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大森 典子 「元徴用工の韓国大法院判決に対する
弁護士有志声明」について
村田 智子 弁護士職務基本規程改正案について
〜法令違反行為避止義務の問題点
畑 福生 ※福岡・八幡総会特集
福岡・八幡総会全体会の感想
伊藤 嘉章 二〇一八年福岡・八幡総会 第一日目
「香椎駅」と「点と線」と専守防衛論議(後編)
山崎 博幸 加計学園理事長に公開質問状
大久保 賢一 ゲッペルスのプロパガンダを
表現の自由で擁護してはならない
―国民投票CM(有料広告放送)規制との関連で―
後藤 富士子 憲法九条の「主語」は誰か?
――日本国憲法における国民の主体性



「元徴用工の韓国大法院判決に対する
弁護士有志声明」について

東京支部  大 森 典 子

 本年一〇月三〇日の韓国大法院判決について、一一月五日、戦後補償問題を扱ってきた弁護士有志で次の声明を公表しました。
 是非ご活用下さい。

●元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明
 韓国大法院(最高裁判所)は、本年一〇月三〇日、元徴用工四人が新日鉄住金株式会社(以下「新日鉄住金」という。)を相手に損害賠償を求めた裁判で、元徴用工の請求を容認した差し戻し審に対する新日鉄住金の上告を棄却した。これにより、元徴用工の一人あたり一億ウォン(約一千万円)を支払うよう命じた判決が確定した。
 本判決は、元徴用工の損害賠償請求権は、日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権であるとした。その上で、このような請求権は、一九六五年に締結された「日本国と大韓民国との間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」(以下「日韓請求権協定」という。)の対象外であるとして、韓国政府の外交保護権と元徴用工個人の損害賠償請求権のいずれも消滅していないと判示した。
 本判決に対し、安倍首相は、本年一〇月三〇日の衆議院本会議において、元徴用工の個人賠償請求権は日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決している」とした上で、本判決は「国際法に照らしてあり得ない判断」であり、「毅然として対応していく」と答弁した。
 しかし、安倍首相の答弁は、下記のとおり、日韓請求権協定と国際法への正確な理解を欠いたものであるし、「毅然として対応」するだけでは元徴用工問題の真の解決を実現することはできない。
 私たちは、次のとおり、元徴用工問題の本質と日韓請求権協定の正確な理解を明らかにし、元徴用工問題の真の解決に向けた道筋を提案するものである。
一 元徴用工問題の本質は人権問題である
 本訴訟の原告である元徴用工は、賃金が支払われずに、感電死する危険があるなかで溶鉱炉にコークスを投入するなどの過酷で危険な労働を強いられていた。提供される食事もわずかで粗末なものであり、外出も許されず、逃亡を企てたとして体罰を加えられるなど極めて劣悪な環境に置かれていた。これは強制労働(ILO第二九号条約)や奴隷制(一九二六年奴隷条約参照)に当たるものであり、重大な人権侵害であった。
 本件は、重大な人権侵害を受けた被害者が救済を求めて提訴した事案であり、社会的にも解決が求められている問題である。したがって、この問題の真の解決のためには、被害者が納得し、社会的にも容認される解決内容であることが必要である。被害者や社会が受け入れることができない国家間合意は、いかなるものであれ真の解決とはなり得ない。
二 日韓請求権協定により個人請求権は消滅していない
 元徴用工に過酷で危険な労働を強い、劣悪な環境に置いたのは新日鉄住金(旧日本製鐵)であるから、新日鉄住金には賠償責任が発生する。また、本件は、一九一〇年の日韓併合後朝鮮半島を日本の植民地とし、その下で戦時体制下における労働力確保のため、一九四二年に日本政府が制定した「朝鮮人内地移入斡旋要綱」による官斡旋方式による斡旋や、一九四四年に日本政府が植民地朝鮮に全面的に発動した「国民徴用令」による徴用が実施される中で起きたものであるから、日本国の損害責任も問題となり得る。
 本件では新日鉄住金のみを相手としていることから、元徴用工個人の新日鉄住金に対する賠償請求権が、日韓請求権協定二条一項の「完全かつ最終的に解決された」という条項により消滅したのかが重要な争点となった。
 この問題について、韓国大法院は、元徴用工の慰謝料請求権は日韓請求権協定の対象に含まれていないとして、その権利に関しては、韓国政府の外交保護権も被害者個人の賠償請求権もいずれも消滅していないと判示した。
 他方、日本の最高裁判所は、日本と中国との間の賠償関係等について、外交保護権は放棄されたが、被害者個人の賠償請求権については、「請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて訴求する権能を失わせるにとどまる」と判示している(最高裁判所二〇〇七年四月二七日判決)。この理は日韓請求権協定の「完全かつ最終的に解決」という文言についてもあてはまるとするのが最高裁判所及び日本政府の解釈である。
 この解釈によれば、実体的な個人の賠償請求権は消滅していないのであるから、新日鉄住金が任意かつ自発的に賠償金を支払うことは法的に可能であり、その際に、日韓請求権協定は法的障害にならない。
 安倍首相は、個人賠償請求権について日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決した」と述べたが、それが被害者個人の賠償請求権も完全に消滅したという意味であれば、日本の最高裁判所の判決への理解を欠いた説明であり誤っている。他方、日本の最高裁判所が示した内容と同じであるならば、被害者個人の賠償請求権は実体的には消滅しておらず、その扱いは解決されていないのであるから、全ての請求権が消滅したかのように「完全かつ最終的に解決」とのみ説明するのは、ミスリーディング(誤導的)である。
 そもそも日本政府は、従来から日韓請求権協定により放棄されたのは外交保護権であり、個人の賠償請求権は消滅していないとの見解を表明しているが、安倍首相の上記答弁は、日本政府自らの見解とも整合するのか疑問であると言わざるを得ない。
三 被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決である
 本件のような重大な人権侵害に起因する被害者個人の損害賠償請求権について、国家間の合意により被害者の同意なく一方的に消滅させることはできないという考え方を示した例は国際的に他にもある(例えば、イタリアのチビテッラ村におけるナチス・ドイツの住民虐殺事件に関するイタリア最高裁判所(破棄院)など)。このように、重大な人権侵害に起因する個人の損害賠償請求権を国家が一方的に消滅させることはできないという考え方は、国際的には特異なものではなく、個人の人権侵害に対する効果的な救済を図ろうとしている国際人権法の進展に沿うものといえるのであり(世界人権宣言八条参照)、「国際法に照らしてあり得ない判断」であるということもできない。
四 日韓両国が相互に非難しあうのではなく、本判決を機に根本的 な解決を行うべきである
 本件の問題の本質が人権侵害である以上、なによりも被害者個人の人権が救済されなければならない。それはすなわち、本件においては、新日鉄住金が本件判決を受け入れるとともに、自発的に人権侵害の事実と責任を認め、その証として謝罪と賠償を含めて被害者及び社会が受け入れることができるような行動をとることである。
 例えば中国人強制連行事件である花岡事件、西松事件、三菱マテリアル事件など、訴訟を契機に、日本企業が事実と責任を認めて謝罪し、その証として企業が資金を拠出して基金を設立し、被害者全体の救済を図ることで問題を解決した例がある。そこでは、被害者個人への金員の支払いのみならず、受難の碑ないしは慰霊碑を建立し、毎年中国人被害者等を招いて慰霊祭等を催すなどの取り組みを行ってきた。
 新日鉄住金もまた、元徴用工の被害者全体の解決に向けて踏み出すべきである。それは、企業としても国際的信頼を勝ち得て、長期的に企業価値を高めることにもつながる。韓国において訴訟の被告とされている日本企業においても、本判決を機に、真の解決に向けた取り組みを始めるべきであり、経済界全体としてもその取り組みを支援することが期待される。
 日本政府は、新日鉄住金をはじめとする企業の任意かつ自発的な解決に向けての取り組みに対して、日韓請求権協定を持ち出してそれを抑制するのではなく、むしろ自らの責任をも自覚したうえで、真の解決に向けた取り組みを支援すべきである。
 私たちは、新日鉄住金及び日韓両政府に対して、改めて本件問題の本質が人権問題であることを確認し、根本的な解決に向けて取り組むよう求めるとともに、解決のために最大限の努力を尽くす私たち自身の決意を表明する。


弁護士職務基本規程改正案について
〜法令違反行為避止義務の問題点

東京支部  村 田 智 子

法令違反行為避止の義務とは
 現在、日弁連から各弁護士会等に対して、弁護士職務基本規程の改正案について意見照会がなされています。
 この改正案に、看過できない問題点があることはご存知でしょうか。
 もっとも大きな問題点は、第一四条の二という条項の新設です。
 「法令違反行為避止の義務」と呼ばれるもので、具体的な条文は、「弁護士は、受任した事件に関し、依頼者が法令に違反する行為を行い、又は行おうとしていることを知ったときは、当該依頼者に当該行為が法令に違反することを説明し、これを避止するように説得を試みなければならない」となっています。
 この条文の新設と併せて、現行法の組織内弁護士に対する「違法行為に対して適切な措置を採らなければならない義務」(五一条)も、新設される第一四条の二と同様の規定にするという提案もなされています。
法令違反行為避止の義務の問題点
 そもそも、現行の職務基本規程が組織内弁護士に対して「違法行為に対する適切な措置を採る義務」を定めたのは、組織内弁護士が組織内で法令違反行為が行われたことを知ったときに毅然とした対応ができるようにするためであり、いわば組織内弁護士の「自由と独立」を維持するためのものといえます。
 その組織内弁護士に対する義務を「避止説得義務」に変更することも問題ですが、変更した上で、安易に組織内弁護士以外の弁護士に広げることはさらに問題です。
 たとえば、基地建設反対運動をしている人たちから依頼を受けた場合を考えてみましょう。反対運動をしている人たちは、やむにやまれず、座り込み行動などをするかもしれません。座り込みは、場合によっては、道交法違反等に該当しかねません。そのようなとき、座り込みを排除したい行政の側が、反対運動側の弁護士に対して、「依頼者に対し、座り込みという法令違反行為をしないように説得する義務があるのに果たしていない」と懲戒請求をすることも考えられます。
 運動の場面だけではありません。例えば、家賃が支払えなくなってやむなくそのままそこに住んでいる人が、建物明け渡し請求の訴訟をされて弁護士に依頼することがあります。このようなとき、弁護士は、家賃不払いの状態で住み続けるのは法令違反であることを理解しつつも、立ち退き料を支払ってもらうよう交渉をしなければならないこともあるのではないでしょうか。そのような場合に、賃貸人側が、賃借人にすぐに退去するように説得しなかったという理由で賃借人側の弁護士について懲戒請求する可能性も出てきます。
 また、離婚事件において、夫の暴力から逃れるために妻が子どもを連れて避難する場合がありますが、夫が「子どもを連れて避難するのは、連れ去りであり、共同親権違反であるから法令違反である」と主張して、子連れの避難を止めなかった妻側の弁護士を懲戒請求にかけることも可能になってしまうのではないかと思います。
 他にも、様々な問題が出てくるのではないでしょうか。
日弁連に反対の声を届けよう
 そもそも、法令違反行為避止説得義務(第一四条の二)の「法令」の範囲が広すぎますし(行政の定める政令も含まれる)、すべての法令が正しいわけではありません。
 その意味でも、法令違反行為避止説得義務には無理があります。
 また、この法令違反行為避止説得義務で影響を受けやすいのは、国や行政、大企業等と対峙する機会が多い弁護士や、一般市民からの依頼を受ける弁護士、つまり私達自由法曹団の弁護士なのだと思います。
 法令違反行為避止説得義務で弁護士が委縮すれば、依頼者も委縮してしまうでしょう。
 志を同じくする自由法曹団の皆様、ぜひ、一緒に、各弁護士会等で、第一四条の二について議論をしてください。そして日弁連に反対の声を届けましょう。


※福岡・八幡総会特集

福岡・八幡総会全体会の感想

神奈川支部  畑   福 生

 二〇一八年一〇月二一日、福岡・八幡総会一日目の全体会に参加しました。
 全体会においては開会・歓迎・来賓の各挨拶、古稀団員表彰・挨拶、議案提案、予算・決算の報告、沖縄情勢の報告、会計監査報告、及び団長の選出報告が行われました。
 その中でも、古稀団員表彰において、船尾団長の作成された古稀団員への表彰状が印象的でした。
 どの表彰状も団員の人となりや功績をうまく表しており、古稀団員の方々をあまり存じ上げない私のような新人団員にも分かりやすいものとなっていました。
 特に心に残ったものをいくつか抜粋して紹介いたします。
弓仲忠昭団員
 「緒方宅電話盗聴事件では、法廷の中だけでなく、裁判報告集会で持ち前のあの大きな地声で、権力の不正を、若手の弁護士として情熱的に報告されていたあなたの姿は、人々の記憶のなかにいまなお強く刻まれているところです。
 一九九〇年に独立し、あなたの逞しい大きな風貌とは対照的な「たんぽぽ」という名の法律事務所を創設されました。あたたかく頼りがいのある庶民の味方として、変額保険被害救済事件、医療過誤事件、薬害C型肝炎事件など多くの被害者救済のためにカを尽くしながら、戦争法、盗聴法拡大・司法取引等々による刑訴法改悪、共謀罪法等の反対運動、そして安倍改憲阻止の運動にも積極的に参加され、平和と民主主義のために大きな貢献をされました。」
伊賀興一団員
 「あなたは、「八鹿高校事件」をはじめとする部落解放同盟による差別糾弾と暴虐の現場に駆け付けたいという思いから、自由法曹団に参加されました。その後の「熱血弁護士」としての活躍のかずかずは、団員のだれもが敬愛してやまないところとなっています。
 正森法律事務所に入所後、部落解放同盟とたたかう「窓口一本化違法確認訴訟」に参加され、控訴審での逆転勝訴に至る道程で大きな役割を果たされ、部落問題をあなたのライフワークとされました。」
森川明団員
 「土佐清水市の漁村に生まれ、川にカワウソやウナギが生息している自然豊かな地で生まれたあなたは、いまでも磯で素潜りができると自負されています。
 背筋をまっすぐ伸ばしたその姿勢のままに、まじめひと筋の丁寧な仕事処理と粘り強いたたかいが、自動車教習所に働く労働者の解雇、大企業職場での思想・信条による昇級・昇格差別などとのたたかいに結実して、多くの市民と労働者から信頼を得ています。」
 また、総会に参加された古稀団員の挨拶も各団員の経験や個性が反映されたものとなっていました。
 その中でも、私は子どもの権利支援活動に強い関心を持っているため、少年法改正や教育問題委員会において、子どもの権利に長年関わってこられた小笠原彩子団員の挨拶を感慨深く聴いていました。私も子どもの権利分野で活躍したいという気持ちを新たにしました。小笠原彩子団員は子育てをしながらの弁護士活動のやりがいや苦労を話していましたが、話に上がった、息子である小笠原憲介団員は、私と神奈川支部の同期です。小笠原彩子団員のスピーチを聞く小笠原憲介団員の神妙な面持ちが忘れられませんでした。
 古稀といえば、中国唐代の詩人の杜甫の「曲江詩」中の「人生七〇古来稀(人生七十、古来稀なり)」に由来する、七〇歳の呼び名ですが、私は七〇期の新人です。表彰の際、七〇という数字に古稀団員との縁を感じながらも、仮に私が古稀を迎えたとしたら、そのときの新人は一一〇期にもなるのかとぼんやり考えておりました。一一〇期の新人に憧れてもらえるような活動をしていきたいと身が引き締まる思いでした。
 このたび古稀を迎えられた団員の皆様方におかれましては、今後ともますますお元気でご活躍されることを祈念いたします。


二〇一八年福岡・八幡総会 第一日目
「香椎駅」と「点と線」と専守防衛論議(後編)

東京支部  伊 藤 嘉 章

六 総会の内容の一部と専守防衛 
 それでも、一五分程総会に遅刻した。古稀団員の表彰に引き続いて、「沖縄は勝ちました。」という仲山団員の報告。
 こういう総会は楽しい。しかし、一〇代から三〇代の有権者の多くは対立候補に入れているようだ。玉城候補は、年寄と熟年層の票で勝っている。我々はもうじきいなくなる。これから若年層にどう働きかけていくかについて考えなければならないという意見があった。
 分散会での議論。憲法改正反対の署名を求めていると「中国や北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ。」との問いがある。これに対し「そんなことあるんですか」という禅問答ではなく、「日本には世界第七位の自衛隊があるのです。だから憲法改正は必要ありません」と答えているという。
 私もこれに同意します。以下は私見です。
 今では、憲法改正派が保守で、憲法改正推進派が革新であるともいう。でも、かつての自民党政権が標榜してきた専守防衛に固執してこれからもやっていく。
 総会の書籍販売コーナーで購入した「米朝会談後の世界 北朝鮮の核・ミサイル問題にどう臨むか」の中で、「自衛隊を活かす会」代表でもある国際地政学研究所の柳澤協二理事長は次のように言います(同著三九頁)
 「日本が敵基地攻撃能力を持ったり、戦術核を持ったりするというようなことは、日本自身が相手に恐怖を与えることであり、それは相手にとって戦争の動機をつくることになります。そのように他国に脅威を与えることによって、自らが戦争の火種を撒くようなことはしないというのが、専守防衛の中身の一つだと思うのです。
 もう一つの中身は、日本の防衛のためには防衛力も整備するが、他国の戦争にはかかわっていかないということです。これは集団自衛権にもつながる話ですが、朝鮮半島の緊張は米朝間の問題である以上、日本が戦争の当事者になるようなことはしない。これも専守防衛の戦略論だと思います。」
 自衛隊をアメリカ軍の弾除けにしないためにも、専守防衛に徹する。歴代自民党の防衛政策とは何も変わりがないのだから憲法改正は必要がない。
 イザヤベンザサンこと山本七平は、自衛隊は「令外の官」であると言い放った。
七 廃墟と思い出
 二〇一八年午前二時のカウントダウンイベントの終了によって閉園したスペワことスペースワールドから道路を隔てたところのホテルに泊まる。バブルのあとか、家族旅行でスペースワールドに来たことを思い出す。但し、前後して訪ねたハウステンボスのように特定の場面の印象がない。
 ホテルの窓から見下ろす廃墟の鉄骨が痛々しい。
 夏草や(秋草も生えていないようだ)
 つわものども(利益に群がる投資家たち)が
 夢のあと
 収益の上がらないこの土地建物の固定資産税は誰が払っているのであろうか。よけいなお世話でした。
 一日目はこれで終わります。二日目に続きます。


加計学園理事長に公開質問状

岡山支部  山 崎 博 幸

加計孝太郎理事長に対する公開質問状
 二〇一八年九月六日、岡山市民らでつくる「加計学園問題を考える会」のメンバー六名が、岡山市にある加計学園の本部キャンパスを訪れ、加計理事長に対する公開質問状を届けた。テレビ局が門前で待機しているところに質問状を持って行ったが、学園側は担当者が不在であるとして、正門脇の受付の女性が文書を預かると言いだした。こちらは事前に連絡をして来ているのだから、せめて本部事務局の責任者に手渡したい、ということでしばらく押し問答となった。そのやりとりを四、五台のテレビカメラが写しているからこちらも簡単には引き下がれない。しばらくしてようやく総務課の職員が出て来て手渡すことができた。
 六月一九日加計孝太郎氏が初めて記者会見を行なったが、そのときは県外のマスコミ関係者を排除して行ない、この様子がテレビで大きく報道された。そのさい門前で立ち塞がった人物は岡山県警の元幹部である。広報責任者ということだがものものしいガードであり、加計学園ないし加計孝太郎氏の性格を窺うことができる。
六項目の質問状の概要
 「考える会」が公開質問状の検討を始めたのは今年の六月からであるが、西日本豪雨や台風の影響で公表の日が延び延びとなった。その間新聞記事その他の資料を詳細に整理し、何度も会議を重ねて検討した。質問状はA4二枚にわたっており、全部を紹介すると紙数オーバーとなるので、ごく要点のみを紹介する。
@愛媛県文書では二○一五年二月二五日加計氏と安倍首相が面会したとの報告が記載されているが、この面会を否定する根拠や資料は存在しないという理解でよいか。
A学園担当者が愛媛県に「誤情報」を与えたとして謝罪したが、その詳細な経緯を明らかにされたい。
B加計氏は安倍首相とは仕事の話はしていないと記者会見で述べたが、安倍首相は加計氏から「新しい学部や学科の新設に挑戦していきたい」の話があったことを国会で述べている。この安倍首相の発言を否定するのか。(以下の項目は省略する)
加計学園からの回答
 公開質問状では文書による回答を求め、回答期限を九月一八日までとしていた。マスコミ数社からも当日回答があったかどうかについて問合わせがあった。すると九月一九日、加計学園の広報担当である前述の皆木氏から当方に直接電話があり、「六月の記者会見で説明したとおりであり、今回の質問状に対して回答はしない」との説明であった。私が「回答しないという回答を文書でもしないのか」と聞いたところ「それもしない」とのことであった。ちなみに皆木氏は元岡山東警察署の署長を勤め、岡山県警の幹部であった。私も弁護士会の会合か何かで一、二度会ったことがあり、口調は丁寧であった。しかしなぜ県警幹部であった人物を広報窓口にしているのか理解に苦しむ。
 公開質問状はマスコミ、全政党、岡山県選出の国会議員、各種団体に送付し、記者会見も行った。さらに、回答がなかったことに対する抗議声明も同様に送付した。
加計学園問題を考える会
 「考える会」は二〇一七年九月九日発足し、これまで三回集会をもった。公開質問状を届けた二〇一八年九月六日はちょうど前川喜平さんを招いた三回目の集会の当日であった。「考える会」はたまたま昨年春の九条の会の懇親会の席で、「地元岡山がこのままでいいのか」といった意見が出たことから、市民の有志一四名で結成した。弁護士、学者、劇作家、獣医師、登山家、映画制作関係者、会社経営者など実に多彩な顔ぶれである。
 次回は来年一月二六日(土)東京新聞記者の望月衣塑子さんを招いて「国家権力とメディアの攻防、森友・加計疑惑をメディアはどう報じたか」と題する講演会を予定している。加計学園問題はまだまだ終らない。


ゲッペルスのプロパガンダを
表現の自由で擁護してはならない
―国民投票CM(有料広告放送)規制との関連で―

埼玉支部  大 久 保 賢 一

はじめに
 憲法改正は国民投票で投票総数の二分の一以上の賛成で成立する。賛成派はあらゆる手段をとるであろう。もちろん、反対派も負けるわけにもいかないから、国論を二分する激しい国民投票運動が展開されることになる。国民投票は改正案が発議されてから六〇日から一八〇日の間に行われるので、最大一八〇日ということになる。この間、賛成・反対各派は、それぞれ知恵を絞った運動を展開することになる。ところが、投票日の一四日前から投票日までの間は、放送事業者の放送設備を使用しての国民投票運動は禁止されるのである。運動する側からいえば、投票日の一四日前からという最も大事な時期に、テレビやラジオでのCM(有料広告放送)は禁止されるのである。その理由は、特にテレビCMについては、洗脳とはいわないまでも、国民の感情に訴え、キャッチフレーズを多用して強い印象付けをするという基本的性格があるので、一定の規制が必要であるということにある。確かに、テレビCMの影響力は無視できないので、何らかの規制が必要であるといえよう。けれども、この措置に問題がないわけではない。そもそも、そういう規制が表現の自由や言論の自由との関係で許されるのかということと、逆にその影響は一四日前からだけにとどまらないだろうという問題である。現行法は、それらの問題を内包しつつも、一四日前からだけ規制することになっているのである。そして、その裏返しとして、一四日よりも前は規制されておらず、テレビやラジオのCMは自由ということになっているのである。
問題の所在
 こうして問題は、その最短四六日、最長一六六日の間、有料広告放送に対する規制が必要かどうかということになる。規制は不要という説、規制すべきという説、民放各社の自主規制に任せるという説などがある。自民党は、放送法の範囲内でやればいいことで、言論の自由を制約する規制はかけられないとしている。立憲民主党は、無規制はまずいとして改憲論議の前に規制方法についての議論をすべきだとしている。なお、かつての民主党は有料広告放送を全面禁止するとしていた。そして、日本民間放送連盟(民放連)は表現の自由を放送事業者が自主規制するのは避けるべきだとして、自主規制を拒否している。
 日本弁護士連合会(日弁連)は規制を必要としている。その理由は、有料広告放送は表現の自由という優越的地位を有する人権として尊重されなければならないが、電波は有限であり誰でも使えるわけではなく、利用するには多大な費用を要し公平な手段とは言えないので、有料広告放送をすべて自由市場に委ねた場合には、実質的不平等・不公平をもたらすことになるので規制が必要だということである。機会の不平等を理由として自由を制約する、利用できない「弱者」がいるので、利用できる「強者」の自由を制約するという論理である。所有権絶対、契約自由、そして過失責任という資本主義の下での大原則に修正を加えてきた近現代の法制史と通底しているといえよう。
規制がない場合、どのような事態が想定されるか
 安倍政治の特徴は憲法無視と行政の私物化である。その手法は、単なる強引にとどまらないで、隠蔽・改竄・捏造にまで及んでいる。自民党総裁選の対立候補は「正直と公平」をスローガンとし、国民の多くは安倍首相の人柄が信じられないとしているところでもある。そもそも、自民党の改憲案は天賦人権思想を認めず、九条二項の平和主義はユートピア思想だとしている。そこにあるのは個人の価値を国家の下に置き、軍事力によらない平和や安全など不可能としている発想である。日本国憲法の基礎にある価値と論理に対する正面からの対抗である。そして、忘れてならないのは、安倍首相の盟友である麻生太郎副首相は「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」などとナチスの手口を信奉していることである。
 こういう彼らが、資金力をバックに、我田引水的な宣伝作戦を展開することは容易に想定できるところである。そして、民放や電通などが、そのビジネスチャンスを見逃すはずがないであろう。こうして、自衛隊賛美と安全保障環境の悪化を理由とする軍事力強化、米軍との共同行動の必要性が、手を変え品を変え、「改憲しても何も変わらない」という嘘とないまぜになって、人々の前に垂れ流しされることになる。そして、自民党とそれに同調する勢力は「支持上げるちょろいもんだぜ民なんて」(万能川柳)とほくそ笑むであろう。
ゲッペルスと自民党の共通性
 パウル・ヨーゼフ・ゲッペルスは、ヒットラー率いるナチスの政権掌握とその維持に辣腕を発揮した人物である。「プロパガンダの天才」と言われ、宣伝全国指導者、国民啓蒙・宣伝大臣などを務めている。「嘘も百回言えば本当になる」と言ったとされている(異論はあるが)。
 彼は、ナチスが初めて第一党として選挙に臨んだ一九三三年二月三日の日記に「我々は国家組織を動員できるようになったので運動は容易である。新聞とラジオは意のままである。我々は政治宣伝の傑作を作るつもりだ。金は有り余っている」と書いている。安倍首相のマスコミ各社幹部との会食や自民党に交付される政党助成金の額からすれば、何とも、現在の日本と似ているようである。
 更に、ゲッペルスは、同年五月、図書館から書物を押収して焼き払っている。焚書である。反ナチの本にとどまらず、マルクスやフロイト、ハイネなどの本も焼かれたという。その時、彼は「今や学問は栄え、精神は目覚めつつある。この灰の中から新しい精神が不死鳥のように舞い上がるであろう」と演説している。今、日本では「梅雨空に九条守れの女性デモ」という句が公民館報に掲載されないという不寛容がはびこっている。焚書される以前に活字にもならないという状況がそこにある。
 ゲッペルスにとって、政治宣伝は何の制約もかかっていないだけではなく、有り余る資金があったのである。その状況は今の自民党にとっても同様である。彼らの政治宣伝には何の制約もないのである。一市民の思いのたけの句が日の目を見ないこととの非対称性は明らかである。
小括
 私は問いたい。自民党の野放図な政治宣伝を表現の自由とか言論の自由とかいう美しい言葉で擁護していいのか。規制をいわないことは、ゲッペルスのプロパガンダの自由を認めることと同義ではないのか。そして、一市民の想いを掲載することもできない公民館報でいいのか。もっと自由な言論空間、表現の場を確保するためにこそ、これらの自由は語られるべきではないのかと。
 そもそも、言論の自由や表現の自由は、抑圧された人々が「奴隷の言葉」で語らなくてもいいように、そして、その言動によって生きたまま埋められてしまう(坑儒)などということがないように、支配者に抵抗する先人たちの命をかけた闘いによって確立されてきたものである。だとすれば、権力者やその追随者の言い立てる表現の自由などというのは、金にものを言わせて、自分たちの支配を永続させたいだけの醜悪な呪文でしかないのである。
 今、私たちに最低限求められていることは、表現の自由や言論の自由の意味をはき違えないことと、たとえ間接的あるいは消極的であれ、平和と自由を制約する安倍流改憲という政治戦略の協力者にならないことである。憲法が保障する自由と権利は、私たちの不断の努力によってのみ、保持されることを肝に銘じなければならない。(二〇一八年一〇月一八日記)


憲法九条の「主語」は誰か?
――日本国憲法における国民の主体性

東京支部  後 藤 富 士 子

一 日本国民の信念と決意―憲法前文
 日本国憲法は、日本国民の総意に基づく新日本建設の礎として、帝国議会の議決を経た大日本帝国憲法の改正を昭和天皇が裁可し、昭和二一年一一月三日に公布されたものである。
 その前文で、日本国民は、一つの信念と三つの決意を表明している。
 まず、第一の決意は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすること、である(第一段落)。
 第二の決意は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持すること、である(第二段落)。
 そして、信念は、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務である」というものである(第三段落)。
 最後の決意は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することの誓い、である(第四段落)。
二 憲法九条で日本国民が宣言した内容
 憲法九条の「主語」は、一項二項を通じて、「日本国民」である。そして、日本国民が九条で宣明した内容を箇条書きにすると、次のとおりである。
(1) 正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。
(2) 国際紛争を解決する手段として、@国権の発動たる戦争、A武力による威嚇、B武力の行使、の永久放棄。
(3) 前記(2)の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力を保持しない。
(4) 国の交戦権は認めない。
三 安倍九条改憲(案)
 現在の九条一項二項には手を触れず、「九条の二」として次のような条文を加えるという。
(1) 第一項は、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を執ることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。」
(2) 第二項は、「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」
 ここでは、九条の「主語」である「日本国民」が消えている。
 そうすると、どういうことになるのか。
 日本国民は、諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持することを決意し(前文第二段落)、国際紛争を解決する手段として、@国権の発動たる戦争、A武力による威嚇、B武力の行使を永久に放棄した(九条一項)。また、自国の主権を維持するには、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という普遍的な政治道徳の法則に従うと宣明している(前文第三段落)。さらに、日本国民は、陸海空軍その他の戦力を保持しないとも宣明している(九条二項)。
 しかるに、同じ「日本国民」が他方で、「九条の二」によって、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な実力組織として自衛隊を保持する」などという、全く相容れないことを表明することになる。ちなみに、自衛隊は、国連海洋法条約で「軍隊」と定義されている。保持しないと宣明した自衛隊の行動を、「九条の二」の第二項で「法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する」と、猿芝居のような「シビリアン・コントロール」をかけているつもりのようである。
 すなわち、「安倍九条改憲」は、日本国民をジキル・ハイドのような二重人格者に貶めるものである。また、安倍首相は、臨時国会の所信表明演説で、「国家の理想を語るのが憲法」と述べているが、日本国民は、「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ことを誓っている(前文第四段落)。これを否定して、安倍首相の「国家の理想」を国民に強要して、日本国民の名誉を台無しにしようというのである。こうなると、安倍首相は、もはや「国賊」というほかない。
四 「九条主体名誉裁判」を闘おう!
 「安倍改憲」の本質は、「立憲主義」というより「法治主義」の問題であると思われる。そして、素晴らしい日本国憲法の主体である日本国民の一人として、この憲法を誇りに思う。それを、あまりにも低能な「日本語」の濫用によって、日本国民の名誉を完膚なきまで毀損しようとする「安倍九条改憲」は、許すことができない。
 そこで、安倍晋三首相個人と自由民主党を被告にして、名誉毀損の損害賠償訴訟を提起しようではないか。原告は、日本国民なら誰でもなれる。自民党が改憲案を国会に提出したら、直ちに提訴できるように準備したい。
 「国会の発議を阻止する」などといっていたら、改憲を阻止することはできない。「国会の議決」という正当性が付与される段階に勝負を構える前に、提案者の責任を徹底的に追及すべきである。そして、そのことこそ、「国会の発議を阻止する」力にほかならない。

(二〇一八・一一・五)