判決は、画期的であると同時に当然の判決であると感じています。
 差別に対して許されないことだという毅然とした態度を示すためには、差別に対して敏感であることがまず必要であると思います。法律家に対しても、「北朝鮮なら」「朝鮮総聯なら」しかたない…と思うことは、思考停止であり、差別そのものであるということに気付いてほしい、人は誰しも同じように自由で平等でなければならないという法律家として当然の発想に立ち返ってほしい、 と願っています。


あすキタ(明日の自由を守る若手弁護士の会北九州)の活動について

福岡支部  朝 隈 朱 絵

 昨年末から、北九州の若手弁護士を集めて、あすキタ(明日の自由を守る若手弁護士の会 北九州)の活動を始動しましたので、その活動内容・実績についてご報告致します。
二 あすキタについて
 全国のあすわか(明日の自由を守る若手弁護士の会)の活動に刺激を受け、北九州でも昨年末からあすわか北九州、通称「あすキタ」の活動を開始しました。
 あすわかの主な活動である「憲法カフェ」は、盛んな地域では、喫茶店に限らず、学校や職場、お寺や個人宅等、人が集まればどこででも開催しようというスタンスで行われています。一度参加した人から、「今度はうちの職場でやってほしい」というような依頼を受け、さらにそこに参加した人が、「次はうちのママ友の集まりに来て欲しい」というように・・・様々な場所で盛んに行われています。
 活動の目的は、憲法について知識の乏しい一般の方々を対象に、憲法とは何かという基本的知識・改憲の必要性や問題点についての情報を提供すること、その上で一緒に考えることです。活動の重要なポイントは、特定の意見の押しつけにならないようにすること。法律家として、偏った意見の入らない、知識・情報を提供して、後は、参加者一人一人に考えてもらう。そのようなスタンスで行っています。
 憲法改正ということになれば、国民投票が実施されるわけですが、憲法についての国民の知識・関心は非常に低く、権力を縛るものだという憲法の本質すら知らない国民が少なくありません。このような実態のまま、国民投票を行っても、そもそも国民にその是非を判断するだけの知識・情報がなく、民主主義は画餅に終わってしまいます。
 このような事態を避けるため、私達は、法律家として、民主主義が正しく機能するよう、今、出来る限りのことをやりたいと考えています。
三 活動の状況
 北九州では、今年一月から憲法カフェを開始し、これまで、幅広い活動を試みています。
 中でも盛況なのが、「憲法バー」。憲法バーとは、お茶を飲みながらよりも、もっとざっくばらんにみんなで話せるように、お酒を飲みながら、憲法について語り合おうという企画です。実施時間が夜ということもあり、これまでの憲法カフェ参加者層とは違った層、会社帰りの会社員や看護師、医者、学校の先生、士業の方、美容師等、本当にいろんな層の方の参加がありました。また、取材も入り、憲法記念日には新聞で特集して頂いたり、その他の回も新聞で告知してもらう等し、これにより参加者も集められています。毎回平均三〇名程集まり、会場からも沢山の質問や意見が飛んできて、深夜に及ぶまで、みんなで盛り上がっています。
 この他にも、個人宅で近所の人や知人を集めて憲法カフェをしたり、企業の勤務時間後に職場で行ったり、様々なスタイルを試みています。
四 今後の活動予定
 憲法カフェ参加の呼びかけをしていると、よく分からないけど、知りたい、興味があるという方が、意外に多い印象です。草の根レベルの活動ですが、地道に回数を重ね、参加者の口コミで広がるような、有意義で魅力的なものにできればと考えています。
 今後は、大学生が主体となってやっている企画とコラボしたり、会社の新人研修の際に一枠時間をもらって憲法講演をやったり、学校へ行って、法教育の一環として、主権者教育として憲法について分かりやすく講演をすること等考えています。
 枠にとらわれない様々なスタイルで、幅広く、少しでも沢山の人に参加して頂き、憲法を身近に感じてもらえるように、楽しく活動を続けていきたいと思っています。


未来を拓く人
―池永満弁護士追悼集を読んで

福岡支部  永 尾 廣 久

 あしたをひらくひと、と読みます。弁護士池永満の遺したもの、というサブタイトルのついた三三〇頁もの大作です。故池永団員の多方面にわたる活動の一端をしのぶことができます。
 といっても、池永満弁護士が亡くなって早いもので、もう五年半がたってしまいましたので、池永弁護士って誰?という若手団員も少なくないことでしょう。
福岡県弁護士会長として
 池永さん、以下いつものように池永さんと呼びます、は二〇〇九年(平成二一年)四月から一年間、福岡県弁護士会長をつとめました。その一年間に、池永さんは、なんと西日本新聞(朝刊)の一面トップ記事を三回も飾りました。これは、まさしく空前絶後の記録です。
 その一が、裁判員裁判がスタートした年に市民モニター制度を発足させ、市民が法廷を傍聴して裁判員裁判をより市民のものにしようとしました。
 その二が、医療ADRを発足させたことです。医療問題は池永さんの専門分野の一つですが、ADRのなかに医療機関とのトラブル解決を盛り込みました。
 その三は、韓国の釜山弁護士会との連携・交流に続き、中国の大連律師(弁護士)協会との交流を実現しました。
 池永さんは弁護士会館のすぐ近くにマンションを借りて、記者の皆さんと月一回の交流会をもつなかで、これらの一面記事を書いてもらうことに結びつけました。これを実は病気を隠してやり通したというのですから、常人に真似できることではありません。
医療分野は専門分野の一つ
 池永さんは五〇歳の節目にイギリスに二年間留学しました。そして帰国するや「患者の権利オンブズマン」をたちあげ、患者の権利運動に精力的に取り組みました。その成果として『患者の権利法』という本を出版しています。インフォームドコンセントとか、カルテの開示とか、いまではあたりまえになっていることも、はじめのうちは大変な抵抗にあったのです。私自身も正直いって違和感がありました。池永さんは先駆者として万難を排して実践を重ねていき、その過程を何冊もの本にまとめあげました。
 池永さんの活動分野は医療分野に特化していたわけではありません。博多湾の自然を守る運動、千代町再開発に住民の声を生かす町づくり運動、ハンセン病元患者の権利救済活動、中国残留孤児事件、脱原発訴訟、直方駅舎保存運動そして、法曹の後継者育成・・・。まことに多彩です。
感謝する「被害者」たち
 池永さんは、いつも夢とロマンを語り、それを他人と共有し、大勢の人を巻き込んで実現していきました。そのなかで「被害者」となった弁護士たちが、この追悼集のなかで愚痴をこぼしつつ、池永さんへの感謝の言葉を捧げています。
 安部尚志弁護士は、池永さんのことを「火つけ盗賊」と名づけていたとのこと。池永さんは、思いついたら直ちに組織のシステム、人選、資金繰りを検討し、たちまち組織づくりに着手する。人集めが上手で、この組織はこの人でいくと決めたら最後、その人に猛烈にアタックして落としてしまう。私利私欲がないだけに優秀な弁護士たちがコロッと口説かれてしまう。そして、組織を立ちあげると、はじめのうちは先頭に立っているものの、軌道に乗ってきたら、そこの人たちにまかせて、自分はまた新しい組織づくりを始める。人狩りをして市民運動に送り込み、市民運動の火が燃えあがると自分はいなくなる・・・。
 なるほど、そういうこともあったよね、と思いました。私は被害にあっていませんが・・・。
一流のプロとは・・・
 池永さんは新人の女性弁護士に「一流のプロって、何だか分かる?」とたずねます。その答えは、「他のプロから信頼されて訴えごとの依頼が来る人だよ」。なるほど、そのとおりです。
 新人弁護士へ与えた教訓その一は、凡事(ぼんじ)を徹底すること。小さな事件を誠実に処理できず、些末なルールを守れないような人は、大きく困難な事件をまともに取り扱えるはずがない。
 その二は、専門的知識を要する事件にあたるときは、自分が専門分野を勉強するのは当然のこととして、その分野の第一線の専門家と協働すること。
 その三は、出産・子育てを経験しても、しなくても何でも仕事の肥やしになるのが法曹のいいところ。
 人権弁護士を養成するため九州アドボカシーセンターを設立し、部屋と予算を確保したのも池永さんの大きな功績の一つです。ロースクール生に生の事件の当事者や担当した弁護士が直接語りかける機会をつくって、人権弁護士の生き方がいかに魅力的なものなのかを伝えてきました。
人間性のひかりを照らす灯
 この追悼集を私は二日間かけて熟読しましたが、そのあいだじゅうずっと、いつものように池永さんと対話している幸せな気分に浸っていました。
 八尋光秀弁護士が、池永さんは人間性のひかりを照らす灯だったと書いていますが、まったくそのとおりです。追悼集を読んで、本当に惜しい人を早々に亡くしてしまったと残念に思うと同時に、「あんたも、もう少しがんばりなよ」と励まされている気がして、ほっこりした気分で読み終え、巻末にある元気なころの池永さんの顔写真に見入ったのでした。
 池永さんを知っている団員なら、ぜひ読んで池永さんをしのび、元気になってください。知らない団員なら、こんな偉大な団員が福岡にいたことをぜひ読んで知ってください。
(木星社。三〇〇〇円+税)


ゴンチャロフ過労自死事件・労災認定

兵庫県支部  八 木 和 也

 皆さまはゴンチャロフ製菓という会社をご存知でしょうか。あのウイスキーボンボンを生み出した老舗の「高級チョコレート」会社(創業大正一二年)です。気の利いたチョコをそれなりの値段で提供しており、女性や若者を中心に幅広く支持されております。
 ところがその気の利いたチョコは、従業員を違法な働かせ方をして作ったものでした。それなりの値段は、従業員の残業代を大幅にカットすることによって実現していました。気の利いた仕上がりは、厳しい品質基準を設定し、ロスを出したら容赦なく罵声を浴びせるやり方で実現したものだったのです。
 前田颯人君(一九九六年一月八日生まれ)は高校卒業して二〇一四年四月にゴンチャロフへ入社しました。
 前田君は入社当初から現場責任者のGL(グループリーダー、工場長につぐナンバー2)に目を付けられ、挨拶をしても無視される、ミスをしたら呼び出されて一〜二時間説教を受けるなどのパワハラを受けておりました。
 ゴンチャロフでは当時、始業(午前八時三〇分)の二時間前出勤は当たり前となっておりました。前田君が始業の三〇分前くらいに出勤すると、「お前、社長出勤やな〜」と嫌味を言われていました。
 前田君は二年目の二〇一五年一〇月には早くも製造ラインの責任者となります。そこでロスを出すとGLは大声で罵声を浴びせ続けました。「お前、ちゃんと測れって言ったやろ!」「お前、何回言わせんねん!!」などと怒鳴り、「言ってもわからんわなあ、ぼんぼんには」と馬鹿にしました。また、ゴンチャロフでは廃棄品を出せば六甲牧場の牛の餌として出荷していたのですが、前田君がロスを出せば「お前、牛の餌作りにきとんのかー!!」と罵声を浴びせたりもしました。
 前田君のラインで働いていた派遣社員は「GLの声はフロアー中に響き渡るような声だったので、すごくびっくりした」「わざわざみんなのいる前で大声で怒鳴り散らし、前田さんは皆のさらし者になっていました」などと述べ、皆がGLの怒り方の異常さに嫌悪していました。
 GLは、前田君の同僚へ、「あえて大声で叫ぶことで、周りのパートや派遣社員に緊張感をもって仕事をしてもらっている」などと嘯いていました。
 前田君がひどいパワハラを受けていた当時は工場が繁忙期で、毎日早出と居残り残業を繰り返していました。前田くんの労働時間は労基署の認定でも発症前一カ月が八六時間一三分、発症前二カ月が一〇三時間〇四分、発症前三カ月が八一時間二八分となっております。なお、同じ時期にゴンチャロフが前田くんに支払っていた残業代は二六時間〜三三時間分のみでした。
 前田くんは同年一二月、食欲も激減して休みの日は家に引きこもりがちになり、友人にも「うつかもしれん」とのメールを送っていました。この頃には前田君は鬱病を発症していました。
 前田君はいよいよ仕事に耐えられなくなり、この頃に、GLへ会社を辞めたいと泣きなら訴えました。するとGLは、「お前が辞めたらお前の出身高校からは二度と採用しないから」などと脅されました。
 前田君は行き場所を失い、半年後に通勤途中に電車に飛び込み、亡くなりました。享年二〇歳でした。
 ゴンチャロフは、前田君の死を受けて、一応の従業員からの聞き取りなどを行ったようでしたが、結論としてパワハラはなかった、長時間労働もなかったなどとして、労災であることを全く認めませんでした。ゴンチャロフは、遺族による労災請求書への事業主証明すら拒否するという、ひどい対応でした。
 前田君のお母さんは労災請求後に実名報道に踏み切り、広く報道してもらうとともに、路上ででも市民へ事件を訴えつづけ、わずか四カ月で一万七五二六筆の署名を集め、それを労基署へ提出しました。
 その甲斐もあり、このたび無事に労災認定がおりました。今後はゴンチャロフからの心からの謝罪と再発防止(体質改善)を実現すべく、闘っていきます。よろしくお願いします。


倉敷民商(小原・須増)事件の
最高裁決定について(後編)

東京支部  鶴 見 祐 策

五 民商運動の更なる発展のために
 全商連・民商は、権力を挙げての不当弾圧に抗して不屈な闘いを貫徹してきた歴史をもつ。その組織を挙げた取組みのなかで、多くの教訓を学び、それを共有し、力量を高め、不屈の前進を遂げてきた。前述したとおりである。
 全商連は「中小業者の営業と生活、諸権利を守り、社会的・経済的地位の向上を図ること」を目的としている。活動は経営・金融・法律・共済・福祉・健康など広範かつ多彩である。とりわけ税制・税務行政の民主化と「納税者の権利」の確立を目指す活動に力を注いでこられたと思う。運動の参加者は個々の会員であるが、それら会員の活動と地位の向上を援助する役割の大部分を民商事務局が担ってきたと言えるであろう。
(1)「自主申告」の貫徹
 全商連では、確定申告を「国民主権」の行使と位置づけ、「自主計算」「自主記帳」とあわせ「自主申告」の重要性が繰り返し強調されてきた。それを土台に日常的に計算の仕方や税制の仕組みなど学習を深めることで納税者の主権者意識を強める方向性が示されてきた。申告納税制度における自主権の確立は、民商運動が追求する最も重要度の高い課題であった。その立脚点の再確認と併せより高質の実践が運動の新たな発展と活性化を進める原動力となるに違いないと思う。全商連の定期総会の方針は「申告納税制度の擁護・発展と納税者の権利確立」を柱に掲げている。その強い決意が示されている。
 「自主申告」の主体は本人である。他にあり得ない。
(2)学習と援助の必要性
 実践には知識と技能が求められる。それを補う不断の学習と援助が不可欠である。その面ではどの民商でも専従の事務局員が果たす役割は大きい(本件のように会員持参の資料に基づき会計・税務のソフトを用いたパソコンに入力する行為も必要な援助の形態にほかならない。実態はソフトの共用であろう)。ただし本人の会計や税務に関する知識と能力の向上に役立ってこそ「援助」「協力」の名に値する。「お任せ」や「請負い」とは違う。
(3)税理士制度の民主化の課題
 全商連の総会でも「税理士が納税者の自主申告権を擁護・発展させ、真に『独立・公正』な立場を貫けるよう」税理士法の改正が目標に掲げられている。その沿革は昭和一七年、太平洋戦争に突入したばかりの東条内閣が、予想される膨大な戦費の効率的な調達を目的に税務代理士を創設したことに発している。賦課課税制度のもと税務権力の補助者としての役割が課せられた。戦後の新憲法のもとで民主的な税制改革の一環として申告納税制度が導入された。それにふさわしい納税者の権利を擁護する職業集団の構築が求められたが、昭和二六年に制定の税理士法は税務を「聖域」とし自らの権益墨守に拘泥した財務官僚により存分に歪められた。その本質は今も変わらない。その一端が無資格者による税務書類の作成や税務相談の罰則を伴う一律禁止にほかならない。民主的な税理士との協力のもとで税理士制度の改革を目指す運動が強く求められていると言えよう。
六 まとめ
 実績ある全商連・民商の運動に部外の容喙はあり得ない。ただ今回の新たな弾圧と司法の決定をふまえつつ相互に知恵を出し合うことは有益ではないかと思う。事件に関わった者として発言するが、運動の現場を知らない私自身の限界を免れない。全国各地で自営業者の権利擁護の観点から民商運動に関わってきた団員も数多いと思う。全商連・民商との接点では当然として、団内でも活発な論議が強く望まれる。
(追記)
 民商会員と事務局員との関りに触れて私自身が思い出したことがある。弁護士登録の間もないころ聞いたある先輩が語った話である。当時は未だ借地借家紛争が多かった。概して貸主の賃料受領拒否で始まるようだ。賃料を受け取ってもらえない。借主は不安に襲われる。大方が「供託」を知らない。それを見越した貸主の策なのだが、困った借主が相談すると弁護士が「供託」を受任してくれる。そういう次第で供託代理で繁忙の法律事務所が一時期あったらしい。
 そこで先輩は言う。私は「供託」をしない。用紙を渡して本人に書き方を教える。本人が法務局まで出向いて経験してみればわかる。自信がつく。次から弁護士に頼む必要もない。そして他の人たちにも教えるに違いない。請負わないのが団員弁護士のすることだ。
 運動体を担う民商の事務局員にも通ずるものがあるように思われる。(終)


法廷における手錠腰縄の廃止を(その二)

大阪支部  山 下   潔

 法廷における手錠腰縄の運用は違憲・違法である。
(1)憲法一三条における「人間の誇り、人間らしく生きる権利」いわゆる人格権の侵害である。
(2)国際人権規約七条における被告人の品位を辱める取り扱いで違法である。
(3)国際自由権規約一〇条の人道的な取り扱いの侵害である。
 手錠を扱う刑務官は、日本において効力を有する全法令を遵守して職務を追行する義務がある。上記規定は刑務官の裁量権の範囲を逸脱、濫用して違法となる。
(4)憲法三一条、国際自由権規約一四条二項の無罪の推定を受ける権利の侵害である。
 無罪の推定を受ける権利は刑事裁判を受ける最も重要な権利である。現行の運用は前記憲法、条約で制約される刑務官の裁量権を逸脱、濫用して違憲違法である。
(5)被告人の当事者の地位を侵害し、被告人の防御権の侵害である。
 刑事訴訟法は、被告人に対して対等の地位を保障している。勾留中の被告人は、起訴後においても手錠腰縄により、身体を拘束されているのである。公判においても、検察官と対等であり、裁判官は起訴状以外は白紙である。公判において手錠腰縄の被告人は、恐怖感、圧迫感に加え屈辱感、羞恥心、無力感等により著しく被告人の防御権自体が失われている。これは刑訴法の構造が糾問主義となるから許されない。
 ちなみに、ヨーロッパ欧州連合(EU)指令は、手錠等の「身体拘束具」によって、法廷又は公共の場において、被疑者・被告人が有罪であると受け取られないようにするための適当な措置をとるとしている。
二 打開の途はあること
(1)筆者を含めて既に公判や勾留理由開示公判において、弁護人から法廷における手錠腰縄の解錠を求め、現に裁判官が法廷から傍聴者を全員退廷させているケースがあること。又、裁判が弁護人からの求めに対し、何らの措置を取らなかった裁判官・刑務官を被告とする国賠請求事件が係属中であること。
(2)裁判員裁判においては、裁判員の入廷前に法廷における手錠腰縄をはずしているが、職業裁判官だけの裁判においては、依然として手錠腰縄の運用をかえていない。このこと自体矛盾であること。
 要は、圧倒的多数の弁護士が刑事裁判において一律に手錠腰縄の解錠を申し入れすること(個別事件であると被告人の情状面の考慮を余儀なくされて消極に考えていくこと)。
(3)現在、大阪弁護士会では「法廷内手錠腰縄問題に関するPT」が設置され、日野町再審事件弁護団長である伊賀興一弁護士が座長をされて、日弁連人権大会開催に向けて取り組んでおられる。
(注)山下潔「手錠腰縄による人身拘束」日本評論社二〇一七年七月刊
 この文献は青砥洋司弁護士(大阪弁護士会所属)が大阪地裁で、@手錠・腰縄姿を法廷で見られたくないという被告人の意向を尊重し、不出頭としていたところ、A裁判所からの出頭命令違反を理由に、法廷における手錠腰縄で不出頭のため三万円の過料となったことが契機となって出版された。


相良倫子の名を心に刻む

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 相良(さがら)倫子(りんこ)さんは、沖縄県浦添市港川中学校の三年生だ。彼女は、六月二三日、沖縄慰霊の日に、平和の詩「生きる」を朗唱した人だ。「私は、生きている」で始まり「私は今を生きていく。」で終わるこの詩を読んだとき、ぼくは、涙が出そうになった。そして、動画で彼女の朗唱を見聞きしたとき、本当に涙が出た。こうして、この文章を書いているときにも熱いものがこみあげてくる。ぼくは、この美しいものに触れたことにより、生きてきたことの意味を確認し、生きることの意欲を掻き立てられているのだと思う。「人間は決して捨てたものじゃない」と大仰に感動しているのだ。相良倫子で検索すれば、詩も動画も出てくる。ぜひ読んで欲しいし、視聴して欲しい。きっと心が洗われるだろう。
 もう半世紀以上も前になるけれど、大学一年生のぼくは、「一〇・二一ベトナム人民支援・国際反戦デー」のストライキに入った国鉄労働者の支援という大義で、仙台駅に座り込んでいた。当時の国労は政治ストを打てたのだ。ストライキを成功させて構内をデモ行進する労働者の姿や、ぼくらと一緒に座り込んでいた日雇い労働者の集団を今でも髣髴できる。そんなぼくらは、機動隊の手によって排除されてしまった。一〇月下旬の仙台の払暁は寒い。そんな時だった。誰かの歌声が聞こえてきた。「有明の海のその深く地底に挑む男たち…」で始まる荒木栄の組曲「地底の歌」だ。いいテノールだった。それが導きとなって大きな合唱になっていった。ぼくはまだその歌を知らなかった。けれどもその歌声に感動することはできた。朝靄の中で、熱いものがこみ上げてきたことを覚えている。そして「イヤーうめえ。この歌がわからん奴は人間じゃねー」というツルゲーネフの「猟人日記」の一節を思い出していた。以来、ぼくは、歌声のもつ力を疑っていない。
 もう一つ思い出話をさせて欲しい。一九七〇年代初頭、東京で公務員生活を始めたころ、美濃部都政だった。ぼくは学生時代の後輩と新宿駅東口の街頭演説に参加していた。社共両党の幹部や労働組合の指導者のスピーチが続いていた。もちろんその内容などは忘れてしまったけれど、ある弁士が「みのべ、みのべ…」というコールを始めた。その美濃部コールが、群衆の中に広がっていったのだ。ぼくも後輩ももちろんその唱和に加わった。半端ないエネルギーを感じたものだった。きっと革命の盛り上がりとはこんな風になるのかもしれないとナイーブだったぼくは思っていたのだ。この時も熱いものが沸き上がっていた。後から聞いたところでは、その弁士は予定していたことをしゃべってしまったのにまだ美濃部候補が来ないので時間稼ぎにコールをしたのだという。それはそうだったのかもしれないけれど、ぼくはあの熱気を忘れていない。
 革新の核心は、人間の理性に確信を置き、理想郷を作ることができると考えていることにある、とぼくは考えている。そのためには体系的な思想形成が必要なのだ。他方、保守には体系的な思想は不必要である。「そんなこと無理だよ」、「人間なんかこんな程度だよ」と革新の足を引っ張り、冷笑していればいいからである。けれども、体系的思想を身に着けることも、めげずに運動することも決して簡単なことではない。限界を覚え、怠け心に誘惑されるからである。だからこそ、心を洗い、勇気を与えてくれる何かが必要なのだ。
 相良倫子さんは呼び掛ける。「私は今を生きている。みんなと一緒に。そしてこれからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。つまり、未来は、今なんだ。」
 ぼくは、相良倫子の名を心に刻むことにする。

(二〇一八年七月一四日記)


七月二〇日「戦争のリアル」シンポジウム報告

東京支部  久 保 木 太 一

一 「戦争のリアル」シンポ
 「今の若者に欠けているのは戦争のリアルだ」
 という改憲問題対策法律家六団体連絡会の総会における私の発言がきっかけとなった、と思っているのは私だけかもしれないが、七月二〇日、文京区民センターのもっとも広い部屋(3―A室)において、「戦争のリアル〜安倍九条改憲がもたらすもの」と銘打たれたシンポジウムが、法律家六団体及び安倍改憲NO!全国市民アクションの共催にて開催された。
 お招きした講師は、東京新聞論説兼編集委員の半田滋さんと室蘭工業大学准教授(憲法、家族法)の清末愛砂さん。私が解説を加えるまでもなく、二人とも戦争のリアルを熟知したスペシャリストである。
 連日の猛暑の中、大成功に幕を閉じたシンポジウムにおいて、半田さんは「自衛隊の任務・装備はどう変化しているか」、清末さんは「戦場経験から『自衛の措置』問題を考える」とテーマに、お化け屋敷さながら背筋も凍る「リアル」で会場を涼ませた(?)。
 実は、本稿を執筆する直前、私は青年法律家協会の機関紙に同名の拙文を寄稿している(掲載順はこちらの方が先かもしれない)。その拙文において、私は、半田さん及び清末さんの講演録を要約し、執筆した。したがって、文字通りの「報告」に触れたい方は、そちらをご覧いただきたい。無論、青法協の非会員の方もいると思うが、機関紙の記事は青法協のHPで一般向けで公開されているので、アクセス可能なはずである。
 上記の告知によって、本稿は目的を終えたと言っても過言ではない。もっとも、これではあまりにも紙面が余り過ぎている。
 そこで、以下では、青年法律家協会の機関紙からは漏れてしまった「戦争のリアル」に対する私の想い、そして会場からの質問・回答をまとめよう。いわゆる番外編である。
二 「戦争のリアル」に対する私の想い
 冒頭紹介させていただいた通り、今回のシンポジウムの着想は、「今の若者に欠けているのは戦争のリアルだ」という私の発言である可能性がある。
 かような感覚を私が抱いたのは、Twitter上で以下のような趣旨のTweetを見かけた時だった。
 「憲法九条に自衛隊を明記することに反対してる奴らは、自分の家族や恋人が敵軍に殺されようとしていたり、レイプされようとしてたりしても、自衛隊に助けを求めないんだよな?」
 このTweetを見て、強烈な違和感を感じるのは私だけではないと思う。このTweetはあまりにも「戦争のリアル」からかけ離れている。
 たしかに、少年マンガの世界においては、ヒロインが敵に襲われそうになり、絶体絶命のピンチのときに、突然仲間が現れ、背後から敵を攻撃し、ヒロインを救うというシーンが、枚挙に暇がないほどに存在している。
 しかし、少なくとも私は、実際に日本が経験した戦争において、そのような実体験を聞いたことがない。つまり、「米兵に襲われそうなとき、日本兵に助けてもらって、間一髪生き延びました」という戦争経験者を見知ったことがない。
 なぜか。簡単である。実際の戦争においては、軍隊は敵陣や外国の戦場に乗り込んでおり、国民が襲われようとしてるその場にはいないからである(なお、仮にいたとしても、目の前の国民を守ることは彼らの任務ではない)。
 その点、本年他界された高畑勲氏の名画「火垂るの墓」を見ていて、私はリアリティーを感じた。市街地で市民が空爆を受けるシーンにおいて、日本兵の姿は一向に見えない。彼らは外国の戦場に赴いているからである。
 また、同映画では、節子の死があまりにも淡々と描かれていることが印象的である。一つ一つの人の死に拘泥していられないほど、次々と、いとも容易く、人の命が失われていくのが戦争なのである。
 この程度のリアリティーすら、今のネット言論及び若者には欠けている。
 「永遠のゼロ」をはじめとし、戦争を美化したコンテンツがヒットしている。しかし、日本が経験した戦争は決して美化できたような代物ではない。
 太平洋戦争において、日本兵の死者のほとんどは日本の敗戦が濃厚になった後に出ている。しかも、その死因のほとんどが餓死ないし病死である。自殺者も少なくない。このただただ悲しくて虚しくてやるせないだけの戦争をどうして美化できようか。
 憲法九条に関する小難しい議論は一旦措いておいて、戦争経験者の高齢化によって失われつつある「戦争のリアル」を市民に共有したい。「戦争のリアル」を土台とした憲法の議論をしたい。この想いこそが、私の冒頭の発言の真意であり、そして、大成功となったシンポジウムの火種となった(はずである)。
三 会場からの質問・回答
 シンポジウムと直接関係のない話が長くなってしまったことは、いわゆる「酔余の犯行」であり、多めに見て欲しい(なお、今、時刻は深夜三時を回ろうとしている)。
 これからは心を入れ替えて、シンポジウム本番の質疑応答の内容を紹介する。
(1) 質問一「戦争のリアルが大事なことは分かった。ではどう伝える?」
半田さん回答

 日本列島が平和な島だとしても、ある瞬間に突然戦場に変わりうるということを知ってもらわなければならない。戦争体験者の方の話を聞くと、皆このことを言う。私の母親もいつの間にか戦争になったと言っていた。普段通りの生活をしていたら、突然軍事工場で武器を作れと言われ、突然空からは焼夷弾が降ってきた。
清末さん回答
 教育が重要である。もっとも、理論を話していても学生はほとんど聞いてくれない。しかし、それが写真や動画を見せた途端に目の色が変わる。そして、今の子供は本当に新聞を読まない。教室で質問したら、ほとんど誰も手を挙げない。先般のオウム真理教関係者の死刑執行のニュースですら知らない生徒もいた。
(2) 質問二「石垣島の自衛隊受け入れについてどう思う?」
半田さん回答

 中山市長は、安保法制のときの与党側の参考人であるため、受け入れ表明予想はできた。もっとも、市議会は反対している。
 今、自衛隊の中で南西シフトがとられている。自衛隊の戦力が南側に下がってきている。中国を警戒してのことだ。
 しかし、私たちは中国が本当に攻めてくるのかを冷静に考えなければならない。
 尖閣を見てみると、中国の船が来て、それを日本が追い払うということが、冷静沈着にルーティーンワークとして行われている。これをやっていないとお互いの国の主張が薄れるからだ。
 今、日本には中国の観光客が多い。どうして息抜きで使っている島を、何の恨みがあって中国が奪いにくるのか。
 中国が海軍力を強めているのは事実だが、これは中国側の事情による。中継点として南シナ海を抑えたいという中国側の事情である。決して日本の侵略のためではない。
 しかし、尖閣の周りに危険が迫っているなどと安倍政権はわざとミスリードをする。NHKも、単なるルーティーンワークで特別なことでないのに、中国船が来たことを取り上げる。
 結局は組織の生き残りのために行われている。自衛隊の組織拡大のための方便として中国を敵に回す。ごく一部の政治家はそれに共振して金儲けをする。
 知識を得る努力をし、「中国は攻めてこない」と言えるようになることが大切。


二〇一八年鳥取・米子 五月研究討論集会
〜LGBT分科会に参加して〜

滋賀支部  関 口 速 人

一 はじめに 
 先の鳥取・米子で行われた五月集会でLGBT分科会に参加したので、報告をします。LGBT以外にも表記としては、LGBTsとすべきかと思いますが、便宜上LGBTと表記をさせていただきます。
 まず、総会で加藤幹事長の話にもあったように五月集会でLGBTを取り上げるのは初めてであるということに新人団員として非常に驚きを持ちました。私は、昨年の七〇期の七月集会でLGBT分科会の委員を担当し、東京の永野靖団員にも講師としてお越しいただきました。六八期の七月集会でもLGBTの分科会を設けたと聞いています。
 修習生が行う七月集会でも以前から複数回LGBTに関する問題が取り上げられているのですから、自由法曹団全体でもこのLGBTの問題に対して積極的に取り上げていくべきものだと思います。
二 LGBT分科会の内容
 分科会では、LGBTとは何かという総論的なもの、各論として裁判例や各団員の事件報告がありました。LGBTとは何かという総論の点は割愛をしますが、LGBTの人は、行政、企業、家族、友人など様々な社会的な場面において、事実上・法律上の問題に直面し、多くの生きづらさを抱えているということでした。特にLGBTの人たちは、家庭内でも少数派であるということが他の問題とは異なり、家族にさえ差別を受けることがあり、このような原因がLGBTの自殺率の増加につながっているものと思います。LGBTは差別問題のるつぼだと思います。
 事件報告では、LGBTであるがゆえに、違法な業務命令をされる、解雇されるといった報告があり、LGBTであるがゆえに様々な人権侵害が発生していることが現実に起こっていることを学ぶことができました。
三 弁護士が偏見に加担してはいけない
 弁護士をしていれば刑事・民事を問わず、気づかないうちにLGBTの人に接することがあると思います。そのようなときに、LGBTのことを理解しないまま無意識のうちに差別的発言をするということはあってはならないと思います。各団員の事務所にも同僚弁護士や事務員にLGBTの人がいる可能性も十分にあります。今や弁護士もLGBTについて理解をしていないというのは言い訳ができない時代に来ているといっても過言ではありません。
 例えば、労働相談に来る労働者に対して、勤務成績があまり良くないことについて「給料泥棒だね」ということがナンセンスであることは弁護士であればだれもが分かると思いますが、LGBTについても同様のことがないように理解をしておく必要があります。
 LGBTの人なんて自分の周りにはいないというのは大間違いで、身近にいる存在であるということを認識することが大事であると思います。
四 政治家の差別的発言を許してはいけない
 私が七〇期七月集会でLGBT問題を取り上げようと考えたのは、自治体単位で同性パートナーシップ制度に関する条例が制定される動きが出てきたのに対し、これについて地方議員から「同性愛は異常」であるなどの差別的発言が地方議会やブログ上で公然となされることが報道されたからです。ネット上では、実名でSNSを行う弁護士ですら、このような発言に対して肯定的な意見を述べるものすらあり、LGBTに対する偏見・差別は極めて酷い状況にあると感じたからです。
 最近では、自民党の杉田水脈(すぎたみお)衆院議員(比例中国ブロック)が、月刊誌への寄稿で同性カップルを念頭に「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」という発言が問題になりました(二〇一八年七月二三日朝日新聞デジタル「同性カップルは『生産性なし』 杉田水脈氏の寄稿に批判」)。
 生産性がないから支援をしないという考えは、優生思想につながる非常に危険なものであり、LGBTの問題だけにとどまるものではありません。
 人権というものは、多様な価値観や状況にある人を前提に観念されるものであって、杉田議員が人権の持つ価値について全く理解をしていないことは明らかで、自分が差別をしているという自覚すらもっているのか疑わしいと思います。
 こういった発言が与党自民党の議員から出ることそのものが、今の自民党議員の質の劣化の徴表であると思いますが、このような発言を許していたのでは、人権はどんどん制限される方向に進むことは明らかだと思います。
 政治家によるLGBTに対する差別に徹底的に対抗し、LGBTの問題に取り組むことは、自由法曹団規約第二条の「基本的人権をまもり民主主義をつよめ」ることに繋がるものと強く思います。
 助けを求めたいのに助けの求め先が十分にない人らに対して、法曹の中でも率先して積極的に関わっていくのが我々自由法曹団員に求められる役割であると思います。


「道徳の教科化に反対し、学習権保障の観点から問題がある日本教科書の道徳教科書の採択に反対する」意見書を活用しましょう!

事務局次長  遠 地 靖 志

一 はじめに
 八月一日、自由法曹団は、「道徳の教科化に反対し、学習権保障の観点から問題がある日本教科書の道徳教科書の採択に反対する」意見書を発表しました。
 今年は、来年度から使用される中学校道徳教科書の採択が行われます(公立学校はその学校を設置する都道府県、市町村の教育委員会に採択権限があり、八月末までに行われます)。
 道徳教育そのものが、教育行政があるべき子ども像や人間像等の価値観を設定して、一方的に子どもに押しつけ、子どもの自由かつ独立の人間として成長発達することを妨げるものであって、生徒の思想良心の自由、学習権侵害として許されないものですが、とりわけ日本教科書の道徳教科書は生徒の学習権を保障する観点からは大きな問題を孕んでいます。
 本稿では、日本教科書の教科書の問題点を指摘したいと思います。
二 日本教科書の教科書の問題点
 日本教科書は、今回の中学校道徳教科書採択から教科書の発行・供給事業に参入した教科書会社ですが、韓国・朝鮮人への差別を助長すると批判されている「マンガ嫌韓流」などの本を出発している(株)晋遊舎と同じ住所に会社があり、晋遊舎の代表取締役が日本教科書の代表取締役に就任するなど、晋遊舎と密接な関係にある会社です。
 中学校学習指導要領では、道徳の授業で学ぶこととして、「主として自分自身に関すること」、「主として他人との関わりに関すること」、「主として集団や社会との関わりに関すること」、「主として自然や崇高なものとの関わりに関すること」の四つのカテゴリーの二二の徳目を上げていますが、日本教科書は「主として集団や社会との関わりに関すること」(「遵法奉仕精神・公徳心」「公正・公平・社会正義」「社会参画・公共の精神」「勤労」「家族愛」「よりよい学校生活・集団生活」「郷土愛」「愛国心」「国際貢献」の九の徳目)を扱う題材が多いのが特徴です。さらに、個人の希望よりも集団の利益を重視する、ルールに無批判に従うことを求める記述が目立ちます。
 例えば、「二つの手紙」(二年)では、動物園職員が、入場券販売終了後に規則に反して子どもを入場させたために停職処分となり辞職せざるを得なくなったという話ですが、規則の趣旨や職員が子どもを入場させた動機、生じた結果などが考慮されることなく、ルールを破れば厳しい処分がなされて当然かのように描き出されています。また、「嘉納治五郎先生との出会い」(一年)では、自己の力を自分のためではなく、社会や国のために使うことを賛美する内容になっています。
 こうした記述は、生徒を自らの希望に従ったり、自己実現を図ることを躊躇させたり、自粛させたりすることになりかねず、生徒の成長発達や自己実現の機会を確保するという学習権の見地からも問題です。また、個々人の幸福追求よりも「公益」「国益」を優先することに繋がり、個人の尊重を中核とする日本国憲法の人権規定についても理解を誤らせる危険があります。
 また、日本教科書の教科書には、日本が台湾を植民地支配していた時代に、上下水道の整備を担当した八田與一を取り上げた題材(一年)や台湾統治時の日本人教師を取り上げた題材(二年)がありますが、背景となる日本の植民地支配の実情は何も触れられていないため、生徒に歴史認識を誤らせる危険があります。
 そのほかにも、新潟県長岡市がハワイ州ホノルル市との姉妹都市提携で真珠湾に花火を打ち上げたことを扱った題材で、その最後に、何の脈絡もなく安倍首相が二〇一六年に真珠湾で行った演説が掲載されるなど、現政権への肯定的な評価を抱くよう生徒を誘導しかねない記述もあります。
三 さいごに
 はじめにも述べたとおり、道徳教育そのものが生徒に一方的に価値観を押しつけ、生徒の自由かつ独立の人間として成長発達することを妨げるものであって、生徒の思想良心の自由、学習権侵害として許されないものですが、とりわけ、日本教科書の教科書は前述のような極めて重大な問題があります。
 意見書を発表してさっそく、神奈川県教育局から県の傍聴会で意見書を紹介したいとの連絡が団本部にあるなど反響を呼んでいます。
 団の意見書を持って、全国の教育委員会に対し、道徳教科化の問題点を指摘し、とりわけ日本教科書の教科書は採択しないよう働きかけていきましょう。


エクスターンシップを受け入れ、
繋がりを活かしてください

事務局次長  緒 方   蘭

 団の将来問題委員会では、入団者を増やすための取り組みを検討しています。
 ここ過去三年間で新規登録弁護士の入団者数の減少が顕著です。その原因として、修習生の就職難が緩和され、かつ、就職活動が前倒しになったことで、修習生が団事務所にアクセスする前に、他の事務所に内定を決めるケースが増えていることが考えられます。この傾向は首都圏で顕著です。
 この問題について若手に意見を求めたところ、合格発表後に動くのでは遅く、団事務所が早期にロースクール生、受験生(予備試験受験生を含む)、修習予定者とつながりを作り、団員の活動を伝えることが重要であるとの意見が複数寄せられました。
 ロースクール生、受験生らと繋がりを作るにあたっては、エクスターンシップの活用が重要になります。エクスターンシップとは法科大学院のプログラムとして夏休みや春休みに学生が法律事務所などで二、三週間程度、実務を見学・学習するものです。活躍している若手団員の中でもエクスターンシップをきっかけに団事務所に入ることになった方が少なくありません。
 団の活動を広め、将来の入団者を増やすために、ぜひ多くの団事務所でエクスターンシップを受け入れていただきますようお願い申し上げます。
 また、エクスターンシップ終了後も繋がりを維持していただくことが重要です。具体的には、事務所の企画、青法協の企画、七月集会、四団体合同事務所説明会を知らせて参加してもらうことなどが考えられます。このような機会を利用すれば、学生が多くの人権課題に取り組む弁護士や受験生の存在を知り、繋がりを作ることができます。
 特に、今年の夏は、青法協東京支部の学生セミナーとして、ハンセン病療養所の栗生楽泉園(群馬県の草津)ツアーが開催されますので、エクスターンシップ生や知り合いの受験生にお声掛けください。国家ぐるみの人権侵害政策に対して声を上げた元患者や、裁判をたたかった弁護士の存在はぜひとも多くの学生、受験生に伝えたいことです。詳細は次のとおりです。
◇日程:八月三一日(金)一三時三〇分 栗生楽泉園自治会前集合
    九月 一日(土)一二時頃 現地解散
◇集合場所:草津バスターミナル
※東京駅からバスが出ています。
◇費用:学生、受験生は参加費と交通費全額補助
 詳細は青法協ホームページをご覧ください。
 石井一禎青法協東京支部事務局長の了承をいただいて、締め切りを八月二〇日まで延ばしていただきました。
 入団者を増やし、活気ある団にするためにぜひご協力のほどお願いいたします。