一九九八年四月「盗聴法」案に反対する!
─ 犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案に対する批判意見書 ─
自 由 法 曹 団
目 次
- は じ め に
- 一 盗聴法国会提出に至る経過
- 二 本意見書のポイント
- 第一 あらゆる電気通信が盗聴の対象となる
- 一 携帯電話・ポケベルも
- 二 第三者の通信設備も
- 第二 安易かつ無限定な盗聴を許す要件
- 一 盗聴令状の発布要件
- 二 組織的犯罪に限定されていない
- 1 別表の犯罪(盗聴対象犯罪)自体が広範
- 2 事前盗聴でますます無限定に
- 三 盗聴を拡張する仕掛け
- 1 令状主義を破る三つの盗聴
- 2 事前盗聴による拡張
- 3 予備的盗聴による拡張
- 4 別件盗聴による拡張
- 四 歯止の役割を果たせない要件
- 1 犯罪の嫌疑
- 2 数人の共謀
- 3 対象通信
- 4 代替手段(補充性)
- 第三 盗聴実施と濫用は背中あわせ
- 一 盗聴実施の仕組み
- 二 警察による盗聴はやりたい放題
- 1 建前は立会人の存在が原則
- 2 実際は密室が常態化
- 三 予備的盗聴の濫用は
- 四 別件盗聴の濫用は
- 五 盗聴記録の悪用を防止できない
- 1 警察も記録を持ちかえる
- 2 密かな情報蓄積
- 第四 盗聴の事実を知らされない市民
- 一 事後的チェックの不十分性
- 二 常でない傍受記録の作成
- 三 常でない当事者への通知
- 四 通知猶予期間の延長
- 第五 盗聴立法がもたらす害悪
- 一 マスコミの取材源秘匿への侵害
- 二 政治を歪める盗聴情報
- 三 労働組合、住民運動への牙
- 四 緒方宅電話盗聴事件は重大
- 1 警備警察が警察の中枢
- 2 警察は嘘をつきとおしている
- 五 違法盗聴防止の保障はない
- 1 密室の作業に脱法はつきもの
- 2 被害者に防御の術がない。
- 3 刑事罰も機能しない
- 六 アメリカにみる人権侵害の拡大
は じ め に
一 盗聴法国会提出に至る経過
去る三月一三日、政府は、盗聴法案=犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案を含む組織的犯罪対策三法案を、閣議決定の上、国会に提出した。
法務省が法制審議会に対し、盗聴捜査を導入するなどの「組織的犯罪対策立法」を諮問したのが、一九九六年一〇月のことであるが、暴力団等による薬物・銃器の取引やこれらの組織による不正な権益の確保を目的とした犯罪、オウム真理教事件のような大規模な凶悪事犯、会社などの法人組織を利用した悪徳商法等の大型経済犯罪など組織的な犯罪に対処するための法整備を必要とする、という理由による諮問であった。
法制審議会は、翌一九九七年九月、弁護士委員などの反対を押し切り法務大臣に答申した。
これを受けて、法務省は、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制などに関する法律案要綱骨子」、「刑事訴訟法の一部を改正する法律案要綱骨子」とともに、「犯罪捜査のための電気通信の傍受に関する法律案要綱骨子」(盗聴法案)を発表し、各党法務部会・法務委員会の理解を取り付けるため、レクチュアーを旺盛に行った。
しかし、右法案、とりわけ「盗聴法案」には、各界からの批判や立法化反対の声が、諮問当初から強く寄せられていた。本年二月上旬まで続けられた与党組織犯罪対策法協議会においても、社民党の反対によって与党内での合意に至らなかった。また、自民党の協議メンバーから盗聴法の法務省案に対する修正案が出され、与党協議のとりまとめの衝にあたった与謝野馨議員が、答申と異なる修正案を法制審議会に提示し、実質的な了承を受けるという異例の手続を踏んだ。
ところが、政府は、社民党の合意を得ることなく、しかも当初の法務省案をそのまま提出するに至った。
自由法曹団は、一九九七年七月に、憲法上(主には令状主義)の問題点及び立法理由の指摘を含む『盗聴立法に反対する意見書』(第一意見書)を、同年九月には警察の盗聴事件に見られる姿勢及び覚醒剤・銃器取締捜査の実態に照らした問題点と令状審査は濫用の歯止めとならないことを明らかにした『警察の実態などからみた盗聴立法(組織的犯罪立法)批判意見書』(第二意見書)を発表し、本年一月には盗聴法案の市民生活、マスコミの取材活動、議員活動、労働組合などの団体の活動などに与える影響を指摘しつつ、要綱骨子に沿ってその問題点を明らかにした『「盗聴法案」要綱骨子に対する批判意見書』(第三意見書)を、さらに三月には自民党の修正案を踏まえ自民党の修正によっても法案の問題が除去されないことを明らかにした『「盗聴法案」の 自民党修正意見を批判する』(第四意見書)を、それぞれ発表してきた。
二 本意見書のポイント
本意見書は、盗聴法案の国会に提出を踏まえ、法務省の盗聴法案要綱骨子を批判した右第三意見書に、必要最小限度の加除訂正を加えたものであり、あらためて、盗聴法案の市民生活、マスコミの取材活動、議員活動、労働組合などの団体の活動などに与える影響を指摘しつつ、盗聴法案の内容に沿ってその問題点を明らかにするものである。
以下、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(案)」を「盗聴法案」あるいは単に「法案」と略して説明する。(一九九七年一〇月一三日策定の「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案要綱骨子」は、「要綱骨子」と略称する。)
第一 あらゆる電気通信が盗聴の対象となる
一 携帯電話・ポケベルも
法案は、盗聴の対象となる通信を「電話その他の電気通信であって、その全部又は一部が有線(有線以外の方式で電波その他の電磁波を送り、又は受けるための電気的設備の有線部分を除く)であるもの又はその伝送路に交換設備があるものもの」と定義している(法案二条一項)。
有線の電話の外に携帯電話、PHS、ポケベル、ファクシミリ、コンピュータ通信(リアルタイムのパソコン通信の外に蓄積型の電子メールなどの通信を含む)などの電気通信がひろく盗聴の対象となる。要綱骨子では対象となる通信を、その全部又は一部が有線であることを要件としていたが、法案では、その一部が有線である必要はなく、「伝送路に交換設備があ」れば足りることとなった。要するに、交換機を通さない直接の無線交信(トランシバー方式)以外のあらゆる電気通信が盗聴の対象とされることが明らかとなった。
盗聴法案は、今日の社会において、便利で重要な意思伝達手段、表現活動手段となっている電気通信手段のほとんどを盗聴の対象とし、広く、国民各層が盗聴の対象者とされる仕組みをつくりだす。
二 第三者の通信設備も
さらに、盗聴の対象とされる通信設備は、犯人(被疑者)が電気通信事業者との契約に基づいて使用しているものに限らず、「犯人による犯罪関連通信に用いられると疑うに足りるもの」も含まれる(法案三条一項)。
犯人が所有したり、通常使用している電気通信に限らず、盗聴対象犯罪に関連する内容の通信をするために使われる通信設備との疑いがあれば、公衆電話であれ、犯人が出入りまたは送信したりする相手方の団体や個人宅の通信設備であれ、盗聴の対象設備となりうるのである。
この点からも、犯罪に関係のない人々の通信が盗聴の対象となる仕組みを有している。
第二 安易かつ無限定な盗聴を許す要件
一 盗聴令状の発布要件
法案は、盗聴令状発付の要件を、次のように定める(三条一項)。
- 以下に該当する場合において
- 別表に掲げる罪(盗聴対象犯罪)が犯されたと疑うに足りる十分な理由がある場合において、当該犯罪が数人の共謀によるものと疑うに足りる状況があるとき(1号)。
- 別表の罪が犯され、かつ、引き続き(イ)当該犯罪と同様の態様でこれと同一又は同種の同表に掲げる罪又は(ロ)当該犯罪の実行を含む一連の犯行計画に基づいて犯される同表に掲げる罪が犯されると疑うに足りる十分な理由がある場合において、これらの犯罪が数人の共謀によるものと疑うに足りる状況にあるとき(2号)。
- 禁錮以上の刑が定められている罪が別表に掲げる罪の実行に必要な準備のために犯され、かつ、引き続き当該別表に掲げる罪が犯されると疑うに足りる十分な理由がある場合において、当該犯罪が数人の共謀によるものであると疑うに足りる状況があるとき(3号)。
- 右1@ABに規定する犯罪の実行、準備又は証拠隠滅等の事後措置に関する謀議、指示その他の相互連絡その他当該犯罪の実行に関連する通信(犯罪関連通信)が行われると疑うに足る状況があり
- かつ、他の方法によっては、犯人を特定し、又は犯行の状況若しくは内容を明らかにすることが著しく困難であるとき
この場合に盗聴令状の発布を認める。
しかし、この要件に関しては、以下に指摘する問題がある。二 組織的犯罪に限定されていない
- 別表の犯罪(盗聴対象犯罪)自体が広範
別表にかかげられた盗聴対象犯罪は広範であり、組織的に行われるとはいえないものも多く含まれている。たとえば、現住建造物放火(別表一のハ)、汽車転覆(同ニ)、水道毒物等混入(同ホ)、逮捕監禁罪(同チ)などは、暴力団などによって「組織的に実行される」犯罪とはいえない。
法案は、組織的犯罪対策であることをアッピールするためか、「数人の共謀があるとき」を要件としている(法案三条一項)が、共謀は組織性を示すものとはいえない。法務省は、「数人」について「二人以上」であればよいと説明するし、「共謀」についても「関与した」程度で足りるとする。これを組織的犯罪対策というのは偽りの看板である。
- 事前盗聴でますます無限定に
さらに次の三(盗聴を拡張する仕掛け)で指摘するように、「事前盗聴」においては別表所定の犯罪は発生しておらず、将来の危険を盗聴の対象とするものである。別表所定の犯罪がいまだ実行にいたっていなくても、その準備がなされていると捜査当局に認識され、何らかの犯罪を犯せば、その段階で盗聴という強制捜査権限が発動されうるのである。
盗聴対象には事実上限定がない仕組みとなっている。三 盗聴を拡張する仕掛け
- 令状主義を破る三つの盗聴
捜査令状は、通常は、すでに発生した過去の犯罪の証拠の収集のために発布され、執行される。
しかし、盗聴法案では、事前盗聴捜査を容認する。さらに、該当性判断のための盗聴(予備的盗聴)、別件盗聴捜査をも認める。
- 事前盗聴による拡張
法案は、禁錮以上の刑が定められている罪が別表の罪の実行に必要な準備のために犯され、かつ、引き続き当該別表の罪が犯されると疑うに足りる十分な理由がある場合において、数人の共謀によると疑うに足りる状況があれば、盗聴を認める(三条一項3号)。
これを「事前盗聴」と呼ぶが、次の二点において批判を免れない。
- 捜査概念を逸脱
第一は、捜査の概念を逸脱する点にある。
刑事訴訟法において捜査は、犯罪が発生した後に行われることを前提としている(刑訴法一八九条二項)。
事前盗聴は、禁錮以上の刑が定められている犯罪は発生していることになるが、別表記載の盗聴の対象とする犯罪は未だ発生していないときに、なお強制捜査を可能とする仕組みである。これは、現行の捜査概念を逸脱するものである。
警察官職務執行法に根拠をおく行政警察活動は、犯罪の制止・予防を目的とする(警職法五条)ため、将来起こりうる犯罪を防止するために予め情報を収集することもある。これに対して、刑事訴訟法に根拠を置く司法警察活動は、過去又は現在の犯罪の嫌疑を前提とした証拠収集などの捜査を行うもので、行政警察とは明確に区別されている。
盗聴法案は、この行政警察活動と司法警察活動の区別を不分明にし、警察の治安・行政権限強化への途を開くものといえよう。
わが国の戦前の警察が「行政警察予防ノ力及バズシテ法律ニ背クモノアルトキハ其ノ犯人ヲ探索逮捕スルハ司法警察ノ任務トス」(行政警察規則四条)と、行政警察と司法警察を区分していたにもかかわらず、「公ヲを害スル虞アル者」との行政検束(行政執行法一条)の濫用、治安維持法の予防拘禁(治安維持法三九条一項)の多用など、行政警察と司法警察が一体となって広く国民の人権を侵害し続けてきた。
戦後は、行政警察権限を制限し、司法警察を中心としつつ、厳格な令状主義のもとでのみ強制捜査権限を警察に認めた。行政警察と司法警察の区別を曖昧にすることは、戦前の人権侵害の反省のうえに立って、行政警察権限を縮小し、予防的・探索的捜査を厳しく戒めてきた人権保障の歴史的意義を余りにも過小評価するものと言わざるをえない。
- 盗聴対象犯罪を無限に拡大
第二は、盗聴の対象となる犯罪が無限に拡大してしまう点にある。
盗聴対象犯罪の実行に必要な準備のために犯される禁錮以上の刑に当たる罪とは、刑法が定める罪の大部分である。ちなみに刑法上の罪で禁錮以上の刑に該当しない犯罪は、騒乱罪の不和随行者、多衆不解散罪の首謀者以外の者、単純失火罪、過失建造物侵害罪、変死者密葬罪、過失傷害・致死罪、侮辱罪しかない。ほとんどの罪が禁錮以上の刑にあたる。
これが、盗聴対象犯罪を一気に拡げる仕掛けになっていることは第二の二で述べたとおりである。
- 予備的盗聴による拡張
法案の一三条は、「傍受令状に記載された傍受すべき通信(傍受すべき通信)に該当するかどうか明らかでないものについては、傍受すべき通信に該当するかを判断するため、これに必要な最小限度の範囲に限り、当該通信の傍受をすることができる」とし、該当性判断のための盗聴を認める。これを「予備的盗聴」と呼ぶ。
盗聴捜査は、盗聴してみないと何を証拠として収集すべきかが判断できない、という本質をもっていることからくる問題である。つまり、盗聴捜査は、必然的に探索的捜査にならざるを得ないという性格を示している。
「必要な最小限度の範囲に限り」といっても、これを判断するのは、盗聴捜査を実行する警察官らであり、彼らが盗聴捜査の実施の着手後に「必要な最小限度の範囲」と認識すれば、該当性判断の名目でいくらでも盗聴することが可能となる危険がある。裁判官もこれをチェックすることはできない。
- 別件盗聴による拡張
法案一四条は、「令状による盗聴を実施している間に、傍受令状に被疑事実として記載されている犯罪事実以外の犯罪であって、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮に当たるものを実行したこと、実行していること又は実行することを内容とするものと明らかに認められる通信が行われたときは、当該通信を傍受できる」とする。これを「別件盗聴」と呼ぶ。
憲法三五条が求める令状主義は、@捜索場所と押収目的の特定を求め(特定の要請)、A裁判官の発する個別の令状を要求する(個別令状の要請)。別件盗聴は、裁判官のチェックを経ない盗聴であり、憲法の求める令状主義を満たさない。犯罪を一定のものに限定しているが、証拠としての価値や必要性に何らかかわりなくすべて盗聴を認める点で限定がない。四 歯止の役割を果たせない要件
- 犯罪の嫌疑
法案は、犯罪の嫌疑として「疑うに足りる十分な理由」とする(三条一項1〜3号)。
盗聴による人権侵害の重大性に照らすと、被疑事実の「明白性」が必要である。
たとえば、検証令状による電話盗聴を合憲とした甲府地方裁判所判決は、「令状発布時は被疑者氏名は特定できなかったが、被疑事実自体の嫌疑は明白だったこと」を合憲の理由としてあげている。この裁判例に照らしても、「疑うに足りる十分な理由」とする法案の嫌疑の要件は緩やかにすぎる。
- 数人の共謀
「数人の共謀があるとき」の要件は、要件としての意味をなさないことは第二の二で説明したとおりである。
- 対象通信
法案三条一項は、「犯罪の実行、準備又は証拠湮滅等の事後措置に関する謀議、指示その他の相互連絡その他当該犯罪の実行に関連する事項を内容とする通信」という。しかし、犯罪関連通信とは何を指すか必ずしも明らかでない。裁判官も判断が困難である。結局のところは捜査機関が関連するといえば、そのようになるという運用がなされる可能性が高い。
- 代替手段(補充性)
法案は、「他の方法によっては、犯人を特定し、又は犯行の状況若しくは内容を明らかにすることが著しく困難であるとき」を要件として掲げる(三条一項)。 しかし、「代替手段がない」ことが最低限求められるべきである。
わが国の裁判所の令状チェックの形骸化実態に照らすと、よほど厳格な条件を要件としないと、令状請求が事実上フリーパスになる危険性を払拭できない。なにしろ、一九九五年度の統計で、地裁・簡裁への捜索差押の請求件数は全国で三七万八一〇六件あったが、このうち却下件数は僅か四六四件で〇・一二%にすぎない。現職の裁判官も「裁判官の令状審査の実態に多少なりともふれる機会のある身としては、裁判官による令状審査が人権擁護のとりでになるとは、とても思えない。令状に関しては、ほとんど、検察官、警察官の言いなりに発布されているというのが現実だ」(一九九七年一〇月二日付朝日新聞)とその実態について述べている。
前記甲府地方裁判所判決は、「暴力団組織による転送電話を利用した非対面方式の密売の解明と検挙には電話通話の検証が捜査上必要不可欠だった」と、「不可欠」であったことを、合憲の理由としてあげる。法案の「補充性」、すなわち、「他の方法によっては、犯人を特定し、又は犯行の状況若しくは内容を明らかにすることが著しく困難であるとき」との要件は、過去の裁判例よりも大きく後退したものとなっている。
アメリカ連邦法は、補充性について「通常の捜査手続きが試みられたが失敗に終わったこと、通常の捜査方法では成功する見込みがないと考えられる合理的理由があること、又は通常の捜査手続きでは危険と考えられる合理的理由があること」を要件とする。これとの対比で見ても、法案の要件ははるかに緩やかである。
なお、アメリカ連邦法では、盗聴許可申請に際し、捜査機関が宣誓のうえ、右に定める補充性の要件を示す詳細な陳述書(書面)の提出が必要とされている。
通信の傍受は、通信の秘密、プライバシー権との対抗関係にあるわけだから、通信傍受でなければ証拠収集が不可能というほどの要件が必要であろう。
第三 盗聴実施と濫用は背中あわせ
一 盗聴実施の仕組み
法案は、@盗聴の実施及び立会に関する規定(九〜一二条、一六〜一八条)、A予備的盗聴(該当性判断のための盗聴)に関する規定(一三条)、B別件盗聴に関する規定(一四条)、C記録の作成・複写・消去に関する規定(一九〜二二条)等盗聴の実施に関する規定をおいている。
以下において、法案の構造が、濫用を防止するのは、盗聴を実際に行う機関である警察と警察官の「善意と良心」に期待せざるをえないものとなっていること、その結果、国民のプライバシーが、いとも容易に侵害される非常に危険な法案であることを明らかに
する。二 警察による盗聴はやりたい放題
- 建前は立会人の存在が原則
警察は、盗聴を行うにあたって、「通信手段の傍受を実施する部分を管理する者又はこれらの者に代わるべき者に」傍受令状を呈示する(法案九条)。具体的にはNTTのしかるべき管理者に令状を示したうえで盗聴を実施することになる。盗聴のためには録音機等を通信設備(交換機)に接続しなければならない(法案一〇条)のであるが、その際、NTTの職員の協力を求めることができ(協力義務)、この求めに対し「正当な理由」なく拒んではならないとされる(法案一一条)。
- 実際は密室が常態化
法律により通信の秘密を守るべき義務を負った通信事業者に、協力義務を負わせることが果たして妥当か、これを拒否した場合に罰則が科される危険はないのか等の問題が生ずるが、最大の問題点は、立会に関する規定が決定的に不十分であり、警察による実際の盗聴を監視し、これをコントロールする者がだれもいないという点にある。
立会人は、@通信設備の管理者又は、Aこれに代わるべき者である。さらに、これらの者の立会ができないときには、B地方公共団体の職員を立ち会わせなければならないとする(法案一二条一項)。しかし、本来的な業務を抱える管理者やその代行者が立会人となるかはおおいに疑問である。結局はBの地方公共団体の職員、具体的には消防署職員を立会人とすることになる可能性が高い。裁判所の令状によって実際に盗聴が行われた甲府と旭川の事件ではNTTの職員は立ち会わず、消防署職員が立会人となっている。
さらに、例外として立会いを免除していることは大問題である。法案一二条二項は、盗聴の開始・中断・終了及び記録媒体の交換時を除き、「やむを得ない事情があるとき」立会人がいなくてもよいことにしている。つまり、記録媒体交換時等を除き、立会人不在の、警察官しかいない時間帯が生まれ、その間は警察官の「善意と良心」によってしか、通信の秘密、国民のプライバシーは守られないことになる。
昨年一〇月三〇日に行われた自由法曹団他の主催による「盗聴法反対集会」において現場のNTT職員から、一つの交換機には約一〇万の電話回線が集中していること、都内一〇〇カ所の交換機のうち一割は、夜間まったく無人となることなど、実際、盗聴が行われるであろう通信設備の現場の実情が明らかにされた。このような現場で、警察が最大三〇日間二四時間ぶっ通しで盗聴を行うのである。NTT職員のいない夜間、立会人も立ち会わない時間帯に一〇万世帯の電話等の回線が、警察官の面前に無防備に晒されてしまうことになる。
緒方日本共産党国際部長宅盗聴事件において裁判が確定した後も、盗聴の事実を認めようとしない警察が、誰も監視する者のいない現場で、違法な盗聴を行わないという保障はどこにもないのである。まさに警察のやりたい放題を事実上容認する法案である。
三 予備的盗聴の濫用は
法案一三条は、該当性判断のための盗聴、いわゆる「予備的盗聴」を認める。即ち、傍受実施中に、令状に記載された傍受すべき通信に該当するか明らかでないものについては、該当するかどうかを判断するために、傍受できるとする。
ここにとにかく聴いてみなければ判らないという盗聴の危険性が端的に現れている。国民の基本的人権を守るために、捜査の必要性がある場合であっても警察権力による侵害の範囲は明確に特定的でなければならず、何かないかと根こそぎ嗅ぎ廻る捜索、一般的・探索的捜索を憲法三五条は禁止しているのであるが、予備的盗聴はこの憲法三五条の趣旨に真っ向から反する。
確かに、法案は「必要な最小限度の範囲に限り」傍受できると、一応は限定を加えてはいる。しかし、立会人による切断権等は認められておらず、「必要最小限度の範囲」か否かの判断は、運用上は警察の判断に全面的にまかされる。そして、警察は、ともかく聴いてみなければ「必要性」すら判断できないということで、結局は全部を傍受(盗聴)するということにならざるをえない。しかも事後においてチェックを行い範囲を逸脱した場合に、盗聴を実施した警察や警察官に対する何らかの制裁があるのかといえば、そのような制度は全く予定されていない。後に詳しく述べるように、結局は犯罪に関係していなかったとして「傍受記録」が作成されなければ、盗聴の事実それ自体が表に出ることはなく、闇に葬られてしまうのである。
四 別件盗聴の濫用は
盗聴の範囲を大きく拡大するものとして、別件盗聴があることは第二の三で述べた。
裁判官による違法盗聴の抑制がどの程度実効的に行われるかそれ自体大いに疑問のあるところであるが、この別件盗聴は、令状を全く必要としない盗聴を認めるものである。いわば盗聴実施者=警察の「善意と良心」に盗聴権限を白紙委任するに等しいものであり、憲法三五条の令状主義原則に違反する疑いがきわめて強く、弁護士会その他からも違憲の疑念の表明されているところのものである。
五 盗聴記録の悪用を防止できない
- 警察も記録を持ちかえる
盗聴を実施した場合、これを録音その他の方法で記録することになるが、先ず、法案が予定する盗聴記録の作成・複製・消去についての流れを、電話盗聴を例に概観しておく。
先ず、電話を盗聴したならば、それをテープに録音する(法案一九条一項)。この録音されたテープが「傍受の原記録」となる。
同時に、後に作成される裁判用の記録(「傍受記録」と言う。要綱骨子では「刑事手続用記録」と呼ばれていたものである。)を作るために、盗聴の際にもう一台録音テープを回すことができる(一九条一項後段)。これによって録音されたテープを、仮に「同時記録」と呼ぶこととする。
このうち「傍受の原記録」は、立会人によって封印されたうえで(二〇条一項)、裁判所に提出される(二〇条三項)が、「同時記録」の方は警察が持ち帰ることになる。
また、盗聴時に同時に二台の録音機を使用しない場合には、「傍受の原記録」を封印する前に「傍受記録」を作るためのコピーをとることができる(二〇条二項)。これを仮に「複写記録」と呼ぶこととする。
「同時記録」か「複写記録」かは別にして、「傍受の原記録」以外に、「傍受記録」を作成するためのテープが警察の手に一本残されることになる。 警察は、盗聴終了後すみやかに、右の「同時記録」(一九条一項後段)あるいは「複写記録」(二〇条二項)をもとに「傍受記録」を作る(二二条一項)のであるが、その方法は、「同時記録」や「複写記録」から以下の@〜Cを残し、それ以外を消去して作成することとされている(二二条二項)。
- 傍受すべき通信に該当する部分
- 一三条二項の規定により傍受した通信(外国語による通信又は暗号など、傍受すべき通信に該当するかどうか判断することができないものはすべて傍受できる)であって、なお、その内容を復元するための措置を要するもの
- 一四条の規定により傍受した通信(「別件盗聴」として通信の傍受が認められた通信)および一三条二項の規定により傍受した通信であって一四条に規定する通信に該当すると認められるにいたったもの
- @からBまでに掲げる通信と同一の通話の機会に行なわれた通信
尚、その際、「同時記録」「複写記録」そのものから消去該当個所を消していく(その結果その部分は何も録音されていない空白部分となる)のか、残す部分だけのテープを新たに編集し直すのかについての議論は、少なくとも法制審の場においてはなされていない。(ジュリスト一一二三号一〇八頁での渡邉一弘法務省刑事局法制課長の発言)
- 密かな情報蓄積
このように、盗聴が実施された場合、何本かのテープ、いくつかの記録が生まれるのであるが、これらの記録がどのように使われるかについて盗聴法案は、警察組織や警察官個人によるの目的外使用、濫用を抑制するための有効な手段を用意してはいない。ここでもひたすら警察の「善意と良心」に頼るしかないのである。 確かに、法案は、傍受記録に記録されたもの以外は、消去しなければならないと定め(二二条四項)、その内容を他人に知らせてはならないとの禁止規定が存在する(二二条五項)。
しかし、これを保障する制度は全く存在せず、右規定に違反した者に対する処罰規定すら用意されていないのである。警察が持ち帰った「同時記録」や「複写記録」をさらに複写する危険性を防止する制度もなければ、傍受記録作成後の消去が確実に行われたかの検証を確実にする制度も予定されてはいない。盗聴を行うに際して取ったメモを確実に廃棄したか否かを確認する監視者はいないのである。
警察が、密かに複写・ダビングした記録を保持する可能性をなくするための客観的保障手段がない以上、警備情報としての価値ある情報、あるいは政治的な情報、スキャンダル情報の記録が密かに警察に管理され続けることの危険は現実的である。
仮に、右のような禁止規定によって、盗聴記録の違法な利用が抑制されると考えることは、あまりにも警察の実態を見ないものと言わざるをえない。警察とは、緒方盗聴事件において今もなお否認を貫き通している組織・集団なのである。
自由法曹団は、『警察の実態などからみた盗聴立法(組織的犯罪立法)批判意見書』(一九九七年九月・第二意見書)において、「盗聴が合法化されて警察が盗聴の権限を握ったらどうなるだろうか。警察は『実績』をあげるために盗聴立法を最大限に活用して盗聴を行うだろう。盗聴立法がどのような要件をもうけても、盗聴を現実に実行する警察の盗聴行為を完全にコントロールすることは不可能だ。それこそまたもや『実績』をあげるための、要件に該当しない違法な盗聴がまかり通ることになり、それに歯止めはきかない。裁判所の言うことも、検察庁の言うことも、国会や地方議会の言うことも、極力聞かないで押し通してきた警察。犯罪行為や違法捜査すら敢えて実行するダーティな警察。こんな警察に盗聴の権限を与えたら、その被害は計り知れない。」と述べた。このことは、何度強調されても強調されすぎることはない。
第四 盗聴の事実を知らされない市民
一 事後的チェックの不十分性
盗聴法案の重要な問題点のひとつとして、捜査機関による「盗聴捜査」の事実が、盗聴された当事者にどのように告知され、「盗聴捜査」に対して事後的チェックがなされる保障がどの程度果たされているかが、極めて大切である。
法案は、この点で極めて不十分であり、盗聴に対する事後的チェックがほとんどなされないと言わざるを得ない。
法案では、「検察官又は司法警察員は、傍受記録に記録されている通信の当事者に対し、傍受記録を作成した旨及びこの法律に定める事項を書面で通知しなければならない」(二三条)としている。
二 常でない傍受記録の作成
前記第三の五で説明したとおり、法案によると、「傍受記録」が作成されるのは、である。Aは記録として、全く価値のないものであるが、法案によると、「傍受記録」が作成されることになる。
- 傍受した通信の中に被疑事実等が含まれる場合(二二条二項1〜4号)、
- 傍受の実施にあたり、録音テープを二本とったが、全く被疑事実等(二二条二項1〜4号)が含まれず、すべて消去されたテープが存在する場合、
「傍受記録」が作成されない場合もある。それは、「傍受の実施」にあたり、裁判官に提出するための録音テープが一本しか作成されず、その傍受した通信のなかに、被疑事実等が全く含まれず、「二二条(傍受記録作成)の用に供するため、複製を作成」する必要がない場合である。
三 常でない当事者への通知
次に、通信の当事者に対して書面で通知される場合はどのような場合か、が問題となる。
法案では、「傍受記録に記録されている通信の当事者」に対して、書面で通知することになっている(二三条一項)。「傍受の実施が終了したのち三〇日以内にこれを発しなければならない」(二三条二項本文)としている。ただし、「前項の通知は、通信の当事者が特定できない場合又はその所在が明らかでない場合」は必要はないことになっている(二三条二項本文)。
通知が行われないのは、以下の@〜Bの場合である。
すなわち、犯罪事実と無関係な会話が盗聴された場合には、傍受の原記録(裁判官が原則として五年間保管する。二〇条三項、二七条)は残るが、傍受記録が作成されないため、通信の当事者への事後通知は全くなされないことになる。この場合は、捜査機関の「盗み聞き」がなされたまま、「聞きっぱなし」のまま、捜査機関が合法的に『情報を取得』できることだけが保障される。
- 傍受記録が作成されない場合、
- 傍受記録に記録されている場合でも通信の当事者が存在しない場合(すべて消去された場合)、
- 傍受記録に記録されている場合でも、通信の当事者が特定できない場合又はその所在が明らかでない場合、
アメリカの盗聴捜査の実態について、レナード・W・リービ氏はその著書『最高裁の逆流』(ぎょうせい)において、「一九六九年から一九七二年までの丸三年の間に七万三、〇〇〇人の人々が百万以上の会話を盗聴されたが、このうち七万二、〇〇〇人は無実、もっと正確にいえばいかなる犯罪についても無実であった。」と述べている(一六九頁)。九八・六%の無実の人の会話が盗聴されたことを指摘する。盗聴という捜査手法が、「犯罪の通話を特定」し、その通話だけを取り出して盗聴することが本質的に不可能であることを物語っている。アメリカの盗聴の要件は、「通常の捜査手続が試みられたが失敗に終わったこと、通常の捜査手続が成功する見込みがないと考えられる合理的理由があること、又は通常の捜査手続は危険と考えられる合理的な理由があること」という厳格なものであるが、そのような厳格な要件のもとで行われても、このような実態である。盗聴法案の要件は、「他の方法によっては、犯人を特定し、又は犯行の状況若しくは内容を明らかにすることが著しく困難であるとき」としており、アメリカの要件に比べても緩やかであり、無実の人の会話の比率が増加することが容易に予想される。
その圧倒的多数の無実の人に対する「事後的通知」はなされないのである。プライバシーについてリービ氏は、続けて「無実の人間は電話傍受や電子盗聴されても恐れることはないというのは、有罪とされることがないということを意味する限りでは正しい。しかし、これではプライバシーの価値をきわめて低く評価することになる。この議論はまた、盗聴された私事のことで悩まされ、脅迫すら受けるという可能性をも無視している。」(同書一六九頁)と指摘する。
四 通知猶予期間の延長
さらに、通信されるべき当事者に「三十日以内」に通知するということについても、例外が定められていることは問題である。
「ただし、地方裁判所の裁判官は、捜査が妨げられるおそれがあると認めるときは、検察官又は司法警察員の請求により、六〇日以内の期間を定めて、この通知を発しなければならない期間を延長することができる」(二三条二項)としている。
この通知期間の延長措置の規定は、@期間延長事由が曖昧である、A延長できる期間が六〇日にも及ぶことから、当事者への通知が遅れることになり当事者の防御権が侵害され、捜査が優先され濫用の危険がある問題点が指摘できる。
第五 盗聴立法がもたらす害悪
通信手段が高度に発達した現代社会においては、通信の秘密と自由は、市民ひとりひとりの思想・良心の自由や表現の自由にとって不可欠な権利であると同時に、さらには国民の知る権利にこたえる表現活動や民主主義の基盤である政治活動の自由にとって不可欠なものとなっている。一 マスコミの取材源秘匿への侵害
マスコミの取材の自由も、憲法上の権利としての報道の自由を支えるものとして十分な尊重に値するものとされている(最高裁昭和四四年一一月二六日博多駅フィルム事件)。
法案一五条では、医師、弁護士など特定の職にある者との間の通信で「他人の依頼を受けて行なうその業務に関すると認められるときは、傍受をしてはならないものとする」とされているが、この禁止対象にはマスコミが含まれていない。
そうすると、第一に、マスコミが傍受対象被疑者の契約通信設備に通話したときには、その通信内容は全部盗聴の対象となりうる。第二に、犯人が、ある特定のマスコミ会社の通信設備に、犯罪関連の情報を提供してくるという状況があったときには、そのマスコミ会社自体の通信設備も盗聴の欲求の対象となる。そして、法案三条一項の「特定された通信の手段であって、・・・・、又は犯人による犯罪関連通信に用いられると疑うに足りるものについて、これを用いて行なわれた犯罪関連通信の傍受をすることができる」に該当するという解釈によってマスコミ会社の電話が盗聴の対象となりうるのである。
マスコミの取材源が知らないうちに警察に捕捉されてしまうということでは、マスコミの電話に安心してかけられないということになる。このことがもたらす萎縮効果がたいへん危惧される。
ベテランの新聞記者は、この法律ができると、歴史的・経験的に調査報道のきっかけとなってきた深夜の電話による内部告発(いわゆる「たれ込み」)がまずなくなるだろう、取材源秘匿の保障のなくなる社会は、当事者からの情報の提供を減少させ、報道の衰退を益々加速化させて、国民は官製報道しか受け取れなくなってしまうことを指摘し、警鐘を鳴らしている。
二 政治を歪める盗聴情報
- アメリカでは、最近包括的なテロ対策法案がいくつも連邦議会に提案された。
そのなかには、盗聴権限の拡大も提案されたが、共和党の反対もあって、削除された。FBI作成の秘密ファイルのなかに、共和党関係者のファイルが多数含まれている事実が判明したからである。このファイルは、大統領に対するテロ対策を口実に情報を収集したものであった。盗聴はその性質上、合理的な限界設定がきわめて困難であり、テロリストや犯罪組織に対象が絞られるという保障がきわめて弱い。反対派に関する情報が警察によって収集され、政治的に悪用される恐れがあるというのが共和党側の反対理由であった(斎藤豊「アメリカは盗聴を拡大したかーアメリカのテロ対策法」法学セミナー一九九七年三月号)。
- わが国においても一九八六年一一月二七日、日本共産党の緒方靖夫参議院議員(当時国際部長)の自宅の電話が警察によって一年半にわたって継続的に盗聴されていたことが発覚した。緒方議員と家族が提訴した国家賠償裁判で、一九九七年六月二六日、東京高等裁判所は、神奈川県警警備部公安一課の所属警察官による組織的盗聴であり、国際情勢や政党の党務に関する事項を内容とする通話が盗聴にさらされ、更には録音されていたことが推認されると認定した。そして盗聴され記録された情報は、神奈川県警から警察庁に報告されていたと認定した。
緒方靖夫氏に対する盗聴は許される余地のない政治盗聴である。前述のアメリカでのFBI秘密ファイルの件やウォーターゲート事件を引き合いにだすまでもなく、権力の情報収集手段としての盗聴には政治性・謀略性がつきまとうのである。盗聴手段で得られた情報は政府のみならず、警察庁との関係の深い特定の国会議員に集中される。他の政党や議員の弱み、秘密を握った特定の政党や議員が、他の政党や議員を陰に陽に攻撃する材料に使用したり、歪んだ政治力を及ぼして、政治過程を支配していくことにつながる。
三 労働組合、住民運動への牙
法案は盗聴対象犯罪に逮捕監禁罪を含める(別表一のチ)。この罪の法定刑は三ヵ月以上五年以下の懲役刑で、とりたてて重い犯罪でないにもかかわらずである。
労働組合の団体交渉、会社や社長宅への要請行動、業者団体、市民団体の当局・自治体交渉等のなかで、逮捕監禁があったとして盗聴令状が発布されるおそれがある。
まず、交渉行動が通常の労働組合運動の範囲内の正当行為として許されるような場合であっても、警察が一方的に犯罪とみなして被疑事実に書けば、裁判官は事実上チェックできず、歯止めがきかない。
さらに事前盗聴のしかけを活用すると、逮捕監禁等の準備行為として、労使紛争の刑事事件の会社側証人を威迫した、社長宅に不法侵入した、脅迫・強要・名誉棄損した、解決金をよこせと恐喝した、等といった犯罪が犯され、引き続き逮捕監禁等が犯される疑いありと、警察が一方的に認定して被疑事実に書けば、それが正当な言動であっても発令されてしまうだろう。
第四で指摘したとおり、当事者への通知がなされる場合が限定され、なされる場合にも三〇日以内にすれば足りる、さらに遅れてもよい例外を認める。盗聴令状は、逮捕令状・捜索令状などと異なって、当事者のチェックの機会がないか、相当に遅くなりうるので、気軽に令状請求され、容易に執行される危険性が大きい。四 緒方宅電話盗聴事件は重大
法務省は、緒方議員の盗聴事件は公安情報部門にかかわるものであり、いま検討している法案は犯罪捜査にかかわるものであり、まったく別問題であることを強調する。
しかし、その指摘内容はまったく観念的であり、何ら盗聴立法の危険性を除去する議論となりえていない。
- 警備警察が警察の中枢
わが国の警察組織は警備公安情報収集担当部門と捜査刑事部門の双方を包摂している。そして、警備警察部門が警察の中枢に位している。このことは歴代警察庁長官は警察庁警備局長経験者から任命されることが定着してきていることに典型的に表れている。警備関係の役職者は各県警本部においても他の部署の役職者よりも階級の高いものが就任するのが一般化されている。
しかも、こうした警備情報収集活動と称する国民監視活動が専従警備警察官だけの職務ではなく、全警察官に基本的任務のひとつとして職務化されている。たとえば、外勤警察官に対しても、緊急事態に対処するいわゆる急訴事件にあたってさえ、「被害者、加害者またはその家族に警備対象者がいないかどうか」「現場に遺留されたもののなかに警備関係資料などがないか」などに着眼せよと教育している(「警察学校講師用初級講義録」)のである。
事件捜査の過程であるいは捜査に藉口して警備情報収集の手段として盗聴が行なわれないとの保障は何もない。
- 警察は嘘をつきとおしている
緒方宅電話盗聴事件の犯人が現職警察官であることが社会的に明らかになってきた時期の昭和六二年五月七日、山田英雄警察庁長官(当時)は参議院予算委員会において「警察におきましては過去においても現在においても電話盗聴ということは行なっていない」と答弁した。以後、警察は組織をあげて、刑事捜査手続きにおいても、国家賠償裁判においても完全否認をとおした。東京高等裁判所が一審判決に続き、警察官による盗聴であることを認め、その判決が確定した後も、警察は、なお警察がやったものではないと居直り続けている。
わが国の警察は盗聴に関する犯罪・違法行為を犯したときには、それが司法手続きによって証拠認定されたとしても、絶対に事実を認めない頑迷な体質をもっているということである。
この体質をもった警察に、新たに合法盗聴の武器を与えることは実に危険なのである。五 違法盗聴防止の保障はない
警察権限の拡大は常に濫用の危険と背中あわせにあり、濫用のチェックと違法行為の防止、被害救済を迅速・適切に行なえるかどうかが厳しく問われなければならない。
この点で、盗聴立法は重大な欠陥がある。
- 密室の作業に脱法はつきもの
法案の九〜一八条で、実施段階における要件を定めている。しかし、前記第三で指摘したとおり、脱法行使が行なわれることがないとの保障はない。被疑者に対し令状提示がなく、密室で行なわれる作業だけに、頼るは警察の「良心」しかなく、客観的な保障手段はないのである。
- 被害者に防御の術がない。
緒方宅電話盗聴事件で東京高等裁判所は、盗聴の被害の甚大さについて「電話回線の傍受による盗聴は、その性質上、盗聴されている側においては、盗聴されていることが認識できず、したがって、盗聴された通話の内容や、盗聴されたことによる被害を具体的に把握し、特定することが極めて困難であるから、それ故に、誰との、何時、いかなる内容の通話が盗聴されたかを知ることもできない被害者にとって、その精神的苦痛は甚大である」と指摘した。
電話による会話は通常会話当事者間では特に記録も残されないで行なわれるので、盗聴された当の本人は、後で盗聴された事実が判明しても、どのような内容の会話が盗聴されてしまったのかについて記憶を喚起し把握することは著しく困難である。当事者も忘却してしまった会話情報が警察の記録に存在するということについては、だれもが嫌悪感を高めるのではなかろうか。近時プライバシー権を、個人情報の自己コントロール権として理解することが有力であるが、この観点からも看過できない。
- 刑事罰も機能しない
法務省は、違反については刑事罰が課せられるから防止になると説明し、さらに、法案三〇条で、警察が犯した電気通信事業法一〇四条一項及び有線電気通信法一四条一項の罪ならびにこれらの罪の未遂罪を刑訴法二六二条の付審判請求の対象とするという配慮もしたことを強調している
。 しかし、公訴権の運用の実態をみれば法務省の説明は空手形にすぎないことが明らかである。
- 緒方宅電話盗聴事件では、警察官の電気通信事業法違反・有線電気通信法違反の犯罪が証拠によって明らかになったにもかかわらず、検察は、それが警察の組織的犯罪であることを理由に、犯人全員を不起訴処分にしてしまった。検察は、正義・公正よりも、捜査における警察との「車の両輪」の必要性に重きをおくという選択をしたのである。
緒方事件に限らず、検察は警察の犯罪に対しては一般人に比し、甘い対応をしていると批判されている。
- 刑訴法の付審判請求は、検察が公務員の職権濫用罪について不起訴にしたときに、被害者が裁判所に起訴するかどうかを審判してもらう手続きである。法務省が、法案で通信の秘密侵害罪について付審判請求の対象にすることにしたのは、緒方宅事件での批判を考慮したうえでの手当てである。
しかし、付審判請求の手続き自体は、残念ながらわが国の司法のなかでほとんどその機能を果たしてきていない。公開手続きでなく、被害者にとって活用がたいへん困難である。何よりも証拠収集の壁につきあたる。事件発生初期の段階で、強制捜査権限をもつ検察が、警察官の犯罪の捜査を熱心に行なわないと、ほとんど証拠がない。被害者の力では刑事裁判を維持するに足るだけの証拠を収集することは不可能なのである。
検察が、警察の職務上の犯罪に対し厳正な捜査権・公訴権を行使しないことが憂慮される以上、刑事罰の保障の手段にはなりえない。六 アメリカにみる人権侵害の拡大
- 第四で紹介したが、アメリカの盗聴捜査の実態について、「一九六九年から一九七二年までの丸三年の間に七万三、〇〇〇人の人々が百万以上の会話を盗聴されたが、このうち七万二、〇〇〇人は無実、もっと正確にいえば、いかなる犯罪についても無実であった(レナード・W・リービ『最高裁の逆流』)。
盗聴は、その性質上不可避的に、犯罪と無関係な多数の人々のプライバシーを侵害する捜査方法であることを物語る。
- さらに、立法により盗聴を合法化することは益々違法な盗聴を助長させるという関係にある。
わが国では、過去、日本共産党が摘発した同党関係者に対する電話盗聴および会話盗聴は三〇件を超える。日本共産党はそのほとんどの犯人が警備公安警察によるものと推定しており、うち具体的な証拠で特定できたのは昭和二六年に発生した新潟十日町事件と前述の緒方宅電話盗聴事件である。その他労働組合などに対する会話盗聴器が発覚したものがある。最近はオウム関係者による盗聴器仕掛け、ゴミ処分場問題をめぐる事件での電話盗聴器の発覚などが摘発されている。興信所社員による盗聴器工作も時々検挙されている。盗聴立法をもたないわが国においてもこのように不法盗聴が増加している事態は由々しき問題である。
しかし、アメリカでの実情を知るとその深刻さには格段の差がある。アメリカ自由人権協会の発行した「プライバシーの権利」(教育史料出版会、一九九四年初版発行)は、一九八〇年代、シンシナティーで、「地方警察とシンシナティ・ベル社の保安責任者が共謀して、一二〇〇もの多数にのぼる非合法盗聴を地方議員や地方の政治家、実業家、国防省のおもな契約企業、さらにジェラルド・フォード大統領、ジャーナリスト、政治運動家に対して行なっていた。この事件はシンシナテイの連邦大陪審段階で調査中である。・・プライバシー・タイムズ紙によれば、一九八〇年代の非合法盗聴の事例は、ピッツバーグ、ニュー・ヘブン、ロングアイランド、ヘーガーズタウン(メリーランド州)、サクラメント、ロサンゼルスなどでも表面化した」と告発している。
盗聴合法化立法をもつ国では、通信の秘密に対するモラルが低下し、非合法盗聴にも歯止めがかからなくなってしまう。