<<目次へ 【意見書】自由法曹団


1998年10月26日

21世紀の司法の民主化のための提言案

―財界や自民党のめざす司法改造か、国民のための司法の民主化か

司法の民主化のために、広く国民的議論を

 私たち自由法曹団は、一九九八年一〇月に長野にて開催された総会で「二一世紀の司法の民主化のための提言案ー財界や自民党のめざす司法改造か、国民のための司法の民主化か」を採択しました。
 この提言案は、一年余りにわたる団内の討議をふまえてまとめられたものですが、各界各層にご提案のうえ、議論をしながら国民的支持を得たよりよい提言に練り上げていきたいと考えています。同時に、司法がかかえる様々な課題についての運動もすすめていきたいと思います。
 そこでぜひ、本提言案についてご感想やご意見をお寄せ下さるとともに、国民的議論を巻き起こすことにご助力下さるようお願いいたします。

自 由 法 曹 団
東京都文京区小石川二ー三ー二八
DIKマンション小石川二〇一号
電話 〇三ー三八一四ー三九七一
FAX〇三ー三八一四ー二六二三

各 位


目   次
第一 わが国の司法の深刻な現状とその改革の方向
一 日本国憲法のもとでのあるべき司法と弁護士自治の重要性
二 わが国の司法の深刻な現状とその原因
三 人権をまもり発展させる国民と自由法曹団のとりくみ
四 日本社会の深刻な危機と、財界・自民党の司法改造の提言
五 日本の司法の改革の方向 ―今こそ国民のための司法の民主化をめざすとき
第二 司法の民主化のための抜本的な改革の内容
一 判事補制度の廃止と法曹一元制度の実現
二 国民の司法参加の実現 ―陪審制度を基本に
三 裁判を受ける権利の経済的保障と司法予算の大幅な増大
四 抜本的な制度改革を支える法曹人口の大幅な増大
第三 司法の民主化のための討議と国民運動を

第一 わが国の司法の深刻な現状とその改革の方向

一 日本国憲法のもとでのあるべき司法と弁護士自治の重要性

  1. 私たちの社会生活が憲法の理念や法律の正しい解釈に基づいて公正に営まれ、発生した法的紛争もこの考え方に基づいて解決され権利がまもられることは重要ですが、もし法的紛争が話合い等で解決しない場合、日本国憲法はすべての国民に裁判を利用する権利を保障しています。その場合、裁判所が身近で利用しやすく、安い費用で利用でき、日本国憲法のもとで保障されている基本的人権が、早く正しくまもられる司法にする必要があります。
     また司法は、三権分立のもとで違憲立法審査権を与えられて、立法や行政を適正にチェックする役割が期待され、裁判官は良心に従って独立してその職権を行い、憲法と法律にのみ拘束されるのです。
     国際化のいま、国際人権規約をはじめとする国際人権法を裁判規範として確立することも重要です。
  2. このように司法は、政治の世界での多数決原理とは異なって、憲法と法、そして社会正義の原理に基づき、社会的弱者の権利や少数者の権利を、国家権力や社会的強者、多数者の横暴からまもることを大切な役割としているのです。弁護士はその援助を行う専門的職業として、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」とされ(弁護士法一条)、時には国家権力などとも対決することを使命としているのです。そのために、弁護士会には、すべての弁護士の加入を義務づけ、その登録や資格、監督や懲戒を自律的に行い、あらゆる国家機関からの監督や干渉を受けない「弁護士自治」が制度的に保障されているのです。弁護士はこれまで、国民の人権を侵すさまざまな悪法に反対したり、法制度の改善の提言を行い、公害、環境問題、えん罪事件、消費者被害の救済などに大きな役割を果してきました。これは、弁護士自治が保障されているからこそ可能な活動であり、弁護士自治は弁護士の特権ではなく、国民から負託されたものというべきです。

二 わが国の司法の深刻な現状とその原因

 ところが現在の司法や裁判の実態は、この憲法の理念や期待される役割からは遠い存在となっています。また、国民にとって利用しづらく近づきがたい、なかなか公正な判決が得られない、というのが実感ではないでしょうか。その結果被害を受けているのは、国民自身なのです。

  1. その現状と問題点を裁判の分野別に見てみましょう。
    1. 民事裁判、行政裁判の分野では、
      1. 民事裁判は事実や法律論をめぐって対立当事者が争い、ときには当事者が事実を隠したりゆがめ、証拠を隠すなどということもあるため、ある程度の期間がかかるのは事実ですが、それにしても当事者にかかる「時間と費用」の負担が大きいため、普通の市民にとって縁の遠いものになっています。
         市民感覚から遊離したキャリア裁判官による非常識な判決や不本意な和解の押しつけなども指摘されています。
      2. とりわけ国や大企業を相手とする裁判では、当事者は膨大な労力と時間を強いられるうえ、行政追随、大企業擁護、司法消極主義といった裁判所の姿勢によって勝訴が極めて困難です。行政裁判は、原告適格を否定した却下判決も多く、勝訴率がきわめて低くなっています。
         沖縄の職務執行命令訴訟では、強制収用がなぜ公益上必要なのか、大田知事の代理署名拒否がどのように公益を害するのかをめぐる実質審理を認めずに、異例のスピード裁判で日米政府の政策を露骨に擁護する政治裁判が行われました。
         国会議員選挙の定数訴訟では、一票の格差が何倍になっても選挙を無効としない裁判例も多く、自衛隊や日米安保条約の違憲性についての判断を回避したり合憲と強弁する判断も定着しています。
         労働者の権利についての裁判でも不当な敗訴判決が少なくありません。JRへの不採用をめぐる不当労働行為の行政訴訟の判決で、労働委員会の救済命令を取消し、国鉄とJRを切り離す形式判断をした判決は、多くの国民の驚きを招きました。
         勝訴した事件でも異常な長期裁判になることが多いのです。例えば、東京電力、中部電力の思想差別訴訟や関西電力人権訴訟は大きな勝利をおさめましたが、一〇年も二〇年もの長期裁判となり、奪われた被害が十分に回復されたとはとうてい言えません。
      3. 日本では権利の発生や消滅の要件を定めた「実体法」が不十分なことも多く、長期の裁判のすえ訴訟に勝っても、不当に低い損害賠償、慰謝料など、弱者の権利は切り縮められ、権利実現が不十分です。例えば、アメリカなどで認められている懲罰的慰謝料などは、悪質な加害者から被害者をまもり、権利侵害を抑制するものとして必要ですが、日本では存在しません。
      4. 訴訟手続を定めた「手続法」の分野でも、消費者被害の未然防止のために、事業者の不当な行為に対する消費者団体による差止請求の団体訴権などの制度や、多数の少額被害者が発生する事件で、判決の効力を裁判に参加しなかった被害者にも及ぼす「クラスアクション制度」は日本にはなく、また、証拠を独占している社会的強者からきちんと情報の開示をさせる規定や、不当な争い方をしたり証拠隠しをした当事者に対して立証責任を転換する規定も不十分です。
    2. 刑事裁判の分野では、
      1. 人身の自由や住居の不可侵を守るべき裁判所の令状審査が形ばかりになっています。警察や検察からの令状請求はそのほとんどが、いわばフリーパスで認められ、現職裁判官が新聞に投稿して捜査側の「言いなり」と批判したほどです。
      2. 二〇日間の勾留は原則化し、起訴後も保釈を認められないため、保釈してもらうために検察官に迎合してしまう「人質裁判」が横行しています。
      3. 戦前、自白獲得のための拷問に使われた警察署の代用監獄がそっくり生き残り、警察署での留置が日常的に行われています。
      4. 起訴される前の被疑者や起訴された被告人に対しては、刑事訴訟の原則である無罪の推定も、訴訟当事者としての権利保障も不十分であり、糾問・取調べの対象とされていて、未だに「自白は証拠の王」となっています。
      5. 被疑者には国選弁護人制度も保釈制度もなく、被疑者の防御権が著しく侵害されています。
      6. 身柄拘束中に密室で警察官や検察官の取調べを受けたときに作られた尋問調書が、公判において重要な証拠とされ調書裁判に堕してしまっているなど、憲法のめざした刑事訴訟原則とは全く異なった司法の運営が行われています。

  2. 歴史的に見てみましょう。
     戦前の明治憲法は、天皇主権を定め、すべての裁判は天皇の名の下に行われました。特に、戦争に反対するなど、天皇の政府の決定に反対した政党や人々に対しては、その存在を許さず徹底した弾圧裁判が行われました。治安維持法などに基づいて行われたとはいえ、司法はこのように人民弾圧のために機能していました。その下で国民は大きな苦しみをなめたのです。
     これに対し戦後の日本の司法は、日本国憲法の国民主権主義のもとで三権分立と違憲立法審査権が規定されました。司法は、「人民の、人民による、人民のための」司法となり、社会が「法の支配」によって公正に営まれることに奉仕する役割を持つことになったのです。
     他方で、治安維持法や国家総動員法などを適用し、天皇制の侵略戦争に加担した裁判官たちが、なんら戦争責任を問われることなく戦後司法の中心に座ることになりました。しかも、憲法制定時にアメリカは日本を直接占領していました。アメリカは日本を「反共の防波堤」とするために多くの憲法蹂躙を行いました。そして、わが国の裁判所に対して、憲法違反の占領軍命令・指令をもとに、人権侵害を容認することを強いました。占領法規による弾圧の容認、レッドパージ裁判はその典型です。講和発効(一九五二年)後、いわゆる安保体制下で国民の権利侵害が続きました。これに対してもわが国の裁判所は、一連の米軍基地をめぐる裁判などで、憲法に反する裁判を重ねました。
     こうした憲法に反する司法のあり方に対しても、国民は批判し、ねばり強くたたかい続けました。そして、松川裁判の全員無罪判決や、公共企業体の職員と公務員のスト権についての一九六七年の全逓中郵判決を頂点とする一連の勝利など、貴重な判決を相次いで獲得しました。しかし、こうした前進に対して、財界や自民党による偏向裁判攻撃と、その意を受けた最高裁当局による宮本裁判官再任拒否をはじめとする青法協攻撃が開始され、人事統制や裁判内容に対する干渉、統制の強化が行われました。また、戦後保障されるに至った弁護士自治に対する攻撃も強まっていきました。いわゆる司法の反動化です。また、違憲立法審査権を行使しない司法消極主義や、最高裁を中心とする「小さな司法政策」も定着し、これらがあいまって司法は十分な機能を果たせない状況に陥り、これが現在も続いているのです。

  3. 裁判官統制の実情はどうでしょうか。
     最高裁事務総局の権限が肥大化し、裁判官会議の無力化と所長への権限委譲のもとで、裁判官は昇進・昇給と配転の人事政策によって統制されるようになりました。憲法と良心に従って憲法違反の判決を行った裁判官が昇進・昇給差別や転任差別を受けた事例も報告されています。また、裁判官は極端に市民的・政治的自由を制限され、市民社会と隔絶された生活を余儀なくされています。
     この点では、諸外国のうち、例えば、同じキャリアシステムをとるドイツなどときわだった違いがあります。ドイツでは、昇進や昇給、転任がないか、あってもこれが限定されていて、人事統制の手段に用いられることはなく、裁判官は市民にとけ込んで自由な発言を行っています。しかも市民的・政治的自由や労働組合を作る権利が保障され、実際にも裁判官組合は、裁判官の生活と権利、独立をまもるうえで重要な役割を果たしています。
     また、日本の行政訴訟や国賠訴訟においては、国家を代理する検事と裁判官の頻繁な人事交流があり、裁判所の公正が疑われています。さらに、重要な事件については、最高裁事務総局が担当裁判官会同を開いて事実上判断の統一をはかるなど、裁判官の独立を侵す事態となっています。

  4. 最高裁を中心とする「小さな司法政策」の現状はどうでしょうか。
     日本の司法と裁判は、歴代政府と最高裁当局の「小さな司法政策」によって、憲法の求める理念とは全く異なったものとされてきました。
     日本の司法予算が国家予算総額に占める割合は年々低下し、現在ではその〇・四%に過ぎませんし、法律扶助に対する国庫負担は国民一人当たり二円で、英国の三七七九円、韓国の一五円などの諸外国の水準を大きく下回っており、国民の司法の利用を困難にしています。
     最高裁は、多くの裁判官が二〇〇件も三〇〇件もの事件を抱えてその処理に忙殺されているにもかかわらず、裁判官の増員にも一貫して消極的です。最高裁の権威のもとに裁判官を統制しておくには、裁判官の人数が少なく、かつ忙しい方が、より効果的であることは明らかです。
     最高裁は、地方裁判所、家庭裁判所の支部を整理、統合したり、簡易裁判所の整理、統合を強行し、書記官の増員を押さえ、また正しい事実認定のために大きな役割を果たしてきた裁判所速記官の養成停止を強行するなど、国民の利用しやすい公正な司法ではなく、安上がりの司法をめざしてきました。


  5. 司法を担う法曹の資質や能力と量の点ではどうでしょうか。
     日本のほとんどの裁判官は、司法研修所を卒業後直ちに判事補となり、一〇年後には一人前の裁判官の資格である判事となります。判事補はもともと単独では裁判ができない制限された資格の裁判官であり、合議体の中で判事の資格のある先輩裁判官から指導養成を受けながらも、対等な立場で合議に参加することになっているなど矛盾した立場にあり、さらに逮捕、勾留、捜索などの令状実務や仮差押、仮処分などについては単独で裁判できることになっています。そして、判事の数が少ないため、判事補を五年経験した判事の資格のない特例判事補が単独で裁判を行っています。
     また、法曹資格のない副検事あるいは検察事務官が、本来有資格者の仕事とされている検察の仕事の多くを担っているのが実情です。
     弁護士の利用についても、弁護士に相談したり、交渉や裁判を頼みたいのにいい弁護士が身近にいない、裁判所の支部が設置されている市に弁護士がいない、あるいは一人しかいない弁護士過疎地区が多数あるなどの問題点があります。
     当事者主義訴訟においては当事者の活動が訴訟の基本ですが、日本の法学教育は、大学の法学部、司法試験、司法修習のいずれも法解釈技術に偏重しており、生きた紛争の中から法律構成をしていくための事実把握能力やリーガルマインドの養成が十分でありません。裁判官は先例的解釈に自らを閉じ込めてしまい、事案に即した適切な解釈をないがしろにする傾向をぬぐい切れないでいます。

三 人権をまもり発展させる国民と自由法曹団のとりくみ

 このような不十分な司法のもとでの国民と自由法曹団のとりくみはどうだったでしょうか。

  1. 私たち自由法曹団はその規約二条(目的)で、「基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現に寄与することを目的とする。団はあらゆる悪法とたたかい、人民の権利が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず、ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう。」と規定し、現憲法下で五〇年余にわたって、裁判に立ち上がった国民とともに、刑事弾圧事件、冤罪事件、労働事件、税金訴訟、環境・公害事件、薬害訴訟、基地訴訟、行政訴訟、国賠訴訟、消費者訴訟など、自民党政治のもとで社会的強者の人権侵害の犠牲になった人々の権利をまもり発展させるために、数々の大衆的裁判闘争にとりくんできました。
     これらの裁判にかかわった国民と弁護士は協力して、事実と道理を法廷の内外に広げ、支援組織や国民の長期にわたる運動と努力を通じて権利を実現し擁護してきました。わが国の国民の権利がいまなお不十分であれ、確実に向上し現在の水準に至っているのも、これらのとりくみの成果に負うところが少なくありません。
  2. それだけではなく私たち弁護士は、日常的には庶民間の法的紛争を含めてさまざまな法的紛争に関する相談を受けてアドバイスをし、法律にのっとった適正な解決の道筋を明らかにしたり、裁判その他の法的手段に基づく紛争の解決や権利実現のための援助を行ってきました。
  3. このように、私たち自由法曹団に所属する弁護士は、国民とともに、一つ一つの裁判にあたって、公正に人権が守られるよう努力を尽くします。わが国の弁護士の圧倒的多数も同様だと思います。しかし、このとりくみの場である日本の司法のゆがんだ体質と遅れた現状をそのままにしておいて、裁判を安い費用で利用でき、早く、正しく、国民の権利がまもられることは困難です。ましてや、日本を平和で民主主義が徹底して貫かれる社会にすることはさらに困難となります。したがって私たちは、制度の抜本的な改革が必要だと考えます。

四 日本社会の深刻な危機と、財界・自民党の司法改造の提言

 日本の深刻な司法の現状を前に、これまで小さな司法政策を続けてきた財界や自民党が、法曹人口の増大や司法予算の増大を含む提言を始めました。それはなぜでしょうか。

  1. いま日本は、自民党政治のもとで深刻な経済危機に陥り、国民生活は大きな被害を受けています。バブル期の自民党の無責任な政治と、銀行をはじめとする大企業の放漫投資は、バブル崩壊のもとで、北海道拓殖銀行、山一証券をはじめとする大規模倒産やリストラ、失業と構造不況となって国民生活を襲っています。また、自民党の大企業との癒着、大蔵省をはじめとする中央官僚機構や地方官庁、金融機関、ゼネコンなど、支配機構の腐敗や危機が進み、平和や民主主義に対する攻撃も強まっています。国民は平和で民主主義が尊重され、だれでも人間らしく生きられる社会を望んでいます。そのために、いまこそ国の政治や経済を根本的に変えていく必要があります。司法についても、人権を守る役割を果たすものに変えていくことは、法曹界のみならず広範な国民の声になっています。
  2. ところが、財界や自民党はこれを変えるどころか、「六大改革」を唱えて国家の改造計画を打ち出すとともに、市場原理、自由競争万能論に基づく規制緩和を錦の御旗にし、いわゆる「金融ビックバン」をおしすすめようとしています。そして、日本の深刻な経済危機を国民の犠牲のもとに乗り切ろうと、労働基準法の改悪、大店法の改悪、定期借家制度の創設など、働く人々の権利や中小小売商店の営業と生活の権利、家を借りている人々の居住権を奪うための悪法を次々と成立させたり成立させようとしています。
     公害や薬害、悪徳商法、リストラ、倒産などによる国民や働く人々の権利に対する被害も深刻で、大企業などによる権利侵害はあとを絶ちません。国や行政がこれを放置していることも少なくありません。ところが、財界や自民党は、これらを規制するどころか、国民の権利を切り下げる法律を次々と作っておいて、日本の社会を事前規制型社会から透明なルールと自己責任というグローバル・スタンダードに基づく事後救済型社会へと転換し、そのために司法の役割を増大させ、弁護士人口も増大させる、という方針を提起しています。これは、すでに本格的な「金融ビックバン」の始まる前から発生している変額保険などの金融被害に見られるような弱肉強食の社会を野放しにしておいて、あとからその犠牲者を裁判で救済するために司法の役割を大きくする、という逆立ちした考え方であり、実際には犠牲者の真の救済など、はかれるはずがありません。また、グローバル・スタンダードというなら、国際人権規約をはじめとする国際人権法こそ基準とすべきです。さらに、第一の二項で詳細に明らかにしたわが国の司法の深刻な現状とその原因についての問題意識は全くありません。
     彼らは、多国籍企業が国境を超えて世界の経済を支配しようとするいわゆる「大競争時代」を目前にして、日本を規制緩和型の国家社会へ改造する計画を立て、日本の司法制度をさらに企業に奉仕するしくみに作り変えようとしているのです。グローバル・スタンダードも実際はアメリカン・スタンダードであり、そこで言う「透明なルール」も、決して社会的強者と社会的弱者間のものではなく、多国籍企業を含む社会的強者間のものと見なければなりません。しかも、金融危機を口実にした公的資金投入などに見られるごとく、自らは、自己責任も情報の公開や透明なルールにも背を向けた対応をとっています。
  3. 財界や自民党がこの時期に、しかも急ピッチで日本の司法を根本的に改造する提言をしているのは、日本の財界が、国際社会で日本が先進国と対等になるには、現在の日本の司法が十分に機能しておらず、財界の利益を擁護するためにも、司法をグローバルスタンダードに改革するさし迫った必要性を感じていることの反映と見るべきです。
  4. そのために、司法予算の増大や法曹人口の増大、裁判官を弁護士などから選任する法曹一元制度、国民の司法参加である陪審制度、経済的理由から裁判を利用できない人々のための法律扶助制度、被疑者弁護を含む刑事弁護の在り方などについても、財界などの要求の強さの度合いに応じて検討や議論を提言するにとどめたり、積極的に推進することを呼びかけたりしているのです。
     これらの項目は日弁連や司法の民主化を求める国民の要求と一致する部分も多く、他方、司法予算の増大や法曹人口の増大、とりわけ裁判官増に対して一貫して消極的な態度をとっている最高裁判所の「小さな司法政策」との矛盾も生じています。
  5. さらに、弁護士自治制度をそのままにして弁護士人口が増大してその発言力が増すことは、財界や自民党が行おうとしている国家改造計画やそのもとでの司法改造計画にとって障害となることは明らかですから、彼らは、弁護士自治を変質させることを狙っていると見なければなりません。また、法律の専門家としての法曹、特に弁護士について厳格な資格を定め、国民の人権擁護の職責を果たさせることは重要なことですが、法曹となる資格をルーズにしたり、弁護士の法律事務独占を緩和する提言も同時に行われています。これは、司法の分野における参入制限の撤廃の動きと言うべきです。これに対しては、弁護士自治や弁護士の使命を後退させるおそれも指摘されていますが、この問題は、国民に対する法的援助の徹底と国民の権利を守る責任という両面から十分な討議を要する問題です。いずれにせよ、私たち自由法曹団に所属する弁護士は、弁護士の使命を果たし、国民から負託された弁護士自治をまもり発展させる立場を貫くことがきわめて重要であり、これを直接的または間接的に破壊したり、内部から崩壊させる動きに強く反対すべきであると考えます。

五 日本の司法の改革の方向―今こそ国民のための司法の民主化をめざすとき

  1. このような状況のもとで私たち自由法曹団は、自由法曹団規約に基づくとりくみをしてきた法律家団体として、日弁連や司法の民主化を願う国民と協力して、先に述べた日本の司法の現状を改善するための当面の要求にとりくむとともに、日本の司法のより抜本的な制度改革と、これを予算や人的・物的に支える体制の抜本的な変革のための提言を行うべきだと考えます。
  2. 財界や自民党が提言している各論的な項目である法曹人口の増大、法曹一元制度、国民の司法参加、法律扶助の充実・強化、はまさに世界の大勢であり、日本の遅れた司法制度を国際水準に引き上げる最小限の制度改革なのです。政権政党がはじめてこのような全面的な「司法改革」提言をするに至った今日、抜本的な制度改革とこれを支える体制について提言をし、実現させるために大いにこれを活用すべきではないでしょうか。
  3. 他方、もし、私たちが財界や自民党の司法改造の提言に対して、個々的に賛意を示したり反対するといった対応をするだけの態度に終始するなら、たとえこれらの中に私たちの司法民主化の要求と一致するように見える項目があっても、それは基本的立脚点が全く異なり、また、そのすべての項目を同時に実現させるというわけではなく、彼らなりの優先順位を考えていると思われますから、財界や自民党の意向に沿った、強者の利益のために国民の利益が奪われていく司法制度にゆがめられていくことになることは明らかです。
     したがって、国民の立場に立った司法の民主化のための総合政策を提起することが重要であり、これを支える国民運動を作っていく必要があります。
  4. 自由法曹団は、創立以来長年にわたって多くの大衆的裁判闘争にとりくんできました。いわゆる司法反動下においても、事実と道理に基づいて裁判官を説得して成果をかちとる努力を国民とともにすすめてきました。しかし、このとりくみの場である日本の司法のゆがんだ体質と遅れた現状を抜本的に改革するためのとりくみは、必ずしも十分ではありませんでした。そこで、この数年来、自由法曹団は日本の司法の現状とその改革の方向、国民運動のとりくみなどについて討議を重ねてきました。
     いまこそ、歴史の経過と司法の深刻な実態をふまえ、真に国民の人権を擁護する憲法の保障する司法制度についての抜本的な改革要求を掲げて、国民が行動に立ち上がるべきです。これが、自由法曹団が今回、「二一世紀の司法の民主化のための提言案」を発表するに至った理由です。

第二 司法の民主化のための抜本的な改革の内容

 日本の司法の現状に対して、当面の改善のためのとりくみを日々強めることは当然のことです。
 具体的には、この提言案の第一の二項で述べた日本の司法の深刻な現状の原因を取り除くため、最高裁判所裁判官の国民審査方式の改善を含む公正な任命方式への改善、最高裁判所の裁判官の統制を制限するための改善、裁判官の市民的・政治的自由を保障させるための改善、行政訴訟を国民が利用しやすくして、行政に対するチェックを十分にできるようにするための改善、代用監獄制度の廃止など、多くの課題があります。
 また、現在の日本の司法が、日本国憲法の理念に反して低い機能しか果たしていないのは、権利の発生や消滅に関する要件を定めた「実体法」の水準がそもそも低いことによる部分も多く、これも含めた改善のとりくみも必要です。「手続法」についても同様です。
 しかし、ここでは、より抜本的な制度改革と、これを支える予算や人的・物的体制にしぼって提言します。当面の改善のためのとりくみは、より抜本的な制度改革要求と一体としてとりくむことによって、よりよく実現できるものだと考えますし、制度の抜本的改革によってはじめて、これらの改善要求もより完全な実現が可能になると考えるからです。

一 判事補制度の廃止と法曹一元制度の実現

  1. 第一は、判事補制度を廃止し、法曹一元制度を実現することです。
     裁判官が最高裁を頂点として司法官僚的に統制されていることは前述しました。この結果、裁判官は憲法が保障した憲法と法律と良心によってのみ拘束されるという裁判官の独立を大きく侵害され、出世に大きな関心を払う行政官的な身分と感覚から免れることが困難な状況に置かれています。しかも、寺西裁判官の分限裁判に見られるごとく、市民的・政治的自由はきびしく制限されて、清廉と無事故と自己規制を過度に求められ、官舎と官車の利用に象徴されるように、その交際範囲も限定され、市民社会と没交渉の生活を送っています。これでは国民の苦しみや悩みを十分に受け止める感覚が身につかないのではないでしょうか。庶民の生活に対する共感や健全な社会常識が乏しくなり、国民よりも上級審を意識した判断や行政追随、大企業擁護の判断に傾きがちになるのは当然ではないでしょうか。
     ところが、キャリア裁判官はいま、二〇〇件も三〇〇件もの過剰な裁判実務のもとで休暇も満足にとれない非人間的な労働環境にいながら、自分たちで団結してその改善を図ることもできず、物言わぬ裁判官としてひたすら仕事に埋没し、日常的に疲労しています。これまで最高裁の一貫した青年法律家協会や裁判官懇話会のメンバーに対する人事上の不利益取り扱い、最近における寺西裁判官問題などについて、最高裁当局の事実上の統制のもとに、同僚であるにもかかわらず長年にわたり声を上げられずにきました。
  2. これに対して法曹一元制度は、たとえば一〇年間など、一定期間法曹としての社会的経験を積んだ弁護士その他の法曹経験者の中から、民主的な選任手続を経て裁判官を採用する制度であり、子飼いのキャリアシステムの象徴とも言うべき判事補制度を廃止して、裁判官の供給源からこれを排除するものです。
     ドイツのように、同じキャリアシステムの国でも、人事統制がなかったり、裁判官の市民的・政治的自由が認められている国のあることは第一の二、3項で明らかにしました。しかし、ドイツの連邦制に対し、日本では中央集権的な官僚機構やキャリアシステムが行政組織や企業を含めて社会の全体を貫いており、キャリアシステム自体を打破して判事補制度を廃止しなければ、現在の日本の裁判官の独立を実現し、その抱えている問題点を解決することはできません。
  3. 法曹一元制度を実現するためには、私たち弁護士自身が法曹一元制度を担うべく、その資質と能力向上のための教育訓練の強化と自己改革を強め、また、国民に等しく法的サービスを提供できるよう、弁護士の大都市への偏在と過疎地対策などにとりくむ必要があると考えます。
     私たち自由法曹団の先輩たちは、かつてその要請にこたえて全国各地に事務所をかまえ、民主勢力や地域の住民たちの中に深く入って、活動をしてきました。すでに過疎地への公設弁護士事務所のとりくみも始まっています。自由法曹団としても、過疎地対策のために役割を果たすことができるよう討議を開始したいと考えます。
  4. なお、法曹一元制度の具体的内容や、その供給源を弁護士に限るか、それとも現行裁判所法に基づいて当事者法曹としての検察官等も加えるべきかについては、この制度の理念や諸外国の制度も参考にしながら、引き続き検討していきたいと考えます。

二 国民の司法参加の実現 ―陪審制度を基本に

  1. 第二に、刑事陪審制度の復活・改善と、国家賠償請求事件や労働事件、行政事件など、国や大企業等の責任を追及するなどの一定の種類の民事事件における陪審制度の創設です。私たちはこれを基本にしつつ、民事事件や少年事件においては参審制度についても検討すべきだと考えます。
     前項で提言した法曹一元下の裁判官も職業裁判官としての限界は避けられませんから、官僚司法の打破と真の司法の民主化は、司法の国民参加、とりわけ陪審制度の採用とあいまって実現されるべきものだと考えます。
     現在世界の大勢は、裁判の中心任務である事実認定を、陪審制度、すなわち、刑事裁判における被告人や民事裁判における当事者の同僚である国民の中から選ばれた陪審員の評決にゆだねて、裁判官は公正な訴訟手続を主宰する役割を担う制度か、参審制度、すなわち国民が裁判官とともに裁判に加わる制度のいずれかを採用しています。民事裁判についても、事件の種類によって陪審制度を採用している国もあります。
     陪審制度は英米法系の国で採用され、参審制度はドイツ、フランスなど、大陸法系の国で採用されています。国民主権の憲法原則のもとでなお、国民の司法への参加制度を採用していない日本は、世界の中で異端に属するのです。
     もっとも日本でも、戦前にはさまざまな不十分さを持ちながらも刑事陪審制度があり、また戦後の沖縄でもこの制度が存在し、いずれも高い評価を受けてきました。ところが、戦前の刑事陪審制度は戦時中に停止され、今日に至っていますが、廃止されたわけではなく復活が予定されていたのです。また、今日の検察審査会制度の運用の実態は、わが国においても立派に陪審制度を運用できることを示しています。
  2. 陪審制度は当事者主義の徹底、調書を中心とした書面主義の裁判から公判廷における証人調べを中心とした真実発見の重視、検察官や弁護人の弁論の説得的役割の重視を含んでいます。本来、国民主権のもとにおいては司法における判断作用も国民によって担われるべきで、陪審制度はその直接の帰結です。そしてこの制度は、これに参加する当事者、陪審員の政治的成長に寄与し、国民の主権者としての責任の自覚、法意識の向上や正義感の醸成など、大きな効果があります。これは国民が陪審員になることによる個別的な負担やそのための費用の増大をはるかに上回る大きな価値と言うべきです。
     そして、裁判の顔である事実認定を国民の討議と良識にゆだねることは、私たち自由法曹団がとりくんできた大衆的裁判闘争の経験からも十分に可能だと考えます。

三 裁判を受ける権利の経済的保障と司法予算の大幅な増大

  1. 第三は、裁判を受ける権利の経済的保障のために、法律援助制度の抜本的強化と被疑者国選制度を実現し、これを支える司法予算を大幅に増大することです。
     国民が裁判を利用することを阻んでいる最大の要因の一つは、利用する側の経済問題です。もっとも法の保護を必要とする人々が経済的要因で司法の援助を受けられないということがあってはならないのです。
  2. そのことを具体的に実現する制度の一つが弁護士費用を含む裁判費用を立替える法律扶助制度ですが、わが国ではこれを支える国民一人当たりの予算は先進国とは比較にならないほど低くなっています。経済的な理由により裁判を受けられないことがないように、公設の法律援助制度を十分利用できることは、憲法が保障する国民の裁判を受ける権利の経済的保障と言うべきです。国民のすべてに自己の侵害された権利をまもり、またその正当な要求を実現するために、国の責任で、裁判を安心して利用できる制度をすみやかに創設しなければなりません。
     そのために私たち自由法曹団は、現在の法律扶助制度を法律援助制度と改め、所得額を基準とする対象層を現在の下から二割の層から四割程度に、また、立替費用の全額償還制を一部給付制にそれぞれ改め、弁護士報酬も引き上げるなどの、日弁連や法律扶助協会の方針を支持してその抜本的な強化のためにとりくみます。
  3. さらに国選弁護制度は弱体であり、被疑者や少年事件に対しては全く保障されていません。このことが捜査をチェックすることを困難ならしめて、えん罪を生む重大な原因になっていることはかねてから強く指摘されています。私たち自由法曹団は、被疑者についても起訴された被告人と同じ国選制とし、対象範囲を段階的に拡大して二〇一〇年にはこれを完全実施することなどを内容とする日弁連の方針を支持してとりくみます。
  4. 法律援助制度の抜本的強化と被疑者国選制度の要求の実現は、国民が切実に期待している重要課題です。そしてその制度を財政的に支えるためにも、あまりに低い司法予算を大幅に増大させる必要があります。

四 抜本的な制度改革を支える法曹人口の大幅な増大

  1. 第四は抜本的な制度改革を支え、その基盤となる法曹人口の大幅な増大です。
     以上の民主的司法制度の実現を二一世紀に向けて展望するとき、これを担う民主的弁護士をはじめとする法律家の増大は切実な国民的課題です。「小さな司法」政策の中でもたらされた過少な法曹人口のために、戦後の一時的臨時的措置であったはずの判事補や、副検事、検察事務官の検事事務取扱いが恒常的制度にされ、法制度上の例外が原則化しています。
     法律扶助制度の抜本的強化に伴って弁護士人口を大幅に増大させる必要があり、また、年間約一〇万人にのぼる未決拘禁被疑者に完全な弁護人依頼権を保障するに足る弁護士数を確保する必要があります。国民にとって、相談したり交渉や裁判を頼みたいときにいい弁護士が身近にいないのでは、人権を十分にまもることはできません。
     簡易裁判所事件の訴訟代理権などをめぐっての司法書士参入論や弁護士の法律事務独占についての解禁論など、弁護士が全体として社会のニーズに応えきれていないことから生ずる問題も提起されています。
     このように、法曹三者のどれを見ても、現状では法曹人口の不足は歴然としており、社会のすみずみまで法の支配を貫き、国民の要求に応えるためには、裁判官、検察官の増員とともに弁護士人口の大幅な増大が必要です。同時に、弁護士人口の大幅な増大が、自動的に弁護士の大都市への偏在と過疎地問題の解決に結びつくわけではなく、これが独自に取り組むべき課題であることは当然です。
  2. このような必要に沿うように比較的短期間に法曹人口を大幅に増大しようとすれば、その規模やテンポ、その養成方法である大学制度、試験制度、修習制度の問題が検討の課題となってきます。また、弁護士の大都市偏在と過疎地対策、法律事務独占と弁護士自治との関係、司法基盤整備などとの関係も、卒直な議論を重ねるべき問題です。さらに、弁護士の大幅増大による弁護士会の変質やビジネスロイヤー化、所得の減少に伴って生ずるさまざまな弊害の心配も指摘されていますが、これは、弁護士が広く深く国民の中に入っていくという活動スタイルを徹底し、弁護士会内での論議を強める方向で解決すべき問題だと考えます。そのようなとりくみの中で、司法基盤整備の課題もかちとっていくことが可能になるのではないでしょうか。
     これらの問題をめぐってはさまざまな意見と見解の対立がありますが、自由法曹団はこれらの討議を徹底して行うことを呼びかけたいと考えます。

第三 司法の民主化のための討議と国民運動を

  1. 自由法曹団は、この提言案についての議論を重ねてきました。しかし、これまでは団内での議論が中心であり、何よりも各界各層のご意見を広くお聞きする、という点で不十分でした。したがって、この提言案は今後さらに団内で討議を継続するとともに、本部の段階でも各地の支部の段階でも、各政党、マスコミ、日弁連や各単位弁護士会、良心的な裁判官、検察官を含む法律家層、司法問題に関する諸団体を含めた民主団体、裁判をたたかっている人々、裁判ウオッチングにとりくんでいる人々、依頼者層など、各界・各層に提案のうえで懇談の機会などを持ち、それらを集約して近い将来、よりよい提言に練り上げていきたいと考えます。
  2. 同時に、その中で、規制緩和による国民の権利の引下げをはかる「実体法」の改悪の動きに反対したり、当面の改善要求も集約して、これを最高裁や法務省、政府などに対してその実現を迫る運動も一緒にとりくんでいきたいと考えます。
     さらに、司法の民主化のための抜本的な制度改革については、多くの団員や国民の一致しうる課題だと考えますので、これについても本部や各地での各界との懇談の中で、その実現に至るプロセスや条件整備、これを支える運動方法も含めて議論を重ね、具体的な運動を開始すべきだと考えます。
     労働組合や民主団体がその政策や方針の中に、司法の民主化の課題を掲げることも呼びかけたいと思います。
  3. 私たち自由法曹団は、一つ一つの裁判のとりくみに力を尽くすこととあわせて、司法の民主化のための制度の抜本的改革の諸課題と、当面の改善の要求を実現するためのとりくみを強化しますが、このたたかいは自由法曹団だけではもちろん、日弁連などのとりくみだけでもとうてい実現できない困難な課題です。それは、司法制度も政治制度の一つであり、政治的な力関係や国民世論の動向によってその実現の可能性や時期が規定されるからです。しかし、このたたかいは、財界や自民党の立場からの司法改造計画を許さず、国政を民主化し、日本国憲法の理念を実現して国民主権を実現するたたかいの一翼を担うものとして、すべての民主勢力や良心的な個人、団体がとりくむべき課題の一つなのではないでしょうか。
     ぜひこの提言案をご検討いただき、日本の司法の民主化のために力をあわて国民的な運動にしていこうではありませんか。