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米軍用地特別措置法「改正」法案に反対する意見書 4

 第七 憲法の平和原則との矛盾
一 二重三重の憲法違反
 戦争を放棄し、軍隊の不保持を明記し、平和的生存権を明らかにした日本国憲法のもとで、一九五一年、土地収用法が改正され、軍事や国防のために、国民の土地を取り上げることが否定された。
 これに対して、安保条約のもとで、米軍のためにだけ、例外的に、国民の土地を強制的に取り上げたり、強制使用をすることを認めたのが、米軍用地特別措置法である。軍事のため国民の権利剥奪を認めるこの法律そのものが、憲法の平和原則と相容れないものなのである。
 しかも、この法律は、土地収用法に定める事業認定をする際の公聴会の制度を廃止するなど、土地収用法に比してその手続きを著しく簡略化している。強制使用、収用される土地所有者等の権利保護に欠け、財産権や適正手続の憲法上の保障にも違反する疑いが強い法律である。
 ところが、今回の法案は、さらに、米軍基地のためにだけ特別に例外をつくり、期限後の強制使用を容認しようというのである。米軍や軍事優先の米軍用地特別措置法という例外をさらに幾重にも大幅に拡大するものであり、あわせて憲法違反をいっそう拡大するものとなる。憲法上とうてい容認できるものではない。
 政府は、日米安保条約上の基地提供義務を最優先させなければならないと主張する。けれども、このような幾重にも違憲・違法な強制使用にもとづいてアメリカに基地を提供することまで、日米安保条約で義務づけられてないことは、明らかである。
 なぜ、これほどまでに米軍のために国民の権利を犠牲にする法律を優先させるのであろうか。これは、沖縄の問題というだけではない、すべての国民自身が問われている問題なのである。
二 平和の原点と沖縄のこころを踏みにじる法案
 一昨年来の沖縄の米軍基地撤去へ向けての運動の始まりは、弱者である少女の安全をまもれない軍隊が、なぜ日本や世界の安全をまもれるのかという女性たちの声であった。日本国憲法が定める平和的生存権とは、人間としての生存を維持し、自由と幸福を求めて平穏な生活を営むことを、戦争や戦争準備行為(戦争訓練や基地の存在)によって阻害されない権利である。
 過去の侵略戦争への反省と、原爆を初めとする甚大な戦争被害のもとで生まれた日本国憲法は、来る五月三日、施行五〇周年を迎える。一切の武力を放棄し、世界の諸国民との信頼醸成と協力によって安全を保障しようとした日本国憲法は、二一世紀の安全保障のあり方を示している。北朝鮮や中国の「脅威」を唱え、軍事力を増強する日米安保体制を絶対化して、沖縄県民の権利を奪うことはできない。
 「命こそ宝」、「他人に痛めつけられても眠ることはできるが、他人を痛めつけては眠ることはできない」という沖縄の古くからの言い伝えは、日本国憲法九条の思想と共通である。
 米軍用地への提供を拒否する反戦地主の権利を踏みにじって、何が何でも強制使用を継続し基地の固定化・強化をはかろうとする今回の法案は、沖縄のこころ、そして憲法の平和の原点と全く相容れないものである。第八 国民は法案を許さない  米軍用地特別措置法の「改正」を進めようという政府の態度には、沖縄県民そして多くの国民の求める基地の縮小・撤去の要求を無視し、二一世紀に向けて、基地の固定化・強化を図ろうとする意図が露骨に示されている。
 しかも、政府は、沖縄県収用委員会の第一回公開審理において、「日米安全保障体制は、わが国を含むアジア・太平洋地域の平和と安全にとって不可欠」と明言したうえ、「駐留軍の駐留は今後相当長期にわたると考えられ、その活動の基盤である施設及び区域も、今後相当長期間にわたり使用されると考えられますので、その安定的使用をはかる必要があります。」と公言している(那覇防衛施設局の使用裁決申請理由)。これは、安保条約で定められている「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和と安全」(安保条約六条)という目的を明らかに逸脱するものである。このような米軍基地のために沖縄にさらに長期の犠牲を強いることは、きわめて問題である。
 さらに、一年以上も隠され続け、ようやく、本年二月に発覚した一五〇〇発を越える劣化ウラン弾の発射・貯蔵問題に、端的に示されているように、県民の生活や環境を無視した米軍の無法ぶりは何ら変わっていない。
 ところが、昨年一二月に発表された沖縄問題に関する特別行動委員会(SACO)の最終報告でも、結局は、基地の県内移設や県道一〇四号線越えの実弾砲撃演習の本土移転などにより、米軍基地の再編強化を図ろうとするものであり、基地の縮小撤去は、一顧だにされていないといわざるを得ない。
 今回の米軍用地特別措置法の「改正」問題は、このような米軍基地の固定化・強化を許すかどうか、憲法の平和の原点をないがしろにするかどうか、そして、法治国家としての存在を自ら否定する暴挙を許してよいのかどうかが、まさに問われているのである。
一九九七年四月七日