<<目次へ 【意見書】
1998年1月
自 由 法 曹 団
自民党「定期借家権等に関する特別調査会」は、一九九七年一二月一九日定期借家権の創設に関する論点の中間的取りまとめを発表し、同調査会が現在進めている「定期借家権」創設を内容とする借地借家法「改正」法案の概要を明らかにした(以下、便宜のため「調査会」案という)。
この概要は、定期借家契約の適用対象建物、賃料額、最低期限、地域等について一切の限定をせず、六ヶ月前に通告すれば期限に、通告をしなくとも期限から六ヶ月後には契約が終了し、また既存契約についても公正証書によれば定期借家契約に転換することを認めるというものである。
しかしながら、借家すなわち住居は生活の本拠となるものであり、単に寝泊まりできれば良いというものではない。したがって住居には居住の安定すなわち長期間居住できることの保障が不可欠である。他方、公営住宅法「改正」にみられるように公共住宅政策はますます後退しつつあり、弱者が安心して住み続けられる公共住宅はきわめて少ない。また零細業者は日々最低限の収入で営業しており、期限に店舗の移転を強いられることは廃業の危険にさらされることを意味する。
このような状況の下において、一六〇〇万借家(民間は一〇〇〇万世帯を超える)にこの定期借家契約が適用されるならばその影響はきわめて大きく、かつ憂慮すべき事態が生ずるであろう。ほとんどの家主が新契約にあたり定期借家契約を選ぶであろうし、旧契約の定期借家契約への切り替えも迫る恐れが大きく、いずれ普通借家は定期借家に駆逐されてしまうであろう。さらに定期借家契約の契約期限ごとに多額の更新料等が強要されることにもなるであろう。借家における居住の安定は崩壊し、零細業者の営業も危殆に瀕することとなる。このように重大な権利侵害をもたらす法案は絶対に認められない。
この定期借家制度導入について、「調査会」案は、良質な借家を供給するためということを主な理由としてかかげているが、定期借家制度によりそのような効果が生ずることは全く考えられない。
定期借家制度導入の真の狙いは「調査会」案が最後にあげている、投資環境の改善、内需拡大による経済効果にある。これは、土地の有効利用、都市再開発促進と土地流動化による景気対策であり、弱者を切り捨てて大企業の利益を優先させようとするものにほかならない。
そこで本意見書により、右「調査会」案のあげる理由がいかに根拠のないものであるか、そして定期借家制度が借家人の地位をどれだけ不安定にするものであるかを明らかにする。
現行借地借家法では、借家契約の期限がきても、正当事由(正当な理由)がなければ法定更新されることになっている。また期間の定めのない賃貸借ではいつでも解約の申し入れができることになっているが、この解約の申し入れにも正当事由が必要とされるという仕組みになっている。この正当事由制度は一九四一(昭和一六)年の借地・借家法改正により導入され、一九九一(平成三)年一〇月の借地借家法大改正の際にもその必要性が認められて維持されたものである(九二年八月施行)。
正当事由の存否の判断は、賃貸人及び賃借人が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物明渡補償金の提供を申し出た場合は、それをも考慮してなされることになっている(借地借家法二八条)。家主と借家人双方の利害を考慮し、これを調整して判断されるわけである。後に述べるようにこの制度により弱者である借家人の居住の安定や営業が守られている。
しかし、規制緩和の大号令の下に、この正当事由制度についても撤廃ないし緩和せよとの経済界からの要求が激しくなり、これを具体化するものとして行政改革推進本部により提案されたのが定期借家制度である(一九九四(平成六)年六月二八日決定)。「定期借家権」として宣伝されているが、要するに契約で定められた期限がくれば、契約は法定更新されることなく終了する、家主が契約時に指定した期限には借家人は無条件で明け渡さねばならないというものである。したがってこれは期限限定の借家契約制度にすぎない。推進論者はこれを新たな権利の創設であるかのように「定期借家権」などというが、欺瞞的であるといわざるを得ない。
今回発表された「調査会」案は、ほとんど無条件でこの定期借家契約を認めようというものである。すなわち、定期借家契約は当事者が合意する限り完全な自由契約とし、業務用・居住用の区分、広さ、家賃の高低、大都市か否か、最低存続期間等の制約を設けない、一年未満の期間でも良いとする。これらの制約は、従来この制度推進論者の中からも不当な結果の生じないよう考慮するためのものとして提案されていたものであるが、すべて排除されてしまった。
具体的な内容としては、六ヶ月前に通告すれば期限に、通告が遅れたときはその時からまた通告をしなくとも期限から六ヶ月後には契約が終了し、既存契約についても公正証書によれば定期借家契約に転換できるとする。新契約の際には定期借家であることとその内容を重要事項として説明することを義務づけ、既存契約への転換ついては、公正証書によることとの条件を付している。
しかし、このような限定がどれだけの意味を持つであろうか。後に述べるように借家契約のほとんどが定期借家契約となってしまえば、新契約においては選択の余地はなくなってしまう。そして、公正証書によれば既存の契約も定期借家契約に転換できるということも大きな問題となる。公正証書は代理で作成することができる。家主が借家人から公正証書作成の委任状と印鑑証明書を交付させれば、家主の側で借家人の代理人を用意して公正証書を作成することが出来るのである。消費者ローンなどではこの手法により公正証書作成が濫用されている。公正証書によるなどというのは全く限定としての意味はないといわなければならない。かくて、この制度が導入されれば、既存契約の定期借家への転換ということが社会問題化するであろう。この点はさらに後に詳述する。
さらに「調査会」案は今後の検討課題として、正当事由の範囲の拡大、非居住用建物に限って既存契約を含めて正当事由を廃止する、借家人死亡により終了する借家制度を創設するということをあげている。今回は「社会的混乱や不安を招く恐れが強いので」この程度に限定したというのである。
経済界や自民党「調査会」さらには一部経済学者は、このような制度をなぜ導入しようとするのであろうか。次の各項で、推進論者の導入目的における重大な誤信とその不当性を明らかにしよう。
「調査会」案は、「定期借家権の意義と効果」として、現行借家制度における解約制限は良質な借家の供給を阻害する大きな原因であるとの独断の下に、定期借家制度創設により次のような効果が上がるとする。
そして「調査会」案に対する賛成派意見を掲載して、さらにその説明を行っている。それによると、正当事由による解約制限は戦時立法の所産であり、(現在は)当時と住宅経済事情が全く異なる、多額の立ち退き料や継続家賃抑制主義のため収益の予測がつかないことが良質なファミリー向け借家供給のインセンティブを妨げているという。
またその他に、定期借家制度推進論者は、次のような説明もする。回転率の高い小規模な単身者向け住宅を除くと、家族向け等の規模の大きい借家の供給意欲が阻害されているが、このことは法人限定の借家が増えていることや、特に大法人についてはその信頼性から解約の際のトラブルがないと考えられるので比較的安価に借家の供給がされていることからも、正当事由が供給阻害要因となっていることが示されているという(法務省・借地借家等に関する研究会「借家制度に関する論点」にまとめられた賛成意見)。法人限定の借家では個人賃借に比べ家賃が一〜二割安いとし、これは法人は正当事由を盾に明渡拒否訴訟を起こすようなことがないので安心して貸すからであり、このように正当事由を廃止すれば低廉な借家が供給されるなどとという意見もある(朝日新聞九七・八・三〇対論の岩田規久男意見)。
しかし、良質な借家の供給が正当事由の存在により妨げられているというのは明らかな誤りであり、したがってまた「調査会」案のあげる効果もそのほとんどが空論である。以下に問題点を示そう。
現状でも借家は増加している
いわゆるバブル経済期において正当事由制度があるにもかかわらず、貸しビル、貸し室が激増したことは周知の事実であるが、これは借家の供給が正当事由制度の存在と無関係であることを端的に裏付けている。一九八五(昭和六〇)年度の新設着工貸家の総合計が四二万七六五四戸であるに対し、八八(同六三)年度のそれは七三万一九四三戸と急増している。八八年までは五一から七〇uの規模の新設着工貸家の戸数も相当な延びを示し、これはその後も順調に増加している(建設省「住宅着工統計」)。また一九八三(同五八)年から九三(平成五)年までの民間借家総数は約八四八万戸から約一〇七六万戸に増えており(「平成五年度住宅統計調査」)、「平成六年度東京都住宅白書」でも、東京都における四人世帯の最低居住水準五〇uを超える貸家の供給は安定していると述べられているのである。
むしろ現状ではバブル崩壊後の経済不況のため、貸しビル・貸し室は余っているとすら言われている。
後に述べるように借家の供給を規制するのは、借家の需要状況、地価水準、税制、建築費、銀行利息などの社会経済的な要因である。要するに、貸家業を始めても採算がとれるかどうかということである。バブル経済期に事務所ビル、マンションが増加したのはバブル経済を背景にまさに有利な事業と判断されたからであった。
新規賃料と継続賃料の格差は借家の供給を阻害しているか
「調査会」案は、正当事由があるため家賃値上げができず収益予測がつかないことが借家供給を妨げる原因であり、収益見通しがつくことによって供給促進のインセンティブになるとする。新規に貸すときの賃料と長期間賃貸借を継続してきた借家の賃料とを比較すると、後者の方が相当に低いが、これは正当事由のため家賃値上げができないからであり、家主の希望通り家賃値上げができれば収益見通しがはっきりするので貸家を造ろうということになるというのである。が、本当にこのような影響が考えられるであろうか。
ここで問題となるのは、継続賃料と新規賃料との間に格差があるか、あるとしてその原因は正当事由の存在にあるか、さらにその格差は借家の供給に影響があるかということである。
ある時点における継続賃料が新規賃料に比較して低くなっていることは認めて良い。
しかし、その原因には様々な要素があり、直ちに正当事由に原因があるというのは誤りである。賃貸借契約のような継続的契約関係においては、賃貸人と賃借人との間に信頼関係が生じていくものであり、そのような事情から値上げを控えるということがある。空き室のリスクを考慮して引き留め策として家賃を低くすることもある。アメリカの全く借家権保護の行われていない都市でも新規賃料に比べて継続賃料が低くなっているという実態があり、その原因は「良い借家人」が出ていくとその後に悪い借家人の入る恐れがあるので、「良い借家人」をつなぎ止めるために家賃の値上げを抑えることによるという(金本良嗣・住宅土地経済一九九四冬季号)。継続賃料と新規賃料との格差が正当事由によるものであるとするのは誤りである。
仮に値上げが出来なくなるため継続賃料が低くなるという実態があるとすれば、家主は将来値上げできないことを考えて新規賃料を高くし、またある程度高額な敷金、保証金等を取得するであろう。その間には、実質的な格差はなくなる。このようにして収益における予測は可能である、ということになる。この点をとらえて、正当事由があるために賃借人は借りるときに高い家賃を強いられていると非難する論者があるが、正当事由が原因であるかどうかは別としても、その後継続賃料として値上げがされにくくなるのであれば、賃借人としては実質的に不利益はないのであるから、何ら批判としてなりたたないであろう。
なお、正当事由のため継続家賃は抑制されているとの前提にたった場合でも、しかし家主はそれを見越して賃料を高くしているので、正当事由の存在は借家の供給には全く影響ないとの論証がなされている(小谷清・ジュリスト一一二四・六〇頁 但し、この論者が、新規賃料が高くなるから「既存の借家人が現行法によって何ら保護を実際には受けていない」とするのは、居住の安定に対する借家人の利益を見失っているものであり、正しくない)。
このように、継続賃料と新規賃料との間の格差は借家の供給に対して何らの影響も持たない。
法人貸しの存在は根拠となるか
大法人に比較的規模の大きな借家が供給されているということが本当にあるのであろうか。ファミリー向け住宅では法人貸しが相当多いとしてこれを肯定するものがあるが(福井秀夫ジュリスト一〇四〇号)、しかしその根拠はきわめて薄弱で、実証的調査結果に基づくものとはとうていいえない。それは一都四県の従業員用借り上げ社宅の実態調査等に基づいているのであるが、その建物規模平均は五四〜六〇uに過ぎず、この程度のものは民間借家市場でも相当供給されている(森本信明・都市住宅学一九九四・〇四)。
また法人限定において家賃水準が低くなっていることがあるとしても、それは家賃収益が安定しているということに大きな理由があり、明渡を要求した場合に拒否されることがないということを考慮しているわけではない。貸家業における一般家主の最大関心は、家賃収入が確実かどうかということにある。法人はまとめて賃借する場合が多いため空き室率が少なく、さらに管理もしやすいゆえ、家賃を安くしても採算がとれるということから安くしているのである。不動産業者が一括して借り受け、個別に転貸するといういわゆるサブリース方式が行われているのもこのような理由からである(貸家所有家主が不動産業者に賃貸する賃料は、当然のこととしその業者がさらに個別に賃貸する賃料よりも安い)。
戦前の持ち家率との比較も根拠とならない
一九四一(昭和一六)年に借地借家法改正により正当事由制度が導入されてから一〇年ほどで持ち家率が急上昇し、借家率が減少したということを、正当事由が借家の供給を制限していることの根拠としてあげる論者もある(岩田規久男・都市住宅学八号、ジュリスト一一二四・一四頁など)。
確かにその期間に借家率が減少したという事実はあるが、その原因は正当事由制度の導入とは全く関係のないことにある。近畿大学森本信明「キャピタル・ゲイン取得期待が借家市場に与える影響」によれば、その時期の借家減少の原因は、一九三九(昭和一四)、四〇(同一五)、四六(同二一)年と第一次から第三次までの地代家賃統制令が導入されたこと(一九五〇年七月の改正まで新築貸家の家賃を規制した)、戦災により都市の借家の多くが焼失したが、再建は持ち家としてなされたものが多かったこと、戦後シャウプ勧告による税制改正がなされ、貸家経営が不利になったことなどにある。戦災後にあった貸家の跡地には持ち家が建築されたというのは、戦後の経済事情のなかで、従来の家主もまず自己の住居を確保することで精一杯であったこと、そして地代家賃統制令や税制のため、貸家業は採算があわないと判断されたことなどによるものと思われる。
また、経済が復興し、高度経済成長を経たにもかかわらず高い持ち家率が持続されたのはなぜかという問題があるが、その主な原因が政府の持ち家政策と土地価格の高騰にあることは容易に理解しうるところである。
このように戦後の持ち家率、持ち家指向と正当事由の存在は無関係である。
既存持ち家の貸家としての供給
正当事由が借家供給に影響する場合があるとすれば、持ち家所有者が転勤などで家を空けるときに、その期間だけ一時賃貸したいという場合に限られるであろう。このような場合は確かに、確実に返還されるかどうかが家主の最大の関心事となるであろう。「調査会」案が「良質な持家ストックの借家としての流動化が進む」というのはこの例を指しているものと思われる。
しかし、このような既存建物の貸借については、既に旧借家法時代から正当事由の適用されない一時使用賃貸者という制度があるほか(現行法四〇条)、九二年八月施行の現行借地借家法によって、賃貸人不在期間の建物賃貸借(同法三八条)、取毀し予定建物の賃貸借(同法三九条)が新設されており、これで十分である。転勤、療養、親族の介護、その他やむを得ない事情により一時自宅を空けるときには、その期間を確定して契約すれば、その契約期限に賃貸借契約は終了する。事情が変わった場合、話し合いによりその期限を延長することも可能である。これでこのような持ち家ストックを借家として供給することの目的はほぼ達成できるであろう。
推進論者はこれらの規定が限定的に過ぎるというのであるが、この限定からはずれる賃貸希望例がどれだけあるというのであろうか。そのような既存建物がどれくらいあるのか、当該既存建物所有者の意識状況はどうなのかという実証的な調査はなく、単に感覚的な推測がなされているだけである。新たな法制度を創設するほどの立法事情は存在しないといわなければならない。
もともとこの限定は九一年一〇月現行法成立の際、貸し主の濫用を防止するために付されたものである。限定が付された背景事情は解消されていない。この限定をはずすことは認められないのである。
推進論者は、小規模借家の供給には問題がないが、大規模借家の供給が少ないとし、その原因を正当事由によるものだとする。正当事由が借家の供給を阻害するものでないことは既に述べたとおりである。それではなぜ、大規模借家の供給が少ないのであろうか。
現在の地価水準や建築費からして、良質でかつ一戸当たり床面積の大きな貸家・アパート・賃貸マンションを建築するとなると、家賃は必然的に高額となる。家賃により、建築費、固定資産税、場合により土地取得費などを回収し、さらに利潤を付加することとなるからである。通常、銀行融資により建築資金を捻出することが多いので、家賃はその利息までも加味したものとなる。さらに都心部では高騰した地価も反映するため、家賃は一層高額となる。床面積が広くなればなるほど家賃は高額となり、その家賃は一般市民が支払える金額とはかけ離れたものとなる。その結果、大規模借家は必然的に高額所得者向けのものとなってしまうのである。ある試算では、都心部から一時間程度の地域に床面積約八〇uの二階建てアパートを建てた場合、家賃は月額二二万円となるという(澤野順彦ジュリスト一一二四・四四頁)。ちなみに公共住宅として位置づけられている住都公団の家賃ですら、東京都田町で六一u二三万四四〇〇円、小金井市で八四u二〇万四九〇〇円などととなっている(九八年一月空家募集)。
しかし、高額な家賃を支払うことのできる者は、持ち家に流れていく。政府の住宅政策の中心が持ち家政策にあり、住宅取得のために様々な融資制度、優遇税制がつくられていること、地価の上昇率が金利の上昇率を上回ることなどが持ち家指向に拍車をかけている。大都市においては高くなりすぎた地価の低落という現象も生じてはいるが、持ち家指向に大きな変動は見られない。規模の大きな住居を要求する者は家族を持つ賃借人であり、長期間の居住を必要とするすなわち居住の安定に対する欲求が強いということも持ち家取得の大きな誘因となっている。
したがって高額所得者の借家需要は限られている。これは、現在の住都公団の建替賃貸住宅において家賃が高額にすぎるため多数の空き室が出ているという状況を見れば一目瞭然といえよう。
このように、貸家の供給対象は主に持ち家を持てない層ということになるのであるから、その家賃もその収入に見合ったものとせざるを得ず、そうなると、貸家建築費投下資本も限られ、貸家の規模は制限される。すなわち現状はまさに定期借家制度推進論者のいう市場原理が貫徹していることを示しているのである。
それゆえ規模の大きな民間借家の供給を誘導するには、公的に建設費補助や家賃補助をして賃借人の家賃負担額を下げ、需要を拡大するしかないであろう。定期借家制度など何の役にも立たない。
ところで、推進論者は定期借家制度により大規模借家の供給を促進するというが、規模の大きな借家を必要とする者は家族を持つ賃借人であり、したがって長期間の居住を必要とする者である。少なくとも子供が成人するまでは転居を避けたいという場合が多い。したがってこのような借家人が定期借家を希望するということは考えられないのではないだろうか。一部経済学者は借家の数が増えれば借家人には選択の幅が広がり、気に入った借家に移転することができるようになるから、短期間で契約が終了しても支障がないはずだというが、そこには居住の安定に対する考慮が全く欠けていると言わざるを得ない。
また仮に高額の家賃を支払えるような者が規模の大きな借家を希望するとしても、それは持ち家を取得するまでの短期間にとどまることが予想される。あえて定期借家制度により期間を限定する必要はないであろう。
正当事由のない場合の法定更新が前提となると賃料の値上げが困難となるので、借家契約を自由化することにより適正家賃が成立するという論者もある(岩田前掲、福井前掲等)。
しかしこれは要するに、契約期限切れによる明渡し要求という脅しの下に家賃値上げをすれば値上げしやすいということをいうものであって、不当きわまりないといわなければならない。元来適正家賃の問題は、家賃変更制度の適正な運用により解決すべきものである。このような制度を認めることは、一部の家主に不当に高額な家賃値上げを許すことになり、認めることはできない。
「調査会」案は、この制度導入により、投資環境の改善が図られ、担保不動産の流動化に寄与するほか、内需拡大による経済効果が期待されるとする。要するに景気対策になるというのである。一説によると五兆円の経済的効果があるという。導入の真の狙いはここにある。
しかし、景気対策として、本当に効果があるのだろうか。
推進者は、その根拠としては、@再開発の促進、A投資促進、B不動産の流動化などをあげるが、いずれも説得性にかける。以下、その理由を述べる。
再開発促進効果の期待は濫用を予定したものである
現在東京都内の低層密集木造住宅は六〇〇〇ヘクタールあり、これは二三区の約一割に当たる。推進論者は、この部分に定期借家の高層住宅が建設できるということになれば、建替えが進み建設ブームも起こるという。
ところで、持ち家率の全国平均は五九・八パーセントで、東京ではその平均に及ばないと言われていることからみると、低層密集住宅の約半数が借家であり、かつ従来の借家法の適用が及んでいるということになる。そうすると、当然これらの借家には正当事由の適用があるので、定期借家制度の導入は無関係となるはずであり、推進論者の主張するように迅速に立ち退きや建替えが進むことにはならないはずである。したがって、現在の不況の打開策としてこの制度が機能するとは思えないのである。
それにもかかわらず、推進論者が経済的効果が期待できると強論するのは、定期借家制度が導入されれば、既存契約を定期借家契約に切り替え、これにより借家人追い出しを行いうると考えているからに他ならない。ここでは当然、定期借家契約への切り替えの強要という事態が予定されることになる。このようにこの制度が、不当、違法な手段として濫用されることが明らかであるにもかかわらず、このような制度を導入することが許されるであろうか。
投資促進の効果も期待できない
わが国の住宅供給状況をみると、一九六三(昭和三八)年から九三(平成五)年までの三〇年間に、持ち家の増加が一・八六倍となったのに対し、民間借家の増加は二・一九倍となっている。また前述のとおり一九八三年から九三年までの民間借家総数も約八四八万戸から約一〇七六万戸に増えており、民間借家への投資は相当に行われており、減少しているわけでもない。
また、借家建築、借家経営への投資を決定づけるのは、借家の需要状況、地価水準、税制、建築費、銀行利息などの社会経済的な要因である。借家への投資が、特に大都市で小規模住宅に集中しているのも主として地価水準から来るものである。大都市では、地価が高すぎて大規模住宅を建築しても賃料が高額になって借り手もいないし、賃料を安くすれば収益率が上がらないからである。現に、地方では、広くかつ安価な住宅が供給されている。
そして、すでにバブル崩壊の直後から都心部では事務所ビルが余っているということは周知の事実である。しかも平成九年度から消費税が五パーセントになるということで、平成八年度は、建築ラッシュとなった。したがって、当分供給が需要を上回っているのであって、定期借家制度を導入したからと言って、投資が促進されるとは考えられない。
さらに都心部では、住環境の悪化、賃料の高騰などから居住者の総数自体が減少しており、このような環境を放置したままで(現在都心部の建築規制が緩和されつつあるが、これにより住環境はますます悪化する。)、今後、都心部に居住することを希望する者が増大することも期待できないであろう。需要が限られていると言わざるを得ないのであり、したがって今後も住居ビルが建設される可能性は少ないと言うべきである。
不動産は流動化するか
推進論者はさらに、借家の返還時期が明らかになれば不動産の価値が確定し、担保不動産の流動化が進み、不良債権処理が促進されると主張する。
しかし、既存の賃貸建物には既に普通借家権が設定されているのであるから、期限が限定され、返還時期が明らかになるということにはならない。流動化の効果はないというべきであろう。
したがって推進論者の主張は、既存借家の正当事由制度を廃止させなければ貫徹されないであろうが、そのようなことは予定されていない。そうであるとするとここでも既存の普通借家を定期借家に切り替えることを予想しているとしか考えられず、まさに濫用を予定した論理と言わざるを得ない。
元来家主は、賃料を取得して利益を得てきているのであるから、借家権の存在による担保価値の減少の不利益は当然甘受すべきであるし、債権者も借家権の存在を前提に融資すれば不良債権の問題も回避できるであろう。そのような問題をさて置いて借家人の犠牲のもとに、銀行などの債権者や、家主の利益を図ることは許されない。
定期借家制度導入論者は、「借地借家法における借家の正当事由制度を廃止すれば、良質な借家の供給が増大する。借家の供給が増大すれば、賃料や賃貸借期間等の契約条件の取り決めは市場原理によって合理的に決定される。不当に高額な賃料の物件や不当な契約条件をもった物件は、自ずと借り手から拒絶され、妥当な契約条件を備えた物件が生き残る。ところが、正当事由制度が存在するために、契約終了の予測が不可能で、そのため借家の供給が阻害され、高額な実質賃料を支払わされている。」と主張している(前掲九七・八・三〇朝日新聞の岩田意見)。
しかし、建物賃貸借においては、他の消費財と同じ意味で、市場原理が合理的に作用することはない。その理由を次に述べよう。
賃貸建物を供給する者は、一般に、賃貸を業としている。賃貸建物供給者は、その建物なくしても自己の住居に困ることはないが、賃貸建物を賃借する者は、一般に、その建物こそが、自己の住居や営業の本拠である。他に居住する建物も営業する建物も所有していない。賃貸建物供給者が賃貸して得る利益は賃料という貨幣価値であるから誰に貸しても賃料さえ取得できれば賃貸の目的を遂げることができる。しかし、賃借人が建物を賃借して得る利益は建物使用の利益である。この利益は、建物使用者の職業、家族構成、建物の地理的場所や構造、床面積、設備、賃料額等、多くの個別的要因に従属しており、どんな建物でもよいというわけにはいかない。建物賃貸借においては、賃貸人と賃借人とでは、選択の許容範囲に質的な相違があり、賃貸人が賃借人を選べると同じ意味で、賃借人が賃貸人を選べることはない。賃借人は、生存に不可欠である賃借建物を所有していないという根本的理由から、一般に、社会的弱者なのである。契約当事者に対等な選択の自由を前提とする市場原理のなかに、建物賃貸借関係を完全に委ねてしまえば、賃借人が自己の生存を維持するに足りる他の物件を自由に選択できる条件が整備されていない限り、結局のところ、建物所有者の意思が一方的に貫徹されるだけのことである。これは社会的弊害である。
建物賃貸借関係においては、契約対象物が、人の生活の拠点となる建物であることから、右のような社会的弊害を防止して公正を図ろうとしたのが、正当事由制度である。正当事由制度は、建物賃貸借の期間終了について一定の制限を付すものであるが、このような制度がなければ、賃貸人は、再契約の条件として、高額な賃料を要求したり、賃借人に何の債務不履行がなくとも、自分の意に従わない賃借人には再契約そのものをしない、という専横が蔓延する。賃借人は、すでに当該建物において生活、生産、営業の実績を築き容易に他に移転できない状況に置かれてしまっており、簡単に他に移転することができない。この弱みに賃貸人が付け入って、自己の意思を押しつけてくるわけである。このような状況の下では、再契約の条件について、賃貸人と賃借人が対等な立場で交渉はできない。それができるのは、他に居住可能な建物を所有しているとか、大きく商売を行っていて他へ移転することにさほどの困難もないというように、当該建物を唯一の生活の基盤としていない場合に限られる。それ以外の一般の賃借人が賃貸人と対等に話し合いができるのは、かろうじて正当事由制度が存在しているからにほかならない。
建物賃借人は、賃貸人との関係において本来的に弱い立場にあるが、現実にも社会的な弱者である。借家生活者は一五〇〇万世帯あり、多数の人々が借家生活をしている。年収一〇〇〇万円の世帯では借家率が一五%なのに、年収四〇〇万円だと五〇%が借家利用者となっている(総務庁「平成五年住宅統計調査」)。収入が少ないほど借家利用者が多い。また、高齢者あるいは母子世帯のうち約一〇〇万世帯が借家住まいである(厚生省「平成四年国民生活基礎調査」)。収入が少なければ、他への移転の可能性は狭められ、住居を確保しようとすれば無理にでも賃貸人の意思に従わなければならない。営業を目的とする建物についても借家が常態である。民間事業所数の半分を占める個人経営の事業所は三五〇万ある。個人経営の事業所がすべて借家であることはないが、その多くが借家であることが想像される。その事業規模を従業員の数からみれば、従業員一ないし四人の事業所が個人経営、法人経営の合計で、四〇八万事業所となっており、六三%を占めている(総務庁「事業所企業統計調査」)。事業者の多くが小規模零細事業者であり、その多くが借家に依存している。
正当事由制度によって賃貸借契約の終了の制約がされている現在においても、賃貸契約の成立に当たって礼金を求められる他、次のような、賃借人に不利な契約条件が定められることがしばしばある。現実の借家契約書をみれば、賃貸人の利益保護を目的とした契約条件が定められていることが多い。
例えば、
・一時貸しの名目の契約をさせられる。
・期限到来の場合更新しないことを約束させられる。
・借地借家法の適用を免れるために、業務委託契約の名目にする。
・使用条件として入居人数を制限され子供が産まれると立退を求められる。
・家賃を一定の率あるいは額で増額することを約束させられる。
・次回更新時の更新料の支払約束をさせられる。
・次回更新契約の仲介手数料を賃借人負担とさせられる。
・借家を明け渡すときは、原状回復費名目で追加金員の支払約束をさせられる。
・預けた敷金、保証金が全額返還されないことを承諾させられる。
・中途解約したときに高額の違約金を支払うことを約束させられる。
・賃借人が解約しにくいように解約予告期間を不当に長くする。
・敷金の返還時期を不当に遅くする。
・修繕を賃借人にさせ、入居建物が雨漏り等の欠陥があっても修繕しない。
これらは、正当事由制度が存在しているもとでも実際に行われている。
そして、これら特約に基づく措置に関して、賃借人が異議を申し立てると、信頼関係を破壊したとの口実で、賃貸借契約を解除されてしまう。賃借人は、建物賃貸の最初に当たっては、当該建物を賃借しなければ生活をしていくことができないので、不本意ながら、賃貸人の求める契約条件を飲まざるを得ず、契約の更新に当たっては、賃貸人の意向を入れないときの解約要求をおそれて、不承不承にこのような契約条件を飲まざるを得ないのである。
このように正当事由制度があって解約に制約が課せられてる現状でも、借家人の立場は弱いのが実態である。正当事由制度がなくなった状況においては、賃貸人は、容易に他に移転できない賃借人に対して、解約の不安とおそれを利用して、適正賃料以上の賃料支払を承諾させることが堂々とできることになる。
定期借家制度が導入されると何がどう変わるのだろうか。
まず第一に、新規の契約はほとんどが定期借家になるだろう。現行法の借家契約では、期限がきても、貸主側に家や部屋の明け渡しを求める正当な理由がなければ借主はそのまま借り続けることができる。借家契約では二年なり三年なりといった短い期間が多いが、現行法が正当理由を要求していることで、借家人の居住や営業の安定を実現しているわけである。もし、この正当理由の制度がなければ、借家人は二年ごと三年ごとに引っ越しを繰り返さなければならないことになり、落ち着いた生活を営むことはできないことになる。
ところが、今回導入しようとしている定期借家契約では、「期限が来たので事情はどうあれ、家を明け渡していただきます」ということになる。貸主側に正当理由がなくても、また借主側にどんな事情があっても、借主は出なければならないのだ。貸主にとっては定期借家の方が有利だから、新規に貸すとなれば定期借家で貸そうとするのは自然のなりゆきであろう。
そうなると、借家を探す市民にとっては、定期借家がいやなら持ち家を買わなければならないという究極の選択をせまられることになる。しかし、そう簡単に持ち家が買えるような住宅事情ではない。結局は、いやいやながら定期借家に入り、二年とか三年ごとに引越先の心配をしなければならない不安定な市民が大量に生みだされることが心配されるわけである。
自民党は、現行法の正当事由の制度が良質な借家の供給を阻害しているとし、定期借家制度の創設によって良質な借家が供給されるというが、このような不安定な定期借家が良質な借家とはとても言えない。定期借家の不安定さは持ち家志向をいっそう強め、都市問題をさらに深刻にするであろう。
第二に、定期借家が有利だとなれば、既存の契約についても定期借家への切り替えを求める貸主側の動きが広がることは火を見るよりも明らかだ。
実は、すでにもう定期借家の先取りが行われてもいる。期限が近づいて更新契約を結ぼうとしたら、貸主側の不動産業者から「期限が来たら必ず明け渡す」という内容の契約書を示され、調印をせまられたという実例がある。
「切り替えに応じないのなら家賃を値上げするぞ」とか、「更新料を払え」などと言って切り替えをせまると、そんなトラブルも当然起こるだろう。
いくら周知徹底をはかったところで、実際には借家人の大半は定期借家に切り替えさせられてしまうだろう。
こうして、既存の借家契約についても定期借家が現行法の借家契約を駆逐してしまうことになると思われるのである。
貸主にとっても定期借家制度導入は決してバラ色ではない。
バブル崩壊後の長期にわたる経済不況の中で、貸ビルや貸室は空室が増え、賃料水準は大幅に低下している。そのうえ、東京の臨海副都心開発に代表されるようなバブル型の大規模開発が追い打ちをかけてきている。たとえば、東京都庁に近い西新宿のアイランドタワーは住宅・都市整備公団が建設した地上四四階、地下四階の高層オフィス・ビルだが、分譲が進まず、公団の持ち分の七割が売れ残り、千五百億円が回収できないまま借金となっている。臨海副都心のビルも軒並み空室だったため賃料を大幅に下げたり、都の機関を入居させたりして空室をうめている状態で、ビルを管理する東京都関連の第三セクターはいずれも深刻な経営破綻に陥っているのだ。
にもかかわらず、東京都心にはビッグプロジェクトが目白押しだ。永田町二丁目地区開発(山王共同ビル等)五・九ヘクタール、晴海一丁目地区再開発十ヘクタール、六本木六丁目地区再開発十一ヘクタール、汐留貨物駅跡地開発五・六ヘクタール、品川駅東口再開発五・一ヘクタールといった具合である。これらの超高層ビルが竣工して大量の床が供給されたとき、供給過剰となって中小の貸ビルや貸室の経営が破綻する心配はないのであろうか。
東京の例をあげたが、他の都市でも多かれ少なかれ同様の状況があるのではなかろうか。
すでに貸主の経営にとっては非常に厳しい競争の時代に入っているのだ。このような状況の中で、定期借家制度は貸主の経営改善よりも再開発の障害の除去に大きな意味を持つことになるだろう。定期借家が導入され、従来の借家を駆逐すれば再開発は格段にやりやすくなるからだ。だからこそ借家法の改正や定期借家の導入が再開発業者の年来の強い要求だったのである。
このように定期借家制度導入の主なねらいは、再開発を容易にすることにあると見る必要がある。そして再開発を市場原理にゆだねて野放しにすることは、借家人のみならず、一般の貸し主の既存の貸ビルや貸室の経営を圧迫し、破綻させかねない。
その意味で、定期借家制度導入という規制緩和の本質は、都市開発版のビッグバンであり、貸主層の土地建物を含めた土地建物の流動化であり、弱肉強食の大競争市場を作り出して大企業の利益をはかるものと言わざるを得ないものと思われる。
定期借家制度推進論者は、アメリカでは解約制限、家賃規制は廃止されつつあり、イギリスでも一九八八年法により完全な定期借家制度が導入されているので、定期借家制度導入は世界の趨勢であるという(福井秀夫 日経新聞九七・一二・二)。
諸外国の実情については、法務省「研究会」の論点補足説明、内田勝一「現代借地借家法学の課題」、ジュリスト一一二四などが詳しい。それらによると、イギリスでは、一九五七年に新規賃貸借についての家賃規制が解除されると、既存の借家契約を終了させるための嫌がらせや妨害行為を激増させ(同ジュリスト内田勝一論文)、またドイツでも、一九六〇年に制限を廃止したところ明け渡し紛争と賃料増額紛争が増大し、一九七〇年に規制をすることにより紛争が減少し、賃料水準も安定したという(前掲ジュリストの藤井俊二論文)。福井前掲は、イギリス民間借家の七〇%が定期借家となり三〇%が普通借家として残っていることをもって普通借家がかなり併存していると評価しているが、果たしてそうか。この制度が導入されたのは八九年一月からである。それから何年も経たないうちに七〇%が定期借家となっていることをみると、逆に定期借家に淘汰されつつあるといわざるを得ないのではないだろうか。
さらにイギリスもドイツも、後退しているとはいえ公共住宅の整備状況はわが国とは比較にならない。わが国の公共住宅の比率が七%であるのに対し、イギリスのそれは、二二・六%、ドイツは一五%という事情がある(建設政策研究所ニュースレター第七号)。福井前掲も、英米では住宅弱者の優先度合いに応じて借り上げ公共住宅などの住宅福祉政策が講じられていると述べている(もっともアメリカは問題があるが)。定期借家はこれらの公共住宅の整備があるところで、導入されていることを忘れてはならないであろう。しかもこれらの国では、それでもやはり社会問題は生じてるのであるから、わが国に導入された場合どのような問題が発生するかは推して知るべしというべきである。
またアメリカについては、その広大な国土を背景とした住宅事情を無視して単純に比較することはできない。アメリカでも大都市ニューヨークでは、住宅問題を市場法則のままに放置した結果、住宅の七割を占める賃貸住宅で家賃負担率(水道光熱費も含むが)五〇%以上の階層が二八・七%、三〇%以上は五二・一%を占めることとなっており、ニューヨークの住宅問題は危機的状況にあるという(池田恒男・法律時報七〇巻一号九〇頁 なお、講座現代居住五一一三頁参照)。ホームレスが増大している大きな原因のひとつとして、所得水準の低い賃借人が期限に借家を追い出されることがあげられてもいる(ジョナサン・コザル「家のない家族」)。
このように、諸外国の例はむしろ住宅問題を市場原理にまかせてはならないことを示しているといえよう。
「調査会」案は、「住宅について保護すべき真の弱者・・・については、公営住宅への優先入居や公的住宅への斡旋などの支援を行う」とする。これは、規制緩和小委員会「光り輝く国をめざして」が、「真の弱者に対する施策は、公的な主体が住宅に関する施策全般の中でもこれを行うべきである」とするのと同一である。
しかしながら、わが国の住宅政策では公的住宅を従たるものとして軽視しており、このような政策下において弱者に対する適切な施策を実行することなどができるとはとうてい考えられない。前述のとおりわが国の公共住宅の比率は七%にすぎない。しかも九六年五月二四日に公営住宅法が「改正」され、これにより公営住宅の建設費補助が削減され、一般入居資格が制限されたうえに、公営住宅家賃に市場原理が導入されて民間家賃に近づけられることとなった。加えて、もう一方の公共住宅の柱である公団住宅においても、住宅・都市整備公団の民営化が唱えられ、その家賃に市場原理が導入されつつあるなど、公共住宅政策の後退は、はなはだしい。このような実態に目を覆い、弱者に対しては公的主体が施策すべきであると言い放つのは、全く無責任である。
また仮に、公共住宅拡大整備の政策がとられたとしても、現実に整備充実されるにはどれだけの期間がかかるであろうか。その間、「正当事由」制度を奪われた民間借家に居住する借家人は、ほぼ無権利の状態に置かれるであろう。このようなことはとうてい是認できない。
さらに、仮に将来、需要を上回る民間借家が供給されたとしても、定期借家により短期間で明け渡しを求められる借家人の不利益はきわめて大きい。既に述べたように、居住はただ単に寝泊まりするということではない。地域のコミュニティーに参加し、そこで生活の基盤を形成することである。契約期間ごとに明け渡しを求められ、移転するということでは、生活の基盤を形成することはとうていできない。また営業用賃貸借においても、長期間の営業があって初めて顧客の開拓、確保ができることになる。市場原理に基づき正当事由を廃止しようとする者は、このことを全く無視しており、明らかに不当である。
定期借家制度創設の問題は、一六〇〇万世帯にのぼる多くの借家人にかかわる問題であり、この多くの借家人にとって、定期借家制度の創設は、生活の本拠としての居住が、また営業、生業がどうなるかという問題である。多くの国民の生活の本拠、あるいは生業の基盤に関する現状の変更が、大きな社会問題を引き起こすことになるであろうことは、容易に予想されるところである。
そうである以上、定期借家制度創設の可否を検討するにおいては、創設の結果どのような事態が生ずるかについて、経済的にばかりでなく、政治的、法律的、社会的にも、検討されなければならない。
仮にもこの問題について単に経済的な観点からのみ検討することで足りるとするならば、これまで述べたように、それは全く一面的であり、将来に禍根を残すものとならざるを得ないのである。
また、定期借家制度創設の問題は、借地借家法という国民生活にかかわる基本的な法律の改正である以上、国民各界各層の意見を十二分に聞いたうえ、慎重な手続を踏んで取り組まれるべきものである。
ところで、この定期借家制度創設の問題点については、法務省民事局内に設置された「借地借家等に関する研究会」(座長野村豊弘学習院大学教授)が一九九五年(平成七年)六月から、鋭意、検討をすすめてきたところである。そして一九九七年(平成九年)六月には、同研究会が「借家制度等に関する論点」を公表して、中間的な検討経過を提示し、あわせて関係各界の意見照会を行ない、これに対し合計一一二団体から意見が寄せられ、同年一二月には、「借家制度等に関する論点」に対する意見の概要を公表しているところである。このように、現に幅広く国民の声を集約しようとの手続が進んでいるのである。
定期借家制度創設の問題を論ずる以上、少なくとも、右研究会の研究結果を踏まえた上で検討されるべきものである。
また、この問題のような国民生活にかかわる基本的な法律の改正については、さらに多くの意見を集約して多面的な検討を経るため法制審議会の審議を経たうえでなされるべきである。
ところが、自民党の「定期借家権等に関する特別調査会」は、財界・大企業の意向を受けて、大企業の利益の場に提供するために、一部経済学者の意見に基づき、定期借家制度を創設しようとしている。
また、その手続も、法務省の検討を待っていては時間がかかり過ぎるとして、しゃにむに議員立法での成立をめざしており、はたして、自民党の右特別調査会が、右法案作成に当たって、権利を侵害される危険のある借家人を含む真に国民各界各層の意見を充分に聞き、それらの意見を踏まえたか大いに疑問があるところである。
このように現在進められている「調査会」案による議員立法の動きは、国民の声に耳をふさぎ、専ら、『規制緩和』・『景気対策』の名のもと、ゼネコン業界の利益のために、借家人の居住・営業を危険に陥れ、国民の利益を踏みにじるものというほかなく、私たちは定期借家制度創設に断固反対するものである。